イラク人質事件のうち高遠菜穂子氏、今井紀明氏、郡山総一郎氏が誘拐され人質になった事件は、
政府と世論が人質の「自己責任」を問い、人質及びその家族に「政府と国民に対する謝罪」と「政府に対する感謝」を強制して終結した。
冷静に分析すれば驚くべき異常な事態である。
しかも日本国民の誰一人として(自己責任論に反対する左翼論者でさえ)この異常性に気づいていない。
この状況は社会学的観点から非常に興味深い現象なので、以下に常識を持って論を展開したい。
1、自己責任の本来の意味
まず、「人質の自己責任」とは何を指すのだろうか。
これは、〔人質がどのような損害を蒙ろうとも、その賠償を誰か(この場合「政府」か、
あるいは国際法廷や外交ルート通じて請求することになる「犯行グループ」)に請求することはできない〕ということを意味する。
(例えば、ドライヤーを髪を乾かすのに使っていて事故が起きたら責任はメーカーにあり賠償するが、何か工作に使っていて事故が起きたら責任は使用者にあり賠償を請求できない、これが自己責任である)
このイラク人質事件における人質の自己責任とは、『たとえ人質が犯行グループ・あるいは救出するための特殊部隊に傷を負う、または殺害されても、本人や家族はその賠償責任を政府に要求することはできない』
ということであり『それ以外の意味はまったくない』のである。
2、責任の所在
では、今度の事件で、非は誰にあり、責任を負うべきは誰なのだろうか? (この場合の責任とは、誰に救出費用を請求するべきか?ということでもある)
それはもちろん『犯行グループ』に非と責任がある。これは特に強調しておきたい。なぜなら国民の大部分がこのことを忘却させられているからである。
この事件における『唯一の加害者=犯行グループ』こそ法的(国際法上、イラク暫定法上、イスラム法上のどれにおいても)にも倫理的にも責を問われるべき『人間』である。(人間を強調する理由は後述する)
特に、『非』つまり犯罪性は唯一犯行グループに存在する。
次に責任を問うべきなのは、暫定的とはいえイラク国内を法的に管理しているイラク暫定自治政権であり、イラク国民である。
しかし、実際に治安維持を指示しているは暫定政権ではない。第三番目に責任を問うべきなのは、治安維持活動しているアメリカ政府である。
アメリカはイラクの治安において(特に事件が起こった地域は米軍担当である)事実上全面的に責任があり、
かつイラク国内の治安維持に失敗し、今回の人質誘拐事件を招いたのだから、その責任は徹底的に追及されねばならない。
四番目に責任を問うべきは人質が国民として属する日本政府である。退避勧告を出し、人質の危害に関しては人質の自己責任とはいえ、政府には国民を守る義務がある。
(タバコで火災を起こしたことがタバコを吸っている人の責任であっても、消防士は救助しなければならない)
そして、今回の事件で明らかになったのは、日本政府が人質の救出に実際には何もできなかったということである。政府の無力・無能が白日の下に曝け出された以上、厳しく責を問うべきであろう。
責任を問えるのはここまである。国連やほかの存在には責任は問えないだろう。
ここで注意するべきは、人質になった3人には『事件に対する責任は一切存在しない』ということである。
だいたい、人質3人はなんら犯罪を犯したわけではない。犯罪を犯したのはあくまで「犯行グループ」であり、すべての責任および非難は犯行グループに問うべきである。
3人の自己責任とは自分自身に対する危害に対する賠償責任のことであり、事件に関しては、3人は『被害者』である。
常識的かつ冷静に考えれば、『犯罪の被害者に対し、事件の責任を問うなどということはありえない』はずである。
繰り返すが、断じて「犯行に遭ったことの責任(本来こういうものは責任とは呼ばないのだが、これについては後述する)」や「国家政府に迷惑をかけた責任」が自己責任なのではない。
