>>579 「○○なの」と根拠なくいわれてもねぇ。
すべての人に、何の精神的苦痛を味合わせないことが
>そんなことは実行不可能なの。
とまず理解しようよ。
だから、信教の自由侵害はNGでそうでない精神的苦痛は理屈的にはあるかもしれない
けれども「基本的人権を侵害しないのであれば」、何が何でも憲法で禁止するのはお
かしい・・・という前提で議論を進めているん。
別に、人権侵害でなければ苦痛を与えても良いとは思わないさ。しかし「苦痛がある
からやめれ!」というロジックでは、政教分離は語れないということ。
それ以上でもそれ以下でもなく「侵害」「侵害の危険性」「苦痛」を排除するために
政教分離規定は位置付けられていないという其の一点だけを言っている。
信教の自由の保障は、他者が何事かの宗教的行為を行うことを容認する前提がある。
其れを精神的苦痛だといわれても、国がやることは苦痛で、他者がやることは苦痛で
ないということは、そもそもおかしなことでしょう。
>すべての人に、何の精神的苦痛を味合わせないことが
>>そんなことは実行不可能なの。
>とまず理解しようよ。
理解しようというのだから、差し詰め御身は理解していると言いたいのだろう。
できるだけ苦痛を味合わせたくなければ、何かをなさなければ良いのだ。
なさないことで苦痛を感じるのは、何かをなして貰えて当然いう身勝手な我欲に由来する。
我欲を満たしたければ、自己の内部だけで勝手に自己解決すれよいだけだろう。
何故、我欲の満足を人に強制するのだ。自分を何様だと思ってるのだろう。
>>559-560 反論になっていない。
論理的に同等だろう。アーリントンだけでなくキリスト教教会などの特定宗教施設にも訪れ献花式典等をしているぞ。
我欲の問題じゃないと思うよ。
>>国がやることは苦痛で、他者がやることは苦痛で
>>ないということは、そもそもおかしなことでしょう。
ふう・・他者はあくまで他者なので、お互いのやることは勝手(自由)だが、
国は民主主義国家を前提に考えるなら自分もその構成員であるところの共同体
だから苦痛なのでわないか。(だから天皇とかの私的参拝=他者はOKで、首相の
公式参拝=自分達の代表・・がNGなのだと何度も言ってるではないか。)
しかも精神的苦痛を与えることを認識しつつ禁止する必要がないなんて平気で
言ってるが、(確かに公共の利益が優先する場合に限り国民も受忍すべきである)
最高裁判決も言うようにほかに代替できるものあるのに戦没者追悼式に屋上屋を
重ねてまで固執するのわ理由がなりたたないぞ。憲法の役割を理解していない。
あと、追悼式に宗教性が全く無いとわいわないが、廣島と靖国が一緒だと言い切る
れのセンスはすごいね。まあ、このことに関してこれ以上は言わないが。(藁)
靖国参拝と戦没者追悼式典を並列するれ師の態度は特段おかしくあるまい。
ただ結論が180度おれとは異なる(藁
俺は戦没者追悼式典とかアーリントン墓地訪問を公人が職務として行うのは
おかしいと思う。宗教的中立性をうたう式典への参加が政教分離規定から見て
NGかどうかは微妙な問題がある。俺は政教分離制度を、政府の中立性確保
の宗教面でのあらわれと見る、とすれば、宗教的中立性を仮にクリアしても、
イデオロギー的に見て中立性を害しているなら、やはり職務としてそれらの行為を
行うのは望ましくないとは言えそうだ。
戦没者追悼式典は、あきらかに戦争反対のイデオロギー運動に加担している
と言える。アーリントンは、ナショナリズムや軍人優遇の社会運動に関連した
施設だ。戦争に対する評価は人それぞれだから、公的に国が戦争反対や
ナショナリズム、軍人優遇の運動に加担することは好ましいとは言えん。
政教分離問題からは離れるが、国家の中立性確保から言えば公人の行事参加は
すべて私的参加の形を取るべきであろう(藁
例えば天膿が職務として戦没者追悼式典にでる。これは国家として
戦争は悪であり平和こそが善であるとのイデオロギーを国民に
一方的に宣伝し強制していることになる。これは価値の等価性を
基本とする民主国家として好ましいことと言えるのか?疑問である(藁
公的に行われる式典とは社会運動でありイデオロギー宣伝の場である。
特定のイデオロギーに国が組みすることは、それに対抗する他の
イデオロギーに対してフェアな態度とは言えまい。イデオロギーの
決着は国の介入のない思想の自由市場でこそ決められるべき事柄であろう。
公人が自らの責任で種々の式典に参加し意見を表明することは
社会的にも期待されるべきことだが、それはあくまで国家としての
行為としてではなく個人の行為として行われるべきだ。
この論理で逝けば、自らの責任で政治的意見表明を禁じられた
天膿は、一切の式典にでれなそうではある(藁
>>582 日本国憲法にある政教分離は、日本国内において有効w
>>585 貴殿は、国はそういうことにかかわるべきでないとする立場だが、
私はかかわらなければ政治ができないという立場である。
したがって、中立性を確保するためには、武道館追悼も国立墓地も
国の外の法人に移管し、宗教的儀式を主催したり宗教施設を持つことを禁止し
国以外の団体が管理する施設や、国以外が主催する行事に、国民のニーズにそって
