少し、俺がいうところの【日本人の極めてユニークな人間観と世界観】について説明をしておく。
【人間観】
人は賢愚併せ持つ存在である。誰が聖人か賢者か愚者かを誰もわかることができない。
これが基本である。このことは人々が理(叡智)を持ち寄り話し合った結果にに信頼を置くということであり、人々が合意することは原理原則の維持よりも価値があるということでもある。
神話では神々も話し合い、また占いを行う存在であり、神々もまた聖人・賢者・愚者の区別がないということである。
この、話し合いにおいて「党派心」に基づく主張は好ましからざるものとされる。
党派心に基づく主張は「原理原則」に拘泥市、結果、妥協譲歩を許容しないが故である。
皆が合意しようとしているときに、ひとり我を通そうとすることは好ましからざることであるがゆえに
お互いに譲歩することが推奨される。
※日本人にとっては当然かもしれないが、そもそも党派心の前提たる党派の存在を許容している
部分もまたユニークである。党派を解消し一つになれとは言わないのである。各々の党派の
独立性は維持しながら、党派を超えた事象の決定においては、全体を考えて譲歩妥協すべしという
考え方である。
この考え方が、宗教事情として「多元的で重層的な発展」につながり、各領域内での絶対性はその
領域内で尊重(何かを絶対とする宗教の儀式では、別の宗派の人もそれにその時その領域では従う)
しながらも、その領域の外ではその絶対性を考慮しない状況が現在も継続している。
そもそも信仰は何かしらの絶対性を無条件に信じる振る舞いであり、かつ排他的である。宗教的絶対性は、人の考えで譲歩妥協したり、話し合いで変えてはいけないものを提供する。
その絶対性をその領域内の納めることに成功し、勝全体としては何事かを決定できるシステムこそ
ユニークなのである(例えば現在の安保理などはそのようにしているかも)
>>1のつづき
【世界観】
この世の事象は、八百万の神々の関与や人の願い(言霊)などが複雑に影響した結果として
発生する。
これが基本である。前出のとおり「神々でさえ占いを行い話し合うのである」から、誰にも
その結果は予測できない事柄である。
ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、
をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは、うたなり
と仮名序で読まれている通り、人々の言霊が「神や天地」を動かすことができるとしている。
言(事)の葉(端)にも、そのような力があるということではあるが、そもそもの「事」について
誰もわからぬのであるから、結果は完全に予測できない(必ずしも思い通りにならない)
ということである。
ひとの思惑や様々な要素の結果事象は発生し、一定の範囲に落ち着くが完全に特定できぬという
現在の複雑系の社会と一致する考え方ではある。(違うところもある・・・以下に説明)
何事かの望ましからざる結果・・・は(神々や天地をも動かすことが可能な)人の、よからぬ言動や
思惑などに起因するであろう考え方は、仏教の因果応報と結びついて強化された。
その結果、人の合意を得られないことは、当方にも責任の一端があるとの考え方に至り、合意を
得ずして行われた行為は、反対者の怨念を招き、それは合意を得なかった側の責任であるという
ような発想になっているのである。
3 :
右や左の名無し様:2007/08/09(木) 19:58:58 ID:Qkh9H0X3
そんな小難しいことは、神主さんか宗教家に任しておけば良いのではないか?
4 :
黒旗:2007/08/09(木) 23:39:46 ID:???
>>れ氏(前スレ668)
ううーん。破綻してると感じるのは君が枠組みの内的正当性と外的正当性を明確に区別できていないこと、
そして理論と現実を区別して考えること、いわゆる思考実験が出来ていないこと、
の2点によるんだろうね。
では君の出した例について考えてみよう。
北朝鮮が攻めてきた。
日本は防衛戦を戦おうとする。件の一名が反戦を唱える。
枠組みの内的正当性の為には彼は枠組みの外的存在となる必要がある。
…だがおそらく、日本は彼(枠組みの正当性への疑義、不当性)を内包したまま戦闘行為に励むだろう。彼の反戦の声は黙殺されるか、或いは史実の反体制活動家同様に監禁・抹殺されるかもしれない。
これが「ある時点における内的正当性の限界」だ、という事だ。
俺は、ケースにより限界値は異なるにせよ、多くの場合、このような限界が存在する事を否定しないと言った筈だ。
だが、それとは別次元で、不当性を有する枠組みを継承した我々は、その被抑圧者の存在という不当性の事実から目を反らさず、
未来において枠組み内部のその様な不当性すなわち抑圧構造の、回避・排除を極力実現するべく過去の不当性を批判的に考察し、
単なる事実でなく、貴重な経験として活かそう、 と呼びかけてるんだよ。
5 :
黒旗:2007/08/09(木) 23:43:22 ID:???
内的正当性と外的正当性について、
丁寧に説明する必要がありそうだね。
でも少し待ってね。些か面倒だけど、きちんと解説してみるよ。
>>666 >なぜ基準が必要なのかノ整合性を維持するためである。
なぜ整合性を維持する必要があるのかい?
>国というものは武力を背景とした権力によって人々を抑圧するものであるがゆえに、整合性が必要である。
なぜかという理由がない。整合性があってもなくても国家は抑圧するものである。
>皆が思えば妥当である、あるいは信頼性がある妥当な判断だとするというのが、我が国の人間観価値観がもたらす一つの価値観だと言っているがノ。
だったら天皇など要らない。皆が思えば妥当なのだから。
>キリスト教圏の人々なら、理性によって導き出された神の作り司法の一部である自然法に合致していれば妥当だと考えるだろう。
キリスト教の人々が妥当だと思うから妥当なのかい?(重要)
>キリスト教圏の人々なら、理性によって導き出された神の作り司法の一部である
>自然法に合致していれば妥当だと考えるだろう。
こういう無知を何度も指摘されながら、一向に認識を新たに出来ないから電波と言われる。
近代的自然法というのは、キリスト教における神学的な論拠を否定するところから始まっている。
れの様に学術的思想史を修めていない、トンデモ本や偏ったサイトなどだけで仕入れた知識に頼ると
こうした誤った認識を持つことになる。大抵の場合バカにされるのがオチなんだが。
>グロティウス
>「神さえも従わざるをえない普遍的正義がある」
と言われる様に、自然法はキリスト教神学の価値概念よりも上位に位置する概念として発展してきた。
その祖はより理性的であろうと試みたギリシャ哲学であり、「神の作り司法の一部」などという認識は
ひとつもない。敢えて関連づけるのなら、キリスト教という宗教的規範によって縛られ続けた欧州社会が、
そのままでは多元的な人間観や新大陸などの新たな社会を含めて、包含的な規範を維持することは
不可能であると認識したからだ。当時のカソリックの影響力は強大だったが、宗教という一定の価値基準では
それに沿った思想だけしか救済されない。近代啓蒙思想がカソリックの影響力が比較的及びにくかった
ドイツ圏や英国から勃興したのは偶然ではない。
れはバカだからひとつ釘を刺しておくが、ギリシャ哲学における自然法概念と、
中世の神学におけるアウグスティヌスやトマスらが提唱した神を絶対的善とした自然法概念、
近代の「神からの法の解放」と位置づけられている啓蒙思想による自然法は
同じではないからな。無論時間軸の中にあって影響や超克など無関係ではないが、
少なくとも思想的概念としては全く違う。近代自然法の主要な思想家らの認識は、あくまでも
神という絶対的存在とは一線を画する意味での自然権が存在するとするものであり、
グロティウスなら「神の権威すなわち教会の支配的権威から自然法を解放する」、
ホッブスならば「国家権力の絶対性の根拠を神に求める主張を否定」することで、
キリスト教的な倫理観や世界観をむしろ退けている。そもそも自然権や人権思想は
その勃興期には危険思想と見なされ、カソリック教会から弾圧さえ受けている。
プロテスタントによる宗教改革やアメリカの独立、フランス革命など自然権思想が
次第に隆盛を極めはじめると、カソリックもそれらを容認する姿勢を見せはじめ、
今日にいたるのだが、先のEU憲法前文で議長とバチカンが対立した様に、
未だにその対立概念は解消されていない。元々がカソリックと近代啓蒙主義の自然権概念とは
対立するのだから、そう簡単には相容れないわけだ。「ダ・ヴィンチ・コード」で
有名になったダン・ブラウンの「天使と悪魔」という小説には、そうしたカソリックと
西欧啓蒙思想との対立も描かれている。れの様に西欧の思想史について無知だと楽しめない
推理小説だろうと思うよ。
スレ建て乙・・・44だから、そろそろ終わりでいいと思ったが…。
>>4 別次元で…と言っているが、別次元じゃないわけで、それを別次元として逃げているから
はたんだと言っている。同次元の問題を別次元として切り離すなら、二重規範と批判
されるに決まっている。たんにじしんの「夢想的理想」と「現実」のかい離を「別次元」と
言っているだけじゃないか。
>>5 いや、別に説明していただかなくても結構だよ。あなたの内部と現実のギャップなど
貴方が解消してから人に話し始めてくれ。現実的な内部と外部の正当性の検討の前に…。
>>6 >だったら天皇など要らない。皆が思えば妥当なのだから。
皆が思う(合意した)ことを、合意したと表現しなければならないことぐらいは理解できるよな。
それを担っていると何度も言っているんだが…。w
>キリスト教の人々が妥当だと思うから妥当なのかい?(重要)
日本語がわからないのか?妥当な、という認識は世界共通だと思っているのかい?
>>7-9 >近代的自然法というのは、キリスト教における神学的な論拠を否定するところから始まっている。
否定してもなお、「人々に理性がある」「自然法という人類共通の法がある」という認識は
キリスト教の人々において矛盾なく受け入れることが可能で、神道や仏教やヒンズー教の人々には
受け入れられない概念であると言っている意味さえわからないんだね。
所詮、世界観(例えば全人類に適用できる法があるかどうか)や人間観(法則があるとしてそれを人間は
知ることができるかどうかなどなど)という部分で、宗教が提示したそれを超えていない場合が多いだろう。
>>1は真理は神のみぞ知るもので人知の及ばないものだと言う
プロテスタンティズムの人間観と同じ。
12 :
黒旗:2007/08/11(土) 01:59:01 ID:???
>>10 夢想的理想と現実の乖離?
だからさ、理想的な状態においての思考実験の結果と、様々な付加的要素により可変的な現実においての結果を何故同じ次元で語れるの?
俺は何度も「現実的には様々な限界や制限が存在しうる」と言ってるんだが、そこは無視して恣意的に俺の話を抜き出して批判しているよね。
君は、思考実験の理想的な状態(現実的な様々な抑制要素が無い状態)と現実が違うこと(現実には様々な抑制要素があること)を同次元の話だとしているんだよね。
批判のために的外れな批判を展開していることに気付かないかね…
もう少しマシな議論の相手だと買いかぶってたよ。
>>11 自然法は人間が理解できる「正しき法」だとしていないのか?
>>12 なに言ってんのよ、
理想的な状態においての思考実験は、付加的要素により可変的な現実においての結果を
より良きものにするために行われる振る舞いだろう?
思考実験は理想的状況にしろなんにしろ、複雑系で無限に近い要素がある現実を
単純化する(要素を非常に少なくする)ことによって、一定の定型的な、あるいは整合性のある
結論を求めるために行われるわけで、したがって、
極めて単純要素である「人は気が変わる」という現実的でかつ普遍的な要素」を「現実的だからと
思考の外においてしまっては、浅すぎる、幼稚すぎるという批判は当然すぎる。
現実であることをして思考実験から除外できるのは、要素としては複雑に影響するという理由があって
初めて認められる程度の厳しさがない思考実験は、脳内の花畑であって、人様に開陳できる
レベルに至っていないことに気付いてほしいものだ。
14 :
黒旗:2007/08/11(土) 09:45:48 ID:???
>>13だから「気が変わる」可能性は否定してないじゃん。
それはしかし、「どのように変わるか、(変わらない場合も含めて)」確定的でない以上、各論において考察される性質のものじゃん。
「抑圧の回避・排除の限界値はケースにより異なるが存在し得る」って言ってるじゃん。
宗教による価値基準と距離を取っているからこそ、日本を含めて多くの国々で
自然権理念による国家統治を採用しているという話なのに、わざわざ宗教を
持ち出すから電波と言われる。電波によれば宗教的規範以外は存在しない様だw
>>10 >皆が思う(合意した)ことを、合意したと表現しなければならないことぐらいは理解できるよな。
>それを担っていると何度も言っているんだがノ。w
皆が妥当と思っているのに、なぜ表現しなければならないのか?
>日本語がわからないのか?妥当な、という認識は世界共通だと思っているのかい?
ちゃんと嫁。
「妥当であるかをどう判断するのかい?」
キリスト教圏の人々が皆が思えば、妥当であるあるいは信頼性がある妥当な判断だとするのかい?
れ
なぜ、妥当である『基準』=整合性を維持する必要があるのかい?
最初の質問なんだが、いい加減答えてほしい。
>>14 変わる可能性は否定していないが、気が変わるということに関する考察は別次元だと言っている
あなたへの批判なのだが…。
どう解消しようとするのかの道筋も解説できないようでは…ねぇ、俺は、そのような理想論は考慮
するに値しないと思うのよ。
>>15 その多くの国々とは、一体キリスト教圏を除いて、どのくらいあるのよ。
>>16 >皆が妥当と思っているのに、なぜ表現しなければならないのか?
ん?表現しないなら「合意があったかどうか」は誰にもわからないわけだが…。
合意とは、日本の場合譲歩妥協の結果なんだから、どのような妥協譲歩の結果、どのように
合意されたかは、皆にとって重要な関心事だと思うけどねぇ。(必ずしも。皆が全員という意味では
ないだろうし、新たに出生し参加する人々をも拘束しうる合意が、なにも表現されなくてもよいと考えるのは
相当馬鹿なんジャマイカと…。
後段は、なぜそういう質問が生じるのか詳しく。
>>17 秩序を維持する必要があるから…だと回答しているが…。
≪第一章≫とりあえず以下の事実を認識しましょう。
【社会現象学公理T】
≪社会主義以外に広義の君主(天皇)の存在自体を否定できるような論理は人類史上、
古今東西どこにも存在しない≫
【社会現象学公理U】
≪社会主義は教祖(マルクス)経典(資本論)を有し、宗教弾圧と同じ様に、その思想に反対する者全てを弾圧し、
粛清の名の下に一億3000万人の同胞を虐殺し尽くした、明らかな宗教思想であ≫
【社会現象学公理V】
≪天皇制は皇室制度であり、1600年以上の永きに渡り磐石に続く、日本が世界に誇れる
日本文化そのものである。 その中で育まれる天皇への尊崇の念は、これを蒙昧や反日の輩が、
マルキスト(=偽装右翼)の狂信欺瞞と同一視して、 天皇批判の愚かな具に利用する以外は、
明らかな家長尊崇の念であり、宗教では断じてない≫
【社会現象学公理W】
≪日本の皇室・天皇の真の存在価値は、社会主義者や反日の輩が揶揄する『所謂右翼思想』などと言う思想的なものでは、実は、全く無い。
その真の存在価値は、国家概念の依り代としての存在価値及び、その依り代としての、他に類を見ない、 磐石性が可能にする、『アイデンティティー(自己同一性認識)』の要としての存在価値なのである。≫
注:『自己同一性認識』これは、純粋学問である所謂『社会免疫学的必要性』からも極めて重要である。
【社会現象学公理X】
≪我が国の安定的存立は、1600年以上の永きに渡り堅持された磐石の神聖不可侵なる皇室制度によって強力に担保されている。
皇室制度こそは、国家の健康維持に不可欠な広義の免疫力の要なのである≫
≪第一章≫とりあえず以下の事実を認識しましょう。
【社会現象学公理Y】
≪日本の皇室が過去に於いて、半島で消滅した朝鮮王朝と王朝外交上関係があっても、
★伝統に培われた王制を廃し、民族の誇りを捨て、独裁者の恣意的野望の具に成り果てた南北朝鮮・在日★
とは 全く無関係である。かつての王朝時代の朝鮮の民は美しき古来の伝統に彩られた文化を育む尊厳在る民であった≫
【社会現象学公理Z】
≪天皇家は当初、日本の古代国家である大和国の王家として出現し、当時は祭政一致であったため、天皇は祭祀王、
すなわち祭祀をつかさどる第一人者であると同時に政治システムの頂点に立つ国王であった≫
【社会現象学公理[】
≪王を頂点として貴族階級・武士階級などの存在する階級区別顕在社会に於いては、
社会主義の回廊に用意された活気あふれる民主主義のお祭りが実現した国民皆兵は存在しない。
国際紛争も貴族・武士などの階級同士の戦いで決着が着く。近代大戦の様な大量の戦死者を見ることも、大規模な環境破壊を見ることも無い≫
【社会現象学公理\】
文化とは国の内外に誇れるものでなければならない。したがって、
戦勝第三国人が戦勝特権を行使して強引に政府を恣意的に操作し、認めさせた唯一の
私営ギャンブル、謂わば日本の負の遺産であり、単なる風俗業以外の何ものでもなく、
誇れる部分など微塵も無いパチンコなどというものは、日本の文化などでは断じて無い。
【社会現象学公理]】
≪天皇は立憲君主制国家の国家元首であり政治権力とは分離した象徴として君臨する象徴国家元首である≫
元首の概念は時代により変化するものであるが、国家の象徴であること、首相任命などの一連の国事行為、外国元首や外交官の接受といった対外代表性など、
通常国家元首の有する機能を有していれば十分であり、 元首が果たすべき儀礼的機能を天皇が果たしていることは確かな事実である以上、
天皇は、GHQ見解においても国家元首なのである。
★★★【社会現象学に基づく知見T】★★★
国名の後に国家体制との属性を示す言葉が入っていないのは世界中で日本だけである。
≪属性を捨て切れていない(〜共和国)はアイコン⇒(日本国)はシンボル≫
■象形文字=象の形をそのまま真似たもの
=アイコン=記号であるが指し示す対象の属性がまだ残存している。属性を断つと消えてしまう不安定な存在
■完成の域に近い文字=認識にかえって負担となる無駄な部分を削ぎ落としたもの
=シンボル=指し示す対象属性から解き放たれた自由な概念表現が可能な記号。
対象と完全に分離しているが故に対象の実体的把握が仮にできなくなったとしても、揺らぐ事無く重要な意味を持って存在しつづける事が出来る。
つまり、最早、消す事の叶わぬ磐石の存在。
■アイコン(〜共和国)は進化し⇒シンボル(〜国)となる
>>18 >ん?表現しないなら「合意があったかどうか」は誰にもわからないわけだがノ。
だったら皆は何に合意するのかい?
誰にもわからないのに合意がどう成立するのかい?
皆が妥当と思うから合意が成立する。誰もわからないのなら妥当ではない。
>合意とは、日本の場合譲歩妥協の結果なんだから、どのような妥協譲歩の結果、どのように合意されたかは、皆にとって重要な関心事だと思うけどねぇ。
表現されなきゃどのように合意されたかわからないなんて、いったい何に合意するのかい?
>(必ずしも。皆が全員という意味ではないだろうし、新たに出生し参加する人々をも拘束しうる合意が、なにも表現されなくてもよいと考えるのは相当馬鹿なんジャマイカとノ。
表現されたから、新たに出生し参加する人々をも拘束しうる合意となるわけではない。それは合意する時に考慮されるべきことである。表現されたらそれでよいと考える方が相当馬鹿なんジャマイカとノ。
>後段は、なぜそういう質問が生じるのか詳しく。
日本語がわからないのかい?
れ:キリスト教圏の人々なら、理性によって導き出された神の作り司法の一部である自然法に合致していれば妥当だと考えるだろう。
私:妥当であるかをどう判断するのかい?
キリスト教圏の人々が皆が思えば、妥当であるあるいは信頼性がある妥当な判断だとするのかい?
その通りならその通りと言えばいいし、違うのなら違うと言えばよい。但し違うのなら「妥当であるかをどう判断するのか?」に答えてくれなきゃわからない。
>秩序を維持する必要があるから…だと回答しているが…。
回答になっていない。いくら何でもこれはヒドイよ。
秩序を維持するために「基準」が必要と言ったのはれである。
「なぜ、妥当である『基準』=整合性を維持する必要があるのかい?」と聞いたら「秩序を維持する必要があるから」
あの、馬鹿認定していいでつか?w
君が「極力避けるべき限界」という基準が必要と言ってるのでその根拠を聞いてるまで。基準がないと秩序が維持できないというのなら、その根拠を提示する必要がある。
私は同じことしか聞いていない。
>>22-23 一段目:何に合意するかといえば、議案に関して話し合った結果の妥協譲歩の産物にだろうよね。
表現されたから、新たに出生し参加する人々をも拘束しうる合意となる等と言っていない。
単に表現されていなければたあしか名ことを知ることができないと言っているだけ。
最終段:その共同体の人間観・世界観によって、その人々が妥当と判断する事由・根拠は異なる
と俺は言っているわけだが…。
>秩序を維持するために「基準」が必要と言ったのはれである。
秩序:その社会・集団などが、望ましい状態を保つための順序やきまり
順序や決まりがなければ秩序ある状態を維持できないし、その順序や決まりに整合性がなければ
その順序は決まりは維持されない。・・・こう説明すればいいのかな?
つうか、23君の意図がわからない。
「抑圧は極力避けるべきである」という決まり(規範)がある社会があったとする。
抑圧を避けるべきといっても、当然に人が集団を形成し共同体として存在する以上、一定の
決まり事があり、決まりごとはひとびとを抑圧するものであるし、「極力避けるべき」ということも
その決まりごとの一部を構成していることになる。
絶対に一切避けるべきであると言っていないのだから、当然に「避けられない抑圧」というものの存在を
その規範は前提としているのであるから、その共同体の人々が
「極力避けるべき抑圧とは何か=避けられない抑圧とは何か」を認識し共有していない限り、規範として
成立しない・・・というか効果がない。
「人を殺すことは極力避けなければならない」に置き換えても同じことで、それがきまりとして成立する
ためには「避けられない人殺し(例えば正当防衛とか死刑執行とか防衛戦争とか)」と「罪とする殺人」
が基準として明確でなければ、有名無実だろう。それをなぜと聞くからには何らかの動機があろうはず
なのだが、さっぱり見えてこない。仮に上のようなことを理解できない子供である可能性も、時期的には
ありうるので、対応に苦慮する次第である。
>>24 >単に表現されていなければたあしか名ことを知ることができないと言っているだけ。
確かなことを知ることができないのにそもそも合意が成立するのかい?
>その共同体の人間観・世界観によって、その人々が妥当と判断する事由・根拠は異なると俺は言っているわけだがノ。
キリスト教圏の人々の妥当と判断する事由・根拠を聞いている。
「キリスト教圏の人々は、皆が思えば、妥当であるあるいは信頼性がある妥当な判断だとするのかい?」
これが正しいのか間違っているのかを聞いている。ちゃんと質問に答えろよ。君の悪い癖だ。
>その順序や決まりに整合性がなければその順序は決まりは維持されない。
その順序は決まりは維持されないだけであって、それとは異なる順序や決まりで秩序は維持される。
>>25 >「抑圧は極力避けるべきである」という決まり(規範)がある社会
その決まりが妥当である根拠を聞いてるんだけど。
>「避けられない人殺し(例えば正当防衛とか死刑執行とか防衛戦争とか)」と「罪とする殺人」が基準として明確でなければ、有名無実だろう。
正当防衛や死刑執行、防衛戦争。そういった「極力避けるべき限界」という『基準』が妥当であるのかをどう判断するのかい?
死刑執行、防衛戦争、それらがなくても秩序は成立する。
>>26 >確かなことを知ることができないのにそもそも合意が成立するのかい?
ん?新たな出生者が、合意時に存在しないのだから、表現がなければ「確かな当時の合意内容」を
知ることができるわけがないと思うが…。頭がおかしいのか?
>キリスト教圏の人々の妥当と判断する事由・根拠を聞いている。
はじめにそれを言えよ。
> 「キリスト教圏の人々は、皆が思えば、妥当であるあるいは信頼性がある妥当な判断だとするのかい?」
そもそも信仰は何かしらの絶対性を無条件に信じる振る舞いであり、かつ排他的である。
宗教的絶対性は、人の考えで譲歩妥協したり、話し合いで変えてはいけないものを提供する。
キリスト教の教義に反していれば「皆が思わない」だろうから、皆が思えば妥当だと判断するかもしれないが
それは「皆が」合意した、思ったという根拠ではなく、理性に基づく真実であるという判断なんだろうね。
>その順序は決まりは維持されないだけであって、それとは異なる順序や決まりで秩序は維持される。
整合性がなければそれは「異なる順序や決まり」とは呼べない。
>その決まりが妥当である根拠を聞いてるんだけど。
日本では皆がそう思っているから・・・が根拠だろうね。なぜそう思っているかといえば、人間観、世界観
から来ているということになるね。
>そういった「極力避けるべき限界」という『基準』が妥当であるのかをどう判断するのかい?
日本の場合皆の合意だろうね。
>>27 >ん?新たな出生者が、合意時に存在しないのだから、表現がなければ「確かな当時の合意内容」を知ることができるわけがないと思うが…。頭がおかしいのか?
ふーん。表現は「合意時に存在しない新たな出生者」のためなんだね。
> 宗教的絶対性は、人の考えで譲歩妥協したり、話し合いで変えてはいけないものを提供する。
・・・
>理性に基づく真実であるという判断なんだろうね。
キリスト教の人々は思ったり考えたりしてはいけないけど、判断できるんだね。
頭がおかしいのか?
>整合性がなければそれは「異なる順序や決まり」とは呼べない。
「日本の場合皆の合意だ」としながら整合性を求めるところにおかしさがある。
≪第一章≫とりあえず以下の事実を認識しましょう。
【社会現象学公理T】
≪社会主義以外に広義の君主(天皇)の存在自体を否定できるような論理は人類史上、
古今東西どこにも存在しない≫
【社会現象学公理U】
≪社会主義は教祖(マルクス)経典(資本論)を有し、宗教弾圧と同じ様に、その思想に反対する者全てを弾圧し、
粛清の名の下に一億3000万人の同胞を虐殺し尽くした、明らかな宗教思想であ≫
【社会現象学公理V】
≪天皇制は皇室制度であり、1600年以上の永きに渡り磐石に続く、日本が世界に誇れる
日本文化そのものである。 その中で育まれる天皇への尊崇の念は、これを蒙昧や反日の輩が、
マルキスト(=偽装右翼)の狂信欺瞞と同一視して、 天皇批判の愚かな具に利用する以外は、
明らかな家長尊崇の念であり、宗教では断じてない≫
【社会現象学公理W】
≪日本の皇室・天皇の真の存在価値は、社会主義者や反日の輩が揶揄する『所謂右翼思想』などと言う思想的なものでは、実は、全く無い。
その真の存在価値は、国家概念の依り代としての存在価値及び、その依り代としての、他に類を見ない、 磐石性が可能にする、『アイデンティティー(自己同一性認識)』の要としての存在価値なのである。≫
注:『自己同一性認識』これは、純粋学問である所謂『社会免疫学的必要性』からも極めて重要である。
【社会現象学公理X】
≪我が国の安定的存立は、1600年以上の永きに渡り堅持された磐石の神聖不可侵なる皇室制度によって強力に担保されている。
皇室制度こそは、国家の健康維持に不可欠な広義の免疫力の要なのである≫
【
≪第一章≫とりあえず以下の事実を認識しましょう。
【社会現象学公理Y】
≪日本の皇室が過去に於いて、半島で消滅した朝鮮王朝と王朝外交上関係があっても、
★伝統に培われた王制を廃し、民族の誇りを捨て、独裁者の恣意的野望の具に成り果てた南北朝鮮・在日★
とは 全く無関係である。かつての王朝時代の朝鮮の民は美しき古来の伝統に彩られた文化を育む尊厳在る民であった≫
【社会現象学公理Z】
≪天皇家は当初、日本の古代国家である大和国の王家として出現し、当時は祭政一致であったため、天皇は祭祀王、
すなわち祭祀をつかさどる第一人者であると同時に政治システムの頂点に立つ国王であった≫
【社会現象学公理[】
≪王を頂点として貴族階級・武士階級などの存在する階級区別顕在社会に於いては、
社会主義の回廊に用意された活気あふれる民主主義のお祭りが実現した国民皆兵は存在しない。
国際紛争も貴族・武士などの階級同士の戦いで決着が着く。近代大戦の様な大量の戦死者を見ることも、大規模な環境破壊を見ることも無い≫
【社会現象学公理\】
文化とは国の内外に誇れるものでなければならない。したがって、
戦勝第三国人が戦勝特権を行使して強引に政府を恣意的に操作し、認めさせた唯一の
私営ギャンブル、謂わば日本の負の遺産であり、単なる風俗業以外の何ものでもなく、
誇れる部分など微塵も無いパチンコなどというものは、日本の文化などでは断じて無い。
【社会現象学公理]】
≪天皇は立憲君主制国家の国家元首であり政治権力とは分離した象徴として君臨する象徴国家元首である≫
元首の概念は時代により変化するものであるが、国家の象徴であること、首相任命などの一連の国事行為、外国元首や外交官の接受といった対外代表性など、
通常国家元首の有する機能を有していれば十分であり、 元首が果たすべき儀礼的機能を天皇が果たしていることは確かな事実である以上、
天皇は、GHQ見解においても国家元首なのである。
★★★【社会現象学に基づく知見】★★★
国名の後に国家体制との属性を示す言葉が入っていないのは世界中で日本だけである。
≪属性を捨て切れていない(〜共和国)はアイコン⇒(日本国)はシンボル≫
■象形文字=象の形をそのまま真似たもの
=アイコン=記号であるが指し示す対象の属性がまだ残存している。属性を断つと消えてしまう不安定な存在
■完成の域に近い文字=認識にかえって負担となる無駄な部分を削ぎ落としたもの
=シンボル=指し示す対象属性から解き放たれた自由な概念表現が可能な記号。
対象と完全に分離しているが故に対象の実体的把握が仮にできなくなったとしても、揺らぐ事無く重要な意味を持って存在しつづける事が出来る。
つまり、最早、消す事の叶わぬ磐石の存在。
■アイコン(〜共和国)は進化し⇒シンボル(〜国)となる
>>28 何事かが、一つのみの役割しかないと思う時点で、オコチャマです。
合意優先という決まりがある…その合意に、必ずしも整合性がないとは言えない
ぐらいのt理解もできないようでは…以下ry
つうか合意形成のためには理を提示しろという意味で、俺が基準を示せと言っているのよ。
きみ浅はかなぐらい馬鹿でオコチャマだね。理屈になっていいない以上に、記述は読まない
書いてあることや目的を理解しない・・・まぁ、そろそろあれだね。
>>28 誤字脱字が多いけど、動揺してるの?
>合意優先という決まりがある…その合意に、必ずしも整合性がないとは言えないぐらいのt理解もできないようでは…
よくわかりません。
>つうか合意形成のためには理を提示しろという意味で、俺が基準を示せと言っているのよ。
「日本では皆がそう思っているから・・・が根拠だろうね。なぜそう思っているかといえば、人間観、世界観から来ているということになるね。」
これがれの言う”理”?
>>13 >
>>11 >自然法は人間が理解できる「正しき法」だとしていないのか?
していない。
単なる神の栄光に対する奉仕として自然法がある。
「正しさ」はそこから得た利潤が客観的基準として確証されるとしているが
どの程度の利潤を得れば救われるか人は賢愚併せ持つ存在である為に知る事ができず
誰が聖人か賢者か愚者かを誰もわかることができない。
「正しさ」の基準を知らない恐怖に追われプロテスタントは必死に働く。
これを行動的禁欲と呼ぶ。
35 :
黒旗:2007/08/12(日) 12:48:37 ID:???
>>れ氏
枠組みの内的正当性と外的正当性について、君にも分かりやすいようにまとめてみたよ。
少しながいけど、一つひとつは自明な事や簡単な理論の積み重ねだからきっと理解出来ると思うよ。
●「枠組みの内的/外的」というのは「一体的存在の内部的/外部的」という意味である。
●「一体的存在」とは、複数の主体が、物事に対する価値観または、判断基準、または行動、などについて一致し、連帯した場合に、
その構築された連帯関係の総体を擬似的に、当該の価値観や、その他に対する一体の主体として捉えたものである。
●「正当性」とは「不当性(疑義)の不在性」である。
●「不当性」とは「正当性への疑義の存在性」である。
●「正当性への疑義の存在(不当)は抑圧を生じさせる」。
●「抑圧は被抑圧者が、自身が被抑圧者として不当に扱われていると認識した場合に生じる、その扱いへの主観的な評価である。」
●「内的正当性とは内部の不当性の不在性」であり
「外的正当性とは外部の不当性の不在性」である(語義から)。
●「不在である(存在しない)」為には「生じることを得ない」か「生じたものを排除する」必要がある。
36 :
黒旗:2007/08/12(日) 12:49:56 ID:???
●「抑圧を生じさせないこと」は「抑圧の回避」であり、「抑圧の排除」は字面の通り。
●「抑圧の存在しない場合」は「抑圧の回避」または「抑圧の排除」により得られる。
●「抑圧の回避」とは「被抑圧者の存在を生まないこと」または「被抑圧者の存在を生む関係を構築しないこと」である。
●手段としては、「全会一致」または「不一致の主体間の相互不干渉」である。
●「抑圧の排除」とは「生じてしまった被抑圧者の、当該の連帯関係の枠組みからの除外」である。
●手段としては「離脱の自由・権利に対する完全な保証」である。
●「一体的存在の内部における、抑圧の存在しない場合」は、「全会一致」と「離脱の自由・権利に対する完全な保証」により成立する。
●この場合、すなわち複数の主体が、一体的存在という「関係」を構築する場合、
、「主体間の相互不干渉による抑圧の回避」は「関係を構築しない」という条件に反するので不成立である。
●またこの場合、「離脱」とは一体的存在の内部的存在が外部的存在となることを意味する。
●「一体的存在の外部における、抑圧の存在しない場合」は「全会一致」と「不一致の主体間の相互不干渉」により成立する。
37 :
黒旗:2007/08/12(日) 12:51:07 ID:???
●この場合、すなわち主体同士が同じ枠組みを有していない場合、つまり除外すべき外部を持たない場合、「被抑圧者の枠組みからの除外」は不可能である。
●またこの場合、一体的存在ではない主体同士が新たに何らかの案件について関係を構築する場合、
すなわち、当該の案件についてその時点では未だ一体的存在でない複数の主体が一体的存在になろうとする場合、「全会一致」とは
一体的存在の外部的存在が内部的存在となることの条件である。
●以上から、「枠組みの内的正当性」とは「枠組み内部に当該の案件について全会一致が成立しており、かつ不一致の主体の枠組みからの離脱の自由が完全に保証されている」ことである。
●同様に「枠組みの外的正当性」とは「主体同士が関係者として全会一致により連帯関係の枠組みを構築する、または主体同士が相互に不干渉である」ことである。
以上。理解できましたか?
> 誤字脱字が多いけど、動揺してるの?
えーと、パート1のころからずっとです。www 恐れ入りますがキャラだと思ってください。
少なくとも、俺の議事脱字は日常的なことで、何かの心理状況を推測できうるほど、
特殊なことではありあんwせん。(威張って言うほどのことではないですが…。)
> これがれの言う”理”?
ん?あなた少しはものを考えましょうよ。合意形成の過程において「何を手段として
何をよりどころにして」同いあるいは譲歩だきょうをもとめるとかんがえています?。
「理」であり「損益」であり「感情」であり、その他諸々の要素でしょ?その中の
「り」つまり整合性や、皆が共有する価値観の合致しているかどうか…などは重要な部類の
要素だと、俺は思いますよ。(合意形成の過程における議論の要素の話ですよ…ともう一回
いっておきます。・・・あなた短絡的な誤解が多いから)
>以上。理解できましたか?
恐れ入りますが、AはBではなく、したがってAではないという疑義はそれがBである証拠である
という内的な回廊以外の何物でもないと理解しました。
全員一致などできようがないほど社会における人の活動は多岐にわたるという事実から
目をそらしているんで、まぁ、論外です。
つうか0歳児は、同意などないので、社会の一員ではないと言っているようなものですが、
そもそも人も動物も集団を形成する動機の大きな要素の一つは「子育て」ですよ。w
>俺の議事脱字
「誤字脱字」と書くべき文章すら誤字脱字かよw
そういうキャラなんだよ、いやなら相手にするなよ…つうかご麺なさい。
>そういうキャラなんだよ、いやなら相手にするなよ…
文章でしか判断できないのがBBSの議論板なのに、度重なる誤字脱字で
相手に意図が伝わりにくくしているのを差し置いて開きなおりかよw
>つうかご麺なさい。
最初から素直に反省しなさい。
甲いう伽羅なんだって。w
44 :
黒旗:2007/08/12(日) 16:26:35 ID:???
>>39 ●「回廊」とはどこを指して言ってる?ていうか、何処が理解出来ない?そもそも回廊の意味わかってる?
●全員一致が可能な程度の規模で、一致出来る案件についてのみ機能するような枠組みに、離脱の自由に対しての完全な保証があれば、その枠組みは正当性を有するんじゃない?
●0歳であれハタチであれ、彼を含む枠組みに対して彼が疑義を持つならばその枠組みは不当性を内包する。
疑義が無ければ不当性は生じない。
●君は、どうあっても現行の枠組みに(その過去に対しても)正当性を与えたいようだが、
その正当性の根拠は「日本人に共有される人間観・世界観」であるとしながら、「確かにその人間観なり世界観なりが日本人にあまねく共有されていること」についての証明も無く、
「それが時代の変遷によらず確かに継続して来、かつ継続していくであろうこと
(後者についてはパート43で「変わらない事に確信がある」としながらパート44では「変わらない事を望む」と君のスタンスが一定していない事も付け加えておく)」についての証明も無いよね。
その辺りを詰めていかない限り、君の主張は何者をも説得出来ないと思うんだけどね。
で、ですね、黒旗氏が内的正当性、外的正当性などと言っていますが、そもそも
国の、統治機構や枠組み正当性とはいかなる概念なんでしょう。
辞書的には 正当性:社会通念上また法律上、正しく道理にかなっていること。
ですわな。もう少しいうと 社会通念上また法律上、正当と認められる状態にあること。
或る統治機構なり、その枠組みに関しての正当性は、つまるところ「認められること」であり
つまりは「同意・合意・共有共有といった」、心情的であれ、論理的であれ、理性的であれ
「納得」の問題であるということができる。(正当性の主張は認められるために行う行為です)
外的には外部の人の納得の問題であり、内的には内部の人の納得の問題である。
一般には「国際法」上の正当性が、外部の人々の納得の「根拠」である。
では、内部的にはどのような根拠で納得するのかという問題である。
外的な国際法云々が内部的正当性とリンクし正当性を構成している要素であると考えてしまうと、
正当なる独立運動を否定することになってしまい、したがって、民族自決という国際的コンセンサス
からも外れてしまう。
民族tが自決する振る舞いは内部的振る舞いであり、仮に民族自決に国際的コンセンサスがあると考
えるなら、国の枠組みの正当性は、はじめに内部的正当性があり、それを国際社会が認めるという
過程をたどる・・・ということになる。
>>44 人は気が変わるから、常に全員一致の状態を形成できるという考えについていけない。
気が変わっても(つまり殺人をしたのちに気が変わって、殺人禁止に同意しないといっても)
彼は処罰されるのが人間の社会なのだよ。(そこをどう解消し社会として秩序を維持できるのか
それを君が加奈い限り、議論にならないじゃない。
下段:あまねくの意味がよくわからないが、日本の歴史のどのあたりに疑義があるというのかを提示
してくれれば、歴史的に共有されていることを説明する。無論議論可能な程度に君が知識を有する
具体的な事象にしてくれ。(具体的な歴史的事象等の検証の結果だと俺は言っているのだから、
疑義があるなら疑義を生じる事象を提示すればよいし、それがないなら、議論にならない)
>>28 >その合意に、必ずしも整合性がないとは言えないぐらいのt理解もできないようでは…
日本語してよくわからない。何が言いたいのかい?
整合性がないことを認めてたともとれるが。
>>38 >ん?あなた少しはものを考えましょうよ。
私は、
「日本では皆がそう思っているから・・・が根拠だろうね。なぜそう思っているかといえば、人間観、世界観から来ているということになるね。」
これがれの言うモ理モ?
これを聞いている。その通りならその通りと言えばいいし、違うのなら違うと言えばよい。じゃないと考えられないよ。私はれじゃないし、れになりたいと微塵も思っていない。
>合意形成の過程において「何を手段として何をよりどころにして」同いあるいは譲歩だきょうをもとめるとかんがえています?。
>「理」であり「損益」であり「感情」であり、その他諸々の要素でしょ?その中の「り」つまり整合性や、皆が共有する価値観の合致しているかどうかノなどは重要な部類の
>要素だと、俺は思いますよ。(合意形成の過程における議論の要素の話ですよノともう一回
>いっておきます。・・・あなた短絡的な誤解が多いから)
れが答えてくれないので、「その通り」だということと推定するしかない。とりあえず、れの言う「理」が、「損益」「感情」とは別のものであり、「整合性や、皆が共有する価値観の合致しているかどうか」である、ということはわかった。
できるなら、その「理」が重要だと思う根拠を聞きたい。(わかるよね、私は重要だとは感じていない)
重要と思わないわけ。
「そもそも、妥当である『基準』がなぜ必要なのかい?」
れがまだこれに答えていないから、必要性を感じない。
>>47-50 もう少し、まとめて読んで、自分の中で検討してかけばいいのに…。連投カコ悪い。
で、結構重要なことを君は質問しているよね。
>>45で書いたとおり、そしてそれ以外にもあるが
枠組みに関するなっとくだけでなく、国として、あるいは共同体として「全員一致」でない、または
「全員一致した日の心変わり」によって不一致となりうるが、何かを決定し、反対者にそれを
強いる(例えば窃盗はいけないと決めたとして、窃盗禁止反対者が決定以降に窃盗を行った場
合に処罰するというような意味だよ)わけだから、なぜ強いることができるのか…という疑問から
解消していかないとわからないよね。
基本的には「納得の問題」なんだよ。そういう、人々に、その相手の心情や感情や思想や理屈など
なんでもよいがその意にそまぬ場合にでも、なぜ強制できるのか…その理由こそが、強制できる
限界を提示することになるだろ?
(これも単純な話だよね。窃盗でいえば個人なり集団に帰属する財産というものが存在すると考え
その財産を所有する権利を認め、それは権原のない他者に奪われないことが正しい・・・との理由で
窃盗を禁止するとしたら、他人の財産を侵害しない行為まで禁止してはならないという限界が
自明的に見えてくるという当たり前の話)
つづき
つまり、納得の問題というのは、「なぜ窃盗は禁止されるべきか」についての理由が多くの人々に
納得されて、その窃盗禁止という決まりは生じるわけだよ。
場当たり的に、事後法でもOK・・・などという社会は基本的に秩序のない社会だろ?
で、所有権というものが想起され人々に認識されれば、譲渡の決まりだとか、相続の決まりとか
が様々に生じ、それが、人に帰属する財産というものがあるという共通認識のもとに、その認識に
整合するように作り上げられて、初めて秩序というもののうち財産に関する決まりが出来上がる
わけだろうよ。
そういうなかで、例えば土地というものに関する所有権が、各個人や集団に帰属するものなのか、
つまり所有の権原はどこにあるのか…というような理によって、土地の制度も出来上がっていく
わけだよね。
ここでは、人間は財産を所有する権原に応じて、それを所有する権利があるんだという人間観
が介在していることになるだろう?わかるかな?
さらにつづき
ここでの「理」というのは、所有の権原という概念に関する考え方と、決まりとの整合性の問題な
わけですよ。
基本的に所有の権原は、たとえば別人が所有しているものなら、契約によって所有権は移転す
るということに現在の民法はなっているよね。この場合、当事者間の契約が所有の権原になるわけだ。
相続も権原になる。相続の場合は当事者間の意思だけでなく血統によって遺留分が発生するわけだ
よね。で相続人全員の共有なんだから、それを遺産分割協議などで、個々の所有を確定するなどと
いうことが行われるわけだから、遺産の当事者とはだれなのかという考え方が社会において合意されて
初めて当事者が確定される決まりが生じるわけだ。
相続財産の当事者は原則として配偶者と子供・・・と決まっているよね。親や兄弟の出番は、後だよね。
昔は財産は家のものというような考え方があったが、今は家族のものという考えにあるんだろうね。
家族というのは、そもそもは配偶者と子供であり、配偶者や子供がいない場合親や兄弟が家族として
相続人に登場するということになるから、家族とは何かということについての共有する概念があって
相続の順位が決まるわけでしょ?
つまり家族とは誰のことかと、相続制度の間に整合性がないと、人は納得しないよね。
そういうことを言っているんだけど、どこがわからない?
54 :
黒旗:2007/08/13(月) 10:58:00 ID:???
>>45-46 ●君は、国の枠組みの内的正当性は立憲主義に基づく憲法により、外的正当性は国際法による、という事に(確かパート43で526氏が提示)反対してたじゃない。
●窃盗なり殺人なりを行った者が、当初は納得していた処罰に対して事後的に不当な抑圧であると感じたなら、
枠組みから離脱させ、他者として不干渉に徹するのが「不当性の不在」の条件となる。
しかし、様々な事情により、それが出来ないなら、それは思考実験における純化された正当性に対する、現実的限界であり、
解消されることが好ましいが、解消しえない限界として、ケースによって限界値は異なるにせよ存在し得る。
「必然不可避の不当性の存在の可能性を、俺は認めざるを得ない」と何回言ってもそこは読み飛ばすんだね。
●そして「不当性が許容される基準を示せ」と君は言うが、俺は
「不当性の不在について限界値はケースにより異なる」と既に35回程言っており、
何故ならそれは個々のケース(事象)は複雑系により、それぞれに無限に近い要素からなっており、同一でなく、従って
「様々なケースへの普遍の基準など示しようがない」ということを意味するのだが、複雑系について語る割にはそこらの理解が浅いと思う。
55 :
黒旗:2007/08/13(月) 11:12:45 ID:???
「必然不可避であったにせよ不当性の存在を批判的に自覚し、解消(正当の実現)を目指すべき」
何回も言ってる。
合意があろうがなかろうが従わなければならない根本規範というものがあるわけだろう。
日本国憲法でも前文でそのことを明確にうたっている。
57 :
黒旗:2007/08/13(月) 11:42:17 ID:???
>>46 少なくとも
>>44の4点目(君の説明責任)と、
>>35-37のどこが不合理か(俺の説明責任の所在)に回答してから質問してくれ。そこを解消しないと君と話が噛み合わない…
と思ったが一応提示しとく。ただし、回答及び以下に対する一切の言及は上記に回答してからにしてくれ。ウヤムヤにされたくない。
俺は
>>44や
>>54で君からの質問にきちんと回答している。
君にも真摯な態度を期待している。
では、
アイヌに対する日帝の日本語強要や耳環・刺青禁止、採集漁労狩猟生活者の農耕民化、モシリ収奪、シャモ商人による支配・ジュウリンの事実上の放任…
等々に対してアイヌとの間に「抑圧」は存在せず「合意と尊重」が為されており、
何らの疑義無くモシリやアイヌが枠組みに吸収され、その時点で枠組みの一員とされたアイヌにおいて完全な同化が完了していた、とは考え難い。
その時点で枠組み内部に完全に「人間観・世界観が共有されていたとは考え難い」。
事後的な(子孫の世代までの)疑義の抹殺や消滅でなく、常に枠組み内部に疑義なく「人間観・世界観」の共有が為されており、常に疑義なくそれが受け継がれてきたと証明してくれ。
歴史の横と縦にそれが例外無くあったことをね。
58 :
黒旗:2007/08/13(月) 11:51:55 ID:???
>>56 君はナチ政権下ならナチの法に、イスラム帝国の支配下ならイスラムの法に、それが現実にあるなら従わざるを得ないと言ってるだけだよね。
それが如何なる根拠で正当性を持つか(持たないか)、でなく「決まってるから従わなきゃ」という話は今はしていないよ。
>>1の
>【人間観】
>人は賢愚併せ持つ存在である。誰が聖人か賢者か愚者かを誰もわかることができない。
はプロテスタンティズムの精神。
プロテスタントは自然法に従うがこれは単なる神の栄光に対する奉仕として存在するだけだ。
「正しさ」はそこから得た利潤が客観的基準として確証されるとしているけど
どの程度の利潤を得れば救われるか人は賢愚併せ持つ存在である為に知る事ができず
誰が聖人か賢者か愚者かを誰もわかることができない。
「正しさ」の基準を知らない恐怖に追われプロテスタントは必死に働く。
これを行動的禁欲と呼ぶ。
>>54 >「必然不可避の不当性の存在の可能性を、俺は認めざるを得ない」と何回言っても
>そこは読み飛ばすんだね。
いや、普通にどうやっておれの財産を回収するのかわからないわけだが…。
窃盗した香具師が、窃盗による財産は俺のものだ!そういう価値観なんだといわれた場合に
どうやってそのあつれきはかいしょうできるのよ・・・つうか、まぁ、何が問題かさえも理解していな
いようだから、少し考えてみたら?
それを解消し、財産をとり返したら「批判的に反省する必要がある」と言っているよね。
ばかなんじゃね?
>>59 いや、正しさはない、あるいは見いだせないとみるのが日本的であるのに対して、キリスト教などの
一神教は「正しさはある」とみているんだから、ぜんぜん違うことぐらい自明だろうよ。
>>58 合意が規範の根拠にはならんといっているだけで、そんなことはいっていないよ。w
>>56さんの言い分というものは、日本に関しては、建前として合意されていると俺は見ている。
人々の合意によって変えてはならないことがある・・・これが民主主義や近代立憲主義の
基本だよね。人々の合意によって「人の法の下の平等」や「基本的人権の尊重」を変えては
ならないし、「国民主権」も変えてはならない・・・それが基本。
しかしよく考えてみてくださいな。民主主義や近代立憲主義を採用しない国は、存在しては
ならない、これは人類普遍の理念である・・・という考え方はどうです?
イスラム教の人々は、近代立憲主義や民主主義よりもコーランの教えを絶対としています
よね。そういう存在は許容できない、武力や経済力などを駆使してでも、何としても近代立憲
主義の国に改変しなくてはならない…んですか?どうです?現代の米国の戦争の輸出を
是とするならそれはそれで結構ですが、わたしはそれをその民族が望まないなら(つまり
合意しないなら)そのような国があってもかまわないと思いますよ。
そう考えるなら、民主主義、近代立憲主義の受け入れという合意が日本に存在すると
考えないと矛盾しますよね。
根本規範が存在するかどうかということと、それを軍事力を使って他国に押し付けていいかどうかということとはまた次元が違う話だろ。
もちろん、「合意」によってそれを自ら進んで遵守するという決定を行うということはありえるだろうが、その合意が根本規範そのものを根拠付けるものではない。
>>63 押し付けちゃならんというなら、合意があったということは理解できるわけだね。
で、どうもよくわからないんだが、根本規範が合意によって採用されているのに
根拠たりえないという意味がわからないんだが…。
いったん合意があったら取り消しは不可能なのか?
実際に根本規範が合意によらずに強制適用される場合があることに思いを致せば、合意が根本規範の根拠にはならないということは直ぐに分かりそうなものだが。
もはや遵守しないという合意を行うことは可能だろうね。
66 :
黒旗:2007/08/13(月) 15:44:38 ID:???
>>60 だから、君が窃盗にあったとして、「盗られた物は自分の物だから取り返してしかるべき」と認識し、かつ盗った相手が「俺が盗ったからには俺の物だ」と認識しており、認識を共有出来ない場合、
共有する正当性はなく、互いに己を正当だとしているだけで、立場は両者同じなんだってば。
互いに自己を正当だと認識し、相手を不当と認識するなら、「窃盗された物の所有権についての関係」という君と彼との枠組みには、内的正当性は得られない。
君が相手にとって不当な抑圧を与えて、君にとって正当な財産を回収するか、
君が自分にとって不当な抑圧を感じながら、相手にとって正当な財産を所有させるか、
(所有や窃盗という概念自体、人間の歴史の中で必ずしも恒久的なものではないんだぜ)
君が相手を抑圧して財産を得るのも、相手が君を抑圧して財産を得るのも等値等価だということを否定するなら君こそその「判断基準」を示さなきゃダメだぜ。
そしてその「判断基準」が正当性を持つことの証明も。
互いに正当性を認めざるを得ない基準が無いならば、結局それは俺様ルールによる他者の抑圧であり、自身と相手を含む枠組みに視点を移した場合、そこには疑義・不当性が内包されるというのは道理だよ。
67 :
黒旗:2007/08/13(月) 15:55:42 ID:???
で、そういう抑圧を避けてこられなかった過去や現在を、「抑圧は極力避けるべき」という立場に立つことを合意した我々(俺と君のことね)は
しかしながら過去に抑圧を内包し、未だ抑圧を生じる現行の枠組み構造を批判的に考察し、次代にいかなる構造が抑圧を極力生じさせないであり得るのかを検討すべきだろうと提示している。
今気付いたが、君は抑圧自体を批判的に省みることを(それが必然不可避である以上)バカしい、と感じているようだが
俺は「避けるべき」抑圧を必然不可避的に生じさせてきた「構造」を批判的に省みよと言ってるんだよね…
抑圧自体が存在した事実は変更出来ない。しかし未だ引きずる同じ抑圧構造を批判的に省みることで次代の抑圧を極力回避・排除していこう、と。
68 :
黒旗:2007/08/13(月) 15:57:37 ID:???
…とまたまたレスしてしまったが
>>57に従ってこちらの質問に回答頼むよ(>>れ氏)
>>65 >実際に根本規範が合意によらずに強制適用される場合があることに思いを致せば、
>合意が根本規範の根拠にはならないということは直ぐに分かりそうなものだが。
その理屈じゃ、強制適用されることがありうるからと言っても、必ずしも強制適用されないのだから
合意が根本規範の根拠となりうる場合があることを否定できないと思うけど。
>>66 いや、事前の約束が守られない社会なんて、俺は見向きもしないから…。
事前に窃盗を禁止しているなら、気が変わろうと窃盗は処罰し所有が回復される社会じゃ
ないと、少なくともまともな自己実現などできようはずのない社会なんで…。
>>68 おれは、常に枠組み内部に疑義なく「人間観・世界観」の共有が為されており、常に疑義なくそれが
受け継がれてきた・例外無くあった・・・と言っていないから、証明する気もないし、証明する手段も
もたない。
つうかさぁ、議論の根源も何も見えてきていないようね。
日本国という枠組みがある。これは現実。日本国という枠組みは、少なくとも1000年以上継続して
いる・・・これも事実。そして、自主的にかつ積極的に「半島や大陸他と分別した独立国」として現在に
いたっているし、その枠組みは今後も積極的に維持されようとしている。・・・これも事実。
先の大戦以降占領という事実はあったが、やはり日本人は日本国の自主独立を希求した。
これもまた事実。
で、その中で神道的空想平和主義・言霊思想の時期や、中華思想的な禅譲事件もあり
日本的な朱子学が中心思想になったり、近代の立憲君主制であったり、現代の民主主義で
あったりと変わっているが、枠組み自体にさほどの変化はない。これも事実。
では日本という枠組みの根源はどこにあるのかという話。他と異なる、他と同等にユニークな
人間観、世界観を、歴史的に共有し現在にいたっているからじゃないの?という話をしている。
その証拠に、現代の民主主義は建前として機能はしているものの、議論討論と話し合いの違いで
わかるように日本は責任者不在・原理原則より妥協譲歩・・・という状況。
明治時代だって明治憲法創案者がそもそも「天皇機関説を支持し国教を禁止するとしている基本原理」
にもかかわらず、違った動きが15年戦争当時はあった。江戸時代の朱子学とて、本来の儒教
と矛盾するし、鎌倉仏教なども本来の仏教から見れば拡大解釈すぎる大乗の大乗。
原理原則にさほどに拘泥しないという歴史的な事象が現実にあるよね。・・・そんな話なんですけど。
>>60 > いや、正しさはない、あるいは見いだせないとみるのが日本的であるのに対して、キリスト教などの
>一神教は「正しさはある」とみているんだから、ぜんぜん違うことぐらい自明だろうよ。
日本語がおかしい。
プロテスタントは「正しさはある」が見いだせないとみる日本的なものだということか?
