541 :
↑:04/02/17 02:25 ID:r7JkMMgx
×許さたし。
〇許されたし。
>>536 >奴らにしてあげる事は
公園の鳩に餌でも差し上げてなさいな。
尾舞、ホントの日本人怪?
>539 Santi氏
人権の制約は正当性が必要である。当然だな。
正当性は何によって決まるのかな?
1、公務員の人権の制約・・・総理大臣も天皇も、自衛官も警察官も
人権は制約されている。なぜか、簡単だよ
「そうしないと社会秩序が維持できないから。」
2、一般人の人権制限・・・不平等な扱いは、一方に制限を加えていることになる。
不平等であるかどうかは、社会通念による。
社会通念に反する悪平等は排除される。「そうしないと社会秩序が維持できな
いから」
3、非常時の人権制限・・・これは簡単。同じ答えか、あるいは
「そうしないと社会秩序を維持保護すべき国家がなくなってしまうから」
歴史的に構築された社会秩序を維持する為に必要な場合、人権の制約は正当性を
与えられる。
人権というのは、基本的には認めないのが社会のお約束。
社会の運営に影響が無い範囲で個人が生きることだけは
認めてあげましょうねというもの。
個々の存在など社会にとては何の意味も持たない。
社会の歯車などと言う者がいるがこれは間違い。歯車は一つ欠けても
装置は動かなくなる。個人が一人二人欠けたところで社会の機能に何の影響も無い。
個人を例えるなら、社会という装置を組み立てるネジか釘のようなもの。
一本や二本あろうが無かろうが全体にはなんの影響も無いの。
今の世の中、個人にとっては社会が無いと生きていられない。
社会にとって個人はその一部があれば十分。大部分は有っても無くて
どうでも良いもの。曲がったりネジがバカになったら抜き捨てるだけ。
代替品は幾らでもあるのだ。権利などと御大層なことは言わないことだ。
>>540 予備海上自衛官氏
>人権とそれ以外の何かを無意識的に使い分けているように感じた。
確かにそういわれるとそうかも知れない。私も人権を最も重視するという立場に立ってはいるが、それ以外の要素を全く無視して良いと考えている訳ではないので、そういう面はあるかもしれない。
私は、人権というものは倫理や道徳と整合的であらねばならないし、というよりも自然権という発想自体がそういう倫理や道徳的なものから由来しているとも考えられるので、親和性は持っていると思う。
>>545の続き
>人間には普遍的な大切なものがあるとするあなたと考えを同じくする。
まだ私に説明不足なところがあるようで申し訳ないのであるが、人権というものはそういう一人一人が大切にしたいと思うものを大切にする事自体を尊重すべきだという要請から主張されるようになったものである。
一人一人が何を重んじ何を大切にするかは基本的には完全に自由であり、それは例えば家族とか恋人とか信仰とか場合によっては財産であっても一向に構わないのである。
特に日本国憲法は価値相対主義を極めて強く要求していて、その下ではれれれのおぢさん(れ氏の事w)やなごみ氏のように国家や天皇をやたらに重んじるというような「反社会的」(憲法の理念に反するという意味で)な価値観すら認められているのである。
ドイツ基本法のように自由で民主的な体制を破壊するような或いはナチスを賛美するような言動や政治活動を禁止しているような事例もあるにも拘らずにである。
亀哲人氏は以前に極右民族主義政党の存在を容認する発言をしていた。私も概ね同意している。ドイツでは現在このような政党は禁止されているにも拘らずにである。
我々は現憲法が徹底した政治活動の自由の保障をより良いものと考えている。それは、彼らが現憲法が保障しているような自由で民主的な体制を破壊するような愚かなことはしないであろうという信頼に基づいている。
しかし、彼らがその自由が徹底して保障されていることをいい事に憲法破壊を行い、再び日本を破滅させるようなことをした場合、その後に成立するであろう民主的な体制の下では、彼らは規制の対象にせざるを得なくなるであろう。
現憲法はよくかつてのドイツのワイマール憲法に非常に良く似ているという指摘が為されている。この極めて自由で民主的な憲法の下でナチスは生まれた。日本はドイツより憲法史的に一世代遅れているという見解もある。
しかし、私はこの自由で民主的な憲法の下であっても、ドイツが犯したような失敗を日本は行わないと信じたい。
>>543 れ氏
>社会秩序を維持する為に必要な場合、人権の制約は正当性を与えられる。
全く論理性が無いし、自然権思想にも反することは勿論だし、現憲法の理念にも反するし、支配的な見解にもそぐわないし、法的な根拠もない論理だ。
憲法上もしくは法律上の根拠を挙げてその論理が正当であることを説明する必要があろう。
ま、しかし仮に貴殿の論理に乗っかって議論をしてあげるとすれば、その社会秩序は何のためにあるのだ?まさか天皇のためって言うんじゃないだろうな?
結局は国民の利益つまり人権のためだろう。国民の利益を離れた独自の価値を持つものなんて存在しないし、だから当然そのようなものを守るためと称するような社会秩序なるものは認められない。
追加だが、ただ単に必要だから制約を課するというのでは理由にならない。
人権の重要性を十分に考慮した上で、その制約が本当に必要なのか、他により制限的でない手段は本当にないのか、といったことを十二分に吟味した上で考えなければならない。
549 :
予備海上自衛官:04/02/18 21:36 ID:zSaEYnrr
>>Santi氏
貴殿が公共性の高い職能の例として挙げている医師・弁護士は、総体として公共に寄与するのであって、
直に全体の奉仕者であることを要求される公務員とは直接比較出来ないと思われる。
また、彼等の守秘義務は職業倫理と考えるべきではないか。
ことさら表現の自由の制限やらプライバシーやらの人権概念を持ち出さなくても、
信頼を損なわないの一言で充分足りると思う。
前回使った担保に変えて裏付けと表現しても良い。
人権を理念面で裏付けるのが個人の尊厳なら、実質保証するのは国家だという。
国家即ち国家権力であり、つまりは主権国家の強制力であろう。
結局、人権は国権に従属するものなのか。
私はそれを肯定する。れ氏は秩序と言ったが、国家第一の任務が人権の保証というのはやはり無理がある。
それほどまでに尊いものなら、多数者のためとはいえ少数者の人権を強度に制限するのは、
やはりどこかに根本的矛盾が存在するのではないか?