公平に参加することが、最も信教の自由を保障するありかただと思う。
考えてみれば「靖国も参拝する」「ほかの宗教団体の行事にも参加する」「宗教
団体以外が主催する行事にも参加する」なら、中立性は確保できるのである。
弊害は固定化である。
もともと日本は宗教について複層的に発展している。
葬儀や結婚式やさまざまな慰霊行事も含めた式典や儀式に、異教徒であっても
参加するではないか。「私は基督教だから神前結婚式には出れない」という人は
稀であろう。「お隣は臨済宗だから、日蓮宗の私は、隣の葬式には出ない」とい
うだろうか。初詣に神社に出向き、結婚式は神前でも人前でも教会にでも参列し
お盆にはお墓参りをし、葬式は宗派が違えども冥福を祈り、クリスマスを祝うのが
日本人だろう。ならば、国が「儀礼としてさまざまな宗教無宗教の行事に必要に応
じて参加すること」は何の問題もないではないか。
>>577 >参拝しないことでA教を信仰する国民に精神的な被害を与えるということもできるわけです。
「参拝しないことで」と表現しているのでわかりにくいが、要するにあなたの言っていることは、
「私の宗教の教義では、おまえが私の宗教施設に参拝しないと私が精神的な被害を受ける。
だからおまえも参拝しろ。」ということ。宗教行為の強要、改宗を迫っているようなものだ。
これは他者の信仰の自由を侵す行為。認められない主張だな。
>もう一つは、国民を代表するということは「抽象的国民」を代表するということです。
国民の政治的選択の結果としての代表者が首相。政治思想に偏りがあるのは当然といえば
当然。しかし宗教指導者として選択されたわけではなし。
>もう一つは、総理大臣の参拝という行為が、靖国神社の宗教教義全般にコミットすることに
なるかといえば違うでしょう。
靖国神社に戦死者の霊がいる、という部分にコミットしている。死者の霊や魂が死後どのような
状態に至るのか、多くの宗教では重要なテーマであって、こうした宗教上大きなテーマについて
特定宗教の立場を公人が支持するのであれば、国民の代表者の行為としては相応しくない。
>>578 これについては同意。
では何故こちらが比較的問題にならないか、といえば、まず会場が特定宗教の宗教施設ではないから。
次に、霊の存在は日本にある宗教の多くが認めていて、特定の宗教に依存した考え方ではないから。
国が宗教に対して中立的な立場を保つには、大別して2つの考え方があって、ひとつは
あらゆる宗教と等しく関わること、ひとつはどの宗教とも関わらないこと。
アーリントン墓地は前者の考え方に立っている。
>>588の考え方も同様の立場に立つよう
だが、これは実現不可能。
まず、国があらゆる宗教と関わることが不可能。例えば、一般には単に日蓮宗と認識され
ている宗教であっても、日蓮宗と日蓮正宗では教義が違うが、では日蓮宗の行事にも
日蓮正宗の行事にも参加するのか?宗派レベルの相違を別宗教と認識した場合、日本に
は何種類の宗教があるのか。それらすべてに公人が参加するのか。また、極めて私的で
独自の宗教観をもつ者からも参加を求められたらどうするのか。あまりに非現実的。
仮にこの問題をクリアしたとしても、関わりの程度を等しくするにはどうするのか、といった
問題がある。例えば終戦記念日に首相が参加すべき行事はどこの宗教の行事か?首相
が参加しなかった宗教行事はどうしたって一段低い関わりしかもてない。
まあ、宗教省でも作って、そこの役人があらゆる宗教行事に参加する、ってなら別だけど。
882 名前: 投稿日:04/10/24 20:18:03 CvHeIS53
右翼がいつもネタにしている「南京虐殺30万人説」について、変なこと発見。
国会で「南京虐殺30万人説」を言い出したのは、公明党が最初らしい。
しかも公明党は「南京虐殺50万人説」という凄い発言している。
本多勝一の南京ルポについても国会で言及したのは、公明党だ。
==〔以下、国会議事引用〕==
67-衆-予算委員会-4号 昭和46年10月28日
○渡部(一)委員 私は、この間の【公明党】の【中国】に対する【訪中団】の一人として〔略〕訪中させて
いただきました。〔略〕私は向こうで、【公明党】と【中日友好協会】との間にいわゆる【共同コミュニケ】
というものをつくり上げたわけでありますが、その交渉にあたって私はひどく痛感したことが一つあります。
〔略〕中国のほうから見れば、ともかくあの中国領内に一つの国家をつくってしまった、かいらい政権の
すさまじいものをつくってしまって、それが長期間存在したという事実、そして向こうの発表によれば、
数もよくわからないのですけれども、一千万人というたいへんな人が殺されて、五千万とか六千万とか、
とんでもないけた違いのすごい人数がけがをさせられたという事実がある。【南京】一つをとってみても、
【南京大虐殺】のときに実に【三十数万人】という人が行くえ不明になっている、今日。【五十万人虐殺】
されただろうといわれておる。また最近の朝日新聞の連載〔本多勝一『南京の旅』〕によれば、あの当時
中国に進出していた日本の会社が万人坑というのをこしらえて、中国人を次から次へと虐殺しては、
くたびれた者、栄養失調になった者、なぐり殺した者を全部ほうり込んで、それが大きな大きなほら穴に
