なぜ、伝統は尊重されなければならないのか

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591右や左の名無し様:2005/11/07(月) 03:25:00 ID:G5fJIxOW
「必ずしも」、必要としないからいいんじゃないのか。


「今日では、主権とは決して国際法を自由に破り得るような絶対権ではないということこそ、公理として通用しなければならない。
そうであるとすれば、国内法についてもまた、主権は決して法の上に位する最高絶対の力ではない」

「緊急切実な今日の根本問題は、これまで政治上の絶対権のように解されていた主権の概念をば、法の理念の下に正しく改鋳することにこそ求めなければならない」


主権を持っている側、つまり我々としては、自分自身を懐疑する心性(self-skepticism)をなくして、主権を振りかざしてはダメですよって、
非常に当たり前の、気構えの問題を言っているに過ぎないんであって、
何との対比において自らを測るかというと、究極的には<伝統>というのがキーワードになって来ると思うんだよな。
(ノモス≒公理≒良識≒伝統に根ざしたバランス感覚)

だから「伝統は尊重されなければいけない」、これは当たり前なんだわ。
ところが、理性主義者、合理主義者みたいのがいて、国民の全てが伝統に対し十分な敬意を払う訳ではないから、
伝統主義、歴史主義の立場を誰が最も正しく理解し、代弁出来ますかってことで、
戦前が天皇さん(という仮定)だったのが、戦後は国民自身(という約束)になった訳だ。
だから、伝統を意識し、尊重するという約束事の上において、
天皇主権だろうが、国民主権だろうがそんなことはどうだっていいって、尾高大先生は言ってる訳で、
ノモスへの憧憬なく、主権をふりかざし、多数決を繰り返すことの危険性を言ってる訳だな。


「理念としての天皇の大御心は永遠に変わるべからざる法の正しさへの志念であり、『ノモスの主権』の民族的な把握の仕方に他ならなかった」


この「理念としての」とか、「民族的な把握の仕方」とかいう言葉遣い、冴えてるよな。
おれは小沢一郎の言うこと、良くわかるな。
592RICK.DQN ◆6ORDQNVoZw :2005/11/07(月) 08:28:36 ID:???
>>569
>契約という概念が、日本と西洋では異なります。アブラハムの契約は自由な契約でしょうか、そこから
アブラハムの契約?
関係無いでしょ。
>>564は読んだの?
>(国家など)ある社会内の全ての構成員はその社会内に存在するという各々の個人の決定により、
>その社会と構成員の間で結ばれた社会契約の条件に同意したとみなす。
つまり、自分で生産したモノを自分で消費して生計を立てていれば社会契約の条件に同意しているということ。


>なお社会契約説を追求すると、国という枠組みは不要という結論に至ります。したがって、そのような
>>567に書いてある様に
>しかし、国外からの略奪や働かない者が他人の生産した物を奪う様な事が起こりうる。
社会契約が追求されコレが完全に無くなるなら国家なんて不必要でしょうけどあり得ないでしょ。
『起こりうる』って書いてあるんだから『国という枠組みは不要という結論』には至らない。
反論どころか揚げ足もとれていない。
ただ、レスの文末を取り上げて頓珍漢な事を喚いているだけ(w
593RICK.DQN ◆6ORDQNVoZw :2005/11/07(月) 08:39:20 ID:???
>>577
>馬鹿馬鹿しいほど当然だが,近代以前と近代は我が国において継続している。
>>404に書いた様にそれは西洋も同じ。

>新たな近代国家が我が国に誕生したわけでもないし,新たな独立国が,
新たな国家が誕生したのでは無く>>404に書いた様に国家そのものが誕生した。
それ以前はレルムであってステイトでは無い。

>いわゆる近代国家の概念を完全に内包していなければならないわけでもない。
いなければならない。
でなければ資本主義経済が起動しない。

>人類をイッパヒトカラゲに、自然状態云々,社会との契約云々、などとノタマウそれに
人類をイッパヒトカラゲに語っていない。

反論どころか揚げ足もとれていない。
ただ、レスの文末を取り上げて頓珍漢な事を喚いているだけで馬鹿馬鹿しすぎて、屁も出ないw
594れ ◆r0FmiN9ADk :2005/11/07(月) 09:51:39 ID:???
>>579
はぁ?そもそもバングラデッシュの人々は「言語・宗教・文化」が違っている。
下の説明など知っているが、その言語や文化は歴史的な者ですが何か?

