1 :
Santi:
私は人権というものは全人類共通の最も重んじられるべき原理で、他のあらゆる価値観に優越する地位に立っていると考えます。
憲法第97条に謳われているように、人類が血も汗も流してようやく勝ち取ってきた人権は何ものにも変えがたい価値を持っており、
まただからこそ人類がそこまでの努力をして勝ち取って来たのだと思われます。
同じ考えをお持ちの方は多いとは思いますが、念のため皆さんのご意見も聞いてみたいと思います。
そこで、人権に関するスレを立てますので、自由に意見を書き込んで下さい。
活発な議論を期待します。
2 :
右や左の名無し様:03/12/24 04:00 ID:SYKbSuFt
そうすると、フセインの恐怖政治を終焉させて、
イラクを人権・自由の浸透する民主国家にさせることは、
正しいわけですね。
3 :
Santi:03/12/24 04:15 ID:???
>>2 イラク国民がそれを望むのなら正しいと思いますが、強引に押し付けるというのは問題でしょうね。
彼らの自主性を重んじるべきです。そうでなければ、人権概念とそもそも矛盾してしまいます。
4 :
保守を考える:03/12/24 07:16 ID:RI8LfVn+
>私は人権というものは全人類共通の最も重んじられるべき原理で、
>他のあらゆる価値観に優越する地位に立っていると考えます
>イラク国民がそれを望むのなら正しいと思いますが、
>強引に押し付けるというのは問題でしょうね
何が言いたいのか、よく判らんのですが・・・・。
それと九十七条の挿入のいきさつって知ってるかなあ?
十一条となんでかぶっているのか?
それは、ホイットニー自慢の条文だから、『無理やり』だったんだよね。
>>4 だから、人権というのは人類普遍の原理なのだから、日本国憲法の制定過程での経緯で判断すべきものではないのである。
6 :
日本国憲法:03/12/24 13:47 ID:???
>>1 >同じ考えをお持ちの方は多いとは思いますが
ぼく、あなたと同じ考えです。
7 :
右や左の名無し様:03/12/24 15:22 ID:OWyRzD4+
>>3 つまり、今のイラクと同じように、
アメリカに人権と民主主義を押し付けられた戦後日本は、
やはり批判されるべきなわけですね。
8 :
Santi:03/12/24 15:26 ID:???
>>7 日本は自発的に自己の意思で人権や民主主義を導入したんでしょう。
だって、明治憲法でも不十分ながら人権や民主主義を導入していましたからね。
それに現在では国民は人権や民主主義を概ね支持しているでしょう。
よって、何も問題は無いということになります。
10 :
れ ◆r0FmiN9ADk :03/12/24 15:50 ID:vBiO2Awj
>>1 Santi氏
>他のあらゆる価値観に優越する地位に立っていると考えます。
私はそうは思いません。
例えばプライバシー権という人権が、他の価値、すなわち報道の自由や表現の自由
または公共の福祉、公序良俗などの価値観に優越する地位だとも思えませんし、
人命尊重のほうが、はるかに優越する価値となっています。
また、先の有事立法にも有るように、人命尊重と、国民の財産生命を守るという価値観
は、人権の制限について合理性があるとしています。
したがって、「他のあらゆる価値」に優越することは、全くの誤りです。
つぎに、国民主権との兼ね合いです。君主主権国家において人権が守られている状態
と、国民主権国家において自衛戦争の中で相当に人権が制限されている状態のどちら
があなたには好ましい状態なのでしょう。お答えください。私は後者です。
国民がその歴史の中で勝ち得た慣習や常識や価値観を共有する社会を守るという
価値より、人権は上位ではないと思います。
最後に、宗教価値との対立です。いかに人権を叫ぼうとも、ヒンズー教徒にとっては、
人間の階級というものは有りますし、回教国において女性の地位は弾性と全く同等には
なりません。仏教国において、修行僧は一段高い地位にあります。
そういった中で、人類普遍ということはその宗教を捨てることを、強制的ではないにしろ
求めるということであり、国がその国民の意思によって形成されるべきなら、国民主権と対立
するでしょう。
何このスレ・・・・・・・?冬厨のスクツ?
/ヽ /ヽ
/ ヽ / ヽ
______ /U ヽ___/ ヽ
| ____ / U :::::::::::U:\
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>>10 れ氏
さっそく書き込んでくれましたか。宗教と政治のスレ同様に貴殿の協力がないとこのスレも維持できないと思うので宜しくお願いします。
それでは、本題に入ります。
まず、前段はプライバシー権とその他の人権との比較ですから、いわば人権概念内での比較に過ぎないので、人権という価値観が優越的地位にあるかどうかという命題に対する反論にはなっていません。
また、公共の福祉というのも通説的な見解では「人権と人権の矛盾衝突を調整する公平の原理」と解されているので、これもやはり人権概念内での比較に他なりません。
公序良俗も民法の90条に置かれているが、判例ではその内容を明らかにするに当たり憲法の理念を充填して解釈するとされていてやはり同様です。
次に中段ですが、貴殿が普段行っている議論からすると前者を支持するように思われるんですが、後者ですか?
確かに国民主権という概念と人権という概念は恐らくほぼ同等の地位に立っているように思われるが、それでも一般的には人権が優越すると考えられています。
というのは、国民主権というのは専ら国家の統治機構に関わる概念で、いわば民主制という制度を支える概念に過ぎません。で、その国の統治機構の存在目的は何かと問われれば、やはり国民の利益即ち人権ということになります。
つまり、人権と国民主権は目的と手段の関係に立つため、目的である人権が手段である国民主権に優越すると考えるのが妥当だと思われます。
最後に後段なんですが、これが一番厄介です。人権そのものが宗教的な背景を持っていると考えられている概念であるため、他の宗教的な価値観と対立した時は最悪の場合宗教戦争のような様相を呈する場合もありえます。
人権も一つの思想であって、その思想を支持するという前提の下で、人権が最高の価値があると考えるので、絶対的な真理をその本質とする存在である宗教と対立した場合には、人権思想では解決は困難です。
ただし、日本のように国家の法規において確定されると、それは単なる思想ではなくて、権力を以って強制される理念という事になりますから、その場合においては人権は異なる宗教的価値観よりも優越する地位を獲得します。
ただ、人権思想においては信教の自由は最大限保障されるべきとされているから、そういう他の宗教的価値観を可能な限り尊重する配慮は示しています。
付け加えるなら、どんなに人権が最高の価値があるといっても、それを実現するためには国家による保障を必要としており、
逆に言えば、国家という枠組みを超えては人権思想を強制することは極力避けるべきと思われます。
ある思想を強制することは結局人権思想と矛盾してしまいますから。
14 :
右や左の名無し様:03/12/24 17:04 ID:OWyRzD4+
>>1は「頭の悪いサヨク」をウヨが自作自演してるだけ。
>>8 おやおや、歴史認識が中学生並みですな。
明治憲法下では「人権」なんて概念は存在しませんよ。
あくまで「臣民の権利」です。天皇からもらった権利。
だから、お上の法律によってバンバン制約できます。
おわかり?
>>14 サヨもウヨもピンキリだからなw
案外マジスレかも知れんw
クリスマス一人ぼっちの俺には人権が保障されているんだろうか。
>>16-17 君たちも人の意見を中傷してばかりいないで異論があるならきちんと論理的に批判してくれ。
因みに、
>>1は議論を盛り上げるために、敢えてやや煽り気味に書いた。
>>12も若干極論かもしれない。
兎に角、まだ私も結論は完全には固まっていないので、ここでの議論で落ち着くべきところに落ち着けていきたいと考えているから批判はどうぞ歓迎する。
但し、単なる中傷だったら今後はスルーさせて貰う。
胎児虐殺は究極の人権侵害ですが。
>>15 だから、名目は「臣民の権利」だったし、形式上も天皇から貰った権利だし、
「法律の留保」も確かに付いていたから十分な人権或いは権利保障が為されていたとはとてもいえない。
ただ、こういった権利は明らかに西欧の憲法で保障されている人権を模範としたものだろ。
なので、一応「人権」とよんでも良いんじゃないかな。
しかし、
>>8で言いたかったことはそこじゃないんだけど。
現在は人権や民主主義は国民からの支持も得ているのだから、決してアメリカに押し付けられたものではないのだ。
皇子必死だなw
24 :
右や左の名無し様:03/12/25 02:47 ID:qo5Fmbpz
25 :
右や左の名無し様:03/12/25 03:19 ID:7i/OSV3u
こういうほとんど抽象論みたいな事で議論するのはアホ。
論理から結論を導き出せる様な偉い人は
(数学など、答えが一つしかないものを除いて)数えるほどしかいない。
それが出来る奴は歴史書にしか見い出せない。
大多数の人がどんな価値観を支持するか、その基準は基本的に直感。
直感を元に過去の偉人が組み立てた論理をパクり、後付けする。
悪く言えば結論ありき。
結論ありきで言い合うのみだから不毛な口喧嘩に終わる。
2chに政治思想板ができて以来、それ以外の結末を迎えた議論が一つでもあったか?
足りない頭で一生懸命考えた穴だらけの論理で言い合いして自己満足。
ならば低学歴とか無職とか罵倒し合ってる方がまだ健全だ。
だから俺はこう言うのだ。
>>1はアニヲタヒッキー
おまえモナ−(笑
29 :
れ ◆r0FmiN9ADk :03/12/25 10:10 ID:GPYbQseW
>>12 Santi氏
だってあなたは、
>>1では「人権という価値観が優先的地位にある」とは書いていない
じゃない。
>>1で示した命題を
>>12では「人権という価値観」に書き換えているけど
きちんと書こうよ。
で、「人権という価値観」というものが意味不明なんだけど、どういうことなん?
漠然としていて、議論にならないよね『人権という価値観』の定義がはっきりしないと。
「人権という思想」という表現もあって、人権という思想は他の思想より上位であると
いっているの?貴殿は。それとも
人権という価値観(?)と、国民主権という価値観や、人命尊重という価値観や、国家
維持という価値観を対比させ、上位であるといっているの?
意味がわからん。
Santi氏に奇妙な書き込み
>>1「人権というものは・・・原理で」人権は原理であるという。
>>3「人権概念と」人権は概念であるという。
>>12「人権という価値観」人権は価値観だという。
「人権概念内での比較」また概念だという。
「目的である人権」今度は目的だという。
「人権も一つの思想であって」次に、思想ときた。
「権力を以って強制される理念という事」さらに理念だそうだ。
そしてこれは最高だという。
読み解きを試みよう。
「人権概念」というのは有る。「人は生まれながらに持っている人としての権利がある」
と考える概念のことだろう。そしてこれが尊重されなければならないと考えるのが思想で
あり理念なんだろう。そして、その思想は絶対的優位性を持つと考えるから、原理なのか
なァ。で、絶対的優位性を持つということを指して、人権の価値観といっているのか、あるいは
人権は尊重されなければならないとする考えを価値観といっているのだろう。
こう読み解くと、彼は、人類が歴史の中で獲得したものであること以外に、何もその尊重すべき
理由、あるいは絶対的優位性の確信理由を述べていない。
あれだけ、歴史法学を別スレで批判しておきながら、歴史からしか説明できないらしい。
歴史的に獲得した価値観に基づくなら、その歴史を経験していない民族にとっては無意味で
しょう。世界の各民族はみんな族としての歴史の中で、様々なものを獲得しているのだから、
例え人権思想が歴史の中で獲得されたものだとしても、それだけで最優先に尊重すべきも
のと云うことはできない。
一番の疑問点は、国家枠組みという、当該民族がそれこそ実際に血を流し獲得した
ものよりも、上位であるという理由がわからない。
ついでだから書いておくけど
世界に多くの国は、軍法というものを持っている。軍人にだけ適用される法律である。
敵前逃亡は死刑の場合が多いらしい。思想信条の自由を持つ国民なら、戦争に反対
しても良いし、他国へ寝返ろうと自由だろう。
すなわち軍法は、人権侵害の法律なのである。これを許すということは、人権より
国家共同体の維持のほうが優位なのであろう。もう一回云うが有事の際、日本でも
人権は制限される。国家共同体の維持という価値観は、個人の人権を尊重しようという
価値観より、「当然に」優先されるのである。
そういうのも明白な人権侵害だよね。
>>1の脳内だと、犯罪者なんかはどういう風に思っているのか聞きたくなるね
>>32 国が大切だと思いすぎて、行き過ぎた戦争継続を行った戦前の反省としては、
人権を必要以上に大切なものと考えることによる弊害にも、目を向けられるように
なって欲しいものだね。何かひとつを極めて大切だと思うところに、落とし穴がある。
良識とかバランスを無視して、最大限大切なものを確信することは、危険だよね。
犯罪者の権利が抑制されるのは当然で、それは良識とか、一般人や被害者とのバランス
から、当然だ。
>>30 >>1がどういう風に返答するか分からないが、私見を述べさせて貰う。
「歴史法学」というのは俺はあまり詳しくは知らないのだが、大学の授業で習った限りでは「法」というものは
「言語」のようなもので各民族特有の物であって、自然法のような人類普遍の法なるものは存在しないという考え方だと理解している
んだがそれでいいのだろうか?そうだとすれば、例え「歴史的」に獲得されたものであってもそれが特定の民族の「歴史」ではなく人類
の「歴史」というのであれば、やはりそれは自然法的な考え方になるのではないのか?
歴史法学は保守考の専門だから君は詳しくは知らないからそのように誤解しているのではないのか。
「法」というものが歴史上人類が獲得してきたものであることは自然法主義であろうが歴史法学であろうが変わらないだろう。
異なるのは民族特有の歴史なのか全人類の歴史なのだと思うが。
「人権」たって、西洋的人権、イスラム的人権、アジア的人権と、
かなりいろいろあるからねえ。
イスラム世界では、コーランに書かれていることが、
そのまま「人権」として、憲法に編入されている。
>>34の追加
つまり、歴史法学と自然法主義との違いは、歴史的に獲得されたかどうかに
力点が置かれているのではなくて、各民族固有の法しか存在しないのか、
それとも民族を超越した人類普遍の法規範が存在するのかどうかに力点が
置かれているんだと思うが。
>>1は「人権イイ!」と言いながらも「押し付けるべきものではない」と
ワケの分からないことを言っている。人権ってのは、他者に強制できて、はじめて効力を持つのだよ。
それに、ホロコーストみたいな著しい人権侵害を起こしている国に対して、
他の国家なり、国際機関なりが武力介入することについては、どう考えるわけ?
強制収容所に閉じこめられているような人々こそ、まさに人権救済を必要としているんだけど。
>>37 君は
>>12-13を読まずに
>>1だけしか読んでいないのではないのか?
人権を強制力があるものにするには、憲法によって規定された上で、
国家による力添えというか実質的な保障が必要なのだということだと思うが。
つまり、単なる人権という理念だけでは強制力は持ちえないということだと思う。
>>38 だからさ、ホロコーストや北朝鮮の強制収容所みたいに、
他国の人間が人権侵害されている場合の問題を言ってるんだけど。
そういう人たちこそ、まさに人権救済が必要なわけ。
>>1のSantiとかいう人、もう固ハンやめたの?
打たれ弱いなあ(ワラワラ
41 :
れ ◆r0FmiN9ADk :03/12/25 16:56 ID:JMrQM8tg
>>34 >>36 いずれにしろ、人権が最高の価値観であるとはいっているが、その理由が、人類が
歴史的に獲得したものであるからとしか説明していないことは事実で、人類の歴史
において獲得した価値と、その民族特有の歴史において獲得した価値とが対立した
場合に、民象特有の価値を優先するから、国家共同体の存在意義があるんだろう。
ようは優先する価値、上位の価値というのは、対立したときにはじめて上位といえる
んで有って、対立がないなら、上位である必要はない。
人類普遍の価値という場合、対立したいかなる価値より上位であるという宣言だろ?
その理由を語らなきゃ、議論にならない。
例えば、スイスなんかは、70年代まで女性の参政権が認められなかった。
これは明らかな人権侵害だが、戦後の日本の憲法学者は、
「スイスは人権の先進国」と賛美し続けてきた。
>>39 人道と人権を混同るのは良くないなァ。
宗教的理由で女性差別だと決め付けて、回教国に介入することは、良識がない。
人道的に許されない行為に対して、他国は手を差し伸べられるのであって、だから、
国家主権の護持より上位価値として、人道的犯罪行為の排除という価値がある
とはいえる。人権侵害だから他国の主権を侵害しても良いのか?違うだろう。
>>39 分かるよ。彼らが人権救済が必要だということは。
ただ、人権救済を理由にした軍事介入は現在の国際社会において認められるかどうかは、
人権が重要かどうかとはまた別の議論なんじゃないかな。
実際、国家による人権侵害が理由で軍事介入がなされた事例というのは殆どないんじゃないか?
ただ、コソボ紛争はそういう面があったのかな?
俺も詳しくは知らないが。
>>13 他国の人間にも人権思想を強制しないと、
人権を普遍的な価値観として効力を持たせられないじゃない。
なに言ってんの。
>>43 > 人権侵害だから他国の主権を侵害しても良いのか?違うだろう。
ホロコーストをやってるような国家の主権なんて、侵害していいじゃん。
結局、人間の権利を優先するか、国家の権利を優先するかの話。
戸波を筆頭として、若手リベラルの憲法学者なんかも、
「もはや国家主権という概念自体、放棄されるべき」と主張してるね。
47 :
右や左の名無し様:03/12/25 17:09 ID:F1iYM70h
>>44 ハーバーマスは、NATOの軍事介入を支持してたね。
48 :
右や左の名無し様:03/12/25 17:12 ID:F1iYM70h
だいたい、国際法や国際機関の発展に沿って、
実際的にすでに国家主権が制限されている現代政治において、
「国家主権の至高性」を言い出す人間なんて、いまどきいたのか。
よほどのドキュンな国家主義者ぐらいだと思ってたが。コヴァとかw
>>45 だから、強制はできないだろう。
人権が強制力を持つのは、憲法で人権が保障された場合で、
その憲法が適用される領域内、つまりその国の主権が及ぶ範囲でだけだ。
普遍的な価値観というのは、抽象的な理念だろう。
ただし、抽象的な理念とは言っても人権が存在する事自体は変わらないから、
人権侵害を理由とした国際社会による批判・非難は受けうる。
だけれども、軍事力行使までは余程の場合でない限り正当化されないと考えられる。
ネオコン思想が、リベラル左派から来ている理由がよく分かるなあ。
ネオコン系の学者・知識人って、元NPOや元国連キャリアが多くて、
60〜80年代に、アジア・アフリカの悲惨な人権侵害状況を現地で目撃してるからね。
「人権教」の信者になって、「世界全体を人権思想に染め上げよう」と本気で考えてる。
>>49。
> だけれども、軍事力行使までは余程の場合でない限り正当化されないと考えられる。
で、正当化されないっていうその根拠は?
あと、よほどの場合って、具体的にどういう場合?
>>49 で、人権が全く保障されていない国の可哀想な人々は、
どうやって人権を享受すればいいんですか?
そんなの知るかと。強制収容所で勝手に自由を侵害されてろと。
そういうことですか?
スレタイが激しくキモイんですけど
つまり、人権は普遍的なものじゃないってことでいいんじゃないの?
「人権」という概念を法的に規定している国にだけ、「人権」ってものが存在するってことで。
結論出たじゃん。
だって、釣りスレだもん。
>>1のSantiは、早く固ハンに戻せよ。
嘲笑されたら、すぐに名無しに戻してるんじゃ、
ヘタレ過ぎるぞ、おい(ワラワラ
>>46 人道に反するような被害がある場合に、他国の主権を侵害しても良いけど
軽い、女性差別的な人権被害で、国家主権を侵害できないだろ?
ホロコーストは人道に反する罪だろう。そんな事象は人権をもちだすまでも
なく、当該国家に国際社会が働きかけるべきだろう。
人権なんてのは、西欧の人間が考えた西欧人の思想。
それを世界的に普遍的なものだなんて、
>>1は馬鹿丸出し。
イスラムの国にいって、「人権人権」って唱えてこいよ。
自分の馬鹿さ加減がよく分かるからw
>>51 正当化されない根拠は、国家には独立性としての主権が認められているから。
余程の場合というのは、人権の問題に限定するが、為政者の恣意によってその国の人権が著しく侵害されている場合で、
その軍事力行使が国際社会によって支持された場合だろ。
ただ、この問題は国際法上の問題も絡んでくるので、人権という視点だけでは語りつくせないだろう。
俺は、国際法は専門ではないので厳密なことまでは述べられない。
>>57 ふーん、女性差別って「軽い」ものなんだw
>>59 > 正当化されない根拠は、国家には独立性としての主権が認められているから。
え? 誰がそんなもの認めてるの?
>>59 >余程の場合というのは、人権の問題に限定するが、為政者の恣意によってその国の人権が著しく侵害されている場合で、
>その軍事力行使が国際社会によって支持された場合だろ。
だから、その「軍事力行使が国際社会によって支持される」場合ってのは、
どういう場合なんですか、と聞いているんだが。文盲か?w
>>58 だから思想だといっているだろ。
あくまでも一つの主張に過ぎない。
ただ、現在の世界で人権よりも広く指示されていて普遍性のある概念ってないだろう。
その意味で、最も普遍性のある概念だといっていいんじゃないか?
>>56 自分が名無しのくせに偉そうなことは言えないだろ。
仮に彼が今ここにいるとしてもだ、HNを出そうが出しまいが自由だろ。
つまり、「国家主権」という概念は、世界のどの国も認めなければいけないものだが、
「人権」という概念は、別に認めない国があってもいいわけか。
>>63 「人権」を認めない人間、存在すら知らない人間だって、
この世界には無数にいるんだから、全然普遍的じゃないだろ。
なに言ってんだ?w
66 :
右や左の名無し様:03/12/25 17:36 ID:pqTv5IEd
>>63 で、結局、国家主権と人権ってのは、どっちが優先されるべきものなの?
67 :
右や左の名無し様:03/12/25 17:37 ID:pqTv5IEd
>>63 > ただ、現在の世界で人権よりも広く指示されていて普遍性のある概念ってないだろう。
あるよ。「国家主権」とかw
>>62 だから、「為政者の恣意によってその国の国民の人権が著しく侵害されている場合」って言っているだろ。
君こそ文盲か?
それとも、もう少し具体的にいえということか?
例えば、強制収容所に入れられて重労働が課されていて、
毎日のように拷問や飢えによって多くの人が死んでいるというような状況だろ。
もちろん、これは一例で実際にはケースバイケースで国際社会によって判断されるだろうから、一概にはいえないが。
>>57 「れ」って人は、女性蔑視主義者ですか?
童貞くさそうですね。レイプ経験ありとか?
つうことで、人権なんて、全然普遍的でもなんでもないってことで、結論出ました。
はい、このスレッド、終わり終わり。
Santiが可哀想。固ハンをいたぶるのはやめましょう。
73 :
右や左の名無し様:03/12/25 17:44 ID:2pwFnRyf
>>67 確かに、国家主権は大事だよなあ。
人権よりよっぽど大事。
ゴガギーン
ドッカン
m ドッカン
=====) )) ☆
∧_∧ | | / / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( )| |_____ ∧_∧ < おらっ!
>>1出てこい!
「 ⌒ ̄ | | || (´Д` ) \___________
| /  ̄ | |/ 「 \
| | | | || || /\\
| | | | | へ//| | | |
| | | ロ|ロ |/,へ \| | | |
| ∧ | | | |/ \ / ( )
| | | |〈 | | | |
/ / / / | / | 〈| | |
/ / / / | | || | |
/ / / / =-----=-------- | |
>>64 まず整理したいのだが、人権思想という考え方は、国が認めようが認めまいが世界中の全ての人に人権があると考える。
しかし、その人権を実質化しようと思えば国家の力を借りざるをえないのが現状だろ。
だからこそ、憲法に規定されているし、実際にこの日本でも国家によって侵された人権を回復するためには裁判所の力を借りざるをえないことは認めるべき。
で、この日本では人権が保障されていて、我々は一応人権による恩恵に浴して生活することができる。
でもだな、国家に独立性としての主権がなければ、折角憲法で人権保障を国家にさせるようにしたのに、
それが他国によって簡単に否定されることになるのではないか?
従って人権保障を実質化させるために国家に主権というものを与えておく必要がある。
< ヽ
∠ハハハハハハハ_ ゝ
/ ∠_ |
>>1さんってさぁ・・・
/ ∠_ |
|  ̄\ / ̄ ̄ ̄ / | なんかほかの人と
. |__ ____ | |⌒l. | においが違いますよね・・・・・・
| ̄o /  ̄ ̄o/ | l⌒| . |
|. ̄/  ̄ ̄ | |〇| | 学力が低そうっていうか…
. | / |,|_ノ | 思いこみが激しいっていうか・・・
. /__, -ヽ || | もっとはっきり言うと・・・
. ヽ――――一 /\ |\
/ヽ ≡ / \_| \ どっかのカルト信者っていうか・・・・・・
/ ヽ / | |ー―
/ ヽ / | | ̄ ̄
/ヽ_,/ /|
>>75 で、人権と国家主権とは、どっちが優先されるべきものなの?
>>75に追加すると、
国家の持つ主権というのも人権を保障するためにある。
というか、国家の存在目的そのものが国民の利益つまり人権だろう。
従って、主権とは国民の人権の防御壁と考えれば分かりやすいかもしれない。
>>75 >人権思想という考え方は、国が認めようが認めまいが世界中の全ての人に人権があると考える。
というふうに、「おまえ」が考えてるわけね。それはそれでいいんじゃねえの?
別に、誰が脳内でオナニーしようが、関係ないしな(プゲラ
>>78 で、国家が人権を侵害しているような場合はどうするの?
人権救済が採られないような国家の場合は、どうするのさ。
_
-─ヽ ` v '⌒ ゝ
/ \
/ ∧. ヽ
i , ,イ/ ヽト、! N
│r‐、 ノレ'-ニ」 Lニ-'W
|.| r、|| ===。= =。==:! 「
>>1=馬鹿」
│!.ゝ||. `ー- 1 lー-‐' ! で
/|. `ー|! r L__亅 ヽ| ええんちゃう……?
/ | /:l ヾ三三三三ゝ|
‐''7 | ./ `‐、, , , ,ー, , ,/ヽ_
7 ./K. ` ー-‐ 1 ヽ-
/ / | \ /|ヽ ヽ
>>77 もちろん、人権だろう。
人権が目的で国家の持つ主権というものはその手段に過ぎない。
ただ、国家の主権というものもそう簡単には否定できないという事だ。
まず整理したいのだが、「女は家畜」いう考え方は、
国が認めようが認めまいが世界中の全ての女性は家畜であると考える。
>>82 じゃあ、フセイン政権みたいに、人権が著しく侵害されている国の主権は、
侵害されてもいいわけやね。北朝鮮の人民を救うために、フセインを殺すのはOKと。
女性差別はアウシュビッツよりは軽い。
人権侵害の程度の重いものが、人道に対する罪なんだろう。
人道に反するほどひどい人権侵害(実は人権という言葉じゃなく人命の尊重なのだが)
のみが、国際社会をして、当該国家に働きかけられる。
それは人権を普遍の価値と見なくても、人命尊重、人道上許されない行為があるという
価値に合意できれば、国際社会としては問題ないのである。
だから、人権という価値を共有していない国家においても、人道や人命という言葉で
理由付けできる国家主権侵害があるということである。
国際社会においては、人権は普遍の価値ではなく、国家主権のほうが重い場合もある
とはいえるし、人権より上位として人道・人命という価値が有るとも言えるだろう。
私は「又吉は唯一神」というものは全人類共通の最も重んじられるべき原理で、
他のあらゆる価値観に優越する地位に立っていると考えます。
>>85 「人道」ってのも、また怪しい概念だね。
人によって「これは人道上の問題、これは違う」と
いかようにも解釈される。つまんないね。
88 :
84:03/12/25 18:06 ID:???
修正。
「イラクの人民を救うために、」の間違い。
>>80 >国家が人権を侵害しているような場合はどうするの?
まずはその国に是正を求める。
それでも改善が為されない場合には経済制裁等の軍事力行使以外の方法で制裁を課す。
で、それでもなおかつ是正されない場合は、軍事制裁も国際社会の合意により認められうる。
本当はその国の国民が革命を起こすなどして解決すべき問題なのだが。
それが不可能な場合の話だな、こういった手段が採られうるのは。
ラムたんの気持ちが少し分かった気がする。右からも左からも攻められたな。
>>89 つまり、最終的には、国家主権を侵害して、
「人権」を押し付けてもいいという立場ですか?
それなら、まあ、まともな見解なので、異論はないですが。
>>1以外に香ばしい人権マンセーがいないというのも淋しいなw
国家の主権こそ至高のもの。
多少の「人権侵害」があるぐらいで、
他国が内政干渉するなどとんでもない。
94 :
れ ◆r0FmiN9ADk :03/12/25 18:15 ID:JMrQM8tg
>>89 笑っちゃうね。
国家が、女性の賃金は男性と同等か、あるいは多少少なくても良い。
その限度は5%の差以内である。と定めた場合も、女性差別、女性の人権侵害だが、
私は、「それでもなおかつ是正されない場合は、軍事制裁も国際社会の合意により認められうる。
本当はその国の国民が革命を起こすなどして解決すべき問題なのだが。
それが不可能な場合の話だな、こういった手段が採られうるのは。 」
とは思わない。
できるのは、重度の人権侵害ということであり、それが人道という意味であると思う。
人権思想でひとくくりに語るのは誤りであり、お馬鹿な議論になる。
今こそ、国家主義の時代。
スレタイの人権総合ってどういう意味なん。
国家主権 >>>>>> 人権 >>>>>>
>>1の存在価値
大体人権思想で天皇制廃止を訴えるS-RAMたんのような議論と組み合わせると、
英国の王室廃止を、国際社会の軍事力で、強制できることになる。
アーア、ホラシイ。
人道 > 国家主権 > 人権 >
>>1 これで結論が出たかな。
>>94 だからだな、軍事制裁というのは最終手段であって、むやみやたらに認められるものではない。
基本的には外交交渉などによって解決すべき問題だ。
それに、軍事制裁が認められうるのは極めて重大な人権侵害が行われている場合だけだ。
軍事力行使というのは、多大な人命や国民の財産などが失われる可能性が高い行為なのだから、
その被害がその国が行っている人権侵害による被害よりも大きくなるなんてことは不合理だろ。
認められうるのは、軍事力行使による被害とほぼ同等かそれ以上の人権侵害が行われている場合だけだろう。
つまり、大量虐殺をやらない限り、
国家の手により、人権侵害をバンバンやっても、
何も問題なしと。他国は干渉してくんなと。
どうも現在私を叩いているのは右だけみたいだな。少し安心した。
左から叩かれたのは、ちょっとショックだった。
>>101 > 認められうるのは、軍事力行使による被害とほぼ同等かそれ以上の人権侵害が行われている場合だけだろう。
そんなもん、一律的に比較できるわけねえだろ。
国家間の文化的多様性だって考慮しなきゃいけないし。
全く、高校生の机上の空論って感じだな(プゲラ
>>101 じゃァ、ちゃんと、重大な人権侵害と書きなよ。
そうすると、重大な人権侵害と、重大でない人権侵害があり
、重大でない人権侵害は国家主権よりは上位ではないということで良いのか?
という事は、重大な人命にかかわる人権は人類普遍だが、そでない人権は
その国によって定まるということでいいのか?
>>1によると、国家が強制収容所を作って人権侵害バンバンやっても、別に構わない。
>>102 だから、もちろんそういう重大な人権侵害行われているとまではいえない場合は、
外交交渉や経済的な制裁などの非軍事的な制裁によって解決すべきだろう。
軍事力行使は最終手段のみとして認められうる。
「重大な人権侵害」って、それは「人権」って抽象的な言葉でくくらなくても、
「人命は大事」と言えばいいだけの話じゃねえの?
なんで、いちいち「人権」なんて西欧の言葉を使わなきゃならんのよ。
109 :
れ ◆r0FmiN9ADk :03/12/25 18:31 ID:JMrQM8tg
しかし、もしスレを立てた本人が、検証不可能なナナシで議論参加しているなら
、スレを立てた本人にとっては、検証が可能な有意義な議論をするつもりがない
あるいは、有意義な議論など望んでいないという意思表明だな。
誹謗・批判、タタキ、煽りに、苦情を云うのは、筋違いだな。
建設的な議論など望んでいないんだから。
「生命・身体は大事にしましょう」と、ただそれだけのことじゃん。
「Human Right」なんて言葉を使う必要、全くなし。
. | llllllllllllllllllllllllllllllj 丿lllllllllllllllll_lllllllllllll
| :;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;( (;;;;;;;;;;;;;;;;:::://v::;;;;;::: ぐっ・・・・・・! うっ・・・!
>>1 | ;:::::::::::::::::::::::::::::::) ):::::::::::::/::::::::::::::::::: うううっ・・・・・・!
| ,:::::::::::::::::::::_;:::::::::ゝ )::::::/::::::::::::::::::::::::: くっ・・・・・・!
. | ,::::::::U:::::::::::::)::::: ) )/ U :::::::::::::::::::: しかし・・・・ しかし しかし・・・・
. | ,::::::::::::::::/:: (./) :::::::::::::::::
.. | ,::::v:::::::/l /( j :::::::::::::::: 固ハンを捨ててどうなるっ・・・・・・・・!?
| ,::::::::/ .丿 /ヽ ∪ ,ヘ :::::::::::::::
| ::::/  ̄ ̄ \_/ | ::::::::::::::::: 名無しに戻ってどうするっ・・・・・・!?
し'´ `´. | :::::::::::::::::::::
∪ | ::::U:::::::::::::::::: 匿名で書き込んでも・・・・・・・・
|::::::::::::::::::::::::::/ 自作自演をやっても・・・・・・・
. |:::::::::::u::::::::/ 何も変わらないっ・・・・!
|::::::::::::::::::/ 変わらないんだっ・・・!
. |::::::::::::::/
\_ノ オレが
>>1であることに・・・・!
>>107 特定の思想を、他の国に押し付けるなよ。
>>106 過去レス読んでね。
>>105 既に述べたと思うが、人権自体は人類普遍である。
しかし、その保障程度は国ごとで変わりうるが、それでも最低限守られるべき基準というものがあるということだ。
その基準になりうるのは、国際人権規約などの国際的な規範だろう。
この国際的な取り決めからの逸脱程度に応じて、外交交渉から軍事力行使までの取りうる手段が変わってくるということだろう。
人権となると、たとえば「財産権」が不可避的に含まれるからねえ。
国家によっては、私有財産を否定しているところもあるし、
国家によっては、全ての財産は神のものだとしているところもある。
>>113 > 既に述べたと思うが、人権自体は人類普遍である。
で、その根拠は?w
異教徒を認めない国は多々ありますが、
そこら辺に対して、経済制裁・外交的圧力をバシバシ加えるのもOKとw
>>113 >この国際的な取り決めからの逸脱程度に応じて、
>外交交渉から軍事力行使までの取りうる手段が変わってくるということだろう。
だから、人権思想を他国に押し付けるのはNOなんだろ?w
なんで、外交的・軍事的圧力をかけるんだよ。
>>113 つうか、ちゃんと名前の欄に「Santi」と書けよ(ワラワラ
>>113は、特定の思想を諸民族に強制しようとするファシスト。
>>1 /::://:::! /-=、 ,// u / _,,.-ゝ. 「ヽ l ! , l 落ち着け……
/::_;イ-‐=レ'==ミ" '∠-==ヽl=ヽlヽ レ'レV
/::::::::..、 o ,≡:::::::〈、 o , :|│ リ ' 冷静に考えれば……
::::::::::::::::: ` ー--‐ '´三 :::::::::ヽ`::ー-‐:'.´ |│ l 今から固ハンに戻るなんて……
::::::::::::::: ニニ ::::::::::::::ヽ::::::::: U |│ ! あまりに危険だ……!
:::::::::::::::U  ̄ ̄ U::::::::::::::::ヽ::: u |│ .l ここはひとまず……
:::::::::::::::: U r‐:::::::::::::::::::::ヽ. Lノ | 名無しで乗り切り……!
>>107 そこには同意できないなァ。人権を押し付けるな!と私も言っておこう。
イスラムの女性も肌を出して、人前にでられるようにしなければならない、などの
人権の押し付けは主権侵害だろう。
仏教国体の王室を廃止せよというのも然り。英国王室は人権侵害か?
韓国の女性が働き男性は国家国民を語るのは女性差別だろう。
韓国に選択的男女同姓婚姻制度でも求めるの?
>>113 何時述べたのか分からない。単発的な意見しか認識できない。
ナナシは、何回でも既に述べたことは繰り返すしかない。
>>116 外交交渉ぐらいは可能なんじゃないか。経済制裁はその侵害程度によって可能になるかどうかが決まると思うが。
>>117 外交交渉は、押し付けではないだろう。是正を求めるだけだから。
>>226-227 まぁ、憲法上の問題ではないですけどね。
確かに副大臣・政務官にまで継承順位を付けておくのはやりすぎな気もしますけど
全国務大臣が参加中の国会が丸ごと爆破されるぐらいのことは想定しておいても良いのではないかと。
んで、それでもなお天皇大権に頼らなくても済むシステムは欲しいわな、と思うわけです。
基本的に首相の権限で空白が許されないのは統帥権ぐらいなものですし、決めておくのは
(1)国務大臣(組閣時に継承順位付け)→(2)下院議長→(3)上院議長&上院議長による裁定
ぐらいってことに変更で。飽くまで臨時代理ですし指名は事後承認でよろしいかと。
これでもなおダメなら天皇大権に頼るのが君主国の正道でしょう。
#書き終わって気付いたけどこれって考えが現行憲法ベースなような…。…まあいいか。
125 :
右や左の名無し様:03/12/25 19:00 ID:+ctfaTGm
>>123 だから、なんで是正を求めなきゃいけないんだよ。
彼らは彼らの価値観に基づいて国家を形成してるんだから、
他国が特定の思想を認めるように求める必要ないだろ。
126 :
124:03/12/25 19:00 ID:???
あやや。激しく誤爆です。すみませんでした。
外交交渉は、価値観の押し付けだろう。
>>125 外交って多かれ少なかれそういう面があるだろ。
別に人権のことに限ったことではないと思うが。
関税下げろとか、自主規制しろとか、
各国が各国の価値観でするのが外交であろう。
>>128 なんで、外交で、特定の思想を受け入れるように求める必要があるんだよ。
押し付けるな。
130 :
れ ◆r0FmiN9ADk :03/12/25 19:08 ID:JMrQM8tg
何で人権派は、いいかげんな思考回路をしているんだろう。
個人に価値を押し付けるな、思想信条は自由である。その行動が不法なら強制的に排除
されてもやむをえない。といっていて、それが集団でも、その集団としての自由を権利として
認めさせようとする。(ヤマギシやオウム・白装束・過激派など)
そのくせ他国には、価値観を押し付け、国家を通じて他国民の思想信条の自由に干渉し
それが正義だと思い込む。
あーイイカゲンうんざりだね、そういった考え方は。
結局、
>>1は白人中心主義の思想統制主義者ですか?
「おれたちの価値観は素晴らしい。おまえら、その野蛮な文化を保持するのも良いけど、
おれたちの価値観も受け入れろ」
なんか、恐怖的なまでにファシスト的な思考形態だね。
まあ、最終的には国際社会というのは幸か不幸か強者が優越するという面は否定できないよな。
強者が人権に限らず一定の価値観を普及させようとするということは往々にしてあるわけで、
しかもその価値観というのが人権という世界的に正当性が最も認められた普遍的な概念であれば尚更であろう。
押し付けはよくないが、外交的に或いは国際法規上認められた経済制裁などの方法で、
国際的に広く認められた理念の普及を目指すのはそれ程悪いことだとも思われないし。
ということで、やはり人権は人類普遍の原理であるという結論をSantiに代わって俺が出してしまいました。
>>134 >人権という世界的に正当性が最も認められた普遍的な概念
ワラ
>>134 その通りだね。
やっぱり、武力行使して、フセイン政権を倒し、
人権を保障する民主国家として、イラクを再建することは正しいと思う。
人権は人類普遍の原理。ブッシュがんばれ!
>>134 >人権という世界的に正当性が最も認められた普遍的な概念であれば尚更であろう。
妄想オナニーキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
>>134 だから世界的に普遍なら、普遍と思っている国の人たちで共有すれば良い。
正当性が世界的に認められているなら、そもそも、外交による強要など
必要ないでしょう。
したがって、他国へ干渉する必要はない。まして外交での強要など不必要。
ところで、英国の王室廃止は要求するの?
このたび新たな憲法を作る中東国に、国教の禁止はなぜ求めナイン?
身勝手な理屈はもう良いよ。
>>134 アラブ世界で、「人権って素晴らしいですね」と言って回ってみて。
その書込みの馬鹿さ加減が、よく分かるから(プゲラ
,.-――――――――――――-、 ダメだっ…… オレはダメなんだ……
/ \ わかったんだよ……
\ l オレには もう…… わかった…
>、 |
/―`\、 | 固ハンには二種類ある…と
/―――u \__ |
ヽ ヽ二二ニニニヽ`ー-、_____ | 豊富な知識と見識を持ち、
n===〜=-、===============、 .| そのスレをスムーズに運営していけるヤツと……
>>1 | |〉 i] ) u | |⌒`i .|
| | └┐r' u | |⌒`| .| ちょっとした自己顕示欲からハンドル名作ってみて
./U u`ーし‐' U .l |(^) | | そのスレ全体でオモチャにされて馬鹿にされるヤツと……
∠__ ) O ーU-、\. .| .|___ノ |
<_____ ヽ .Vヽ | オレは…… そのダメな方……
└┴┴┴┴`i l / \ | …ダメなんだ…
┌┬┬┬rノ / \ |\
匚 ̄ ̄ ̄ ̄u. / \/ どうしても知識が足りない…
| U u / / 煽りにすぐ反応してしまう
l_____/ / 震えが止まらない………
/ 本当に………
名無しに切り替えて、自作自演を続けるのがギリギリ……
精一杯なんだ………
私は「レイプは合法」というものは全人類共通の最も重んじられるべき原理で、他のあらゆる価値観に優越する地位に立っていると考えます。
私は「辻元さんは無実」というものは全人類共通の最も重んじられるべき原理で、他のあらゆる価値観に優越する地位に立っていると考えます。
これほどまでに、バレバレだちゅうとるのに、
>人類普遍の原理であるという結論をSantiに代わって俺が出してしまいました。
これは、いまどき貴重なので、みなさん温かく見守ってあげましょう。
144 :
右や左の名無し様:03/12/25 19:48 ID:HMCqe8IM
>>1よ、クリスマスの夜に非人間性行為はやめなさい。
主を冒涜するにもほどがある。
何か誰か勝手に結論を出してしまった奴がいるな。
ちょっと結論の出し方が強引過ぎると思うが。
私が出て行きにくい雰囲気作りもしてあるし。私は洋梨ということか。
何で、あの名無しが私とみんな思い込んでいるんだろう。
確かに考え方は似ているが、微妙に違う部分もあるんだけど。
私も他国の人権問題を解決する上で外交的な面が有効であることは否定できないと思う。
実際、南アフリカ共和国のアパルトヘイトが撤廃されたのも西側民主主義諸国による外交的努力が功を奏したことは否定できないと思うが。
外交で他国の人権問題を解決する事に批判的な人は、こういう南アフリカでの業績も否定するのだろうか。
___ _
``ヽ、`ヽ、,i'"´∠ _
,. ‐'"´ ̄ ``ニゝ どうして他人とまともに議論しようなんて
. ∠´-,‐:‐' ``ヽ 思うかなぁ〜〜〜〜〜〜?
/
>>1 ゝ
. / l もう〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・・・・・・!
// /l、 l
l /| ./ l、iヘ | 議論なんてできないんですっ・・・・!
.l /| , /! /. l./ u l | , 〉.iヘ、 . | ボクたちの頭ではっ・・・・・・・・・・!
|/ |/|/`!/-ニl_ v'|/'_ニl~ ヽ|、 l
/´l|.| !' /⌒ ⌒ヽ |.i^ヽ なぜなら学力が低いからっ・・・・・・・・・・・・!
l |6|| l (0) (0) l u ||.6l|
ヽ._|| ヽ、_ :| |: _,ノ ||_ノ オレたちみたいな低学歴でも
‖ u ( ) .‖ 政治を語りたいんなら・・・・・・・・・・・・
| v /⌒ヽ、` ‐'´,.ノ⌒ヽ |\
._/l l ,. -─‐三─‐- 、ノ ! l 、 もう・・・・・・
,.‐''"´/ ヽ、` -‐ '´._`` ‐-" ,‐'´. | `` ‐ ・・・・・・・・・・
, -‐''"⌒)ヽ`‐、. ≡ , ‐'´l .l │
( -‐'"⌒)-、〉l:::` ‐--‐'":::::::::l | . | ズバリ・・・・・・・・・・・・
.( -‐'"⌒)ノ, |、::::::::::::::::::::::,ノ! | .|
/( -‐''"⌒)ノ ! ` ‐----‐'´ .l | | 自作自演しか
(._,,. -‐' ,"\ l l ,へ、 | ないんですっ・・・・・・・・・・!
/ ヽ レ' \ .|
>>145 ここまでオモチャにされても、なお開き直って、
固ハンに戻すところがすごい。久々の厨房だな。
じゃあ、終了ということで。
こんばんわ。
塾の冬期講習で、初めて小論文の授業を取りました。
先生に
>>1と
>>12を読んでもらいました。
先生が言うには、
・思い込みの激しすぎる人
・このような文章では人を説得することはできない
・入試の小論文なら最低評価
・ってゆーか意味わかんねえじゃんこれ
・こっから先はオフレコな
・このタイプは厳しく注意するとたいてい教室からいなくなる
・そのうち人殺すんじゃねーかって心配になる
・彼女なんかもちろんいない。だってわけわかんねーことばっかり言うし
女の子は逃げるぞ普通
・ちょうどいいから、「人権は全人類共通の最も重んじられるべき原理で、
他のあらゆる価値観に優越する地位に立っている」とかいうへんてこな
命題について考えてみなさい。哲学なら真善美、南総里見八犬伝なら
仁義礼智忠信孝悌、これらの「価値」よりも「人権」は大切なのかな?
全人類共通ってのはほんとかな?そもそもオメー、人権の定義はよ?
・馬鹿とハサミは使いようって言うだろ、
>>1を利用して君が勉強しなさい。
というようなこと言ってますた。気が付いたら宿題を出されていますた。
ではさようなら。
申し訳なかった。私は愚かなことをしたと今つくづく反省している。
でも、みんなを騙そうと思って自作自演をした訳じゃなくて、過去レスを読んでいただければ分かるが、名無しで何気なく書き始めただけなのだ。
途中からでもコテを付ければよかったんだが、あの状況では付け辛かった。
いや、許して貰おうなどとは思っていない。ましてや議論を再開させて貰おうなどとも思っていない。
ただ謝罪したかった。それだけだ。本当にすまなかった。
晒しage
☆
w ||w
w∧||∧w 今年のクリスマスは
ww( ⌒ ヽw←
>>1 >>1のおかげで盛り上がったな。
wwww∪wwwノw十
ww●www∪∪∧||∧
wwww||ww○ww ⌒ヽ )w←
>>1 www∧||∧www(www∪wwww
www( ⌒ ヽww∪∪ww◎ww
ww○w∪wwwノww●www十ww||w
.wwwww∪∪w◎w||ww○w...∧||∧
wwwwww||f..○w∧||∧www( ⌒ ヽ←
>>1 w●w.w∧||∧ww( ⌒ ヽwww∪wwwノw
wwww ⌒ヽ )www∪wwwノwwww∪∪ww
..www.(www∪'wwwwww∪∪www●www◎w
w◎w.∪∪wwwww○wwwwwwwwwwwwwww
wwww●wwwwwwwwwww○wwwwwww
|::::: 川 | ||
|::: ● | ∧||∧
|::: 川 |( ⌒ ヽ
┌─────∪wwwノ
154 :
右や左の名無し様:03/12/26 03:02 ID:H8Dn4jaT
実は今日的な意味で「人権」という言葉がポピュラーになったのは、
フランス革命政府が出した「人権宣言」と言えますが、
この宣言の中にも実は「これは至高存在(supreme Being)によって庇護される」
という文句が掲げられています。
「神」ではなく「至高存在」という点が重要なポイントです。
ジャコバン派による革命政府は、この「至高存在」の像を中心に祭壇が設けられ、
「反革命主義」と決めつけられた「血の生け贄」が捧げられていったのです。
それはまさに、オウムの「シヴァ神によるポア思想」や
神戸の酒鬼薔薇聖斗事件の「バモイドオキ神」と変わらない、というわけです。
馬鹿がたてた糞スレageるな。sage進行でやれ。
156 :
れ ◆r0FmiN9ADk :03/12/26 15:11 ID:/JxFmm3E
どうも、
>>151への否定が、santi氏からなされないようなので、本人の書き込みと
断定するほかはない。
極めて残念である。残念なのはナナシで書き込んだことではなく、貴殿が参加しにくく
なったことである。
これに懲りず、別の名前で、どしどし書き込むよう(それが匿名掲示板のいいところ)
お願いしておく。
れ氏は優しいな。お心遣い感謝する。
しかし、この前と立場が逆転してしまいましたな。w
貴殿が遭遇したという酷い状況というのはこういう状況だったのかな?
だけど、私の意見はそれ程的を外れているとは思っていない。
もちろん別の考え方も成り立ちうることは否定できないが。
まあ、ほとぼりが冷めた頃にでも、また書き込みするかもしれないのでそのときはよろしく。
HNをどうするかは、そのとき考える事にします。
しばらくは休ませて貰います。なごタンによろしく。
158 :
保守を考える:03/12/26 17:15 ID:mdhJ2uMW
おひおひ、そういうオチかよ・・・・。
今回ばかりは、怒りや笑いを通り越して、誇張ではなく、「開いた口がふさがらない」
また、れ氏とは比較的付き合いが長いから、彼の名誉の為に言っておくが
>貴殿が遭遇したという酷い状況というのはこういう状況だったのかな?
れ氏が、「このような」幼稚な行為を働いたことはないし、これからもそうであると断言しておこう。
人の優しさに付け込んで、自分を正当化しようとする試みすら頂けないのに
その仁者を捕まえて、自分と同類の世界に引きずりこもうとする印象操作は
破廉恥過ぎる。(泥棒にも三分の理か?)
君、言葉を謹みたまえ。
ここは凍え死にそうなネタスレですね。
>>158 別に優しさに付け込んだ訳ではない。有り難く受け容れようとしただけなのだが。
私がやってしまったことは本当に申し訳ないと思っている。改めて謝意を表す。
「休む」という表現をとってしまったが、本当は謹慎しようと思っているのだ。
>破廉恥過ぎる。
確かにそうかもしれない。悪かったと思っている。
>>160 Santi氏
いや、Santi氏は謹慎して、別の名前で復活すればいいこと。2chはそういうところだヨン。
>>161 れ氏
貴殿は本当に優しい人ですね。私は貴殿の事誤解していました。
でも、折角のお言葉なのに恐縮ですが、しばらくは謹慎させて貰います。
DQNを手下につける方法教えますスレはここですか?
しかし、人権が人類普遍の原理という発想自体はそう間違っているとは思わないが。
総論賛成各論反対
れはね、優しさをかけているんじゃなくて、責任を多少感じているんだと思うよ。
俺の記憶が確かならば、Santiは最初このスレを立てることにそれ程乗り気ではなかったように思う。
れに人権スレがあった方がいいなと奨められて、彼はこのスレを立てたんだと思う。
ちょっと、
>>1で煽りすぎたのはまずかったけど、Santiも可愛そうな奴だよ。
えーと、結局このスレでの論争の対立点は人権侵害を理由として他国に対する武力介入が可能かどうかということだと思うんだが。
まず、人権が人類普遍の原理で地球上の全ての人間に人権があるとする思想はあってもいいよな。
キリスト教やイスラム教のような種々の宗教があり、社会主義や共産主義から天皇を重んじようとする思想までのあらゆる思想の存在が許されるわけだから、人権を人類普遍の原理と看做す思想を仮に人権思想だとするとそういう思想もあっていいわけだ。
そしてこの人権思想が国際社会において一般に普及している普遍的な思想であることは認めざるを得ないわな。
それで、問題はある国で人権とは異なる価値観を重んじる思想が信奉されている場合とりわけ人権侵害が行われている場合、それに対して諸外国や国際社会が何らかの介入ができるかどうかだよな。
まず外交はOKだよな。外交的に改善を求めることはあっていいはずだ。誰かが上で外交も一定の価値観の押し付けだといっていたようであるが、元来外交というものはそういうものだ。人権の問題に限った事ではない。
そうすると問題になりうるのは経済的な制裁更には軍事的な制裁が許されるかどうかだが、まず経済的な制裁は認められていいだろう。国際社会によって認められた合法的な手段として経済制裁を課すことは可能だと思われる。それは不当ではないだろう。
問題は軍事的な制裁だよな。ここが最大の対立点だろう。
人権を重んじる立場からは重大な人権侵害が行われているなら軍事制裁も止む無しという発想に繋がるだろうし、逆に国家の主権や文化的独自性を重んじたい立場からはそこまでは認めたくないという発想に繋がりやすいだろう。
ここは今後も議論が必要なところだろうな。
それから、人権思想が他の価値観体系と対立した時にどう解決するかも今後の課題だよな。
一応人権思想の側は思想の自由や信教の自由を絶対的保障とすることで何とか他の価値観との折り合いを付けようという用意はしているが、問題はその人権と対立しうる価値観の方が人権との妥協点というか融和する機能を準備できているかは一概に言えないことだな。
そういえば、最近は「国際人権」なる概念が用いられるようになってきたようだな。
「人間の権利」が普遍的ということは、まず「人間」が普遍的であるということだな。
米国人も中国人も関係無く「人間こうあるべし」という姿があり、(特定社会で)多数決で
で道徳が決められるのではなく、根本的な道徳は既に決まっていてそれに従うべきで
あると。
今年最後を飾る見苦しさ>1=167
172 :
右や左の名無し様:03/12/31 13:21 ID:LdGjnLT7
242 :Santi :03/12/29 02:34 ID:???
なごタンにお願い。
次にスレのお掃除をするなら人権スレを掃除してしまってほしい。
245 :Santi :03/12/30 22:16 ID:???
>>244 なごタン
「☆人権総合スレ♪」をお願い。悪いね、いつも勝手なお願いばかりして。
必ずいつかまた戻ってくるから待ってて下さい。
しかし、
>>1もこの板に人権の敵がこんなにいるとは思いもしなかったことだろうよ。
ネオコンみたいに、「人権思想は普遍的だから、武力行使しても世界に広めるべき」って
言い切ってしまえば、まだ逃げ切れたんだろうけどね。
>>174 そこが難しいところなんだと思うよ。
現在の憲法学者でも、例えば天皇制と人権思想は矛盾するものではないという考えが一般的だし。
人権は普遍的だとしても、それを本当に普及させるためには各国の歴史や伝統を重んじるという視点は外せないと思われ。
武力行使が認められるのは、ごくごく例外的な場合だけに限定されるべきだろう。
>>175 その「歴史や伝統」が人権思想を普及させる上で最大の障壁なんだけどw
そこについて言及しなきゃ、人権論を語ることにならないんだよ。
ここはメンヘル板かよ!
179 :
右や左の名無し様:04/01/01 02:02 ID:WeSDfjG0
>>179 特に意味はないのでは。
何となくそういう名前を付けただけだろ。
>>175 北朝鮮の強制収容所みたいに、
毎日毎日、人命が失われていくような状態でも、
武力介入はダメだと。話し合いでやれと。
182 :
れ ◆r0FmiN9ADk :04/01/01 13:58 ID:dk2cZBdO
私が優しいとかいっている人がいるが、その通りではある。
しかしSanti氏に対して本当に優しい態度は保守考氏であろう。私は彼をたしなめる気持ちを
持っていないから、「勝手にすれば」としか思っていない。
で、人権と他国の介入という部分で、いつも疑問があるのでご意見をお聞きしたい。
ある国家が、支配されている状況というのは、おおむね武力の掌握というファクターがある。
では、実際にその武力を保有しているのは誰?
たとえば北朝鮮で(いわゆる複数民族国家ではないという意味での事例だが)どうだろう。
特定の階級・民族・宗派などのグループに武力が集中している状況における、被差別者たちへの
海外からの支援というものは、特段の人権侵害(いわゆる人道上の被害)について納得もできる
が、北朝鮮の武力は軍隊が持っていて、軍隊は所詮その民族の人民が構成しているのだろう。
彼らを無視して専制はできないのであって、彼らの自決の結果ではないのかという疑問もある。
情報が不十分であるということはできるが、しかしそれも本当にそうなのか疑問もある。
韓国のTVは見れるのだろう。
マインドコントロールという言葉を安易に使うことは好きではない私にとって、北朝鮮の現状は
武力介入するほどのことでもない=当方に迷惑がかかることについての対応以上は必要ない
状況ではないのだろうか。
欧米諸国がある国に軍事介入する際によく人権侵害を理由とすることがあるが、
それは名目に過ぎないのではないだろうか。むしろ、難民が大量に出てきたら
困るといった他の理由が本音の部分としてあって、ただ国際社会が納得しやす
いように人権侵害を理由として使っているという面は否定できないと思うが。
他国でどんな人権侵害が行われていようと、
自国に悪影響が出ない限り、リアクションを起こす必要はないよね。
人権なんて、しょせんそんなもん。他国や国際機関が
武力介入するなんざ、よけいなおせっかい。
185 :
なごみ:04/01/01 21:44 ID:???
れれれのおぢたん
北朝鮮は例外でしょ?
いわゆる民主国家では文民統制されてるから武力はどこにあるって行政府でしょ?
とからんでみる。
186 :
MMMM:04/01/01 23:29 ID:DVivqoX2
れくん、その、まっすぐ質問するとこ、見習いたい美点なんだけどな。
えとおれは、まずそういう事態を理解するに「国家主権」っていうブラックボックスを使う。
人権だの民主主義だのの規定がぼやぼやしてて理屈と膏薬でどーにでも
なりそうなものはつかわない。ボスニア、イラクみたいなの危なくってしょうがない。
だってさあ、国家主権ほうりだしたら、誰かの正義でいつ突っ込まれるかわかんねえんだぜ。
たとえば、北朝鮮の正義で。いや連中の正義は論破できるっつっても、
そんときにナニが正義かって論争してもしょうがない。もう戦争なんだもの。
ベトナムにおける南政府の要請、アメリカ出動とか、
アフガニスタンのソ連出兵でも、以前は当事者の要請って建前つかってたんだけど、
ここんとこ、国家主権不可侵の原則なんかみんな忘れちまってるよな。
実践的には、当方に迷惑がかかんない限りほっとくってのが正解だと思う。
>>183はある意味、的を射た指摘だと思うが、逆にいえば人権侵害を理由にすれば軍事介入に対する国際社会の理解が得られやすいということも事実だよな。
現在の国際社会においては、人権というものが重要な価値を持っているのだというコンセンサスは出来つつあるということはいえると思うな。
>>185 なごみ氏
えー、さまざまな疑問がわくレスで興味深い。
1、民主国家であるかどうかの判定基準は?
私は、単純に「野党の存在を許すかどうか」が、民主国家であるかどうかの基準だと思う。
では、一定範囲の野党の存在は許すという国家は、民主国家なのだろうか。
2、武力を具体的に持っているのは「人」でしょ。
「行政府の命令」が遵守されている状況においてのみ、行政に武力があるといえる。
絶対服従する『人』というものは存在しないのは、北朝鮮だって日本だって同じ。
結局、一定範囲(特に武力を保有している具体的な人間)の支持なくして
専制というものは維持できないわけだろうと思う。
3、北朝鮮が例外なら、全部の国は例外でしょう。
日本も例外だろうし、イランも、イラクも、英国も、米国も、中国も、例外でしょう。
唯一完全象徴君主を持つ国、唯一核査察を完全受け入れした国、英米の占領下に置かれ
ている国、王室を持つ先進国、世界最大の軍事国、人口が最も多い国。
特殊な事情にも適用できるからこその「普遍」であって、例外に対応できなきゃ普遍じゃない。
>>186 限界なく?どんなことをやっていても?同じ人類として放置が正しいか?