なって死骸が積み上げられておる。その遺骨の前に大きな宣伝スローガン、それが掲載されていると
いう記事が載っております。このような記録というものは無数にいま出るようになりました。
>>589 一段目:全然違います。
二段目:だから宗教に中立性が要求され、しかしながら宗教的行為は避けられないのだから
固定化を禁止するしかないでしょうよ。
最下段:いや、だから、戦没者追悼式典でも「全国戦没者の霊」がいる、という部分にコミ
ットしていることになるでしょう、其の理屈なら。
>>591 中立であるためには国民のニーズにそって「さまざまな」宗教に関与すれば十分で、
国が「あらゆる」宗教と関わる必要性は、中立性維持の条件ではない罠。
594 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/25 11:24:49 ID:VLo5jIjK
>>573れ
> 英国には信教の自由はないということだし、「基督教に由来する人間中心主義」を
>掲げるEUにも信教の自由は存在しないということになってしまうね。
だから断絶じゃなくて分離だって。
英国国教ってイギリス独自の宗教って意味じゃなかったけ?
少なくとも現代では人々を単一の共同体へ統合する為に国で定めた宗教って意味じゃないでしょ。
>>594 イギリス国教は「イギリス国王ヘンリー8世によって創始された国家教会」であり
「1934年、国王がイギリス国教会の唯一最高の首長ということになる。」
国王というのは、無論何処の国でも国家統合の象徴である。其の国王が教会のトップ
であり、仮に「国教を定めるなどして政教分離しないと、異教徒には国家に属する事
が他の宗教に属する事にもなってしまい、それは信仰の自由の侵害でもあるし背信行為
になってしまう可能性もある」なら、英国はまさに国教を定め其の国教のトップが
国家元首の国であるから、異教徒の信仰の自由侵害になってしまうだろうよ。
別に国家元首が国教のトップであり、其のことに基づいて宗教行為を行っても、
異教徒の信教の自由は英国では侵害されていないと思うよ。
というかもうこの議論はうんざりするほどやっているんだけど・・・。
596 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/25 12:47:22 ID:VLo5jIjK
>>595 >別に国家元首が国教のトップであり、其のことに基づいて宗教行為を行っても、
>異教徒の信教の自由は英国では侵害されていないと思うよ。
その事は全く否定していないけど?
別に政治から宗教を断絶しなければいけないなんて言っていない。
人々を単一の共同体へ統合する為に国教を定めて信仰させる。
つまり「国家統合の象徴が宗教行為を行う」じゃなくて「国民を統合する為に国教を定める」から
信仰の自由を侵害する可能性が出てくる。
ぶっちゃけて言えば「国民=信者」という図式が出来上がると個人の自由を侵害すると言う事。
>>595 >国王というのは、無論何処の国でも国家統合の象徴である。
象徴ではないよ。国家の支配者そのものだよ。
少なくとも国王が実権を握っていた時代には。
>英国はまさに国教を定め其の国教のトップが
>国家元首の国であるから、異教徒の信仰の自由侵害になってしまうだろうよ。
宗教の枷から逃れるためにつくられた新興宗教なのだ。
宗教だから、当然他の宗教を圧迫侵害することになるな。
英国王家というのは地付きではない渡来者だったから
新興宗教化する以前に、土着の宗教をすべて排除抹殺しているのさ。
同時に英国は王国の連合であり単一国家ではないのだ。
英国人というのは極め付きの御都合主義者であり、自分達の益になれば
何でもありの元祖なのだ。
だから、自己の益になるなら宗教に目を瞑る位、いと容易い業なのだ。
それに国教だとは言ってもそれは渡来者の王家の宗教であって
土着者(これも色々な漂着者の混成)である国民の宗教とは限らない。
英国は宗教共同体ではなく利益共同体として機能しているのだ。
英国を例にとっても、日本とは内部の構成条件が全く異なり
比較対照の意味は無いのだ。
御都合主義とは言いながら、絶対相容れぬものがある
異教徒・異宗派間の国内紛争を解決できないでいるのだ。
国教と定めずとも、特定宗教の信者が主勢力占めるだけでも
十分他の宗教信者を迫害排斥し暴力の対象としている国は
多数ある。大部分の国と言っても良いかも知れない程だろう。
598 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/25 15:29:41 ID:VLo5jIjK
>>597 > 少なくとも国王が実権を握っていた時代には。
少なくとも現代の近代国家の話をしているのだが・・・・・
>英国は宗教共同体ではなく利益共同体として機能しているのだ。
近代国家ってのはそう言うもんでしょ。
>>596 じゃぁ、
>>568の
>国教を定め政教分離しないと異教徒には国家に属する事が他の宗教に属する事にもなってしまう。
>それは信仰の自由の侵害でもあるし背信行為になってしまう可能性もある。
はどういう意味で言っているわけ?