つまり内閣官房長官以下政府関係者やメディア、またその影響下でネット上に氾濫する「自己責任論」における自己責任という言葉の使い方は『完全な誤用』なのである。
ちなみに、解放された人質の中でイラクに残りたいという発言をした人がいたがそれは当然だろう。3人ともイラク人のためにイラクに入国したのであるから。
イラクに残るかどうかは本人の勝手であり、残るならまた自己責任で活動すればよい。ただし危害が加えられてもその責任は自分にあるし、怪我をしようと殺されようと、知ったことではない。
もちろん政府にもその責任はない。政府は事件に対する対応の正しさが求められるだけで、人質の危害に対しては一切責任を負わない。
ここで問題なのはこの普通の発言に対してメディアの多く(そして国民の多く)が反発したことである。
3、人質と家族は謝罪してはいけなかった
上記からも明瞭にわかる通り、『人質となった3人やその家族は、断じて謝罪してはならなかった』のである。
3人にもその家族にも、まったく非がなければ犯罪を犯したわけでもなく、犯罪を誘発するような挑発的態度(イラク人やイスラム教を非難する等の行為)をイラク人に対してしたわけでもない。
非はあくまでも犯人にあり、3人と家族は『被害者にすぎない』。
「危険な地域に行ったほうが悪い」という意見があるがその意見は正しくない。
国民の多くは今回の事件が「何か自然災害にようなもの」と混同し錯覚しているが、今回の事件は断じて「自然災害」ではない。
あくまで、『加害者という実際に存在する人間が、悪意ある行為を起こした』のである。だから、雪山で遭難するのと犯罪者に誘拐されるのとは区別しなければならない。
自然災害に対し自然に責任を問うことはできないが、犯罪は犯罪者にすべての責任があるのである。
(雪山の遭難でかかった救出費用を被害者が負担するのは当然であり、同様に犯罪における救出費用を犯罪者に負担させ、犯罪者に能力がなければ政府が負担するのも当然なのである)
しかし、ご存知のとおり、政府とメディア、それに扇動された世論の圧力によって人質とその家族は謝罪を強制されて謝罪してしまった。
4、救出費用の請求
さて救出費用であるが、現在犯行グループが依然として捕まっていない以上、事件の責任は次の責任者に問わなければならない。
だから、救出にかかった費用(公式見解で約20億円)は、まず犯行グループに請求するべきであるが、
それができない以上、イラク暫定自治政権に請求するべきであり、それもできないとなれば、当然アメリカ政府に全額請求するべきである。
この費用を一部でも犯罪被害者である人質に請求するのは論外と言わざるをえない。
現在日本政府は3人を移動するのに使ったチャーター便の費用35万円を3人に請求する姿勢のようだが、とんでもない。
「イラクに残りたい」という本人の意思を無視して、強引に日本に連れて行こうというのに、その費用を本人に請求するなど言語道断である。
現在賠償能力があるのはアメリカであるから、日本政府は堂々と20億円をアメリカに請求するべきである。
5、政府とメディアの「自己責任論」
さて、ここまで述べれば政府とメディアが煽り立てる自己責任論がいかに異常でまたあからさまな情報操作を目的としたものであるかがわかるだろう。
政府が展開した自己責任論とは
『一、政府の退避勧告を無視してイラクに入国した結果犯罪に遭ったのだから、犯罪の責任は犯罪被害者である人質3人の方にある。これが自己責任原則(その1)である。
二、この犯罪によって日本国政府と自衛隊、および日本国民全体は多大な被害と迷惑を蒙った。犯罪の責任は犯罪被害者にあるのだから、政府と日本国民全体が
多大な被害と迷惑を蒙った責任は被害者の方にある。これも自己責任である(その2)。だから責任をとって被害者もしくは代理である被害者の家族は政府と国民に謝罪しろ。