明治憲法下で盛んに述べられた「国体」という言葉がある。国の体である。これと対比される
言葉として「国の用」という言葉もあった。
どういう意味かよく考えていただきたい。国の体と、それを動かすことに関する機能をわけて
考えていたわけである。確かに我が国の体というものは1000年以上続いているが、その体を
動かす基本理念は、仏教を理とすると書いた17条憲法や、しかし天命思想に基づく禅譲事件や
また中国より国王と認証を受けた将軍がいたりという意味で中華思想的部分もあり、また
極めて日本的な朱子学を統治理念とした徳川幕府もあり、様々に変わっているが、国体
つまり国としての枠は変わっていない・・・これは歴史を見た時に明らかだ。
では、現実に客観的に見て何が一体なのか…といえば「人間観・世界観の一定程度の共有」
が継続してみることができるわけで、したがってそこから生じる価値観の部分に変化がない。
とくに「人々の合意・話し合い」が根源的な規範から来る原理原則より上位となるという部分に
変化がなく、そこが他国とのユニークな違いであるとおれは言っている。
>>72 にほんごと、それからプロテスタントの思想でも勉強してからにしてくれ。
>>73のつづき
で、.話し合い・合意が重要だとして「そのつどの話し合い」で解消できる部分はあるにしても
整合性があり、継続性のある決まりがないと、社会運営がなかなか難しい。
決まりごとは、原理原則や基準に整合するように形成される。基準も原理原則もなくただ
話し合いで一つ一つ決めていったのでは、それこそ、決まりを読むだけで一生を費やする
ことになるw(本末転倒である)
原理原則や基準よりも話し合いの結果を重要視する社会においては、どのような原理原則で行くか
について皆の合意があれば、それが決定的に破たんしない限り、それが維持されるという形態を
現実に生じた。これは史実である。
例えば、明治立憲以前の日本の基本法は律令であり、それ以外の基本法はない。
明治憲法創案者たちは「漸進的に変えていく意図」を持っていたが、一度も改定されていない。
現憲法も60年して一度も変わっていない。・・・つまりどういうことかといえば「解釈改憲と運用」によって
矛盾や軋轢や齟齬は解消していくという歴史がある。原理原則を大切にするならば、その原理原則の
条文は、原理原則に沿うように常に改定されてしかるべきであるが、日本は話し合いで結論が出れば
原理原則に拘泥せず解釈と運用で話し合いの結果に対応していくという姿勢なのである。
だからおれは現憲法の根源たる民主主義は「建前として」、律令や明治憲法と同じように機能している
と言っているのである。法解釈は極めて重要なことである。それは法の運用においての整合性を
もたらし秩序維持に貢献するが、所詮建前であり、国の枠組みや国柄、そしてどのような基本法が
よりよいのかという議論に法学が役に立たないということも言っている。
>>69 合意によって形成された規範なら、当然合意によって改変できるはずだろ。
>原理原則や基準よりも話し合いの結果を重要視する社会においては、どのような原理原則で行くか
>について皆の合意があれば、それが決定的に破たんしない限り、それが維持されるという形態を
>現実に生じた。これは史実である。
プロテスタンティズムにおけるリべラリズムの歴史であり自然法そのものである。
自然法は他人に要求するする事を自分もまた受け入れ
自分の主張する事を他人にも認める相互性である。(ジョンロック)
話し合いにおいて「党派心」に基づく主張は好ましからざるものとされる。
党派心に基づく主張は「原理原則」に拘泥市、結果、妥協譲歩を許容しないが故である。
皆が合意しようとしているときに、ひとり我を通そうとすることは好ましからざることであるがゆえに
お互いに譲歩しあいそれぞれの主張が水平(リベラル)に繁栄される事が推奨される。
清教徒革命においてクロムウェルの「新しい型の軍隊」は全軍評議会というものをつくり
軍隊の中の人間がすべての決定に参加し「党派心」に基づく主張は好ましからざるものとした。
78 :
XYZ:2007/08/14(火) 23:35:48 ID:???
なにを議論しているのか見えない。
79 :
黒旗:2007/08/15(水) 13:06:36 ID:???
>>78 天皇の存在意義についてだよ。
「天皇は【(日本人に共有される人間観・世界観に基づいた)正当性】を有する枠組みに【正統性】を付与する」という(れ氏)の仮定に対し、
「天皇が【正当性】に対して疑いのある現行の枠組みに【正統性(継続性・伝統性)】を与えるなら反動的存在である」といった。
で、
●「そもそも正当性とは何か(正当・不当の明確な判断基準は何か。
共有する人間観・世界観は本当に枠組み内で共有され・されてきたか。
完全に共有されないならどの程度共有されていれば正当/不当なのか。その基準は何により正当性を有するか。)」
「天皇が正統性(継続性・伝統性)を付与する対象は正当なものか、そうでないか。」
●また「仮に現行の枠組みが何らかの根拠により(共有する人間観・世界観等でなく、例えば立憲主義により)正当性を持つとして、
その枠組みの安定に天皇が付与する正統性が、言及するに値する程度に有意であるか否か、
天皇の存在意義とは他の権威がそれを代替し得る程度の存在意義に過ぎないのではないか。(526氏など)
その起源やコストや体制の論理的整合性を考慮すると天皇より妥当な代替存在があり得るのではないか。(名無しさんなど)」
あたりが論点として浮上したの。
正当性は客観的正義が、正統性は国民が、それぞれ付与するものじゃね?
立憲民主主義を採用する限り。
81 :
黒旗:2007/08/15(水) 13:54:16 ID:???
で、俺は「正当/不当を価値観の相対性や、複雑系を踏まえながら論理的に明確にしたうえで」、
「枠組みが必然不可避的に不当性を有する場合がある事を認め」その「可避/不可避の基準はケースによる」としながら、
「未来において不当性(の根源たる抑圧)を極力回避・排除する」ためには如何にすればよいのかを提示しようとしている。
一方、れ氏は「共有する人間観・世界観があった」としながら「それが事実共有されてきたか否か」に注意を払わず
すなわち「非共有者の存在を黙殺」し、あるいは「非共有者への抑圧を合意と言い換え」
「共有するにも限度がある」としながら、
(こちらが「抑圧回避の可/否の基準は複雑系によりケースによる」と言うのに対して「絶対基準を示せ」と再三要求する態度に相反し)
その「共有の限度や、なぜその限度が正当性を有するかについては言及しない」(論理として不十分な上に、議論においてダブルスタンダード)。
>>れ氏
「共有される人間観・世界観とは日本という枠組みの中の過去から現在に至る皆が共有するのか」
「皆でなければ、誰が共有していればよいのか」
「その基準は何によるのか」に対して明快な回答を俺は待ち続けているよ…
>>10 >皆が思う(合意した)ことを、合意したと表現しなければならないことぐらいは理解できるよな。
合意の表現手段が天皇の承認だとでも言いたい?
現憲法においては陛下ご自身を含め、一人の反対者もなく国民全員が合意したと
しても、天皇制を廃することは不可能だ。
合意を表現できないシステムになっている訳だ。
どうしても表現したければ、自身で革命を起こすか、その気概を持てない
ようなら、外部にでも土下座してお願いするしかない。
(我が国を是非吸収合併して、とか植民地にしてとかサ(w
合意の承認の表現なんてものは単なる形式にすぎず、賽の目でも
骨を焼いても構わない。天皇で無ければならない理由など一つもない。
>>51 >もう少し、まとめて読んで、自分の中で検討してかけばいいのに…。連投カコ悪い。
こちらは検討のしようがない。最初の質問にすら答えていないのだから。
こちらの質問に的確に答えてくれないのはなぜかい?
「その通り」か「違う」(つまりYESorNO)で答えられる質問もあるのに、答えられない理由があるのかい?
>例えば窃盗はいけないと決めたとして、
「窃盗はいけないと決めた」ことが歴史上あるというのなら提示してほしい。
何を決めて何を強いるのか、れのいう「妥当な基準」すら見えて来ない。申し訳ないが、これだけにまず答えてほしい。
>>76 其れを否定していませんが…。
>>77 >>78に同意
>>80 その通り。したがって、絶対的正義を確信しない日本において、立憲民主主義は、
国民の合意の上の建前である。
>>82 >合意の表現手段が天皇の承認だとでも言いたい?
ちがうお。たんに合意結果を表現するといっているだけ。脳内変換ハンタ〜イ!
>合意の承認の表現なんてものは単なる形式にすぎず
合意の法玄は形式である・・・に全く合意するが、形式の重要性に対する理解の差が
あるというだけかと。
>>83 例えばと書いているときに「歴史上あるかないか」は無関係だと思うが…。
書いてあることが理解の外なら、黙っていればいいのに。
【形式の重要性について】
物事の決定に関する意思が最も重要である・・・そりゃ重要ですよ。それと比較して形式は
二の次である・・・そうですよねぇ。人々の意思の集約によって人々にかかわる事項を決定するなら
その意思がきちんと集約されていることと、その結果を表現することのどちらが重要かといえば
人々の意思が集約されている事実が重要です。
さて、では、人々の意思が集約されている事実は、いったいどのような要素で認められますか?
例えば現代の日本国憲法において、法律(つまり権力者の強制力をして人々に何らかの抑制を
行う根拠の条文)を作るという場合、国会で決定される必要があり、法の要件としてはそれを人々
の官報等で表現することが要素でしょ?
じゃぁ、まず、ある、人間の集まりが「国会である」と認める要素、そしてある発表が内閣の官報で
あることを認める要素は何ですか?
ほら、きちんとした形式手続きによってしか、国会である・官報である・・・とは認められないでしょう?
国会議員が(例えば現在の与党の人が)勝手に自分達だけで集まって会議を開いて、国会だと
言ってもそれは国会ではないわけですよね。仮に国会議事堂に集まったとしても、召集という手続き
を経ない集まりは国会じゃない。
ほら、結構、手続きやけいし切って重要なんですよ。
>>81 >「共有される人間観・世界観とは日本という枠組みの中の過去から現在に至る皆が共有するのか」
一定の人間観・世界観が、歴史的に継続している・・・と言っている。
「皆」が「全員」というなら、それは否である。全員が一致している必要性は毛頭ない。
>「皆でなければ、誰が共有していればよいのか」
1000年以上の歴史的時間に存在した多くの日本人。
>「その基準は何によるのか」に対して明快な回答を俺は待ち続けているよ…
基準とは何の基準のことか、君の脳内で分かっていても、俺にはさっぱりわからない。
歴史的な事象を見るとき、どの時代にも存在し、他国とユニークな人間観・世界観があるといっている
のだから、そうではないというなら、具体的に歴史的事象を提示して、そのような人間観が、あるとき
存在しないと論証すればよい。
君は何度同じことを言わせれば気が済むのかね。とっとと、三段目にある具体的な、歴史的事象を
提示して反論しろよ。
まぁ、脳内での理屈よりも、史実を見ることだよ。他国と異なるユニークさは現実に
日本にある。
まず第一点は「天皇という存在」が千数百年にわたって、日本の統治に関する
中心的な位置に存在し続けた史実。
第二点目には、歴史を通じて「外国産の原理原則」を輸入し、しかもその核となる部分を
除外して、その時々に「理」として採用しながらも、常に合議制を継続していること。
第三点目には、さまざまな民族的共同体・・・古くは「アマテラスの系列の神々と異なる系譜の
氏族」や「半島や大陸出自の氏族」、新しくは、琉球・アイヌ・台湾・半島・・・常に「簒奪対象の異民族
としての地位」ではなく「同化・同じ日本人」として扱っていること。
四点目は、常に政治が特定宗教によらず、したがって、全体としての絶対性の供給がなされず
多元的で重層的な宗教発展をし、絶対性や正義・真理について懐疑の姿勢があること。
このような他国と異なるユニークな現象が存在する。これをどう説明できるかが、第一点目の
天皇という存在の説明になるだろうよ。その説明に関する仮説を提示してから、文句を言えよ
と、俺は思うなぁ。w
>>84 >例えばと書いているときに「歴史上あるかないか」は無関係だと思うが…。
>書いてあることが理解の外なら、黙っていればいいのに。
れ、それでは自分の主張が歴史とは無関係と言ってるようなものだよ。
「歴史とは無関係だけど、れは根拠もなく何となく思ってることを書く」
最初からそう言ってくれればいいのに。
89 :
re蝗:2007/08/16(木) 23:32:48 ID:???
>まず第一点は「天皇という存在」が千数百年にわたって、日本の統治に関する
中心的な位置に存在し続けた史実。
簡単に断定しちゃってるけど、これって史実的にオッケーなのかな。
90 :
re蝗:2007/08/16(木) 23:47:31 ID:???
ついでに突っ込んでおく。
>例えば現代の日本国憲法において、法律(つまり権力者の強制力をして人々に何らかの抑制を
>行う根拠の条文)を作るという場合、国会で決定される必要があり、法の要件としてはそれを人々
>の官報等で表現することが要素でしょ?
官報による表現は慣例だと思うけど。
それに、要件と要素は別モンで並列的に使われても困るね。
どうでもいいようだけど、
こういう細部の誤りはのちのちに結構響くと思うよ。
「重層的」ってフレーズもなんか覚えたてでやだね。
>>84 >>1 > ※日本人にとっては当然かもしれないが、そもそも党派心の前提たる党派の存在を許容している
>部分もまたユニークである。党派を解消し一つになれとは言わないのである。各々の党派の
>独立性は維持しながら、党派を超えた事象の決定においては、全体を考えて譲歩妥協すべしという
>考え方である。
この部分はユニークでもなんでもなくプロテスタンティズムにおける自然法そのものであるということ。
>>87 リベラリズムは歴史を通じて「自然法」の核となる部分を除外して
その時々に「理」として採用しながらも、常に合議制を継続している。
二点目はユニークでもなんでもない。
>>84 >四点目は、常に政治が特定宗教によらず、したがって、全体としての絶対性の供給がなされず
>多元的で重層的な宗教発展をし、絶対性や正義・真理について懐疑の姿勢があること。
これもユニークでもなんでもない。
ジョン・ロックは、現実的な経験世界には普遍的な知識や絶対的な価値は存在せず
私たちが普遍性を認める対象とは、便宜的なフィクション(創作物)や
都合の良い名目(記号)に過ぎないと主張しました。
ジョン・ロックの政治思想である社会契約説は、今までの一神教的な
『統治権力(絶対王権や貴族階級)の正当性』は神の普遍的権威に基づくものだから
絶対に抵抗してはいけないという中世的な政治認識を完全にひっくり返してしまいました。
>>88 普通の日本げで議論している人にとって「言っているようなものだ」とは
ならない。例示の意味ぐらい勉強してから出直せ。
>>89-90 具体的にどの時代に疑義がある?別に政治の中心と言っていないが…。
武家政治は、その権威を天皇からの征夷大将軍や関白の任命に根拠している。
>官報による表現は慣例だと思うけど。
ん?官報「など」による国民への周知は法が有効となるための要素だろ?
>>91-92 プロテスタントについて学んでから出直してくれ。
(そのものではなく似ているというなら、そだねというけどね。)
>>93 >(そのものではなく似ているというなら、そだねというけどね。)
つまり似ているものがあるから他国と異なるユニークな現象が存在するとは言えないという事を
否定しないということだね。
>>85 >手続きやけいし切って重要なんですよ
そりゃそうですよ。だからって現在の手続き形式が最良最善という裏付けにはならない。
御題は現用の手続き形式の有無ではなく、良し悪しなのだがね。
>>87 >他国と異なるユニークさは現実に
>日本にある
日本「にも」あるだらう。他の国にもユニークさなんてものは
普遍的に存在する訳よ。
それぞれがユニークを主張するからこそ国家なんて集団が
多数存在することになるのよね。
日本と日本以外に二分された世界を考えても、二者のそれぞれは
ユニークさを持つことになってしまうのよね。
世界が一つなら?それこそが完全にユニークな世界ってことよね。
>「天皇という存在」が千数百年にわたって・・・
史実ではなく現実だと思うのだが。現実にそれを続けているからユニークなのだろう。
過去にあったというなら他にも類似物は多数あるから
ユニークとはいえないだろう。
継続年数の長さはその存在自体のユニークさにはならないだろう。
稀少であるには違いないが。
ユニークであり得たのは、天皇がシステムとして存在していたからで
天皇制という城を支える内堀、外堀、出城・・・である公家社会を
抹殺して、天皇をRDBに登録してしまったのさ。
>>94 日本語の常識:似ている≠同じではない。
どこが違うかはすでに記述済み。文脈さえ読めない人に議論は無理。
>>95 >御題は現用の手続き形式の有無ではなく、良し悪しなのだがね。
まぁおっしゃる通りですね。(継続は力なり:続いているからには何か良き所もある。仮に
その社会の人々の人間観や世界観と関係しマッチしているなら、好ましいとは言えるだろ?)
継続していて、現在も残っているというより、現在の状況が最も純化しているという評価が
妥当な希ガス。何がユニークかといえば、「君主なのに何の権能もないことについて疑義が生じてい
ないこと」がユニークだと思うが…。
公家社会とは朝廷を支えるものであって、天皇と朝廷の明確な分別を図らないと、見えてこないものは
結構あるよね。公家社会なり貴族社会というものは、つまるところ、合意をなす主体であるわけで
それは結局、統治機構の中の「政治を担う部分」という意味において、幕府の存在と変わらないが
天皇という機関の存在は、政治を担うのではなく「表現に関する手続き」を担うと分別すれば
なにがしかが歴史から見えてくるよ。
>>96 > 日本語の常識:似ている≠同じではない。
だから何?
ユニーク=ほかに類いの無いさま=似ているものが無い
>>87 >まぁ、脳内での理屈よりも、史実を見ることだよ。他国と異なるユニークさは現実に
>日本にある。
さて実際に
>>87で日本が他国と異なるユニークなものは第一点目と第三点目くらいであって
類似した例がある第二点目と第四点目はユニークとは言いがたい訳だ。
似ているが同じではない=ユニークだというこじつけは通用しない(w
>>97-98 人のやることなんだから、全く違うということはあり得ないというか、昆虫の振る舞いだって
似ているところはあるよ。w 論外君は頭が悪いねぇ。
人のやる事は全く違うということはあり得ないというから
日本に他国と異なる『ユニーク』さは現実にはありえないということだね。
『似ているが同じではない=ユニークだ』というこじつけはもう使いませんという事かな?
夏休み中だと実感させるねぇ、、、。
>>93 れのいう例示は「例えばと書いているときに「歴史上あるかないか」は無関係」
なのに、相手には「ある具体的な、歴史的事象を提示して反論しろ」
日本人、日本語の前に、自分が言ってることと相手に求めることに整合性がないよ。
れ、君には「基準」がないのかい?
れたん
夏休みの学生さんにやり込められて、カコワルイw
四〇を超えたおじさんがよくやるよ。根拠がアレだから誰も信じない。
さて、ほんとは何が他国と異なるユニークさなんだろうねえ。
革命が皇統内での家系変換という形で行われてきた為「天皇という存在」が
万世一系というかたちで千数百年にわたって、日本の中心的な位置に君臨し続けた史実。
位でしょうね。
君臨しても統治せずという所が重要で決して統治の中心的な位置にはいなかったけどね(W
>>96 >日本語の常識:似ている≠同じではない。
ということを厳密さを主張するならこの世の全ては
ユニークであり同じものは二つは存在しない。
それに従うなら、何千、何万年続こうと、時間軸の上においても
習慣、形式、手続き何であれ過去の如何なる時点と比べても現時点
が同じものとはいえないのだ。
貴君に日本語の常識などと言われてもナンダカナー。
本来なら厳密に考えどの点が同じではないか考えるんだけどね(w
> 日本語の常識:似ている≠同じではない。
> どこが違うかはすでに記述済み。文脈さえ読めない人に議論は無理。
それなら「すでに記述済み」の部分だけがユニークだって事だろ(w
107 :
右や左の名無し様:2007/08/18(土) 16:29:07 ID:1sOc6MHI
重要なのは歴代天皇が天上界の方だということです。
俺はすでに書いているんだが…どこが同じでどこが違うかを・・・。
ユニークであるとの評価は、比較の結果である。であるからには、何と何を比較して
どのような視点において同じであるとか、違うであるとかの評価が加えられる。
さて、比較対象及び視点に関して
>>87の第一点目は明確だ。第二点目も明確だわな。
第三点目も明確だし、第四点目も宗教と政治のかかわりという対象に関して、歴史的継続性と
絶対性の共有という視点で明確に述べている。
これに対する批判として
第一点目に関しては
>>89に批判があり
>>93で解消している。
>>92に第四点目への批判があるが、経験社会においての不存在と、そもそもの存在に関する懐疑は
と依然別次元であるし、西洋近代主義に基づくそれが「人類の普遍的理念」を求めているのだから
論外の比較にすぎないわな。
全然批判になっていないと思うんだが…。つうか、日本のユニークさがないなら、別に大陸と合併でも
米国とでもすればよいと思うんだが、日本国は独立を維持しようとしている。
ユニークな歴史的事象や現象をピックアップして、そこに歴史的に継続した人間観や世界観の共有を
探るという手法は、有効だと思うのだが、まぁ、ついてこれないが気しかいないということは十分に分かった。
違う違うと文句を言う前に、では日本という国が独立を維持し続ける積極的理由は、日本人にとって
あるのかどうか、あるとするならなぜなのかから、きちんと論じてみろよ。
109 :
右や左の名無し様:2007/08/18(土) 16:38:09 ID:1sOc6MHI
あのフィリピンでもいちおう独立国なわけでして。
>>108 >全然批判になっていないと思うんだが…。つうか、日本のユニークさがないなら、別に大陸と合併でも
>米国とでもすればよいと思うんだが、日本国は独立を維持しようとしている。
プ
>>106 >本来なら厳密に考えどの点が同じではないか考えるんだけどね(w
>西洋近代主義に基づくそれが「人類の普遍的理念」を求めている
プ
>>92 >ジョン・ロックは、現実的な経験世界には普遍的な知識や絶対的な価値は存在せず
日本語の常識から逸脱している(W
まぁ、絶対性というか、ある意味での排他性というか、なにがしかの価値観を優先するという
合意があるから、国が成り立っているんだろうよ。
複雑なことはわからないという人は、まぁ、それはそれで馬鹿なんだから仕方がないとしても
近代立憲主義なり近代民主主義が「基地スト教出自のアイデアであること」は間違いのない
事実だ。そこには当然ながら、キリスト教徒たちが歴史的に共有した人間観・世界観に基づく
価値観に合致している。(それが是か非かは別として合致していることは事実)
で、明らかなことは「近代理念」であったり「近代民主主義」だったりというものが「危うい」と
いうことだろ?少なくとも日本における近代なり近代民主主義というものが、相当に危ういものだ
ということはおおむね理解できるんだろ?(まぁ、法学の徒で全面的に帰依している人は居たがw)
なぜ危ういかといえば、そもそも、我々の歴史的な民族性・・・つまり共有する世界観や人間観から
導き出される共有される一定の価値観・・・とくに話し合い・豪ぎ・同意に関する価値の序列との
かい離があるからだと、見渡せるじゃないか。
単純にいえば「人類普遍の原理」など、心の底から信じていないだろうが、お前ら…。
しかしながら、全く価値観に関して相対的では、国は動かんのだよ。一つのことを決断して、一つ
の方向に皆で向かうのが国なんだから、相対じゃ無理なんだなぁ。
では、なにがしかの価値観を好ましいとする・・・例えば「良識」であるとか「正しさ」であるとか、「よりよい」
ということを、一体何に根拠して、あるいは何をよりどころに 「論じる」のよ?上の法では黒旗氏が
殺人さえOKの国を認めちゃっているんだが、馬鹿だろ?何らかのよりどころが必要じゃない。
>>108 >経験社会においての不存在と、そもそもの存在に関する懐疑は
そもそもとは
>>92でいっている
>絶対性や正義・真理について懐疑の姿勢があること。
と言っているが近代経験主義とは正義・真理について懐疑の姿勢があることであって
別次元ではないし西洋近代主義に基づくそれが「人類の普遍的理念」を求めている分けも無い 。
イギリスの経験論者であるジョン・ロック(1632〜1704)は、
生まれたばかりの人間の心は、『タブラ・ラサ(白紙)』であるとして、
人間の心の機能や性格、そして心に映る世界の表象は生まれてから後の
『経験』によって形作られると主張しました。
彼は、人間個人の経験より先にある永遠不変の
イデア的(理性によってのみ認識される実在)な神の世界を批判したのですが、
神の存在そのものを否定するには至りませんでした。
>>111のつづき
で、「良識」だとか「正しさ」とか「よりよい」等というのは、最終的にすべてを相対化しては見いだせない
わけだが、何かをよりどころとするにしても、それが「個々の価値観」によって、そのつどに集合した結果
あってよい・・・という考え方は、無責任だよな。その考え方は、「未来の私たちの子孫」がどう考えるか
わからないという前提にたってしまっているから、未来を考慮する必要性に関する考察が欠けていることは
わかるか?
何を言っているかといえば、「良識とか正しさ」というのは根源的には一定の共有を「歴史的にしている」と
みなさないと、国というものの存在を積極的に肯定し、人々の英知によって未来の人々に貢献する
社会づくりなどを模索することすら・・・つまり価値の序列という政治思想を語ることすら・・・無意味だろうよ。
一定の共有は、人類的にもあるだろうし、そして日本という国の内部にもある。世界は一つじゃないから
ユニークな国があっても原則的には(当方が絶対的存続を脅かされない限り)よいと考え、その
ユニークさを(全面的でないにしろ)共有しているがゆえに、我が国という枠組みが維持され、そしてその
ユニークさは歴史的に共有され一定の価値観の共有が未来の人々ともあると確信するからこそ、よりよい
社会を未来に引き継ごうとする動機が生じる。・・・こういう前提はすでに何度も書いているんだが、そういう
理解がまだな人は、まぁ、何をわれわれ日本人bが共有しているのかを模索する意味はわからないかも。
>>111 さて、近代民主主義も「人類普遍の原理」を否定している。
近代民主主義はキリスト教に対する批判から生まれたものであって
キリスト教徒たちが歴史的に共有した人間観・世界観に基づく
価値観に合致していない。
単に人知を超えた理解不能な「人類普遍の原理」というプロテスタントの思想と
「人類普遍の原理」に対する懐疑の姿勢が対立しなかっただけの話である。
>>112 ジョンロックが考えたということと、日本人の多くがそう考えていることの次元 も 違うと思うんだか。
(視点の問題)・・・まぁ、ほかにも内容の違いはあるんだが…。
西洋人の多くは、日本人と異なり、聖書を信じ、ナザレのイエスをメシア・キリストと信じ、であるが
ゆえに世界も人も神がクリエイトしたと信じていることと比較して日本はユニークだろうよ。
>>114 いや近代民主主義は「人権の尊重」「自由の尊重」「人の法の下の平等」は
人類普遍の原理であるとしているよ。そこに会議などあるわけがないだろう。
お前、全く本質を理解していないな。
>いや近代民主主義は「人権の尊重」「自由の尊重」「人の法の下の平等」は
>人類普遍の原理であるとしているよ。そこに会議などあるわけがないだろう。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、
その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、
その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、
この憲法は、かかる原理に基くものである。
日本国憲法に書かれている人類普遍の原理は国の枠組みに関する事だな。
アメリカ合衆国憲法にも人類普遍の原理について触れていない。
世界人権宣言も人類普遍の原理について触れていない。
デタラメはやめろよ。
ウィキペディアより近代民主主義。
今日的な意味での民主主義は西欧の近代市民革命を通して広まり、
近代市民社会の根本的原理となった議会制民主主義である。
三権分立の軌跡も含めその発現形態は地域によって一様ではないが、
自由・進歩・博愛の標語を掲げたフランス革命やアメリカ独立戦争の影響を通して、
また多数決により選ばれたヒトラーなどの独裁制の経験を経て、
現代では人権が民主主義(民主制)における唯一無二の普遍的価値観として定着してきた。
ただ民主制はあくまで君主制や寡頭制、独裁制よりもマシな制度という意味合い以上のものを持たず、
そこにおいても大局観や広い視野、教養を併せもつエリートの存在が不可欠であるともいわれている。
「人権の尊重」「自由の尊重」「人の法の下の平等」が最近になって
唯一無二の普遍的価値観として定着してきた程度のものが民主主義であって
キリスト教から生まれた人類普遍の原理なんて関係ない。
>>117 いや、だから、
>そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、
>その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、
>その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、
人類普遍をうたっているじゃない。それが普遍なら当然に、論理的帰結として、
人権だとか平等だとか自由が当然に普遍になるよね。
お前マヌケだろう…いやDQNだろ?
で、キリスト教理念と一致している+キリスト教圏でのアイデアである・・・にもかかわらず
そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!
そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!
そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!
って、馬鹿だろう、いやDQNだろ?
各民族のユニークな部分とは何かと言えば
自立経済圏やそれに結びついたコミュニティー的なライフスタイルのこと。
それはキリスト教やイスラム教に基づいたものであったりするし
日本独自のものもある。
そういう価値観を守る為に近代民主主義に基づいた国家の枠組みが存在する。
自立経済圏やそれに結びついたコミュニティー的なライフスタイルを維持する為に
エネルギー安全保証、食糧安全保証、技術的安全保障──今日ではIT安全保障──、
文化的安全保障などの観点から、ある種の「近代化」を回避し、
別種の「近代化」を遂げねばならないとの発想が、長く抱かれてきている。
これはグローバリゼーションによって破壊される伝統があるという感覚であるとも言える。
つまり、伝統的価値観を外圧から守る為に近代民主主義を取り入れるが
それによって失われる伝統的価値観もあるということ。
>人類普遍をうたっているじゃない。
論理的帰結として国家は国民の福利を受ける為の道具だとしか書いてないが・・・
具体的ににどうやって人権だとか平等だとか自由へ論理的帰結するのかな?
>で、キリスト教理念と一致している+キリスト教圏でのアイデアである・・・にもかかわらず
は?
>>114 >近代民主主義はキリスト教に対する批判から生まれたものであって
>キリスト教徒たちが歴史的に共有した人間観・世界観に基づく
>価値観に合致していない。
>単に人知を超えた理解不能な「人類普遍の原理」というプロテスタントの思想と
>「人類普遍の原理」に対する懐疑の姿勢が対立しなかっただけの話である。
もしあらゆる国の賢者たちは神の一性と無限性について
真の想念を持つようになったと言われれば、私はこれを認める。
が、この普遍性はごく限られている。
これを真理と認めるにせよ、注目すべきは、
それが神秘体験に到達した人間にとってだけ通用する真理であることだ。
一体、有象無象の人類に対してわずか1人の啓示しかない場合、
人間はこれを「普遍的」真理と認めることができようか、という問題が生ずる。
私ははっきりしている。それは普遍的真理ではない、ということだ。
真理は真理でも、名目的真理に過ぎない……とロックは説明する。
われわれが一般に信仰といっているものは、聖霊が絶対だと教えられ、
教えられた通り信じているにすぎない。
たとえば、カトリックの信者のすべてがアウグスティヌスの受けたのと
同様の啓示を受けているわけではない。
彼らは、アウグスティヌスの受けた啓示を説明されて、多分本当だと同意しているにすぎない。
このような信心は「盲目的軽信」と呼ばれるべきだ、とロックは主張する。
こういった宗教に対する批判から近代民主主義は生まれた。
まったくキリスト教理念と一致していないどころか
他人から教えられたキリスト教理念を否定するのが近代民主主義だ。
>>120 いやだから、そのような近代主義に懐疑はないのかよ。
>>121 旧来のキリスト教が与える価値に対する比あはんであっても、キリスト教が有する
人間観や世界観から一歩も出ていないことはすでに指摘済みだが…。
批判から生まれるということはその世界観や人間観までも懐疑する場合もありうるが
現実にそれは懐疑されていない。「論理的帰結における理性の働きという意味を考えましょう。
そもそも論理的であることは、単純化した前提に関する命題への理性的検討だろ?
単純化できる(世界はシンプルな法則による)・人々の理性によって帰結が得られる・・・この
確信のよりどころは、どこにあるというのか答えてみろよ。
いまどきロックなど持ち出してもDQNぐらいしか信用などしないよ。
つうか何度言わせれば気が済むんだろうな。
何のよりどころもなく、「論理的帰結」など導き出しようがないだろうよ。
何らかの論理に支えられて、論理の始まりの部分である前提が提示されるのか?
前提は、人々の感覚的、あるいは情緒的な好ましさなり、良識であったりという部分から
提示されるんだろうが。で、前提はきわめて単純化されて提示されるんだよ。前提に関する命題も
単純化され、ある要素や本質を検討する(さらに単純化するわけだな記号化といってもよい。)・・・
そういった検証を「理性的検証と呼び結果をを論理的帰結と呼んでいるわけだろ?
(わかるのか?意味が。)
そのような単純化記号化した検証の帰結について、それを信じられるためには、
人々の社会に関する法則が単純化して検討できること、そして理性に基づくな検証が
信頼できることの二つについて何らかのよりどころが必要だろうが。
そのよりどころはどこにあるんだよ。理性的という場合、どのような思考や判断を理性的と
言うんだ?・・・そこを答えろや。
たとえばだな、国家は国民が福祉を受ける受け皿であるという帰結があったとする。(
>>121)
なぜ国民は福祉を受けなければならないかを説明してみろよ。
そこには人間観が存在しているよな。その人間観が是であるというよりどころはどこにあるんだ?
論理的帰結というのは、一定の人間観や世界観を是として初めて導き出すことができることが理
解できるだろいうよ。
では、人間観・世界観は人類共通なのか?違うだろう。
ある人々は、自身が死んでも神の審判によって天国に行くことができれば幸福なんだろ?
俺は福祉を受けるより、人々に福祉を与えることで」神の祝福を得て幸福だと思う人もいる。
神の名の命令で自爆テロを行い天国に行けることを幸福と思う人もいるわけだ。
自分が餓死しようとしているときに、目の前の食料になる昆虫を、自分の先祖の生まれ変わりの
可能性から書くせず死んでいく場合に、それを食しなかったことを後悔しない人もいるわけだろう。
ある食物を無条件に絶対に食さないことについて神が定めた戒律であるという理由以外に何もも止めず
戒律を守って社会生活を送ることこそ自信の幸福につながると信じている人はいるんだよ。
論理的帰結など、ある人間観・世界観を共有する人々にとってしか「論理的帰結と呼べない」ことを
まず理解しろや。そこが近代に関する会議の根本だろうよ。
こういう基礎を勉強しろよ。
宗教が何を提供しているかといえば、論理的帰結とやらの根源となる人間観や世界観なんだよ。
論理的に証明できるわけもないだろう?人とは何か、世界とは何か・・・なんて。
いやがおうでも、その社会が共有しているそれによって志向せざるを得ない。
よく考えてみな。人が個人としてそのような人間観・世界観を持ち得ると思うか?
他人と共有していない人間観、世界観なんて単なる基地外の妄想だぜ。
我以外に存在を認められないなら、そもそも我という概念さえ存在しない。
他者との共有は、皆がそうであるように、その社会の人々が共有しているものを
世代を超えて引きついているということだよ。つうか逆に社会というものが形成されている
こと自体が何らかの秩序が存在している証拠であり、その秩序は価値の序列による考察に
よって成立しているのであって、可知の序列の共有は、世界観・人間観の共有があって初めて
できることだろうよ。
だから歴史的な人間観の共有・世界観の共有があって、そこに初めて論理的帰結とやらが
他者と共有できるという事実に気付けよ。それはキリスト教徒の社会であれ何であれ、キリスト
教的思想を否定するのであれ、人間観・世界観の共有の部分には、他者の納得が必要である
がゆえに拘束され、そこが限界なのよ。わからねーだろうかねぇ。
福祉は生存権保障を実質的に確保するため行われるものだろ。
生存権の起源は生存本能であって、生存本能を権利として構成し直したもの。
各人の幸福観が起源ではない。
そもそも国家の主な役割は、各人が各人なりの幸福を追求することを可能ならしめるためのインフラ整備を行うことだ。
幸福そのものを与えることではない。
>>128 だ〜か〜ら、、生存本能はなぜ保障しなければならないことなのか説明しろよ。
なぜ「各人が幸福を追求できることが可能である状況」を作る必要があるんだ?
つうか各人の幸福追求の可能性があることはなぜ好ましいんだよ。
各人の幸福追求の可能性があることが」「望ましい」という価値観は、そもそも論理的帰結なの
か、情緒なのか?それとも、人に関する前提なの?どうなんだよ。え?はっきりしろよ。
近代国家は、人々が自分達の利益確保を担わせる目的で設立したものだからだよ。
>>131 いや、だから、なぜ自分の利益確保をする必要があるのかね。
生存本能は保護されなければならない、
各人が幸福追求の可能性のある社会であらねばならない
自己の利益は確保されなければならない
なぜ?どうしてそんなことをする必要があるんだね?ほら、論理的なんだろ?
回答できるはずだよな。
いや、「確保されなけばならない」んじゃなくて、人々が「自分達の利益を確保する役割を担わせる」目的で国家という組織を作ったということだよ。
134 :
re蝗:2007/08/18(土) 21:02:59 ID:???
>>93 前段はまあどおでもいいや。
>ん?官報「など」による国民への周知は法が有効となるための要素だろ?
根拠条文は何条?
君の言ってることは、公布がなければ法律は無効ということだよ。
135 :
re蝗:2007/08/18(土) 21:08:29 ID:???
>いや近代民主主義は「人権の尊重」「自由の尊重」「人の法の下の平等」は
>人類普遍の原理であるとしているよ。そこに会議などあるわけがないだろう。
>お前、全く本質を理解していないな。
他人へのレスに乗っかるのも行儀が悪いが、
なるほどこういう発想の御仁であるからああなるんだなと納得した。
いうならば、戦後民主主義にどっぷりつかった 保守という感想である。
問題があるなら、もう少し具体的に指摘してくれんかなあ。
印象に基づくレッテル貼りでは何とも・・・
137 :
黒旗:2007/08/18(土) 23:08:32 ID:???
ちょっと旅行でご無沙汰してました。
>>86 多くの日本人って、だからどの程度なら十分に多いと判断できるのかって聞いてるんだよ。
君は、日本という枠組みの正当性を、君の言う「人間観・世界観」における「ユニークさ」に置くわけだろ?
その「人間観・世界観の独自性」が枠組みに正当性を与えるに十分な程度、常に存在してきたと言うなら、じゃあその十分な程度とはどの程度なんだよ、と聞いている。
多い少ないってのは何に対して多いのか少ないのか基準を出さなきゃ、
主観的に「俺は十分多いと思う」「いや、俺はそうはわない」という議論になっちゃうでしょ。収集つかないでしょ。
「そういう人間観・世界観を持った人も日本にはいました、今もまぁ存在します」というくらいでは、枠組みの正当性たり得ないでしょうが。
例えばナチ思想は今もドイツに細々とその支持者がいる事実を指して、そういうユニークさがドイツという国家の枠組みを決めているとは考え難い、よね。
日本の枠組み内部で普遍的に「皆」でなければ、どの程度「皆」なのさ。
また、それは本当に日本の枠組みに特有の、即ちユニークなものなのかについても疑義が生じる余地はあるよね。
>>119 >人類普遍をうたっているじゃない。それが普遍なら当然に、論理的帰結として、
>人権だとか平等だとか自由が当然に普遍になるよね。
>>125 >何のよりどころもなく、「論理的帰結」など導き出しようがないだろうよ。
その通り。
>>116の
> いや近代民主主義は「人権の尊重」「自由の尊重」「人の法の下の平等」は
>人類普遍の原理であるとしているよ。
はデタラメ。
139 :
黒旗:2007/08/18(土) 23:37:49 ID:???
要するに、日本に
「特有の人間観・世界観が存在し」
それが「枠組みの正当性に対して疑義を生じさせない程度に普遍的に、枠組み内部だけに(ユニークとはそういう事だよね)共有されてきた」
と言うんでしょ?
でも、「日本という枠組みに特有なユニークさが真に存在したの?」
「枠組み内部でどの程度普遍的に存在したの?」
という疑問があるんだよね…
日本という枠組みの内部で、人間観や世界観が必ずしも疑義無く普遍的に共有されてきたわけではない事は俺だけじゃなく何人も指摘しているよ。アイヌの例を出して。
君はそもそも「正当性」をどう定義してるの?
>>126 > たとえばだな、国家は国民が福祉を受ける受け皿であるという帰結があったとする。(
>>121)
>>121 >論理的帰結として国家は国民の福利を受ける為の道具だとしか書いてないが・・・
バーカ(w
福利とは幸福をもたらす利益。
福祉とは公的扶助によるサービスサービスによる生活の安定。
全然意味が違う。
ヨーロッパでは過去2000年もの間、啓示、神、イデアという
絶対価値への信奉を続けてきた。これを一挙に崩すとどうなるのか。
また、絶対価値がない場合に、われわれは何を信じればよいというのか。
ロックは答える。それは「経験である」と。
だいたい、私たちが受けた啓示とか、神とか、イデアとかは、
人々が必ず自ら「思惟し、瞑想し、各自の機能を正しく用いたから獲得された」もので、
われわれが努力して勝ち得た「経験」だったはずだ。
その個人的経験として限定されるべき体験を、イデアだとか、神だとか、啓示とかいう名前で公にし、
その内容を普遍的真理として「未経験者」に押し付けることは筋が通らない。
また、その体験を絶対価値として提示すると、未経験者の間に狂信が生まれる。
こういった経験から生まれた自立経済圏やそれに結びついた
コミュニティー的なライフスタイルが各民族のユニークな部分である訳。
それはキリスト教やイスラム教に基づいたものであったりするし
日本独自のものもある。
そういったものに基づいた利益が福利と呼べる訳で福祉とは別モノ。
要するに近代国家の枠組みは民族の価値観に自ら干渉しない訳。
民族に世界観・人間観の共有があっても「未経験者」にそれを
押し付ける様なことは行わないのが国というものの政治思想。
日本人だろうがアイヌだろうが琉球だろうがよくわからんけど
伝統的な価値観を守る為に近代民主主義に基づいた国家の枠組みが存在しますよ
という建前が国の枠組みである近代立憲主義だってこと。
宗教が提供するような、論理的帰結とやらの根源となる
人間観や世界観なんてモノの共有を国家は限定しない。
伝統的価値観を外圧から守る為に近代民主主義を取り入れるが
それによって失われる伝統的価値観もあるという感じで
自ら排除する伝統的価値観は何かと価値序列を行うのが政治だってこと。
|/| |/|
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i / /´ _ニ=-=ニ .i l| / : : : : : : ソ⌒゙ヾ、 ヾ=' ノ
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| _ !" r(:;;:)冫くr(;;;)l | : : : : :(, _ ) __ )!:_ノ
(^ゝ " ,r_、_.)、 | ヽ :(aイ ´r(:;;:) i | r(;;;)〈
ヽ_j 、 .j.j,j,tt゙i、i リ \:_| " . ノ 、_)、 ゙.ノ
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ここ;;∬:∬|ここ)'' \ヽ|'^Y^)
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i l. イ .j.j,j,tt゙i、 ! / ヤヽリ ´゚ ,r "_,,>、 ゚'}
ヽ. ゝ ` |'^Y^)ソ'丿/ ヽ_」 .j.j,j,tt゙i、 !
. ヽ ここ;;∬:∬|ここ)'' .ゝ i、 ` |'^Y^)ソ 丿
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..i.i,i ','/;;∬∬
>>134 公布しない法律が有効にあるという根拠があるのかどうかは知らないが、国民が
ない法律が適用されるというのはおかしなことだと思うけど・・・おれ法律専門じゃないが
以前天皇の法律公布に関する議論の中でコテハンの法律専門家がそういっていた記憶
があるだけ。・・・違っていたら訂正するが、国民に周知しない法が有効となるような国
では困るよね。
>>135 いやおれがそうおもっているということと、法の建前の開設を問答するようじゃ、論外ですよ。
書いてあることを書いてある通りに読む、そこにおれの主義主張が入っているかどうかは
きちんと分別できる・・・それが議論をする人の最低条件だぜ。
>>141 言っていることはよくわかるが、個人に人間観・世界観を押し付けない・・・ということと
その社会がなにがしかの一定の共通性を持って社会として独立しているときに
その共通性が(たとえば宗教国家や共産主義国家や君主独裁国家であることを忌避する
等や平和主義であいることについて、その社会は継続的に絶対的に是としているのだから、
その程度の)その人々の社会が共有する人間観・価値観に沿っているとみなすうこと
は、何ら矛盾しないと思うよ。
逆にそういう視点さえ遠ざけるというのは、まさに現実から目をそらす行為だよね。
>>139 >要するに、日本に
>「特有の人間観・世界観が存在し」
>それが「枠組みの正当性に対して疑義を生じさせない程度に普遍的に、枠組み内部だけに
>(ユニークとはそういう事だよね)共有されてきた」 と言うんでしょ?
ちがうよ。
>人間観や世界観が必ずしも疑義無く普遍的に共有されてきたわけではない事は俺だけじゃなく何人も指摘しているよ。
指摘も何も、俺は 「人間観や世界観が疑義無く普遍的に共有されてきた」 と言っていないから。
>君はそもそも「正当性」をどう定義してるの?
辞書的には 正当性:社会通念上また法律上、正しく道理にかなっていること。
ですわな。もう少しいうと 社会通念上また法律上、正当と認められる状態にあること。
或る統治機構なり、その枠組みに関しての正当性は、つまるところ「認められること」であり
つまりは「同意・合意・共有共有といった」、心情的であれ、論理的であれ、理性的であれ
「納得」の問題であるということができる。(正当性の主張は認められるために行う行為です)
(
>>45より再掲載)
145 :
黒旗:2007/08/19(日) 11:47:54 ID:???
じゃあ枠組みの正当性と人間観・世界観の共有とはどう関わるの?
そもそもの議論は、天皇の価値が枠組みの引き継ぎに「正統性」を与えるものだとして、
1・果たしてその枠組みが「正当性」を備えているか否か。(不当なものに「正統性」を付与するなら反動的な存在でしょ、天皇は)
2・仮に枠組みが何らかの根拠により疑義無く「正当性」を有するとしても、
コストや論理的な整合性(天皇に対する基本的人権とか、あるじゃない片付かない問題が)に比較して
天皇が付与する「正統性」の意義が薄ければ「コストパフォーマンス悪い」でしょ。
まず、1・の点について、俺は日本という帝国の枠組みが必ずしも「正当」たり得ないと考え、述べて来た。
また、2・の点についても、パート43で君との議論が始まったその当初から疑問を提示してきた。
で、君は1・の「(天皇が正統性を付与する対象としての)日帝の枠組みが、何を根拠に正当性を持つのか」に対する答えとして「共有する人間観や世界観」を出しているんじゃないの?
その人間観や世界観に基づき、疑義なく枠組みが正当に(ありてあるものとして)存在している、というんじゃないの?
146 :
黒旗:2007/08/19(日) 11:58:46 ID:???
ところが枠組み内部に、例えばアイヌモシリの収奪に伴い、武装蜂起がくり返されたり、
もっと以前にも国内に宗教的な蜂起や行政に対する蜂起はあったわけで…
常に人民が枠組みを疑義無く正当だと認めていた訳じゃないと、俺や皆さんは言ってきたのね。
(でも、それらは結果論としては抹殺平定され同化された…が、それは今は置いといて)
じゃあ、誰に疑義無く正当な枠組みだと言うのか、誰の疑義は封殺されてよいのか。
「多くの」というならどの程度多数の意見は掬い、どの程度少数の意見は封殺してかまわないのか。
どこをもって正当/不当とするのか。
ってこと。
つうか、人類普遍の原理は存在するだろうよ。
お前ら、なに頑なに否定しようとしているんだよ。
>枠組みが、何を根拠に正当性を持つのか」に対する答えとして「共有する人間観や世界観」を
>出しているんじゃないの?
ん?・・・そもそも国というものは、秩序を構築し、強制力をして権力機構が、その秩序に反する人を
その人の意志や価値観にかかわりなく従わせる代物だろう?
とするならば、最低限その秩序がその枠組みの人々に同意されていることで、秩序(順序や決まり)
自体が正当性を認められる。(正しさという要素を除外すれば・・である。何度も言うように正しさは、
なんのよりどころもなく生じないからねぇ)最低限が同意で、それ以上に正しさとかそういうものが
付加されてもかまわないよ。
で、人々に同意されているということを確認するためには、それ以前に枠組みの定立が必要だよね。
じゃぁ、枠組みの正当性はどこに求めるのよ。ある人は日本という枠組みの中で多数の了承を
得たからこの秩序は正当であるといったとして、ある人は東アジアという枠組みの中でこの秩序は
多数を占めていないから、正当ではないといったとする。
あなたは同意した範囲が正当なる枠組みというけれども、そんなバカな論には乗れない場合に
同一の秩序t体系で社会を構築できうる範囲こそが枠組みだとして、それは歴史的に
そのようにしてきたことが一つの証明にはなろうけれども、新たな独立した国を想起する場合に
歴史的継続性だけではNGだろ?
で、世界のコンセンサスとして「民族自決」があって、俺はそれを是とする立場だから、民族とい
うものが人々の枠組みを構築するならば、そもそも民族は世界観・人間観を共有している(共有の
最低限のところで、むろんそれ以外に言語民俗風習伝統文化価値観の共有がありうるのだが、極めて
抑制的に控えて表現すれば、少なくとも人間観世界観の一致はあるだろうことを要素としているわけで
その共有に関しては、その人々の歴史的な事象を検証することでしか証明できないだろうよ。
疑義なく正当だと、その時々の人が認めるなどということはありえないわけで、そんなことを要素としたら
正当なる国の枠組みなど世界中に存在しない。だから、あなたのそういう夢想にはつきあいきれない。
もう一回言う。歴史的な事象の検証でしか、人間観・世界観の共有は検証できない。ご苦労様。
149 :
黒旗:2007/08/19(日) 13:41:06 ID:???
正当とは「正当だと認められることで」正当たるのだとして、
皆でないならば、じゃあ誰が正当だと認めればよいのか、誰にとっては正当性を認められず、すなわち不当であってもよいのか。
また誰にとって…という基準を導き出すならばその基準が正当たる根拠は何か。
そういうことを君に尋ねている。
俺は上記に回答する術を持たないし、
万人共通で絶対普遍の真理ってのも見つからない以上、
正当性(への疑義の不在性)とは、結局俺が述べてきたような形でしかあり得ないんじゃないかと思うけど。
>>149 いや、勝手にそう思っていればいいよ。
たとえばな、枠組みの一つの要素である領土について考えてみろよ。
竹島が日本の正当な領土であることは、どうやって説明される?歴史的な統治の実態に
よって証明が試みられ、人々に認められて正当となる。
ほら、歴史的経緯によってしか論証できないことはある。
だから、何度も言っている通り正当性を付与するのは、人類普遍の客観的正義であって人々の合意から正当性が生じるなんてことはありえない。
でなければ、ドイツという一つの枠組みの中における合意によって支持され選ばれたヒトラーの政策や体制は正当だと認めざるを得なくなる。
人類普遍の客観的正義が存在することを認めたくないという感情論(しかもそれがキリスト教的なものだからという稚拙な理由に基づいている)は分からないではないが、
それでは客観的な検証は不可能であり、永遠に堂堂巡りの議論を続ける以外にないだろう。
>竹島が日本の正当な領土であることは、どうやって説明される?歴史的な統治の実態に
>よって証明が試みられ、人々に認められて正当となる。
竹島は韓国の武力による実効支配という統治の実態を慣習化させ
それを歴史的な事実としてしまうという形で正当性の基準を作っている。
日本は建前では歴史的にわが国の領土と主張しつつも
現実的には韓国の正当な領土と認めてしまい抵抗していない。
たしかにこれは歴史的経緯によってしか論証出来ない正当たる根拠だ。
>>151 人類普遍などない…しかしそこの人々にとっての客観的な正義はある(例えばコーラン)・・・と
考えても、合意の危うさは解消できるだろ?人類普遍である必要などない。
また「客観的正義」でなくとも、「より信頼できる何か」であっても、合意の危うさにたいする抑制や
節度にはなる。だから、合意はNGという考え方は俺にしても「人々の熱狂や蒙昧による合意」の
存在を認め、それは抑制されるべきと考えているからわかるんだが、しかし、では「人類普遍の
客観的正義だ」というのは、いささか飛躍であり短絡だろう。
大体、ヒトラーもそうだが、絶対性こそが人類の悲劇の根源だろうよ。俺はそう思うんだよ。
絶対的な神の祝福のある「プロミスランドの大虐殺」、文化大革命での1000万人以上の虐殺、
飢餓輸出による餓死、十字軍、ホロコースト・・・すべて普遍の絶対性・・・つまり客観的な正義である
という「確信・・・これは主張表現宣伝ではなく確信なんだな」によってもたらされているね。
それを知ってなお「人類普遍の客観的正義=絶対的正義だよな」などを検討しようとするひとは
どこかに絶対性があると信じていて、「いくらだまされても、だまされてもついていくバカ女」並の
「客観とはほど遠い思い込み」があるとしか、俺には思えないけどね。
何らかの「拠りどころ」がないとだめなことはわかるよね。
「正しさ」であっても、もう少し へりくだって 「信頼性の高い確かさ」であっても、さらに へりくだって
「正しいか信頼できるかどうかはともかく、人々が納得できる決定」であっても、何かのガイド、スタンダード
基準などということからさらに へりくだって 「拠りどころ」程度はなけりゃ、なにも信用できない、正当性が
あるとも何とも言えない・・・つまり個人個人の内なる感情・感傷・情緒の寄り集まりというカオスに陥るよね。
最低限のギリギリの拠りどころ・・・としてまず思い浮かぶのは「常識」「良識」「良心」だろう?
絶対性を有する論理を排除し、宗教的絶対性を排除していって、最終的に残るのは、そのあたりですよ。
しかし人によって常識は異なるだろうし、良識も両親も異なる。異なるけれd歩も、そのような言葉が存在し
一定の機能をしているとするならば、「多少の違いはあれ共有されている、秩序に関する志向」はあると
考えるしかないだろうよ。
共有されていなければ常識とも良識とも人の良心とも呼べる代物ではない。
じゃぁ、この常識や良識や良心が共有されている範囲はどの範囲よ。どんなに広くとも国という範囲だろ?
で、良識や人の両親というものを支えているのは何かといえば、人間とはこのような存在である、世界は、
あるいは人の社会とは個のようなものであるという、人間観、世界観であるわけだ。
どうだい?最低限、ぎりぎりまで へりくだって、これ以上絶対性を排除できないこととして、世界観・人間
観の共有という要素を提示しているんだが…。
>>125 >前提は、人々の感覚的、あるいは情緒的な好ましさなり、良識
好ましさ、良識なんて言い方をせず、『欲望』だとハッキリ言えば良いのにさ。
『欲望』から発するから自然科学的意味での、「論理的帰結」導きだす
拠所なんてものは存在しない。欲しいから欲しいってだけだ。
誰かの欲望に従い、この欲望を最高度に充足する帰結が得られるよう、拠所や
論理を後付けすることになる。
誰かの欲望を最高度に充足する拠所や論理を、他に押し付けるには
それなりの物理的力(常に実行を伴う必要はない。また、これを支える経済力も含む)
の裏付けが必須である。
物理的力の裏付けが無い者が、話し合いだ、話し合いだと幾ら言い立てても
屁の突っ支い棒にならない。
物理的力の裏付けを持つ者は、全ては話し合いの結果ということに出来るってだけのこと。
156 :
黒旗:2007/08/19(日) 15:29:14 ID:???
>>148 つまり
君は「民族自決」を支持する、
だから民族という枠組みが正当であって欲しい、
民族という枠組みが正当に枠組みたり得る(外部との間に疑義無く境界を作り得る)要素を見つけたい、
…と、こういう意図で歴史を眺めてるんだね。
でも「始めに結論ありき」「始めに日本民族(という枠組み、独自性・ユニークさ)ありき」という思考法で、それに有利な歴史的要素を恣意的にピックアップしてるだけではない?
>>150 竹島は正当に日本の領土である…俺はそんな主張してないよ。君が「日本の領土であって欲しい」と思うのは構わないが、俺にはあの領土問題はどっちでもいい。
でもこれも君が「こうあって欲しい」という事でしかないでしょ?とりあえずは。
それから
君は民族自決を支持するというが、なら過去の周辺民族(クマソ〜アイヌ〜チョウセン)への侵略・支配・同化(文化抹殺)を何故肯定できるんだい?
「結果、疑義を持つ者が消滅せしめられたから」かい?
ならば過程での民族に対する抑圧は是となるよね。
なら現在の抑圧も未来の「同化」への過程と捉えて肯定出来るよね。
じゃあ民族自決て何なのさ?単なるご都合主義のお題目?という疑念が拭えない。
>>155 欲望だけじゃないでしょ、実際、子供をかばう親の感情を欲望というのは気が引ける。
単なるよいくだけが世界を支配し、それを可能とするためには武力が功を奏するという思考は
昔からあるが、決定的な間違いは、国ような単位になってくれば「権力者一人が武力を
掌握している」は単なる概念であって、実際は人々の一部が現実の武力をもっている点を
見逃しているところである。
武力を実際に操っている人々と、その武力を行使する対象たる人々は同じ価値観を
有している場合がほとんどなんだから所詮「武力を有した権力者の欲望の実践」という
ような把握は、「 極 め て 幼 稚 な 」フィクションなんです。
軍人は命令を必ず守るという前提は、ロボット兵団でも作らない限り、いやつくったとしても
???ですわな。
>>156 >有利な歴史的要素を恣意的にピックアップしてるだけではない?
いや、だから、君がそう思うなら、有利でない事象をピックアップして提示すればよろしい。
俺は全般を見ているといっているじゃんないか。延々と同じことを繰り返すのかよ。
>俺にはあの領土問題はどっちでもいい。
どっちでもよいとして、どちらの枠組みに入ることが正当かについて、基準を示しているだけだが。
あんたがどう思おうがどっちでもいいんだよ。現実にある枠組みについての正当性が「歴史的事象の検証」
でしか検討できないことを言っているのだが…この程度の議論にさえついてこれないか?
で、後段は何を言っているのかさっぱりわからないなぁ。おれは許容される限度内と言っているだけで、
肯定できるとまでは言っていないぜ。さらに民族が自決するといっても、ボリュームを全く考慮しない
という発想に俺はないと何度も言っているわけだが。
蒸し返しをしないでも、過去の書き込みの論旨を読めば理解できるだろうよ。
159 :
黒旗:2007/08/19(日) 15:49:20 ID:???