国教を定めても政教分離はできるといっているわけか?
政教分離というのは国教などを定めないことを言うんじゃないの?国教を定めて、
政教分離をするというのは、国民への国教への帰依を禁止するという意味?
国民への帰依を定めたら、其れは人権の侵害であって、政教分離とは無関係に
基本的人権の侵害でしょうよ。・・・ということで意味不明。
>>597 実質的支配者は象徴でもあるだろう。(芦辺憲法でもそうかいてあるね)
あとは何を言いたいかわからん。
601 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/25 18:21:03 ID:VLo5jIjK
>>599 なんか国教の定義をあやふやにしたまま書き込んでしまったので議論が進まないね。
こういう時は広辞苑を調べると手っ取り早い。
こっきょう【国教】
国家が認めて、国民の辛抱すべき宗教と定め、国務の一部としてその教務を取り扱いこれを保護する宗教。
これを元に俺の意見を統一すると。
国家元首が宗教のトップであり、其のことに基づいて宗教行為を行う事は問題ないが
国家元首が国教のトップであり、其のことに基づいて宗教行為を行憂事には問題があるって事。
>>600 実質的支配者にとっては、国が支配者の象徴なのだ。
国の象徴が支配者なのではない。
北朝鮮の象徴がキムジョンイルではなく
キムジョンイルの象徴が北朝鮮ということなのだよ。
私の力がいかほどのものかは、支配しているこの地が表しているぞってね。
>>601 問題があるという意味が不明だが、明らかに英国は後者でしょう。
>>もともと日本は宗教について複層的に発展している。・・・
>>日本人だろう。ならば、国が「儀礼としてさまざまな宗教無宗教の行事に
>>必要に応じて参加すること」は何の問題もないではないか。
このように雑多で無節操な(広く浅い)信仰形態をもつひとびとがほとんどである
日本だからこそ、政教分離には厳格であるべきだというのが判例通説。
でないと、れのように「日本人のくせに神社まいらねーのかよ!」と
少数者を村八分することがたぶんに起こりうるわけだ。(少数者への非寛容)
ところで、れの脳内基準では特定宗教との結びつきの固定化が人権侵害の境界線(違憲)
ということらしいが、でわ、宮内庁通達で結局、旧登極令などの皇室令を復活運用している
皇室祭祀は、事実上神道儀礼と国家が固定的に結びついている(天皇家で神道以外の祭祀は
絶対ありえないだろうという意味においても)から、追悼式や靖国参拝は合憲だけれども、
大嘗祭をはじめとする天皇の宮中祭祀はすべて違憲という理解でいいよね??
>>601 国民が宗教を押し付けられて
辛抱せにゃならんなんて
それこそ辛抱できん罠。
606 :
れ ◆r0FmiN9ADk :04/10/25 19:20:52 ID:SYZHkca2
>>604 私は少なくとも現代の判例通説よりも厳しい政教分離を唱えている。
いわく、国の宗教的儀式主催の禁止(戦没者追悼式典主催もNG・広島の式典も
地方公共団体が主催すれば政教分離違反であるという認識。
国が宗教的施設を持つことさえNG(千鳥が淵もNG、自衛隊基地内の慰霊碑もNG)
宮中祭祀は天皇の私的領域であり、報酬的内廷費で支出される限り合憲。
基本的に大嘗祭については違憲であるという認識である。其れは国費から
の支出が報酬的支出ではないく、よって国の行為として把握されるという
理由からである。
つまり本来的に天皇と宗教を考える場合に、憲法において「皇室財産(実質的には
天皇家だけだが)」をすべて国庫に収容したということから派生している。
誰もが、自分の父母がなくなったときに葬儀を自己の信仰する宗教に基づいて行う
のは当然である。祖先の祭祀も同様である。しかし天皇家において其の祖先の墓苑
などは国が収容し、不動産などの財産を天皇は持つことができない。かつ内廷費は
其の年の使いきりの予算(多少の予備費はあるが)であり、大嘗祭を執り行うた
めの貯蓄は許されない。したがって、本来的に私的領域で報酬的内定費で執り行う
べき行為が、実質的にできないという問題がある。
そこを改善しない限り天皇と宗教の問題は解決しない。したがって、政治と宗教ス
レでは其の部分は論理的な議論に値しない特殊なものであると考えている。
(補足)
明治憲法期は、皇室の財政は自己完結していた。報酬的支出をもらえば
大嘗祭も宮中祭祀なども、天皇家の財産で可能だったわけで、そういう意味では
現代のほうが「より」国家に取り込まれている、ということができる。
608 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/25 20:28:13 ID:VLo5jIjK
>>603 英国では英国国教を国民の辛抱すべき宗教と定めているのか?
>>基本的に大嘗祭については違憲であるという認識である。
れよ、よく言った!(パチパチ)
>>宮中祭祀は天皇の私的領域であり、報酬的内廷費で支出される限り合憲。
よって公式参拝は違憲、私的参拝は違憲ということでつね!?