三、日本国政府は人質となった被害者の救出に多大な努力をしたのだから、被害者とその家族は政府に感謝しろ。
四、この犯罪による人質の救出費用約20億円は、一部は犯罪被害者に負わせるが、できることなら、全額被害者に請求するべきだと考える。
五、危険なイラクに入国するような被害者は、全員異常者と思われるし、3人の素性を見れば、やはり異常者であることは間違いない。3人は日本に帰国させ、政府の監視下におくべきだ。』
この5点に集約される。ここで注意するべきは、この自己責任論において自己責任とは、「3人が犯罪に遭遇したことに対する責任」と
「3人の行動が招いた犯罪が政府と国民に迷惑と被害をかけた責任」の2つあることである。
この2つの自己責任は注意して区別しなければならない。
ちなみに、「政府による洗脳・煽動策は存在せず、人質及びその家族に対する非難は国民の自発的な義憤によるものだ」
という意見が当然出るであろう。特に今まで非難し続けた者、つまり政府・メディアの洗脳煽動策に溺れた者共はそう考えるのは当然といえる。
しかし、冷静かつ常識的に考えればあまりにも異常なこの事態を大多数の国民が大なり小なり承伏している事実、
そして政府高官の人質及び家族に対する非難発言、及び政府高官筋が裏で利用するべき保守メディアに「人質の自作自演説」「人質家族の意見は思想的要求であるとする見解」などを流し続けたという証拠、
そしてマスメディアが無批判的にかつ積極的に世間に流し続けた構造は、まさに典型的な国民洗脳・煽動であり、世論操作であると断言できる。
(仮りに、この状況が政府の洗脳煽動策の結果ではなく、国民の自発的な世論形成によるものだとしたら、
日本国民とはなんなのか? ただのクズの集まりではないか!!)
6、加害者と被害者は誰か
ここでもう一度整理しておきたいのが、今回の犯罪事件で、果たして加害者と被害者は誰だったかということだ。
まず『唯一の加害者』は3人を誘拐し人質にとった犯行グループ、サラヤ・ムジャヒディンでありそれ以外には存在しない。
そして『唯一の被害者』は人質にされた3人とその家族である。そしてそれ以外の被害者はやはり存在しないのである。
この厳然たる事実がなぜかくも忘却され上記にような自己責任論が登場したのかそれをこれから明らかにしたい。
7、政府による自己責任論の登場
ただし先に述べたように事件解決における責任は犯行グループの他にイラク暫定自治政権・アメリカ政府・日本政府にもある。
特に、暫定政権とアメリカ政府がほとんど何もしなかったため、日本政府が救出における責任を問われることになった。
ところが日本政府が人質救出に対し最後までなんら意味ある行動が取れないだけでなく、その無力と無能ぶりを曝け出し、世論から非難を浴びるようになった。
そのため、日本政府はこの事件に対し、メディアを利用した国民の洗脳・扇動を始めた。これが政府・メディアから『自己責任論』が登場した理由である。
8、自己責任論の発端
まず上記の自己責任論の中の『1、犯罪の責任は人質となった被害者のほうにある』に関してみてみよう。
イラク人質事件が起きたときの政府の反応ははっきりしている。それは政府の自衛隊派遣という政策が揺らいだことに対する、人質3人への被害妄想と憎悪である。
そして、「犯罪者のせいで被害と迷惑を蒙った」と普通は考えるところを、「人質となった3人のせいで被害と迷惑を蒙った」に意図的にすり替え、『これこそが自己責任原則』だとしたのである。
なぜか? それは犯行グループと交渉するチャンネルが存在しないために、犯罪者を交渉不可能な存在とみなし、犯行グループを部外者(つまり自然災害のようなもの)とイメージしてしまったからである。
(要するに政府がこのような態度をとった時点で政府に問題解決能力がないことは明らかなのである)
その結果、「事件における悪者は犯行グループではなく、人質となった被害者だ」というすり替えた意見を政府が繰り返しメディアに流すことによってメディアも操作された情報を国民に流し始める。