あるいは、公共的で人権制限のある職業を選んだ人にその理由を問うてみて、
「人権を守るため」と答える人がどれだけいよう。
再び言う、そこまで大切なものを少数者に負わせるのは間違いではないのか?
550 :
なごみ:04/02/18 23:19 ID:???
>>525 >私が議論を纏めようなんてしたことがあるか?
お主はこのスレの主なんだからね!
>せいぜいどちらかが論破されるか、逃げ出すかだろ。
だから論破は無理だといってるんよ。逃げ出すのは自由だけどね。
>我々が議論する時に従わなければならない法ではない。
言い方がまずかったな。法律とは様々な基準がある中で国家が採用した基準であって、「従う」というよりそれを前提に議論しないとまずいってこと。
かなり誤解を与えちまったね。ま,これも俺の意見に過ぎないが。
>我々がいくら議論したところで、そのようなバランスを左右するような事にはなりえない。
亀ちゃんなんか事業者が多く電気を使ってるんだからそっちが節電すればいいといってる。
亀ちゃんなんか原発がなくなった暁には電気代が高くなっても払ったるわいと言ってる。
これがバランスがとれた意見と言える?影響が云々なんて言ったら2chなんか存在意義がない。
>本当にその法律で適正なバランスを保てているのかも疑問。
適正というのがあると思ってるなら、議論がまとまるって思ってることになる。
法律ってのは適正が理想だが、現実には完全な適正ってことはあり得ない。
むしろ適正は法律によって保たれる(法律が適正を作る)
>憲法改正論議はおろか法律改正論議すらも出来ない。
改正論は現行の憲法や法律を無視してはできない。余りに突拍子もない意見はねぇ。
で、俺は現行の法律が遵守されれば、バランス的には問題ないと思ってる。勿論、東電の事故隠しのようなことがあれば法律に則って厳しく追及されるべきだが。
551 :
なごみ:04/02/18 23:19 ID:???
>>526 >しかし私も神道には皆目興味が無いのであまり調べた事が無く偉そうなことは言えないかな。
俺も詳しくはないが,神道というものは実はなんであるのか定義付けすらされてないんよ。神仏融合というのは神道なのか? 多神教であるということはそれだけ集約されることが難しい。研究も進んでない。
国家神道然り。神道と天皇の関係も天皇教とするのが正しいのか研究は最近になってからどうにかされようと言う動きがある。
歴史というものは反動の繰り返しである。現行の天皇制も人権も戦前国家の反動とも言える。
今が適正であるという保証はない。国家神道は歴史とするには生々しすぎる
>不確かかもしれないが人間はそれを持っているだろ。
だから理性をどう扱うかってことなんよ。人権ってのは人間の理性を当てにしたもの(その点
>>499は同意)。
不確かなのに何が何でも人権!人権!ってのは当然の帰結なのか?
それにお主は、自殺自傷やマゾを容認してるように感じるが。マゾは趣味だからいいとしても・・・
>せいぜい議論相手だ。
「論敵」とはそういう意味なんだが
>その立場からすると科学や無宗教は宗教ではないという事になる。
科学=宗教なんて言ってない。方法論として一緒だってこと。
秩序や存在を証明するときに宗教によるか科学によるかってのの違い。
無臭教は宗教の反動であって、その思考は極めて宗教的(つまり一緒)。
>憲法の存在目的はズバリ人権保障にある。
だったら憲法は第三章で十分ではないか。残りは何のためにある?
憲法の存在意義は国家の規定(定義付け)にある。その中で人権は重きを置かれてはいるが、全てにおいて優先、まして超越はされてない。
552 :
なごみ:04/02/18 23:20 ID:???
>>527 >自由意志(理性)は、人間を欲望から解放すると共に罪を犯させる働きも持っている「両刃の剣」なのである。
その理性の産物である人権もね。
>つまりこれは「本能的」なものだな。
だったら自殺は本能なんね?
「生物には本能的に生存欲というものがあるし、次の種を残したいという欲望もあるだろ。」(
>>500)
本能はどっちなんよ?
>婚姻観・結婚観
俺に反論ばかりで、お主が度いう立場なのかはっきりしない。お主はどう思うんよ?
子供を作らない夫婦は自然なん?
>上に述べたとおりだから必ずしもそうは言えない事になるだろう。
自殺は理性であり、本能でもある。なのに、生存権っていう人権の根拠は?
>「理性」と言う言葉に拘っておられるようだ
当たり前でしょーが。それに就いて議論してるんだから
>理性も自然が与えたものだし、自律的な体の機能も自然が与えたもの。
こういってしまえば自然は全てを超越する。だったら
「そして他の本能の赴くままに生活する動物とは異なり自分の理性により自由に生きていける動物として生まれてきた、という事実を尊重しようという趣旨から生まれてきたのが人権だと考えて良いと思う。 」
>>499 と理性と本能を区分けしたお主の意図が解らん。
553 :
なごみ:04/02/18 23:23 ID:???
>>528 >私は場合によると自然(環境)と人権は矛盾衝突する可能性のある概念
だったら人権の根拠は? 自然と対立した場合,人権は存在意義はどこにある?
>人類の歴史は国家が人民の権利を侵害しまくった歴史。
人権に立てばね。でも人民の権利がないのなら国家が侵害してることにはならない。絶対主義国家が反人権国家なのは当たり前。だって人権に立ってないんだから
>だからこそ、人権というものを持ち出さざるを得ないのである。
持ち出す対象である国家を否定すればいい。アナーキズムやリバータリズムだね。人権が国家を超越するなら、人権はなぜ国家によって憲法によって保障されねばならないのだ? 人権はそれを侵害する国家を否定できないんよ?
>そのあたりのことを分かって人権を「肯定」しているのならまだしも、どうもそこまで思慮が至っていないようで・・・
とのしつけてお返しする
>>529 >まだ525だから大丈夫なのでは?