私的だからイダロつーのは、まんま今回のコイズミ訴訟の国答弁書どおりだな。
まあ、普通に考えると公式参拝は単なる憲法違反だから私的でかたをつけると
いうことだろうが、実際天皇がその手口で神社にバンバンかかわっているので
仕方ないところだ。(アズマたんには許せないでしょね)
というか、天皇制を廃止しない以上、すっきりすることはないだろう。
れ君もよく憲法を理解した上で国教禁止程度の政教分離でいいなどと
言ってるみたいだが、権力は本来信用できないものだよ。
きびしくしとくくらいがちょうどいいんでないの?
>>593 >一段目:全然違います。
違いませんよw A教信者が精神的な被害を受けないのは、首相がA教の教義に則って
参拝した場合だけでしょ。何もしなくてもダメ、他宗教の教義に従ってもダメなんだから。
首相自身がA教信者なら、彼の私人としての信教の自由は侵さないけどね。
>二段目
追悼は宗教的ではあるだろうね。故人を思い出すという行為が宗教が生まれた一因では
あろうから。でもこの行為自体は宗教ではないね。つまり、宗教「的」行為は避けられない
にしても、宗教行為は避けることができるね。
>最下段
なんか話が噛み合ってないな。あなたが
>>577最下段で言いたかったのは、「総理大臣の
参拝という行為が、靖国神社の宗教教義全般にコミットすることに」はならない、だからやって
もいいんだ、といったことでしょう。
これに対して
>>589最下段は、全般じゃなくても要部だからダメだよ、って言っているんだけど。
>>593 >中立であるためには国民のニーズにそって「さまざまな」宗教に関与すれば十分で、
>国が「あらゆる」宗教と関わる必要性は、中立性維持の条件ではない罠。
あらゆる宗教とは関わらない、ということは、関わる宗教と関わらない宗教が生まれる、
ということ。国家が宗教を選別するということ。選別されなかった宗教の信者のニーズは、
どのように満たされるんだい?彼らから見て、中立性が保たれていると言えるかい?
仮にそこに目を瞑っても。宗教に関心がない日本人に、日本にある宗教はなんですか?
といったら、仏教、神道、キリスト教あたりは答えるだろう。ではそれぞれの代表格が行う
行事に参加すればいいか、となるけど、代表格を選択する際の基準は?宗教としての格式?
歴史の長さ?信者の数?どれでもダメだろ。これらを総合的に勘案して?思いっきり政治的
になるのは目に見えている。政教分離の有名無実化ですな。
だいたいさあ、神道の代表格って言ったら間違いなく伊勢神宮だよ。靖国は選ばれないだろ。
それじゃあ都合が悪いんじゃないの?かと言って神道という枠組みの中で靖国まで含めるの
であれば、他宗教でも相応の宗派まで含めなければバランスが取れないはずだけど。
613 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/26 00:19:39 ID:J9lP0slK
>>612 >あらゆる宗教とは関わらない、ということは、関わる宗教と関わらない宗教が生まれる、
>ということ。国家が宗教を選別するということ。選別されなかった宗教の信者のニーズは、
>どのように満たされるんだい?彼らから見て、中立性が保たれていると言えるかい?
宗教法人法を勉強したら?
ttp://www.houko.com/00/01/S26/126.HTM (設立の手続)
第12条 宗教法人を設立しようとする者は、左に掲げる事項を記載した規則を作成し、その規則について所轄庁の認証を受けなければならない。
1.目的
2.名称
3.事務所の所在地
4.設立しようとする宗教法人を包括する宗教団体がある場合には、その名称及び宗教法人非宗教法人の別
5.代表役員、責任役員、代務者、仮代表役員及び仮責任役員の呼称、資格及び任免並びに代表役員についてはその任期及び職務権限、責任役員についてはその員数、任期及び職務権限、代務者についてはその職務権限に関する事項
6.前号に掲げるものの外、議決、諮問、監査その他の機関がある場合には、その機関に関する事項
7.第6条の規定による事業を行う場合には、その種類及び管理運営(同条第2項の規定による事業を行う場合には、収益処分の方法を含む。)に関する事項
8.基本財産、宝物その他の財産の設定、管理及び処分(第23条但書の規定の適用を受ける場合に関する事項を定めた場合には、その事項を含む。)、予算、決算及び会計その他の財務に関する事項
9.規則の変更に関する事項
10.解散の事由、清算人の選任及び残余財産の帰属に関する事項を定めた場合には、その事項
11.公告の方法
12.第5号から前号までに掲げる事項について、他の宗教団体を制約し、又は他の宗教団体によつて制約される事項を定めた場合には、その事項
13.前各号に掲げる事項に関連する事項を定めた場合には、その事項
>別に国家元首が国教のトップであり、其のことに基づいて宗教行為を行っても、
>異教徒の信教の自由は英国では侵害されていないと思うよ。
アメリカがどうして厳格な政教分離制度を採用しているのか、といったことについ
て鑑みたとは全く窺えないレスだな。アメリカの建国者たちがどうしてあのように厳
格な政教分離を採用したかといえば、まさにそのイギリスにおいて信仰上の理由で国
家によって徹底した弾圧を受け、その弾圧から逃れるために新天地であるアメリカに
渡り新国家を建国したという経緯を踏まえているからであろう。つまり、そこには信
教の自由の保障を全うするためには厳格な政教分離が必ず伴っていなければならない、
という経験に基づく教訓が反映しているのである。もちろん理論上は政教分離が制定
されていない或いはそれ程厳格に徹底されていなくとも、個人の権利としての信教の
自由を保障することが全く不可能ではないだろうし、イギリスにおいても現在はかな
り信教の自由保障は実現されつつあることは否定できないが、国家が宗教と関わりを
持つことは信教の自由に対する大いなる脅威になることは確かだろう。
>>613 誰も宗教法人法における宗教に限定した話をしていないんだけど…ま、一応レス。
>4.設立しようとする宗教法人を包括する宗教団体がある場合には、その名称及び宗教法人
>非宗教法人の別
>12.第5号から前号までに掲げる事項について、他の宗教団体を制約し、又は他の宗教団体
>によつて制約される事項を定めた場合には、その事項
この辺りを根拠に、ある宗教団体が他の宗教を包括している場合がある、その場合上位団体とだけ
関わればいい、そんなことが言いたいんだろう?
