「寄生性と知的謀略」 世界経済を認識する基礎
ttp://sun.ap.teacup.com/souun/143.html 端的には、収奪者(寄生者)ができるだけ自由に収奪活動に
励むことができ、被収奪者(宿主)が収奪されるための仕掛
けだとは思わず、それを素晴らしい考え方だと信じる理念・
価値観・制度を普及させることです。
民主主義・個人主義・自由主義・経済学・科学的世界観なども
寄生者が宿主から“養分”をスムーズに吸い上げるためにつくり
普及させた論理的説明体系です。
民主主義・個人主義・自由主義・経済学・科学的世界観などは
、“高尚な”「広告宣伝」でしかないのです。
宿主共同体の構成員が寄生者の「収奪システム」を嬉々として
受け入れるよう、空虚な言葉(美辞麗句)をさも論理的であるかのように
組み立てて普及させたのです。
フランス革命は理性を重んじる合理主義者の革命だった。
彼らは非合理的なキリスト教の信仰に替えて理性を信仰した。
「エートル・シュープリーム」なる理性の神を崇拝し、
「理性の祭典」なる儀式まで行った。
これじゃ悪い冗談だ。
彼らは狂信的合理主義者だったのだ。
狂信的合理主義なんて矛盾以外のなにものでもないが、
しかし、それはフランス革命以後も近代的政治運動につきものの暗部となった。
狂信的合理主義の革命政府は前近代の非合理的な伝統文化を廃し
合理的な革命暦や合理的なメートル法を定めた。
自由を求めたはずの革命政府が恐怖のギロチン政治を行なった。
革命政府のギロチン政治はブルボン朝の専制より酷かった。
その悲劇は世界各地の民族主義、共産主義、ファシズム、ナチズムなどの近代的政治運動において
フランス革命よりさらに大規模に猛威を振るった。
それらの近代的政治運動は、皆、狂信的合理主義だった。
近代社会において、圧政からの解放を求める革命や独立運動が成ると
以前の圧政よりもっと酷い圧政が行われる。
この矛盾もフランス革命が元祖だろう。
ポルポトはロベスピエールの子孫なのだ。
フランス革命という国家破壊の暴力は、フランスの国教カソリック教会
に対する蔑視から始まり、次にこの既存宗教を絶滅する運動へと拡大して、
ついには大規模な原爆のごとき爆風となった。
日本では今、革命フランスのキリスト教撲滅という宗教内戦の暴力破壊
のための詭弁にすぎない『政教分離』という悪魔の教理によって、宗教の
破壊が着実に実行されている。その先には必ず、日本の全面破壊という
事態が発生する。
『靖国神社潰し』 の影には 『日本潰し』 の狙いがある。
国家には迷信と奇蹟と神秘のある伝統的な宗教礼拝と儀式が満ちて
いなくてはならないのだ。そして政府とは、宗教の強制をしてはならないが、
このような偏見に基づく礼拝と儀式を、宗教否定の邪教的イデオロギー
から守る権力でなければならない。
「神の摂理を論破し、神は正義でもなく善でもないと主張して、われわれの
敬神性や神への信頼は高まるのだろうか。 このような宗教破壊に用い
られた装置は、同じく政府を成功裡に転覆する道具となるだろう」
───エドマンド・バーク
西部邁
これ、僕の昔からの持論なんですけど、二〇世紀後半の冷戦体制の本質というのは、歴史破壊の旧ソ連と、
歴史不在のアメリカの、要するに左翼同士の内ゲバにすぎなかった。
社会主義が登場する以前、フランス革命(一七八九年)のときに国民公会の左側に座ったやつらを「レフト」と呼んだわけだけど、
簡単に言えぱ、個人の自由とか理性、科学とか合理性といったものを崇拝して、それさえあれば歴史なんかは旧体制にすぎないから、
これを破壊するのが進歩だと構えた人たちです。それをレフト、左翼と呼ぶわけです。
そういう意味では、アメリカもソ連も実は左翼なんです。たしかにニューディーラーたちのソフトソーシャリストは姿を消したかもしれないが、
アメリカの国民精神の根本において、やっぱり歴史不在のところに巨大な社会的実験として構造改革なるものを仕掛けてみせるという、
その精神においては、ニューディーラーたちは、たまたま大恐慌の時代的制約下に出てきたわけではなく、アメリカの体質そのものでもあるわけです。
ソ連の第三インターナショナルはスターリンで、それに逆らったレフ・トロツキーの第四インターナショナルがあって、
その首領の一人がアーヴィング・クリストルです。結局、いまのネオコンの世界観、人間観は、やっぱり左翼過激派のトロキツストのそれと同じなんだよ。
しかも、トロツキーは世界革命、それも永続革命を唱えたわけです。いま、ブッシュが言っている全世界のアメリカ的民主化は
ーーまさに革命思想ですね。
■ロスチャイルドについて
フランス革命とロスチャイルド
1789年8月4日、83名の無名の男たちが「俺たちは300人委員会だ!」と叫びながら、
パリ市庁舎を占拠した。フランスでは市庁舎は例外なく市政の中心である。
パリの『ル・マタン』紙の編集長ステファン・ロザーヌは1923年の記事で「私たちフランス人は、