しかも、自己責任という言葉の甘美さに酔いしれて、保守的論者が「自己責任」という言葉を言葉の誤用にも気づかず連呼し始めるのである。
9、国民を利用した扇動策
しかし、政府の国民洗脳の巧妙なところは、被害者を非難するのに、国民を道具として利用した点である。
これが自己責任論の『2、事件によって迷惑を受けたのは日本国民全体であり人質は迷惑をかけた加害者である』
すなわち、『人質の行動によって国民全体が迷惑を受けたのだ、という被害妄想を国民に植えつけたこと』である。
「実際には被害を受けたのは、唯一の被害者である人質とその家族であって、一般の日本国民はなんら迷惑や被害を受けたわけではない」し、
仮りに被害や迷惑を与えたとすれば、唯一の加害者である犯行グループである。
そして政府の場合も同様に被害を与えたのは犯行グループでしかありえない。
ところが、政府とメディアが国民に流しつづけた自己責任論とは、『あなたたち日本国民全体は人質によって迷惑をかけられているのですよ。早くそれに気づきなさい』という
ありもしない迷惑や被害を国民に植え付けるためのメッセージであった。
その結果、ものの見事に日本人は被害妄想を植え付けられて洗脳され、事件直後は人質解放を求めデモをしていた同じ国民が、
数日後には人質と家族を国民全員でバッシングするという吐き気のするような事態に陥ったのである。
10、人質=加害者、国民=被害者という図式と犯行グループの消去
ここで世にも奇妙な転倒が起きる。
「犯行グループ=唯一の加害者、人質と家族=唯一の被害者」という事実が、いつのまにか「人質と家族=唯一の加害者、日本国民=被害者」という図式にすり替えられたのである。
これが可能になるには、第三の情報操作、実際の加害者である犯行グループを論点から抹消するという操作が必要になる。
つまり、今回の事件を自然災害のようなものと見なし、悪意ある犯罪者が存在したという事実を忘却させたのである。
これは「危険な地域に足を踏み入れれば、このような目に遭うのは必然的だ」という論法である。
この論法によって、悪意ある犯罪は自然災害的必然にすり替わり、さらに避難勧告を出していたことを盾に政府が理論武装するためでもあった。
「避難勧告を無視して必然的に『災害』にあった愚かな3人」という図式を徹底して国民を洗脳し、政府の立場を正当化しようとするものである
11、洗脳策の成果
政府の洗脳策がどれほどものすごい支配力を持ったか想像できるだろうか。
首相以下政府高官の発言から産経・読売などの新聞、新潮などの週刊誌は保守的言説を主とするから当然といえるが、朝日や毎日、文春など保守以外のメディアも自己責任論に反対はしながらも、
人質となった3人に「無謀」や「迷惑をかけた」として3人の非を認めてしまっている。
ネット上の、一見すると自由に言論が展開されていそうに見えるが実は政府・メディアの扇動にもっとも弱い(本人たちは自覚していないが)ネット上の論説は、
この洗脳扇動策に完全に染まってしまったことは周知のとおり。
この結果、何の非もなく、多大な被害を蒙った被害者と家族は、さらに世論のいわれのない非難と謝罪の強制を迫られ、実際に謝罪してありもしない非を認めてしまった。
その結果、被害者はもはや被害者ではなく、『罪人』として認識が定着することになってしまったのである。
まったく政府の国民洗脳煽動策の恐ろしさと異常さ、ここに極まれり、と言わざるをえないがもうひとつ言わなければならない。
日本人はなんと愚かなのだろうか、と。
(しかし、この状況が政府の洗脳煽動策の結果だということには一縷の希望もある。
もしこれが国民の自発的な世論形成によるものだとしたら、日本国民とはなんなのか?
やっぱりただのクズの集まりではないか!!)
12、誰が人質を救出したか?
