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右や左の名無し様:
思想は無力である。肉体にとって大きな指標となることはあるが、概ね無力である。
有力そうにみえるのは思想ではなく、その思想の旗印の元に集まる勢力の威力である。
人々は思想の指標性と思想の周辺を囲む威力とを取り違えているのである。
思想に尽くし、思想を実行しているというのも共同の勢力の中にある活気を思想その
ものの力であるかのごとく錯覚しているにすぎない。つまり共同の組織の時間的延長
すなわち勢力維持への偏執愛着を正義の勝利と思い込んでいるのである。思想の持つ
雰囲気にかしずいて、そこに集まる人々同士が同窓生的つながりをさも同志的結合の
ごとく崇高な営為にすりかえ、結局は各々ご機嫌を取り結ぶ仕儀となる。かくも簡単
に手に手を取って同志的集団が出来るようではお互い同情心を競う、甘ったれた、自
己流の、妥協の産物というべきだろう。足穂流にいうと、何事にせよ、それが真の存
在学的なものであるうちは世間からは容易に顧みられないものである。そう、思想の
実現には思想の発芽に要した時間に倍するエネルギーが必要なのである。しかるに風
波のない、寄り合い所帯の中だけで都合よく思想を解釈している類の観念的な精神的
結合には当然、根源的な影響は欠けている。不安を安堵に置換してしまった自己放棄
の観念的正義人が精神的に寄り集まっているだけだ。(後略)