267 :
右や左の名無し様:04/11/26 16:26:50 ID:4Ca8XpHQ
日本の天皇は世界から見れば立派な皇帝だし皇帝と訳される。
よって世界は日本を日本帝国と見てる。
>「統治権の根拠たる民族」以外は「民族じゃ
>ない」といっているような気もするが、いずれにしてもこの文章は意味不明。
民族とは言語や文化、慣習、宗教、その他諸々を共有する共同体で人為的な物だって話ですよ。
>「わが国の統治機構や枠組みを農民までが意識していた」
それだけじゃあ民族にならない。
民族意識の基となる基盤がしっかりできていると言った方が正しい。
>民族とは言語や文化、慣習、宗教、その他諸々を共有する共同体で人為的な物だって話ですよ。
「言語や文化、慣習、宗教、その他諸々を共有する共同体」が人為的にしか出来ないと言う
論証をどうぞ・・・と言うかその前に、「人為」は具体的に誰によってなされるの?
>それだけじゃあ民族にならない。
それだけとは言っていないわけで、何がタリンのだ?
「言語や文化、慣習、宗教、その他諸々を共有する共同体」が民族なんだろ?
言語は共有している罠。文化も共有しているなぁ。慣習も一定範囲で共有しているわさ。
宗教もしかりだなぁ。そうすると「その他もろもろの共有」がないわけが・・・w
>>269 >民族とは言語や文化、慣習、宗教、その他諸々を共有する共同体で人為的な物だって話ですよ。
>「人為」は具体的に誰によってなされるの?
> それだけとは言っていないわけで、何がタリンのだ?
なんか書き方が悪かったな。
民族とは言語や文化、慣習、宗教、その他諸々のアイデンティティー共有する事によって
連帯感を持った共同体で人為的な物だって話ですよ。
>>270 「人為」は具体的に誰によってなされるの? (二回目)
>>271 宗教的叉は政治的指導者やカリスマ的な人物だったり教育システムだったりいろいろ。
「民」が我々は一つの共同体であると意識して「民族」となる。
>>266 均質云々は文脈上関係ない瑣末な話。
外部をもたない世界そのものであれば「国民」で
外国との比較で「王朝」、というような相関関係はないと逝ってるの。
>>272 それでは「宗教的叉は政治的指導者やカリスマ的な人物だったり教育システムだっ
たりいろいろ」の人為がなく「我々は一つの共同体であると意識して」も「民族」
にはならないのか、それともそんなことはありえないのか、どっち?
貴殿は人為であると言う。人為であると言うことは「自然ではなく誰かの意図を
想定している。「そういう一つにまとめようと言う意図なく」、民が一つの
共同体と意識するわけがない・・・と言っているのかな?
それとも、そういうこともありうるがそれは「民族ではない」といっているのか?
というか「共同体であるという意識」の実体は何かね。まず共同体であると言う意
識は「外部の認識」が一つの要素である。次に「内部の同一性」が要素となる。
後、必要な要素は何かな?(あなたの言う共同体の定義だよ)
>>273 いやだから、日本は「外部」を古代においても民衆レベルまで意識していたジャン。
>>274 >というか「共同体であるという意識」の実体は何かね。まず共同体であると言う意
>識は「外部の認識」が一つの要素である。次に「内部の同一性」が要素となる。
それを意識するのは人間だから人為的ということで
自然的前提から民族なんてものは出来上がらないと言う事。
277 :
れ ◆r0FmiN9ADk :04/11/28 13:39:03 ID:7mGBmMG9
>>276 日本語が不自由ですか?
貴殿の脱糞行為は、「睡眠中の、いわゆる寝グソ」以外はすべて「人為的行為」
なのですか?
普通は「自然現象」であり、他者あるいは自身の手で(其れが快楽を求めてか
あるいは便秘の苦痛から逃れるためか、目的は別として)浣腸によって脱糞し
た場合を「人為的行為」というはずですが・・・。
>>277 >貴殿の脱糞行為は、「睡眠中の、いわゆる寝グソ」以外はすべて「人為的行為」
>なのですか?