で、日本の宗教団体は、結局いくつの上位団体に集約されると言いたいの?そこまで言わないと、
あんま意味ない発言じゃねーの?
>>608 国が国教と定め、国が宗教的行為を行うことを、異教徒は辛抱しているんじゃないの?
>>609 固定化がだめだといっている。固定化しなければ合憲。
したがって、天皇家は公的に行えば、固定化しているからNG。
政府も公的に行えば、固定化していればNG、あちこちの行事に同等に参加していればOK
>>611 一段目:意味不明。もう一回きちんと主張しなおしてください。
二段目:其れはあなたの感情であって、それでは「宗教の定義」をしないとお話しに
なりませんなぁ。宗教的とか宗教とかあなたが勝手に定義をつけているだけで
幾千もある定義の中で、この話題に妥当な定義というものを妥当である論証を
付してどうぞ。
少数の信教を大事にするという趣旨があなたの意見であれば、あなたが宗教的と感じ
なくとも感じる人を慮らなければだめでしょうよ。あなたが宗教ではないといったとこ
ろで、宗教と感じる少数の人たちを慮らないならば、其れは矛盾じゃないですか。
だから、「信教の自由という基本的人権の保障」を超えた「精神的被害などを問題にす
ることは困難」なのです。わかりますか?
最下段:要であるかどうかについても、其れはあなた、あるいは多くの人々の考え
でしょう?以下上記と同じ。
あなたが名無しなので、あなたが政教分離を宗教弱者救済と捉えているのかわからない
のでこれ以上の議論は、捨てハンとあなたの政教分離についての態度表明をお願いでき
ればと存じます。
617 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/26 22:51:28 ID:J9lP0slK
>>615 >で、日本の宗教団体は、結局いくつの上位団体に集約されると言いたいの?
そんな事は言いたく無い。
結局、国家と宗教の関係は法的手続きをもって公正に行われると言う事。
そして国家が宗教として関わる集団はちゃんと手続きをして法人として認められたものだけ。
>4.設立しようとする宗教法人を包括する宗教団体がある場合には、その名称及び宗教法人非宗教法人の別
>12.第5号から前号までに掲げる事項について、他の宗教団体を制約し、又は他の宗教団体によつて制約される事項を定めた場合には、その事項
これは
>第12条 宗教法人を設立しようとする者は、『左に掲げる事項を記載した規則を作成し』、
>その規則について所轄庁の認証を受けなければならない。
つまり宗教法人側が我々の宗教は○○の上位団体に包括されていますと自ら申請すると言う事。
618 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/26 23:29:18 ID:J9lP0slK
>>616 > 国が国教と定め、国が宗教的行為を行うことを、異教徒は辛抱しているんじゃないの?
調べてみたら英国(元)国教という意味らしい。
簡単には英国国教会派のことのようだが、正確には英国国教会と、
それの伝統と教義を奉ずる諸教会の総称だということ。
エピスコバル教会:Episcopal Churchとも呼ばれ、日本語では聖公会だということ。
そして、英国国教会というのは、16世紀、ヘンリー八世のときに、
ローマ教皇の支配から独立してできた教会だということで、イングランド、
つまりイギリスの国王が唯一の首長として、教皇権とかは認めないというもので
別に今の国民に辛抱すべき宗教と定めている訳では無い。
産業振興や、市場獲得のための侵略戦争など、国家の運営に必要な資金を最も上手に調達できるユダヤ人は、
ヨーロッパの各国の王室にとって、なくてはならない存在となっていた上に
各国政府の中枢に食い込むことは、差別されやすいユダヤ人にとっては安全確保の手段でもあった。
ヨーロッパ各国政府のなかで、最もユダヤ人に寛容なのはイギリスで
政教分離や国家の近代化、産業革命が大陸諸国よりも早かった。
それはユダヤ人を重用することの利益が明確だったかららしい。
恐らく「広辞苑」の国教の定義が適切ではないのだと思われ。
620 :
秋雨:04/10/27 09:26:43 ID:???