この世界の権力について全て知っていると思っている。ところが、大衆が正確にその名を綴れ
ないような権力者については無知である。シーザーより、ナポレオンより大きな権力を持って、
そうした人々がこの世界の運命を支配している。彼らは国家の首長を支配し、政府の要人を
牛耳って、為替相場を操作し、革命を勃発させたり鎮圧したりとしている。」と記している。
ステファン・ロザーヌが記しているのは、ロスチャイルド七家と300人委員会のことである。
フランス革命を機に、ユダヤ人はフランスでの政治上、一般市民生活上での差別から自らを
解放した。
マイヤーはアダム・ヴァイスハウプトによる反カトリック教会活動がほとんど進展していない
ことに失望していた。
そんな時、タレーラン=ペリゴールがコルシカ島出身の若き天才、ナポレオンをマイヤーに
引き合わせた。
その才能と情熱に感銘を受けたマイヤーは、貧乏な下級士官で雇い主を探していた
ナポレオンに十分な資金を提供した。
タレーランは「教会を破壊する唯一の方法は戦争だけだ」とナポレオンに吹き込んだ。
日本人に謝りたい
─ユダヤ長老が明かす戦後病理の原像─
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe806.html 真に不思議なことであるが,日本共産党が占領当初、アメリカ占領軍を「解放者」であると
規定したことである。野坂発言で有名なこの事実と、アメリカが資本主義国であったという事実を如何にして
矛盾なく論理的に整合させることが可能なのか。これは戦後史研究上の最大の問題点であるはずなのに、
この問題を解明しようという試みは未だなされていないようである
私はここで率直にこれらの日本の戦後史を創ったのがユダヤ人
であり、それが実に恥ずかしいほどの我々の無知に基因しているものであることを
告白し、我々の「信じ難いほどの頭の悪さ」をお許しいただきたいのである。
戦前日本にあった世界に冠たる長所、美点はあとかたもなく消され、後に残ったものは欲の皮のつっぱり
合い、金、金、金の拝金主義的傾向、国際的にはエコノミック・アニマルぶりのみではなかろうか。
日本人は大変困難な二元論的思考を強いられているのではないだろうか
つまり、戦前のいいものを消したのが、民主主義といわれる
戦後持ち込まれた制度ではないのかという疑問と、民主主義
は一点も誤まることのない善玉の神であると盲信させられているところからくる
ディレンマである。
今日、日本は、いな世界中で云々されている「民主主義」というものは、
実は我々ユダヤ人が創作したものである。
戦後の占領改革が始まるや否や、我々ユダヤ人(アメリカと考えていたのでは何もわからなくなる
ことはこのあとで説明する)は、戦前の「天皇陛下万歳」に代わる言葉として「民主主義」「自由」
「平等」を日本人の頭に植えつけることに成功したのであった。
『ロスチャイルドの密謀』の第T部より
■ロスチャイルドについて@
なぜ、今、ロスチャイルドなのか?
それは、今の日本人の生き方がロスチャイルドによって決められているからだ。
ロックフェラーもロスチャイルドの手代に過ぎない。
1974年、ネルソン・ロックフェラーはウォーターゲート事件で退陣したフォード大統領によって
副大統領に指名され、個人資産を公表しなければならなくなった。
だが、それは所有不動産ナシ、不動産税はゼロという信じられないもので、ロックフェラーは
米上院委員会で脱税ではないことを証明、説明しなければならなくなった。
ロックフェラー家の資産は、ロスチャイルド家の米国代理人、クーンローブ商会が財務管理
しており、その投資はすべてクーン・ローブ商会の承認を受けなければならなくなっていた。
ジェイコブ・シフ以来、常にこういう風に行われてきた。
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070308 ■ロスチャイルドについてF
ジェイコブ・シフを通じてロスチャイルドは、ロックフェラー、ハリマン、カーネギーに
資金を提供して、これらを巨大財閥に育成した。
トロツキーがロシア共産革命のために数百人の私兵集団を訓練した場所は
米国ニュージャージー州のスタンダード石油(ロックフェラー)の所有地だった。
ジェイコブ・シフはボルシェビキ革命に2000万ドルの借款を与え、彼の死後(1921年)、
ボルシェビキは六億ルーブルをシフの銀行クーン・ローブ商会に預託した。
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20070316
元ソ連外交官が語るハザール=ユダヤ人とロシア人の戦いの歴史
http://blackbox777.at.infoseek.co.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhb500.html 19世紀の終わり頃から、ロシアのユダヤ人たちは熱心に革命運動に参加するようになった