生理現象は行為と言わない。
脱糞「行為」は人為的。
脱糞のみが生理現象。
いや、脱糞の為に力むのも人為的行為だな(w
便意のみが生理現象か。
>>275 わかんない人だね。外部を意識していようがいまいが、
そのことと国民か王朝かという問題は相関関係がない、といってるの。
>>125 >別に政教分離は「宗教として確立された其れ」に限定するものではないのだから・・・。
そうでなくても国と宗教のいかなる「結びつき」も排除する必要がある・・・という政教分離では無い訳で
儀式は何がしかの序列を内包するから、宗教的であることは間違いないが
それは只の慣例であり個人の心の中の問題であり別に国と宗教が結びついている訳ではない。
これ以上の国と宗教性の関係の排除は政教断絶。
政治と宗教スレへのレスを誤爆しているよ。
>>283 ここに誤爆していたんだ(w
>>281 >>276で答えた。
れの言葉を借りてもう一度言い直せば
共同体であると言う意識は「外部の認識」が一つの要素である。
次に「内部の同一性」が要素となり宗教的叉は政治的指導者やカリスマ的な人物だったり
教育システムだったりいろいろな人為的動機付けがあって始めて
「民」が我々は一つの共同体であると意識して「民族」となる。
共同体は血縁か地縁か協働縁か宗教くらいしかないでそ。
政治的指導者や教育システムで共同体ができたりするかね?
「民族≠共同体」だし。
>>284 いや,だから質問に答えようね。
その「人為的動機付け」は
A、民族であることの要素
なのか、それとも
B、「民が意識するための条件」なのか、どっちだよ。
A・B・その他なら一行で、まず回答しなさないな。議論の入り口の貴殿
の主張の確認だけで、こんなにレスを消費しなければならんとは、なご
タンもヒトが悪いなぁ。
>>287 「人為的動機付け」は「民」が連帯感という幻想を持つのが「民族」になる為の条件
>>285 民族は「民」が我々は一つの共同体であると「意識」して「民族」となる訳で
現実に共同体で無くても構わない。
>>288 で、その人為的行為というのが「
>>279」なわけか。
とすると、うちのイヌも脱糞のときに力んでいあるから、その人為的行為は
自然の中にもあるということだね。w
というか誰かが人為的に誘導しなくとも「社会秩序を持つ共同体」はできるが
「民族」は出来ないという意味なんだろう?。
じゃ、民族の要素はなんなのよ。共同体でなくとも民族となり得るわけだろ?
そうすると、「民が民族という連帯観(幻想)をもつ」というのが唯一の要素か?
それだと、回廊しないか?
>>289 >じゃ、民族の要素はなんなのよ。共同体でなくとも民族となり得るわけだろ?
家族や村、仲間、宗教などに見られる親密な関係を形成する本質意志(ここが人為的)からなるのが共同体(ゲマインシャフト)で
民族の本質。
近代になると会社や都市などに見られる利害関係を形成する選択意志からなる機能集団(ゲゼルシャフト)でも
皆、利害関係を形成する選択意志をもっているじゃないかとか皆共感可能であるべきだとか理想をかかげ教育する事で
皆同じ民族というフィクションも「民族」に含まれる様になったってこと。
人為的でない物を例にあげるならば種族。
>>290 だから「民族の要素」はなんだと聞いているわけだよ。
ある一団の人間の集団を「民族である」と呼べるための要素は、結局のところ
「その民族の各員の民族であるという意識あるいは認識」だけだろうよ。
それが、人為的にしか成立しないか成立するかは別として、そういうことだろ?
どなの?
教科書に載っていないことは答えられないのか?
リックドキュソは真性ドキュンみたいだな。あんまり本も読んでない感じだし。
スレの展開としてつまんなくなってきてるから話題かえようよ。
>>291 >「その民族の各員の民族であるという意識あるいは認識」だけだろうよ。
おいおいその要素とは何だって質問じゃ無いのか?
>>293 どっちもいまいちだね
孝謙天皇云々←奈良時代には天皇固有の論理よりも中国的皇帝論のほうがメジャーだったから。
足利義満云々←海外貿易のために中華式冊封体制に適応したから。
あまりぱっとしないというか目新しい視点につながっていかない。
>>294 「その」の意味がわからん。
ついでにそういう用語的な問題を解消するため、あなたの言う民族に下記は
該当しているかどうか、○×で答えてくれるか?
