「自分には産まれた価値がある」といくら本人がそう思ってても、社会がそれを認めず
に、「産まれた価値ない」と定めれば、本人の思ってることはタダの独り善がりで、
「産まれた価値ない」が真実とは言わないまでも、客観的事実なわけで、
社会に認められなければ個人的なアイデンティティーなんて作る資格がない。
社会が価値を認めないなら、やっぱりその人は産まれた価値や生
きる資格もないよ。
個人アイデンティティーなんてちゃんちゃらおかしい。
>>582 俺はこのような書き込みを見るたびに違和感がある。
社会の一員である自分が存在していないだね、自分の中に・・・。
自分の中に、全く私人で固体としての自分以外に、社会の一員としての自分がいれば
自分も含めた社会が、自分を必要としない・・・と言う発想に違和感を持つだろう。
無論そういう人はいる。例えば「幼児に性的な好奇心を持ちかつ残虐な行為をしたいという欲望が
ある人」や「とにかく人を殺しつづけたい人」は、自身を社会の一員と位置付けられないはずである。
そういう人以外は社会の中に自分を位置付けられると思うんだが、個人は私的な単体であり、
社会と対峙するものであると考えているのだろう浅はかな発想の人は、そういう視点が無いのかも。
585 :
右や左の名無し様:2006/11/18(土) 11:28:48 ID:rozO9pZ8
物乞いのカーストとかか?
アイデンティティーは心理学で言う自己認識。自己同一性。セルフアイデンティティーともいいます。
アイデンティティーの確立は幼児期の自我の芽生えに続く少年期、青年期の発達課題。自分は何者であり、
どう生きるべきか、何をすべきか、自分の生きる意味や生きる価値はどこにあるのかという
【個人】の心の中に保持される概念。
原始時代、一人で洞窟に暮らしていた人たち(個としてのアイデンティティーは持っている)
が、何らかの理由で仲間を集め、共同生活をはじめた。
ひとりひとりが自分の生き方とそれに基づいた個としてのアイデンティティーを形成し、
それが集まって社会(=集合無意識)が生まれる。
ひとりひとりの生き方と個としてのアイデンティティーは社会に反映される。
社会よりも個が先に発生しました。
先人たちの価値観を記憶していることがあってもいいんですが、「先人たちの価値観」
から一歩も外に出られなければ、社会は先人の時代から変化せず、発展しません。
ましてや人々の生き方が大きく変化した今、従来の枠組みもレールも何一つ
自分たちを保証してくれません。その代わり、生き方や命の価値を強制的に決め付けもしない
良くも悪くも、日本人は受身過ぎるところがあるので、なんでも受身より。
「受身」の上手な使い方を覚えた方がよいのかもしれません。
そうでないと、外国から都合よく与えられた価値観をそのまま「レール」に
してしまうこともあります。
個としてのアイデンティティというのは、ヨーク考えれば分かるけどそもそも「個」と
認識できなければ発生しない。
集に対して初めて個という概念が発生しうるわけで、「他と自身が異なっている」→「自身は同一である」
という観念は、他があって初めて発生しうる。
猿だって集団生活。そもそも人が「個」から「集」が発生したと思い込んでは全く間違いです。
自分自身を「個としての自分」「集団の一員としての自分」「私的な自分」「公的な自分」というように
分けて考えてみましょう。「個・私」だけが自分ではないわけです。
家族の一員である私は「集団の一員である私的な自分」ですよね。家族という集団があって、そこに
対峙している自分がある・・・のではないでしょう?自分も含めて家族なんですから・・・。
アイデンティティーはアニメだよ。
589 :
右や左の名無し様:2006/11/18(土) 16:46:51 ID:rozO9pZ8
特定の政権が国民全員に、ある決められた一種類だけのアイデンティティーの作り方やアイデンティティーのあり
かたを一括してレールにしちゃったのがまずいんだよ。
健全な自我の作り方や発達の方向は人それぞれなのに、それを許さなかった。
だから国民が幼いうちから教育に介入したわけで。
社会を意識するにしたって、普通なら生き方のテーマやアイデンティティーに個性が出るのは当たり前。
判で押したようにみんな同じだったらセルフアイデンティティーって言
えない。個が確立出来ないし、自我が発達しない。
政権が無くなりゃアイデンティティーも生きるテーマも無くなるんじゃ御粗末すぎ。
右翼は結局三島と同じ発達不全による自己愛依存症かDQN人格障害かチョン
はんで押したような国民(意識レベルで)という時代っていつのことよ。
特攻隊の兵士でさえ、各々しっかりと自分を持っていたことは、遺書でも読めば分かるだろうに。
「個人個人の個性が大切だ」と判を押したように賛美するのは、お粗末じゃないの?