革命運動を指導していた政党、社会民主党や社会革命党などのリーダーおよび
活動家たちは、ほとんどすべてがハザール系ユダヤ人であった。
当時のロシアの知識人の中には
すでにそうしたユダヤ教徒ハザール人の動きをキャッチしていた人々がいた。
たとえばロシアの作家、ドストエフスキーの著作を読むと、彼は繰り返し「ユダヤ人
は革命を起こすだろう、ユダヤ人はロシアの中に入った毒であ悪魔だ」と強調している。
ドストエフスキーは「必ずユダヤ革命が起きる」と断言していた。
第2章:「ロシア革命」は「ユダヤ革命」だった
この10月革命はユダヤ人による革命であった。これは疑いの余地がない。いうまでもなく、
革命を指導した者のほとんどがユダヤ人だからである。10月革命の前に、
トロツキーをリーダーとする70人のユダヤ人グループが、ニューヨークからやって来ていた
アメリカのユダヤ人資本家ヤコブ・シフは、このトロツキーのグループを支援していた。
共産主義の基本理念はユダヤ系ドイツ人のカール・マルクスの
「資本論」によって確立された。これは周知の事実だ。しかし、その着想は
イギリスにおいてユダヤ系財閥から金銭支援を受けながら行われた事は
意図的に隠されている。これを受けてレーニン、トロツキーらによって
ロシア革命が起こったが、これはケレンスキーが起こした革命をひっくり返した、
ウォール街の財閥の指令による反革命であった事は、
最近徐々に明らかにされている。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/hmiyamoto0415/archive/2007/02/07 以前のこのコラムで書いたようにマルクスとエンゲルスはユダヤ人であり、
彼らの思想と著作の背後には後援者として「ロスチャイルド家」が存在するのだ。
そして「ロスチャイルド」を本体とする国際金融財閥が、
「ロシア革命=ボルシェビキ革命」と「フランス革命」を影で操り、
二回の世界大戦の原因を作っている。旧ソ連と中国共産党はアメリカの支援で
力を蓄えたが、それを支えたのはウォール街のユダヤ系財閥である。
だから、東西冷戦などというのは壮大なでっち上げであり、
ウィルソン、F・ルーズヴェルト両大統領の真実の姿は社会主義者であった。
共産主義は騙しで出来上がったイデオロギーである。
そして共産主義と民主主義との対立などというものは、
国際金融財閥が作り上げた欺瞞と虚構の構図である。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/hmiyamoto0415/46481025.html
:2007/04/05(木) 02:30:51 ID:cBziYE1X
左翼はユダヤ人が作った。マルクスはドイツ系ユダヤ人だよ。
その心は当時迫害されてたユダヤ人は一発逆転のイデオロギーが
必要だった。その為にあらゆる伝統、文化、宗教をぶち壊し、自由と
平等を標榜するイデオロギーとして共産主義を作り上げたんだよ。
またそれに対抗する勢力として資本主義を作り出した。これもユダヤ人だ。
そして米ソは資本主義の大国と共産主義の大国として争った訳だ。
要するに東西冷戦なんてユダヤ人が牛耳る武器市場を潤す巨大な
マッチポンプだった訳だ。
ユダヤの本質は左翼思想にあるんだよ。左翼っていうのは共産主義だけじゃなく、
歴史、文化を破壊する思想のこと。というか、左翼思想の本質は歴史、文化の破壊。
これは、一部資本主義ともかぶってる。
資本主義はユダヤが作ったと言っても、それでユダヤが左翼を否定してることにはならない。
反共産主義陣営にも歴史、文化を破壊する思想の種を植えたってことしか
資本主義自体が、封建制や絶対王政の時代からみると、左翼思想だったんだな。
もともと。そこを忘れると、間違いを犯す。
今の時点で、社会主義と較べると、資本主義は右に見えるけど
ユダヤが資本主義を始めた当時は、資本主義は左だった
保守を右、革新を左とするなら、資本主義、民主主義も左なんじゃないかって思ってきた。
東西冷戦ってのは西側資本主義国vs東側共産主義国
の二律対抗軸だった訳でしょ?しかしその両方とも右(保守)と左(革新)
という分け方で見ると共産主義は勿論革新だけど資本主義も突き詰めれば
拝金主義になり文化伝統をぶち壊し行き付く先は革新と同じ。要するに
この二律対抗軸はどちらも推し進めると最終的には民族と文化の破壊、
もともとユダヤ人が理想としてる世界経営の社会になるって事か
、資本主義も共産主義も、行き着くところはそっくりだよ
伝統的な共同体=家庭、地域社会の解体。
富と権力の超一極集中。
環境の再生不可能なレベルまでの徹底的な破壊。
ところで、歴史的に概括したときのユダヤ=キリスト教(ローマ・カトリック)というものの機能とは何か?
