丸山眞男(1914-96)
1914 大阪市生まれ。ジャーナリストで政治評論家の丸山幹治の次男。
1933 唯物論研究会講演会(本郷)で、特高警察によって逮捕・拘留される。
1937 東京大学法学部卒業。南原繁の助手となり東大助教授を経て、
1950 東大教授。
1961-62 ハーバード大学特別客員教授。
1962−63 オックスフォード・聖アントニーカレッジ客員教授。1971年退官。
1974 東大名誉教授。
1975-76 プリンストン高等研究所員。
1978 学士院会員。
1996 肝臓癌のため死去。82歳。
主な著書
『日本政治思想史研究』(東大出版会、1953)
『現代政治の思想と行動』(未来社、1957)
『日本の思想』(岩波書店、1961)
『戦中と戦後の間』(みすず書房、1976)
『後衛の位置から』(未来社、1982)
『「文明論之概略」を読む』(岩波書店、1986)
『丸山眞男集』全16巻(岩波書店、1995〜)
訳書 セイバイン『西洋政治思想史1』(岩波書店、1953)。
関連スレ
●卍●丸山真男総合雑談スレッド●卍●
ttp://academy2.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1049548354
2 :
右や左の名無し様:03/12/25 18:47 ID:dfahWhtn
戦後の日本政治思想史研究をリードし、サンフランシスコ講和や六○年安保をめぐっては反対派の思想的バックボーンとなった政治学者、丸山真男さんが亡くなった。青年に大きな影響を与えた「丸山政治学」。明治以来の日本社会とその精神構造を批判、思想界に一時代を築いた。
「このような愚挙はナチスも軍国主義者もやらなかった」。岸信介内閣の安保強行採決に反対した丸山さんだが、昭和四十三年暮れ、全共闘系の学生が東大法学部研究室を封鎖しようとしたときには、こう憤ったという。
四十六年、定年まで四年を残し、三十年以上勤務した東大を去る。「健康上の問題」が理由だった。六○年安保闘争以後も「大日本帝国の「実在」よりも戦後民主主義の「虚妄」の方に賭ける」と話したが、後半生は研究や著述業に専念、目立った発言はしなかった。
四十八年には、米プリンストン大で名誉文学博士、ハーバード大で名誉法学博士号を授与された。日本人が人文関係で名誉博士称号を受けるのは、ハーバード大では宗教学者の姉崎正治氏以来、プリンストンでは初。日本では博士の学位を持っておらず喜んだという。
五十二年には、戦中から戦後までの発言を集めた「戦中と戦後の間」で大仏次郎賞を受賞。この間、著作のいくつかは、英独仏中韓など各国語に訳され、六十一年には朝日賞も受けた。
平成六年ごろからは、闘病のため入退院を繰り返した。「自分は政治思想史に徹する」と政治的発言は行わなかったが、今年三月にも資料集の序文を書くなど、著述意欲は最後まで衰えなかったという。
(産経新聞 96年8月19日 朝刊21面)
3 :
右や左の名無し様:03/12/25 18:48 ID:dfahWhtn
一九一四年、大阪市生まれ。東大法学部卒業後、
南原繁教授の元で同学部助手として、日本政治思想史の研究を始めた。
同大助教授を経て、五○年教授に。
戦時下に荻生狙来ら、近世日本思想に関する論文を次々と発表。
戦後の五二年に「日本政治思想史研究」としてまとめ、
西欧の社会学や思想分析の方法を採用しながら、
日本での新しい政治思想史の方法を打ち出した記念碑的研究と評価された。
また、「超国家主義の論理と心理」(四六年)など、
のちに「現代政治の思想と行動」(五七年)に収録された論文のなかで、
日本型ファシズムを分析し、日本政治のゆがみと、無責任の体系を分析し、
日本の政治学を学問として確立。その後「丸山学派」と呼ばれる学問の潮流を作り上げた。
五○年代、民主主義科学者協会、平和問題談話会などの設立に参加し、
全面講和に向けての運動を推進。六○年の反安保闘争に影響を与えるなど、
行動する知識人の代表的な顔となった。
その後も、記紀神話の分析から日本思想の原型を抽出した「歴史意識の「古層」」(七二年)をはじめ、独創的な著述を続けた。
著作は、海外へ広く紹介され、
米ハーバード大学など欧米の大学でたびたび客員教授を務め、
日本の社会科学を国際的に評価させた功績も大きい。
「日本政治思想史研究」で第三回毎日出版文化賞(五三年)、
「戦中と戦後の間」で第四回大仏次郎賞(七七年)、八五年度には朝日賞を受賞した。
(朝日新聞 96年8月19日 朝刊1面)
4 :
右や左の名無し様:03/12/25 18:51 ID:dfahWhtn
その後、肝臓がんを病んでいたが、昨年十二月初めには、病をおしてゼミナ−ルの教え子たちの会に出たことがあった。
オウム事件を生んだ日本の社会のありようも、やはり気になっていたらしい。
「私の青年時代を思うと、日本中、オウム真理教だったのではないか。外では通用しないことが、内では堂々とまかり通る。違った角度から違った証明を当てることができない。
今も昔も「他者感覚のなさ」が問題だ。一人ひとりの知的水準は相当高いのに、判断となるとなぜかおかしい。」知識人丸山氏らしい言葉といえた。
(朝日新聞 96年8月19日 朝刊31面)
5 :
右や左の名無し様:03/12/25 21:36 ID:+O1OUcWB
1がsageてる・・w
で今丸山学派の正当な後継者って誰よ。おっと自称はなしな
6 :
右や左の名無し様:03/12/25 22:06 ID:ipZK7Uik
この国では評論家は食える
7 :
右や左の名無し様:03/12/25 23:20 ID:4AGsBC4M
「まるやままおとこ」っていう人だと思っていました。
9 :
右や左の名無し様:03/12/26 01:30 ID:i4f4HiqX
講義録糞つまんない
一巻半分読んでお終い。
ちょんまげの時代はどうも苦手だよ
10 :
右や左の名無し様:03/12/26 02:18 ID:H8Dn4jaT
日本の思想を読んで、2チャンネルのトップに壷の絵が描いてある理由がわかった。
11 :
右や左の名無し様:03/12/26 03:31 ID:KaObz7wa
■三流大卒は知的障害者 PART Z
今は、街中に盲人用信号機やら障害者用トイレなどが
設置されるのは当たり前の時代となり、
障害者なんかは平気で車椅子かなんかで
街中を闊歩してたりする。
しかし昔は家系の誇りにキズがつくという理由で
カタワや目倉などの障害児が生まれた日には
納屋に閉じ込めて人目に晒させないようにしたものだ。
三流大卒などの知的障害児にとっても、
現代社会はとても住み心地の良い甘い世界ではある。
しかし知的障害者三流大卒の分際で
調子に乗って人並み以上の権利を要求しているのを
目の当たりにすると
何様のつもりなんだろうと思う。
注:スレ荒れ防止のため、三流大卒の書き込みを禁ずる。
政治思想板にふさわしいスレなのに・・・。
私は5流大法学部1年。
司法試験には毎年合格者有り。
『<民主>と<愛国>』の丸山眞男のとこまで読んだけど、
すごい人なのね。「超国家主義の論理と心理」は読んでみる
かなあ。