というか十二階君はここまで来ても議論の前提を理解しようとしないわけだが。
秩序を維持するには何かしらの絶対性が必要だと、一番初めに行っている。
何かしらの「絶対性」なのだから、二重規範では困るわけだ。www そんなのは当たり前じゃ
ないか。日本だろうがどこの国だろうが、「絶対性」が二重にあったならば、秩序は維持できないだろうよ。
初めから言っている事を、なぜ効きなおすんだろうね。
日本以外の多くの国では思想(宗教含むw)の根源的なもの…つまり世界観や人間観に裏打ちされたその
思想の根源が、その秩序維持のために規範の正当性だったり、信じられる根拠となるわけだ。
イスラムの国ではコーランが信じられ、そのコーランの絶対性が秩序維持のための規範の根拠となっている
事を見れば、理解しやすいかもしれない。
例えば、ユダヤ人同士の金の貸し借りにおいて、金利を取るのはNGだが、異教徒に対して金利を取って
よいという規範がある。この根拠はユダヤ教に由来するわけだ。ユダヤ教を信じない我々日本人にとって
なぜ異教徒はOKでユダヤ人同士はNGなのかはさっぱりわからないが、ユダヤ人はユダヤ教を信じてい
るのだから、仕方がない。
イスラムの国においては、大統領が民選によって選ばれるが、それよりも上位に宗教指導者がいる。
宗教指導者はコーランの解釈権者である。民選された大東よりもコーランを解釈する人が上位である意味を、
我々イスラム教を信じていない日本人は分からない。しかしコーランを信じる者にとっては当然の事なのだ。
米国において、先住民がいるにもかかわらず、米国の基本法は正しく、其れに従わなければならないという
正当性が主張される。自然法というある意味で無条件の絶対性が米国の基本法にはあるらしい。
イスラムの人も、ユダヤ人もおそらくは先住民も、人が決めたものに、絶対性があるとは信じていないだろう。
世界観や人間観を含むトータルの思想を是としなければ、本来秩序維持のための規範は正当性を帯びない。
イスラムの教えに反する規範を人が作ったとしても、それに従うイスラム教徒はいないという意味である。
多くの人々がその規範に正当性を感じなければ、その規範は守られず、秩序は維持できない。
ところが極東において、「みんなで決めてみんなで守ろう、其れはうまくいかないわけがない」と
考えた人々がいた。みんなで決めてみ女で守るという規範は、ある意味妥当じゃないかと思えるのだが、
しかし事はそう単純ではない。
同じ事をしでかしたにもかかわらず、昨年は懲役3年、今年は死刑では、死刑にされる側はたまったも
のじゃない。党派心を捨てて全体の利益を考えて皆が話し合えばうまくいくのだが、人はなかなか党派や自己
の利益を捨てられない。もう一つ問題がある。決まれば従う…は決まらなければ従わなくてよいという意味で
あるから、議論が不十分であるとか、審議拒否などで決定させないということが可能である。
やっぱり物事を決めるには、基準とかルールが必要だよな…ということになる。矛盾がなく(つまり整合性
があり)特定の党派や個人を特別扱いせず、決定過程含めてルールを決めるのは当然必要だ。
そしてそれが将来起きることについても解釈運用できる必要がある。ここで、何かを論理を絶対化しなければ
ならなくなる事情が生じるわけだ。
どうも隣の文明国には儒教というものがあるらしい、仏教というものもある。最新科学であり、整合性のある
論理があり、正しいらしい。取り入れてみよう…。そしてそれを取り入れることを「みんなで決める」わけだ。
「話し合い」で決まればよいが時に争いも起きる。争った結果でも決まったらみんなで従おうとするらしい。
つまり、日本ではみんなで「よしこれからは仏教でいこう」と決めれば、仏教が秩序維持の論理となり、
朱子学でいくと決めれば、秩序維持の論理は朱子学でいく、「いやこれからは国際法ぜよ、自由民権だ」
と決めればそうなるし、これからは民主主義でいくと決めれば、民主主義でいくわけだ。
なお、みんなで決めた事だから従う…という発想は、仏教にも儒教にもユダヤ教・キリスト教・イスラム教
にも反する事なのである。
ということで、そろそろ終わり。www
691 :
右や左の名無し様:2010/03/30(火) 13:01:26 ID:xshDaAWL
『法人税を上げると会社が海外に逃げてしまう』という説があるが、逆転する
と『海外に逃げれない会社に対して法人税を上げない理由は何も無い』という
事になる。
タバコ、パチンコ、芸能界、出版業界、マスコミ、ジャスラックなどの
法人税はガンガン上げていこう。
遅くなりました。年度末始はやはり忙しい。
>>688 >回答しているっツウの。あなたが理解できないことの責任を、俺に持ってこられても。
あなたに求めてるのは真摯な回答であって、理解うんぬんの責任ではない。真摯に回答してないのによくも言えるよね。
> 複雑系の勉強をすいてから語れと言っている。許容の問題じゃないということは、ほんの少し 勉強すればわかるから…。
「許容」を持ちだしたのはあなただ(
>>617)。それが複雑系とどのように関係しているのかだよ。あなたはそれらがバ
ラバラなんだよね。繋がってない。
>貴殿において見えていない事は、別に俺のせいではない。わかろうとしないから見えないだけだと、 俺は思う。他との
比較の問題だろ?独自性というのは…。
私が思うことがあなたのせいであるわけがない。比較した結果独自性が見えてこないんだよ。
>別に枝葉末節の矛盾を内包せず、一切の妥協を内包しなくとも、複雑系は成立するんで、わかりもしな い言葉を並べら
れても、論外です。
逆だよ。複雑系が枝葉末節の矛盾を内包したり一切の妥協を内包するのではない。見えてないんだよね。
>そりゃならんだろうな。論外なんだから。終えれは根拠を示しているが、あなたは何の根拠も示していない。
もう一人とのやりとりであなたが論外だってことの根拠は示されたが、天命思想が除外された根拠は示されてない(はっきり言って)。
> 菩薩を名乗り、擬経を用いて女帝出現の正当性を示す為政者のどこに天命思想があるというのか、根拠を示 せよ。www
あのなぁ、私はあなたの先生じゃないんで、・・・。(この言い種がいかに汚いか察してねん)
(先生ではないが、少しだけヒント)
菩薩を名乗り擬経を用いたことに、天命思想はない(関係ないから)。また、それらが天命思想を除外・排除することに
もならない(関係ないから)。
武則天は仏教を信仰しながら、一方で、武周という国名からわかるように周という古代国家にルーツを求め、周代の聖堂
も再建している。周は天命思想が体系付けられた最初の国。つまり、武則天は別に天命思想(儒教ではない)を除外してない。
というよりも、たかが一人の為政者が簡単に否定したり除外したりできないから「正統性」を帯びるんだよ。あなたも
言ってるように、菩薩を名乗り擬経を用いて女帝出現を示すのはせいぜい「正当性」なんだよね。
あとは、勉強してください。というより先入観を捨ててください。
>>689 >日本だろうがどこの国だろうが、「絶対性」が二重にあったならば、秩序は維持できないだろうよ。
先入観を捨ててみよう。例えば、横断歩道でない道を車が来てないことをいいことに渡ったとする。法的には違反行為だ
ろ。お巡りさんがいたら絶対に注意される。
ところが、渡った人は車が来なかったのだし事故も起きてないのだからいいじゃないかと思った。この場合の秩序は法的