512KBを超えると書き込めない。(現在455KB)そろそろ考えないと。
>「人権なんてお荷物でしょ」なんていう人はいないだろうから論外。
ま、ネタだったんで。
>それから貴殿も
>>523氏に答えてあげて。
どうも何も自衛官たんの言う通りでしょ。深入りはしない。自衛官たんのご指名だし。二人のレスのゆくえに期待したい
論点がまた拡散したようなので、一点に絞る。
「人権が場合によっては自然と対立するのに、人権の根拠はどこにあるのか?」
あと、スレタイを決めて欲しい。このままでは
「【教えて】人権の存在意義【下さい】 」
になってしまう。
554 :
予備海上自衛官:04/02/18 23:48 ID:zSaEYnrr
>>549続き
Santi氏は整合性を言っておられるが、人権の尊重と少数者の人権制限をいかに整合させるのか。
かなりアクロバティックな概念操作をしているようで、その辺がダブルスタンダードを感じさせた所以なのだが。
ここではっきり言いましょう。人権を守るため一部の人権制限が避けられないのなら、
人は誰しも人生の数年間を人権制限下に甘んじ、全体に奉仕する必要がある。
これで首尾一貫する。
常々疑問なのだが、なぜ人権派(とカテゴライズされるのをSanti氏は拒否されていたが)や市民派は、
兵役の権利をそして兵役の義務を主張しないのか?
権利と義務は表裏一体ではなかったっけ?
民主主義制度下における主権国民は兵役の権利を有し義務を負うのが、本来の姿ではありませんか?
そう考えて自衛隊に志願した私は、どこか間違っていますか?
現職の頃、市民派・人権派・反戦平和派あるいは右翼の運動をしている方々には時として不愉快な思いも味わされた。
人権・民主主義・平和などを深く理解している自負は無いが、
どちらがより理解しそこなっているかは明らかだと思う。
555 :
予備海上自衛官:04/02/19 00:04 ID:qVJtLZRl
>>553 なごみ氏
せめて頭に“予備”を付けて頂けませんかf^_^; “自衛官”は政治活動が制限されていますゆえ。
【 人権ファンクラブ Part2 】会員番号
>>525 なごみ氏
>お主はこのスレの主なんだからね!
え!そうだったの?私は一度名無しどもに撃退された身。スレ主ではないと認識していたんだが。
>だから論破は無理だといってるんよ。
纏めるのも無理だと思うよ。存在意義スレを見てご覧。纏まりそう?
>「従う」というよりそれを前提に議論しないとまずいってこと。
だから、私は現状を一応認めているじゃないか。ただ、現状のままで今後も行っていいものなのかという議論をしているのだが。
>これがバランスがとれた意見と言える?
それは彼に言ってくれないか。w
私個人的には原子力止むなしという立場だが、彼の意見も尊重されて然るべき。
>むしろ適正は法律によって保たれる
そんな訳無いだろ。だったら、法律は永遠に改正する必要がないという事になるのでは?
「適正なバランス」というのは、裸の意味での「適正」ではなくて、相対立する利益の調整をとった点の事だ。完全な適正なんてそれこそ「神」にしか分からないだろ。
>余りに突拍子もない意見はねぇ。
意見はどんな意見でもOKだろ。民主主義や人権を否定するような意見すら許されるのだから、一つの法律を否定することぐらい容易い事だ。
>>551 なごみ氏
>現行の天皇制も人権も戦前国家の反動とも言える。
象徴天皇制はそういうことがいえるかもしれないが、人権はやはり普遍的なものであろう。なぜなら、人権は国際的にも重んじられているものであるし、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、過去幾多の試練に堪えてきたものだから。
>>551 なごみ氏
>不確かなのに何が何でも人権!人権!ってのは当然の帰結なのか?
今、我々が生きているという現実は確かな事だろう。その現実つまり我々が生きているという事実を尊重すべきだということを、言葉を言い換えると人間の生命に対する権利(13条)つまり人権を尊重すべきだという事になるのである。
それから、自殺自傷は現行法では認められている。他人が自殺に関与したり唆したりする行為は犯罪になるが、その本人は処罰されない。それから、傷害行為は被害者本人が承諾している場合(よってマゾもw)は犯罪を構成しない。
自殺は道徳的・宗教的には勿論問題ありだが、刑法はそういう道徳的・宗教的価値を実現するためにあるものではないし、自己決定権の見地からも現状で構わないと思う。
>秩序や存在を証明するときに宗教によるか科学によるかってのの違い。
この違いは大きいと思うけどな。
例えば、太陽が東から昇って西に沈むという現象はどうして起こるのかという質問に対して、それは神が太陽の動きを支配しているからという説明と地球が自転しているからという説明ではどちらが説得的だ?圧倒的に後者だろ?
>残りは何のためにある?
だから、人権保障或いは人権を実現するためだよ。第一章はちょっと異色だがな。
>>552 なごみ氏
>その理性の産物である人権もね。
だから、人権にも一定の制限が課されている。それで十分である。
>本能はどっちなんよ?
だから、両方本能だよ。例えば、人間には恐怖を避けようとする衝動と怖いもの見たさという衝動があるだろ。人間は相矛盾する本能を持ち合わせている。
それから、動物の自殺の件はあれから調べてみたが確認が取れなかったので、取り下げさせて欲しい。
>>552 なごみ氏
>子供を作らない夫婦は自然なん?
自然ではないが止むを得ないだろ。社会の諸制度が、単なる内縁の場合と法的に届け出た夫婦の場合では扱いが後者に対して有利になる場合が多いから、どうしても夫婦という形式に拘るのも分からないではない。
ただ、それを「夫婦」と見るから不自然になるのであって、単に男女が共同生活をしているだけとみれば、人間は社会的動物だから自然といえなくも無いが。
だがそれはいわゆる「夫婦」ではないわな。例えば男5人と女3人で共同生活をしても良いところを偶々男一人と女一人で生活しているだけで、後制度上形式的に「婚姻」という形を付け加えただけだと見る事もできる。
>生存権っていう人権の根拠は?
生きたいと思う人の生存を尊重すべきということだろ。
>理性と本能を区分けしたお主の意図が解らん。
どうしてだ?本能だけを持つ他の動物と本能と理性を併せ持つ人間は違うだろう。
自然は全てに超越する。だから自然の創造物たる動物も、「人権」はもちろん持っていないが、その生存を尊重されるべきで人間がむやみやたらに殺していいことにはならない。
ましてや本能の他に理性までをも併せ持っている人間には人権が与えられ、それを尊重されなければならない。
>>553 なごみ氏
>自然と対立した場合,人権は存在意義はどこにある?