>>153同意。
>>154 根源的価値観(君は人間観や世界観と表現する)を共有する人々が、そこに基づき社会を形成するならば、それが望ましいことについては、君とは合意が得られると思うのだが、
現実問題として、完全なる全会一致は困難であり、歴史的にも現在も、枠組みは常に不当性すなわち正当性への疑義を含んできた。
で、俺は「過去の事については必然不可避であり仕方ないにせよ、
疑義を封殺した事実を批判的に省みて、
未来において、より望ましい、正当性への疑義の少ない社会を構築する教訓としよう」と言っている。
君は一方、「仕方ないとは必然という意味だから省みる必要は無い」と言い、「批判の余地無く、必要な合意は為されてきた、必要な納得は得られてきた」と言う。
だから、そうだとするなら、誰の納得は必要で、誰のそれは排除されて良いのかと聞いている。
>未来において、より望ましい、正当性への疑義の少ない社会を構築する教訓としよう
国の枠組みに関する話
>仕方ないとは必然という意味だから省みる必要は無い
民族の枠組みに関するの話
論点が違う
161 :
黒旗:2007/08/19(日) 16:07:14 ID:???
>>158 君にとって不利な事象というのは
「日本という枠組みが、民族に共通の(しかも枠組み内部に共通かつ、枠組み外部と比較してユニークさのある)人間観・世界観によって、ありてあるものとして疑義なく存在してきた」ことへの反例なわけだが…
例えば民族の一部が枠組みの正当性に疑義を唱えた例は「一向一揆」「国一揆」などがあるよ。
また、後に吸収される(枠組みの構成員となる)アイヌが初めからこの枠組みを「ありてあるもの、正当性に疑義の無いもの」として受け入れてきたわけでないことは幾多の抗日闘争で示されるでしょ。
君の言う日本人に特有のユニークさについて、それが特有のものでないかもしれない件についてはプロテスタントを引き合いに誰かが指摘してた。
多神教は世界に幾らも例がある。
>>159 いや、だから、どうして「完全なる一致」という要素が突然生じるのか説明がない。
疑義のない社会が好ましいなら、
>>153に同意などできるはずがない。
なにがしかの正義・正しさ・心理を追い求めれば、疑義の生じる余地はすくなくなり
君の望む「より望ましい、正当性への疑義の少ない社会」が構築できる。
>>151 枠組みの正当性に異議を唱えたとして、世界観・人間観が共有している余地はある。馬鹿か?
西南の役だって、将門のそれだって、島原の乱だって枠組みに関する疑義だ。
もっといおうか?
黒旗氏は支離滅裂だよな。
「より望ましい、正当性への疑義の少ない社会」というがそもそも「疑義のない正当性とは
絶対性のことだろうよ。絶対的に正しいから疑義なく正当である・・・といえるわけだ。(日本語)
疑義があってもなお、一定の、それもどのような決定原理かが変遷しようとも存在する
国という体の枠組みについて、決定原理や決定主体(統治機構)に疑義が生じ変遷
してもなお変遷しない外枠についての、極めて微弱で絶対性のない よりどころ としての
かすかな共有たる「人間観・世界観」さえ否定しておきながら、自身は確たる絶対性を求める・・・
・・・馬鹿じゃねー のという感じだよな。
あまりにレベルが低いんであきれ果ててしまうよ。
>>108 >日本国は独立を維持しようとしている
ヘーそうなの????
>日本という国が独立を維持し続ける積極的理由は、日本人にとって
>あるのかどうか、あるとするならなぜなのかから、きちんと論じてみろよ。
日本という国が独立を維持し続ける積極的理由はないと言うのが貴殿の意見と見たが。
>>111 >日本における近代なり近代民主主義というものが、相当に危ういういものだ
日本において近代(?)民主主義とされるものが存在したのか、あるいは今も尚
存在しているのかは極めて疑わしい。
社会制度或いは社会体制というものはどれをとっても危ういものだ。
日本の近代民主主義とされるものを名指しで特に危ういとする理由はないと思うが。
日本の天皇制が安全確実という訳でも無いだろう。
千年あまり続いた実績があるって!?
日本の天皇制は他国との間に存亡を賭けて死闘のあげく辛勝なんて経験を
持たない。国内抗争しか経験していない。そのように見える戦いもない訳では
ないが、相手の事情に助けられ辛酸を舐めずに済んでいる。
この点は世界に類を見ない幸運に助けられた国とは言えるのだが。
保持する制度によって国が継続されたのではなく、幸運によって
制度もまた助けられたというだけでしかないだろう。
166 :
黒旗:2007/08/19(日) 16:59:32 ID:???
>>162 何故全員一致の納得という話が出てくるかというと、君が「じゃあ誰が納得すればよくて、誰の合意は封殺して良いかの基準と基準の根拠」を示さないからですよー。
そして
>>153に合意出来るのは、
絶対普遍の正しさに確信がない以上、ある価値観を正しいとする合意(拠り所でもいい)に、疑義無く集まれる人が共同体を作るなら、その枠組みに内的不当性は不在である、という俺の主張と親和するから。
>>163これは151じゃなくて161へのレスだよね?
枠組みにはしばしば疑義が生じてきた。これを君がどう捉えているかと思ってね。
歴史的になにがしかの人間観や世界観が共有されてきたからといって、それを根拠に枠組みが常に「ありてあるもの」として共有されてきたと言える訳じゃない。
人間観や世界観と、枠組みの正当性は君が言うほどリンクしてない。
問題は枠組みが正当かそうでないか、であって、
人間観や世界観は君が枠組みの正当性の根拠としと持ち出したものだろ?
俺は「そういうものがあるという君の指摘は面白いと思う」だけで、それを正当性と絡めて話していない。問題は「天皇が正統性を付与する対象としての」枠組みが正当か否か、疑義が生じるか否かなんだよ…
一向一揆というのは、 宗教的自治区の維持を目的にした武力的抵抗運動 とみれば
間違いがないとおもうがどうだ?
かりに、日本国を本願寺の示す宗教的教義で統治することを望んでの武力行使ならば、
人々の中に、全体としての絶対性を排除し、他の絶対性も他の宗教エリアでは尊重する
という思想がなかったということの指摘にはなるだろうが、自治区の維持という目的なら
「自分たちのエリア領域内での絶対性は自分たちの領域内では尊重してくれ」という主張に
すぎず、それは政教分離政策としての「宗教からの武力の排除」という信長・秀吉・家康という
系譜の一貫した政策との軋轢であって、なんら、共有する人間観・世界観の軋轢でないこと
ぐらい、 ほんのちょっぴり 考えればわかることだと思うが…。
>>165 積極的に独立を維持すべく予算を使って自衛隊を置いている現実があります。
>日本という国が独立を維持し続ける積極的理由はないと言うのが貴殿の意見と見たが。
維持する積極的必要性があると私は書いています。
他も危ういということと、現在のそれが危ういということは別に矛盾は生じないと思いますし
危うい部分は違うのでしょうから、そんなことをいっても、何も言っていないことと
おなじです。(聞くに値しない)
>日本の天皇制は他国との間に存亡を賭けて死闘のあげく辛勝なんて経験を
>持たない。
冗談でしょ。w ミズキなどを構築し、また太宰府などを置き結果功を奏していますよね。
日露戦争もご存じない・・・へぇ・・・
別に俺は天皇によって国が維持されたなどと言っていないし、何らかの功績がある血統なり人が
敬意を表せられ顕彰されるべきだとしても、その成果がのちの地位に関する無条件の権原となる
ことには賛成しかねることも書いていますが。
168 :
黒旗:2007/08/19(日) 17:13:22 ID:???
>>164 俺は「絶対普遍の正しさが未だ顕在でない(不在と仮定している)」「社会は複雑系である」を前提にしてるんだけどね。(だから、俺にとってはありがたくない窃盗すらも容認せにゃならん・笑)
君は
理想と現実、理論と実現、それらを混同してるんだよね、多分。
理論は理論、何故なら現実には不確定的な要素因が複雑にあるからね。
でも、だからといって思考実験が無意味という事にはならないんだな。
169 :
黒旗:2007/08/19(日) 17:15:29 ID:???
>>164絶対性が、他人に押し付けられず、信じる人たちにとって絶対的な価値観である分には構わない、と付け加えとこう(これ重要)
>>166 前段:
だ〜か〜ら〜、だれの一致という要素ではなく、歴史的事象の検証でしか論証できない
と何度言えば分かる?
二段目:
だ〜か〜ら〜、
>常に「ありてあるもの」として共有されてきたと言える訳じゃない。
けれども、「あるものとして共有されていない」といえるわけでもないんだから、
>人間観や世界観と、枠組みの正当性は君が言うほどリンクしてない。
というためには、その具体的な人間観・世界観とかい離する歴史的事象を提示しないと
だめ。わかるよね。
171 :
黒旗:2007/08/19(日) 17:22:50 ID:???
要するに
普遍絶対の正しさが分からない以上、
各々がそれぞれの絶対的な価値観を拠り所に抑圧の無い枠組みを作ればイイじゃない、
と、分かりやすく言えばそういう事なんだが、
現実はなかなかそうはいかない。
どうしたらそんな社会が出来るかナという話だよ。
ある仮定に立つと不都合な結論(窃盗も認めなきゃならん)を導くということは、その仮定が誤っている可能性が高いと考えるのが、論理的思考というものかとw
>各々がそれぞれの絶対的な価値観を拠り所に抑圧の無い枠組みを作ればイイじゃない、
>と、分かりやすく言えばそういう事なんだが、
うん、勝手にそういう妄想的理想論を持っていて結構だから…。
政治思想を語る上では、現実的に秩序を構築できない手法など、全く考慮の外なんで
http://life8.2ch.net/yume/ あたりに書けば?あるいはチラシの裏。
>疑義があってもなお、一定の、それもどのような決定原理かが変遷しようとも存在する
国という体の枠組みについて、決定原理や決定主体(統治機構)に疑義が生じ変遷
してもなお変遷しない外枠についての、極めて微弱で絶対性のない よりどころ としての
かすかな共有たる「人間観・世界観」
具体的には何?
れが勝手に「なお変遷しない外枠」と思い込んでるだけ。
「極めて微弱で絶対性のない」のに、「よりどころ としての
かすかな共有たる」とできる根拠は?
とどのつまり、れのいう「人間観・世界観」も絶対性である。
黒旗が論拠としてることを否定しても、れの言ってることに正当性が生じるわけではない。
175 :
XYZ:2007/08/20(月) 00:02:23 ID:???
1から10まで決まった法や条例を言う、政治は危険かもしれない。
ここは政治思想板だから、いえないこともない。が、
度をこえた思想、いや、妄想はいかがなものか。
>>45 >或る統治機構なり、その枠組みに関しての正当性は、つまるところ「認められること」であり
>つまりは「同意・合意・共有共有といった」、心情的であれ、論理的であれ、理性的であれ
>「納得」の問題であるということができる。(正当性の主張は認められるために行う行為です)
誰に認められるのかい?
れは、「外部の人」「内部の人」と無条件に出しているが、「外部の人」と「内部の人」をどう区別するのが「枠組み」ではないのかい?
「枠組み」が認められるには、「枠組み」が成立していないと認められない。ところが、「枠組み」が成立するには、「枠組み」の正当性が認められないと成立しない。
認められるのと成立するのはどちらが先なのかい?
>>153 言っていることが矛盾しているよね。ていうか支離滅裂。
合意の暴走を抑止するためには「そこの人々にとっての客観的な正義」で十分だとしておきながら、
イスラムのジハードやナチスのホロコーストや日本の八紘一宇などの傍若無人は批判している(一体何を基準にこれらを批判しているのやらw)。
しかし、これらも全て「そこの人々にとっての客観的な正義」には適っているはずだ。
だが、これらが正当な行為だとは常識的にとても考えられないだろう。
つまり、実際には「そこの人々にとっての客観的な正義」では、合意の暴走など止められていないか或いはある程度は止められているとしても十分に機能しているとは到底いえないのである。
>れ
もうグズグズだなw
>最低限のギリギリの拠りどころ・・・としてまず思い浮かぶのは「常識」「良識」「良心」だろう?
れの認識程度が低いからといって、その個人的な思い込みを基準にするというのも情けなさ過ぎる。
逆に言えば「その程度しか思い浮かばないのか?」と言いたくなる。「常識」はその時々や、人々の
価値観によって異なるし「良識」や「良心」が必ず信頼に足るんどという根拠はない。中南米の人々は
>絶対性を有する論理を排除し、宗教的絶対性を排除していって、最終的に残るのは、そのあたりですよ。
スペインの征服者を「良心」を持って信頼して虐殺され滅ぼされた。そうした不確かなものは、
統治の絶対的な普遍的価値観として認められない。
統治に必要な最低限度の普遍性は、詰まるところ相互の契約的な関係性以外にあり得ない。
為政者とその被統治者とが契約関係になければ、その都度恣意的に都合良く解釈される。
そうした相互間の関係性を最も純化させ、より普遍性を持たせたのが今日の社会契約説的国家観だ。
>>174 いやだから、何の絶対性もない=すべてを相対化する・・・ことは不可能だといっているのだから
何らかのかすかであれ、絶対性という表現が適切かどうかもわからないが、何らかの価値の断定
は必要に決まっているじゃない。
>>176 すでに書いているが、民族自決というコンセンサスがある国際社会においては、その言語通り
民族の自決・・・つまり内部的な納得が先だと。(二回も書かせるなよめんどくせーな)
>>177 >だが、これらが正当な行為だとは常識的にとても考えられないだろう。
日本人としてはそうだろうね。・・・ということで、矛盾の指摘は解消されただろ?
>>178 >統治に必要な最低限度の普遍性は、詰まるところ相互の契約的な関係性以外にあり得ない。
のような断定よりは、ぐだぐだといわれ、原理原則がないといわれ、無責任体質だといわれながらも
長期的平安や飢餓のない日本社会のほうが好きなんで、
社会契約説的国家観など、糞喰らえ!ですよ。
DQNタンはもういいでしょう。
180 :
右や左の名無し様:2007/08/20(月) 09:27:15 ID:3q4fPZV2
つまり、れは話し合いによって合意に至るのが日本の独自性といいながら、相手の話には理解し合うつもりは無いんだね。
>>179 いやだから、それじゃ問題の解決にならんだろ。
>>181 いや一体何のどこの問題のことだか、それじゃわからないんだが…。(気の毒なぐらいの冷笑
>>177について、少し書いてみようか。
まず、合意の暴走阻止に十分に機能する思想(・・・何らかの絶対性を提供するそれ)の存在は
結局、合意の正常な歩みさえも阻止に十分に機能してしまうだろう・・・と推測することはできる。
こういうことを、よくよく考えれば、暴走なのかそれとも、暴走ではなく正常な歩みなのかを測る基準を
どこにおくのか問題になってしまうのだよ。・・・つまり実験的すぎることであったり、熱狂や蒙昧による
急進的な変化への抑制・節度を、平衡感覚として持つしかないだろうし、その平衡感覚は、急進的
実験的であることに対する抑制であるがゆえに、歴史であったり伝統であったり良識や常識といった
人々に共有され世代を超えて受け継がれているに事柄に対する「一定限度の評価の姿勢」で対応する
しかないと思うんだよね。
「ある論理に基づく絶対性による急進的な変化」を抑制する目的で、何らかの確実に機能する絶対性を
提供するというのは、その間の軋轢や摩擦の激化・・・時に分裂しか生まないだろう。
>>167 >宗教的自治区の維持を目的にした武力的抵抗運動 とみれば
>間違いがない
間違いだろう。自治区的存在が先にあって、そこに宗教が導入され集団を
まとめる役目を果たした。そして武力は経済であろうと宗教であろうと
それを共有する集団が自己を維持するためには必ず必要になるという証。
だから、少林寺の僧は武芸を磨くのだ。
>共有する人間観・世界観の軋轢でないこと
>ぐらい、 ほんのちょっぴり 考えればわかることだ
W)宗教や宗派を敢えて異にするのは、根本的に人間観・世界観が異なるからだと
いうこと位、 ほんのちょっぴり 考えればわかるだろうに。
幾ら話し合いだ話し合いだと、いっても相手が聞く耳と話を解する
能力を持ち合わせていなければ、ことの解決には唯一武力しかないというのが
歴史が示す事実。そして完璧な解決を望むなら相手の人員を一人残さず
殺すしかないのだということも歴史が示す事実。
>>184 一段目:いや別に「後から宗教的自治区」になったというだけのことでしょ?
二段目:いや、普通に「宗教の絶対性」はありますよ。ただそれが、借りに、その領域内で
尊重されるべきと考えていたなら「全体としては」絶対性は排除するという感覚が残ってしまって
いるんですから…つうか他力本願の思想と武力は、どう見ても結びつきませんし・・・w
完璧な解決を望まない、極力原理原則に完璧よりも、妥協譲歩を求め、けっか徹底抗戦する人は
全員殺すしかない・・・これは日本的ですよね。w
186 :
黒旗:2007/08/20(月) 15:33:55 ID:???
>>172 俺の日常生活に不都合だという事であって、
論理上の不都合があるわけではないよ。
いやいや、もともと立憲民主主義というやつは、客観的正義に抵触する民主的な意思決定は許さないが、
逆にそれに抵触しない限りでは自由な民主的意思決定を最大限尊重しようという思想に基づくシステムだから。
これが多数の暴走を抑えつつも民主的な意思決定を最大限図る上で、考えられうる最善のシステムだからこそ多くの国が採用しているんだろ。
で、各民族ごとの客観的正義では、ナチスや大東亜共栄圏の名の下における侵略を抑止できないという歴史的経験からも、
人類普遍の客観的正義が民主的意思決定の可能な範囲を確定する必要があると解する。
188 :
右や左の名無し様:2007/08/20(月) 16:19:37 ID:ild1/yjh
人類普遍の客観的正義なんて本当にあると思ってんのか?
キメェ
キモすぎ
ナチス政権は当時最も優れた憲法と呼ばれたワイマール憲法の下で誕生しました(笑)
>>187 何回も書いているんだが、人類普遍の客観的正義があるなら、それをイスラム社会にも適用しよう
としている米国の現在の行動は、その手段などは批判されるとしても、動機はまことに結構な
ことだということになるよね。
そういう考え方でいいの?
イスラム社会の人というのはコーランの教えを「絶対正義」としているね。
人類普遍であるかどうかはともあれ、絶対正義であり、従うべき戒律だよね。そう考える人が
集まって、そのような戒律に基づく秩序社会を構築しただめだということ?
ずいぶん傲慢だよね。おれは
>>188に同意だな。
つうかついでに言うと「客観性」とはいかなる概念だと思う?
イスラムの人々にとって、例えば食物に関する戒律は「理由も何にもなく」、しかし正しいと
認識され共有されているんだぜ。
どんなに理屈を並べ、科学的に証明されても、正しいのはコーランだよ、彼らにとって。
客観的:主観または主体を離れて独立に存在するさま。
客観性:客観的であること。だれもがそうだと納得できる、そのものの性質。
科学的:論理的・客観的・実証的であるさま。
論理的:論理にかなっているさま。論理を追って考えるさま。
論理:考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。
妥当性の保障・誰もが納得する・・・えーと・・・w
つまり科学的実証により、誰もがそうだと納得できることこそ、客観性があるということだろ?
科学的実証によっても納得しない人々の集団の存在は認めないのかよ。つうか複雑系である人の社会に
おいてどのようにするのが正解かを「実証できる」と確信するためには、その前提として
そもそもヒトの社会には「科学的というからには単純化された」法則が存在するという確信がなきゃ
妥当性は保証できないし、誰もが納得するわけがないだろう?
つまり、社会に関する客観的正義など、人に理性があり、社会に法則があり、人は理性によってその法則を
一定程度知ることができ、それは妥当性があると保障されている・・・そう信じる人の間でしか
認められない・保証されない、納得されない事柄だということだよ。
別に、西洋民主主義を全否定せよと言っているわけではない。全面的に信頼を置くな…と言っているのだよ。
客観的正義が論理的・実証的に導き出されたと確信するのは、まぁ、傲慢だよ。
実際に人間には、情緒や感情があるのだから、理性に基づく論理的帰結が必ずしも
人々の幸福に貢献しないだろうことは、おおよそ大人であるなら予測できる。
しかも、人類最大の宗教であった共産主義は「科学的・論理的帰結」と称していて
相当数の人々に納得され、その行方たる人の自由は保障されていると信じられていただろうよ。
人の脳内からひねり出された「論理とやら」の最大の「いかがわしさ」は、「人類普遍」という傲慢さと
単純化された科学的検証とやらが複雑系の社会であるにもかかわらず、(つまり人々の感情・情緒に
よる思惑や行動さえ変化の要素になるにもかかわらず)感情・情緒を除外して成立すると信じている
お気楽さと、人の理性に対する過大評価に満ちているんだが、これを自覚せず「正義」と言ってしまう
ことだろうな。
つまり、法律を運用解釈する建前に過ぎないのよ。法律の運用解釈には「社会通念」とか「社会正義」
等の概念が必要なんで、それを西洋民主主義の理屈で運用解釈している・・・そういう風に考えれば
すっきりするだろ・で、実感としてそうじゃない。正義などあるとさほど多くの人は信じちゃいないぜ。
>>179 >民族の自決・・・つまり内部的な納得が先だと。(二回も書かせるなよめんどくせーな)
れ、逃げるなよw
「内部」はいつ成立するんだい?
「内部」「外部」は「枠組み」が成立して区別されるものだよな。
だったら、「枠組みの正当性(れのいう「納得」)」は「枠組み」が成立したあとじゃないと認められないよな。誰が「内部」だかわからないから。
もう一度聞く。「枠組みの成立」と「枠組みの正当性」のどっちが先なのかい?
>>193 あなたねぇ、もう少しよく考えればいいと思うんですけど。
枠組みとは何かといえば、つまるところ、人々と、その人々の住む地域と、秩序でしょ?
国家の要素が国民と国土と統治機構だとすれば、その国家という枠組みの要素は
同じような要素でしょうよ。
秩序の視点から見れば、その秩序の及ぶ人々と地域だろうし
人々の視点から見れば、秩序を共有している社会自体と、その場所のことを
枠組みと呼ぶんでしょうよ。その枠組みが正当であるかどうかは、その枠組みが
維持される価値があるかどうかの問題ですから、当然に、正当な場合もあるし正当
でない場合もあるでしょう。正当性の認識とのあと先を聞いているんですか?それは
ケースバイケースでしょうね。
民族自決という場合に、その民族という枠組みが、民族の自決よりも先にあると考えても
その民族が国という枠組みを作ることが正当であるかどうかの内部的認識は
最終的には自決するかどうかが決定された時に生じるでしょうし、そもそももともとから
あった枠組みならば、それを継続すべきかどうかの検討においてはじめて正当かどうかは
検討され人々に認識されるんだと思いますしねぇ。
逆にイスラエルという国の枠組みの正当性なら、はじめに正当性ありきでしょうしね。
別に正当性など検討しなくとも枠組みは存在できる余地は相当に多いだろうよ。
人々が納得しそれが正当性のある枠組みだと認識しなくとも、枠組みは存在できる。
であるがゆえに、しかしながら、正当性が認識され主張されなければ、積極的な枠組みの維持の
論理的根拠にならず、したがって、価値がある枠組みであるならば、正当性は主張されるべきだし
事実その枠組みの正当性の主張がなかった大韓帝国などは、独立の維持ができなかったわけだ。
むろん、西欧の植民地の多くも「その枠組みの維持について積極的な理由がある」と考え主張し
行動しなかったがゆえに殖民地になってしまったという見方が東南アジア等では妥当だろうよ。
196 :
黒旗:2007/08/20(月) 23:24:26 ID:???
>>れ氏
俺は、君の言う事はある程度は分かるよ。
●全人類に共通の絶対普遍の価値観は未だ見い出せない。
●人は何らかの価値観(人間観や世界観でもよい)を共有していれば、
それ(人類普遍ではないかもしれないが、少なくともその時点のその範囲内には普遍的に共有されている価値観※)をベースに、内的に正当に(疑義無く)その範囲に共同体が生じ得る。
●当該の共同体において、その正当性の根拠(価値観、人間観や世界観)が疑義なく(その範囲内で普遍的に※※)継続しているなら、
その共同体は枠組みとして内的に正当であり続けている。
…この大まかな論旨については君と俺は合意していると思う。
ただ
※枠組みが『正当に生じる為にはその時点において』件の価値観(人間観や世界観)が『普遍的に共有されて』いなければならないか、
※※枠組みが『正当性を維持する為には』件の価値観が『普遍的に継続して共有されて』いなければならないか、
の点で異なっているのだと思うんだ。
で、この2点についてだが、君が、俺の主張のような「枠組み内部での普遍的な共有」が必要無いとするのなら、
じゃあ「どの程度の共有が為されていれば」いいとするのか、また「それでよしとする根拠」を提示して欲しいんだよ。
197 :
黒旗:2007/08/20(月) 23:41:36 ID:???
つづき
俺は、俺の言う「普遍的な共有」が現実的には非常に実現困難である事は分かっているよ。
だから俺は「理想」とか「理論上の話だ」として、現実には「様々な事情により実現していない」と認めている。
しかし、「原理としては」こう考えざるを得ないというか、「こう考えないと、論理的な整合が得られない」んじゃない?
君が、先の俺の質問に対する適切な基準(それは単に日本のケースのみに当てはまる「値」的なものじゃなく、
原理として普遍性を持つような基準の概念でなければならない…理論上の話だから)を回答するのでない限り、というつもりで質問してるんだよ。
あと、こんな話はどうでもいいけど、罵倒で無駄に文字数消費するのは勿体無いから、俺はこのスレではそういうのに乗らない事にしてる。出来れば君にもそれを期待したい…
>>190 だって君はホロコーストや文化大革命などを批判していたじゃないか。それだと、ああいう批判を行うことも傲慢だということになるはずだが。
>>191 つうか、そのイスラムのテロリストどもにしたって、一応の大義名分を用意してテロを行ったりしているわけだろ。
イスラム教徒をアメリカは殺しているから、それに対する報復だのといってね。
もちろん国際社会はそんな言い草を全く認めてはいないが、彼らテロリストにとっては人類が普遍的に共有している価値観に何とか辻褄を合わせようとしているわけだ。
靖国神社も「皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦いがありました。」なんていったりしてあの侵略戦争を正当化しようとしていたりするだろ。
連中がそういう人類共通の価値観に本当に納得しているかどうかは分からんが、少なくとも国際社会においてそういう共通の価値観があることは認めているのだろう。
アメリカなどが正義としているものを全部そのまま彼らが納得しているわけではないかもしれんが(つうか、アメリカが正義としているものが本当に人類普遍の客観的正義かどうかもそもそも疑問だが)、
彼らも共有している価値があること(例えば無闇に人を殺してはならない等)は明らかだろう。
>>192 要するに君の論は感情論だと認めるわけね。
感情に基づいて行動するのも結構だと思うが、社会において自分の感情を実現していくためには他者を説得したり、
その過程で生じる他者との対立を解決する必要があるだろうが、感情が感情のままでは他人を説得したり、他人との紛争を解決するのは至難の業かと。
一人ひとり持っている感情や価値観は異なるわけだから。
だからこそ、共通のロジックを援用することで自分の感情を実現するという方法を、市民間における紛争解決の手段として多くの国は採用しているわけだろ。
>>196 >じゃあ「どの程度の共有が為されていれば」いいとするのか、また「それでよしとする根拠」を提示して欲しいんだよ。
あなたが「人は要圧を忌避するものだ」という人間観をお持ちで、それは共有されているとして
抑圧のない社会が望ましいと考えている場合に、その暫定たる「人は抑圧を忌避するものだ」という
人間観は、どの程度に共有されていると思っているのか…という質問に回答いただければと存じます。
あなたの質問は「常識」とはどの程度の人に共有されている感覚をして常識と呼べるかという
質問と同じです。
>>198 一行目:???
>彼らテロリストにとっては人類が普遍的に共有している価値観に何とか辻褄を合わせようとしているわけだ。
違うと思うよ。イスラム教は、全人類を対象とする宗教じゃないから。
最終段:共通する感覚を常識というんだが、それをあなたは論拠としたじゃない。
>>177:だが、これらが正当な行為だとは常識的にとても考えられないだろう。
常識は純粋な感覚じゃないだろ。狼少女に常識はあったのか?
規範や正義を各人が内面化したものと見るべき。
「俺の常識はあなたの非常識だ」と考える人は「常識的にとても考えられないだろう」というような
何らかのよりどころにはしません。共有されているという前提があるから、よりどころになります。
オオカミ少女に常識がないとしたら、つまるところ感覚が共有されていないとみるべきです。
いやだから、常識は感覚じゃないだろ、といっているのだが。
ちなみに、感覚は互いに共通している部分もあるだろうが、全く相違している部分もある。
熱いとか、痛いという感覚を狼少女も持っていることは明らかだろ。
しかし、狼少女が常識を持っているかといえば、違う罠。
>>202-203 いや。だから、熱い痛いという感覚は個人の感覚。共有する感覚というのは
たとえば「政治家などうさんくさい」とか、「左翼は糞」など。(一定の人に共有されているだろうよ。)
きみ、じゃぁ、常識という言葉をどう定義するんだね。
辞書:【常識】一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。
知識や意見や判断力をセンスといいかえれば、コモンセンスは、共有されるセンスだわな。
こういう表現はさほど珍しくないんだが、慣れていないのか?
それとも「左翼は糞」・「右翼は低能」・「ネラーの90%以上が童貞」などという一部の人に共有されて
いる常識は、規範や正義に基づいているというのかえ?www
まじめな話をしないと怒られそうはので一応話すが、人は情緒によって何かを断定したり
するんですよ。
だから、まぁ、上のようなネタ話でなくとも「神仏は尊重すべし」とか「伝統は大切だ」とか
そのようなものは感覚と言って差し支えない。さらに言えば
・人の悪口は言わないほうがよい
・不吉なことは言わない
・自分のことは自分でする
・努力は報われる
・一生懸命やればいいことがある
・花はきれいだ
・夏はビールだ!
・今やネットの時代だ
・2chは糞だ
な、感覚的な言語なんだよ。いや無論、神道的怨霊信仰や言霊信仰、仏教の因果応報などに
由来していることもあるわけだが、べつにそういっている人が浸透信者・仏教徒であったりしない
場合も多いのだから、感覚といってさしつかえないだろう?
さらに続くよ。
感覚と表現している理由は「論理的検証・科学的実証」をえていないということだよ。
そのような、常識とか伝統とかいうものを「よりどころにする」ことが、必ずしも、
「論理的帰結や化学的実証とされているそれ」をよりどころにするよりも、劣っている
とは言い難い。(裁判員制度などはその例だろうね)
で、不吉なことはいわないなどは、相当に日本的だね。努力は報われるは仏教的にはおかしい
だろうし(サルの王様は井戸に落ちた月を皆で元に戻そうとして一生懸命努力したが、仏教的な
知恵がないと報われず全員死亡・・・が仏教の教訓)、自分のことは自分でするは、禅宗だろうが、
大陸や半島の儒教圏とは共有されない。(自分の座るイスの位置を自分で直したイギリス高官は
大陸の高官から卑下され席を蹴られた。)
ほら、ずいぶんとユニークじゃん、日本人の価値観は…。
さらにいえば、そのもっとも典型は【平和主義】です。
日本の平和主義は、非常にユニークです。右の頬を打たれたら左の頬を差し出すのは
キリスト教の教えですが「隣人」の場合に限定されます。隣人でないイスラム教徒の911
には、頬を差し出すどころか、ヒステリックな武力行使です。
どんなに不当なイチャモンでも、時の官房長官が証拠もないのに「ゴメンナサイ」といって
しまいますた。相手がわるい交通事故でも「ゴメンナサイ」ととりあえず言います。
あ、話は横道ですが、ごめんなさいは「御免なさい」で「免除の要請」であって、謝罪つまり
罪を認めて陳謝することとニュアンスがちがいます。「ゆるしてください」「スミマセン(この程度
では済みませんが許してください・・・という要請)」「勘弁してください」全部、免除の要請です。
御免「なさい」は要請というより命令に近いです。つまり双方極力免除することで平安を保とう
という姿勢です。
日本人同士では通用しますが、他国の人には通用しませんよね。謝罪は賠償とセットです。
無論、何度謝罪しても、当方が弱気なうちは「まだたりない」です。これは、当然に吹っかけと
値切りがせかいの常識の中で、日本は金額に正直な文化の違いでもありますし、そこにも
取引における諍いの排除という意思がはたらいています。
>>194 ようやくこっちの質問が分かったか。やれやれ、何度も同じ質問させないでね。
>民族自決という場合に、その民族という枠組みが、民族の自決よりも先にあると考えても
>その民族が国という枠組みを作ることが正当であるかどうかの内部的認識は
>最終的には自決するかどうかが決定された時に生じるでしょうし、
正当であるか認識するには「内部」という枠組みが成立してないと認識しようがない。「枠組みの成立」が先。
つまり「内部」という枠組みの成立は「枠組みを作ることが正当であるかどうか」を必要としていない。ということは「その枠組みが正当であるかどうかは、その枠組みが維持される価値があるかどうかの問題」においても必要としていないのではないか?
→「枠組みの正当性」そのものの存在意義への疑問。
> 逆にイスラエルという国の枠組みの正当性なら、はじめに正当性ありきでしょうしね。
「イスラエルという国の枠組みの正当性」は誰によって認識されるのかい?
やっぱり「正当性」は「枠組み」が成立していないと認めようがないんだよ(枠組みが国の体をなしてるかと枠組みが成立しているかは違う)。枠組みが成立していないのに、誰が認めるんだよ?
質問の意図が読めていれば「ケースバイケース」なんて答えは出てこない。
ケースを一つづつとっても、「枠組みの正当性」が先とすれば「枠組みが成立」していないと認識する主体が明確でないのだから「枠組みの正当性」は「認識」されることはありえない。
「枠組みの成立」が先ならば「枠組みの正当性」そのものが必要かどうかの疑問が湧く。「別に正当性など検討しなくとも枠組みは存在できる余地は相当に多いだろうよ。」
どのようなケースでもそうだよ。だから、どちらが先かと聞いたんだよ。
>>195 > であるがゆえに、しかしながら、正当性が認識され主張されなければ、積極的な枠組みの維持の論理的根拠にならず、
「人々が納得しそれが正当性のある枠組みだと認識しなくとも、枠組みは存在できる」のに、なぜそれだけで枠組みの維持の根拠にならないんだい?
「 であるがゆえに、しかしながら、」にかなりの論理的飛躍があるよ。一番大事なところだよ、れ。そこに対しての説明がない。
>価値がある枠組みであるならば、正当性は主張されるべきだし
それは誰が主張するのかい?
「人々が納得しそれが正当性のある枠組みだと認識しなくとも、枠組みは存在できる 」なら、その主張の正当性はどこにあるのかね?
れ、君の主張と私の主張は対極にいる。
「絶対性という表現が適切かどうかもわからないが、何らかの価値の断定
は必要に決まっているじゃない。」
私からいわせれば、れの主張する「日本人のユニーク」も「西洋キリスト教的自然法」も絶対性である。自分で認めてるかいないの差だけ。
210 :
黒旗:2007/08/22(水) 00:09:17 ID:???
>>199 回答しましょう。
「抑圧とは忌避されるべきもの」
というのは万人共通です。これは価値観ではありません。
「抑圧とは、望まざることを不当に押し付けられているという認識により生じる概念」です。
望ましい、または正当だと認識する状況は抑圧と認識されません。仮に正当だと認める状況について自身に不利な場面があっても単に「苦境」であるだけです。
(マゾヒストは鞭打たれる事を抑圧と認識せず、敬虔なムスリムに断食は抑圧でありません)
逆に言うなら「忌避すべきだから、抑圧なのです」。
これは言葉の定義とか解釈の問題であり万人共通であって、価値観ではありません。まして人間観でもありません。
価値観は「具体的に何を抑圧と感じるか」であり、これは千差万別でしょうね。
ついでに
「万人が抑圧を感じない事が好ましい」というのは価値観ですが、
俺は
「万人が抑圧を感じないならば、万人が何らの不当性も感じない、正当性に何らの疑義も存在しない」
と言ってるだけで、これも価値観じゃなく、単なる論理です。
「正当であるべき」
というのは一面で価値観かもしれませんが、これは「正当」という言葉が「そうあるべき」という意味を内包しているので価値観と呼べるか否か…
>>208 >ということは「その枠組みが正当であるかどうかは、その枠組みが維持される価値があるか
>どうかの問題」においても必要としていないのではないか?
まぁ、途中から入ってきた人だから、説明しよう。
必ずしも必要としないことに同意できる・・・というか概念的に必ず正当性が必要と言えないわけだ。
しかし、現実的に枠組みの危機が生じ、あるいは危機が生じた場合の防衛を費用と、当該内部の
人々の生命の危機をかけてまで行うという事実がある場合に「枠組みが維持される価値があるか
どうかの検討」ならびに、そういった主張というものはされる必要があるとおれは言ってきた。
> 「イスラエルという国の枠組みの正当性」は誰によって認識されるのかい?
いや普通に考えればわかると思うが、歴史的に自分たちの約束の地だという認識があれば、それが
現在イスラム教に占領されていようと(つまり統治機構を持っていなくとも)、彼らにとっては
将来の統治機構や国土は正当なものだと認識するだろうよ。ユダヤ人はそういうそもそもの枠組みが
強固なのは知っているだろ?
>>209の質問は壱段目に書いた通り。
>>201 >というのは万人共通です。これは価値観ではありません。
いや価値観ですよ。 以上議論終了。
>>211 思考分別をよくよく考えると、特に論理化されていないという意味で感覚と表現しても
さほどにムキになることではない、一般的なこういう議論で行われていることだということ。
>表面だけ謝罪の意を表したような振りをするというのは、相手を欺いているよね。
儀礼というのは一定の欺きがあるんで、そういうことにムキにならないのが日本的なんだが。w
あ、201じゃなく
>>210ね。訂正。
単純な話、人は秩序を求める・・・と、人は抑圧を忌避する・・・の序列の問題だとすでに
ずいぶん前に述べたとおりである。
秩序がある状況は、当然秩序(順序や決まり)に拘束される。殺人を犯したい人にとっては
それは抑圧である。秩序のある状況と、すべての抑圧を忌避する状況のどちらを優位とするのか
という議論がある中で、きみは秩序よりも抑圧の回避であると「価値の序列」を述べている。
にもかかわらず「「抑圧とは忌避されるべきもの」 というのは万人共通です。これは価値観ではありません。 」
等と戯けたことを言っているんだから、はっきりいって論外の外の外w
もう少し物事について考える力を養ってからにしてください。ご苦労様でした。
謝罪も儀礼として行っているから、日本人は信用されないのだろう。W
>>215 そういう話はよそでやってくれよ。
信用していないと言いつのる他国こそ、海外での礼儀や、輸出品の安全に厳しい批判が出ている
ことをよく教えてくれる人はいるから・・・w
でも、「瓶の蓋」理論とかあるし、各国とも犯罪者引き渡し条約をなかなか結んでくれないし、謝罪の意を表しているにも拘らず外国の議会で謝罪を要求する決議案が決議されたりしてる罠。w
218 :
右や左の名無し様:2007/08/22(水) 12:33:15 ID:tBdM6Fng
出雲大社の存在意義を問うても仕方がない
皇室も同様である
問われるべきは皇室の存在ではなく立憲君主制である
サヨクは天皇制と呼びウヨクは皇室制度と呼んでいる
そろいもそろって馬鹿である
日本人は総じて馬鹿なのでこう言えば驚くだろうが
立憲君主制を廃止しても
つまり共和制に移行したとしても
皇室制度を存続させることは可能なのである
そうちょうど出雲大社のように
だいたい江戸時代までの日本では君主は天皇ではなく将軍だった
天皇はしいていえばローマ教皇のような存在だった
日本人にはこんな基本的なことさえわかっていないのだ
現在の日本が立憲君主制でないのは…
>>185 >つうか他力本願の思想と武力は、どう見ても結びつきませんし
この世では、他力本願は無意味と承知しているからさ。
他力本願はあの世限定で、この世で生きるためには
人を殺すこともあろうが、それをもってあの世で地獄に落とされたくはない。
鬼や閻魔には力で打ち勝つ術もなさそうだからあの世のことは他力本願。
いはんや悪人においておや、つまり、あの世では全て救われるのだから
この世では安心して、何をやろうと自儘勝手で逝けるということ。
こんな考えは、この世の支配者達にとって大変困りものだから抹殺の筆頭対象だな。
221 :
黒旗:2007/08/22(水) 16:34:02 ID:???
>>214 「秩序による拘束が、正当なものだと認識されていれば、それは抑圧と認識されない」と言ってるんだが。
秩序だから拘束を伴う場合はあるだろう。しかし拘束される側がそれを正当であると認識するならその秩序に対する疑義は生じない、不当性は生じない、と。
で、「全ての抑圧は忌避されるべき」というのは先にも書いたが「忌避されるべきだから、抑圧なのであり」そこに何らの価値観の入る余地は無く、単に言葉の解釈があるのみである。
「拘束を伴う秩序」について、『得られる「秩序」とコストとしての「拘束」を比較して「拘束を伴う秩序」を求めるか否か』という判断には価値観が働くが…
この場合、「拘束を伴う秩序」を求める人には「拘束は正当であり抑圧ではない」。
求めない人には「拘束は不当であり抑圧である」。
>>220 為政者にとって困りものなら、なぜ存続しているんですかねぇ。w
>>221 いや、だからそんな無茶な理屈は通らない。
その社会の「すべての秩序」が正当であると認識しなくとも、人はその社会に居続けたいと
考えうる。
>>222 皆殺しは非常に困難だからさ。だから病原菌と同じで
治ったと思っていても、必ず再発するってこと。
同化したなどと油断していると、アイヌや琉球も
いつ反乱を起こすかは分からない。
>>223 皆殺しは簡単だろうよ。w 単にその宗教の存続を禁止し、改宗せねば殺すぞと
おどかせば、まぁ、時は戦国だから、島原天草の乱より容易に、皆殺しにできる。
君、日本史に関するセンスがないねぇ。
最初から、武装解除(つまり政教分離の政策)があった・・・それは信長・秀吉・家康の系譜の
一貫した姿勢であったという歴史的な史実の認識がないから、そんなバカなことが言えるのかな?
225 :
XYZ:2007/08/23(木) 16:28:06 ID:???
秀吉、家康ともにアイヌの方々と会っている。
大正天皇にいたっては、自から、北海道までいってます。
敵対するのなら、代表者自ら行けるだろうか。
226 :
黒旗:2007/08/23(木) 16:33:10 ID:???
>>222 ん?それはまた別の話でしょう?
自身に対する拘束を「正当な拘束である(不当でない=抑圧でない)」とか「正当な拘束でない(不当である=抑圧である)」と判断することと
「不当である事に従うか否か」を選択することは違うんじゃない?
「抑圧は不当性と共に認識される」
「ある秩序に伴う拘束を抑圧/非抑圧(不当/正当)と認識するのは、個人の価値観に基づく」
「人は、正当性と、不当性のもたらす何らかの利益(不利益の回避を含む)を個人の価値観に基づき比較をし、不当性を有する側を選択する場合がある」
これらは全て違う次元の議論だよ。
>>226 いや次元が違おうがなんだろうがどうでもいいから。
つうか、いい加減気づいてくれないんだろうかねぇ。
「抑圧は不当性と共に認識される」
抑圧とはなにか:不当な規制である
不当とは何か:忌避される規制である
単純に、個人がいやがれば不当な規制だ・・・なぜそのような規制はしてはならないの?
不当だから・・・不当って?・・・抑圧だから・・・抑圧って?・・・忌避される規制だから・・・
つまり、個人が嫌がっているから?・・うん・・・いや個人が嫌がっているとしても、なぜ嫌がる
規制はだめなの?・・・不当だから・・・いやだから、不当ってなに?・・・抑圧のこと・・・
抑圧ってなに・・・不当性を感じる規制・・・いやだから・・・
ひとは抑圧を嫌がる存在だから・・・抑圧ってなによ・・・不当な規制のことだよ・・・不当って
なによ・・・いやだと認識した規制・・・いや、だから、個人が嫌がる規制はなぜだめなのよ。
・・・個人は不当な規制をいやがるから・・・いや、あの、だから・・・
こういう話を君はしているんだぜ。
229 :
黒旗:2007/08/24(金) 00:21:57 ID:???
>>228 君の頭のなかでぐちゃぐちゃになっちゃった事は分かった。
ではもう一度。
★俺と君の間に議論の前提として「正当性は求められるべきである」という認識がある。(yes/no)
●正当性が必要無いなら君が「共有する人間観や世界観の存在」を主張する意味が無い。
★議論は次の2点、「天皇は正当な枠組みに正統性を付与するか」「天皇の付与する正統性には天皇の存在に要するコストに見合う以上の価値があるか」についてである。(yes/no)
★さて、天皇が「正統性」を付与する枠組みは「正当か不当か」。
●まず、「正当」とは何か?
○「絶対的普遍的正当性の存在は確認されていない」ことから「正当を直接述べる事は出来ない」。
○しかし「正当でない可能性を有する場合以外の場合は正当である」は真である。(論理)
○「正当でない可能性を有することは、正当性に疑義が生じることで認識される」。
○従って「正当性に対し、疑義が存在しなければ、それは正当でないと認識されない」。
○つまり「正当でない可能性を有する場合以外の場合とは、正当性に対し疑義の存在しない場合である」。○だから「正当性に対し疑義の存在しない場合は正当である」と言える。
…ここまでは分かる?よね?(yes/no)
230 :
黒旗:2007/08/24(金) 00:22:51 ID:???
●次に「抑圧とは何か」。
○まず「抑圧とは不当な待遇を受けたと認識した場合に、その待遇に対する認識として生じる概念である」。(解釈)
○そして「正当だと認識する待遇を抑圧とは認識しない」。
○つまり「正当性への疑義(不当性)の存否は、抑圧の存否」であり「抑圧の存否は不当性の存否である」。
○前提「正当性は求められるべき」と「正当性に対して疑義の存在する場合以外の場合、正当である」から「正当性に対する疑義の不在は求められるべき」である。
○従って「抑圧の不在は求められるべき」「抑圧は忌避されるべき」である。
(論理)
※「ある拘束を不当な抑圧だと感じても、その拘束を伴う枠組みに属したいと思う場合(
>>222)」とは要するに「場合によっては不当に与することも辞さない」という事であり、
前提「正当性は求められるべき」に反するので議論の外、全く別の次元の話である。(
>>221)
…理解できる?(yes/no)
231 :
黒旗:2007/08/24(金) 00:23:53 ID:???
●「枠組みの正当性とは何か」
○「枠組みは内部と外部を分ける」ものであり「内部と外部それぞれに対して成立するものである」
○従って「枠組みが正当であるとは、内部と外部にそれぞれ正当であることである」。
○すなわち枠組みが正当である為には「内部と外部の両方に対して、正当性に対しての疑義が不在である必要がある」。
○言い換えると「内部と外部の両方に対して、抑圧が不在でなければならない」。
○「抑圧の不在は抑圧の回避または排除により成立する」
○以下は過去ログ
>>35-37を参照されたい。理解できる?(yes/no)
●さて、正当性・抑圧・枠組みの正当性あるいは正当な枠組みとは何かが明らかになった今、「天皇が正統性を付与する枠組みは、正当であると言えるだろうか?」(yes/no)
…何箇所かにyes/noのチェックポイントを入れておいたので、個々に回答お願い。理解が得られない所を知りたいのでよろしく。
>>230-231 理解できるよ。つまり、一言でいうと「不当」とは、客観性も論理性もなく、したがって人々に
共有されない【個人的な(疑義という)感傷】であるということだろ?
>>231 懐疑と正当性は全く関係ない。
233 :
黒旗:2007/08/24(金) 10:25:54 ID:???
>>232前半
それが俺のレスの主眼ではないけど、
絶対的普遍的な(客観的な)正当が認識されないなら、客観的な不当性というのも認識できないのは道理だよね。
後半は何を言いたいのかよく分からないので詳しくお願いします。
>>233 いやだから、君の理屈からいうと
ある秩序(規制)の不当性とは、「各個人の情緒的な、規制に対する忌避感情の存在の有無」
ということだろ?
それが「どんなに馬鹿馬鹿しいこと」を言っているのかがわからないんだね。
ふつうな、正当性というのは「社会通念上また法律上、正しく道理にかなっていること」を
言うんだよ。ところがあなたは「道理も社会通念も関係ない、たんにいやだと個人が思えば
不当だ」と言っている。
人はいやなものをいやがる・・・いやがるが故に規制してはならない・・・なぜ?・・・いやがるから・・・
説明になっていない。
もともと規制とはいやがる人を強制的に従わせることであって、いやがることを従わせるがゆえに、
その、正当性が問われるんだろうよ、間抜け。
235 :
黒旗:2007/08/24(金) 16:03:04 ID:???
>>234 俺の主張は
「正当性は追求されるべき」という前提と
「絶対的普遍的な正当の存在は確認されていない」という事実の他は
「論理」があるのみだよ。
で、論理に間違いや難解な点があれば指摘して欲しい。(そのためにyes/no式のチェックポイントを置いたんだが活用してくれないようだ…)
論理に間違いがなければ、結論が正しいか、前提が誤りであるかのどちらかでしょ。
君は、前提「正当性は追究されるべき」を正しいとするなら不都合な結論でも受け入れるべきだし、
結論が間違いだとするならば、不本意だろうが前提を破棄せざるを得ないよね。
論理の間違いを指摘できず、前提は正しいが結論は気に入らないっていうのは、それこそ単なる感傷の問題で、議論に挑む態度として適切であるとは思えないが、どうか?
236 :
黒旗:2007/08/24(金) 16:10:27 ID:???
>>234 あとね、「嫌なものは嫌だから、嫌がる事をしてはいけない」と言ってるのではない。
「正当性が追究されるべきであるならば、正当性にケチのつく様な所業は為すべきでない」と言ってるの。
正当性を追究しないなら不当でもなんでもイイじゃない。抑圧もヘッタクレも関係無いよね。
>>235-236 いや、だから、正当性という言葉から勉強しなおしてくれと言っているんだが…。
何度もいうが、正当であるかの根拠が個人の情緒に由来するなら、そもそも規制に関する
正当性の議論(つまりいやがる人間を規制する正当性の議論)にならない。
何度言えば分かるんだろうね。
238 :
黒旗:2007/08/24(金) 16:40:04 ID:???
>>237 いや、だから正当であるかどうかの根拠はじゃあ何なのか、と再三聞いてるんだが。
個人の集合としての集団全体を根拠にしないのなら何に根拠を置くのか、
天皇に根拠を置くのか、聖書に置くのか、コーランか、多数派か(多数とはどの程度であれば良いか)、共有される価値観か(共有とはどの程度共有されていれば良いか)
また、それを根拠とする根拠は何か、
再三聞いてるんだが…
>>238 もういいよ。自分の理論とやらが初歩的なトートロジーであることをこれだけ説明してもわか
らない人が、自身の理屈についての瑕疵を無視して質問するなんぞは笑い話で、
回答しても理解できませんと自白しているようなものなんだから…。
240 :
黒旗:2007/08/24(金) 19:20:45 ID:???
笑い話でもなんでも回答出来るならお願いしますってば。
回答出来ないのを誤魔化して虚勢張ってる訳じゃないんでしょ?
疑う訳じゃないけど、そういう言い草して逃げを打つ輩が大勢いるからさ(笑)。
241 :
XYZ:2007/08/24(金) 22:57:39 ID:???
独裁という抑圧と、
無秩序という自由、
どちらが怖いか?
自然な状態にもどすといっても、近代に於いてはもはや、過去の歴史状態を鑑みないと、人も国も「関係」というルールのなかで、生きていくしかない。
ある程度の自由と抑圧がなければ、人間関係、社会が成り立たないのではないか。
抑圧を感じるから、自由が素晴らしく感じ、抑圧があるから、そこから抜けだそうと、人間は頑張り、成功者になれる可能性がある。
最後に、人間は機械ではないから、思想が持てるのではないか。
242 :
re蝗:2007/08/25(土) 03:04:01 ID:???
>>143 遅レスだけど、一言。
とりあえず憲法59条を読んでみてくれ。あと公布についても調べてみてちょ。
>>242 調べるのは、法律のご専門に任せる。・・・が
「第五十九条 法律案は、この憲法で特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。」
法律になることと、それが正当に有効であることは違うと思うが…。
当然違憲の法律は、有効ではないといえる。無論交付をされない、つまり周知されない法律が違憲かどうか
はさておき(つまり、法律となっても有効でない場合があるという指摘なだけ)、法治主義の基本から言えば
「第七条 一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。」がなされないとしても、少なくとも
官報「など」によって、国民に周知されない法律を有効とするわけにはいかないだろう?
法律(59条で法律となったそれという意味)が有効であるための要素は、あるだろうよ。
>>240 >>241にほぼ、同意。付け加えるなら、人々各々の価値観に基づいた自己実現は
秩序ある社会において=いやだという人にも規制が及ぶ社会において、初めて、
可能になると私は思っている。
※無論、人の価値観の中で、当該社会に中で実現不可能な者があることに同意し
したがって、その秩序の枠組み及び秩序そのものが正当であるかどうかは
検討されなければならず、かつ「全体性や心理・不変の原理」が正当性のより
どころにならないなら、したがって歴史的国民の同意、継承され共有された感覚
(特に世代を超えて共有されているそれ)の根源的な一致をもたらす、人間観・世界観に
よって、正当性は検証されるべきであると、何度も言っている。
>>212 れ、きみの主張をまとめるとこうなる。
「枠組みが”成立”する価値があるかどうか」の検討や主張は必要としない。
「枠組みが維持される価値があるかどうか」の検討や主張も必ずしも必要としない。
しかし、枠組み危機の場合「枠組みが維持される価値があるかどうかの検討」ならびに、そういった主張というものはされる必要がある。
これでは全然答えになっていないよ。なぜ必要なのか、その根拠に全然ふれていない。
私は正当性(「基準」や「整合性」、「枠組みが維持される価値があるかどうか」の検討や主張)の必要性を認めていない(対極にある)。成立に正当性が必要ないのに、維持にはなぜ必要なのか?
れ、一番大事なところだよ、れ。そこに対しての説明がない。
>歴史的に自分たちの約束の地だという認識があれば、
「自分たち」というのは「枠組み」だろ?
「枠組み」を出さないと、正当性は導きだせないんだよ。
「枠組みの成立」は「枠組みの正当性」よりも先である。(納得?)
>>245 よくわからんが、故意に読み飛ばしていない?例えば、
人間が出生するにあたって、出生する価値があるかどうか」の検討や主張は
出生時に必要としない。「その子の生命が維持される価値があるかどうか」の検討や主張も
必ずしも必要としない。
しかし、子どもたちの生命維持の危機が生じた場合、それを人々が維持しようとする場合、
あるいはそれを維持する施設を作り、また医師などを配置し経費をかけようとする場合に、
「子どもたち生命が維持される価値があるかどうかの検討」ならびに、そういった主張という
ものはされる必要がある。
設備や医師を、防衛軍や軍人の配置に置き換えれば当然にwかるだろうよ。
ついでだが、ある枠組みを有してそれを国として構築し、その国民の財産生命を守りまた、
その国の人々が自己の実現を可能な社会とするためには「秩序」が必要である。
そしてその秩序が「国家権力の部慮kなどの物理的力による強制力」をして人々を従わせ
るのであるから、まぁ、誰でもわかるとおり、その国家権力についての正当性は求められる。
仮に、それが「人類にとっての真理や絶対性や普遍の原理」に基づくならば、別に枠組みの
正当性は積極的には問われない余地もあろうが、原理原則や建前を他数・あるいは全員が
受け入れたというなら、他数あるいは全員たる分母が正当性を持たなければならないだろうよ。
つまり、近代立憲主義や近代民主主義を我が国が受け入れたということを、憲法の正当性の
一つの要素とするならば、受け入れたかどうかの判断基準たる分母の正当性は、当然主張される
必要があるだろうよ。(これも前スレからこのスレぐらいでさんざんに言っている)
つづき
「人類普遍」であるがゆえに「枠組みの正当性が積極的に検討されない余地」というのは
つまるところ「暫定的枠組みであり、最終的には世界統一を目指している枠組み」のばあいである。
そうでない限り、「同じ人間」を国民と外国人に分別し、違う扱いをする(例えば参政権がちがう
だろうし、在留に関し問題があれば強制送還するという扱いの違い)のだから、そういったことが
許されるためには、
人類の中から一定範囲の人々を分別し、一つの枠組みとする正当性
は当然に説明されなければならないだろうよ。
でだ、
或る人が、日本人であるかどうかは、その人の過去にさかのぼらなければわからない。
それは竹島が日本領土であるとの主張が、過去の統治機構との関係をよりどころに
しなければならないことと同じである。
タン的にいえばw、歴史を無視して枠組みの正当性は語ることができない。
無論、それがどこまで遡ってしかるべきかは、その国による。そしてその要素は、
統治機構の継続性と、当然に無関係ではない。例えば日本の場合、ポツダム宣言により
憲法の改正の景気が生じたとしても、そのポツダム宣言が有効な根拠は、明治政府の
ポツダム宣言受諾にあるのだから、統治機構の断絶は生じていない。
無論明治憲法と発布前後の断絶もない。明治維新が古き良き臣民と天皇の関係性への復古
という革命だと評価するならば、統治機構の正統性付与を天皇が行ってきたのだから
国の枠組みが断絶しているわけもない。
249 :
黒旗:2007/08/25(土) 16:21:04 ID:???