>>1 ボクも人権は普遍的なもので、世界中の全ての人間が従うべきものだと思います。
よって、例えば、イラクのフセイン政権を武力で打倒して、民主国家に移行するのは、極めて正しいと思います。
北朝鮮も、バシバシ追いつめるべきです。とりあえず、救う会や拉致議連が主張しているように、
経済制裁をやっていくべきでしょうね。
248 名前:右や左の名無し様[sage] 投稿日:04/01/02 10:27 ID:???
>>246 なごタン
だいじょうぶだよ。名無になって謹慎しているだけだからw
誰にも負けない知識のinputが完了したらコテに戻すね♪
192 :
なごみ:04/01/02 13:35 ID:???
れれれのおぢさん
>>188 >民主国家であるかどうかの判定基準は?
国民が代表者を選出してるかどーかでしょ? で、文民統制というのは民主国家(近代国家)における権力分散の処方箋。
>一定範囲の野党の存在は許すという国家は、民主国家なのだろうか。
十分民主国家でしょ? 所詮民主国家といっても物事を決定するのは国民ではなく国家(代表者)なんだから。
>武力を具体的に持っているのは「人」でしょ。
はぁ? 「国民」のこと?? イマイチ理解しかねる。
>「行政府の命令」が遵守されている状況においてのみ、行政に武力があるといえる。
当たり前ぢゃん。これが文民統制なんだから。行政に逆らって武力行使されるのをクーデターと呼ぶんでないの?
>絶対服従する『人』というものは存在しないのは、北朝鮮だって日本だって同じ。
北朝鮮は未だに「偉大なる将軍様」でしょ? お主は、教育や環境によって「人」がどうにでもなってしまうってのに気づかんか?
>一定範囲(特に武力を保有している具体的な人間)の支持なくして専制というものは維持できないわけだろうと思う。
そのための文民統制でしょ? 武力の政治干渉を回避するためにある。
ただ、文民統制が万全ならば武力の干渉を受けないかといえば、否。政府が武力に迎合することも、国民が武力を要求することもある。
>北朝鮮が例外なら、全部の国は例外でしょう。
お主は「例外」と「特殊」の区別がついてないな。
民主国家で括ってみると、日本・英国・米国は特殊、北朝鮮・イラン・中国・は例外(イラクは移行中)。特殊は民主国家だが、例外は民主国家じゃないんよ。
>特殊な事情にも適用できるからこその「普遍」であって、例外に対応できなきゃ普遍じゃない。
まず、例外は適用・対応できないから例外なのであって、適用・対応できたら例外ではない。
次に、民主国家(民主主義)は決して普遍じゃない。普遍でないから例外がある。
193 :
右や左の名無し様:04/01/02 13:56 ID:8GIcYP07
民主主義かどうか、なんて基準は二義的なもんだろう。
その国民がどれだけ豊かで安全な生活をしているのか、こそが
指標だろう。
アホみたい。何が民主主義だ。民主主義教か。
このスレの主要テーマは、1のDQN度だよw
195 :
なごみ:04/01/02 14:06 ID:???
>>193 >その国民がどれだけ豊かで安全な生活をしているのか、こそが指標だろう。
指標だか何だか知らないが、これは民主主義とは直接関係ない。
それを証拠に民主主義が常に豊かで安全な生活を保障してるかといえば、否でしょ?
>アホみたい。何が民主主義だ。民主主義教か。
お主は、民主主義って何だと思う?
俺は一種の宗教だと思うんだが
>>195 お前バカ?
>指標だか何だか知らないが、これは民主主義とは直接関係ない。
二義的と書いてあるのが見えないのか?
>俺は一種の宗教だと思うんだが
民主主義教と書いてあるのが見えないのか?
なごみもSantiと同類項のDQNだが、Santiのように卑怯者じゃないのが唯一の救いかw
198 :
右や左の名無し様:04/01/02 14:16 ID:8GIcYP07
>>195 そうですね。
現代においてはそれで成功している国家が力を持っている、ってだけ
でしょう。
それを民主主義はゼッタイ善みたいなことを前提に議論している。
そういう意味でアホみたい、と。
教育水準、交通、通信が未発達の封建時代に民主制を導入して上手く
行くと想っているのだろうか。その時代時代に合った、国家に合った
体制ってのがあるだろうに。
民主制を純化すればするほど素晴らしい、みたいな思想が蔓延している。
理念だけなら社会主義の方が素晴らしいのではないか。
「DQN」という言葉は自分では論理的な反論ができない奴が悔し紛れに言う言葉に過ぎないということが次第に判明してきた今日この頃。
200 :
MMMM:04/01/02 14:34 ID:ejvX1h7h
原則はね。
>>189天皇制は人権抑圧だって攻め込んでこられちゃたまんねえや。
まあ、どんな国だってそーやって文句はつけられるものじゃん。
リビアなんてのは締め上げたら手ぇあげちゃったし侵攻以外の手法もけっこうつかえる。
そんで国家主権を絶対に置いたとしてもさ、さいあく在留邦人の保護>侵攻とかの手は残ってる。
201 :
MMMM:04/01/02 14:50 ID:ejvX1h7h
アメリカの行動も、過去はいちおう国家主権を重視してた。
ニカラグアなんかはどーにか反政府運動を捏造して、
理屈つけて行ってる。
グレナダ侵攻とかは、アメリカの気にくわない政権ができて、
どうにも攻め込む理由がなかったんで邦人保護名目で行った。
さすがにあれは牽強付会が過ぎるヒドイってひょうばん悪い。
ここ最近はその理屈つけるのもやめたので、たいへんに危ない。
アメリカの行動を認める限り、なにかの正義で攻められる可能性がある。
202 :
な:04/01/02 15:13 ID:???
>>196 >二義的と書いてあるのが見えないのか?
お主が「民主主義の基準は二義的なもの」と言って来たから、俺は「お主のいう指標など民主主義とは関係ない」と切り返したんよ。
つまり、お主のいう指標は二義的でもないといいたかったんよ。
>民主主義教と書いてあるのが見えないのか?
確認だよ。カクニンw。
民主主義が宗教だってゆーのはここでは圧倒的少数派だからね
203 :
な:04/01/02 15:22 ID:???
>>197 名 無 し で あ る こ と が 卑 怯 そ の も の だ ぜ ぃ
ま、お主みたいのが追い詰められると安易に人権を持ち出してくる。
204 :
右や左の名無し様:04/01/02 15:35 ID:8GIcYP07
205 :
な:04/01/02 15:38 ID:???
>>198 >現代においてはそれで成功している国家が力を持っている、ってだけでしょう。
いつの時代も同じなんだけどね。
>それを民主主義はゼッタイ善みたいなことを前提に議論している。そういう意味でアホみたい、と。
近代民主主義ってのが必ずしも性善説で成り立ってないのに気づいてないんだな。そもそもゼッタイ善なんてのがこの世に存在すること自体おかしいんよ。
アホというよりボーヤなんよ
>教育水準、交通、通信が未発達の封建時代に民主制を導入して上手く行くと想っているのだろうか。
そう思ってる香具師が決して少なくないってことさや。
封建制ってのを単なる上下関係だと思ってたら間違いだぜぃ。
>民主制を純化すればするほど素晴らしい、みたいな思想が蔓延している。
素晴らしいよ。一点の曇りもない。でも、人間のほうが簡単に純化できるものではない。
>理念だけなら社会主義の方が素晴らしいのではないか。
問題はそれら理想をいかに現実に対応させていくかだろうね。俺は民主主義や社会主義の存在意義を否定しない。
207 :
右や左の名無し様:04/01/02 15:44 ID:8GIcYP07
>理念だけなら社会主義の方が素晴らしいのではないか。
問題はそれら理想をいかに現実に対応させていくかだろうね。俺は民主主義や社会主義の存在意義を否定しない
↑
ワタシも否定はしない。
でも基本的な考えとして、理想的な制度を人工的に作り上げて、それに
人間を合わせるような真似をしてもダメ。失敗する。
現実の人間に合わせるようにしないと。社会主義はそれで失敗した。
>なごタン
どうも、趣旨を理解いただいていないようなので、もう一回書くが
国民が代表者を選出しているだけでは、民主主義じゃないでしょう。
それはドイツが、ヒトラーという形で証明して見せた通り。
日本が民主主義で、中国や北朝鮮が民主主義でない最大の特徴は
野党の存在をゆるす国家体制があるかどうかに他ならないよ。
子k住民が代表者を選ぶということは国民の多様性を認めるということに他ならないわけで
多様性を認めるということは少数野党が意見を述べられること、政権交代の可能性がある
ことが求められるわけだよ。
で、其れはいいんだが、民主的国家における民主的決定手続きにおいて、人権が侵害されて
いる場合に、他国は介入できるのかという疑問がひとつある。
もうひとつは、北朝鮮のように非民主的とはいえ、クーデターを起こさないという意味では
決定的な被害はないということになろうけれども、それでも他国がクーデターを起こすべく手助
けをすることの是非はどうなのかという疑問がある。
さいごに、クーデターを起こしたいと考え人民が放棄しようとするとき、其れを他国が手助けする
ことの是非はどうなのかということである。
209 :
MMMM:04/01/02 16:37 ID:ejvX1h7h
えと、人権と国際間紛争について、かいとく。
国家間交渉では、人権なんかカンケーないのがフツー。
いやがおうでも主体は国家。
人権が関係ないっつーとヘンなこと言ってるようだが、
だいたい国連で、インドもルクセンブルグとおなじ一票ってのは、
人権侵害もはなはだしいのだ。これも国家主権がなせるわざ。
文句いってもしょうがない。
内憂外患、軍事援助、かいらい政権、その手の内政干渉するときは、
正当性しゅちょうするときに人権などを振り回したりはするけど、
まずは、その関係、事態のなかで強力な内政干渉が可能かどうかが問題であり、
不可能ならば意図を問わずやれない、可能ならば人権がどーあろうが、
やりたいときはやっちゃう。ここでも人権はカンケーない。
>>209 MMMM氏
でもたとえば民族浄化のような事態なら、介入OKじゃないの?
軍事介入が妥当かどうかは、状況によるけど・・・。
211 :
MMMM:04/01/02 16:42 ID:ejvX1h7h
こうゆう国家主権ってやっぱどうも奇怪な考えなんだけど、
これやめると、人権もなにもぜんぶふっとんで、むき出しの軍事力だけが浮上してくる、
だから、そりゃまずい、もっとヒドイことになる、もうかんべんってんで、
いちおう国家主権不可侵の原則ってーのが、
オーソライズされてる。されてた。
212 :
MMMM:04/01/02 16:54 ID:ejvX1h7h
あ、れくんのレスだ、
>>210。
おおよそすれ違った211、209後半とかで説明できてると思う。
じゃっかん追加、「民族浄化」までやってる、人権抑圧してるってのも
結構いいほうだいだから、アテにならない。イラクはほんとに数十万人規模で虐殺してたか、
それはトルコよかひどかったか。イスラエルの虐殺よりも残虐だったか。
わかりやすくいや南京大虐殺はあったか。
そんななかで国家主権不可侵概念すてたら、国家間が相互に虐殺摘発、戦争勃発、
戦争のほうが虐殺よか死人がいっぱい出かねない。出るはずだった。
213 :
MMMM:04/01/02 17:03 ID:ejvX1h7h
補足、
>>209で
「その関係、事態のなかで強力な内政干渉が可能かどうかが問題」
って言ったけど、可能不可能を決定するのは、まずは基本的に軍事力。
アメリカがニカラグア、グレナダに対して「人権しんが〜い」っつって、
攻め込む、傀儡政権打ち立てるのは可能だが、
日本は北朝鮮にたいしては、軍事的に不可能。日本がアメリカだったら、
中国韓国がなに言おうと、いまごろ北朝鮮は焼け野原だなー。
>>208 >国民が代表者を選出しているだけでは、民主主義じゃないでしょう。
民主主義を広義で捉えるとこれしかないのでは?
あんまり狭めると定義付けが難しくなる
>それはドイツが、ヒトラーという形で証明して見せた通り。
ヒトラーはミュンヘン一揆を教訓に合法的に民主的に台頭した。これを非民主的というのはお主も民主主義に足下すくわれるかもね。
戦後ドイツがナチズムに敏感になってるのも、ナチズムが民主主義の類型に他ならないからでしょ?
>野党の存在をゆるす国家体制があるかどうかに他ならないよ。
野党が存在するのが民主国家ならば挙国一致内閣や翼賛内閣は民主国家において成立しないのか?
野党は国民が代表者を選出した結果発生するのであって、国家が許すも何もない。
北朝鮮や中国、イランが民主国家でないのは、国民が代表者を選出してないから。選出してないから野党が存在しない。
>多様性を認めるということは少数野党が意見を述べられること
いくら野党が真っ当な意見を行っても数の前には何の意味もない。イラク戦争直前の米連邦議会でも反対声明はあった。
民主主義は多様性というが、政治はその中から一様を決定しなくてはならない。つまり多様性は一面的に過ぎない。
>政権交代の可能性があることが求められるわけだよ。
55年体制は壮大な出来レースだった。社会党は野党第一党として自民党に文句を言うだけ。40年近く日本は民主国家ではなかった??
政権交代の「可能性」だけでは民主国家としては正常とは言えまい。
因みに俺は、日本が民主国家だから発展したとは思ってない。
ま、捉え方の違いでしょ?
215 :
な:04/01/02 17:35 ID:???
んで、本題。
>人権が侵害されている場合に、他国は介入できるのかという疑問がひとつある。
それをやろうとしてるのが、米国であり、国連でしょ?
しかし、米国は人権や民主化は建て前で、本音は利権だったり覇権だったりする。国連はそういった各国の本音を調整するあまり、建て前が横行し、結局二進も三進も行かない。
俺は、「介入できるのか?」と問われれば、「できなくもない」と答える。理由など後から幾らでも付けられる。
だが、「介入するべきか?」と問われれば、「するべきじゃない」と答える。これはイラクであろうと北朝鮮であろうと変わらない。
北朝鮮は経済封鎖で充分。こっちが出向けば却って向こうに口実を与える。こっちから出向くことはない。
イラクも同様だが、政治的に判断すると今回は派遣せざるを得ない。ここが口惜しいのだが。
な、くんは、4Mの各レスみて、
どー思うかなあ?よかったら、ひま見て書いてや。
>>214 私は、民選の結果において多数決であったとしても、一党独裁は民主主義ではないと思う。
全体主義やナチズムが民主主義と一線を画す部分はその一点であると思う。
内閣がどうであるかは、議員の衆議による決定であるから、民主主義と無関係だ。
数の前には意味がない?その時点で意味がないということと、国民がその野党を
次の与党とする可能性を予定しているという意味での意義とは、別問題であろう。
一様を決定するに当たり多数が尊重されるのも民主主義なら、それでも少数意見を言う
権利を確保することもまた、民主主義である。
というより、私は和の理念による衆議主義こそ、日本における民主主義だと思うから
公平な参加による自由な衆議を確保できなければ、衆議による決定は無意味であろうと思う。
公平な衆議への参加というものは、野党の存在を許してこそ可能である。
状況がそうであったということと、その可能性があった(野党および野党支持者の自己責任を
述べることができる状況)ことは、まったく別次元である。可能性があったこと自体が
意義を持つ。北朝鮮や中国にその可能性はないから民主主義国ではない。
>>215 なごみ氏
国連があろうとなかろうと、米国が同盟国であろうとなかろうと
必要なことはやるという思想は必要である。できるかどうかは政治問題だが、やるべきかや
るべきでないかは思想の問題である。ここは政治思想板である。
218 :
な:04/01/02 21:52 ID:???
れれれのおぢさん
>>217 >民選の結果において多数決であったとしても、一党独裁は民主主義ではないと思う。
お主が一方的に思っててもそれは単なる片思いなんよ。
民主主義は制度に過ぎない。その結果は主権者たる国民が背負うべき問題でしょ?
民主主義における独裁―制度の修正で対処できないからタチが悪いんよ。だから俺は民主主義に重きを置かないんだが。
>全体主義やナチズムが民主主義と一線を画す部分はその一点であると思う。
究極の選択として、もし多様を謳う民主主義よりも一様を謳う全体主義を国民が選択したときはどーなるんよ?
どこの国家のどの民主制度をもってしてもそれを未然に防止する術はないんよ。それこそ、思想信条の自由の侵害の恐れがある。こうなると人権派が黙ってないぜぃ。
そこまで自己主張するなら俺は認めてやるが。
>内閣がどうであるかは、議員の衆議による決定であるから、民主主義と無関係だ。
代表者主権による間接民主制は、厳密に言うと民主主義でないから有効なんよ。主権者たる国民は蚊帳の外。でも蚊帳の外とは言ってもまったく無関係ではないが。
>その時点で意味がないということと、国民がその野党を次の与党とする可能性を予定しているという意味での意義とは、別問題であろう。
何を呑気な。政治とはそのときの判断に効果があってこそ政治なんよ。次回への伏線なんか意味がない。
次回は次回、その時に決すればいいんよ。
>一様を決定するに当たり多数が尊重されるのも民主主義なら、それでも少数意見を言う権利を確保することもまた、民主主義である。
俺は多様性は全部否定しない。でも民主主義が結局一様に決する以上、多様性にこだわることがそんなに意味があることとは思わないんよ。
>というより、私は和の理念による衆議主義こそ、
出たな。れれれワールド。
お主の言う「衆議で決すること」はいわゆる議会制なんよ。決して民主主義じゃない。そこをよ〜く考えないと自己撞着起こすぜぃ。
>北朝鮮や中国にその可能性はないから民主主義国ではない。
ま、総論としてはお主に同意できるんだが、各論になると全然違ってくる。なんでだろ〜♪
219 :
な:04/01/02 22:07 ID:???
れれれの
>>217つつき
>国連があろうとなかろうと、米国が同盟国であろうとなかろうと必要なことはやるという思想は必要である。
だから、俺は必要じゃないと言ってるんよ。「するべきじゃない」って答えるんだから。
>できるかどうかは政治問題だが、やるべきかやるべきでないかは思想の問題である。
やるべきか否かも政治の問題でしょ?
お主の政治と思想の区別が解らん。
>ここは政治思想板である。
単なる思想板ではない。政治の思想板だぜぃ。政治的にも思想的にも両方判断できる。落しどころが政治思想でしょ?
お主が「思想」にこだわるとますます、総論賛成各論反対が色濃くなると思うが。
4Mたん
>>216 今、最初から読んでる。さんちゃん可哀想;o;)
4Mたん
言い忘れてたんだが、「なごみ」と「な」は一緒ね。
>>186
>実践的には、当方に迷惑がかかんない限りほっとくってのが正解だと思う。
同意。お主とは考えが近い?
>>200 >リビアなんてのは締め上げたら手ぇあげちゃったし侵攻以外の手法もけっこうつかえる。
でもさ、丹波哲朗(ガタフィー大佐)は安泰なわけで、国体だか政体は保障されてる。
そもそもリビアの場合は人権が問題になったん? 俺は例の大量破壊兵器の問題だったと思うが。
>>201 >さすがにあれは牽強付会が過ぎるヒドイってひょうばん悪い。
でもやっちまったもん勝ちでしょ?
そうやって潜在的に敵を作ってきた欧米のやり口が今の中東情勢にも当てはまる。
>ここ最近はその理屈つけるのもやめたので、たいへんに危ない。
理屈は一応つけてるでしょ。あってないようなものだけど。
>アメリカの行動を認める限り、なにかの正義で攻められる可能性がある。
お主はやや嫌米の気があるけど、俺は現政権の特殊性だと思う。ブッシュはちょっとひどい。
ただ、民主党にもいいタマがいない。ヒラリーだったら勝てたのに、ネオコンに腰が引けた?
>>209 >国家間交渉では、人権なんかカンケーないのがフツー。
>いやがおうでも主体は国家。
激しく同意。
>(以下
お主とは争点がなさそう。ヒラリーとかの雑談(サロン)になってしまう。
222 :
なごみ:04/01/03 00:07 ID:???
4Mたん
>>213 >日本がアメリカだったら、中国韓国がなに言おうと、いまごろ北朝鮮は焼け野原だなー。
韓国はともかく、大国である中国とは穏便にするのでは?
それが大国のパワーゲームであって、やっちゃったら最後。あくまで代理戦争でお茶を濁す。
いくらブッシュでも中国と必要以上に喧嘩するのは賢明でないと思ってるはず(と信じたい)。北朝鮮が崩壊するのなら中国が手を切ったときだけ。
と無理にレスつけてみる。でも、仮想現実のハナシだしな。日本と米国では何から何まで違い過ぎて・・・
お主とれれれのおぢさんとの論争もお主の援護になってまう。
お主と議論するとしたら多分スレ違いになってしまうよ。ちょっと残念。
適当に、議論の機会があったらそのときに。それともこのまま雑談する?
>>218 なごみ氏
「和む」人が和の理念を理解していないとは、情けない。
そして、民主的選挙の結果において一党独裁が可能な程度のボリュームは
民主的国家として小さいという一点で、アズマ主義と一線を画している。
日本において民主的選挙において一党独裁は不可能だが、市町村レベルでは
国家的危機や、敵対するものがあれば一党独裁はありえよう。
民主主義による独裁の対処は、ボリューム(人口)のみである。
224 :
MMMM:04/01/04 05:34 ID:mUkJpw0K
規範的な視点でいえば、国家主権はそうとうに不可侵のものとしてあつかったほうがいい。
それが、民主、人権とかどーでもよく、独裁国家だろうが王制だろうが天皇制だろうが、
国家主権は不可侵でかまわない。
他国の政治体制を理由として侵略、干渉を正当化できるのならば、
たとえば中国は、日本は共産主義ではないとして攻め込むことができるじゃん。
現代でも国家によって政治体制、そこで正当とされる政治思想はいちじるしくことなるのだ。
近代国家間戦争を経験したのちの、そしてナチスドイツを経験したたのちもなお、
国家間の交渉の第一原則として国家主権があるのは、それを放り出すと、
たいへんなことになっちゃうからだ。だった。
人権が普遍というのは、宗教を知らない人の妄想でしかない。
回教においては、神が大天使をしてムハンマドに顕させたコーランの教えに従い
「戒律」を「実践する」ことが、信仰である。
ムハンマドは、人は生まれながらな何がしかの権利を保有しているとは言っていない。
したがって、彼らにとっては、人権は普遍ではない。
信教の自由を、人が生まれながらに持っていると考える人権派にとって
それは普遍でないと考える回教徒は、「人類の普遍原理に対する敵」なのだろうか。
人間の命よりも、信仰の実践のほうが価値が高いと考える彼らにとって、
人権思想は、信仰と対立する。
普遍な人権とそうでない人権とに分離することは人権派にとっては耐え難いであろう。
226 :
MMMM:04/01/04 21:23 ID:T7TZdYwr
えと、なごくん。すこし留意しとくとね、米国がね、これまで
国家主権を侵害するさいに、先方から頼まれたからいくんだもんってーのは、
ほら国家主権を侵害してないでしょってごまかしだったの。尊重してたの。
げんに湾岸戦争のときはクェートの主権侵害だー許せんっつってイラクたたいたじゃん。
クェートって王様の国だったけどなあ。そりゃいいんだけど、
もうゴマカシさえもやる気なくしてんのよ、ここんとこのアメリカ。
はいはい、イラクやっつけるのは国家主権の侵害かもしんないですねー、
でもワルイやつだから、構わないんだもんよーって態度。
そんな感じだなあ。
227 :
MMMM:04/01/04 21:27 ID:T7TZdYwr
んで、れくん、じぶんで考えたろうし、
>>182の自問にかんしての自答、いまはどうおもってるかな。
なんか結論か方向性かでたかなあ。
228 :
な:04/01/05 00:20 ID:???
れれれのおぢさん
>「和む」人が和の理念を理解していないとは、情けない。
俺はレス番号753からとった。因みにお主の和の理念は総論賛成各論反対。和の理念は衆議制(議会制)であって民主制ではない
>民主的選挙の結果において一党独裁が可能な程度のボリュームは民主的国家として小さい
だ・か・ら、そんなボリュームなんて関係ないと言ってるんよ。そんなのにこだわるお主が小さいw
51対49でも、100対0でも、政策が決定されたという事実は変わらない。問題は政策がいかに目的達成度が高いかだろ。
100対0でも政策に致命的欠陥があったらそこから政策は失敗に終わる可能性もあるし、51対49でも政策が現実に適応できれば大成功するかもしれない。
独裁が悪ではない。独裁でも善政はある。一党独裁は伏線がないというだけ。
>アズマ主義
まったく興味がない。ってゆーかついていけない。
>市町村レベルでは国家的危機や、敵対するものがあれば一党独裁はありえよう。
どゆこと?くわしくおねがい
>民主主義による独裁の対処は、ボリューム(人口)のみである。
ナチズムは国民の圧倒的熱狂によって完成した。ボリュームなどは究極的に当てにはならない。
現在の日本でも(というより世界中の民主国家において)その可能性は否定できない。ただ、天皇は一度失敗したのであり得ないと思うが。
229 :
な:04/01/05 00:35 ID:???
4Mたん
>>224 レス自体同意なんで(違いがでてきたらよろ)
>そしてナチスドイツを経験したたのちもなお、
ナチズムは教訓として存在するも、その有効な処方箋は見つかってない。民主主義の獅子身中の虫だからね。
>>226 >もうゴマカシさえもやる気なくしてんのよ、ここんとこのアメリカ。
「ここんとこ」とはブッシュ(子)政権限定でしょ?
クリキントンもブッシュ(父)はそうではなかった。将来ブッシュ(子)ってジョンソンやニクソン以上にシビアに評価されると思う。ってゆーか、彼ヒドいっ。
来る大統領選では民主党対立候補が超リベラル派。ブッシュと対立色を強くすることもないのに、そうしないと大統領選挙って現職が強いからねぇ。
勝てないよ。勝っても又問題ある(リベラル過ぎる)。そこが又アメリカ型民主主義の悲劇なんだけど。
>はいはい、イラクやっつけるのは国家主権の侵害かもしんないですねー、でもワルイやつだから、構わないんだもんよーって態度。
特に右傾化著しい(というか特定層が囃し立ててるだけだが)2chの嫌韓、北朝鮮強行派も似たようなものだろ。
ただ、アメリカの場合、それが大統領なんよ。
>>228 なごみ氏
和の思想は衆議成果もしれんが、和の理念は民主制なんだよ。
ボリュームの意味を理解していないね。的外れのレスだよ。
いいか?民主制において重要なのは選挙。選挙が行われればいいの
ではなく妥当な選挙制度が必要。そのときに選挙民の数というものが重要なんだよ。
間接民主主義においては。
ご承知のごとく、間接民主主義でなければならん理由というものは概ね専門性と
衆議だろ?少数意見の代表というものが存在しなければ、衆議によってより良い結論
をもたらすという期待は実現できないわけで、直接的な国民投票というものが
現代のネットなどにより可能な時代における、議員の役割というものは、衆議によって
より良い結論を出すことに他ならない。
ところが選挙民は、時に熱狂による愚考をおかす。これを防止するのは二つで
ひとつは、長期的な任期を持つ別の議会の存在(機能しているかどうかという疑義は
あってもこれが参議院の存在意義・・・解散による選挙がない)
もうひとつは選挙制度によって死に票を少なくするということ。だが、
死に票を少なくするといっても限界があるわけで、だから、人口が一定レベルに
達していないと、国民の熱狂による愚考が、一党独裁を生んでしまうという恐れがある
わけだ。
231 :
MMMM:04/01/05 22:08 ID:NU6oAxJv
なごくん、すこおしづつ違いがみえてくるかねえ、はなしかえて、
えーと、今日的なもんだいは「民主主義」の起こす戦争じゃないなあ。
「人権」が国家間戦争をおこすってことだなあ。
おれは、これは自慢なんだけど、10年前からそう予想、予想ね、してた。
日本はつぎに戦争やるときは、自前の戦争なんかやれない、
国家主義も右翼もあんまこわくねえ、
あぶねえのは、アメリカの手先として戦争はじめちまうだろうっておもってた。
日本はいま、こくりもっくりの高句麗のほう、ベトナム戦争の韓国軍だ。
おれの予想、はすれること多いんだけど、あたって日本は見事に手先になった。
「人権」のために軍隊だしちゃったもんなあ。やだよなあ。
232 :
なごみ:04/01/05 22:25 ID:???
おぢさん
>>230 >和の思想は衆議成果もしれんが、和の理念は民主制なんだよ。
和の理念がもろに民主制なら、江戸時代までの、いわゆる国民と定義されてない頃の一般民衆はどういう立場だったん? 封建制下の民主主義??
近代以降の(明治、戦後を含めた)いわゆる民主化も、選挙権がどういう過程を経て成立してきたん? 民主主義は平等でなかった。
おぢさん、傍観者の目もあるのは解るけど、その辺を玉虫色にしちゃ元も子もないよ。
議会制と民主制(民主主義)の区別ついてる?
>そのときに選挙民の数というものが重要なんだよ。
質より量ってわけでしょ?
素直にそう言えばいいのに。
>少数意見の代表というものが存在しなければ、衆議によってより良い結論をもたらすという期待は実現できないわけ
少数派ってさ、結局敗者なんよ。民主主義でよく言われる少数派の存在意義は多数決という決定方法を敷いてる限りなきに等しい。数の暴力。
>>228の中段は「49の反対でも0の反対でも結果的には何も変わらない」と言いたかったんよ
多数派に組み込める少数派の意見ってのは、多数派と接点があるからで、意見の対立ではないんよ(民主的だからでなく衆議だから取り込めるの)。対立する少数派はいつのどの制度でも結局排除されるんよ。
>直接的な国民投票というものが現代のネットなどにより可能な時代における
直接選挙制はシステム的に不可能だったから採用されなかったと?
嘘でしょ?
もしかしておぢさんは首相公選制賛成派(天皇制は抜きにして)?
233 :
なごみ:04/01/05 22:27 ID:???
>議員の役割というものは、衆議によってより良い結論を出すことに他ならない。
衆議というのは専門性があって初めて有効に機能する。衆議だから有効に機能するということはない。烏合の衆という言葉があるでしょ?
>機能しているかどうかという疑義はあってもこれが参議院の存在意義
ちゃんと機能してるぜぃ。自民党がなんで公明党と連立してるかが解ればね。
ただ、逆に言えば、この点から「国民による熱狂的愚考」は防止できてるとは言いがたいんよね。
>もうひとつは選挙制度によって死に票を少なくする
死に票が少ないということはそれだけ「国民による熱狂的愚考」が反映されることをも意味する。
一見筋が通ってるよーで、実はお主も的外れだよ。ってゆーか、お互い噛み合ってない??
民主主義がまともな判断を下すという妄信はどこから来るの?
>人口が一定レベルに達していないと、国民の熱狂による愚考が、一党独裁を生んでしまうという恐れがあるわけだ。
だから、結論として、ボリュームとか一定レベルの人口(数)とわけ解らなくなってしまう。
中国は一党独裁だけど、人口は日本の比ではない。北欧や西欧を恥めとするヨーロッパ主要先進国でも日本の人口にどこも満たない。
民主主義は量でなく質である。
徹底的にやる? だったら存在意義スレ以外でね。アウェイは辛い。
234 :
右や左の名無し様:04/01/05 23:02 ID:CNDK1Ght
>>233 高度な専門性に依存して「高邁なる官僚支配」を生み出した事実を忘れないように。
幸福の価値観は、一部の専門家の占有概念ではない。
質が量を凌駕するためには、量的概念の多義性を満たさなくてはならない。
234は私。
思想は判断を保留する。
判断は運営された事実の累積が証明するだろう。
236 :
なごみ:04/01/05 23:26 ID:???
4Mちゃん
>>231 >「人権」が国家間戦争をおこすってことだなあ。
イラク戦争は人権が引き起こしたと?
だったら違うなぁ。イスラエル(ユダヤ教)を含めた宗教であり、石油の利権であり、政権を支持する(軍需)産業界の思惑だったり・・・。民主主義や人権は二の次、建て前だよ。
だいたい米国は共和党政権。やっぱ、民主党政権が戦争やらないと。ソマリア派兵なんてまさに人権が戦争させたと思う。他に何の旨味もないから早々と撤退したけどね。
>おれは、これは自慢なんだけど、10年前からそう予想、予想ね、してた。
はっきりいって、俺は予想が外れた。日本がこんなに右傾化するとは思わなんだ。ソ連崩壊、北朝鮮問題、左翼政党の不祥事、その他いろいろファクターはあるけど、これだけで右傾化するのかな。自分で右寄りだと思ってきた俺が言うのだから、尚更恐いよ。
あと、米国の対立相手が中東アラブ圏になるとはね。今でも潜在的に中国と言えなくもないけど、さすがアラブ、強烈な差し足だ。
俺の場合、この10年でいろいろと現実を見る目が肥えたと思う。最近当たりだした。でも、哀しいことに何も期待できなくなっちゃって、またそれが当たるんよ。
原監督は最近の大外し。坊々でまったくダメと思ったが。
>アメリカの手先として戦争はじめちまうだろうっておもってた。
俺は、右傾化を予想してなかったから、ヒステリックに反戦平和を連呼するだけだと思ってた。これが戦後日本の国是だったしね。
237 :
なごみ:04/01/05 23:28 ID:???
>あたって日本は見事に手先になった。
ブッシュ(子)もこんな香具師だとは思わないんだし、小泉純ちゃんもここまで米国追従するとはねぇ。ただ、純ちゃんの場合、追い詰められての感もある。最近の行動は紙一重のところがある。
この流れは、ブッシュ政権の行方に全て委ねられてる。
>「人権」のために軍隊だしちゃったもんなあ。やだよなあ。
これさ、日本国民に限ってはマジだったりするからね。ただ、政府国家もそうだと思うのならそれは違うよ。
米国追従による損得勘定、国民を相手にするところのパフォーマンス、国際社会での甘い点数稼ぎ願望など。国民の多数が感情論でしか判断できないけど、政府国家は結構理性的に動いてる。で、いろいろ警戒してる
ただ、現時点では派兵するしかない。で、撤退も米国次第。100人死のうが、中朝韓などの不快感を示そうが決して撤退すべきでない。
でも派兵したら参院選自民党負けるんだろなぁ。そして公明党が存在意義を更に強める。
238 :
なごみ:04/01/05 23:58 ID:???
亀ちゃん
>>234 >高度な専門性に依存して「高邁なる官僚支配」を生み出した事実を忘れないように。
亀ちゃんらしい、いかにも官僚こそ国家の癌と言わんばかりの主張だ。
官僚の専門性に依存したのは誰よ?
国家運営の肝要は官僚対策にある。官僚をうまく支配してこそ国家がうまく機能する。民主国家であろうと、君主国家であろうと一緒。
優秀だから高邁になる。お主は優秀な官僚などいらないと?
>幸福の価値観は、一部の専門家の占有概念ではない。
だったら依存しなきゃいいんよ。依存しながらその相手に文句を言う。
官僚が占有してるのではなく、官僚に占有させてるんよ。
>質が量を凌駕するためには、量的概念の多義性を満たさなくてはならない。
だから多義性という伏線をいくら張っても、質が伴わなくては糞の役にも立たない。船頭多くて船山上るというの諺もある。
55年体制下の万年野党の如く何から何まで万年与党に反対すればそれが多義性なのか?
質が伴えば量などいらない。少数精鋭。
もっとも、現時点では質は望むべくもないので、量で微かな期待をするしかない面もある。でも、それにも限界あるよ。
>>238 なごみ氏
>官僚の専門性に依存したのは誰よ?
官僚に国家運営の事務レベルを超えた権限を与え続けた、律令制以来連綿と続けた為政者達。
>お主は優秀な官僚などいらないと?
何をもって優秀と定義するかによる。彼等は事務処理能力に優れているが
施策の企画立案等、創造性は貧弱だ。
>官僚が占有してるのではなく、官僚に占有させてるんよ。
誰が?
>質が伴わなくては糞の役にも立たない。
誰にとっての?
>何から何まで万年与党に反対すればそれが多義性なのか?
多様な民意を反映することが多義性を満たすと云える。
反対のための反対は賛成の反対。バカボンのパパに任せよう。
240 :
MMMM:04/01/06 00:59 ID:64B0BS7Y
亀くん、「高邁なる官僚政治」って、
なんだか言ってることわかんねえなあ。
官僚が支配してるんならさあ、政治家はそれにしたがってるのかねえ。
>官僚に国家運営の事務レベルを超えた権限を与え続けた
って官僚が政治家を支配するように政治家がしむけてるってことかあ?
けっきょく、どっちにヘゲモニーあるっていってるんか?
いそがしーなら返事はいらんけど。
MMMM氏
「高邁なる官僚政治」ではなく「高邁なる官僚支配」。
政治は優秀とされる官僚に依存し、民間資本家は既得権保持のため官僚に擦り寄った。
「政・財・官」によるもたれ合いという日本独特のパワーバランスの正体は此処にある。
結局は自立した主体的判断を放棄した国家運営のシステムは、ヘゲモニーの所在さえも
曖昧にしたと云えるだろう。学歴ヒエラキーの頂点にある官僚にとって「最も優秀」という
神話は利用しやすい。そろそろ終止符を打った方が良い。余りに馬鹿げてるから。
242 :
MMMM:04/01/06 09:22 ID:QG/iY4XV
なるほど、亀くんのただしくは「高邁なる官僚支配」というのは、
フツーの官僚支配とちがって高邁なるがゆえに、
官僚が政治に対する支配権を持ってないってことだな。
亀くんの「支配」の概念は独特だとおもう。
まあ、官僚が支配権を持ってないというのは賛成だな。
官僚の「頂点」が大蔵省であるにもかかわらず、財政赤字、
こんなにふくれあがってるものなあ。まあ、亀くんじゃないひとは、
政治家が官僚・大蔵省を支配してるっていったほうがいいとおもう。
トピックでいうと鈴木宗男はえーと、あいつ拓大だっけ?
「学歴ヒエラキー」のあんま上じゃないほう、
あいつが国民の信任をえた代議士政治家であるからって、
東大卒の外務省官僚は唯々諾々として振り回されるのだから、
まさに、亀くんのいう「高邁な官僚支配」だね。
まあ、哲人ならぬ身のものは政治の優位って言ったほうがいいとおもうな。
>>232 なごみ氏
双方の相違点を洗うスレじゃないから、いちいちは答えないんだけど
和の理念て何って聞いてみれば?何を言っているかも知らないで批判しても
層がないじゃん。一言でいえば、日本型民主主義という新しい理念のこと。
質より量?全然違うよ。間接民主制を行う以上一定の量がなければできない
先生を防止できないということを言っているに過ぎない。
少数派が排除されtるためには、まず少数派が認識されなければならないって
話をしているんだけど。
直接選挙制はシステム的に不可能だったから採用されなかったと云うほど
馬鹿じゃないし、もしそんなことを言うやつだと思っているなら、失礼千万だろう。
>衆議だから有効に機能するということはない。
だったら、衆議による決定の変更は専門性に依存するということか?
馬鹿みたいな認識だな。
> 民主主義がまともな判断を下すという妄信はどこから来るの?
誰がそんなことを言っているん?
全然かみ合っていないというよりも、すれ違いだし、延髄反射的な言い合いに
興味はない。
>>242 MMMM氏
形式上であっても、主権在民の日本では有権者の信任を得たという手形の効力は大きい。
鈴木宗男が学歴ヒエラキーの底辺から民選議員となり、官僚を指図する姿は或る意味で滑稽だが、
其れが日本の政治・官僚の姿を投影したものと云えるかも知れない。嘗ての田中角栄も同様。
本来なら底辺のままで官僚に指図されて右往左往するべき土建業者の一人だった彼が、議員となり
総理という政治家のトップとなった事で逆転した関係性に多くの一はある種の陶酔を憶えた筈だ。
しかし、そういった図式も次第に消えつつある。議員を目指す人間の多くは、二世や三世若しくは
官僚からの転身等がほとんどだ。フランス並みに特定の子弟が座る指定席と成りつつある。
245 :
右や左の名無し様:04/01/06 14:43 ID:fyouIT05
どんな思想であれ、それを無謬で普遍的なものと考えるようになると、
とたんに争いが起こるようになるね。今のアメリカを見れば分かること。
あと、昔のナチスドイツとかね。
国家が、有能な官僚を持つことは、まったく必要かつ正しい。
完了こそ、継続的に、目の前の選挙などを意識せず、100年の計を考えて
行動できる。
選挙による弊害である、目前の人気優先・地元利益優先を防ぐことができるのは
有能な完了であり、亀てっチャンの批判は、モラルの問題でしかない。
>>246 れ氏
>国家が、有能な官僚を持つことは、まったく必要かつ正しい。
其れはそうだろう。私は優秀な官僚を持つことを否定していない。
官僚制度を有効に機能させる上で、優秀な人材が必要なのは当然のこと。
官僚、政治家が役割の適正な遂行を持った上で、
「官僚として、有能であるべき」とは思っているが。
248 :
MMMM:04/01/06 16:09 ID:cRKJhC3T
ぜんぜん滑稽とは思わないけどな、宗男。
んじゃあ、角栄・宗男までは政治家が官僚を支配してて、
それは「日本の政治・官僚の姿を投影」してたと。
しかるに、しだいに官僚と政治家の共同支配に移りつつあるって認識なのね。
なるほど、小泉のたとえば財政再建志向は均衡財政の意向に沿う。
行政は効率化されて公共事業は減り、地方交付金は削られるだろう。
そして官僚はその権力を縮小されていってる。
そういう小泉の政策を支持しているのはだれだろう。
政官もたれあいだの官僚支配だの市民が抑圧されてるだの、
っていうのはぜんぜん嘘だとおもうなあ。
民主主義は基本的に機能してる、より機能するようになってきてるもの。
249 :
なごみ:04/01/06 20:56 ID:???
おぢさん
>>243 >一言でいえば、日本型民主主義という新しい理念のこと。
そか。これは俺の勘違い。
てっきり聖徳太子の憲法十七条から連綿と続く日本独自の伝統理念だと思ってたが。
>少数派が排除されtるためには、まず少数派が認識されなければならないって話をしているんだけど。
俺が聞きたいのは、認識されたところでどうなるのってこと。お主がそう思う理由だね。
例えばイラク派兵に関して、派兵賛成が多数を占めれば少数派である反対派がいくら認識されてても自衛隊は派兵される。そこに少数派の認識を強調してどうしたい?
伏線張って、結論を曖昧にしてアワヨクバ後から反古にしたいの? だから日本は舐められるんだよ。
>もしそんなことを言うやつだと思っているなら、失礼千万だろう。
失礼も何もお主とまともにレスしだしたのが最近だから解らんのよ。
>だったら、衆議による決定の変更は専門性に依存するということか?
それ以外にあるまい。議会制に何か求めすぎてない?
>馬鹿みたいな認識だな。
俺はお主を馬鹿だとは思ってないが。おぢさんの意見も意見として受け入れたいからいろいろ聞いてるんよ。(バカにしてるわけではないぜぃ)
>全然かみ合っていないというよりも、すれ違いだし、延髄反射的な言い合いに興味はない。
こういわれちゃ立つ瀬ないな。体よく逃げられたのか、議論する気がないのか。
ただ、日本は議会制の民主主義であって、民主主義的議会制ではないと言うのが俺の意見。
おぢさんもいろいろ忙しいだろうから。頑張って下さいね。
250 :
な:04/01/06 21:45 ID:???
亀ちゃん
>>239 >連綿と続けた為政者達。
その為政者を少なくとも戦後日本は誰が選んでる?
>何をもって優秀と定義するかによる。
お主の言うように単なる事務処理能力として優秀なんよ。ゼネラリストというよりもスペシャリストとして必要不可決なんよ。
>施策の企画立案等、創造性は貧弱だ。
当たり前じゃん。これは事務処理ではない。政務的能力。
これは戦後日本の教育の欠陥でもあるのだが、こういった能力は育成されてない。だから学歴上位が官僚になる。
>誰が?
官僚の能力に対抗できない政治家であり、強いては日本の国家性が。
国民に求めようにもそれ以前の段階だしね。
>誰にとっての?
国家であり、そこに属する全てのもの(国民、為政者、官僚・・・)
>多様な民意を反映することが多義性を満たすと云える。
おぢさんへの例えでもしたが、イラク派兵に対して、賛成という多数派がいくら多様性を満たそうにも、派兵反対の少数派を根本的に反映することはできないと思うのだが。
>反対のための反対は賛成の反対。バカボンのパパに任せよう。
当時の社会党や共産党は理論では遥かに自民党を凌駕していた。それを数という暴力で封殺してきたのが55年体制。いくら多様性を尊重しようと政治ってのは違うところで成立させてしまうこともできるわけで、これが議会制民主主義なんよ。
>>250 なごみ氏
>その為政者を少なくとも戦後日本は誰が選んでる?
極めて少ない選択肢の中から選んでるのは有権者。投票率が落ちるはずだ。
>>247でも書いてるとおり不要な存在とは云っていない。
役割分担を相互に認識し、実践していれば問題はないだろう。
問題は政治家が選挙対策を含む地元有権者への顔色をうかがう余り
本来の企画立案までも官僚に依存し、官僚は我が意を得たりとばかり
世の中を左右している中心的存在であると勘違いしている事だ。
>派兵反対の少数派を根本的に反映することはできないと思うのだが。
世論調査によれば民意からすれば派兵反対の方が多い。だから小泉は国民へ向けて
派兵の記者会見を開かざる得なかった。国民の多数の意見が政治実態に十分に
反映していない現実を見て、民主制が充分に昨日していると思っているのなら
正常な判断が出来ていないと云わざるえない。
252 :
なごみ:04/01/07 01:20 ID:???
亀ちゃん
>>251 >極めて少ない選択肢の中から選んでるのは有権者。
選択肢ってのは誰が作るんよ?
お主の言う民主主義とは、主権者である国民以外の誰かがお膳立てしないと成立しないの?
国民って偉いんだねぇ。(いや、逆に「国民は後見人」とも言える?)
>官僚は我が意を得たりとばかり世の中を左右している中心的存在であると勘違いしている事だ。
官僚の単なる勘違いか? 官僚が中心であるのは紛れもない事実でしょ??
結局、政治家の問題なんよ。政治家が官僚に依存しなければ、お主の言う「高邁な官僚支配」はなくなる。
本来官僚を凌駕すべき政治家が自分の職務を怠ってるから、その怠った部分を官僚が担ってるに過ぎない。誰かが担わねばならないんよ。
>世論調査によれば民意からすれば派兵反対の方が多い。
お主の民主主義って世論調査が基準なん?
俺は議会が基準だぜぃ。つまり、自公連立与党が民主その他の野党よりも多数であること。
>だから小泉は国民へ向けて派兵の記者会見を開かざる得なかった。
純ちゃんはよくも悪くも政治家。何にも考えずにバカ正直なように見せ掛けて実は計算高く強か。純ちゃんの会見が単に国民に向けてのものだと思ってるならちょっと浅はかじゃない?
>国民の多数の意見が政治実態に十分に反映していない現実を見て、民主制が充分に昨日していると思っているのなら正常な判断が出来ていないと云わざるえない。
民主制ってのは多かれ少なかれ国民の意見を反映させないことで機能させてる部分がある。民主制が字面通り国民の判断のみを前提としてるとしたらそれは国民に求め過ぎなんよ。
特に日本の場合、この世論ってのが流動的過ぎて俺は恐いね。
俺は、イラク派兵については国民の意見が反映されてないと言うよりも議会での議論が全然なされてないことの方が重要だと思うが。
>>249 なごみ氏
人権スレを意識しながら書くが、私は基本的に「衆議による意見の変更」が期待されている
社会というものがあると思っているし、日本はそうだと思っている。
外的規範と契約に基づく社会においては、有権者への約束(公約)はプロミスであり
衆議による意見変更の幅は少ないし、意見を変えるには重要な動機が必要である。
日本のような社会(一定の原理原則が少ない社会)では、その幅は広く、強い動機が
要求されない事は自明である。
反対派、賛成派や多数、少数の色分けというものは、衆議の後に分別する
という建前を持つ。できうれば全員一致が望ましく、全員一致ができないなら、反対派の
顔を立てて(ガス抜きであり、反対した意義を残させ)、多少の譲歩を行ったり、あるいは
強行採決を(演出)してやったり、牛歩戦術につきあっったりして、「怨念」を残さないように
する・・・水に流す・・・作業が続けられてきたわけだ。
決定的な対立を可能な限り避けるという文化風土が日本にはある。
ある意見を「お馬鹿な妄想」と批判すると、人格を非難されたかのように感じる
のが、日本人なのである。
だから、できれば全員一致、できなくとも反対する人たちの立場を慮る、慮れないときには
相手の顔を立てて、後に水に流せる環境を作る。これが日本流。
こういう社会での人権というものは、どうしても声高な少数派が優遇されがちなことは事実だが
基本的に日本の土壌というのは、少数派を擁護する気質もある。衆議によって決定的対立の
回避し、怨念情念など非理性的動機による運動を極力回避しようとする日本的なシステム
がある。ここに、抑制とか節度が加われば(聖徳太子の言う党派心を捨てること)よりよい
結論が出る期待をもたらす。たとえばQC運動のような・・・。
>>252 なごみ氏
>国民って偉いんだねぇ。
其れはそうだ、一番偉いのは国民というのが民主主義だから。
つまりは一番偉い者が駄目だと全てが駄目になるというのも民主主義。
>選択肢ってのは誰が作るんよ?
鶏か卵かという不毛な議論になるが、其れを望んでいるのか?
>本来官僚を凌駕すべき政治家が自分の職務を怠ってるから、
そう単純な問題でも無かろう。官僚のディスクロージャー、政治家のブレーン、
金の掛かる選挙、選挙区制の問題、有権者の意識と地方行政と中央官庁の問題、
民間シンクタンクの質と量、規制緩和との関係、官僚制度の構造的問題点等
多くの問題が絡み合って複雑にし、かつ難問にしている。
>お主の民主主義って世論調査が基準なん?
何をいわんとしてるのか意味不明だが、君が示した多数派少数派の文脈からすれば
世論は派兵反対が多数派であると云いたかっただけなのだが?
議会は有権者の3割程度の支持を得た層が多数を占めている。当然だが世論の多数を
反映した議会決議がされるとは限らない。有権者の怠慢(投票率も含め)にも原因があるが
其れで民意を得たと言い切れない議会運営が問題だろう。民主主義なのだから。
此のスレの立て主であるSanti氏がどうして書き込んでないのか不思議に思って全レス読んでみたら
名無しで書き込んで叩かれたのか…もしこのレスをSanti氏が読んでるなら呼びかけたいが、
煽りに負けず書き込みをして欲しい。君は真面目すぎる。あの程度の煽りに負けず、復帰する事を
希望するが如何だろうか?名無しが卑怯ならば2ちゃんの多くの書き込みが卑怯な行為になる。
コテを勝手に使う輩もいる。些末なことを気にせず主張を述べるべきだ。
亀ちゃんが言うと説得力があるような…
同じようなことニュー議板でやってたしね
>>255 亀哲人氏
貴殿のいうとおりだと思うし、れれれのおぢさんもほぼ同様のことを言っていたように記憶している。
いずれ折りを見て書きこまさせて貰おうとは思っている。しかし気遣い感謝するが、しばしのご猶予を頂きたい。
259 :
なごみ:04/01/12 14:26 ID:???
おぢさん
>>253 >私は基本的に「衆議による意見の変更」が期待されている社会というものがあると思っているし、日本はそうだと思っている。
俺もそう思うよ。だけどそれは衆議制(議会制)についていえることであって、決して民主制についていえることではないんよ。
>日本のような社会(一定の原理原則が少ない社会)では、その幅は広く、強い動機が要求されない事は自明である。
つまりプープル主権というよりもナシオン主権、もっと言えば国民主権とは名ばかりの代表者主権であり、また、国民には強く要求されないと?
>できうれば全員一致が望ましく、
逆に言えば、反対派・少数派の扱いが下手であり、また反対派・少数派が存在として下手であるとも言えなくもない。
>決定的な対立を可能な限り避けるという文化風土が日本にはある。
でも、対立がなかったわけではなく、反対派・少数派は常に駆逐されてたわけだ。古くは仏教受け入れの是非での蘇我氏と物部氏、藤原摂関を完成させる為の数々の政変。
北条執権の確立の為のこれまた数々の政変。・・・お主は歴史の主流になったものからの目でしか見れず、亜流となり歴史の歪みに埋もれたものの存在をどう見る?
>ある意見を「お馬鹿な妄想」と批判すると、人格を非難されたかのように感じるのが、日本人なのである。
これは日本人に限ったことではあるまい。
>相手の顔を立てて、後に水に流せる環境を作る。これが日本流。
これは味方になったときのハナシ。いつのどの世界にも敵方はいる。
今だって自公連立政権に共産党は決して水に流して迎合するまい。
>基本的に日本の土壌というのは、少数派を擁護する気質もある。
折衷案ということ?
でも、これって、両者が拮抗してたときの妥協案であって、妥協案であるが故に両者の意図が十分に反映できず、満足いく結果が得られないのが多々あるんだけど・・・
衆議というのは結論を曖昧にするものではなく、結論を明確にするもの。明確にしないと衆議に確固たる正当性が付与されないんよ。
260 :
なごみ:04/01/12 14:44 ID:???
亀ちゃん
>>254 >つまりは一番偉い者が駄目だと全てが駄目になるというのも民主主義。
つまり、高邁なる官僚支配も原因を追及すれば国民に行き着く。行き着かなきゃ国民主権ではない。
>鶏か卵かという不毛な議論になるが、其れを望んでいるのか?
それはお主次第。
「選択肢ってのは誰が作るんよ?」
>そう単純な問題でも無かろう。
俺は単純な問題だと思うが。
お主が上げた点は民主制という視点から読み取れば原因が判るでしょ?
>官僚のディスクロージャー
なぜ情報公開が遅々として進まないか?
国民は偉いと祭り上げられてるが、その実何ら信頼を置かれてないんよ。つまり、国民とは別のところで国家が運営されてるんよ。
>金の掛かる選挙
これは以前から言ってることだが、国家の構成分子として最も多い国民に判断させるのだから金がかからないとするのがおかしい。
つまり民主選挙である以上、金がかからない選挙はあり得ない。そこから詰めないと結論がわけ解らなくなってしまう。
(以下略)
>民主主義なのだから。
他スレでもあるが、日本が民主主義国家でないとすると、日本という国家が実は国民を偉いと祭り上げるだけで、戦前の天皇のように実権を殆ど握ってないとするならば、どうよ?
民主主義とは与えられるものではない。自らが奪い取るものである。
>>260 なごみ氏
>高邁なる官僚支配も原因を追及すれば国民に行き着く。
そうとも言い切れない複雑な構造が有るのではないかな。少なくとも官僚は民選できない。
産業界のトップは長らく旧財閥系企業がオピニオンとして君臨し続けてきた。
民意によって全て解決するならそんな簡単なことはないが、構造的に見ればそうではない。
>お主が上げた点は民主制という視点から読み取れば原因が判るでしょ?
さぁ、分からないな。どう単純なのか示して欲しい。
262 :
なごみ:04/01/12 19:14 ID:???
亀ちゃん
>>261 >少なくとも官僚は民選できない。
お主は、民選に絶対の信頼を置いてるよーだが・・・。
民選されたら官僚は「高邁なる支配」ができなくなると?
>民意によって全て解決するならそんな簡単なことはないが、構造的に見ればそうではない。
お主は、民意に絶対の信頼を置き、構造批判してるようだが・・・。
民意が反映される構造なら民主国家として安定するというのもねぇ。
民主主義国家といっても全て民意が反映され民選だったらいいというのはちょっと短絡的。
以前から言ってるが、お主は構造自体を否定してないか?
>さぁ、分からないな。どう単純なのか示して欲しい。
民主主義ってなんで大事なん?
>>262 なごみ氏
>お主は、民選に絶対の信頼を置いてるよーだが・・・。
絶対の信頼など置いてないが。 問題なのは政治上の意志決定システムに於いて、
官僚の持つ権限が肥大化している実態だろう。其れは誰が望んでいる仕組みなのかな?
「少なくとも」民意を反映したものではない、という事。国益という名の省益というものが
存在する以上は、其の意志決定で利益を得るものの為の仕組みになっているという
危険性が有ることは薬害エイズ事件などが証明している。本来的な国益とは、一部の受益者の
為のものではないだろう。最大多数の国民が受益者でなくてはいけない。
>以前から言ってるが、お主は構造自体を否定してないか?
してるよ。今の日本の仕組みでは民主主義は絵空事でしかない。
民主主義的憲法を持つ、非民主的な官僚国家が現在の日本の実態だろう。
>民主主義ってなんで大事なん?
何らの利害関係も持たない人間が、最大の幸福を得られる可能性をもたらす体制だから。
最低限の人権を保証するシステムだから。また、失敗を回復できるシステムだから。
264 :
なごみ:04/01/12 23:44 ID:xUbyqIkq
亀ちゃん
>>263 >其れは誰が望んでいる仕組みなのかな?
民主国家においてもっとも望むべき国民が望むのを放棄してるからね。
望む望まないに関わらずそういう仕組みになるべくしてなってるんよ。
>本来的な国益とは、一部の受益者の為のものではないだろう。最大多数の国民が受益者でなくてはいけない。
発想が全く逆。国益とは本来は一部の受益者のものに過ぎないんよ。それが民主国家においては国民がその一部の受益者の仲間入りをしてるに過ぎないんよ。でも、全ての国民が等しく国益を享受するとはならない。
>今の日本の仕組みでは民主主義は絵空事でしかない。
その責任は単に構造(ハード)の問題か、国民自身の意識(ソフト)の問題か。
俺は国民の意識がしっかりしてれば構造など簡単に変えられると思う。それこそ既得権者などクソクラエでしょ。それが市民革命。
だいたい構造って誰が変えるのよ? ほかならぬ国民なのに、亀ちゃんからはその辺が二の次になってる。
>民主主義的憲法を持つ、非民主的な官僚国家が現在の日本の実態だろう。
ま、皮肉なことに、はげどうだったりして。
>何らの利害関係も持たない人間が、最大の幸福を得られる可能性をもたらす体制だから。
嘘つけぇ。民主国家においては国民の幸福が最大の利益でしょ。っつーか他にあり得ないっしょ。
民主国家は国民の幸福を利害関係なくしてどうやって得られるの?
逆に関連がないとするなら、民主主義である必要もあるまい。
>最低限の人権を保証するシステムだから。
これは別に民主主義だからということにはならない。人権=民主主義ではないぜぃ。
>失敗を回復できるシステムだから。
失敗は回復できない。回復できるくらいの失敗ならばそれは失敗ではない。
これも別に民主主義だからということにもならない。以前やったでしょ。トップが責任を取らないのは日本も米国も一緒だって。
>>264 なごみ氏
>望む望まないに関わらずそういう仕組みになるべくしてなってるんよ。
では、望むべき方向へと変えて行かなくては。
>発想が全く逆。国益とは本来は一部の受益者のものに過ぎないんよ。
おやおや、其れではまるでトッチャン坊やの竹ちゃんの考えと瓜二つ。
一部の受益者が豊かさを先導すれば、国全体が潤うという誤解の産物だな。
例え幻想と云えども、貧富格差が少ないのが日本の美点だと私は思っている。
受益者が最大多数である事が、日本型民主主義の良いところだ。
>その責任は単に構造(ハード)の問題か、国民自身の意識(ソフト)の問題か。
本来ならばソフトの問題と云いたい処だが、残念ながらそうとも言い切れない。
器が人を作るという例えがあるが、ことに日本人の精神構造からすれば構造の仕組みを
変革することは取り分け重要。自力で変革してこなかったのは歴史が証明している。
>民主国家においては国民の幸福が最大の利益でしょ。
少し舌足らずだったか。例えば「エイズになる恐れのある薬害から守られること」が
利益なら勿論其の通り。そういった利益よりも製薬会社と阿部センセイの利益を
優先したが為に薬害エイズ事件が起きた。直接的な受益者を想定せずに、最大多数の
国民を受益者と見なし最優先する事に民主制の利点があるということを云いたかった。
>これは別に民主主義だからということにはならない。
民主制ではなくても可能だが、民主制であれば適う利益でもある。
独裁政権は倒れると酷いめにあう。今回のイラクがそうだし北朝鮮も同様。
民主制なら失敗した為政者を差し替えできる。
266 :
なごみ:04/01/13 01:03 ID:me3f3qlZ
亀ちゃん
>では、望むべき方向へと変えて行かなくては。
言うは易し行うは難し。
>一部の受益者が豊かさを先導すれば、国全体が潤うという誤解の産物だな。
お主の誤解だよ。
一部の受益者の国益は一部の受益者のものでしかない。一部の受益者のものであっても国益であることは変わらない。
解るかな。俺の中には「国全体が潤う」なんて発想がない。一部の受益を国益と呼んでるに過ぎない。
>器が人を作るという例えがあるが、ことに日本人の精神構造からすれば構造の仕
>組みを変革することは取り分け重要。自力で変革してこなかったのは歴史が証明
>している。
じゃ、誰が変えるの?