>>580
>改めて聞くが、バングラデシュの枠組みは歴史的に主張されたのか?
日本語になっていないので、回答できないんだが・・・。
バングラデッシュという枠組みは、>>532で書いているとおり、ベンガルの人々という
歴史的に存在した枠組みによって主張されている。

後のことは、まぁ、馬鹿な妄想とワケワカメのスレタイに沿っていない戯言と切り捨てておこう。
いずれにしても、貴方は、国民の幸福に寄与するであろう期待を込めた政治思想など
語れないと自白したから、少なくとも最大多数の最大幸福を求めることに価値がある云ってい
るリックタンよりも、政治史思想語る価値がない。

だから、他人事であり、無責任な風見鶏で、単なるその場しのぎに終始するのであろう。

>>587
>おいおい、明治維新によって「新たな近代国家」が誕生したのは明らかだろう。
貴方の穴玉の中での妄想を露出されても、言いっぱなしじゃ何の説得力もない。w

>>592
関係が理解できない人なんだなぁ・・・と。
人類共通から、国という枠組みなどできないだろうという、極めて当然なことさえ、想像
できないのね。
595RICK.DQN ◆6ORDQNVoZw :2005/11/07(月) 10:03:44 ID:???
>>594
>人類共通から、国という枠組みなどできないだろうという、極めて当然なことさえ、想像
>できないのね。

>>567に書いた様に人類共通の規範が実現されていない状況で国家が必要ないなんてあり得ないでしょ。
>国外からの略奪や働かない者が他人の生産した物を奪う様な事が起こりうる。

>>592に反論するどころか揚げ足もとれていない。
ただ、レスの文末を取り上げて頓珍漢な事を喚いているだけで馬鹿馬鹿しすぎて、屁も出ないw
596れ ◆r0FmiN9ADk :2005/11/07(月) 11:52:55 ID:???
>>595
君は頭が悪いねぇ。

>書いた様に人類共通の規範が実現されていない状況で国家が必要ないなんて
>あり得ないでしょ。

おっしゃるとおりである。したがって、国の枠組みについて語る場に、人類共通の規範
の存在を前提とした、社会契約説など、持ち出せない・持ち出しても意味がないのである。

君が言っている内容をそのまま貴方が理解していれば、そういう結論になる。
反論などしていないし、取るべき足さえないんだから、勘違いするなよ。w
597RICK.DQN ◆6ORDQNVoZw :2005/11/07(月) 12:00:04 ID:???
>>596
>おっしゃるとおりである。したがって、国の枠組みについて語る場に、人類共通の規範
>の存在を前提とした、社会契約説など、持ち出せない・持ち出しても意味がないのである。
経済的格差や人類共通の規範の徹底に対して国家間で構造の格差が生じる為にそうはならない。
ただ、レスの文末を取り上げて頓珍漢な事を喚いているだけで馬鹿馬鹿しすぎて、屁も出ないw
598れ ◆r0FmiN9ADk :2005/11/07(月) 12:09:05 ID:???
>>597
それならば、「経済的格差や国家間で構造の格差」が話題であって、社会契約説やロックなど
持ち出す必要もない。w

国家間の構造の格差が、社会契約説から導き出されるなら別の話だが・・・。w
もう一つ云えば社会契約説んなど、人類共通の認識ではないし・・・W 契約の概念が一致して
いないのに契約があるとか言ったって、それは話にならないだろう。
(社会契約説における、契約の主体と媒体を述べてきたまえ。もべられるなら、聞く耳も持とう。w
そして我が国における契約のそれも出してみよう。↓どうぞ)

一言で言っておいてやる、国家の必要性は社会契約説からは導き出せない。
出せるというなら、ここで立論し論証する義務が貴方に生じる。↓どうぞ・・・ムリポだろうけど。
599RICK.DQN ◆6ORDQNVoZw :2005/11/07(月) 12:25:22 ID:???
>>598
>それならば、「経済的格差や国家間で構造の格差」が話題であって、社会契約説やロックなど
>持ち出す必要もない。w
あくまで『国家の枠組み』について語っているに過ぎない。
それを踏まえなければ『個々の国家の枠組みの差異』を語る事は出来ない。

>もう一つ云えば社会契約説んなど、人類共通の認識ではないし・・・W 契約の概念が一致して
>いないのに契約があるとか言ったって、それは話にならないだろう。
貿易と物流が近代国家との間で行われている、叉は為替相場が存在する時点で存在している事は確か。
認識しているかどうかは別だが。
600れ ◆r0FmiN9ADk :2005/11/07(月) 12:39:53 ID:???
まぁ、ナゴミ氏もリックタンも子供のようにグダグダ云っているから、基本的な話をしてあげよう。

