【教えて】皇室の存在意義【下さい】part47

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597れ ◆r0FmiN9ADk
>それにしてもこの御仁はまたも史実に反することを平気で主張する
>天皇は、平安以降何の武力も有していないのなら南北朝時代はどのようにして幕開けしたと言うのであろうか疑問である
疑問も何も、武家の武力は律令に規定されていないんだから・・・。w

いいかな?二官八省一台五衛府・・・八省とは中務・式部・治部・民部・兵部・刑部・大蔵・宮内
このうちの兵部省が、軍事防衛関連事項の一切を司る。
この省庁が平安中期以降全く機能していないのである。国内の治安は、国衙軍制→国追捕使という
流れになるわけだが、これもつまるところ、私兵を雇うということであって、国としての警察力・軍隊ではない。

南北朝の時代の武力が兵部省(軍事防衛関連事項の一切を司る省)に所属していたなどという史実はない。
天皇を助けようとする武力は存在していたが、それは天皇の軍隊・・・つまり国家としての軍隊ではない。
ちなみに、楠正成が南北朝では有名なんだが、
「兵衛尉、従五位下検非違使尉、左衛門尉、河内守、摂津守、贈正一位」である・・・つまり令外官たる検非違使
であって、軍事防衛関連事項の一切を司る兵部省ではない。検非違使は京都の治安維持・裁判の役職である。

まぁ、鎌倉以降同じく令外官である征夷大将軍が武力を掌握したわけで、しかしこれも、単に征夷大将軍を
任命するというだけで、その兵力は私的なものである。

上記のような意味で、平安以降、天皇の軍隊というものは明治の兵部省(のちに陸軍・海軍にわかれる)が
できるまでの間存在しない…という史実を述べているのである。軍事力などの物理的力を背景とした従わ
せる力・・・つまり権力を有していなかった…有していたのは、征夷大将軍であるというあなたの言い分とも
合致するわけだが…。w