>>616 では再度説明。以後、本スレでは秋雨と名乗りましょう。
一段目
>>577 >では逆に参拝しないことでA教を信仰する国民に精神的な被害を与えるということも
>できるわけです。
ここで被害を受けると主張する人をR氏としましょうか。
首相が参拝しないと、R氏は被害を受けたと主張する。
首相がB教施設に参拝すると、R氏は被害を受けたと主張する。
首相がどこにも参拝しないと、R氏は被害を受けたと主張する。
つまり、R氏は首相がA教施設を参拝しない限り、被害を受けたと主張するわけです。
ここまではいいですね。
首相個人がA教を信仰していないのであれば、この主張は彼個人の信教の自由を脅かす
ものですね。また、首相個人の信仰には関係なく、彼はB教信者としての国民の代表者で
もある。従ってB教信者の信教の自由をも間接的に脅かしていることになる。
で、まああなたは「だから首相はA教もB教も参拝すれば解決」と、いいたいのでしょう。
これはA教信者、B教信者、両方の信教の自由を間接的に脅かすんですが。
更に。C教の人はどうなりますか?あなたは一方で
>>593 >国が「あらゆる」宗教と関わる必要性は、中立性維持の条件ではない罠。
とも主張している。C教信者にとって問題は全く解決しませんね。
621 :
秋雨:04/10/27 09:27:33 ID:???
二段目
宗教の定義を語る必要はないね。追悼が宗教行為に当たるのか否か、それを論じれば足りる。
そのことについては、追悼は単に故人を思い出すことであり、宗教行為とまでは言えない、
という主張は語られているけど、宗教行為であるとする主張は、今まで誰も理由づけしていない
と思うけど。
三段目、及び
>>617への返事は今夜にでも。
>>620 コテハン感謝。秋雪君がヒントのネーミングかな?
一段目:問題は解決しない。なぜ解決しないのか・・・其れを言いたいのですよ。
そもそもの「被害を受けた」というR氏のことを慮ること自体が不可能だから
ですよ。そもそも「他者の宗教行為を容認しなければ、信教の自由保障は
成立しない」したがって、政教分離とは「そのような被害を訴える人を救済
するために、信教の自由を侵害するほどではない国の行為を禁止するための
ものではない」と何度も申しあげています。
二段目:追悼と儀式における追悼行為は同列でないわけだが・・・。
追悼が個人を思い出すことであるとして、それなら勝手に各個人がやれば
別に宗教であろうとなかろうと、釜わんだろう。しかし、たまねぎの下にみ
んな集まって、「戦没者の霊」という碑を立て、周りを花で飾り、其の碑に
向かって何事かを祈り誓う行為は、宗教と感じる人は確実に存在するなぁ。
何度も言うようだが、私の外国人で基督教徒の知人は「神道儀式である」と
いっている。
で、肝心なことは政教分離の把握というか位置付けである。
もう何度も言っている通り、第一点としては「靖国神社に総理が参拝することで
信教の自由侵害はないのである。したがって「信教の自由侵害の恐れのある行為を
一律に禁止しているというのは誤り」である。
第二点としては、君の言う「宗教的被害」は信教の自由を侵害しない程度ナわけで
上記一段目で申し述べた通り、其の被害をもたらさないためのものでもないという
こと。
あなたはどういう把握をしているのかを明確にお願いしたい。
>>622 >「他者の宗教行為を容認しなければ、信教の自由保障は
> 成立しない」
宗教は本質的には他の宗教を容認することは有り得ない。
(表面的にどのように言い繕おうとも)
だから、信教の自由保障は言葉の綾であり成立しようがない。
政治が言う信教の自由は「宗教が政治の支配に従い政治に
口出しをしない限り」に於いて個人の自由にすることを
黙認するというものだ。
>「靖国神社に総理が参拝することで
> 信教の自由侵害はないのである。
靖国神社は国家でも政治でもない唯の個人的宗教の一つに過ぎない。
私人がその宗教と勝手な基準に基づいて国家に功績があったなどとして
顕彰や慰霊を行うことに、公の地位にあるものが出席することは
その私的行為を公のものとして助成することである。
数多い宗教法人の内から何の公的な基準にも基づかずに
特定のものだけを助成するのは、将に特定宗教の政治への口出しに
膝を屈したものであり、信教の自由保障を破棄しているのである。
>>622 >第一点としては「靖国神社に総理が参拝することで信教の自由侵害はないのである。
>したがって「信教の自由侵害の恐れのある行為を一律に禁止しているというのは誤り」
>である。
以前コヴァ板でも指摘したがこれはウソだ。総理が公式参拝することは、総理個人の
行為では完結しえない。例えば総理のみならず他の閣僚まで含めて参拝する制度で
あれば、他の閣僚に対して参拝を制度的に強制することになる。
また総理のみの参拝としても、総理一人が参拝を行うことは実際上はありえない。
総理が靖国神社に出向くと言うことは、SPや随行の職員・運転手等の仕事をする