バングラデッシュでも日本でも被害チモールでも何処でも良いが、その地域の人々が
国を作るということは、彼らに一体どのような期待があるのかを、少し考えてご覧になると良い。

例えば人を殺してはならないという人類共通の規範が有るとする。
人は絶対に誰もが殺してはならないのか、どんな状況でもダメなのか・・・といえば違うだろう。
キリスト教の聖書でも、たくさんの人が殺され、それは正当な行為となっている。
無論日本には死刑制度のあるし、戦争での殺人は正当とされている。正当防衛もあろうし
自己が生き残るための殺人が正当化できる場合もある。

そして、これは、その一定範囲の人々が共有する規範によって、その国々で決められることであり
事実そう決まっているのである。これは殺人という事象に留まらず、例えば所有権の権原なども
違うだろうし、国籍条項さえ違う、移民の受入れについてのスタンスも違うだろうし、
民意で変えられないことの範囲も異なっている。

なぜ異なるのかといえば、当然その国の人々によって価値観が違うからに他ならない。

違っているなら、一つの独立を認めるべきだといえば、一人個人の国家さえ認めざるを得ない。
かといって、違っているのは当然だから、最大多数の最大幸福に寄与するためには、少数は
切り捨てられてやむをえないと切り捨てれば、国家の新たな独立などありえないという結論になる。

このバランスを何処におくか・・・がこのスレの重要な議論課題である。
否が応でも、個人ではなく「価値を共有する集団」を思い浮かべなければ、議論さえ出来ないし
彼らの幸福に寄与するという発想がなければ、力で解決すればよく、何の議論も出来ない。
601れ ◆r0FmiN9ADk :2005/11/07(月) 12:57:07 ID:???
>>599
国家の枠組みを語っていないといっているのよ。
社会契約説が共有できる集団が一つの国家の枠組みを作るというのは、別に間違いじゃないが
貴方の論旨はそこではないんだから、語っていないでしょ。

>貿易と物流が近代国家との間で行われている、叉は為替相場が存在する時点で存在している事は確か。
何の存在が確かなの?社会契約の存在w
契約はあるよ、しかしそれは・・・というか社会契約説の契約と、一般経済活動における契約が
同じ概念だと思っているなら、まぁ、恥を晒すことになるから、止めとき・・・w

契約の主体と媒体を述べろといっているんだが・・・。
アブラハムの契約は、誰が主体なんだね。社会契約説におけるその契約主体は誰なんだね、
貿易や為替における契約主体は誰なの? で、何が媒体になっているの(契約遵守の担保)

例えばな。、日本の起請文という形式なら、契約の主体は「権利者と義務者」であり、契約の担保は
「天神地祇に罰を受けてもかまわない」とする義務者の制約と、罰を受けたくないであろう契約者自身の
心情によっているだけなんだよ。つまり契約の媒介者として天神地祇がいるわけではない。
契約する双方の自由意志によってなされる。

アブラハムの契約の主体はアブラハムと唯一神。アブラハムは契約を拒めたのか?拒めない罠。
神の側が契約を守るかどうかの担保など全くない、というか神であることが担保名ワケだ。
必要なのは神であることの証明だけなワケでだから、いけにえを二つに切りその間をとおるという儀式を
講じたわけだろ。

社会契約説の契約は、誰と誰の契約なんだ?そしてその契約が遵守される担保は何処にある?
さらにそれは拒否できる契約か?さぁ、論じてみなさい、これだけヒントを出せば解るだろうよ。
602RICK.DQN ◆6ORDQNVoZw :2005/11/07(月) 13:03:27 ID:???
>>600
>なぜ異なるのかといえば、当然その国の人々によって価値観が違うからに他ならない。
>
>違っているなら、一つの独立を認めるべきだといえば、一人個人の国家さえ認めざるを得ない。

ここで話をすり変えたな。
>>567に書いた様にロックの理論で価値観の差異は問題にならない。
>ロック人間は必様な資源を自分で生産し消費できると言う希望的観測を持てるから
>自分の肉体の行使と生産した資源の処分、消費、譲渡の自由が保証されれば
>他人の物を奪い争う必要は無いので秩序は維持される『社会契約という状態』を主張した。

簡単にまとめると自分の価値観に従って肉体の行使と生産した資源の処分、消費、譲渡の自由は保証されるんで
価値観の違いによる一人個人の国家の問題は吸収される。
この実現に歪みが生じ最大多数の最大幸福に寄与するためには、少数は切り捨てられてやむをえないと
なったときに新たな国家の独立と言う問題が生じる。