なものと個人の感性と二重にあることになる。渡って注意された人以外にも何人も渡ってたとするともはや個人の感性でな
く暗黙の規範ともいえる。
複雑系の社会に住む我々は、こういった二重規範の中で、置かれた立場や環境、様々な要素を経て判断していく。一つの
規範=「絶対性」で常に行動しているのではない。これは世界中どこでも変わらない。
複雑系は一つの秩序=「絶対性」の限界を提示してるのだが、あなたはこのへんがぷっつりと切れているね。
>イスラムの国ではコーランが信じられ、そのコーランの絶対性が秩序維持のための規範の根拠となっている 事を見れ
ば、理解しやすいかもしれない。
おいおい。何だよこの還元主義的な結論は。「複雑系の社会は、別に、イスラム原理主義に凝り固まっている社会でも
成立する話なんだが…。」(
>>630)
絶対性による還元が限界であるからこその複雑系である。結局、あなたが日本を差別化したいだけに思える。。
> イスラムの人も、ユダヤ人もおそらくは先住民も、人が決めたものに、絶対性があるとは信じていないだろう。
だから何らかの絶対性によって付与するのだろう。これは日本だって変わらない。
>イスラムの教えに反する規範を人が作ったとしても、それに従うイスラム教徒はいないという意味である。
誰がどうやって「イスラムの教えに反する」とするかだね。それが信徒側でできるのかという問題。
>多くの人々がその規範に正当性を感じなければ、その規範は守られず、秩序は維持できない。
結局、あなたの立ち位置が複雑系なのか還元主義なのかわからない。言ってることが矛盾してる。
秩序は維持するものか維持されていくものなのか?
>>690 >ところが極東において、「みんなで決めてみんなで守ろう、其れはうまくいかないわけがない」と 考えた人々がいた。
たとえ、理論上の前提であったとしても、根拠もなくこんな確信めいたことを思うはずもなく、仮定にすらするのに違和
感を覚える。こんな人々なんかいるわけない。
>同じ事をしでかしたにもかかわらず、昨年は懲役3年、今年は死刑では、死刑にされる側はたまったも のじゃない。
ここまでヒドイのはないにしても、飲酒運転による死亡事故への厳罰化は現実のものになり、時効事件への遡及効も審議
されている。今回は「死刑にされる側」と見解が一方的だが、加害被害傍観それぞれに言い分はある。たまったものじゃな
いのはお互い様だ
>党派心を捨てて全体の利益を考えて皆が話し合えばうまくいくのだが、人はなかなか党派や自己 の利益を捨てられない。
捨てられないからうまくいかない。ということは極東においても根源的な価値観ではないということだね。その通りになってないんだから。これを前提にして考えるというのもおかしな話だ。
れ氏、つづきがあるのでレスは待ってね
レスは永遠にないかも。つうか、論外なんで、勝手にやってくれない?
同じことを何回も書くのは疲れたよ。
>あなたに求めてるのは真摯な回答であって
俺は十分に真摯に答えているが…。つか解答を求める権利でも君にあるというのかい?
あまりふざけんなよ。
> 「許容」を持ちだしたのはあなただ(
>>617)。それが複雑系とどのように関係しているのかだよ。
俺は関係していると一度たりと云ったことがない。あのな、社会が複雑系であることと、思想としての許容
問題は、相当に関係が薄い。
そんなことは、「先天的な重度の疾患」に関して、キリスト教は神の試練としている(つまり矛盾でないから
許容するといった考え方に立たない)ことでも、簡単に理解できるだろ。
俺がどんな文脈で複雑系に言及したか一度確認してみろよ。
>あのなぁ、私はあなたの先生じゃないんで、・・・。(この言い種がいかに汚いか察してねん)
なめんなよ、俺は根拠を示しているから、お前が俺と対等であろうと考えるなら、お前も根拠を示せと言って
いるんだよ。
お前がのちに「関係がない」と云っているが、関係がないことの論拠さえないんじゃ、論外と云われたって
文句は言えないだろうよ。
>つまり、武則天は別に天命思想(儒教ではない)を除外してない。
おまえなぁ、まぁいいや、政治思想板でこんな発言をしていること自体が、、論外なんだから。
天命はどんな人に下るか…有徳者である。有徳を示すのが儒教・・・理解できないんだろうなぁ。
つづきです
>>690 >決まれば従う…は決まらなければ従わなくてよいという意味で あるから、議論が不十分であるとか、審議拒否などで決
定させないということが可能である。
世界中のどこで「議論が不十分である」「審議拒否」で決定されなかったものがあるのだろうか?
議論や審議がなぜ行なわれるかといえば決定するためである。その決定という行為に対して、議論が不十分であるとか文
句を言ったり審議を拒否することで不当性を訴えても、決定されたものは決定されたものである。決まらないということは
ない(逆説的な意味も含めて)。
>矛盾がなく(つまり整合性 があり)特定の党派や個人を特別扱いせず、決定過程含めてルールを決めるのは当然必要だ。
何の矛盾がないのか、どうしたら党派心や個人の利益を排除し、そういったルールを「決める」ことができたのか。
ここまで来るとちょっと飛躍しててさっぱりだ。
>そしてそれが将来起きることについても解釈運用できる必要がある。
これも還元主義的。もっとも複雑系では天皇の存在意義はなきに等しいからね。
>どうも隣の文明国には儒教というものがあるらしい、仏教というものもある。最新科学であり、整合性のある
論理があり、正しいらしい。取り入れてみよう…。そしてそれを取り入れることを「みんなで決める」わけだ。
仏教の受け入れに関しては蘇我氏と物部氏で対立し、最後は武力で決した。これを「みんなで決める」というなら何でも
ありだみかん。
>「話し合い」で決まればよいが時に争いも起きる。争った結果でも決まったらみんなで従おうとするらしい。
??? 武力というのは従わせようとするために起きる。武力で決着したらみんなが従うのは至極当然。こんなのは日
本以外でもいくらでもある。
>つまり、日本ではみんなで「よしこれからは仏教でいこう」と決めれば、仏教が秩序維持の論理となり、
> 朱子学でいくと決めれば、秩序維持の論理は朱子学でいく、「いやこれからは国際法ぜよ、自由民権だ」
>と決めればそうなるし、これからは民主主義でいくと決めれば、民主主義でいくわけだ。
「みんな」という範囲が曖昧だから多くは言わないが、話し合いで秩序維持の論理が決するとは思わないし、それでも
日本が秩序だった国であったのは決定力の持った誰かが決定してきたからにすぎない。
>なお、みんなで決めた事だから従う…という発想は、仏教にも儒教にもユダヤ教・キリスト教・イスラム教
にも反する事なのである。
当然日本にもない。「ここで、何かを論理を絶対化しなければ ならなくなる事情が生じるわけだ。 」この絶対性が従わ
せている。
終わりです
俺も終わりです。
たしか 十二階 ◆x5N/b19Vco はにひでーな。
…と、思ったらレスしてたのね。待ってくれっていったのにさ。
>>696 >レスは永遠にないかも。つうか、論外なんで、勝手にやってくれない? 同じことを何回も書くのは疲れたよ。
レスをするかしないかはあなたの自由だよ。私にもその自由があり、レスをしている。あなたの論は自己完結してるから
自分で気がつくかどうかだよ。
>>697 >俺は十分に真摯に答えているが…。つか解答を求める権利でも君にあるというのかい?
