【教えて】皇室の存在意義【下さい】part41

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>いろいろググッて見ても、一件もれ電波の言っていることがヒットしないのです。
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>いろいろググッて見ても、一件もれ電波の言っていることがヒットしないのです。
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島原の乱で,の和平交渉・・・がいつのまにか和睦の変わってしまっているwが

島原の乱 経過 で検索すればグーグルでhttp://www.eurus.dti.ne.jp/~miyabi/shiroh/rebellion-lapse.htm
が二番目にでてきますよね。(以下抜粋)

1638年(寛永15年)
1月22日 松平伊豆守信綱の陣営へ、生け捕りになっていた四郎の母・姉・妹・姉婿らが引っ立てられ、
 投 降 勧 告   である一揆勢への書状をしたためさせられる。また幼い子供達を城内への使者に立てる。
2月8日 勧告拒否の書状を持って使者が帰る。

投稿勧告(?)の内容は、
一筆申入れ候。我等共並びに召連れ候四人の者共、五六日以前、有馬へ 召寄せられ、御上使衆、
松平伊豆守様、戸田左馬様、御前へ召出され候。 其に就き御上使衆仰聞かされし様子、一つ書きを以て申入れ候。
御披見 の上、御返事待ち申し候。(中略)
 一、去年今年の内、城より落ちる者合わせて三四人御座候処に、命を御助 け成され、其の上金銀を下され、
  剰え其の在所の内にて、当年は作取り に仕り、其の外色々忝けなく仰付けらるる様にて、出で候者大形ならず
   して、忝けなかり候由承り候事。
 一、惣手より今度起こり候まきぞへに成り、無理に吉利支丹になし申し、 センチョ城中へ篭り候者は申すに及ばず、
  又、其の身より望みて今度発 し候に付て吉利支丹に罷成り、只今に至る迄後悔に存じ、城中より罷出 で、
  本の如くセンチョ罷成るべき儀に候はば、 これ又御免成さるべきの 由に候。右の通りの者城中を出し候はば、
  四郎母、同姉福、妹万、をの こ小平、四人共に城中え御入れ成さるべく候由、伊豆守様、左門様、御 直ちに
  仰聞かされ候事。