れは「価値」と「価値観」の違いが言葉遊びとしか思えない為に
頓珍漢な事を喚いているだけで馬鹿馬鹿しすぎて、屁も出ないw
603れ ◆r0FmiN9ADk :2005/11/07(月) 15:11:27 ID:???
>>602
スリカエとか何とか妄想はいいから、
>この実現に歪みが生じ最大多数の最大幸福に寄与するためには、少数は切り捨てられてやむをえないと
>なったときに新たな国家の独立と言う問題が生じる。

これが事実なら、理論的には最少数である個人の独立を認めざるを得ない。しかし個人にそれを認めれば
社会秩序は維持できない。その調整部分(つまり一定の集団という括りで調整するしかないでしょ?)を、
社会契約説から見出せるのか?と聞いている。

切り捨てられるという言葉の外延だよ。なぜ彼ら少数派は多数の決定を容認できず、あるいは我慢できないのか
という話。多数派を説得して変える(譲歩を得る・相互の妥協をする)余地がないから、切り捨てられた
とするわけだろ?その余地が有るなら、容認するわけだから、切り捨てられたとならないわけだ。
多数派に譲歩の余地がなく妥協点も見出せず、少数派として、それを容認も出来ない一定人数が存在する
場合に、その少数派が共有する譲れない価値観が、多数派の共有する譲れない価値観との
対立があるから・・・に他ならないだろう。
そのレベルの話をしているのに、その前段の話をしているんだから、イヤになるよな。

で、ホレ、社会契約説の契約主体と媒体は何なの?その契約が遵守される担保はなんなのさ。
回答しようね。w
604リック:2005/11/07(月) 16:22:34 ID:???
>これが事実なら、理論的には最少数である個人の独立を認めざるを得ない。
それは政治思想の範疇から外れる実力的な問題。
>>567で語られている。
反論どころか揚げ足もとれていない。
ただ、レスの文末を取り上げて頓珍漢な事を喚いているだけで馬鹿馬鹿しすぎて、屁も出ないw

>で、ホレ、社会契約説の契約主体と媒体は何なの?その契約が遵守される担保はなんなのさ。
契約主体は>>567で語られている。
媒体は経済。
契約が遵守される担保は通貨。
605れ ◆r0FmiN9ADk :2005/11/07(月) 19:02:53 ID:???
>>604
いつもそうやって質問に回答できないのね。何処に語られているの?引用すれば良いじゃん。
なぜやらないの?引用や説明をするとボロが出るから?チキンだねぇ。

606右や左の名無し様:2005/11/07(月) 19:07:08 ID:???
>>605
れれれのれ

自分のことは

棚に上げ
607れ ◆r0FmiN9ADk :2005/11/07(月) 19:16:02 ID:???
>>606
俺はこのスレでは、建てた責任もあるから、きちんと何度も丁重に引用して説明していますが・・・。

608右や左の名無し様:2005/11/07(月) 19:45:52 ID:l91au/be
<感想>

一般意思の体言者を名乗るジャコバン派によって意図的に誤読された社会契約論を、
金科玉条の如く振りかざしてわめき散らすというのが理解できんな。

社会契約論は人民民主主義という考え方に一役買っているけど、
その後で現在の社会制度に対し急激な変化を加えては行けないという漸進主義的な反省がある訳で、
漸進主義というのは、過去と現在、現在と未来の時間軸が断絶しているのは宜しくないってことよ。
ところが多数決や、括弧付きの「一般意思」は往々にしてそういう過ちを犯すから、
その間違いを是正してくれる切っ掛けを少数者に求めるのが少数者保護で、
これは民主主義は間違う可能性が有るってことを知ってるってことよ。
実際、社会契約論の失敗は歴史への考察が浅いから、今この世に生きる人に利用されたわけで、
その意味で、伝統が尊重されなきゃ民主主義は無軌道に迷走するだろうな。

ところが少数者が切り捨てられると国家が誕生するとか、なんだか頭の中は革命時代なんだな。
ルソーだのロックだのの後の本も読んで、通歴史的に議論を展開しないと、ちょと無理が有るんでないの?
なんか、平面を想像するんだよな、言葉遣いが。



609リック:2005/11/07(月) 21:19:36 ID:???
>>605
悪いけど現在外出中だから携帯で引用なんて高度な事は出来ない。
国家の独立には最低限、莫大な資金、エネルギー、土地が必要。
独立を認めるかどうかという問題は政治思想と言うより
利害の問題なんで政治思想とは関係ない。
同じことを何度も言わせるな。