国家公務員を伴うことになる。これらの職員が総理の宗教行事に随行させられ、
一連の儀式に立ち会わされることは、彼らの信教の自由を侵害することになりかねない。
少なくとも俺が首相に仕える公務員であり、靖国神社に職務上随行させられたら、
信教の自由を侵害されたとして首相と国を相手に憲法訴訟を起こすであろう(藁
素朴なアニミズムを信仰するアズマ人として、父祖の霊を敬うことは
信教の自由によって保障されるに値する利益である。そのような信仰厚い
アズマ人にとり、父祖の霊を逆臣・朝敵として貶め侮辱する靖国神社の
宗教儀式に参列させられることは、信仰上看過できない行為である。もし
そのような祖霊を貶める行為を職務として強制させられたなら、それは
アズマ人としての信仰と誇りを捨て去ることを強制されることを意味する。
これを信教の自由の侵害といわずしてなんといおうか!(藁
626 :
リック・ドキュソ ◆6ORDQNVoZw :04/10/28 01:06:56 ID:jIN8lQI4
自由とは個人が責任をもって何かをすることに障害(束縛・強制など)がないということ。
総理の私的参拝は他人が責任をもって何かをすることに障害(束縛・強制など)を与えない。
SPや随行の職員・運転手等は総理を守ったりおくったりするのが公務であって参拝が公務では無い。
別に靖国参拝じゃなくても総理をフォローするという公務に公費は消費される。
一連の儀式に立ち会わされることも総理を守ったりおくったりするのが目的であって参拝が目的では無い。
>少なくとも俺が首相に仕える公務員であり、靖国神社に職務上随行させられたら、
>信教の自由を侵害されたとして首相と国を相手に憲法訴訟を起こすであろう(藁
それ以前にそう言う人間の自由を侵害するような不適切な人事はしない。
何より総理を非難する自由は保証されている。
許せんとか愚かだとか腑抜けだとか言うのは全く自由。
総理に相応しく無いと言うのも選挙に投票しないのも自由。
靖国に参拝する奴は総理に相応しく無いと言うのも自由。
627 :
秋雨:04/10/28 08:45:49 ID:???
>>616 >最下段:要であるかどうかについても、其れはあなた、あるいは多くの人々の
>考えでしょう?以下上記と同じ。
同じって「あなたが宗教的と感じなくとも感じる人を慮らなければだめ」云々のこと?
つまり、「死者の霊や魂が死後どのような状態に至るのか」、この点を考えること自体が
教義に反するような信仰を有する人が存在する、と?
意味不明ですな。
628 :
秋雨:04/10/28 08:46:09 ID:???
>>622 一段目
それに対し、R氏のいう被害はそもそも被害ではない、慮る必要がない、と私は言って
います。捉え方が若干違うかもしれませんが、「他者の宗教行為を容認しなければ、
信教の自由保障は成立しない」とは、私も思いますよ。ここでいう自由には、当然
他者に強制する自由は含まれない。ところがR氏は「他者の宗教行為を容認」していな
い。
>>577では「参拝しないことで」と表現されているから見えにくいだけで、結局R氏
は自宗以外はダメだと他人に言っているに等しい。
二段目
その外国人キリスト教徒は、どのような点を挙げて神道儀式であると判断した?
会場が武道館だったから?周りを花で飾ったから?碑を立てたから?
>第一点としては「靖国神社に総理が参拝することで信教の自由侵害はないのである。
総理に全国民の代表としての側面がある以上、参拝した時点で非神道信者の信教の自由を
侵害している。
>第二点としては、君の言う「宗教的被害」は信教の自由を侵害しない程度
私のいう「宗教的被害」ってどの発言を指している?この言葉自体はこのスレで使われて
ないけど。
>>611で私が使った「宗教的」は、追悼行為を指しているけど、これを考えても
意味がわからん。
あなたの意見を検証する際に、政教分離を私がどのように捉えているのか知る必要が
あるとは思えないけどw まあ、おつきあいで。私の政教分離に対する考え方は、
>>415で
判決文中あなたが問題視しているあたり。
尚、ハンドルに特に由来はありませぬ。
629 :
秋雨:
>>617 >そして国家が宗教として関わる集団はちゃんと手続きをして法人として認められたものだけ。
あなたは多分宗教法人法を誤解していると思うな。
宗教法人法 第1条
この法律は、宗教団体が、礼拝の施設その他の財産を所有し、これを維持運用し、その他
その目的達成のための業務及び事業を運営することに資するため、宗教団体に法律上の
能力を与えることを目的とする。
「資するため、宗教団体に法律上の能力を与えることを目的とする。」つまり、宗教団体の
便宜を図るため法人格を与えることを目的とする、ってことでしょ。宗教法人ではない宗教団体
による信教の自由はこれを認めない、なんてことは書いてないと思うけど。何のために話を
宗教法人に限定しているの?