人権は国家に対する権利であって、自然に対して主張することは出来ない。だから、「国家が人権を侵害する」ということはありえても、「自然が人権を侵害する」ということはありえない。
で、人権が自然と対立したとしても、その事で人権を否定する事にはならない。なぜなら、周囲の自然つまり環境も自然なら我々自身も自然(の一部)だからだ。しかも我々は理性も持っている自然の一部である。
人権内部でも、ある人の人権と別の人の人権が対立することはありえるが、その事でどちらか一方の人権が否定される事にはならない。
同じように、人権が周囲の自然つまり人間が環境と対立しても人権が否定される事にはならない。
>だって人権に立ってないんだから
だから人権が主張されるようになった。何かトートロジーになってるな。
>人権はそれを侵害する国家を否定できないんよ?
いや、人民は人権を侵害する国家を否定した上で、人権を保障する国家を新たに作り上げたのだ。
そのあたりのことを分かって人権を否定しているのならまだしも、どうもそこまで思慮が至っていないようで・・・
>スレタイを決めて欲しい。
このスレのスレタイのPart2で良いんじゃないか?敢えてスレタイを変える必要は無いだろ。しかも、貴殿が挙げているのだと紛らわしいと思うし。
>>549 予備海上自衛官氏
本当にコテハンはあなたの職業(というか身分?)だったのですね。
>国家第一の任務が人権の保証というのはやはり無理がある。
では何だというのであろうか?国家の存在目的は何なのであろうか?あなたの意見をお聞かせ頂きたい所である。
私は国家の存在目的はやはり人権であると考えている。ただ、人権というものに対する誤解があるような気がするのであるが、ここで言う人権というものは国民の生命・健康・自由といったもののことである。
あなたは憲法13条をどのように理解しておられるであろうか。この条文では、人権が国政の上で最大の尊重が為されるべき事が謳われている。或いは、憲法前文でも国政の福利は国民が享受するものであることが謳われている。
これらの規定の中の「国政」という概念には防衛も入っていることは指摘するまでもない自明の事であろう。
もし国家の存在目的が人権を保障する事つまり国民の利益を守る事でないなら、その法的な根拠を挙げて頂くか、論理的に説明して頂きたい。
>「人権を守るため」と答える人がどれだけいよう。
私が言っているのは、公務員個々人の内心の問題ではなくて、公務員が一般国民よりも強度の人権制約が為されているという法制度上の正当性の根拠についてである。
公務員個々人は様々な内心的な事情で職務に従事しているのであろう。「お国」の為かも知れないし、家族を養うため、自分が豊かな生活をする為、社会的に高い地位に就きたい、名誉を得たい等様々な動機に基づいて職務に従事しているのだろうと思う。
それはまさに「自己実現」の問題で、彼らの人生観・世界観に関わるから、そこに立ち入ることは出来ない。従って、あなたがどのような目的で自衛隊に入隊されようともそれについて私がとやかく言う積りは全く無い。
ただ、内心においてどのような目的を持っていようとも、公務員が公務員として職務に従事する上においては、全体の奉仕者つまり国民の利益(人権)を守るために職務を行うべきなのである。
>>554 >兵役の権利をそして兵役の義務を主張しないのか?
「兵役の権利」というのは自らの意思で軍隊に入隊する権利の事であろうか?それは人権の見地からは否定しない。むしろ、自己決定権の一内容として肯定されうるであろう。ただ、日本国憲法上は9条との関係で問題となりうる。
それに対して、兵役の義務は問題が大きい。当人の意思に反して強制的に軍隊に入隊させるというのは、人権侵害の度合いが極めて大きいため許されないと考えるべき。
実際、兵役義務を課している国々でもこれを廃止しようという動きが最近は盛んだし、またそういう国々でも入隊を拒否する者に対して一定の代替奉仕義務を課す事で兵役を免除している例が多い。
これらの事情があるので私は主張しない。社会に奉仕する方法は軍隊に入隊する事だけではない筈だ。
それから反戦運動についてだが、私はそういったことはしたことは無いのだが、確かに自衛隊がイラクに派遣されるという事で最近は反戦運動をニュース等で耳にする事が多い。
自衛隊に対して「イラク派遣反対」なんて叫んでいる人たちがいるが、あれは無意味だと思う。言うならば、政治家に対して言うべきだと思う。
ところで、二人を同時にお相手するのはさすがに骨が折れるので今後は一日おきぐらいにレスすると言うことでも構わないだろうか?
>>547 Santi氏
>まさか天皇のためって言うんじゃないだろうな?
だから、そういうレッテル張りは貴殿が一番嫌うんだろ?
で、貴殿が法律を学んでいるのだったら、当然に、平等に関する判例は知っているよね。
例えば、生活保護とそれ以外の福祉との、両方を受給できない規定が、平等原則に
反しているかどうかの判決などがある。
そこで重要視されたのは結局のところ、「社会通念」でしょう。
「社会通念」を無視して権利を主張しても受け入れられない。じゃぁ、社会通念というのは
どうやって構築されるのかということだよ。法律に規定されていないが、共有する価値
というものが国民に有って、その範囲で人権は保障されている。
無制限に保障されているのではなくて、法・社会通念に基づいて保障されるのが人権
何だよ。言い方を換えれば、人権も、安全保障も、防衛力も、公的職業も、すべて、
社会秩序維持のために必要な制度であって、その必要性は「対等」だと私は言いたいん
だよ。
人権上不都合でも、国家壊滅的危機状況において、徴兵制は否定されないし、逆に
平時で、国家的危機がないにもかかわらず徴兵制を引くことに合理性はない。
公務員の人権制約は、本来的な普遍の人権思想からはおかしいが、合理的理由が
あればやむをえない。(その合理的理由とは、社会秩序維持だろう)
国を維持し発展させるというのは、全体主義でもなんでもなく、その国民の利益だよね。
それは人権とは無関係でしょう。人権が保障されているだけで、幸福だとはいえないわ
けだから。
私は、人権を優先するために徴兵制を否定し、そのために国家が滅びるのはご免こう
むる。
564 :
:04/02/19 13:17 ID:???
>>563 れ氏
>そういうレッテル張りは貴殿が一番嫌うんだろ?