さて、自己責任論の『3、被害者は政府に感謝しろ 4、救出費用はできるだけ被害者が負担しろ』であるが、
政府は感謝されてしかるべき存在だろうか? 断じて否! 政府は人質の救出に『何もしなかった』のである。
むしろ政府は犯行グループを逆なでするような言動を繰り返し、どうみても積極的に人質を殺させようとしていたとしか思えない。
被害者も家族も、日本政府を最大限非難することはあっても、日本政府に感謝するなど、常識的に考えてまったくありえない。
しかもこの無能な政府は、『何もしなかったのに20億もの費用を使った』のである。まったく信じがたい。
この費用の内訳は、徹夜で働いた官僚の人件費がほとんどである。他に他国との交渉費用や
風説だが犯行グループに身代金を払ったとの情報もあるが、さすがにテロを再発させるようなことはしていないと信じたい。
つまり、日本政府は救出に全力を尽くすなどといいながら、事態の進展に何の約にも立たぬ無意味な作業を繰り返し、20億円をドブに捨てたのである。
この政府に感謝しろという方が無理がある。それでも被害者や家族が政府に感謝したのは、政府高官からの命令だと聞く。もちろんそれ以外考えられないだろう。
そして、救出費用の負担は前述のとおり被害者に請求するのは論外で、この場合は支払能力のあるアメリカ政府に全額請求するべきである。
さて、では日本政府が人質を救出したのでないならば、誰が救出したのか。
それが、自己責任論3、4が登場した理由でもある。
今回人質が解放された原因は、犯行グループが人質3人がイラクで慈善活動しており、
イラク国民の敵どころか最大限保護するべき対象であることを理解し、また一般のイラク国民や聖職者もそのことを理解して働きかけたからである。
それは人質の家族がメディアで訴えたことによる。
つまり、人質が解放されたのは人質自身の行動への評価と、それを現地に伝えようとした家族の努力の成果であり、結論を言ってしまえば、人質は自力で脱出したようなものである。
(日本政府は犯行グループを挑発するような言動しかせず、救出にはマイナスにしかならなかったのは衆知のとおり)
さて、『人質は自力で脱出したようなものなのに、その手柄はなぜか日本政府のものになっている』という異常事態を誰も不思議に思わない。
それこそが、『3、被害者は政府に感謝しろ 4、救出費用はできるだけ被害者が負担しろ』の言説による国民洗脳の成果である。
被害者は政府に『感謝』してしまった。実際は自力で解決したにもかかわらず、何もせずむしろ自分らを殺そうとするかのような言動を繰り返した政府に、あろうことか感謝してしまった。
その結果、手柄は政府が奪い、自分の活動による評価で解決したはずの人質らは、『哀れで傲慢で愚劣な被害者』の烙印を押されてしまった。
被害者も家族も断じて、断じて政府に感謝などするべきではなかった。しかし実際には政府高官からの脅迫めいた強制で感謝せざるをえなかった。
13、人質となった3人はどう評価するべきか。
自己責任論の「5、3人は異常者扱いするべきである」に関して考えよう。
少なくとも、この時期にイラクに入る人間が、われわれ一般人とは異なる、変った人間であることは当然のことである。
それは3人に限らず、世界中で活動するNGOやジャーナリストは全員そうだ、と言えるだろう。
だから、3人の経歴が世間離れしたものであるのはむしろ自然なことだ。
だが、政府メディアの国民洗脳煽動策は、この点を利用しないはずもなく、またたくまに3人は奇人変人、さらには異常者扱いをされることになる。
しかも、「今井氏の父親が日教組で自衛隊撤退運動をしていた」
これは自己責任論1〜4を補強するために、最大限の効果をあげた。これはいまさら説明するまでもないだろう。
実際には、事件を自力で解決した人質らをどう評価するべきだろうか?
イラク人の間では、人質となった3人が好意的な評価を受けているのは当然だが、それがもたらしている効果は知られていない。
現在、米英はもとよりウクライナやエルサルバドルのような軍隊にまで死者が出ている現在で、ただの一人も死者が出ていないという奇跡的な状況にあるのが自衛隊である。
また、各国で自爆テロが相次いでいる中、日本国内ではただの一件もテロが起きていないどころか、その兆候すらない。アルカイダが名指しで攻撃を表明したにもかかわらず、である。
それはなぜか?