>>241>>244 俺は
秩序が時に規制を伴う事も踏まえた上で、秩序が必要無いとは言ってないよ。
ただ、どのような規制であれば「正当性に対する疑義が生じないか」すなわち「どのような規制ならば抑圧と認識されないか」を検討してるわけです。
れ氏の様に
「正当性は追求されるべき」という前提に立ち、なおかつ「正当とは誰にとって正当であれば、誰にとっては不当であって構わないのかという基準を提示しない」なら
(一切の正当性への疑義の不在は追求されるべきである、が故に)結論は俺の言う様にならざるを得ないでしょ。
特になぜ氏が(こちらの再三の要求にも関わらず)この「正当性の認識主体を限定する基準と、その基準を採用する根拠」を示さないのかは理解に苦しむ。
(枠組み内部で共有される人間観や世界観、というのは、
それが枠組み内部で普遍的に万人に共有されていないのなら「誰の共有は、何故得られていなくて構わないか」という選択基準や基準採用の根拠と共に語られなければ意味を為さない。)
>>238の繰り返しになるが、そこに十分な回答をすることさえ出来れば、氏の論は不足無く前提の上に成立すると思うんだ。頼むよ。
政党氏の様に「正当性など不要である」というならまた別の話だが。
>>249 いや、だから、「規制の正当性」とは「個々個人としては意に沿わないのに規制が存在する
正当性」のことだから、君のように「個人が抑圧と感じれば不当な抑圧である」と考えても
それは「規制や秩序の正当性」と全く関係ないから…。
秩序「つまりある個人にとっては意に沿わない=不当な抑圧であると感じる」にもかかわらず
正当な規制であるとする要件は、君にとって何なのか回答しろよ。
>秩序が時に規制を伴う事も踏まえた上で、秩序が必要無いとは言ってないよ。
>ただ、どのような規制であれば「正当性に対する疑義が生じないか」すなわち「どのような
>規制ならば抑圧と認識されないか」を検討してるわけです。
つまり、意に沿わぬ規制は不当であるといっているのだから、規制という言葉の使い方が間違っ
ているか正当性という言葉の使い方が間違っているか、あるいはその両方だろうよ。
規制とは意に沿わぬ・・・つまり個々個人が不当な抑圧と感じた場合でも制約される代物だし、
正当性とは「意に添わず抑圧と感じる人々にも規制が適用される正当性のことだよ。
もうわかっただろう?
つうか、まぁ、もう、これでわからなければ放っておこう。(黒旗氏)
整理して書いておく。
国が、人々の行動を規制し、また分別し外国人と異なる権利義務を認めていることについて
その正当性はどこにあるか、また自衛軍を持ち国税から予算を使って国防を行う(国防とは
結局国民と領土を守り独立を維持するという意味で統治機構を守る振る舞いであり、一言で
いえば枠組みを守るふるまいである。)正当性はどこにあるのかということである。
近代民主主義とされていて、かつ平和主義の日本国憲法が存在し、その憲法の限度内でしか
日本国民は抑圧されない(されるべきではない・・・という意味において国家に対する抑制であ
もあろう)が、人類的普遍性を持つ「正義・原理・真実」を、正当性のよりどころとするなら、それは
なぜ、日本という枠組みのみに適用させてしかるべきなのかという疑問が生じる。
逆に「正義・原理・真実(本来の人や社会に関する考察)」というもの(あるいはその存在)に一定の
疑義を持っていて、それは全人類的ではないと考える人にとって、ではなぜ現憲法が正当である
といえるかといえば、結局多数の国民が憲法を受け入れたが故であるというしかないだろう。
いずれにしても、「枠組み」自体の正当性は問われなければならないし、受け入れたという主張の
場合に「受け入れていない世代にまでその制限が及ぶ」のであるから、その理由も必要だろう。
ともあれ、その枠組みが価値を有するという結論を得ない限り、正当性など主張できるわけ
もなく、しかもその維持は世代を超えてのものであるから、世代を超えて維持される価値ということに
ならなければ、そもそも矛盾してしまう。。
つづき
まず世代を超えて制限が継続されるのであるし、それが正当であるとするには、全人類的
という表現が必ず未来の人々をも含む必要があるし、全人類的正義や心理というものを懐疑す
るとして、正当性にその人々の総意・同意を要素とする場合には、その同意した時点の人々と
未来の国民が一定の同一性を持つと考えねば、矛盾だろう。
単純にいえば現憲法成立の時にその意思を表示した国民と、我々世代の国民と、また次世代の
国民は一定の同一性を持っていると考えない限り「変えてはならない部分(人権など)」を持つ憲法
を同意し、また引き渡され、引き渡すことはできない。
また当然に、枠組みとは歴史的な産物であり、その憲法制定にしても改正にしても、社会をよりよくして
未来に引き継ごうとするふるまいの一環に違いない。(未来を考えない基本法改正はないだろう)
むろん、たとえばw 岬一郎が出てきて日本人の価値観が転換したり、あるいは外道皇帝の存在が
明らかになり人間の本質理解が変わったなどがあれば、そこからが新たな歴史であるとしてもよい。
それにしても、新たな歴史といえるかどうかは、歴史的に共有された価値観の共有が変わろうとも
共有主体の変更がないなら、その枠組みそのものは維持されているとみるしかないだろう。
ともあれ、歴史的な検証をせずして、枠組みの正当性は検証できないし、その検証は、維持すべき
価値のある、共有される人間観・世界観に基づく変わらない価値観の検証だろうよ。
253 :
XYZ:2007/08/25(土) 22:23:29 ID:???
初めまして黒旗氏。
さて、ここでいう正当性とは、皇室の存在意義と解釈して、私が勝手に書きたい。
歴史があれば、それにかかわった人間が存在し、何度も検証を繰り返し、結果、後世につたわれてきた。
つまり、古くから今日にいたるまで、存在することは、十分検証を経てきているので、正当という発想。
とりあいず、正当についてはここまで。
255 :
黒旗:2007/08/26(日) 10:35:25 ID:???
>>253 えーと、
まず、このスレのタイトルから分かるように、議論の発端は「皇室(天皇)の存在意義は何なのか」ということでありました。
れ氏の主張は
「天皇には、枠組み(国家体制とか、国土とか、国民とか、統治機構とか、その維持に関わる法律やら武力やら治安維持機構やらも含めて)に【正統性】を付与する意義がある」
というものでした。
俺は「【正統性】とは詰まるところ歴史的な継続性であるならば、確かに天皇は歴代の統治機構に【正統性】を付与してきたという側面はあるかもしれない」
という仮定のもと、2つの問題提起をしたんです。
まず「天皇が【正統性】を付与する枠組みとは【正当】なものか」
(【正当】でないものに【正統性】を付与する、【正当】でないものの存在を補強する、ならば天皇の存在は反動的なものであり、
ひいては天皇自身の存在も【正当】であり得ないということになりますが、
とりあえずここでは枠組みの【正当性】を検証しています。)
次に「天皇が【正当】な枠組みに対して【正統性】を付与するとして、その【正統性】は皇室(天皇)を維持するコストに対して見合うだけの効果を有するか」
の2点であります。
この議論では【正当性】とは枠組みのそれを指しています。
>れ氏の主張は
>「天皇には、枠組み(国家体制とか、国土とか、国民とか、統治機構とか、その維持に関わる法律やら
>武力やら治安維持機構やらも含めて)に【正統性】を付与する意義がある」
俺は統治機構の正統性を付与する立場・地位であるといっているだけで、意義があるとは言っていないし
国土や国民に関する正統性は付与できるはずもない。
いい加減なことを書くなよ。
>>255 お前本当に理解力がないなぁ。
俺の主張は、天皇の地位・立場については、歴史的に
1、天皇は統治機構の正当性を付与する地位である。
2、天皇は皆の決定を皆の決定として表現する地位である。
以上だ。
ある決定が正当かどうかは、その決定が正当な手順によっているかが重要で、日本の場合に
おいてはその中に「人々の合意」が存在するかどうかが最も重要な要素・除外できない要素
である。(除外できない要素をして本質という・・・日本語の勉強)
法律などの正統性など、考慮するに値しない。(法律の変更は常に実験的であるからだ。
258 :
黒旗:2007/08/26(日) 13:06:37 ID:???
>>250 不当を正当と言い換えようとしてるのは君だけだよ。
(「正当な抑圧とは何か」だって?ならば君は「正当とは誰にとっての正当であれば、誰にとっての不当であって構わないのか」に回答せねばならない、と再々度書いておこう。)
俺は君の様に、不当性を有するものを正当化しようとしていない。
俺は不当は不当(抑圧は抑圧)であり「正当性を追求」するならば抑圧は排されねばならず、その上で秩序を保つには(規制が抑圧とならない為には)いかなる社会形態が求められるのかを提示しているんだよ。
259 :
黒旗:2007/08/26(日) 13:08:07 ID:???
で、ある秩序に伴う全ての規制が、抑圧でない、すなわち個々人の意向に一切反すことのない、その様な秩序(不当性の存在しない秩序)とはいかなる場合に(枠組みの形態のもとに)成立するものか、これについては
>>35-37で回答済み。
「内的には案件について全員一致が為され、かつ一致を得ない場合に離脱の自由が完全に保証されており、外的には一致する範囲での干渉と一致しない範囲での不干渉の区分が完全に為されている場合」においてである。
「枠組みは全員一致が可能な程度に小さくなければならず、容易に構築・解体・再構築が為される柔軟性を有しておらねばならず、適用される案件に限定した機能を有するに留まるものが重層的に存在せねばならない。」
「人は目的ごとに、その目的に沿った枠組みを自由に構築あるいは選択または放棄し、それらを目的ごとに多重に保持する結果として、多重の構造をもって社会的に関わりを持つ様な社会の形態のもとで抑圧無き秩序を形成し得る」
260 :
黒旗:2007/08/26(日) 13:19:38 ID:???
>>256-257 統治機構が統治する対象である国土や国民の範囲を限定する枠組みそのものにまで考えを及ぼさず、統治機構だけを切り離して考えられないでしょうが。
統治機構に正統性を付与する以上、その統治関係自体にも正統性を付与するわけで、
その対象に「彼は統治されるべき存在である」という規定をすることにも正統性を付与することになる、とまで説明しなければ理解出来ないとは、ね…
>>258-259 放置。あふぉの暴論につきあうとこは私には不可能。
>>260 頭が悪すぎるので、簡単にいってやる。俺は無関係だとは言っていない。
しかしながら、枠組み(すなわち統治機構と人々と地域)の正当性と、統治機構の「正統性付与」
は同次元ではない。正しく続いているから必ずしも正統であるわけもなく、逆もしかり。
枠組みの正当性は人々の共有する価値観とその根源である共有される人間観・世界観の共有
が根拠であり、日本の場合、その価値観の大転換がない限り「合意という要素」によって統治者は
選定され、皆の合意を表現する天皇がそれを表現していることから言って、その共有するそれの
存在を天皇は象徴しているのみである。そのような関係性だが理解できるとは思っていないから
レスは結構。
※人がいっていないことを勝手に俺の主張として述べるなよ。そういう低次元の態度の香具師に
ロクな論者はいない。コピーして引用、いやそれ以前にレス番を指定すればよいことである。
訂正:正しく続いているから必ずしも正当であるわけもなく、逆もしかり。
263 :
黒旗:2007/08/26(日) 16:12:43 ID:???
>>261つまり論破されたと認めると理解して構わないということだよね。
ご苦労様でした。
いやあなた俺の質問や指摘を一切無視しているじゃない。
まぁ、論破したという自覚があるなら、それはそれでめでたいことだし、俺は今どき
「論破」なんて言う気恥しくも滑稽な概念に拘泥していないから、お好きにどうぞ。
とりあえず、論破したことに自信があるなら、人の言っていないことを(理解不足とは言え)
書かないようにしてくれればそれで結構ですー。別に俺に依存しなくとも議論はできるだろうから
どんどん進めてくださいな。www
265 :
黒旗:2007/08/26(日) 17:47:39 ID:???
君が理解出来るかどうかは別として俺は君の質問に答えてきたし、質問にきちんと回答しないのは君じゃないのさ。
(質問)
秩序「つまりある個人にとっては意に沿わない=不当な抑圧であると感じる」にもかかわらず
正当な規制であるとする要件は、君にとって何なのか回答しろよ。 (
>>250)
(指摘)
つまり、意に沿わぬ規制は不当であるといっているのだから、規制という言葉の使い方が間違っ
ているか正当性という言葉の使い方が間違っているか、あるいはその両方だろうよ。 (
>>250)
(俺の回答)
枠組み(すなわち統治機構と人々と地域)の正当性と、統治機構の「正統性付与」
は同次元ではない。正しく続いているから必ずしも正統であるわけもなく、逆もしかり。
枠組みの正当性は人々の共有する価値観とその根源である共有される人間観・世界観の共有
が根拠であり、日本の場合、その価値観の大転換がない限り「合意という要素」によって統治者は
選定され、皆の合意を表現する天皇がそれを表現していることから言って、その共有するそれの
存在を天皇は象徴しているのみである。(
>>261)
(俺の回答)
タン的にいえばw、歴史を無視して枠組みの正当性は語ることができない。 (詳細
>>240)
>>241にほぼ、同意。付け加えるなら、人々各々の価値観に基づいた自己実現は
秩序ある社会において=いやだという人にも規制が及ぶ社会において、初めて、
可能になると私は思っている。
※無論、人の価値観の中で、当該社会に中で実現不可能な者があることに同意し
したがって、その秩序の枠組み及び秩序そのものが正当であるかどうかは
検討されなければならず、かつ「全体性や心理・不変の原理」が正当性のより
どころにならないなら、したがって歴史的国民の同意、継承され共有された感覚
(特に世代を超えて共有されているそれ)の根源的な一致をもたらす、人間観・世界観に
よって、正当性は検証されるべきであると、何度も言っている。 (
>>244)
これでわからないなら、どこがわからないかを質問しなきゃ・・・w質問できる程度にも理解でき
ないなら、それはそれで・・・というか、俺はそう判断した。
268 :
XYZ:2007/08/26(日) 20:52:26 ID:???
また、勝手に書く。
日本には「伝統を重視しなければならない」という、古い法の哲学も、教本もない。が、生活感覚で、伝統的な旧家への敬意や、老舗の権威などの背景に古い法があることは理解できるだろうか。
ところが、「過去より現在のほうが優れている」などという思想があるらしい。
科学技術なら、たしかにその通りかもしれない。
だが、思想もそうだ。とは言い切れるだろうか。
伝統は生活感覚です。
そうせざるえない、どうしてもそうしたくなってしまうのが伝統。
>>268 >だが、思想もそうだ。とは言い切れるだろうか。
言い切れないとしても、伝統や常識は実験的な改革・急進的改革に対する抑制と節度の拠り所と
しかならない。
日本の右翼思想の最大の欠点は、そこから一歩も進まず、進もうとすればそもそも伝統や常識と
かけ離れた皇国史観等に基づいてしまうところにある。
つまり、日本の伝統や常識の根源たる部分はどこにあるのか…という考察に基づく、維持すべき
価値があることの証明がなされない限り、節度や抑制の拠り所程度であるということです。
まぁ、そのことさえも理解できず、伝統とかそのような、世代を超えて引きつだれたものへの敬意さえ
ないものが多いにしても、それだけでいいのか…という気もする今日この頃です。
>>266 >人々の共有する価値観
>皆の合意
人々トカ、皆トカ言うが貴方が想定している人々や皆の範囲はどこまでなのかな。
歴史を振り返るに、現在言われるところの国民というものではなさそうだ。
では今は国民と言われるものかと言えば今もまた国民と言われるもの自身ではない。
結局のところ、人々や皆は国民と称される者の内の一握りイヤ一抓みの者共でしかない。
モットも一抓みの中身は最近は大分変って来てはいるようだが。
大多数を占める庶民にとっては、自ら進んで共有した訳でも合意したものでもないって
ことだけは確かだ。
>>271 もう何度も回答しているんで…。
つか、そんな突っ込みは意味がないのよ。全員一致じゃない限り納得しないでしょ?
あなたのような議論をする人において…。
人々が共有しているという歴史的事象をして、我々の拠り所とするか、あるいは、なにがしかの
絶対性をよりどころにするか以外に、なにか、できうる限りの人々の価値観の多様性を尊重しながら
しかしながら、正当な価値観と不当な(つまり殺人や窃盗を是としたり、あるいはオウムのような、
あるいは諸々のひとびとの「正当な価値観」を阻害する価値観を排除する基準など、できようはずも
ない。
しかしながら、残念なことに、国とは一定の価値観を是としなければ機能しない。
(平和主義などはその典型だろうし、人権の尊重や法の下の平等もそうだろうよ)
事実1000年以上の時を超えて、「話し合いを大切にしよう」とか「神仏を大切に」「自分のことは自
分でする」「一生懸命やればよいことがある」「人の悪口や不吉なことは言わない」などの感覚が
常識として共有されている事実に目を向けようよ。
俺がいっている共有とは、そのような根源的なものの共有であって、天皇を国の元首にしようとか
これからは徳川で行こう・朱子学で行こうとかそういうことに関する共有ではないのだよ。
合意は無論関係者の合意だから、江戸幕府に関する合意に庶民は当時無関係だろう。それは
時代の限界であって、いっても仕方がないことだしね。
274 :
黒旗:2007/08/27(月) 22:50:37 ID:???
>>266 もう何度目になるだろう、君の質問に回答し、こちらの質問をなげかけるのは…(質問への回答)
「ある個人にとっては不当な抑圧となるような規制を【正当であるとする】要件は何か」を求めているのはきみであって、俺ではない。
俺は「不当性を有するものを【正当化しない】立場であり、従って正当化の詭弁の代わりに、不当性を【正当化しないですむ】ような社会形態を提示している。すなわち抑圧が不在である社会を。」
(君の正当化の論理が詭弁にならないためには後述の質問に回答する必要がある)
(指摘への指摘)
君は自主規制とか自律という言葉を知らないかい?
人は自身が望ましい、或いは正当だと感ずる規制を抑圧とは感じない。
抑圧と規制は同義ではないし、常に共立するのでもない。
ある規制を不当だと認識した場合に抑圧が認識されるんだよ。
例示して欲しいかい?
275 :
黒旗:2007/08/27(月) 22:58:13 ID:???
(質問)
「ある枠組みなり規制について、その正当性に疑義が生じる場合、いかにしてその不当性を正当化できるというのか?」(俺にはそのような術があり得るとは思えない、故に「正当化しなければならないような不当性が、そもそも存在し得ない社会形態」を提示している)
あるいは「枠組みなり規制の正当性に疑義の生じる場合、誰(何)にとって正当ならば誰にとって不当であっても構わないのか、また構わないとする根拠は何か」
(共有する人間観や世界観をそれにあてるのなら、共有とは誰にとって共有されていれば、誰にとっては共有されていなくとも正当性の根拠たり得るのか、またそれは何故か)
では回答頼むよ。
話を広げずそらさず、まずはこちらの質問に的確に答えてくれ。
こちらの質問している事だけに明確な回答をまず提示してくれ。
その後で話を広げるなり転換するなり展開するなりしてくれよ。
じゃあよろしく。
276 :
黒旗:2007/08/27(月) 23:19:18 ID:???
(
>>266の君の回答への再々々…度の質問)
>枠組みの正当性は人々の共有する価値観とその根源である共有される人間観・世界観の共有がその根拠であり
だから、「誰が共有していれば誰は共有していなくても構わないのか、それは何故か」に対して回答を…
>>274 一段目:はっきりいえばよい。「個々個人が納得しない規制は不当である」と・・・。
そういうことだろ?
二段目:
>ある規制を不当だと認識した場合に抑圧が認識されるんだよ。
いやだから、トートロジー^・・・理解できないから痛ましい。
避けるべき抑圧とは・・・不当な規制と感じた時に抑圧と認識される。
不当な規制とは・・・抑圧を感じる規制である。・・・バカボンのパパだよ、何度言わせるんだ?
俺が間抜けと言っているのはここなんだよ。・・・つまり、正当・不当の言葉の使い方が間違っている。
ついでにいうが自主規制が個人で行われるということはありうるが、それは社会的規制ではないので
個人の自制というほうが妥当である。(つまり自主規制で完結する場合は、社会的な規制ではない)
社会的自主規制(例えば放送禁止用語など)は、人が望まなくとも 規制されうる。その正当性は
当然問われるだろうよ。
>>275 >「ある枠組みなり規制について、その正当性に疑義が生じる場合、いかにしてその不当性を
>正当化できるというのか?」(
「疑義が生じても不当とはいえない」から、設問が成立しない。
>だから、「誰が共有していれば誰は共有していなくても構わないのか、それは何故か」に対して回答を…
歴史的にその枠組みに所属している人々の多く。(歴史的事象でしか検証できないそれは当然に
そのように回答するしかない)。何故かといえば、それが感覚の共有の正体だから。
ここで黒旗氏に質問しよう。
日本では歴史的に「不吉なことは言わないほうがよい」という常識があるね。
常識というからには、社会として共有されている感覚といってよいわけだが、
これが常識であること・・・つまり「社会として共有されている」は、一体
誰に共有されていれば言えるのでしょうか…。
(おれは、回答は無理だと思うんだが、先方様は回答可能だと判断して俺に質問したのだろうから
回答を求めてみる。)
>>246 わからないなら、どこがわからないのか指摘して下さいよ。
例えを換えても私の質問の答えにはなっていない。きみの主張をまとめるとこうなる
>「人間が出生するにあたって、出生する価値があるかどうか」の検討や主張は
出生時に必要としない。」
「「その子の生命が維持される価値があるかどうか」の検討や主張も必ずしも必要としない。」
なのに、
>「しかし、子どもたちの生命維持の危機が生じた場合、それを人々が維持しようとする場合、
あるいはそれを維持する施設を作り、また医師などを配置し経費をかけようとする場合に、
「子どもたち生命が維持される価値があるかどうかの検討」ならびに、そういった主張というものはされる必要がある。」
「検討や主張が必ずしも必要ない」としながら「主張というものはされる必要がある」というからには、必要であるという根拠がなくては回答にはならないよ。
なぜ、危機が生じた場合にそういった主張がされる必要があるのかい?
「 であるがゆえに、しかしながら、」にかなりの論理的飛躍があるよ。一番大事なところだよ、れ。そこに対しての説明がない。(
>>209)
同じ質問だよ。まだ分からないかい?
>まぁ、誰でもわかるとおり、その国家権力についての正当性は求められる。
私はそうは思わないよ(正当性を認めていない)。「秩序が「国家権力の部慮kなどの物理的力による強制力」をして人々を従わせるのである」なら、そこに正当性がなくても強制してしまえば秩序は成立する。れも、危機が生じた場合以外はそれを認めてるよね。
「基準」「整合性」「正当性」・・・れは当然あるものだと思っている節があるが、その根拠の提示が一切無い。
以下、
>>280に回答してくれた場合のみ、レスしてくれ。
>原理原則や建前を他数・あるいは全員が受け入れたというなら、他数あるいは全員たる分母が正当性を持たなければならないだろうよ。
これがれのいう日本の価値観だよな。
それが日本という枠組みにおいて正当であるという根拠は?
>受け入れたかどうかの判断基準たる分母の正当性は、当然主張される必要があるだろうよ。
「当然」であるためにはその根拠がないと、れの勝手な思い込みということになる。
>>246 >人類の中から一定範囲の人々を分別し、一つの枠組みとする正当性は当然に説明されなければならないだろうよ。
ちょっと待て。
「「枠組みの成立」は「枠組みの正当性」よりも先である。(納得?)」
納得していないならそう言えよ。
納得してるなら、枠組みは正当性よりも先に成立するのだから、成立してることを証明すれば、正当性は必要ない。
>>247 >それは竹島が日本領土であるとの主張が、過去の統治機構との関係をよりどころにしなければならないことと同じである。
現在の統治機構が(秩序と同じように)「国家権力の部慮kなどの物理的力による強制力」をして従わせていれば、そんな主張は必要ない。
竹島や北方領土はそれができないから、歴史に正当性を求めているだけ。ところが、現在=過去だから過去が正当性を持つのであって、現在≠過去の場合、必ずしも過去が正当性を持たない。
現在、日本は、部慮kなどの物理的力による強制力をして従わせていない。それが事実である。半世紀もの間放置したツケは大きい。外交がド下手では済まされないんだよ。だから由々しき問題なんだろ。
>タン的にいえばw、歴史を無視して枠組みの正当性は語ることができない。
「現在」もやがて「過去」になる。れの主張は相手側の根拠にもなるんだよ。
>統治機構の正統性付与を天皇が行ってきたのだから国の枠組みが断絶しているわけもない。
私も断絶したとは思っていない。問題は、
「天皇制を廃止したら、正統性は付与されないのだから、日本という枠組みは断絶することになるのか?」
これがスレに即したテーマになるだろうが、
>>280にまずは答えてくれ。
れのいう正当性の根拠は?当然とか当たり前では説明になっていないからね。
黒旗とのやりとりは読んでいない。彼とも考え方が違うから論点がどうも違う。
283 :
黒旗:2007/08/28(火) 23:13:42 ID:???
トートロジーって…君がそう誤読してるだけじゃん。
俺は「抑圧という認識は不当な規制のもとに生じる」そしてその言い換えが「不当な規制は抑圧を生じせしめる」と言ってるだけで、
言い換えなんだから、一方が他方の理由となるような性質のものではないし、そんな主張はしていない。
で「ある規制を抑圧だと認識するのは、その規制が不当であるという認識に基づく」として
「じゃあ不当とは何にとって(何に対して)不当なのか」という問題には
(これも過去に何度か繰り返したが)
「絶対的普遍的な価値観(正当性)の存在を想定しないならば、価値観とは相対的なものであるとせねばならない」のであり
「価値観が相対的なものならば、正当性は客観的なものでなく主観的なものであるはずで、
正当/不当とは主観に基づくものである」
つまり「不当であるとは主体にとって(主観に対して)不当なのだ」という回答しか得られない。(これが不当の理由であり、君の指摘するトートロジーはただの誤読。)
繰り返すが【絶対的普遍的な正当性を想定しないならば、正当/不当の判断は個人の主観的な価値観に基づかざるを得ない】
284 :
黒旗:2007/08/28(火) 23:14:52 ID:???
すると「正当性が客観性を得られるのは、それを正当であると認識する主観的な価値観が関係者間に共有されている場合である」ということになる。
「ある範囲の全ての認識主体にとってその正当性に疑義が存在しなければ(全員一致なら)、その範囲においてそれは正当であると認識される」のは自明であるが
(これをもって俺は「枠組みの正当性に疑義の存在しない社会」の条件としている)
「正当性に疑義が存在してもなお、それが正当であることは自明ではない」
従って「正当性に疑義が存在しているにも関わらず、正当を主張するためには説明が必要」となる。
だから再三「誰にとって正当であれば、何故誰かにとって不当であってもその不当性は考慮される必要が無く、正当であると出来るのか」を聞いてきた。
君はようやく「多くの人にとって正当であれば、他の人にとって不当であっても構わない」という回答を出したわけだが
「何故構わないのか」には未回答だ。
また「多く、とはどの程度多ければよいのかの基準、またその基準を採用する根拠」が提示されていない。
引き続き回答を待つ。
285 :
黒旗:2007/08/28(火) 23:39:32 ID:???
>>278 正当性に対して疑義が生じるのは、対象の不当性を払拭出来ない場合である。
正当性に疑いのあるものを正当化するには説明が必要である。
俺は「疑義が生じれば、必ず不当である」とは言ってない。
「払拭出来ない不当性が存在し、正当性に疑いのあるものを正当とは主張出来ない」と言っている。
そして前提として「正当性は追求されるべき」とするなら、「不当性を払拭出来ない、正当性を主張出来ないものは回避または排除すべきである」ということ。
>>279 金言「あんたの常識、非常識」
常識とは共有出来ない相手には通用しない。
共有できるから、共有する者の間で常識として通用する。
例示して欲しい?
共有が為されている範囲のみで、ある認識が常識として通用するように、
共有が為されている範囲のみで、ある規制は抑圧を伴わない。
共有されない範囲で、ある認識が非常識であるように、
共有されない範囲で、ある規制は不当な抑圧である。
(回答)
「社会として『不吉なことは云々』という常識が共有されている」という曖昧な言い方は議論向きでない。
「社会の一部(多寡を述べるならば基準の明示が必要)で『不吉なことは云々』という常識が共有されている」と言うべき。
286 :
黒旗:2007/08/28(火) 23:49:50 ID:???
「絶対的普遍的な正当性を想定せず」
「正当性は追求されるべき」ならば
俺の論を取らざるを得ないのよ。
「絶対的普遍的な正当性を想定せず」
「正当性も考慮しない」政党氏の立場か、
「絶対的普遍的な正当性を想定する」宗教的信仰を持つ立場でない限りね。
287 :
黒旗:2007/08/29(水) 00:17:26 ID:???
>>280 え?自然がなぜ生じたかは検討されなくとも、自然を保護すべき状況になれば
当然保護すべき・・・つまり可知があるかどうかが検討される…という理屈がわからない?
発生時、枠組みにせよ子供にせよ自然にせよ、そういったものに維持すべき価値があるかどうかは
検討されなくとも、コスト(人の労力なども含めた)が、維持に必要な場合には、当然コストに見合う
価値があるかどうか検討されるのは当然ジャマイカ。
>正当性がなくても強制してしまえば秩序は成立する。
だからこそ、正当でない強制が生じる余地があり、したがって、正当性の主張は、逆に
強制の限界を提示してくれるのよ。
> これがれのいう日本の価値観だよな。
ちがうお。仮に○○であるならば…と言っているのがわからないのかね。
「何かしらの正しさ・正義・真理」か「人々の(それが全員であろうとも多数であろうとも)合意」以外に
秩序の正当性のよりどころはないということの説明。
きみさぁ、秩序の正当性と枠組みの正当性は違うんだよ。混同しているなら整理して考えてよ。
> 「当然」であるためにはその根拠がないと、れの勝手な思い込みということになる。
さて、「300人が賛成しました。」これが「多数あるいは全員である」と認定するためには
「当然」分母がいくつかが提示され、「分母であることについて間違いない」という主張がされないと
他数あるいは全員であるという認定に疑義をはさむ人に説明できないと「当然に」思うが…。w
> 「「枠組みの成立」は「枠組みの正当性」よりも先である。(納得?)」
> 納得していないならそう言えよ。
そういっているだろうよ、ユダヤのような特殊な状況でなければ、そうだと…。
> 現在の統治機構が(秩序と同じように)「国家権力の部慮kなどの物理的力による
>強制力」をして従わせていれば、そんな主張は必要ない。
竹島の領有権に関してそういっているとすれば、それは外国に統治機構の強制力は
及ばないわけだが。
> 「天皇制を廃止したら、正統性は付与されないのだから、日本という枠組みは断絶する
>ことになるのか?」
何度も書いている通り、断絶するとは限らない。(廃止の仕方による)
枠組みの正当性と統治機構の正統性は、必ずしも一致しない。(足利幕府-国王-冊封)
>>283-286 一段目:言い換えなら、
「抑圧という認識は不当な規制のもとに生じる」 「「不当な規制は抑圧を生じせしめる」・・・
何をして「不当な規則」という質問の回答が必要。
その回答が、「個人が主観的に抑圧と感じる」なら、だれがどう見ても、
完 璧 な ト ー ト ロ ジ ー 。
>正当性に対して疑義が生じるのは、対象の不当性を払拭出来ない場合である。
正当性・不当性に関する言葉の使い方が間違っています。
>常識とは共有出来ない相手には通用しない。
そのことと常識が存在することは、全く矛盾しません。回答できない?
ある常識や価値観が存在することにさえ目を背けるなら論外。
以上、御苦労さまでした。俺はさじを投げたので、できればXYZ氏と議論を続けたらよかろうと思う。
れタンを、論破したんだからそれで「もういいでしょう」よ。(冷笑
>>273 >1000年以上の時を超えて、「話し合いを大切にしよう」とか「神仏を大切に」「自分のことは自
>分でする」「一生懸命やればよいことがある」「人の悪口や不吉なことは言わない」などの感覚が
>常識として共有されている事実
そんな常識は存在しない。
そして、そう云われるのは、これらの何れもが何一つとして守られてはいないからだ。
それに日本の専売ってものでもないな。
「話し合いを大切にしよう」:談合の世界、他に回すな、美味い汁は仲間内だけで。
「神仏を大切に」:これで喰っている奴がゴマンといるし、怪しい奴ほど神仏に肩入れしているよな。
「自分のことは自分でする」:人の面倒なんか誰が見るか。美味いところは独り占め、手を出すなよ。
「一生懸命やればよいことがある」:能無しはそう念じて孫子の代まで搾取されてろ。
「人の悪口や不吉なことは言わない」:何をやろうと俺の勝手だ、口出しするなよ。
>人は賢愚併せ持つ存在である。誰が聖人か賢者か愚者かを誰もわかることができない。
でも、横綱は聖人君子でなければならないんだろ?w
聖人君子なんて言葉は、糞思想である中華思想のそれですよ、えぇ。
>>294 整合性を図ろうとしている=違いがある・・・なんの違いなの?すべて解消できるの?
単に国際社会との関係性についての調整でしょ?
調整が必要・・・おれは全く同感だねぇ。日本ももうすこし、伝統的な価値観との調整を
すべきだよ、 「西洋キリスト教圏の民主主義マンセー」 じゃなく…。
整合性を図る≠調整
調整というのは複数の価値体系が対等であるという前提に立つが、
整合性を図るというのは一方の価値が正当であって他方の価値はその正当なる価値に矛盾抵触しないように折り合いを付ける場合によっては改変することもある、ということだろ。
実際、「イスラームの教えの解釈の適用変更によって改善すべき」という主張もあるのだから。
297 :
黒旗:2007/08/29(水) 15:57:49 ID:???
>>290トートロジーの理解が間違っています。
正当性という言葉の理解が恣意的過ぎです。
常識が存在することから目を背けていませんがね。
単に、社会の一部で共有される認識は、その共有する人々にとって常識であるに過ぎない、と言ってるのをどう解釈したらそんな発言が生まれるのか…
例えば「刺青は反社会的行為」という認識を共有し、常識と捉えている人々が存在することは知っている、という知識と
それはその共通認識を持つ人々にとって常識であるに過ぎない、という事実は矛盾しないし関係無い。
質問に回答出来ずサジ投げるしかないなら、いい加減無理な理屈にこだわるのやめたら?
>>296 実際、「イスラームの教えの解釈の適用変更によって改善すべき」というは
正当性はイスラムの教えにあるという前提で、解釈を変えるということなんだが…。
国際社会における基準などとの摩擦や軋轢、あるいは相克がある、それと折り合いを
つける動機が生じたが、正当性はイスラムの教えにある・・・と考えているわけだろうね。
つまり解釈の実が間違っている余地があると…。
正当性をイスラムにおきながらの解釈の変更は、整合性を取るのではなく、調整ということでしょ?
整合性を図ろうとしている=違いがある・・・なんの違いなの?すべて解消できるの?
まぁ実際は、整合を取るのではなく、単に国際社会との関係性についての調整でしょ?
>>297 社会に存在することと、それを全員が共有していないことは矛盾しません。
そのうえで、そういう常識や感覚が存在し「社会として共有されている事実」こpそが
社会的圧力となって、その常識を共有しない人への抑圧となるんじゃないんですかねぇ。
とするならば、そのような常識が存在することを前提に考えないと、あなたにとっては矛盾し
ます。関係ないという態度は抑圧を排除したいあなたにとって矛盾そのものですよ。
社会として共有している常識などを存在を認識するならば、その認識の基準を
示せると思うんですが、まぁ、もう支離滅裂でしょうからいいですよ。
>>298 いや、イスラムの教えそのものは正当(なはず)だが、そういう「普遍的絶対的な正当性」と矛盾抵触するような解釈は正当ではなかったということだろう。
イスラムの教えそのものは「普遍的絶対的な正当性」そのものであるはずだから、その解釈の結果が「普遍的絶対的な正当性」と矛盾抵触するようなものになっていてはいけないから。
>>300 イスラム教を国教とする国においての「普遍的絶対的な正当性」はイスラム教ですよ。w
日本のように宗教が、「ある場面場所を支配するふるまいに関する秩序」だと思ったら
大間違いですよ。特にイスラム教やユダヤ教は、その教義が、社会生活そのものを支配する
んですから…。(あなたが示したウィキでもわかると思いますよ。
建前としては・・・とは書いてはあるが、解釈も建前ですから。(建前って重要ですよね、
「普遍的絶対的な正当性」なんて概念は建前そのものですから…。w)
302 :
黒旗:2007/08/29(水) 23:10:55 ID:???
>>299 社会に存在する…社会のどこにどのように存在しているのかは、何故考慮しなくてよいの?
社会の一部に存在するのか、全体に存在するのか(ある認識を、一部の人々が共有しているのか、全員が共有しているのか)は考慮しなくてよいなら、その理由を。
例えば「不吉な事は口にすべきでない」とか
「不吉だとかいう神がかりな発想はとるに足らない」とか
「世の中金だよ、結局」とか
「いや、金より大切なものはあるはず」とか
「コーランの教えに従う事が正しく生きるということなのさ」とか
「あの世なんてありません」とか
「犯罪はバレなければ犯罪ではない」とか
「いや神様は見ています」という認識がそれぞれある程度の人々の間で常識として存在するのは事実として、
全体が共有するのでなく(全員一致でなく)一部が共有する認識を、
「社会として共有されている事実」などと、社会全体の常識であるかの様に述べるには説明が不足していますが。
そんな事実は存在せず、「一部にのみ共有されている認識を、非共有の領域にまで強要する事実」こそが抑圧を生じせしめているんだと言っている。
303 :
黒旗:2007/08/29(水) 23:20:20 ID:???
>>299 常識と言おうが共有する人間観・世界観と言おうが同じ。
(質問)
何を根拠に、一部にのみ共有されているものを、枠組みが共有していると言い換える事が出来るの?
(誰が共有していれば、誰が共有していなくてもその非共有を考慮する必要が無いの?またそれは何故?
共有者数の多寡を述べるならその基準を示して?また基準を示さないなら何に対して多寡を述べるのか示して?)
結局、君はこの点から逃げてばかりじゃないのさ。
回答は?
>>301 そう。イスラム教徒にとってコーランは「普遍的絶対的な正当性」そのものでなければならない。
だからこそ、普遍的絶対的な価値と考えられているものがコーランから由来させられないといけないということになる。
「解釈の変更をすべき」とか、「イスラームは本来人権を尊重する教えである」といった話もそういう問題意識から出てきているのであろう。
建前というか、本来遵守されるべき規範或いは本来尊重されるべき価値というべきだろうね。
現実的には必ずしも遵守されていない或いは尊重されていない場合もあるから、そういう意味では建前と類似しているといえないこともないだろうが。
>「社会として共有されている事実」などと、社会全体の常識であるかの様に述べるには説明が
>不足していますが。
いや、あなたが「社会の常識でない」というなら、おなじことで、社会の常識でないことを
どういう基準で判定しているのか述べればよいこと。
いや、無論社会常識がひとを抑圧するのだから考慮しないとするならば、それはそれで
結構である。であるならば、「抑圧はいけない」というそれは
「いったい誰に共有されている、何なのか」をせつめいしようよ。
>>304 >普遍的絶対的な価値と考えられているもの
それはあなたや、西欧基督教圏のひとにおいて「考えられている」だけです。
ん?そうするとイスラム教徒は、正しくもない、普遍的価値でもないものだが、ただ国際社会との関係維持のためだけに、それに合わせるように自分たちの信仰内容を変節させていると?
それも随分イスラム教徒に対して失礼な話だよねえ。
>>306 >正しくもない、普遍的価値でもないものだが、ただ国際社会との関係維持のためだけに、
>それに合わせるように自分たちの信仰内容を変節させていると?
正しくなければ調整不可能だと思うよ。「解釈の調整」と「信仰の変節」はずいぶんと違う概念
だよね。
例えばですね、ユダヤ教もキリスト教も、信仰から言えば利息を取って金を貸すことは戒律違反
なんですよ。そのようなことから、投資と配当は、金貸しと利息ではないというような解釈が
現在の株式の制度などを「発達させた」わけですが、ユダヤ教は「全人類」を対象とせず、したがって
異教徒に金を貸し利息を取ってもOKだったわけです。(ユダヤの商人でわかりますし、金融みおいて
ユダヤ人が力を握っているということの理由もそれです。)
さて、イスラム教も「全人類がイスラム教徒になるべし」とは思っていませんね。キリスト教は
全人類対象ですが…。したがって「異教徒との関係」に関しては戒律的に解釈調整の余地が
多いわけです。そのような意味合いですから…。
よろしかったら、少し宗教についてもう少し理解を深めてみてください。
>>301 >日本のように宗教が、「ある場面場所を支配するふるまいに関する秩序」
『ある場面場所を支配』したい者に都合の良い『秩序』を選択するということ。
>建前って重要ですよね、
>「普遍的絶対的な正当性」なんて概念は建前そのものですから
『人間観・世界観を共有している』とするのも一つの建て前。
しかも『ある場面場所』しか支配出来ない秩序で、秩序同士全体を統合する秩序を
持たないのだから、誰かに都合が良いようにその場その場を支配しようということになる。
結果として、全体としては何を言っているのか、何を言いたいのか
誰にも全く理解不能の体たらくとなる。
309 :
黒旗:2007/08/30(木) 23:19:55 ID:???
>>305 あのさ、俺の言ってるのは「社会の全員がある認識を共有している」ならばその認識を「社会の常識」と言うに差し支えは無い。
が、「社会の一部だけに何らかの常識が共有されている」という事実があったとして、「なぜそれが社会(全体の)常識として共有されている」ことになるのか、理由を示してくれ、という事だよ。
「一部の人が共有している認識を、理由も無く社会の常識と言い換える」事が出来るなら、
「日本に生まれた以上、人は生まれながらに陛下の臣民であり、陛下に心血一命を捧げる事が無上の喜びでなければならない」という認識も常識と言い換えられるよね。
「ある認識を共有している集団においてのみ、当の認識は常識として通用する」わけで、
上記の極論でなくとも例えば日本国内でも
>>302で俺が例示したような「常識」が様々に存在する。
ではそれらの(時に相入れない)常識の、どれを如何なる理由で「社会の常識」とやらにするのか(試しに
>>302の例で答えてみてくれよ)、
「誰に共有される常識(人間観・世界観、正当性、価値観)は【社会の】それであり、誰には共有されていなくとも構わないのか?また構わないとする根拠は?」
さあ頼むよ。
>>288 >ノという理屈がわからない?
理屈を聞いてるんじゃないよ。理由をきいてるんだよ。根拠をね。
なぜ「保護すべき・・・つまり可知があるかどうか」が当然に検討されるんだい?
「検討される」のが正当であるという根拠は?
検討されないと「自然を保護すべき状況」という判断はつかないよね。発生時に検討されないものが、なぜ当然に検討され、それが正当といえるのかい?
>だからこそ、正当でない強制が生じる余地があり、したがって、正当性の主張は、逆に強制の限界を提示してくれるのよ。
正当性の主張が、正当でない強制に対してどう対抗できるのかい?
正当であろうとなかろうと、強制は生じるんだよ。不当としたところで「強制の限界」を超えたところでそれが何になるのかい?
>きみさぁ、秩序の正当性と枠組みの正当性は違うんだよ。混同しているなら整理して考えてよ。
「正当性」を認めていないのに、そんなこと言われてもw
>「当然」分母がいくつかが提示され、「分母であることについて間違いない」という主張がされないと、
だったら、分母の正当性を主張してみてよ。私はそれができないといっている。
>>289 > そういっているだろうよ、ユダヤのような特殊な状況でなければ、そうだとノ。
「納得してるなら、枠組みは正当性よりも先に成立するのだから、成立してることを証明すれば、正当性は必要ない。」
「正当性」がなぜ必要なのかい? 正当性が必要である根拠は?
>竹島の領有権に関してそういっているとすれば、それは外国に統治機構の強制力は
及ばないわけだが。
竹島が外国ってことだね。
311 :
黒旗:2007/08/30(木) 23:25:33 ID:???
ちなみに君の言う「あなたが「社会の常識でない」というなら、おなじことで、社会の常識でないことをどういう基準で判定しているのか」には
(回答)
「基準も何も、事実として社会の一部でしか共有されていないなら、社会の一部にとって常識であるに止まらざるを得ない。」
(そのようにして様々な認識を常識として共有する様々な集団があちこちに存在することは知っているしその存在を否定などしてないよ、俺は。)
「総意でないものを社会の総意であると言い換えるには理由が必要だが、言い換えもせず、判定というより寧ろ、事実を事実として把握する事に特段の理由も基準も必要無い。」
>>307 また関係のない話を長々としているようだが。
>「解釈の調整」と「信仰の変節」はずいぶんと違う概念だよね。
経典の解釈結果が信者にとっての信仰すべき内容になるのだから、解釈の変更は信仰の変節を意味するだろうよ。
>>309 あのさぁ、社会としての常識というものが存在していると思うか、存在していないと思うか
まず答えよう。まず存在の認識は君にあるのかね。
俺は別に、社会としての常識・・・あぁこれは常識だなぁと共有されている常識・・・が存在していると
思うよ。で、常識というのは共有されている感覚のことであるとおれは定義している。
無論、社会として共有されている常識もあれば、家庭内だけで共有されているものもある。
社会として共有されているかどうかは、その社会の減少事象によって証明される。むろん、頑なな
かんかくもあれば、頑なではない感覚もある。
不吉なことを言わないほうがよい…という感覚は、4・9という番号を付けないという、旅館やパチン
コ店の事象や、統計的に避けられる番号である事実で示すことができるし、忌ことばという文化でも
証明できると思うが…。
>>310 >なぜ「保護すべき・・・つまり可知があるかどうか」が当然に検討されるんだい?
コストをかけるに、理由を必要とするからだと思うが…。
> 正当性の主張が、正当でない強制に対してどう対抗できるのかい?
正当性の主張が、正当でない強制に対してどう対抗できると俺は言っていないが…。
>だったら、分母の正当性を主張してみてよ。私はそれができないといっている。
できなきゃよりどころがなくなるだけの話。
>竹島が外国ってことだね。
そう主張する外国があるというだけのこと。
>>311 社会の総意であるかどうかの判断基準は?全員一致なら、常に人は気が変わるから、
実際にはそんなものは存在しないことになるぜ。
>>312 >経典の解釈結果が信者にとっての信仰すべき内容になるのだから、解釈の変更は信仰の変節を
>意味するだろうよ。
違うでしょ。信仰の変更ではなく、解釈の変更によるふるまいの変更にすぎない。
>黒旗氏
「抑圧はいけない」というそれは「いったい誰に共有されている、何なのか」を説明しようよ。
>>314 違うだろ。「解釈の変更をすべき」なんだから、単なる振舞いの変更に留まるものではない。
また、「イスラームは本来人権を尊重する教えである」というのも、信仰している内容そのものに関わる問題だ。
しかも、君の理解では、
>イスラム教やユダヤ教は、その教義が、社会生活そのものを支配するんですから…。
なんだよね?
そういう理解に立てば、振舞いも教義そのものの反映になるはずだが。
>違うだろ。「解釈の変更をすべき」なんだから、単なる振舞いの変更に留まるものではない。
意味がわからないが、信仰とは、心象的ふるまいを含めた「ふるまい」のことなのだから
解釈が変更されれば、当然に振る舞いが変更されるわけだが。
>、「イスラームは本来人権を尊重する教えである」
個の言論の根拠がよくわからないが…。人権概念をイスラム社会取り入れt零るという評価は
それはイスラムの社会の人の評価…ではないと思うが…。違うというならソースを出してくれ。
で、おれの見る限り「異教徒との接触に関する教義的解釈」にもとづく異教徒との接触に関する
ふるまいの変更がなされている形跡はあるが、そもそもイスラム教徒自身の社会生活における
人権尊重という思想に基づく、戒律の解釈変更などされていないと思うよ。
>>314 >コストをかけるに、理由を必要とするからだと思うがノ。
「防衛費や生命」というコストをかけるに、「枠組みが維持される価値がある」という理由が必要。
「医療施設を作り、また医師などを配置する経費」というコストをかけるに、「子供生命の維持」という理由が必要。
「自然を保護する」コストをかけるのに、「自然を保護すべき状況」という理由が必要。
逆(苦笑)。
>正当性の主張が、正当でない強制に対してどう対抗できると俺は言っていないがノ。
じゃ、「強制の限界」を提示して、それが何になるんだい?
>できなきゃよりどころがなくなるだけの話。
だ〜か〜ら〜、分母の正当性を主張してみてよ。
私が主張できないとする理由は「枠組みの成立」は「枠組みの正当性」よりも先だからである。分母も正当性よりも先に成立してる。正当性がなくても成立してるのに、正当性は主張できない(正当性の正当性がそこにはない)。
>そう主張する外国があるというだけのこと。
だから?
れ、きみは、「統治機構の強制力」よりも「歴史」の正当性を立証しなきゃならないんだよ。わかってる?
319 :
黒旗:2007/09/01(土) 03:51:04 ID:???
>>313『「常識」という言葉に対して「アンタの常識ヒジョーシキ」と返されること』が常識という事実についてどう考える?
というのはあながち冗談でもないが、
「社会としての常識というものが存在していると思うかどうか」という君の問いについて、
「常識とは、共有するもの(主体)にとって、常なる認識」であるから
「社会の常識」を考えるとなると、
その場合の「共有する主体つまり【社会】とは何者なのかを規定しなきゃならん」よね。
君の言う「社会」とは何?
「社会全体、例外無く構成員の全員」なの?
そうでなく「社会に存在する一部」なの?
まずそれに答えてくれ。
これは君の質問自体の不備だから、これに回答が無ければ君の質問に回答出来ない。
尚、当然「社会の一部」をして「社会」とするには、それなりの理由が要求される。
「社会」と枠で囲った「それ自体」でなく(枠組み内部全員に共有される認識をして、社会の常識とするに疑義は無いよ)、
「その一部」を「社会」と呼ぶなら、その一部のみを選択し、他を除外する根拠は何かを示す必要がある。
あと、楽しみにしてるんだからこちらの質問
>>302の例の中で、どれがどんな理由で日本という社会の常識であるか、示してくれない?
>>318 うん、逆でも同じだから…。あのね、理由がそのコストの範囲や限界を決定づけるのよ。
肉を買うにコストがかかる(肉を買うためにはコストがかかるからその理由を検討する)
理由:家庭ですき焼きを食いたい気分で、それに家族も同意したから。
コストの範囲と限界:家族分という限界とすき焼き肉という範囲が限定される。
>じゃ、「強制の限界」を提示して、それが何になるんだい?
正当性の共有が、その強制力の限界と範囲を維持できるから。(主張は共有のために
行われるから主張だけじゃ対抗できっこないに決まっていると思うが…。)
> だ〜か〜ら〜、分母の正当性を主張してみてよ。
なにの分母?
>きみは、「統治機構の強制力」よりも「歴史」の正当性を立証しなきゃならないんだよ。わかってる?
歴史的事象の提示によって正当性を主張するのが領土問題だと思うが…。
「歴史の正当性」なんて日本語になっていないだろうよ。
>>319 >「常識とは、共有するもの(主体)にとって、常なる認識」であるから
俺は共有されるセンスだといっている。違う定義をするなら、君とおれの間に常識という
言葉について共有がされていないんだから、議論の始まりにおいてそういってくれ。
「抑圧はいけない」というそれは「いったい誰に共有されている、何なのか」を説明しようよ。
(三回目)
322 :
黒旗:2007/09/01(土) 10:25:32 ID:???
>>321 常識とは共有されるものにとって常なるセンスである、と言い換えてもいいよ。
認識をもたらすセンス(感覚)という意味ならね。
三回目だろうがなんだろうが、こちらの質問に先に答えてくれよ。(何十回目?)
「共有とは、誰によって共有されていれば、誰によっては共有されていなくて構わないの?また構わないとする根拠は何?」
論点を増やして話が錯綜したりウヤムヤにされたくないんで。この質問に十分な回答が得られたら、君の質問に回答しようと思っているよ。
>>322 >「共有とは、誰によって共有されていれば、誰によっては共有されていなくて構わないの?
>また構わないとする根拠は何?」
社会において共有されていると言判断できる要素は「誰であるか」ではないのよ・・・と
何度も言葉を返し点を返説明していると思うが。
タン的に君の質問に答えるとするならば、社会において共有されているとするためには
社会の人々によって共有されていればよく、社会の外の人に共有されていなくとも
構わないということだね。ニヤリ
324 :
黒旗:2007/09/01(土) 11:21:31 ID:???
>>323 対象が、ある枠組み内部で共有されているか否かを考察するにあたり、対象が外部で共有されているか否かは考慮する必要を得ないと思うよ。
それはそうと、一応君の質問にも回答しとくよ。(親切?)ただしこちらの議論は後回しにして、先に「誰によって共有されていればよいか」の議論を詰めたい。
回答を見れば分かるけど、君からの質問にも関わることだから。
325 :
黒旗:2007/09/01(土) 11:22:07 ID:???
(君の質問)抑圧はいけないというのは誰に共有されているか
(回答)
共有というか、
1、「枠組みの正当性の追求」という前提から得られる「枠組みの正当性への疑義の不在の追求」と
2、「絶対的普遍的な正当性の不在」という仮定から得られる「正当/不当は主体の主観に基づく」ということ、
3、「抑圧とは抑圧を認識する主体にとっては不当である(不当だと認識される規制が抑圧を生む)」という言語解釈、
4、そして、「共有とは誰により共有されているならば、誰によっては共有されていなくても構わないのか、また構わないとする根拠は何か」
の規定をしないならば、「枠組みの一部をもって枠組みそのものを語る事は出来ない」という道理
(枠組み内部全体で例外なく共有されている状態をして、その共有物に「枠組みの○○」と規定する事に疑義は生じないが、
一部の共有物(認識・感覚・正当性・人間観や世界観…)を全体のものとするには説明が必要だと何度となく言ってきた)
からの【論理的な帰結】だよ。
『枠組み内部で例外なく(4)個々の主体に対しての(2)不当である抑圧(3)の不在の追求(1)』という帰結ね。
前提、仮定、言語解釈、道理から当然に導きだされる結論であり、共有されているか否かではない。
>>325 >3、「抑圧とは抑圧を認識する主体にとっては不当である(不当だと認識される規制が抑圧を生む)」という言語解釈、
俺はこの言語解釈を共有していない。
>【論理的な帰結】だよ。
トートロジーを論理的帰結とは呼ばない。
>前提、仮定、言語解釈、道理から当然に導きだされる結論であり、共有されているか否かではない。
俺はこの結論を結論としてみなさないし、そのような結論からなにがしかの制度が変更されるとしたら
俺は抑圧を感じるが…。w
あなたはある絶対性・・・つまりなにがしかの論理的帰結をよりどころにしているという
ことを自白していながら、、「絶対的普遍的な正当性の不在」を前提としていることに
気づきましょうよ。
しかしまぁ、恥ずかしくもなく「絶対的普遍的な正当性の不在」と「論理的帰結という絶対性の存在」
を同時にかけるものだと、あきれ果てて、冷笑どころが失笑だな。www
なにがしかの絶対性とは論理的帰結を含むに決まっているだろうよ。
何度も言っている通り、西洋民主主義という論理的帰結は「西洋キリスト教圏の人々が
培ってきた「人間観・世界観」によれば、論理的帰結だが、「理性そのものに懐疑する人々」
や「普遍的な法(則)の存在を懐疑する人々」にとっては、論理的帰結でも何でもないわけだ。
無論、共産主義も科学的・論理的帰結として提示されそれを進行する人にとっては論理的
帰結であろうし、イスラム教徒にとってはコーランの教えはどうりであり真理であるのだから、そ
のコーランの解釈は論理的帰結である。(黒旗氏のそれも(思考の深さは比べるべくもないが)
彼にとって論理的帰結だろうさ)
それに対して「論理的帰結」なるなにがしかの絶対性を懐疑するという「我が国の人々ノ奥が
歴史的に共有する特徴的な感覚」からすれば、人々が常識として共有していたり、伝統として
残されたものに一定の拠り所を見出スことが必要だと、俺は言っている。
社会が共有しているとみることのできるそのような価値観は極めて限定的である。
べつに、誰かが常識だと感じていても、それが常識かどうかは、事象の検討以外にはできないだろうし
当然、裁判における社会通念などと同様に、事象の検討から社会的共有の有無が検討され
る以外に、その存在は証明はできないが、明らかに存在するということは事実でもある。
329 :
黒旗:2007/09/01(土) 14:14:36 ID:???
>>327-328 よくも恥ずかし気も無く「失笑」などと書けるものだと冷笑。
あのね、君は前提として「絶対的普遍的な正当性は存在しない」という絶対性を仮定してるんだろ?
その自分の事は棚上げかい?
