自民党が憲法改正草案の素案発表

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せっかくなので、賢愚併せ持つ と 神道 との係わり合いについて記述しておこう。
それは結局のところ、我が国が「歴史・伝統・慣習」から来る天皇を元首的地位として
憲法に明示する理由とも関わるから、すれ違いとはならないだろう。

我が国が我が国として独立し其れを維持していく必要性は、日本人として構築された
価値観にそった社会秩序の中で、其れを継承し、より良くして後世に譲り渡すことが
我が国の国民(其れは子孫をも含む)の幸福に寄与するであろう期待に基づく。

我が国の価値観は、その基本に「人皆賢愚併せ持つ」という17条憲法の10条に記述さ
れた人間観がある。であるがゆえに「絶対性を有する存在」を否定する。
現実社会においては、「言うことを成す(誠)ことが出来た人間」が発生する。彼は
「賢であり聖」と評価される。衆議における主導権を握り、人を従わせることが可能
になる。そしてその権威は世襲される。それでは「全員一致を目指した衆議による決
定」は従わせる根拠を失う。そこで彼を「ヒト以外の存在」として一定範囲における
権威としての神」とし、その貢献に敬意を表し、その功績の範囲で権威としながらも
其れよりも「全員一致を目指した衆議による決定」を上位価値とする形態が発生した。
つまり、「絶対的権威者・カリスマ」の否定をするために、彼らを神とする必要があ
り、彼らを神とすることもまた、天皇の権威によることで、天皇自身も絶対者になり
えず(特定範囲において神が上位、其れが多数存在する)、他者も絶対性を、彼の親
族や彼の所属する地域・彼の社会(武家など)において発揮できるも、日本社会全体
には及ばないと言う構造が完成した。
つまり、絶対者を形成しない社会と言うものの肯定は、天皇が霊的権威であり、かつ
みなの決定をみなの決定として表現できるところに象徴され、今後も維持されていく
必要はあるのである。