その奇跡的状況を生み出しているのが、人質の3人のようなNGOなどの活動者であることは、常識的に考えれば当然帰結されるだろう。
イラク国民は少なくとも自衛隊をはっきりと敵と見なしているし、日本政府や自衛隊派遣を支持した日本国民にも敵意を抱いていた。
それなのに攻撃を受けないのは、NGOなどの草の根運動によって、イラクが日本を好意的にみているからである。
さらに、犯行グループまでが、「米国に追随する日本政府」と「一般日本国民」を分けて理解したということは重要である。
今回の事件によって、テロリストが日本政府と日本国民を分けたことにより、日本国内でテロが発生する可能性は大幅に減少したのは間違いない。
漫然と自衛隊派遣を支持し、イラク国民を含むイスラム教徒を敵に回したことにも気づかない愚かな一般国民と違い、
まさに人質となった3人は間接的に自衛隊を攻撃から守り、日本国民をテロから守る存在だったのである。
14、奥大使と井ノ上一等書記官の死との比較
ここで思い起こしたいのが、昨年11月29日に殺害された奥大使と井ノ上一等書記官に対する反応との違いである。
二人が殺害された後、二人は政府によって祭り上げられ、英雄の殉職として大々的に国威発揚に利用された。
しかし、今回の人質3人と、殺害された2人に何の違いがあっただろうか。
殺害された2人に、「イラクのような危険な地域に仕事のために行くなんて愚かだ。殺されるのは当然だ」という非難をなぜ国民はしないのか?
なぜ2人に「自己責任だ。2人の死によってイラクでの邦人活動は困難になった。奥と井ノ上の家族は政府と国民に謝罪しろ」といわないのか?
人質の3人も殺害された2人もイラク人のために身をささげて活動したのは間違いない。
ただし、奥氏と井ノ上氏は官僚であり、仕事のため、つまり金のために活動していたわけであり、(別に2人を貶めるわけではないが)無償ではない。
しかも、外交官二人の活動によってイラクの状況がよくなるわけでもなければ、イラク人の日本に対する敵意が和らいだわけでもない。
それに対し、人質3人は無償であり、イラク国民の日本国民に対する敵意を大幅に和らげた上、ほぼ自力で生きて帰ってきたのだから、外交官二人よりも評価されてしかるべきであろう。
しかし、外交官は政府の人間であり、人質3人は思想的には反政府的な人間であったため、外交官は国威発揚に、人質3人は政府の保身にそれぞれ利用されて終わった。
この事実を国民は冷静に受け止めるべきであろう。
15、人質及び家族を攻撃する者の自己弁護
さて自ら洗脳され煽動に乗っていることを自覚してない者達は、自分らの異常な感情と卑劣な行為をどう弁護しているだろうか?
攻撃している人間が正当性を信じる攻撃対象は二つある。それは人質の家族に対するものと、人質3人に対するものである。、
一、家族が自衛隊撤退要求をしたことは非道徳的な態度である。
なぜなら、その要求は人質の人命救助のためではなく、家族の『思想的要求』だからだ。
二、人質が非難されて当然なのは、人質のとった行動が『軽率』だからだ。
なぜ軽率なのか? それは、もし3人がイラクに入国していなければ今回の事件は起こらなかったからである。
この2点以外にも、様々な要素があり得るが、それはこの2点から発生した付随的なものにすぎない。
16、人質の家族に対する攻撃とは何だったか
前述した自己責任論は主に人質3人に関する論点であり、家族へのバッシングは別の論点から考えねばならない。
それは、非難側の非難する理由が「人質家族が自衛隊撤退を要求して政治的駆け引きを始めたことが非道徳的で愚かだからだ」という点である。
誰もが疑わないこの非難の正当性は、しかし相当疑わしく、また論理操作の臭いがするものでもある。
事実を述べよう。この事件で政治的な駆け引きを仕掛けたのは、唯一、犯行グループなのだ。
国内の自衛隊撤退論者の意見は「国民の意見の一部」にすぎず、今回の事件での駆け引きの主役ではまったくない。
犯行グループの『要求』と国内自衛隊撤退論者の『意見』は、自衛隊撤退という点で同一であっても、その力も内容もまったく異なる。