前提として「コーランが正しい」と仮定したり
「ヤハウェ」だなんだをそれに置いたりするのと同じで、
この前提に立つなら、こういう帰結になりますよ、という筋道を俺は示しているんだよ。
君が前述1から4を受け入れるなら結論はこうなりますよ、と。
それは「コーランを絶対とする」仮定に立つなら結論はこうなる、とかと同位であり、
あくまで仮定から導き出される結論はこうである、というに過ぎないんだよ。
前提で不在を仮定した「絶対的普遍的な正当性」と
「前提条件設定(仮定)から論理的に導き出される論理的正当性(論理的唯一性、ある仮定にたつなら結果はこうである)」とを
「混 同 し て い ま す」
平たく言えば、「何を正しい(絶対的価値観)と仮定するかには選択肢はあるとして、選択された仮定から正しく(論理的に整合して)導き出される結論は、選択肢ごとに決まっていく」
のであり、「正しい」という言葉の多義性に惑わされてます。
こうなると滅茶苦茶ですよ、アナタ。
>あのね、君は前提として「絶対的普遍的な正当性は存在しない」という絶対性を仮定してるんだろ?
はぁ?俺そんなことは言っていないよ。存在するかどうかわからないといっているだけだが…。
君本当に読解力がないねぇ。
>この前提に立つなら、こういう帰結になりますよ、という筋道を俺は示しているんだよ。
いやだから、トートロジーはkrつ論とは呼べないから…。w
黒旗氏
あのね、君ほど粗雑でない思考をするとだね、絶対などという代物を懐疑するということと
ないと断言することには天地ほどの開きがあるのよ。
人として従うべき規範や法があるかどうか・・・といえば、例えば全人類的に「ある種の人殺し」
は今しむべき行為とされているだろうよ。また、家族というものについての大切さとか、子供を
育み保護することの大切さなども、まぁ、ある意味全人類的なきはんといってよいだろう?
可といって、すべての規範について全人類的に普遍のものがあるかといえば違うのだから
従って、その線引きというものが求められるという前提があるんだよ、俺には。
西洋キリスト教圏で発生した近代民主主義も、仮に人類普遍であるならば「人類は皆兄弟・世界統一政府」
にはなろうけれども、それでも地域ごとなど一定範囲ごとに異なる規範の部分は認めてしかるべきだとも思う。
おれはその因果線引きのラインが、相当程度に低いだろうといっているわけだ。
極めて基礎的なこととして「人類共通とする規範の存在」を認めてかまわないだろうよ・・・と俺は言って
いるのよ。しかし、一方地域のt歴史伝統というものもあるわけで、前スレなどでいっている通り
「私的領域に押し込める価値観」は、もっと狭くて結構だろうといっている。
人である以上何らかの共通性があると考え、かつ、ユニークなる民族などの集合体の価値観の共通性
もあると考えている極めて妥当な感覚なんだが、そういう理解もできないのかね。
332 :
黒旗:2007/09/01(土) 15:52:25 ID:???
ごめん
>>326読み飛ばしてしまった…
では、
>>325の3に代わる解釈を提示してくれないか?(何度も言うがこれはトートロジーじゃない。
単に言語解釈、定義とその言い換えだから片方が他方の理由となるような論理関係ではない。君が勝手にそう理解つーか誤解してるだけ。)
>>330「存在するかわからないから存在しないと仮定する」立場にたって論を進めるんだろ?
とりあえず「絶対的普遍的価値観は存在しないという仮定を」前提に置く(議論において前提を置くとは、その議論の上での絶対的なものを仮定するという意味だろうに)んだろ?
>>328 共産主義者の論理的帰結も、ムスリムの論理的帰結も、俺の帰結も、前提から結論に至るまでの論理的な整合があるとして、
言ってるじゃない「ある前提にたつなら結論はこうである、としか俺は言ってない」って。
>3、「抑圧とは抑圧を認識する主体にとっては不当である(不当だと認識される規制が抑圧を生む)」という言語解釈、
君言語だから、俺としてこれに代わりうる言語解釈としては
「当人が忌避する規制が必ずしも不当であるとはいえない」ということかな。
一般に「抑圧」という言葉を解釈しようとすれば、規制の中の「負のイメージ」であるから、
不当な規制をして抑圧と呼ぶことに同意するとしても、不当か正当化は、当人の感情ではなく
社会にとって正当化不当かということである。その正当であるか不当であるかは、その規制の
目的・動機によるとしかいいようがない。
一言でいえば個人が不当と感じようと、そんなことはどうでもよい。(殺人犯は死刑を不当と思うだろうが
殺人犯の思惑など殺人を禁止する社会にとってどうでもよい)
>「存在するかわからないから存在しないと仮定する」立場にたって論を進めるんだろ?
「存在するかわからないから存在するかどうかわからないとする」立場にたって論を進めるん
だと思うが…。
>「ある前提にたつなら結論はこうである、としか俺は言ってない」って。
その「ある前提」について、俺は共有していないんで、俺に言われてもどうすることもできない。
335 :
黒旗:2007/09/01(土) 16:21:38 ID:???
>>328後半
えーと、「常識なり共有する某かを絶対とする」という前提に立ち
「何らかの議論による論理的な帰結が常識やらとの間に不整合を生じる場合、常識の方を優先させる」という「論理的な帰結」が君の主張だとして、
だから「常識たって誰の常識よ?」「共有たって誰が共有してりゃいいのよ?」と聞いてるのだが。
一方、
「絶対的普遍的価値観の存在に対して懐疑的」
「正当性は追求されるべき」
「不当な規制(俺は抑圧と言うが、抑圧という語の解釈に同意できないなら敢えて抑圧と言う必要は無い)は存在し得る」
「枠組みにおいて、正当/不当という判断は、誰の判断に合致していれば、誰の判断に合致していなくとも構わないのか、また構わないとする根拠は何か、に回答しない」
ときたらここから導き出されるのは
『枠組み内部で、個々の主観に基づく不当性(を有する規制)の不在は追求されるべき』(
>>325一部改訂)
なんだが。
>>335 >、「常識なり共有する某かを絶対とする」という前提に立ち
おれは「、「常識なり共有する某かを絶対とする」という前提に立っていないんで…w
君の脳内変換(妄想?)が徐々に露呈してきたね。
337 :
黒旗:2007/09/01(土) 16:30:26 ID:???
>>333だからその「社会にとって正当/不当」と言うときの「社会」って誰と誰なのさ、社会から疎外されて良いのは誰なのさ、そしてそれは何故なのさ?
と聞いーてるの!
「当人が忌避する規制がかならずしも不当でない」なら如何なる場合に正当/不当なのさ?それはどうしてさ?
と聞いーてるの!
338 :
黒旗:2007/09/01(土) 17:03:02 ID:???
>>336 オイオイ、何らかの結論より【常に】「共有する某か」を優先するんじゃナカッタノカヨー(笑)
>>337 >「社会にとって正当/不当」と言うときの「社会」って誰と誰なのさ、社会から疎外されて良いのは誰なのさ、そしてそれは何故なのさ?
>と聞いーてるの!
秩序を共有している人々の集まりをして社会という。社会から疎外されてよい人はいないといっているだろうよ。
ただし行った行為によって、社会から除外される人はいる。(死刑にしても懲役にしても、ある意味での除外だ)
その場合離脱の自由が一定限度内で許容されている場合で、事前にそのような秩序が存在しているにもかかわらず
自ら離脱しない場合に、社会の人々のさまざまな価値観に基づく自己の実現が可能なための社会であるならば
除外されるのは、自己責任として正当化できる余地はあるだろうよ。
>「当人が忌避する規制がかならずしも不当でない」なら如何なる場合に正当/不当なのさ?それはどうしてさ?
>と聞いーてるの!
同上
>>338 なぜそう思ったのかレス番を指定してていじしようよ。それじゃ君の脳内妄想であることを自白している
ようなものだぜ。
一応書いておくが、まず平衡という考え方である。何をして完全なる(絶対的な)心理なりつき従うべき規範
となるかを考えた時に、一応西洋民主主義とやらは「論理的帰結としての人類普遍の原理」なるものを
提供したわけだ。
で、一つにはそれは「西洋キリスト教圏の人々」にとっての合理的理性的論理であるとしても、それが一定程度
我が国において受け入れる余地が相当範囲で認められるほど、我が国において培われてきたq価値観との
親和性がある場合に、しかしながら、全面的に「普遍の原理」を信じられない理由は以下のとおりである。
論理的であるとは、ある前提に基づく命題に関する検証の言結果の帰結というべきだが、
その前提は「感覚的な提示である(直観等と表現される)。第一に、前提に関してきわめて単純化され
るのであるから、」複雑系の社会に関する論理的帰結は、複雑系であるがゆえに必ずしも確実でない。
第二にはにもかかわらず、論理的帰結による社会改革は、急進的である。しかし人の社会は不可逆であるがゆえに
急進的実験的であうrことに関し論理が十分にその期待値を持たないなら、一定のよく精はする必要がある。
ただし、秩序には整合性が必要であるから、全く祖の論理性を排除しても秩序は構築できない。
したがって、論理的帰結に対する抑制・節度としての一方の拠り所として、当然に、現実にもまれ研鑚された
実績(特に世代を超えて継承されたもの)を持ち、その平衡感覚の中で物事を進める必要が
あるだろうといっているのである。
そしてそのより所をあてはめる範囲は、思ったよりもずーっと広いのよ…と言っているのだよ。
わからねーだろうな。
>>320 >うん、逆でも同じだからノ。あのね、理由がそのコストの範囲や限界を決定づけるのよ。
同じなのかよw
その理由が正当である根拠は?
>理由:家庭ですき焼きを食いたい気分で、それに家族も同意したから。
この理由が正当である根拠は?
>正当性の共有が、その強制力の限界と範囲を維持できるから。
正当性の共有がなぜ、その強制力の限界と範囲を維持できるのかい?
>なにの分母?
「当然」分母がいくつかが提示され、「分母であることについて間違いない」という主張がされないと、
これに該当する「分母」だよ。自分で言ったことだろうが
>歴史的事象の提示によって正当性を主張するのが領土問題だと思うがノ。
「歴史の正当性」なんて日本語になっていないだろうよ。
ある地域をどこが領土とするかという問題において、「統治機構の強制力」よりも「歴史的事象の提示」が正当である、という根拠は?
> その理由が正当である根拠は?
理由が正当であるといっていないが…。検討されることは当然だといっているだけなんだが、
脳内で何か虫でも湧いているのか?
>正当性の共有がなぜ、その強制力の限界と範囲を維持できるのかい?
書いてある通りだが…。限界が導き出されるといっているだけなんだが、
脳内で何か虫でも湧いているのか?
> これに該当する「分母」だよ。自分で言ったことだろうが
一般論を具体的に証明しろというのは、糞以外は言わないと思うが。
脳内で何か虫でも湧いているのか?
>「歴史的事象の提示」が正当である、という根拠は?
俺は歴史的事象の提示が正当であるといっていないわけだが。
脳内で何か虫でも湧いているのか?
148
346 :
黒旗:2007/09/04(火) 08:57:23 ID:???
>>340 例えば
>>1「合意することは原理原則の維持よりも価値がある」
>>32「合意優先という決まりがある」
>>75「原理原則や基準よりも話し合いの結果を重要視する」
これらに「○○の場合には、※※である」とか「△△な場合がある」という表現が採られていないからその様に判断したんだが。前スレまで遡るともっと出てくるだろうけどさ、とりあえずね。
そうでないならば、じゃあ今度は逆に「如何なる場合に何らかの帰結の方を、常識なり共有される某かより優先させるのか」に回答お願いします。
>>341ありがとう。
347 :
黒旗:2007/09/04(火) 09:02:57 ID:???
>>340 例えば
>>1「合意することは原理原則の維持よりも価値がある」
>>32「合意優先という決まりがある」
>>75「原理原則や基準よりも話し合いの結果を重要視する」
これらに「○○の場合には、※※である」とか「△△な場合がある」という表現が採られていないからその様に判断したんだが。前スレまで遡るともっと出てくるだろうけどさ、とりあえずね。
そうでないならば、じゃあ今度は逆に「如何なる場合に何らかの帰結の方を、常識なり共有される某かより優先させるのか」に回答お願いします。
>>341ありがとう。
348 :
黒旗:2007/09/04(火) 09:48:01 ID:???
>>339社会から疎外されてよい人はいないなら全員一致が望まれることにならない?
合意がえられなくても構わないような人はいない、意向が封殺されて構わない人はいない、てことになるじゃん…
>>346 その記述が日本の状況を語っているのであって、俺の主義主張を語っているのではないことが
明らかなのだが、わからないのかねぇ。
>社会から疎外されてよい人はいないなら全員一致が望まれることにならない?
なるよ、望まれるがかなわない場合にどうするのかの問題だ。(何度説明させるんだ?)
望ましいがかなわない場合に、賛成しない人を阻害せざるを得ないわけで(なぜなら、各自の価値観に
基づく自由な自己実現を可能ならしむためには秩序が必要だから)、したがって、阻害してもやむを
得ない場合というものを、当然に考える必要がある。だから正当性が問われる。
(殺人を犯して死刑にならんとする罪びとが、死刑に納得しないにしても死刑に処すからには
その死刑という秩序の正当性が問われる…という意味だがや。)
正当性とは、御当人たちの意思に反して従わせるから問われるのであって、全員一致で、心変わりなし
なら正当性を問う必要さえない。
枠組みとて、そもそも枠組みは他者を排除する概念だから、他者を排除する正当性が問われるわな。
>>328 >絶対性を懐疑するという「我が国の人々ノ奥が
>歴史的に共有する特徴的な感覚」
歴史的に共有する特徴的な感覚?何のコッチャ。
>人々が常識として共有していたり、伝統として
>残されたものに一定の拠り所を見出スことが必要だと
常識として共有?そんなものあるわけないだろう。
なんせ我が国の人々は絶対性を懐疑する(何ちゅう言葉遣いだw)んだからな。
伝統として残された(様に見えるだけの)ものに拠り所を見出すなんてことには
必然的に懐疑的にならざるを得んだろう。
絶対性を懐疑するような人々がだ、何の懐疑心も持たずに何かを信じる
なんてことは絶対にあり得んだろう。
がしかし、疑心暗鬼にとらわれて全てをも一から疑っていては
行動できなくなるから、何の根拠もなく、人鮮尤悪 能教從之などと
勝手に決めつけて自らをも欺き安心しようと図ることになるな。
困るのは、これを真実であると信じて疑わない無能共が後世に涌いて出ることだがな。
>>350 >歴史的に共有する特徴的な感覚?何のコッチャ。
伝統や常識などなど。
猜疑心を持ちながらも、一定の信頼を置くということはありうるよね。
352 :
XYZ:2007/09/04(火) 19:39:32 ID:???
すべての人間に差別がなく、さらに国境さえもない世界。
それは、まさに神ごとき人間(たち)に支配された世界。
でもないかぎり、現実は不可能では。
人間は欲がある。
一代目がよい行いをしても、続く弐台目も、「結果的に」よい行いをする可能性はない。
それとめ、政治を機械に任せるか?
弐台目
それとめ
XYZ=れ ◆r0FmiN9ADk
誤変換を繰り返し続けられるのは白痴の証拠w
>>342 >理由が正当であるといっていないがノ。検討されることは当然だといっているだけなんだが、
なぜ「保護すべき・・・つまり可知があるかどうか」が当然に検討されるんだい?(
>>310)
↓
コストをかけるに、理由を必要とするからだと思うがノ。 (
>>314)
↓
逆(苦笑)。 (
>>318)
↓
うん、逆でも同じだからノ。あのね、理由がそのコストの範囲や限界を決定づけるのよ。(
>>320)
↓
その理由が正当である根拠は?(
>>342)
全部繋がっているのだよ。私は最初から同じことしか聞いていない。
「検討される」のが正当であるという根拠は?
検討されないと「自然を保護すべき状況」という判断はつかないよね。発生時に検討されないものが、なぜ当然に検討され、それが正当といえるのかい?(
>>310)
君はこの答えに「理由を必要とするから」と言った。だったらその必要とされる「理由」の正当性はどこにあるのかを聞いている。(君が言ったか言わないかは問題ではない。)
なぜ「理由」が必要なのかい?
「理由」に正当性はないということは必要ではないことになり、そのコストの範囲や限界を決定づけることもできないし、「検討される」こと自体の正当性もないことになる。
>書いてある通りだがノ。限界が導き出されるといっているだけなんだが、
だから?
導き出されてどうなる?正当であろうとなかろうと、強制は生じるんだよ。不当としたところで「強制の限界」を超えたところでそれが何になるのかい?
>一般論を具体的に証明しろというのは、糞以外は言わないと思うが。
「具体的に」だなんて言ってないよ。御託はいいよ。逃げるなよ。さっさと「分母」の正当性を主張しる。できなきゃよりどころがなくなるだけの話。
>俺は歴史的事象の提示が正当であるといっていないわけだが。
「歴史的事象の提示によって正当性を主張する」には「歴史的事象の提示が正当」でないと主張できないのだが。
> 全部繋がっているのだよ。私は最初から同じことしか聞いていない。
最後はつながっていないでしょ。唐突に正当性という言葉が提示されているよね。
何事にも理由は必要だと思うけどねぇ。
>不当としたところで「強制の限界」を超えたところでそれが何になるのかい?
秩序ある社会が必要かどうかまで遡るのかい?秩序は必要だと思うなら、その秩序の内容の
正当性(例えば、殺人はNGという秩序の場合でいえば、なぜ殺人はイクナイのかという理由づけが
正当防衛だとか戦争とか死刑執行が殺人罪にならないかどうかを決めるわけだよね。
殺人罪にならないということは強制(殺人罪で逮捕し処罰することだねlこの場合)の限界が
定まるということですよ。
俺は言っているよね、整合性のある秩序が必要だと…。
で、あとのことは「やっぱり君は正当という言葉の使い方が間違っているようだ」としか、言いようがない。
300人が賛成しました。これが多数であるというためには分母がいくつなのかの提示が必要である・・・
このときに分母の提示は、必要は必要でないかという理屈の問題で、分母の提示の必要性に関する
正当性など問われないんだよ。
もう一つも同じことで、正当かどうかが問われる内容じゃないよね。それは必然があるかどうかという理屈の問題。
>>357 >最後はつながっていないでしょ。唐突に正当性という言葉が提示されているよね。
簡単なことだと思いますよ。なぜれが「理由が必要」と思うのかといえば、「理由」に正当性を求めているから。
だから、私は、「理由」の正当性の根拠を聞いている。
>何事にも理由は必要だと思うけどねぇ。
根拠もなくただ何となく漠然と「思う」だけかい?
>秩序ある社会が必要かどうかまで遡るのかい?
正当性の根拠の説明になるならね。
>秩序は必要だと思うなら、その秩序の内容の正当性
遡っていないじゃん。なぜ「秩序は必要」なのかい?
>例えば、殺人はNGという秩序の場合でいえば、なぜ殺人はイクナイのかという理由づけが
>正当防衛だとか戦争とか死刑執行が殺人罪にならないかどうかを決めるわけだよね。
その前に、「殺人はNGという秩序」の根拠の提示がないよ。遡るんでしょう?
>俺は言っているよね、整合性のある秩序が必要だと…。
なぜ「整合性のある秩序が必要」なのかい?
>このときに分母の提示は、必要は必要でないかという理屈の問題で、
日本語として意味不明。
>分母の提示の必要性に関する正当性など問われないんだよ。
さて、「300人が賛成しました。」これが「多数あるいは全員である」と認定するためには
「当然」分母がいくつかが提示され、「分母であることについて間違いない」という主張がされないと他数あるいは全員であるという認定に疑義をはさむ人に説明できないと「当然に」思うが…。w(
>>288)
正当性を問わずに、どうやって「分母であることについて間違いない」と主張するのかい?
じゃないと、疑義をはさむ人に説明できないじゃん。(つか、「疑義をはさむ人」は「分母の提示の必要性に関する正当性」を問うてる。)
>もう一つも同じことで、正当かどうかが問われる内容じゃないよね。それは必然があるかどうかという理屈の問題。
「歴史的事象の提示によって正当性を主張するのが領土問題」(
>>320)なのに、「正当かどうかが問われる内容じゃない」
だったら、なぜ「歴史的事象の提示によって正当性を主張する」必要があるのかい?
根拠もなくただ何となく漠然と「思う」とか、「正当性など問われない」とか。
・・・最初から言えよ。「根拠はありません。正当性もありません。」ってさ。
> だから、私は、「理由」の正当性の根拠を聞いている。
理由の正当性という君の言葉の意味がわからないのだが…。
1、理由を求める正当性
2、理由そのものの正当性
どちらもこの話の中でかみ合わない質問だが…。
>なぜ「秩序は必要」なのかい?
何度も書いているが、個々個人が持つ価値観に基づいて自己を実現することが
できうる限り可能な社会にとって必要だからだよ。
>>359 必要か必要でないかという理屈の問題で、 ・・・に訂正
> 正当性を問わずに、どうやって「分母であることについて間違いない」と主張するのかい?
いやだから、例示の分母なのだから、ある社会における分母がどれであるか、その「主張」に
正当性があるかどうかは、その社会によるに決まっている。
領土問題は分母の問題じゃないでしょ?君頭が悪すぎるよね。同時に三つぐらいのことを
話しているのに、君はそれを絡めて混同しちゃうタイプだと「おれは思う」なぁ。w
根拠をきちんと聞くこともできない人に根拠がないといわれてもねぇ。
書籍じゃないんだから、全部すべてについて書くことはできなんだよ、わかるかなぁ。
っ具体的なことについて質問や異論があって初めて根拠というものは提示されるんで、
どの程度の理解力がある人かによって、当方も自由にお相手させていただくのが掲示板だぜ。
361 :
黒旗:2007/09/06(木) 09:01:58 ID:???
最近疲労と多忙でレス遅くてごめんなさい。
さて
>>349前半
日本の状況をあなたが解釈すると、という事でしょ?
主義ではないか知らないが、主張として、(「その様な場合がある」だとか、少なくとも「例外もある」だとかの『そうでない場合』についての言及無しに)断言してきたんだし、
また原則に例外を認めるなら、如何なる場合に原則が適用され、如何なる場合に例外が認められるかを言明しなきゃ。(
>>346後半ね)
>>349後半
望ましい(※)でしょ?
で、過去から現在に至るまで我々は長いこと望ましい事が実現出来なかった。
だから正当化の必要があり、王権神授説とかまぁその他諸々の正当化の手段が現れては消えていった…
ところで、正当化しなきゃならんのは主体にとって不当と認識される規制(説明面倒だから抑圧とは言わんよ)への反意を封殺するためなんだよね。(ここまで君のレスと内容同じ)
正当化とは、何らかの秩序と、個人の主観においては不当である秩序またはそれの維持の手段との軋轢が回避出来ない場合に、秩序維持を押し切る為の方便として必要とされるわけだ。
望まし(※)くないことをゴリ押す為の方便なんだよ。
>)断言してきたんだし、
何を言っているんだね、違うと思うなら、具体的事象を提示して反論すればよく、そのように
いっているだろうが。
○○という状況がある・・・との主張は、それ以外の状況の存在を議定しないし。
君の脳内で他のそれに反する事象は存在しないとおれがいっているように妄想しているだけ
じゃないか。
>だから正当化の必要があり、王権神授説とかまぁその他諸々の正当化の手段が現れては消えていった…
「だから」が唐突なんで、イミフ。
全員一致が望ましいなどと考えるのは日本人ぐらいだよ。そういう基礎的な理解がないから、俺は君を見限った。
何度も言っているでしょうよ、キリスト教にしてもイスラム教・ユダヤ教・・・にしても正しいことは正しいのであって
人間がどのような内容で一致しようとも、正しくなければ正しくない。
ついでに方便という言葉の意味も調べなおしたほうがよい。
連続幼女強姦殺人を犯して死刑にならんとする罪人が、「死刑も同じ人殺しじゃねーか」といったところで、
その軋轢がある限り不当だと思っている君以外は、「死刑囚がそういった」という理由で、不当な処刑だとは
考えない。
結局は完全に物事を相対化し、個人が望む・同意する「のみ」を要素として考えれば
当然ながら「秩序」は構築できず、結果「個人が望む自己実現の可能性」は極めて
劣悪な環境に封じ込められる・・・ということが、黒旗氏によって明確になっただろうよ。
(つうか、そんなことは当然至極で、したがって「個人の望む自己実現の可能性」を
より広く取ることができるなにがしかの絶対性を秩序は持たなきゃならんわけだ。
しかしなにがしかの絶対性は、当然に「自己実現を阻む余地」が常にあるわけで
従って、なにがしかの絶対性を懐疑し、その絶対性による理屈の実を過信せず、
理屈に基づく帰結に対する節度と抑制を、もう一方の拠り所にせざるを得ない
ということはいい加減わかっただろうよ。
その一方の論理的絶対性として近代民主主義があろうとするならば、それは
キリスト教圏発祥であるがゆえに、全人類を氏やに入れ、かつ単純化と論理性を
して普遍誠意を有しているのだし、かつ日本の話し合い主義とも親和性が高く
さらに言えば明治憲法下の最後の普通選挙による議会が現憲法を受け入れ、
独立回復後はにっぽん人の手によって解釈運用されている史実から見て論理的な一方の
拠り所足りると考えて、全面的でないにしろ、法律とその運用という部分でのよりどころ
としてさし塚言えない・・・そう俺は言ってきたよね。
そのうえで、しかしながら全面的でない以上、もう一方の平衡のためのよりどころは
白黒をはっきりつけさせられる論理ではなく、歴史的に継続され研磨され残っているものを
よく精・節度にならざるを得ないだろうよ…と言っているのだよ。
そしてその一方のよりどころは国というそのものの枠組みとか、国務の中の国事に関しては
なに構うことなくよりどころとして、何の問題も生じないどころか、より節度や抑制の
よりどころとして明確化され好ましいと言っているわけだが…。
364 :
XYZ:2007/09/08(土) 16:38:15 ID:???
誰もいないみたいだ。テキトーに書くか。
差別なんてどけでもあるもの。それはわかっているはず。
社会にでれば、無能な社員と有能な派遣。
こんなことが、事実としてあり、それで会社がまわる。
「一般常識」といえば、社会にでた(でようとしている)人間に対して、使う言葉だと、思っている。
だから、学生にはあまり使えないのでは。
なぜ?
視野が狭いから。
たとえ頭が良くても、自分の事しか意見をとうそうしない、人間のまわりに誰もいなくなるように。
365 :
右や左の名無し様:2007/09/09(日) 01:07:19 ID:+yphTXz4
↑れ ◆r0FmiN9ADk
>>366 うん、ちょっと…。w
しかしひでー文章だなと感心するよ、われながら。
根本的に頭が悪いのに、薬に頼って知ったかぶるから電波と化すのだよ
根本的に頭が悪いというのは、君と比較してかね?
まぁ希望的観測は、そのように聞いておくことにするよ。w
370 :
XYZ:2007/09/09(日) 16:36:39 ID:???
また、書こうか。暇だし。
いくら大学で理論を学ぼうが、現実を知らない教授のもっともらしい「空論」に酔って、社会に出、空論を現実にしようとする「小学一年生」の学生さんがいるが、
大変迷惑だ。
会社の仕事もまともにできないくせに、方針がどうの思想がどうの、
完璧に、会社の仕事を出来てから言う、台詞だろう。
大学では教えてくれなかったなんて、いうな。
肌でかんじる、常識なんだから。
すまん愚痴っぽくなった。
371 :
右や左の名無し様:2007/09/09(日) 19:25:41 ID:+yphTXz4
↑ れ ◆r0FmiN9ADkの気持ちが分かったような愚痴みたいだな。
372 :
右や左の名無し様:2007/09/09(日) 22:08:54 ID:za5aFsvD
例えば
第二次大戦
天皇が玉音放送をしなければ終わらなかった。
それが天皇家の役目。
>>360 > 理由の正当性という君の言葉の意味がわからないのだが…。
わからないなら最初に言ってよ。ってゆうか少しは考えろよ。
「1、理由を求める正当性」の答えは既に出ている。「理由」そのものに正当性があるから。
従って「2、理由そのものの正当性」が正解(っつーか普通に分かるよ)。「検討される」のも「求める」のも「理由」そのものに正当性があるから。その正当性の根拠を聞いている。
>どちらもこの話の中でかみ合わない質問だが…。
私は最初から聞いてることは変わっていないよ。ただ君が的確に答えてくれない(かみ合わない)だけ。最初はわざと確信犯的にしてるのかと思ってたが、最近はれは本当に分かっていないような気がしてきた。
>何度も書いているが、個々個人が持つ価値観に基づいて自己を実現することができうる限り可能な社会にとって必要だからだよ。
それが「極力避けるべき限界」という『基準』である根拠は?
・・・と聞いても無駄か。
>ある社会における分母がどれであるか、その「主張」に正当性があるかどうかは、その社会によるに決まっている。
決まってるのかい?
そんな理屈で、他数あるいは全員であるという認定に疑義をはさむ人が同意できると思うのかい?(つか、「疑義をはさむ人」は「分母の提示の必要性に関する正当性」を問うてる。)
>領土問題は分母の問題じゃないでしょ?君頭が悪すぎるよね。同時に三つぐらいのことを
話しているのに、君はそれを絡めて混同しちゃうタイプだと「おれは思う」なぁ。w
??
「もう一つも同じことで、正当かどうかが問われる内容じゃないよね。それは必然があるかどうかという理屈の問題。」(
>>357)
「歴史的事象の提示によって正当性を主張するのが領土問題」(
>>320)なのに、「正当かどうかが問われる内容じゃない」
だったら、なぜ「歴史的事象の提示によって正当性を主張する」必要があるのかい?(
>>359)
領土問題に分母のぶの字も触れていませんけど(正当か理屈?の問題)。
やっぱりれの「思う」ことには根拠も正当性もない、っつーことだね。
>根拠をきちんと聞くこともできない人に根拠がないといわれてもねぇ。
逆に聞くが、れは根拠をきちんと書いた箇所を提示してくれ。
私の根拠は、れが答えられないこと。ex.枠組みの成立と正当性は成立が先。
>書籍じゃないんだから、全部すべてについて書くことはできなんだよ、わかるかなぁ。
君の説明では、書籍にならないよ。基準が、整合性が陶然あると思い込んでるんだから。しかもその根拠も説明もなし。君は全部を語らずに何を主張したいのかい?(逃げてる?)
>っ具体的なことについて質問や異論があって初めて根拠というものは提示されるんで、
具体的なことについても私は質問や異論を呈してるけど、きみはいっこうにそれに対する根拠を提示してこないよね。
>どの程度の理解力がある人かによって、当方も自由にお相手させていただくのが掲示板だぜ。
私がどこに疑問を持ってるのか分かっているのかい?(きみの理解力)
君が当たり前だって思っていることだよ。その根拠を聞いてる。
>>360 因みに
「何度も書いているが、個々個人が持つ価値観に基づいて自己を実現することができうる限り可能な社会」
れ、きみは自己実現できているかい?
これにはレスしなくてよい。自分が一番感じてることだろうw
>>373 一〜ニ段目:???
> ・・・と聞いても無駄か。
答えているのに無駄なんだね。
>>375 自己実現ができている・・・といえる人っているのかなぁ?と思うが
一応、仕事も、家庭も方向としては自分の願う方向ではいけていると思うよ。
十分満足かといえば(だれしも違うと思っているだろうけど)違うけどね。
>>373 一応ちゃんと書いて置くかな。w
> 「1、理由を求める正当性」の答えは既に出ている。「理由」そのものに正当性があるから。
あのさ、理由に正当性があるから、それが理由を求める正当性の根拠だ・・・という言葉が
日本語になっているとは俺には思えないんだけどね。
コストがかかる以上、そのコストをかける意味があるかどうか、コストをかけて維持する理由が
必要だ…としか言っていないわけで、その理由を提示していないのに、その「理由の正当性は?」
と聞かれても、一体どの私の発言の部分を「理由」と把握して、その正当性の説明を求めているのか
俺にはさっぱりわからないんだよね。
国という枠組みが存在するとして、その存在はなにがしかの正当性に基づいて当初から存在したか
どうかはともあれ(日本の場合ほぼ自然発生的だろうとは思う=枠組みが正当性の主張より先行した)
それを維持しようとする場合(例えば冊封体制からの脱却でもよいし、敗戦後の独立の回復でもよいし、
現代における自衛隊の存在でもよいが)そこに当然にリスクとかコストがかかるのだから、そのコストを
支出するほどに維持すべき価値があるかどうかは当然に検討される…検討されるべきだろうと
俺は言っている。(何度目だろう。)そして俺は維持すべき価値があるという理由については
さほどには語っていないわけだが、君は語ってもいないその理由についての正当性の説明を求める。
俺には意味不明である。
> それが「極力避けるべき限界」という『基準』である根拠は?
よくわからないんだが、ある目的を達成するための制限は、その目的を達成するに無関係な制限を
設けないと言っているわけだが…。
>同意できると思うのかい?
同意できるとも思っていないし、同意が必要だとも言っていないが…。
頭が悪いのかどうなのかはわからないが、国という枠組みの話に戻って考えてみればわかると思うよ。
我が国(日本国)という枠組みがある(現実)。無論、日本国など中国おr米国の一部であるべきと考える人や
逆に、本来的にもっと小さい単位が正しい枠組みである(あずま主義などw)と考える人もいる。
そういう中で、我が国には、我が国として国際社会の一員になろうとしているしそのために自衛隊が
海外で活動をし、また、自衛権に基づく軍備を有している。内部的にも、日本国としての権力にコストをかけ
警察力等などにコストをかけ、秩序維持をしている。
では、日本国という枠組みはそういう維持費を支出するほどに価値があるのかの検討はされるべきだろう。
もう一点、個人という視点から見れば、人類の一部を切り分けて日本人とそれ以外(外国人)に分別し違う
扱いをしている。それも日本国という枠組みあればこそなされることで、分別して扱うことの正当性は
結局最終的に、我が国という枠組みに価値があるかどうかにかかっている。
維持する側、分別する側としては、そこに正当性を主張しなければならないだろうし、その主張主体は
維持も分別も、自らが決定権を持つわれわれ日本国民がなしていることとするしかないだろうから、
日本国民だよ。
それが、維持せず中国の属国になるべきだと考える人や、俺は外国人だが国政に関する参政権がほしい
と考える人の合意を得られるかどうかは別として、とりあえず主張は提示されるべきだと言っているのよ。
>>369 >まぁ希望的観測は、そのように聞いておくことにするよ。w
日本語もまともに書けないのだから、頭が悪いと評価されてもやむをえまい。
ま、それが世間の常識だなw
別に世間からそう評価されてもかまわんよ。残念ながら、リアル社会では別人だから。w
君が」、人を評価するに値する頭脳の持ち主かどうかが気にかかるが…w
>>37のつづき
仮に「日本国という枠組み」に維持すべき価値がある・・・と考えるなら、その価値を提示しなけ
ればならないだろうし、価値がないと仮に考えるなら、国際社会における単位は国なのだから
どのような枠組みが妥当であるかを主張すべきだ。
(米国の一州になるべきであるとか、中華の一部になるべきとか、東アジア連邦国とか
逆に日本分割案とか)
で、少し話を進めるが、こいう国という単位の枠組みは、一体何によって構築されているのか
ということである。
前々から言っているように民族自決というコンセンサスが国際社会にあるように
民族的同一性というものが、枠組みを構築している一つの要素なののだろう。
しかし現実に多民族国家というものはあるわけだ。では何がが同一であれば「一つの国たりえるのか」と
いうことである。
何らかの一致がなければ一つの国としている必然性がない・・・外的脅威に対しての防衛という
一点で暫定的に枠組みが構築されることはありうるが、そういう特殊事情はさておき・・・である。
基本法の理念について国民的な合意がされていることは一つの要素ではあろうけれども
しかしながら、理念が一致していても違う国家は存在しうるのだから、それは要素ではあっても本質で
はない。(憲法象徴論というのが以前ここで述べられたが、この意味で的確でない)
では逆に、全く同じ基本法をもち地域的に隣接している国が別の国である必然はあるのかどうか・・・。
俺は全くありだと考える。憲法判断などで最高裁はときに「社会通念」を根拠とすることがあるわけで
そのようなものの違いがあれば、国という枠組みが異なってもおかしくはないのだろう。
社会通念とか、多くが共有している根源的な常識的感覚などと、民族性は密接な関係性もあるわけで
そういったことが国という枠組を維持すべきに充分な価値につながるのは当然だと俺は考えている。
天皇は朝鮮人で在日と同じ寄生虫である!!
>>382 安倍総理辞意を表明。スレ主殿、10行ぐらいに要約してよろ。
馬鹿は要点を纏めて簡潔に述べる能力がない。
>>385 間違えてはいけない。
れは要点をまとめる力がないのではなく、要点そのものが無いのだ。
あるのは正しいと信じる結論だけ。
のこりの部分は、なにか小難しそうなことを書いて結論がいかにも正しい
ように見せかけるための飾りとしての文字の羅列。
あの書き込みを要点の理解をしようとして読むのは大きな間違いだよん。
>>384 小沢との会談でテロ特措法延長と引き換えに辞職しようとしていたが、シナリオが破たんした。
党内も勝手に新法の方向で動くなど、現実的な統率力もないことに気づいた。
体力と気力の限界で、やめる以外にどうしようもなくなった。
どっちかわからないから、もう一方の要約w
皇室の存在意義を考えるにあたっては、我が国・日本国という枠組みの価値を考える必要がある。
我が国の場合、統治理念は、仏教・神道・日本的朱子学・近代立憲主義などと変遷しているが
それでもなお、皇室制度が維持されており、また日本国という枠組みも(外延の変遷はあるが)
基本的に変わっていない。
我が国が1000年以上の期間独立を維持しているということは、そこに何かしらのが維持すべき
価値のあるものがなければならない。それは少なくとも隣国と比較してユニークでなければ、
我が国が独立を維持する必然はないはずである。
皇室制度がそれだと言っているわけではない。一定の「根源的価値観の一致」がそれであり
皇室制度はそれを象徴している。あとは
>>382最終段・・・。10行で収まった模様。
>名前:名無しさん@3周年 :2007/09/12(水) 22:51:19 ID:YyJZn69R
>大音量で軍歌を流してゆっくり走る車が我が町には存在する。
>みんな迷惑している。
>追い抜くと追いかけて来るんだよ、むっちゃ恐いよ〜
>あの人たち純粋な日本人じゃないのに日の丸や天皇を大事にしている。
>日本人は祝祭日だろうが日の丸を掲揚したりしない。
>日本人は戦争を嫌いな人がほとんどだけど、あの方々は戦闘的。
>逆らえない、恐いから。だから2ちゃんねるで愚痴るしかない弱い俺。
在日の9割が天皇制を積極的に支持しているそうです。
日本人は天皇万歳なんて言わない。天皇万歳は在日の証明。
天皇を暴力で押し付ける、やたらと愛国心を協調する。←それは日本人ではない者が日本人になるときのジレンマ
>>382 >民族自決というコンセンサスが国際社会にある
そんなコンセンサスは存在しない。そう主張し行動する連中は存在するがね。
>外的脅威に対しての防衛という
>一点で暫定的に枠組みが構築されることはありうるが、そういう特殊事情
「特殊」事情ではなく、国家はまさにそのためだけのために存在する。
国家として必要不可欠な要素は「警察」と「軍隊」なのである。
その他の要素はこれをまかなう為の付帯事項に過ぎない。
>>388 >1000年以上の期間独立を維持しているということは、そこに何かしらのが維持すべき
>価値のあるものがなければならない。
それが何だか分からないが「維持すべき価値のあるもの」が存在すると
思いたいだろうがそのようなものは存在しない。あると思うのは妄想に過ぎない。
まだUFOの存在の方が確かに思える。
「1000年以上の期間独立を維持」していたのは、単にその地理的条件による。
産物といえば精々金・銀・水銀程度だが特産品ではない上に、あった方が望ましい
という程度のものであって、必要且つ不可欠というものではない。
莫大な労力・費用を賭して得るものが極めて少ないから外敵も敢えて侵略しなかった。
なんという世界一の幸運に恵まれた国なのであろうか。
現在も尚その幸運が続いているのかは疑問だが。
>>390 一段目:民族自決、国連憲章ででも検索してくれ。
二段目:国家はまさにそのため「だけ」のために存在する・・・とは俺は考えていない。
>単にその地理的条件による。
もう少し歴史を知らないと笑われますよ。地理的条件は良かったといえるが、亡き網野氏でも
地理的にいえば、すでに奈良時代には日本海を中心とした環状の地域として成立してもおかしくないような
ほどに海運物流は発展していたと言っているわけだが。
>莫大な労力・費用を賭して得るものが極めて少ないから外敵も敢えて侵略しなかった。
はるかになにもない半島でさえ侵略の対象になったというのに、何を頓珍漢な事を。
冷笑されるほどに低レベルだな。www
先人達が綿々と残してきた伝統
果たして、そうした「宝」を我々の一時代の「気紛れ」でなくしてしまっていいのだろうか
改良を施しながらその制度を保全し、後世の人々に伝える
それこそが我々の「責任」だろう
先祖から受け継いだものを子孫に伝える
こうした当たり前のことを考えられない人間が伝統・文化を消滅させ、
ひいては己のみの享楽に堕し、後先も考えずに資源を浪費し、自然を破壊していくのだ
>>378 >その理由を提示していないのに、その「理由の正当性は?」と聞かれても、一体どの私の発言の部分を「理由」と把握して、その正当性の説明を求めているのか俺にはさっぱりわからないんだよね。
その理由を聞いても意味がないからだよ。本当に私の聞いてることが分かっていないんだね。
「その理由」をいくら聞いても、私の聞きたい「理由そのもの」が正当であるのかの説明にならないんだよ。
>国という枠組みが存在するとして、
存在すること自体にリスクやコストがかかるが、これに対する検討は考えないのかい?
>日本の場合ほぼ自然発生的だろうとは思う。
根拠がない。悪気はないのだろうが、思い込みで語るのはやめよう。
>そこに当然にリスクとかコストがかかるのだから、そのコストを支出するほどに維持すべき価値があるかどうかは当然に検討されるノ検討されるべきだろうと俺は言っている。(何度目だろう。)
「そこ」とは「例えば冊封体制からの脱却でもよいし、敗戦後の独立の回復でもよいし、現代における自衛隊の存在でもよいが」だよね。
ところが、「冊封体制からの脱却」しなくても「枠組みはある」し、「枠組みは維持される」。「敗戦後の独立の回復」しなくても「枠組みはある」し、「枠組みは維持される」。
つまり、そのコストを支出するほどに維持すべき価値があるかどうかは当然に検討されるのは「枠組み」のレベルではなく、正当性の問題。
>そして俺は維持すべき価値があるという理由についてはさほどには語っていないわけだが、君は語ってもいないその理由についての正当性の説明を求める。
繰り返すね、念のため
私は、「維持すべき価値がある」が「理由」たりえる根拠を聞いてる。きみが「維持すべき価値」を説明したところで、それがなぜ「理由」となるかに触れてなければ困ってしまう。
>俺には意味不明である。
私には理解不能である。なぜこの程度の認識(「当然w」という前提に立った主張)でここまで強気なのか。
>よくわからないんだが、ある目的を達成するための制限は、その目的を達成するに無関係な制限を設けないと言っているわけだがノ。
「ある目的を達成するための制限」が「個々個人が持つ価値観に基づいて自己を実現することができうる限り可能な社会」である根拠は?
>同意できるとも思っていないし、同意が必要だとも言っていないがノ。
じゃあ、なぜ「説明する」のかい?
>>379 >無論、日本国など中国おr米国の一部であるべきと考える人や逆に、本来的にもっと小さい単位が正しい枠組みである(あずま主義などw)と考える人もいる。
そういった人にどうしたいんだい?
>そういう中で、我が国には、我が国として国際社会の一員になろうとしているしそのために自衛隊が海外で活動をし、また、自衛権に基づく軍備を有している。
内部的にも、日本国としての権力にコストをかけ警察力等などにコストをかけ、秩序維持をしている。
「コストをかけるに、理由を必要とするからだと思うがノ。」をもとに返答する。
コストをかけるに「我が国として国際社会の一員になろうとしている」わけではない。コストをかけるに「自衛隊が海外で活動をし、また、自衛権に基づく軍備を有している」わけではない。
本末転倒である。「我が国として国際社会の一員になろうとしている」にコストをかけ、「自衛隊が海外で活動をし、また、自衛権に基づく軍備を有している」にコストをかけるのである。
理由があって、コストやリスクが発生する。コストやリスクがあって、理由が発生するのではない。
コストやリスクがかかり過ぎるからといって、理由が必要じゃないとはならないでしょう。理由が不当になることはない。
逆が通れば、コストをかけることが目的になってしまう。目的は、理由の実現、達成である。
コストと理由、どちらが先なんだい?
>では、日本国という枠組みはそういう維持費を支出するほどに価値があるのかの検討はされるべきだろう。
我が国(日本国)という枠組みがある(現実)。枠組みの検討はなされない。つまり、枠組みに対するコストは検討されるまでもなく支出される。それが強制力である。
コストを支出するほどに価値があるのかの検討がされるのは、「枠組み」や「枠組み維持」なく、「理由」や「正当性」に対してである。
「子供医療」や「自然保護」、「焼肉?」が不当となったところで、枠組みはなくならない。
>分別して扱うことの正当性は結局最終的に、我が国という枠組みに価値があるかどうかにかかっている。
価値は関係ない。枠組みがあるから分別される。そこには正当性はない。
分かるかな。
枠組みが検討されて価値がないとされても、枠組みはある。
>維持する側、分別する側としては、そこに正当性を主張しなければならないだろうし、その主張主体は維持も分別も、自らが決定権を持つわれわれ日本国民がなしていることとするしかないだろうから、日本国民だよ。
前提からして疑わしいから、これ以上は・・・とも思うが、正当性を主張しなくても、枠組みはある。
枠組みがある以上、それを維持しようとするために(正当性とは無関係に)強制力は働くし、枠組みがあるということは、分別することである
れみたいに、やたら枠組みの正当性を主張する人って多いんだよね。でも、枠組み自体に正当性はないんだよ(正当性よりも枠組みが先だから)。
なのに、「我が国という枠組みに価値があるかどうかにかかっている。」という発想に至るおおもとの根拠はどこにあるのかい? 「枠組み維持」が「枠組みそのもの」まで価値付けをしてしまう。これに違和感を感じる。
どこかかけ違っている。「我が国(日本国)という枠組みがある(現実)。」のに、「我が国という枠組みに価値があるかどうかにかかっている。」
これは矛盾だと思うなぁ。
「自民党総裁にふさわしい」福田氏58%麻生氏22%
読売新聞社は15、16の両日、自民党総裁選に関する緊急全国世論調査(電話方式)を実施した。
福田康夫・元官房長官と麻生太郎幹事長の、どちらが総裁にふさわしいかでは、
福田氏を挙げた人が58%にのぼり、麻生氏の22%を大きく上回った。
自民支持層で見ると、福田氏61%、麻生氏27%だった。
国会議員票で優位に立つ福田陣営に対し、麻生陣営は都道府県連の党員投票に期待しているが、
国民の人気も福田氏の方が高かった。
男女別では、男性は福田氏53%、麻生氏27%、女性は福田氏62%、麻生氏18%で、
女性の福田氏支持が目立った。
年代別、地域別でもすべて福田氏の方が多かったが、
麻生氏の地元「九州」では、福田氏50%、麻生氏28%と他と比べて差は小さかった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070916-00000112-yom-pol 麻生の地元福岡ですら、福田総理総裁が ダブルスコアで勝ちです。 糸冬
>>393 一段目:いみふ
二段目:存在することじたいのリスクも、「同じこと」だろう。存在する価値があるかどうかの検討。
三段目:
>根拠がない。悪気はないのだろうが、思い込みで語るのはやめよう。
根拠を提示しろといわれれば提示する容易はある。「根拠が提示されていない」という指摘なら
なんの異論もない。議論上必要だという理由を添えて求められれ必要とあらば提示しますよ。
書物じゃないんだから議論上重要とおもわないことまでいちいち根拠は書きませんぜ、ふつう。w
(二度目)
>「冊封体制からの脱却」しなくても「枠組みはある」し
ん?脱却しなければ「中華の一部」になりえるんだけど。枠組みがなく、あるいは変質しうるよね。
>「敗戦後の独立の回復」しなくても「枠組みはある」
ん?米国の一州になることをして「枠組みはある」とはいわないが・・・。
最終段:いみふ
>>394 一段目:理解できないなら、ぎろんにさんかしなければいいのに・・・w
二段目:いみふ
三段目:どうかしたいとだれかいっているの?等価ではないといっているのだが・・・。
四段目:コストやリスクがあって、理由が発生するのではない。・・・に同意
つまり本来的に理由があるはずだ・・・ということだよ。
>>395 一段目:なくならないというきみの言説に疑義が既に生じている。
二段目:いかどうぶん
三段目:いかどうぶん
>>382 >仮に「日本国という枠組み」に維持すべき価値がある・・・と考えるなら、その価値を提示しなければならないだろうし、
>価値がないと仮に考えるなら、国際社会における単位は国なのだからどのような枠組みが妥当であるかを主張すべきだ。
価値があろうとなかろうと、我が国(日本国)という枠組みがある(現実)。
維持すべき価値より前に枠組みは存在しているのに、なぜその価値がないと枠組みは否定され新しい枠組みの提示ができるのかい?
>前々から言っているように民族自決というコンセンサスが国際社会にあるように民族的同一性というものが、枠組みを構築している一つの要素なののだろう。
これも同じ。「国という枠組み」と「民族自決というコンセンサス」、どちらが先かといえば、「国という枠組み」だよね。「国という枠組み」が存在しないと「コンセンサス」が生じるわけがない。
つまりコンセンサスは枠組みを構成していない。枠組みを構成したものを結果としてコンセンサスとしているだけ。
コンセンサスがあるから枠組みがあるんじゃないよ。念のため
>何らかの一致がなければ一つの国としている必然性がない
「我が国という枠組みがある(現実)。」
「枠組みは正当性より先である。」
この二つを考慮すると、国という枠組みは正当性よりも先に存在することができ、仮に、「何らかの一致がなければ一つの国としている必然性がない」なら、何らかの一致を強制するのが国家権力である。
つまり、一致があるのではなく、強制され一致する。
れは、強制され一致したものを一致があると思ってるだけ。
>基本法の理念について国民的な合意がされていることは一つの要素
それは近代民主主義が導入されてからでしょう。
>社会通念とか、多くが共有している根源的な常識的感覚などと、民族性は密接な関係性もある
社会通念とか常識的感覚は、どうやって生まれるか。最初からは共有していない。枠組みが先。
>そういったことが国という枠組を維持すべきに充分な価値につながるのは当然だと俺は考えている。
悪いけど、みなあと付け。枠組みはあるんだよ。現実に。
それに先行して価値があることを証明しないと、価値があるから維持されるとはならない。
枠組みがあれば、枠組みはずっとある(維持される)。価値があろうとなかろうと。
>>397 >存在することじたいのリスクも、「同じこと」だろう。存在する価値があるかどうかの検討。
枠組みの存在と検討のどちらが先かということだよ。
枠組みが存在する価値があるかどうかの検討が先で枠組みが存在するのならば、存在すること自体のリスクやコストも考慮される。
しかし、枠組みが存在することが先ならば、枠組みが存在する価値があるかどうかの検討するまでもなく存在するのだから、それに伴うリスクやコストは考慮されない。
>書物じゃないんだから議論上重要とおもわないことまでいちいち根拠は書きませんぜ、ふつう。w
議論上必要だと思わないならいちいち「思うこと」は書きませんぜ、ふつう。w
>ん?脱却しなければ「中華の一部」になりえるんだけど。枠組みがなく、あるいは変質しうるよね。
「中華の一部」?「柵封体制」が分かっているかい?
柵封国は中華ではない。だから、制服でなく柵封する。柵封は枠組みがあった上で行なわれるもの。柵封の結果、枠組みがなくなるものではない。
例えば、朝鮮。柵封されてたけど、今も、枠組みはあるよね。
>ん?米国の一州になることをして「枠組みはある」とはいわないが・・・。
「敗戦後の独立の回復」しなければ「米国の一部」になる?思い込み。
占領統治は占領国の一部になることではない。きみの言い分では、敗戦からサンフランシスコ講和条約までは「米国の一部」になる。
>コストやリスクがあって、理由が発生するのではない。・・・に同意つまり本来的に理由があるはずだ・・・ということだよ。
枠組みの成立に理由はあるかい?
枠組み成立にもコストとリスクはある。
>なくならないというきみの言説に疑義が既に生じている。
「枠組みは正当性の主張より先行する」から。
きみが一生懸命言ってる理由や理屈は、「枠組みの正当性」の主張に他ならない。枠組みはきみの主張より先行する。よって、きみの主張では枠組みはなくならない。
>>398 一段目:どうどうめぐり
二段目:いかどうぶん
三段目:なんらかの一致によって生じる価値観にもとづいて国家権力は何事かを強制する
とかんがえるほうが正しいだろうし、現実に沿う。
>>399 一段目:だからなに?
二段目:最初から共有していないなら、なに?
三段目:枠組みが生じることと、それが維持されている事実は等価ではない。
>>400 一段目:いみふ
二段目:根源が変質すれば枠組みが維持されたとはいえないだろうよ、めぬけ。
三段目:そうなる余地があるという文脈なのだがばかなのか?
四段目:いまだ、その議論にはいってさえいない。検討すべきとのみもうしあげているが・・・。w
検討することさえいやなことはよくわかったが、もうはっきりいってじゃま。
日本国についてかんがえてみるがよい。枠組みが生じることと、その枠組みが
世代を超えて維持されている事実は等価ではない。
維持され続けているから、現在存在している。そこにいみや価値をみいだせないなら
我が国をよくして未来の国民にひきわたすという動機は生じないはずである。
したがって、価値を見いだせないひとには皇室の存在意義など検討する必要さえない。
政治思想を語る動機さえみいだせないだろうに違いない。
御苦労さま、さがってよろしい。
>>401 答えられずに遂に逆ギレかい?
>なんらかの一致によって生じる価値観にもとづいて国家権力は何事かを強制するとかんがえるほうが正しいだろうし、現実に沿う。
だから、「れは、強制され一致したものを一致があると思ってるだけ。」つまり「なんらかの一致」も、強制され一致したものである。「思う」だけで論じられても困るんだよ。
>最初から共有していないなら、なに?
「なんらかの一致によって生じる価値観にもとづいて」ないことになる。
>根源が変質すれば枠組みが維持されたとはいえないだろうよ、めぬけ。
枠組み(現実)は根源(正当性)よりも先行する。根源が変質しようと、枠組みはある。維持できないのは枠組みではなく、根源。
皇族がキリスト教に改宗したとして、皇族という枠組みはある。日本がイスラム教に改宗しても、日本という枠組みはある。
なくなるのは、それまで「皇族」の根源としていたもの、「日本」の根源としていたもの。
>そうなる余地があるという文脈なのだがばかなのか?
「そういう余地がある」という見地からならば、占領統治も「米国の一部」ということだね。
>いまだ、その議論にはいってさえいない。検討すべきとのみもうしあげているが・・・。w
だから、その議論に入りましょうよ。きみが答えられたら入れる。
>検討することさえいやなことはよくわかったが、もうはっきりいってじゃま。
「検討することがいや」なんて言ってませんよ。言ってないことで勝手に思い込む。きみの悪いところだ。
きみは私の言いたいことがまだ分かっていない。
>>402 >維持され続けているから、現在存在している。そこにいみや価値をみいだせないなら我が国をよくして未来の国民にひきわたすという動機は生じないはずである。
うまいねぇ。何が「維持され続けている」のか言及せずにぼんやり誤摩化している。
>したがって、価値を見いだせないひとには皇室の存在意義など検討する必要さえない。
失礼だね。きみが「なぜ価値を見い出せるのか」に答えていないだけである。私は何も判断していない。
だって、きみの主張の根拠を把握せずに勝手に「政治思想を語る動機さえみいだせないだろうに違いない。」なんて断定できないよ
>>403 一段目:根拠のない断言はどうなんだろうねw
二段目:継続するj過程で一致し他という可能性さえ見えないのか?
三段目:そりゃ枠組みがある・・・という状況に必ずしもなりえないだろうよ。
無論君が「吸収合併された痕跡をして枠組みがある」というのは勝手だが、それを俺は
ないと評価するよ。
四段目:違うと思うよ。つうか根拠がないから議論にさえならないね。
五段目:君とは無理な気がする。
>>404 一段目:日本という国が維持されている事実はあると思うが…。w
二段目:いや価値を見いだせない人なら「未来の子孫に貢献しよう」などと思わないだろうよ。w
貢献する動機がないなら、我が国の皇室制度についてその是非などを議論する剛毅さえ
生じないだろうよ。動機さえない人と価値の有無について議論するのは、俺には無理かなぁ。
>>406 >根拠のない断言はどうなんだろうねw
>>398で説明済。
>継続するj過程で一致し他という可能性さえ見えないのか?
だから、それは枠組みが成立したあとである。最初からは一致していない。これはOK?
きみの立場でいえば、それを踏まえて、継続した過程でどのように一致したか、である。
「なんらかの一致によって生じる価値観にもとづいて国家権力は何事かを強制する」というのは、「なんらかの一致」が最初からはないので、強制力はまず「なんらかの一致」を強制することになる。
つまり、れは、強制され一致したものを一致があると思ってるだけ。
結局、繰り返しになっちゃうな。
>そりゃ枠組みがある・・・という状況に必ずしもなりえないだろうよ。
>無論君が「吸収合併された痕跡をして枠組みがある」というのは勝手だが、それを俺はないと評価するよ。
キリスト教やイスラム教に改宗することがなぜ「吸収合併」になるのかい?