社会と隔絶した個人の個性までを賛美するの?社会と対峙した個性で無ければ価値が無いのかよ。
個性などは、社会の一員としてのほかの社会の一員との比較でこそ成り立つ認識だろう。
固体において他を認識しなければ、個は全てであって、個性などという概念さえ生まれないのだが。
591 :
右や左の名無し様:2006/11/18(土) 23:34:22 ID:UfUtg/ay
>>587 まぁ残念だか周りがあんたの思考レベルに追い付いてないのですわ。
発達論的アイデンティティと心理学的アイデンティティ、政治学的社会学的アイデンティティがそもそも違うアイデアである事が理解出来ないのよ。
本来アイデンティティを語るなら、あなたの言うようにアイデンティフィケーションの運動について語られなければ効果的とは言えないでしょうね。
592 :
右や左の名無し様:2006/11/19(日) 02:34:15 ID:dfMoN+dG
1も、れ、も互いの言わんとするアイデンティティーの意味が分かってなかったんだろ。
私個人の意見としては、国民ひとりひとりの
発達論的アイデンティティと心理学的アイデンティティが
しっかりしていないと、政治学的社会学的アイデンティティが
良い意味で発達しないんじゃないかと感じたのです。
ヒトラーも心理的・発達的アイデンティティーがうまく作れずに
ゆがんだ形で肥大していましたから。
「良い」とか「ゆがんでいる」という判断の根拠となるものは何?
選択肢の自由度を価値があるとしている貴方が、「良い発達」とか「ゆがんだ形」といっていることに
俺は違和感があるんだけど。
「良い」があいまいですね・・・
「比較的多数の人々に後世まで好ましい例として
語り伝えられ、参考にされる傾向があるもの」でいいかな。
「ゆがんだ形」というのは心理学的な意味です。
何らかのコンプレックスになっている状態のこと。
596 :
右や左の名無し様:2006/11/21(火) 00:18:19 ID:q10nQLbk
政治屋や政治屋気取りには心理学の分野の話は難しいと思う。
奴ら自身がコンプレックスの塊なことはあるがな。
597 :
右や左の名無し様:2006/11/21(火) 01:08:13 ID:MDiPRFUy
>>594-595 アイデンティティの概念は問題として生まれ、問題としてしか定義できない。なにか解決の手段足りえるものではない。
例えば、『私はだれ?』などという一見単純な問いかけは、不完全な世界の現実の混沌から逃れ内面へと向かう事を促進するために用いられてきた。
これは問題含みの身ぶりであり、しばしば不安に対する自己探求向けの、それゆえ非社会的な形式によって
代替されるか、連帯や共同体を想起することなく、その代わりに人々を「存在」にとぼしめ、民主的な存在
へと変えてしまうように機能する公的な政治の作業を約束することで結実してしまう。
エリクソン自身も厳密に定義づけようとはしなかったはず。
>>595 そこに「一定範囲の人々」という要素を無視して、人類的な共通性を見ているなら
同意しかねます。(宗教は規範を決定付けますから、良い・ゆがんでいるは、一定範囲の
人々が共有する価値観に基くと考えないと、イスラム社会やユダヤ教・ヒンズー教の人々
にとってゆがんでいる・良くない考え方が、別の宗教の人々にとっては「ゆがんでいない・良い
と考えることが矛盾無く説明困難だと思いますよ。
>>597 社会や他者を認識しなければ、我と彼の区別さえ発生しませんよ。
其の部分に無自覚・無頓着に、自己の内面に思考が向かえば、解決に対して糞の役にも
たたないでしょうね。
>>597 厳密に定めることは到底無理でしょうね。それでも、ちょっとでもこのすれを見る人に
わかりやすくイメージしてもらうことを心がけて表現してみました。
>>598 「ゆがんでいる」は先述のように心理的「コンプレックス」が介在しているかどうか、です。