>>608
希望的観測に支えられているものを金科玉条とは言わない。
多数の意見に少数が虐げられれば明日は我が身で希望的観測は破壊され
社会契約説という状態は弱まったり破壊される。
610右や左の名無し様:2005/11/07(月) 22:08:09 ID:uBGKb5K1
そう、現実を観察するとそうなんだよ。
そこで、伝統を尊重することで、
平面的な全体意思だか、一般意思を補完しましょうってことで、
れとりっくは理解しあえないのか?しないだろうな。
経験論とか、経験主義ったらいいのか?
611右や左の名無し様:2005/11/07(月) 22:12:45 ID:???
社会契約説は国際法でも定義でもない
ただの通説
612右や左の名無し様:2005/11/07(月) 22:20:13 ID:uBGKb5K1
おいらもそう思う。
国際法ってのも、侵略だの、奴隷の虐待だの、
あとなんだっけ?非戦闘員の殺戮を禁じていることになってるだけで、
イラクの侵略準備を証明出来なかったアメリカの行為は、
まさに「侵略」だべ。
グロチウスを引き合いに出すのも禁止。
613亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :2005/11/07(月) 22:20:37 ID:???
だが、極めて支持されてる通説でもある。
614右や左の名無し様:2005/11/07(月) 22:24:23 ID:uBGKb5K1
誰に支持されてるかだよな。
それがロベス・ピエールじゃダメなんじゃないの、
ってことをいってる。
615リック:2005/11/07(月) 23:23:38 ID:???
>>610
論点は民俗ではなく国家の形態なのよ。

社会契約説という状態は支持されていようがいまいが
慣習として存在している。
だから資本主義経済が起動している。
社会契約説という状態が破壊されれば急激にインフレになる。
デフレはどうかな?
616なごみ ◆WkIINgKQD6 :2005/11/07(月) 23:42:04 ID:???
>>594
>はぁ?・・・ですが何か?

 まだ言うかw
 「言語・宗教・文化」及び民族の違いは、他と歴史的に分別されるとい
うことであって、国家の枠組みの主張とは別次元。
 バングラデシュの枠組みを歴史的に振り返ってみ。バングラデシュ→
東パキスタン→東ベンガル。バングラデシュの枠組みが歴史的に主張で
きるのなら東ベンガルの枠組みも歴史的に主張できるよね? どぞどぞ
東ベンガルの枠組みの根拠を存分に主張していただきたい。「知ってい
る」なら簡単だよね。(いい加減答えてほしいものです・・・)

>バングラデッシュという枠組みは、・・・主張されている。

 言語や文化が歴史的なモノだからといっても、それが枠組みになるほ
ど歴史は単純ではない。
 バングラデシュの枠組みは英国の政治的思惑で分離した東ベンガルに
拠る。東ベンガルに住んでいたベンガル人がベンガル語を話しイスラム
教を信じベンガル文化を育み、それが枠組みになったわけではない。全
く逆で、枠組みに拠ってイスラム教を信じる、ベンガル語を話しベンガ
ル文化を持つベンガル人が成立した。
 つまりバングラデシュの枠組みの根拠は歴史に拠るというより、当時
の政治に拠る。それが既得権益化して現在に至る。それを政治的歴史的
経緯というのなら主張の根拠に政治があって然るべきだろうw

