1 :
右や左の名無しさん :
偉大な神道思想家葦津珍彦について語りましょう。
日本の国体を忘れた現代の左翼右翼保守はいったいどうしてしまったのか。
葦津珍彦氏の文章を読んでみてください。
安っぽい詭弁とは無縁の論理が味わえます。
本はどこに売ってんの?
葦津は「思想の科学」なんかにも寄稿していたクソサヨ。
>>3 「思想の科学」に寄稿したのは事実だが
クソサヨという結論はどうやって導かれたの?
私、「国家神道とは何だったのか」読みました。
蒙を啓かれる思いがしました。
どこに売ってんの?
読む価値あんの?
7 :
3:05/01/14 00:24:20 ID:???
>>4 まともな神道思想家が、あんな極左売国雑誌に寄稿したりしないだろ。
鶴見俊輔なんかと同類と見られてもしかたがない。
あんな雑誌に書いた時点でクソサヨ確定。
>>7 内容については批評せんのか?
肯定的な天皇論は葦津一人だけだった。
批判派にちゃんと答えようとしている葦津は立派。
反共一辺倒のさなか、日本の属国化を憂い、葦津は日米安保に反対していた。勇気があるし立派だ。
10 :
右や左の名無し様:05/01/15 20:36:37 ID:WrM7niFb
>>9 「国家神道とは何だったのか」は名著だよね。
戦前実在していたと自明のことのように考えていた国家神道の実態が、
神道から信仰の要素を抜いた官僚の神道政策の総体に過ぎなかったってことだよね。
では、なぜそんなものに過ぎなかった国家神道が力を持ったのか、ということに
次は興味がそそられる。
あの時期に「思想の科学」に天皇論を書く必要性が、葦津にはあったんだよ。
皇室制度を社会科学的な理論で擁護する必要が、あの時代にはあった。
ただ、あの天皇論は当時の必要性に応じて書かれたもので、
葦津の天皇論のすべてを書いたものでは全くない。
むしろ葦津の天皇論の本領は、野村秋介に対し、
「天皇はデカタンスもアナーキズムも包括する」と語ったような、
三島由紀夫と似たような美学的な部分にあるはずだ。
ところが、そういう天皇論を葦津は書き残していないようなんですよ。
あったらぜひ読みたいので、どなたかご存知の方は情報ギボンヌ
>>10 >神道から信仰の要素を抜いた官僚の神道政策の総体に過ぎなかった
自分の言葉で述べておられます。
ただ者じゃありませんね。
葦津の本では国家神道が力を持っていたとまでは書いていません。
そこらへんの事情についても知りたいところです。
国が神社は宗教にあらずとの判断を示すことにより
神社勢力の行き過ぎ(明治維新の行き過ぎ)を牽制していた。
同時に、天皇の祭祀する神道を、国民がいかなる宗教を信仰していようとも、
国民すべてが崇敬せざるべからざる存在として位置づけることが出来た。
我が国では戦前においても国教主義は採っていなかった。
ところが現在の多くの人は神道が国教だったんでしょと思っている。
それが間違いであることを実証的に我々に教えてくれたのが
葦津珍彦の「国家神道とは何だったのか」。
14 :
10:05/01/17 03:18:50 ID:CEnQ5uHL
>>11 >ただ者じゃありませんね。
ただ者です。
>葦津の本では国家神道が力を持っていたとまでは書いていません。
おっしゃる通り。私の書き方が悪かったです。
信仰の要素を抜いた国家神道、すなわち官僚による神道政策が、
神社や神道団体との対立にもかかわらず、なぜずっと続いてきたのか、
というのがひとつ謎だということです。
あと、葦津が野村秋介に語った言葉というのは、
「天皇は、デカダンスからニヒリズムさえも包摂する」でした。
アナーキズムは、三島由紀夫でしたね。
いずれにせよ、葦津珍彦は、今日こそ読まれるべき人だと思うのですが、
私には、どこか謎の人物という印象がものすごく強いんですよ。
著作を読んだだけでは、この人の思想を全部掴むことはできないだろう、
みたいな感じがどうしてもする。
葦津珍彦論を誰かが書いていれば、ぜひ読みたいんですが、
知ってる人いませんか。
平泉澄なども合わせて読まれるといいかも
天皇家の祭祀する神道は宗教じゃない。
この見解でいいじゃない。
在野神道は宗教かもしれないけれど。
こうしておけば靖国神社も宗教じゃないということになる。
首相参拝も問題じゃない。
さまざまな宗教を信じる日本国民はおおぴらに靖国神社を崇敬出来るというものだ。
葦津珍彦は最新トレンド。