>そういった利益よりも製薬会社と阿部センセイの利益を優先したが為に薬害エイズ事件が起きた。
これは民主的であれば防げたのか?
そこまで民主主義に信頼できる根拠は?
俺はいくら民主主義であろうと起きるものは起きると思う。
>直接的な受益者を想定せずに、最大多数の国民を受益者と見なし最優先する事に民主制の利点があるということを云いたかった。
最大多数であっても決して全国民ではない。
>独裁政権は倒れると酷いめにあう。今回のイラクがそうだし北朝鮮も同様。民主制なら失敗した為政者を差し替えできる。
民主制だから差し換えができるというより、議会制だから差し換えがきくんよ。
何も民主制でなくてもいいんよ。英国の上院のように。
独裁(専制)の対義語は民主制でなく議会制。
>>266 なごみ氏
>じゃ、誰が変えるの?
外圧と国内世論を背景とした「風」を読んだ政治家が変える。
そういった政治家を育てるのは勿論有権者である私達なのだが。
そろそろ、期は熟して来つつある。
>これは民主的であれば防げたのか?
健全な民主制が機能すれば防げるだろう。厚生省官僚と其れに連なる製薬会社、
学者(医師)だけが閉じた世界で国益の意志決定する仕組みは不健全でしかない。
勿論民主的な手続きで決定していない。
>最大多数であっても決して全国民ではない。
そりゃそうだ。全てを満たすのは不可能。だから最大多数となる。
>何も民主制でなくてもいいんよ。英国の上院のように。
其の英国でも政府は民選からなる。「議会制民主主義」だからね。
尤も王室の権限は強いが。
>>259 >だけどそれは衆議制(議会制)についていえることであって、決して民主制についていえることではないんよ。
ん?全員参加型の衆議というものができない理由は、ボリュームの問題だけじゃないの?
ナシオンであるかどうかというのは、議論衆議は民衆にはできないという前提に立っていない?
できるんだよ、日本の場合。
少数・反対意見というのが、決定的な対立のみだったら、別にそのとおりだろうけど
その祖も共同体の保持という目的が前提としてあるなら、妥協し、譲歩して決定すること
は悪いことではないよ。
> これは日本人に限ったことではあるまい。
そういう日本人独自の体質の理解の浅さが、貴殿と私の違いだろうね。
意見を批判すると人格を批判されたように感じるのは、日本人の相当強く、欧米人に薄い感覚
だよ。そういう認識の上に他ってこそ、日本人独特の価値の共有部分が発見できるんだし
だから、諸外国と同じ部分、違う部分を、認め合うというグローバルな視野ももてる。
れたん、自画自賛。
日本人独特の体質を良く知っているとな。
恥を知っているのも日本人の体質ではないの?
270 :
なごみ:04/01/16 22:17 ID:VGMYNv7x
亀ちゃん
>>267 >外圧と国内世論を背景とした「風」を読んだ政治家が変える。
はぁ?
外圧に負けて、ろくに議論せずに今日自衛隊がいよいよ旅立ったね。
今さら国内世論はどうであろうと、先の衆院選で国民は小泉政権信任と判断したんでしょ? 全てそのときが根拠になってる。真っ当に少しでも考えてたら当たり前のことだよ。
お主は外圧や国内世論ってのがどういうものか解ってないと思う。外圧や国内世論って政局を動かす決定的ファクターではない。逆になったらおかしいんよ。
っつーか、それをいうのなら国民には選挙という至上の武器があるし、それを有効に使うだけで十分だと思うが。
>そういった政治家を育てるのは勿論有権者である私達なのだが。
じゃ、国民はどうやって政治家を育てられるというのだ? ないものねだりで国民にただ押し付けてもなんの解決にもならないぜぃ。
>そろそろ、期は熟して来つつある。
だから、その根拠はどこにあるんよ?
>健全な民主制が機能すれば防げるだろう。
お主の「健全な民主制」を聞きたいところ。何を指して言ってるん?
>厚生省官僚と其れに連なる製薬会社、学者(医師)だけが閉じた世界で国益の意志決定する仕組みは不健全でしかない。
癒着と談合は民主制でも十分起こり得る。民主化されたところでそれが健全になるという保証はどこにもない。
>勿論民主的な手続きで決定していない。
具体的にお願い。どうもお主って美辞麗句を並べてて具体的に見えてこないんだよね。
>そりゃそうだ。全てを満たすのは不可能。だから最大多数となる。
その最大多数に属さない少数派はどうなるん?
>其の英国でも政府は民選からなる。「議会制民主主義」だからね。
だったら日本もそうしたらいい。そうできたら貴族院の方が参議院よりも有意義とも言える。俺は世襲によらない非民選議院もありかなと思う。
>尤も王室の権限は強いが。
いくらバジョット説に立ってるといっても、英国王室と日本の皇室を同列には見てないぜぃ。
271 :
なごみ:04/01/17 00:14 ID:???
「れ」ちゃん
>>268 >ん?全員参加型の衆議というものができない理由は、ボリュームの問題だけじゃないの?
ボリュームの問題ではないってば。国民のレベルが低すぎるんよ。だから形だけは議会制民主主義の体だが、中身は似ても似つかわない代物と堕している。
だから、ボリュームにこだわってるのはお主なんよ。俺は量より質と言ってる。
>ナシオンであるかどうかというのは、議論衆議は民衆にはできないという前提に立っていない?
その通り。質に期待できないからナシオン止むなし。デモシカであることは自認してる。プープル主権が望ましいのは俺だってそうだよ。
>できるんだよ、日本の場合。
すごい。断定しちゃってる・・・
>少数・反対意見というのが、決定的な対立のみだったら、別にそのとおりだろうけどその祖も共同体の保持という目的が前提としてあるなら、妥協し、譲歩して決定することは悪いことではないよ。
当世の価値観の多様化はお主の言う前提すら危ういものにしてる。
天皇制存続派と廃止派は同じ前提に立ってるか? だったらPart21まで続くまい。
北朝鮮問題にしても国家として目的が徹底されてるか? だったら訳の解らぬNPOなぞ出てくるまい。
共産党が自民党に対して譲歩して妥協することをヨシとするか? そんなことをしたら社会党みたくなってしまう。
お主は古き良き時代(近代以前)の日本を強引に今に求めてる気も。
272 :
なごみ:04/01/17 00:17 ID:???
>そういう日本人独自の体質の理解の浅さが、貴殿と私の違いだろうね。
お主は理性的だよ。感情論のらむちゃんとは違う。でも、それにしてもすごい自信だねぇ
>意見を批判すると人格を批判されたように感じるのは、日本人の相当強く、欧米人に薄い感覚だよ。
だったら、日本人はどうやって衆議というものが成立してきたん? 人格を否定されたように捉えるなら意見の交換すらできない。仲良しグループのサロンでぬくぬくやってればいい、ということにもなる。
つーか、いくら欧米人でも「お馬鹿な妄想」と言われたら議論どころではないでしょ? だって「お馬鹿な妄想」は批判ではなく誹謗中傷に他ならないから。
>そういう認識の上に他ってこそ、日本人独特の価値の共有部分が発見できるんだし
俺は逆にそういう認識が日本人独特のものだったら、日本人には衆議は無理だと思う。意見の共有なぞが土台ムリでしょ?
>だから、諸外国と同じ部分、違う部分を、認め合うというグローバルな視野ももてる。
俺は、日本人独特の衆議云々というより、古くは中国近きは欧米から学んできたという歴史的風土的意識なんじゃあないかな??
ただ戦後の場合、違う部分については自己否定してきたけどね。認め合う??
EUやASEAN・・・グローバルスタンダードは米国スタンダードだって気づかない?
>>271 なごみ氏
深い内容議論だから、面白くなる予感。
貴殿は国民のレベルが低いとか、民度が低いとか言うけど、国の運営に関し
国民に一体何を期待しているん?(貴殿の言い方だけど)
国民が自己の存する国家共同体の維持を基本的に好ましいと考え、そこに
当然にコストがかかることを理解した上でなら、価値が多様化してもかまわない。
そのことが、個人の尊重と同等だということの理解があるかどうかが、価値の
多様性に関する分岐点だろうことは、ご理解いただけるであろう。
危機はその一点においてあるとはいえる。
衆議に関しては、まさにそこが戦前の反省すべきところなんだけれども、そういう
理解が得られていない現状が有ることは認める。
274 :
なごみ:04/01/17 15:09 ID:cNXEgV81
「れ」ちゃん
>>273 >貴殿は国民のレベルが低いとか、民度が低いとか言うけど、国の運営に関し国民に一体何を期待しているん?
なにも期待してないよ。だって国民のレベルが低いから。で、俺は民主主義だけが絶対正しいとは思っていないんよ。
国民のレベルが低いと非民主的部分の存在意義が強まる。例えば、天皇制は非民主的だから存在意義があるんよ。
>国民が自己の存する国家共同体の維持を基本的に好ましいと考え、そこに当然にコストがかかることを理解した上でなら
それを理解してるとする根拠は? 自信は?
それをさっきから聞いてるんよ。
>価値が多様化してもかまわない。
俺からすればそういった前提がないまんま、野放図に価値観が多様化してると思うんだが。だから危険なんよ。
>そのことが、個人の尊重と同等だということの理解があるかどうかが、価値の多様性に関する分岐点だろうことは、ご理解いただけるであろう。
同等???
「個人の尊重」と「国家共同体の維持」がなんで同等なん?
両者は究極的には相関するかもしれないが、局面的には対立するんよ。そのときに同等という処方箋でどう打開するん?
結局どっちかを優先するしかないんよ。会議室と現場では違うということだね
>危機はその一点においてあるとはいえる。
同等であればそれで解決する?
局面的に調整して全体として均衡を保つしかないと思うが。
>衆議に関しては、まさにそこが戦前の反省すべきところなんだけれども、そういう理解が得られていない現状が有ることは認める。
戦前の軍国主義のことを言ってるのなら、俺は一定の理解が得られてるとは思う。その結果が戦後の個人の尊重に集約されてる。
でも、反省すべきはどっちが正しいかではなく、どこにバランスを置くかでしょ?
「戦前」の反省ではなく「衆議」自体の反省なら同意できるが。
>>274 なごみ氏
期待に添わないから、レベルが低いという評価になるんだろ?
期待していなければ、低くないという評価、妥当なレベルであるという評価
になるはずだけど・・・。
野放図に価値が多様化している状況に疑問があるから、右傾化といわれる
現象が発生し、共産・社民のイイカゲンさが実感され、カンの胡散臭さが
得票を伸ばしていないと思うけどなァ。
個人の尊重と、国家共同体の維持は対立するから、同等程度に尊重する
バランス・均衡が重要でしょうよ。
戦後の反省という核については、個人の尊重とかそういう意味とではない。
>>274 >結局どっちかを優先するしかないんよ。
「個人の尊厳」を優先するべきだろう。少なくとも現憲法上はそういう建前になっている。
国家は個人の利益・権利を守るために存在する。
個人の利益から遊離した国家の価値なんてものは存在しえないのではないか?
277 :
なごみ:04/01/17 20:20 ID:???
「れ」ちゃん
>>275 >期待に添わないから、レベルが低いという評価になるんだろ?
どうも卵と鶏のハナシになってる。どっちが先か。
民主主義とは何かと考えたときに、国民に少なからず期待する部分はある。だって国民を主とする制度だからね。俺はそれすら期待できないから民主主義すら懐疑的になってるんよ。
又、評価は制度として客観的なもの。国民のレベルと言うより主権者のレベルとして低いといってるんよ。
米国みたいに民主主義こそ真理、正義とは思ってないわけ。それを大局的に見てる。
象徴天皇みたいに国民も単に主権という形だけ行使して中身は何ら権利も義務も責任も負わない制度があればそれで落ち着くかもしれない。それで国民の生活が絶対保障されるのならね。人権・自由・民主主義なぞそんなもの。
>右傾化といわれる現象が発生し、共産・社民のイイカゲンさが実感され、カンの胡散臭さが得票を伸ばしていないと思うけどなァ。
誰かが、衆愚政治を刹那的民主主義と言ってた。俺はそれに同意。
お主のこの一連の意見も昨今の刹那的な事象しか語っておらず、全然大局的ではない。
右傾化する前は左ドップリだったわけで、ただの反動とも言える。また左傾化しないと言う保証はない。
社会党はともかく共産党は決してなくならない。前回まで反自民の受け皿だったのが民主党に流れただけ。それを共産離れと見るのはちょっとね。
共産主義は理想であっても論理的には精巧な制度。現実ではいい加減な現象に過ぎずとも支持者は理想で支持してる。だから決してなくならない。
>個人の尊重と、国家共同体の維持は対立するから、同等程度に尊重するバランス・均衡が重要でしょうよ。
理屈ではそうであっても、具体性に乏しい。
例えば、自衛隊のイラク派遣という事象一つとっても両者は対立する。で、派遣すると言うことは個人の尊重か?
>戦後の反省という核については、個人の尊重とかそういう意味とではない。
俺はそのものだと思う。
278 :
なごみ:04/01/17 20:31 ID:???
さんちゃん
>>276 >少なくとも現憲法上はそういう建前になっている。
建て前と本音は違うってことでしょ。お主が個人の尊厳とか連呼してもそれは建て前に過ぎず、実際には全然そうでないと言うことなんよ。
>国家は個人の利益・権利を守るために存在する。
単純に、そのときの国民の利益・権利を守ればいいのか?
当然将来の国民のことも考えなくちゃならないが、それでそのときの国民が納得できるのか?
苦い良薬より甘い公約の方がそのときの国民にとっては利益・権利と考えればまして。そうでないと言い切るには前提のない価値観の多様が強過ぎる。
>個人の利益から遊離した国家の価値なんてものは存在しえないのではないか?
個人は世代を超えない。国家は世代を超える。つまり、お主は世代を越えた利益権利は存在しえないと言ってるんよ。
民主主義を歴史的人類的結晶と思ってるかもしれないが、たかが100年。まだその評価は決してない。
>>278 なごみ氏
>建て前と本音は違うってことでしょ。
しかし、その建前に少しでも近付けていくべき努力をする義務が国家には課されている。
また、議会が立法をする際の立法方針や裁判所が判決文を書く際の法解釈の基準として個人の尊厳という原理が機能するという面は否定できない。
その意味で個人の尊厳が全くの空理空論というわけではない。
>単純に、そのときの国民の利益・権利を守ればいいのか?
誰も「そのときの」なんて限定はしていない。
この場合の個人の尊厳というのは、憲法97条にあるとおり現在及び将来の国民に人権が保障されることにより個人の尊厳が全うされるわけだから、現在及び将来の国民が個人として尊重されるという意味だ。
>民主主義を歴史的人類的結晶と思ってるかもしれないが、たかが100年。
民主主義の萌芽は古代ギリシャ時代から既に存在するのであるが、何か?
もっとも、被征服民を奴隷としてこき使った上での、市民権を持つ者による民主制ではあったが。
それに対して、現在あるような主権国家なんていう概念が想起されたのは、フランス革命以後だからせいぜい200年経ったかどうかぐらいだろ。
だからむしろ国家という制度の方が歴史は短いし、また今後もいつまで存続するかも分からない。
そうはいっても、国家という制度を簡単に否定するわけにもいかないが。
280 :
なごみ:04/01/18 02:48 ID:6HdF6iBI
さんちゃん
>>279 >その建前に少しでも近付けていくべき努力をする義務が国家には課されている。
残念ながら日本にはそういった前提には立ってない。憲法ってのが解ってないからね。憲法があれば自然と国家は課せられた義務が履行できると思ってるらしい。
憲法ってのは建て前であって別に遵守せずとも罰せられない。自衛隊、政教分離、一票の格差、本音は別のところにあっても全然違和感はない。
その点では皇族が最も憲法を遵守してるとも言えるw
>また、議会が立法をする際の立法方針や裁判所が判決文を書く際の法解釈の基準として個人の尊厳という原理が機能するという面は否定できない。
全てにおいて何が何でも個人の尊厳が優先されるん? 中には国家共同体の尊厳ってのが優先されることってないん?
では、自衛隊員は誰(何)のためにイラクに派遣されてるん?
>現在及び将来の国民が個人として尊重されるという意味だ。
だからその中で現在と将来の個人の尊厳が対立することが十分に予想されるから例示したんよ。
で、どっちを優先する?
>民主主義の萌芽は古代ギリシャ時代から既に存在するのであるが、何か?
古代民主主義と近代民主主義は専門家に言わせるとまったく違う代物らしいが。
歴史は繰り返すという格言に頼めば、ローマ共和制は帝政に変わった。で、それが望まれてなったことかね?
>フランス革命以後だからせいぜい200年経ったかどうかぐらいだろ。
フランス革命は別名ブルジョア革命というのをご存じか? ということはプロレタリアートは当時市民ではないし、女性にも有色人種にも主権は長く付与されなかった。だから解放運動や公民権運動が起きたんでしょ?
今でいう国民全員主権は戦後になって是とされたものなんよ。
>だからむしろ国家という制度の方が歴史は短いし
民主主義より? 俺は国家(という制度)がないと民主主義も糞もないと思うが。
>また今後もいつまで存続するかも分からない。
確率の問題だよ。じゃ、今すぐに国家制度が廃止されるってのは万に一つでもあると思う?
>そうはいっても、国家という制度を簡単に否定するわけにもいかないが。
では、何が言いたかったのか解りかねる。
>>280 なごみ氏
>憲法ってのは建て前であって別に遵守せずとも罰せられない。
罰するも何も、憲法というものは国家を宛名人にするものだから、本来そういうもの。国家を罰するなんてことは出来ない。
しかし、議会が憲法に違反した法律を作れば、やがて裁判所によって違憲と判断され折角制定した法律が無効になるという憂き目に会うし、
行政が憲法に違反した行政行為を行えばその行政行為が無効になるという不利益を受ける。こういった効果は立法や行政当局に対する事実上の制裁といってもいい。
また、憲法に違反した立法や行政行為を行えば、民主主義国においては政治的道義的責任は追及されるはずである。
>国家共同体の尊厳ってのが優先されることってないん?
それは、その国家が存在する事が国民の利益つまり個人の尊厳が保障される限りで認められるべきものだろう。国民の利益を著しく侵害するような国家というものは、その正当性が否定される場合もありうる。
>自衛隊員は誰(何)のためにイラクに派遣されてるん?
究極的には、やはり国民の利益のためだろう。
>どっちを優先する?
二者択一のものではないだろう。
現在の国民の利益も将来の国民の利益も重視されるべき。ただ、将来の予測というものは極めて難しい場合が多いし、国会議員は将来の国民ではなく現在の国民によって選出されるという事からも、現在の国民の利益が優先されてしまう嫌いがあることは否定できないが。
>古代民主主義と近代民主主義は専門家に言わせるとまったく違う代物らしいが。
だから異なるといっただろ。「萌芽」に過ぎないし、奴隷制の存在にも言及した。非常に原始的な形態ではあるが、現在の民主主義の起源とも言うべきものではあった。
>フランス革命は別名ブルジョア革命というのをご存じか?
もちろん存じているが、私が言いたかったのは「国家」という概念が非常に新しいものであるということ。
>俺は国家(という制度)がないと民主主義も糞もないと思うが。
まさにその通りである。国家などという「怪物」を御するために、弊害が大きい制度であるにも拘らず、民主主義というシステムを編み出さざるを得なかったといっていいだろう。
>>281 続き
>今すぐに国家制度が廃止されるってのは万に一つでもあると思う?
ないよ。むしろ今すぐなくなると困るだろう。ただ、国家という制度が未来永劫続くという保証は何もないということだ。
>>277 なごみ氏
まぁ、民主主義という場合範囲は広いから、民主主義に期待を寄せているかと
聞かれれば、私も懐疑的では有る。
ただ、国民主権という考え方、単純に云うと、国家は国民によって運営される、
国民の意思によって運営される必要があるということについては、疑義はない。
そうでなければ、日本という国家が存在する必要はない。
そもそも国家の枠組の必要性というのは、日本の場合、他の民族と異なる、
文化、規範、価値観を共有している日本民族が、その文化、規範、価値観を元に
社会秩序を構成するというところに有る。
それは何のためかといえば、日本民族が、豊かで幸福な生活を送るためである
としか考えようがない。
問題は、現代において、その文化、規範、価値観の実態というものが把握されて
いない憲法下において、その独自性が評価され、把握できる教育がなされていない
ために、その実感をもつことができるためには、年月がかかる、実社会においても
まれて初めて、理性的な人が実感できるということだろうか・・・。
別に共産党はなくならなくても良いし、左に行き過ぎたものが右に触れることは
せつな的なことではなく、現実的な危機が、論理よりも雄弁に社会を動かすという
不可逆な現実の中では極めて妥当な動きだろう。
共産主義の論理は、基本的に日本民族の、規範、文化、価値観を元にしていない
から、少数派で終わるだろうし、それはキリスト教徒の人数と同じ程度であろう。
284 :
なごみ:04/01/18 15:16 ID:???
さんちゃん
>>281 >本来そういうもの。
「残念ながら日本にはそういった前提には立ってない。」(
>>280)
ループってるw
>やがて裁判所によって違憲と判断され折角制定した法律が無効になるという憂き目に会う
「自衛隊、政教分離、一票の格差、本音は別のところにあっても全然違和感はない。」
補足すれば、だから司法の独立って重要なんでしょ?
>憲法に違反した立法や行政行為を行えば、民主主義国においては政治的道義的責任は追及されるはず
実際には、司法がそこまでの拘束力を有せず、ただの現状追認に終わってる。
つまり、日本人は「憲法ってのが解ってないからね。」
>国民の利益を著しく侵害するような国家というものは、その正当性が否定される場合もありうる。
これは国際問題として現実に起きてるわけで。イラク戦争なんか、その好例。
人権とか言う理屈の他に国家主権というものも存在するのであって、明らかに一方的米国の人権(民主主義)の押し付けになってる。お主が思うほどそれに正当性はないんよ。米国もその辺は解ってて「大量破壊兵器」とか別の難癖も付けてる。
またそういった外的のほか、内的にもイラク国民が本当に何を望んでるかは別問題でしょ?
>究極的には、やはり国民の利益のためだろう。
自衛隊員個人の尊厳は?
>現在の国民の利益が優先されてしまう嫌いがあることは否定できないが。
「嫌い」がある以上、素直に現在の国民が将来の国民より優先されてしまうことに不合理性を感じてるわけで。
>だから異なるといっただろ。
だったら
>>279でお主がわざわざ「古代ギリシャ」を持ち出したいとが解らない。
もう少し突っ込むと、古代と近代、どこが違う?
285 :
なごみ:04/01/18 15:17 ID:???
>私が言いたかったのは「国家」という概念が非常に新しいものであるということ。
「国民」という概念も同時期だってことにも注目しようぜぃ。
お主の言う「国家」ってのが「国民」って概念の前提にたっての限定されたものならばそうなろうが。俺は国民も人権も民主主義もそんなのの前から国家ってのは定義こそ違えど存在してたと思うが。
>国家などという「怪物」を御するために、弊害が大きい制度であるにも拘らず、民主主義というシステムを編み出さざるを得なかったといっていいだろう。
敢えて言おう。(民主主義など)カスであると!
民主主義には「怪物」を御する力などはない。むしろ、民主主義制度であろうと「怪物」は跋扈する。力があるのは民主主義ではなく国民である。
更に言うと、国民とは数ではなく質である。数に頼むと民主主義自体が暴力性を内包し、国民は諦観するしかなくなる。
>>282 >ただ、国家という制度が未来永劫続くという保証は何もないということだ。
お主は「杞憂」という言葉をご存じか?
286 :
なごみ:04/01/18 16:02 ID:???
「れ」ちゃん
>>283 >国民主権という考え方、単純に云うと、国家は国民によって運営される、国民の意思によって運営される必要があるということについては、疑義はない。
なんで??
俺はそんな必要は感じないが。
>日本の場合、他の民族と異なる、文化、規範、価値観を共有している日本民族
アズマ史観はどーよ?
それにアイヌや琉球は?
少なくとも近代日本はそういったことを前提に成立してないように思う。
>その文化、規範、価値観を元に社会秩序を構成するというところに有る。
日本は少なくとも江戸時代にはお主の言うような内的要素だけでなく、対外的要素からも国家というものを形成していたように思うが。鎖国なんてそのものでしょ?
>それは何のためかといえば、日本民族が、豊かで幸福な生活を送るためであるとしか考えようがない。
日本は極東の島国である。でも、だからと言ってつまり外的脅威に晒されることなく(悪く言えば独善的に)自分らの内的要素だけで国家を形成できたというのはどうもねぇ。
しかも、封建制というものが(日本の場合特殊だといっても)あまり考慮されてないように思う。
>その独自性が評価され、把握できる教育がなされていないために、
日本の弱点は教育がなってないこと。国家に基軸がないから教育にも基軸がない。愛国心教育とかを越えて。
だから受験教育の弊害ばかりが取り沙汰されて、何ら基軸のないままゆとり教育だのに迷走してしまう。
俺は別に反愛国心教育でもいいと思ってる。徹底してドライにいけばそれで得られることもあるだろー。(損得や合理性では反愛国心はよろしくないが)。
問題なのは反愛国心教育の癖に「国家」概念を捨てられない(依存してることに気づいてない)こと。基軸がないんよ。
287 :
なごみ:04/01/18 16:03 ID:???
「れ」ちゃん
>>283 >国民主権という考え方、単純に云うと、国家は国民によって運営される、国民の意思によって運営される必要があるということについては、疑義はない。
なんで??
俺はそんな必要は感じないが。
>日本の場合、他の民族と異なる、文化、規範、価値観を共有している日本民族
アズマ史観はどーよ?
それにアイヌや琉球は?
少なくとも近代日本はそういったことを前提に成立してないように思う。
>その文化、規範、価値観を元に社会秩序を構成するというところに有る。
日本は少なくとも江戸時代にはお主の言うような内的要素だけでなく、対外的要素からも国家というものを形成していたように思うが。鎖国なんてそのものでしょ?
>それは何のためかといえば、日本民族が、豊かで幸福な生活を送るためであるとしか考えようがない。
日本は極東の島国である。でも、だからと言ってつまり外的脅威に晒されることなく(悪く言えば独善的に)自分らの内的要素だけで国家を形成できたというのはどうもねぇ。
しかも、封建制というものが(日本の場合特殊だといっても)あまり考慮されてないように思う。
>その独自性が評価され、把握できる教育がなされていないために、
日本の弱点は教育がなってないこと。国家に基軸がないから教育にも基軸がない。愛国心教育とかを越えて。
だから受験教育の弊害ばかりが取り沙汰されて、何ら基軸のないままゆとり教育だのに迷走してしまう。
俺は別に反愛国心教育でもいいと思ってる。徹底してドライにいけばそれで得られることもあるだろー。(損得や合理性では反愛国心はよろしくないが)。
問題なのは反愛国心教育の癖に「国家」概念を捨てられない(依存してることに気づいてない)こと。基軸がないんよ。
288 :
なごみ:04/01/18 16:19 ID:???
重複してまった。すまそ
>実社会においてもまれて初めて、理性的な人が実感できるということだろうか・・・。
それは教育のせい。教育が理想を追求し、現実に即応できる体制にないんよ。
日本は学歴社会ではない。学歴は実社会において能力の証明にはならない(教育内容がなってないから)。学歴というのは派閥を形成する際の道具に過ぎない。学歴派閥社会。
だから学歴は実社会において有効に活用されずできず、ただの弊害になってる。ゆえに平気で否定されるしできちゃうんよ。
>せつな的なことではなく、現実的な危機が、論理よりも雄弁に社会を動かすという 不可逆な現実の中では極めて妥当な動きだろう。
お主は共産主義は死んだと見てるか?
俺はそうは思わない。共産主義は理想ではあるが、現実に呼応して再台頭すると思う。理性では共産主義はよほど人心をつかむ。インテリに意外に共産主義が多いのはそのせい。
社会民主主義などは日本ではまだまだ馴染みは薄いが、俺は個人的に日本にマッチするとも思ってる。(その分注文も多いと思うが)
>共産主義の論理は、基本的に日本民族の、規範、文化、価値観を元にしていないから、
公地公民は? 戦後日本が左翼教育に支配され、東西冷戦の中共産主義運動が盛んになったのは? 天皇制を否定すると気平等なんて概念を平気で堕してくるのは?
スターリンはこういったそうだ。「日本人には共産主義者としての素質が十二分にある」
>少数派で終わるだろうし、それはキリスト教徒の人数と同じ程度であろう。
物事の価値基準を数に頼むのはその時点で思想ではないと思う。
>>287 何で?と、きかれると思って当該スレで説明しているよ。
アズマ史観は、日本民族というくくりの内部分類をひとつの単位としているのだが
ボリュームが小さすぎて、例えば3000人に一人の障害者の権利が守れるほどに
成熟しないという欠点がある。顔が見える範囲の政治と言うのは、少数の弱者の
救済がしにくいという意味で弊害がある。
アイヌも琉球も日本民族としての分類に過ぎないでしょう。
「文化、規範、価値観を元に社会秩序を構成する」というのは、それを共有しない
多民族との融合を拒否するという対外的理由にもなることは当然。
内的理由であると考える必要はないよ。
教育については、普通の事を普通に教えればいいことで、羹に懲りて膾を吹く状況
の実感が、徐々に出てきているということなんじゃない?
共産主義が生きていようと死んでいようとかまわないけれども、日本の文化、風土、
規範、価値観に沿わない共産主義は、多数にはなりえないよ。
数を頼むのではなく、そういったことからいって、多数にはなりえないということを
申し述べているんだが・・・。
290 :
なごみ:04/01/18 23:16 ID:???
「れ」ちゃん
>>289 >何で?と、きかれると思って当該スレで説明しているよ。
存在意義スレ?
>ボリュームが小さすぎて、例えば3000人に一人の障害者の権利が守れるほどに成熟しないという欠点がある。
ボリュームが小さいから問題なら国会議員の数でも増やす?
>顔が見える範囲の政治と言うのは、少数の弱者の救済がしにくいという意味で弊害がある。
つまり民主主義でも衆議でも、少数派の尊重にも限界があるってこと?
>>253でお主は「基本的に日本の土壌というのは、少数派を擁護する気質もある。」っていってるのにねぇ。
>それを共有しない多民族との融合を拒否するという対外的理由にもなることは当然。
だからアイヌなどの少数派の文化的価値が理解されない。琉球は文化的にも歴史的にも日本本土と同一意識と見るのはちと強引
>教育、共産主義
教育論はちとスレ違いだし、共産主義もお互い推論に過ぎないし。
>数を頼むのでは
>>284 なごみ氏
>残念ながら日本にはそういった前提には立ってない。
だからそれは憲法の問題ではなくて、憲法を遵守しない為政者側或いはそれを許している有権者たる国民の問題だろう。
>だから司法の独立って重要なんでしょ?
それを否定した記憶は全くないが。
>司法がそこまでの拘束力を有せず、ただの現状追認に終わってる。
いや、政治的道義的責任と言うものは司法が追求するものではなくて、国民が参政権や表現の自由を行使することによって行うべきもの。
それをすることを国民が怠っているという現実は否定できないが。
>米国もその辺は解ってて「大量破壊兵器」とか別の難癖も付けてる。
ブッシュがイラク攻撃をした動機は、本音のところでは恐らく「人権」でもなければ「大量破壊兵器」でもないだろう。それらは、所詮単なる大義名分に過ぎないと思われるが。
しかし逆に言えばコソボ紛争にしてもそうだが、これらを理由にすれば国際社会の理解が何となく得られてしまうのも事実な訳で、実際多くの国がイラクに人員を派遣しているだろう。
武力行使に反対したドイツやフランスにしたってフセイン政権を認めていたわけでもなかろう。フセイン政権がクルド人虐殺などの人権侵害を行っていた事に対する非難はこれらの国もしていたと思われるが。
国際社会において、「個人の尊厳」や「人権」というものが重んじられるべき要素であるというおおよそのコンセンサスはできているだろう。
>自衛隊員個人の尊厳は?
もちろん最大限尊重されるべき。当然だろ?
>素直に現在の国民が将来の国民より優先されてしまうことに不合理性を感じてるわけで。
しかし止むを得ないだろう。人間には予知能力なんてないし、将来のことなんて分からない。
むしろ逆に将来の国民のためなどという口実で作った道路やダムなどが実際は嘗て予測されていたようなニーズが生じなくて、結局無駄になったなんて話は枚挙に暇がなかろう。
結局「将来の国民のため」なんていうのは、為政者にとっての格好の口実として利用されているだけだと思うが。
>お主がわざわざ「古代ギリシャ」を持ち出したいとが解らない。
だから、
>>278で貴殿が民主主義は歴史が短いなどという不可解な事を言ったから、反証したまで。
>>284 なごみ氏
>古代と近代、どこが違う?
それも
>>279>>281で述べたが。
古代には奴隷制もあったし、民主制といっても市民権を持っている成人男性だけによるものであった。それに対して近代のそれは選挙権の対象が徐々に拡張されていって、現在では多くの民主主義国では成年に達した全ての国民による民主政が採られている。
>国家ってのは定義こそ違えど存在してたと思うが。
定義が違ったらダメでしょ。ここで論じている「国家」というものは、国民によって構成される主権を持った近代国家のことである。国家の三構成要素というのが、国民・領土・主権であることは貴殿もご存知だと思うが。
「国民」とか「主権」なんていう概念は、まさに近代それもフランス革命以後の所産であろう。
それまでは国王は一応いたものの、その下に広範な自治権を持っていた領主もいてその他にも自由都市や司教領などがあって、
更にローマ教皇が教会組織のトップに君臨してヨーロッパ全体を統括する普遍的な権力としていたわけで、とても近代以降に誕生を見るような「絶対性」を持つ主権国家などは存在していなかったわけである。
>民主主義制度であろうと「怪物」は跋扈する。
だからこそ、色々な問題が起こるわけで、それを解決するために憲法は様々な制度を用意しているのである。
民主主義がカスであろうがなかろうが、それより優れた制度が未だ人類には見出せていないというのも事実な訳で、それは民主主義の限界というより人間の能力の限界といった方が良い。
貴殿が
>>280で「ローマ共和制は帝政に変わった。」といったように、人類は様々な政体を試みてきた。
王制・帝政・独裁制・集団指導体制などの試行錯誤を繰り返し、進歩と反動を繰り返しながら現在まで来た。その結果、現在の民主政が人類が考え出しうる政体の中で最も優れた制度であるという結論を出したのであろう。
>お主は「杞憂」という言葉をご存じか?
もちろん知っているが、どうしてそんなことを聞く?
「国家」というものが永遠に継続するという保証は何もなく、将来において「国家」という制度を克服するより優れた制度が導入されるという可能性は杞憂ではなく十分ありうることだ。
293 :
な:04/01/19 00:57 ID:???
さんちゃん
>>291 >憲法を遵守しない為政者側或いはそれを許している有権者たる国民の問題だろう。
国民に問題あるのなら国民以外に求めるって考えも当然出てくるでしょ?
>政治的道義的責任と言うものは司法が追求するものではなくて、
道義的にはともかく、政治的責任(憲法に違反した立法や行政行為)は司法でも十分できるでしょ?
>それをすることを国民が怠っているという現実は否定できないが。
お主さ、国民に問題あると言いながら国民にいろいろ求め過ぎだぜぃ。
現実を肯定するなら今度は理想を否定しなきゃ。
>大義名分、何となく得られてしまう
所詮人権なんてそんなものだってことなんよ。お主もついに人権の存在意義を認めだしたか。
>クルド人虐殺などの人権侵害
これも大義名分。仮にイラクを割譲してクルド人国家を建設したらどうなる?
>国際社会において、「個人の尊厳」や「人権」というものが重んじられるべき要素である
建て前だよ。何らかの国際問題が浮上したときの少数派劣勢派のよりどころ。
こうすると国際的地位が上がり、形勢逆転も可能なのだが。もたもたしてると利権をとり損ねる。フランスなんかその辺のやりくりがうまかった。
>もちろん最大限尊重されるべき。当然だろ?
自衛隊員は自衛隊員である前に国民だろ。国家がその国民の生命を犠牲にしてまで追及するものは何? そのさいに最大限何を尊重するの?
>将来のことなんて分からない。
「将来において「国家」という制度を克服するより優れた制度が導入されるという可能性は杞憂ではなく十分ありうることだ。」
お主のとって将来とは?? 整合性が・・・
294 :
ご:04/01/19 00:58 ID:???
>むしろ逆に将来の国民のためなどという口実で作った道路やダムなどが実際は嘗て予測されていたようなニーズが生じなくて、結局無駄になったなんて話は枚挙に暇がなかろう。
その政治家を選んでるのが国民でしょ? 政治家のいうことを鵜呑みにするんじゃ国民主権が泣くぜぃ
>結局「将来の国民のため」なんていうのは、為政者にとっての格好の口実として利用されているだけだと思うが。
そうやって極論に走る。政治家が言ってることの真偽を判断するのが国民でしょ?
例えば年金問題。これは将来破綻するといわれてるが、その将来は無視するのね。エスミマキコが言ってたから大丈夫なん?
>貴殿が民主主義は歴史が短いなどという不可解な事を言ったから、反証したまで。
100年だか200年だかの違いが反証?
だって古代ギリシャは「異なるといっただろ。」
古代と近代では定義が違うんよ。
>それに対して近代のそれは選挙権の対象が徐々に拡張されていって、現在では多くの民主主義国では成年に達した全ての国民による民主政が採られている。
この勘違いが民主主義を衆愚政治に変えていくんよね。
>「国民」とか「主権」なんていう概念は、まさに近代それもフランス革命以後の所産であろう。
あのねぇ。国民は民衆として存在してたし、取引きもされてた。主権もその概念は王権神授に見られるように権力として存在してた。
近代ではそれを合理化し、名を変えて定義し直したに過ぎない。つまり新たな価値観の創造ではなく、旧来の価値観の転換だったんよ。
>それより優れた制度が未だ人類には見出せていないというのも事実な訳
では、民主主義は優れた制度なのか?
>それは民主主義の限界というより人間の能力の限界といった方が良い。
限界といったら思考停止だよ。コロンブスの卵ということもある。
>その結果、現在の民主政が人類が考え出しうる政体の中で最も優れた制度であるという結論を出したのであろう。
はぁ? 誰が??
勝手に思い込んでるだけじゃないの?
民主主義国家の国民に聞いてごらん。民主主義って貴殿を幸せにしてますか?
>>290 当該レスで説明している。書き間違い陳謝。
民族が共有するも似によって構築するんだから、社会秩序の一部である国政
に関してその国民が当然に構築すべきだということ。
アズマ主義では、顔が見えるというキーワードがあるから、小さい人口の地域
おとに統治があるということ。顔が見えるということは多くても一万人。
3000人にひとりの難病患者0〜6人では、勢力にならないといっているんだが・・・。
3000万人の国家では、一万人の勢力になる。
文化、規範、価値観が単一であるわけもなく、だからといって国家の枠に入れない
ということもない。違いの幅は当然にある。
296 :
な:04/01/20 01:37 ID:???
「れ」ちゃん
>>295 >民族が共有するも似によって構築するんだから、社会秩序の一部である国政に関してその国民が当然に構築すべきだということ。
別にこの考えは完否定しないけど、一点。当然の結論なのかな?
当然だったら君主制は(歴史的事実があったにせよ)当然ではなかったという、よくいう天皇制廃止論者の意見にも通じてしまう。「国政」と断ってるのがいかにもお主らしいが。
俺は国政でも何でも民主主義は当然だとは毛頭思ってない。
>顔が見えるということは多くても一万人。3000人にひとりの難病患者0〜6人では、勢力にならないといっているんだが・・・。
どうもしっくり来ないのだが、
>>290でもいったが「民主主義でも衆議でも、少数派の尊重にも限界があるってこと?」
これにズバリ答えてほすぃ
>文化、規範、価値観が単一であるわけもなく、だからといって国家の枠に入れないということもない。違いの幅は当然にある。
アズマ史観では天皇を西国の文化と見て、天皇を枠組みとする国家の枠には入れないという主張だと思う。
ま、この点では、文化の融合ではないがどっちがどっちかを飲み込むってことはざらにあるのであって、歴史的文化的に見ても独自性を出したらいいってものではないと思ってるけどね。だからオズマ史観ってのは好きくない
あんまりいうとあややがやってくるから。
>>296 前段については、それこそ民度の問題だと思うよ。
民主主義が当然な社会と言うのは、民度がなければできない。
君主制というとき、日本の君主制について述べているのであれば、衆議自体は
朝廷、幕府内に存在していたのであり、そこへの参加が限定的であったことは
民度の問題でしかない。
中段は、まさに、コトバの問題。「少数弱者」の存在が認知されなければ、尊重も
救済もできない。その意味での限界は当然にあるでしょう。
例えば、今話題になっている映画「解夏」の主人公は「ベーチェット病」という難病
なのだが日本で18000人いるらしい。7000人に一人という確率だ。
これを、少数人口の国が認識し救済制度を創ることができるのかということである。
298 :
なごみ:04/01/21 00:27 ID:???
れ氏
>>297 >民主主義が当然な社会と言うのは、民度がなければできない。
その民度が日本国民にはあると言ってるのがお主なわけだが、その根拠は?
>衆議自体は朝廷、幕府内に存在していたのであり、そこへの参加が限定的であったことは民度の問題でしかない。
当時から何が変わったというのか?
それが民主主義の存在意義なんだけどね。
>その意味での限界は当然にあるでしょう。
お主が民主主義を数量に頼むからだよ。
俺のように質にこだわればその意味での限界はない。
>7000人に一人という確率だ。
確率は数量が多くても変わらないんだけど。
>これを、少数人口の国が認識し救済制度を創ることができるのかということである。
少数だから国家が認識できないというのはおかしい。多数であっても認識されないときは認識されない。
「げげ」ってのは名前だけ知ってるが、「ベーチェット病」は日本のボリュームでは認識されるってことで引用したの?
>>298 民主主義に民度が必要なように、衆議に参加できる範囲の決定にも
当然民度というものが必要で、だから明治憲法が漸進主義に基づいているのだろう。
民主主義というと他の概念が交じり合うから、私は民主主義を信じているかと
いわれれば否定的である。
現代日本においては、すでに、「国民が公平に参加する衆議で、自由に、国政
を決定できる」だけの民度は備わっているとみなしているし、それはなにを
もって証明できるかといえば、天皇の象徴制度で問題なく国が運営されている
からである。
明治憲法期においては、軍備に関する政府案が否決されそうなことを受けて
伊藤博文の要請により、内廷費を転用してもその軍備は必要であるという
天皇の言葉が出されている。熱狂や蒙昧に依る数の暴走が、理性と専門的
検討によって、節度あるものになったから、天皇の権威は儀礼に限定しても
問題ないのであり、民度の熟成について検討すべきはまさに、その節度である。
確率は変わらないからこそ、一人では勢力にならず18000人なら、勢力になる。
君はまさか、全世界で100年に一度発生する遺伝的要素の強い難病が、世界
レベルで認知されると信じてられるか?妄想/夢物語だよ。
認識されることがまず手始めに必要で、認識されたとしても国内にその治療体制を
創るためには(これはベーチェット病に関することではない、一般論であるから誤解の
ないように)一定数の患者がいなければならないだろう。
現在様々な遺伝要素の強い難病(治療方法がない疾病)に対する遺伝子治療の
研究がされているが(ES細胞などの研究)、一定レベルの患者数があってこそ可能
だということぐらい理解できるだろう。
300 :
なごみ:04/01/21 22:32 ID:???
れたん
>>298 >民主主義に民度が必要
お主のいう民度って具体的に何?
>明治憲法が漸進主義
どのへんが?
でも漸進主義って言い得て妙。差詰め民主主義は漸進し続けて進歩しすぎちゃったんよね。
>私は民主主義を信じているかといわれれば否定的である。
どのへんが?
お主、少しはこっちの問いにストレートにこたえてほすぃ
「その民度が日本国民にはあると言ってるのがお主なわけだが、その根拠は?」
それに答えずにこれじゃこっちは??だよ。
>民度は備わっているとみなしている
「みなしてる」ってのはあくまで推測ってことでしょ?
推測でものを判断されてはかなわんぜぃ。
>天皇の象徴制度で問題なく国が運営されているからである。
衆愚政治でも国家は運営はされる。問題はその中身でしょ。仮面夫婦でも結婚してたら法的には夫婦。
お主はまさか、民主主義が国民のレベルそのもので運営されてるって思ってる?それこそ妄想/夢物語だよ。
>熱狂や蒙昧に依る数の暴走が、理性と専門的検討によって、節度あるものになった
それは明治憲法下もまかりなりにも民主主義だったから?
それでは俺と認識が真逆。「貴族制」という政治形態をご存じか?
>天皇の権威は儀礼に限定しても問題ないのであり、
申し訳ないが、天皇はあんまり関係ないと思う。
301 :
な:04/01/21 22:36 ID:???
>民度の熟成について検討すべきはまさに、その節度である。
現在、その「節度」ってのを一体どこに求められようか?
俺は国民には到底求められない。
>確率は変わらないからこそ、一人では勢力にならず18000人なら、勢力になる。
はっきり言おう。理想的民主国家ならどうかは知らんが、少なくとも日本では数とは多数のこと。少数が勢力になることは、ない。
その点では日本は民主国家ではないし、個人の尊厳を重んじる人権国家でもない。だから、少数派が人権を盾にする。弱者が強者になるという本末転倒が起こる。人権は少数のためにあるのではない。
>世界レベルで認知されると信じてられるか?
認知だけなら、数よりも効率のいいものがある。マスコミだよ。彼らに取り上げられたらそれが認知され強者になる。(世界レベルでは有力国のマスコミということになるが)
「げげ」なんてフジテレビがバックアップしなければ話題にもならないし病気も認知もされない。
>認識されたとしても国内にその治療体制を創るためには一定数の患者がいなければならないだろう。
お主は「一人では勢力にならず18000人なら、勢力になる」って言ってるのに、現実では難しいんじゃない?
俺は、たとえ10万人でも勢力とならないと思う。数じゃないんよ。
>一定数の患者数があってこそ可能
それは臨床医学という点においてでしょ。基礎医学は数ではない。難病は数ではなく、そもそも質から解消が難しい。
確かに数が多いと解消されやすいが、エイズや癌は数が多く臨床例も多いのに解消されない。数じゃないんよ。
れたんは論理的に議論できると思うから、少々突っ込んでいる。多少言い回しがきついところもあろうが、容赦願う。
302 :
れ ◆r0FmiN9ADk :04/01/22 09:58 ID:8KzQzrZ7
>>300-301 いや、多少厳しい言葉遣いでも、別に気にもしない。ようは内容だから。
で、はじめに民度とは何?と聞いているが、すぐ下に民度とは、熱狂や蒙昧に対する
節度であるとかいてある。いなすということと推測は違う。
推測は、反証が出れば変更するという意思があるが、みなす、にはそれがない。
(そういう使い方を、私はしている。)
漸進主義であることは、草案者が言っている。
民主主義に懐疑な部分は、民主主義という言葉が、広範囲な意味を持っているから
例えば社会契約論的把握には、マッタク同意できないという意味。
また、自由主義とやらが、個人主義に基づいているとするなら、その個人の捉え方
もまた、すくなくとも日本人に適していない。
人間の中に、個・集・公・私 が有るのであって、その中の個と私抱けが個人では
ないと私は思っている。そういった様々な概念をひっくるめての民主主義に懐疑的
である。だが、国民主権については懐疑していない。
人権スレなので、後段について少し具体例を持って話しておこう。
またまた視覚障害の話で恐縮だが、網膜色素変性症という難病がある。5000人に
一人ぐらいの発症率で、遺伝であろうとされている。この病気は視野が外側から欠け
ていく病気である。数年前、視覚障害の認定に、視力が良くても視野が欠けている場合
認定されるという法改正が行われた。世界規模の患者団体もあって、国内での患者団
体などの運動成果であろう。
視力があっても、視野が5度ぐらいでは、障害者として救済は当然で、しかし数年前で
ある。ボリュームの問題という具体的な意味は、ご理解いただけるであろうか。
303 :
な:04/01/23 00:33 ID:???
>>302 >はじめに民度とは何?と聞いているが、すぐ下に民度とは、熱狂や蒙昧に対する節度であるとかいてある。
で、日本国民に民度が備わってるとする根拠は?
小泉の熱狂的支持率、半数の国民が選挙権を行使しない民主主義の蒙昧。枚挙に暇がないのだが。
>そういう使い方を、私はしている。
了解。誤解してた。
で、俺の疑問に答えてほすぃ
>そういった様々な概念をひっくるめての民主主義に懐疑的である。だが、国民主権については懐疑していない。
正直、お主の個人的見解だからこっちも把握しかねるところもある。
個集公私でもいいが、その前に、民主主義と国民主権の違いは?
こっちからの方が理解しやすいかと
>ボリュームの問題という具体的な意味は、ご理解いただけるであろうか。
イマイチ。
お主は、認知され救済されるには少数派といえど一定の数が必要だという意見でよろしいか?
俺は、別に一定の数などはさほど意味がなく多数派でなければ認知され救済されることはないという意見。一定の割合なら譲歩妥協できる範囲で怪獣ということもありえるけどね。
それに、遺伝ならば数も一定以上に増えることもない。
>>293 なごみ氏
>国民に問題あるのなら国民以外に求めるって考えも当然出てくるでしょ?
国民にどんなに問題があるとはいっても、国民の問題は国民に決めさせるしかない。自分のことは自分で決める。当然の論理だろう。いわゆる「自己責任」というやつだ。
>政治的責任(憲法に違反した立法や行政行為)は司法でも十分できるでしょ?
司法が問えるのは、法的な責任だけ。政治的な責任は、少なくとも現在の日本の司法制度上は裁判所が問うことは出来ない。以前に散々議論したと思うが。
ただ、司法が違憲判決を出す事により、それを根拠に国民が為政者に政治的責任を問いやすくなるという効果があることは否定できないが。
>国民に問題あると言いながら国民にいろいろ求め過ぎだぜぃ。
問題があるからといって絶望しなければならないという必然性はない。問題点を認識しながらも、是正を求めていくということはありえることだ。それを否定したら、あらゆる教育と言うものは存在理由を失う。
>所詮人権なんてそんなものだってことなんよ。
しかし、では国際社会において人権よりも重きが置かれている価値体系が他にあるかといえば、ないと答えざるを得ないのもまた事実。
確かに昨今「環境」という価値が国際社会において重要視されてきていることは無視できない事実だが、それも人間の生存が危うくなってきたからこその問題意識であって、
人間の生存という重大な利益から独立した更にはそれに反するような環境保護が叫ばれているわけではない。その意味で、人権が今後さらに国際社会において重要度が高まっていくことは間違いないだろう。
>仮にイラクを割譲してクルド人国家を建設したらどうなる?
イスラエルという国はそういう形で設立されたのだろう?尤も、この問題の解決法が新国家建設という事だけではないと思うが。
>何らかの国際問題が浮上したときの少数派劣勢派のよりどころ。
必ずしも少数派が主張するわけではなかろう?人権を主張するのは主として欧米先進諸国だろう。これらの国々は決して少数派劣勢派ではないと思うが。
>>293 なごみ氏
>国家がその国民の生命を犠牲にしてまで追及するものは何?
国益だと答えさせたいんだろ?しかし、国益といっても国民の利益から完全に遊離した独自の国家の利益というものはない筈だが。国民の利益の総体が国益だろ。
それに、自衛隊員は自ら進んで自衛隊に入隊したのだから、国家国民のために自らの生命を賭しても任務を全うしようという意志を彼らは持っているはずであろう。
更に付け加えるなら、生命の危険がある職務というのは自衛官の職務だけではなくて、警察官や消防官そして外交官のそれだってそうだということは言うまでもない。
彼らは国民の利益そしてその総体である国益のために、任務を遂行しているといっていい。
>お主のとって将来とは?? 整合性が・・・
整合性は取れているだろ?将来において国家という制度が克服されてより優れた統治システムが考え出されるということはありえることだ。EUというのはその一つの試みであろう。
>>294 >政治家のいうことを鵜呑みにするんじゃ国民主権が泣くぜぃ
それは私に言うのではなくて、そういう有権者に言ってくれ。
国民主権というのは、国民の国民による国民のための政治つまり国政の最終意思決定が国民によって為される事が行われることを求めているのであって、政治家の意見を国民が鵜呑みにするかどうかは国民主権の関知するところではない。
>政治家が言ってることの真偽を判断するのが国民でしょ?
これは統治システムの問題ではなくて、日本における国民の政治的意思形成が合理的に為されていないこと、つまり日本国民が政治的に未熟であることが問題なのであろう。
ただ、こういう事情も配慮して憲法は代表民主制を採用しているのであるが、そのことで国民主権や民主主義自体を否定してしまうというのは、余りにも論理的に飛躍しすぎている。
>>294 なごみ氏
>古代と近代では定義が違うんよ。
民主主義の定義というか本質は、前述したとおり「治者と被治者の自同性」だろ。
この発想自体は、古代も現代も変わっていない。また、「治者と被治者の自同性」とはいっても、治者と被治者が完全に一致するわけでもないという点もそれ程変わっていない。尤も、国民主権の内容の一つである「正当性の契機」の観点からは一致しているのであるが。
古代においては奴隷や女性は政治意思形成から排除されていたし、現代でも未成年者は政治意思形成から排除されている。
>国民は民衆として存在してたし、取引きもされてた。
「国民」と「民衆」は違う概念だろう。「国民」というのは、一般的な理解としてはその国の国籍を持っているもののことだと思うが。「民衆」というのは単なる人の集まりに過ぎないであろう。
「主権」については、前述の通り3つの意味があるからどの意味で捉えるかによって異なってくる。
統治権という意味の「主権」なら確かに絶対主義の時代から存在したであろうが、それにしてもそれ以前の中世の時代にはそのような「絶対的な」主権という概念は存在しなかった。
>民主主義は優れた制度なのか?
少なくとも、君主制よりは優れた制度であろう。「個人の尊厳」から導かれる「自己統治の価値」に最も整合的な制度が民主主義であろうから。
>限界といったら思考停止だよ。
人間の能力に限界があることは否定できないだろう。少なくとも現在の我々には民主主義よりも優れた絶対無比の制度は生み出せないでいるのだから。
>勝手に思い込んでるだけじゃないの?
じゃ、民主主義よりも優れた制度を提示してよ。これだけ世界中の多くの国で民主主義という制度が採用されている事からして、民主主義が優れた制度であるということの推定をすることは可能であろう。
>>303 なごみ氏
> で、日本国民に民度が備わってるとする根拠は?
それも当該レスに書いてある。民選でない権威(宗教的権威や国王の権威など。
日本の場合天皇、あるいは明治維新の状況に依れば他の宗教権威の可能性
も有ったかもしれない)が国政に関与しないという状況で、国政が機能している
から。
半数の国民が選挙に行かないことは、別にそれだけの国家的危機を感じて
いないだろうからだ。
もちろん道徳・道義的に批判されてしかるべきだが、熱狂や蒙昧に依る危機という
ほどでもないし、小泉の支持率も、国家危機を招くような事象ではない。
国民主権は、「国民の公平な参加による自由な衆議で、国の方向を決定できる」
と言うただそれだけのことであり、そのためには、国民は公平でなければならないし
法のもとでは平等でなければならない。衆議に参加できるためには教育も受けられ
なければならないだろうし、表現の自由を確保し、情報を知る権利もあろう。
「民主主義」には、絶対に変えてはならないことが多すぎる。生まれながらの人権とか
個人主義に疑問がある。個人はその所属共同体(国家ではないよ)によって生かさ
ていると言う基本的事実を無視して、個人と社会の件形成を捉えることは理解できない。
だから、自由主義にも疑義がある。
国民の自由な衆議によって決められることが依り多いほうが、よいと私は思っている。
極力原理原則がないほうが良い。
少数派を救済するという意味は、以下のとおりの対立関係が生じる。
(私の話は具体的でわかりやすい)
視覚障害者用の点字ブロックと言うものがあるだろう。視覚障害者にとって非常に便利
である。しかし一方、車椅子には非常に邪魔なようだ。
極端に視覚障害者が少なければ、車椅子のほうが優先され点字ブロックは張られない。
現状では、視覚障害者のほうが街中で多数であろうから、多少車椅子の方に我慢して
もらっても、点字ブロックは張られる。
少数派の中でも多数と少数の対立はある例である。
>>301 なごみ氏
れ氏に対するレスだが気になったので、それに暇だから少しレスする。
>だから、少数派が人権を盾にする。
憲法による人権保障というのは、そもそもそういうもの。これも以前に議論したような気がするのだが・・・
人権そのものは全ての人間が享有している普遍的なものだが、憲法による人権保障の主な狙いは多数派による少数派の人権侵害を防止するというもの。
極論すれば、民主的な国家意思形成システムが整備されてさえいれば、多数派の人権保障は全うされるといっても過言ではない。つまり、多数派にとっては憲法による人権保障は特には必要としていないということになる。
このような事情があるから、憲法を持ち出して人権を主張するのは主に少数派になるということになる。このような事情を熟知していない者が、この現象を表面的に捉えると、何か人権があたかも少数派の特権であるかのような錯覚に陥りやすいのである。
309 :
な:04/01/24 22:34 ID:???
さんちゃん
>>304 >国民にどんなに問題があるとはいっても、国民の問題は国民に決めさせるしかない。
でもそれに対するペナルティや責任・義務はない。天皇が無答責なように国民も無答責なんよ。
これによって起こる衆愚政治やその影響は、国民に主権があるから被るのではなく、国民が被支配層だからなんよ。主権と被支配は違うということだね。
主権がなくても善政はあるし、主権があっても悪政はあるってこと。
>自分のことは自分で決める。当然の論理だろう。いわゆる「自己責任」というやつだ。
お主は一つの結論を当然としてしまって、それを前提にしてしまってる。なんで当然なのか、その理由を考える発想がないんよ。思考がそれ以上進まない。
民主国家であっても、何も自分で決めなくても国政は運営されるし、自分の意見が正しくてもそれが100%国政に反映されることもない。
人権というものは一個人を対象にした思想だが、民主主義は個人の集合体を前提としてる。「国民」には一個人と集合体の2つの概念がある。
「自己責任」も自分だけの問題にならない。みんなの責任になるから、他人へ責任転嫁したり自分の責任が曖昧模糊にもなってまう。それが衆愚政治に陥りやすい原因にもなってる。
>政治的な責任は、少なくとも現在の日本の司法制度上は裁判所が問うことは出来ない。
過去ログ見たら、こっちが取り違えてた。政治的責任っていっても、違憲立法や違憲行政自体は司法判断されるってこと。でもお主はそれ以外の政治的責任について言及してる。すまそ。
>問題があるからといって絶望しなければならないという必然性はない。問題点を認識しながらも、是正を求めていくということはありえることだ。それを否定したら、あらゆる教育と言うものは存在理由を失う。
俺は民主主義に否定「的」ではあっても、完全否定はしてない。ただ、民主主義に過度に依存してる香具師が多いから、彼らから見れば俺は否定してるように見えるんよ。
310 :
な:04/01/24 22:40 ID:???