しつこいようだが、実際に『要求する力』があり、真の意味で『要求』といえるものを出したのは犯行グループのみであって、
国内自衛隊撤退論者は「言論の自由な世界における世論の一部」にすぎない。
つまり国内自衛隊撤退論者の論は単に『意見』であって『要求』でない。
意見にすぎないという点では人質の家族の「要望」も同じである。
しかし政府が犯人側との交渉能力を持たないために、議論の本質は犯人との交渉つまり『要求』に対する対処ではなくなった。
「テロに屈しない」という大義名分のもと、政府が交渉可能性さえ切り捨てたからである。
そして、論点は自衛隊を撤退させるかどうかという国内の意見対立に変質してしまった。
前述の通り、犯行グループは自然災害同然に見なされ論点から消えたのだ。
17、人質家族をテロリストと同一視させる操作
犯行グループを論点から抹消した政府が実際に「敵」として交渉したのは、単に「意見」を言っているにすぎない、自衛隊撤退を求める国内勢力だった。
要するに、実際には何の力も持たない人質家族をテロリストの代理に仕立て上げたわけだ。
(「要求」と「意見」の大きな違いはあっても、表面的な内容は同一なため)
そこで政府・メディアは、人質家族をテロリストの代理だと国民に錯覚させておいて叩き潰せば、
国内に自衛隊を撤退させる声は抑えられる=テロとの戦いに勝利したという幻想を作り上げられる、と目論んだのである。
その結果、家族に対する敵視がいつの間にか煽り立てられ、
政府・メディアはテロリストに向けられるべき国民の憎悪を人質の家族に向けさせたわけだ。
そのためには、人質の家族の要望は、『家族を思う心から生まれた切願』ではなく、
『家族自身の政治思想的欲求から生まれた利己的で政治的な、テロリストと同レベルの要求』でなければならなかった。
もっといえば、人質の家族を、テロリストに仕立て上げなければならなかったのである。
冷静に考えれば、家族が人質の救出を第一に考えて政府に自衛隊撤退を訴える、それは当然である。
家族は単に人質の救助のもっとも確実性の高い方法を求めたにすぎないからだ。
まさか家族が「テロに屈するな、自衛隊は撤退するな」とでも言うだろうか?
(仮に家族が理性的判断でそう言ったとしても、世間は冷淡だと見なし、やはりものすごいバッシングをするだろうが)
常識的に考えよう。自分の兄弟や息子が今まさに殺されようとしている時に、
その状況をもっけの幸いとばかり、自分の利己的な政治思想のために利用する輩が存在するだろうか?
人質の家族を援助した左翼グループも、もっけの幸いとばかり、この家族を道具に利用しただけなのだろうか?
ここで政府・メディアは、「人質の人命に対する家族や周囲の感情」を意図的に無視し始める。
政府・メディアの言説に操作されやすい大衆は、まるで人質の人命そのものが虚構であり、家族も周囲も含め誰も人質の人命など無視しているかのような錯覚に陥ってしまった。
そして家族やその周囲は、今回の事件を自分の政治的野心のために利用する卑しい政治思想団体としてしか世間に認識されなくなるのだ。
これは、家族が自衛隊撤退を求めたことを利用して、それを家族の思想的活動の結果というデマを作り上げ、世論が家族の味方をしないように情報工作した政府・メディアの煽動策であることは間違いがない。
例えば、一介の教師にすぎない今井氏の父親を「日教組」「自衛隊反対運動の活動家」とありもしないデマを流し、「共産党一家」とのレッテルを貼ったことなど最たる点と言えよう。
(三人の背後に左翼グループがいることは確かだが、共産党とは関係がない。共産党というわかりやすいイメージの付与が重要なのである)
しかもこのデマを流したのが政府高官筋というのが最近暴露され、念入りに偽情報を作り上げた上でのデマを流したのは明らかである。
結果、家族の政府に対する意見は人質の人命救助のためであったはずなのに、
世間には政治思想的な要求と受け取られしまい、さらには人質の家族はテロリストと同一視されてしまうという結果を招いた。
そして本来犯行グループに向けられるべき憎悪は、政府・メディアの煽動策によって、全て人質の家族に向けられたわけだ。
18、人質3人の行動は軽率だったか?