「というかつか解答を求める権利でも君にあるというのかい?」とレスする態度のどこが真摯なのだろうか?
>俺は関係していると一度たりと云ったことがない。あのな、社会が複雑系であることと、思想としての許容 問題は、相当に関係が薄い。
この場合の思想(宗教)とは社会に対してなされるもの。だとすると、社会が複雑系であるから、思想としては社会が複
雑系であることを許容しなければその思想は成立しないし、人々にうけ入れられない。
>そんなことは、「先天的な重度の疾患」に関して、キリスト教は神の試練としている(つまり矛盾でないから
許容するといった考え方に立たない)ことでも、簡単に理解できるだろ。
「先天的な重度の疾患」は医科学という還元主義的手法で導きだされ、キリスト教(宗教)は還元主義的手法の産物その
もの。同じ還元主義だから矛盾しないのは当然。
複雑系とは予測不可能なこと。逆にいえば、矛盾が生じなきゃおかしい。だから宗教なり科学の限界を提示できる。
>俺がどんな文脈で複雑系に言及したか一度確認してみろよ。
そうではなくて、論点は、複雑系と秩序体系がどのような関係にあるかだよ。
「複雑系の社会は、別に、イスラム原理主義に凝り固まっている社会でも 成立する話なんだが…。浅すぎて話にならない。」(
>>630)
一つの強力な秩序体系(イスラム原理主義)に凝り固まってるってことは、その社会は複雑系であることを排除している
ように思うが、あなたも言ったようにそんな社会でも複雑系は成立する。だったら、一つの強力な秩序体系の方が社会が複
雑系であることを許容しないと秩序が成立しない(許容した上で禁忌=制限する)。難しいか?
>お前がのちに「関係がない」と云っているが、関係がないことの論拠さえないんじゃ、論外と云われたって
文句は言えないだろうよ。
「また大雲教という疑経によって、女帝出現を暗示するなど 統治に関しては天という思想とは無関係である。」(
>>678)
当然、無関係であることは合意の上だと思っていたが…。
>天命はどんな人に下るか…有徳者である。有徳を示すのが儒教・・・理解できないんだろうなぁ。
そう思いたいだけなんだろ。
天命思想は儒教が成立する前から存在している。儒教は有徳であることを説明する手段の一つに過ぎない。何をして有徳
であるかは手段であり、儒教によらずとも天命思想に反しなければいい。
「天授」「周」…。天命思想が否定されたり天という思想が除外されたりしたら、そういった発想はありえない。。
>>700 私はいつでも歓迎する。絡みたくなったらどうぞ。
>>701 れ氏の自作自演だろう。誤植をして放置という態度もさることながら、
第三者なら当然思うべき「れれれもひどい」がない。更に具体的な指摘もない。
れ氏の態度と同調している。
というか一度
>>689みたいにまとめたいね。整理したい。
すると
>>690みたいにおかしな箇所が自分でも見えてくるかもね。
>だとすると、社会が複雑系であるから、思想としては社会が複
>雑系であることを許容しなければその思想は成立しないし、人々にうけ入れられない。
こんな馬鹿な事を書いているから、相手にされなくなるんだよ。
複雑系であることは、人々に許容されるかどうかにかかわらず、成立するんだと何度言えばいいんだ?
人々が「世界は神が創造した。美しくも単純な法則によって動いている」として、「神のサイコロ遊び」を
否定する=受け入れないとしても、社会が複雑系であることは成立するし、社会が複雑系であることは
思想じゃないし。(バカもここまで来ると、お話にならない)
>一つの強力な秩序体系(イスラム原理主義)に凝り固まってるってことは、その社会は複雑系であることを排除している
複雑系であるという認識がないのは事実そのものだが、イスラムの社会も複雑系なんだと何度言えばわかるんだ?
何度もそう云っているし、何度も勉強してからものを云えと言っているにもかかわらず、全く改めようとしない
相手から、真摯な回答とか言われると、ふざけんなバカ!と俺は憤るタイプだ。
> 当然、無関係であることは合意の上だと思っていたが…。
従来天命思想であったが彼女において、即位に関する行動や正当性野根拠が天命思想と無関係だから
天命思想は排除されたという文脈だとすでに書いているんだが…。
>天命思想が否定されたり天という思想が除外されたりしたら、そういった発想はありえない。。
天と云う概念が除外されなくとも天命思想が排除されたと言えるわけだが…と云う説明もすでに
キリスト教のゼウスを天帝と表現する事例を挙げて説明済みである。
>れ氏の自作自演だろう。
妄想乙!自演している人は、人の行動も自演に移るという統計があるのだが…。www
>>690はがきにでもわかるように噛み砕いているんだが。まぁ、それでも理解できないなら、俺には手のほど個押しようもない。
>>690を書き直してやろうか…。www
日本列島は、その言語の近隣とのかい離状況から云って、稲作の流入以前から、民族と呼べる
人々が存在し、それは大和朝廷まで続いていると見るのが妥当である。(ここは議論が分かれると
ころかもしれないが、その前提で書いている)
ほかの民族が流入してきていないという意味ではなく、同化している(外からの人々によって支配さ
れ他のではないという程度の意味)
日本語は、大陸の朝鮮新文明よりもはるかに遅れており、したがって、抽象概念を示す大和言葉がほ
とんど存在しない。つまりはれとか曇りと云う言葉はあったが、天気や天候と云う言葉を使うように発達
する前に大陸の言語が流入湯したということができるのである。
さて、では大陸の人々と、列島の人々は同じような政治思想をもっていたかと云うと違う。
十七条憲法の第一条は「人々が党派心を捨てて話し合えば、何事かなさざるものはあろうか」と
云う思想によっていて、これは仏教思想とも天命思想儒教とも異なる。
仏法は曲がれるを正す理として採用され(二条)、詔(決定を表現する行為)を聞いたら必ず従うよう
第三条で述べられている。
遣隋使遣唐使などを経て、儒教とそれに基づく律令制度などを輸入し、明文化され論理的整合性のある
思想を輸入しながらも、しかし天命思想・儒教はその後も、文化的な知識とか、有徳に関する論理として
普及するも、有徳者に対する天命・不徳者に対する放伐は、基本的な部分で天皇と云う存在と矛盾し
天皇が皇帝(天命が下った一族)であるのか、それとも、天命を下す側なのか、明確にならぬままであった。
仏教の輸入に際しても、輸入するかどうかを皆で決める作業の中で、武力衝突が生じたものであって、
そもそも、皆で決めるという規範がなければ、ある人が受け入れ、それを邪教として排除するという構図の
争いになるわけで、皆で決めるという範疇である。
つづく
707 :
713:2010/04/11(日) 13:59:29 ID:???