レスの途中で切っちゃった。前レスの続き。
だから俺は「絶望」という語は使ってない。「諦観」という語は使ったが。
「是正を求めていく」にしろ、それが容易ではないから問題提起してるんよ。お主がいう問題認識の前に、根本的に問題認識すべき点があるってこと。
あと、俺は完全否定してないから「教育」にも文句は多い。っていうか、教育は国民国家の礎。逆に完全否定してたら教育の存在意義もない。
>しかし、では国際社会において人権よりも重きが置かれている価値体系が他にあるかといえば、ないと答えざるを得ないのもまた事実。
それは建て前だよ。実際には人権など国際社会における国家間のバランス、利権などの前には何ら価値をなさない。
例えば中国。中国は国際社会から見ればまだまだ人権意識が薄いが、米国を始め各国とも中国に無理に人権を押し付けようともしない。
確かに人権は重きをおかれていないわけではないが、それ以上に国際社会は重きを置かれるものがあるってこと。むしろ人権はそれらに都合のいいところは利用されてるフシもある
>確かに昨今「環境」という価値が国際社会において重要視されてきていることは無視できない事実・・・
人権から来る環境保護だけが全ての価値基準ではない。だったらなんで米国は未だに京都議定書に署名しないのか?
なんか表面的キレイゴトを字面通り信じちゃってる気が。
>人権が今後さらに国際社会において重要度が高まっていくことは間違いないだろう。
どうかなぁ?
確かに人権は今後も重きは置かれるだろうけど、どのようになっていくかは解らない。少なくとも米国がブッシュの後始末をし独善性を改めればどうにかなるだろうが。それで解決するほど単純な問題でもない。
>イスラエルという国はそういう形で設立されたのだろう?尤も、この問題の解決法が新国家建設という事だけではないと思うが。
イスラエルは失敗したから(決してそうとは認めないが)それに懲りたからもうしないと?
解決法が「ない」なら「ない」で構わないが、だったらクルド人問題はほっておくのか?
俺も新国家建設だけが人権派の全ての意見だとは思わないし。
311 :
な:04/01/24 22:45 ID:???
>必ずしも少数派が主張するわけではなかろう?人権を主張するのは主として欧米先進諸国だろう。これらの国々は決して少数派劣勢派ではないと思うが。
まず、欧米先進諸国ってのが国際社会においては少数派だってこと。
先進国とは、国民所得が高い国家をいう。国民国家ならまして、でしょ?
で、高所得国家は国民が国家によって担保(国益)され、国民はそれを前提に人権を論じてる。
一方、多数の中低所得国家では国民が国家によって担保されるほどの国力がないので、場合によっては人権よりも国力増進に比重がいってしまう。
国際社会は平等ではない。そこに平等を前提とした人権など持ち込むことが誤りなんよ。人権ってのは恵まれた少数の高所得国家が多数の中低所得国家に自分と相手の立場も考えずに語ってるだけだよ。
人権にとらわれてたら逆にどんな国家でも衰亡してしまう。国際社会は全て人権に則って動いてるわけではないんだから。
>>305 >国益といっても国民の利益から完全に遊離した独自の国家の利益というものはない筈だが。
国民の利益に完全に遊離した国家の利益というものが果して国益といえるのか?
近代国家の構成要素にも挙げられる国民と完全に遊離しては国益とはいえないでしょ。
国損という語はないが、国民の利益に反してのそれは国益ではないんよ。ただし、国家の利益がそのときの国民の利益に完全に合致せず一時的には遊離してる場合もある。
国民とは所詮自分の世代で(刹那的にしか)見れないが、国家とは世代を超えるものである。その上で国益は存在すべき。
逆にいえば、一時的に遊離してても将来の国民の利益になればそれこそが国益と思う。それをどう判断するかは主権者の力量。
>国民の利益の総体が国益だろ。
そもそも国民の利益というものが一つであるということはない。国民の利益は多様、各個人によって価値観も違うし立場によって受ける利益も違う。
そういったものの総体が国益ならば、それこそ国益が相反する複数の国益を時の国家政府が追及していくことになる。ダブルスタンダードといえば聞こえがいいが、一枚岩ではないということにもなる。
北朝鮮拉致問題でも、何が国益かが明確でないためそれぞれが自分の考えに則った国益をバラバラに追及してしまう。それを揺さぶる北朝鮮。
312 :
な:04/01/24 22:52 ID:???
>自衛隊員は自ら進んで自衛隊に入隊したのだから、国家国民のために自らの生命を賭しても任務を全うしようという意志を彼らは持っているはずであろう。
じゃ、自衛隊が何人死のうがそれは彼らの意思だから撤退はすべきではないと?
自衛隊は国家国民のために働く公僕である。だが、その「国家国民のため」が何であるのかを明確にするのが政治でしょ? 主権者である国民の任務でしょ?
人権に過度に依存すると国家国益すら個人の前に平伏してしまう。チクシテツヤは自衛隊員が犠牲になったときなんというだろか?
>生命の危険がある職務というのは自衛官の職務だけではなくて、警察官や消防官そして外交官のそれだってそうだということは言うまでもない。
日本には国家としての基軸がない。人権はそれにはならない。人権と国益が対立することもあるからね。
公僕である前に国民であるとする人権では国益は大局的にはえられない。そういった建て前と本音を混同するから、国益そっちのけで警察は汚職にまみれ外交官も腐敗する。
>それは私に言うのではなくて、そういう有権者に言ってくれ。
お主は国民ではないのか?
国民に「自己責任」をもとめながら、こっちが突っ込むと体よく逃げる。これがお主の「自己責任」か?
民主主義は国民に主権という権利だけ求め義務責任は負わせないとする俺の主張も解るでしょ?
>政治家の意見を国民が鵜呑みにするかどうかは国民主権の関知するところではない。
衆愚政治も民主主義だから仕方ないと諦観しろと?
民主主義は、国民の責任が曖昧模糊だってのもお主のこの発言からも解る。そういった矛盾や限界をいいかげん認知すべき。
>これは統治システムの問題ではなくて、日本における国民の政治的意思形成が合理的に為されていないこと、つまり日本国民が政治的に未熟であることが問題なのであろう。
同意。ハード(制度が民主的であるか)とソフト(主権者たる国民の資質)の問題であって、日本の場合、ソフト面の弊害が大きいということ。
313 :
な:04/01/24 22:58 ID:???
>ただ、こういう事情も配慮して憲法は代表民主制を採用しているのであるが、そのことで国民主権や民主主義自体を否定してしまうというのは、余りにも論理的に飛躍しすぎている。
しつこいよーだが完全否定はしていない。俺は民主主義の近代国家における存在意義は否定してないぜぃ。お主とかと違って過度に依存してないだけ(どしてこんな民度で依存できようか?)。
問題としてソフトに問題があるのに、ハードのみで改善しようというのがムリがあると言ってるんよ。
憲法がそういった事情を配慮されて代表民主制を採用してるかはソースをしめしてくれないと解らんが、代表民主制ではお主の危惧する国民以外の国益の温床にもなる。
それだけ国民を間接的に国政への直接的関与を否定するものだからね。代表者主権という語をご存じか?
ハードの改善にも限界がある。やはり大局的に見てソフトの改善が必須でしょ?
ハードをこれ以上どう変えようというのだ?
国民の利益そっちのけで保身を諮る代表者。これを諦観する半数の有権者。民主主義を優れた制度というのなら、この問題を解消する処方箋でもお持ちでしょ?
>>306 >民主主義の定義というか本質は、前述したとおり「治者と被治者の自同性」だろ。
俺は違いを聞いてるんよ。それを履き違えてるから、近代民主主義は古代民主主義と同じ衆愚政治に陥っている。
>「国民」と「民衆」は違う概念だろう。「国民」というのは、一般的な理解としてはその国の国籍を持っているもののことだと思うが。「民衆」というのは単なる人の集まりに過ぎないであろう。
あのねぇ。国民と民衆の違いは国籍の有無という法的な問題だけか?
俺は法的ではなく政治的に違うって言ってるんよ。
なぜ、近代において民衆は「国民」になり「主権」を持ったのか?
314 :
な:04/01/24 23:06 ID:???
>統治権という意味の「主権」なら確かに絶対主義の時代から存在したであろうが、それにしてもそれ以前の中世の時代にはそのような「絶対的な」主権という概念は存在しなかった。
主権は便宜上3つに分かれてるだけであって、本来は一つのものなんよ。いわゆる絶対王政では国王が唯一の主権者であり、つまり国王は、国家を統治し、国内外のいかなる勢力にも屈せず君臨し
(「朕は国家なり」でわかるように国家=国王だった)、最終決定権も持っていた。主権というものがなくとも国王は神から絶対なるものを授与された(王権神授)という前提で成立してた。
国民主権の主権はこの場合、最終決定権しかない
>少なくとも、君主制よりは優れた制度であろう。「個人の尊厳」から導かれる「自己統治の価値」に最も整合的な制度が民主主義であろうから。
「個人の尊厳」から導けばね。
逆にいえば「個人の尊厳」を究極的に認めれば国家というものを否定してまう。国家というものは個人の尊厳を守るために個人が集合したもの。
そこには集団としての尊厳が発生し個人と集団とで確執が起こる。「自己統治」なんて所詮国家(集合)と国民(個人)が存在する以上理想論に過ぎない。
俺はその点、君主制でも民主制でも一長一短だと思うんよ。衆愚政治に陥った民主国家よりは可もなく不可もない君主国家の方が上でしょ?
ローマははなぜ共和制(民主主義)から帝政(君主制)に移行したのか?
>少なくとも現在の我々には民主主義よりも優れた絶対無比の制度は生み出せないでいるのだから。
天皇制スレでも言ったが、民主主義も決して絶対無比ではないのだから(限界があるんでしょ)、何も結論を一つにする必要もない。
チャーチルの有名な言葉を知らないお主ではないでしょ?
315 :
な:04/01/24 23:11 ID:???
>じゃ、民主主義よりも優れた制度を提示してよ。
開き直るなよ。
量的に民主主義国家が多いことからして民主主義が最も優秀だということにはならないでしょ?
質的には限界があり、現実との様々な要素も入り交じって民主主義が採用されてるのであって、結論として民主主義だけが正しかったとするのは、現状追認に他ならない。
赤信号みんなで渡れば恐くない。日本人の(もちお主の)大衆心理を如実に表してる
民主主義より優秀な制度は、民主主義に君主制や議会制など他の価値観を融合させてバランスのとれた制度。前者は立憲君主制であり、後者は議会制民主主義。
理想は高くてもいいが、現実を見て妥協しないと足下掬われるぜぃ。同じ共産主義でもソ連はなぜ崩壊し中国は残ったのか? 潔癖性は社会科学においてはよくない。
お主とやるとレスが長くなる。それはそれでいいのだが(sageでいけば文句は出まい)、また再開する? 別に追い込むつもりもないし、多分知識ではお主の方が上。この最低限の存在意義を言う前にお主が消えてもーたw
あと、疑問に思うなら別途応じるが、俺は民主主義も人権も完全否定はしてない。ただ、依存する割合が少ない(その分他と妥協しいいとこ取りする)のであって、お主の尊厳も過度に侵害したことはない。2chだし煽り煽られというところもあるが。
民主主義も人権も最低限の前提(存在意義)があるのであってそれは否定できない。その最低限の存在意義が解らないから過度に依存してまうよーに思うが。
316 :
な:04/01/25 01:51 ID:???
れたん
>>307 >民選でない権威が国政に関与しないという状況で、国政が機能しているから。
「日本は民主主義国家か?」と聞かれたらどう答える?
たぶんお主は「紛れもない民主主義国家だ!」と答えるだろうが、そもそもそういった質問をする香具師はお主の意図とは別の意味で質問してるんよ。民主主義には少なくともハードとソフトの2つがあるんよ。
詳しくはさんちゃんへのレス(
>>312あたり)に割愛するが、今現在国政が機能してるのはハード面に他ならない。もしソフト麺から考えたら、半数は棄権してるのである、そこから機能の正当性が揺らいでしまう。
民度が低くても国政は機能する。問題はその機能する中身である。
>別にそれだけの国家的危機を感じていないだろうからだ。
だったら国家的危機のときだけ伝家の宝刀的に国民に権利を与えればいいわけで・・・
>熱狂や蒙昧に依る危機というほどでもないし、小泉の支持率も、国家危機を招くような事象ではない。
小泉人気って何なんだろうか? それが解ってるからお主は大したことないと言ってるんでしょ??
俺は、小泉内閣がなぜあんなに人気があるのかさっぱり解らない。政策的には見るべきものがなく、自民党をぶっ潰すつもりもない。
支持率が下がったのは国民的人気のあった田中外相が辞めたときだけ。俺はこういうのを熱狂と蒙昧による支持というのだろうと思う。そうにちまいない。
>国民主権は、「国民の公平な参加による自由な衆議で、国の方向を決定できる」と言うただそれだけのことであり、
なぜそれが国民(しかも全員)でないといけないのか?
>そのためには、国民は公平でなければならないし法のもとでは平等でなければならない。
なぜ国民は公平でないといけないのか?
実際には参政権が与えられる頃には能力の差が顕われており、公平でも平等でもない。
なのに国家はそういった現実を無視してまでなぜ国民に公平で平等な権利をあくまでも当然付与しないといけないのか?
317 :
な:04/01/25 01:53 ID:???
>衆議に参加できるためには教育も受けられなければならないだろうし、
国民が教育を受けるのは衆議に参加するためではない。衆議は代表民主制である限り代表者だけの特権である。
国民が教育を受けるのは国民自身のレベルの向上のため。結果、国家としてもレベルが向上する。教育とは近代国家の礎なんよ。国民の権利である以上に根本的要素として。
>「民主主義」には、絶対に変えてはならないことが多すぎる。生まれながらの人権とか個人主義に疑問がある。
民主主義は人権思想ではない別の要素があると?
民主主義と国民主権、さらに人権や個人主義の捉え方がイマイチ解らない。定義付けをお願いしたい。
>自由主義にも疑義がある。
リベラリズムはそういう意味ではない。リベラリズムは個人と社会の関係をうまく調合してる。内在的制約ってヤツだ。
>国民の自由な衆議によって決められることが依り多いほうが、よいと私は思っている。
多ければ多いと言うのは、ボリュームのハナシではないが、質よりも量ということでしょ?
すまそだが、こっちも頑張ってるが、先入観が強いのかさっぱり理解できない。
>極力原理原則がないほうが良い。
でもお主は和の思想だか理念だかを原理原則に置いてるわけで・・・
>(私の話は具体的でわかりやすい)
確かに。でも結局何が言いたいのか・・・
こうなん?と聞けば違うって返ってくる。
318 :
な:04/01/25 01:54 ID:???
>極端に視覚障害者が少なければ、車椅子のほうが優先され点字ブロックは張られない。 現状では、視覚障害者のほうが街中で多数であろうから、多少車椅子の方に我慢してもらっても、点字ブロックは張られる。
お主は社会現象をして勝手に車椅子利用者よりも視覚障害者の方が多いと断定してるが(ソースは?)、これこそ本末転倒、現状追認なのでは?
車椅子利用者のインフラが叫ばれるようになった(認知)のが視覚障害者よりも後だったというのに過ぎないと思う。
日本は障害者に冷たい国と言われる。だから車椅子利用者のためのインフラ整備が外出を憚ってた潜在的車椅子利用者をどんどん増やしてるとも言われる。
つまり両者が公平且つ平等な立場であるとするのは間違ってるように思う。
点字ブロックよりもスロープや駅の昇降機の方が明らかに費用がかかる。その辺もあったんじゃないの?
だいたい、点字ブロックと車椅子の問題で何らかの衆議や話し合いを持ったというハナシも聞かない。
つまりお主はどこから「我慢してもらう」根拠を持ち出してるん?
319 :
な:04/01/25 02:12 ID:???
>>308 >憲法による人権保障というのは、そもそもそういうもの。
だったら、別に構わんじゃん。
「少数派が人権を盾にする」は表現上多少煽る意図もあった。
>人権そのものは全ての人間が享有している普遍的なものだが、憲法による人権保障の主な狙いは多数派による少数派の人権侵害を防止するというもの。
ということは、人権は憲法で基本的人権として保障・尊重されてるといっても、人権と基本的人権は一緒ということではないんね?
>民主的な国家意思形成システムが整備されてさえいれば、多数派の人権保障は全うされるといっても過言ではない。つまり、多数派にとっては憲法による人権保障は特には必要としていないということになる。
ということは、基本的人権を盾にする少数派には多数派の人権では対抗することができないと?
多数派は基本的人権に頼めないから数の論理で少数派を駆逐するしかないということやね?
どこが(基本的)人権とは公平で平等なん?
>この現象を表面的に捉えると、何か人権があたかも少数派の特権であるかのような錯覚に陥りやすいのである。
特権でしょ。だから基本的人権に乗じて多数派を糾弾する。少数派が多数派よりも強者になってしまう。
フェミニズムの多くは、男女平等を通り越して女性優位になってしまってる。
お主は学生さんだから解らんと思うが、日本ほど女性に甘い社会はない。女性である既得権益を行使できない香具師がフェミニズムを語ってる。
>>316 なごみ氏
一行レスを、観客に分かるように整理しながら返すのは、とっても大変。
議論の中核とならないことは「異論は有るけれども流す」という態度表明を
お願いしたい。貴殿の脳内では、強く言いたいところと、とりあえず書いておこうと
言う部分が有るのだろうけれども、あいにくその気持ちは、文字の大きさにも
太さにも反映しない。
で、日本は民主主義国家か?ときかれたら、そうだとは答えない。
小泉人気は、クリーンだからの一言でしょう。
自民党をつぶすわけはないし、つぶれたら、小泉が作る政党が自民党を
継承するだけだよ。
後段は国家論だし答えている。
>>283。
この基礎がない人が多い。国家は何故存在する必要があるかと言うこと。
> 民主主義と国民主権、さらに人権や個人主義の捉え方がイマイチ解らない。定義付けをお願いしたい。
いや、私がお願いしたい。国民主権を定義づけて、何故国民主権であるべきかは
既に示している。衆議は全員でも行える。和の理念は、国民主権において変更してはいけないことを探る
理念でも有る。無原則ではなく、極力少ないほうがいいとかいてある。
>>318については、反証があればお聞きする。
しかし議論の内容は、少数派の保護にも対立があると言うことさえ理解できればよい。
対立がある以上、より多くのボリュームがなければ、保護されない場合もある。
少数弱者保護はボリュームの問題も大きい。それがわかれば結構である。
ボリュームの少ない少数弱者は保護されない限界がある。
>>308 santi氏
>人権そのものは全ての人間が享有している普遍的なものだが
と言うのは、マァ見解の相違だけれども、ある人権が対立する場合に、当然
多数側が優先される場合はありうる。
で、一度貴殿に聞きたかったんだが、
私は、人の命を守るためには、人権制限も可と思っている。
国家存続の危機にあたって、人権は最小限制限されて何の問題もないと思ってる。
国の枠組みの危機にあたっては、人権どころか人命さえ危機となってもかまわないと思っている。
>私は人権というものは全人類共通の最も重んじられるべき原理
と公言している貴殿において、国家の枠組みを壊してでも、人権国家たる隣国と
の合併のほうがよいといっているようで不気味なのだが、見解を聞きたい。
322 :
な:04/01/25 21:33 ID:???
れたん
>>320 >一行レスを・・・
了解。論点を絞ってみる。但し、俺は論点が拡大しがち。気がついたら逆に適時指摘頂きたくお願い申し上げる。
>いや、私がお願いしたい。
お互い語の定義付けが曖昧で誤解も多いだろうから、普段お互いが使ってる語の定義を明確にしよう。
語の定義としてどっちが正しいかではなく、お互い認識の違いを認識し、どっちが考え方として正しいかで議論したい(この語は本来・・・となったら水掛け論になって議論にならない)。
<各語の俺的定義>
俺は「民主主義」と「国民主権」を同義で捉えてる。文字どおり、国家において国民を中心とする考え。
>>283では民主主義が国民主権とどう違うのか捉えきれない。民主主義とは何なのか?
「人権」は、集団(国家・会社などの社会)と個人(国民すら離れた一人の人間)の調整ツール。
「個人主義」は本来(ということは発祥した西洋)では人権に則った(つまり集団と個人の関係に立った)個人を強く主張する考え。
但し、殊日本では集団に対する個人、国家や社会といった対立概念に立たない個人至上の独善的な考え(ツールとして人権も使い方も間違えてる)を指してることも。
「衆議」は、君主や天皇など国家のトップが独りで判断することをせず、複数の意見を話し合いで取り入れるもの。単独判断に対する複数判断。
(ここがお主と一番見解が分かれるところだが)衆議はただ多ければいいということではなく有効な有力な意見のみが対象になる。
お主は「全員でも行える」としてるが、俺は「全員なんて形式上だけでそんなのは理想論」だと思ってる。<<ここを特に掘り下げたい!!>>
自由主義は、=リベラリズムのことで、ある集団において個人が自由にあること。国家論でもお主とは見解に大差ない。
323 :
な:04/01/25 21:34 ID:???
以下、仔細だけど気になるので余談的に・・・
>小泉人気は、クリーンだからの一言でしょう。
小泉がクリーンだという考えはそれこそ熱狂や蒙昧なんじゃないの?
中曽根元首相をして「彼は政治家だ」と言わしめた政治家・小泉。クリーンでは巨悪に立ち向かうことは不可能。政治は勧善懲悪が通用するフィクションではない。
もしかしてお主も、蒙昧なんじゃ・・・
>
>>318については、反証があればお聞きする。
現時点ではなんともね。論点がぼやけてる。
少数が勢力になるにはお主はボリューム(数量)であると言ってるが、俺はむしろ質であるといってる。
>>318の例は「であろう」と推論でしかなくソースがないと判断できない。
>ボリュームの少ない少数弱者は保護されない限界がある。
「ボリュームの少ない」を除いて、少数派の救済には限界があるというのには同意。
後もう一点。かなり前のレスなんだが(
>>302)
>漸進主義であることは、草案者が言っている。
創案者って誰?
イトウハクブン??
>>321 れ氏
>人権は最小限制限されて何の問題もないと思ってる。
貴殿がどのように「思う」かは、全くの自由である。
ただ、私の考えを述べさせて貰うならば、その「最小限」というのがどの程度かが問題となるだろう。
人権保障も全く無制限ではなく、人権と人権の矛盾衝突を調整する公平の原理たる「公共の福祉」による制約を受けうるということは論を待たないが、「国家存続」という利益が国民の人権よりも常に優先されるという事にはならないであろう。
「国家存続」という利益が国民の人権よりも優先されうるのは、その国家が存在する事が国民の利益に適う場合であり、逆にその国家が存在する事によって国民の利益が却って著しく害されるというような場合には国民の人権の方が優越するという場合も考えられると思われる。
>人権国家たる隣国との合併のほうがよいといっているようで不気味
「隣国」とはどこの国のことかな?米国?まさか北朝鮮の事ではないよな?
いずれにしても、他国との合併などということは全く想定していない。
日本は独立国としてやっていくべきだと思う。こんな私でも一応愛国心はある。少なくともそのつもりだ。
尤も、多数の国民が他国との合併を賛成するような状況変化があれば一考の余地ありだが、それでもその合併の相手国によっては反対することになるだろう。
325 :
な:04/01/26 01:04 ID:???
横レスだが
>>324 >逆にその国家が存在する事によって国民の利益が却って著しく害されるというような場合
「具体的」にはどういう場合?
>>325 >「具体的」にはどういう場合?
例えば、罪も無い国民が強制収容所に入れられて虐待が日常的に行われているとか、十分な司法手続きも経ずに処刑が為されているといったような場合。
このような場合には、国民がレジスタンス活動をしたり、外国の解放軍を迎え入れるような行動を取ったとしても内乱罪や外患誘致罪の適用は排除されると考えるべきだろう。
つまり、合法的な行為に出る期待可能性が無いとして、責任が阻却されるべきだろう。
327 :
れ ◆r0FmiN9ADk :04/01/26 09:53 ID:8wC21Iih
面白そうだし、上げてみる。
>>322 民主主義といわれると、社会契約説に基づくと言うイメージである。
芦部憲法でも最も重要とか書いているし。だから、その言葉は使わないように
している。
衆議と言う場合、当然に有力な(声の大きい)意見が通りやすい。それは、専門的
検証意見の重視にもつながる。痛し痒しだね。
貴殿は全員がそのことに対して、大きな関心と意志をもって参加することを、民度が
あると評価しているようだが、それは無理。
国家的な重要自以外は、ある程度人任せで、仕事に専念できる体制こそ、望ましい
んじゃないの?
小泉に関しては、自民党は実質的な衆議集団で、内部の議論によって
国政を動かしてきた。なんせ、あいてが、安保反対非武装中立の社会党だった
わけだから、そういった夢想的、平安時代的言霊イデオロギーとの議論は、
衆議ではなく(合意を得るための議論ではなく)、言い合いに過ぎない時代が
長かった。だから、内部の衆議こそが、衆議に値するものであったことはやむを
えないし、その代表たる総裁はクリーンであればいいと言うことに過ぎない。
巨悪に個人が立ち向かうと言う期待は、していない。
>>324 santi氏
一番肝心な国の枠組みについて解答していないから、
回答あり次第レスする。
なお隣国とは、あくまで合併できるのは隣国だろうと言ういみで、特定ではない。
飛び地の国家はあまり想定できないと言う程度である。
隣国が人権を非常に大切にしていて、我が国が人権を尊重していない場合でも
人権どころか人命をとしてでも、私は国の枠組み=我が国の独立 の維持は
必要と考えている。
当然に民主的決定による合併は除外してかまわない。なぜなら、民主的決定が
できれば人権尊重の国家を独立した我が国として作ることができるからである。
>>328 れ氏
>一番肝心な国の枠組みについて解答していないから
一応回答した積りだが。国の枠組みは尊重すべきだと思うよ。
ただ、その人権を尊重している他国政府に対して、もっと人権尊重をするように日本政府に働きかける場合によっては外圧をかけることを要請するぐらいのことは可能だろうが。
それから、
>>326のように国家が国民の重大な人権を著しく侵害しているような場合には、国民がその政府に対してレジスタンス運動を展開したり、最悪の場合外国軍を解放軍として受け容れることも考えうるだろう。
その場合には、内乱罪や外患誘致罪は成立しないと考えるべきであろう。
>民主的決定ができれば人権尊重の国家を独立した我が国として作ることができる
この場合は、そもそも人権を理由とした他国との合併を考える必要がないと思うが。
>>329 santi氏
じゃぁ、>>私は人権というものは全人類共通の最も重んじられるべき原理
は取下げでいいのね。
前にも書いたけど、国の枠組みの維持とか、人命尊重よりも重んじられる
原理ではないと言うことだよね。
>>330 れ氏
>じゃぁ、>>私は人権というものは全人類共通の最も重んじられるべき原理は取下げでいいのね。
どうしてそうなるのかな?
究極的には人権は国という枠組みよりも優越しうると思う。
ただそれは、「どんな重大な人権侵害が行われていようとも国家という枠組みを維持すべきというわけではない」という限りにおいてである。
貴殿は以前外交によって他国に人権侵害に対する是正を求めることすら国家の独自性を侵害する事だと言っていた様に思うが、そういったことが許されるのも人権が国家という枠組みよりも優越しうるものだからである。
人権侵害の程度に応じて、軽度であれば外交交渉、重度になるにつれて様々な制裁措置から最終的には軍事介入まで可能になりうるのであるから、人権が国家よりも重んじられるべきものであることは変わらない。
>>331 いや、対立した場合のことを聞いているんだけど・・・。
「最も重んじられる」とは
仮に、「どんな重大な人権侵害より国家枠組みを優先しない」としても
そこまでの重大な人権侵害でなくとも、国家の枠組みより人権が重んじられる場合に
使える表現でしょうよ。
「最も」とはそういう意味。
>>309 なごみ氏
>天皇が無答責なように国民も無答責なんよ。
これは大分前に他のスレで書いてラムたんの賛同も得たのであるが、国民が自らの意志で不適切な政治的意思決定を行えば、その結果として国民にとって不利益をもたらすと言う形で国民は責任を取らされる事になる。
>>310 >米国を始め各国とも中国に無理に人権を押し付けようともしない。
そうかな?まあ、確かに押し付けようとはしていないかもしれないが、中国の人権に対する扱いについては国際社会からの風当たりはかなり強いものがあると思うが。
しかし、中国と戦争になれば人権保障どころではなく、却って人権が著しく侵害されるような状況になるから、国際社会もそれ程強い態度には出ないだけだろう。国際社会は苦々しく思っている筈だ。
>だったらなんで米国は未だに京都議定書に署名しないのか?
これは、「人権」が逆に環境保護の上で阻害要因になっている事例だと思う。米国政府がどうしてそういう態度に出るかといえば、答えは単純で自国の産業を保護するため、つまり自国の企業の「営業の自由」を保障するためだろう。
現在の国際社会においては、人権と環境は相克関係にあると思われる。この両者はほぼ同等の価値を持っているだろうから、バランスの取り方が今後の課題だろう。
ただ、上の事例のような営業の自由と環境の対立なら環境を優越させるべきだろうな。しかし、人間の生命に対する権利と環境保護が対立するような状況になった時には、どうバランスを取るべきか難しいと思われる。
>だったらクルド人問題はほっておくのか?
例えば、クルド人自治区を作って主権はイラク政府に持たせつつも一定の自治権を自治区に与えるとか、独立国家を設立するという方法以外にも解決策は無くは無いと思うが。
>>311 なごみ氏
>少数の高所得国家が多数の中低所得国家に自分と相手の立場も考えずに語ってるだけ
確かにそういう面は否定できないが、それにしてもそういう先進国が人権保障をそういった途上国に求めなければ、それらの国々はいつまで経っても人権保障をしないだろう。まあ、それが余計なおせっかいだといえばそれまでだが。
しかし、同じ宇宙船地球号の乗組員としてこの地球上に人権侵害を受けている仲間がいると思うと、何とかしたくなるというナイーブな心情も理解できないではない。
>一時的に遊離してても将来の国民の利益になればそれこそが国益と思う。
しかし、「国民とは所詮自分の世代で(刹那的にしか)見れない」としつつ、「それをどう判断するかは主権者の力量。」というのは矛盾していないか?
前も言ったとおり、将来の国民の利益なんて分かるはずも無いと思うが。そんな未確定な国益を「国家がその国民の生命を犠牲にしてまで追及する」ことを正当化する根拠は?
>そもそも国民の利益というものが一つであるということはない。
そうはいっても、全国民に共通する利益というものがあるだろう。例えば、国民の生命とか自由とか健康とか、こういった国民共通の利益の総体が「国益」だろう。
だから、例えば国民の健康を守るためにBSEに感染している疑いのある牛肉の輸入を禁止することは、一部の牛肉輸入業者や食肉販売業者の営業の自由を侵害するとしても、国益に適うと考えていいだろう。
>>312 >その「国家国民のため」が何であるのかを明確にするのが政治でしょ?
それは確かにそうだな。しかし、国民自身もよく分かっていないというのが実情だし。
それにしても、小泉は無責任だと思うが、あのような男の「決断」によって生命の危険に晒される自衛隊員は悲劇としか言いようが無い。
>公僕である前に国民であるとする人権では国益は大局的にはえられない。
だから以前は憲法学においても「特別権力関係説」という学説があって、公務員には直接的には人権保障は及ばないなどという議論が為された。
さすがに昨今はこのような議論は為されなくなったが、人権保障と公務員の職務遂行義務とをどう整合させるかは現在も難しい議論の一つだ。
>>312 なごみ氏
>国民に「自己責任」をもとめながら、こっちが突っ込むと体よく逃げる。
そういわれても困るのであるが。少なくとも私は政治家の言う事を鵜呑みにした記憶は無いが。
>衆愚政治も民主主義だから仕方ないと諦観しろと?
いやだから、国民主権ではなくて他の原理で解決すべき問題だという事。メディア・リテラシーという運動が近年持てはやされているが、そういう政治家の言葉の本音を読み解く技術を教育する事も必要かもしれない。
実際アメリカなどでは大統領の演説がある場合、彼の言葉だけではなく表情も注目しなければならないとされている。だからこそ、日本の国会の証人喚問も動く映像を公開して表情も観察できるようにすべきという議論がある。
>>313 >ハードの改善にも限界がある。
選挙権を18歳から与えるとか、連続して3回以上棄権した者からは選挙権を取り上げるとか。まだ出来ることはあると思うが。
>ソフトの改善が必須でしょ?
これは月並みだが、教育しかないだろう。後、以前議論したような「ショック療法」とか。
>俺は違いを聞いてるんよ。
だから、違いは民主制に参加が認められる対象の範囲だろう。古代ギリシャでは、奴隷と女性を除いた市民、現代では18歳以上(欧米では)の男女。
>近代において民衆は「国民」になり「主権」を持ったのか?
国家というものができて、革命により主権を国王から市民が奪ったからだろう。
>>314 >国王は神から絶対なるものを授与された(王権神授)という前提で成立してた。
だからそれは絶対王政の時代からだろう。中世には国王にはそれ程の大きな権限は無かった。全ヨーロッパの教会を統括する教皇がいたし、地方領主や自由都市・大学なども存在して国王はそれらには手が出せなかった。だからこそ叙任権闘争なども起こったのだろうし。
>「個人の尊厳」から導けばね。
現代の立憲国家ではどこでも「個人の尊厳」を国家の存在目的の基盤としていて、そのための人権保障と民主的手続きを置いているという建前を採っている。その意味で、「普遍性」がある。
で、「個人の尊厳」からは必然的に「自己統治の価値」が導かれる。これは、君主による善政よりも、例え結果として悪政に陥ったとしても自らの手による自らの統治をよしとする発想であろう。
>>315 なごみ氏
>前者は立憲君主制であり、後者は議会制民主主義。
これは何れも民主主義の一形態だろう。民主主義を否定するなら専制君主制か独裁制にしないと。
付け加えるなら、立憲民主主義というのは貴殿の言う民主主義の弊害を可及的に減少させるために自由主義という別の原理による修正を加えたものだが、これも民主主義の一形態であることは言うまでも無い。
更に多くの現代民主主義国家は、福祉主義と平和主義という原理によっても民主主義を修正している。
>お主とやるとレスが長くなる。
これはお互いに責任があると思う。れ氏の言う一行レスの問題もその一端。
>また再開する?
たかが2chのカキコなんだから、再開するとかしないとかそんなに気負ってすることではないだろ。気が向いた時に、暇な時にカキコするという位の軽い気持ちでいこう。
>最低限の存在意義を言う前にお主が消えてもーたw
勝手な事をして悪かった。まあ、正直言うと毎日あの長レスを書くのにうんざりして解放されたかったというのもあった。今後は以前のように毎日書くというわけには行かないかもしれないが、なるべくそうするように努力はするが、今後とも宜しく。
>>319 なごみ氏
>基本的人権を盾にする少数派には多数派の人権では対抗することができないと?
どうしてそういうことになるのかな。勿論多数派にも人権はあるし、憲法によっても保障されている。言うまでも無いだろ。
ただ、一般論として国政において多数派の利益(人権)は、民主的過程においても十分に実現されうるのに対して、少数派の利益(人権)は民主的過程においては無視されがち。
だからこそ、憲法によって人権を保障して裁判所がそれを実現していくという方法を編み出した。これを立憲主義というのである。
例えば、国民の多くが嫌煙権の必要性を正しく認識したことによって、国会に対して公共の場での全面禁煙を法律で義務付けるべしという要求が為され、そのような法律を国会が制定したとする。
その場合、多数の嫌煙者にとっての利益は実現された事になるが、少数の喫煙者は困ったことになるだろ。
その時に、喫煙者は裁判所に「当該法律は我々の喫煙権を侵害するものであり違憲無効であると言ってやってくれ」と訴え出て、彼らの利益を実現する方途を保障しておく必要があろう?
それから、フェミニズムの問題は私も貴殿とほぼ同意見だ。昨今のジェンダー論は人権派の私でも鼻につく。ただ、嫌煙者と同じくこれ迄虐げられてきたという事実は考慮しないといけないとは思うが。
>>332 れ氏
>「最も」とはそういう意味。
じゃ、「最も」を「比較的に」ぐらいにトーンダウンさせようかな。
いずれにしても、人権が如何に重大な価値を持っているとはいっても、国家という枠組みをそんなに簡単には否定するわけにはいかないというぐらいの認識は持っている積りだが。
>>338 sanri氏
その温度差なんだろうと思うよ。
そもそも人権思想というものは、海外の規範、価値観によって形成されたものだろう。
国の枠組みというのは、その国の人たちが、その国の規範や価値観を共有することで
形成され、過去から現在を通して、未来に引き継ぐものだ。それは単なる国の枠組み
だけでなく、共有されている規範・常識や価値観を、その現代の状況によって変更を
加え未来に引き継ぐ。
当然に悪習、悪しき常識、よろしくない価値観と言うものがあるのを認めた上で、
よりよきものとして未来に引き継ぐことは、誰も異議はないことなんだけれども、
なにかしらの価値観を取り入れるにあたって(この場合人権思想)、過去から引き継
いだそれとの整合がとれているのかという検証が、論理と言うある前提を単純化した
理論から導き出されたと言うことのみで完了していては困るのである。
現実と言う複雑な振る舞いの中で、検証されないまま、上位の価値と固定することの
危惧は、もっていなければならないだろう。
340 :
な:04/01/26 22:12 ID:???
さんちゃん
>罪も無い国民が強制収容所に入れられて虐待が日常的に行われているとか、十分な司法手続きも経ずに処刑が為されているといったような場合。
北朝鮮と言いたいのか?
しかし、北朝鮮も国連加盟のれっきとした国家だぜぃ。
ということは対外的には国家主権が何よりも認められるのであって、「内乱罪や外患誘致罪の適用は排除される」としたら、それは国家主権の侵害になる。
お主は、非人権国家なら国家が解体消滅してもよいと考えてるよーだが、逆にいえば人権ごときで潰れてしまう国家がどう人権を調整できようか? それだけ国家というのは人権よりも強権なのである。
だいたいそれを実際にしてるのが米国。お主はフセインを「悪」としか見れてないんじゃない? 米国迎合主義とはいわないが、米国のやりかたを正義としかみれてないんじゃない?
>合法的な行為に出る期待可能性が無いとして、責任が阻却されるべきだろう。
何かすごい勘違いをされるよーで。
合法といったら内乱罪や外患誘致罪に他ならないぜぃ。レジスタンスや革命といった行為は、合法云々のハナシではないでしょ?
まして、それを国家内において責任の阻却がなされるのならともかく、国家外から(国連や他国が)勝手にするのを内政干渉というんよ。
341 :
な:04/01/26 22:15 ID:???
「れ」ちゃん
>>326 >その言葉は使わないようにしている。
俺は民主主義と国民主権を同義で使ってたので、その辺は汲み取って欲しい。以下、お主に誤解が出ないように国民主権で論じることにするよ(俺はどっちでもいいんで)。
>貴殿は全員がそのことに対して、大きな関心と意志をもって参加することを、民度があると評価しているようだが、それは無理。
その通り。無理だから、国民主権に懐疑的なんよ。
>国家的な重要自以外は、ある程度人任せで、仕事に専念できる体制こそ、望ましいんじゃないの?
だったら、必ずしも何が何でも国民主権であることはないということでしょ?
お主の理想は俺と合致する。しかしそれではお主は自家撞着を起こすことになるw
>その代表たる総裁はクリーンであればいいと言うことに過ぎない。
小泉はクリーンかということだよ。お主は小泉をクリーンだと思ってる?
又、政治にクリーンさを求める?
>>340 なごみ氏
>北朝鮮と言いたいのか?
いや、特に北朝鮮を想定しているわけではない。
人権を著しく抑圧している状態というのがどういう状態かという質問があったので答えただけだ。
つまり、日本でそのような政府による人権抑圧が為された場合という前提で議論している。
343 :
な:04/01/26 23:35 ID:???
さんちゃん
>>333 >その結果として国民にとって不利益をもたらすと言う形で国民は責任を取らされる事になる。
だから、それは国民が主権を持ってるからではないんよ。
>>309をよく見直して欲しい。
じゃ、不利益という責任を取らないためには国民は何をしたらよいのか?
>国際社会からの風当たりはかなり強いものがあると思うが。
国際社会の風評ごときで中国が揺らぐならば、とっくに中国は人権国家になってるぜぃ。
お主は、世論とか風評とかに何を期待してるの?
>国際社会は苦々しく思っている筈だ。
そう。思ってるだけで何もできない。人権なんてそんなものなんよ。
>答えは単純で自国の産業を保護するため
そんなに単純な問題でもないんよ。
京都議定書では、主要先進国のみに削減目標が課せられ、発展途上国には削減目標はないんよ。しかも実は現在、世界のCO2の排出量は主要先進国の計と発展途上国の計が殆ど変わらない。
内容ではなく、グラフの数値のみ参照。(いいソースがないんでね)
http://www.omsolar.co.jp/main/om03-02.shtml 中国・インドは発展途上国のために削減目標はない。米国はこれを国際競争において不公平だといってるし、全体の半分が削減しないのなら意味がないといってる。又、主要先進国でもロシアも計算上は削減目標はないに等しい。
確かにブッシュの裏にはCO2削減目標が設定されると困る企業の影が見えかくれする。
しかし、京都議定書の規定通りに削減されればCO2が全体として削減されるということにはならない。
中国・インドの排出量の伸びが尋常ではないんよ。中国やインドが先進国入りするまで米国や日本だけ制約が課せられる(不平等)道理はない。しかもそのときにまた揉めるだろう。
京都議定書の問題は米国の単なる独善というイメージもあるが、実は基準値の査定に経済力という別の基準を設けていることにある。
主要先進国だけ課し、発展途上国に課さない道理はない。発展途上国の削減は否決された。国際社会では発展途上国が強者なんよ。
やばい。止まらなくなってきた。
344 :
な:04/01/26 23:37 ID:???
>上の事例のような営業の自由と環境の対立なら環境を優越させるべきだろうな。
・・・と言えるのは京都議定書の中身をよく知らないからなんよ。
>クルド人自治区
クルド人はそれで納得するのか? ロシアのチェチェン、中国のチベット。クルド人もテロリズムに走ってる香具師はいるし、イライラ戦争などそういったクルド人を利用した形跡もある。
また、米国にしろ国連にしろそういったクルド人優遇政策は少なからずイラク人の反発を買う。それが反米感情になる危険性も高い。
人権に則り民族自決を訴えるのもいいが、その後の情勢も考慮しないと理性では対応できなくなってしまう。
>>334 >宇宙船地球号
人権派ってコスモポリタンが多いねぇ。
以下は保留するよ。京都議定書は昔ちょっと齧ったんで、反論があればどぞどぞ。国民は無責任でもいいよ。
それにしても大局的ソースがないねぇ。CO2削減は自分たちだけでできると思ってる。みんなで公平にするもんでしょーがw
>>341 なごみ氏
えー、国民主権において、「常に」大きな関心と意志をもって国民が国政に参加
しなければならないと言うのは、いささか、問題だよね。
そもそも平時においては社会活動の補佐的な役割の国政に、常に最大の関心を
向けなければならないと言うこと自体が矛盾だよ。
私は今まで、仕事にかかわる部分については、法律や行政に大きな関心をもって
きたつもりだし、また障害者が近くにいるから、障害者に政策にも関心を持ってきたが
基本的に、その内容というのは、深く、専門的であって、一人の人間では、十分に
掌握できないことは間違いがない。
だからといって、専門家に任せると言うことにも危険がある。
結局は、大枠の承認しか国民にはできないと言うことは間違いないわけで、
しかしその大枠の承認こそが、国民主権の肝であろうと考える。
クリーンについては、現代は(田中角栄の時代と異なり)その方が国政上都合がよい
と言う意味に過ぎない。
天皇スレで散々申し上げている通り、本来奇麗事を天皇が担い、人脂のべとつくよ
うな(司馬)実務を行政が担うと言うのが基本だと思う。
>santi氏
人権スレの最も基本的な疑問である
>>339には、レスしなければだめでしょう。
頼んでおくよ。
>>346 れ氏
レスしなければならないというような義務はないと思うが、何かとお世話になっている貴殿の要望だからレスさせて貰う。
>人権思想というものは、海外の規範、価値観によって形成されたものだろう
「普遍的な人権」というものを認める立場は、そもそもこういう発想をとらない。
確かに、人権というものがキリスト教的或いは一神教的な思想基盤において発生してきたことは否定できないが、ロック以降の自然法思想家達は人権をそういう宗教的な基盤からは切り離して、その根拠を人間の理性に起源を持つ自然法に求めた。
従って、人権は民族や国柄といったものを超越して全ての人間に共通して属するものと捉えた。
いわば手や足が全ての人間に備わっているのと同様のことと考えたわけだ。
ただ、その人権の保障つまり実質化は国家による力添えを必要とするし、だからこそその人権の保障程度はその国の歴史的背景や伝統の違いによって差異が生じることは認めざるを得ない。
こういう形で人権と各国の歴史や伝統とを理論的に整合性を取ると考えざるを得まい。
だが、だからといって人権の保障を全くの各国の裁量とすることは、人権の価値を無に帰することになるから、最低限保障されるべき人権というものがあると思われる。
それが信教の自由であったり、表現の自由であったりするのであろう。
>>343 なごみ氏
>それは国民が主権を持ってるからではないんよ
いや、私が言いたかったことはそういうことではなくて、勿論国民主権であろうが、君主主権であろうが、国政による結果は良きものであれ悪しきものであれ国民が受けることになる。
ただ、その結果が生じたのが自分たちの行った決断の結果だとしたら、我々は甘んじて受けられるのだという事。「自己統治」ということはそういうことだろ。
>とっくに中国は人権国家になってるぜぃ。
風当たりというのは単なる風評ではなくて、例えば人権保障を行わないなら援助をしないとか、自国の企業の進出を支援しないとか、そういった政治的経済的な鞘当も含んだものだ。
で、そういう国際社会の努力が功を奏した例が南アフリカのアパルトヘイト政策の廃止だと思うが。
>>343 なごみ氏
>京都議定書
この問題は貴殿の方が詳しいみたいだな。ただ、貴殿が言っているような問題があることは、私も全く知らないわけではない。
発展途上国に言わせれば、これ迄散々先進国が開発を行って環境破壊をやっておきながら今になって途上国にはそのような開発をさせないというのは不合理だ、途上国にも開発をする権利があるはずだ、といった事だろう。
そういう面が全くないわけではないが、このまま環境破壊が進行すれば人類の更には地球の生態系全体の行く末に関わるのだから、開発の権利云々を言っている場合ではないと思うが。
それに、もっと生々しいことを言えば、結局開発も早い者勝ちという面もあるだろう。現在の先進国は途上国に先んじていち早く開発を成し遂げた(例えば産業革命)、その勝利といえるということ。
途上国にだって、その同時期に同じような開発をする機会はあったわけで、それを先進国が阻害したというような事実はない。
欧米による植民地支配を言うかもしれないが、途上国にだって海外に植民地を作るチャンスはあった筈―実際モンゴルの世界帝国は西欧の植民地支配と同様なものだろ―で、それをしなかった或いはできなかったのはやはり彼らの失策である。
にも拘らず、その機会を生かしきれなかった途上国は自分たちが開発の着手に遅れてしまった事を悔いるべきで、先進国がしたのだから自分たちにもさせろというのは筋違いだ。
というのが、先進国側の本音だろうな。私が先進国に住んでいる人間だからそう感じるのかもしれないが、先進国側の言い分に説得力を感じる。
ただ、私はこういう議論は敢えて捨象して、米国の自国企業の利益追求の面を抜き出して人権と環境の関係を論じたのである。
>>344 >クルド人はそれで納得するのか?
しかし、どこかで折り合いを付けていかなくてはならないだろう。全ての民族が100%納得する結果などを求めていたら、永遠に解決しないと思うが。
>>347 santi氏
回答感謝。ダメでしょうと言うのは普段の貴殿の主張趣旨から言って、これに答えなけ
れば、枝葉末節でどんなにすばらしいことを言ったって無意味でしょうと言う意味だから
義務だと言っているわけではない。
>従って、人権は民族や国柄といったものを超越して全ての人間に共通して属するものと捉えた。
>いわば手や足が全ての人間に備わっているのと同様のことと考えたわけだ。
彼らがそう考えた根拠部分が、本当に「宗教的な基盤からは切り離して」いるかどうか
が、極めて疑問だから、私は懐疑する。
なぜなら、自然とか本来と言う言葉は、その国の、その常識や価値観によって定まるから
に他ならない。
例えば「本来の自分」「自然な人間」などは、所詮想像の世界であり、育った環境や
その国・地域の宗教や常識・価値観に全く影響されないとは信じられない。
もうひとつは、所詮論理であり、単純化した前提を元に構築されている。
この二点から、懐疑しているし、すべきだろうと思う。しないのは無責任である。
貴殿はそういう疑問はおきないのかな?
続きと言うか余計なことだが、
>いわば手や足が全ての人間に備わっているのと同様のことと考えたわけだ。
と言う表現は、人権はとしてはいささか配慮に欠けるとおもう。
貴殿の、人権に関する思考の浅さの露呈でないなら、よいのだが・・・。
>>351 れ氏
>人権はとしてはいささか配慮に欠けるとおもう。
確かにそうだな。分かりやすくしようと思って例を出したのだが、いささかではなく、かなりまずい表現だったと思う。
お詫びして訂正させて貰う。
つまり、全ての人間に理性が備わっているのと同様に人権が備わっていると考えたと言うべきだった。
353 :
れ ◆r0FmiN9ADk :04/01/27 18:57 ID:OlCZRywd
>>352 santi氏
おいおい、理性が備わっていない人間にも、人権はあると思うはずだぞ、貴殿は。
ドツボにはまっているから、持ちつけ。
しかし、例えにくいだろう。すべての人間に共通しているものって一体なんだ?
このスレは阪京さまが書き込んでいらっしゃらない。よって糞スレ。
>>353 れ氏
相変わらず揚げ足取りがお上手で。
分かりやすくするための議論上の一つの手法として例を挙げたに過ぎないんだから、例なんか何でもいいんだよ。脳でも心臓でも血管でも神経でも。
兎に角言いたいことは、人権が全ての人間にあるということ。
356 :
な:04/01/28 00:42 ID:???
>>347 >ロック以降の自然法思想家達は人権をそういう宗教的な基盤からは切り離して
無宗教も宗教性をもつんよ。
ラムちゃんだって宗教性を持ってる。
>その根拠を人間の理性に起源を持つ自然法に求めた。
自然法とはいかにも合理的だが、求める先が宗教的な基盤でないというだけで宗教性は否定できない。
>人権は民族や国柄といったものを超越して全ての人間に共通して属するものと捉えた。
捉える=前提としてるということであって、宗教と何ら変わりはない。
「理性」とか「普遍」とかそういった存在を肯定しそれを前提に体系付けるというのは宗教とどう違う?
>それが信教の自由であったり、表現の自由であったりするのであろう。
制約のない人権ってのが存在するのか?
お主は日本という特殊な例を前提に捉えてるようにおもう。はっきりいうと、日本はそのバランスが崩れてる。
当然信教の自由にも表現の自由にも制約はつく。
すまそだが、残りは明日。
357 :
な:04/01/28 01:17 ID:???
>>348 一点だけ。
>ただ、その結果が生じたのが自分たちの行った決断の結果だとしたら、我々は甘んじて受けられるのだという事。「自己統治」ということはそういうことだろ。
お主は本当に人がいい。普通は甘んじて受け入れることがなかなかできない。何故なら決断は自分「たち」であって、自分ではないから。
お主は自己統治と簡単にいうが、自分「たち」と自分では責任の負担がまったく違う。他人がいる限り自分以外にも責任が分散してしまう。つまり責任の所在が曖昧。
あと
>>343の質問に答えて欲しい。
>じゃ、不利益という責任を取らないためには国民は何をしたらよいのか?
>>356 なごみ氏
>無宗教も宗教性をもつんよ。
だから、そういう意味の「宗教性」なら問題無いんじゃないか?無宗教も含む「宗教性」なら当然無神論を始め世界に数多ある全ての宗教をも含んだ「宗教性」ということになるんだろうから、まさに「普遍的」ということになるだろ。
私が強調したかったことは宗教性の有無ではなく、普遍性の有無である。
>制約のない人権ってのが存在するのか?
だから、人権を保障するということは当然の事ながら必ずしも無制限に保障することを意味する訳ではない。人権が、人権と人権の矛盾衝突を調整する公平の原理たる「公共の福祉」による制約を受けうることは上でも述べたはずであるが。
但し、思想良心の自由は絶対的保障だし、信教の自由も内心面に関わる部分は絶対的保障だ。つまり、その限りでは少なくとも日本国憲法の下では制約のない保障である。
>日本はそのバランスが崩れてる。
これはソースか、せめてその具体例を挙げて欲しい。そうでないと議論がしにくい。私は、日本においては依然として人権の保障度合いは低いと考えている。
尤も、自由の意味を履き違えている香具師が多い事も事実であるが。他人の人権を尊重しようという意識のない者に、自らの人権を主張する資格はないと私は思う。
>>357 なごみ氏
>普通は甘んじて受け入れることがなかなかできない。
自発的に受け容れなくても強制的に受け容れさせられるだろう。立法などの政治的意思決定は国家権力による強制を伴って我々のところにフィードバックしてくる。その強制の前では、個人が受け容れるか否かとは無関係に有無を言うことなく服従することになる。
で、どうして国家がそのような強制力によって国民を服従させる事が正当化できるか、また国民がそれを消極的にでも納得するのかといえば、それは自分たちで決した事であるからである。
>自分「たち」と自分では責任の負担がまったく違う。
自己統治という場合の「自己」とは統べられる者たち全てを指す。一人一人の個人のことではない。そういう個人の総体としての「自己」は、国政による利益不利益を全て受け容れる事になる。このようにして、国民は「責任」を取ることになる。
ただ、それが本当に「自分たち」の決定であるのかどうかは、また別の問題である。実は「自分たち」の決定ではなく、政権党を支持している一部利益団体―日本の場合は財界である場合が多いが―の決定であったりすることが往々にしてあるわけであるが。
その場合には国民は納得できない、従って少なくとも進んでは受け容れられず、渋々服従する事になる。
>不利益という責任を取らないためには国民は何をしたらよいのか?
国民は常に国政を監視し、表現の自由を行使する事によって世論を形成し、参政権をきっちり行使することだろう。表現の自由には単なる言論だけではなく、デモ活動や抗議活動なども含まれる。
ただ、それでも上で述べたような一部利益団体の利益が優先されてしまう場合が多いのが問題なのであるが。
>>355 santi氏
最も基本の部分で揚げ足をとられるような表現しかできないことが、まさに
「貴殿の、人権に関する思考の浅さの露呈でないなら、よいのだが・・・。 」
と言う危惧を、私にもたせるのだよ。
つまり貴殿は、「人権がすべての人に備わっている」ということを
【検証なく、教科書を信じるように、確信している】に過ぎないのであって
それは、空中飛行の検証なくビデオや教義を無条件に確信しているオウム信者
と、何ら変わりがないということだろう。
少なくとも、すべての人類に何事かが共有されているかどうかは分からないし、
人権と言うものが備わっているかどうかは分からないけれども、そう擬制的に把握する
ことで、我が国の国民にとって良好な思想となりうる、というような把握を
していないから、人権真理教、人権絶対主義の宗教と感じてしまうし、それは、
まず、生命の尊重とか国の枠組みの維持と対立したときに、誤った判断をする
恐れが強いと言うことだよ。
だから、
>>358で、「だから、そういう意味の「宗教性」なら問題無いんじゃないか?」
などと「のんきで無神経な議論」ができるんだろうけれども、
宗教性を排除した論理が、宗教性を帯びた社会において適用されるためには、
その論理の前提が、宗教性を帯びた社会の共有する価値体系と、対立しない必要がある
という自覚は、無ければならないよ。
>>360 れ氏
貴殿の指摘が全く的外れだとは思わないし、私も言葉足らずな部分はあったことは認めるし、恐らく理解が不十分なところもあるだろう。だからそういう部分については謙虚であろうと努めてはいる。
しかし貴殿は「〜真理教」という風に他人にレッテルを貼るのがお好きなようであるが、これは貴殿がいうところの「検証可能な議論」や冷静な議論を実現するためにはあまり有益ではないように思う。
慎まれるべきではないか?勿論自戒も込めてだが。私も不用意な発言をしてしまったことは深く反省している。
では本題に移るが、まず考えるべきなのは、なぜ人権というものが想起されなければならないのかということだと思うが、貴殿が言う「教科書的な」答えとしては「個人の尊重」というものを実現するためには人権を保障することが不可欠だからだろう。
では、どうして人間が個人として尊重されなければならないのかといえば、人間は幸福を求めて生きるものであるから、人間が幸福であるためには人間が人間らしい生き方をする事が保障されていなければならないという事からの帰結であろう。
で、人間が幸福を求める、或いは人間らしい生き方をしたいということは、国家や民族を超越した人類共通のもの、更に言えば人間の本能的な欲求といってもいいだろう。
であるならば、そのために不可欠なものである「個人の尊重」、そしてそれから派生する人権というものもまた人類共通の原理であると考えても構わないはずだ。
つまり、人権は人間の本能から産出されてきたものなのであるから、人間が人間である限り必然的に人権も彼に備わっていると論理的に構成することはそれ程不合理だとは考えられない。
それから、貴殿は何か「生命の尊重」というものが人権と矛盾するものように捉えている節があるが、これは全くの誤解である。むしろ「人間の生命」という利益は人権の本質だと言っても良い。
それと、「宗教性」についてだが、なごみ氏が使った「宗教性」という言葉は何らかの特定の宗教と関わりがあるという意味ではなく、人間がその本性として持っている「宗教性」という意味なのであろう。
人間はかなり原始的な生活をしていた時代から(死者を丁重に埋葬するといった)宗教的な観念は持っていたらしいから、そのようなものとしての「宗教性」は人類共通の「普遍的」なものと考えて宜しかろう。
>>361 santi氏
>これは貴殿がいうところの「検証可能な議論」や冷静な議論を実現するためにはあまり有益では
>ないように思う。
宗教的確信ではなく、きちんと理由があるというなら、否定してその理由を述べればよいし
そこから、議論が始まる。
あおり部分は無視して、論旨に反応しなければ、私もアズマタンの喧嘩相手などやっていられない。
猫氏にしても相当に素人呼ばわりなどを、天皇スレではしているし、そこに反応すれば、負けだと
私は思っている。あくまで論旨に反応することで、有意義な議論になる。
(これは私のスタンス。そうしたくなければそうしなくともよいが、私は枝葉末節・煽り部分への
反応は、そう捉えるということ。)
で、まさに、きちんとした理由がないことが、以降の書き込みにあふれている。
>「個人の尊重」というものを実現するためには人権を保障することが不可欠だからだろう。
何で個人が尊重されなければ困るんだ?
>人間が幸福であるためには人間が人間らしい生き方をする事が保障されていなければならない
保障されていない時代の人たちは、幸福ではなかったとは、恐れ入った。
人間が幸せを求めるという分には「概ね」同意してもよいが、そのためには個人が尊重されなければ
ならないといえば「人間の幸せとは個人単位の幸せである」という偏った思い込みと、
「個人として尊重されなければ幸せになれない」という、無根拠の信仰があるとしか思えない。
なお死者を丁重に埋葬しない習慣は、世界各国にあり、日本にもある。
世界においては、有名なところは「鳥葬」、日本では子供は切り刻んで埋葬するなど・・・。
はっきり言うと、火葬も、捉えかたによればけして丁重ではない。
日本の価値体系によれば、丁重であろうという観念に過ぎない。火は基本的に穢れていないが
丑松を持ち出すまでもなく、火までも穢れとみなすことが、日本にはあった。
人類共通のことなんて、さほどないと思ったほうがいいよ。
363 :
な:04/01/30 00:34 ID:???
>>358 >そういう意味の「宗教性」なら問題無い
で、その問題ない宗教性ってのは具体的には何なん?
無宗教も宗教性を持つってことは、無宗教も宗教だってことだよ。問題がある宗教性とない宗教性の区別は?
>当然無神論を始め世界に数多ある全ての宗教をも含んだ「宗教性」ということになるんだろうから、まさに「普遍的」
その普遍の宗教性って具体的に何なん?
又、それが人権であるという根拠は??
>普遍性の有無である。
そもそも「普遍性」があるとするのが宗教でしょ?
普遍性を主張しだしたら、他の価値観による普遍性と衝突する。キリスト教の人権意識とイスラム教のそれ(らしきもの)は違うと思う。
>但し、思想良心の自由は絶対的保障だし、信教の自由も内心面に関わる部分は絶対的保障だ。つまり、その限りでは少なくとも日本国憲法の下では制約のない保障である。
いつもそう。「人権というは何か?」という質問には「憲法がそーだから」という答えしかない。
つまり、思想信条の自由が絶対保証だという根拠は、憲法しかないんよね。その憲法が絶対正しいとする根拠は?