それはひと言で言うなら、「反知」ということに尽きる。とりわけ、文明を象徴する本体である「キリスト」に降り掛かる
受難を教え伝える伝道師たちの役割とは、「それ」がやってくることの福音(ニュース)と「それ」がやがて殺害されることの予定と、
その死後、「それ」がまた再び戻ってくることの予知を行ない、その象徴的に言い表される「人間の文明の持つ福音と危険」を普く伝えることである。
「知」が人類によって取り扱えないほどの危険性を孕み、それが広く人類の共有財となることによって引き起されるであろう、
かつての人類に起こったのと同じ陥穽に走り至らないようにするための制動装置(ブレーキ)として機能しようとしたものと
捉えることができる。とりわけカトリックの「知」(科学的知 ≒ 異端思想)に対する弾圧があれほど苛烈を極めたというのも、
単に「人間の組織」としてのキリスト教会の安定的持続と権威維持のためばかりではなかった(もちろんそれが重大な関心
事であったことは疑いがないが)。
それは全人類規模の「滅亡」を少しでも先送りし、人間の知への欲求を棚上げするための実力行使でもあった。
それは実際問題、ルネサンス(ヒューマニズムの復興)が起き、科学技術が目覚め、聖書が印刷され(封印が解かれ)、
それらが人々に広く共有され、カトリックという絶対的存在に関してのプロテスタンティズムによる相対化が徹底するまで、
かろうじて機能した。事実上、聖書を原典とする宗教が、その原典共有を永らく嫌っていたと考えられるのだ。いずれにしても、
この制動装置(ブレーキ)としての「教会」の権威は、キリスト教成立時代の黎明期から、異端審問委員が発足されいよいよイエズス会の
暴力的な振る舞いが世界の各所において目に余るほどになる16世紀まで、ほぼ「千年以上に渡る期間」、欧州を支配したのである。
本来、ブレーキとして働くべき「教会」が、自らの放逸と堕落、富の偏在、その他枚挙するにも厭わしいようなあらゆる「人間の組織」によ
るいかにも人間的な失敗の数々を引き起し、その果てにプロテスタンティズムの勃興を許した。それによって、「教会」は人間性と個人
主義を中心に据え、そのアクティヴィティを讃えて止まない加速装置(アクセル)として、すなわち「近代資本主義の精神」の基盤を提供す
るまでになる。まさに見事なまでの転向振りである(もちろん、カトリックとプロテスタントという別の組織を同じ「教会」という言葉で意識的に
混同させた言説であることは承知の話だ)。
だが、如何に彼らが完璧からほど遠い存在だったとしても、本来教会は「科学が宗教を凌駕させないため」のあらゆる試みであり、
その役割にはまさに「反知」すなわち「アンチ・グノーシス主義」とでも言い表されるような終止一環した働きを持っていた。
ルネサンス文化の側(ヒューマニズムの立ち場)から言えば、「暗黒時代」と形容されるヨーロッパ中世は、まさにカトリックに
よって形作られたコスモス(秩序)の世界だった訳である。それは自覚的な意図を持った「反近代主義運動」だった。
『歴史と終末論』中川秀恭訳(岩波現代叢書)p. 190
ギリシャの科学と哲学との根底には人間の自己了解* (self-understanding)が横たわっており、それはまたそれで
科学によって形作られているのである。ギリシャの悲劇では、特にエウリピデスによって、この自己了解が問題とされた。
そして、それは結局、いずれにしても民衆の大部分にとっては、グノーシス主義** (Gnosticism)において崩壊した。
グノーシス主義との関連において、と同時にこれに反対してキリスト教が現れた。
* 訳本では「自己-了解」とふたつの単語の間にハイフンが入れてある。英語表記の“self-understanding”に併せたものであろう。
** 訳本では「ノスティシズム」と英語的に表記されていた。現在ではもっと親しみやすくなった「グノーシス思想」という訳語に置き換えている。
この記述から伺い知れるのは、科学の伝統は(当たり前だが)、ルネサンスを経て人間回復の兆しが出てきて以来のことだとか、
ローマ・カトリックがプロテスタントに徐々に圧倒されてきた頃、すなわち実証主義科学が日の目を見始める比較的最近(16-17世紀頃)
に発生したというのではなく、キリスト教成立以前に遡れるだけの、古いひとつの潮流としてすでにあったことを明記しようとする意図だ。
ブルトマンによれば、むしろ、キリスト教はそうしたある種の「知識」に対する警戒と反動とによって産み出されたことになる。
これは新しい考えでもなんでもないが、キリスト教を捉えようとする時の一つの可能な立脚点を提供する。そして、
それはきわめてありありと想像することのできる状況である。
グノーシス主義 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9
フリードリヒ・ハイエク 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%AF 1944年に発表した「隷属への道」("The road to serfdom")では社会主義、共産主義、ファシズム、ナチズムが
同根の集産主義であると批判し当時のベストセラーとなる。1947年にはリバタリアニズムに立脚する学者が集結
した組織「モンペルラン・ソサイエティー」を組織し、その初代会長を務めた。1974年ノーベル経済学賞受賞。
「理性主義」批判
デカルト以来の「理性主義」を「設計主義的合理主義(constructivist rationalism)」と呼び、自由主義的な
「進化論的合理主義(evolutionary rationalism)」と峻別、自由主義を体系的に論じ「理性主義」を批判した。
そもそも、人間の理性は、文明社会そのものを創造する能力はもっていない。人間の行為は、一つは先天的で
本能の欲求によるものであり、もう一つは人間社会が歴史的に経験を通して試行錯誤と取捨選択を積み重ねること
により発展してきた法(ルール)、伝統、規範に従ってのものである。文明社会は人間の営みの結果であっても、
それは人知を超えたものによって発展しているものであり、そこに人間の理性(知力)が入る余地はわずかである。