そもそも、抽象概念に関する「言葉」さえ大陸からの輸入であり、真理とか最新科学と云うものは外から
やってくるという発想に日本があったという推測はほぼ間違いはない。採用するかどうかを話し合っているの
である。
日本以外の多くの国では、そもそも民衆レベルで宗教がいきわたり、その宗教思想に基づく政治思想が
そのエリアを支配するという構図なのだが、日本では民衆レベルが先んじた宗教は、大きい勢力をもった
ことがない。
それは実は、日本教とも云うべき世界観と人間観を提供する思想が人々において獲得されていたからに
ほかならない。これは原始的な神道の源流がベースにあり、のちに流入してきた、陰陽道や仏教が影響し
さらに江戸時代の儒教思想もまた影響しながら、しかしその根底は変わらず現代まで生き続けているもの
である。
言霊信仰は、人の発する言葉に「武人などの心を動かし、また山をも動かす力がある」と、人の能力は
神々と同一線上にあることをしめし、怨霊思想もまた、人々の慰霊鎮魂をして一定のコントロールが
可能だと考えてきた。穢れは祓えるものであるということもある。
一方。神々もまた、[話し合いをする存在であり、したがって、西洋の神のような絶対性を有しない。
時に間違いを起こす。子供を作る場面では男女の順序の違いから正常でない子が誕生するし、
嫁を追いかけて黄泉の国に入れば、毎年人が染むことになるわ、嫁を救うことはできないわである。
アマテラスがはオオクニヌシとの戦いにおいて、どんだけ失敗し。江戸時代の起請文において、民衆が
「約束を守らせる神としては不的確として名前をが得る神々から排除されていた場合があった。
つづく
このように、日本は聖徳太子以前の頃から、継続して、「何らかの思想や宗教にもt小津絶対性」
がない世界観を有し、真理や絶対性をもつ最新科学を外部から持ち込むと云う形式をとってきた。
日本では最新科学たる思想や宗教は「皆の決定で採用するもの」なのである。
神々さえ絶対性を有せず、神も人も占いを行い話し合って決める、神々と人は同同一線上に存在し
相互に影響すると云う世界観は、「思想や宗教による絶対性を排除する」思想なのである。
さて、しかし最新科学たる宗教や思想は絶対性を提供するものである。したがって、その絶対性が
社会全体としての絶対性を帯びぬ工夫が必要なのである。それが「領域内での尊重」という形式を
とるに至った理由である。人々はその領域内での建て前は、その領域内では極めて重く尊重する。
葬儀に参列し物騒の説く教えを聞き、教会での結婚式では牧師や神父に敬意を払い、神社では
神道作法を重んじるという具合である。裁判での主張は、あくまで建前であるがゆえに現実的に
もめている案民事件についての和解率は圧倒的に多い。そのような夜会が出来上がったのである。
ある意味二重構造だな。(ダブスタとは違うw・・・領域内でのスタンダードはダブっていないという程度の意味)
宗教が多元的で重層的に…と云うのは、そのような、人々の「さまざまな建て前を領域内では重ん
じる」=「時々で違う絶対性に身をゆだねる」=実は絶対性がない」という価値観によってもたらされっ他
ものである。
>>709 バカはどっちだか。全然話の流れについていけてないね。理解しようとしてないんだろうね。
>複雑系であることは、人々に許容されるかどうかにかかわらず、成立するんだと何度言えばいいんだ?
「だとすると、社会が複雑系であるから、思想としては社会が複雑系であることを許容しなければその思想は成立しない
し、人々にうけ入れられない。」
この冒頭で社会が複雑系であることを前提に論じているし、この場合、許容されるかどうかに関わってくるのは複雑系
でなく「思想や秩序体系」ということはあなた以外なら誰でも分かるはず。
私がどこで複雑系が成立しないと言ってるのか? 何が許容することで成立するのかいい加減分かってください。
>人々が「世界は神が創造した。美しくも単純な法則によって動いている」として、「神のサイコロ遊び」を
> 否定する=受け入れないとしても、社会が複雑系であることは成立するし、社会が複雑系であることは
> 思想じゃないし。
この場合、許容されるかどうかに関わってくるのは「世界は神が創造した。美しくも単純な法則によって動いている」
もしくは「神のサイコロ遊び」。現にあなたは否定したり受け入れないとか論じている。このことだよ。
>一つの強力な秩序体系(イスラム原理主義)に凝り固まってるってことは、その社会は複雑系であることを排除している
「ように思うが、あなたも言ったようにそんな社会でも複雑系は成立する。 」が抜けている。
ここまでくると言いがかりだな。直後の結論を全く見ていない。そのまんま
>複雑系であるという認識がないのは事実そのものだが、イスラムの社会も複雑系なんだと何度言えばわかるんだ? 」
認識があるかないかはともかく、後半は同意する。で、あなたは何が言いたいのか?
> 相手から、真摯な回答とか言われると、ふざけんなバカ!と俺は憤るタイプだ。
煽っちゃってごめんね。以後「真摯」はやめる。私は指摘されると自戒して相手に合わせるタイプだ。
>従来天命思想であったが彼女において、即位に関する行動や正当性野根拠が天命思想と無関係だから
天命思想は排除されたという文脈だとすでに書いているんだが…。
だから、無関係ならば、排除も肯定もないだろ。国名や年号などその他の面では天命思想に合致した行動もしている。
つまり、天命思想排除はあなたの思い込み。という流れ。
つか、それまでスタンダードだったものを個人がどのようにあがいても簡単に排除したり否定できるものではない。
>天と云う概念が除外されなくとも天命思想が排除されたと言えるわけだが…と云う説明もすでに
> キリスト教のゼウスを天帝と表現する事例を挙げて説明済みである。
「天」と「天帝」は全く違う概念。ゼウスを天帝と表現したところでそれが天及び天命思想の排除にはならない。私でも知ってるレベル。
>妄想乙!自演している人は、人の行動も自演に移るという統計があるのだが…。www
あなたに言われると妙に説得力あるなぁ。
>>706のようにまとめたいけど、今回ここまで
>何が許容することで成立するのかいい加減分かってください。
だぁら、複雑系の成立要素は、その社会に対する変動の要素が三つ以上存在すること・相互に作用す
るなどなわけで、その内部の構成員の納得や許容は、複雑系の成立要素ではないというイロハぐらい
わかってからレスしろとよ云っている。
その社会構成員が、複雑系であると認識することと、複雑系でが成立することは、全く違うことなんで、
杜撰な表現をされても、馬鹿としか言いようがない。
それとも、複雑系であることについて、社会構成員のその納得なり許容が要素であるとしている学説が
あるというなら提示してくれ。それができないなら、いい加減誤りを認めろ。
>だから、無関係ならば、排除も肯定もないだろ。
おいおい、例えばだな、封建主義の国が、革命によって、封建主義と全く関係のない民主主義思想なり
共産主義が成立した場合に、「封建主義が否定され排除された」と表現しないのかね。
聞く耳を持てば、普通の会話なんだが。
>>711 >だぁら、複雑系の成立要素は、その社会に対する変動の要素が三つ以上存在すること・相互に作用す
るなどなわけで、その内部の構成員の納得や許容は、複雑系の成立要素ではないというイロハぐらい
わかってからレスしろとよ云っている。
まだわからない? これ以上説明のしようがないぞ。
誰も「複雑系の成立要素」について論じていない。それとも「宗教や思想等の秩序体系」が複雑系の成立要素とでも言うのか?