なかなか本質的な議論をしているな
この政治思想版には おおよそ政治思想とは言い難い
現実逃避ブサヨと 煽りだけが目的のクソウヨが大半だったが。
右左はともかく まともな議論は久々に見た。
>>10 「神道」
と
「国家神道」
って
名前が似てるだけで全く違うものなんですね。
21 :
右や左の名無し様:05/01/18 02:39:15 ID:94xwtUe7
>>17 確かにそうすれば上がりはうまくいくけれども、
国民の間に合意が得られるか疑問ですね。
中曽根首相の公式参拝騒動以降、「靖国=神道=宗教」が、
内外に定着してしまったから。
今さら「宗教じゃない」とはいえない政治状況が出来てしまった。
皇室の祭祀については、仮に宗教だとしても、
憲法20条の政教分離は適用されない、という憲法解釈は、可能なはず。
これについては、国民の同意も出来ると思う。
葦津もそういう見解を書いていたような気がする。(忘れたけど)
>>21 >中曽根首相の公式参拝騒動以降、「靖国=神道=宗教」が、
>内外に定着してしまったから。
>今さら「宗教じゃない」とはいえない政治状況が出来てしまった。
それが事実なら中曽根は本当に旧内務省出身なんでしょうか、嘆かわしい。
「宗教」という単語はヨーロッパの世界で出てきた言葉
非ヨーロッパで「宗教」という考え方で何でも考えられる物でもない
24 :
右や左の名無し様:05/01/18 22:14:06 ID:vk2WEM/3
>>23 もちろんそうなんだけど。
確かに、神道を「宗教」ととらえようが「非宗教」ととらえようが、
神道の本質にとってはどうでもいいこと。
問題は、法律的に「宗教」ととらえられるか否かということ。
この時は、「宗教とは何か」という本質論だけでなく、
その時その時の政治状況によって大きく左右される。
とりあえず、デンパな憲法解釈が力を失ってきているだけでも
まあいいか、とは思うけど。
維新政党新風以外の政党に投票した人間はは誠実な素晴らしい国民のための政治を心の底から憎んでいるとしか思えない
維新政党新風以外の政党に投票した人間はは誠実な素晴らしい国民のための政治を心の底から憎んでいるとしか思えない
維新政党新風以外の政党に投票した人間はは誠実な素晴らしい国民のための政治を心の底から憎んでいるとしか思えない
維新政党新風以外の政党に投票した人間はは誠実な素晴らしい国民のための政治を心の底から憎んでいるとしか思えない
維新政党新風以外の政党に投票した人間はは誠実な素晴らしい国民のための政治を心の底から憎んでいるとしか思えない
維新政党新風以外の政党に投票した人間はは誠実な素晴らしい国民のための政治を心の底から憎んでいるとしか思えない
維新政党新風以外の政党に投票した人間はは誠実な素晴らしい国民のための政治を心の底から憎んでいるとしか思えない
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維新政党新風以外の政党に投票した人間はは誠実な素晴らしい国民のための政治を心の底から憎んでいるとしか思えない
維新政党新風以外の政党に投票した人間はは誠実な素晴らしい国民のための政治を心の底から憎んでいるとしか思えない
維新政党新風以外の政党に投票した人間はは誠実な素晴らしい国民のための政治を心の底から憎んでいるとしか思えない
維新政党新風以外の政党に投票した人間はは誠実な素晴らしい国民のための政治を心の底から憎んでいるとしか思えない
維新政党新風以外の政党に投票した人間はは誠実な素晴らしい国民のための政治を心の底から憎んでいるとしか思えない
維新政党新風以外の政党に投票した人間はは誠実な素晴らしい国民のための政治を心の底から憎んでいるとしか思えない
若者の保守化が懸念される昨今だが、これまで公安警察がお客さんとしてきた左翼が最近では衰退もいちじるしいので、新しい顧客開拓として「潜在右翼」という概念を導入して、せっせと顧客名簿を整備しているらしい。
某巨大掲示板に出入りしているネットウヨクの人たちなどはすでに登録済みだろう。公安警察のリストに一度でも名前が載ってしまえば、ほぼ一生監視されることになるらしいので気をつけたほうがよい。
保守化を懸念なんか誰がしてるのやら
政治に無関心で保守だ革新だと騒がなくなっているなら分かるがな
というより保守とか革新とかの区別などいまどきあるの?