人間はその本質において、誤りに陥りやすい存在であり、人間社会は「漸進的な発展(改良、進歩)」が期待される
のであって、もし理性を乱用し「革命的な進歩」を目指した場合、文明そのものを破壊する。道徳規則の形成も、
人間の社会における実践的な営みの経験の中で成長したものであり、人間の理性による意識的な発明ではない
(この考えはヒュームの『人間本性論』に通じる)。
同様に、社会秩序も「自生的秩序(a spontaneous order)」であり、自由社会と不可分の関係にある、「法の支配
(rule of law)」と市場経済の二大原則の確立もこれにほかならない。
こうした考えから、計画経済と集産主義(collectivism)、それに基づく社会主義、共産主義、ファシズムに対して
反対し、同時にファシズムも左翼に分類した。
エドマンド・バーク 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AF 「保守主義の父」として知られる。主著は1790年の『フランス革命の省察』(原題:Reflections on the Revolution in France)であり、この本は保守主
義のバイブルとされる。フランス革命を全否定して、ジャコバン派の完全追放のため、革命フランスを軍事力で制圧する対仏戦争を主導した。1797年、
ベコンズフィールドの私邸で病没。享年68歳。墓はなく、教会の礼拝堂の床下深くに妻、息子とともに埋葬されている。
バーク哲学の骨格
バーク保守主義は、記憶にもない、記録にもない、祖先から相続した古来からの“制度”を絶対的に擁護し、それを子孫に相続していく哲学である。この故に、自然的に発展し成長してきた
不可視的な“法(コモン・ロー)”や道徳、あるいは階級や国家とともに、可視的な君主制度や貴族制度あるいは教会制度も、ある世代が自分たちの知力において改変することが決して許されない
、“時効の国体(prescriptive Constitution)”と看做される。そして、個人の自由/名誉/財産は、この“時効の国体”の擁護において、また、世代を超えて生命を得ている慣習・習
俗や道徳の宿る“中間組織(intermediate social-group)”、例えば家族、ムラ、教会コミュニティ等の擁護において、守られると考える。
バーク哲学において、人間の知力などというものは、祖先の叡智が巨大な山のごとくに堆積している、古来からの“制度”には及ばない、矮小で欠陥だらけのものとの考えがある
それゆえ「理性主義」、すなわちデカルト的な人間の理性への過度な過信を根源的に危険視し、その排除・排撃を提唱する。それはまた、個々の人間を多くの間違いを冒す不完全な存
在と看做す、謙抑な人間観が横たわっている。
文明社会が人間の知力で設計されたものでない以上、文明の政治経済社会に仮に、人間の知力や理性に基づく“設計”や“計画”が参入すれば、その破壊は不可避となり、個人の自由
は圧搾され剥奪されると考えたのである。実際に、このバーク哲学の思惟と予見どおりに、フランス革命は、人間の理性を絶対視し、既存の教会制度を否定し「理性の神」を崇拝した結果、
個人の生命をフル操業するギロチンに奪われ、財産を革命権力の恣意に奪われ、血塗られた無法地帯の阿鼻叫喚の巷をつくりだした。人間の知力や理性を文明の政治社会の改変に適
用させてはならないとの、バークの哲理は真理であった。祖先の叡智を尊崇して保守したときのみ、個人の自由は高貴に燦然と耀き得るのである。
バーク哲学の主要概念は、偏見(prejudice)、時効(prescription)、黙諾(presumption)、相続・世襲(inheritance)、法の支配(rule of Law)、慣習(convention,customs)、伝統
(tradition)、私有財産(property)などである。
逆にバークが断固として拒絶した概念は、平等(equality)、人権(right of man)、国民主権、抽象(abstruction)、理性(裸の理性、naked reason)、進歩(progress)、革新
(innovation)、民主主義(democracy)、人間の意思(will of man)、人間の無謬性(perfectibility of man)などである。
1920年代、第一次大戦の戦後賠償と国際ユダヤ金融資本のマルク売り叩きで、
マルクが紙クズ同然となるハイパーインフレとなり、気が付くと、ドイツの資産
の80数%をユダヤ人が所有する事態となった。これがナチスの台頭を生み、
第二次世界大戦の一因となった。
1960年代、米国は郵便貯金の民営化で、WASPの資産が国際ユダヤ金融資本
に流れる結果となり、その後の米国でのWASPの凋落と、ユダヤ人支配が決
定的となった。
そして、2005年、大売国奴コイズミ、タケナカのコンビにより、郵政民営化で日本人
の資産が国際ユダヤ金融資本に食われるかもしれない状況となっている。今後、医療
保険などの分野でも、米国は「民営化」を迫ってくるんじゃないか。国民皆保険のシ
ステムが崩れたら、貧乏人は医者にも診て貰えなくなる。
ご存知の通り、キリスト教では金融業は賤業とされていたため、
必然的にユダヤ人に金融業者が多かった。第一次大戦後の大インフレ
でドイツ人はユダヤ人に多い金融業者に通常の売買価格の10分の1とか
100分の1とかいう価格で貴重な財産を買い叩かれた。
この時のユダヤ人に対する憎しみがヒトラー支持の背景となった。
と、第一次大戦後のインフレ時にドイツに滞在していた日本人
(もちろんナチスに無関係)が戦後証言している。
ヒトラーの宗教観は明らかにニーチェ的っぽいとここを見て思ったんだが。
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha505.html これを読んでほしい。物凄く面白い。
:2007/07/25(水) 09:07:54 ID:a5iclsRG
ヒトラーが失敗した理由。
キリスト教に関する見解はわかってるなと思われる部分もある。
しかし、ユダヤ思想や秘密結社に関する洞察が弱い。
その結果、ギリシャ思想に容易に染まってしまう。
いったい何のための反ユダヤ?