イギリスやフランス、サウジアラビアやイランは枠組みがないのか?
さっぱり分からない。
>違うと思うよ。つうか根拠がないから議論にさえならないね。
れのいう「ん?米国の一州になることをして「枠組みはある」とはいわないが・・・。 」が根拠のない思い込みだってことだね。
>日本という国が維持されている事実はあると思うが…。w
だから、枠組みは維持されていないんだってば。きみも頑固だねぇ。
>いや価値を見いだせない人なら「未来の子孫に貢献しよう」などと思わないだろうよ。w
それはきみの思い込み。どうしてこうも視野が狭い一点張りなのかな。
>>407 一段目:イミフ
二段目:「最初からは一致していない。」という断言はどうなんだろうね。こともある…じゃない?
三段目:改宗することを吸収合併といった覚えはないが…。
四段目:そういう根拠のない決めつけはどうなんだろうね。
五段目:具体的に…。
>>392 1>先祖から受け継いだものを子孫に伝える
2>こうした当たり前のことを考えられない人間が伝統・文化を消滅させ、
3>ひいては己のみの享楽に堕し、後先も考えずに資源を浪費し、自然を破壊していくのだ
1段目:当たり前のことではない
受け継いだもの±αを子孫に伝えるのが当たり前の姿。
2段目:文化の内に伝統は含まれるが文化と伝統は別のもの
伝統が消滅したからといって文化は消滅しない。
3段目:享楽に耽り文化が消滅するのは世の習い。文化が享楽を招き入れるのだ。
だからといって清貧は文化を押し潰すだけ。
後先を考えたところで生き物が活動すれば結局資源は消費され散逸する。
全ての生き物は自然の一部。特定の生き物が卓越すれば他の生き物は抑制された
り消滅したりするのも自然の一部。
文化は文化自身の毒によって殺されるのが自然の掟。
例えその文化がアミッシュのようなものであったとしても。
貴方の妄想する自然とか云うものを未来永劫温存したければ、農耕・牧畜をやめ
採取に頼り伝統も文化も持たない祖先の猿に戻るが宜しかろう。
この地上から人類を抹殺すれば貴方の自然はこの星が消滅するまで続くだろう。
答える能力がないなら答えなきゃいいのに。
>>408 >「最初からは一致していない。」という断言はどうなんだろうね。こともあるノじゃない?
だったら、自分の主張である「最初から一致していないこともある」の根拠を述べればいい。
きみは一切それがないんだよ。
>改宗することを吸収合併といった覚えはないがノ。
じゃ、何を吸収合併といったのかを述べて下さいよ。
>そういう根拠のない決めつけはどうなんだろうね。
決めつけは「敗戦後、独立回復しないこと」を「米国の一州になること」としたきみではないのかい?
>具体的にノ。
私は価値自体を見い出していないわけではない。枠組みにまで価値を見い出していない。枠組みはあるんだよ。価値があろうとなかろうとね。
枠組みと価値観は別。「枠組みが成立しないと正当性は成立しない」正当性=きみがさんざん主張する「共通の価値観」だよ。
共通の価値観は枠組みが成立してないと成立しない。共通の価値観が枠組みを維持するのではない。枠組みが共通の価値観を維持するのである。
きみはそれに対する反論を一切せず、共通の価値観が枠組みを維持するがごとく、維持すべき価値があるかどうかの検討を繰り返す。
私はその根拠を聞いている。ずっとずっと聞いている。いい加減答えて下さいよ。
私は価値観を見い出してるよ。枠組みに対してではなく、価値観に対してね。ただし、枠組みが成立してから共通の価値観があるとは思っていないし、共通の価値観が枠組みを左右するとも思っていない。
「我が国をよくして未来の国民にひきわたす」のに、きみのいう共通の価値観が邪魔だったらどうなるのかい?
私は共通の価値観を排除するよ。そうするのがよくすることだろう。違うかい?
>>410 >自分の主張である「最初から一致していないこともある」の根拠を述べればいい。
根拠?単純に動物でも一つの集団をつくるという一点で十分だと思うが。
>何を吸収合併といったのかを述べて下さいよ。
普通に考えて、チベットのようにされ、あるいは半島のように併合されることを指すと思うが。
>きみではないのかい?
俺は断言していないが、それはともあれ、俺が断言すると君は断言していいのかい?
最終段:価値観の存在と枠組みの価値の存在は別の問題ジャマイカ。噛みあっていない。
つづき
> 共通の価値観は枠組みが成立してないと成立しない。
逆だろうよ、共通の価値観があるから、一つの社会という枠組みが「共通の秩序」を媒介として
成立するんだよ。
一つの社会が一つのものとして存在し続けるということは、共通の社会秩序をもつための
共通の価値観が一定程度あるわけだろうよ。無論、秩序自体が価値観を再生産しその価値観が
秩序を再構築(再確認と変化だね)する相互関係にあるといってもよいが、それにしても
根元的な価値の序列が維持され世代を超えて継承されていくからこそ、その社会という枠組みが
継続されるのは、基本的には間違いがない。(決定的な侵略や破壊や同課などによって根源的に
変わる場合もありうるという意味で、基本的にと言っているわけだ)
>>411 >根拠?単純に動物でも一つの集団をつくるという一点で十分だと思うが。
ユニークさを求めるきみが「動物」かよw
「動物でも一つの集団をつくる」だけなら「最初からは一致していない」。価値観の一致は動物には求められないからね(能力がない=価値観の一致でない枠組み)。
「最初から一致していないこともある」なら「最初から一致していることもある」というのがきみの言い分だよな(「一致していない」のは双方同意している)。
「動物でも一つの集団をつくる」のがなぜ「最初から一致していることもある」のかきみは答えなきゃ、話にならない。
ユニークさを求めるなら、単純には説明できないでしょう。それぞれ違うんだから。
>普通に考えて、チベットのようにされ、あるいは半島のように併合されることを指すと思うが。
そんなことを私がどこで発言しているんだい?
>俺は断言していないが、それはともあれ、俺が断言すると君は断言していいのかい?
きみはもっと自分の発言に自信を持った方がよい。あと、責任も
>価値観の存在と枠組みの価値の存在は別の問題ジャマイカ。噛みあっていない。
きみが噛み合っていないというのなら説明すりゃいいじゃん。
私には同じに感じるけどね。色々理屈をこねてるだけで。
>自分の主張である「最初から一致していないこともある」の根拠を述べればいい。
と言っているから一致していない場合の根拠を述べたわけだが…。(動物)
一致していることもある根拠かいな。いろいろとうるさい香具師だ。
ユダヤ人が国を作りイスラエルという国土と統治機構をもった枠組みを作った事例は
一致していることもありうるという証明だとすでに言っているはずだが…。
>そんなことを私がどこで発言しているんだい?
しらんがな。俺は君がそう発言していると言っていない。
> きみはもっと自分の発言に自信を持った方がよい。あと、責任も
しらんがな。つうか責任や自身がないという根拠がないよな。w 2chだし・・・w
>きみが噛み合っていないというのなら説明すりゃいいじゃん。
いみふなんだから、説明のしようがないわけだが…。まぁ、別に説明の義務などないわけだし。
何を期待しているか知らないが、ここは2chだぜ。w 君の期待にこたえる義務など、俺には毛頭ない
という意味でおれと君は対等なわけだが…。
>何を期待しているか知らないが、ここは2chだぜ。w 君の期待にこたえる義務など、俺には毛頭ない
要するにここはれのオナニースレッドです。
>嘘つき政党 ◆gM9aqy9I0c
キミもれのオカズの一人にすぎません。・・・・合掌w
・・・と、自慰的書き込み御苦労さん。
> 「我が国をよくして未来の国民にひきわたす」のに、きみのいう共通の価値観が邪魔だったらどうなるのかい?
> 私は共通の価値観を排除するよ。そうするのがよくすることだろう。違うかい?
言いたいことはよくわかるわけだが、よーく考えるとおかしな話だよ、それ…。
いや、もちろん「共通する価値観」にも善し悪しがあるよね。例えば死穢を忌避するという価値観は
いまだにあるわけだが、それは部落差別感情につながっているわけで、俺はそれを是としていないから
伝統や慣習を大切にするといっても、悪しき因習の存在を否定するのではないということと同様で
共通する価値観のすべてが好ましく変わってはならないと考えているわけではない。
しかしだな、「我が国を良くして未来の国民に引き渡す」ときの「良くする」という意味は、当然に
「未来の国民に寄与する」という意味だと思うわけだ。良いという評価を現代のわれわれと
未来の国民が一定程度「共有する」はずだという確信がなければ、よくして引き渡すことなど
可能だと思えないことはわかるよね。
つまり「全くすべて」が邪魔なことはあり得ないということだと思うんだがどうだろう。
少なくとも、未来の国民との一致点があるであろう推測は、一つには「全人類的共通性」という
経験的な根拠に基づくだろうし、もう一つは「日本人としての共通性」が歴史などから
確信できるからじゃないかと俺は思うけどねぇ。
全人類的共通性しか信じられないなら、「我が国だけよくしてどうする」という気もしないではないし。
つづき
つうか俺には「全人類的共通性」を確信することはできるが「日本人としての共通性」は否定するという
考え方は、どうもアンバランスだと思うんだよね。
全人類的共通性が歴史を通じた経験によって確信できるなら、同様に日本人としての共通性も
確信できてしかるべきで、それを確信できないとすれば、おそらくそちらに目を向けないが故だと
俺は思うわけだよ。
で、ほぼ「全人類的共通性」を言っている内実は「西洋キリスト教圏における共通性」に限定されて
いる場合がほとんどのように思えるなぁ。
人の平等などといってもいやまぁどこの国でも公平性という概念はあるのだろうけれども、現代の
日本や西洋民主主義を標榜する国の平等性は必ずしも人類共通の好ましき価値観だとも
言えないわけでしょうよ。イスラムとキリスト教は決定的に今対立している中で、全人類的共通価値
観などというほどに傲慢にはなれないなぁ。
人類という属性は生物学的な属性だが、日本人という属性は民族学的な属性に過ぎないから、両者は大きく違っていると思うよ。
>>419 共有する価値観と生物学的属性は、まぁ、全く無関係だとまでは言わないが、
それなら、全哺乳類的(あるいは全類人猿的)共通性と、人類的共通性は、
どのあたりに違いが出るのかよくわからん気がする。w
もちろん全哺乳類を通じた共通のものもあるが、
理性に基礎を置く共通価値は、理性を持つ人類特有のものだろう。
>>421 「理性」なるものを確信するのは「全人類的」ではないですよ。
ほぼ「全人類的共通性」を言っている内実は「西洋キリスト教圏における共通性」に限定されて
いる場合がほとんどのように思えるなぁ。・・・のよい事例かと。
アリストテレスはキリスト教徒じゃなかろうに。
「理性」という言葉が気に入らないなら、「良心」でも「社会性」でもいいのだが。
いずれにしても、他の動物が持たない人間特有の知的な働きに基礎を置く共通価値は人類に特徴的なものだ。
>>422 人間とされる動物の中には理性的ないもの
つまり人間ではないものが混在しているということだな。
人間ではない人間は狩のターゲット、オモチャだから
どう取り扱おうと構わないってことだな。
理性=損得勘定
そんなにありがたがって拝むモンじゃない
>>424 キリスト教圏で共有されているという意味ですが…理性が。
良心?良心があるということに同意したとしても、その良心の内容は人類共通とは
言えないと思うし、(両親なら前ほにゅうるい的だしw)、社会性なら、オオカミとか猿にもあるし。
つうか、価値観(価値の序列の)共通性という意味でから、生物学的にとか言われても
具体的にどんな価値観がどのような序列において存するかを例示しないと、単に
抽象的なだけで、ぜんぜんワカンナ〜〜〜イ。
前にも書いたけれども「殺人はイクナイ!」という価値観が人類共通だとしても、社会秩序
における「イクナイ殺人」と「許容されるヒトゴロシ・・・戦争だとか正当防衛とか死刑執行とか」
の分別が、さほどに人類において均等に合意されているとは思えないわけだし…。
まぁ、はっきりいえば「日本人の共通性」という時に批判としてでてくる内容は、まったくもって
「全人類共通の価値観」の存在にも当てはまることがほとんどなわけだが、
そういう意味でも、全人類的共通性を広くみとめ、日本人の共通性を顧みようとしない人の
(いや、あなたがそうだと断定しているわけじゃないよ)アンバランスさは、否めない。
>>414 >ユダヤ人が国を作りイスラエルという国土と統治機構をもった枠組みを作った事例は
>一致していることもありうるという証明だとすでに言っているはずだが…。
「ユダヤ人」という枠組みが成立してるでしょうが。全然「(価値観が)最初から一致していることもある」根拠になってませんよ(枠組みが先)。
>しらんがな。俺は君がそう発言していると言っていない。
無論君が「吸収合併された痕跡をして枠組みがある」というのは勝手だが、(
>>406)
言ってるじゃん。
>しらんがな。つうか責任や自身がないという根拠がないよな。w 2chだし・・・w
敗戦の弁ですか?
>君の期待にこたえる義務など、俺には毛頭ないという意味でおれと君は対等なわけだが…。
期待にこたえる義務がないのではなく、こたえる能力がない。期待はしていないよ。こたえられたら、れは自分の主張を撤回しなくちゃならない。
キリスト教圏にはいなかったアリストテレスをはじめとしたギリシア人には共有されていたわけだろ。
「理性」というのは端的に言えば自らの行動を律し制御する能力のこと。
こういう能力は、人間なら誰でも持っているし(責任能力のない者は除く)、人間以外の動物は持っていないとされている。
> 「ユダヤ人」という枠組みが成立してるでしょうが。
うん、成立しているよ。国という枠組みの定義の問題だし、俺は何度も
統治機構と人々と地域と枠組みの定義をしているんで、人々の枠組みが成立していることと
国という枠組みが成立していないことは矛盾しないんで…。
> 言ってるじゃん。
うんいっているよ。あなたがそう発言したとしても自由だと言っているだけで、発言したなどと
書いていないでしょうよ、読めないの?
> 敗戦の弁ですか?
運送とってもいいよ、別に俺は勝ち負けなんて全く意識していないから…。
あなたを説得するとか論破アするとか議論に勝つなどという目的は一切ないのよ。
議論の中でROMっている人にほんの少しでも「なるほどなぁ」と思っていただければよいという動機だから
買ったとあなたが思えばいつでも買ったと思ってくださいな。
>>429 いやその部分のギリシャ哲学を是として共有しているのは現在のキリスト教圏の人々だという意味ですよ。
別に過去のギリシャ人がどう共有していたかは俺は興味がないんで。
>「理性」というのは端的に言えば自らの行動を律し制御する能力のこと。
貴方語りは自由ですが、何か根拠となる定義のソースでも出してもらわないと
その定義を共有できません。
少なくとも、理性とは「自然の法則や正しさ」を認知できる能力のことであって、その認知した
正しさに対して自己を制御するということじゃないかと思いますよ。認知の部分を欠落したら、
違うことになってしまいますよね。(心臓を止める・空中浮揚などが含まれてしまいますからw)
で、つうか、価値観(価値の序列の)共通性という意味でから、生物学的にとか言われても
具体的にどんな価値観がどのような序列において存するかを例示しないと、単に
抽象的なだけで、ぜんぜんワカンナ〜〜〜イ。 (二回目)
>>417 >言いたいことはよくわかるわけだが、よーく考えるとおかしな話だよ、それノ。
きみの言ってることがおかしいよ。
>いや、もちろん「共通する価値観」にも善し悪しがあるよね。
この時点で、れのもつ価値観と「共通する価値観」が一致していないことになる。つまり、れの価値観は「悪し」としている部分で共通化されていない。
わたしはれを否定していないよ。差別はよくない。でもね、共通する価値観をれの個人的価値観で分別しそれが正当化されたら、それはもはや共通する価値観で一致しているとは言えないんだよ。
>良いという評価を現代のわれわれと未来の国民が一定程度「共有する」はずだという確信がなければ、
死穢を忌避するという価値観は?
「いまだにある」のは過去の日本人と現代のわれわれ日本人が一定程度「共有」しているから。そこに「良いという評価」も「確信」もないよ(誰の評価で確信なのか?)。
>未来の国民との一致点があるであろう推測は、一つには「全人類的共通性」という経験的な根拠に基づくだろうし、
なんだよそれ?
いきなり新しい理屈が登場?
>もう一つは「日本人としての共通性」が歴史などから確信できるからじゃないか
歴史から確信できるならなぜ「善し悪し」で判断するのか?
>全人類的共通性しか信じられないなら、「我が国だけよくしてどうする」という気もしないではないし。
全人類でも日本でもいいけど、価値観の共通性があるとは思っていない。まして現在、過去、未来の共通性など・・・。
共通性はないけど、代わりにあるものがあるんだよ。
>>418 >つうか俺には「全人類的共通性」を確信することはできるが「日本人としての共通性」は否定するという考え方は、どうもアンバランスだと思うんだよね。
私は「価値観に共通性がある」に疑問なんだよ。きみは「共通性がある」という前提で話してるが、その前提の根拠の説明が一切無い。
>で、ほぼ「全人類的共通性」を言っている内実は「西洋キリスト教圏における共通性」に限定されている場合がほとんどのように思えるなぁ。
この指摘は私には無意味。価値観の共通性を基準として認めていないのだから。
> 人の平等などといってもいやまぁどこの国でも公平性という概念はあるのだろうけれども、現代の日本や西洋民主主義を標榜する国の平等性は必ずしも人類共通の好ましき価値観だとも言えないわけでしょうよ。
「人の平等などといってもいやまぁどこの国でも公平性という概念はあるのだろうけれども」というのが疑問。根拠がない。
結局、ここでも根拠が「だろう」と個人的思い込みだ。
>イスラムとキリスト教は決定的に今対立している中で、全人類的共通価値
観などというほどに傲慢にはなれないなぁ。
「つうか俺には「全人類的共通性」を確信することはできる」んだろう?
わけわからんw
きみは傲慢なんじゃなかったのかい?
>>430 >うん、成立しているよ。国という枠組みの定義の問題だし、俺は何度も統治機構と人々と地域と枠組みの定義をしているんで、人々の枠組みが成立していることと国という枠組みが成立していないことは矛盾しないんでノ。
だったら、ユダヤ人とイスラエルという例をだしたきみの意図がわからない。自分の答えの言い訳だよね。
「逆だろうよ、共通の価値観があるから、一つの社会という枠組みが「共通の秩序」を媒介として成立するんだよ。」(
>>412)
社会という枠組みより先に「共通の価値観があるから」―この根拠を改めて聞く。
>あなたがそう発言したとしても自由だと言っているだけで、発言したなどと
書いていないでしょうよ、読めないの?
いみふ
>運送とってもいいよ、別に俺は勝ち負けなんて全く意識していないからノ。あなたを説得するとか論破アするとか議論に勝つなどという目的は一切ないのよ。
でも、少しは自分の発言に自身と責任を持ってほしいもんです。
>議論の中でROMっている人にほんの少しでも「なるほどなぁ」と思っていただければよいという動機だから買ったとあなたが思えばいつでも買ったと思ってくださいな。
裸の王様になりたいのかい?
根拠が説明できないのに、「なるほどなぁ」とは思わない。もしそう思うとしたら、それこそ根拠もなく盲信してる信者みたいなものだよ。
>>420 >共有する価値観と生物学的属性は、まぁ、全く無関係だとまでは言わないが、
関係があるのかい?
>それなら、全哺乳類的(あるいは全類人猿的)共通性と、人類的共通性は、どのあたりに違いが出るのかよくわからん気がする。w
生物学的には明確な違いは無い。強いていえば、知能の高さである。
>>427 >前にも書いたけれども「殺人はイクナイ!」という価値観が人類共通だとしても、
例として出したのは分かる。仮定の話だということも分かる。
でも、その根拠がない。
>分別が、さほどに人類において均等に合意されているとは思えないわけだし…。
前提に根拠がないから導きだされた結論もひどい
「人類において合意されている」と思う(思い込む)根拠がない
>>431 一段目:根拠も指摘もない断言は読みながし
二段目:いみふ
三段目:頓珍漢
四段目:初めから言っていると思うが…。
五段目:価値観の共通がないなら、よくして引き渡すのはオナニーだろうよ。
>>432 > 私は「価値観に共通性がある」に疑問なんだよ。
じゃぁ、よくして引き渡そうとするときの、よくしているという認識は何に基づくんだい?
> 社会という枠組みより先に「共通の価値観があるから」―この根拠を改めて聞く。
社会とはなんおじゃという部分に回答がある。多少は考えてみろよ。
あとは読み飛ばし
つうか、基本的な部分で書いているよね。もう一回切り口を変えて書くよ。
よりよい社会をつくるという場合に、政治思想的には「よりよい秩序体系を作る」という意味だと
思ってよいはずだし、つまり未来に引き継ぐべき「よりよい社会」とは、未来の人々にとって、
よりよい社会である」と「評価される社会」であるというしかない。
ある秩序体系がよいと評価されるということは、その価値観の一致があるとかんんが得ない
限り馬鹿な話である。未来の人の多数がよりよいと思う秩序体系を作り引き継ごうとするものが
「人々の価値観の一定程度の一致」に疑問を呈するというのは、極めて本末転倒な笑い話なんだよ。
俺がいっている価値観の一致というのは、そもそも相当に根源的で限定されている部分のことだぜ。
人に迷惑をかけるのはよくないとか、物事は関係者で話し合って妥協譲歩しながら解決しようとか
さまざまな宗教や思想が共存する社会では誰かや何かを絶対的正義だとすることは好ましくないとか
自己実現を自分の分に応じて測ることは好ましいことで、それに嫌気をさすような社会はイクナイとか
そういう基礎的に合意されていることのことだぜよ。
社会に秩序があるということは一定程度の価値観の合意が既に存在しているということだろうよ。
(全く権力者の都合だけで民衆を完全にないがしろにした秩序など非現実。)
>>436 >未来の人の多数がよりよいと思う秩序体系を作り引き継ごうとする
妄想を逞しくして、大きなお世話ダナ。痴がましい限り。
未来をどのようなものと妄想すれば、未来の人の多数がよりよいと思う秩序体系
なんてものを考え出せるのかね。
高々五年十年の超近未来さえロクスッポ予想も想像も出来ない貧弱な頭でサ。
>>435 >価値観の共通がないなら、よくして引き渡すのはオナニーだろうよ。
「共通の価値観がある」という根拠を示せていない以上、きみもオナニーである。
>>415がよっぽど頭に来たんだね。
>じゃぁ、よくして引き渡そうとするときの、よくしているという認識は何に基づくんだい?
自分の価値観。それ以外にあるかい?
>社会とはなんおじゃという部分に回答がある。多少は考えてみろよ。
社会とは、複数の動物によって構成された集団。
>>436 >人に迷惑をかけるのはよくないとか、
なぜ人に迷惑をかけるのはよくないのかい?
>物事は関係者で話し合って妥協譲歩しながら解決しようとか
妥協譲歩できなかったらどうするのかい?
>さまざまな宗教や思想が共存する社会では誰かや何かを絶対的正義だとすることは好ましくないとか
きみは「共通する価値観がある」ことを絶対化しようとしてますね。
>自己実現を自分の分に応じて測ることは好ましいことで、それに嫌気をさすような社会はイクナイとか
きみは「自分の分」がわかっているのかい?
もう少し具体的に頼みます。
>>437 未来の人々に貢献しようとする意欲がなければ、政治思想を語ることさえ無駄だと思うが。
少なくともここは政治思想という名の場所ではあるわけだが、君はなぜここにいるの?
>>438 共通の価値観があるという根拠は、まさに歴史の中にあると言っている。
どのような価値観があるかも例示している。君がわからないことは君に原因がある希ガス。
> 自分の価値観。それ以外にあるかい?
いや、だから、、君の価値観が未来の人の価値観と一致している部分が多少でもなければ
「妄想を逞しくして、大きなお世話ダナ。」と批判されても、何の反論もできないぜ。
> 社会とは、複数の動物によって構成された集団。
複数によって構成されたものを集団というんだから、社会は集団であると言っているに等しい
わけだが、集団と社会は違うよね。
> もう少し具体的に頼みます。
もう少し具体的に、「そのような価値観の共有の存否」についてあなたの意見をお願いします。
そういう価値観の共有がないといいたいわけか?
あのな、基本的なことを理解しない奴は馬鹿なんだと思うぞ。
「自分の価値観で、未来の人に貢献しようと、社会の秩序に関する価値の序列を語ること」
を政治思想を語ることだと、考えてみよう。
この場合「自分の価値観」が、その社会の人々とある程度の一致があろうことと、
その社会の人々の価値観は、その社会の未来の人々に引き継がれるであろうことを
前提としているはずなんだが・・・そだろ?
↑このことさえ理解できないなら、論外の馬鹿だろ俺は思うな。
>>438 >共通の価値観があるという根拠は、まさに歴史の中にあると言っている。どのような価値観があるかも例示している。君がわからないことは君に原因がある希ガス。
だから、全然具体的じゃない。「ある」というのなら、具体的な例示もできなくちゃおかしい。
>いや、だから、、君の価値観が未来の人の価値観と一致している部分が多少でもなければ「妄想を逞しくして、大きなお世話ダナ。」と批判されても、何の反論もできないぜ。
批判をなぜ恐れるのかい?
反論はできるだろう。なぜなら、それが「自分の価値観」だから。
未来の人の価値観は違う。なぜなら、現代を生きる私と未来の人とは価値観を形成する経験が違うから。当然、過去に生きた人もね。
確信するのは「自分の価値観」である。未来の人との「共通する価値観」を確信するのではない。
そうじゃないと、「よくする」という確信には至らない。「自分の価値観」がよいと確信するから「よくして引き渡す」ということが可能になる。
未来の人がそれをよいと思えば価値観がそこで一致する。最初から一致しているんじゃない。
きみは何を確信しているのかい?なにをよくしようとしているのかい?
>複数によって構成されたものを集団というんだから、社会は集団であると言っているに等しいわけだが、集団と社会は違うよね。
同意を求められても困るなー。同じだよ。違うというのなら、何が違うのかを指摘してもらわないと
>もう少し具体的に、「そのような価値観の共有の存否」についてあなたの意見をお願いします。そういう価値観の共有がないといいたいわけか?
論点が見えなくなっているのかい?
きみの主張は、前提として「共通の価値観」があって「共通の秩序」が成立し、その「共通の秩序」を通じて社会という「枠組み」ができるというものだ。
当然、「枠組み」が持つ「強制力」は「共通の秩序」という縛りを受け、「共通の秩序」維持のために「強制力」は働く、としている。
私の主張は、前提として「枠組み」がある。その「枠組み」がもつ「強制力」を通じて「秩序」がつくられる。その「秩序」を通じて「価値観」が共通化されるというものである。
「強制力」は権力者の都合で働く(共通の価値観ではない)。民衆は太古よりずっと権力者の「強制力」によって抑圧されてきた。
近代になり民主主義が成立し、権力者を選択できるようになり、また「強制力」にも民衆の意思が反映されるようになっても、民衆が「強制力」によって抑圧される構図は変わっていない。(この辺は最初の論点である。きみはわからないだろう)
さて、ここ最近の論点であるが、
きみは、「共通の価値観」があるから価値観は一致するとしている。
私は、「価値観」は最初から一致していない。そのような「共通の価値観」などはない。「価値観」は「枠組み」が持つ「強制力」によって共通化されるというものである。
>>440 >この場合「自分の価値観」が、その社会の人々とある程度の一致があろうことと、その社会の人々の価値観は、その社会の未来の人々に引き継がれるであろうことを前提としているはずなんだが・・・そだろ?
「価値観の一致」と、「価値観の引き継ぎ」はちがいます。きみは未来の人の価値観を決めつけすぎです。価値観の強制、抑圧。
きみが例に挙げた「共通の価値観」はよいものですか?なぜですか?
というか、なぜきみが、未来の人と「価値観の一致」があるとおもうのでしょうか?自分で無意識に答えていますよ。
443 :
黒旗:2007/09/27(木) 00:52:10 ID:???
栞
>>363久しぶりなのに栞挟むだけで申し訳ない…もう忘れられてたりしてな。
>>441 >だから、全然具体的じゃない。「ある」というのなら、具体的な例示もできなくちゃおかしい。
出しているんだが…。w
二段目:違うか同じかの二元論じゃなくて、根源的な一定の一致の話をしているんだが…。
一定の一致がある=一致している部分以外は違う。
>同じだよ。違うというのなら、何が違うのかを指摘してもらわないと
秩序の存在に決まっているじゃない。無秩序な集団はありうるが秩序のない社会はあり得ない。
> 「強制力」は権力者の都合
こういうのを、何というのかなぁ、都市伝説というか妄想というのか…。
ありえないんだよね。「権力者の都合のみで、民衆の価値観と全くかい離する秩序」を、
権力者が強制できる・・・という思い込み?子供すぎて話にならないぜ。w
強制力の背景は武力だぜ。民衆を従わせる程度の武力を権力者の身で掌握できると思っているなら
そりゃ荒唐無稽。
で何度言わせる?一定の(全面的でなく、よい社会という評価について検討できる程度の)価値観の一致
例えば平安と戦争状態では平安の法が好ましいだとか…wがなければ、社会の改革など
できようはずがないだろう?
>>443 俺はパート1で議論した人さえ忘れないタイプだぜ。
SーRAMも覚えてるの?
ラムタンは噂ではニュース議論あたりにいると聞いたが。
>>444 >出しているんだがノ。w
「歴史の中にある」のだろう?だったら、その「歴史の中にある」事例を示してよ。
>違うか同じかの二元論じゃなくて、根源的な一定の一致の話をしているんだがノ。
>一定の一致がある=一致している部分以外は違う。
「未来の人がそれをよいと思えば価値観がそこで一致する。最初から一致しているんじゃない。
きみは何を確信しているのかい?なにをよくしようとしているのかい?」
ちゃんと「一定の一致の話」をしている。
>秩序の存在に決まっているじゃない。無秩序な集団はありうるが秩序のない社会はあり得ない。
初見だよ。「集団と社会の違いは秩序の存在の有無」ソースを頼みます。
>強制力の背景は武力だぜ。民衆を従わせる程度の武力を権力者の身で掌握できると思っているならそりゃ荒唐無稽。
発想が逆。民衆を従わせるほどの武力を掌握できたから、民衆を従わせることができる。民衆を従わせた範囲が枠組みになる。
掌握できなければ、枠組みが成立しない。
>で何度言わせる?
きみが私の質問に的確に答えるまで。
>一定の(全面的でなく、よい社会という評価について検討できる程度の)価値観の一致例えば平安と戦争状態では平安の法が好ましいだとか…wがなければ、社会の改革などできようはずがないだろう?
「平安」とは戦争のない状態ではない。「平安」とは以前と変わらずおだやかである状態である。以前と変わらないのだから変化のない状態である。
ところが、きみは「平安の方が好ましい」状態で「社会の改革」という変化を主張する。変化しないことを好むのに、変化ができるとする。共通の価値観の前に、価値観じたいが矛盾してる。
「戦争状態」をどういう状態と思ってるのかは知らないが、「戦争」とは目的達成のための手段であり、「平安」とは対比できる概念ではない。
>>448 > 「歴史の中にある」のだろう?だったら、その「歴史の中にある」事例を示してよ。
だから、出しているって。
>未来の人がそれをよいと思えば価値観がそこで一致する。最初から一致しているんじゃない。
最初に未来の人は存在しないぜ。w
>「集団と社会の違いは秩序の存在の有無」ソースを頼みます。
日本語。
>民衆を従わせるほどの武力を掌握できたから、民衆を従わせることができる。
論外。民衆を従わせるほどの武力を行使するのは、その民衆の一部です。武力による強制など
まったくもって、刹那的な秩序しか構築できません。それを歴史から読み取れない人は、
あふぉですな。部慮いく出天下を統一したものが、常に何らかの権威と何らかの理念を
なぜ必要とするかさえ理解できない馬鹿なら、いくら回答しても、納得しないだろうし
納得しない自分のあふぉさを顧みず、不適格な回答だと評価するだろう。www
>>449 的確に回答しているのに、なぜ何度も言わせる?と質問しているわけだが…。w
451 :
右や左の名無し様:2007/09/29(土) 12:38:24 ID:OTDUpyUw
れ ◆r0FmiN9ADk
髪結いの亭主
>>450 >だから、出しているって。
どこに?
>最初に未来の人は存在しないぜ。w
あふぉか。
だったら、その存在しない人との価値観の一定程度の一致はもっとありえない。
>日本語。
ソースがない。言葉の定義かられの勝手な思い込み。
>論外。民衆を従わせるほどの武力を行使するのは、その民衆の一部です。
その通り。
その民衆の一部であって、民衆全体ではない。共通の価値観に基づいて行使されるのではない。
>武力による強制などまったくもって、刹那的な秩序しか構築できません。
刹那的でも秩序を構築できるということだね。
>部慮いく出天下を統一したものが、常に何らかの権威と何らかの理念をなぜ必要とするかさえ理解できない
それが共通の価値観と関係あるのかい?
武力で天下統一したものは、権威となんらかの理屈を必要とするとして、武力で天下統一したものであることには変わらないだろう?
本当に回答になってないんですけど。
>的確に回答しているのに、なぜ何度も言わせる?と質問しているわけだがノ。w
>>449の下に「的確に回答していない」事例があるんだけど、それは無視かい?
>>452 > どこに?
このスレや過去スレに…。
> だったら、その存在しない人との価値観の一定程度の一致はもっとありえない。
ありえないと断定するのも、ありえないという意味がわからないか?
>言葉の定義かられの勝手な思い込み。
いや、暴徒「集団」に秩序はない。社会と呼べるもので秩序がないものはあるかい?
なければ「集団」と「社会」では、秩序が一つの区別の要素になる。こんなことも
理解できない?冷笑
>共通の価値観に基づいて行使されるのではない。
ないと断定するのは間違っている。行使されない場合もあり行使される場合もある。
君こういう論理に関する議論が全然だね。
短期的にはありうるのよ、為政者の全くの自己都合で民衆の共有する価値観と決定的に
対立する秩序が成立する状況が…。しかしそれは長続きしない…なぜなら、民衆の価値観と
かい離しているからだよ。w
>それが共通の価値観と関係あるのかい?
かんけいがわからない程度なんだね。w
あなたの自分語りに合致していないことをして的確でないとは普通は言わない。
>>453 >このスレや過去スレに…。
→具体的にどこだって言えないんだね。
>ありえないと断定するのも、ありえないという意味がわからないか?
→いや、「 最初に未来の人は存在しないぜ。w」という理屈が通るなら、きみの主張はもっとありえない。
>いや、暴徒「集団」に秩序はない。社会と呼べるもので秩序がないものはあるかい?なければ「集団」と「社会」では、秩序が一つの区別の要素になる。こんなことも理解できない?冷笑
→「暴徒」にも秩序はあるよ。物を投げる、火をつける、人を殺す、、、暴徒の行為はその集団では許される(秩序)のです。もしそれぞれが本当に無秩序に暴徒と化していたら集団を形成できません。
やはりれの思い込み。
>君こういう論理に関する議論が全然だね。短期的にはありうるのよ、為政者の全くの自己都合で民衆の共有する価値観と決定的に対立する秩序が成立する状況が…。しかしそれは長続きしない…なぜなら、民衆の価値観とかい離しているからだよ。w
→あのねぇ、れの理屈のほうがよっぽど自己都合なんじゃないのかい?
成立したものが長続きしないのは、単に権力者の力が弱いだけ。そこまでの力しかなかったということ。乖離している価値観をいかに自分に従わせるかが力。
民衆の共通の価値観が、権力者による秩序の長続きしない理由になるというのなら、なぜ、権力者による秩序の成立する時にそれが成立できない理由にならないのか。
>かんけいがわからない程度なんだね。w
きみが説明してくれないとね。
> あなたの自分語りに合致していないことをして的確でないとは普通は言わない。
きみは本当に「浅い」よね。これだけ強く自己主張していて、根拠やソースをこれほど提示できない人は初めてだよ。
455 :
右や左の名無し様:2007/09/30(日) 15:44:08 ID:kO+LaM5n
>きみは本当に「浅い」よね。これだけ強く自己主張していて、根拠やソースをこれほど提示できない人は初めてだよ。
だから、dempaなんだってば(汗
> →具体的にどこだって言えないんだね。
終えは固定ハンドルなんだから、検索するぐらい自分でしろよ。
>物を投げる、火をつける、人を殺す、、、暴徒の行為はその集団では許される
に頬語として、それは許されてもいないし秩序でもない。
>成立したものが長続きしないのは、単に権力者の力が弱いだけ。
具体的に歴史的事象を提示して証明しなよ。長続きさせるために徳川は、「武断政治から文治政治に
切り替え日本型朱子学を提示するなどしている」わけだよね。
無論当時の日本中の武力の中で、徳川が掌握している武力はどの程度か分かるよね。
そもそも、権力者以外の民衆が武力を有していないという状況が、君の脳内では暗黙にあるんじゃないの?
それは宗教勢力を含めた民衆の武力を意識的に(というより積極的に)はぎとってきた信長から家康までの
政治的な武力解除政策の結果だぜ。兵農分離をしてもなお、徳川の武力たるや主従・同盟・血縁関係に
よって支えられている程度ですよね。
で、肝心なことをすこし書いておこうか…。
権力掌握には武力が必要なわけだ。ここに異論はない。
で、この武力というのは「権力掌握のための抗争」のときは膨れ上がるわけだ・・・武器も兵士も。
しかしいったん権力を掌握したら、この武器も兵士も不要になってくる。(武将は排除される方向だ。)
今まで武力で領土と名声を得ていた武装勢力が、そのチャンスを奪う権力者に素直とまでは言わなくとも
従うには、権力者の武力じゃ無理なことは日本史を見るだけでも十分すぎるほど分かると思うぞ。
と根拠を示してもどうせ全く理解しようとしないだろう君に、ソースや根拠を提示しない自由は
俺にはあるし、それがいやなら、自分で議論を進めるか、レスしなければいいと思うのだが…。w
権力は武力によって支えられる・・・これは間違いのないことなわけだが
「権力は武力のみによって支えることが可能である」これは相当に間違いなわけだ。
(刹那的・短期的な継続を「支える」と、ここでは言わないとしての話だな。)
これは政界の常識です。そもそも民衆派武装しています。少なくとも武装可能です。
ここを理解していない人は、単なる平和ボケなんですよ。
そしてその民衆は、誰かにつき従っています。主従関係があるということです。
主従関係は人柄や縁故、血縁、そして報酬的契約、あるいは理念の共有によって成立しています。
どのような動機での主従関係でも、その武装勢力の各トップとの関係を権力者は構築しない限り
権力は支えられません。
ここで重要なのは「報酬的契約における主従関係」です。まぁ、ニヒリスティックな人はおおむね
これが最も強い主従関係の動機だろうというでしょう。俺はその意見に相当程度同意します。
で、権力抗争が終われば、膨れ上がった兵士と武器は無用の長物になるばかりでなく、権力維持
のための兵力は、その報酬を十分に支出できず、結果各々の主人が権力抗争の主役に躍り出ようと
甲総を繰り返すか、あるいは「唐いり」のように外部にその兵力を向ける以外に、なかなかよい手立て
がありません。
徳川の場合は、唐いりの失敗による厭戦観と、天皇の権威を利用した日本型朱子学の提示
によって、この戦争のスパイラルから逃れられたわけです。
甲いう基本的な理解もなく「権力者の全くの自己の都合で民衆と乖離した秩序を武力によって
維持できると考えるのは、歴史御地以前に無知蒙昧と言って差し支えないでしょう。w
>権力者の全くの自己の都合で民衆と乖離した秩序を武力によって
>維持できると考えるのは、歴史御地以前に無知蒙昧と言って差し支えないでしょう。
現実の全ての秩序権力は武力により支えられているのだが。
武力のみではないって?そう武力は必須要素だが武力だけでは十分ではないからな。
武力以外の必須要素は?それはエネルギー、中でも食料が取分け重要だな。
民衆は武装可能か?誰がその武装を継続的に民衆に供給するのだい?
権力に対する武力(の内実)やエネルギーの供給源は何或いは誰なのかな?
民衆なのだなこれが。だから権力は武力源やエネルギーが滞りなく供給され続けるよう
武力によって民衆を監理するのだな。この監理システムを社会秩序というのだな。
監理システムの目指すところは権力者に最大限のエネルギーを供給することなのだ。
マッ、百姓と油粕は絞れば絞るほど取れるってのが監理の基本だ罠。
>現実の全ての秩序権力は武力により支えられているのだが。
権力は武力によって支えられる・・・これは間違いのないことなわけだが
「権力は武力のみによって支えることが可能である」これは相当に間違いなわけだ。
>民衆は武装可能か?誰がその武装を継続的に民衆に供給するのだい?
誰がその武装を継続的に権力者に供給するのだい?
日本では、設永時代に生じた兵農分離以前は兵農一致なのだが…。
再度、権威と権力について…。(こういう基礎は理解しないと天皇制に関してなど語れるレベル
ではないと思うぞ)
権力とは「武力などの物理的力を背景とした強制力によって人を従わせる力」のことであり
人を従わせるというのは、逮捕したり懲役で閉じ込めたり、あるいは強制的に金員や財産を
徴収しまたは他社に移すなどを行うことです。時に国外退去などをさせたり団体を解散させたりと
言う具合です。
権威とは「法律の権威」などというように、物理的力を背景とせず人を従わせる力のことです。
権威に背景となる強制的な力学が全くないかといえば、その権威に従わない場合に嘲笑されたり
社会的な信用がなくなるなどの力学は生じることはあるでしょうが、「心理的な圧力」(物理的力を
背景とはしない)と考えればよいと思います。
さて、秩序が世代を超えて維持されるという場合に「権力者の交代」が必要です。権力者の交代は
つまるところ「武力などの強制力の移譲」ですから、物理的な強制力で担保できない・・・ことに
注目しましょう。無論、SF的に全く意思を持たない武力ならそうでもないでしょうが、通常武力を
具体的に担っているのは人間であり、たとえ権力者が「今日からはだれだれに従え」と命令したと
ころで、それを拒否された場合に武力による担保はないということです。(別に権力の抗体だけでなく
誰かを制裁するという国家的な行動の場合でも同じです(西南の役でも天草・島原の乱でも…)
つづき
つまり、最低限、権力者は武力を担う人々の権威者である必要があります。
で、武力を担う特殊な人々・・・という位置づけをして特別な価値観のもとで彼らだけが権力者に従う
ということが可能かと言えば、それは戦争の拡大(侵略による戦争の再生産)以外では不可能です。
つまり、ある時からは兵力を治安維持と対外防衛以外は武装解除しなければならないし、その時に
特別な地位から降ろさない限り、秩序の維持は困難だということです。
したがって、民衆の一定多数に支持を得られる程度の権威である必然が権力者にはあるわけです。
だから西欧キリスト教圏ではときにカトリックの権威を利用したり、国教の権威者に位置付けたり
して権力者の地位を維持するわけです。これもまた、ある意味権力者が権力者としてふるまうための
手段であると同時に、権力者をその権威の根源が制約する縛りにもなるわけで、身勝手に何でも
できるという全く民衆を無視したいなら選択できない方法ですね。
日本の場合、何らかのロジック(神道的であったり、仏教・朱子学などなど)の提供と、「正統な権力者」
である」と、天皇という権威者から任命されることで権威を最終的に獲得するという図式でこの1000年
以上継続してきましたが、では天皇は何の権威なのでしょうね。
↑ここが最も重要なスレの趣旨ですよ。
天皇は神道的権威(おれはそれを霊的権威と表現し、だからHNは”れ”なわけだが)であると同時に
「皆の決定を皆の決定として表現する権威者である」と私は指摘している。
まぁ、その話にははるかに遠い議論ではあるが、まぁ権威というものについて説明しておいた。w
で、実は神道的な社会においては、「神道的権威者」は「皆の決定を皆の決定として表現する権威者」として
最適なことは言うまでもない。(ここまで書くのは初めてかも)
日本には「言霊信仰」がある。神道の権威者が「言挙げ」する場合に、当然にそこに信頼が生じる。
これは当然至極のことで、霊的な権威者であり神の末裔(神そのものではない)が「皆が結果として
納得した皆の決定は、権力を誰誰-たとえば徳川家-が今後は担うことである。反対者はすでにいない」
と表現すれば、それは神道の最高権威者のコトアゲなのだから信頼性がある。
そこで嘘をつけば、極めて不都合なことが生じると最も確信している人がいうのだから、まぁ
比較としてはほかの人よりは相当に信頼性が高い…という程度である。
何度も言って恐縮だが、朝廷と天皇はきちんと分別しよう。(朝廷は権力機構の一部)
神に仕え、かつ権力闘争に基本的には関与しない=利害から遠い・・・存在は、利害に重要な事柄
であればある程に、発表は信頼されるだろうし、権力者構想は最も利害的に濃密である。
うーん。なんていうか
北チョソを遥かに凌駕するが如く
すげぇデンパだ@
デンパ以前にとても日本人が書いた文章とは思えない。
たとえ、ボランティアだとしても君たちはエライよw
>>462のつづき
過去においてそうだったことと、現在そうであることは必ずしも一致しないわけだが、しかし
現代においても権力者の交代・・・特にイデオロギー的に決定的に対立する政権の誕生の時には
やはり、武力行使する権原の委譲であってそこに武力を背景とした強制力が働かないことは
言うまでもない。
したがって、何らかの権威が必要であり、それが憲法という基本法自体の権威を支える国民という
権威である。国民という抽象的存在の決定であるということ自体が、武力を担う者(警察や
自衛隊や海上保安など)を従わせる力として権威を生じる。
ところが残念なことに「国民という権威」は抽象的存在でありそれは具象化されなければ、従うべき
決定が表現されない。であるがゆえに「象徴=抽象的な事物を、具体的な事物によって表す」の地位
が表現(任命という形で)するという形式が重要なのである。
根拠もなく思い込みでここまで主張できるとはある意味すごいよ。
>>456 >に頬語として、それは許されてもいないし秩序でもない。
暴徒「集団」ではそれが許されるからそういった行為が起きるのですよ。
仮にきみが暴徒の中に放り込まれたときのことを考えてごらん。石を投げなかったり、火をつけなかったり、人を殺さなかったら、暴徒から浮くよね。周りの人がやってることと違うことをしたら、暴徒の秩序から逸脱することになるのです。
きみの秩序で暴徒を評価してはいけませんよ。
社会:1 (ア)生活空間を共有したり、相互に結びついたり、影響を与えあったりしている人々のまとまり。また、その人々の相互の関係。
(イ)同種の生物の個体間の相互関係や、それらのまとまり。
2 同じ傾向・性質、あるいは目的を持つ人々のまとまり。
3 (自立して生活していく場としての)世の中。世間。
4 「社会科」の略。
集団:1 人・もの・動物が集まって一まとまりになること。また、その集まり。
2 ある共通の目的を持ち、相互に依存関係を持つ人の集まり。
>>466 無秩序な暴徒集団・・・という言葉があるわけだが・・・。w
共有の秩序がなければ空間の共有はできないわけだが・・・。
集団と社会は同じだという君の日本語感覚は、君の
>>467によって否定されたよね。
無論社会も人の集団のひとつの類型である。したがって、目的の存在やひとつの
まとまりとなっているという共通点はある。共通点はあるがまったく同じではない。
まったく同じでない以上、集団と社会を区別する要素が存在する。
その要素は秩序の存在とおれは言っている。君は地打つ序ではないというなら
何が異なる要素なのかを提示しよう。これが議論の常道である。
> 根拠もなく思い込みでここまで主張できるとはある意味すごいよ。
おまえがな〜〜〜
>>468 >無秩序な暴徒集団・・・という言葉があるわけだが・・・。w
→ただ「ある」というだけで、そのことについて深く検証していない。これが根拠というのなら、きみはそこまでの人間だよ。
>>466はスルーかい? きみの思い込み(というのは根拠がないから)に対して充分に答えになっているよ。
>共有の秩序がなければ空間の共有はできないわけだが・・・。
→集団の「集まって一まとまりになること」は空間を共有することである。つまり、集団は空間を共有している。
きみの主張が正しければ、集団も空間を共有しているのだから共有の秩序があることになる。
まとまる:ばらばらであったものが集まって一つになる。また、統一のある集まりになる。
「統一のある」とは、「秩序の共有」とも言える。集団とは、人・もの・動物が集まって「秩序の共有する」集まりになること。
>集団と社会は同じだという君の日本語感覚は、君の
>>467によって否定されたよね。
→ここまで主張してはじめて「イミフ」と言わせてもらうよwきみの主張は、私の主張を補完し肯定こそすれど否定していないんですけど。
>無論社会も人の集団のひとつの類型である。したがって、目的の存在やひとつのまとまりとなっているという共通点はある。
→「ひとつのまとまりとなっている」ことが「秩序の共有」である。
>共通点はあるがまったく同じではない。まったく同じでない以上、集団と社会を区別する要素が存在する。
これがきみの主張である。
>君は地打つ序ではないというなら何が異なる要素なのかを提示しよう。これが議論の常道である。
→あふぉか〜!私はそのような主張をしていない。論点が見えていないし、相手の主張も分かっていない。
きみが「まったく同じではない」とし、「集団と社会を区別する要素が存在する。その要素は秩序の存在とおれは言っている。」のだから、提示するのはきみだけにある。私は「同じだよ」(
>>441)。提示する必要はない。
きみの「議論の常道」の非常識ぶりが証明できる。
>おまえがな〜〜〜
→きみに宛てた分ではないよ。必死だねw
470 :
右や左の名無し様:2007/10/04(木) 13:22:11 ID:cFYcuxQ1
いちいち矢印がウザいな
無知辻名暴徒集団というものがある=暴徒集団にも秩序のあるものとないものがある
という、俺の見解の変更の意味だが・・・。
暴徒が必ずしも無秩序ではないかもしれないが、集団に必ずしも秩序があるということでもない。
つまり集団と社会は違う。君が「秩序存在しない集団で社会と呼べるものを提示しない」ことを
君が無視していると思うが・・・。w
>>470 まぁ、子供だし、2chになれていないんだろうから、カンベンしてあげなよ。
472 :
右や左の名無し様:2007/10/04(木) 22:31:43 ID:ZXIpD7MQ
精神年齢が極度に低いれには
『無秩序社会』という日本語すら知らないらしい(ワラ
ていうか、『社会』という言葉の意味を理解していないのだろう(ワラ
まあ、もともと頭のゆるい甘えん坊の小僧だから、ここ2chでしか
存在を認知されないんだろうな(激ワラ
無秩序社会に秩序はないのかなぁ。w と考えてみてください。
具体的にどんな社会を無秩序社会と呼ぶのでしょう。
「無秩序社会」は社会学用語だよ。
いやだから、社会学的擁護としての無秩序社会とは、具体的にどんな社会なのかと
聞いているわけだが・・・。
社会学的擁護ってなに?
test
test
>>471 >暴徒が必ずしも無秩序ではないかもしれないが、集団に必ずしも秩序があるということでもない。
御託はいいから、早く「秩序がない集団」の根拠なり事例を挙げて下さいよ。
「暴徒」は秩序のない集団の事例としてあげたんじゃないのかい?
「暴徒集団にも秩序のあるものとないものがある」のなら、その事例には該当しない。
>つまり集団と社会は違う。君が「秩序存在しない集団で社会と呼べるものを提示しない」ことを君が無視していると思うが・・・。w
れのあふぉ。まだわかってないのかよw
私は集団にも社会にも秩序はあるという主張。「同じだよ」(
>>441)「「暴徒」にも秩序はあるよ。」(
>>454)
もし秩序がなかったらそれは集団でも社会でもない。「もしそれぞれが本当に無秩序に暴徒と化していたら集団を形成できません。」(
>>454)
そのために暴徒集団にも(「にも」ってことは社会にも)秩序がある事例を提示した。きみは変更した。
私の主張がわかっていたら「秩序存在しない集団で社会と呼べるものを提示しない」なんて言える訳ない。秩序存在しない集団で社会と呼べるものはない。というより、秩序存在しない時点でそれは集団とも社会とも呼べない。
確かに、きみのように「無秩序な集団」「無秩序な社会」はググればいくらでも出てくる。しかし、それが日本語の用法として本当に正しいのかと言えば、集団や社会の本来の意味からすると「否」である。
きみが返答すべきことはわかってるよね。「無秩序な集団」の事例を挙げること。無理だと思うけどね。
因みに、
秩序:その社会・集団などが、望ましい状態を保つための順序やきまり」(
>>24)
480 :
右や左の名無し様:2007/10/06(土) 09:40:34 ID:R2rMDvnE
>>475 日本語が理解できない者に説明しても時間のムダ(ワラ
つうか、まぁ、日本語が通じないらしい。www
社会と集団は同じ概念ではない。
>>467で彼が証明した。
同じでない以上、何が違うのかを彼が説明すればよいことである。
社会と呼べる集団に秩序が存在しないものがあるならば、集団が、ある特定の要素を持つときに
社会と呼べるその要素は秩序の存否であるという俺の主張は崩れる。
社会と呼べる集団で、秩序の存在しない事例をひとつ挙げれば住む話である。
それを避けて延々と分けわかめの書き込みを続けられても、日本語が通じないとしか
思いようがない。無論、俺は日本語を介して議論しようとするものであるから、日本語が通じない
相手と議論できる余地がない。
_,,......__
, '" ゙ヽ、/ヽ
. /. ',./ヽ
,' ,' /--ノi ハ -、イ-┘ ,...、 / 天皇家は朝鮮人の末裔であると天皇陛下自らの公式発言だ!!
.| i レァ=、レ ,!=、リ| ._,ノ/`il /
.| .| .! ヒ丿 ヒj.イイ´ ハ il つまり天皇=在日=朝鮮人だのである!!
.| .||''' r‐-ォ{ {:::{ V リ \ `
从ハ,'Vヘ'ェーooイ `衣√`ヾノ \ クソ右翼のアホどもはシッカリこの事実をうけいれろ!!
i Y::yヘ\,イ乍}
l !::::i:::Y´_/´
ノ! |;;;;;;;;:「
/:::|二|::::::i::l
/::::::{_,_i」::::l:::|
無秩序集団に秩序はないのかなぁ。w と考えてみてください。
具体的にどんな社会を無秩序集団と呼ぶのでしょう。
484 :
右や左の名無し様:2007/10/06(土) 13:18:23 ID:ZoJWWDXU
日本語もろくに出来ないハナッタレ小僧のれに考える能力はない(ワラ
>>481 >社会と集団は同じ概念ではない。
>>467で彼が証明した。
>>467は「社会」と「集団」の辞書的意味を提示しただけ。それを「同じ概念」「同じ概念ではない」とどう解釈するかは本人の自由。ただし、何も証明されていない。
きみの解釈である「共有の秩序がなければ空間の共有はできないわけだが・・・。」(
>>468)に対して私は「集団は空間を共有している。」(
>>469)返している。それに対してまともなレスがない。
>同じでない以上、何が違うのかを彼が説明すればよいことである。
私の解釈は「同じ」である。私は同じであることを説明した(
>>469)。
れの解釈が「同じでない以上、」何が違うのかをれが説明すればよい。
>社会と呼べる集団に秩序が存在しないものがあるならば、
「秩序存在しない時点でそれは集団とも社会とも呼べない。」(
>>479)前提からしておかしい。
>集団が、ある特定の要素を持つときに社会と呼べるその要素は秩序の存否であるという俺の主張は崩れる。
集団にはあらたに持つまでもなく秩序がある。だから、同じである。説明もした。きみの反論にも答えた。すでにれの主張は崩れている。
>社会と呼べる集団で、秩序の存在しない事例をひとつ挙げれば住む話である。
れ:集団には秩序のあるものとないものがある。
社会には必ず秩序がある。
私:集団にも必ず秩序がある。
社会にも必ず秩序がある。
社会と呼ばれる集団で、秩序の存在しない事例は「ない」。これは一致している。問題は、集団の方である。
れの主張は「無秩序な集団はありうるが秩序のない社会はあり得ない。」
「無秩序な集団はありうる」「秩序のない社会はあり得ない」この2つが説明できないといけない。
これを私の主張と対比させると「無秩序な集団はあり得ない」「秩序のない社会はありえない」となる。
ここまでいってもわからないかな?
きみは「無秩序な集団がありうる」事例をひとつ挙げれば住む話である。私は暴徒集団は無秩序ではないと説明した。
>それを避けて延々と分けわかめの書き込みを続けられても、日本語が通じないとしか思いようがない。無論、俺は日本語を介して議論しようとするものであるから、日本語が通じない相手と議論できる余地がない。
自分の主張として「ない」ものを説明できない。きみは説明できるのかい?
日本語が通じないと言ってるが、きみは私の主張を把握しているのだろうか?
>(
>>468)に対して私は「集団は空間を共有している。」(
>>469)返している。それに対してまともなレスがない。
共有という言葉の概念から教えなければならない義務は、俺にはない。
ある空間に共に存在していることと共有していることは当然に違う。
> 私の解釈は「同じ」である。私は同じであることを説明した(
>>469)。
何も証明されていない。
> 集団にはあらたに持つまでもなく秩序がある。
> きみは「無秩序な集団がありうる」事例をひとつ挙げれば住む話である。
無秩序な暴徒集団や、農作物を食い荒らすイナゴの集団に秩序はないと何度も言っている
わけだが・・・。つまり秩序という言葉を履き違えている模様。
つうかもういいだろうよ、あなたに日本語が通じないことはよくわかったので・・・。
488 :
右や左の名無し様:2007/10/06(土) 17:53:53 ID:BCmGVgrL
愛子さま大勝利!