>後のことは、・・・政治史思想語る価値がない。

 そうやってまた逃げるw。まぁ、れたんの限界として諦めるか。
 但し、「歴史は価値観である」「琉球・アイヌの独立はそれぞれの歴
史的民族的主張を一切無視、日本人として日本の枠組みの維持の否定に
なるから反対」
 ということを宣言するなら許してあげるw
617なごみ ◆WkIINgKQD6 :2005/11/07(月) 23:43:50 ID:???
あ、>>616はおぢさん宛ね。さんちゃん>>590はしばし待ってね。
618なごみ ◆WkIINgKQD6 :2005/11/08(火) 00:03:13 ID:???
あと、亀ちゃん
 今くらいにしておいたほうがいいよ。おぢさんは自スレで叩かれ過ぎて自説を絶対にまげないよ。深入りは禁物。
619リック:2005/11/08(火) 00:32:49 ID:???
さて、国家の枠組みについて語るに民主主義に重点を置いてきたけど
そろそろ資本主義に重点をうつしましょうかね。
個々の国家の枠組みの差異が大きく現れるのは通貨とその価値だからね。
620LUCA:2005/11/08(火) 01:13:24 ID:???
>>588
>俺は理想の国家像などもたない。
いくらなんでも、それはないでしょ。相当昔の話になるけど、亀タンと自分が持っている理想的な国家像の示しあいをしていたじゃない。
仮にあれは取り下げたのだとしても、自分が現状よりもより良いと考えている、その方向性ぐらいは最低限無かったならば議論なんて起こりようが無いだろう。
621LUCA:2005/11/08(火) 01:47:49 ID:???
>>608
「伝統」ということを「人類普遍的な正義」と言い換えるのならば、概ね同意できるんだがなあ。
「伝統」は、否定され克服されるべき対象と捉えられる場合も少なくないからな。
622リック:2005/11/08(火) 04:03:02 ID:???
伝統とは土着の文化、感受性、民俗なんで否定されるべきものでは無いです。
正義は慣習であり伝統では無いです。
623れ ◆r0FmiN9ADk :2005/11/08(火) 09:41:22 ID:???
>>616
>>532で回答した部分を引用して、何処が歴史的な説明として不足しているかを
>>593-594を参照して>>568の追加説明も加味して、示してくれよ。

わめいているようで、何も伝わらないんだよね。

中段は回廊しているように見える。枠組みとその内部の文化や規範は相互に影響し合う
モノなんだから、意味がないように思うけどねぇ。

まだ云うかといわれても、貴方の云っているそのこだわりに意味が見出さないし、何を興奮して
どういう議論的な意義があって拘泥しているのか、サッパリ解らんのだけど・・・。
私の主張は十分説明したから、全般的に何を言いたいのか表明してくれよ。

>>621
人類普遍の正義から、ある国の枠組みが構築できることをまず説明しよう。
(そういう話をしている。だからりっくタンは資本主義なんて言うお馬鹿な話に移したがるw
誰も乗らないだろうけどね。)
ある国の人々が歴史的に共有している価値観に基づいて「普遍の正義」であると評価した
ところで、それは人類普遍じゃない。
あなたは、イスラム社会における彼らなりの普遍の正義(コーランに従う)を「人類普遍」であると
信じられるのかね。逆にそれは【人類普遍ではない】とイスラム教の信徒を説得できるのかね。
出来なければ、人類普遍の正義や真理などない、あるいは有るかもしれないが解らない・・・と
前提しないと国という枠組みは説明できないでしょうよ。
624れ ◆r0FmiN9ADk :2005/11/08(火) 09:49:47 ID:???
>>609
別に携帯でやれなんてことは言っていない。コピペができる状況になったらやればいいことである。
別に教ただいまの議論を望んでいないことは、ナゴミ氏とのやり取りでわかるだろう。

>>615
君はおそらく社会契約説を理解していない。
理解しているなら、社会契約説における契約の主体と媒体は何か・・・示せるだろ?どうぞ。
それだけかけるのなら、主体と媒体(担保のための)を書くことは可能だろう。
どう考えても3行を要しない。w 
625RICK.DQN ◆6ORDQNVoZw :2005/11/08(火) 09:54:55 ID:???
>>621
>ある国の人々が歴史的に共有している価値観に基づいて「普遍の正義」であると評価した
>ところで、それは人類普遍じゃない。
それはその通り。
で価値観と価値観の違うモノの橋渡しとして貨幣が必要になる。
この貨幣の取り扱いに対する規範に「普遍の正義」が適用される。

>あなたは、イスラム社会における彼らなりの普遍の正義(コーランに従う)を「人類普遍」であると
えーイスラム教では戒律を破っても神に謝れば許されるのでコーランに従う事は普遍の正義ではありません。
イスラムの神は非常に寛容なので宗教的指導者の教えも平気で破ります。(当然神に謝ります)
イスラム教徒に取って一番正しい事は自分の正しいと思った事で二番めがコーランな訳です。
626RICK.DQN ◆6ORDQNVoZw :2005/11/08(火) 10:02:17 ID:???
>>622
>理解しているなら、社会契約説における契約の主体と媒体は何か・・・示せるだろ?どうぞ。
ん?
『社会契約説』は固有名詞であって契約そのものを示す概念では無い。
只単に契約っぽいから『契約説』と呼ばれるだけ。
まあそれでも主体は『社会契約説という状態』を慣習として行っている人が
通貨を媒体としてスパイラル状に起動させている事には変わりない。
627右や左の名無し様:2005/11/08(火) 10:46:25 ID:qEjrfHFa
ロック人間は必様な資源を自分で生産し消費できると言う希望的観測を持てるから
自分の価値観に従い肉体の行使と生産した資源の処分、消費、譲渡の自由が保証されれば
他人の物を奪い争う必要は無いので秩序は維持される『社会契約説という状態』を主張した。
しかし、国外からの略奪や働かない者が他人の生産した物を奪う様な事が起こりうる。
それに対処する為に『社会契約説という状態』によって成り立つ共同体が統治機関を設立して
個人の自由を維持する為にその自由の一部を統治機関に信託して国家を形成し
国民の希望的観測を継続する様に作り治安を維持する必要が生じる。(これが民主主義国家)
つまり国家は『社会契約説という状態』をフォローし「国民の最大多数の最大幸福」の達成を目指すという形で
法による国民の支配を行うという事の正当性が維持される。

