▼ウリナラ自慢の朝鮮伝統剣術そのA 《 本国剣法 》
「本国剣」の名は18世紀(1759年)に朝鮮国王が編集させた「武芸新譜」に初めて登場する。
ちなみに現代の韓国人は、1790年に記された「武芸図譜通志」の「本国剣」の条の内容を「本国剣法」としている。
武芸図譜通志にある図解によれば日本刀と同じ湾刀を使った剣術であるようだ。
まず最初に、直刀から湾刀への変化についてだが、武備志・武芸図譜通志の著された時期、それに武芸図譜通志に
「倭剣」の条があることを考えても、秀吉の朝鮮出兵による日本刀・日本の剣術の流入がその原因と考えるのが自然である。
次に一番の疑問点に入る。つまり、「18世紀に記された剣術がなぜ世界最古の剣術になる?」…もっともな疑問である。
彼らの理屈はこうである。 ちなみに韓国最大手の剣道団体、大韓剣道会も同じ理屈を採用している。
@ 武芸図譜通志では本国剣が、「新剣(俗称)」と呼ばれている。
A そして本国剣の条には「黄倡郎の故事 ※」が引用されている。
B さらに、同条には、「今因黄倡郎為本国剣之縁起 (今、黄倡郎を我が国の剣術の始まりと見なそうと思う) 」という一節がある。
C よって、「新剣」の「新」とは、「新羅」を表しているに違いない。
D つまり、黄倡の剣舞は朝鮮最初の剣術であり、武芸図譜通志に記されている剣術は新羅時代の剣術である!
「新羅時代の剣術、本国剣法!世界最古の剣術!」、と彼らは自慢するが、どこにもそんなことは書いてない。
妙なこじつけで18世紀に記された剣術を「新羅の剣術」と勝手に認定しているだけである。
大体、資料が中国の武備志以外に存在しない18世紀の朝鮮人が、どうやったら5・6世紀の剣術を再現できるというのか。
普通に考えれば本国剣の俗称である「新剣」とは、「(日本と中国の剣術を元に)新たに作った剣術」という意味であろう。
※ 黄倡郎の故事
黄昌と言う名の新羅人がいた。彼は百済王に請われて剣舞を踊ったという。
当時百済と新羅は仲が悪く、黄昌は剣舞の最中に新羅王を切る。
当然黄昌も殺されたが、新羅人たちは彼の死を悲しみ彼の顔に似せた仮面をつけて剣舞を踊ったと言う。