【教えて】皇室の存在意義【下さい】part46

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483れ ◆r0FmiN9ADk
つうか、一言でいえば、国家概念も、フィクションだよ。w
フィクションであってはならない…などという人は。まぁ。非現実的だよね。

米国は「神」という言葉を通貨に刻んでいる。その神は明らかに「キリスト教の神」だし、
イギリスは国教としてキリスト教を据えている。ユーロを発行する共同体の基本理念の一つである
人間中心主義はキリスト教にもとづいていると、当事者が認めている。
イスラムの国では「絶対的真実」としてコーランがあり、コーランは大天使が直接ムハンマドに
示したから真実なのであろう。

さて、固定化…というような話が出ているが、人々が集まるだけで、固定化する・・・というのは
間違いだとわかっているはずである。人々が集まると、そこに闘争が生じる場合もある。
つまり、人々の固定化とは「秩序の形成」のことである。

無論、国の要素は人々と地域と統治機構なんだから人々がいなければ生じないことは当然であるが
人々がいれば必ず生じるというのは間違いである。
(おバカさんはここが間違っている)

でだ、秩序というのはどうやって生じ、どのように維持されていくかと言えば、「何かしらを正しいとして
それを強制力を持つ人々が強制する」からである。この強制力をして、統治機構という。

物事は単純である。何事かを正しいとすること・・・つまりそれ以外の価値観を強制力をして排除
することをして、人々の固定化という。何かしらを排除して正しいとする・・・つまり、何かしらの絶対性
について正当性を主張するがゆえに、人々は固定化するのである。

正当性の主張が人々の固定化の背景に必ず存在する・・・これは当然至極なのだから、おバカさんも
いい加減気づいてほしいものである。
主張される正当性は、主張されるだけの話で、それが客観的に正当かどうかはどうでもよい・・・・というか
客観性などないだろうよ。文化や文明の対立に客観的解決法があるなどというのは、狂信者の夢想だよ。

ただ、肝心なことは、日本という国にとっても、その枠組みの正統性は主張されるべき必要性があるということだ。
他人さまの価値観を排除しようとし、強制力をしてそれを実現するのが国家なのだから…。