マルクス主義なら「革新」か?
まさかだろ?
神道勢力が頑張ったからこそ明治維新も成就出来た。
ところが彼らは基本的に攘夷派だから過剰な勢力伸長は
日本の近代化を妨げる。
そこで巧妙に彼らの勢力を抑えなくてはいけなかった。
神社は宗教にあらずというのがそれ。
天皇は国民統合の象徴。
若者から老人に至るありとあらゆる層の日本人が天皇意識に於いて一点に集中する。
これが日本の国体意識。
共和制を妄想する奴は一度でも考えてみたことがあるか。
宮本顕治が国民の大多数から崇敬されうるかどうか。
池田大作も然り。
これだけで日本に共和制はなじまないことが分かる。
イラクの攘夷運動もイラクの近代化を遅らせるでしょう。
しかしイラクには日本の天皇陛下に当たるひとがいない。
32 :
右や左の名無し様:05/01/22 00:43:46 ID:lWGQDIBv
葦津の業績はいろいろあるけれど、
近年、アジアの連帯みたいなことを言う人が増えているよね。
あれ、葦津の影響は間接的かもしれないけどあるんじゃないかな。
例えば、竹内好の「日本のアジア主義」の中で、葦津珍彦の
「明治思想史における右翼と左翼の源流」が紹介されているけど、
実際、竹内はアジア主義の思想史的位置付けについては
葦津説をほぼ踏襲している。
葦津は、当時の単線的な「戦後民主主義史観」に対して、
民権運動家の天皇観や、アジア主義者の出自(民権運動家だった)などを指摘して、
単線的な歴史観をぶっ壊す、という戦略をとった。
だから、今日のように単線的な歴史観がぶっ壊れてしまった時は、
そんなこと当たり前だよ、って感じで、
逆に忘れられてしまう、ってのがあるような気がする。
でも、今日アジアの連帯を言う人は、竹内好に言及することが多いから、
その意味では、葦津の戦略は、実を結んだんじゃないかな、と思いますが、
どうでしょう。
三島由紀夫は天皇陛下のことを無謬の神格化をしていると聞きました。
34 :
右や左の名無し様:05/01/23 21:33:33 ID:T1agKqzv
葦津の本は容易に入手しにくいので読んだことがないが
竹内好に近いの?