絶対正しいなら改憲論などあり得ないじゃないんじゃあ
>これはソースか、せめてその具体例を挙げて欲しい。
思想信条の自由であり、信教の自由。なんで絶対的保証なのか?
俺は、思想信条も信教も人権であるのなら尚のこと制約は必要だと考える。
>自由の意味を履き違えている香具師
絶対的保証だとかワケワカランことを言ってるから、自由の意味が解らないんよ。
>私は、日本においては依然として人権の保障度合いは低いと考えている。
人権って言うものが解ってないからバランスが崩れてる。だから人権が保証されないし、強く要求できない。
>資格はないと私は思う。
資格はあるだろ?
ってゆーか、資格がないとするなら思想信条の自由は絶対的保証ではないでしょ
ーが。
364 :
な:04/01/30 00:36 ID:???
>>359 >自発的に受け容れなくても強制的に受け容れさせられるだろう。
それは、国民主権だからとか自分たちの行った決断だからとかではなく、国政の結果だからでしょ?
つまり、国民主権であろうと衆議政治であろうと専制政治であろうと、国民とは国政の結果を受け入れざるを得ないんよ。
>>309で主権である国民と被支配としての国民は違うと言ったハズ。
ここで言うのは被支配である国民。
>国民がそれを消極的にでも納得するのかといえば、それは自分たちで決した事であるからである。
お主は、主権を行使し選挙に行ってるから、納得出来てる? 俺にしてもラムちゃんにしても亀ちゃんにしても誰一人納得してないと思うが。
主権を行使しても、消極的にすら納得できないんよ。自分と自分たちは違うってことなんよ。
国民が納得するのは、善政であること。善政であれば専制君主であろうと納得するし、国民主権であっても悪政ならば納得できない。でしょ?
>自己統治という場合の「自己」とは統べられる者たち全てを指す。一人一人の個人のことではない。
納得するのは「一人一人の個人」でしょ?
>そういう個人の総体としての「自己」は、国政による利益不利益を全て受け容れる事になる。
つまり、「個人」と「個人の総体」は違うってことなんよ。
>ただ、それが本当に「自分たち」の決定であるのかどうかは、また別の問題である。
「自分たち」の決定でしょーが。そういうのが民主主義だよ。
お主は、「自分たち」に「自分」が入ってないと「自分たち」にならないと思ってないか?
例えばお主がある案件に反対だったとする。で、議会にそう主張する代議士を輩出し、議会の多数決で否決されたとする。でも、そうして成立した案件は「自分たち」の決定になる。
そうしないと、議会の意味がないし、反対したら国民もその責任は負わなくてもいいという甘えというか開き直り、逃げも出てくる。
365 :
な:04/01/30 00:39 ID:???
>実は「自分たち」の決定ではなく、政権党を支持している一部利益団体―日本の場合は財界である場合が多いが―の決定であったりすることが往々にしてあるわけであるが。
それは日本に限ったことではない。国民の主権意識が強い国家では、国民主権が利権だからね。
>国民は常に国政を監視し、表現の自由を行使する事によって世論を形成し、参政権をきっちり行使することだろう。
国民主権だからと言って国政を監視する必要はあるのか? またその能力があるのか?
世論は前もいったように十分条件であって必要条件ではない。
現実に参政権がきっちり行使できないのはなぜ?
>それでも上で述べたような一部利益団体の利益が優先されてしまう場合が多いのが問題なのであるが。
それは国民主権の結果でしょ?
それでもお主は、参政権を行使したから甘んじて受け入れられ消極的にも納得できるんよね?
お主は、ホントに人がいい!!
改めて、国民主権の存在意義は?
366 :
なごみ:04/01/31 00:03 ID:???
「れ」ちゃん
>>345 >えー、国民主権において、「常に」大きな関心と意志をもって国民が国政に参加しなければならないと言うのは、いささか、問題だよね。
だったら逆に問いたい。
「なぜ国民主権でなければならないのか?」
要は、国民主権の存在意義だね。
>そもそも平時においては社会活動の補佐的な役割の国政に、常に最大の関心を向けなければならないと言うこと自体が矛盾だよ。
国民主権とは、平時か否かに関わらず最大の関心を向けなければならないものでしょ?
それ自体を矛盾というのなら、国民主権が矛盾してることになる。
>基本的に、その内容というのは、深く、専門的であって、一人の人間では、十分に掌握できないことは間違いがない。
だ・か・ら、それは専制独裁と衆議(議会)制の問題であって、衆議制の構成員が国民(の代表)でなければならないという理由にはならないと言ってるんよ。
>だからといって、専門家に任せると言うことにも危険がある。
で、お主の結論としては、専門家だけに任せるよりも門外漢の素人に任せた方がマシと?
それが国民主権の存在意義なのけ?
>結局は、大枠の承認しか国民にはできないと言うことは間違いないわけで、しかしその大枠の承認こそが、国民主権の肝であろうと考える。
その「大枠の承認」ってのを、なぜ国民がしなきゃならんのよ?
>クリーンについては、現代は(田中角栄の時代と異なり)その方が国政上都合がよいと言う意味に過ぎない。
その都合は何(誰)に対してつけるんよ?
国民主権でなければその都合は要らないということにならない??
俺が聞きたいのは、国民主権ってのの存在意義。お主にしてもサンちゃんにしてもラムちゃんにしても、国民主権を当然の絶対普遍の前提として論じてくる。なんで前提なのかが聞きたいんよ。
「なぜ国民主権でなければならないのか?」
>>363 なごみ氏
>その問題ない宗教性ってのは具体的には何なん?
これはこちらがお聞きしたい。w
貴殿が提示してきた概念だろ、「無宗教にすらも存在する宗教性」って。そんな珍奇な概念が存在するのかよく分からないのだが、無宗教も持つ宗教性ということは全ての人間が持っている宗教性であろうから、その意味で「普遍的」なんだろうと考えた訳さ。
私が捉らえている「宗教性」とは、人が超越者或いは何らかの神秘的なものの存在を確信している状態或いはその信仰の論理体系のことであると思うのだが。
>普遍性を主張しだしたら、他の価値観による普遍性と衝突する。
普遍性を否定したら、恐らくあらゆる国際的な法規というものは存在意義を失うだろう。
人類社会においては普遍的な原理というものは存在しうると考えていい。例えば、「人の生命は尊重されなければならない」「人を殺すなかれ」という命題は、人間の社会が維持発展していくためには絶対必要なものだろう。
もちろん犯罪者に対して科される死刑とか、正当防衛といった例外は存在するが、そういう場合を除いて「むやみに人を殺すな」という命題は全ての人間社会に当てはまる「普遍的」なものである。
こういったものを、より明確に体系化させたものが「個人の尊厳」という原理であり、更にそれを権利として構成させたものが人権である。
>「憲法がそーだから」という答えしかない。
ごめん。つい法律を学んでいる者の癖で法律を所与のものと考えてしまう・・・じゃなくて、一つの例を挙げただけ。「制約のない人権ってのが存在するのか?」という初歩的な質問に対しての答えとしてあげただけ。
別にこのことを「普遍化」する積りはない。国によってはこれらの人権に何らかの制約を課す場合もあるだろう。
ただ、こういう内心面に関する自由は、それが内心面に留まっている限り、第三者に害を及ぼす危険性はないのだから絶対的保障であるべきであるが。
>>363 なごみ氏
>資格はあるだろ?
「資格がない」というのは少し文章表現が拙かったな。人権というものはお互いに尊重しあってこそ実効性があるものだということ。
自分の人権が実現されるためには他者によるその人権の尊重が必要なように、他者の人権が実現されるためには自分もその他者の人権を尊重しなければならないという事。更に付け加えるなら、他者の人権を侵害するような「自由」は認められないということ。
>>364 >国政の結果だからでしょ?
これは否定した記憶はないが、どこかで私がそれを否定した?
>主権を行使し選挙に行ってるから、納得出来てる?
もちろん納得できてない。まあ、独裁者や専制君主の決定であるよりは、ましだとは思うけど。
実際には国政は政権党の支持団体、はっきり言えば財界によって支配されているんだけども、「国民主権だ」或いは「民主的決定だ」というお題目で何となく納得させられているところがある。
しかし、十分には納得できない理由は恐らくこの辺りのことにあるのでは?
>国民が納得するのは、善政であること。
概ね同意だが、常にそうだとも限らないと思う。
少し卑近な例だが、私は旅行する時はあまり旅行会社のパッケージツアーは利用しない。特に国内旅行では滅多に利用しない。
パッケージツアーのほうが、効率よく観光地を周れるし、自分の交通手段や宿泊の手配はしなくて楽だし、恐らく個人旅行よりは充実した旅行が出来るんだろうけど、敢えて利用しない。
なぜなら自分の意思決定できる余地が殆どないからだ。で、実際に最近は海外旅行ですらパッケージツアーではなくて個人旅行をする人が多いように聞く。
もちろん旅行と国政運営とは全く異なるが、人間には自分のことは自分で決したいという本能的欲求があると思う。選択肢が提示されて、その中から自分で選択する事に喜びを感じるところがある。特に国政のような重要な意思決定であれば尚更のこと。
ある人間集団に関する意思決定を彼らの自主的な判断に委ねるという発想は合理的だし、自己実現という価値にも適う事だろう。
>反対したら国民もその責任は負わなくてもいい
こんなことは言っていない。これはむしろ民主主義に反する可能性もある。
>>365 なごみ氏
>国民主権だからと言って国政を監視する必要はあるのか?
あるのに決まっているだろ。これは「国民主権」というより「民主主義」からくる要求だが、国民は常に国政の事に関心を持ち積極的にこれに関与する事が求められる。選挙が「公務」であるという発想もここから来る。
民主主義においては、国民は積極的に国政に関心を持ち、社会の一員として政治的な行動をする事が求められる。
>現実に参政権がきっちり行使できないのはなぜ?
上のような道義的責任があるにも拘らず、それを怠って国政に対する関心が欠如しているからだろ。ただ国民を責められない面もあって、それが上でも述べた一部利益団体によって国政が牛耳られている事だろう。
この圧倒的な政治的力の前では、一般の市民は無力感を味わざるを得ない。従って、政治に対する諦観も出てくる。
>それは国民主権の結果でしょ?
それは違うと思う。こういう利益団体による政治支配はむしろ国民主権を蔑ろにするものである。実際このような団体が政治に関与する事を制限するべきだという議論もあるぐらい。
企業・団体政治献金を制限しようという議論もこういう問題意識から起こっているのだろう。
>>366 なごみ氏
>>283で、既に答えているよ。
国家の必要性。もともと、民族(国家においては国民)の共有する文化、常識、規範、
価値観に基づいて国家社会の秩序を構築し維持していこうとする営みが、国の
必要性と国家の存在意義。共有するそのようなもの(面倒だから価値観などというが)
は、当然に様々な事象・取り巻く環境・時代と言うもので変化する。
また、作られた社会秩序によって構築される新たな共有される価値観もある。
(例えば、家族観などはまさにそうだろうと思う)相互作用によって変化する価値観など
は、固定的ではないし、常に事象に対しての確認の中で共有部分が確認される必要が
ある。だから、各々の事象に、間接的であっても国民が意思を表示することによってしか
確認できない。
国民主権の存在意義はまさに、国と言う枠組みの必要性に直結する、国の存在意義と
同じと言うことである。
だから人権スレにおいて、このことが重要で、人権思想と、日本の価値観などとの
整合性、融和性を検証しなければならないと言う結論になる。
逆に聞くが、国民主権でない国家が、国民の共有する価値観などによる社会秩序を
一体どうやって構築し維持できるのだろう。
371 :
な:04/01/31 23:33 ID:???
>>367 >これはこちらがお聞きしたい。w
「そもそも「普遍性」があるとするのが宗教でしょ?」
ロック以降の自然法も普遍性を説いてる以上、宗教となんら変わらないんよ。それを宗教性と言ってた。解りにくかった点はスマソ
>私が捉らえている「宗教性」とは、人が超越者或いは何らかの神秘的なものの存在を確信している状態或いはその信仰の論理体系・・・
普遍性を構築するのに、宗教では神や超越という非合理を用いた。ロック以降の自然法は科学という合理を用いてる。
しかし如何せん、科学は森羅万象を解明できたわけでも(逆に解明出来たのは氷山の一角)、宗教という非合理を完全に駆逐できたわけでもない。しかも合理であるとしてることもどこまで正しい(真理)のか解らない。
それを証拠に人権(合理)の先進国である米国では逆にカルト(非合理)の格好の餌食になってる。合理だけで人間が成立するほど人類は進歩してないんよ。
>全ての人間が持っている宗教性であろうから、その意味で「普遍的」なんだろう
その発想が、今の米国でしょ? それをお主もやってるんよ。
まったく価値観の異なるイスラム圏にキリスト圏の人権を押し付けてる。人権も宗教と一緒で同じ「普遍性」を共有できないと対立するだけ。
>普遍性を否定したら、恐らくあらゆる国際的な法規というものは存在意義を失うだろう。
すこし勘違いされてるよーで。俺は普遍性は否定してない。俺は民主主義ですら宗教と言い切るほど、宗教的普遍性自体は必要性を感じる。人権だけ、○○教だけ普遍性があるとする発想が、宗教そのもの(宗教性)だっていってるんよ。
人権も宗教もそれぞれに普遍性がある。その中で人権だけの普遍性を主張したら、他の普遍性と衝突する。
因みに「法はなぜ守らねばならないのか?」というのも究極的には宗教なんよ
>人類社会においては普遍的な原理というものは存在しうると考えていい。
そうやって宗教ってものが起きたんよ。お主のそれは宗教の発想なんよ
ときに、お主は普遍的なものがあると言いながら、国民主権のときに将来のことなど解らないと言った。将来を普遍と考えることが人権にしても民主主義にしても普遍なんじゃないの?
372 :
な:04/01/31 23:36 ID:???
>例えば、「人の生命は尊重されなければならない」「人を殺すなかれ」という命題は、人間の社会が維持発展していくためには絶対必要なものだろう。
なぜ?(別に否定はしないが、なぜそう考えるのか聞きたい)
>もちろん犯罪者に対して科される死刑とか、正当防衛といった例外は存在するが、
例外がある時点で普遍ではないと思うが。
>そういう場合を除いて「むやみに人を殺すな」という命題は全ての人間社会に当てはまる「普遍的」なものである。
「殺さない」状態が常にない(普遍でない)から「殺すな」という禁止が絶対普遍化されるんよ。「殺すな」というのは普遍でもなんでもない。逆に「殺す」がなくては成立しないんよ。
>こういったものを、より明確に体系化させたものが「個人の尊厳」という原理であり、更にそれを権利として構成させたものが人権である。
はい。では、イスラム圏で起きる自爆テロというのは、個人の尊厳よりも宗教的帰依を優先させたものだが、そういった価値観にある人間にどこまで個人の尊厳の普遍性を主張できる?
国民主権でもそう。お主らが勝手に普遍性を唱えてるだけで、なんで普遍なのかその理由に満足行くものがないんよ。
「普遍性ってのは、そう思ってる信じてる人間のみ有効であり普遍なんよ。」
>つい法律を学んでいる者の癖で法律を所与のものと考えてしまう
お主が法律の勉強をしてるからまして、こういう風に法律という前提について哲学的に考える必要はない。法学とはそれが前提で成立してるからね。
でも、考えてみるのも一興だと思う。法律の勉強に差し支えない範囲で考えてほしい。万一邪魔になるのなら止めるよ。暇つぶし、リフレッシュのつもりで
>ただ、こういう内心面に関する自由は、それが内心面に留まっている限り、第三者に害を及ぼす危険性はないのだから絶対的保障であるべきであるが。
そうやって内心を絶対視するのもいいが、外的に行為として顕われたときに内心がまったく無関係というわけではない。又、外的要素が内心にどう影響するかを考えたら、外的要素は殆ど保障されなくなってしまう。
つまり、内面と外面は表裏一体のものであって、どこで線引きすれば絶対的保証になるのかと言う基準はない。
373 :
な:04/01/31 23:38 ID:???
以下、略としたい。れすしたいのはやまやまだが。
「そもそも「普遍性」があるとするのが宗教でしょ?」
「普遍性ってのは、そう思ってる信じてる人間のみ有効であり普遍なんよ。」
聞きたいのはこの2点。後は俺なりに解りやすいように肉付けしたもの。2点についてどう思うかだけでいいから返答待ってるよ。
もち、肉付けの部分でも構わんが
374 :
右や左の名無し様:04/02/01 01:21 ID:X/dUVMxa
「れ」ちゃん
>>370 >国家の必要性。
国家の必要性と、国民主権の必要性は違うんじゃないの?
>各々の事象に、間接的であっても国民が意思を表示することによってしか確認できない。
さてはて、なんで国民が確認する必要があるん?
所詮は素人である国民でなくても、専門家や研究者などでも十分合理的な判断が下せると思う(貴族制)が。
むしろ素人が口を出すと不毛な議論に終止することが多い。つまり弊害もある。
>国民主権の存在意義はまさに、国と言う枠組みの必要性に直結する、国の存在意義と同じと言うことである。
それは、主権者だから直結するんよ。国民だから直結するとはならない。
で、俺はその主権者がなんで国民でないといけないのか、それを聞いてるんよ。
>だから人権スレにおいて、このことが重要で、人権思想と、日本の価値観などとの整合性、融和性を検証しなければならないと言う結論になる。
素人がどこまで判断できるの?
>国民主権でない国家が、国民の共有する価値観などによる社会秩序を 一体どうやって構築し維持できるの?
何も国民の確認をとらなくても、国家に権威や権力があれば構築し維持できる。
まるで非国民主権国家が社会秩序がないみたいじゃん。
>>364 なごみ氏
> 何も国民の確認をとらなくても、国家に権威や権力があれば構築し維持できる。
> まるで非国民主権国家が社会秩序がないみたいじゃん。
非国民主権国家が社会秩序がないのではなく、その民族/国民が共有する価値体系に
そった社会秩序がないといっているんだが・・・。
で、もう一回聞くけど
国民主権でない国家が、「国民の共有する価値観などに基づいた社会秩序」を 一体
どうやって構築し維持できるの?
それ以外の質問は、上記答えによって明らかになる。
国が「国民の共有する価値観などに基づいた社会秩序」の構築と維持を目的として
存在するなら、国民主権以外で、それはどうやって達成できる?
376 :
なごみ:04/02/01 13:45 ID:???
>>375 >非国民主権国家が社会秩序がないのではなく、その民族/国民が共有する価値体系にそった社会秩序がない・・・
「民族/国民が共有する価値観に沿った社会秩序」が、なぜ国民主権による確認だけなん?
大陸の異民族統治ならともかく、為政者が同じ民族/国民の場合、為政者が構築し維持する社会秩序は民族/国民の価値観と大きくズレることはない。
確かに統治において為政者・民族/国民双方の価値観の合致というのは重要なファクターだよ。でもそれが必ず合致してればいけないというものではないし、別に合致してなくても社会秩序が構築され維持されることもある。
インドのカシミール問題は、為政者であるマハラジャ(ヒンズー教)と住民(イスラム教)に価値観の合致がなかったことに端を発する。
問題は、カシミールがインド(ヒンズー教)とパキスタン(イスラム教)のどっちに帰属すべきかということではなく、それまではカシミールは社会秩序が成立してたということなんよ。
日本だって江戸時代には藩主が転封や政略的配置などでその土地と縁も所縁もない為政者が統治することも多々あった。それでも然したる混乱もなく社会秩序が構築され維持されたのはなぜか?
自分が国民であり付与された主権という既得権から離れられないのも解る気もするが、俺は国民主権だけが決して万能の膏薬ではないと思ってる。
>国民主権でない国家が、「国民の共有する価値観などに基づいた社会秩序」を 一体どうやって構築し維持できるの?
「国民の共有する価値観などに基づいた」というものが、社会秩序においては十分条件であって必要条件ではないということだね。
>国が「国民の共有する価値観などに基づいた社会秩序」の構築と維持を目的として存在するなら、
国というものはそれだけで存在するのではない。
377 :
なごみ:04/02/01 13:48 ID:???
ちょっと混乱してる
>>376 >「民族/国民が共有する価値観に沿った社会秩序」が、なぜ国民主権による確認だけなん?
「民族/国民が共有する価値観に沿った社会秩序」だけが、なぜ社会秩序なん?
>>376の命題もありなんだが、それと違う展開になってる。
>>376 なごみ氏
>国というものはそれだけで存在するのではない。
国と言う枠組みが、それ以外の目的で存在する?マァ、する場合はある。
北朝鮮はまさに金日成を国の創始者として、その子孫に統治させるという
天命があるとの思想を継続させる目的があるといっていいだろう。だが、
しかし日本が、日本と言う枠組みを維持する目的はそれ以外にない。
そうでないのなら、米国に吸収合併でいいだろう。
>>377 なごみ氏
>「民族/国民が共有する価値観に沿った社会秩序」だけが、なぜ社会秩序なん?
いや、それに沿わない社会秩序と言うものは存在するだろうし、存在してきた。
で、現代は、日本国として、日本人の共有する価値観に沿った日本の社会秩序の
中で生活するために、すなわち、ロシア正教などの価値でも、儒教天命思想の価値でも
プロテスタントの価値でもない、日本の伝統/文化に基づいて形成された価値体系
に基づいた秩序体系の中で、生活し、その秩序社会を後世に伝えたいと願っているから
ロシアとも、中国韓国とも、米国とも合併しないんだろう?
じゃぁ、国民主権で行くしかない。伝統文化にもとついた価値体系は、その伝統の
中で変化し続け、現代も変化し続けているんだから・・・。
380 :
なごみ:04/02/01 14:28 ID:???
>>378 >だが、しかし日本が、日本と言う枠組みを維持する目的はそれ以外にない。
それは日本が国民主権だからでせう!
国家の目的は「文化、常識、規範、価値観に基づいて国家社会の秩序」であって、国民主権(国民の共有する)ではないんよ。
民族/国民と合致してればそれにこしたことはないが(十分条件)、国民主権で確認をとらなければならない(必要条件)というわけじゃないんよ。
確認をとっても100%賛成されることはないし(まして価値観の多様性を重んじればね)、賛成されてもそれがどこまで正しいのかという点では国民主権も君主主権も(貴族制による)議会主権も絶対ということはない。
>そうでないのなら、米国に吸収合併でいいだろう。
国民主権とは、その国家内における意思決定権のハナシ。この場合の主権は国家主権といわれるもので最高独立性のこと。
主権の意味が違うのに、混同して飛躍してると思われ。
381 :
なごみ:04/02/01 14:58 ID:???
>>379 >いや、それに沿わない社会秩序と言うものは存在するだろうし、存在してきた。
では、その中でどうしてそれに沿う社会秩序が優勢になってきたのか?
それが国民主権の本来の存在意義なんよ。お主のように必要条件ではなく、十分条件なんよ。
>現代は、日本国として、日本人の共有する価値観に沿った日本の社会秩序の中で生活するため
それが国民主権でないと達成されない理由は?
>日本の伝統/文化に基づいて形成された価値体系に基づいた秩序体系の中で、生活し、
別に主権がなくても、そういった社会秩序は構築され、生活できる。
>その秩序社会を後世に伝えたいと願っているから
一概に後世に残すことを願ってるとは言い切れまい。俺などはそう思ってるが、そういう香具師ばかりじゃないと。ラムちゃんなんかそう思ってない。
>ロシアとも、中国韓国とも、米国とも合併しないんだろう?
国民主権を返上したら、それは米露中韓と合併なのか?
やはり、国民主権と国家主権を混同されてる気が。
>伝統文化にもとついた価値体系は、その伝統の中で変化し続け、現代も変化し続けているんだから・・・。
何が変わらず、何が変わったかを判断する能力が国民にはあるのか?
な位ということもあり得るなら、何が何でも国民主権ということにはなるまい。
俺が民度にこだわる理由も解るでしょ?
>>380 なごみ氏
> 国民主権とは、その国家内における意思決定権のハナシ。この場合の主権は
>国家主権といわれるもので最高独立性のこと。
> 主権の意味が違うのに、混同して飛躍してると思われ。
いや、国の制度は、社会秩序じゃないの?法律は社会秩序でしょう。
その決定の権利を国民が持っていて、それを行使するにあたって
その国の文化や伝統に基づいた価値体系に基づいた判断が
国民によって行われる。
だから、本来的に、国民主権が「その国の文化や伝統に基づいた
価値体系に基づいた社会秩序の構築」を実質的に可能にする。
>>381の書き込みは、上記で全部説明していると思う。
しかし国民主権と国の枠組み維持の関係性について異論が出てくるとは
予想外である。
383 :
なごみ:04/02/01 15:34 ID:???
「れ」ちゃん
>>382 お主の考えは、国民主権ありきの意見なんよ。国民主権を前提に考えてるんよ。俺はその前提である根拠を聞いてるんよ。
いや、国の制度は、社会秩序じゃないの?法律は社会秩序でしょう。
その決定の権利を国王が持っていて、それを行使するにあたって
その国の文化や伝統に基づいた価値体系に基づいた判断が
国王によって行われる。
だから、本来的に、国王主権が「その国の文化や伝統に基づいた
価値体系に基づいた社会秩序の構築」を実質的に可能にする。
解る? 国民を国王にしても(天皇でもいいのだが余計な憶測を呼ぶ)全然違和感がないんよ。つまり、そこに国民主権の存在意義が見あたらないんよ。
>しかし国民主権と国の枠組み維持の関係性について異論が出てくるとは予想外である。
国民主権がなんなのかが解ると、決して国王主権や(非国民主権的)議会主権と何ら変わらないということになる。後は、資質・能力だね。
>>383 なごみ氏
>お主の考えは、国民主権ありきの意見なんよ。国民主権を前提に考えてるんよ。
どこが?違和感だらけじゃない。
国王がどうやって、「その国の人たちの持っている価値体系」を表現できるのよ。
貴殿は価値体系というものが理解できていないんだと思うよ。
国王は国王が保有する価値体系によって、これが正しいとか、こう有らねばならない
これが望ましいとか判断するんだろう。
それがその国の人たちの価値体系からくる、正しさ・好ましさと乖離することは当然に
ありえる。(そのくらいは分かるでしょう)
>>270 なごみ氏
>外圧や国内世論って政局を動かす決定的ファクターではない。
決定的ではないが、引き金にはなる。歴史はそうして動いてきた筈。
>国民には選挙という至上の武器があるし、それを有効に使うだけで十分だと思うが。
現実的にその様な可能性を期待できるならね。現行の制度を変えないままで
可能性を期待できるかな?
>じゃ、国民はどうやって政治家を育てられるというのだ?
環境の整備だろう。相互依存の関係性を断ち切らない限り、其れはあり得ない。
>だから、その根拠はどこにあるんよ?
制度の疲弊は、誰の目にも明らかだ。憲法改正議論がタブー視されてない現状が
現在の政治風土の変化を現している。財界も変わってきている。官僚だけが変わることに
抵抗しきれるとは思えない。政界・財界が変われば官僚も変化を余儀なくされるだろう。
>癒着と談合は民主制でも十分起こり得る。
あれ?現在の日本は民主制を採用しているのではないかな?
>その最大多数に属さない少数派はどうなるん?
少数政党の存在意義を発揮するための場として、国会には幾多の委員会が存在する筈だが?
386 :
なごみ:04/02/01 23:56 ID:???
>>384 >「その国の人たちの持っている価値体系」を表現できるのよ。
だから、「その国の人たちの持ってる価値体系」をなぜ国民だけしか決定できないんよ?
その国の価値体系と、その国の人たちの持ってる価値体系が対立した場合、どっちが優先させられるべきなん?
お主は、後者でしょ(意図的に
>>382に今回は「人」って言葉を入れてるし)。理由は、国民主権の前提に立ってるから
別に国王がこうだって決定してもいいわけ。国王だってまったく民衆の価値体系を無視することはできないし、無視するべく強権を発するには相応の対価(権力行使のリスク、コスト)を払う。
そこまで自分の価値観を押し付けるほどの敬虔潔癖な国王はいない。双方の価値観で妥結する。そうやって出来たのがその国の価値観。ま、比重として国王の強制力の方が大きかったわけだが。
結論として、国王、国民の誰が決定するにしろそれがそのときの文化、常識規範、価値観と大きくずれれば、その国家は機能不全を起こすことなんよ。
国民だけが多様だから正確に判断できるというのは幻想だっていってるでしょ!
イラク派遣について国民はどう思ってる? 一概に善悪正邪の判断が付かないことがあるから難しい。
>貴殿は価値体系というものが理解できていないんだと思うよ。
お主は解った風だが、俺は結論として解らないという答えなんよ。つまり、そこに国民主権でなければならない理由がないんよ。
>それがその国の人たちの価値体系からくる、正しさ・好ましさと乖離することは当然にありえる。
乖離しないことも充分にあるわけ。名君と呼ばれた治世などがそうでしょ?
だいたい、国民主権だから、その国の価値観を正確に決定できるというのなら、年金問題はどうよ? 公共事業の垂れ流しはどうよ? 赤字国債地方債はどうよ?
お主はいうだろう。それは政治の問題であって国民主権の問題ではないって。
国民無答責論。
387 :
なごみ:04/02/02 00:51 ID:???
亀ちゃん
>>385 >決定的ではないが、引き金にはなる。歴史はそうして動いてきた筈。
選挙の前だけでしょ?
国民に大不評だった森内閣が退陣したのも選挙が近かったから。逆にいえば選挙がなければ引き金にはならない。政治家は選挙前だけ国民に頭下げれば事勿れで済んでしまう。
世論だけで国民が政治に干渉できるなら、国民主権(参政権)などいらないでしょ。外圧に負けて国政が左右されるなら国家主権などいらないでしょ。
もしかして、大それたこと(革命や暴動)を想定してない?
>現実的にその様な可能性を期待できるならね。現行の制度を変えないまま可能性を期待できるかな?
自衛隊がイラク派遣は選挙前から小泉内閣の規定路線だった。現実に行くことになって始めて派遣反対といっても、国民主権の結果である国政選挙で国民は一度は信任という結果を出したんだからそれに従って国政は運営される。
いうなれば国政選挙という十分な権利を有してるんよ。しかし、国民がそれを充分に行使できてない。
お主がどこに可能性を見い出してるのか知らないが、現実的にはワケワカランことばかりだよ。
この期に及んで小泉の支持率は上昇傾向にある。そもそもあの支持率からして可能性は低いと見るのが妥当なんじゃ・・・
>
>>387 なごみ氏
>選挙の前だけでしょ?
フランスでは行き過ぎた官僚支配への諦め感から、国政選挙では主客逆転とも云える
現象が起きるそうだ。エリート達への普段の鼻持ち成らない態度への不満が、
ここぞとばかり爆発し、国民は自分達が主役になれる数少ない機会に熱く燃えるという。
この辺は日本も似ていなくもないが、日本の場合選挙民は絶えず議員にプレッシャーを与え続ける。
果たしてどちらが良いかは判断しかねるが、どちらのスタイルにも問題は多い。
日本の国会議員は、選挙民が与えるプレッシャーと常に戦わなくてはいけない。
だから国政と云うよりは、地元への利益誘導に傾きがちだ。国益よりも地元益を優先する。
これで本来の国政が担えるだろうか?参議院の形骸化も含めて再構築が必要だろう。
>もしかして、大それたこと(革命や暴動)を想定してない?
まさか。正統な国政は、正統な手続きでしか成立し得ない。
>この期に及んで小泉の支持率は上昇傾向にある。
後少しで、化けの皮が剥がれるさ。自衛隊活動の成果如何だろうが。
今は、自衛隊派兵も含めて憲法改正論議が各政党で盛んだが、この流れが正念場だろう。
憲法をどの方向に持っていこうと考えているかを示すことで、本質的な対立軸が際だつ筈だ。
389 :
なごみ:04/02/02 01:38 ID:???
>>387後段に付け加えるなら、国民主権の問題は制度(ハード)だけではない。国民自身のレベル(ソフト)の問題でもある。
お主の新選挙制度ってどういうもの?
>環境の整備だろう。相互依存の関係性を断ち切らない限り、其れはあり得ない。
間接民主制において国民と代表者は少なからず関係がある。依存という言葉からはそれすら暗に否定してるようにも思うのだが、
現実には依存と呼ばれるその関係が深いほどその国民と代表者は国政に積極的に関与してるとも言える。
むしろ、全体としては国民が代表者に依存できてないから一部の依存関係が特異に見えるんじゃないの?
政治家は勝手に出てくるものではない。時代なり制度なり国民なりが作っていくものなんよ。そして依存するものなんよ。間接民主制においてはね。
>憲法改正議論がタブー視されてない現状が現在の政治風土の変化を現している。
俺は、ここ数年で一気に流れが傾いたことに危機感を覚える。ソ連崩壊による(それだけじゃないが)左翼政党の衰退が影響してるようにも思うが、この右傾化にのっかって必要以上に改正されちゃうんじゃないかと。天皇制は残るだろうけどねw
どっちにしても日本って極端なんよ。憲法を半世紀も変えないかと思ったら、こんどは変えるのが当たり前になってる。反動の繰り返し。
390 :
なごみ:04/02/02 01:39 ID:???
>財界も変わってきている。官僚だけが変わることに抵抗しきれるとは思えない。
財界は一番敏感だからね。というか、国政の迷走に背に腹は変えられなくなってきてるんでしょ。俺からしたら財界も腰が重い。
でもさ、今は官僚の弊害ばかりいわれるけど、財界が動くということは国民にとっていいことなのか?
政財官というのは代表者主権の最たるものでその中での主導権争いとも言える。どっちにしろ国民にとって直接利になる可能性は低い。
>政界・財界が変われば官僚も変化を余儀なくされるだろう。
官僚が変われないのは政界財界が変わらないから。政界財界が変われば官僚も変わらざるを得ない。
このままでの官僚主導が財界主導になるかもしれない。政界を動かすのは輩出してる国民の意思次第。結局政財官のバランスこそが重要なんよ。
>あれ?現在の日本は民主制を採用しているのではないかな?
何をおっしゃる亀ちゃん。
実際に民主化されても癒着と談合のオンパレードじゃんか。
>少数政党の存在意義を発揮するための場として、国会には幾多の委員会が存在する筈だが?
その中でも有力な委員会は多数派政党の力関係で決定される。そこに少数派政党の介在できる余地は殆どない。
有力でない、その他の委員会で存在感を示しても国民にとってはどこまで有効なものといえるのかな?
>>389 なごみ氏
>お主の新選挙制度ってどういうもの?
其れほど大それたもんじゃぁないが、適正な民主制が施行できれば良い。
例えば、地元選出の選挙で落選した議員が比例区で復活当選するのは不可。
比例区と選挙区の並立立候補は止めるべきだろう。
個人的な意見としては、比例区の比率を増やす事と、マニフェストを徹底し
懲罰規定があってもいい。但し、少数政党の切り捨てにならないよう
制度的な整備をする事は不可欠だと思う。
>どっちにしても日本って極端なんよ。
この意見には同意する。昔から変わらない日本人の特性と云うべきか。
反動の繰り返しだからね。不景気は国家を右傾化させる。
最近、遅ればせながらフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」を読んだ。
世紀末に書かれた論文だが、21世紀の国際政治の潮流をある程度捉えていて面白かった。
「右傾化」「国家主義」が前時代的な方法論でイニシャティブを持つことはないと
彼は予言している。石原慎太郎に対しても言及しているが、概ね政治学の流れを
適正に捉えていると感じた。そういった意味では、私は楽観論者なんだが。
>>390 なごみ氏
>財界が動くということは国民にとっていいことなのか?
経済が危機的な状況であるのだから、財界の動向は国民生活に対してはモロに影響するだろう。
関係ないが以前務めていたメーカーの上司が、経済同友会のスタッフになっていて驚いた。
新聞を読んで、あのオッサンはこんな風に考えていたのかと思ったが意見が自分と同じなので
妙に納得したのだが…
>実際に民主化されても癒着と談合のオンパレードじゃんか。
東洋的な概念の産物だろうな。特に儒教的資質を持つ東アジアの特徴かも知れない。
アジア型民主制も確立が必要だと、私は思っているのだが。
>有力でない、その他の委員会で存在感を示しても
国民にとってはどこまで有効なものといえるのかな?
其れは政党が、国民に対してどの様な発信をするかによる。
其処が下手で有れば、淘汰されるのは致し方ないだろう。
>>373 なごみ氏
>「そもそも「普遍性」があるとするのが宗教でしょ?」
だからそれは宗教には限らないと思うが。例えば「全ての物質は原子から構成されている」なんて命題も「普遍性」といえなくもない。科学はまさにそういう全ての自然現象を貫く「普遍」の原理を見出す作業であろう。
貴殿の定義によれば、無宗教も更には科学さえも「宗教」ということになってしまうようであるが。これではラムたんのお怒りを買うのでは?
>「普遍性ってのは、そう思ってる信じてる人間のみ有効であり普遍なんよ。」
そういうのは「普遍性」とは言わないだろ。w
「普遍性」というのは、何か既存の原理があってそれが全てのものに該当する或いはさせるということではなくて、むしろ逆でそれぞれ別々に存在して共通性がそもそもないはずのもの同士の間に見出される何らかの共通性のことだろう。
例えば、前述した「人を殺すな」という命題が典型的だし、それ以外にも「他人の物を貪るな」とか「汝の父母を敬え」といった命題は、旧約聖書にも出てくる(だからユダヤ・キリスト・イスラム教に共通だ)し日本古来の伝統的な価値観にも合致するだろう。
こういった規範を否定したら、人間が社会生活を送ることは出来なくなるから、いずれの社会でもこのように同様の規範を定立してきたと思われる。
だから普遍性を認めるということは、例えばキリスト教の価値観を異教徒に押し付けるということでは決してなくて、逆に宗教や文化の違いを尊重しつつもその違いを超えて共通するものを見出していこうという活動なのである。
自然法というものはこういう人類共通で彼らが長い年月の営みの中で社会生活をする上で必要な規範として生み出してきたものの中から産出してきたものだし、更に人権もこういった自然法から生まれてきた。
>>373 なごみ氏
>>もちろん犯罪者に対して科される死刑とか、正当防衛といった例外は存在するが、
> 例外がある時点で普遍ではないと思うが。
例外という表現は適切ではなかったな。いや、例外なのだが、それはまさに人の生命即ち人権を守るための例外なのだ。
刑罰というものが存在する目的は法益を保護することだということは、近代刑法理論を学んだ事がある人なら常識であると思うが、そうであるなら犯罪者に対して刑罰を科すことはまさに人権を守る事に寄与するし、またその限りで刑罰は正当化されうる。
ただ死刑というのは、人の生命を奪う事によって、人の生命を守るという矛盾を抱えているのであるが。だから、この矛盾を解消して生命の尊重を徹底するためには死刑を廃止する必要があろうが。
それから正当防衛も同様に他人から急迫不正の侵害を受けたものが自分又は他人の利益つまり人権を守るために、その他人に対して防衛行為に出る事が認められているのだ。
逆にこれを認めないと、そういう急迫不正の侵害を排除してはいけないという事つまり相手の為すがままにさせろということになって、却って法益保護つまり人権保障を害するだろ。
>外的要素が内心にどう影響するかを考えたら、外的要素は保障されなくなってしまう。
これは今ひとつ意味が取れないのであるが、近代憲法は基本的に他人の人権を侵害しない限りは最大限自由を保障するという建前を採っている。
従って、思想や信仰が個人の内心に完全に留まっている限りは、他者を害するとは考えられないので、絶対的保障とされている。
しかし、その内心が何らかの形で外に現れてきた場合は、これは表現の自由や結社の自由の保障するものとなるのであるが、これらは内在的制約に服しうる。
>>362 れ氏
遅レス申し訳ない。ここ数日貴殿の問い掛けに対する返答を考えていた。貴殿の問い掛けはあまり法律の書物などでも見かけないものなので正直言って困惑していた。スルーしようかとも思ったが、さすがに失礼なのでレスさせて貰う。
それから、「普遍性」に関する議論はなごみ氏との議論の中で詰めていきたいので、貴殿に対するレスでは割愛させて頂きたい。ただ、貴殿が思うところがあれば書いて頂いて一向に構わないが。
>猫氏にしても相当に素人呼ばわりなどを、天皇スレではしている。
素人呼ばわりというのは、確かにいささか失礼かもしれないが、貴殿は法律に関して十分な知識をお持ちとは、申し訳ないが私も感じられない。
だって、貴殿は憲法71条もお読みになった事が無かったんでしょ?
では、本題。
>「人間の幸せとは個人単位の幸せである」という偏った思い込み
こんなことは私は言っていない。
「幸福」というものは人それぞれ異なるものであって全然構わないのだが、その「幸福」というものを各人が彼なりに追求する権利或いはそれを可能とする条件を国が保障すべきだということが私の主張だ。そのことを「個人の尊重」と呼んでいるのである。
>保障されていない時代の人たちは、幸福ではなかった
これも私の認識とは異なる。幸福かどうかは主観的なものだから、あらゆる形の「幸福」がありうる。だから、例えば平安時代や江戸時代にも「幸福」な人は居たかもしれない。
私が問題にしているのは、そういうことではなくて、国家は各個人が彼なりの幸福を追求する権利そしてそれを実現するための努力を阻害してはならないという事だ。
上の例で言うと、江戸時代にも「幸福」な人は居たかもしれないが、少なくともあの当時弾圧され処刑されたキリシタンは彼らなりの幸福を追求することは許されなかったし実際幸福ではなかったろう。現憲法下では、そういうことはあってはならないということなのである。
>>386 なごみ氏
貴殿は価値体系というものが理解できていないんだと思うよ。
国民の価値体系は千差万別ではある。では、他国と同じなのかというと違う。
概ね、集まってくる範囲と言うものがある。
例えば、「自分のことは自分ですることが好ましい」と言う価値に付いて述べれば
1、中華思想では、自分のことを自分でするのは、卑しいとされる。
だから、英国高官が会議室の椅子の位置を自ら直せば、中国の高官は
卑しい低級な相手と懐疑はできないと言って帰ってしまう。
2、米国では、契約優先であるから、北野武監督の灰皿を掃除する係りがいて
にもかかわらず北の武監督水から掃除を行えば、非難される。
自分のことを自分でするかどうかは、契約による。
3、仏教思想では、禅の思想から、自分のことは自分でするのが自然だから、
好ましいとされる。(日本の価値はここからきている)
4、回教国では、コーランにおいて規定されているからそれに従う。
困った人がいれば助けろと書いてあるから助けるが、助けられた人は、その
戒律を実行できる機会を与えたと言う理由で、特段の感謝はしない。
本来自分でやることを他人にやってもらうから、感謝するのであるから、日本とは
違う。
自分のことは自分でする、自分でできない場合は自分の家族の仲で解決しようとする。
それが、民法における同居親族や一定範囲の血族の扶養義務として、社会秩序
として形成される。
国王の与えし価値体系は、こう有らねばならないという規範。実社会の中で研鑚された
価値体系ではない。だから、取捨選択される。
現実社会の中で取捨選択したものは、現実の厳しさの結果であり、持ち合わせている
価値体系との、優先順位で決まる。だから、王には、国民の保有する価値体系を
把握できない。と言うより誰にも把握できない。現実の課題の中で、現実にその影響を
受けるものが選択肢、行い修正していくしかない。
年金問題はどうよと言われても、バブル崩壊という経済問題の付けが着ているだけで
しょう。公共事業の垂れ流しは必要だったんじゃないの、時と場合において・・・。
イラク派兵は、支持されているでしょうよ。そうすることが分かっている自民党が議席を
とったのだから。
>>395 santi氏
まず憲法71条を知っているから、総辞職した以降、職務を継続している内閣が
新しい総理大臣の任命の助言承認を行うのかとかいている。
さすがにきちんと文章を読んでいる猫氏は、馬鹿なナナシ君と違ってそのような
指摘はしていない。(貴殿が馬鹿なナナシ君と同レベルであるとは思わないから
おそらくきちんと読んでいないのだろう。)
各人が彼なりに幸福を追求することを是とするということは、共同体としての
幸福と対立する場合もありうるという前提に立てば、対立したときに、個人の幸せ
を各自が追求することは好ましいが、共同体が、彼の意思にそむき共同体の
幸せを優先しろと強要するのは、好ましくないと、言っているんだろう?
そのことを個人の尊重=共同体よりも個人を重視しよう、ということだろう。
「幸せとは個人単位で思うことである」という偏った思い込みに他ならない。
少なくとも私は、個人の幸せより、国家が維持されることでの国民全体の幸せ
および、未来の日本人の幸せのために、個人が不幸と感じることであっても
優先されることはあると思う。個人がその自己犠牲により幸せと感じれば、貴殿
と私の思惑は一致するが、幸せだと感じない場合、貴殿は、個人を優先するし
私は、共同体を優先する。
共同体の利益は共同体の一員である彼の幸せであると考えることは、よくある
ことで、彼の内部には、個人としての幸福感と、共同体の一員としての幸福感の
ふたつが同居しており、時に対立するが、事象により後者を優先する場合もあり
うると考えることが、正しいのではないのかなァ。
そうしないと、安全保障は機能せず、国家は崩壊の危機W迎えるだろう。
>>393 santi氏
お言葉に甘えて
>例えば「全ての物質は原子から構成されている」なんて命題も「普遍性」といえなく
>もない。科学はまさにそういう全ての自然現象を貫く「普遍」の原理を見出す作業で
>あろう。
見出す作業をしているものにとって、普遍性がないという確信がある。
普遍性があれば、普遍を見出す作業など、誰もしない。
あなたが、普遍性があるといったときから、その見出す作業は中断されていると言う
ことだ。
「人を殺すな」は普遍ではない。自らの共同体(家族/宗教/国家)を守るためには、
人は殺してもよい。「汝の父母を敬え」は普遍ではない。戦国時代の歴史をみて
くださいな。父を殺した信長、母を人質に出した家康(ちがったかな?)・・・。
自然法など、まさにキリスト教的な人類を特別視するところからスタートしているだろう。
それを普遍と思うから、真の普遍を見出す努力が、貴殿においてなされていない。
普遍を探すことは、普遍と思われていることを疑うことから始まる。
自然法は、日本人にとっても普遍なのか?
光速に近い運動の中で、ニュートンの原理は普遍でなかったことと同じ程度の
疑義は持ったほうがいいよ。
399 :
なごみ:04/02/02 23:09 ID:???
>>392 >経済が危機的な状況であるのだから、財界の動向は国民生活に対してはモロに影響するだろう。
政界も官僚も国民生活にモロに影響するよ。だからこそお主も、政界や、特に官僚について文句も多いんじゃないの?
特別財界が・・・というのはちょっとね。政財官(代表者)vs国民だよ。
>アジア型民主制も確立が必要だと、私は思っているのだが。
これは以外に深いテーマだと思うよ。
日本は古来は中国、近代は欧米の強い影響を受けている。その意味では日本には二面性がある。
グローバリズムを唱える連中は、国際情勢が欧米偏向なので自然と欧米志向となる。日本の場合、欧米偏向の中でも特に米国偏向とも言えるが、端的に言って、この潮流と対立する。
将来、米国と中国のどっちをとるかという選択が迫られるかもしれない。
ま、中国脅威論を素直に俎上に乗せればのハナシだけど、中国もこれからどうなるか米国以上に未知数。
そもそもお主みたいな発想(グローバリズムに対する東アジア主義?)は、中共などのよろしくないイメージや米国偏向による既得権なども絡まって、あまりは真っ当な選択肢として一般に膾炙しないと思う(俺はお主の意見に首肯できるよ)。
>其処が下手で有れば、淘汰されるのは致し方ないだろう。
結局、少数政党で成功した政党はない。やり方が下手と言ってしまえばそれまでだけど、それだけ少数政党って難しいんよ。
だから俺は二大政党制支持なんよ。
400 :
なごみ:04/02/03 00:27 ID:???
サンちゃん
>>393 >例えば「全ての物質は原子から構成されている」なんて命題も「普遍性」といえなくもない。
まず、自然科学と社会科学は違うんよ。
自然科学は自然という人間が介在しない事象の科学。対して社会科学は人間そのものが対象。自然はまず合理であると出来ても、社会は合理であるとは言い切れないでしょ?
例えば経済学。ノーベル賞でも存在意義が問われてるのは周知の事実。だって経済学はある結果から法則性を証明できても、別の事象に関しては100%の拘束力を持たないからね。社会科学に普遍性などないんよ。
次に、自然科学も、所詮は人間が主観的能力的に判断してるに過ぎないんよね。光の三原色は自然界に存在するのではなく、人間の視覚がそう認識してるに過ぎない。人間があって成立してるものなんよ。
それと同様に、今の科学では原子が最小単位だが、それよりも小さい構成子が存在するかもしれない。でも今の所その可能性を肯定するほど科学が発展してない。その限りにおいて普遍なんよ。
>科学はまさにそういう全ての自然現象を貫く「普遍」の原理を見出す作業であろう。
こういうのを科学信仰という。宗教と一緒。
>貴殿の定義によれば、無宗教も更には科学さえも「宗教」ということになってしまうようであるが。これではラムたんのお怒りを買うのでは?
買ってもいいよw
科学が宗教を否定したのではない。人間が宗教より科学を信仰するようになったんよ。科学ってのは高々200年。その間激的に社会環境を変えたから、科学が万能だと思ってる。
しかし、その科学をもってしても森羅万象全てを解明できたわけではない。逆に殆ど解明できてない。
宗教は解明できないことを非合理としたんだが、科学ではそれすら定義付けがされてない、ってゆーかできない。原因不明なんよ。だから宗教がなくならない。
存在意義が一緒なんだから。だから対立する。
401 :
なごみ:04/02/03 00:34 ID:???
>「普遍性」というのは、何か既存の原理があってそれが全てのものに該当する或いはさせるということではなくて、
むしろ逆でそれぞれ別々に存在して共通性がそもそもないはずのもの同士の間に見出される何らかの共通性のことだろう。
人権については、当初はともかく、過度に依存するようになると前者になる。過度なフェミニズムや平等概念、過度な自由絶対主義。これは前者そのものである。いつしか発想が逆転してしまうんよね。
>逆に宗教や文化の違いを尊重しつつもその違いを超えて共通するものを見出していこうという活動なのである。
こっちが尊重してても向こうが尊重してるとはならない。なぜなら、例外があるから。価値観は多様であるから。その価値観を受け入れるとするのが人権。でも宗教によってはそれを受け入れない。だから人権のその対象における整合性が問題になってくる。
イスラム教の女性概念と、人権のそれでは違う。
>自然法というものはこういう人類共通で彼らが長い年月の営みの中で社会生活をする上で必要な規範として生み出してきたものの中から産出してきたものだし、更に人権もこういった自然法から生まれてきた。
社会科学を自然科学的に解明しようってのが無理。人間というものは非自然。不合理、不完全なんよ。俺はかつて机上の空論といった。
そういった前提にあるのが、人権。更に自己撞着も起こしてる。
>例外なのだが、それはまさに人の生命即ち人権を守るための例外なのだ。
宗教だって同じだろう。
>この矛盾を解消して生命の尊重を徹底するためには死刑を廃止する必要があろうが。
おひおひ。お主が死刑廃止論者ってのは解ったが、死刑存続派はこの矛盾をもってしても、解消されるべきものがあるんでしょ?
>却って法益保護つまり人権保障を害するだろ。
そう。自己撞着。
>思想や信仰が個人の内心に完全に留まっている限りは、他者を害するとは考えられないので、絶対的保障とされている。
人間を内と外で分けるとする理屈は解ってるが、現実にはその境界線などあってないようなものなんじゃないの?
人間はうちだけで成立するものではない。外との関係によっても成立してる。
まだ、どこまでを内にするかでも変わってくる。
>>399 なごみ氏
>政界も官僚も国民生活にモロに影響するよ。
>だからこそお主も、政界や、特に官僚について文句も多いんじゃないの?
影響する意味合いが違う。政界と官僚は指針を決定する為の機関なのだから、
総合的な影響力は財界の比ではない。そもそもが「政財官(代表者)vs国民だよ。」
との認知の仕方が間違えている。本来は政・官VS財>民だろう。
>将来、米国と中国のどっちをとるかという選択が迫られるかもしれない。
既にその選択肢は試されはじめていると私は思う。米国が現在のような方向での
グローバリズム、いわゆる「新・帝国主義」に歯止めが掛からず、行き過ぎれば
国際的な危機意識を増幅させるだろう。米国と欧州はその綱引きの真っ最中だが
中国経済が今後も順調に推移していけば、対立軸が一層鮮明になってくるだろう。
そうなると東アジアと欧州、米国(カナダや中南米を含む)によるブロック化が進む。
台湾問題と北朝鮮問題という別な側面を東アジアは抱え込んでいるが、
其れほど遠くない未来に解決するであろう問題だ。東アジアの中で、
日本がどの様に振る舞うかによって国際政治の力学が大きく違ってくるだろう。
日本は現在のように米国一辺倒の外交政策を続けることは難しくなるはずだ。
>>399 なごみ氏
>結局、少数政党で成功した政党はない。
日本新党は細川総理を輩出した。さきがけも存在感を示した。
持続せず過渡期のあだ花的なきらいはあるが、充分に存在意義があることを
示せた好例ではないか?
>santi氏
一応、アドバイスしておく。
共同体の内部の人・隣人を殺すなかれと言うのは、
単なる社会秩序であって、個人が持っている価値ではないということ。
社会秩序が及ぶ範囲の人を殺してはいけないと言う規範は、
倫理観とかそういったものからくる価値体系によってできあがったのではなく
共同体を維持し、社会秩序を維持する目的でできている規範でしかない。
人類共通の普遍の価値として、人を殺してはいけないと言う倫理観があるから
そのような規範ができているのではないと言う事実は、理解したほうがいい。
>>404 >共同体を維持し、社会秩序を維持する目的でできている規範
その通りだと思うよ。
社会倫理というものは、決して神の命令等ではなく、人間が社会生活を送る上で或いは社会を維持する上で必要なもの・守られるべきものだから人間が定めたものに過ぎない。
で、そういう社会倫理は人間が社会生活を送る上では必須なもの、従って人間社会が存在するところには必ず存在するもの、つまり「普遍的」なものだということになるだろ。
倫理観というものは、むしろ後発的なもので、そういう社会倫理或いは道徳を遵守しようという各人が持つ意識のことであろう。
>>405 snti氏
いや、だってあなたは、個人の尊厳を優先するんでしょう。
社会を維持する上で守るべき規範より、個人が幸福になる為の自由を
優先するんだと、表明していると思うんだけど・・・。
その調整が取れれば、かまわないけど、その調整が取れなければ、社会側が
その社会の人の公共の福祉に反しない範囲で、自由を与えなければならないと
考えているんだろ?
じゃ、社会秩序を維持するための規範は、個人の尊厳より下位の価値だという
意味じゃないのかなぁ。
k人の尊厳より会の価値が普遍の価値なのか?いみがわからない。
>>400 なごみ氏
>自然科学と社会科学は違うんよ。
そんなことは貴殿に言われなくても分かっているつもりだが。私がそんなことを知らないとでも?
貴殿が普遍性を唱えるのは宗教だって言ったから、それに対する反証として科学を挙げたのだが、科学さえも宗教のようなものだと言い切ってしまう貴殿には、この論証は全く無力だな。
私にとっては科学が宗教でも全然構わないのだが、ラムたんや大槻教授は耐えられないだろな。
>社会科学に普遍性などないんよ。
「社会科学」というところまで一般化してしまうとそうかも知れないが、法の世界では普遍的な原理と言うのは存在しうると思われる。
実際、法学界においても更には裁判所の判決においてさえも、外国で確立された法理論が持ち込まれるということは決して珍しくない。また、立法においても外国の法理論が参考にされるということはしばしばである。
各国の法律の中には、その国の歴史や伝統とは明らかに異なる法制度が導入されているということは、よく見受けられることなのである。このことは、普遍的な自然法というものが存在している事の証左と見てよいだろう。
>>401 なごみ氏
>人権については、当初はともかく、過度に依存するようになると前者になる。
この部分はよく理解できないのだが、私は何も人権に依存している訳ではなくて、存在するものを存在していると、だからそれを尊重しなければならないと主張しているに過ぎない。
>イスラム教の女性概念と、人権のそれでは違う。
私はイスラム教についてはそれ程詳しい訳ではないし、恐らく貴殿も誤解している可能性があるように思う。イスラム圏でも人権保障に取り組んでいる国では、女性の地位はそれ程低くないそうだ。
実際トルコでは女性首相も既に誕生しているようである。その点では日本より進んでいるよな。
http://www8.itochu.co.jp/tkjts/activity.htm >社会科学を自然科学的に解明しようってのが無理。
貴殿は自然法というものが分かっていないようだな。自然法は、自然科学の概念ではなく、完全に社会科学的な概念。
>宗教だって同じだろう。
よく分からん。
>どこまでを内にするかでも変わってくる。
だから、頭の中で考えているだけなら内心だろ。また、心の中である信仰を持っているだけなら、やはり内心だろ。
しかし、そのことを言葉によって或いは行動によって外部に表現すれば、これはもはや内面ではないので、他者の利益との衝突の可能性が生じてくるため一定の制約を課されうる。
そして外面に現れた場合には、内心面は問題にされることになる。例えば、人の命を奪うという行為を行った場合に、それを意図していたか、不注意だったか、或いは全く意識していなくてかつ十分な注意も怠っていなかったかで法的な扱いは全く異なってくる。
このように、外的な面が内面と結びついた時には内面も法的な関心の対象となるが、そうではない場合つまり完全に内心に留まっている場合は一切制約は課されない。
>>406 れ氏
>社会秩序を維持するための規範は、個人の尊厳より下位の価値だという意味
全くその通り。
貴殿の言うとおり社会倫理規範と言うものは社会を維持するためにあるものだが、それは個人の利益を守るという目的のために個人が組織した社会を守るためのものだから、手段に過ぎない社会を守るための規範が目的である個人よりも優越することはありえない。
だが「人を殺す勿れ」という命題は、これはただ単に社会を維持するための規範には留まらず、もちろんそういう面もあるが、究極的には個人の生命という利益つまり人権を守るための規範。
人の生命という価値は普遍的なものだから、それを守るための「人を殺す勿れ」という規範も普遍的なものとなる。
>>397 れ氏
>憲法71条を知っているから
これは失礼した。ご存知だったとすると、あの発問は尚更ナンセンスなものになると思うが。
>「幸せとは個人単位で思うことである」という偏った思い込みに他ならない。
貴殿の思い込みも多分に偏っていると思うが。しかもそれは現行憲法の理念にも反する。まあ、日本国憲法はドイツ基本法とは違って徹底した価値相対主義と絶対的な思想の自由を保障しているからそれは構わないのであるが。
もちろん国家が維持される事によって国民全体の利益が維持されるという場合はあるだろうし、そのために個人の利益を制限せざるを得ない場合もあるだろう。
それは何も貴殿が想定しているような有事の場合だけではなく、例えば空港建設という国民全体に大きな利益をもたらすもののために、建設予定地の地主の財産権を制限する(例えば正当な補償の下に強制的に収用する)ということはありえることだ。
戦争といった事態になれば尚更だろうが、だからといってむやみやたらに国民の人権に制約を課す事が許されるという訳ではない。あくまでも必要最小限度の制約に限定されるべき。
だから例えば軍隊の兵員輸送や装備輸送のために必要という理由である一定の地域の道路を全て封鎖して、一般市民が一切道路を使用できなくするといったことをすれば、
国民の移転居住の自由は著しく侵害されることになるので、そのようなことは許されないと考えるべきであろう。
>>398 れ氏
>「人を殺すな」は普遍ではない。
なごみ氏に対するレスを読んでからレスして欲しいところであるが。
そういう戦争状態の時には、相手を殺さなければ自分もしくは他人の生命が奪われるという状況つまり正当防衛状況にある場合が多いであろうから、例外的に許されているに過ぎない。
それでも、いやそれだからこそ、戦争状態においてもむやみな殺人行為は戦犯として法的責任が追及されうる。つまり戦争状態においてでさえも「人を殺すな」は妥当する。
>「汝の父母を敬え」は普遍ではない。
信長や家康の行為も道徳的にはやはり許されることではないだろう。事実上止むを得なかったということは言えるかもしれないが、褒められたことでは決してない。
>自然法など、まさにキリスト教的な人類を特別視するところからスタートしているだろう。
自然法は、キリスト教発生以前の古代ギリシャ時代から思想家たちによって語られていた概念だ。これが現在のように体系付けられたのは近代に入ってからだが。
なごみ氏へ
ところで、まだ当分は大丈夫だとは思うが、このスレが書き込めなくなったらどうする?