複雑系は人々に許容されるかどうかにかかわらず成立する。「宗教や思想等の秩序体系」は人々に許容されないと成立
しない。この理屈がなぜわからない?
>その社会構成員が、複雑系であると認識することと、複雑系でが成立することは、全く違うことなんで、
「その社会構成員が、複雑系であると認識すること」についても論じていない。認識と許容もこの場合大差ない。
何か大きな勘違いをしてるぜ。こういうのを理解しようとしないとあなたは言うのだろうよw
> それとも、複雑系であることについて、社会構成員のその納得なり許容が要素であるとしている学説が
あるというなら提示してくれ。それができないなら、いい加減誤りを認めろ。
「社会構成員のその納得なり許容が要素である」という還元主義的手法の限界を提示したのが複雑系。そんな学説はありましぇん。言ってもいないことに因縁つけんといてや。
>おいおい、例えばだな、封建主義の国が、革命によって、封建主義と全く関係のない民主主義思想なり
共産主義が成立した場合に、「封建主義が否定され排除された」と表現しないのかね。
聞く耳を持てば、普通の会話なんだが。
両者を比較すれば違いが分かる。封建主義国家が民主主義国家なり共産主義国家になった場合、封建主義の否定や排除が
契機になる。そこから社会全体の思想転換が生じ、革命に成功したら「封建主義が否定され排除された」と表現される。
ところが、武周の場合、天命思想の否定や排除が契機になっていない。武則天の個人的思惑で仏教思想が重用されたに
過ぎない。だから社会全体の思想転換は生じてないし、革命も起きてない。だから「天命思想が否定され排除された」と表
現されない。
だいたい武周において天命思想が排除される理由がない。天皇制もなぜ残ってきたかと同じ理由だよ。無駄に対立することはないだろ。
もし、「天命思想が否定され排除された」とはっきり明記しているソースなり学説があるというなら提示してくれ。それ
ができないなら、いい加減誤りを認めろ。
>誰も「複雑系の成立要素」について論じていない。
・・・「何が許容することで成立するのかいい加減分かってください。 」はあなたの言葉。
許容が成立要素だと言っている。どうしようもね〜な。
>ところが、武周の場合、天命思想の否定や排除が契機になっていない。武則天の個人的
>思惑で仏教思想が重用されたに過ぎない。
あのな、天命思想は、天が統治者を有徳と云う基準で選ぶ・・・と云う思想。
云い方を変えれば、「有徳者であること」が統治者の正当性の根拠となる。(そりゃ当り前だろ?
天が人々の前で、お前が有徳者であるなどと云ったりしないんだからwww)
したがって、彼女が天命思想によっているとするならば、「彼女は有徳者であることをして
統治者としての正当性を主張した」と云う史実が必要。
あなたはその史実を示せばよい。
俺は偽の仏典や菩薩を名乗る行為を根拠に、「彼女の正当性の主張」が有徳であることではなく
仏教によっていることを史実として示している。反論するなら、そこんとこヨロピク。www
もっとも、君の主張だと、儒教は使っていないと言っているようだからwww、天が為政者を選ぶ(姓
を革める)においてその要素となる「有徳」であることは、儒教ではないほかの基準によっていることに
なるので、彼女は有徳をどんな基準で主張したのかも、合わせて説明する必要があるが…。www
仏教信者は有徳であるなどと云う、頓珍漢な素人発想は勘弁してくれよ。wwwwww
天命が下る基準である「徳とは何か…」を指し示している思想あるいは宗教が、儒教以外に、大陸の唐の
時代にあったと云うことを、俺は聞いたことがない。www
「れ」は道教を知らないらしい。
おいおい、邪魔すんなよ。www
天命思想に基づいて為政者となった武則天が、その有徳を道教に求めて自己の正当性を主張し
しかし、道先仏後を仏先道後に改め、大雲経寺を各地に建立・・・とか云いだすかもしれないじゃ
ないか。www
>誰も「複雑系の成立要素」について論じていない。
え、俺勘違いしていた?
思想なり秩序の受け入れについて、その社会の人々が「社会は複雑系であること」を
受け入れないと、社会秩序が成立しない…と云っているのか?その思想とか宗教とは
一体どの・何の宗教のことだね。さっぱりわからんよ。
>複雑系とは予測不可能なこと。逆にいえば、矛盾が生じなきゃおかしい。だから宗教なり科学の
>限界を提示できる。
とも云っているようだ。そうすると、一般的な思想宗教とは違い、ある特定の思想や宗教の受け入れには
人々の複雑系であるとの認識が必要と云っているのだろうか…。www
神話が日本において受け入れられていなかったとでも云うのだろうかwww
>インドはどうだろう? あそこは多元的で重層的で複雑系だよ。
とも云っている。インドだ王がイスラムだろうが、宇宙だろうが複雑系であるわけだが、インドは・・・複雑系で
あるとの表現からして、複雑系ではない国があると考えているらしい。もはやgdgd。
俺は383で
日本人の人間観は「人皆賢愚併せ持つ」であり、世界観は「八百万の神々の影響によって
どうなるかは予測不可能である=複雑系の社会であり、神のサイコロ遊びによって結論は
変化する・・・」なわけで、仏教ともキリスト教徒も、ましてや儒教やイスラム教徒も全く異なる。
と世界観のことを云っているわけだが…。
あるいは270の通り
人において正しさや真理を見出すことができる能力がある・・・それを理性と呼ぶらしいが、そういう
理性と云う人の超能力が、複雑系の人の社会において発揮できると考えるのは傲慢と云うしかない。
で十二階君の発言だが、
>「だとすると、社会が複雑系であるから、思想としては社会が複雑系であることを許容しなければ
>その思想は成立しない >し、人々にうけ入れられない。」
その思想とはいったい何を指すのか分からないが、「社会が複雑系であることを許容」とは
思想が許容する主体なのか、受け入れる人々が許容なのか、よくわからん。いずれにしても
その思想を受け入れるということは、その思想が持つ世界観や人間観を受け入れることであるから、
その思想や宗教が持つ世界観が複雑系に合致すれば、そりゃ結果として、それも含めて受け入れるのは
至極当然であって、何を云っているのか皆目わからんのだが…。
というか、世界観として、世界は人によって予測可能な法則で動いていると考える宗教は
珍しい(というかキリスト教以外に俺は知らないんだが…。)んで、キリスト教圏以外における思想や思想に
しても宗教にしても、世界が非複雑系であることを前提としている場合がほとんどと云っていいだろうから
複雑系であることを許容とか言われてもねぇ・・・w まさかこんな話じゃないんだろ?