人質が軽率だった、というのがいまや国民の大多数の感情である。
これは人質となった3人に好意的な左翼論者に至るまでそう認識してしまっている。
さて、この非難には「もし3人がイラクに行かなかったら……」という仮想がある。
つまり事件が起こらなかったもう一つの可能性を想定して、3人を軽率な行動を取った愚者、と断定するわけだ。
この場合、『では、3人の行動は本当に軽率だったのか?』という視点はものの見事に抜け落ちている。
結果論的に、事件に遭ってしまったのだから3人は軽率だった、という論法しか存在しないわけだ。
イラクに入国したこと自体を軽率とするなら、現在イラクにいる民間の邦人は全員軽率だ、となるはずだが、
誰もそうは言わないところがこの論法の異常さを浮き彫りにしている。
現在、事件の経過はまるで分かっていない以上、3人や犯行グループの具体的行動はまるでわからず、
『軽率だったかそうでなかったか、を判断する材料はまるで存在しない』。
判断材料がほとんど存在しないのに3人の行動を軽率だと断定する意見がこれほど大多数を占めている現状は、
やはり何らかの情報操作の結果だと想定せねばなるまい。
これは前述した事件の自然災害視化という情報操作から容易に導くことができるであろう。
つまり『日本人を狙って用意周到に犯行を計画した悪意ある犯行グループ』を世間の意識から忘却させ、
メディアが、あたかも3人が雪崩が起きそうな雪山に向かっていったようなイメージを作り上げた結果なのだ。
19、テロとの戦い、アメリカと日本の違い
日本国民の洗脳煽動策に溺れた世論の結果を考えると、
誘拐事件が自然災害などではなく犯行グループが現実に存在するのでそれを対象にしなければならない、
と考えるアメリカとは大きな違いがあることがわかるだろう。
アメリカが民間人4人が虐殺された『報復』を決行したことを思い起こすべきだ。
この行動自体は愚か極まる行為だが、少なくとも日本人のように誘拐事件を自然災害とは見なしてはいない。
アメリカ政府は『悪意ある人間の存在』をしっかり認識している。
だから、日本人なら「悪いのは危険な場所に行って虐殺された4人の方だ」となるが、
アメリカ人は「悪いのは虐殺した犯行グループだ」となる。
つまりアメリカにとっては『テロとの戦い=テロリストという人間との戦い』だが、
日本にとっては『テロとの戦い=テロという自然災害との戦い』という根本意識の差がもともと土壌としてあったとも言えるかも知れない。
(キリスト教とアニミズムの違い?)
だから容易に犯行グループという存在を世間の中から忘却させることに成功したのだろう。
20、結論
今回のイラク人質事件で起こったことは、政府のメディアを通じた大規模な国民洗脳煽動策であり、それこそが「自己責任論」であった。
その結果、「犯行グループが唯一の加害者であり、人質と家族が唯一の被害者である」という事実が、「人質と家族が加害者であり、政府と日本国民全体が被害者である」という
図式にすり替えられ、国民に被害妄想を植えつけて洗脳した。
そして、犯行グループは自然災害的イメージとともに忘却され、
『間接的に自衛隊と日本国民を守るような活動を続けてきて、今回の事件をほぼ自力解決させた人質3人は、
悪質な罪人であり、哀れで傲慢な愚者であり、政府を頼った無力な被害者であり、思想的には異常者である』という烙印を押され、、
『兄弟の、息子の身の安全を一心に願い、そのためにはもっとも確実な方法を政府に意見した人質の家族は、
極左思想を持ち続け、この事件をもっけの幸いとばかり自身の利己的な政治野心に利用しようと世論を操作して政策支配を目論んだ、
卑しく無礼で傲慢かつ異常なテロリスト』という烙印を押された。
おそらくこの烙印を押されたことによる傷は一生消えないだろう。
日本政府の無能さと洗脳煽動策の巧みさ、メディアの自己批判能力の決定的欠如、そして何より、日本国民がこれほどまでに愚かだったことに愕然とするよりほかにないのである。
もちろん『不幸中の幸い』として、この状況が「国民の自発的意志」ではなく『政府の策略の結果』だということである。
これが国民自らの意志によってなされた状況であるなら、日本人はクズの集まりである、と断定せねばならなくなってしまうところだ。
だから最後に私はこう言わねばならない。
なんと日本人は愚かなのだろうか……と。