じゃあ、橋川文三とか松本健一ライン上の人かな。
菅孝行も葦津をけっこう評価していた記憶アリ。
36 :
右や左の名無し様:05/01/24 00:20:29 ID:vOOEp7ck
>>34 橋川文三もマツケンサンバもカンタカも葦津を評価していたことは間違いないが、
あんまりライン上の人とはいえないかも。
葦津は、自らを「皇室・神道の弁護人」と規定していたから、
著作にも余計なことは書かない。そのかわり戦後民主主義史観が見落として
いることについては断定的に、強く書く。
憲法や皇室法の解釈にこだわったのもそのため。
葦津が天皇論について、三島の「文化防衛論」のような著作を残さなかったのも、
この自己規定があったからだと思う。
俺はこの葦津の自己規定を、「言論による戦闘者」としては大変に尊敬するが、
だから今忘れられた思想家になったとも言えると思う。
もっとも葦津は、それでこそ本望とあの世で思っているだろうが。
最近の小林よしのりは底流に葦津珍彦を意識した言論になってきています。
いずれはネタばらしをするんじゃないでしょうか。
そのときコヴァたちが葦津に注目するような気がします。
葦津の主張は葦津の独創的なものはほとんどなく
日本の歴史的なあり方についての保守的な考え方の祖述であって
小林よしのりのような立場にある人には
一致した考えが現れてくるのも自然の道理のように思われる
40 :
ところで、:05/01/27 01:11:49 ID:Ulr/KCHm
「国家神道とは・・・」が神保町のグランデ4階宗教書コーナーにあったけど
その下に御子息の書かれた新刊が平積みで置いてあった。タイトルは思い出せないが神道の入門書で、面白そうな構成だった。
今度買ってみようと思う。
書泉グランデで思い出した
三浦一郎の「九鬼文書の研究」を見つけたことがあった
そのときは買わなかったがまだあるだろうか・・・
書泉グランデに出かけるときは
裏にある喫茶グランデでコーヒーを飲んだりする
出口の見えない不況の日本あわただしい東京で
神田の書店街は安心できるスポットのひとつだ
葦津珍彦の著書は新刊で入手出来ないものが多いですね。
アマゾンや、セブン&ワイ、Bk-1をチェックしています。
選集も持っていますが気楽に読めるのは単行本のほうです。
東京近郊にお住まいの皆さん方は神田の書店街に探しにいけるのでうらやましいですね。
葦津珍彦って誰?
日本教文社などから本を出したりしていますね
日本教文社は生長の家の出版社ですな
じゃあ神社新報から出してるのはどういうこと?
矛盾はないのでは?
神社にとって生長の家は頼もしい外護者だし
「国家神道とは何だったのか」は現在アマゾンでは入手出来ないようです。
生長の家は万教帰一の教義を持つ「大本」の伝統を継承している
大本葉戦前に大弾圧を蒙ったが
その分派である生長の家は古事記を最高の経典と位置づけて
古来よりの神社への崇敬を奨励している
神社神道は本音としては「宗教」の一種と見られることを拒否しているが
生長の家は神社神道と一番中の良い宗教団体といっていいと思う
大本は戦前に大弾圧をうけはしたが
昭和神聖会という団体では(大本の教主の)出口王仁三郎が統監で
副統監があの内田良平だった
大本は今では教派神道連合会に加入しており
伝統的な神道を伝える教団のひとつとして認知されている
大本の節分大祭について
節分大祭は、毎年二月・節分の夜に、梅松苑・長生殿で執行される祭典で、
明治二十五年の節分の日に、国祖・国常立尊が再び出現した吉日を祝う、
大本で一番大きな祭典です。
また、この節分大祭にあわせて、
明治十六年の節分の日に生まれた出口すみこ二代教主、
昭和十年二月十九日に生まれた出口聖子四代教主の聖苦と遺徳をしのぶ「 聖誕祭」と、
向こう一年間の五穀・作物の豊穣を祈念する「豊年祈願祭」が行われます。
54 :
右や左の名無し様:05/02/09 19:33:55 ID:uT4yKRZR
1<なんどすか?神道がいだいやて!??????????
どなたが、そんな事決めはったんどすか?
そりゃもう、戦前はおっしゃられる通りですわ
せやかて、いまはちがいまっしゃろ!
わて、はじめてや〜もう、そんなこと!!