文章中の「良い」はそれほど深い意味は持ってません。
単純に「発達しないんじゃないかと思う」でも意味は通りますが、
「発達」のイメージの中にコンプレックス的肥大や神経症的傾向などの
「病的発達」を含まない、というニュアンスで「良い意味で」と
書いたまでです。それをイメージしやすくするために具体例を
使って易しく言い換えようとしたのが
>>595です。
かえってむずかしくなりましたか。
ちょっと言葉狩りみたいになってきましたね・・・
600 :
右や左の名無し様:2006/11/22(水) 02:11:48 ID:gdDpt13X
>>598 簡潔で素晴らしいレスありがとう。
本来は社会学的政治学的な抽象度の高い議論をこねくりまわしてからお聞きするのが筋だろうが、あなただからその辺すっとばして、意見が聞きたい。
現在私のメインテーマはアイデンティティなしの所属(blonging without identity)による連帯の可能性と
必要性、その効果ついての議論において、もっとも効果的な政治参加とはいかなる形態(身ぶり)が望ましいか?
またそれにはいかなるシステムの構築が必要なのか?
です。
いわゆる『一時的自律ゾーン(ハキムベイ)』の様にラフなアプローチによって参加脱退が自由な空間の持つ政治的権力の可能性についてどう考えていますか?
また現代において、所属や連帯の動機としてなにが最も効果的と考えますか?
>>600 一度書いたら、連投機性で引っかかって、操作ミスで消えてしまった・・・。(結構良い文章だったのに)
で、なにやら小難しい言葉が並んでいますので、私の理解を超えているかもしれませんが、がんばって
レスしてみることにします。
アイデンティティというのは、誰か(あるいは何かのもの)との同一性の認識に基く、それとの差異認識
の精神的作用なんだろうと思います。
で、アイデンティティ無しの所属というものは有ろうとは思います。(さっきと違うなぁ・・・書くことが)
しかし政治参加という場面においては、そもそも自由な離脱というものが許容されていません。
私たちは、国籍離脱の自由の限界があります。どこかの国の主権に支配される前提ですかあ
自由に限界があるということです。そして逆に「国籍を離脱しない自由」が、同時に人の権利として
設定されているわけですから、実質的に、人権を尊重する統治機構は、自国民が必ず存在する前提でしか
行動はできませんし、国としては国という枠組みを維持することは、人権の尊重という側面でも必要です。
ですから、国の枠組みとか人権を尊重するという責務が存在する国と、そこに政治参加する自分自身の関係は、
国が「其の主権の支配を世代を超えて行う」こととの調整から構築する必要があるでしょう。
(調整というのは、自分自身にとって、主権者の世代を超えた支配の正当性に関する検討のことです。
正当でなければ、そもそも政治参加するという動機さえ不確かになりますから・・・。
で、それは、先人と私たちの価値観の共有があると確信しなければ「正当である」とはいえないわけで、
その意味で先人との同一性の認識・確信がまず必要でしょう。そして其の関係性は、私たちと
私たちの子孫の関係性に当てはメルコとになりますから、そういう同一性の確信のない(アイデンティティ
のない)自分自身が国と関わろうとすれば当然に軋轢が生じます。
国とはそのようなものなのでしょう。そしてそれは他国との異質性の確信でもあります。
所属や連帯というものが、世代を超えて継承されるものであるならば、おそらく其の動機は、子孫の幸福に
起用しようとすることじゃないですかねぇ。同一性があるのだから、それは自身の幸福とリンクはするでしょう
から。
602 :
右や左の名無し様:2006/11/23(木) 01:37:24 ID:fJVUwHvP
>>601 レスありがとう。