訂正
世界が非複雑系でないことを前提としている場合がほとんどと云っていいだろうから
複雑系であることを許容とか言われてもねぇ・・・w まさかこんな話じゃないんだろ?
あのー、自分の頭の中でちゃんとまとめてから書いてくれない?
便所の落書きじゃないんだからさw
えー?そんなことをいわれても、あんたの脳内を一生懸命推測している真摯な態度wが
あれこれと「どんな意味・どんなつもりで書いたのか」を仮定させ、結果多様な対になっている
だけのお話なんで、こっちのにもなってくれよ。www
まさか、宗教や思想の受け入れは、世界観や人間観も含めたトータル的なものであると何
度も云っている俺に、
>「だとすると、社会が複雑系であるから、思想としては社会が複雑系であることを許容しなければ
>その思想は成立しない し、人々にうけ入れられない。」
などと、確認するような馬鹿がいるとは、思ってもみないじゃない。
>え、俺勘違いしていた?
その通りだよ。こりゃダメだ。全然分かってない・・・
勘違いだったんだろうからそりゃ謝罪もするけど(スマソ)、俺がはじめから何度も云っていることを
俺に確認するほうがどうかしている。
勘違いだとわかったのに、わかっていないから駄目だ…意味不明。www
複雑系かどうかの認識は、世界観のことだということはわかっているのかい?
というか、予測不能=複雑系ではないので、非複雑系ではないことの認識と
云ったほうが粗雑じゃないと思うんだが…。
こっちも悪かったよ。謝るよ。ごめん。
ふざけんなバカ!と俺は憤るタイプのあなたから謝れると逆に困ってし
まう。
あなたは理解しようとしてないとは思わないが、「複雑系」と「非複
雑系」(私は「還元主義」と言ってるがほぼ同じと思う)の区別がつい
てないんじゃないのかと思う。
>インドだ王がイスラムだろうが、宇宙だろうが複雑系であるわけだが、
こんな大雑把に認識してると混同してしまう。インドや宇宙は複雑系
だが、「イスラム」というのはイスラム教なのかイスラム社会なのか漠
然としている。当然どっちを指すかで変わってくる。
>複雑系かどうかの認識は、世界観のことだということはわかっているのかい?
複雑系は価値観ではないよ。カオスが価値観か?
>>714 >許容が成立要素だと言っている。どうしようもね〜な。
何の成立要素だよ?
「複雑系」は許容されるかどうかに関わらず成立するんだから違うことくらい火を見るより明らかだろ。だったら、残る
は「宗教や思想等の秩序体系」しかない。つまり許容は「宗教や思想等の秩序体系」の成立要素。
あなたが
>>617で「許容」をどのように使ったかが理解できていれば普通に理解できるはず。私はそれを踏襲して「許容」
を使っている。
>思想なり秩序の受け入れについて、その社会の人々が「社会は複雑系であること」を
受け入れないと、社会秩序が成立しない…と云っているのか?
その社会の人々が「社会は複雑系であること」を受け入れちゃったら「社会秩序」は受け入れられない。混乱している。
>そうすると、一般的な思想宗教とは違い、ある特定の思想や宗教の受け入れには
人々の複雑系であるとの認識が必要と云っているのだろうか…。www
複雑系は一般的な思想宗教と違うから、受け入れるとかじゃないんだよね。
>神話が日本において受け入れられていなかったとでも云うのだろうかwww
いいところつくね。日本神話とは「複雑系」かい?
>インドは・・・複雑系であるとの表現からして、複雑系ではない国があると考えているらしい
極端な例外として、複雑系を許容せず一つの絶対性(原理・法則)に完全に還元された社会を想定したらありえなくはな
い。しかし、それは集団自殺した人民教団やサリンを撒いたオウム真理教団、総括した連合赤軍など小さなコミュニティで
は成立するが、国家レベルになると難しいだろうね。構成する範囲が広すぎるし、要素も多すぎる。(強いて上げればブータン)
>>718 >その思想とはいったい何を指すのか分からないが、「社会が複雑系であることを許容」とは
思想が許容する主体なのか、受け入れる人々が許容なのか、よくわからん。
思想が許容する主体だよ。人々が「社会は複雑系であること」を受け入れちゃったら・・・
> その思想や宗教が持つ世界観が複雑系に合致すれば、
「世界が非複雑系でないことを前提としている場合がほとんどと云っていいだろう」のに、その思想や宗教が持つ世界観
が複雑系に合致する??
社会とは複雑系である。このことを前提に考えれば、思想や宗教が持つ世界観が成立しなくなる。なぜなら複雑系とは
一つの法則や真理によって還元されないからである。
>複雑系であることを許容とか言われてもねぇ・・・w
「イスラム原理主義に凝り固まっている社会」を例に出そうか。あなたも私も同意しているように、「イスラム原理主義
に凝り固まっている社会」も複雑系である。そもそも社会というものが凡そ全て複雑系なんだよ。
「イスラム原理主義に凝り固まっている社会」では要素はすべてがイスラム原理主義で説明され還元されなければおかし
い。しかし、社会というものはそんな単純なものではなく、一つの法則や原理で決して説明できない要素が内在し、複雑に
からみ合ったり相関したりしている。
そういったものを排除すればそれで済むのだが、その社会で複雑にからみ合ったり相関したりしているから排除できない
場合が出てくる。というよりもそれがその社会なわけだ。
で、イスラム原理主義で説明できず排除できない要素に対して、イスラム原理主義はどうするか。それを「許容」するんだよ。本来ならばイスラム原理主義で還元されるべきなのに、還元せず排除せず要素として存在を黙認するor逆にイスラ
ム原理主義を変化させて説明してしまう。
もし、イスラム原理主義が一切の許容をしなかった場合、その社会ではイスラム原理主義が成立しないし、人々にも受け
入れられない。還元できない要素から矛盾や破綻が生じるから。
武則天は次回に。
>そうすると、一般的な思想宗教とは違い、ある特定の思想や宗教の受け入れには
人々の複雑系であるとの認識が必要と云っているのだろうか…。www
複雑系は一般的な思想宗教と違うから、受け入れるとかじゃないんだよね。
申し訳ない。削除してください。内容的には問題ないと思う。。
複雑系は受け入れるから成立するんじゃないという意味。
>複雑系は価値観ではないよ。
複雑系は価値観ではないが、「社会が複雑系であるかどうかについての人々の認識」は世界観に
関する認識だ…と云わないとわからない?