ほんま、いけずどすな〜
国祖の再現を寿ぐ
この世の祖神であり、地上神界の主宰神である国祖の大神・国常立尊は、
善一筋の、あまりにも厳しい神であったために、八百万の神々から排斥され、太古の節分の夜に退隠。
そして光を隠して隠忍され、時節の到来を待っておられたのです。
ところが、国祖の大神が退隠されたあとの世界は、
怖いものなしで、“われよし、強いもの勝ち”の“けものの世”となってしまい、
あまりにも乱れきって、再び元の泥海になるより仕方のない、世の終末を思わせる状態になったのです。
そこで、これまで陰から守護していた国祖の大神が、天運循環して時節が到来し、開祖に帰神し、
退隠と同じ節分の日に、再びこの世に出現しました。
そして、乱れきったこの世を根本から立替え立直して、もとの神代にもどし、みろくの世を建設するために、
地上神界の主宰神として復権されたのです。この記念すべき日に、節分大祭が行われます。
人型大祓行事
あわせて、国祖の大神のご神意に基づいて、天地をはじめ世界の罪けがれ・邪気を祓い清め、
宇宙・国土・人群万類の平安と幸福を祈る大祓の神事が、厳かに夜を徹して行われます。
この神事は、明治四十三年の節分から行われています。
国内をはじめ世界各国からよせられた数百万体の「人型」を神前に供え、
祭員らの手で人型に祈りを込めて壺におさめ、
「瀬織津姫」として奉仕する女性によって和知川へと運ばれて清流に流され、
一切の罪やけがれを祓い浄めます。
「鬼は内、福は内」
祭典後には豆まきを行いますが、
その発声は一般とは異なり、
「鬼は内、福は内」と唱えます。
大本で言う「鬼」とは、
国常立尊のこと。
太古、国常立尊を退隠に追 い込んだ悪神 は、
「煎り豆に花が咲くまで再現を許さない」(“二度と出てくるな”の意)と煎り豆をまきました。
しかし天運循環し、
国常立尊は悪神の「われよし」「強いもの勝ち」を戒め、
「みろくの世」「立替え立直し」を宣言。
大本は開教したのです。
堀江貴文は出口王仁三郎に似てるような気がした
人相も行動も何か似ているものを感じる
堀江は王仁三郎型の人間だと思う
水木しげるの描いた出口王仁三郎の伝記漫画は面白かった
ちょうど文庫版の「神秘家列伝 其ノ参」が新刊の積んでる辺りで立ち読みできそうだ
この本の一番初めに収録されているのが王仁三郎伝だった
堀江のロンゲだったころの写真で
武田鉄矢の一番初めの金八先生みたいなのがあったが
水木しげるが描く王仁三郎のロンゲ姿を見ると
ちょっと重なる
筥崎宮の門は神社の門では一番美しい
筥崎宮にある「湧出石」は
ほとんど地中に埋もれていて僅かに頭が出ているだけだが
国家に一大事が起こると姿を地上にあらわす
65 :
右や左の名無し様:05/03/05 21:57:48 ID:+Fmpcv7+
葦津珍彦の文の特徴
「・・・が分からなければ、〜は理解できない」
物事を確実に理解していくには理解の順番というのはあるでしょうな
葦津珍彦について初めて知ったのは、
評論家の呉智英が読書家の新技術で紹介していたのを読んで。
永遠の維新者はさっそく取り寄せて読了しました。
その後しばらくは読む気がおきなかったが、
あるとき選集が発売されていることを知り、
注文しました。
それから? ワクワク
69 :
右や左の名無し様:05/03/20 00:09:55 ID:9OGGcp0M
「永遠の維新者」を読んで今でも印象に残っているのは、
明治十年戦争(西南戦争)で戦死した西郷隆盛の最後の描写です。
「未だし」と。
読むたびに深い感動を覚えます。
残念ながら現在「永遠の維新者」は単行本が品切れです。
でも大丈夫です。
葦津珍彦選集第二巻の第三部戦闘者の精神の解説に西郷隆盛の最後は引用されています。
「永遠の維新者」に興味のある読者は選集を買うべきです。
独り言みたいだな。
他に言うことないの?