レッテル張りではなくて、貴殿の普段の言動から推測した素朴な疑問だったんですけど。
>そこで重要視されたのは結局のところ、「社会通念」でしょう。
事件名も判決日も明示されていないので、貴殿がどの判例のことを言っているのか判明しないのであるが、
私が思うにその判例が言ったのは憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」という文言が抽象的だから、それを解釈する際に「社会通念」を用いると言っているだけであろう。
つまり「社会通念」を用いるのは憲法25条を解釈するためであって、「社会通念」で人権が保障されるわけではない。
だから、例えば19条等のように規定が比較的明確で解釈に「社会通念」を用いる必要のない人権は、その規定の文言どおり絶対的な保障である。従って「社会通念」で思想良心の自由を侵害することは出来ない。
>その必要性は「対等」だと私は言いたいんだよ。
国民のために国家はあるのであって、国家の為に国民があるのではない。では、その「国民のため」とは何かと言えば、それは国民の利益つまり人権を守るためである。13条でそのことが定められている。
従って、人権保障が目的であって、国家はそのための手段に過ぎないと考える事が出来るだろう。
>その合理的理由とは、社会秩序維持だろう
いや、「全体の奉仕者」であると言う事から来るものであろう。つまり国民の利益を実現するために全力を上げるべきだからである。
国民は一人一人自分の幸福を実現するための活動をする権利を持っている。それを実現できるための手助けをしたり条件整備をしたりするのが国家の役割だ。
>>565 貴殿が私の普段の言動をどう知っているのか知らない。多分あなたの脳内妄想だ
よ。
思想信条の自由の中には、内心で思う自由のほかに、内心で思うことを
表現しない自由も含まれている。あなたは共産主義者ですか?と聞かれたとき
YES/NOを回答しない自由も含まれている。
さて、米国における移民が、米国民となるためには、国家への忠誠心を誓うという
義務がある。思想信条の自由の侵害である。
回教国において、回教でない人たちは、その人権を守るために回教徒でないことを
服装や装飾品などで表現しなくてはならない。内心の自由の侵害である。
思想信条の自由を表現することもまた自由であるが、フランスでは、アラーの
神に帰依していることを示すスカーフの着用が学校で禁止されるという。
「その規定の文言どおり絶対的な保障である」というのは、社会通念上許される範囲
であろう。まさか内心で思っているだけの自由なのか?内心を表現する自由、表現し
ない自由も含まれてこその人権でしょう。
国民のため=国民の人権を守る は全く間違いだよ。
二回目だが、人権を尊重するに至っていない我が国の独立を守るためには
隣国の人権を非常に尊重する国家との合併を、人命を賭してても阻止する。
それが国民のためだと私は信じるが・・・。
全体の奉仕者は人権を犠牲にしないさいというために、その理由が国民の人権を守る
ためでは、自己矛盾でしょうよ。
早くそこに気がつかないとダメだよ。あなたは自衛官や海上自衛隊の職員など、
人命を賭して国防にあたっている人たちに、私たちの人権を守るために、あなたは生命
をかけなさいと、非常に失礼なことを言っているんだが・・・。
>>563 >平時で、国家的危機がないにもかかわらず徴兵制を引くことに合理性はない。
それは無い。国家的危機が生じた時、直ちに全ての国民がフル戦闘状態に
移行できるなら徴兵制の合理性は無い。
戦闘力は瞬間的に起動でき、且つ危機が消失するまで継続できなければ
意味が無い。危機が生じてから人を集め訓練したのでは間に合わない。
>国を維持し発展させるというのは、全体主義でもなんでもなく、その国民の利益だ。
国の維持発展≠国民の利益
王や独裁者が主催する国家←→国民、と言う古い図式に従うなら
主催者と国民という人間同士の力関係で諸事決定された。
現代は、国家と言う何の意思感情も実体も無い組織と国民と言う人間の
関係でしかない。組織体の利益や発展とは最大の物量・エネルギ量の
吸引集積である。人間としての国民はこの目的のため最大の効果を
発揮するように求められる。何の感情も持たない組織体にとり
人権など何の意味も持たない。人間が組織の動きを制御しているように
見えても実際は組織によって制御されているだけなのだ。
568 :
予備海上自衛官:04/02/19 20:28 ID:qVJtLZRl
>>562 >ところで、二人を同時にお相手するのはさすがに骨が折れるので今後は一日おきぐらいにレスすると言うことでも構わないだろうか?
結構ですとも。
こちらとしても毎晩ケータイからアクセスしてレスするのもしんどいし。
以下雑談
Santi氏も好敵手(れ氏やなごみ氏など)が多くて大変ですね。応援しています、頑張って!
予備自衛官の身分は、非常勤の特別職国家公務員です。
防衛庁自衛隊は大いに批判するべきですよ。ただ自衛官個人に対する非難はすじ違い。
人権に敏感であろう人達がそれをするのだから信じられない。
569 :
予備海上自衛官:04/02/19 21:12 ID:qVJtLZRl
えーと、この辺りで私の立場を二つ確認しておきます。
@国家が可能な限り最大限人権を尊重すべきであることには異存がない。つまり、「公共の福祉に反しない限り」において。
というわけで、憲法13条を首肯する。
A刃物の命はその切れ味にある。思想も法律も科学もツールである。その価値は有用性にある。
なお、法律にとって一番大切なのは条文でも解釈でもなく、法の精神(と見えざるコード)。
570 :
予備海上自衛官:04/02/19 21:51 ID:qVJtLZRl
>>Santi氏
自らの死滅を予告したマルクス主義国家ならいざしらず(てホントに死滅していっちゃったけど違う意味で 苦笑)、
国家第一の目標は、国家の存続それ自体。
国家の存在目的はまず国家の維持を図ること。(目的論というか自己目的論?)それが最大の公共の福祉。
まして人権(国民の生命・健康・自由etc)を保証するのが国家の仕事であるなら、
肝心の国家が崩壊してしまっては元も子もない。
571 :
予備海上自衛官:04/02/19 23:22 ID:qVJtLZRl
>>570続き
大文字の主張「人権尊重」と、「でも一部の人の人権制限はしかたないんだよね現実」という注釈のダブルバインド状況を、
人権思想(というツール)だけで捌ききれるかどうか。
貴殿は人権だけで完結できるとし、あちこち手当てしながら整合性をとっている。
貴殿の言っていることは理解しているつもりだ。納得はしてないけど。
さて、少数者の人権制限は人権思想内で正当化されるとして、
では少数者の人権的犠牲の上に多数者が人権の果実を享受する権利は、
人権思想のどこをどう押したら出てくるのだろうか。