民族や人種にとらわれすぎで、思想的な「反ユダヤ」にあまりにも無頓着。
これでは、反ユダヤの建設的意味が半減する。
ナチスのオカルト傾向にいたっては、秘密結社から影響を受けていた感じすらする。
ミイラとりがミイラになった。
ナチスドイツ宣伝相ゲッペルスは、ドイツ国民に与える警告として次のような
文書を1934年に公布している。
それは、非常に強大な超国家的勢力が、文明の破壊にもつながる心理戦、神経戦を挑んできている。
これに対してドイツ国民は十分警戒せねばならない。
ゲッペルス宣伝相のあげたこの超国家的勢力の狙いとする心理戦、神経戦とは、次のごとき大要である。
「人間獣化計画」
愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、自由の過度の追求、道徳軽視
3S政策事なかれ主義、無気力,無心念、義理人情抹殺、俗使属官僚の横行
否定消極主義、自然主義、刹那主義、尖端主義、国柄否定、
享楽主義、恋愛至上主義、家族制度の破壊、民族的歴史観の否定
以上の19項目をつぶさに検討してみた場合、戦後の日本の病巣といわれるものにあてはまらないものがただの一つでもあるだろうか。
否、何一つないのを発見されて驚かれるであろう。ゲッベルス宣伝相は、戦後の日本に対する予言者だったのであろうか。
戦後生まれの人たちにはピントこないかも知れないが、これらは正常な人間の頭で判断すれば
人類の文明の破壊につながるものであることは一目瞭然である。人間の純度を落とし、
本能性に回帰させようというものである。
「ヒューマニズムの究極的帰結としてのラディカリズム」高 坂 邦 彦
http://www2.plala.or.jp/kohsaka/page021.html 物や獣とは異なる人間の人間らしさを主張するというかぎりでは穏健その
ものにみえるヒューマニズム(人間至上主義)が、じつはその根底に、
「すべてが許されている。人間は何をしてもよい」という恐るべき非凡人論の萌芽を秘めている・・・・・・・・。
これこそ、ドストエフスキーの全作品を一貫して流れる根本的な見解に他ならない。
ドストエフスキーは、人道主義、博愛主義、理想主義を純粋培養して、その究極の正体
を暴露し、その自己破綻を顕示してこれを自滅させたのである。彼にとって、その主人公
たちの思索過程は、ヒューマニズムという近代精神に潜む悪魔的正体を明らかにするた
めの巧みな帰謬法的論理の展開にほかならない。彼らの深化発展する思索過程は、ラ
ディカルな否定主義が、一見高尚なヒューマニズムから導かれる究極的な結論であるこ
とを、論駁の余地なき徹底さをもって証明しているのである。
そして、ヒューマニズムに基づく道徳律として共産主義が作られた。
共産主義は、既存のヒューマニズムに基づかない道徳律をすべて置き換える意気込みを持っていた。
そこで、既存のヒューマニズムに基づかない道徳律を攻撃することを戦略の1つとした。それがこれ、
愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、自由の過度の追求、道徳軽視、
3S政策事なかれ主義(Sports Sex Screen)、無気力・無信念、義理人情抹殺、
俗吏属僚横行、否定消極主義、自然主義、刹那主義、尖端主義、国粋否定、
享楽主義、恋愛至上主義、家族制度破壊、民族的歴史観否定
しかし、共産主義自体滅茶苦茶なものであり、とても既存の道徳律に取って代われるものではなかった。
その結末が次の通り
>話を戻してみよう。精神衛生面の虚無性が何故に経済の高度成長をバックアップするのかという疑問も前述の19項目をみると
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>直ちに理解されると思う。これらが日本人の間に巣喰ってしまうと、楽しみはただ「カネ」ということにならざるを得ないであろう。
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>つまり、すべてを「カネ」のために、という思想が強烈なものにならざるを得ないのである。いわゆるエコノミックアニマルの徹底ぶりである。
しかし、共産主義はあまりにもお粗末だったが、ヒューマニズムに基づく道徳律は根本的にドストエフスキーの指摘する
欠陥をはらんでおり、いずれにしてもヒューマニズムに基づく道徳律の行き着く先は自己中心的な拝金主義になる。
理性というのは、この世に神は存在せず、人間の内側(イデア界)に神が存在するとした。
この世に神が存在しないと考える人は、そういうこの世に耐えきれず、この世を変革して
人間の内側にいる神に合わせて、この世を作り替えることを強く望むのでは?