憲法制定権力を持つ国民の存在に限定的な自由が前提とされている以上、民主国家が国民のレベルを超える憲法を持てないという必然的な限界を抱えている事実を私達一人一人が自覚しなければいけないのですよね。
時々思想板で見掛けますが、かなり保守的な人なのだと思っていました。
保守寄りだとは思いますがアイデンティティに対する見識は私の好きなアフロカリビアンの社会学者に似ている様な気がします。
少なくとも私達の勉強会(飲み会)にいる右の人々とは毛なみが違います。
またどこかで。
ちなみに本質主義や民族主義を避ける為に『幸福』を使ったのには驚きました。私も一時期『幸せ』を使ってました(笑)いまだ結論は出ていません。(『美しい』ではないと思います)
そこの結論は安易にださない方がいいのでしょう。
押し付けがましくなく説得力があるのがみつかると良いのですが、まぁライフワークです。
603 :
右や左の名無し様:2006/11/23(木) 01:46:55 ID:fJVUwHvP
ひとついい忘れました。
私はここをアイデンティティ無しの所属が実践されている現場の1つだと思っていますよ。
政治権力を生み出すには問題が多すぎますけど(笑)
604 :
右や左の名無し様:2006/11/23(木) 01:58:25 ID:4TJFwIeW
ところで「愛国心教育」でいう「愛国心」の定義とか、条件ってのが
全然知らんのだが、これから決まってくのか? もう決まってるのか?
愛国心のある生徒かどうかを採点するとき「正解(模範解答)」とか
「正しい基準」とかがないと現場が困るだろ?
一瞬、河合隼雄の「日本人とアイデンティティ」の抜粋文かと
思ってしまった。心理学の書というより一般書という感じの良書だよ。
って、あの本どこにあったんだろ、とほ
>>602 つたない不勉強な言説を読んでいただいて感謝します。
保守にもいろいろと有ると思います。保守である以上【伝統とか文化とか歴史とか継続性】について
重大な関心を持つわけですが、日本の場合においては「正義・正しさ・民族の優位性・美しさ」など
という何らかの絶対的で固定的な方向性を持った価値観は、伝統的に存在しない以上、
日本の保守は、そのような、固定的なそれに与するわけにはいかない(はず)だろうと思います。
多元的で重層的である・・・日本で共有されている価値観は、このような宗教発展を許容する
あるいは好ましく思う価値観でしょうから、思想的に価値観の多様性に対応できなければならない
はずです。また、それでもひとつの国であろうことが永きに渡り(1000年以上)継続していますから
何事かを決定する手段・判断基準を共有しているのだろうと考える必要があります。
判断基準は皆の合意(といえるまで形式が整っている)であり、其の手段は話し合いを上位に置く
(党派心を捨てたそれ)を好ましいとしているのだろうと、私は考えています。
それは「自然法」と呼ばれるキリスト教的な「神の-転じて本来的な-定め・法・あるいは真実」を
「理性なるものによって導き出す」ことによる「正しさ」を判断基準とすることと大きく違うところでしょう。
「人皆賢愚併せ持つ存在で、誰が聖・愚であるかが誰も分からない」という17条憲法の第10条の
人間観・世界観がいまだに有効なのが、にっぽんの「他国と同等にユニークなところ」と思います。
其のことについてあまりに無自覚であることは日本人にとって好ましいことではない。
アイデンティティという言葉に引かれて、ここでレスした動機です。
607 :
右や左の名無し様:2006/11/23(木) 19:20:35 ID:viRSZMhu
固定的方向性を持つ価値感をアイデンティティーにした途端におかしくなった明示以降の日本。
608 :
右や左の名無し様:2006/11/24(金) 16:11:32 ID:DjFFHaWB
>>604 愛国心教育って愛国心を採点する見たいなやり方だったのか?