71 :
右や左の名無し様:2005/03/22(火) 22:28:12 ID:0QrxAYVX
葦津珍彦は『永遠の維新者』の中で、19世紀半ばにインドがイギリスの植民地となるのは当然であり、
むしろ資本主義の発達したイギリスの植民地になるのは、他の国に征服されるよりもましだとするマルクスの見解を紹介している。
「イギリスは、インドで二重の使命を果たさねばならない。
一つは破壊の使命であり、一つは再生の使命である。
――古いアジア社会を滅ぼすこと、西欧的社会の物質的基礎をアジアにすえることである。」
葦津は、戦後を代表する右翼思想家のひとりとして今日では知られているが、
大東亜戦争中、朝鮮独立運動家であり、終戦後「朝鮮人民共和国」の副主席となった呂運亨の支援も行なっている。
なによりも葦津自身が、「東洋の解放」という観点からの朝鮮独立論者だった。
その葦津がこのマルクスの言葉を引用している時、
日本と韓国の関係をイギリスとインドの関係に重ね合わせ、いろいろな思いが交錯していたであろうことは、想像するに難くない。
72 :
右や左の名無し様:2005/03/25(金) 00:14:54 ID:Ag1NrrZA
>>71 へぇ
葦津は戦前朝鮮独立論者だったんだー
でも、どんな理屈で?
73 :
右や左の名無し様:2005/03/26(土) 00:52:12 ID:YwD6K9IR
その葦津が、もし今存命していて、1963年生まれの韓国人による、「(終戦後)より賢明な選択は、
私たち自身が日本の一部だと主張して独立を拒否することだった。」という言葉を聞いたならば、
はたしてどのような感想を持つのだろうか。
74 :
右や左の名無し様:2005/03/26(土) 02:41:43 ID:lJi2ZIFC
日本だってなまじ独立国としてアメリカに従属するよりかはアメリカの1州であった方が
まだ基地問題や、米兵犯罪問題で対処が出来たろうよ。
その代わり、ヴァカじゃなけりゃやってられないだろうがな。
75 :
ポサダス ◆LnBDZOzVXc :2005/03/26(土) 16:04:17 ID:lJi2ZIFC
あしづ うずひこ
あしづ うづひこ
うづうづ
「武士道ー戦闘者の精神」には、
戦国、幕末維新期から明治、大正、昭和にかけての日本の戦闘者が何をどう考え生きてきたのかが書かれています。
日本人はもともと戦闘民族だと言われていますが、
今ではその精神は忘れ去られ、その面影は消え失せてしまっています。
世界情勢が不安定で、国内でも治安の悪化等が問題にされている今、
本来日本人にあったはずの武士道精神を思い出させようとする一冊です。
初版が書かれたのがかなり昔という事もあって内容は結構難しいんですが、興味深い一冊ですよ。
79 :
【祝】産経バイバイ【寿】:2005/04/14(木) 23:08:33 ID:nbSb+7PD
武士道ねえ。ところで
新渡戸稲造の武士道とやらは、新渡戸の創作が大部分であり
実は、実際の武士階級がそうであったわけではないそうだよ。
いわゆる「右翼」と一言で片付けられがちな同氏ですが、
(私も「武士道―戦闘者の精神」を読むまでそうでした)
「武士道―戦闘者の精神」を読んで、
「右翼」をはじめとするレッテルというものは本当に勝手なものであると同時に、
おそろしいなあと痛感しました。
機会がなかったら、こんな素晴らしい作品を、
レッテルのせいで読むこともなく終わっていたかと思うとぞっとする次第です。
葦津氏の言葉には、論理もありますし、情緒もあります。
巷で出回っている「思想書」と呼ばれる本が束になってもかなわない深さがあります。
・・・・・・日本民族とは何なのか?