多数者の人権ただ乗りは何をもって正当化されるのか。
倫理的に問題はないか。というか人権思想そのものに矛盾してないか。
>>566 れ氏
>思想信条の自由の中には、内心で思う自由のほかに、内心で思うことを表現しない自由も含まれている。
貴殿は思想信条の自由と表現の自由の区別も出来ないのですか?貴殿は一度憲法の本を薄めのもので良いから一冊通読する必要があると思う。
集中して読めば一ヶ月ぐらいで終わると思うので是非読んで貰いたい。猫氏も同じようなことを言っていた様な気が・・・
一応簡単に説明すると、思想信条の自由は絶対的保障である。しかし、表現の自由は名誉毀損罪や偽証罪などの犯罪が成立するような場合には制約が課される。
それから、他国との合併などということは私は主張していないが。国家の存在目的が人権保障である事と他国との合併をするなどということとは全く次元の異なる話だ。
また、公務員が国民の利益を守るための「全体の奉仕者」であり、そしてその事によって一定の必要最小限度の人権制限が為されるということは、私の個人的な主張というだけではなくて憲法がそのように定めているのである。
憲法は国民の生命・財産・幸福追求のための権利を守るために公務員が「全体の奉仕者」として職務に従事すべき事を13条と15条で定めているのだ。で、多くの学説もそれを支持している。
>>568 予備海上自衛官氏
>人権に敏感であろう人達がそれをするのだから信じられない。
どういうことが実際にあったのですか?具体的に教えて頂けたら嬉しい。
恐らくそういう人達は人権と言うものの本質を理解していないのではないかと思うが。
>>569 >法律にとって一番大切なのは条文でも解釈でもなく、法の精神(と見えざるコード)。
正しいような正しくないような・・・
私は条文や解釈も重要度は高いと思う。例えば、憲法で法の精神を謳っているのは前文だと思うが、この前文には裁判規範性つまり裁判を行う上での具体的な基準にはなりえないとされています。
例えば、前文では国民主権を謳っているが、具体的な権利としての参政権を保障しているのは15条であり、裁判で参政権侵害を主張するためには15条を根拠とする必要がある。
それに、解釈をしなければ法の精神を明らかにすることは出来ないとも思うし。
>多数者の人権ただ乗りは何をもって正当化されるのか。
納税義務で説明するしかない。国民は納税と言う対価を負担する事によって、国政によって得る果実に見合った犠牲を払っていると考えて良いだろう。
ただ、問題があるなと感じるのは、国民の意識の中に「お上」意識というか、国家について自分たちを上から支配しているものと捉える感覚が未だに残っていて、国家を自分たちのための国家、自分たちの利益を獲得するためのものであると言う感覚が希薄な事だろう。
だから、自分たちの国家を自分たちで守ろうという意識や、国政に積極的に参加しようという意識が出て来にくいのかもしれない。
民主主義というものは、国民に単に権利を与えるだけのものではなくて、国政に積極的に関わる責務も課すものだとされているが、どうも日本ではそういう感覚が国民の中にあまり浸透していないような気がする。
実際最近の選挙での投票率は低いし、近い将来に導入が予定されている裁判員制度に対しても、自分たちの生活上の負担が増えるからという理由で消極的な意見が多いと聞く。ただ、私は別の理由で裁判員制度に対しては否定的なんだが。
だが、こういった現象が国民の自己中心的な意識だけに起因するものなのか、それとも国家が国民の利益実現の為に十分寄与していないから国民がそういう意識を持てないのが原因なのかは議論の分かれる所であろう。
>572Santi氏
で、思想信条の自由は表現の自由とリンクされていない限り、意味がない。
きでんは、内容に対する批判は、何もしていない。
問題は
>「全体の奉仕者」であり、そしてその事によって一定の必要最小限度の人
>権制限が為される
という理由である。突き詰めていって、全体の奉仕者の人権制限が何故正当性
を持つのか、という質問をしているのである。
「多くの学説もそれを支持している。 」私の支持している。あなたも指示している。
多分予備自氏も・・・。問題ははその根拠である。
人権が大切だから・・・ではないといっている。予備自氏が国の存続といい、
私が社会秩序・国の独立の維持といっているのは、
「人権なんぞ依り、国家の独立とその存続維持のほうが優先されることで、国が
なくてどうやって人権を尊重できるんだよ。おまえは、人権を尊重してくれる国が
あるなら、国家の独立を放棄して、合併を求める売国奴か、それともあくまで独立
を維持し、その上でより良い国を作ろうとする愛国者か」という質問なのである。
>>574 >人権を尊重してくれる国が『あるなら』、国家の独立を放棄して、合併を求める
>独立を維持し、その上でより良い国を作ろうとする
自分でも気が付いているように『人権を尊重してくれる国』
は地上に存在しない。未来永劫存在することは無い。
どちらの道を取っても、人権を尊重する国家には行き着かない。
国家は人権を尊重するために作られるのでは無いからだ。
人権を剥奪するためにこそ国家は作られるものなのだ。
国家や社会の言う守るべき人権とは、人の最大の人権ではなく
集団の運営管理に支障を来たさない最小限の人権のことである。
最良の国家とは、最大限に人権を抑圧できる国家なのだ。
>>575 横レスで申し訳ないが…
>人権を剥奪するためにこそ国家は作られるものなのだ。
何故?そうして作られた国家の目的はどこにあるのかな?
民主主義は個の集積として集団を規定している訳だが、
君の発言からは「集団」を優先させる意味がくみ取れない。
誰のための「集団」なのか、その集団にあることで個が抑圧されるとすれば
属性に対する個の帰属意識はどの様に育むのか?
ひょっとしてネタ?其れとも釣り師?
577 :
予備海上自衛官:04/02/20 13:46 ID:hQbe5w8t
>>573 Santi氏
納税義務って人権なの?
人権の名の下に少数者に人権制限を強いている奇妙さ。
では強いる側の人権的根拠は何か?
人権フリーライダーの問題は、多数者が全体への奉仕をサボタージュしていることに起因する。
(これは
>>573の後段で貴殿が指摘した国民の政治意識の問題であるし、
>>549で私が言った、公共的職業を選択した人たちの人権意識[の乏しさ]にリンクしてくる)
この矛盾を解消し、公平さを確保する一つの方法として私が挙げているのが兵役だ。
(もちろん社会に奉仕する方法は様々だ。
が、ここでは論点を先鋭化するため、ストレス度の高い兵役を焦点にする。
なお代役可)
人権守護が国家原理であるならば、私たちの人権を守る私たちの国であるのなら、
国民総てが社会全体への奉仕にコミットする正当な権利を有し当然の義務を負うのが、
論理的帰結ではないのか?