新スレを立てる?それとも、また他のスレのお掃除する?
Santi氏
まず、基本的には、多くの哲学とか宗教というものは、価値の順位についての
検討である。
貴殿は、価値の対立から、いつも目をそむける。
国家の維持と、人命の尊重では、どちらが優先されるのか、これを語らなければ
ならないのに、
>>409 >>410のような事を書く。
社会秩序維持のための人命尊重は、隣の社会の人命は尊重しないということと同義だよ。
どっちを優先させるのか、はっきり書かない限り、貴殿のお話は、いやのことから逃避している
夢想の世界の説明でしかない。
>信長や家康の行為も道徳的にはやはり許されることではないだろう。
道徳的に許されたから、君主でいられたんだが・・・。家康ではなく利家の間違いスマソ。
71条については、貴殿も猫氏とは異なり、おばかなナナシと同じレベルだとわかった。
>新スレを立てる?それとも、また他のスレのお掃除する?
???何寝言を言っているん???
君が人権に関する議論を望んで立てたスレで、私は人権について議論しているつもりなのに
君はそうではないのか?そうでなければ雑談スレでも立てればいいし、そうであるなら、
人権スレに沿った議論をするよう心がけ、新スレを立てるに決まっている。
>>413 >人権スレに沿った議論をするよう心がけ、新スレを立てるに決まっている。
いや、貴殿がこのスレタイに絡めて人権に関して議論しているのは分かっている。
だから、貴殿がそういうなら新スレを立てる、というよりこのスレのpart2を立てようか?
ただなごみ氏との議論は必ずしも人権だけについて議論している訳ではないから(現在は人権について議論しているが)、必ずしもスレタイに縛られている訳ではない。
その意味でどうしようかと言う問い掛けであった。だって、人権と全然関係のない議論をこのスレでするのはまずいでしょ。
>国家の維持と、人命の尊重では、どちらが優先されるのか、
これは、だって一番最初に言ったと思うが。当然究極的には人命というか人権が優先されるに決まっている。
国家というものは、個人の利益を守るため或いはそれを実現するために存在するものだからだ。
しかしそんな極端に単純化した二項対立で議論をしても、あまり有用な議論ではないと思う。
というのは、実際には国家或いは社会の利益のために個人の権利とりわけ財産権を制限することは認めざるを得ない場合があることは認めざるを得ないからだ。
だが、そのような場合でもその個人の損失に見合った正常な補償はすべきだし、また個人の生命や健康といった重要な権利が制限されることは認められない。
>社会秩序維持のための人命尊重は、隣の社会の人命は尊重しないということと同義だよ。
よく分からないのだが、人命尊重というのは社会秩序維持のためにあるのではなくて、端的にその人命を守るためにある。
その副次的な効果として、結果として社会秩序の維持が守られるということはありえるだろうが、目的はあくまで人命そのものの保護にある。
従って、隣の社会の人命も同様に尊重しなければならない。戦争状態においてすら、国際法規が適用されむやみやたらな人の殺傷は認められない。
>貴殿も猫氏とは異なり、おばかなナナシと同じレベルだとわかった。
おばかでも何でも構わないが、憲法71条を読めば次の内閣総理大臣の任命を天皇に助言承認する事が前の内閣が行うということは分かりそうなものだが。
ま、スレタイに反するからここまで。
>>414 Santi氏
>当然究極的には人命というか人権が優先されるに決まっている。
決まっていないから、戦争がおきるんだろう?
私は、日本人の隷属的支配のための他国からの侵略(仮に確実に人命は守られるにしても)
には、人命をとして戦うべきだと思う。
それは、日本人の人権を守る戦いではなく、日本人が構築してきた社会秩序=国家の枠組み
を守るためだといっているんだが・・・。
だいたい人権の人命も対立するのに、どっちとも欠かないのであれば、同じことのようだ。
> よく分からないのだが、人命尊重というのは社会秩序維持のためにあるのではなくて、
だってあなたは
>>405で、社会秩序維持の目的であることを「その通り」だと言ったじゃない。
お馬鹿でなければ、それ以降の議論をきちんと読んでいないんだろう。
総辞職した時点で、実質的に議会にお任せするという意思表示があったものとみなし
助言承認は必要ではないと考えないと、政権交代の際、議会の指名に従わない旧内閣に
対抗すべき手段がないと言うことも議論されている。すでに総辞職しているのに、助言承認なく
総理が任命できないと考えるのであれば、平和ボケののんき者だろう。(これ以上の異論は
当該スレでお願いする)
416 :
なごみ:04/02/04 21:37 ID:???
>>388 >この辺は日本も似ていなくもない
どこが?
日本の選挙率の低下が熱いの?
自由主義社会では、縦型の構造になる。自由であるが故に格差が生まれるからね。日本も例外ではないんよ。
ただ、この例を見るまでもなく、フランスはこの縦型を前提に上層=エリート、下層=国民の対立構造を民主制に採用してる。だから国民主権が対抗手段=権利になってる。
日本の場合、この縦型という意識がない。国民主権は平等に与えられてしかるべき、という思考で止まってる。それでいいと思ってる。だから政財官という代表者に対立するべく与えられた国民主権が有効に機能していない。
するわけがない。日本は横型が理想だと思ってるからね。
国民主権の肝要はそこ(縦型)にある。主権は国民という概念があって成立するのではなく国家のバランスという大局的見地に立って成立するんよ。
>日本の場合選挙民は絶えず議員にプレッシャーを与え続ける。
お主は何か勘違いしてる。日本では国民がプレッシャーを殆ど与えていない。与えてたら、お主や俺の意見は杞憂なんよ。
それを証拠に、投票率を左右してるのは誰か? プレッシャーを与える少数の固定組織(利権)票ではなく、大多数の浮動票の動向でしょ?
>だから国政と云うよりは、地元への利益誘導に傾きがちだ。
だから、浮動票が動けばそんな利権票など数の前にくだけ散ってしまう。大多数が少数の利権票に負けるはずがない。
でも実際にそのような事態に陥ってるのはなぜか? 大多数の浮動票がプレッシャーを与えていないからなんよ。
>参議院の形骸化も含めて再構築が必要だろう。
俺は、貴族院(民選によらない議院)も視野に入れてる。お主はそれこそ国民主権に反するから同意はしないだろうが、これで国民主権は対極軸を持つことになる。それがレベルを維持し、お互いを安定させる。バランスってヤツだ。
>まさか。正統な国政は、正統な手続きでしか成立し得ない。
その正当な手続きにお主や俺は文句を言ってるわけ。
で、お主の言う国民主権の存在意義って何?
417 :
なごみ:04/02/04 21:47 ID:???
>>416 >日本の選挙率の低下が熱いの?
自作自演ではないが、投票率に関しては、先進国は軒並み低下している。全然熱くない。
投票率は国民主権のバロメーター。先進各国では頭が痛い問題でもあるんよ。
先のフランス大統領選ではその辺が考慮され極右候補が最終選まで残ったと言う極論もある。危機感を煽ることによって投票率を意図的に上げたというもの。俺は極論では切り捨てられないところがある
そうまでしないと国民の半数が正当化しない国家代表が選ばれてしまうからね。この辺の自家撞着だよ
大阪府知事はあれで実質的に正当化されたと言えるのか?
418 :
なごみ:04/02/04 22:42 ID:???
亀ちゃん
>>402 >政界と官僚は指針を決定する為の機関なのだから、総合的な影響力は財界の比ではない。
これはお主との着眼点の違い。お主は、政財官の中で違いを言ってるだけ。俺はそれよりも大きく政財官を一括りに捉えその中の違いなどには言及してないんよ。
政財官が代表者というのは異論はあるまい?
>本来は政・官VS財>民だろう。
ところが、この発言からすると、「政官」と「財民」と分けたがってるようにも思う。
ひ ょ っ と し て 、 財 界 が 国 民 の 側 に い る と 思 っ て る ?
>中国経済が今後も順調に推移していけば
だから「中国脅威論を素直に俎上に乗せれば」と言ってるでしょ。
順調に行くと言うには不安要素が大き過ぎる。中国は世界のどの国家も成功していない壮大な実験を実行してるんよ?
順調に行くと言う根拠は?
>対立軸が一層鮮明になってくるだろう。
今は、米中は協調関係にある。経済の立ち後れから中国がかなり譲歩してるからね。米国も中国という市場を無視できない。でも将来、対立する可能性は高いとおもうよ。中国の国家国民性を考えたら。
日本は米国におんぶにだっこだから、中国政策も独自性がない。しかも、中国がどうなるか未知数。中国脅威論が一般にカイシャしないのはその辺にあると思う。
>其れほど遠くない未来に解決するであろう問題だ。
中国自身もどうなるか解らんのに、台湾・北朝鮮がどうなるか解らんでしょ?
解決しないという選択肢はないのか?
>日本は現在のように米国一辺倒の外交政策を続けることは難しくなるはずだ。
日本は大陸国ではない。だから海を隔てて米国側につくということも充分あり得ると思うが。同様に台湾もね。
人権スレだからその点に絞れば、中国は最も人権から遠い国家。それが順調に行くってどういうこと?
419 :
なごみ:04/02/04 22:47 ID:???
>>403 >持続せず過渡期のあだ花的なきらい
これが全てでしょ?
数の暴力の中で、数以外で存在意義を維持するのはいかに難しいかってこと。
存在意義があるのと、あることを維持するのは違う。政治は結果だよ。
>>416 なごみ氏
>日本の選挙率の低下が熱いの?
???私が近似感を持っているのは、選挙率ではない。
書き方に誤解を与えたのかも知れないが、官僚が主導して国を動かしている点を指している。
フランスが縦型というのは、まぁ、概ね適正な指摘だろう。縦型と云うよりは階級に近い。
だが、90年代には社会民主が議会で勝利して官僚主導に「ノン」を示した実績を持っている。
其の為にシラクは苦しい時期を過ごして後、保守中道が巻き返したがそういった効力をフランスは
有効に行使しているように見える。翻って日本はどうだろう?選挙権を行使するに当たっては
卑近な利益誘導にばかり気にしていて、主要な政策を争点にしては居ない。
議員が争点を回避しているのか、選挙民が争点を卑近な事情に求めているのかは判断が難しい。
しかし、官僚を「おかみ」として従う体質は昔ながらの特質だろう。これはフランスとは事情が違う。
フランスは官僚と政治家がエリートとして渾然一体としているが、日本の場合は嘗てほど
官僚出身の政治家は少ない。2世・3世は多いがどちらかと言えば民意を大きく気にしている。
だから陳情という行為が有効となる。政治家は議員に止まるため、陳情や口利きなど選挙民に
驚くほど配慮している。以前2世議員をしていた人物が、自民党を辞め政治家も断念してその経緯を
本に書いたがそういった選挙民への「配慮」に忙殺され、国政を考える暇がなかったそうだ。
安定した基盤があるのなら状況は違うのだろうが、多寡の違いはあるにしてもそういった
選挙風土で有ることに変わりはない。これも「横型」故かな?
つづき。
>俺は、貴族院(民選によらない議院)も視野に入れてる。
勿論同意できない。民選によらない議会の正統性は認められない。
誰の代表と言えるのだろうか?バランスさえ保てれば、国家の基本的な指針を
骨抜きにしても構わないなどとは、私には思えない。
>で、お主の言う国民主権の存在意義って何?
何を聞きたいのだろう?民主主義としての正統性を確保できるのなら
国民主権は全うされるはずだ。「自分で決めて、自分で責任を持つ」
これこそ、国民主権の本質だろう。
>大阪府知事はあれで実質的に正当化されたと言えるのか?
人材不足。「〜よりまし」という選択肢しか与えられていない状況で有れば
仕方ないだろう。元プロ野球選手よりは、元官僚を選ぶしかなかった。
人材が居ないことが、最大の問題だろう。北川知事や田中知事はそう沢山はいない。
石原を選んだ東京都民というのもどうかとは思うが。
>「政官」と「財民」と分けたがってるようにも思う。
穿ちすぎ。政・官は近いが財は違う。だが、民との対立概念でもあるまい。
勿論一体ではないが、此処の関係性は冷静に判断すべきだと思う。
つづき。
>今は、米中は協調関係にある。
認識不足。米国の国際政治専門家は一刻集中している国家の力学の中で、米国の脅威となるのは
中国でありソ連無き今は充分な対立すべき対象と見なしている。経済成長が脅威なのは、
国力の増大によって国際的発言力が増すからであり、米国は其処を危惧している。冷静に判断すれば
武力の精度等まだまだ米国の敵ではないだろうが、充分な可能性を持っている。
>台湾・北朝鮮がどうなるか解らんでしょ?
台湾はいずれ独立する。そうなったときに中国側が現実的な対応が出来るかが問題だが、
現状の政治路線から考えると、台湾への介入には積極的ではない。ブラフは与えてはいるが
以前のように海峡封鎖などの強攻策に出る可能性は低い。
北朝鮮はもう限界だろう。瓦解した後の行き末に思いを巡らした方が賢い。
>中国は最も人権から遠い国家。それが順調に行くってどういうこと?
やがて、人権擁護の方向へ行かざる得ない。でなければ国際的に孤立するだろう。
これだけ開放経済を推進している以上、逆戻りは出来ない。
>>419なごみ氏
>政治は結果だよ。
結果がでていない小泉政権が、高い支持を維持できているのは何故だろう?
選挙は結果だが、政治は結果だけでは判断できない。
424 :
なごみ:04/02/05 00:31 ID:???
>>407 >科学さえも宗教のようなものだ
正確には違うよ。
科学も宗教も、社会を正当化し体系付ける処方箋(方法論)に過ぎないということ。その意味では同じものだと。方法Aと方法B。
>法の世界では普遍的な原理と言うのは存在しうると思われる。
では聞こう。「法はなぜ守らねばならないのか?」
>決して珍しくない。
>しばしばである。
>よく見受けられることなのである。
それは法の長所だろう。でもそれがまったく世界共通の同じ代物かといえば、それぞれ違う。
違うってことは普遍ではないんよ。
>このことは、普遍的な自然法というものが存在している事の証左と見てよいだろう。
「自然法が普遍である」という根拠は?
「宗教神が普遍である」というのと同じでしょ?
>>408 >存在するものを存在していると、だからそれを尊重しなければならないと主張しているに過ぎない。
存在してるという根拠は?
宗教と一緒。神が存在してるから尊重するんよ。
425 :
なごみ:04/02/05 00:31 ID:???
>実際トルコでは女性首相も既に誕生している
一般に中東イスラム圏はアラブ人だけと思われがちだが、実は、アラブ人は最大勢力であって、トルコ人、ペルシャ人、クルド人の4大勢力が存在する。
イランはアラブ人国家ではない。ペルシャ人国家である。多数のスンニ派に対する少数のシーア派という対立だけではなく民族的対立もあるんよ。
トルコもアラブ人国家ではない。イスラム圏ではあるが、アラブ人と一線を画してる。イスラムの戒律も比較的緩く、又ヨーロッパと地理的に接し、NATO入りも果たし、EU入りも目論む。
因みにクルド人は、トルコ人にいわせれば山岳トルコ人とされ、人種的に違いを認めてない。
トルコが純粋なイスラム圏だったらキリスト圏である欧州と手を組むか?
>貴殿は自然法というものが分かっていないようだな。自然法は、自然科学の概念ではなく、完全に社会科学的な概念。
ごめん。「科学的に」ってのの間違い。
>よく分からん。
「それはまさに人の生命即ち宗教を守るための例外」。
宗教は人を救済、保護するものである。
>だから、頭の中で考えているだけなら内心だろ。
内心の自由は誰が保障するん?
>そうではない場合つまり完全に内心に留まっている場合は一切制約は課されない。
制約は誰が課すん?
>>412 >新スレを立てる?それとも、また他のスレのお掃除する?
次スレは「●理想的な民主国家、日本の在り方を考える●」。立てたたまに主もここに出入りしてるし、スレちということもあるまい。
426 :
なごみ:04/02/05 00:40 ID:???
>>416 >これも「横型」故かな?
あくまでも国家構造としての理想を言ってる。日本は縦型だよ。
細かい突っ込みはまた後日。これだけは誤解あるよ。
人権スレであることを意思して、議論したほうがいいよね。
>>424 なごみ氏
>科学も宗教も、社会を正当化し体系付ける処方箋(方法論)に過ぎないということ。
違うと思うな。宗教についてはそういうことが言えるかもしれないが、科学は場合によると社会というものの意義を否定したり、場合によっては社会そのものの存在をも危うくする場合もあるように思う。
核兵器や生物化学兵器を生み出したのが科学だという事に思いを致せばそのことの想像は容易だろうし、最近のクローン実験の問題にみられるように社会によって規制を掛けられるべきものでもある。
>法はなぜ守らねばならないのか?
これはずっと前に回答したと思うが。まず憲法は国民の国家へ対する意思を表したものだから国家はそれに従う義務があるし、法律は民主主義国家においては国民自身が自分たちが守るべき規範として制定したものだから、自己統治という観点からも国民は従う義務がある。
>違うってことは普遍ではないんよ。
全ての人が人権を享有しているという点では普遍的。ただ、その保障程度が各国によって違いがあるというだけ。
>「自然法が普遍である」という根拠は?
自然法が普遍なのではなくて、全ての人間社会に共通して存在するつまり普遍的である法が自然法なのである。
>存在してるという根拠は?
人間が社会生活を営む上では、その構成員がどうしても遵守するべき規範というものがあるはず。
その規範を破れば、その社会そのものの存在を危うくする、あるいは人間が社会を構成した意味を根底から覆す事になるから、必ずその構成員に遵守が求められるといった規範である。
そういった規範は人間社会があるところ必ず存在するだろう。そういったものを自然法と呼んでいる。
ところで、貴殿は自然法の存在を否定する立場だったか?それだけ確認したい。
>>425 なごみ氏
>トルコが純粋なイスラム圏だったらキリスト圏である欧州と手を組むか?
私に言わせれば、彼らは敬虔なイスラム教徒だと思うが。
政治的・軍事的な理由で欧州と組む必要があるとはいえ、敬虔なイスラム教徒である彼らが不十分ながらも少しずつでも人権を保障し女性の地位を高めようとしているということは、
人権や男女平等といったことが必ずしもイスラムの発想と矛盾するものではないことの証であろう。
マレーシア等も不十分ながら人権が保障されつつあるという主張をしていたのは貴殿だったか?亀哲人氏だったか?
>内心の自由は誰が保障するん?
>制約は誰が課すん?
国家に決まっているでしょ。わかっているくせに。どうしても私にそれを言わせたかったんだろ。
ところで、れ氏の指摘もあるので、このスレではなるべく人権に関する議論を中心にして頂きたい。もちろんそれ以外のテーマを論じても私は一向に構わないのであるが、スレタイを尊重すべきという主張も一理あると思うので。
出来れば亀哲人氏との議論もその方向でお願いしたいのであるが、ときに人権に対する考え方は貴殿と亀哲人氏とは一致しているのか?もし一致していないのであれば是非。
>>429 Santi氏
>マレーシア等も不十分ながら人権が保障されつつあるという主張をしていたのは貴殿だったか?
其れは私の発言。如何なる宗教体系や政体も、民主制を形の上だけでも表明しなければ
正統性を失うし国際的なコンセンサスを得られにくい現状がある。イスラム教はキリスト教と
兄弟関係にあり根元的な思想は同根だから、対立もするが実は極めて民主的な宗教だ。
運用に問題があるのは、キリスト教原理主義も同じであり、モスレム故に非民主的とは云えまい。
まぁ、
>>354以降コテハンの占有になっているのは、スレの自治が機能していない
ということだし、スレ立てたSanti氏は、少なくとも、人権に無関係なことについて
スルーするなり、どこかに誘導するなりして、スレタイに沿った広範囲な議論ができる
よう、したほうがいいよね。義務ではないけど。
雑談スレもあってもいいけど、コテの占有雑談スレだったら、私は参加しないし、
他の人も参加できる環境ができないなら、やっぱり参加はご遠慮したい。
>>430 私も全く同感だな。
「民主的」かは疑問だが、神の前での平等を説く点で平等を重んじる宗教であることは確かであろう。
マルコムXなんて映画があったが、この映画では確かイスラム教徒の指導者が黒人解放運動を行うというストーリーだったと思うが。
実際、黒人のイスラム教徒は多いそうである。
また、イスラム教はキリスト教徒同じく神が人間を創造したとするので、人間の尊厳を重んじる点でも共通のはずだ。
イスラム教が人権概念とは相容れないなどという不可解なことを言い出したのはれれれのおぢさんで、なごみ氏はそれを受け売っているだけだと思う。
従って、れれれのおぢさんのイスラム教に関する認識不足ということが判明したのだと思う。
>>431 しかし、そうはいっても、基本的に書き込みをするかどうかは各人の自由だから、第三者を強制的に引き入れる訳にも行かない。
それこそ保守考氏が以前行っていたように、他のスレに行って勧誘でもしないと他の人を引き入れることは困難だと思うが、私はそんなことはしたくないし。
せいぜい出来る事といったら、今までsage進行で来たのをage進行に変えることぐらいか。
ま、私は今のままでも全然構わないし、貴殿が参加したくないと言うならどうぞお引取り頂いて一向に構わない。
存在意義スレの方には、何か猫氏やアズマ氏に匹敵するような有力なコテが現れたみたいで貴殿もお忙しいと思うし。
>>415 れ氏
>日本人の人権を守る戦いではなく、日本人が構築してきた社会秩序=国家の枠組みを守るためだといっているんだが・・・。
だから、その発想が全体主義的な戦前の発想で、現憲法の理念にも反していると言っているんだけど。
国家というものは、国民の利益を守るために存在しているのであって、国民の利益を守るという目的を離れて、独自の価値を持っているものではない。
国家が国民の人権を制限してまでも、他国の侵略に対して自衛権を行使することが認められるとしても、それはその自衛権の行使によって国民の利益が守られる場合だけだ。戦前の「国体護持」のような発想は少なくとも現憲法は採用していない。
また、現在の国家が存在する事が国民の利益に反するならば、それを作り変えることも出来るとされている。国家は国民の奉仕者に過ぎないのである。
ただ、貴殿がいう「日本人の隷属支配のための他国の侵略」を阻止するための自衛権の行使は、その目的は国民の人権保障に繋がると思われるので、正当化されうると思われるが。
上記の議論は、憲法上自衛権の行使が認められているという前提に立っての議論であることは断っておく。自衛権の行使が憲法上認められるかどうかは、又別の議論である。
>社会秩序維持の目的であることを「その通り」だと言ったじゃない。
社会倫理というものは、社会を維持するためにある。
しかし、「人を殺すな」という規範は単なる社会倫理であるに留まらず、端的にその個人の人命という利益つまり人権を守るためにもある。というより、それが主目的だ。
>>432-434 まず、回教と言うものを貴殿はご存知ない、というより三つの宗教について
きちんとした知識があるならば、そのようなことは書かない。
一番重要な点、それはキリスト教だけが「内心の信仰」を認めていると言うことである。
貴殿は、信仰の自由が内心にとどまる時、それは自由であると述べていた。
しかし、それさえも、一神教の中のキリスト教の特徴でしかないのである。
イスラム教は、内心の信仰を信仰と認めない。信仰を告白し、戒律を守らなければ
信仰ではないとされている。聖典の解釈を個人に認めるんのは、プロテスタントの
特徴である。カトリックにおける聖書の解釈権はローマ教皇にある。
回教における宗教指導者の、宗教解釈は絶対であって、それにそむくことは、絶対
的なコーランを否定することとなる。
コーランにそむく人権(例えば男女平等・男女共同参画社会)を、この教義と整合
させて、どうやって秩序を立てられるのだろう・・・。
貴殿が述べている人権は、キリスト教的であるという自覚は、持ったほうがよい。
>しかし、そうはいっても、基本的に書き込みをするかどうかは各人の自由だから、
>第三者を強制的に引き入れる訳にも行かない。
少なくとも第三者も参入できるように的を絞って議論されたらいかがですかと言う
アドバイスである。
国民の利益を守るためには国家が存在しなければダメだろう。
それが全体主義というなら、世界の国々は全体主義だという結論にいたる。
自然権について面白い記事を発見したので、掲載
参議院憲法調査会のアメリカ合衆国における憲法事情に関する実情調査
サンドラ・デイ・オコナー氏(Sandra Day O´Connor)
連邦最高裁判所判事の発言
「米国民は、権利は自然権ではなく、憲法が保障した権利と認識している。」
調査団長の報告では
「午後は、まず、最高裁判所にオコナー判事を訪ねました。あらかじめ提出して
おいた質問状に沿い、1時間近く話されました。
要点は次の通りです。「基本的人権は自然権でなく、憲法が保障した人権と
考えられています。憲法の修正は難しく、法律の方が時代の変化に対応できます。
社会権や教育権、さらに環境、プライバシー、被害者などの新しい人権は、立法で
対応します。・・・以下略」
米国でさえ、自然権ではなく、憲法が保障した権利であると、考えているよだね。
Santi氏はどう思うのかなァ。
>>435 れ氏
>貴殿は、信仰の自由が内心にとどまる時、それは自由であると述べていた。
それは正確ではない。貴殿は私のレスをきちんと読んでくれているのだろうか?
信仰の自由が内心にとどまる場合は「絶対的な保障」だと言ったのだ。
しかし、その信仰が外部に現れた場合でも、例えば集会を開くとか、布教活動をするとか、あるいは戒律に従って生活するといった場合も、
例えば信仰活動の名の下に人身御供を捧げるとか、公共の場でサリンをばら撒くといったような公序良俗に著しく反した行為をしない限り最大限保障される。
>イスラム教は、内心の信仰を信仰と認めない。信仰を告白し、戒律を守らなければ信仰ではないとされている
それはキリスト教だって、或いは他の多くの宗教でもそうでしょうよ。神道はどうか知らないが。だって、その宗教に帰依する限りその宗教の教義を奉ずるのは当然だろう。それが嫌なら自己流の新宗教を創始するしかない。
私が言っているのはそういった各宗教とそれに属している信者の関係のことではなくて、信仰者である国民と国家との関係である。
つまり、国民がイスラム教を信じようが、キリスト教を信じようが、生長の家を信じようが、それについて国家が上記のような公序良俗に著しく反するような場合でない限り制約を課してはならないということ。
>コーランにそむく人権(例えば男女平等・男女共同参画社会)を、この教義と整合させて、どうやって秩序を立てられるのだろう・・・。
これは人権の問題というより、政教分離の問題だろう。人権というものは、基本的には国家と国民の関係の問題。国政を宗教とは分離することによって、人権を国家が保障することは可能だろう。
また、私は必ずしも人権がイスラムの教義に反するとも思わない。
>少なくとも第三者も参入できるように的を絞って議論されたらいかがですかと
だから、私は人権に絞って議論をしているだろ?また、なごみ氏や亀哲人氏にも呼びかけた。しかし、彼らにこういう議論をしると強制するようなことは出来ないし、私に対するレスを無闇に無視するのもどうかと思う。
このスレを立てようと提案したのはそもそも貴殿なのだから、貴殿が思うように誘導されればいいことだと思うが。
>>435 れ氏
>それが全体主義というなら、世界の国々は全体主義だという結論にいたる。
貴殿が、国が行う自衛戦争を「人権を守る戦いではなく、日本人が構築してきた社会秩序=国家の枠組みを守るため」といったから、それは全体主義的な発想だといったのだ。国民の利益つまり人権を守るのが目的なら全体主義ということにはならない。
>>436 前にも言ったことだが、貴殿はその判事が言うことなら鵜呑みにするのか?彼が馬の事を鹿だと主張すれば、貴殿はそれを鹿だと信じるのか?彼が誤ったことを言っている可能性或いは参議院の調査委員が曲解した可能性は考えられると思うが。
例えば米国憲法修正9条には次のような規定がある。
「この憲法に一定の権利を列挙したことを根拠に、人民の保有する他の諸権利を否定し、または軽視したものと解釈してはならない。」
この条文を読めば、憲法が規定している権利の他に人民が既に保有している権利つまり自然権があることを前提としていることが分かるだろう。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/syuseikennpou.htm
付け加えるならば、アメリカの憲法にはもともとは統治規定だけで人権規定は置かれてなかった。
人民が人権を持っていることは当然の事だと考えられていたからだ。
しかし、移民が増え人口が急増した事により、やはり憲法に人権を規定しておかなければまずいだろうと言う事になって後から人権規定が修正箇条と言う形で追加された。
そういう歴史的経緯を分かっていれば、その判事の発言が可笑しいということは分かりそうなものだが。
もっとも、その判事が「国民の意識」ということで語っている事から、一般大衆の無知蒙昧さを言ったものだとしたら満更間違いともいえなくなってくるのだが。
>>437 >それはキリスト教だって、或いは他の多くの宗教でもそうでしょうよ。
キリスト教は、内心の信仰と、異なる行動を認めると言うのは常識だヨン。
パウロ(ペテロ)はローマ市民でありながらキリスト教徒であった。
それがローマ教皇の初代なんだから、回教やユダヤ教徒異なる。
キリスト教においては、回教やユダヤ教と異なり、内心でキリスト教を
信仰していれば、市民として、信仰が求める戒律にそむく行為を行っても
宗教的に許される。(他は許されない)
回教を信じると言うことは、時間になれば礼拝を行わなければならない。
それにそむけば、宗教的には許されない。だから、社会の規範として
就業時間であろうとも、国会の会期中の議員であっても、その時間になれば
礼拝を行うと言うのが信仰であり、回教は信じているけれども、社会の中で
の規範を優先すると言うのは、宗教的に許されない。
だから、信仰の自由を確保するならば、社会が彼らの信仰上の行動を特別に
慮ってやるしかなく、それは、平等に反すると言うことである。
こういった常識を知らないと言うのは、日本人の特徴であるかもしれないん
だけれども、だから、人権思想が普遍だなんていえるんだけれども、それが
回教国で摩擦/軋轢を生んでいると言う事実はしらなければならないし、
知らないなら、お勉強すべきだね。
>>438 Santi氏
>国民の利益つまり人権を守るのが目的なら全体主義ということにはならない。
国民の利益は、人権を守ることではなく、利益を守るための国家の崩壊、消滅を
防ぐことである。人権は国家によって守られる。人権を守るために国家を守るの
ではなく、国家ありて、初めて守られるべき人権が規定されるのである。
はっきり言えば、人権を守らない国家であっても、国家崩壊は防止されなければ
ならない。当然でしょう。
>貴殿はその判事が言うことなら鵜呑みにするのか?
貴殿は、最高裁判事の言葉を、自己の言説に反すると言うだけで、頭から否定する
のか?まして、我が国の憲法調査会という議会の正式機関の議長について
失敬千番に邪推しながら・・・。感想を聞いているのだから、その言い方はないだろう。
あまりにも、ヒステリックな反応ですね。 で、
自然権であると考えると、法律で明文化されていなくとも、当然に権利は存在する
と言う結論となる。そう捉えることは、訴訟社会である米国において弊害が多いだろう。
まして、州ごとに法律が違う国家だ。
法律が明文的に決めた権利だけがある、権利は法律で決められると考えるほうが
秩序が保てるということじゃないのかと、私は推測している。
貴殿の感想やいかに。
>>439 santi氏
>人民が人権を持っていることは当然の事だと考えられていたからだ。
たぶん、人民ではなく、「白人だけには」の間違いだろう。
>>440 >回教を信じると言うことは、時間になれば礼拝を行わなければならない。
是は認識不足。回教が一日5回(明け方、正午過ぎ、日没後、夜半)、メッカの方向に向かって
礼拝を行うというのは良く知られているが、キリスト教徒は毎週日曜日は仕事を休んで
教会で祈らなければいけないとするのと同様、あくまでも「あるべき信仰行為」にすぎず
現実のモスレム・ビジネスマンなどは時間になると心の中で祈って済ます人も多いと聞く。
宗派についても、良く知られているスンニ派とシーア派以外にハワーリジュ派の中には、
アズラク派 、スフル派 、イバード派 があり他にもルジア派やスーフィー派という系譜も存在する。
近代イスラム改革運動の中で、サウジアラビア王国の国教となっているワッハーブ派等々。
キリスト教にも多数の教派があるが、個々に違いがあり一口に「モスレム故」とは括りきれない。
444 :
なごみ:04/02/07 00:26 ID:???
サンちゃん
>>428 >最近のクローン実験の問題にみられるように社会によって規制を掛けられるべきものでもある。
なぜ規制されてしかるべきなのか?
又、そのことに反論する声に「人間が神の領域に踏み入れるのはケシカラン」というのがあることについては?
人権も宗教も使われ方が一緒でしょ?
>人間が社会生活を営む上では、その構成員がどうしても遵守するべき規範というものがあるはず。
それが宗教だとだめで、人権だけよしとする根拠は?
宗教も人権も方法論であって突き詰めていくと存在意義は同じなんよ。それが非合理(神)によるか合理(自然法)によるかの違いだけ。
判断基準に、昔は宗教を持ち出し、今は人権を持ちだすということ。
>ところで、貴殿は自然法の存在を否定する立場だったか?それだけ確認したい。
俺は宗教も自然法も方法論として一緒だと言ってるんであって、存在意義は否定しない。なぜなら人間は社会的動物だからね。
宗教社会も人権社会も社会は社会。
445 :
なごみ:04/02/07 00:28 ID:???
>>429 >私に言わせれば、彼らは敬虔なイスラム教徒だと思うが。
トルコ共和国がどういう経緯で成立したか(オスマン朝トルコ帝国の崩壊)がポイント。彼らが敬虔なイスラム教徒ならば、キリスト教と手を組むことはない。
>少しずつでも人権を保障し女性の地位を高めようとしているということ
俺は、これが普遍的に正しいことだとは思えないんよ。
お主はこれを男女平等と捉えてるようだが、「高める」のは機会の平等か?
お主、田島陽子女史をどう思う?
>人権や男女平等といったことが必ずしもイスラムの発想と矛盾するものではないことの証拠
イスラム圏でも比較的戒律の緩いトルコをして矛盾しないと言い切るのは、強引すぎやしないか?
お主とは、結論は元より前提からして違う。
>マレーシア等も不十分ながら人権が保障されつつあるという主張をしていたのは貴殿だったか?亀哲人氏だったか?
宗教とは価値体系を非合理に求めるだけであって、後は解釈論と言える。お主が比較的に戒律の緩いトルコやマレーシアを挙げるなら、俺は旧タリバン政権やイランを挙げるw
>国家に決まっているでしょ。
これは「●理想的な民主国家、日本の在り方を考える●」でしたい。棲み分けよー。
>このスレではなるべく人権に関する議論を中心にして頂きたい。
いいよん。
>貴殿と亀哲人氏とは一致しているのか?
自分が言ってることが結果としてたまたま一致してるだけ。同じところはお互い不思議に思うところもある。ただ一致させようとは思ってない。
今の時点では「なごみ」「れれれ」vs「サンチ」「亀哲人」という構図だが、どうなるかな?
内輪揉めするかもしれないし、鞍替えするかもしれない。
>>440 れ氏
>キリスト教は、内心の信仰と、異なる行動を認めると言うのは常識だヨン。
そんなわけない。例えば、モーゼの十戒には「他人の者を盗むなかれ」という規定があって、日常生活においてもその掟を遵守することが求められ、他人の物を盗んだり横領したりすれば、宗教上罪になる。
尤も、カトリックには「許しの秘蹟」というものがあって、罪を犯してもそのことを悔い改め司祭に告白し許しを求める事によって許しを得られるという秘蹟があるが、それにしても一定の贖い例えば祈りを唱える事などを行う事が求められる。
また、逆に言えばそのような制度があること自体、日常生活においても戒律に則って生活する事が求められていることの証でもある。
>回教国で摩擦/軋轢を生んでいると言う事実はしらなければならないし
トルコのように政教分離を実現する事で、折り合いを付けている国もある。
>>441 >人権を守らない国家であっても、国家崩壊は防止されなければならない。
だから、その発想自体が根本的に現代の立憲国家が重んじている価値観に反していると言っている。基本的に国家が存在する事が正当化されるのは、その国家が国民の利益つまり人権を保障している場合のみである。
>>441 れ氏
>自然権であると考えると、法律で明文化されていなくとも、当然に権利は存在すると言う結論となる。
その通りである。人権は前国家的な自然権なのである。
従って、その判事の見解は、彼が本当にそう言ったのだとしたら、適切ではない。
もしそのアメリカの例で権利が憲法で明文化されたものしか存在しないのだとしたら、上で挙げた修正9条の規定はどう解釈するのか?貴殿の見解をお聞きしたい。
最高裁判事や憲法調査会の議長等の『偉い人』の見解だから、それが正しいというのでは話にならない。その判事の判断がどうして正しいといえるのか、そしてその説でも修正9条の規定には矛盾しないということを論理的に論証する必要がある。
この規定は明らかに憲法が規定する権利以外にそもそも人民が享有している権利つまり自然権があることを前提にしていると解するのが最も素直な解釈であろう。
弊害が多いから自然権を認めないというのは、むしろ論理が逆である。自然権というものは人民が原始的に享有しているものなのだから、弊害があるから認めるとか認めないといったことを国家が決定できるものではない。
だから弊害があるというなら、国家はその人権の衝突を回避するための調整をすればいいし、それしか出来ない。
それから、貴殿がつくづく権威に弱い人であることも良く分かった。
法律学というものは、相手が最高裁の判例であろうが、高名な学者の学説であろうが、多くの学者に支持されている学説であろうが、権力ある国家機関の公式見解であろうが、その説が妥当ではないと判断すれば臆せず批判する学問なのである。
ましてや、外国の最高裁の一判事の個人的な意見なんて何の拘束力もない。
更には国会の憲法調査会の議長なんてただの一議員に過ぎないだろ?彼はむしろ我々国民の為に身命を賭して働かなければならない公僕という立場にある。そんな人物が誤っている可能性を指摘する事に何の躊躇をする必要があろう。
>>442 れ氏
>人民ではなく、「白人だけには」の間違いだろう。
これがいつも論理的な議論を展開する貴殿のレスとは・・・
一瞬目を疑った。これでは、よく見かける名無しが思い込みを叫んでいるだけのレスと同じようなレベルではないか。貴殿の方がよっぽどヒステリックだ。
米国憲法の原文にも当たってみたが、きっちりとpeople(人民)となっていた。White peopleではもちろんないし、nation(国民)ですらなかった。
>>444 なごみ氏
>なぜ規制されてしかるべきなのか?
社会に危害を及ぼす恐れがあるからだろう。クローン実験についてだとピンと来ないかもしれないが、核実験や生物化学兵器についての研究についてはそうだろう。遺伝子操作なども生態系を変えてしまう危険性があるし。
>そのことに反論する声に「人間が神の領域に踏み入れるのはケシカラン」というのがあることについては?
批判する人がどのように批判するかは自由だろう。神を信じている人が、そういう風に批判しているだけだろうし、それは別に構わない事だと思うが。
>人権も宗教も使われ方が一緒でしょ?
使われ方が同じ様な物だから、中身まで同じだというのは余りにも安直な議論だと思うが。使われ方は類似していても中身が異なるということはあり得ることだろう。
>それが宗教だとだめで、人権だけよしとする根拠は?
宗教だとダメだなどとは言っていないが、宗教はその宗教を信じている人にしか規範は効力を及ぼせないのに対して、人権(自然法)は人間の本質的なものから生じたものだから、人間である限り全員に妥当しうるものだろ。
>判断基準に、昔は宗教を持ち出し、今は人権を持ちだすということ。
確かに、以前は自然法を根拠付けていたものが宗教だったのだが、宗教というものが影響力を低下させたため、宗教の規範を支える説得力も減退したから、宗教に代わるものとして理性を持ち出して、それで自然法を根拠しなおしたという面があることは否定できない。
>俺は宗教も自然法も方法論として一緒だと言ってるんであって、存在意義は否定しない。
だとすれば、私とそれ程意見の相違は大きくはない筈なのだが。そうすると我々の主たる対立点は、人権や自然法を普遍的なものだと見るかどうかということか?
しかし、人間に共通な普遍的な法が自然法だから、自然法を認める限りその普遍性も認めざるを得ないと思うが。
>>445 なごみ氏
>彼らが敬虔なイスラム教徒ならば、キリスト教と手を組むことはない。
国政と国民の信仰とは別だということだと思うが。つまり宗教と政治を分離した結果、西欧と手を組む事も可能になったのであろう。政教分離はやはり大事だねえ。
>お主はこれを男女平等と捉えてるようだが、「高める」のは機会の平等か?
これ迄、男性に比べて女性のほうが地位が低かったから、地位を高めて男女同等な地位にしようということなのだと思われるが。
>田島陽子女史をどう思う?
別に何とも思わないが。彼女は彼女が思うところを主張すれば良いだろう。それに賛同するかどうかは各人の自由だし。
>お主が比較的に戒律の緩いトルコやマレーシアを挙げるなら、俺は旧タリバン政権やイランを挙げるw
結局イスラム圏の国々で人権が保障できるかどうかは、政教分離が実現できるかどうか或いはどの程度徹底できるかに係っているのだと思う。
その意味では、キリスト教圏の国々も一枚岩ではないよ。
人工妊娠中絶を法律で禁止している国もあれば認めている国もあるし、カトリック圏の国の中には離婚を禁止している国もあるし、認めていたとしても協議離婚はダメで必ず訴訟を行ったうえでなければ離婚できないという国もあるらしい。
>棲み分けよー。
いや、人権を語る上では国家は避けて通れない要素だと思う。人権の主体は国民だが、客体は国家だから。人権と関わりがある範囲ではこのスレで国家についても議論すべきだと思うが。
>>446 santi氏
おいおい、キリスト教の話し、しかも回教/ユダヤ教との、違いを論じているときに
モーゼの話を出してどうするんだよ。
いいかな、キリスト教信者のサンチ君が、別の宗教の国(神道でもいいよ)に、官僚
としていたとする。異教の神に祈らなければならない立場であったとする。
キリスト教は、異教の神に祈る行為を拒否しろとは言わない。せいぜい懺悔しなさい
でOK。行動よりも信仰心が大切と説くんだよ。だから、異教の神に奉じているローマ
市民でキリスト教徒のペテロは、解釈権者のトップになれた。
回教徒は、異教の神に祈る行為を許さない。例え殺されても信仰を貫く。回教徒で
あることを隠す事さえ許さない。(原理的には)・・・わかる?
折り合いについては、折り合うことを強制するなら、信仰の自由を奪うことだよ。
信仰とは行動であるという宗教において、内心の信仰の自由を保障されても
糞の役にも立たないんだけど・・・・・・。
>>447については、結論ありきの言説でしかない。自然権の思想によって、権利が
法律に規定されたとしても、それ以外の権利は、法律で保障されない。
これは、自然権と言う思想に基づこうと、そうでなかろうと、権利の枠組みは
法で決定し運用すると言う基本的な考えである。そうでなければ、基本法は
自然権と言う思想を強制していることになる。思想信条は自由だろう。
民主主義とはそういうものだろう。
自然権と言う思想に基づいて人権があると考え、様々な権利を法に盛り込もう
とすることにおいて、自然権の考え方があるのだが、法に規定されていない権利は
保証されていない。だから、自然権を信奉する人は方に盛り込もうとする。
権利は法によって保障されている。だから、日本でも、13条などを根拠にしているん
だろう?法において自然権は認めない。自然権と言うくくりが、人によって違って
確定的ではないからだ。
>>448 だったら、何故米国には奴隷制度があったのか説明を希望。
人民総てに自然権としての人権があると、米国人が基本法において
確信していたなら、どうしてインデアンへの差別・黒人奴隷は存在していたのか
もっと言えば、黄色人種の下に法秩序に基づいた命令として原子爆弾が投下
されたのか、教えてくれ。
人権は法によって規定され定まった範囲にしか適用されないと言う考えが
あったからという以外に、説明できないでしょう。
453 :
なごみ:04/02/07 12:40 ID:???
サンちゃん
>>449 >社会に危害を及ぼす恐れがあるからだろう。
それでは、科学の発展を否定することになるぜぃ。クローン実験にしても核実験にしても生物化学にしても遺伝子操作にしても、危害の裏側には発展がある。
表裏一体なんよね。お主はそのうちの一面でしか判断してないよーな。
じ ゃ あ 、 お 主 は 科 学 の 発 展 を 否 定 す る ん ?
>批判する人がどのように批判するかは自由だろう。
こっちの意図が解りにくかったかもな。科学を規制する処方箋として、お主のように科学的に批判するのも、宗教的に批判するのも一緒ということなんよ。
で、その宗教的な批判が決して的外れではなく、神を信じていない人にも妙な説得力があると思うんよね。科学が発展しても神は否定できないからね。神は科学では解明できてない非合理のことなんだから。
お主のように科学的に解決すると思うなら、こっちも神など持ち出さないよ。
>中身まで同じだというのは余りにも安直な議論だと思うが。
だから「それが非合理(神)によるか合理(自然法)によるかの違い」つまり中身は全然違う。
>人権(自然法)は人間の本質的なものから生じたものだから、人間である限り全員に妥当しうるものだろ。
宗教も人間の本質を説いたものだが。
人権の本質とは何か(それが宗教とどう違うのか)?
454 :
なごみ:04/02/07 15:50 ID:???
>>449つづき
>宗教に代わるものとして理性を持ち出して、それで自然法を根拠しなおしたという面があることは否定できない。
ということは、宗教と人権で何ら変わったということはないんだね。
確かに人権侵害すれば、宗教対立なみに過剰な反応が返って来る。
>我々の主たる対立点は、人権や自然法を普遍的なものだと見るかどうかということか?
だ・か・ら、
「そもそも「普遍性」があるとするのが宗教でしょ?」
「普遍性ってのは、そう思ってる信じてる人間のみ有効であり普遍なんよ。」 (
>>373からループってる)
宗教も人権もなんら変わらない。
宗教や人権はそれぞれ普遍性を謳ってる。しかし、それはその前提に立てばのハナシであって、立たなければ普遍であるはずがない。
立ってるのがお主。立ってないのが俺。
逆に聞こう。「宗教は普遍的なものではないのか?」
>自然法を認める限りその普遍性も認めざるを得ないと思うが。
自然法があるとする根拠は?
自然法は机上の空論(理想)であって、後はそこからの解釈論(現実)なんよ。
科学の発展について一言。
またまた障害者の話である。
現代の難病(難病認定されている病気)は、遺伝子の問題である場合が多い。
すなわち、遺伝子治療以外では、治癒が不可能とされている病気が多いのである。
前出の「網膜色素変性症」も、まさにそうである。
さて、遺伝子治療の中で最も有効なのはES細胞を利用することである。
ES細胞とは、各部位に分裂する前の細胞であって、当然に筋肉にも、神経にも
耳にも、鼻にもなりうる細胞である。これを必要な(網膜色素変性賞においては網膜)
になるよう誘導できれば、難病の多くは治癒可能となる。
ここで、障害となるのが「遺伝子操作なども生態系を変えてしまう危険性があるし。」
などと言う心無い人権派の印象操作と、無知で無自覚な妄言である。
また、胎児になる前の細胞からしか研究はできないのだが、これを人道上の問題と
するお馬鹿な人権派も多い。こういった圧力で、人命にかかわる難病の治療法確立
が遅れている。悪用されないことは重要だが、危険性を理由に研究を抑圧する人たちは
その事の重大さを自覚しているのだろうか。
人権なんぞと言う宗教のために、治る病気が治らない、遅れることの意味は考えた
ほうが良い。
原子力発電の恩恵を受けてパソを操作していながら、原子力研究が原爆研究をも
内在するから、すべきでないと言っているようなものだ。
>>455 >原子力発電の恩恵を受けてパソを操作していながら、原子力研究が原爆研究をも
>内在するから、すべきでないと言っているようなものだ。
まるで、東京電力の広報の様な発言だな。原子力利用の発電と電力利用のユーザーとは
直接的な因果関係は成立しない。我々は供給された電力を、対価を払って利用しているのであって
原子力発電「だから」利用している訳ではない。原子力発電によるリスクは、電力会社の問題。
放射性廃棄物の処理や設備が放射線に汚染され関係者や近隣の住民が危険にさらされる問題を
解決すべきは、我々利用者ではなく供給側が解決すべきだろう。上記455の発言は詭弁に過ぎない。
因みに私は、よりリスクの少ない電力供給に代替え出来るのなら、
現在よりも高額な電力料金を支払うことにいささかのためらいもない。
>>456-457 亀哲人氏
比喩の部分の「のようなもの」にだけ反応するのは、ほほえましくもある。
「のようなもの」が論理的でないと、全体が詭弁になるの?ふ〜〜〜ん!
詭弁だね。そりは。
>>458 詭弁の上塗り。
事例を出している以上は、比喩といえども適切ではない。
分かるかな?
>>549 じゃぁ、その電気関係を取下げ。(ただだの例え話を「事例」と言う変な人もいるから、
面倒なこったなァ。)
>>460 間違った認識による例え話では、「例え話」として成立しない。
例え話として原発を事例として取り上げている訳だが、成立しない話題を例示する事は
間違いであると何故素直に認められないのかな?頑迷なだけでは書き込み価値はない。
462 :
なごみ:04/02/08 02:25 ID:???
>>456 >対価を払って利用しているのであって原子力発電「だから」利用している訳ではない。
それこそ詭弁でしょ。
大抵の人は電気が原子力で賄われてることは知ってるし、昨夏の電力危機も原発のトラブルによるものだと解ってる。つまり、原子力「だから」潤沢に電気を使えてるんよ。原子力がないと困るんよね。そのことは解ってる。
お主は、そのことにはほおかむりで都合のいいところだけ主張する。普通の香具師ならどう考えても「原子力だから利用してるわけじゃない」とは言えないぜぃ。
原発は危険だけど、ないと困るんよ。それが解ってるから言えないんよね。
でも人権派って平気で言える。不思議だね。
>因みに私は、よりリスクの少ない電力供給に代替え出来るのなら、現在よりも高額な電力料金を支払うことにいささかのためらいもない。
で、この結論なわけだが、自己中心もここ極まれり。
お主がいってることは「払えない香具師は使うな!」ってことだぜぃ。お主は経済的に余裕があるからそう思うんよ。
ま、これからそういう貧富や弱肉強食の社会になっていくだろうね。人権によってもたらされるものってのはそういうもの。
だから俺は国家主義なんよね。
463 :
なごみ:04/02/08 02:29 ID:???
>>461 亀哲人氏
私はスレタイを意識して書き込んでいる。
貴殿の言説に納得はしないが、論旨に重要でもないし、スレタイからしても
その点について議論をしなくてもよい。だから、引っ込める。
そういうことだから、論旨の中心でない部分を、頑迷に取り上げず、
スレタイと論旨に沿った議論をお願いする。
で、君が頑迷にあげつらう
>>455の、最後の二行以外の部分については
どう思うのかな?
>>462 >つまり、原子力「だから」潤沢に電気を使えてるんよ。原子力がないと困るんよね。
その条件を作り出しているのは、我々利用者ではなく供給者である電力会社。
詭弁でも何でもない。
>原発は危険だけど、ないと困るんよ。それが解ってるから言えないんよね。
どう困るのかな?現在のような無駄な電力消費が出来ない事かな?
>お主がいってることは「払えない香具師は使うな!」ってことだぜぃ。
違うな。一定低水準以上の消費を控えれば済むこと。そもそもが、電力消費の大部分は
事業用だ。民間消費など問題にならないほど少ない。つまりは生産性の効率化の細目に
電力消費を加えた生産性を図れば良いことだろう。君、発言の方向が間違えている。
>だから俺は国家主義なんよね。
国家主義は非効率な政策。既に多くの国家主義が敗北していると知るべきだろう。
>>464 スレタイと違うのは分かっている。
君の主張せんとしている論旨からすれば、一部の環境保護団体などは科学的というよりは
感情論的な発露で自然保護を訴えているように見える。鯨問題など、正にそうだろう。
だが実際に環境破壊は進んでおり、エビ好きの日本人の消費量を見込んで、タイの湾岸地域では
エビの養殖場が数多くできているそうだ。その為に生態系が崩れ、環境破壊に繋がっている。
私は、そこまでしてエビを食べたいとは思わない。是は電力を原子力に頼りたくない発想と同じ。
開発費が掛かってでも風力発電や他の代替え発電施設開発をすべきだろう。危険を背負って迄
快適な電力消費を手に入れたいとは思わない。
つづき。
南米や東南アジアの南洋材を我々日本人は、使い捨ての木材としてずっと消費し続けた。
その結果は誰もが知っている。南米の木材輸出先は圧倒的に日本が一番多い。
安価なカラーボックスや数年で捨てられる低価格な家具類の多くは南洋材を使用している。
北欧産の高額な家具は、確かに価格は高いが吟味して選べば一生使い続けられる。
そういった消費動向の変化を持たなければ材料供給源である自然は破壊され、熱帯雨林は
伐採され続けるだろう。結果として我々の子孫がどんな手痛い目に遭うのか、責任を持てるのか?
遺伝子組み替え食品は安全だと生産者側は言う。何年も、何代にも渡って食べ続けて
何らかの問題が起こる危険性迄も含めて検証されているのか?科学はそこまでは責任を担っていない。
あくまでも「現在の実験結果において」危険性はさしあたり見あたらないだけだ。
>>466 亀哲人氏
えびを食べたくないは、あなただけの問題だ。
原子力発電については、あなたは高い電気経費を払いたいというのであれば
広大な土地に、風力発電や、もしくは高額なソーラ発電と蓄電池のシステムでも
作ればいいことで、頼りたくなければ頼らないことはできる。
にもかかわらず、電力会社に頼っているのは、供給側の問題ではなく、あなたの
問題でしょう。
で、肝心な遺伝子治療の研究は、あなたの問題ではない。難病に命を奪われよう
としている人たちの問題である。
はっきり言えば、明確でない環境の危機の予想をもとに、難病患者の生命を
危機に陥れていることになる。その予測が科学的根拠に基づこうと、研究はおこなって
いただかなくては困るのである。
>>468 さすがに揚げ足取り名人であるれ氏ならではのレスで感心した。
私個人がエビを食べるとか、電力会社とは取り引きしない等と自身に還元する様な
些末な意図を持って発言しているのではない。供給側の問題として発想しなければいけない
事柄を、受給者側の問題にすり替える詭弁を指摘している。勿論受給者側が手をこまねいて良い
等とは言ってはいない。受給者側は其の立場に置いて、問題を認識すべきだろうが
君は全ての問題を供給者ではなく、受給者側の問題として発言している。是が間違い。
>あなたの問題ではない。難病に命を奪われようとしている人たちの問題である。
其れは私の問題でもあるんだけどね。詳しくは言いたくはないが、身内に其の事例が有るから。
其れはさておき、研究は充分に行うべきだろう。但し、運用面をお座なりにしてはいけない。
つづき。
問題は正に運用面が、研究開発に追いついていないという現実だろう。
倫理的な面や人権に配慮した運営などの整備が為されていない。
だからこそ、怪しげな宗教団体がクローン人間を作るなどと言い出す始末だし、
遺伝子開発技術は、米国が莫大な利益を生む産業として先行投資している面もある。
そういった実態を理解して、総合的に議論する必要性がある問題だろう。
>>469-470 揚げ足は取られるほうが悪い。転んでも泣かないが2CHじゃないの?
基本的に、コストの話を持ち出した貴殿にその責任はある。
コストの問題ではないと言うことだろう電力の問題は。コストがかかるから
原子力を頼っているのか?違うでしょう。火力発電はCO2の問題がある。
水力発電はそれこそ環境破壊の問題がある。風力・太陽光は安定供給の
面で問題がある。(風力は騒音と言う環境問題もあるそうだ)
環境問題をクリアするなら、原子力発電でしょう。
>そういった実態を理解して、総合的に議論する必要性がある問題だろう。
だから、怪しげな団体がクローン人間を作ったって、それは倫理の問題で
あって、実害はないだろう。怪しげなクローン人間が発生する恐れと、
実際に助かる人が助からないことと、どちらが重要なのかを考えないで
「総合的に議論している」暇に、研究は遅れていくんだ。
これが、人権派と言われる方たちの、理念優先の弊害なんだよね。
助かる命は助ける。弊害は走りながら解決する。これが人命優先の考え方だよ。
>遺伝子開発技術は、米国が莫大な利益を生む産業として先行投資している面もある。
誠に結構なことで、何を理解して総合的に議論しなければならないか、
さっぱり分からない。
472 :
なごみ:04/02/08 15:26 ID:???
亀ちゃん
>>465 >その条件を作り出しているのは、我々利用者ではなく供給者である電力会社。
だったらその条件について利用者であるお主は何も言えないわけだ。
>どう困るのかな?現在のような無駄な電力消費が出来ない事かな?
無駄な電力消費をしてるのは誰? 電力会社か?? で、お主にできることは何だ???
>違うな。一定低水準以上の消費を控えれば済むこと。
控えるのは誰? 電力会社か?? で、お主にできることは何だ???
確かにデンコちゃん(東電マスコット)が「電気を大切にね」って言ってるが。
>一定低水準以上の消費を控えれば済むこと。
だから、そうすると電気料金が上がるだろ。お主はそこにためらいがないからなw
>電力消費の大部分は事業用だ。民間消費など問題にならないほど少ない。
今度は事業用に責任転嫁か?
>君、発言の方向が間違えている。
っつーかお主が大局的でないんよ。
因果関係はあるに決まってるじゃん。だから自分たちの権利を相手に主張できるんでしょ。
そのためには権利ばかりじゃなく義務や責任を果してからいってくれってことなんよ。
>>451 れ氏
>キリスト教は、異教の神に祈る行為を拒否しろとは言わない。
これは貴殿の認識違いだと思うよ。キリスト教でも異教の神を祈ることは禁じている。全知全能たる唯一の神以外の何者をも神にとしてはならないと言うのがキリスト教の考え方であろう。
だからこそ、あの上智大学の学生が靖国神社参拝を拒否する事態も起こったんだろう。あれは、靖国神社は宗教施設ではないと教会が強引に解釈して渋々認めたんであろう。
キリスト教は信徒が異教の儀式に「参加」することは容認しているが、異教の神を「参拝」する事は禁じている。
キリスト教が内心を重視することは確かだが、だからと言って外面を全く無視している訳ではない。また、ルター派は確かに内心面を重視する傾向が強いが、カトリックはそうでもない。
>例え殺されても信仰を貫く。
このことは、キリスト教徒迫害の歴史を見れば、キリスト教にも当てはまることは明白だと思うが。歴史上キリスト教徒がその信仰の為に命を落とした例は枚挙に暇がなかろう。
>折り合いについては、折り合うことを強制するなら、信仰の自由を奪うことだよ。
人権を保障するかどうか、つまり折り合いを付けるかどうかは政府の問題だから、信仰の自由の侵害にはならない。
>信仰とは行動であるという宗教において、内心の信仰の自由を保障されても糞の役にも立たないんだけど・・・・・・。
私のレスをもっとよく読んでクレヨン。そのことは既に
>>437で議論済み。
>自然権と言う思想に基づこうと、そうでなかろうと、
これが大事でしょ。これが現在の中心テーマだろうが。これを論じなければやはり貴殿は「いやのことから逃避している夢想の世界の説明」をしているだけだろうよ。
>>451 れ氏
> 自然権と言う思想に基づいて人権があると考え、様々な権利を法に盛り込もう
>とすることにおいて、自然権の考え方があるのだが、法に規定されていない権利は
>保証されていない。だから、自然権を信奉する人は方に盛り込もうとする。
この部分は概ね正しいことを言っていると思う。そうすると、やはり上の判事の発言
「米国民は、権利は自然権ではなく、憲法が保障した権利と認識している。」
は、一般大衆の「認識」を述べただけであって、自然権を否定したものではないと考えてよいのではないか。
権利は人民が既に原始的に享有しているのだが、それを明確化し確実な権利として保障したものが憲法の人権規定でしょうよ。つまり、人民が権利を持っているということと、国家が人権として保障するということは異なるということだ。
憲法が定めている人権カタログは沢山ある自然権の中から重要なものだけを厳選して例示的に14条以下で列挙し、それ以外の権利が人権として追加して保障されることを13条で定めたのである。天皇の国事行為が限定列挙であるのと対照的だ。
ちなみに、貴殿が上で言うところの「自然権を信奉する人」達の中には、日本の場合裁判所も入っているよ。
それから、米国の憲法制定の歴史についてもう一度調べなおしてみたが、やはり
>>439で私が述べた事が概ね正しいようだ。
米国の憲法には元来は統治規定しかなかった。人民が権利を享有していることは当然の事と考えられていたから、統治規定で国家の権限をきっちり定めてさえいれば、人民の権利を侵害することはない筈だと考えられていたからだ。
しかし、その後人口が増大するに従って人民の権利を明確化させておく必要があろうということで人権規定が置かれたようだ。また、一部の州政府からの要求もあったようだが。
>>451 れ氏
>基本法は自然権と言う思想を強制していることになる。思想信条は自由だろう。
貴殿は憲法(基本法)というものが分かっていない。憲法というものは国民が国家へ遵守を命じた規範であって、宛名人は国家なのである。国家に思想信条の自由はないから、憲法が国家の思想信条の自由を侵害するなどということはありえない議論だ。
というか、貴殿はここまでの議論で人権に対する貴殿の立場を明確にしていないような気がするが。人権に否定的な言動をするかと思えば肯定的なことも叫ぶし、貴殿の真意が掴みかねている。
例えば貴殿は
>>441でその米国の判事の見解を支持しているかのような発言をしている。つまり、どの人権を保障するかは全くの国家の裁量に委ねられている、なぜならそのほうが国家の秩序維持に役立つとして貴殿が支持しているように受け取れる点だ。
その反面で、
>>471では遺伝子研究は多少の弊害があっても制限するべきではない、せいぜい事後的な措置で繕う程度にするべきだ、つまり学問研究の自由は社会の倫理秩序を多少害しても最大限保障すべきと主張しているように受け取れる。
貴殿の意見を整合的に理解しようと思うと、「人権は国家が法律で定めた範囲のみで認められる、しかし学問の自由とりわけ遺伝子研究の自由だけは例外的に大きく認めろ。」ということになるのであるが、そのように理解しても構わないのか?