>その社会の人々が「社会は複雑系であること」を受け入れちゃったら「社会秩序」は受け入れられない。
意味不明…複雑系であることは必ずしも無秩序と云う意味じゃない。
>いいところつくね。日本神話とは「複雑系」かい?
神話は物語であって、複雑系であるかどうかなど設問が成立しない。あなたはどんな意味で使ってい
るのだろうか。意味不明な文言が続くようである。
>>複雑系ではない国があると考えているらしい
>極端な例外として、複雑系を許容せず一つの絶対性(原理・法則)に完全に還元された社会を想定したらありえなくはな
>い。しかし、それは集団自殺した人民教団やサリンを撒いたオウム真理教団、総括した連合赤軍など小さなコミュニティで
>は成立するが、国家レベルになると難しいだろうね。構成する範囲が広すぎるし、要素も多すぎる。(強いて上げればブータン)
さらに意味不明である。人の社会はおそらくは三人以上が相互に影響しあう場合複雑系である。
ある国が複雑系であるかどうか=複雑系が成立するかどうか・・・を論じ始めている。この人は系と云う言葉を
理解していないのか…。
※どんな意味で「複雑系」と云う言葉を使っているのか、おしえてくれないか?
> 「イスラム原理主義に凝り固まっている社会」を例に出そうか。あなたも私も同意しているように、「イスラム原理主義
>に凝り固まっている社会」も複雑系である。そもそも社会というものが凡そ全て複雑系なんだよ。
>>きみの
>>725最終段と全く矛盾すると思うので、説明してくれ。
プータンと云う国・オウム真理教教団社会は人の社会じゃないと云いたいのか? w
> 「イスラム原理主義に凝り固まっている社会」では要素はすべてがイスラム原理主義で説明され還元されな
>ければおかしい。
要素…???だが、まぁいいや、。
>しかし、社会というものはそんな単純なものではなく、一つの法則や原理で決して説明できない要素が内在し、
>複雑にからみ合ったり相関したりしている。
別に、コーランは単純じゃないけどな。www まぁいいや。
> そういったものを排除すればそれで済むのだが、その社会で複雑にからみ合ったり相関したりしているから
>排除できない 場合が出てくる。というよりもそれがその社会なわけだ。
そうだね。
> で、イスラム原理主義で説明できず排除できない要素に対して、イスラム原理主義はどうするか。
イスラム原理主義において、コーランで説明できないことなどないんだけど。w
>それを「許容」するんだよ。本来ならばイスラム原理主義で還元されるべきなのに、還元せず排除せず要素と
>して存在を黙認するor逆にイスラム原理主義を変化させて説明してしまう。
いや、普通に排除もせず変化もさせないから原理主義なんだと思うのだが…。
> もし、イスラム原理主義が一切の許容をしなかった場合、その社会ではイスラム原理主義が成立しないし、
>人々にも受け入れられない。
イヤ普通にイスラム原理主義は成立しているし、人々に受け入れられているけど。
>還元できない要素から矛盾や破綻が生じるから。
何の要素?社会を動かす要素?
十二階君はおそらく。還元主義を
「複雑な物事でも、それを構成する要素に分解し、それらの個別(一部)の要素だけを理解すれば、
元の複雑な物事全体の性質や振る舞いもすべて理解できるはずだ、と想定する考え方 」
と云う意味で使っているんだと思うんだが、どうなんだろうね。
どうも話として、複雑系と云う言葉を、非還元主義的な意味で使っているのかもしれないけど、
非イスラムの我々から見ると矛盾していることでも、イスラムの人々は「神のお導き」であると
しているのだから、排除もせず、イスラム教を変化させもせず、彼らの中ではきちんと成立している。
ユダヤ教・キリスト教も「先天的な障害を持った子供」について「神の試練…試練もお導きの一つの
ようだが)」として解決していることをすでに述べているのだが…。
731 :
十二階 ◆x5N/b19Vco :2010/04/14(水) 23:53:15 ID:tfd/PZqj
※どんな意味で「複雑系」と云う言葉を使っているのか、おしえてくれないか?
あなたのほうからどうぞ。
>というか、予測不能=複雑系ではないので、
「予測は困難である」ということであろうが、それはどういうことなんだろうね?
予測不能と予測可能と比較して考えてみてほしい。
やべ、あげちまっただよ。申し訳ない
あと、ブータンは撤回。昔、何かでヒマラヤかコーカサスかの山奥に完全鎖国
で近代化を拒否し禁欲的な生活を送る人々がいるというのを見たのだが、
明らかにブータンではない。アンバリ・ファラカtタでもないし、どこのことだ
ったのか完全にわからない(すまない)。
「複雑系ではない国があると考えているらしい」に答えようとするあまり安易
に出してしまったが、「国家レベルになると難しいだろうね。」→国家レベル
では存在しない。
人民教団やオウム、連合赤軍は複雑系でない社会というのは認めます。
自分が使っている言葉について、その意味を回答しないなんて云う人が、真摯な議論者であるとは
俺は思わない。
辞書的には
多くの要素からなり、部分が全体に、全体が部分に影響しあって複雑に振る舞う系。
多くの要素からなり、それらが相互に干渉しあって複雑に振る舞う系。
などが検索できる。いずれにしても「系」のことである。
あるシステムや制度が、複雑系か単純経過…といった表現をする。
物理や数学の分野で使う場合は、厳密な表現が必要だろうが、社会に関する場面で使う場合
「多くの(社会を動かす要素)が 相互に影響 しあい、1+1=2とはならず、極めて大きい結果を生んだり、
または極めて小さい結果となったりという状況が生じ完全には予測できない状況におかれているシステム」
とでも言っておけばよいと思うが。
自己の行為が変動の要素となってしまうと云う意味の自己準拠型の複雑系がある以上、
外部から完全に遮断されている社会だとしても複雑系であり、オウムにしても連合赤軍にしても
外部からの作用が全く存在しないわけではない(警察公安やマスコミなども含め)ので、他社準
拠型の複雑系であることは云うまでもないのだが…。
俺が良く例に出すのは、「密閉された体育館の天井から枯れ葉を落とす時の着地点の予測は
重力、空気抵抗、葉の形状による角度の変化(回転を含む)・その他気圧や温度湿度などの三つ以上の
要素が「相互」に影響しあう状況なので、どのような厳密な計測をしたところで、完全には出来ない。」
とか「株価の予測は、その予測事態が株価変動の要素となるので・・・」などと云ったりする。
いずれにしても複雑系と云うのは三つ以上の要素が相互に影響しあうことでその結果が、時に極めて
大きな(よくバタフライ現象などと云うことを云われるが)結果を生じせしめる「系…システム)」のことでしょうな。
> 「予測は困難である」ということであろうが、それはどういうことなんだろうね?