人権を標榜するのなら、兵役義務を主張するのが筋ではあるまいか?
論点を拡散させないため以下は簡単に。
@現職時代の不愉快な経験はここに書くべきではないでしょう。オフ会の機会でもあればその時に。
A法律について。
条文解釈判例もちろん重要。だがそれ以上に大切なのは、それらが法の依って立つ精神に適うかだ。
一例を挙げれば阪神大地震の時、ある国から申し出の有った救助犬の提供を、
某省は検疫を理由に断ったという。
法律上はそうかもしれないが、さて…
法律はツールなのだからして、場合によっては超法規的処置も是認される。憲法といえども例外ではない。
もっとも頻繁にそうならないように、法律の整備と解釈が重要な訳だが。
>>576 >誰のための「集団」なのか
集団そのもののため。内部の個は集団を
機能させるための要素の一部。
民主主義は日本土着の考えでは無い。
日本人の考えでは、個は集団に奉仕する存在。
集団が存在してこそ個は存在する。
個が存在して集団を作るのではない。
日本人にとって集団の存在は既定事項。
天皇から生まれたばかりの子供まで全ては
既定事項を維持存続させるためだけに存在する。
人は石垣、人は城。人は能動部品ではなく受動部品なのだ。
受動部品が勝手に動き回ることは許されない。
>>574 れ氏
>思想信条の自由は表現の自由とリンクされていない限り、意味がない。
全く別なものを同じものとして扱うことは出来ない。リンクはしているが、権利としては全く別のものとして扱われる。
>人権が大切だから・・・ではないといっている。
公務員が一定の人権制限を受けるのは、公務員の職務が公共性を帯びているから。つまり、全体の奉仕者として国民の利益増進の為に職務を全うする責務を負っているからである。
例えば、消防官の人権がある程度制約を受けるのは、具体的に言うと火災が発生した時にストライキ等を行っていると、火災が拡大して多くの国民の生命や財産が失われてしまう危険性が高いから、ストライキ権の行使は認められていないのである。
>おまえは、人権を尊重してくれる国が
>あるなら、国家の独立を放棄して、合併を求める売国奴か、それともあくまで独立
>を維持し、その上でより良い国を作ろうとする愛国者か」
>>573にも書いたが、国家は我々人民が我々の利益を実現させるために作り出したものだ。だから、その国家がもし我々の利益を害するのであれば、それを作り変えるべきで、他国との併合といったことは眼中には無い。
勿論多くの国民が合併を望むのであれば無理に反対はしないが、私がそれを特段に進んで望むということはありえない。だから、敢えて言えば私は「愛国者」のカテゴリーに入ると思うが。
大体貴殿の設定する状況設定はいつも極端だ。法律家は、革命家とは異なり、現状を受け容れながらも現状を少しずつ改良して行こうという発想に立つものである。
一般的に法律家は発想や理念は革新的な場合が多いが、行動は比較的保守的であったりする。「思想」と「表現」は全く別物なのである。
>>577 予備海上自衛官氏
>納税義務って人権なの?
人権では勿論無いが、国民が当然負担するべきとされている義務である。国政によって受ける利益の対価としての性質を持っていると考えられる。
>では強いる側の人権的根拠は何か?
人権的根拠としてはやはり13条を挙げることになる。あと、もう一つ根拠となりうるものは前文で謳われている国民主権である。
主権者である国民に対して、国家は国民の利益を実現するため全力を上げるべきものとされている。また、当然の事ながら「国家」自身は人権の享有主体ではない。人権は国民だけが持っている。
で、国家の職務に現実に従事する公務員もその事から来る一定の制約に服さざるを得ないのである。
>国民総てが社会全体への奉仕にコミットする正当な権利を有し当然の義務を負うのが、論理的帰結ではないのか?
これはその通りかもしれない。ただ、兵役は人権制約の度合いが極めて大きいし、9条との絡みの問題もある。
また公務員に比較的強度の人権制限が認められている理由の一つには就任の任意性つまり自ら進んで公務員になったということもあるので、そういう面が否定される兵役には消極的にならざるを得ない。
ただ、比較的短期間の兵役で代役との自由選択が保障され9条絡みの問題が解決されるならば、一つの意見として傾聴に値するかもしれないとは思うが。
>だがそれ以上に大切なのは、それらが法の依って立つ精神に適うかだ。
私も基本的には賛同する。制定法や条文に極端に拘るのは法実証主義に陥り、「悪法も法なり」という命題を容認する羽目になる危険性があるので。但し、法律の枠組みも否定は出来ないが。
>>577 >公平さを確保する[一つの方法として私が挙げている]のが兵役だ。
公平は関係無い。兵器は誰にでも容易に使いこなせる
ものでは無い。だから歴史的にはその適者に任せて来た。
銃・砲の進歩と生産量の増大により簡単なトレーニングで
素人にでも成果が上げられるようになり質から量の時代となって
徴兵制が拡充されてきた。今は兵器が高度化し再び素人では
扱えなくなり始め、トレーニングにも費用が掛かるように
なって来た。徴兵制による国民皆兵は効果を失いつつある。
低レベル兵器の扱いと集団戦闘訓練のために
年間何日かの義務兵役を課す方が効果的だろう。
2週間としても百数十万人に達するから費用は半端ではないのだ。
>>579 > 公務員が一定の人権制限を受けるのは、公務員の職務が公共性を帯びている
>から。つまり、全体の奉仕者として国民の利益増進の為に職務を全うする責務を
>負っているからである。
だから、全体の奉仕者は、「なぜ」人権制限を受けてまで、職務を全うする責務を
追わなければならんのよ。
1、彼がそれを望んだから・・・彼が望めば人権は侵害されていいのか。ダメでしょう。
2、法がそれを求めているから・・・法が求めれば 以下略
じゃな、なぜ?
>大体貴殿の設定する状況設定はいつも極端だ。
教科書に書いてあることを議論したいなら法学の板にでも行けばいいでしょう。
思想とは、価値に序列を作ることである。序列を作るためには対立した状況を
想定しなければならない。・・・わかる?
>勿論多くの国民が合併を望むのであれば無理に反対はしないが、
私は無理にでも反対するし、国民ががそのことによって苦しむ恐れがあるのに
多数決で決めるという考え方に、私は賛成できない。
国家の独立についてた明日受けつで決めてよいとする考えが、全く理解不能。
あなた、本当に人権が大切と考えていますか?