現代におけるイデオロギー対立の根本部分は、この理性により導かれるイデアに従うか
それとも人間が祖先から継承してきた伝統(知恵)に従うかのいずれかに
分けられると思う。
祖先から継承してきた伝統に従うということは、「自分は神である」という考えを持つ
誘惑を放棄することになるので、それだけでかなり大きなメリットがある。
それ対して、理性によるイデアに従うメリットは合理性だけれど、「自分は神である」という考えを持つ
誘惑に抗するのは難しいんだろうと思う。理性によるイデアにまず従うということは、自分の内なる神を絶対と
認めることになるからね。
伝統は生き物。姿形を変え死にもする。
ゆえに神にはなりえない。神は普遍的記号なんだから。
たとえば、シナ人の中国四千年の歴史???に由来する高慢さは有名だが、
あの国に生きた伝統は乏しい(遺物は多いけど)。あの国の歴史は断続の連続だからね。
伝統的保守的であるということは、ラディカルな変革を嫌うが、
決して後ろ向きのまま停滞し続けることではない。
経験を拠り所としながら漸進的に、少なくとも必要に迫られれば
柔軟にそのあり方を変えてゆける。新たな経験が“蓄積”されていく。
進歩主義者に拠れば時間は“矢印”であり
その先端に今が絶えずあるという一次元的な捉え方。
戻るとか振り返ることが悪としか捉えられくなる。
グローバリストとは、国際金融家が抱く価値観に高い親和性を感じている
人たちです。えぐい金儲けを認めるかどうかは関係ありません。
世界は一つだとかヒューマニズムを称揚し、国家や民族を超えて自由・
平等・民主な世界の実現が好ましい価値観だと信じることで十分です。
国際金融家は経済社会の裏側にいて活動できる存在ですから、彼らが
経済社会を支配しているという現実は多くの人には見えにくく、金融家は
労働者を雇用しているわけでもないので、労働者の怒りも向かないという
便利な存在です。(銀行員は、金融家の使用人です)
そして、反資本主義者マルクスも、労働者の困窮原因を産業資本家の
搾取とウソの説明をしました。このおかげで、労働者の怒りの矛先は、
雇用者である経営者(産業資本家やその代理人)に向かうことになりました。
さらに、労働者や左翼の運動がそのようなものであったが故に、資本家も
反マルクス主義に走りました。国際金融家に支配されているもの同士が
敵対する状況が150年以上も続いてきたわけです。これは、国際金融家
が下々の騒動を見物して高笑いできる状況が続いてきたことを意味します。
近代世界を牛耳っている国際金融家に、“大衆”の憎悪が向かっていた
ことを想像すれば、その絶大な効果がわかるはずです。
国際金融家は、産業資本がソ連のように国有化されてもなんら関係
ありません。ソ連の経済活動そして国家運営が彼らの富増殖に貢献する
存在でありさえすればいいのです。
(英国でさえ、戦後、「産業国有化」が実施されたくらいです)
☆ユダヤの基本政策
・金融による経済支配
・マスコミによる情報支配
・民主制による政治支配
なぜユダヤが世界に民主制を広めたいのかと言えば、
経済と報道を握っているユダヤ人にとって、民主制は
自分達の意のままに政治を操れる制度からです。
また、思想哲学の分野で、自分達に都合の良い思想を
広めるのもユダヤの常套手段です。ダーウィン、マルクス、
ルソー、ニーチェは、彼らが近代に人類をペテンにかける為に
作り出した、代表的なものです。
URLやコピペ貼りまくってるあなたは一体何もの?
民主主義が一部の人間にとって都合がいいものってことはよくわかった
日本はこれからどうすればいい?
96 :
右や左の名無し様:2007/10/09(火) 23:53:42 ID:RsiPV3Hn
べつに民主主義であるひつようはないわな。
滞りなくまわり、国民のなるべく多く(過半数とか、大多数とかはいわん)が得心いく政治にさえなりゃあなんでもいい。
共和制のローマだって時限式で独裁官を設定していたくらいだし、ヒトラーだって戦争のやりようが悪かっただけで、それ以外は無害なもんだ。
民主主義でも国民には政治的責任が一切ないとかいうバカばかりになるなら、その方がよっぽど害悪だ。なんせ、主権者が無責任なんだから。
民主主義ってのは、国民のための政治をする主義ではなく、国民が責任をとるというシステムなんだから。
97 :
右や左の名無し様:2007/10/10(水) 00:38:44 ID:KFdrDmlb
>>96 >>民主主義でも国民には政治的責任が一切ないとかいうバカばかりになるなら、その方がよっぽど害悪だ。なんせ、主権者が無責任なんだから。
ちなみに、日本国憲法第15条第4項には、選挙における選択についての責任は
公的にも私的にも問われない事が明記されています。
98 :
熊野牛鍋:2007/10/10(水) 00:40:22 ID:ePCm8nIm
政治テイラー風情が 調子に乗るな
フランス革命みたく 一斉蜂起して議員どもを縛り首にしてやりゃいいんだ
あと朝鮮の金チ野郎 なんざシベリアの白熊のプーさんとじゃれて死ね
あと現総理は低腰すぎで総理顔ではない あだ名つける気にもならん。
大体、日本国は戦争の負け天皇家の負け を意味して
我々、日本国 国民は未だに完全民主国家 ではない。
我々の血税を彼ら
皇室を養う義務は無い皆無に等しい位である
私は国を批判している訳ではない。
不要分子排除すべき と思うだけだ。
99 :
阪京 ◆wOujBmICX2 :2007/10/10(水) 00:41:58 ID:fuKMPEwV
ジャン・ジャック・ルソーによれば「王と民がともに栄えるのが最高の国家体制」だ。
すなわち立憲君主制による民主主義が共和制に優るということだ。
100 :
右や左の名無し様:2007/10/10(水) 04:47:03 ID:8R59eXFH
今の日本は立憲君主制ではなく象徴天皇制らしいぞ
主権を天皇に戻したいね。無責任な愚民が主権を持つなんて我慢できん
101 :
右や左の名無し様:2007/10/10(水) 05:03:15 ID:8R59eXFH
65 :右や左の名無し様:2007/09/28(金) 18:19:07 ID:???