またまた意味不明と云うか…複雑系について無知すぎる発言である。
複雑系は「困難」ではなく、「(完全には)予測不能」なんだけど。www
困難なら克服すれば(完全に予測可能」と云う意味が排除されていないから、適切じゃないんだけどねぇ。
上に提示した枯れ葉の事例でわかる通り、予測が(完全には)できない。しかしまぁ、一定の範囲に
落ちることは間違いがない。
サイコロの出目もまた次に何が出るかの結果は予測できないとはいえ、1〜6のいずれかの範囲で
あることは間違いがない。
しかしサイコロの出目のシステムは単純系であり、枯れ葉の落ちる変動のシステムは複雑系である。
>そもそも社会というものが凡そ全て複雑系なんだよ。 (あなたの
>>726での発言)
>「複雑系ではない国があると考えているらしい」に答えようとするあまり安易
>に出してしまったが、「国家レベルになると難しいだろうね。」→国家レベル
>では存在しない。
>人民教団やオウム、連合赤軍は複雑系でない社会というのは認めます。
はつまり、人民教団やオウム・連合赤軍の社会は「人の社会」ではないと云いたいのかね。www
支離滅裂だね。オウムだろうが人民解放軍であろうが、その社会に対して外部からの影響があり、
内部での動きがその社会を動かす要素となり、かつそれが相互に影響しあうのだから、複雑系に決まっ
ているわけだが。(
>>743の通り)
だから、あなたの表現するところの「複雑系」と云う言葉はおそらく社会科学で使っている意味うあ、辞書
的な意味とも違うのだろうということで、、どんな意味で使っているのか質問しているんだけど…。w
ひとことで言うと
複雑系は還元主義によるアプローチが通用しないシステムではあるが、
還元主義が通用しないシステムは複雑系であるなどとは到底言えない。
絶対的存在が、彼の意思で気ままに世界を動かし、その内部構成が意思を持たず(あるいは意思を
もった自律的行動を全くせず)、外部からの影響が全くない世界は複雑系ではないが、その世界の動きは
還元主義ではアプローチできない。ちょっと考えればわかるわけだが…。
まして、
>>724のように
>あなたは理解しようとしてないとは思わないが、「複雑系」と「非複雑系」(私は「還元主義」と
>言ってるがほぼ同じと思う)の区別がついてないんじゃないのかと思う。
は論外。複雑系はシステムに関する分類の名称であり、還元主義は主義に関する名称。
非複雑系≒還元主義・・・などは杜撰な言葉遣いすぎるでしょ。区別も何も、主義の名称と
系(システム)に関する名称の区別さえ、ご自身で疲れておられない事は明白です。
そもそも還元主義は、「人の理性」と云うものを確信するところからスタートするし、シンプルな法則の
存在を確信するからこそ主張できる主義。人の理性やシンプルな法則を確信しない場合、還元主義など
思いもしない。
外部と完全に遮断されているからと云って、還元主義的社会www(非複雑系=複雑系が成立しない社会)
などとは、とても言えるものではない。つうか、理性なんてキリスト教徒の妄言だよ。
>>736 >複雑系はシステムに関する分類の名称であり、還元主義は主義に関する名称。
勿論それが前提で区別がついてないと言っているんだよ。
>非複雑系≒還元主義・・・などは杜撰な言葉遣いすぎるでしょ。
確かに杜撰だったと思う。あなたの定義した「非複雑系」を完全に把握しないまま(あなたの「複雑系」も把握しないま
ま)勝手に同じだとか違うとかいえるものではない。「非複雑系」は「還元主義」とは違う。名称とかではなく根本的に指
してるものが違う。
>主義の名称と 系(システム)に関する名称の区別さえ、ご自身で疲れておられない事は明白です。
あなたには時々見られるのだが、これらが還元主義的な認識であることに自覚がないw
「系」と「主義」を比較したのは、複雑系を考慮したから。「社会が複雑系であるかどうかについての人々の認識」にす
ることも考えたが、あなたが勘違い(世界観に還元)すると思ったからやめた。認識するなら、そのまま認識してほしかった。
>>728 ※どんな意味で「複雑系」と云う言葉を使っているのか、おしえてくれないか?
あなたのレスを拝見していると、どうしてこうも違うのかと思う。私は「還元主義的手法の限界を提示したのが複雑系」
という意味で使っている。因みに
>>730 >十二階君はおそらく。還元主義を 「複雑な物事でも、それを構成する要素に分解し、それらの個別(一部)の要素だけ
を理解すれば、 元の複雑な物事全体の性質や振る舞いもすべて理解できるはずだ、と想定する考え方 」 と云う意味で
使っているんだと思うんだが、どうなんだろうね。
ほぼ同意。私なら「構成要素を分析することで要素から全体を体系付ける考え方」となる。
これ以上は説明するよりもあなたとの相違点を述べた方が分かりやすいだろう。
>>728 >「社会が複雑系であるかどうかについての人々の認識」は世界観に 関する認識だ…と云わないとわからない?
世界観とは還元主義的手法で導きだされる。複雑系は還元主義的手法の限界を提示したものであるから、社会が複雑系で
あるかどうかについては世界観(還元主義的手法)としては認識されない。
複雑系を還元主義的に論じようとする。区別されていない一端が見られる。複雑系であることは世界観とか還元主義的に認識されるのではなく、ありのまま認識するのである。その認識は経験的直感的なもので、世界観ではない。
>複雑系であることは必ずしも無秩序と云う意味じゃない。
社会秩序が受け入れられないと言ってるのであって、複雑系が無秩序であるとは言っていない。どうやら還元主義である
社会秩序が受け入れられないとその社会は無秩序になってしまうらしい。複雑系は還元主義的手法の限界を提示したもので
あるから、限界を超えた部分に関して無秩序かどうかは「わからない」。
>神話は物語であって、複雑系であるかどうかなど設問が成立しない。あなたはどんな意味で使ってい るのだろうか。
いいたかったことは、神話や物語は、還元主義的手法で成立している。複雑系であるかを認識するとかではなく、還元主
義的手法で神話は日本においても受け入れられている。
還元主義的なもの(神話、世界観)が複雑系と認識しているというあなたの見解は、複雑系のもつ概念と実は矛盾している。
>人の社会はおそらくは三人以上が相互に影響しあう場合複雑系である。
唐突に「人の社会」という表現をしている上に、「おそらくは」という推定で論じてる時点で論外。理由は二つ先。
>ある国が複雑系であるかどうか=複雑系が成立するかどうか・・・を論じ始めている。
全然論じてません。還元主義な産物である絶対性が複雑系であることを許容云々とは言っているが。この違いがまだ
分からない?