俺は今迄の愛国心が芽生えにくい教育を止めて
日本について教える事を増やすんだと思ってた・・・
なんで朝鮮系とかフィリピン系とかといっしょに
大和民族の族長をたたえる歌を歌わねばならんの?
610 :
右や左の名無し様:2006/11/24(金) 17:45:43 ID:5LeZsHAi
>>608 採点式だよ。成績表にも出るし、内申点にも出る。
安倍さんは空想は上手いけど実践するのは机上の空論。
611 :
右や左の名無し様:2006/11/24(金) 18:48:45 ID:9vEqx1C8
>>610 でもこんな事言ってるぞ?
>また、安倍総理は、愛国心について、国を愛する態度は評価の対象ではないが、
>それを養う歴史や伝統文化などを学習する態度を評価するのは当然だという認識を示しました。
612 :
右や左の名無し様:2006/11/24(金) 19:45:05 ID:5LeZsHAi
>歴史や伝統文化などを学習する態度を評価するのは当然だ
うん。だから結局採点式。
「愛国心」という名前の教科にはならないのかもしれないが、
愛知県ではとっくに成績表にも反映させてる。
ウチの場合は地理とか歴史とかの社会科系と
古典の評価点に「愛国心の有無」を何%か入れてる。
自分の意見や感想を書く時間を設けて、そこでも愛国心を含めた
評価点数をつける。
613 :
右や左の名無し様:2006/11/25(土) 00:59:45 ID:/dGnbqpY
>>612 愛国心を採点してる学校があるってのは知ってたけど
基本法を改正して今の学校をそう言う学校にするってのは知らなかったな。
そういう学校は今の基本法でうまくやってるんだな〜・・・て認識で
新しい基本法が出来るまでの暫定的な措置だと思ってた。
改めて読み直してみたんだが
・愛国心を「協調心の有無」見たいな感じで採点するのか
・実際に授業に愛国心教育を盛り込むのか(科目か付加か)
が分からんな。
>>611の話が本当ならこれは「実際に授業に〜」になり
>>604のような問題は起きないが
>>612の言うように今一部の学校で行われている「〜有無」の
採点方式をそのまま引き継ぐなら
>>604見たいな問題が出て来る。
>うん。だから結局採点式。
には
>愛国心のある生徒かどうかを採点する
と
>歴史や伝統文化などを学習する態度を評価する
では結構違うからならないと思うぞ?
今までは「日本の歴史に好意的な感想に基く評価」をかくと、採点上、マイナスだったんでしょ?
愛国心教育に批判的な人は、それを維持したいわけだから、どんな適正な評価基準を持ち出しても
「日本の歴史に好意的になりうる」ならば反対なんだから、所詮平行線かと・・・。
しかし国家が行う教育は、其の国家を好意的に見る教育なわけで、そこを「ダメだ・公平に」など
といっても無理です。
何処を好意的に見るのか後外が有るだけですよね、戦後の戦前徹底批判というマルクス史観に冒された
評価を是とし好意的に見るのか、永い歴史や伝統の存在を好意的に見るのか・・・という。
今現実に「「採点されている」事を無視するのは、おかしいと思いますけど。
>今までは「日本の歴史に好意的な感想に基く評価」をかくと、採点上、マイナスだったんでしょ?
本当かよ。ちゃんとソースのある話しか?