・・・・・・戦後日本のどこがおかしいのか?
葦津氏の著作には、実践者としての経験から得たエキスがたっぷり詰まっています。
読んで爽快な気分になる著書というのは思想書ではほとんどありませんが、
葦津氏の著作は稀な例外です。
葦津氏の著作には「言葉をとても大切に扱っている」姿勢を感じます。
これはすなわち、読者に対する誠実な姿勢の現れでしょう。
私は敗戦直後の神社界に、
柳田国男や折口信夫らの宗教学・民俗学の影響が及ぶのを、
極力排除しようとした一人の神道人、葦津珍彦氏の言葉を紹介してみたい。
葦津氏は自らの行動の理由を次のように説明している(『神国の民の心』島津書房)。
「日本を占領制圧した敵軍権力は、日本の国民意識の根底にある皇室神道を抑圧して、
国民の精神的統合を抹殺しようとした。
その目的を達するためには、
かれら[柳田・折口]の民俗学的な地方分散的な古神道知識を利用し、
日本人の皇室神道による国民意識を解体することをもっとも有利とした。
しかもここに詳説はしないが、これらの民俗学的神道研究者は、
明らかに『その政策への協力を辞さぬ』との態度を表明した。
私は、かれらの主張は『日本国民感情に反する』として、その思想影響を妨げるにつとめた。
それは、『古神道の真相は、いかなるものであったか』との客観的な学問知識の対決なのではなくして、
現代日本人としての社会思想的政治的対決を本質とする」
占領軍は天皇を中心とする日本人の精神的統合を弱体化させるために、
神道の多神教的な側面を強調する民俗学を利用しようとし、
民俗学者の中にはそれを承知で占領軍の企てに協力しようとする者がいたというのである。
だから、占領当時における神社界への民俗学の影響の是非の問題は、学問上の問題ではなく、
国民の精神的な統合に関する政治問題であったというのだ。
83 :
右や左の名無し様:2005/05/03(火) 01:51:15 ID:itDYblmN
『国家神道とはなんだったのか』の坂本是丸先生(国学院)の脚注が秀逸。
戦後の神道思想と神道史の成果が一つになった傑作。新田均『国家神道と言う幻想』PHPもお勧め
小熊と上野と鶴見の対談で鶴見が葦津さんについて語ってる時のお二人の興味のなさにはびっくり。
84 :
右や左の名無し様:2005/05/08(日) 00:40:44 ID:pWlfe76t
理論のないバカな右翼どもは葦津の名前を出すことによって自己満足してる。
それって北一輝の本も読んだことないくせに、北先生がどうの、と語る低脳右翼と同じ。
だいたい葦津の理論なんて理解できるのか?
むしろサヨの連中のほうが理解してるんじゃないのか。
ここに書き込んで葦津の賛美してる奴らは右翼になりたくてもなれない低偏差値の國學院の神道関係の連中とみた。
あいつら神社の家庭のやつはともかく、それ以外の奴らは右翼にあこがれてる、しかし何もできない臆病クズが多いようだね。
そんなに右翼になりたきゃ国士舘へ行け!!
85 :
右や左の名無し様:2005/05/08(日) 00:42:14 ID:pWlfe76t
追伸
そういうバカは葦津の本と影山正治の本も併読しています。
86 :
右や左の名無し様:2005/05/08(日) 01:03:57 ID:L7ycMLoL
,-、 ,.-、
./:::::\ /::::::ヽ
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` 、 (__人__丿 、、、 /
`ー 、__ / 第15話にゃお
/`'''ー‐‐──‐‐‐┬'''""´
http://www.freepe.com/ii.cgi?kitanocunika
昭和の右翼の理論家には日蓮主義者が多いと思われる
純粋な神道側からの右翼理論家というと限られてくる
神社神道側であれば葦津珍彦の名前があげられるかな
影山正治は教派神道の神習教から離脱した人だった罠
88 :
右や左の名無し様:2005/05/15(日) 17:22:42 ID:fMAkNiVW
影山さんは神道修正派から分かれた教団ではないの?
