>>284 なごみ氏
>古代と近代、どこが違う?
それも
>>279>>281で述べたが。
古代には奴隷制もあったし、民主制といっても市民権を持っている成人男性だけによるものであった。それに対して近代のそれは選挙権の対象が徐々に拡張されていって、現在では多くの民主主義国では成年に達した全ての国民による民主政が採られている。
>国家ってのは定義こそ違えど存在してたと思うが。
定義が違ったらダメでしょ。ここで論じている「国家」というものは、国民によって構成される主権を持った近代国家のことである。国家の三構成要素というのが、国民・領土・主権であることは貴殿もご存知だと思うが。
「国民」とか「主権」なんていう概念は、まさに近代それもフランス革命以後の所産であろう。
それまでは国王は一応いたものの、その下に広範な自治権を持っていた領主もいてその他にも自由都市や司教領などがあって、
更にローマ教皇が教会組織のトップに君臨してヨーロッパ全体を統括する普遍的な権力としていたわけで、とても近代以降に誕生を見るような「絶対性」を持つ主権国家などは存在していなかったわけである。
>民主主義制度であろうと「怪物」は跋扈する。
だからこそ、色々な問題が起こるわけで、それを解決するために憲法は様々な制度を用意しているのである。
民主主義がカスであろうがなかろうが、それより優れた制度が未だ人類には見出せていないというのも事実な訳で、それは民主主義の限界というより人間の能力の限界といった方が良い。
貴殿が
>>280で「ローマ共和制は帝政に変わった。」といったように、人類は様々な政体を試みてきた。
王制・帝政・独裁制・集団指導体制などの試行錯誤を繰り返し、進歩と反動を繰り返しながら現在まで来た。その結果、現在の民主政が人類が考え出しうる政体の中で最も優れた制度であるという結論を出したのであろう。
>お主は「杞憂」という言葉をご存じか?
もちろん知っているが、どうしてそんなことを聞く?
「国家」というものが永遠に継続するという保証は何もなく、将来において「国家」という制度を克服するより優れた制度が導入されるという可能性は杞憂ではなく十分ありうることだ。