早く女帝になる道を確約してあげて下さい。
すべての国民はそのお姿を熱望し、愛子様に忠節を誓うでしょう。
愛子さま大勝利!
愛子さま大勝利!
ハゲのヒサヒトは、いーらない!
要らない子、不吉な子、なんで産まれてきたの?
>日本語が通じないと言ってるが、きみは私の主張を把握しているのだろうか?
初心者か?
「れ」にこちら側の日本語は通じない。
「れ」は自分が使っている日本語の意味も理解できない。
それでも「れ」は良く読め!理解しろ!と駄々を捏ねまくる。
これが「れ」のデフォルト
>>487 >無秩序な暴徒集団や、農作物を食い荒らすイナゴの集団に秩序はない
暴徒集団はワザワザ「無秩序」と入れているからそりゃ秩序はない罠。
暴徒集団もイナゴの集団も目的があって集団となっている以上何らかの秩序は存在するがな。
観劇中の劇場が火事になり、我先にと逃げ出す多数の人の群れ(これを集団というなら)
ならマァ秩序は存在しないだらう。
>秩序のない社会はあり得ない
例えばポルポトが仕切ったあの社会の秩序をも秩序だというならね。
>>487 >共有という言葉の概念から教えなければならない義務は、俺にはない。
そんな義務はないよ。勝手に思い込まないように。
>ある空間に共に存在していることと共有していることは当然に違う。
問題は、集団がそのどちらなのかということである。「違う」と主張するだけなら誰でもできるよね。
>何も証明されていない。
同じことを証明することは難しい。だから私は説明なのである。
>無秩序な暴徒集団や、農作物を食い荒らすイナゴの集団に秩序はないと何度も言っているわけだが・・・。
前回は「暴徒」今回は「イナゴ」。それらを説明してもれは次の「無秩序な集団」を提示してくる。私は、それを一つ一つ否定していく。次レスにて
>つまり秩序という言葉を履き違えている模様。
秩序:その社会・集団などが、望ましい状態を保つための順序やきまり」(
>>24)
れ個人が望ましいかではない。
>つうかもういいだろうよ、あなたに日本語が通じないことはよくわかったので・・・。
それは「日本語」じゃなくて「れの思い込み」
>無秩序な暴徒集団や、農作物を食い荒らすイナゴの集団に秩序はないと何度も言っているわけだが・・・。
無秩序な暴徒集団:
「無知辻名暴徒集団というものがある=暴徒集団にも秩序のあるものとないものがあるという、俺の見解の変更の意味だが・・・。 」(
>>471)自分で変更したんだから、それくらいは責任もとう。
変更しただけで、この変更に関する事例は出ていない。「暴徒集団の秩序がない」事例をあげてくれないと、単なるれの思い込みである。
「暴徒集団でも秩序がある」事例は
>>466で私が出した。
農作物を食い荒らすイナゴの集団:
これも思い込み。
イナゴの集団は、密集してピンポイントで植物を食い尽くし、少しずつ一定の方向に移動する。その集団行動は秩序だったものである。
無秩序に食い荒らすのではない。イメージで語るのはやめよう。
493 :
右や左の名無し様:2007/10/07(日) 21:01:32 ID:vsgltxg7
『 ココまでの要旨 』
れ電波が電波を垂流すスレです
本当に電波過ぎるのでご注意ください
れ電波取り扱い上の注意事項
※とてつもなく長い長文を出してきますが結論を明確にはしません
※電波なので読め理解しろと言います
※己の発言を記憶してません
※故意に漢字を間違って表記します
※形勢不利だと逆ギレしDQN扱いします
※もっと形勢不利だと雲隠れします
※放置を自ら希望しながら盛んに関与しようとします
※なぜか稀に電波支援に隠れキャラ「ふざけた奴」が出現します (出現条件:不明)
れれれのおじさん三無い主義。
相手の言っていることを理解してい無い、理解する気が無い、理解する能力が無い。
>>490 同意です。ポルポトが仕切ったあの社会も悪しき秩序が会ったということでしょう。悪しき秩序の
存在を認めなければ、秩序に関する価値の序列を語ること(政治思想を語ること)の意味さえ
なくなりますから・・・。
217新着 :公僕FP ◆OnZ14uFe5k sage :2007/09/07(金) 20:06:48 ID:+w7WNqrW
皇室予算:260億/年
在日対策:1兆9000億/年
どっちが無駄遣いだろう・・・・
これは非常にアタマの悪い考え方である。 ドッチモ無駄遣いである。 私達はそれぞれを問題視していかなければならない。
ちなみに、天皇家は朝鮮から来た渡来人で先住の日本人を支配した。
なかには朝鮮から嫁さんをもらった天皇もいる。 つまり、在日の親方は天皇なので在日に甘い国なのである。
497 :
右や左の名無し様:2007/10/09(火) 15:47:48 ID:fZzGfU4u
在日嫌いな奴で 陛下が朝鮮系だとか喚いてる奴って、
要するに、いわゆる愛国心から在日を嫌ってるわけじゃなく、
単に自分より下位の存在を貶めて優越感に浸りたいだけだろ。
こういうのがいるから右翼はニートばっかだの何だのいわれるんだよ。バカ。
499 :
黒旗:2007/10/10(水) 01:53:04 ID:???
多忙のせいもあるけど意外な方向に話が流れて来ているのでしばらくロムってたんだが、久々に。
>>政党氏
この論点は面白いね。
つまり抑圧無き社会においても秩序は形成できる、というか秩序はある筈であるって事だよね?
まぁ実現の為の諸条件などの具体的な話は置くとして、だがね。
俺は、抑圧無き秩序を理想としてるから、一応。
>>れ氏
1・そういえば君は「日本という枠組みに共有される根源的な価値観としての人間観や世界観が、何故維持されるべきなのか」について説明していないのでは?
そういう根源的な何かが、君の言うように存在するとしてだが、
「それには維持するだけの価値がある、という前提について説明が無い。つまり理由無く維持するべきと主張するのかな?」
2・君の言う様に、何らかの価値観が枠組み内部に一定程度に共有されているとするとき、
その一定程度というのが「どの程度であれば、枠組みとして共有しているという事に換言して妥当とするの?」に未だ明確な回答を得ず。
3・「
>>363に亀レスだが、秩序に抑圧が必要不可欠な条件であると論証されてないよね?」
ヒント:暴徒集団や蝗集団にも秩序はある(政党氏)
>>499 1、そこまで議論が進んでいない。
2、何度も回答していると思うが…。
君の望む回答でない・・・つまり歴史的事象を検討してその存在が確認できるのであって
無意識な共有を数量などで測るすべはないと言っている。
「一定程度の共有」とは「一定程度の内容についての限定的な共有」という意味であって
「一定程度の人々に共有されている」との意味ではない。
社会として共有されていること≠社会の多くの人々が共有していること
たとえば人は平等であるなどは、社会として共有されている概念かもしれないが
多くの人々は人は平等でなはいと考えているよね。
3、俺は秩序に抑圧が不可欠だとは思わないが、秩序維持には抑圧が不可欠だと
言っているわけだが…。
つうか
「日本人には他国と異なる(というか他国と同等に)ユニークなる価値観が共有されている…。」
個のことを最もよく証明できているのは、玉ぐし慮いう訴訟の最高裁判決文における、政教分離の
必要性に記述の一部
元来、我が国においては、各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存してきてい
るのであって、このような宗教事情の下で信教の自由を確実に実現するためには、単に信教の自由を無条
件に保障するのみでは足りず、国家といかなる宗教との結び付きをも排除するため、政教分離規定を設ける
必要性が大であった。
である。この判決は天皇制に批判的な人も甲てい的にとらえているであろうことは、間違いがない。
(※政教分離に関する議論はこのスレの趣旨ではないので、一切お断りしておく)
多元的で「重層的」であるという「事象に関するユニークさ」は同意いただけるものと思うし、その事象は
正しさとか正義とか真実・社会の法則といった「政治思想において重要な要素となること」に関する
重要な価値観と無関係であるはずがないこともまた、同意できる部分ではあろうと思う。
ユニークな価値観が社会に存在していることの証明の一つにはなろう。
502 :
右や左の名無し様:2007/10/12(金) 20:06:17 ID:FAR1inNx
ここで一首
垂れ流す
バカ丸出しの
れ電波は
脳内補完
1000パーセント
( チ〜ン! )
センスのない一首をageて書けるその心意気に感動した。
504 :
阪京 ◆wOujBmICX2 :2007/10/12(金) 20:53:39 ID:OEP3W6p/
ついに「れ」もストーカーにつきまとわれ出したか。どうせ同一犯だろ。
おそらく"ニートand/or無職(失業者)"だ。かわいがったれ。
505 :
鴨葱:2007/10/12(金) 21:04:08 ID:aNFzESwM
我が身を振り返れ
意外とお前ニートだろとかほざく奴に限って同類だったりとかていうオチ
私はちゃんと働いて いるがな。
親のおんぶは長くはない
自分の飯は自分で確保しろ
他人の金で遊ばず自身の金で楽しめ
以上だ
>>504 つうか、ずーとつきまとってくれるファンはすでにずいぶん前からいて、まぁ、お気づかい
いただくほどでもないし、かわいがるとあれだから…。w
最近俺も、勤め人からタコ社長になったんであまり気合も入れていられないし…。
>>499 >つまり抑圧無き社会においても秩序は形成できる、というか秩序はある筈であるって事だよね?
私は、集団・社会は抑圧するものだという立場。従って、抑圧がない時点でそれは集団でも社会でもない。
君の見ている「秩序」は抑圧あってのものだよ。
>まぁ実現の為の諸条件などの具体的な話は置くとして、だがね。
その「実現の為の諸条件」をクリアする為に集団・社会は(構成員である「私たち」ではない)抑圧するのである。
その抑圧の結果生じたものが「秩序」。
>俺は、抑圧無き秩序を理想としてるから、一応。
れは亀田大毅だから、きみとやりあうのも面白いかもな。
きみは理想主義というか性善説に立っているよね。私は性悪説。
まず「秩序」の定義から。
秩序:1 物事を行う場合の正しい順序・筋道。「―を立てて考える」
2 その社会・集団などが、望ましい状態を保つための順序やきまり。「学校の―を乱す」
このことを踏まえて社会がどのように成立するのか述べてみてくださいな。君が答えてくれたら返事するよ。よろしこ
れ
集団と社会は同じってことでいいのかい?
>>24できみじしんが「秩序」をどう定義しているのか確認してみたら?
それにしてもここまで支離滅裂でまだここで発言している。さすがの亀田も黙ったゾ
>>508 違うだろうよ。
なんでもいいんだが、秩序を広義にとらえ、例えばイナゴが大量発生し一斉に農作物を食い荒
らすさまを、農作物を食い荒らし一定方向に進む定型的な行動ととらえ、誰かの(何かの)抑圧に
基づいた正しい順序・筋道、望ましい状態を保つための順序やきまりが存在していると君は認識し
ているということだろ?で、別にそれを秩序であると言ってしまっても、まぁ、公y銀日とらえる手法も
あるという意味で同意したとしても、火事に対して逃げまどう映画館の観客集団を無秩序である
と考えるなら、やはり、無秩序な集団というものは存在するわけで、無秩序な社会が存在しない
と君が認めている以上、違うという結論になるはずだが…。
集団であるかどうかは偏狂に狭義に見て、秩序であるかどうかは粗雑に広義に見るというような
態度を仮に君が取るとすれば、俺はどうかと思うなぁ。
510 :
右や左の名無し様:2007/10/13(土) 17:18:13 ID:/W54MtLe
公y銀日とらえる手法も
誰か解読してください
れ
「暴徒集団の秩序がない」事例をあげてください。自分で主張したことには責任もとう!
>>511-512 広義にとらえる・・・
暴徒集団に秩序がない…。言葉の定義は広義であったり狭義であったりしますが、
あなたの定義であるところの(そしてそれはおれも全く同意だが)
秩序:1 物事を行う場合の正しい順序・筋道。「―を立てて考える」
2 その社会・集団などが、望ましい状態を保つための順序やきまり。「学校の―を乱す」
暴徒:徒党を組んで乱暴をはたらく者。暴動を起こした者ども。「群衆が―と化す」
暴動:群集が暴徒となって騒動を起こし、社会の安寧を乱すこと。
暴徒集団という表現は、当然に乱暴・暴動を受けた側としてそうであって、暴動・探訪を働く
側からすれば「自分達は暴徒ではない」と思う場合もあるだろう。w で、暴徒にも種類があり
必ずしも暴徒集団すべてに秩序がないわけではない(七人の侍の野武士は農民からすれば
暴徒だろうが、彼らの内部に秩序はある…すでにおれはそう言っている)。
しかし一方、突発的な事象によって群衆が暴徒と化す・・・こともある。具体例は避けるが
関西方面の日雇労働ウ社の人たちが多くいる場所や、米国のスラム街などでそういう事象は
ニュースになっている)少なくとも「正しい順序・道筋、望ましい状態を保つための順序や決まり」
はそのような場合にはない。
は李何度も言っていることを整理して、これで十分に終わりだと思うが…。
よっぽどの馬鹿でもない限り、もういいでしょう・・・〇章・・・いや冷笑
「公y銀日」って何だよ?
誤変換はきみのくおりてぃだから仕方ないとしても、意味がわからない場合は訂正してもらわないとw
515 :
右や左の名無し様:2007/10/14(日) 21:33:17 ID:eR6Hdxyv
>>511 >誰か解読してください
脳内変換の著しい重篤なれ電波のボヤキなぞ、誰にも解読出来ませんがなw
516 :
右や左の名無し様:2007/10/14(日) 21:41:50 ID:eR6Hdxyv
>>508 >さすがの亀田も黙ったゾ
れ電波の睾丸無恥に比べたら、亀田の暴言も反則も鼻糞みたいなもんだw
れ電波クラスの恥ずかしいヤシは、なかなか居まへんてw
517 :
金規雄:2007/10/14(日) 22:08:43 ID:???
★日本と共産主義とアメリカの今後の展望
日本はアメリカに追従し共産化を免れた。
しかしアメリカは北朝鮮の核武装を容認し日本の驚異は増大した。
全てアメリカのせいである。
北朝鮮の核武装をアメリカが容認した事が何を意味するか皆さんはおわかりですか?
アメリカが「容共国家」になった事を意味しているのだ!
日本は核武装して北朝鮮に対抗するしか道はないのか?
アメリカがそれを容認するはずがあろうか?
アメリカは日本が核武装をするならグアム島の米軍爆撃機は東京を瓦礫の山にするであろう。
北朝鮮の核武装を容認しつつ日本の核武装には断固反対…
アメリカはゆるせない。
でも唯一の核の被爆国である日本は核武装してはいけません!
それは広島長崎の被爆者を冒涜する事になるからね。
平和って大切ですね。
共産主義って悪いのかな?
共産主義を叩く事が右翼の証明?
違うよね。
天皇陛下の元に万民は平等なのです。
ですから、ウチ以外の右翼の共産党叩きは陛下に弓をひく行為なのだ。
天皇崇めてりゃ右翼の証明?
それも違うよね?
尊皇尊皇って息がつまるよ。
よその右翼は堅苦しいから嫌い。
れ
「観劇中の劇場が火事になり、我先にと逃げ出す多数の人の群れ(これを集団というなら)ならマァ秩序は存在しないだらう。」
(
>>490)これを「火事に対して逃げまどう映画館の観客集団を無秩序であると考えるなら、やはり、無秩序な集団というものは
存在するわけで、」と解釈している時点で、きみの理解力のなさというか思い込みであることを象徴しているんだよね。
>>490は「観劇中の劇場が火事になり、我先にと逃げ出す多数の人の群れなら」とした上で、しかもわざわざ「(これを集団と
いうなら)」と注釈も加えている。きみは「火事に対して逃げまどう映画館の観客集団」。どういうことか分かるかい?
>>490は「火事に対して逃げまどう」人々を集団ではなく群れと捉えている。「火事に対して逃げまどう」人々は集団ではない
と捉えているんだよ。その点、きみは無条件に集団と捉えている。
「集団」というのは、何らかの統一性がある。目的などが一致している。相互で依存している。それがない人々の集まりは集団とは呼ばない。
>>490 は「群れ」と呼んだのである。
それにしても他人の意見を借用するなんて情けないね。自分で考えられない翔子の笑顔。
ここまで理解できないと本当に議論にならない。日常会話で慣例的に「集団」と呼んでいるからそれが集団であるとはならない
んだよ。なぜ言葉の定義の話までしたのかということだよ。
>>479で私は「確かに、きみのように「無秩序な集団」「無秩序な社会」
はググればいくらでも出てくる。しかし、それが日本語の用法として本当に正しいのかと言えば、集団や社会の本来の意味からす
ると「否」である。」と主張した意図が分からないかなぁ。「もしそれぞれが本当に無秩序に暴徒と化していたら集団を形成でき
ません。」(
>>454)無秩序だと集団ではないんだよ。
ここから先は、言い出した手前引っ込みがつかないれでは曲解するのであろうが、敢えて混乱させてみる。いまさらまともな答
えは期待していない。
「火事に対して逃げまどう映画館の観客集団を無秩序であると考えるなら、」この思考で間違っているのは、集団を無秩序と捉
えている点である。集団と捉える以上は何らかの統一性があるか目的が一致している。相互に依存している。
まず、「火事に対して逃げまどう映画館の観客」が集団であるかの考察が必要である。
>>490はわざわざ群れと表現しているよ
うに集団とは見ていない。ところが、私は「火事に対して逃げまどう映画館の観客」をも集団とみる。つまり、そこに秩序を見出
している。
群集心理という言葉がある。人は目的なく集まった群れであっても、そこに属してしまうとその群れに抑圧されるのである。抑
圧の結果生じるのは秩序である。ではどのような秩序なのか?(あえてここでは集団を使わずに群れで主張する。)
群集心理:衝動的で興奮性が高まり、判断力や理性的思考が低下して付和雷同しやすい。
火事という極限の状態において人は判断力や理性的思考が低下し付和雷同(相互に依存する)する。個々人の判断力が低下する
ことで正しいとか望ましいという基準が群れにゆだねられる。「その社会・集団などが、望ましい状態を保つための順序やきまり」
が生じる。秩序である。
具体的に言ってみよう。映画館という密室において、個々人が我先に出口に殺到するのは、群れが無秩序なのではない。群れが
個々人を我先に出口に殺到させているのである。判断力が低下することで群れの行動が個々人を優先して正しい望ましいとされる
状態を作り出してしまう。それをれがどう思うかは無関係。あくまで群れが・
もっとも火事の場合は、火事という共通の利害がなくなってしまえば、群れ自体の結束もなくなる(群れでなくなる)。しかし
火事であるうちは群れは圧倒的に個人を支配し、抑圧する。最初から火事でなければ群れはばらばらに行動する。
911をみてみよう。あの大混乱大パニックで、社会全体が「衝動的で興奮性が高まり、判断力や理性的思考が低下して付和雷同し
やすい」状態になってしまった。911以降時間がたってもなお好戦的に強いアメリカを人々は望ましいとした。この群集心理がな
くなるのは、多大なる犠牲を払い、経済政策の無能で国民生活が疲弊してきたあとである。
群れにも秩序は生じることがある(れでいう集団の認識。ないこともある)。その点では社会も緒戦は群れである。
やっぱり集団という言葉には厳格に教義に解釈し、秩序という言葉は、杜撰なまでに
広義に解釈しているじゃない。w 予測通りだね。論外。
協議→狭義・・・ここは訂正しておかないと面倒だな。
>>1 聖徳太子があらまほしとしている。
が、別に日本人の人間観や世界観という訳ではない。
その当時そんな人間観や世界観が存在しなかったからこそ
太子はそれをあらまほしとしたが、それから千数百年を経た
今になっても結局実現してはいない。
『人鮮尤惡 能ヘ從之』というが尤惡人は存在するし
いくら教えても全く従わない者も存在する。
『性尤惡 ヘ不從』という人の存在に目を瞑れば
社会が破綻することは、社会主義国家群の破綻によって既に証明済みだ。
『人鮮尤惡 能ヘ從之』などという人間観を持つ社会が出来たら
そこは、尤惡人の桃源郷になるだろうよ。
>>523 ん?『人鮮尤惡 能ヘ從之』という人間観など俺は話していないんで…。
『我必非聖 彼必非愚
共是凡夫耳 是非之理誰能可定
相共賢愚 如鐶无端』という人間観についてなんですが…。w
俺は別に17条憲法や聖徳太子の信者でも帰依者でもないんで…。w
>>524 アホヤネ。
全ては『人鮮尤惡 能ヘ從之』という土台があるものとして成立し得る。
隙あらば、殺してやろう、盗んでやろうという輩とは話し合いなど無益。
そんな相手とは一時的に話し合いが成立したように見えてもそれは錯覚に過ぎない。
そんな相手と話し合っていれば、全てを盗み取られ、全てが殺されるまで
盗まれ続け、殺され続けることになるだけのこと。
十分お解りのはずだがな。
信者でも帰依者でもないのに太子の言を引き合いに出して必死にミスリードしたがるかな。
赤の犬め。
>>525 >全ては『人鮮尤惡 能ヘ從之』という土台があるものとして成立し得る。
そうかなぁ、それは俺とあなたの人間観の違いかと…。二元論には与しないのよ、おれは。
第二条の仏法は「理」の根源であるという説明が、すべての人間観の根源じゃないと
俺は思うなぁ。
>>513 >広義にとらえる・・・
わざわざ言わなくてもいいよ。ただし、広義に捉えるなら、ちゃんとその根拠を示さないと。私は定義から解釈して一応は根拠だって説明
しているぞ。
>すでにおれはそう言っている
どこで?
きみねぇ、ごまかすつもりだろ。
>関西方面の日雇労働ウ社の人たちが多くいる場所や、米国のスラム街などでそういう事象はニュースになっている
これも「必ずしも暴徒集団すべてに秩序がないわけではない(七人の侍の野武士は農民からすれば暴徒だろうが、彼
らの内部に秩序はある」でしょうよ。あふぉかい
彼らの内部には秩序がある。彼らの行動もまた秩序がある。暴動もまたしかり。どこにちつじょがないのかい?
具体例は避けてはきみの思い込みになっちゃうよ。あいりん地区の暴動も山谷騒動もちゃんと秩序がある。
暴動を起こす動機も目的も存在している。
きみが低所得者層を差別していることはわかった。君のような短絡思考が彼らを暴徒にするんだよなぁ。
>少なくとも「正しい順序・道筋、望ましい状態を保つための順序や決まり」はそのような場合にはない。
何度も言っているが、正しいか望ましいかはれが判断するんじゃなく、その集団が判断するんだよ。
関西方面の日雇労働ウ社の人たちが多くいる場所や、米国のスラム街などが暴徒となった時に秩序がなかった事例をあげてください。
>>521 馬鹿は主張だけ一人前。亀田と一緒。根拠の提示もない。具体的な反論もない。こっちこそ論外。
れの脳内以外の世間一般では、集団とは辞書にもあるように秩序があり、秩序のないものを群れと呼ぶ。
しかし、群れであっても秩序は生じる。逆に、生じなければ、群れの発展系である集団や組織、集合体や社会などが形成できない。
秩序が生じる契機がなくなっちゃうんだよ。そのために群れにも秩序を見出してみた。
ここでもきみの解釈不足というか、私は集団も秩序も広義に捉えている。ただし、君の集団の定義がその広義の外にあるだけ。
やはり、れには無理だったな。恣意と任意と随意は意思があることでは一緒の意味だよ。それを君は意思がないといっているんだよ。
「秩序」は誰(何)のために存在すると思ってるのかい?
1、構成員
2、為政者、支配者、権力者
3、そんなものはない
4、その他
5、れの脳内
> 「秩序」は誰(何)のために存在すると思ってるのかい?
誰かのためとか何かのために存在する…という前提を共有していない。
無論、そこを支配している秩序があるとき、それが誰かのために存在しうる。
例えば会社の服務規定は第一義的には会社のためだろうし、それがそこに働く
労働者のためになっている場合(条項)もないとは言えない。
ボクシングの世界の秩序が、ボクサーのためにあるのか、それとも業界人のためにあるのか
俺はよくはわからない。w わからない=誰かのためであるかどうかさえもわからない。=ない
とも断言できない。
君がいうところの、突発的暴徒集団の秩序wにおいて、そこに為政者・権力者・支配者は存在しない
だろうから、場合によって2ではないことはありうるという結論に、君の論から言えば落ち着くはずだ
ろうなぁw
秩序は構成員を対象として存在する…以上のことは言えないような希ガス。
※質問した君自身はどう思っているのか、ご意見を伺いたいが、書いてくれるのかな?
長すぎてどっちが皇室賛成でどっちが反対なのかすら判別できんw
>>531 ここはれ電波がネタを見つけては飛びつきオナニーするための場所
そしてれをオカズにオナってるのがお前と
>>526 >仏法は「理」の根源であるという説明が、すべての人間観の根源じゃない
説明?命令だろ。根源にせよって。
誰一人そんな考えは持っていなかったからこそ、そうせよと言った訳だ。
が、人は(生物はといってもよいのだが)規格仕様だけで出来てはおらず
必ず規格外れが発生する。だから全ての人間に同一の人間観を保持させる
なんてことは出来ないのは君の言う通り当然のことだ。
それを認めながら、日本人(当然全部ってことだろ)に共通する特別な世界観人間観
があると言い立てるのかね。ご都合主義的人格を無限に内包する病的多重人格者だな君は。
>>534 人鮮尤惡 能ヘ從之
其不歸三寶 何以直枉
人は、はなはだ悪い人は「少ない」。よく教えれば従うものだ。
仏教の教え(三寶)によらないとしたら、いったいなにをして「まが(枉)ている状況」
を正すことができるだろうか…。
こいう意味なんだから、この部分は人間観と説明ですよ。命令部分ではない。
電波飛び過ぎてて意味がわからないので俺がシンプルレス。
皇室は外交上とても有益。伝統は一朝一夕には作れない。
そういう意味で意義は大きいしなくすべきではない。
だからって神格化する必要はなし。
あんなもんを、その立場を理由に一律敬う理由も特にない。
個人的に敬意を持つのは勝手だけどね。
>>538 神格化すべきでないに全く同意。実際に「天皇だが神社に祭祀されていない」人はたくさん
いるわけだし、昭和天皇も、天皇は神ではなく神の末裔と述べておられる…。
神の子孫が何らかの神格を有するなら、徳川の末裔もすべて神格化せにゃならん。w
外交だけでない内政に関しても、基本法秩序の危機などの状況が生じれば天皇の意義は
理解されると思うし、今後一切基本法秩序自体の危機が生じないとも断言はできないしねぇ。
>それを認めながら、日本人(当然全部ってことだろ)に共通する特別な世界観人間観
>があると言い立てるのかね。
あまりにも馬鹿すぎて話にならないねぇ。
人々の価値観が、民族やそのような規模の集団において異なるがゆえに、その人々は
独自の社会秩序を作り社会生活を営んでいる・・・これに同意できるとして(できなきゃ馬鹿だ)
そういう個々の民族などがその価値観の独自性(ユニークな部分)を持って秩序を形成することが
好ましいと考えるのか、それとも、いや世界は一つ人類はみな兄弟・国境のない世界政府が
望ましいと考えるのかどっちだね。
仮に前者だとした場合に、当然に「価値観を形成する根源であるところの世界観や人間観」が
その人々において「一定の限定的な部分についての一致」があると考えるほか、ない。
仮に世界観や人間観の一致がないならば、ではどうして価値観が社会秩序を構築できる程度の一致を
見ることができるのかが、わからなくならないか?
つまり社会秩序を一つにまとまる程度の一定の価値観の一致(人殺しはだめだとか、話し合いが大事だとか)
が人々にあり、それが何らかの世界観や人間観の一定程度の一致をして共有されていて、秩序と
価値観と世界観・人間観は、相互に影響しあいながらともに形成され変化していくものだろうよ。
そのうえで、1000年以上の継続的な秩序は、つまるところなにがしかの世界観人間観の一致
がなければ継続し得ないと、普通は考えるだろうし、事実ある程度の継続的なそれは存在していることの
ホンの一例が17条憲法第10条の人間観だと言っているわけだが…。
でだ、過去の人々と現在のわれわれに何の一致点もないと考えるなら、それは現代のわれわれと
未来の人々の一致点もないと推定せざるを得ないだろう?
一致点がないと推定するならば、私たちの社会に対する提言や改革などなどは、私たちの
世代を射程に入れればよく、未来の人々に貢献することは不可能である…少なくとも目的化できず
射程には入らないと考える以外にないと思うわけだ。
未来の人々に貢献する気がないなら、政治思想を語るよりも自己の利得を追求したほうが
はるかによいわけで、つまり、そういう人は政治思想板などまったく無駄だと思うんだが…。w
540 :
右や左の名無し様:2007/10/19(金) 17:06:47 ID:5717MCA0
>>535 篤敬三寳と命令しているのだが。
確かに後の部分はそう命令する『訳』を述べているが、その人間観は
飽く迄も『聖徳太子』個人のものであって『日本人』全体を貫く
人間観ではない。ないからこそ太子は支配階級(臣)はそうあれかしとし
支配階級がそうなれば、民は自ずとそれに靡くであろうと妄想を逞しくした訳だな。
彼自身は『人鮮尤惡』裏返せば『人存尤惡』と認識しながらも
『能ヘ從之』というのは傲慢なだけだ。
どのような人間観や世界観を持とうとそれは人の自由だが
全ての人が『能ヘ從之』などという危険思想を人に押し付けるのは
願い下げだ。
>篤敬三寳と命令しているのだが。
そりゃ憲法だから…。w
>飽く迄も『聖徳太子』個人のものであって『日本人』全体を貫く
>人間観ではない。
ないと断言できる根拠も聞きたいところだが、また、聖徳太子個人のもの
である根拠も聞きたいが、別に俺はその第二条のそれが「日本人を貫く人間観である」
ともいっていないわけで…。w 頓珍漢な香具師だなぁ、お前って。
で、俺は聖徳太子が素晴らしい人で傲慢ではないなどと言っていないし…。つうか、
1000年以上も前の人の人間性など興味はないし…。w
よく教えなければだめだろうよ…w
教えるという行為はその教えを理解して従うようにするわけで、人殺しはよくないなどと、人に教
える際に、「教えても人は従わない」などと考えて教える人はいないだろうよ。(教育否定か?)
「よく教えればわかってくれて従ってくれるはずだ」という考え方が危険なわけではなく、
何を教えるかが重要だと、俺は思うけどなぁ。
で、このころはまだ、仏教思想は浸透はしていないし、また、新たな科学的論理と当時とらえた
仏教が「理」の根源となると聖徳太子は考えていたわけだが、
「理」は「説いて教えれば誰でも理解できて従うもの」という考え方は、そりゃあるだろうし、
そういうものが仏教であると彼が把握し説明しているだろうことに間違いはないと思うよ。
第一条で和を説いている。「人々が話合えばできぬことはあろうか!」と話し合いの結論に
対して大きな信頼を置いているわけだ。で、第二条の仏教尊重は、「理」を仏教に求めている
わけだよ。つまり、その話し合いは「理」と妥協譲歩によって行われ、皆が決定すると
「一度決定したことには従いなさい」という意味において「詔を聞いたならば必ず従え」と
言っている。
そもそも詔とか「み」「こと」「のり」であって、みは御のことだろう。
ことは「事」であり「言」である。のりは「法」だな。法が決まったら必ず従えというのは当然のことだ。
あれれ・・・・?
「れ電波を読む」さんに退治されたはずの「れ」が
また懲りずに電波を飛ばしに来てるみたいだね。
いくら教えてやっても理解できないれの脳内仕様に付き合ってやる人も
これまた病気なのか?暇潰しなのか?
仮に、退治されたのが事実なら、別人じゃね?w
26 名前: 右や左の名無し様 投稿日: 2006/12/27(水) 09:13:57 ID:TzbHQZwe
>>23-24 ここは、れの電波をみんなで笑うスレです。
前スレから見ていたのであれば、れが電波ではないことを論証して下さい。
しかし、前スレでもれが電波であることは結論が出ています。
れ電波が電波という根拠
591 :れ大電波の嘘を笑う :2006/12/19(火) 21:01:24 ID:CRwtr3G/
数ある電波の中で
笑いの一等賞に輝いた次のれ大電波のレスに反論を書いておこう。
>>573 >正しさ・真理を見出すための、徹底的な矛盾追求の結果としての帰結(理性に基くそれ)よりも、
>妥協譲歩による全員一致に信頼を置く・・・というのが日本社会の特徴である。
全く論拠がない。
もし上の命題が正しいとするのならば、そしてれ大電波が−電波がいうところの−伝統的日本人
であるのならば、れ大電波は
「れ自身が大電波であるということに妥協、譲歩し、自分を大電波だと認めるしかない。」
第一根拠
れ大電波以外のみんなは、れが大電波であることで一致している。
(れが大電波でなければれに同調するまともなレス(注)があるはずである。−背理法−」
第2根拠
れ大電波によれば、「日本人は皆の合意に基づいたことには従う。」
よってれ大電波が自分を電波と認めないのであれば
「自らの落書きに基づき、れが電波ということを証明するだけである」
これも、れが大電波であるといことの立派な『論拠』となる。
41 名前: れ電波を読む=27 投稿日: 2006/12/28(木) 09:42:54 ID:QDb3j3rv
>>31 >れ氏にしろ、ふ氏にしろ同意できない事は沢山あるが議論は成立する。
>君はただ逃げているだけでしかないのでは?
逃げたのはれ電波のほうですが、何か?
氷山の一角に過ぎないけど、
>>26もその逃げた証拠の一つね。
また、れ電波やふと議論が成立すると言うのであれば、自ら実践することだね。
れやふは、夜郎自大でコミュニケーション能力が著しく欠如しているから、
(これは、心理学者の速水が今年の初めに上梓した新書の通り。)
自分の間違いや矛盾を訂正なり謝罪することはないよ。
そういった、自己愛−自己愛自体は誰でも持っている−が極端に強い人達は
議論を望んでいるのではなく、自分の論−根拠なくただ思い込んでいることが多い−が
どれだけ共感者を集められるか、ないしどれだけの人を言いくるめられるかに
終始しちゃうんだよね。
それが適わないと、ふのように差別用語を乱発して、他者を卑下することにより
自分が上位にいることを確認するという戦法になる−これは彼らの性質からすれば本能なんだろう−
(例えば、佐世保で起きた小六女児の殺人事件の犯人のHPを見よ。ふのレスと同質の言語に溢れている。)
逆に言えば、私が彼らをして、他者を貶め自分の優位を保とうとするように映るかもしれない。
しかし、問題は−2チャンと言えども−公共空間において、非学術的・非科学的言論さらには、史実を捏造したり
日本語の定義を勝ってに変えたりする言論は電波だと指摘するのが
人として正しい道だと思うところです。
あれれ・・・・?
「れ電波を読む」さんに退治されて逃げ出したはずの「れ」が
また懲りずに電波を飛ばしに来てるみたいだね。
いくら教えてやっても理解できないれの脳内仕様に付き合ってやる人も
これまた病気なのか?暇潰しなのか?
って漏れもキチガイ相手に暇だにゃーw
w
w
『れ電波・隔離病棟』
‖∧∧
∩・ω・`)
w ( )
`u-u´ w
w
w w
550 :
右や左の名無し様:2007/10/20(土) 18:23:08 ID:mOwSAn7o
551 :
ふざけた奴 ◆lioxHkwaX2 :2007/10/20(土) 19:11:38 ID:301UcDes
>>547 何で俺様の名が出てるのか知らんが、お前みてえなチョウセンヒトモドキに
思想を分けてやろうと思う程心が広くない、お前等が自体が無駄な議論を繰り返し揚げ足取る
だけにしか能の無い「自己愛−自己愛自体は誰でも持っている−が極端に強い人」だと証明
出来れば目的は成立する。
>>530 ってことは、君の答えは「1、構成員」だね。予想通り。
>誰かのためとか何かのために存在する…という前提を共有していない。
「誰(何)のために存在する」とは要は存在意義なんだけれど。それがないというのなら、きみは今まで何を基準に自己主張を繰
り返してきたのかい?
もっとも、最近はそれがないような気もしてきているが。
>例えば会社の服務規定は第一義的には会社のためだろうし、それがそこに
>働く労働者のためになっている場合(条項)もないとは言えない。
会社の服務規定は太古の昔からあったのではない。労働者が服務規程上の権利が対等になったのはせいぜい戦後からではないの
かい?
「秩序のない社会は存在しない」「秩序は構成員を対象として存在する」というのなら、服務規程のない江戸時代より前には秩
序が存在しなかったのかい? それとも江戸時代より前も服務規程のような対等な秩序が存在していたというのかい?
保守的なきみが服務規程を出してくるとはね。服務規程などの労働者の権利は長らく労働者側が搾取される側だったから。
一般に、企業と労働者、雇用と被雇用の秩序は雇用する側がまだまだ圧倒的に優位である。それに対抗する手段として服務規定は
存在するが、逆に言えば、服務規程以外には殆ど対抗できない。
今年売り手市場でちやほやされている新卒内定者も、不景気になればバブル組のように真っ先にリストラの対象になる。労働者
はまずは企業の秩序に沿って企業に貢献するしかない。企業の秩序は構成員のためにあるのではなく、企業のためにある。営利を追求す
るためにある。構成員の福利厚生にあるのではない。
れ、きみは実社会の経験があるのかい?今何を生業として喰っているのかはわからないが、きみは社会の根本を見れていない気
がする。
>ボクシングの世界の秩序が、ボクサーのためにあるのか、それとも業界人のためにあるのか
俺はよくはわからない。
あほか。わからないなら、出すなよ。ボクシング会の秩序は有力組織(WBA、WBC、日本ボクシング協会など)のためにある。有力組織が
維持されることでそれが秩序になり、ボクサーや業界人が食っている。
>君がいうところの、突発的暴徒集団の秩序wにおいて、そこに為政者・権力者・支配者は存在しない
だろうから、場合によって2ではないことはありうるという結論に、君の論から言えば落ち着くはずだ
ろうなぁw
勝手に決めるなよ。君の思い込みで判断するなよ。少しは具体的な反論きぼんW
突発的暴徒集団においても、個人個人ばらばらでなく集団で暴動を起こす場合、必ず、それを煽動指揮するものがいる。もし、
個人個人がバラバラで暴動を起こしているのなら、外から見て集団とみなしてもそれは集団ではない。
仮にばらばらであっても、やがて集団化=秩序が形成される。なぜなら、個人個人でバラバラだと、すぐに鎮圧されてしまう。
すぐに鎮圧されないようにするには、秩序が必要になる。あいりん地区や山谷・ロスの暴動など長期化しているのは暴徒に秩序が
形成されるからだよ。秩序がなかったらすぐに鎮圧されてる。
「秩序」は「2、為政者、支配者、権力者」のために存在するのかといえば、否。秩序は「集団・社会」のためにある。「2、
為政者、支配者、権力者」は、集団・社会のためにある秩序を運用するのである。1も2も構成員なんだよ。だったら、そのどち
らであろうと、秩序は秩序。近代民主主義は被支配者層の権限を生じさせたが、それいがいは、支配者層が握っている。
ちょっといじわるだったかな。答えは「4、その他」。
>>542 >ないと断言できる根拠も聞きたい
なら、あると言う根拠を出してご覧。
お得意のあるかも知らん、無いかも知らん、
賢聖ではないし、二元論には与しないから根拠の有無は分からないってか。
>傲慢ではないなどと言っていない
君はね。「よく教えればわかってくれて従うはず」とする
考えは傲慢だと私が評したのだ。
>何を教えるかが重要だと、俺は思う
それは当然だな。問題は何をどのように教えようとしても
全く聞き入れる耳を持たず、従がおうとしない者が常に存在することだ。
例えば君のような。
>1000年以上も前の人の人間性など興味はない
その人間性には興味もない人の示した考え
『人は賢愚併せ持つ存在である。誰が聖人か賢者か愚者かを誰もわかることができない。』
にしがみ付くのだい。
誰にもその賢愚が判らない人々が持ち寄ったものをなぜ『理(叡智)』だと
言い切れるのか大いに疑問だな。
『理(叡智)』であるかどうか判定できない人々が話し合って出した結論を
安易に信頼できるのか、摩訶不思議な連中だな貴方のいう日本人とかいうのは。
言葉は同じだが、どうも私の承知している日本人とは別の種族のようだな。
これからは判別が付くように君の考える日本や日本人を表すときは、
『日本(れ)』とか『日本人(れ)』のようにトレードマーク化することをお奨めする。
>これからは判別が付くように君の考える日本や日本人を表すときは、
>『日本(れ)』とか『日本人(れ)』のようにトレードマーク化することをお奨めする。
賛成。
れの脳内オリジナル言語は標記がないとホンマ解りにくいwww
>>552 > ってことは、君の答えは「1、構成員」だね。予想通り。
ちがうよ。必ずしも誰かのために存在するとおれは考えていない。(二回目)
>>554 >なら、あると言う根拠を出してご覧。
あのね、「あると断言できない」≠「ある」 なんだよ。w
>その人間性には興味もない人の示した考え
>『人は賢愚併せ持つ存在である。誰が聖人か賢者か愚者かを誰もわかることができない。』
>にしがみ付くのだい。
或る特定の個人の人間性と、その社会において共有されている何かは、ほぼ全く無関係な
議論だと思うが…。w
>『人は賢愚併せ持つ存在である。誰が聖人か賢者か愚者かを誰もわかることができない。』
>にしがみ付くのだい。
別にしがみついちゃいない。w 〇時の一つだと何度も言っているわけだが…。w
>誰にもその賢愚が判らない人々が持ち寄ったものをなぜ『理(叡智)』だと
>言い切れるのか大いに疑問だな。
「理」というものの位置づけの問題。わからなければ少し解説してやってもよいが、君の読解力は
期待できないからねぇ。(理由:このレスの一段目)
>『理(叡智)』であるかどうか判定できない人々が話し合って出した結論を
>安易に信頼できるのか、摩訶不思議な連中だな貴方のいう日本人とかいうのは。
ん?現代における議会も、その議会における議論の結果に一定の信頼を置いていると思うが
彼らは何事かを「理」であると判定できる人という位置づけなのかな?
>>556 >「あると断言できない」≠「ある」
ハァ????(プッ
>或る特定の個人の人間性と、その社会において共有されている何かは、ほぼ全く無関係な
>議論だと思うが
ほぼ≠全く、であると思うがどちらなのだぇ。
クローンと言えども人間性は個のものなので等しく共有は出来ないが
共感できる或いは望ましいとされる人間性というものはある。
そのような人間性を踏まえて、その社会における何かも共有されることになる。
だからこそ「あいつの人間性を疑う」などと言われ社会で共有される何かによって
処断される。
>>557 >解説してやってもよいが、君の読解力は
>期待できないからねぇ。
したけりゃ御勝手に。君の説明力には全く期待していないがね。
>彼らは何事かを「理」であると判定できる人という位置づけなのかな?
出来ない人というのが彼等に対する君の位置づけだと?
古代(れ)のことは知らないが現代の議会は別に『理』だけを
論じてはいないのだが。議論の多くは『利』を論じることに費やされている
ようではあるがな。
>>558 君頓珍漢だねぇ。www
有ると断言できない=あるかもしれないし、ないかもしれない。
>共感できる或いは望ましいとされる人間性というものはある。
俺は別に聖徳太子の人間性など興味がないから…。w
共感について全く俺は語っていないし・・・www
>出来ない人というのが彼等に対する君の位置づけだと?
必ずしもできるという位置づけではない≠できない位置づけである 君何度言われればわかるの?
あるかないか分からないもの
皆の合意による国の枠組み
日本独自のユニークさ
>>556 れ
>ちがうよ。必ずしも誰かのために存在するとおれは考えていない。(二回目)
だったら「秩序は構成員を対象として存在する…以上のことは言えないような希ガス。」という結論はどこにいっちゃったのか
い?
「必ずしも誰かのために存在するとおれは考えていない。」のなら、誰(何)かのために存在していないこともあるといってい
るわけで、だったらその事例を示してくださいよ。
君が秩序をどのように考えているのか、秩序は社会にしか存在しないのか、その根拠や基準が全然みえてこない。
きみは本当に浅いよ。その癖に自信満々だからね。別に電波でもいいのよ、一本筋が通っていれば。でもきみの場合、思い込み
で論じてるから、ちょっと突っ込まれただけですぐに底が見えてしまう。具体的に反論できず、自分の主張をただ繰り返すだけ。
きみは、「日本」が成立していることが絶対的な前提で話している。だから、現代と1000年前、2000年前の「日本」が同じ基準
で説明できないと困るわけ。きみは進歩を嫌うけど、人類は進歩しているんだよ。日本人も進歩している。きみは進歩しないけど
ね。
きみみたいな人が日本を滅ぼすんだよね。国を見て個を見ないから。
えーと・・・日本語が不自由な人に何を言っていいやら…。
○○(人やモノ)の為…という言葉は ○○に寄与する目的で存在する という意味と
とあえているわけで、秩序が誰か、または何かに寄与するために存在しているかどうかは
ボクシングのルールの例示で分かるとおり、わからないという結論だよ。
構成員を対象として存在するが、誰に寄与する目的かは、一概に言えないだろう?
それこそ、併合前の半島に対して行われた、大陸の押し付けたルールなど、大陸の
支配者という構成員以外に寄与する目的で、構成員たる半島の人々を対象に
存在したルールだよね。(貨幣発行権や、三度ひざまづいて使者を迎えるルールなど)
>きみは、「日本」が成立していることが絶対的な前提で話している。
絶対的かどうかは別として、少なくとも1000年間日本とおいう枠組みが存在していること自体は
事実です。
>きみは進歩を嫌うけど、
進歩主義を批判すると進歩を嫌うことになるという把握こそが、浅はかだと思うなぁ。w
進歩というのは、ある変化に関する評価です。
人類は進歩してきた…「理想形・完成形」が概念として存在し、そこに近付いている
という評価が、或る事象に関する変化に対してあたえられたときに「進歩である」と
評価できる。
では人類が進歩していると評価する君は、その「理想形」なり「完成形」というものを提示し
なければならないわけです。
例えば科学・物理においていろいろなことが分かってきた。反復して再現できる事象が
増えてきたことは、人類にとっておそらく好ましいことだとおれは思うし、それを科学・物理学の
発展と評価するにやぶさかではない。そしてそのような科学技術をして人類に貢献してい
いる部分も多くあると評価はします。
しかしそれが「進歩である」とは、一概には言えませんよね。
進歩とはいかなる概念なのか、 「 深 い 君 」 は当然に説明できるだろう思うので、
ぜひそのあたりを開陳してください。期待しています。
>>561 電波といえども羞恥心くらいはあるだろ?
日本人であればな
自演してんなよ
否、恥を恥と知る知力がないから電波なんだが…
電波は死んでも治らないっとw
全部同じヤツなんだろうけど、
ネチネチと個人攻撃するのも十分恥ずかしいことだし十分電波なんだが
放置してやってください。
まぁ、議論という程でもないんだけれども、仕事で、中国人とかかわったわけなんだが
彼は学生時代から日本にいて、今は医師、奥さんも中国人。
日本語も、まぁ、中国人であるということはわかる程度の発音だが、きちんと会話もできる。
奥さんとは中国語で話をする。・・・彼は、今、日本国籍を得る申請をしているというんだなぁ。
十分に帰化の条件には合致しているようで国籍取得はできるようだ。
夫婦とも家族は中国にいるとのこと。
なぜ帰化申請するのかと聞いたところ、日本で生活することを決意したからだというわけだ。
外国国籍だと何かと不便だからだという。つまり一言でいうと「功利」のために…ということだな。
無論法的には何の問題もないし、医師として日本で活動していくにあたって日本人であるほうが
なにかと不便が解消されることも事実だろうが、国籍ってそんなことで取得できていいのかなぁと
単純に感じた。
大陸の人は、多民族国家であるがゆえに、さほどに国に対する感傷はないのかなぁ。
日本人でも、他国の国籍を取得する人はいるわけで、別に責めようなんて気もないわけだが
国籍っていうのは、いざ戦争になったら、どちらの側につくのか…という選択でもあるわけで
どうにも気になったんで…。
>>563 れ
>わからないという結論だよ。
きみはわからないで主張しているというということだね。わからないことをわかろうとせずそれ以上思考しない。思考停止、
思考放棄。これでは議論にならない。
きみがわからない理由として挙げたボクシングのルールの例示は
>>553でレスしている。
>構成員を対象として存在するが、誰に寄与する目的かは、一概に言えないだろう?
それはきみがわかってないからだよ。寄与する対象が一致していないで(寄与する目的は対象があって生じる)秩序は形成
され、それが維持されないであろう。
>それこそ、併合前の半島に対して行われた、大陸の押し付けたルールなど、大陸の支配者という構成員以外に寄与する目的
で、構成員たる半島の人々を対象に存在したルールだよね。
まず、「ルール」という言葉は「秩序」でいいんだよね。違うとしたらまったく意味のない事例になってしまうから。
きみは「構成員以外に寄与する目的で」としているが、これでは表面的である。構成員以外に寄与する目的で秩序は形成さ
れない。逆に言えば、秩序が形成されるということは、寄与する対象は必ず構成員であることになる。
この場合、大陸が半島に対し押し付けたという時点で、半島は大陸の支配を直接間接にかかわらずうけていることになる。
大陸が半島に対して干渉し秩序を押し付けることは、大陸が半島の支配者であることを意味する。だから「貨幣発行権や、三
度ひざまづいて使者を迎える」ことを大陸が半島に対して行えたのである。
もっと言えば、大陸が貨幣発行権という経済的利潤以外に、なぜ三度ひざまづいて使者を迎えることを押し付けたのかであ
る。半島はそれに従うことによって枠組みを失うのである。大陸に組み込まれるのである。ということは、この事例ではすで
に枠組みが半島ではなく、半島を組み込んだ大陸、を前提にしたものとなる。
つまり、この場合、「大陸の支配者」は構成員である。
>絶対的かどうかは別として、少なくとも1000年間日本とおいう枠組みが存在していること自体は事実です。
だからといって同じ基準であるとはならない。今の日本と1000年前の日本はまだ同じだと思っているのかい?
>>564 >人類は進歩してきた…「理想形・完成形」が概念として存在し、そこに近付いているという評価が、或る事象に関する変化に対してあたえられたときに「進歩である」と評価できる。
君は絶対評価しかできないんだね。「きみは、「日本」が成立していることが絶対的な前提で話している。」と根は同じだよ。
残念ながら、「理想形・完成形」が存在しなくとも、単純に過去と現在を比較することで「進歩である」と評価できる。ネットでこうやって議論できることも進歩である。20年前では想定できなかった。
>では人類が進歩していると評価する君は、その「理想形」なり「完成形」というものを提示しなければならないわけです。
はいはい、得意の思い込み。
>例えば科学・物理においていろいろなことが分かってきた。反復して再現できる事象が増えてきたことは、人類にとっておそらく好ましいことだとおれは思うし、それを科学・物理学の 発展と評価するにやぶさかではない。そしてそのような科学技術をし
て人類に貢献していいる部分も多くあると評価はします。
>しかしそれが「進歩である」とは、一概には言えませんよね。
あふぉか(激笑)。物事を難しく考えすぎてひねくれてしまったのかい。きみの例に挙げたことはすべて進歩である。きみは、勝手な個人的な主観で、進歩したことを進歩と認めてないだけ。
>進歩とはいかなる概念なのか、 「 深 い 君 」 は当然に説明できるだろう思うので、ぜひそのあたりを開陳してくださ
い。期待しています。
しんぽ 1 【進歩】
(名)スル
(1)物事が時の経過とともによくなっていくこと。文明が発展すること。⇔退歩
「―の跡が見られる」「―した文明」
(2)進んでいくこと。歩を進めること。前進。
私はきみほど浅くないだけで、深くないですよ。進歩は進歩でしょう。それを進歩と評価しないかは個人の自由。きみは進歩を否定していないのでしょう?だったら、進歩です。最後に…
>進歩というのは、ある変化に関する評価です。
進歩というのは、ある変化であり、評価ではありません。
ここは匿名掲示板なので、具体的人格を有する個人は存在しない。
実名を公表しその存在証明があるのであれば別だが…。
嗤うところは、
2チャンで個人攻撃とか言い出すくらい、れは2チャンに依存しているらしい。
仮に彼の人格が2チャンでしか表現できないのだとしても
電波を攻撃するのと、コテを攻撃するのは全く違う事象である。
こんな事は言うまでもない事だが、電波にはわからない事らしいwww
まじキモイなこのれストーカー
>>572 一段目:わかる必要がないことをわからないと結論付けることは思考停止とは言わない。
二段目:???
三段目:
> まず、「ルール」という言葉は「秩序」でいいんだよね。
え?ルールは秩序を構成する要素の一つだと思うけどねぇ。守られないルールは秩序
じゃないだろう。w 君言葉がいつものようにずさんだよね。
無論当該議論対象のルールは、守られていたルールであり、それは一つの秩序と言って
よいと思うが…。
で、構成員とは、そのルールを守るべき人々のことだと思うんだが…。
>だからといって同じ基準であるとはならない。
同じ基準だとおれは言っていないんで…。一定の限定的な一致が存在するといっているだけ。
君の脳内変換のバカげた妄想につきあう気はない。
>>573 >残念ながら、「理想形・完成形」が存在しなくとも、単純に過去と現在を比較することで「進歩である」と
>評価できる。
一般的な進歩主義批判とは、極めてかい離するんで、独自の君の脳内確信だとおれは思うなぁ。
> 進歩というのは、ある変化であり、評価ではありません。
変化がすべて進歩である・・・そう思っているなら、極めてつきの馬鹿だと思う。
ある変化に対して、人はこれを「進歩である」と評価したり「退化である」「反動的後退である」
等と評価するわけだが…。
ある変化が生じた時に、それが進歩である(つまり「よくなっている」「進んでいる」)と評価するためには
「良き方向が存在していること」を前提としている。←ここが理解できない程度の馬鹿は、まぁ、
深すぎてwww 俺はついていけない。
進歩主義 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
進歩主義(しんぽしゅぎ、英 progressivism)とは、進歩に一定の高い価値を与える考え。
ここでの進歩は、変化という事実に加え、その変化が好ましいものであるという価値判断をも含むものである。
しんぽしゅぎ4 【進歩主義】 大辞林
[1] 国家・社会などの矛盾を変革し、より前進しようとする思想。⇔保守主義
〔補説〕 急進主義と比べて、穏健な変革をめざす
[2] 人間の精神や文明・歴史などが、時を追って、より完全な状態に進歩するとする合理主義的信念。
→進化
>>575 れがデンパを唱えるのは今に始まったことじゃねぇだろw
ここは、電波隔離病棟だと何度言わせれば(以下ry
>>577 >わかる必要がないことをわからないと結論付ける
秩序が寄与する目的がわからないで、秩序をよく語れるね。ところでボクシングの事例に対するご意見はどうしたんだい?
>???
そうやって逃げるんだね。絶対評価と相対評価の区別ができれば理解はできるはずだ。
>え?ルールは秩序を構成する要素の一つだと思うけどねぇ。守られないルールは秩序
>じゃないだろう。w 君言葉がいつものようにずさんだよね。
>無論当該議論対象のルールは、守られていたルールであり、それは一つの秩序と言って
>よいと思うが…。
>
>で、構成員とは、そのルールを守るべき人々のことだと思うんだが…。
ただ確認で聞いている(YES・NOで答えられる)のに、こんなに蛇足がつくのかなー。いきなり「ルールは秩序じゃない」とか
言ってきそうだったんで、こたえてくれてありがとう。安心した。
>同じ基準だとおれは言っていないんで…。一定の限定的な一致が存在するといっているだけ。
君の脳内変換のバカげた妄想につきあう気はない。
おふぉか。質問に答えろよ。
「同じ基準」でも「一定の限定的な一致が存在」でもいいよ。今の日本と1000年前の日本はまだ同じだと思っているのかい?
>>578 >一般的な進歩主義批判とは、極めてかい離するんで、独自の君の脳内確信だとおれは思うなぁ。
私は進歩主義を批判していない。「進歩主義」すらつかったことない。きみがかってに進歩主義批判と思い込んでしまってる。
早く気づいてくれないかな。私からすれば君のは進歩主義批判ではない。
そして、議論が発展して「進歩」自体の深い話になってる。きみが誘導した。
>変化がすべて進歩である・・・そう思っているなら、極めてつきの馬鹿だと思う。
変化はすべて「進歩」である。逆に言えば、進歩していないうちは「変化」ではない。
>ある変化に対して、人はこれを「進歩である」と評価したり「退化である」「反動的後退である」
等と評価するわけだが…。
変化がすべて「進歩」か「退歩」に分けられると思い込んでるのかい?