×国家の独立についてた明日受けつで決めてよいとする考えが、全く理解不能。
○国家の独立について多数決で決めてよいとする考えが、全く理解不能。
584 :
予備海上自衛官:04/02/20 20:37 ID:hQbe5w8t
>>580 Santi氏
納税の義務は別の原理でしょ。人権内で完結させて下さい。
この納税義務は、全体の奉仕者への報酬に対置されるべきものだと思われるが(財源だしね)、
後者においては幾重にも留保をつけた上で人権の代替物ではないとしているのに(
>>539)対し、
前者ではあっさり国政の果実の対価だとしてしまっている。
えっと、人権をお金で買っちゃったことになりませんか?
再びお聞きする。
少数者の人権的犠牲の上に多数者が人権の果実を享受する権利は、
人権思想のどこをどう押したら出てくるのだろうか?
多数者の人権ただ乗りは何をもって正当化されるのか?
倫理的に問題はないか? というか人権思想そのものに矛盾してないか?
兵役はサービスであり志願者はボランティアである。全体の奉仕者には人権の制約が課せられ、
時には生命を投げ出さなければならない。
彼等の犠牲に、人権は、多数者は、なにをあがなうというのだろうか。
>>575 および亀哲人
>人権を剥奪するためにこそ国家は作られるものなのだ。
社会契約論の復習をするべし。国家とは何の為にあるかというと、国家の存在しない
自然状態において、人間は互いに相手の人権を蹂躙しあうからである。そのような
状態をふせぐために、人は互いに契約して、法をつくり、国家を形成し、秩序を維持
する権力を国家に与えるわけだ。無論、国家に与えられた権力が人権を蹂躙することも
ままあるわけで、そのような場合に国民は国家を契約違反として訴えることができる。
これが権力分立論の基本。
だから人権を剥奪するために国家が作られるというのは極論だが、国家が人権保障の
ために作られるというのも、国家が人権侵害の最大の主体者であることを見ない議論だわな。
で、共同体に対する外部からの侵害は、共同体の契約に対する侵害として現れる。
契約の侵害に対する責任の観念は、その起源をたどれば、侵害に対する等価物が
何処かに存在する、という観念にいきつく。「道徳の系譜」に従って論理展開してみたが
ここから先をどう論理展開させるかは考え中…
>>585 ルソーは「社会契約論」に於いて、国家の主権が人民の総意以外の
なにものでもないことを強調している。
「国家は個々人が互いに結合して、自由と平等を最大限に確保するために
契約することによって成立する。」
此のルソーの思想に対して私は反対の立場ではない。だからこそ、575君に
質問をしているのだが。
>>586 >国家の主権が人民の総意以外のなにものでもないことを強調している。
こちらはルソーの思想には、おおいに問題が含まれていると考えてるよ。
「一般意志は真の自由に相応するものであるから、票決に破れたものは
自由ではなかったのである。」 わりと問題含みの論理であろうな。
>>582 れ氏
>だから、全体の奉仕者は、「なぜ」人権制限を受けてまで、職務を全うする責務を追わなければならんのよ。
だから、
>>579で書いている通り、そうしないと国民の利益を著しく侵害する可能性が高いからだ。
>序列を作るためには対立した状況を想定しなければならない。・・・わかる?
分からないではないが、そんな両極端な選択を強いられる事なんて殆ど無いだろ。それに、価値に序列があると言ってもそれは相対的なものであって、実際は幾つかの対立する価値観同士の間で調整をとらなければならない事の方が多いと思うが。
>私は無理にでも反対するし、国民ががそのことによって苦しむ恐れがあるのに
だって、併合の相手国が人権が十分に保障されている国で、併合後も人権が十分に保障される事が確実であるのに対して、
自国政府が人権を侵害している、それも他国との併合を考えるぐらいだからその程度もかなり重篤なのでしょうし、しかも自国民が併合を賛成しているのなら、反対する理由も無いでしょうが。
併合後に何らかの問題が発生する可能性が皆無ではないが、「弊害は走りながら解決する。」事も可能だろうし、「未知の危機・合理的に証明されない危機」を理由として民意に無理に反対するのも十分な理由があるとは思えない。
>>584 予備海上自衛官氏
>納税の義務は別の原理でしょ。人権内で完結させて下さい。
あなたも厳しい注文を出しますね。ひょっとして私を試していますか?「こいつどこまで人権で説明できるだろうか」ってな感じで。何か議論というよりも禅問答のような感じですが。
何も、全ての問題を人権で説明する必要は無いと思う。納税の義務でも説明できるだろうし、国民主権でも説明できる。
勘違いをされているかもしれないので一応断っておくが、私は確かに人権に重きを置いてはいるが、だからと言ってそれ以外の要素を全く無視して良いと言っているわけではない。人権が重要度が高いと言ってもそれは相対的なものだ。
ただ折角のご要望だから人権で敢えて説明するとすれば、憲法15条を持ち出さざるを得まい。15条では国民には全体の奉仕者としての公務員を選定する権利を持っている事が定められている。
つまり、国民は公務員を「全体の奉仕者」として働かせる権利を持っていると定めているわけだ。「全体の奉仕者」なのだから必要最小限の人権侵害を伴う事も前提としていると考えて良いだろう。
あと、
>>580でも書いたが13条も根拠となりうることは了解頂けているかな?
>全体の奉仕者への報酬に対置されるべきものだと思われるが
いや、違うと思う。勿論現実には結果として納税が公務員の報酬の財源に充てられていることは否定できないが、本質的な性質は国政によって国民が受けたもしくは受ける利益に対する対価であろう。
また、公務員に対して課されている人権侵害に対する対価でもないであろう。
例えば、ロボットが公的なサービスを行った場合、つまり公務員に対する人権侵害が為されていない場合でも、それにより国民が利益を得ている場合は納税の義務は免れないということである。
>>585 マサカド氏
それは社会契約論とは言ってもホッブズの説だろ?
国家とは何かという議論をする時に、別に社会契約論に囚われる必要はないし、ましてやその中の一つの説に過ぎないホッブズの見解に従わなければならない合理的な根拠はないだろう。
で、私見としては国民の人権保障の為に国家を作るというより、国民の利益実現を達成する少なくともそう努力する国家でなければ存在が正当化されないと考えるべきだな。