>>452 れ氏
>人民総てに自然権としての人権があると、米国人が基本法において確信していたなら、どうしてインデアンへの差別・黒人奴隷は存在していたのか
権利が法律によって定められているということが、実際にその権利が実現されているということを意味しないということだ。
法律に権利をいくら書いたところで、それを政府や人々が遵守しようとしなければ全く画餅に帰するということ。
逆に言えば、人々や政府がそれを遵守しようという意識があれば法律に書かなくとも実現されうるということでもある。例えば、嫌煙権は憲法にもどの法律にも書かれている権利ではないが、既に社会に定着しつつあるだろう。
また、米国の政府や人々が黒人やネイティブアメリカンに対して人権を享有する「市民」と看做していなかったことも原因だろう。
原子爆弾の問題は、戦争中の出来事で別の要素(例えば自己防衛権等)が加わるから単純には論じ難いが、基本的には上の議論が当てはまるだろう。
>>455 れ氏
>原子力発電の恩恵を受けてパソを操作していながら、原子力研究が原爆研究をも内在するから、すべきでないと言っているようなものだ。
そんなことは私は言っていないが。亀哲人氏の主張も尤もだが、少なくとも結果としては私が原子力発電によって発電された電力による恩恵を受けていることは事実だろう。ちょうど貴殿が人権による恩恵に与っているように。
貴殿がここで呑気に2chに書き込んでいられるのも表現の自由が保障されているおかげだということは理解されておいた方がよい。利発な貴殿のことだから、勿論ご存知な事だとは思うが、一応念の為。
>>453 なごみ氏
>表裏一体なんよね。お主はそのうちの一面でしか判断してないよーな。
そういうことじゃなくて、科学が我々の生活に大きな利益をもたらしているということは言及するまでもない当然の事として議論していたんだけどなあ。
確かに、れれれのおぢさんも言っているように、遺伝子研究が医学の発展に大きく寄与しうることは否定できないし、原子力が電力供給源として我々の生活の便宜に貢献している事も否定できないよな。
そんなことはいちいち断る必要もないと思っていたから端折ったんだけど。
しかし、いくら大きな効用をもたらすと言っても、或いは目的がいくら正当だとしても、副作用や弊害を無視して良いということにはならないし、どんな手段を採っても良いということにはならないだろう。
だから遺伝子操作には生態系破壊というリスクが伴うことは事実だから、そういう研究を行っている機関については、適切な配慮を社会として求める事になるだろう。
また医学研究の発展にどんなに貢献するとは言っても、人体実験等の人道に大きく反するような研究手段は社会として規制せざるを得ない。
>その宗教的な批判が決して的外れではなく、神を信じていない人にも妙な説得力があると思うんよね。
そうかな?ラムたんのような人には通用しないような気が・・・むしろ却って反発を受けるような気もするw
仮にそうだとしても、より説得力のある万人に受け容れやすい批判となると科学的に批判する必要があるだろ。だって「神」といっても、天地の創造主たる全知全能の神と商売繁盛・家内安全だけを実現するための「神」では意味が違うと思うし。
>人権の本質とは何か
「人が人であることで当然に持っている権利」と、敢えて教科書的な答えをしてみる。
>>454 なごみ氏
>宗教と人権で何ら変わったということはないんだね。
人権が宗教と同じようなものという議論には賛同しかねるが、類似した面が全くないとも言えないと思われる。
「全ての人が人権を享有している」というのは一つの思想だし、「だから人権を尊重すべきだ」というのは一つの主張だし、「人権は最も重んじられるべきもの」とする価値体系でもある。
ただ、思想も宗教のようなものだといってしまえばそれまでだ、なんてことは以前にも言ったような気が・・・
しかし、この人権を尊重しなければならないという考え方例えば人の生命に対する権利は尊重しなければならないということは、人が生命体として生きていること、そして生きているものは、
その生命を維持し継続していくべきものと自然(もしくは創造主)によってプログラムされているという生物学的な事実・現象を尊重するべき、という理性的な価値観とも一致する点で全くの空理空論でない事も確かであることは認めなければなるまい。
で、こういったことは人間が生物である限り必ず持っている本質であり、法が人間の利益の為に存在するものである限り、法はこういったものを尊重せよと命ずる必要があろう。このような法を自然法と考えてよいと思われる。
またこのような法は、社会あるところ法ありという原則に立ち返れば、何れの国・何れの民族を問わず社会のあるところには必ず存在すべきものであろう。つまり「普遍的」ということになる。
>>462 なごみ氏
>人権によってもたらされるものってのはそういうもの。
亀哲人氏に対するレスだが、人権原理主義者の私としては聞き捨てならないなぁ。
貴殿は社会権という人権があるのは知っているだろ。社会権というものは、そういった極端な貧富の差が出ないようにするために存在しているということは知っているべき。
また、社会権は極端な貧富の差が出ると社会不安が広がり社会が不安定になって、それが資本家が利益追求をする上での阻害要因になる危険性があり、
更には労働者階級による革命をももたらしかねないということから保障されるようになった人権だということも、当然理解しておくべき近代史のイロハだが。
>>473 Santi氏
>これは貴殿の認識違いだと思うよ。キリスト教でも異教の神を祈ることは禁じている。
>全知全能たる唯一の神以外の何者をも神にとしてはならないと言うのがキリスト教
>の考え方であろう。
あたりまえだろう。一神教なんだから。
言っているのは、(ハァ、疲れるねぇ)異教の神に祈らなければならない状況に至った
ときに、とりあえず祈っておいて、懺悔すれば許されるか、(内心の信仰を優先するか)
それとも、絶対に拒否し回教徒であることを表明しなければならないのか(内心より行
動を優先するのか)と言うことだよ。
(しかし、誰か専門家にでも聞いてきてくれ。常識的なことだから)
価値の対立について話しているのに、貴殿はいつも対立していない状況を持ち出す。
だから認識が甘い。思想とは、対立した価値に序列をつけることなのだから
常に対立している双方のどちらを、どのようにして、並べるのかを考えなければダメでしょう。
たとえば、忠孝について儒教は、孝を上位の価値と説く。しかしこれでは国の指導者は
都合が悪いから、金日成は父であると喧伝するわけだ。ここに忠孝一致と言う思想が生
まれ、実質的に忠を上位にしている。
で、だ、法治国家において、無限の人権など規定できない。法で定めたものだけ
であると言うことは理解できたかな?
人権が普遍の原理によって構築されようとも、人権の保障は法に基づく。
ここが基本なんだが理解できているのだろうか。
したがって、国民も、国も、「法に定めないが人権思想によれば当然ある権利」
の保証を求め、あるいは保証することはできない。
多数決民主主義は、理念を法に盛り込むのではなく、条文を承認したに過ぎない
のである。
つづき
だから、基本的に人権の保障は「法によっている」と、米国民が意識している
と言うのは間違いがないことだ。
日本では、嫌煙権は、憲法13条によっているのだよ。米国では、人体に影響が
あるから、当然だ。君が普遍の人権に基づいて、法の定めのない権利だが認め
られていると考えるなら、間違いだよ。
法治主義/民主主義に反する考え方だよね。
>人権を享有する「市民」と看做していなかったことも原因だろう。
だから、米国では「すべての人間」が普遍的に有する権利であるとは考えられて
いなかった。法で規定しなければ、人権は保障されない。
私の表現の自由が守られているのは、先人の努力の賜物である。表現の自由
を確保してくれた先人に感謝しているよ。
で、君は不用意に、遺伝子操作の弊害を書き込んだことについて、何のコメントも
ないのか?取り下げた原子力発電にしか反応できないとは・・・。
>米国の判事の見解を支持しているかのような発言をしている。
>最大限保障すべきと主張しているように受け取れる。
あなたが勝手に私の考え方を推測しているに過ぎない。推測で展開せず
一つ一つ確認すればよかろう。時間はあるのだから・・・。
(そういう議論態度を身に付けないと、誤解の上の不毛な議論になるよ)
学問の自由を認めろなどとはいっていない。そもそも自由だろう。
人命尊重なら、自由を認めるとか認めないの議論の前に、積極的に補助しろ
と言っている。
倫理などと言うものと、人命との、どっちを優先するのか、貴殿の価値の序列を
聞いているのである。
【人権に対する私のスタンス】
Santi氏から疑問も有るようなので、一応書いておく。
第一点、人類普遍、共通の価値というものはないと考える。
第二点、国によって、その民族が共有する、歴史的に継続した伝統・文化・常識などに
基づいて共有される価値体系によって、その国ごとに、法が保証すべき国民の権利
は決定される。国民主権国家においては国民が定める。
第三点、自然法は、その考え方が妥当と思う(伝統/文化/常識などからくる価値体系
に合致する)のであれば、それでいいが、そうでない国(日本)において、日本型の
人権思想が必要である。所詮、論理はある単純化した前提に基づいて構築されている
から、現実社会での長期にわたる検証を得ないまま、無検証に採用することはできない。
>>471 >環境問題をクリアするなら、原子力発電でしょう。
其処で思考停止しているから駄目なのだ。風力発電は現在最も期待される電力供給の方法として
開発されている。秋田県能代市等祖魚運の問題が起きない地域に風車を設営して、
安定した電力供給を目指している。君は、南太平洋の島国に原発の廃棄物を捨てている事実を
知らないのだろうか?安全であるならどうして東京都内に廃棄しないのだろう?
>「総合的に議論している」暇に、研究は遅れていくんだ。
「遅れる」「進む」という二元論では解決しない問題を、遺伝子技術には含まれている。
人命最優先等と安直に騒いでる隙間を、どの様に埋めていこうと考えるのか知りたいものだ。
「人命」は「地球」より重たいのか?そんなことはあるまい。
>>472 >だったらその条件について利用者であるお主は何も言えないわけだ。
そんなことは一言も言ってはいないが。問題を解決する責任は供給側になると言っている。
>無駄な電力消費をしてるのは誰?
論旨を転換する手法で、詭弁を使うことにどんな意味があるのかな?
「戦争を支持したのは大衆だ」「バブル景気で浮かれたのは大衆にも責任がある」
その様にうそぶく輩と同じ論旨展開だが、転嫁する事で責任の所在を希薄にしたいのだろうか?
>今度は事業用に責任転嫁か?
責任の所在を明確にしなくてどうするのかな?受給者には事業者と一般家庭がある。
君は誰を想定しているのかさっぱり分からない。
>因果関係はあるに決まってるじゃん。だから自分たちの権利を相手に主張できるんでしょ。
此処までくると因縁を付けられているとしか受け取れない。
私の主張は一つだけ。責任の所在を明確にして議論しよう。
ミス発見。
483の「秋田県能代市等祖魚運の問題が起きない地域に風車を設営して」は
「秋田県能代市等騒音の問題が起きない地域に風車を設営して」の間違いです。
申し訳ない。
>>483 亀哲人氏
走りながら解決するということだよ。議論して一定の結論が出ない限り実行しないのでは
理念、理想は待ってくれるだろうけれども、「現実」は待ってくれない。
そのリアリティがもてないから、まったく説得力のない見解になるんだろう。
実社会は、そんなものではないと理解したうえでどうするか検討する私と、
理念理想・机上の屁(クソ)理屈で検討するあなたと、どちらがマトモカは、貴殿にはわからない
かもしれない。
>>486 机上の空論はそんな自説に都合のいい言い訳のために用いられる。
リアリティという一見現実路線めいた発言で正当化しようとしているが、
走っていては周囲の風景も良くは見えまい。
>>480 れ氏
疲れるなら2chで議論などお止めになったらどうかとお薦めするが。
>とりあえず祈っておいて、懺悔すれば許されるか、
懺悔すれば赦されるとは言っても、それは本心からの真摯な悔い改めが必要だよ。真摯な悔い改めとは2度と同じ過ちを犯さないという決心の事だ。形式的に司祭の所に言って儀式を行えば赦されるというものではない。
それから、懺悔すれば司祭が赦しを与えるという秘蹟があるのはカトリックだけで、プロテスタントにはそのような習慣はない。むしろそういうものに批判的なのがプロテスタントだ。
プロテスタントにおいても神が赦しを与えるということは認めるが、それは完全に神の自由意志に依存しているのであって、懺悔すれば必ず赦しが得られるというものではない。
で、そういった形での神の赦しならばイスラムにもあるであろう。イスラムでも神の慈悲深さを説いているはずだ。
それから、「保証」という言葉と「保障」という言葉はきっちり使い分けて欲しい。法学的議論においてはこの2つの語の使い分けは非常に重要。
>>481 れ氏
>日本では、嫌煙権は、憲法13条によっているのだよ。
因みに、嫌煙権はまだ裁判所(つまり国)は人権としては認めていない。
それはいいとして、確かに憲法の14条以下の人権カタログに規定されていないいわゆる「新しい人権」を認める根拠条文が13条であることは貴殿の言うとおりだ。
しかし13条の規定はかなり曖昧な規定になっていて、その内容特に「幸福追求権」とは何であるかを定めるには法の解釈が必要になる。
で、その際の解釈基準となるのが自然法或いは自然権であるというわけだ。
自然法の具体的な内容については、
>>478に書いておいたのでそれを読んで欲しいが、裁判所は幸福追求権の内容を決めるに当たって全く自由に決められる訳ではなく、一定の解釈基準に基づいてその決定を行う事が義務付けられていると一般的に考えられている。
その解釈基準が自然法というわけだ。憲法76条3項の「良心」とはこのことを意味しているとされている。
>>481 れ氏
>民主主義に反する考え方だよね。
この発言から、貴殿が人権というものの本質を理解できていないという事が明瞭になった。
そもそも人権というものはその基盤を民主主義には置いていない。勿論民主主義と常に矛盾するとは限らないが、一般的には自由主義にその基盤を置いているとされている。
考えてもみてくれたまえ。国会で多数の賛成を得て成立した法律が、人権を不当に侵害しているという理由で、裁判所という民主的基盤の極めて乏しい機関によって意見無効という宣告がされてしまうんだよ。
このことは、人権というものが必ずしも民主主義に屈服するものではないということを指し示している。
>私の表現の自由が守られているのは、先人の努力の賜物である。
どんなに先人が努力して獲得してくれた権利でも、それに正当性がなければ後になって否定されるということもありえる。その正当性を支えるのが自然法或いは自然権であろう。
また、先人が努力して獲得してくれた権利でも、それを維持する努力を怠れば為政者によって奪われるということもありえる。憲法12条はそのことを謳っているのであろう。
憲法に書いてさえあれば権利は守られるなどという甘い考えをお持ちになっているのではあるまいな?そんな甘いものではないことは貴殿が先に提示したアメリカの事例が示している。
>遺伝子操作の弊害を書き込んだことについて、何のコメントもないのか?
「どのレスに返答するのも自由だろ?」と言っておられたのは貴殿だったと思うが。ならば、レスの中の一部に返答しない事も当然自由だろ?それに、
>>455は誰に対するレスかもよく分からないし。
しかしまあ、他ならぬ貴殿が返答を望んでおられるようだから、答えさせて貰うが。
遺伝子操作が弊害をももたらすことは事実であろう。勿論利益を我々にもたらしうることも否定できないと思うけど。
ただ何れにしても法学的な議論というものは一方的な利益のみを考慮すればよいというものではなく、多角的に異なる利益や異なる立場に配慮しつつ、ある人の利益と他人の利益更には公共の利害も勘案しつつ妥当な線を見出せるようにしなければならないのである。
>>481 れ氏
>あなたが勝手に私の考え方を推測しているに過ぎない。
だから推測だと言っているだろうが。貴殿が自分の考えを語らないから推測せざるを得ない。結局貴殿はいつも「為にする議論」しかしないんだよな。自分の主張がない。全く無責任だよな。
>そもそも自由だろう。
何を根拠に?貴殿のこれまでの議論からすると自由と言うものは憲法に記載される事により、国家によって与えられたとするのではないのか?
>自由を認めるとか認めないの議論の前に
積極的に補助しろというのも何を根拠に?国民にそういう権利がなければそんな要求も出来ないだろう。
またそういう要求する権利の前提としては自由がなければならないだろ?自由がないなら国家の言われるままにするしかないのだから、補助しろなどという要求はそもそも出来ないだろ。
だって、補助しないという国家の方針は、そういう研究をするなという国家の黙示的意思表示であろうから。
>倫理などと言うものと、人命との、どっちを優先するのか
当然人命に決まっているだろ。ただ、遺伝子操作を行って生態系破壊を行う事によって、より多くの人命が脅かされる危険性があるという事実にも貴殿は思いを至らす必要があろう。
そういった事態というものは、事後的に繕う事が出来ない取り返しが付かないものになってしまう可能性があるから、社会としては事前に十分な安全が確保される事を確認してから研究を認める必要もあるという話をしている訳だが。
>>482 れ氏
第二点は概ね同意だ。歴史や伝統を強調しているところが気になるが。まあ、それが貴殿らしいところであろう。ただ、各国がどの人権を保障するかを決定する際の判断基準になるのが自然法であることは否定できない。
第一点については、私は全く逆の立場。どの民族・国民にも当てはまる普遍的な原理というのはあるというのが私の主張であり、そのことは日本国憲法にも謳われている。
第三点については、自然法は日本にも妥当性があるという点、人権というもの自体が西欧伝来のものなのだから日本流の人権思想なるものが確立できるか疑問な点で、妥当ではないと見る。
検証するのは構わないが、人権というものが既に社会の中に定着し機能している点、貴殿も含めた我々が人権の恩恵に与っている点、またそのような既得権を国民から奪うことは極めて困難な点をも踏まえた上で行う必要があろう。
しかし、この期に及んで随分抽象的な意見だ。もう少し具体的に貴殿の考えを述べる必要があろう。
例えば貴殿が先に提示した遺伝子研究によって得られる利益とそれによって損なわれる恐れがある利益(生態系等)との調整をどのように図るのかについて貴殿なりの意見を述べる必要があろう。
原子力についてでも構わないが。
>>491 Santi 氏
>それによって損なわれる恐れがある利益(生態系等)
此の文面が気に掛かるので、横レスで申し訳ないが一言。
生態系の破壊は特定の利益という概念で捉えて良いものだろうか?
私は、否だと思う。仮にモータリゼーション(現在の化石燃料を使用したケース)が
中国全土に普及した場合、オゾンホールは拡大して紫外線による汚染は限りなく広がる。
西欧先進国が既得権を得ているというレベルだけでは判断できない問題を含んでいる。
環境破壊は、全ての人類を含めた地球そのものを破壊する権利が誰にあるのか?
という究極の命題を我々に突きつけている。利害関係だけが判断材料ではあるまい。
横レス失礼しました。
>>492 亀哲人氏
しかし貴殿に突っ込みを入れられるとは思いませんでした。w 横レスはどんどん歓迎です。
>生態系の破壊は特定の利益という概念で捉えて良いものだろうか?
確かに「利益」という表現は適切ではなかったかもしれない。
近年の環境保護を主張する立場は、人類の利益が守られるからつまり人類が快適に生活できる条件を保つために環境を保護すべきだという主張よりも、むしろ環境そのものに価値を見出してその価値自体を守るべきだという主張が多くなってきているように思われる。
この主張には一定の説得力があるが、だからと言って人類の利益を全く無視しても良いものでもないと思われる。
極論すれば、環境を本当に守るためには人類が絶滅するのが一番良いのかもしれないが、どんなに環境保護を強く訴える人でも環境維持の為に人類が絶滅すべきと主張する人は殆どいまい。
環境そのものに独自の価値があるとしても、環境保護の主張は人類の利益を踏まえて為されているものだと私は考える。
環境保護の議論は人間が行っているものであるため、その議論は人間が人間である事から来る限界に規定されてしまう性格を帯びることは避けられないであろう。
今後において、環境は宗教と共に人権と対立する要素になりうるのである。
>>488 Santi氏
>で、そういった形での神の赦しならばイスラムにもあるであろう。イスラムでも
>神の慈悲深さを説いているはずだ。
予想を書かれても疲れるだけである。コーランのどこに書いてあるか、ソースを求める。
プロテスタントは、聖書の解釈権を自己に求める。
人権が法の規定により保証されているという事について、理解したかどうかを書いた
上で、13条などの見解を書くべきである。
どっちなの?法に規定されていない人権も、自然権と言う思想によりすべて保証さ
れる・・・基本法の上位の規範だ・・・と主張するのか、それとも、自然権と言う思想
に基づいて基本法を変え、あるいは解釈すべきと言う、あくまで基本法構築の理念
である・・・基本法がなければ保証されない・・・と主張するのか、どっち?
民主主義と対立したときに、あなたは人権を優先すると言うことなのかな?
直前の質問と同じことである。
>憲法に書いてさえあれば権利は守られるなどという甘い考えをお持ちになってい
書いていなければ守られない、と、書いて有れば守られるは、全く別次元。
【遺伝子治療について】・・・遺伝子操作という悪意を持った書き方は認めない。
自由は国家によって規制されるものである。現在規制されていないのだから
もともと自由だろう。もともと自由なこと(遺伝子治療の研究)を、規制しようとする動き
に、異論を唱えている。漠然として、具体的でもない(根拠の薄い)危機・・・
>ただ、遺伝子操作を行って生態系破壊を行う事によって、より多くの人命が脅か
>される危険性があるという事実にも貴殿は思いを至らす必要があろう。
思いを致すことは当然であるが、・・・規制されてはいけない。
取り返しがつかない恐れというが、人命と言う確実に取り返しがつかない事実がある。
君が言っていることは、フセインは大量破壊兵器により取り返しのつかないテロを起こす
恐れがあるから、つぶしてしまえと言う論理を肯定するものである。
原子力は、原爆の製造と言う取り返しのつかない恐れがあるから、原子力発電は
十分に安全であることを確認してから、研究するべきだという。
研究もしないで、どうやって十分安全であることを確認できるのか、不思議である。
生態系を破壊しない安全な遺伝子治療を行うためには、研究が必要である。
十分安全であることは研究せず確認できない。全くあほである。
また、人倫に反すると言うことで、規制されるべきでない。人命がかかっているのであ
る。
496 :
なごみ:04/02/10 21:20 ID:???
サンちゃん
>>477 >しかし、いくら大きな効用をもたらすと言っても、或いは目的がいくら正当だとしても、副作用や弊害を無視して良いということにはならないし、どんな手段を採っても良いということにはならないだろう。
原子力発電は原子力基本法という法律に則った合法的な手段。この法律に則っていれば(この法律の範疇であれば)、副作用や弊害を無視してもいいし、どんな手段をとっても良いということになる。
逆に、お主らの方こそ、原子力に関してこの法律を無視してどんな手段を採っても良いと思ってないかい?
「原子力は危険過ぎる。何が何でもやめよう!!」ってさ
>だから遺伝子操作には生態系破壊というリスクが伴うことは事実だから、そういう研究を行っている機関については、適切な配慮を社会として求める事になるだろう。
その「適切な」基準になるのは人権ではなく、法律なんよ。人権だとどこまでが「適切な」のか、俺にはサパーリ解らないんだが。
>遺伝子操作には生態系破壊というリスクが伴うことは事実
事実なのか? 科学的に証明してくれたら嬉しい。
>そうかな?ラムたんのような人には通用しないような気が・・・むしろ却って反発を受けるような気もするw
いや、意外に一緒になって攻撃するかも。彼に聞いてみよう。
>仮にそうだとしても、より説得力のある万人に受け容れやすい批判となると科学的に批判する必要があるだろ。
残念ながら、そこまで科学が進歩してないんよね。遺伝子操作が必然的に生態系を破壊するという証明は出来ていない。
日本ほど宗教性のない国家は珍しいんだが、それでも「神の領域に人間が葦を踏み入れる」って表現には一定の説得力があると思う。
クローン実験を決行した団体が科学団体でもなく人権団体でもなく、宗教団体だったというのも、裏を返せば「神の許可」がそれだけ説得力があるってことにならん?
>だって「神」といっても、天地の創造主たる全知全能の神と商売繁盛・家内安全だけを実現するための「神」では意味が違うと思うし。
一神教と多神教を混同されては収拾が付かない。議論を成立させるには商売の神ではなく、その分野の神(生命とか生死を司る神)を持ち出せばいい。
497 :
なごみ:04/02/10 22:34 ID:???
>「人が人であることで当然に持っている権利」
これを科学的に証明して欲しい。それが合理である事実をね。
>>478 >ただ、思想も宗教のようなものだといってしまえばそれまで
だって、その通りでしょ。お主はどうも納得されてないようんで、引っ張ってるが。
お主にその反証を聞いてるんだけど、こっちが納得する反証は得ていない。
ここまでくれば、理性でなくお主の感性の問題なんだが。
>自然(もしくは創造主)によってプログラムされてるという生物学的な事実・現象
>>453の「それが非合理(神)によるか合理(自然法)によるかの違い」
つまり、自然法も創造主もプログラムを解析解釈する方法論に過ぎないんよ。つまり、一緒でしょ。
>その生命を維持し継続していくべきもの
ところで、これは生物学的事実なのか?
「自然」にそうプログラムされてるならば、生命維持継続のため遺伝子操作をしても自然に当然に認められるということにならないか?
「神」によってプログラムされてるならば、神の許可がないとできないが。
俺にはどうしても「その生命が〜」と「自然によってプログラムされてる事実・現象」とが論理的に整合できない
科学はもはや自然を超越しつつある。自然を証明することはやがては人工を可能にすることにもなる。科学の発展がどこまで自然なのか?
>こういったことは人間が生物である限り必ず持っている本質
人権に裏打ちされたこういった科学がどこまで許されるのか?
>法が人間の利益の為に存在するものである限り、法はこういったものを尊重せよ
人間の利益というが、利益(人権保障)の裏返しとして損害(人権侵害)という概念が抜けている。
法は人権を保障する一方でそのことで人権侵害も与える可能性を見い出し、調整してる。
自然法もそのへんは内在的に持ってるとされる。だから法が自然法に代わって支配できるんよ。
>>496 なごみ氏
>原子力発電は原子力基本法という法律に則った合法的な手段。
まず最初に断っておくが、亀哲人氏はどうか知らないが、私は必ずしも原子力反対派ではないからね。
十分な安全が確保されて、そしてそれによる大きな利益があるならば、また有力な代替手段がないのであれば原子力も止むを得ないという立場だ。このことを踏まえたうえでの議論だ。
しかしどうして貴殿はいきなりその法律を持ち出してきてそれを盾にとって議論を展開しようとするかな。我々の議論は憲法の枠組みにすら囚われない議論ではなかったのか?だったら当然法律という枠組みも超越して議論すべきだろ。
私がいつも憲法を持ち出してくるため貴殿にお叱りを受ける訳だが、今回は貴殿がそれをする訳だ。法律なんて改正すれば終わりだろ。原子力を完全廃棄するという選択肢すらある筈だ。
>その「適切な」基準になるのは人権ではなく、法律なんよ。
勿論そうだよ。憲法というのは本来国家に対する規範であって(何度言った事か)、国民に対して義務を課するものではない。だから国民が行う研究活動に規制を掛けていくのは勿論法律だ。
ただ、その法律に正当性を与えその有力な根拠となるのが人権であるということだ。勿論環境保護とか社会の安全といったものも根拠となりうるが。
>科学的に証明してくれたら嬉しい。
私は理系には疎いので証明までは出来ないがよく指摘されることは、遺伝子操作が為された種は生命力・繁殖力が強いため在来種を駆逐してしまう可能性があるとか、そういう動植物を食品として人間が摂取すると予期しないような影響が生じる可能性があるといった事だろ。
http://www.ways.co.jp/katharinehamnett/volume006.htm
>>496 なごみ氏
>「神の領域に人間が葦を踏み入れる」って表現には一定の説得力があると思う。
確かにそうかも知れないな。卑近な話で悪いが、よく粗相をして欲しくないような場所に鳥居が貼ってあったりするだろ。あれは結構効果があるらしいな。
しかし、本当に神道を重んじているなら、あんな場所に鳥居を貼るのは失礼だと思うのだが。w
閑話休題。「神の領域」といっても、具体的な「神の支配する世界」というものを想定しているのではなくて、生命を作り出すことが出来ない人間がそういう生命の最も神秘的な本質部分に触れるのは恐れ多いという感覚が無意識のうちに働くのかもしれないな。
>その分野の神(生命とか生死を司る神)を持ち出せばいい。
一般的な日本人にそういう感覚があるか?私は疑問だが。
一般的な日本人の感覚は、都合のいいときだけ神頼みをして普段は神などとは関わりを持たないという感じだと思うが。
>>497 なごみ氏
>それが合理である事実をね。
結局突き詰めていくと自己実現ということに行き着くと思う。日本国憲法では「幸福追求」と表現しているが。
人間が人間として生まれてきた、つまり非常に豊かな知性を持っていて高度に文化的な生活を行う能力を持っている動物、
そして他の本能の赴くままに生活する動物とは異なり自分の理性により自由に生きていける動物として生まれてきた、という事実を尊重しようという趣旨から生まれてきたのが人権だと考えて良いと思う。
>こっちが納得する反証は得ていない。
だって、無宗教も宗教、科学も宗教と言い切ってしまう貴殿に有効な反証をするのは極めて困難である。貴殿にかかれば世の中のもの全てが宗教になってしまうだろ。
もし、どうしても反証をお望みなら貴殿なりの宗教の定義をして欲しい。
>>497 なごみ氏
>これは生物学的事実なのか?
だって、生物には本能的に生存欲というものがあるし、次の種を残したいという欲望もあるだろ。
また、我々の肉体は特に生存しようと意識しなくても自然に生存していく方向に機能するだろ。例えば、開いた傷口は自然に閉じるし、体内の毒素は自然に代謝されるし、老廃物は自然に排出されるといった風に。
遺伝子操作がどこまで赦されるかは一概には決められないが、場合によるとこのプログラムそのものを改変する事にすらなりかねないから、それは自然に反する可能性があるのではないか?
>利益(人権保障)の裏返しとして損害(人権侵害)という概念が抜けている。
いやだから、「利益」には利益の増進と損害の軽減の両方が含まれる。ある人にとっての利益が別の人にとっての損失になる可能性があるから、その場合は適正に調整する必要があるのは言うまでもない。
それがまさにいわゆる「公共の福祉」であろう。
>>494 れ氏
だから、疲れるなら2chで議論なんかお止めになったらいかがかと言っているのだが。
>コーランのどこに書いてあるか、ソースを求める。
仕方がないから、調べてきたよ。全く世話の焼けるお人だ。
『コーラン』(岩波文庫)の第5章43節に次のような一節がある。
「だが、悪いことをした後でも、立派に改悛して、その償いをする者には、アッラーも(赦しの)御顔を向けて下さろう。アッラーは何でもお赦しになる情深い御神だから。」
私自身も驚いたほどキリスト教で教えている神の赦しの考え方と似ている。ただ、司祭にも赦しを与える権能が神から与えられているとしているカトリックの考え方とは少し異なるが。
もし確認されたいのなら、上の『コーラン』を直接見るのもいいが、中村廣治郎著「イスラム教入門」(岩波新書)の方が分かりやすいかもしれない。因みにこちらの本では69頁当たりに「神の赦し」に関する記述がある。
>人権が法の規定により保証されているという事について
だから、国家によって人権として保障されるためには憲法に記載される必要がある。
ただ、その憲法を制定する際の立法指針として、また憲法或いはその他の法律の規定を解釈する際特に憲法13条によって新しい人権を認める際の指針として自然法は重要な役割を果たす。
また、国民が行う現行制定法に対する批判や是正要求の根拠としても自然法の果たす役割は大きい。
>民主主義と対立したときに、あなたは人権を優先すると言うことなのかな?
基本的にはそう考えて貰って構わない。
但し、財産権は民主的な決定による規制や国家の政策的な判断に基づく規制に服する度合いが高いし、社会権(生存権等)についてもそれに基づいて国家に一定の施策を要求していくには民主的な手続きを経る必要性がある場合が多い。
>書いていなければ守られない、と、書いて有れば守られるは、全く別次元。
権利が憲法に書いてありさえすれば権利が実現されると貴殿がお考えになっていないのなら、問題はない。
>>495 れ氏
>フセインは大量破壊兵器により取り返しのつかないテロを起こす恐れがあるから、つぶしてしまえと言う論理を肯定するものである。
その通りである。将来国民の生命や健康といった重大な利益が損なわれるような事態が起きる蓋然性が明らかに高い場合は、事前に芽を摘み取っておく必要があろう。
尤も今回のイラク戦争が起きた段階でそのような状態に至っていたかどうかは別の議論であろうが。
だが、私は遺伝子治療を否定している訳ではない。恐らくそれによって助かる人がいることは貴殿の言う通りだと思うし、医学の発展の為には必要である事も事実であろう。
しかしこの議論はあまり人権とは関係ないと思う。結局貴殿にとって噛み付きやすい所に噛み付いてきただけだという印象は拭えないが。
503 :
れ ◆r0FmiN9ADk :04/02/11 14:37 ID:bl6F1RaR
>>501 ほんとに疲れるねぇ。
立派に改悛する=二度と異教の神を祈らないと誓い、イスラムの戒律を守り続けること
だろう。二度としないと誓えば許される回教と、またするかもしれないけど、内心において
キリストを信じていれば許されるキリスト教の違いを述べているのに、また、対立しない
事象を持ち出して逃げるんだね。
じゃぁ、回教とキリスト教の違いは、教義において、いったい何?
A:五行六信を外面的に実行し、心の中でキリスト教を信じている人。
B:キリスト教徒の外面的事象を実行し、心の中で回教を信じている人。
キリスト教において・・・Aは信者で、Bは信者でない。
回教において・・・AもBも信者ではない。 わかるかな?
で、矛盾することを平気で書いておられる。疲れるねぇ。
>国家によって人権として保障されるためには憲法に記載される必要がある。
>>民主主義と対立したときに、あなたは人権を優先すると言うことなのかな?
>基本的にはそう考えて貰って構わない。
保証されないと決まった人権でも、保証しろと求めるわけだ。なんでも人権だと騒げば
国民のコンセンサスがなくとも、保証すべきだと貴殿は主張する。
だったら、権利に関しての法は必要ないだろう。法が必要であるということは、
多数決によって認められない権利は保証されないのだから。よく平気で自己内部で
対立することをかけるものだと、不思議である。これを読み取ってレスするのは疲れる。
>しかしこの議論はあまり人権とは関係ないと思う。
認識が甘いと、それさえも思いがいたらないのかなぁ。あなたたちが未知の危険をたてに
研究を規制しようとするとき、彼らは人権をたてに、研究の継続を主張するということだよ。
多数の利益と、少数の人権。貴殿は普段、少数の人権擁護を主張しながら、原子力・遺伝
子治療などでは、多数の利益のために少数は犠牲になれといっている。
貴殿の真意がわからないから、ほんとに疲れるんだよ。
504 :
1Cust102.tnt1.iwakuni.jp.fj.da.uu.net:04/02/11 14:52 ID:7jCRCGn1
s
506 :
なごみ:04/02/12 21:26 ID:???
れれれのおぢちゃま
>>505 問題は、米国や仏国がどう考えてるかではなくて、サンチちゃんがどう考えるかなんだから。
ま、お主がこういった事例を出すのは事実の蓋然性からも解らんではないが。
507 :
なごみ:04/02/12 23:46 ID:0W2Trv61
サンちゃん
明日返事するよ。最近まとまった時間が取れなくて・・・
>>503 れ氏
だから、疲れるなら議論などお止めになったらどうかとお薦めしているのだが。それが合理的な人間の行動というものだろ。全く言行不一致とは貴殿の為にあるような言葉だな。
>またするかもしれないけど、内心においてキリストを信じていれば許されるキリスト教
だから違うと言っているだろ。内心において信じているだけではなく、果たすべき義務(例えば日曜日には礼拝に出席する等)を果たすことが求められ、それを怠ると罪となる。
また「するかもしれない」なんて意識では赦されない。真摯な悔い改めが必要だといっただろ。
>A:五行六信を外面的に実行し、心の中でキリスト教を信じている人。
>B:キリスト教徒の外面的事象を実行し、心の中で回教を信じている人。
まず「六信」というのは信仰内容つまり内心面を言うので、それを「外面的に実行」するということは不可能だから論理的に成り立たないということで却下。
貴殿が「信者である」という言葉をどういう意味で使っているのか不明であるが、一般的な認識として「信者」という宗教組織上の身分を持っているかどうかという意味で以下議論する。
キリスト教においては、一度洗礼を受けて信者となった以上、信者でなくなるということはありえないから、Bの場合でもその者が洗礼を受けていれば信者である。
但し、神を欺いている或いは異教の神を信じているとして罪を犯していることになる。
またAの場合でも「五行」のうち「礼拝」と「メッカへの巡礼」は異教の神を礼拝している事になるし、「信仰告白」も虚偽の事実を述べている(ムハンマドを預言者と認めていないのに認めると言っていることになる)から罪を犯していることになるし、
そしてそれはイスラムにおいても同様で、一度信者となった以上信者でなくなるということはありえないから、AもBも罪を犯しているだけということになる。
>よく平気で自己内部で対立することをかけるものだと、不思議である。
貴殿に読解力もしくは理解力がないだけだろ?
「保証されないと決まった人権」なんていうものは、近代憲法においては存在しない。「未だ人権として保障されるに至っていない権利」というものは存在しえるが。
憲法制定時において「人権」として立法者が認識していたものが、いわば偶然的に14条以下において明文化されているに過ぎず、憲法はそれ以外の人権を保障することを排除するものではない。
13条の存在がそのことを物語っている。つまり「自然権」として人間が原始的に享有している権利のうち14条以下に明文で規定されたもの以外のものが全て13条によって保障されていると考えて構わないのである。
また、憲法制定は国民によって為される訳だから、確かにその意味では「民主的」である訳だが、だからと言ってその内容を全く自由に決められるものでもない。
フランス人権宣言16条にある「権利の保障が確保されず、権力分立が定められていない全ての社会は、憲法を持つものではない。」という規定はそのことを言っている。
少なくとも立憲国家を名乗る限り、その国家において憲法で保障されるべき権利というものは概ね決まっていると言っても良いのだ。で、その保障すべき権利の範囲を確定するのが自然権である。
その趣旨を受けて、民主主義国家の憲法には必ず日本国憲法の13条に相当する規定が置かれているのである。
>少数の人権擁護を主張しながら、原子力・遺伝子治療などでは、多数の利益のために少数は犠牲になれといっている。
やっぱり判っていないんだな。そのことは、なごみ氏への
>>308と
>>337のレスで説明済みなんだが、もう一度説明しろというのか?
>>505 れ氏
>フランスも、どうも人権(特に信仰の自由と、無宗教であることの対立)については、法で規定する以外にないと考えているようだね。
貴殿の提示してくれたソースは確かに興味深いものがあるな。尤も、それは学者が書いたものではないから鵜呑みにする訳にもいかないが、一応感謝しておくよ。
で、そのソースだけど、その中に「信教の自由、宗教差別の禁止は世界人権宣言にも謳われ、侵害してはならない重要な権利の一つであると強烈に意識されてきました。」という記述があるよね。
これは、国家が人権として保障するためには確かに憲法に記載される必要があるけれど、それ以前に普遍的な自然権があり、また憲法の制定もそれによって規定を受ける事を言っているのだと思うけど。
しかし、フランスのその政策は問題があるな。だって、政教分離の趣旨というものは国民の信教の自由を守る事が目的で、しかもそれは国家に対して宗教と分離しろというものだろ。
にも拘らず、政教分離を口実にして国民に無宗教であるように振舞う事を強要し、その結果国民の信教の自由を侵害しているなんて本末転倒だよな。
511 :
右や左の名無し様:04/02/13 07:04 ID:olvWZgNz
744 :D :04/02/13 05:39 ID:GswDHiWi
民主主義体制というのは、奴隷階級である民主主義者からの反逆リスクを最小限に封じ込める事が出来るという点において、
支配階級にとっては最も好都合のシステムなんだよ。
経済活動が国境を超越する現代において、実権を握る独裁者は既に政治の表舞台に立つ必要すらない。
市場経済が自由化されている民主主義国家における政府などは、取り締まりの時にスケープゴートとする為に雇う風俗店の店長みたいな存在に過ぎない。
民主主義体制下における選挙では、奴隷階級である民主主義者を口車で自分に投票させる能力に長けた俳優しか政治権力を握る事が出来ない。
そのような体制下では、政治家は演技力の研鑽に時間と労力を費やす事しか出来なくなる。
演技力の研鑽を怠れば、怠らなかった俳優に選挙で負けて全てがお仕舞になるからだ。
つまり民主主義体制下では、選挙を経る度に演技力だけが取り得の無能な人間だけが選抜されていくという淘汰圧がかかっている。
しかし日々の行政においては、誰かが無能な政治家に変わって実権を握り、適切な運営を指導していかなくてはならない事には変わりない。
こういった状況で名目上の政治家たちから実権を委任されるのは、資本によって有能な人材を集約できる資本家が用意できる人材だけとなる。
つまり自由な選挙が保障された民主主義社会とは、表舞台に立つ必要すらないカネ持ちどもの言いなりとなる他の道が閉ざされた社会という事だ。
>>508 santi氏
議論しなければ疲れるわけがない。議論を止めれば疲れることさえできないでしょう。
疲れる=いやなこと、と勝手に思い込んでいるようだが、疲れるから止める・・・では
スポーツは成立しない。あなたの合理性とワタシの合理性は違う。双方の個性を
認め合うところから、人権思想は出発すると思うが、貴殿は本当に人権派?
合理性がないねぇ。
で、キリスト教でも、洗礼を重視しない宗派もあって、彼らもキリスト教徒だよ。
貴殿の言説に依れば、聖ペテロは、「私の羊を飼いなさい」と言われるわけがない。
人権がそのような思想によってもたらされたことを、否定しているのではない。
我が国の国民は、人権思想・自然権などの思想に基づいた、人権の条文を
承認したのであって、思想を承認したのではないということを、まず了解できるのか
と、聞いている。
あなたの説明は、いつも対立しない状況の説明であり、対立した場合の説明を
していない。
「未知の危機・合理的に証明されない危機」を理由とした「多数の利益保護」と
「具体的な人命の危機」を理由とした「少数の利益保護」が対立した場合、
どちらを優先するのか、ということを聞いているのである。
で、
>>510は、日本ではそのとおりだと思う。
>国民に無宗教であるように振舞う事を強要し、その結果国民の信教の自由を
>侵害しているなんて本末転倒だよな。
本末転倒なのである。日本の人権思想からいえば。しかしフランスでは、少なくとも
議案として提出される程度に普通のことのようだし、回教を国教とする国では
たぶん提案しただけで、逮捕されるだろう。
人権に関する法律は普遍ではなく、あくまで、その国々の歴史・伝統から形成された
共有される価値観によって定まると言うことを、実感したよ。
>>512 れ氏
>疲れる=いやなこと、と勝手に思い込んでいるようだが
疲れる、疲れると繰り返し書いてあれば余程嫌なんだろうなと推測するのが合理的な判断だろう?だから議論を止める事をお薦めするのが自然な気配りだと考えた訳だが。
>キリスト教でも、洗礼を重視しない宗派もあって、彼らもキリスト教徒だよ。
だから、そういうこと言っているのではなくて、問題としているのはキリスト教信者という身分を持っているかどうかということ。
多くのキリスト教の教派が信者かどうかを判断するメルクマールを洗礼を受けているかどうかに置いていることから、洗礼を便宜的に例として使っただけだよ。
>我が国の国民は、人権思想・自然権などの思想に基づいた、人権の条文を承認したのであって、思想を承認したのではないということ
良く分からないのだが、憲法や法律を制定する時に、その背景となるものつまり思想が全く無い状態から急に条文が突然現れてくるということは極めて考えにくい。
で、たいていは法律を制定する時にはその法律の目的なり基盤となる精神なりがあることを前提にしていて、そのことは条文にも表されることが多い。
日本国憲法もその例に漏れず前文や12・13・97・98条等にそのことが現れていて、とりわけ97条は「人権の普遍性」を謳った極めて重要な条文とされている。
このような条文が憲法に置かれている事から、国民はこういった憲法の基盤となる精神・思想をも承認したと考えてよいだろう。
>>512 れ氏
>「未知の危機・合理的に証明されない危機」を理由とした「多数の利益保護」と
>「具体的な人命の危機」を理由とした「少数の利益保護」が対立した場合、
>どちらを優先するのか、
もう少し具体的な事例を挙げて貰わないと、どちらも優先せず、適正に両者の要請を調整すべきとしか答えようが無い。
いずれにしても法律の世界において、対立している2つの利益のうちのある一方のみの利益を図るということは、その一方の利益が完全かつ明白に正当だと認められるような場合でない限り、滅多にないと考えて良いと思う。
で、貴殿が以前例に挙げていた遺伝子治療のことを念頭においての事だと思うので、その前提で考えるならば、結局のところその遺伝子治療による患者の助命及び病状の好転の可能性とそれによって危険がもたらされる蓋然性との具体的な相関で考えるしかあるまい。
>人権に関する法律は普遍ではなく、
当たり前でしょ。法律が普遍的である筈がない。そうではなくて、憲法の人権規定の根底にある自然権思想が普遍だと言っているんよ。
>あくまで、その国々の歴史・伝統から形成された共有される価値観によって定まると言うことを、実感したよ。
歴史・伝統か・・・貴殿は直ぐにそれを強調する。
完全には否定しないが、国民に共有される価値観と言うものは必ずしも歴史・伝統のみから形成されるとは限らないと思うが。
その時点における国際情勢や社会情勢、学者やメディアによる提言、場合によっては外圧によってもたらされる場合もあるであろう。というか、最近はこれらの方が大きいだろ。
>>513 santi氏
キリスト教信者の身分の問題ではなく、基本的な教義のことを言っている。
簡単な事例を出す。
国教がイスラム教の国で、その国民として義務付けられている、礼拝など
を実行しながら、内心においてキリスト教を信じている人は、キリスト教にとって
信者である。まず優先するのは、内心の信仰である。
回教は信仰の宗教である。自分を無にし、神に絶対帰依・服従する。
信仰は正しい行為により裏付けられる。(五行六信)
信仰告白は 「アッラーの他に神はいない、ムハンマドはその使徒である」 と唱え
ることであり、これを行わない人は、信者ではない。
>このような条文が憲法に置かれている事から、国民はこういった憲法の基盤と
>なる精神・思想をも承認したと考えてよいだろう。
具体的にどのような思想を、日本国憲法は基盤としていて、国民が承認したのか
条文においてどこにそれが表現されているか、ご教示ください。
>結局のところその遺伝子治療による患者の助命及び病状の好転の可能性と
>それによって危険がもたらされる蓋然性との具体的な相関で考えるしかあるまい。
好転の可能性は、科学的に十分証明されている。既に動物実験に依っての成功事例
が多数有る研究も多い。いっぽう、その研究に関して規制しようとする論理において
具体的な危機は何も証明されていない。にもかかわらず、規制は現実にある。
人権派のあなたは、それでも、未知の危機を元に研究を規制するという論理に立つの
かな?
>自然権思想が普遍だと言っているんよ。
普遍であることを証明できるのかなァ。無理だと思うよ。
>歴史・伝統か・・・貴殿は直ぐにそれを強調する。
別に強調していない、極めて抑制的に語っているのである。
その時点における国際状況や社会情勢、学者やメディアによる提言、外圧・・・こういっ
た外部情報に対しての、国としての対処を決定する価値体系の話をしている。
516 :
なごみ:04/02/15 14:58 ID:???
サンちゃん
>>498 >十分な安全・・・
安全性に疑いがあるから原子力に反対なのが亀ちゃん、そこまで安全性を疑ってたら科学の恩恵をも受けられないというのがれれれのおぢさん。
お主も俺もそれぞれ安全の定義や基準が違うんよ。そんなんで議論がまとまると思う方がおかしい。
>いきなりその法律・・・
ということで法律の登場となる。法律も基準の一つであり、改正されてしまえばそれまで。しかし、改正されるまでは絶対的な基準として存在する。
俺もお主も亀ちゃんもれれれのおぢさんもそれには従わざるを得ない。それが法治国家であり,人権派に言わせれば法の支配と言うことになる。
>法律という枠組み
お主はどうか知らないが、法律によって成立しバランスを保ってる現実を無視してまで議論してるつもりはない。
>今回は貴殿がそれをする訳
憲法と法律を一緒にされたらかなわない。憲法に関しては法律の元になる前提なんだから,その前提になる根拠を俺が聞いてるに過ぎない。
法律に関しては、俺はあくまで基準の1つとして法律を出してるのであって,お主が原子力にどう思おうと原発は合法的だし、それに伴う恩恵も受けてる。安全もその法律に基づいて確保されてる。
だから法律を逸脱した東電の事故隠しは問題なのであって、それは人権だからという問題ではない。
>証明までは出来ない
そのソースでも確実に言えることはなさそうだ。
危険性を指摘し強硬に禁じようとしてる派と、有効性を指摘しできるだけ法律による規制を避けたい派がいる。亀ちゃんとれれれのおぢさんみたいなもの。
そのさじ加減の上に法律はあるのであってどっちの転ぶかで今後の遺伝子学も方向性が決まる。
そういう面で日本では世界より30年遅れてるという指摘は朝被新聞の十八番なんだが、もはや法律以外の不文律には大した効果が見米ないと言うことでしょ。
517 :
なごみ:04/02/15 15:21 ID:???
>>499 >最も神秘的な本質部分に触れるのは恐れ多い
この感覚を神のせいにするのが宗教。感性のせいにするのが科学。どっちが説得力があるかってことだね。
クローン人間を生み出したのが純粋な科学研究所ではなくカルトチックな宗教団体だったのが何よりも物語ってる。
>都合のいいときだけ神頼み・・・
っつーか、現代社会は宗教性がない。それはお主の言う通り。
しかし,本の少し前までは,衛生状態や医療技術が発展する前はもっと死と近かった。宗教の根本は死。死をどう扱うかが宗教なんよ。神道であっても当然死を司る神はいるはず。
日本は多神教だから宗教性が崩壊したのではない。
>自分の理性により
理性ほど不確かなものはない。感性にすら勝てない香具師がごろごろいるでしょ。そえが人間的であるかは別問題だが
>貴殿なりの宗教の定義
論敵に頭下げてどうする?
俺だって、憲法や法律すら人権と言い切ってしまう香具師に反証しようと一生懸命なんだからw
あ,定義付けは要らないぜぃ。だって、こっちが違いを指摘すればいいんだから。
518 :
なごみ:04/02/15 15:23 ID:???
そえが人間的→それが人間的
「そえ」ってなんだよ・・・
519 :
なごみ:04/02/15 16:08 ID:???
>>500 >生物には本能的に生存欲というものがあるし、次の種を残したいという欲望もあるだろ。
だったら,自殺する行為は自然ではないんだ?
結婚しても経済的,精神臣的自由から子供をわざと作らない夫婦もいるという。それも自然ではないんだね。
だったら,究極的に人間の理性が自然に反するとも言えないか?
>我々の肉体は特に生存しようと意識しなくても自然に生存していく方向に機能するだろ。
意識しないということは理性ではないということ。そのことに関しては遺伝子操作に限らずまだまだ科学的に明確に証明されてないんよ。
それを科学的に応用して臓器を移植する際の基準である脳死。この判別すら科学的な根拠や証明はない。科学はまだまだ理性的に把握できてないんよ。
>遺伝子操作がどこまで赦されるかは一概には決められないが、
これは遺伝子操作に限ったものではないぜぃ。科学が全体的な把握がなされないまま、部分的に進歩した科学によって様々な状況を造り出した。生命維持装置や人工授精など。
これらは元来自然をモットーとする人権派にとっても議論が分かれるところでしょ。
遺伝子操作も「十分な安全が確保されて、そしてそれによる大きな利益があるならば、また有力な代替手段がないのであれば」遺伝子操作も止むを得ないということにはならないか?
>いやだから、「利益」には利益の増進と損害の軽減の両方が含まれる。
自分の中では利益の増進=損害の軽減でしょう。そんなのは調整しなくてもベクトルが対立しない。
問題は相手がいるとき。自分の利益が増進すれば相手の損害も増進される。自分の損害が軽減されれば相手の利益も軽減される。そこんとこの調整の基準が法律なんよ。
結局、権利は正当なものというより自分を有利にするための道具に過ぎない。うまく利用しないと逆に相手に利用されてしまう。だから自分の権利だけは何が何でも主張する。
それが解った上で人権派を名乗ってるならまだしも、本当に理念理想から心底信奉してそうで・・・
>>515 >具体的な危機は何も証明されていない。にもかかわらず、規制は現実にある。
危険があると証明されていないことは、安全であることの証明にはならない。
必要なのは安全の証明と危険の証明の双方と安全或いは危険の限界
及びそれらの得失だ。
危険は証明されていなくても、安全の証明がなければ規制されるのは当然だ。
521 :
右や左の名無し様:04/02/15 18:40 ID:h4pWuqtH
人権人権というやつに限って、人権を無視している国家を憧憬して
いるような。
522 :
なごみ:04/02/15 18:42 ID:???
サンちゃん
そろそろ次スレか移住先をかんがえないと。
スレタイ変える気なら候補出すぜぃ。
【教えて】人権の存在意義【下さい】
ぶっちゃけ 人権なんてお荷物でしょ
・・・スマソ。パクリしか思い付かない。
523 :
予備海上自衛官:04/02/15 22:07 ID:tjNdbmqE
PCの調子が悪いのでケータイから失礼します。
話を戻すようで申し訳ないが、諸兄、特にスレ主のSanti氏にお聞きしたい。
著しい人権侵害に軍事介入がやむを得ないとした場合、軍事力の直接の担い手である将兵の人権は、
平時はもとより戦時ではより一層制限されることになるが、この点についてどうお考えですか?
今日(2月15日)の朝日新聞の社説に、風力発電について書かれていた。
ドイツは日本の30倍の規模で風力発電を稼働させているそうだ。
日本は政府レベルで、2010年までに昨年度の6倍以上のするよう目標値を設けているという。
はてさて、しかし日本ではRPS法という法律のため電力会社への購入義務に制限を設けている。
ことほど左様に、新興代替エネルギーは抑制されている。つまりは、やる気がないだけだ。
>>516 なごみ氏
>そんなんで議論がまとまると思う方がおかしい。
私が議論を纏めようなんてしたことがあるか?2chで議論がまとまるなんてことはまずないだろ。せいぜいどちらかが論破されるか、逃げ出すかだろ。
>俺もお主も亀ちゃんもれれれのおぢさんもそれには従わざるを得ない。
「原子力基本法」は原子力に携わる業者などが、原子力を運用する上で遵守しなければならない法であって、我々が議論する時に従わなければならない法ではない。
もしその法律がそのような原子力に反対するような議論を禁止するようなものなら表現の自由侵害だろ。
それから、「法の支配」という言葉の使い方も間違っているようである。
>法律によって成立しバランスを保ってる現実を無視してまで議論してるつもりはない。
我々がいくら議論したところで、そのようなバランスを左右するような事にはなりえない。また、本当にその法律で適正なバランスを保てているのかも疑問。
>憲法と法律を一緒にされたらかなわない。
一緒じゃないだろ。法律は憲法の下位規範に過ぎないから、憲法を越えて議論が出来るのだから当然法律の枠組みを超えた議論は可能だろ。
でなければ、憲法改正論議はおろか法律改正論議すらも出来ない。
>>517 なごみ氏
>神道であっても当然死を司る神はいるはず。
推測で議論されても困るのだが、しかし私も神道には皆目興味が無いのであまり調べた事が無く偉そうなことは言えないかな。
>理性ほど不確かなものはない。
不確かかもしれないが人間はそれを持っているだろ。自殺する「理性」も持っているし、自傷する「理性」も持っている。マゾなんていうのは、恐らく人間だけが持っている習性なのでは?
>論敵に頭下げてどうする?
貴殿はどうか知らないが、私は貴殿もれれれのおぢさんも「敵」だとは認識していない。せいぜい議論相手だ。
私の認識では、宗教とは人間が持つ超越者もしくは何らかの神秘的な存在に対する畏怖或いはその存在の確信を本質としているものだと思うのだが、その立場からすると科学や無宗教は宗教ではないという事になる。
結局、定義づけしちゃったな。まあいいでしょ?
>憲法や法律すら人権と言い切ってしまう香具師に反証しようと一生懸命なんだからw
ネタだと思うが敢えてマジレスする。w
法律は人権じゃないよ、当然だろ。人権と人権の衝突を調整するのが法律だ。つまり「公共の福祉」の具体化が法律だという訳である。
憲法の存在目的はズバリ人権保障にある。
>>519 なごみ氏
>自殺する行為は自然ではないんだ?
基本的には、そういうことになるな。ただ、自由意志(貴殿は理性と言ったが)も自然(或いは創造主)が与えたものだとすると、その自由意志に基づく自殺も自然に起源を持つと言えなくもない。
自由意志(理性)は、人間を欲望から解放すると共に罪を犯させる働きも持っている「両刃の剣」なのである。
それから、真偽の程は不明だが、動物の中にも自殺をする者がいると聞いたことがある。こちらは、自由意志によるものではなくて自然によってプログラムされた機構が一定の条件によって働いているだけだと言われている。つまりこれは「本能的」なものだな。
>結婚しても経済的,精神臣的自由から子供をわざと作らない夫婦もいるという。
哲学者カントは、婚姻とは「両性がその生殖器を相互に自由に利用し合うことに関する契約」であると言ったそうだが、これは近代に入ってから出てきた自由主義的で個人主義的な婚姻観であろう。
それまでは、婚姻の機能として「子どもを産み育てる」というものがあった。だからこそ、そのような伝統的な価値観を打ち破ろうとして敢えてカントはあのようなラディカルな事を言ったのであろう。
しかし、現代でも例えば社会学者のマードックやパーソンズは家族の機能として「性・生殖・子どもの養育」を挙げていて、伝統的な家族観を踏襲している。
>究極的に人間の理性が自然に反するとも言えないか?
上に述べたとおりだから必ずしもそうは言えない事になるだろう。また、理性が存在すること自体をもって人間が本能を他の生物と共有していることの否定することにもならない。
>意識しないということは理性ではないということ。
ん?「理性」と言う言葉に拘っておられるようだが、私はこういうコンテクストでは「理性」と言う言葉を用いてはいない。理性も自然が与えたものだし、自律的な体の機能も自然が与えたもの。
>これは遺伝子操作に限ったものではないぜぃ。
だから、偶々遺伝子操作が議論の俎上に上がっていたからそれを言っただけのことだ。
>>519 なごみ氏
>これらは元来自然をモットーとする人権派にとっても議論が分かれるところでしょ。
良く分からないなあ。私は場合によると自然(環境)と人権は矛盾衝突する可能性のある概念だと
>>493でも述べているが。
>・・・遺伝子操作も止むを得ないということにはならないか?