資本主義国家の礎には「資金の蓄積」「商業の発達」「技術の進歩」が必要不可欠。
(だから国家が最少数である個人で独立なんてする馬鹿な事は有り得ない)
そして自分の価値観に従い肉体の行使と生産した資源の処分、消費、譲渡の自由が保証という
『社会契約説という状態』が維持されなければ目的に向けて計画を立て希望的観測を維持する事は出来ない。
これによって個人は自分の効用を最大にしようと働き、企業は自分の利潤を最大にしようと運営する
各々が利己主義的に振る舞った結果、市場機構が働いて経済的均衡が実現され社会全体がよくなる
「神の見えざる手」という理論によって秩序は維持される。
つまり民主主義と資本主義は一体となって国家と言う枠組みを形成している。
『社会契約という状態』に対するフォローが不可能になった時や国民の「国民の最大多数の最大幸福」に対する
信用の維持が出来なくなったときに目的に向けて計画を立て希望的観測を維持する事が出来なくなり
個人は自分の効用を最大にしようとしても不可能だと感じてしまえば経済的均衡が崩れ国家は破たんする。
その時、革命や分裂という形で新しい国家が出来ると言う事は仕方の無い事だ。
628れ ◆r0FmiN9ADk :2005/11/08(火) 12:02:55 ID:???
629れ ◆r0FmiN9ADk :2005/11/08(火) 12:07:57 ID:???
>>626
「社会契約説という状態」を説明してくれ。
630右や左の名無し様:2005/11/08(火) 16:47:09 ID:4qABix6K
アフリカでは未だに新生児の女児のクリトリスを切り取るという伝統がありますが
守るべきですか?

国連は非難しているようですが。
631右や左の名無し様:2005/11/08(火) 17:37:53 ID:qEjrfHFa
>>629
>「社会契約説という状態」を説明してくれ。
おいおい>>627の最初三行目に書いてある事をいきなり聞くかよ(w
632れ ◆r0FmiN9ADk :2005/11/08(火) 18:04:38 ID:???
ん?
>ロック人間は必様な資源を自分で生産し消費できると言う希望的観測を持てるから
>自分の価値観に従い肉体の行使と生産した資源の処分、消費、譲渡の自由が保証されれば
>他人の物を奪い争う必要は無いので秩序は維持される『社会契約説という状態』を主張した。
この意味がわかるのかいな。w

「〜〜〜は〜〜〜から、【〜〜〜】されれば、〜〜〜ので、〜〜〜される『社会契約説という状態』を
主張した。」・・・と書かれているわけだが、「【   】されれば」の
「自分の価値観に従い肉体の行使と生産した資源の処分、消費、譲渡の自由が保証された状態」
なのか?すごいね、君、書いた本人でもないのにそう断定できるのかな?
(無論、書いた本人なら、

ふつう、「○○という状態」を説明しようとすれば「これこれこういう状態」と表現するだろうし、そう書けば
良いことで、わざわざ謎掛みたいなことはしないだろうしねぇ。
633RICK.DQN ◆6ORDQNVoZw :2005/11/08(火) 18:22:44 ID:???
>>632
日本語が読めない様で(w
二行目までしか読めませんでしたか(w
ただ、レスの一部を取り上げて頓珍漢な事を喚いているだけで馬鹿馬鹿しすぎて、屁も出ないw
634れ ◆r0FmiN9ADk :2005/11/08(火) 18:48:26 ID:???
>>633
君が出した言葉について、議論のために質問しているのである。
きちんと答えるのが筋ではないのか?「社会契約説という状態とは○○という状態である」
と一度回答すれば済むことで、何度もレスを重ねる意味がない。
635右や左の名無し様:2005/11/08(火) 19:39:25 ID:kNP3idr6
>>1
なんだか非常に難しい議論をされているようですが、
『伝統を尊重しなければならない理由』を、箇条書きにしてくださいませんでしょうか?