>>616 半島の併合などを、好意的な印象に基いて評価すれば、マイナス評価だと思うが・・・。
あるいは「廃仏毀釈」を江戸時代の「宗教勢力の政治介入」を排除する政教分離政策と
好意的に評価しても同じだと思う。
>>617 いや、あんたの印象ではなく具体的な根拠があるのかをきいてる。
ウチの中学(関東)の場合は、意見や感想文かなんか書かせて、
その内容から「愛国心」がうかがえるようなものであれば評価が加味
されるって感じ。俺はテーマが何であれ、日本に批判的な意見はあまり書かない。
まあ難しく考えなくても適当にそれっぽく書いてりゃ一定の評価は貰える。
三島由紀夫みたいな極端な内容を書いたらわざとらしくて
バレバレだからかえってマイナスになるだろうがな。
620 :
1 ◆3Z7vqi3PBI :2006/11/28(火) 10:06:16 ID:XRJAaU+6
皆でディスカッションする、という授業をする学校もあるそうですね。
NHKでその例を見ましたが、生徒の意見や結論を先生が誘導し
てしまうのは考えものですね。
623 :
1 ◆3Z7vqi3PBI :2006/12/07(木) 02:34:03 ID:lFgoPEnZ
ほしゅ
子供をマトモに教育できてる状態じゃないみたいだな。
個々人ではいい先生もいるかもしれないが、全体の雰囲気がこれじゃあ・・・
──もはや真の日本は帝国軍にしかない。
この屯所の柵外は侵略者のものである。
北海道、九州のように、国土が奪われたからではない。
人の心が奪われたからである!
国民精神を奪われたからである!
そして今、最後の日本までもが費え去ろうとしている。
このまま座視すれば安保条約が締結されることは、既に疑う余地もない。
かの文書が大帝の御前にうやうやしく提出される時、飛び掛かって書を引き裂く閣僚一人、
皇居の門外で腹を切る将軍一人、いはしなかったのだ!
帝国軍は合衆国の傭兵に成り下がる。
大東亜戦争を戦いきった日本武士は滅びるのだ!
諸君は士魂の勝利を忘れたのか!?
米人が嘲笑して言うように、諸君もまたあの戦いを「愚かしい抵抗」との言葉でしか語れなくなったのか!?
それでも武士かァ!
諸君は武士だろう!諸君は武士だろう!
ファイエル!
627 :
右や左の名無し様:2006/12/09(土) 23:39:43 ID:Hm29ZUyY
帝国軍てそっちか!
628 :
右や左の名無し様:2006/12/22(金) 10:29:28 ID:gLd1Ibyt
バカが政治経済語って恥ずかしくないですか?
最低でもMARCH関関同立以上の学歴がないと世間では相手にされませんよ。
東大京大クラスw--------------------------------------------
70.0: 慶応(法) 早稲田(法・政) 早稲田(経) ICU(教)
67.5: ★中央(法) 早稲田(商) 慶応(経) 上智(法)
阪大名大クラスw--------------------------------------------
65.0: 早稲田(文・教・国・社) 慶應(文) 上智(経・総・外) 立教(社) 同志社(法・文) 立命館(国)
62.5: ★法政(法) 上智(文) 立教(法・営・文・心) 明治(政・文) 青山学院(文)
慶応(商) 同志社(社) 立命館(文・産・政)
東北九大クラスw--------------------------------------------
60.0: 法政(文・社会) 立教(経) ★明治(法・経・商・営) 中央(商)
青山学院(国) 学習院(法・経・文) 同志社(商) 立命館(法) 関西学院(文)
57.5: 立教(観光・福祉) 法政(経・営) 中央(経・文) 青山学院(法・経・営) 津田塾(学芸)
同志社(政・経・策) ★立命館(経・営) 関西学院(法・商・社) 関西(法・社会・経・商)
630 :
右や左の名無し様:2006/12/24(日) 10:24:48 ID:lBFYR5yy
>>628 学歴だけで語るなら、東京、京都以外はどこも一緒。
慶應や中央なんかと一緒にされちゃたまらんのだよ君。
まぁ東大にもお勉強しかできない酷いのがうじゃうじゃいるけど、お勉強すら出来ない人よりはよっぽどまし。
新世界秩序は東洋から
東洋の哲学や宗教についての関心はますます高まっている。輪廻転生の法則
精神の物質を超える力、人間が肉体や頭脳よりもさらに高次元の存在、
またはそれを知る方法があるということに気がつき思い出してきた証拠である。
これは至る所で起こっている意識の大きな転換の表れである
weedweedweed.cocolog-nifty.com