1、北朝鮮人
2、韓国人
3、漢民族
4、ユダヤ人
5、日本人(奈良時代)
6、日本人(江戸時代)
7、日本人(明治元年)
8、日本人(明治25年)
9、アズマ人
10、東北人
11、アメリカ人
>>293 考謙(称徳)天皇の「宝字称徳孝謙皇帝」は生前し号だね。
考謙天皇の父である聖武天皇も「勝宝感神聖武皇帝」という漢風し号を
送られている。現代使用している「考謙」「称徳」「聖武」はこの
し号から取られているのは言うまでも無い。
聖武天皇は「天璽国押開豊桜彦天皇」という国風し号を送られているし、
それ以降それ以前の天皇は国風し号と漢風し号を同時に送られている。
天皇は日本固有の称号に対し、「皇帝」は中国と言うイメージが
あったようだ。
日本の天皇が明治期において、盛(さか)んに「皇帝」と呼号されたのは、
多分に幕末から続いていた『水戸学』の影響によるものだ。
(ここでいう「水戸学」とは、具体的にいうと『大日本史』に準拠した思想」を指す。
(『大日本史』を編纂したのが当時の水戸藩であるため、この思想を俗に水戸学と称する。
この『大日本史』は、中国の「宋学」と呼ばれる史観をそのまま採用して編(あ)まれている。
「宋学」というのは一種の漢民族至上主義、いわゆる俗に言う「中華思想」を
理論・体系化した学問のことである。
『大日本史』は、この「宋学」の発想をほぼ直接日本の歴史に当てはめてしまった。
そのため、日本人は漢民族から見れば「東夷」の異民族であるはずなのに、
その君主『天皇』を、『皇帝』に擬する形態が生まれてしまった。
(江戸時代一般の認識としては、新井白石に代表されるような
(「日本の君主は将軍であり、天皇は山城(京都)守護に過ぎぬ」というものが主流であり、
(水戸学の思想は江戸200年にわたって危険思想とされた。
(そのため、幕末の志士たちは、自分たちの反幕府的態度を強調するために
(あえて天皇の呼称を誇張した『皇帝』という称号を多用した。
(また、天皇という称号は当時、「古代の権力者の末裔」という意味しか持たず、
(それが実態を持った権力者なのだという語感は稀薄だった。
(そのため幕末の志士たちは、
(「自分たちは天皇を権力の実態をともなった『君主』と考えている」という
(意志を表明するために、あえて『皇帝』と称するのを好んだ。
以上、明治日本の政治家が起草した文章に『皇帝』の文字が踊るのは、
幕末の尊皇攘夷運動の名残(なごり)と考えられる。
(たとえば、志士あがりで明治政府の超大物となった大久保利通が、
(西南の変で動揺した政府高官に対し、「皇帝陛下の権威」という用語を使ったのが好例
299 :
右や左の名無し様:04/12/05 10:28:27 ID:uJ4kPOkT
>>1 天皇は天皇だよ皇帝とは字の意味が違うだろよ
USイングリッシュはボケブラリーが貧困なんだよ
皇帝のほうが絶対カッコイイ
>>297 贈られている・・・と自身が名乗る・・・は相当の違いがあるかと。
つまり天命思想。だから禅譲を図った。
皇帝は、易姓革命としての禅譲が予定され、天皇はそういう禅譲は予定
されていない。
>>300 皇帝より「天皇」の方がカッコイイよ。
それに「皇帝」と呼ばれてるやつは世界中いっぱい居るし。
天皇は「“天”(この世?)の皇帝」って意味だろ?
「皇帝」より「天皇」の方が、地位が高いとされてるらしいしなw
まぁ、皇帝は、「天から命じられた」(天命)という意味があるのは事実だ罠。
そして、不徳により放伐される可能性がある。不徳に陥ることを予定している
わけだが、それは結局「新たな、武力による制圧者」(放伐した側)の理屈に
なっているところが、中国の不幸。
放伐された前為政者は、不徳であるから天命がなく負けたのである・・・という
論理が成り立つから、前為政者の墓も文化も破壊して当然と考えるわけだ。
中国韓国の日本に対する態度にも影響していると感じる。
>>296-303 1)漢語としての「天皇」
2)スメラミコトの訳語としての「天皇」
3)漢語としての「皇帝」
4)エンペラーの訳語としての「皇帝」
これらをごっちゃにするアホが一人でもいると話は噛み合わない。
>>305 そういう話は「上ー」のほうで終わっていると思うんだが・・・。
>>302 響きがいいじゃん、俺ならテンノウヘイカよりコウテイヘイカって呼ばれたいなあ
>>306 「上一」の方って何のこと?
終わってるのに蒸し返す奴が多いことにかわりはないし。
「
>>1-50あたり」のことを「上一」という言い方が日本語にあるとは始めて知った。お勉強になりますた。
「うえー」が「うえいち」になってしもうたわけでスマソ。
「皇帝」は権力で国を統一する中国の響きとイメージがあるけど、
「天皇」は日本的で宗教によって国を治めるな柔らかなイメージがあるな。
前までは「皇帝」の方がカッコいいと思っていたけど、「天皇」の方が
奥深くて神秘的な感じ。
天帝がいい。
>>312 さんざん詳細な議論があったスレで
ドキュンどもの個人的なイメージを垂れ流されるとぶちこわしだな。氏ねば?
315 :
葉山:04/12/17 00:44:16 ID:lN5tRASB
ラストエンペラーですな
その前は、ボカサがいた
その前は、ハイレ・セラシェ
戦後は、ヒロヒトとアキヒトと、
この4人だけのはず。
>>305 >4)エンペラーの訳語としての「皇帝」
確かにそうだが、「天皇」も英語で「エンペラー」ですが何か?