89 :
右や左の名無し様:2005/05/15(日) 18:23:06 ID:TdVhsmE+
影山みたいに街頭運動やらずに腹切ってくれる右翼ばかりだとありがたいんだが。
90 :
右や左の名無し様:2005/05/15(日) 18:37:43 ID:fMAkNiVW
「国家神道とは何だったのか」を入手したければ國學院大學の生協にいけば入るかも。
大原さん学生の時に世話になったな。
いい人だよ。
amazonでは入手出来なくなっている。ブックオフはどうかな。
>国家神道とは何だったのか
国学院では教育勅語教えているのですか?
93 :
右や左の名無し様:2005/05/15(日) 22:41:22 ID:UQJFsZCH
94 :
右や左の名無し様:2005/05/15(日) 22:46:43 ID:rJ8Vlwki
朝日こそが唯一の平和新聞であるし、政府に変わって日本国民の
平和教育が出来るのも朝日だけであろう。
朝日は売国だとか極左だとか誹謗される事もあるだろうが、
良く考えてもらえば分かると思うが、左翼こそが平和主義者なのだ。
左翼が平和を愛していると言う事を忘れてしまった日本人は不幸であるし
過去の過ちを繰り返しかねない
95 :
右や左の名無し様:2005/05/18(水) 16:03:20 ID:qRHM7iH8
「シンポジウム 国家神道とはなにか 」『正論』(通号 307)
は国家神道に興味のある人は必読。手堅い学者である坂本先生や左翼の研究者で第一人者の中島三千男先生まで
参加されてる豪華版。中島先生は左翼だけどすごく頭のいい人。みんなで国家神道の認識には一致し、現状では正反対という面白い状況になった。
昔朝生でカンサンジュンが大原先生に蹴散らされてたけど、こういうう人を呼べばまだ話になるのに。公演を聴いたが良い人
高森さんは頭のいい人だったな。コバと付き合いはじめてどうなったかはわからないけど。
学生の頃から、サヨに狙われてたんで護衛されてたらしい。
留年ばっかりしてて八年間学生だったとか。
阪本も普段は怖そうだけど面倒見のいい人だったよ。
一水会のバカどもが入学式にきて核マルに止められた、とかほざいてたことがあったけど、あれは本当は阪本先生に追い返されてたのね。
97 :
右や左の名無し様:2005/05/19(木) 12:42:20 ID:X+dmh6RY
>>96 その話は意外だな。阪本はむしろ一水会を歓迎するかと思っていた。
確か13年前に彼らが入学式に来た時は核マルと乱闘したのは事実。
その話はむしろ最近なのでしょうか。
それから大原さんは70年代当時、ひもろぎ会に属し校長室に立てこもったことを今でも自慢するが
あの人は乱闘なんて出来たのでしょうか?
98 :
右や左の名無し様:2005/05/27(金) 23:35:11 ID:p8GahZRK
芸術の「一水会」は政治結社の「一水会」をどう思っているのかな
新右翼のほうの「一水会」は
会名を旧字体にして「壹水會」にするとか
逆に芸術の「一水会」のほうが古いということで「壹水會」にするとか
区別できるようにしてはどうだろうかね
100 :
右や左の名無し様:2005/05/31(火) 23:13:09 ID:ofNfvivW
葦津の息子の評判があまりよくないな。
確か西東京市に葦津の甥が宮司をやってる神社があるが
こちらも評判悪い。
葦津珍彦にあこがれ、身内の神社だからというだけで変な幻想を抱いた
神主たちが失望すような内部事情らしい。
101 :
右や左の名無し様:2005/06/13(月) 21:28:57 ID:Rhsf0qKz
そういえば、最近葦津珍彦の本復刊したな。