自分はいつの間にか “伝統は大切にしなければいけなくて、
                      それは伝承していかなければならない”
という意識は 唯唯漠然と持っておりましたが、
よく考えると根拠がよく分かりません。
636れ ◆r0FmiN9ADk :2005/11/08(火) 20:51:12 ID:???
>>635
箇条書きですか?了解いたしました。

1、合理・論理的帰結に対しての懐疑=過去から継続し現実で研鑚されて残ったものへの信頼。
  (合理や論理的帰結を完全に信用できないというだけのことで、否定しているわけでは有りま
   せんし、過去から継続したものがどんなものでも。残すべき価値があるというわけでも有り
   ません。)

2、上に関連しますが、私たちと未来の国民の価値観に一定の同一性があると確信しないと
  何かを譲り渡す行為に価値があるとはいえません。そしてそれは、私たちと先人の同一性の
  確認によって、確信されます。となれば、同一性のある先人が残したものには、我々にとって
  も価値があるであろうと考えるしか有りません。
  先人との同一性は、先人が譲り渡したものを検証する所から始まり、無条件に検証に値する
  という意味で、尊重すべき価値はあるでしょう。

3、この世界は、複雑です。様々な要素は複雑に絡み合って動いています。そしてそれは
  論理ではけして解明できません。したがって、残っているものには、確実に、様々な影響力が
  この社会にあると考えざるを得ません。そして相互に影響し合って動いているのですから
  現状は、それ有りて安定していると考えられます。安定に寄与しているであろう期待があるなら
  特段の不都合がない限り、残してよいと考えるべきです。(それも尊重という言葉に含まれ
  るでしょう)

4、社会を考える上で重要なことは総合的な視野とバランスです。総合的な視野やバランスとは
  私たちの感覚であり、その感覚は「譲り渡され育成された常識や文化や、そして伝統の把握」
  などによって作り上げられます。一方に偏らず、かつ急進的でもなく、熱狂に身を任せない判断は
  そのような、過去から継承した事象の把握によって、養われるものだと思います。

5、単純にいえば、新たに作ったものより、過去から機能していたものに信頼があり、より良くして
  引き渡すことは、我々にとっても、未来の子孫に対しても価値があることだから・・・です。

要領を得ないかもしれませんが、すんません。
637リック:2005/11/08(火) 21:11:29 ID:???
>>636には同意なんだよね(w
だからこそ古い慣習から離脱して近代国家を形成し
信頼出来る伝統的インフラを維持しなければならない訳で
国家が伝統的でならないという訳では無いです。。
638右や左の名無し様:2005/11/08(火) 21:20:15 ID:jCxh9p7a
すごいじゃん、りっくディアス、成長したじゃん。
古い慣習って、悪習、因習ってことでいいと思うんだけど、
それと伝統との線引きってどうすんの?
これだけだよ、あと議論すんのは。
639れ ◆r0FmiN9ADk :2005/11/08(火) 21:22:53 ID:???
ついでに・・・。

今話していることは、そんなに小難しい話ではありません。
単純です。国というものは、私たちにとって否が応でも過去から譲り渡されたものです。

他国と違う、一定の価値観の同一性が有る人々が存在するから、他国と違う社会を作る
必要があるわけです。(同じなら、一つの国になればいいわけですから当然です)

現在同一であるとしても、将来同一であることが、ある程度の信頼性を持って確信できるから
様々な普遍的なことを、現在の我々が決めたり、また現在の我々が譲り渡された普遍的なそれを
未来に引き継げるわけです。(憲法改正を見ると解りますよね。)

つまり国というものは、毎日譲り渡され、譲り渡すものであり、そこには「価値観の同一性」という
正当性が必要でしょうという話をしています。

国民が、一定の同一性を持っていないなら、国という存在は、継続的であろうとすべきではないでしょうし、
一定の同一性の主張は過去と現在の比較でしか主張できないわけです。
(人類共通の価値観からは、そのことは導き出せませんよ、別の国である必要性はみいだせないでしょう?
と、私は述べています。)
640れ ◆r0FmiN9ADk
>>638
用は、共有できる価値の同一性が「国」という範囲に限定されるのか、されないのかの見解だと
思います。

というか、国という枠組みの存在も国際的伝統であるとするなら、当然に尊重されますから
国という枠組みが因習悪習であるとの証明がない限りは、維持されるべきですけどね。