ほんっっっっっっっっっっっっっっっっっっっとに浅いよ。
>ある変化が生じた時に、それが進歩である(つまり「よくなっている」「進んでいる」)と評価するためには
「良き方向が存在していること」を前提としている。←ここが理解できない程度の馬鹿は、まぁ、
深すぎてwww 俺はついていけない。
きみは人類の進歩を冒涜しているよ。進歩において「良き方向が存在していること」なんてないよ。きみの思い込みで馬鹿呼ば
わりされても「この人全然わかってないよ」で終わってしまう。
具体的な事例を出してごらん。きみがいかに思い込みで語ってるか説明してあげるから。浅すぎて手に負えないかもW
>>580 きみがその話題に摩り替えたいのはわかるが、それには乗らない。というか、きみがんまりなんで乗ることができない。
>>571 >つまり一言でいうと「功利」のために…ということだな。
と断言し
>大陸の人は、多民族国家であるがゆえに、さほどに国に対する感傷はないのかなぁ。
などと言って、君は功利として個人の行動を例とした上でその配偶者共々、大陸の人にまで
拡大し、個人の人間性(国に対する感傷が無いこと非と匂わせる評価、但し
君個人のだが)を大陸の人々全般の通性の如くに言おうとするのだね。
>或る特定の個人の人間性と、その社会において共有されている何かは、ほぼ全く無関係
と君自身で言っていながらね。
>>564 >人類は進歩してきた…「理想形・完成形」が概念として存在し、そこに近付いている
>という評価が、或る事象に関する変化に対してあたえられたときに「進歩である」と
>評価できる。
「理想形・完成形」が概念として存在する必要は『ほぼ全く』無い。
変化の前後を比べ、変化後の状態が現在の自分自身により好都合なら
進歩であると評価する。全ての者に好都合な変化何てものも『ほぼ全く』無い。
評価者自身の状況自体も日々変化しているから、ある時点で個人が述べる
「理想形・完成形」なんてものにも『ほぼ全く』意味がない。
>>582 >秩序が寄与する目的がわからないで
俺は目的がわからないといっていないわけだが…脳内妄想もたいがいに…。
秩序が寄与する対象はケースバイケースだ・・・つまりその時その秩序によって様々で
わからないという当然至極のことを言っているのだが・・・これだけ読解力に瑕疵がある
と、あれだなぁ。
>今の日本と1000年前の日本はまだ同じだと思っているのかい?
一定の一致があるといっているわけだが…。思うとか思わないの問題ではなく、史実として
古代天皇(例えば雄略天皇)の即位式における群臣の衰退という儀式の位置づけや、継体天皇の
即位における臣民の関与の状況、17条憲法の第10条に表れている人間観、称徳天皇の禅譲事件に
おける神託の確認の振る舞い方、戦国時代における恭順というふるまいの位置づけ、徳川時代の
合議制、明治立憲行程における明治天皇の立場、その他諸々について一貫した部分があるという
話をしているわけだが…。
>>583は話についてこれないと判断、無視。一般的な進歩主義批判なども理解せず
人類は進歩していると断言しているのは君なんだが…。
>>585 前段:通性と君がいっているわけだが、単なる傾向に関する推測を述べているだけなんで・・・。
後段:
>変化後の状態が現在の自分自身により好都合なら進歩であると評価する。
そういう言葉遣いは、少なくとも政治思想的には杜撰なんだから、そういう表現をしたいなら、
別にかまわんが、政治思想板で共通の概念となるような使い方ではないことは、自覚しておいたほうが
よいかもしれない。たんに「発展」などと言えばよいところを、あえて「進歩主義」という概念がある場所で
「進歩」という言葉を選び出して使うほどの意味があるとは到底思えないなぁ。
つうかもともと俺は、進歩主義を批判しているのであって、進歩を嫌っているわけではないという
説明をしているわけで、それを「進歩を嫌っている」と判断した馬鹿が、進歩主義とか、それへの批判
というきわめて初歩的なことも知らずに、進歩なる言語を自分流に操っていることは明白なわけだが、
よく、まぁ、恥ずかしげもなくそういうことを言いつのれるものだと、あきれるよ。
進歩主義 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
進歩主義(しんぽしゅぎ、英 progressivism)とは、進歩に一定の高い価値を与える考え。
ここでの進歩は、変化という事実に加え、その変化が好ましいものであるという価値判断をも含むものである。
俺はこういう意味で進歩主義を批判している…ただそれだけですよ。保守主義者が進歩主義を
批判するのは当然の成り行きなんだが・・・。それを「進歩を嫌っている」と把握するのは
よっぽどの無知で、日本語能力に瑕疵がある香具師か、馬鹿以外には考えられないんだが…。www
>>586 >単なる傾向に関する推測を述べている
と明言していない。要らぬ君の裏付けの無い雑音的推測を述べるのは何を意図して?
自らの無知蒙昧を曝け出したいからだってか?
>少なくとも政治思想的には杜撰
杜撰の塊から言われたくはねぇや。w
>>587 >進歩主義を批判しているのであって、進歩を嫌っているわけではない
進歩主義者が進歩だとするものが,単に君が思う進歩には合致しないってだけだろう。
君の勝手な妄想に合致するものしか進歩とは認めないってな。
>変化が好ましいものであるという価値判断をも含むものである。
生じたあるいは生じさせようという変化を全てが好ましいと価値判断することは無い。
>>変化後の状態が現在の自分自身により好都合なら進歩であると評価する。
こそが変化に直面する個々の判断になる訳だな。個々の好都合と言う判断が
杜撰に行われるか否かは個々の特性次第だがな。
総じていみふ
オマイトフザケタサルニワカルイミナドナイ
>>586 >俺は目的がわからないといっていないわけだが…脳内妄想もたいがいに…。
健忘症か痴呆症か。一度病院に行かれることをお勧めする。因みに、わからないと言うきみが例に挙げたボクシング、併合前の
半島に関してはちゃんと反論してある。
>秩序が寄与する対象はケースバイケースだ・・・つまりその時その秩序によって様々でわからないという当然至極のことを言っ
ているのだが・・・これだけ読解力に瑕疵があると、あれだなぁ。
ケースバイケースとは初耳だ。今まで「わからない」だったではないか。もっとも、きみは聞くたびに違うことを言い出すから
この発言も当てにはならないけどね。
>一定の一致があるといっているわけだが…。
その時その秩序によって様々でわからないという当然至極のことを言ってる先から、一定の一致があるなんていえるものだ。こ
れら史実一つ一つが一定の一致がないことの現われではないか。
古代天皇の時は、群臣の衰退という儀式の位置づけだった。ところが、戦国時代では、群臣の衰退ではなく恭順というふるまい
の位置づけになった。この2つをとっても秩序が全然違うことがわかる。
継体天皇の即位における臣民の関与の状況、称徳天皇の禅譲事件における神託の確認の振る舞い方、徳川時代の合議制は、その
ときになってはじめて生じたり確立したりしたもの。それ以降とは一致があっても、それ以前には一致があるといえない。
明治立憲行程における明治天皇の立場は、古代天皇の専制政治の時代、建武の親政、とは一致していない。
17条憲法の第10条に表れている人間観に関しては、聖徳太子が役人向けに示した道徳的な規範であり、現実にそれが共通の人間
観といえるほど確立していたか、そして今も確立しているかは、全然根拠がない。
>
>>583は話についてこれないと判断、無視。一般的な進歩主義批判なども理解せず人類は進歩していると断言しているのは君な
んだが…。
だから、私は「進歩主義批判」は一切触れていない。勝手に持ち出したのはきみ。進歩主義と進歩は違う。さすがにこれはわか
るよな。私は、進歩の話をしている。
>>587 >つうかもともと俺は、進歩主義を批判しているのであって、進歩を嫌っているわけではないという説明をしているわけで、
あふぉは言っても直らないか。私からすれば君のは進歩主義批判ではない。なぜならば、きみの発想自体が進歩主義だからである。
進歩に「理想形・完成形」が概念として存在しなくてもよいというわたしに対して、きみは「理想形・完成形」が概念として存
在しなければならないといっている。
なぜ存在しなければならないのかといえば、きみの言う進歩は、変化という事実に加え、その変化が好ましいものであるという
価値判断をも含むと思いこんでいるからである。「理想形・完成形」が必要とするのは、進歩に一定の高い価値を与えてるからで
ある。
きみが「「進歩である」とは、一概には言えませんよね」といっている理由は、科学・物理学、科学技術の発展がきみの「理想
形・完成形」ではないからである。科学・物理学、科学技術の発展以外の「れ的理想形・完成形」に合致した時、きみは進歩と主
張するだろう。
私は、科学・物理学、科学技術の発展は進歩だと思う。というか、ごく一般には「科学・物理においていろいろなことが分かっ
てきた。反復して再現できる事象が増えてきたこと」は進歩である。
その進歩の根拠は、「理想形・完成形」が概念として存在しているのではなく、単純に過去と現在の比較である。単純な比較
であるから「一定の高い価値」はない。進歩自体を認めても、進歩自体に一定以上の価値は認めていない。
ネットでこうやって議論できることも進歩である。きみは「進歩である」具体的な事例を出さないが、「ネットでこうやって
議論できること」は進歩であると思わないのかい?
きみが「進歩を嫌っているわけではない」と主張しても、態度は進歩を嫌っている。実際に、きみは進歩に対して肯定的ではな
い。「進歩である」と評価している箇所も、進歩の事例も提示していない。
口からでまかせを言うなよ。きみは「進歩を嫌っている」。
>それを「進歩を嫌っている」と判断した馬鹿が、
悔しかったら、「進歩である」事例を出しなよ。あふぉ。進歩が嫌いなくせに
17条憲法の第10条
>進歩主義とか、それへの批判というきわめて初歩的なことも知らずに、進歩なる言語を自分流に操っていることは明白なわけだ
が、 よく、まぁ、恥ずかしげもなくそういうことを言いつのれるものだと、あきれるよ。
ごく一般的な進歩主義批判とは、「より完全な状態に進歩する」に対する懐疑である。「理想形・完成形」に対する懐疑である。
従って、科学・物理学、科学技術の発展は批判しない。科学の発展は進歩である。しかしきみは「それが「進歩である」とは、
一概には言えませんよね。」と批判している。これできみの進歩主義批判が一般的でないのがわかったよね。
ごく一般的な進歩主義批判とは、科学・物理学、科学技術の発展が「より完全な状態である」ことに批判的なのである。科学万
能主義に対する批判。完全、理想に対する批判。科学の進歩に一定以上の高い価値を見出すことに批判するのであって、科学の進
歩自体は批判しない。進歩主義批判であっても、科学の発展は進歩である。
>俺はこういう意味で進歩主義を批判している…ただそれだけですよ。
どういう意味で?
「理想形・完成形」を提示しないと「進歩である」と評価できないなら、進歩を批判せずにどうやって進歩主義を批判するのかい?
>保守主義者が進歩主義を批判するのは当然の成り行きなんだが・・・。
きみが保守主義?
>それを「進歩を嫌っている」と把握するのはよっぽどの無知で、日本語能力に瑕疵がある香具師か、馬鹿以外には考えられないんだが…。www
17条憲法の第10条。きみ価値観は見事にこれと合致しているね。
594 :
右や左の名無し様:2007/10/31(水) 23:13:41 ID:0s4rOnOf
【朝鮮人強制連行の記録】【未来社刊】 【著者 朴慶植】
詳しく読みなさい。 強制連行が事実である事が理解できます。
つうか、なぜ進歩主義という概念が存在し注目される場所で、あえて「進歩」という言葉を
使う必要があるのかの説明が、全くなされていない時点で、論外。
進歩を批判するという表現自体が論外だし…。苦笑
この人は多分、自分が何を言っているかがわからないか、自分の言葉がどう受け取られているかが
わからないかのどっちかだろう w
いずれにしてもお相手はお断りしているわけだが…。w
>>587 >俺は、進歩主義を批判しているのであって
>保守主義者が進歩主義を
>批判するのは当然の成り行き
つまり君自身は保守主義者であると宣言している訳だよな。
>それを「進歩を嫌っている」と把握するのは
>よっぽどの無知
保守主義者は現状における自己や所属する黨の権益の縮小や喪失を伴う変化は
嫌うが拡大や独占化、新たに獲得出来る変化なら大歓迎な訳だ。
というより、より多く得られるなら進歩、革新と称して積極的に変化させる。
保守主義者は自分達の存立に矛盾が生じず強化拡大する変化のみを進歩だとし、
進歩主義者は社会全体の矛盾が出来るだけ少なくなる変化を進歩とするってのが進歩
に対する違いだろう。
後者が叫ぶ進歩が常に社会全体の矛盾を少なくするかは保証の限りではない。
後者の真の目的が権益の奪取や新たな獲得であったりするのは歴史が証明しているからな。
技術であれ制度であれ進歩か否かという判断とその進歩の良し悪しの評価は別のもの。
進歩とされるものの適用範囲と進歩する速度によっても評価は変わるわな。
>>595 ほぼ全くいみふ
>>596 おいおい、基本的な進歩主義批判ぐらい理解しろよ。苦笑。
いいかなぁ、進歩という評価(価値判断)は、ある特定のほ構成を「好ましい方向である」との
前提をして可能な振る舞いである。
或る特定の方向性について「好ましい・理想的・完成形の方向である」と合理的で論理的な
結論を得ることについて、保守主義者はそもそも批判しているのであって、したがって
或る特定の変化を「進歩である」と評価すること自体を懐疑している。(普通このくらいわかるだろう
政治思想板に書き込むたしだったら)
だから、保守主義者は、変化を「進歩である」と評価しないんだよ。
発展とか発達ということは当然あるだろう。発達することは必ずしも好ましいとは限らない(台風の発達w、
自分の娘の身体的発達w)し、発展が必ずしも好ましいとは限らない(妻と、俺の浮気相手の交流の発展w)
なかで、進歩(好ましき変化)と評価することを避けるほうが、当然に相対的で客観性のある評価になるだろう?
まぁ、浮気相手は娘というのは冗談だが、科学技術の発展は当然に武器の発達を招いてきているだろう。
それは人の及ぼす被害を深刻化しているわけで、しかし一方科学技術の発達は人の生活の利便性などに
寄与もしているわけだ。
したがって、客観的に物事を考えるなら、「あえて進歩tぽい表現を避ける」ほうが、よろしかろうよ。
で、進歩主義というものは、人間観や世界観を、一つのそれに固定するわけだろうよ。
人とはこういうもので、理想形なり完成形なり、すくなことも方向性に関して「好ましい人間」を固定化
するからこそ、進歩と表現できうるわけだ。しかもこれが論理的帰結であるとしているからこそ、全人類
に適用される好ましき人間像を固定化するふるまいの結果なんだよ、進歩という表現は。
そのくらいわかれよ。
もう少し言うわ。
或る特定の人の理想形を固定するという振る舞いに、俺は与しない。
それが、皇国史観による「天皇の赤子たる帝国臣民」であっても、「キリスト教圏における
人間中心主義から生じた論理的帰結に基づく理想的人間」であってもだ。
おかしいんだよ、尻尾主義者は「皇国史観による天皇の赤子たる臣民」が「自分たちの思い描く
人間の理想像」と違っている・・・がゆえに批判しているだけの話で、人の理想形を固定すること
自体は否定していない…ということだろう。
その癖、価値観は人それぞれだ…などというわけだ。
俺はこんな論理矛盾の輩は徹底的に批判されてしかるべきだと思うぞ。
人の社会においてすべてを相対化することはできない・・・これは当然至極のことだ。したがって
人々の価値観は個人によって異なるけれども、その個人の価値観は、その所属する社会において
等価ではない。等価ではないから、女児を愛しそれを傷付けることに価値を見出す輩は排除される
べきだし、人を殺戮すること自体に価値を見出す輩も排除されるべきだとおれは考える。
しかしだからといって、「理想形・完成形・方向性」をその社会が決定し、それを論理的帰結として
固定化することもまた、同意できない。排除や固定化は極めてつきで限定的であるべきである
からだ。人の社会は複雑系である。無限ともいえる要素で社会は動いており、単純化した前提のもとに
直観的に提示された命題を考察することは、無駄ではないが確定的な結論を見出すには、周法的に
あまりに粗雑である。
要はバランスである。全く相対化はできないが、かといって大きく固定化することもよくないとするな
らば、経験的に維持されそれなりに継承されているものを、急進的変化に対する抑制の拠り所と
するしかない。当然に変化を求める振る舞いは実験的であるがゆえに論理も重要ではあるから、
節度とよく精の拠り所とのバランスが必要だということ。
今日も電波ゆんゆんでつねw
れには年頃の娘がいるらしい。結婚もしていて、美しい妻以外に浮気相手もいるらしい。
どんどん話が大きくなるな w
>>595 >つうか、なぜ進歩主義という概念が存在し注目される場所で、あえて「進歩」という言葉を使う必要があるのかの説明が、全く
なされていない時点で、論外。
あえて避ける必要がないからだよ。進歩主義と進歩は違う。進歩という言葉を使ってもそれが進歩主義になることはない。あえ
て進歩っぽい表現を避けても、進歩が指す概念は進歩だし、進歩主義が指す概念は進歩主義。
きみの脳内では進歩主義と進歩の違いが理解できてないのだろう。例えば、なぜ平和主義という概念が存在し注目される場所で
あえて「平和」という言葉を使う必要があるのかと主張しているのと一緒で、こっちからするとなぜ「れの脳内オリジナル言語」
にあわせなきゃならないのかの説明がききたいね。このスレでは「れ」は天皇なのかい?
>進歩を批判するという表現自体が論外だし…。苦笑
そのくらいわかれよ。
>この人は多分、自分が何を言っているかがわからないか、自分の言葉がどう受け取られているかがわからないかのどっちかだろ
う w
れは他人が何を言っているかがわからないか、他人の言葉が一般的にどう受け取られているかがわからないかのどっちかだろう。
れがおかしいのは「進歩という評価(価値判断)は、ある特定のほ構成を「好ましい方向である」との前提をして可能な振る舞
いである。」と思い込んでいる点である。
進歩には「好ましい方向である」との前提はない。ある特定のほ構成を検証した結果、それがよりよい、好ましいと判断される。
「好ましい方向である」との前提があって、ある特定のほ構成が進歩と判断されるのではない。ある特定のほ構成があって、それ
がよりよい、好ましいと判断されるのが進歩である。よりよい、望ましいはある特定のほ構成があって生じる。「好ましい方向で
ある」があってそれで判断されるのではない。
基本からしておかしいから、後は言ってることが支離滅裂。抽象論では整合性があるように見えるが、具体論では救いようがな
くなる。
>進歩には「好ましい方向である」との前提はない。
…支離滅裂、日本語能力の瑕疵。やっぱりお相手は致しかねる。
進歩という評価(価値判断)には「好ましい方向である」との前提はない。
じゃぁ、どのような価値評価を内包しているのかを説明しなよ。w
否定だけで、根拠も示さない君の投稿にはうんざりだよ。
進歩主義でない中での進歩という言葉だとしたって、「歩む」だけなら方向性はない場合もあるが
「進む」のだから、方向性はある。←方向性があることは理解できるよな。
しん‐ぽ【進歩】
1 物事がしだいによりよいほうや望ましいほうへ進んでいくこと。
2 歩を進めること。前進。
では、悪い方向に進む場合に「進歩」というだろうか・・・それは後退とか退化とか、あるいは反動
などともいうかもしれないが、明らかに悪しき方向へ進んでいる様をして、進歩とは言わない。
よき方向か悪き方向かはわからないが変化する場合もありうる。しかしこれも、進歩という表現は
しない。いかにも、変化としか言いようがない。
また、何度も言うように、よいか悪いかは別として発展・発達する場合もある。資本主義の発展という
表現はある。それはよいかどうかは別として、進んでいる様をあらわしているのである。
まとめよう
良き方向に進んでいる→進歩・進化
悪しき方向に進んでいる→後退・退化
進んでいない→停滞
進んではいるが方向についての良し悪しの判断を内包しない→発展・発達
つうかそもそも、俺は進歩主義を批判しているが、進歩を嫌っていない…進歩という評価自体を
懐疑するという回答に、ここまでくだらなくもスレ違いな拘泥を見せるんだから、まぁ、論外の
馬鹿だとよくわかった。
>>604 残念ながら「進むには方向性がある」というのが思い込みなんだよ。差し詰め「1 物事がしだいによりよいほうや望ましいほ
うへ進んでいくこと。 」の「ほう」を「方向」と思い込んでいるのだろう。
ほう〔ハウ〕【方】
1 方向。方角。方位。「西の―」「駅の―へ歩く」「声のする―を見る」「九州の―に行く」
2 部門・分野を漠然とさす語。その方面。「将来音楽の―へ進みたい」「その―では有名な人だ」
3 正方形の一辺の長さ・距離を示す語。
4 物のやり方。しかた。方法。また、処方。
5 二つ以上あるもののうちの一つをとりあげてさす語。「黒い―が好きだ」「もっと味を濃くした―がいい」
6 どちらかといえばこちらだという部類。「性質は臆病な―だ」
確かに「方向」の意味はある。しかし、他にも幅広い意味がある。方向性というには漠然としたニュアンスや、二つ以上あるも
のの一つであったり(方向性ではなく選択肢)。
きみは後半で「よりよい」に対し「悪い」を提示し、取り下げたりしている。「よりよいほうや望ましいほう」というのは方向
性よりも選択肢の意味ではないのか。
もう一度言うね。「進歩には方向性がある」というのは君の思い込みだよ。すくなくとも「ほう」は方向性にとらわれない。
基本からしておかしいから、後は言ってることが支離滅裂。抽象論では整合性があるように見えるが、具体論では救いようがな
くなる。
>…支離滅裂、日本語能力の瑕疵。やっぱりお相手は致しかねる。
これは、れ電波を理解できない奴に必ず出すれ電波の常套句www
訳は、
ボクチン電波だからこれ以上虐めないで、やめてお願い!!
>抽象論では整合性があるように見えるが、具体論では救いようがな
>くなる。
あははは…。
いや、抽象論ですらデンパなんだが…ぷっ…。
>進んではいるが方向についての良し悪しの判断を内包しない→発展・発達
それにしても、毎度、オリジナルの脳内デンパ言語で悦に入れる精神構造がキショイなw
つうかそもそも、俺は進歩主義を批判しているが、進歩を嫌っていない…進歩という評価自体を
懐疑するという回答に、ここまでくだらなくもスレ違いな拘泥を見せるんだから、まぁ、論外の
馬鹿だとよくわかった。
↑ここに反応がないのはなぜなんだろう。w
>>609 「進歩には方向性がある」が思い込みであれば、「進歩という評価自体を
懐疑する」というきみの主張がおかしくなるわけで、きみが進歩を嫌う理
由もなくなるわけだよ
いや、方向性のない変化を進歩とは呼ばないことはすでに論証したし、まともな反論もないうえに、
どう見てもそんな話はスレ違いなんで…。
保守主義者が進歩主義を批判することは当然至極なことも説明したし、俺は進歩を
そもそも嫌うということはない…つうか進歩と評価することがないんだから嫌いようがない
ことも明らかなうえに、「皇室の存在意義」と無関係な議論にここまで拘泥したあげく
スレ違いの指摘にも頓珍漢な反応しかないんだから、いやはや、まぁ、何というか…。w
>>611 「進歩には方向性がある」が思い込みなのだから、「方向性のない変化を進歩
とは呼ばない」というのもきみの思い込みなんだよ。ほんとに馬鹿だよね。
科学技術が進歩する
といった場合、過去と比較して現在の科学技術のほうがしだいによりよいほ
うや望ましいほうへ進んでいくことであり、科学技術の進歩に方向性はない。
ちなみにきみは進歩主義者であるというのは撤回する。全然進歩がない上に、
方向性もないからね。
進歩主義も保守主義も相対的なものである。←これがわかってないようだから
きみのいう進歩主義批判も底が浅い。単なる反動主義である。
そんなきみが主張する「皇室の存在意義」なんて矛盾の塊だよ。
>>597 >特定の方向性について「好ましい・理想的・完成形の方向である」と合理的で論理的な
>結論を得ることについて、保守主義者はそもそも批判している
現在の全ては過去の世の人々が彼等の現在を彼等にとり拠り良くしようと
謀っり行動した結果の集積であることは事実だ。
だが、謀っり行動した結果が現在にまで残されているのは叡智だけなのだ。
従って、現存する全ては過去からの叡智だけの集積だとする明らかに誤りだ。
過去の叡智の集積なのだから現在の人間にはその集積を改変することは
許されないなど言えばそれは自分達が信奉する叡智の集積とする物自体が
過去の人々によって改変され続けて来たことを否定し、この世は神が作り出され
給うてから以降何も変化していない、つまりこの世は神によって現在あるがごとく
太古の昔から存在しているのだ、言い換えれば人というものは一切変化も進歩も
しないものだと言うことだろう。
人は賢愚を合わせ持つと言う以上、愚の部分もまた継承集積されることは明らかだ。
現在の人間も幸か不幸か賢愚を併せ持つから、現在の人間がなした改変にもまた
愚の部分が含まれることは致し方のないところだ。
それに過去の人間の為した改変は叡智と認めるが、現在の無能な人間には改変は
許されないなどいうのは、自身の唐様の三代目宣言でしかなかろう。
>>597 P.S.
聖書と口伝しか存在しないような時代ならいざ知らず、現在と言わず過去のデータ
さえ社会階層を問わず豊富に流通しつつある現在において過去から現在を通して
現在よりもより好ましいとする未来社会を論理的に予想することは
恣意に裏付けられた感と度胸で進もうとする未来よりは遥かに合理的だろう。
論理的だからといってextrapolationで有る以上到達したものが予想と
異なることは未来が遠いほど大きくなることは当然だ。
進歩主義が「好ましい・理想的・完成形」などいう『固定された未来社会』を
目指すとするなら『過去の叡智の集積である完成された現在』と同様に愚の骨頂だ。
「好ましい・理想的」とするターゲット自体、常に変化する現在に応じて
変更されるだろうし、ターゲットの概の方向は示せても通る道筋は様々になるだろう。
過去の一時点で進歩主義者が示した未来社会だけが「好ましい・理想的」
まして『完成形がある(ぷぎゃ)』など考える香具師は・・・・・・(ぷぎゃ)^2
> といった場合、過去と比較して現在の科学技術のほうがしだいによりよいほ
>うや望ましいほうへ進んでいくことであり、科学技術の進歩に方向性はない。
おれには「よりよい・望ましい ほう 」という向きがあるとしか思えないが…。w
つうかもういいよ、(冷笑
進歩主義ってのは進歩する事に固執して伝統や環境の破壊に躊躇がない事ね。
その辺ふまえてよ
そりゃ、理性に基づく論理的帰結とやらの理想形を確信するんだから、伝統とか慣習に
拘泥しないだろうし、だから、保守主義と対立するんだろうけど、環境云々はよくわからない。
>>615 >「よりよい・望ましい ほう 」という向きがあるとしか思えない
何も先が見えないまま「よりよい・望ましいほう」だという判断を下せるのだろうね。
君のいう「ほう」という判断は向きではなく状態の比較でしか出来なかろうに。
>>615 >おれには「よりよい・望ましい ほう 」という向きがあるとしか思えないが…。w
まだ思い込みたいのかい?
いいかい、君がどんなにそう思おうとも、「ほう」という言葉は「向きがある」にはとらわれないんだよ。
「科学技術の進歩」以前(過去)との比較において、「より悪い・のぞましくない ほう」ではなく、「よりよい・望ましい
ほう」に進んでいくこと
これに方向性はないということには同意するかい?
大辞泉より
[用法]発達・発展――「最近急速に発達(発展)した都市」「文化の発達(発展)」など、規模が大きくなったり、高い程度に進
んだりする意では相通じて用いられる。
◇「発達」は成長してより完成した状態に近づく意。「心身の発達」「嗅覚(きゅうかく)の発達した犬」「発達した低気圧」など
、生物の身体や器官の機能、自然現象については「発達」を使う。
◇「発展」は物事の勢いや力などが増し広がっていく意。「会社の発展に尽力する」「御発展を祈ります」「事件は意外な方向に
発展した」などでは「発展」を使う。
◇類似の語「進歩」は、すぐれた段階、状態になること。「学業に進歩の跡がある」「めざましい科学の進歩」のように質に重点
があり、「進歩発展する」と重ねて使うこともある。
「進歩」に方向性があるのなら「発達」にも方向性があるよね。「発達」は成長してより完成した状態に近づく意だから。
「発展」に方向性がないのなら「進歩」にも方向性はないよね。じゃないと「進歩発展する」と重ねて使うことはありえないよね。
まとめよう
良き方向に進んでいる→進歩・進化
悪しき方向に進んでいる→後退・退化
進んでいない→停滞
進んではいるが方向についての良し悪しの判断を内包しない→発展・発達
こっちからするとなぜ「れの脳内オリジナル言語」にあわせなきゃならないのかの説明がききたいね。
だからさぁ、発達する…方向性はある…と俺は言っているわけだろうよ、間抜け。
そのに、よいか悪いかなどの判断を内包しないのが、発達なり発展という表現だといっている。
そこにも書いてあるだろうよ、
類似の語「進歩」は、『すぐれた段階、状態になること。』と・・・。すぐれた状態・段階とは
良き価値判断を内包しているだろうよ、お前本当にばかだなぁ。
しかもスレ違いだし・・・これが最後。もうレスしないぞ、スレ違いの投稿には…。www
>>621 >だからさぁ、発達する…方向性はある…と俺は言っているわけだろうよ、間抜け。
もう言ってることが滅茶苦茶。方向性があったら「進歩」と何が違うというのかい?
進んではいるが方向についての良し悪し(=方向性)の判断を内包しない→発展・発達
きみは発達に方向は認めている。しかし方向性は認めていないのである。なぜきみの言説を解説せにゃならないのか。
きみは方向と方向性の区別すらついていないのかい?
>そのに、よいか悪いかなどの判断を内包しないのが、発達なり発展という表現だといっている。
◇「発達」は成長してより完成した状態に近づく意。「完成した状態」とは、よいか悪いかなどの判断を内包しないのかい?
>そこにも書いてあるだろうよ、
>類似の語「進歩」は、『すぐれた段階、状態になること。』と・・・。すぐれた状態・段階とは
>良き価値判断を内包しているだろうよ、お前本当にばかだなぁ。
だから? 「進歩」は良き価値判断を内包しているよ。
科学技術が進歩する
といった場合、過去と比較して現在の科学技術のほうがしだいによりよいほうや望ましいほうへ進んでいくことであり、科学技
術の進歩に方向性はない。(
>>612)
>しかもスレ違いだし・・・これが最後。もうレスしないぞ、スレ違いの投稿には…。www
れは他人が何を言っているかがわからないか、他人の言葉が一般的にどう受け取られているかがわからないかのどっちかだろう。
頓珍漢はどっちなのかい? このままではきみが頓珍漢だよ。
>れは他人が何を言っているかがわからないか、他人の言葉が一般的にどう受け取られているかがわからないかのどっちかだろう。
>頓珍漢はどっちなのかい? このままではきみが頓珍漢だよ。
とレレレの電波にレスをつけられるきみも目糞鼻糞ってワカリる?
>>623 とレレレの電波にレスをつけられるきみも目糞鼻糞ってワカリる?
わかってるよ。れが亀田だとしたら、私は内藤か。きみは第三者面している視
聴者かその視聴者の代弁者を自称する芸能レポーターか。
最も唾棄すべき存在は誰なのかね。
例えが不適切だなw
私はただの通りすがり。
きみは路傍の石を気にして歩くのかい?
私はたまたま目にした石ころ二つがデンパに見えた感想を述べただけ。
ワカリる?
>>625 と嘘つき政党の石ころ電波にレスをつけられるきみも目糞鼻糞ってワカリる?
627 :
右や左の名無し様:2007/11/04(日) 18:10:41 ID:EugNeruI
お前ら見苦しい
進歩『主義』ってのは進歩する事に固執して伝統や環境の破壊に躊躇がない事ね。
人間は自らの能力ですべてを克服出来ると信じて躊躇なく闇雲に開発を進めるのが
進歩『主義』。
『主義』って言葉が入ると言葉の意味が違ってくる。
例えば伝統『主義』も闇雲に昔から続いていたものを正しいとする姿勢をさす言葉で
伝統を重んじるとは違う意味になる。
>>628 >進歩『主義』ってのは進歩する事に固執して伝統や環境の破壊に躊躇がない事ね。
伝統や環境の破壊に躊躇がないのは進歩主義『者』の一部だろう。
伝統主義『者』(或いは保守主義『者』)だけが伝統や環境を墨守するものでもない。
現在の世の中を昔と比べ伝統や環境が破壊されていると言い
また現在まで世の中を取り仕切って来たのが伝統主義『者』(或いは保守主義『者』)
とするなら躊躇無く伝統や環境を破壊して来たのは伝統主義『者』(或いは保守主義『者』)
自身ではないのかね。
伝統主義者の極致原理主義者に到っては現在を破壊することそのものが
目的のようにしか見えないのだがね。
伝統や環境の破壊は伝統主義(者)(或いは保守主義(者))ではなく
専ら進歩主義(者)が行ったもので伝統主義(者)(或いは保守主義(者))の
与り知らないことというなら、伝統主義(或いは保守主義)は伝統や環境の
保護・維持に対し無力で無意味なものということだな。
日本は日本以外と比べると古来より仲睦まじく皆の話し合いで事を進めるという
独特の手法を取って来た特異な存在なのだと吹聴する輩もいるようだが
皆の話し合いというものも伝統や環境の破壊には無力だと言えるな。
賢愚併せ持ち事の良否を判断できない者共が小田原評定を重ねたところで
結局は山に船を登らせることにしかならない。
人の欲望のままに行動して来た結果が現在であり、未来もまた時々の
欲望に従って招来されるという事実だけが存在し得るということだな。
小沢さんの辞意表明・・・まぁ、言いたいことはよくわかるという印象である。
一歩も政治が動かないわけで、それは実は大変なことだという現状把握の温度差をして
民主党に実務能力がないといっているのだと思う。(外交も内政も・・・)
まぁ、それはともあれ、米国なり、イギリスなり、まぁ、西欧諸国との比較として、「任期」というもの
ついての位置づけが日本は極めて低いという印象が強い。
米国の大統領は任期を満了するのが基本である。よっぽどの失政やスキャンダルがなければ
任期を満了する。無論制度的な理由があるが、その制度を是としているマインドには、「契約」に
おける「期間」というものの位置づけの違いがあるのだろう。
そしてそれは「人々の同意に関する位置づけの違い」に帰結するのである。
私たち日本人の感覚としては「人々が話し合い、投票した結果」としてその地位に就いたという
以上はないのだから、人々の信認を失えばその職を辞することは当然であると考える。
ところが、最近米国人・フランス人など5人と子のことについて話したところ、そういう感覚がおかしい
と指摘された。
人々が議論し討論し投票した結果は、理性に基づく正しいこと、真理や正義にかなうこと
であると彼らは(まぁ少数の人の言葉しか聞いていないが)把握するようだ。
従って、人々が2年間なりの期限を定めて選択した以上、それは正しいこととして維持されること
が望ましいというわけだ。
世界中に話し合いはあるが、話し合いの結果であることに重きを置くのは日本人で、欧米の人は
そのことに正義や真理などを見出し、それに重きを置くという構図だろうか…。
正しさとか正義という要素よりも話し合いの結果に重きを置く日本人と、話し合いの結果だろうが
闘争の結果だろうが、正しいとされることに重きを置く欧米人という構図…と言ったほうがわかり
やすいかもしれない。
つづき
欧米の人(もう少しはっきりいえばキリスト教徒たち)は、人々の理性に信頼を置く人々である。
どのような信頼かといえば、正義や真理にかなう結論を見いだせるであろう信頼である。
その部分の違いというものを意識できない人には、なかなか日本のユニークさが理解できに
くいのかもしれない.。
日本人は、妥協し譲歩し合意が得られることを優先し、合意が得られないと怨念が生じ
よからぬ結果を生じせしめると考えてきたのである。
一方キリスト教徒たちは、理性的であれば、相手を徹底的に論理で打ち負かすさまを人々に
見てもらい、そこから生じる理性的判断に「正義や真実」を見出し、正義や真実にかなうことは
良き結果を生じせしめると考えてきたわけだ。
だから欧米の議会では徹底した「討論(話し合いではなく)」とか「矛盾を徹底的に指摘すること」が、さ
ほどに忌避されないどころか推奨されている。日本は最終的には「妥協譲歩に基づく話し合い」に
今回も落ち着こうとした。原理原則を重視し徹底的な討論をするのではなく、妥協譲歩に基づく
合意を模索するのである。
これは当然至極で、原理原則の根源的な部分(人間観や世界観の根源)で一致しているキリスト教徒と、
多元的で重層的な宗教発展をし、原理原則が特にない日本人との違いであり、事実、国連という場
のようにさまざまな宗教や原理原則を認めあうような場所では、やはり妥協譲歩による話し合いでしか
解決していない。この違いは大きいのだよ。
632 :
右や左の名無し様:2007/11/05(月) 16:45:35 ID:X2guQ+fZ
>>631 欧米の政治思想にはコンセンサスという言葉がある。
話し合いによって譲歩、妥協できる処を見い出そうという意味だ。
又、プロテスタントの思想は神の意思は人間には到底理解不可能で
「正義や真実」を確信するなんて不可能という予定説である。
近代民主主義の原点となったジョンロックは「真理」は確信できても
他人に伝える事は出来ないと言っている。
「真理」の確信は個人の経験から確信されるものであって
どんなに徹底的に討論をおこなってもそこで得られるのは
個人的な確信の口伝であって確信そのものではないという事である。
633 :
右や左の名無し様:2007/11/05(月) 17:08:16 ID:NNJrFu8O
いかにも、れ氏の説明は合理的である。
成長の後がうかがえるな。
れベンダサンと命名することにしよう。
>>632 コンセンサスというのは妥協譲歩によって生じるの?それが神の教えに背いたものでも
コンセンサスになる?
政治思想は結局価値の序列を語ることなんだよね。
つまり、まぁ、別に譲歩妥協の結果としてのコンセンサスがあっても、それは序列的に
真理や正義というものとかい離・り反しない限りにおいて成立するわけで、序列を
語る場において、真理や正義といったものが介在しない「妥協譲歩に基づくコンセンサス」
を提示しても、あまり意味がないような…。
真理は確信できても人に伝えられない中で、その心理の確信に基づく理性的な振る舞いに
信頼を置くのだろうし、その理性的ふるまいから、自然法などが「普遍の理念」的な、論理的
帰結として生じたことは間違いがないと思うんだけどねぇ。
正義論などという代物が提示されていることをしめさなくとも、正義や真理というものに
欧米人が敏感でで極めて強い関心を示すことは周知の事実だが…。
要は日本人と欧米人の価値の序列に関する傾向の比較をしているのであって、人類としての共通点は
当然にある中で、ユニークさは実際にあるじゃない。それを混ぜ返したって、あるものはあるとしか
言いようがないわな。
>>630 >私たち日本人の感覚としては「人々が話し合い、投票した結果」としてその地位に就いたという
>以上はないのだから、人々の信認を失えばその職を辞することは当然であると考える。日本には大統領なんていないけど。「人々」ってどんな?まさか国民とか言うなよ。
首相(で、いいのかな)は国民が選んだものではない。
衆議院の過半数を占める勢力が選択したその主勢力の頭領が納まるのである。
理論的には衆議員総数の1/6を越える賛成で選出されることもあり得る。
それはさておき、歴代の首相選出の話し合いが個々の衆議院議員自身の
国民代表としての真摯な話し合いの結果であるなんて聞いた事ないがね。
概、日本古来の伝統である院政と本膳式行動によることが多かろうて。
どうもマクロ(傾向的比較)をすると、各論においてまぜっかえす人は出てくるんだけど、
各論において(場面場所、時代や個々の思想家において)それ(傾向的比較)と乖離する
場合があるからと言って、傾向に関する比較が否定できるものでもないわけだが…。
そr茶キリスト教徒たちの「論理的帰結」に神の介在を排除する動きが生じ、そのように
論理だてられていることは知っているけれども、それは根源的な部分において、キリスト教徒
たちの人間観や世界観とかい離しない範囲において論理だてられているわけだ。
なぜなら、単純化した前提も、直観的な命題も、そしてそれを検証する感覚も、一歩も
当該検討者たちの人間観や世界観を出ることがないからだよ。
ある振る舞いを是とするか非とするかは、結局、視点と立脚点と視野と射程をすり合わせなければ
できるわけがないのだが、それらは常に、人間観と世界観に左右されてすり合わせられるわけだろうよ。
それを人類普遍の真理・原理などとありがたがっている異民族は、日本人ぐらいだぜ。
>>635 話し合い決定した人々のことなんだから、首相については国会議員のことに決まっているだろうよ。
というか小沢を選んだのは民主t6王の議員だろうし…。
一般論としてそのようにいう場合、選んだ人々のことだと、文面通りに受け取ってほしいなぁ。
無論傾向として、国民もそれに(つまり任期を区切ってまかしたことに)さほど拘泥しない
わけだから、日本人的な傾向であることは言えると、俺は思うが…。
638 :
右や左の名無し様:2007/11/06(火) 22:07:15 ID:P0UWyu0I
>>627 やりすぎだったかも。
>>628 同意。れはこれがわかっていない。これで保守主義を自認するのだからお粗末というかw
>>629 伝統主義と保守主義を別個に考えてみる。私には両者が違うように思うからだ。例えば、親米保守(主義)。親米であることと
伝統を保守することはどう考えても共通性が見えない。保守主義というのはただただ現状を保守することなのではないか、という
気さえする。このことが前提で、
伝統や環境の破壊に「躊躇がない」のは一部だとしても、伝統や環境を軽んじ結果的に伝統や環境の破壊に繋がっても合理を求
めるのが進歩主義。それに対し、伝統や環境を重んじて伝統や環境の維持を求めるのが伝統主義。
それに対して、ただただ現状維持を求めるのが保守主義。伝統や環境には無頓着。現状が伝統や環境の維持に合致していれば結
果的に伝統主義=保守主義になるし、現状が伝統や環境の維持と合致していなければ結果的に伝統や環境の破壊に繋がる。
私は単純に、合理を求めるのが進歩主義、非合理を求めるのが伝統主義で、不合理のままでよいとするのが保守主義、と捉えて
いる。いつの時代でも現状は不合理である。その不合理を合理(科学とか理性とか)で解決しようとするのが進歩主義で、非合理
(神とか超自然的な存在という人間の及ばないもの)で解消するのが伝統主義。不合理なままで現状維持するのが保守主義。
日本の現状を考察すると、敗戦後、米軍進駐から安保体制の確立にいたって、親米が現状(保守すべきもの)となった。正確に
は、財界その他の日本の有力者が米国と近づくことで利権を拡大したからであるが。当然、伝統や環境の多くは親米と相対する。
だからその多くは破壊(というより排除だろうか)されてきた。ところが、本来は伝統そのものであるはずのものが寝返った、と
いうか見事に変わり身を遂げたものがある。天皇制である。
天皇制の存続については高度に政治的な問題として真相は藪の中であるが、この変わり身には日本側にも米国側にも明確かつ確
固たる意図はなかったように思う。国体護持(天皇制維持)が唯一の条件だった日本側と、それを条件に他の軍事、政治、経済な
ど権限ほぼすべてを掌握した米国側との思惑が一致したともいえるし、米国側にはそもそも天皇制を存続させる意図はなく日本統
治のために暫定的に残しただけかもしれない。ただ、結論としては天皇制の存続が規定路線になった。
しかし、これが見事という以上に大成功する。天皇制が残ったことで戦後日本を統治した米国に追従する親米勢力が保守本流と
なるまでに日本を支配し、一方では天皇制が残ったことで伝統主義勢力もそれを黙認した(敗戦によって勢力が後退し、黙認どこ
ろか天皇制の存続が御の字だったのかもしれない)。進歩主義勢力は天皇制廃止をプロパガンダに外野で叫ぶが、ジリ貧。
親米と言えば恰好がついているが、要は米国の忠実なるポチである。腰巾着、太鼓持ちである。不合理極まりない。明治の言葉
に和魂洋才というのがあるが、今の日本は米魂洋才である。ちょっと美味しそうだがw。その魂を真っ先に売ったのが天皇である。
かなり脱線したが、大体答えられていると思う。伝統や環境を墨守するのは伝統主義。結果的に伝統や環境を破壊しているのが
保守主義。進歩主義も伝統主義も保守主義も相対的なものでありいずれも極致原理主義は現状を破壊する。
保守主義は伝統や環境の保護・維持に対し無力で無意味なものだが(無頓着だから)、伝統主義は違うと思う。
「吹聴する輩」は思い込みで語ってるから論外。当然出てくる疑問だが、かれは自覚がないから
反論待ってるよ。疑問やおかしいところがあったら言ってほしい。
ただの反米バカか
小林よしのりでも読んでろ
>>634 >政治思想は結局価値の序列を語ることなんだよね。
その通り。
結局は『価値の序列=経済』を語る事になる。
>つまり、まぁ、別に譲歩妥協の結果としてのコンセンサスがあっても、それは序列的に
>真理や正義というものとかい離・り反しない限りにおいて成立するわけで、
その通り。
プロテスタントでは利潤が救われる予兆としてあらわれるらしいとしている。
結局、もうけた方が儲からなかった方を駆逐する。
いかに、効率よく儲けるかが自然法という論理的帰結が
「普遍の理念」として生じこらが国家誕生のプロセスと一致したことは間違いがない。
>>641 レッテルを貼るだけか。親米をポチと言ったらコバヤシになるのか。れ以上に浅いよ
新米をポチというのはレッテル貼りじゃないのかねw
>ただただ現状維持を求めるのが保守主義。
これは全く違うと思うぞ。
悪しき慣習・因習の存在を認めないわけにはいかないだろう。
伝統や慣習や・・・つまり世代を超えて維持されてきたものに「一定の価値」を見出すのが
保守主義であり、
「理性(とやらw)に基づく論理的帰結」 に基づく 「急進的・実験的」な 「改革」 に対して
その世代を超えて維持された実績の価値を「節度と抑制」の根拠とするのが、保守主義の
基本です。
「伝統を維持」というのは、そもそも伝統とは何か・・・という話になります。
習慣・慣習が振る舞いに関する言語だとして、伝統は精神の問題であるということが
理解できる人ならば、多少は理解できるかも…。
で、政治的に親米というのは「安全保障上の利害」と「経済的利得」の問題でしょうよ。
つまり「国の用」・・・国としての動きに関する可知判断。
天皇制はまさに「国の体」・・・言い方を変えれば「国家機軸」「国柄」の問題です。
我が国が我が国として一つの国を作り、一つの単位として国際社会において存在し、また
内部的には同じ秩序体系で人々が社会生活を送る・・・つまり一つの体として機能する
ことに関する議論です。
そういう分別ができないうちは、まぁ、天皇性(皇室制度)に関する的確な評価は
難しいかもしれませんねぇ。1000年間維持された伝統の意味ですよ、つまりは…。
つまり保守主義とは、「何を保守しようとするのか」を考慮しないで「なんでも保守する」と
考えちゃっているのが、そもそも「一般的」ではないわけだが、
うぃきwより ・・・思想の特徴
保守主義の基本的な考えは、人間の思考に期待しすぎず、人は過ちを犯すし完全な者ではないという
前提に立ち、謙虚な振るまいをし、伝統的価値観(慣習、宗教、美徳、道徳、政治体制など)を尊重する
ことである。
なぜなら、先祖達が試行錯誤しながら獲得してきた知恵が、これらの中に凝縮されていると考えるからである。
また、国家は祖先からの相続財産で、現在、生きている国民は、相続した国家を大切に維持し、
子孫に相続させる義務があると考える。
だから、過去・現在・未来の歴史的結びつきを重視するのである。
単なる懐古趣味とは全く異なり、未来志向の要素もある。
また、未来を着実に進む為には、歴史から学ばなければならないと考える。なぜなら、歴史は、先人たちが
試行錯誤して来た失敗の積み重ねの宝庫だからである。
・・・引用ここまで
結局のところ、先人と、現代のわれわれと、未来の人々(つまるところわれわれの子孫)に「一定の一致」
を見出すかどうかということでもある。そして未来の人々に、社会をより良き状態にして引き渡すという
子孫に対する寄与が、われわれに可能なのか・・・という問題でもある。
子孫との「価値観に関する一定の一致の確信」がないならば、未来の人々に寄与しようとする社会改革は
不可能である。一定の一致を確信するならば、その理由は、先人との一定の価値観の一致の存在を
肯定する。
改革することを知らないのは保守ではない
みたいなことバークも言ってたな
>>645 >悪しき慣習・因習の存在を認めないわけにはいかない
悪しき慣習・因習も世代を超えて維持されてきたのだから
「一定の価値」を見出すのが保守主義ってことだな。
確かに、悪しき慣習・因習も全ての人にとって悪しきものではなく
誰かにとっては、誠に麗しく素晴らしいものであろうな。
結局貴方が意義有るとするものは貴方や貴方の同類だけにとっての
ものでしかないと悟れよな。
>>639 伝統と環境を別個に考えてみよう。
環境を軽んじ結果的に環境の破壊に繋がっても合理を求めるのが進歩主義。
環境というのは多分『自然』環境だろうと推し量っての上でだが
人も環境の一部であり、環境によって生かされている。
環境を破壊すれば人の存立は危うい。人の存立脅かすことこそが君が考える
合理であるということになるのだが。
あの山の木を無制限に切り出せば自分達の存立が危うくなるとして切り出しを
禁じる、制限するいうのは立派な合理だと考えられる、多分君は合理とは考えないのだろう。
一部の者の利益や興味のために合理を掲げ環境を無視・破壊しそれを進歩だと
言う者は、唯の欲張り、脳足リンと言うだけだがや。
伝統は生活習慣的な社会環境と言っても良いかな。
飯を炊くのは竈でマキを焚く、暖房も暖炉で薪を燃やす、
生芥は庭に埋める、他の方法は認めないとしたら、伝統が護れるかもな。
結果、東京等の大都市の環境は・・・・・!?。
人が都市に移り住むからいけないので、人の移住は厳禁、伝統に従って
田舎で野垂れ死にし続ければ多分社会環境が護れるだろう。
結局、電気・ガスの使用、都市内道路・上下水道・集団住宅の建設のような
進歩が諸悪の根源ってことだわ。
人口が増大する一方で問題が発展する一方なのは、知識の拡大と技術の進歩による
食料の増産及び疾病死の減少に拠る訳だから、雨乞いや呪い治療で
伝統を護れるかもね。イャァ伝統を護ると素敵な生活ができそうだわ。
世代を超えて継承されてきたものに「一定の」価値を認めるとおれは言っている。
一定の価値を認める≠全部肯定するわけではない・・・この程度の読み取りさえ
できないばかは、まぁ、アレだな。www
あ、一定の価値を認める=全部肯定するわけではない でした。訂正
>>646 >子孫との「価値観に関する一定の一致の確信」がないならば、未来の人々に寄与しようとする社会改革は
>不可能である。一定の一致を確信するならば、その理由は、先人との一定の価値観の一致の存在を
>肯定する。
「価値観に関する一定の一致の確信」なんて惚けた年寄りの勝手な思い込みさ。
大体なんで『一定の』なんて限定をつけるのかね。自分達自身が一致し得ない
価値観を押し付けられたと自覚しているからでないのかい。
既に四千年程も昔から「近頃の若い者は・・・」なんて相対している
子孫との価値観の不一致を爺がボヤイテいるのだがね。
マッ、君が未来の人々に寄与しようという社会改革に励んだところで
未来の人々からは勝手に押し付ける小さな親切大きなお世話ってことにしかなるまいよ。
私のコノ価値観は先人と一致するものであると君が思い主張するのは勝手ではあるのだが
先人とか言う方々がそれを知ったら、柳眉を逆立て歯噛みして怒髪天を突くかもねw。
あれも先人、これも先人ってばかりで自分自身ってものはないのかねぇ。
自己確立が出来ていない子供には何を言っても無意味かハーット。
>>650-651 >一定の価値を認める=全部肯定するわけではない・・・この程度の読み取りさえ
>できないばか
そんなばかこの辺りに居る様にも見えないけど。
ダーカーラー、全部肯定するわけではないって『限定する』理由は?って訊いてるのよね。
いくら童年でもその位は解らないとねェ。
国語(日本語のことよ)もっとシッカリお勉強しましょうねー。
・・・まだムリかなぁ?無理なんだろなぁ?キットそうなんだよなぁ・・・
ある統計では
まともな学校をでてない奴に限って、長文を投稿しまくるらしいw
しかし、ここって長文デンパが多く湧くねw
655 :
右や左の名無し様:2007/11/08(木) 21:58:41 ID:2Mv/afye
>まだムリかなぁ?無理なんだろなぁ?キットそうなんだよなぁ・・・
そんなの解りきったことだろ
656 :
右や左の名無し様:2007/11/08(木) 22:19:34 ID:cu4iiO2o
>>654 れれれのおじさんが同類を引き寄せるんだよ。
しかもれれれのおじさんの長文は、自分はこんな難しいことを書けるんだぞ
と言いたいだけのオナニー目的だし、それに引き寄せられるやつも
こいつよりはマシだと思いたいだけのオナニー目的。
放置しておくとみんなでオナニーやりまくるおぞましい光景になる。
そんで有志でここにれれれのおじさんを隔離した上で時々突っ込んで抑制している。
>>646 > 保守主義の基本的な考えは、人間の思考に期待しすぎず、人は過ちを犯すし完全な者ではないという
>前提に立ち、謙虚な振るまいをし、伝統的価値観(慣習、宗教、美徳、道徳、政治体制など)を尊重する
>ことである。
つまり、人間の思考による『話し合い』なんてものに期待しすぎず
人は過ちを犯すし完全な者ではないという前提に立つ訳だな。
容量オーバーなのか?次スレたっているけど・・・
>>653 >全部肯定するわけではないって『限定する』理由は?って訊いてるのよね。
先人の残したもの(世代を超えて引き継がれたもの)に一定の価値を認める」という意味が
わかっていないようだね。
ある振る舞いが「因習・あしき慣習」であるかどうかを検討するにあたって、盛大を超えて
維持されているそれについては「悪いから、即改善しよう」と軽率に結論を下さないで
それだけの長きにわたって継承されているのだから、何か重要な意味や機能があるのか
もしれないと、慎重に検討をする・・・それだけでも十分に「世代を超えて継承されてきたこと」
を尊重し、そのことをして「節度・抑制の根拠」となすことになるんだよ。
馬鹿は「価値を認める=必ず維持する などと思うようだが、
「世代を超え的維持された事実」が、改変に関する「新調査や、抑制・節度の根拠」になると
言っているわけだが…。こういう質問が「馬鹿な証拠」なんだが、自覚がないから気の毒ではある。
まぁ、よりよくして次の世代に引き渡そうとする動機がなければ、政治思想など語る意味がおれに
はわからないし
、時差台によりよくして渡そうとするその前提は、よりよくなる余地があるということだろう。
引き渡されたものによりよくなる余地があるのだから、悪しき慣習などが存在するということは
政治思想を語るという場においては前提に決まっているし…。
長々継続されてきたもの
袖の下
を尊重すると、電波さんは言いたいようですなーwww
>>660 またいつものあんたのストーカーが
あんたの悪口書いたテンプレ載せたくて早めに立てたんでしょ
ほんとキモいよなぁ
>>663 まぁ推測は推測として、容量は確認できるんだから、いくらなんでも600台で次スレは
ガイドラインの重複スレに当たりますから、ここを使い切ってから利用しましょう。
で、別に次スレなど使い切って必要なら立てればよいとおれは思っているし、事実そうやってきて
継続に支障がなかったわけだから、そういう「伝統w」は大切にしてもらいたいと思わなくもないがw
だからと言って削除依頼するほどの不都合もないし、そういうことでいいんじゃないかと思います。
>>661 >「因習・あしき慣習」であるかどうかを検討するにあたって
因襲と悪習は違うような。
没問題なら慣習の良し悪しを検討する意味なんてないんじゃネ。
>「悪いから、即改善しよう」と軽率に結論を下さない。
意味なんか無くても暇にまかせて皆で話し合ったら、何か悪いことみたいって
ことになっちまったってことで良いかな?
で、悪習だよな、ってことで話がまとまっても悪習は止めないで更に話し合いを続けるんだ!?
>長きにわたって継承されているのだから、何か重要な意味や機能があるのか
>もしれないと、慎重に検討をする
悪習かどうかって話し合ってる時点で既に提示され話し合うだろフツウの人達は。
長きにわたって継承され、それなりに意味や機能はあった(昔のある時点では)ことを
織り込んだ上で『(最早今の時点となっては)ワ・ル・イ・コ・ト・ダ・ヨ・ネ』って
筈だよね。
今も尚、それなりに意味や機能があるとしたなら悪いなんて結論は付けないだろ。
それとも何カイ。悪いかどうか決めるのは、イイ!ワルイ!って花弁でも毟って
アッ、ワルイダッ!なんてやり方で先に決めておいたりするってこと?
遙か昔から皆で集まり、酒食を共にし、腹を割って話し合うことが行われており、
大層効果のある素晴らしい慣習だ。
話し合いが終われば皆、牛車や馬上で帰宅の途についたものだ。
酒食を共にし皆で話し合うことは今尚意味を持つ。
話し合いが終わってから、時流に合った(こんなところだけは安易に合わせちゃうな)
鉄馬や馬無馬車で帰宅するのに何の憚りがあろう。
酒食を共にし皆で話し合う慣習は子々孫々引き継ぐべき素晴らしき慣習だ!
何てことになるのだろうな、君の場合。
どれほど悪いか分かっても止められない:こういう症状を世間一般では依存症と言います。