そうだよ。私は何も遺伝子操作を全面否定している訳ではない。
>そこんとこの調整の基準が法律なんよ。
だから、そういうことを私は言っているんだけどねえ。つまり、例えばAが既に利益を得ている場合はそれを増進する事が彼にとっての「利益」になるだろうし、逆に例えばBが損害を現在受けている場合にはそれを軽減する事が彼にとっての「利益」になるだろうって事。
で、Aが利益を得ている裏でCが損害を負っている場合は、その損害を軽減するためにAの利益獲得を抑制する必要があるし、Bが損害を受けている裏でDが利益を得ている場合も同様だ。
>結局、権利は正当なものというより自分を有利にするための道具に過ぎない。
これもまたその通り。
人権と言うものは本来は人民が国家に対して自分たちの利益を確保するために主張していくためのもの。国家が国民の権利を侵害しないのなら人権なんて主張する必要は無い。
しかし、人類の歴史はそうではなかった。人類の歴史は国家が人民の権利を侵害しまくった歴史。だからこそ、人権というものを持ち出さざるを得ないのである。
そのあたりのことを分かって人権を否定しているのならまだしも、どうもそこまで思慮が至っていないようで・・・
>>522 なごみ氏
>そろそろ次スレか移住先をかんがえないと。
まだ525だから大丈夫なのでは?れれれのおぢさんからの要望も聞かないといけないが、この議論がまだ当分終わらないとすれば、このスレのPart2を立てるしかあるまい。
ところで、次に新スレを立てるとしたら、貴殿に立てて欲しい。それからスレタイは中立的なものをキボンヌ。「人権なんてお荷物でしょ」なんていう人はいないだろうから論外。
それから貴殿も
>>523氏に答えてあげて。
>>523 予備海上自衛官氏
私はそのことについては一応
>>305>>334で答えているので、そちらを読んで頂きたい所ですが、付け加えるとすれば公務員にはその職務上の必要から一般の国民とは異なる必要最小限度の人権に対する制約が為されることは止むを得ない面がある。
とりわけ警察官や消防官ましてや自衛官ともなれば、その職務の特殊性から一定の人権制限が課されることは認めざるを得ない。
ただ、だからと言って必要以上の人権制約が許されていい訳ではないし、またその人権制約に見合った待遇(給金や福利厚生等)を与えるべきだし、本人の自由意志で職を辞する権利も保障されていなければならないでしょう。
>santi氏
>>523のといには、答えなければならないだろうな。
スルーしないよう、お願いしておく。
>>334の結論は、「非常に難しい」であり
何も答えていないことと同じである。
ある一人の(自衛官得も消防士でもいいが)の人権を制限してまで、多数の
人権を守ることは正当と、貴殿の言説は示していることになる。
結局多数の人権優遇ジャン。
この論理の誤りの根源は、「国家は人権を守るために有る」と考えているからに
他ならない。
死を司る神・・・まぁ人が寿命によって、死ぬことになったという意味なら、
古事記でも一度は読むほうが良い。(石の森章太郎の古事記でも書いてある)
死後の世界を司る神なら、当然に出雲大社のオオクニヌシである。話し合いにより
アマテラスとそう「契約」した。
誰かを死なせ、誰かを死なせないという意味での運命的な死を司る神はいない。
死を与える権限をもつ=消極的に生を与える権限を含む、という程度に高度に
人をコントロールできる神はいない。なぜなら、神と人の本質的な違いは存在しな
いのが神道であり、人の生命を司るなら、神の生命も司ることが可能となる。それは
八百万の神の上位神が存在するという理屈になり、神道が成立しない。
>>531 れ氏
>「非常に難しい」であり何も答えていないことと同じである。
だから、
>>530を付け足したんだがなあ。貴殿にはその趣旨はお分かり頂けない様だ。
公務員が一般国民に比してその職務の公共性に基づくやや強度の人権制約が課されることは、認めざるを得ない。
それは、国家が国民の利益を実現するための道具であるという国家観に由来し、その国家の職務に従事する公務員もまた国民の利益実現の為に全力を挙げて職務を全うしなければならない全体の奉仕者つまり公僕(憲15条)という立場に立っていることから来る制約なのである。
勿論だからと言って必要以上の人権制約が認められる訳ではないが、公務員はこういう制約が課される事を承知の上で公務員になったのであろうし、また辞職する自由もあるのだから、それ程不合理な事だとは思えない。
それから、神道については貴殿の方が詳しいだろうし、またスレタイとの関わりは小さいと思うのでコメントしないが、一応参考になったので感謝しておく。
また、貴殿こそ
>>520には答える必要があろう。
>>532 Santi氏
>>520に答える必要はないだろう。安全が証明されない限り規制が正当である
というのが正当なら、すべての新たな行為はすべて規制可能ということになる。
思想信条の自由を確保は、すべての思想信条が内心においてとどまる場合、それを
無条件に全面的に保証しても、具体的行動に伴って規制すれば危険はないという証
明が得られるまで、思想信条の自由は規制すべきなのか?
あるいは、青色ダイオードの光が、どのような場合においても人体に安全であると
いう証明がない限り、使用できないのか?
合理的に危険が証明されない限り、自由に決まっているだろう。
君ホントに人権派?
534 :
予備海上自衛官:04/02/16 19:54 ID:ImRE7NpT
Santi氏、れ氏、レスを感謝します。
ケータイからのアクセス故、すべてに目を通していないことをご容赦下さい。
また、同上の理由によって引用は省略させて頂きます。
>>530 一読、ダブルスタンダード?と印象を受けたんですが。Santi氏の立場上この辺りが精一杯、苦しいところかと思います。
疑問をいくつか。
@人権(のある部分)は金銭や好待遇で代替可能なその程度のものなのか?
A人権を担保するのは具体的に言って何か?
三つ目の質問は最近の議論の流れ(原発・遺伝子操作等)に沿ったもの。
B科学にとって最重要なものは何か? あるいは、科学の科学たる所以は? 科学は何をもって己が正統性とするのか?
コテハン諸氏にも回答頂けたら有り難い。
535 :
保守考 ◆WkReason5A :04/02/16 20:05 ID:BEf8B0Pn
このスレ、まだあったんだ。
しかも、だいぶ進んでるようだし・・・・。
で、誰か『人権』そのものについてコメントしているのかなあ?
よかったら、当該レス番を教えてくらさい。
在日クソチョンに人権は無い。
なぜなら、奴らは人間ではないからだ。
奴らの正体は、日本と日本人に寄生する寄生虫であり、低級霊の餓鬼である。
奴らにしてあげる事は、ただ一つ。
全ての朝鮮民族を成仏させる事だ。
537 :
なごみ:04/02/16 23:04 ID:???
サンちゃん
他スレと掛け持ちしてるんで一日置きにレスしたい。
あしたレスするよ。スマソ。
>>533 れ氏
>君ホントに人権派?
「人権派」と言うのはどういう意味で使っているのか分からないが、私は未だ自分の事を「人権派」などと名乗ったことは無い。
恐らく貴殿(或いはなごみ氏も)は勝手に「人権派」等という存在を妄想して作り上げて、その幻想に私を当てはめようとするからそういう疑問が生じているというだけじゃないか?
確かに私は人権が最も重要な要素であって、国政において最大限の配慮を置かれるべきものだとは思うが、全く無制限に権利が保障されるべきだなどとは考えてはいない。
それは私だけに限らず、世の多くの人権を主張するような人達(つまり貴殿達が人権派と呼ぶような人達)も、少なくとも法律を多少でも学んだ人ならば、そのように考える筈だ。
あ、それから保守考氏が何か言っているようであるが、貴殿がお相手してあげて欲しい。貴殿のお仲間でしょ?
>>534 予備海上自衛官氏
ダブルスタンダード?それは心外ですな。どことどこがどうダブルスタンダードになっているか具体的に挙げて頂けると嬉しい。
人権と言うものは、常に完全に円満に保障されるのが合理的とは限らない。一定の職務上或いは地位による制約を課されうる場合があることは否定できないのである。
あなたは、公務員の例を挙げたが、そういったことは公務員に限らず、例えば医師や弁護士は職務上知りえた他人の秘密をみだりに公表してはいけないとされている。
これはある意味で表現の自由の侵害だと言い得るでしょ。こういったことは、そういう職能制度を置く限り認めざるを得ないのである。
>@人権(のある部分)は金銭や好待遇で代替可能なその程度のものなのか?
人権を金銭等で代替するのではない。人権に対する制約は、その制約自体が正当性を持つもので無ければならない。それは、金銭等の裏付けとは全く無関係に独立して判断されなければならない。
そのようにして、人権に対する制約が正当化された上で、それとは別個に結果として一般人よりも強度の人権制限が課されているという現実に対する報償として金銭等でバランスを取るという事なのである。
だから、当然金銭等による代償が為されればそれだけで常に人権制約が許されるということには到底ならないのだ。
>A人権を担保するのは具体的に言って何か?
「担保」という言葉をどういう意味で使っておられるのか今一つ判然としないのであるが、人権の正当性を支えるものは「個人の尊厳」であり、人権を保障するのは国家である。
>科学にとって最重要なものは何か?
あまり人権とは関係ないが、第一義的には真実の発見だろうが、究極的には人間の暮らしに便宜を与えることだろう。あと、知的好奇心を満たすということも有りか。
>科学の科学たる所以は
実証に基づいて物事の本質を見極めようとするところだろ。
>科学は何をもって己が正統性とするのか?
人間の理性の発現じゃないか?
ところで、一方的に質問を発するだけではなくて、あなたの意見を述べて下さい。でないと、議論になりません。
540 :
予備海上自衛官:04/02/17 02:22 ID:r7JkMMgx
>>539 これは失礼、質問ばかりで。あなたの依って立つところを知りたかった故、許さたし。
ダブルスタンダードは第一印象。いやむしろ、人権とそれ以外の何かを無意識的に使い分けているように感じた。これは追い追い考えたい。
人間には普遍的な大切なものがあるとするあなたと考えを同じくする。ただし、それは人権ではない。
では何かと問われれば、より根元的なものと今は答えるしかないが、おそらくそれがあるから人は死地にも赴ける。
「担保」という言葉を選んだが、意図的に曖昧に使用した。戸惑われたようで申し訳ないものの、誠実な対応に感謝する。
人権の核心は人間の尊厳でありそれを保証するのが国家の務めだと理解して良いのなら、基本的に賛成する。少なくとも近代国家が追求すべき理念であっても良い。
ただ国家最優先の課題ではありえないだろうし、人間の尊厳自体も一筋縄ではいかないだろう。
とりあえずここまで。ケータイからだとやりにくい(>_<)
ああ、科学については、あれは信仰、宗教の一つだと認識している。つまりイデオロギー。
541 :
↑:04/02/17 02:25 ID:r7JkMMgx
×許さたし。
〇許されたし。
>>536 >奴らにしてあげる事は
公園の鳩に餌でも差し上げてなさいな。
尾舞、ホントの日本人怪?
>539 Santi氏
人権の制約は正当性が必要である。当然だな。
正当性は何によって決まるのかな?
1、公務員の人権の制約・・・総理大臣も天皇も、自衛官も警察官も
人権は制約されている。なぜか、簡単だよ
「そうしないと社会秩序が維持できないから。」
2、一般人の人権制限・・・不平等な扱いは、一方に制限を加えていることになる。
不平等であるかどうかは、社会通念による。
社会通念に反する悪平等は排除される。「そうしないと社会秩序が維持できな
いから」
3、非常時の人権制限・・・これは簡単。同じ答えか、あるいは
「そうしないと社会秩序を維持保護すべき国家がなくなってしまうから」
歴史的に構築された社会秩序を維持する為に必要な場合、人権の制約は正当性を
与えられる。
人権というのは、基本的には認めないのが社会のお約束。
社会の運営に影響が無い範囲で個人が生きることだけは
認めてあげましょうねというもの。
個々の存在など社会にとては何の意味も持たない。
社会の歯車などと言う者がいるがこれは間違い。歯車は一つ欠けても
装置は動かなくなる。個人が一人二人欠けたところで社会の機能に何の影響も無い。
個人を例えるなら、社会という装置を組み立てるネジか釘のようなもの。
一本や二本あろうが無かろうが全体にはなんの影響も無いの。
今の世の中、個人にとっては社会が無いと生きていられない。
社会にとって個人はその一部があれば十分。大部分は有っても無くて
どうでも良いもの。曲がったりネジがバカになったら抜き捨てるだけ。
代替品は幾らでもあるのだ。権利などと御大層なことは言わないことだ。
>>540 予備海上自衛官氏
>人権とそれ以外の何かを無意識的に使い分けているように感じた。
確かにそういわれるとそうかも知れない。私も人権を最も重視するという立場に立ってはいるが、それ以外の要素を全く無視して良いと考えている訳ではないので、そういう面はあるかもしれない。
私は、人権というものは倫理や道徳と整合的であらねばならないし、というよりも自然権という発想自体がそういう倫理や道徳的なものから由来しているとも考えられるので、親和性は持っていると思う。
>>545の続き
>人間には普遍的な大切なものがあるとするあなたと考えを同じくする。
まだ私に説明不足なところがあるようで申し訳ないのであるが、人権というものはそういう一人一人が大切にしたいと思うものを大切にする事自体を尊重すべきだという要請から主張されるようになったものである。
一人一人が何を重んじ何を大切にするかは基本的には完全に自由であり、それは例えば家族とか恋人とか信仰とか場合によっては財産であっても一向に構わないのである。
特に日本国憲法は価値相対主義を極めて強く要求していて、その下ではれれれのおぢさん(れ氏の事w)やなごみ氏のように国家や天皇をやたらに重んじるというような「反社会的」(憲法の理念に反するという意味で)な価値観すら認められているのである。
ドイツ基本法のように自由で民主的な体制を破壊するような或いはナチスを賛美するような言動や政治活動を禁止しているような事例もあるにも拘らずにである。
亀哲人氏は以前に極右民族主義政党の存在を容認する発言をしていた。私も概ね同意している。ドイツでは現在このような政党は禁止されているにも拘らずにである。
我々は現憲法が徹底した政治活動の自由の保障をより良いものと考えている。それは、彼らが現憲法が保障しているような自由で民主的な体制を破壊するような愚かなことはしないであろうという信頼に基づいている。
しかし、彼らがその自由が徹底して保障されていることをいい事に憲法破壊を行い、再び日本を破滅させるようなことをした場合、その後に成立するであろう民主的な体制の下では、彼らは規制の対象にせざるを得なくなるであろう。
現憲法はよくかつてのドイツのワイマール憲法に非常に良く似ているという指摘が為されている。この極めて自由で民主的な憲法の下でナチスは生まれた。日本はドイツより憲法史的に一世代遅れているという見解もある。
しかし、私はこの自由で民主的な憲法の下であっても、ドイツが犯したような失敗を日本は行わないと信じたい。
>>543 れ氏
>社会秩序を維持する為に必要な場合、人権の制約は正当性を与えられる。
全く論理性が無いし、自然権思想にも反することは勿論だし、現憲法の理念にも反するし、支配的な見解にもそぐわないし、法的な根拠もない論理だ。
憲法上もしくは法律上の根拠を挙げてその論理が正当であることを説明する必要があろう。
ま、しかし仮に貴殿の論理に乗っかって議論をしてあげるとすれば、その社会秩序は何のためにあるのだ?まさか天皇のためって言うんじゃないだろうな?
結局は国民の利益つまり人権のためだろう。国民の利益を離れた独自の価値を持つものなんて存在しないし、だから当然そのようなものを守るためと称するような社会秩序なるものは認められない。
追加だが、ただ単に必要だから制約を課するというのでは理由にならない。
人権の重要性を十分に考慮した上で、その制約が本当に必要なのか、他により制限的でない手段は本当にないのか、といったことを十二分に吟味した上で考えなければならない。
549 :
予備海上自衛官:04/02/18 21:36 ID:zSaEYnrr
>>Santi氏
貴殿が公共性の高い職能の例として挙げている医師・弁護士は、総体として公共に寄与するのであって、
直に全体の奉仕者であることを要求される公務員とは直接比較出来ないと思われる。
また、彼等の守秘義務は職業倫理と考えるべきではないか。
ことさら表現の自由の制限やらプライバシーやらの人権概念を持ち出さなくても、
信頼を損なわないの一言で充分足りると思う。
前回使った担保に変えて裏付けと表現しても良い。
人権を理念面で裏付けるのが個人の尊厳なら、実質保証するのは国家だという。
国家即ち国家権力であり、つまりは主権国家の強制力であろう。
結局、人権は国権に従属するものなのか。
私はそれを肯定する。れ氏は秩序と言ったが、国家第一の任務が人権の保証というのはやはり無理がある。
それほどまでに尊いものなら、多数者のためとはいえ少数者の人権を強度に制限するのは、
やはりどこかに根本的矛盾が存在するのではないか?
あるいは、公共的で人権制限のある職業を選んだ人にその理由を問うてみて、
「人権を守るため」と答える人がどれだけいよう。
再び言う、そこまで大切なものを少数者に負わせるのは間違いではないのか?
550 :
なごみ:04/02/18 23:19 ID:???
>>525 >私が議論を纏めようなんてしたことがあるか?
お主はこのスレの主なんだからね!
>せいぜいどちらかが論破されるか、逃げ出すかだろ。
だから論破は無理だといってるんよ。逃げ出すのは自由だけどね。
>我々が議論する時に従わなければならない法ではない。
言い方がまずかったな。法律とは様々な基準がある中で国家が採用した基準であって、「従う」というよりそれを前提に議論しないとまずいってこと。
かなり誤解を与えちまったね。ま,これも俺の意見に過ぎないが。
>我々がいくら議論したところで、そのようなバランスを左右するような事にはなりえない。
亀ちゃんなんか事業者が多く電気を使ってるんだからそっちが節電すればいいといってる。
亀ちゃんなんか原発がなくなった暁には電気代が高くなっても払ったるわいと言ってる。
これがバランスがとれた意見と言える?影響が云々なんて言ったら2chなんか存在意義がない。
>本当にその法律で適正なバランスを保てているのかも疑問。
適正というのがあると思ってるなら、議論がまとまるって思ってることになる。
法律ってのは適正が理想だが、現実には完全な適正ってことはあり得ない。
むしろ適正は法律によって保たれる(法律が適正を作る)
>憲法改正論議はおろか法律改正論議すらも出来ない。
改正論は現行の憲法や法律を無視してはできない。余りに突拍子もない意見はねぇ。
で、俺は現行の法律が遵守されれば、バランス的には問題ないと思ってる。勿論、東電の事故隠しのようなことがあれば法律に則って厳しく追及されるべきだが。
551 :
なごみ:04/02/18 23:19 ID:???
>>526 >しかし私も神道には皆目興味が無いのであまり調べた事が無く偉そうなことは言えないかな。
俺も詳しくはないが,神道というものは実はなんであるのか定義付けすらされてないんよ。神仏融合というのは神道なのか? 多神教であるということはそれだけ集約されることが難しい。研究も進んでない。
国家神道然り。神道と天皇の関係も天皇教とするのが正しいのか研究は最近になってからどうにかされようと言う動きがある。
歴史というものは反動の繰り返しである。現行の天皇制も人権も戦前国家の反動とも言える。
今が適正であるという保証はない。国家神道は歴史とするには生々しすぎる
>不確かかもしれないが人間はそれを持っているだろ。
だから理性をどう扱うかってことなんよ。人権ってのは人間の理性を当てにしたもの(その点
>>499は同意)。
不確かなのに何が何でも人権!人権!ってのは当然の帰結なのか?
それにお主は、自殺自傷やマゾを容認してるように感じるが。マゾは趣味だからいいとしても・・・
>せいぜい議論相手だ。
「論敵」とはそういう意味なんだが
>その立場からすると科学や無宗教は宗教ではないという事になる。
科学=宗教なんて言ってない。方法論として一緒だってこと。
秩序や存在を証明するときに宗教によるか科学によるかってのの違い。
無臭教は宗教の反動であって、その思考は極めて宗教的(つまり一緒)。
>憲法の存在目的はズバリ人権保障にある。
だったら憲法は第三章で十分ではないか。残りは何のためにある?
憲法の存在意義は国家の規定(定義付け)にある。その中で人権は重きを置かれてはいるが、全てにおいて優先、まして超越はされてない。
552 :
なごみ:04/02/18 23:20 ID:???
>>527 >自由意志(理性)は、人間を欲望から解放すると共に罪を犯させる働きも持っている「両刃の剣」なのである。
その理性の産物である人権もね。
>つまりこれは「本能的」なものだな。
だったら自殺は本能なんね?
「生物には本能的に生存欲というものがあるし、次の種を残したいという欲望もあるだろ。」(
>>500)
本能はどっちなんよ?
>婚姻観・結婚観
俺に反論ばかりで、お主が度いう立場なのかはっきりしない。お主はどう思うんよ?
子供を作らない夫婦は自然なん?
>上に述べたとおりだから必ずしもそうは言えない事になるだろう。
自殺は理性であり、本能でもある。なのに、生存権っていう人権の根拠は?
>「理性」と言う言葉に拘っておられるようだ
当たり前でしょーが。それに就いて議論してるんだから
>理性も自然が与えたものだし、自律的な体の機能も自然が与えたもの。
こういってしまえば自然は全てを超越する。だったら
「そして他の本能の赴くままに生活する動物とは異なり自分の理性により自由に生きていける動物として生まれてきた、という事実を尊重しようという趣旨から生まれてきたのが人権だと考えて良いと思う。 」
>>499 と理性と本能を区分けしたお主の意図が解らん。
553 :
なごみ:04/02/18 23:23 ID:???
>>528 >私は場合によると自然(環境)と人権は矛盾衝突する可能性のある概念
だったら人権の根拠は? 自然と対立した場合,人権は存在意義はどこにある?
>人類の歴史は国家が人民の権利を侵害しまくった歴史。
人権に立てばね。でも人民の権利がないのなら国家が侵害してることにはならない。絶対主義国家が反人権国家なのは当たり前。だって人権に立ってないんだから
>だからこそ、人権というものを持ち出さざるを得ないのである。
持ち出す対象である国家を否定すればいい。アナーキズムやリバータリズムだね。人権が国家を超越するなら、人権はなぜ国家によって憲法によって保障されねばならないのだ? 人権はそれを侵害する国家を否定できないんよ?
>そのあたりのことを分かって人権を「肯定」しているのならまだしも、どうもそこまで思慮が至っていないようで・・・
とのしつけてお返しする
>>529 >まだ525だから大丈夫なのでは?
512KBを超えると書き込めない。(現在455KB)そろそろ考えないと。
>「人権なんてお荷物でしょ」なんていう人はいないだろうから論外。
ま、ネタだったんで。
>それから貴殿も
>>523氏に答えてあげて。
どうも何も自衛官たんの言う通りでしょ。深入りはしない。自衛官たんのご指名だし。二人のレスのゆくえに期待したい
論点がまた拡散したようなので、一点に絞る。
「人権が場合によっては自然と対立するのに、人権の根拠はどこにあるのか?」
あと、スレタイを決めて欲しい。このままでは
「【教えて】人権の存在意義【下さい】 」
になってしまう。
554 :
予備海上自衛官:04/02/18 23:48 ID:zSaEYnrr
>>549続き
Santi氏は整合性を言っておられるが、人権の尊重と少数者の人権制限をいかに整合させるのか。
かなりアクロバティックな概念操作をしているようで、その辺がダブルスタンダードを感じさせた所以なのだが。
ここではっきり言いましょう。人権を守るため一部の人権制限が避けられないのなら、
人は誰しも人生の数年間を人権制限下に甘んじ、全体に奉仕する必要がある。
これで首尾一貫する。
常々疑問なのだが、なぜ人権派(とカテゴライズされるのをSanti氏は拒否されていたが)や市民派は、
兵役の権利をそして兵役の義務を主張しないのか?
権利と義務は表裏一体ではなかったっけ?
民主主義制度下における主権国民は兵役の権利を有し義務を負うのが、本来の姿ではありませんか?
そう考えて自衛隊に志願した私は、どこか間違っていますか?
現職の頃、市民派・人権派・反戦平和派あるいは右翼の運動をしている方々には時として不愉快な思いも味わされた。
人権・民主主義・平和などを深く理解している自負は無いが、
どちらがより理解しそこなっているかは明らかだと思う。
555 :
予備海上自衛官:04/02/19 00:04 ID:qVJtLZRl
>>553 なごみ氏
せめて頭に“予備”を付けて頂けませんかf^_^; “自衛官”は政治活動が制限されていますゆえ。
【 人権ファンクラブ Part2 】会員番号
>>525 なごみ氏
>お主はこのスレの主なんだからね!
え!そうだったの?私は一度名無しどもに撃退された身。スレ主ではないと認識していたんだが。
>だから論破は無理だといってるんよ。
纏めるのも無理だと思うよ。存在意義スレを見てご覧。纏まりそう?
>「従う」というよりそれを前提に議論しないとまずいってこと。
だから、私は現状を一応認めているじゃないか。ただ、現状のままで今後も行っていいものなのかという議論をしているのだが。
>これがバランスがとれた意見と言える?
それは彼に言ってくれないか。w
私個人的には原子力止むなしという立場だが、彼の意見も尊重されて然るべき。
>むしろ適正は法律によって保たれる
そんな訳無いだろ。だったら、法律は永遠に改正する必要がないという事になるのでは?
「適正なバランス」というのは、裸の意味での「適正」ではなくて、相対立する利益の調整をとった点の事だ。完全な適正なんてそれこそ「神」にしか分からないだろ。
>余りに突拍子もない意見はねぇ。
意見はどんな意見でもOKだろ。民主主義や人権を否定するような意見すら許されるのだから、一つの法律を否定することぐらい容易い事だ。
>>551 なごみ氏
>現行の天皇制も人権も戦前国家の反動とも言える。
象徴天皇制はそういうことがいえるかもしれないが、人権はやはり普遍的なものであろう。なぜなら、人権は国際的にも重んじられているものであるし、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、過去幾多の試練に堪えてきたものだから。
>>551 なごみ氏
>不確かなのに何が何でも人権!人権!ってのは当然の帰結なのか?
今、我々が生きているという現実は確かな事だろう。その現実つまり我々が生きているという事実を尊重すべきだということを、言葉を言い換えると人間の生命に対する権利(13条)つまり人権を尊重すべきだという事になるのである。
それから、自殺自傷は現行法では認められている。他人が自殺に関与したり唆したりする行為は犯罪になるが、その本人は処罰されない。それから、傷害行為は被害者本人が承諾している場合(よってマゾもw)は犯罪を構成しない。
自殺は道徳的・宗教的には勿論問題ありだが、刑法はそういう道徳的・宗教的価値を実現するためにあるものではないし、自己決定権の見地からも現状で構わないと思う。
>秩序や存在を証明するときに宗教によるか科学によるかってのの違い。
この違いは大きいと思うけどな。
例えば、太陽が東から昇って西に沈むという現象はどうして起こるのかという質問に対して、それは神が太陽の動きを支配しているからという説明と地球が自転しているからという説明ではどちらが説得的だ?圧倒的に後者だろ?
>残りは何のためにある?
だから、人権保障或いは人権を実現するためだよ。第一章はちょっと異色だがな。
>>552 なごみ氏
>その理性の産物である人権もね。
だから、人権にも一定の制限が課されている。それで十分である。
>本能はどっちなんよ?
だから、両方本能だよ。例えば、人間には恐怖を避けようとする衝動と怖いもの見たさという衝動があるだろ。人間は相矛盾する本能を持ち合わせている。
それから、動物の自殺の件はあれから調べてみたが確認が取れなかったので、取り下げさせて欲しい。
>>552 なごみ氏
>子供を作らない夫婦は自然なん?
自然ではないが止むを得ないだろ。社会の諸制度が、単なる内縁の場合と法的に届け出た夫婦の場合では扱いが後者に対して有利になる場合が多いから、どうしても夫婦という形式に拘るのも分からないではない。
ただ、それを「夫婦」と見るから不自然になるのであって、単に男女が共同生活をしているだけとみれば、人間は社会的動物だから自然といえなくも無いが。
だがそれはいわゆる「夫婦」ではないわな。例えば男5人と女3人で共同生活をしても良いところを偶々男一人と女一人で生活しているだけで、後制度上形式的に「婚姻」という形を付け加えただけだと見る事もできる。
>生存権っていう人権の根拠は?
生きたいと思う人の生存を尊重すべきということだろ。
>理性と本能を区分けしたお主の意図が解らん。
どうしてだ?本能だけを持つ他の動物と本能と理性を併せ持つ人間は違うだろう。
自然は全てに超越する。だから自然の創造物たる動物も、「人権」はもちろん持っていないが、その生存を尊重されるべきで人間がむやみやたらに殺していいことにはならない。
ましてや本能の他に理性までをも併せ持っている人間には人権が与えられ、それを尊重されなければならない。
>>553 なごみ氏
>自然と対立した場合,人権は存在意義はどこにある?
人権は国家に対する権利であって、自然に対して主張することは出来ない。だから、「国家が人権を侵害する」ということはありえても、「自然が人権を侵害する」ということはありえない。
で、人権が自然と対立したとしても、その事で人権を否定する事にはならない。なぜなら、周囲の自然つまり環境も自然なら我々自身も自然(の一部)だからだ。しかも我々は理性も持っている自然の一部である。
人権内部でも、ある人の人権と別の人の人権が対立することはありえるが、その事でどちらか一方の人権が否定される事にはならない。
同じように、人権が周囲の自然つまり人間が環境と対立しても人権が否定される事にはならない。
>だって人権に立ってないんだから
だから人権が主張されるようになった。何かトートロジーになってるな。
>人権はそれを侵害する国家を否定できないんよ?
いや、人民は人権を侵害する国家を否定した上で、人権を保障する国家を新たに作り上げたのだ。
そのあたりのことを分かって人権を否定しているのならまだしも、どうもそこまで思慮が至っていないようで・・・
>スレタイを決めて欲しい。
このスレのスレタイのPart2で良いんじゃないか?敢えてスレタイを変える必要は無いだろ。しかも、貴殿が挙げているのだと紛らわしいと思うし。
>>549 予備海上自衛官氏
本当にコテハンはあなたの職業(というか身分?)だったのですね。
>国家第一の任務が人権の保証というのはやはり無理がある。
では何だというのであろうか?国家の存在目的は何なのであろうか?あなたの意見をお聞かせ頂きたい所である。
私は国家の存在目的はやはり人権であると考えている。ただ、人権というものに対する誤解があるような気がするのであるが、ここで言う人権というものは国民の生命・健康・自由といったもののことである。
あなたは憲法13条をどのように理解しておられるであろうか。この条文では、人権が国政の上で最大の尊重が為されるべき事が謳われている。或いは、憲法前文でも国政の福利は国民が享受するものであることが謳われている。
これらの規定の中の「国政」という概念には防衛も入っていることは指摘するまでもない自明の事であろう。
もし国家の存在目的が人権を保障する事つまり国民の利益を守る事でないなら、その法的な根拠を挙げて頂くか、論理的に説明して頂きたい。
>「人権を守るため」と答える人がどれだけいよう。
私が言っているのは、公務員個々人の内心の問題ではなくて、公務員が一般国民よりも強度の人権制約が為されているという法制度上の正当性の根拠についてである。
公務員個々人は様々な内心的な事情で職務に従事しているのであろう。「お国」の為かも知れないし、家族を養うため、自分が豊かな生活をする為、社会的に高い地位に就きたい、名誉を得たい等様々な動機に基づいて職務に従事しているのだろうと思う。
それはまさに「自己実現」の問題で、彼らの人生観・世界観に関わるから、そこに立ち入ることは出来ない。従って、あなたがどのような目的で自衛隊に入隊されようともそれについて私がとやかく言う積りは全く無い。
ただ、内心においてどのような目的を持っていようとも、公務員が公務員として職務に従事する上においては、全体の奉仕者つまり国民の利益(人権)を守るために職務を行うべきなのである。
>>554 >兵役の権利をそして兵役の義務を主張しないのか?
「兵役の権利」というのは自らの意思で軍隊に入隊する権利の事であろうか?それは人権の見地からは否定しない。むしろ、自己決定権の一内容として肯定されうるであろう。ただ、日本国憲法上は9条との関係で問題となりうる。
それに対して、兵役の義務は問題が大きい。当人の意思に反して強制的に軍隊に入隊させるというのは、人権侵害の度合いが極めて大きいため許されないと考えるべき。
実際、兵役義務を課している国々でもこれを廃止しようという動きが最近は盛んだし、またそういう国々でも入隊を拒否する者に対して一定の代替奉仕義務を課す事で兵役を免除している例が多い。
これらの事情があるので私は主張しない。社会に奉仕する方法は軍隊に入隊する事だけではない筈だ。
それから反戦運動についてだが、私はそういったことはしたことは無いのだが、確かに自衛隊がイラクに派遣されるという事で最近は反戦運動をニュース等で耳にする事が多い。
自衛隊に対して「イラク派遣反対」なんて叫んでいる人たちがいるが、あれは無意味だと思う。言うならば、政治家に対して言うべきだと思う。
ところで、二人を同時にお相手するのはさすがに骨が折れるので今後は一日おきぐらいにレスすると言うことでも構わないだろうか?
>>547 Santi氏
>まさか天皇のためって言うんじゃないだろうな?
だから、そういうレッテル張りは貴殿が一番嫌うんだろ?
で、貴殿が法律を学んでいるのだったら、当然に、平等に関する判例は知っているよね。
例えば、生活保護とそれ以外の福祉との、両方を受給できない規定が、平等原則に
反しているかどうかの判決などがある。
そこで重要視されたのは結局のところ、「社会通念」でしょう。
「社会通念」を無視して権利を主張しても受け入れられない。じゃぁ、社会通念というのは
どうやって構築されるのかということだよ。法律に規定されていないが、共有する価値
というものが国民に有って、その範囲で人権は保障されている。
無制限に保障されているのではなくて、法・社会通念に基づいて保障されるのが人権
何だよ。言い方を換えれば、人権も、安全保障も、防衛力も、公的職業も、すべて、
社会秩序維持のために必要な制度であって、その必要性は「対等」だと私は言いたいん
だよ。
人権上不都合でも、国家壊滅的危機状況において、徴兵制は否定されないし、逆に
平時で、国家的危機がないにもかかわらず徴兵制を引くことに合理性はない。
公務員の人権制約は、本来的な普遍の人権思想からはおかしいが、合理的理由が
あればやむをえない。(その合理的理由とは、社会秩序維持だろう)
国を維持し発展させるというのは、全体主義でもなんでもなく、その国民の利益だよね。
それは人権とは無関係でしょう。人権が保障されているだけで、幸福だとはいえないわ
けだから。
私は、人権を優先するために徴兵制を否定し、そのために国家が滅びるのはご免こう
むる。
564 :
:04/02/19 13:17 ID:???
>>563 れ氏
>そういうレッテル張りは貴殿が一番嫌うんだろ?
レッテル張りではなくて、貴殿の普段の言動から推測した素朴な疑問だったんですけど。
>そこで重要視されたのは結局のところ、「社会通念」でしょう。
事件名も判決日も明示されていないので、貴殿がどの判例のことを言っているのか判明しないのであるが、
私が思うにその判例が言ったのは憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」という文言が抽象的だから、それを解釈する際に「社会通念」を用いると言っているだけであろう。
つまり「社会通念」を用いるのは憲法25条を解釈するためであって、「社会通念」で人権が保障されるわけではない。
だから、例えば19条等のように規定が比較的明確で解釈に「社会通念」を用いる必要のない人権は、その規定の文言どおり絶対的な保障である。従って「社会通念」で思想良心の自由を侵害することは出来ない。
>その必要性は「対等」だと私は言いたいんだよ。
国民のために国家はあるのであって、国家の為に国民があるのではない。では、その「国民のため」とは何かと言えば、それは国民の利益つまり人権を守るためである。13条でそのことが定められている。
従って、人権保障が目的であって、国家はそのための手段に過ぎないと考える事が出来るだろう。
>その合理的理由とは、社会秩序維持だろう
いや、「全体の奉仕者」であると言う事から来るものであろう。つまり国民の利益を実現するために全力を上げるべきだからである。
国民は一人一人自分の幸福を実現するための活動をする権利を持っている。それを実現できるための手助けをしたり条件整備をしたりするのが国家の役割だ。
>>565 貴殿が私の普段の言動をどう知っているのか知らない。多分あなたの脳内妄想だ
よ。
思想信条の自由の中には、内心で思う自由のほかに、内心で思うことを
表現しない自由も含まれている。あなたは共産主義者ですか?と聞かれたとき
YES/NOを回答しない自由も含まれている。
さて、米国における移民が、米国民となるためには、国家への忠誠心を誓うという
義務がある。思想信条の自由の侵害である。
回教国において、回教でない人たちは、その人権を守るために回教徒でないことを
服装や装飾品などで表現しなくてはならない。内心の自由の侵害である。
思想信条の自由を表現することもまた自由であるが、フランスでは、アラーの
神に帰依していることを示すスカーフの着用が学校で禁止されるという。
「その規定の文言どおり絶対的な保障である」というのは、社会通念上許される範囲
であろう。まさか内心で思っているだけの自由なのか?内心を表現する自由、表現し
ない自由も含まれてこその人権でしょう。
国民のため=国民の人権を守る は全く間違いだよ。
二回目だが、人権を尊重するに至っていない我が国の独立を守るためには
隣国の人権を非常に尊重する国家との合併を、人命を賭してても阻止する。
それが国民のためだと私は信じるが・・・。
全体の奉仕者は人権を犠牲にしないさいというために、その理由が国民の人権を守る
ためでは、自己矛盾でしょうよ。
早くそこに気がつかないとダメだよ。あなたは自衛官や海上自衛隊の職員など、
人命を賭して国防にあたっている人たちに、私たちの人権を守るために、あなたは生命
をかけなさいと、非常に失礼なことを言っているんだが・・・。
>>563 >平時で、国家的危機がないにもかかわらず徴兵制を引くことに合理性はない。
それは無い。国家的危機が生じた時、直ちに全ての国民がフル戦闘状態に
移行できるなら徴兵制の合理性は無い。
戦闘力は瞬間的に起動でき、且つ危機が消失するまで継続できなければ
意味が無い。危機が生じてから人を集め訓練したのでは間に合わない。
>国を維持し発展させるというのは、全体主義でもなんでもなく、その国民の利益だ。
国の維持発展≠国民の利益
王や独裁者が主催する国家←→国民、と言う古い図式に従うなら
主催者と国民という人間同士の力関係で諸事決定された。
現代は、国家と言う何の意思感情も実体も無い組織と国民と言う人間の
関係でしかない。組織体の利益や発展とは最大の物量・エネルギ量の
吸引集積である。人間としての国民はこの目的のため最大の効果を
発揮するように求められる。何の感情も持たない組織体にとり
人権など何の意味も持たない。人間が組織の動きを制御しているように
見えても実際は組織によって制御されているだけなのだ。
568 :
予備海上自衛官:04/02/19 20:28 ID:qVJtLZRl
>>562 >ところで、二人を同時にお相手するのはさすがに骨が折れるので今後は一日おきぐらいにレスすると言うことでも構わないだろうか?
結構ですとも。
こちらとしても毎晩ケータイからアクセスしてレスするのもしんどいし。
以下雑談
Santi氏も好敵手(れ氏やなごみ氏など)が多くて大変ですね。応援しています、頑張って!
予備自衛官の身分は、非常勤の特別職国家公務員です。
防衛庁自衛隊は大いに批判するべきですよ。ただ自衛官個人に対する非難はすじ違い。
人権に敏感であろう人達がそれをするのだから信じられない。
569 :
予備海上自衛官:04/02/19 21:12 ID:qVJtLZRl
えーと、この辺りで私の立場を二つ確認しておきます。
@国家が可能な限り最大限人権を尊重すべきであることには異存がない。つまり、「公共の福祉に反しない限り」において。
というわけで、憲法13条を首肯する。
A刃物の命はその切れ味にある。思想も法律も科学もツールである。その価値は有用性にある。
なお、法律にとって一番大切なのは条文でも解釈でもなく、法の精神(と見えざるコード)。
570 :
予備海上自衛官:04/02/19 21:51 ID:qVJtLZRl
>>Santi氏
自らの死滅を予告したマルクス主義国家ならいざしらず(てホントに死滅していっちゃったけど違う意味で 苦笑)、
国家第一の目標は、国家の存続それ自体。
国家の存在目的はまず国家の維持を図ること。(目的論というか自己目的論?)それが最大の公共の福祉。
まして人権(国民の生命・健康・自由etc)を保証するのが国家の仕事であるなら、
肝心の国家が崩壊してしまっては元も子もない。
571 :
予備海上自衛官:04/02/19 23:22 ID:qVJtLZRl
>>570続き
大文字の主張「人権尊重」と、「でも一部の人の人権制限はしかたないんだよね現実」という注釈のダブルバインド状況を、
人権思想(というツール)だけで捌ききれるかどうか。
貴殿は人権だけで完結できるとし、あちこち手当てしながら整合性をとっている。
貴殿の言っていることは理解しているつもりだ。納得はしてないけど。
さて、少数者の人権制限は人権思想内で正当化されるとして、
では少数者の人権的犠牲の上に多数者が人権の果実を享受する権利は、
人権思想のどこをどう押したら出てくるのだろうか。
多数者の人権ただ乗りは何をもって正当化されるのか。
倫理的に問題はないか。というか人権思想そのものに矛盾してないか。
>>566 れ氏
>思想信条の自由の中には、内心で思う自由のほかに、内心で思うことを表現しない自由も含まれている。
貴殿は思想信条の自由と表現の自由の区別も出来ないのですか?貴殿は一度憲法の本を薄めのもので良いから一冊通読する必要があると思う。
集中して読めば一ヶ月ぐらいで終わると思うので是非読んで貰いたい。猫氏も同じようなことを言っていた様な気が・・・
一応簡単に説明すると、思想信条の自由は絶対的保障である。しかし、表現の自由は名誉毀損罪や偽証罪などの犯罪が成立するような場合には制約が課される。
それから、他国との合併などということは私は主張していないが。国家の存在目的が人権保障である事と他国との合併をするなどということとは全く次元の異なる話だ。
また、公務員が国民の利益を守るための「全体の奉仕者」であり、そしてその事によって一定の必要最小限度の人権制限が為されるということは、私の個人的な主張というだけではなくて憲法がそのように定めているのである。
憲法は国民の生命・財産・幸福追求のための権利を守るために公務員が「全体の奉仕者」として職務に従事すべき事を13条と15条で定めているのだ。で、多くの学説もそれを支持している。
>>568 予備海上自衛官氏
>人権に敏感であろう人達がそれをするのだから信じられない。
どういうことが実際にあったのですか?具体的に教えて頂けたら嬉しい。
恐らくそういう人達は人権と言うものの本質を理解していないのではないかと思うが。
>>569 >法律にとって一番大切なのは条文でも解釈でもなく、法の精神(と見えざるコード)。
正しいような正しくないような・・・
私は条文や解釈も重要度は高いと思う。例えば、憲法で法の精神を謳っているのは前文だと思うが、この前文には裁判規範性つまり裁判を行う上での具体的な基準にはなりえないとされています。
例えば、前文では国民主権を謳っているが、具体的な権利としての参政権を保障しているのは15条であり、裁判で参政権侵害を主張するためには15条を根拠とする必要がある。
それに、解釈をしなければ法の精神を明らかにすることは出来ないとも思うし。
>多数者の人権ただ乗りは何をもって正当化されるのか。
納税義務で説明するしかない。国民は納税と言う対価を負担する事によって、国政によって得る果実に見合った犠牲を払っていると考えて良いだろう。
ただ、問題があるなと感じるのは、国民の意識の中に「お上」意識というか、国家について自分たちを上から支配しているものと捉える感覚が未だに残っていて、国家を自分たちのための国家、自分たちの利益を獲得するためのものであると言う感覚が希薄な事だろう。
だから、自分たちの国家を自分たちで守ろうという意識や、国政に積極的に参加しようという意識が出て来にくいのかもしれない。
民主主義というものは、国民に単に権利を与えるだけのものではなくて、国政に積極的に関わる責務も課すものだとされているが、どうも日本ではそういう感覚が国民の中にあまり浸透していないような気がする。
実際最近の選挙での投票率は低いし、近い将来に導入が予定されている裁判員制度に対しても、自分たちの生活上の負担が増えるからという理由で消極的な意見が多いと聞く。ただ、私は別の理由で裁判員制度に対しては否定的なんだが。
だが、こういった現象が国民の自己中心的な意識だけに起因するものなのか、それとも国家が国民の利益実現の為に十分寄与していないから国民がそういう意識を持てないのが原因なのかは議論の分かれる所であろう。
>572Santi氏
で、思想信条の自由は表現の自由とリンクされていない限り、意味がない。
きでんは、内容に対する批判は、何もしていない。
問題は
>「全体の奉仕者」であり、そしてその事によって一定の必要最小限度の人
>権制限が為される
という理由である。突き詰めていって、全体の奉仕者の人権制限が何故正当性
を持つのか、という質問をしているのである。
「多くの学説もそれを支持している。 」私の支持している。あなたも指示している。
多分予備自氏も・・・。問題ははその根拠である。
人権が大切だから・・・ではないといっている。予備自氏が国の存続といい、
私が社会秩序・国の独立の維持といっているのは、
「人権なんぞ依り、国家の独立とその存続維持のほうが優先されることで、国が
なくてどうやって人権を尊重できるんだよ。おまえは、人権を尊重してくれる国が
あるなら、国家の独立を放棄して、合併を求める売国奴か、それともあくまで独立
を維持し、その上でより良い国を作ろうとする愛国者か」という質問なのである。
>>574 >人権を尊重してくれる国が『あるなら』、国家の独立を放棄して、合併を求める
>独立を維持し、その上でより良い国を作ろうとする
自分でも気が付いているように『人権を尊重してくれる国』
は地上に存在しない。未来永劫存在することは無い。
どちらの道を取っても、人権を尊重する国家には行き着かない。
国家は人権を尊重するために作られるのでは無いからだ。
人権を剥奪するためにこそ国家は作られるものなのだ。
国家や社会の言う守るべき人権とは、人の最大の人権ではなく
集団の運営管理に支障を来たさない最小限の人権のことである。
最良の国家とは、最大限に人権を抑圧できる国家なのだ。
>>575 横レスで申し訳ないが…
>人権を剥奪するためにこそ国家は作られるものなのだ。
何故?そうして作られた国家の目的はどこにあるのかな?
民主主義は個の集積として集団を規定している訳だが、
君の発言からは「集団」を優先させる意味がくみ取れない。
誰のための「集団」なのか、その集団にあることで個が抑圧されるとすれば
属性に対する個の帰属意識はどの様に育むのか?
ひょっとしてネタ?其れとも釣り師?
577 :
予備海上自衛官:04/02/20 13:46 ID:hQbe5w8t
>>573 Santi氏
納税義務って人権なの?
人権の名の下に少数者に人権制限を強いている奇妙さ。
では強いる側の人権的根拠は何か?
人権フリーライダーの問題は、多数者が全体への奉仕をサボタージュしていることに起因する。
(これは
>>573の後段で貴殿が指摘した国民の政治意識の問題であるし、
>>549で私が言った、公共的職業を選択した人たちの人権意識[の乏しさ]にリンクしてくる)
この矛盾を解消し、公平さを確保する一つの方法として私が挙げているのが兵役だ。
(もちろん社会に奉仕する方法は様々だ。
が、ここでは論点を先鋭化するため、ストレス度の高い兵役を焦点にする。
なお代役可)
人権守護が国家原理であるならば、私たちの人権を守る私たちの国であるのなら、
国民総てが社会全体への奉仕にコミットする正当な権利を有し当然の義務を負うのが、
論理的帰結ではないのか?
人権を標榜するのなら、兵役義務を主張するのが筋ではあるまいか?
論点を拡散させないため以下は簡単に。
@現職時代の不愉快な経験はここに書くべきではないでしょう。オフ会の機会でもあればその時に。
A法律について。
条文解釈判例もちろん重要。だがそれ以上に大切なのは、それらが法の依って立つ精神に適うかだ。
一例を挙げれば阪神大地震の時、ある国から申し出の有った救助犬の提供を、
某省は検疫を理由に断ったという。
法律上はそうかもしれないが、さて…
法律はツールなのだからして、場合によっては超法規的処置も是認される。憲法といえども例外ではない。
もっとも頻繁にそうならないように、法律の整備と解釈が重要な訳だが。
>>576 >誰のための「集団」なのか
集団そのもののため。内部の個は集団を
機能させるための要素の一部。
民主主義は日本土着の考えでは無い。
日本人の考えでは、個は集団に奉仕する存在。
集団が存在してこそ個は存在する。
個が存在して集団を作るのではない。
日本人にとって集団の存在は既定事項。
天皇から生まれたばかりの子供まで全ては
既定事項を維持存続させるためだけに存在する。
人は石垣、人は城。人は能動部品ではなく受動部品なのだ。
受動部品が勝手に動き回ることは許されない。
>>574 れ氏
>思想信条の自由は表現の自由とリンクされていない限り、意味がない。
全く別なものを同じものとして扱うことは出来ない。リンクはしているが、権利としては全く別のものとして扱われる。
>人権が大切だから・・・ではないといっている。
公務員が一定の人権制限を受けるのは、公務員の職務が公共性を帯びているから。つまり、全体の奉仕者として国民の利益増進の為に職務を全うする責務を負っているからである。
例えば、消防官の人権がある程度制約を受けるのは、具体的に言うと火災が発生した時にストライキ等を行っていると、火災が拡大して多くの国民の生命や財産が失われてしまう危険性が高いから、ストライキ権の行使は認められていないのである。
>おまえは、人権を尊重してくれる国が
>あるなら、国家の独立を放棄して、合併を求める売国奴か、それともあくまで独立
>を維持し、その上でより良い国を作ろうとする愛国者か」
>>573にも書いたが、国家は我々人民が我々の利益を実現させるために作り出したものだ。だから、その国家がもし我々の利益を害するのであれば、それを作り変えるべきで、他国との併合といったことは眼中には無い。
勿論多くの国民が合併を望むのであれば無理に反対はしないが、私がそれを特段に進んで望むということはありえない。だから、敢えて言えば私は「愛国者」のカテゴリーに入ると思うが。
大体貴殿の設定する状況設定はいつも極端だ。法律家は、革命家とは異なり、現状を受け容れながらも現状を少しずつ改良して行こうという発想に立つものである。
一般的に法律家は発想や理念は革新的な場合が多いが、行動は比較的保守的であったりする。「思想」と「表現」は全く別物なのである。
>>577 予備海上自衛官氏
>納税義務って人権なの?
人権では勿論無いが、国民が当然負担するべきとされている義務である。国政によって受ける利益の対価としての性質を持っていると考えられる。
>では強いる側の人権的根拠は何か?
人権的根拠としてはやはり13条を挙げることになる。あと、もう一つ根拠となりうるものは前文で謳われている国民主権である。
主権者である国民に対して、国家は国民の利益を実現するため全力を上げるべきものとされている。また、当然の事ながら「国家」自身は人権の享有主体ではない。人権は国民だけが持っている。
で、国家の職務に現実に従事する公務員もその事から来る一定の制約に服さざるを得ないのである。
>国民総てが社会全体への奉仕にコミットする正当な権利を有し当然の義務を負うのが、論理的帰結ではないのか?
これはその通りかもしれない。ただ、兵役は人権制約の度合いが極めて大きいし、9条との絡みの問題もある。
また公務員に比較的強度の人権制限が認められている理由の一つには就任の任意性つまり自ら進んで公務員になったということもあるので、そういう面が否定される兵役には消極的にならざるを得ない。
ただ、比較的短期間の兵役で代役との自由選択が保障され9条絡みの問題が解決されるならば、一つの意見として傾聴に値するかもしれないとは思うが。
>だがそれ以上に大切なのは、それらが法の依って立つ精神に適うかだ。
私も基本的には賛同する。制定法や条文に極端に拘るのは法実証主義に陥り、「悪法も法なり」という命題を容認する羽目になる危険性があるので。但し、法律の枠組みも否定は出来ないが。
>>577 >公平さを確保する[一つの方法として私が挙げている]のが兵役だ。
公平は関係無い。兵器は誰にでも容易に使いこなせる
ものでは無い。だから歴史的にはその適者に任せて来た。
銃・砲の進歩と生産量の増大により簡単なトレーニングで
素人にでも成果が上げられるようになり質から量の時代となって
徴兵制が拡充されてきた。今は兵器が高度化し再び素人では
扱えなくなり始め、トレーニングにも費用が掛かるように
なって来た。徴兵制による国民皆兵は効果を失いつつある。
低レベル兵器の扱いと集団戦闘訓練のために
年間何日かの義務兵役を課す方が効果的だろう。
2週間としても百数十万人に達するから費用は半端ではないのだ。
>>579 > 公務員が一定の人権制限を受けるのは、公務員の職務が公共性を帯びている
>から。つまり、全体の奉仕者として国民の利益増進の為に職務を全うする責務を
>負っているからである。
だから、全体の奉仕者は、「なぜ」人権制限を受けてまで、職務を全うする責務を
追わなければならんのよ。
1、彼がそれを望んだから・・・彼が望めば人権は侵害されていいのか。ダメでしょう。
2、法がそれを求めているから・・・法が求めれば 以下略
じゃな、なぜ?
>大体貴殿の設定する状況設定はいつも極端だ。
教科書に書いてあることを議論したいなら法学の板にでも行けばいいでしょう。
思想とは、価値に序列を作ることである。序列を作るためには対立した状況を
想定しなければならない。・・・わかる?
>勿論多くの国民が合併を望むのであれば無理に反対はしないが、
私は無理にでも反対するし、国民ががそのことによって苦しむ恐れがあるのに
多数決で決めるという考え方に、私は賛成できない。
国家の独立についてた明日受けつで決めてよいとする考えが、全く理解不能。
あなた、本当に人権が大切と考えていますか?
×国家の独立についてた明日受けつで決めてよいとする考えが、全く理解不能。
○国家の独立について多数決で決めてよいとする考えが、全く理解不能。
584 :
予備海上自衛官:04/02/20 20:37 ID:hQbe5w8t
>>580 Santi氏
納税の義務は別の原理でしょ。人権内で完結させて下さい。
この納税義務は、全体の奉仕者への報酬に対置されるべきものだと思われるが(財源だしね)、
後者においては幾重にも留保をつけた上で人権の代替物ではないとしているのに(
>>539)対し、
前者ではあっさり国政の果実の対価だとしてしまっている。
えっと、人権をお金で買っちゃったことになりませんか?
再びお聞きする。
少数者の人権的犠牲の上に多数者が人権の果実を享受する権利は、
人権思想のどこをどう押したら出てくるのだろうか?
多数者の人権ただ乗りは何をもって正当化されるのか?
倫理的に問題はないか? というか人権思想そのものに矛盾してないか?
兵役はサービスであり志願者はボランティアである。全体の奉仕者には人権の制約が課せられ、
時には生命を投げ出さなければならない。
彼等の犠牲に、人権は、多数者は、なにをあがなうというのだろうか。
>>575 および亀哲人
>人権を剥奪するためにこそ国家は作られるものなのだ。
社会契約論の復習をするべし。国家とは何の為にあるかというと、国家の存在しない
自然状態において、人間は互いに相手の人権を蹂躙しあうからである。そのような
状態をふせぐために、人は互いに契約して、法をつくり、国家を形成し、秩序を維持
する権力を国家に与えるわけだ。無論、国家に与えられた権力が人権を蹂躙することも
ままあるわけで、そのような場合に国民は国家を契約違反として訴えることができる。
これが権力分立論の基本。
だから人権を剥奪するために国家が作られるというのは極論だが、国家が人権保障の
ために作られるというのも、国家が人権侵害の最大の主体者であることを見ない議論だわな。
で、共同体に対する外部からの侵害は、共同体の契約に対する侵害として現れる。
契約の侵害に対する責任の観念は、その起源をたどれば、侵害に対する等価物が
何処かに存在する、という観念にいきつく。「道徳の系譜」に従って論理展開してみたが
ここから先をどう論理展開させるかは考え中…
>>585 ルソーは「社会契約論」に於いて、国家の主権が人民の総意以外の
なにものでもないことを強調している。
「国家は個々人が互いに結合して、自由と平等を最大限に確保するために
契約することによって成立する。」
此のルソーの思想に対して私は反対の立場ではない。だからこそ、575君に
質問をしているのだが。
>>586 >国家の主権が人民の総意以外のなにものでもないことを強調している。
こちらはルソーの思想には、おおいに問題が含まれていると考えてるよ。
「一般意志は真の自由に相応するものであるから、票決に破れたものは
自由ではなかったのである。」 わりと問題含みの論理であろうな。
>>582 れ氏
>だから、全体の奉仕者は、「なぜ」人権制限を受けてまで、職務を全うする責務を追わなければならんのよ。
だから、
>>579で書いている通り、そうしないと国民の利益を著しく侵害する可能性が高いからだ。
>序列を作るためには対立した状況を想定しなければならない。・・・わかる?
分からないではないが、そんな両極端な選択を強いられる事なんて殆ど無いだろ。それに、価値に序列があると言ってもそれは相対的なものであって、実際は幾つかの対立する価値観同士の間で調整をとらなければならない事の方が多いと思うが。
>私は無理にでも反対するし、国民ががそのことによって苦しむ恐れがあるのに
だって、併合の相手国が人権が十分に保障されている国で、併合後も人権が十分に保障される事が確実であるのに対して、
自国政府が人権を侵害している、それも他国との併合を考えるぐらいだからその程度もかなり重篤なのでしょうし、しかも自国民が併合を賛成しているのなら、反対する理由も無いでしょうが。
併合後に何らかの問題が発生する可能性が皆無ではないが、「弊害は走りながら解決する。」事も可能だろうし、「未知の危機・合理的に証明されない危機」を理由として民意に無理に反対するのも十分な理由があるとは思えない。
>>584 予備海上自衛官氏
>納税の義務は別の原理でしょ。人権内で完結させて下さい。
あなたも厳しい注文を出しますね。ひょっとして私を試していますか?「こいつどこまで人権で説明できるだろうか」ってな感じで。何か議論というよりも禅問答のような感じですが。
何も、全ての問題を人権で説明する必要は無いと思う。納税の義務でも説明できるだろうし、国民主権でも説明できる。
勘違いをされているかもしれないので一応断っておくが、私は確かに人権に重きを置いてはいるが、だからと言ってそれ以外の要素を全く無視して良いと言っているわけではない。人権が重要度が高いと言ってもそれは相対的なものだ。
ただ折角のご要望だから人権で敢えて説明するとすれば、憲法15条を持ち出さざるを得まい。15条では国民には全体の奉仕者としての公務員を選定する権利を持っている事が定められている。
つまり、国民は公務員を「全体の奉仕者」として働かせる権利を持っていると定めているわけだ。「全体の奉仕者」なのだから必要最小限の人権侵害を伴う事も前提としていると考えて良いだろう。
あと、
>>580でも書いたが13条も根拠となりうることは了解頂けているかな?
>全体の奉仕者への報酬に対置されるべきものだと思われるが
いや、違うと思う。勿論現実には結果として納税が公務員の報酬の財源に充てられていることは否定できないが、本質的な性質は国政によって国民が受けたもしくは受ける利益に対する対価であろう。
また、公務員に対して課されている人権侵害に対する対価でもないであろう。
例えば、ロボットが公的なサービスを行った場合、つまり公務員に対する人権侵害が為されていない場合でも、それにより国民が利益を得ている場合は納税の義務は免れないということである。
>>585 マサカド氏
それは社会契約論とは言ってもホッブズの説だろ?
国家とは何かという議論をする時に、別に社会契約論に囚われる必要はないし、ましてやその中の一つの説に過ぎないホッブズの見解に従わなければならない合理的な根拠はないだろう。
で、私見としては国民の人権保障の為に国家を作るというより、国民の利益実現を達成する少なくともそう努力する国家でなければ存在が正当化されないと考えるべきだな。