「寄生性と知的謀略」 世界経済を認識する基礎
ttp://sun.ap.teacup.com/souun/143.html 端的には、収奪者(寄生者)ができるだけ自由に収奪活動に
励むことができ、被収奪者(宿主)が収奪されるための仕掛
けだとは思わず、それを素晴らしい考え方だと信じる理念・
価値観・制度を普及させることです。
民主主義・個人主義・自由主義・経済学・科学的世界観なども
寄生者が宿主から“養分”をスムーズに吸い上げるためにつくり
普及させた論理的説明体系です。
民主主義・個人主義・自由主義・経済学・科学的世界観などは
、“高尚な”「広告宣伝」でしかないのです。
宿主共同体の構成員が寄生者の「収奪システム」を嬉々として
受け入れるよう、空虚な言葉(美辞麗句)をさも論理的であるかのように
組み立てて普及させたのです。
102 :
阪京 ◆wOujBmICX2 :2007/10/10(水) 05:19:55 ID:fuKMPEwV
>>100 左翼がそうシフトさせたいのだろ。おりが義務教育のときにははっきりと
日本は立憲君主制の国ですとならったぞ。君臨すれども統治せずの英国が
非統治制であって立憲君主制ではないなどというのは牽強付会のたぐいだろ。
103 :
阪京 ◆wOujBmICX2 :2007/10/10(水) 05:26:54 ID:fuKMPEwV
けど、「象徴にしろ」天皇制だというのなら天皇にすべてをおすがりしようじゃねーか。
すめらみこといやさか
104 :
右や左の名無し様:2007/10/10(水) 23:23:57 ID:YtZCwZPk
>>97 >選挙における選択
うーん何を言いたいのか、と、とりあえずとぼけておこうか?
選挙における選択の責任は問われなくても、行政、立法、司法の責任を問われないとはなっとらんが。
アンタみたいに「国民には責任はネ〜」なんて言っている奴らばかりになるなら、民本主義とか、よっぽど江戸時代にみたいなほうがいいかもな。
ただ、憲法でどうあろうと俺の一票を投じたことで、または投じなかったことで、戦争になったらどうしよう、とか、国が傾くかも、とかいう責任感をもって投票をするくらいの気持ちは欲しいよね。
不文律として。(憲法は立法の際の審査基準でしかなくって、直接に国民を拘束せしめるもんじゃないしね)
105 :
右や左の名無し様:2007/10/10(水) 23:31:43 ID:YtZCwZPk
>>100 >今の日本は立憲君主制ではなく象徴天皇制
法律上、
天皇の印なしでは総ての法律が発動しないので、立派な立憲君主制です(事実上天皇の検閲のないスルー状態だとしても)。
印なんて意味がないということならば、この世のあらゆる書類に意味がないということになります。
簡単なところで、
貯金通帳も、
借金の証書も。
106 :
右や左の名無し様:2007/10/10(水) 23:35:52 ID:KFdrDmlb
>>104 あなたの言うことは、大変よく解る。
よく解るけど、そもそも秘密選挙というものは、選挙における選択に対して責任を問わないからこそ成立するのも、また事実。
つまり「国民には責任はネ〜」と言っているのは、私ではなく、日本国憲法がそう言っているのであり、
突き詰めれば民主主義がそう言っているわけなのです。
107 :
右や左の名無し様:2007/10/10(水) 23:43:47 ID:YtZCwZPk
108 :
右や左の名無し様:2007/10/10(水) 23:58:28 ID:YtZCwZPk
意地の悪い言い方をして申し訳なかったが、
責任、
とは、実際に自分が政治的不備で被害をこうむったときに「アイツが悪い」「コイツが悪い」と他人の所為にするばかりではなく、自分がいかにしていればこの事態を回避できたのかを考えるだけの知識と経験を持つように努力するということだって含まれる。
また、どうだって政治的不備があれば被害をこうむるのは国民であって、それを一時的にでも被る(被らないわけにはいくまい)だけの許容を自分の中に備えておくことも責任のひとつだ。
消費税の税栂アップされてそれに反対していても、(あまりもの国民の反対で)つぎに税率が下げられるまではその税率に従うしかないのだ。そして、デモンストレーションをすることだって、責任のひとつだよ。
もし民主主義が正しいのなら世界国家を作ったら中国人が大統領になる。
アメリカは当然反対するだろうが、数が多ければ正しいというのならそういうことになる。
これをもっとローカルに考えてイラクの場合を考える。
シーア派とスンニ派がいて民主主義的に選挙を行ったらシーア派が勝つのだろうけども、これをやはり正しいと言っていいのだろうか。
また、中国チベット問題を考えるとチベットのダライラマは見ようによっては伝統的独裁者なのに、西側世界はこれを支持している。
ところが同じような存在のイランのホメイニ師などにたいしては西側世界は否定的だ。この辺は西側世界の御都合主義によるところが大きいのだが、必ずしも独裁者が悪で民主主義が正義ではないことを示していると言えないだろうか。
日本の敗戦後、天皇制は治安掌握のため残されて成功したように、民族の発達段階においては必ずしも伝統的独裁者を悪者扱いしては成功しない。
ということは民主主義もやはり民族の発達段階に合わせて考えるべきもののはずであろう。地域範囲と民族の発達段階の二つの理由から、それらを無視したゴリ押しの民主主義は根付かないのである。
>>109 言論の自由や秘密投票といった民主主義の基本原則が維持されているのなら、中国人が世界大統領になってもなんの問題もないだろうし、アメリカが反対する理由もないのではないか?
「中国人」
それはそうあるだけで大問題となりえる。
>>111 日本人じゃなきゃ、ヤダヤダッ。ジタバタ o(><o)(o><)o ジタバタ
って? w
中国人が世界大統領なんていやだろ常考
フランス式の二回投票制にしたら?
反中国で一本化したら勝てるはず。