【ポチの妄言】ディベート大学その4

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288ポチコロの遠吠え 2/13

平成16年2月13日(金)
吉野屋の危機管理、なっとらんぞ

吉野屋の牛丼がついに終わった。社会現象になったほど
日本人の関心をあつめた。庶民は、牛肉がふんだんに
はいった、安くておいしい牛丼が大好きなのだ。あれは
なかなかのごちそうである。ゴジラ先生も、一カ月に一回
くらいのペースで食べていた。とくに、われわれの世代、
牛肉が高級なもの、贅沢なものであるという感覚でそだ
った世代にとって、牛肉が一杯入っているというのは、大変
な魅力なのだ。

■吉野屋に言いたいことは、アメリカの牛がだめになったとき、
万一のことを想定してなかった危機管理の欠落である。
米国産がだめなら、オーストラリア産、ブラジル産という
ように、平素から危険の分散を計っていなかった経営者
の責任は大きい。
289ポチコロの遠吠え 2/13 (つづきだワン):04/02/13 08:09 ID:7iH9xTjC
■「アメリカ産の牛でないと、あの味を出せない」などというのは、
危機管理を欠いていたことへの言い訳にすぎない。
第一、牛は牛だ。牛に違いはないはずだ。それともアメリカには
まったく別種の牛でも生存しているのか。ウッシシシと鳴く牛か。
第二、なぜ、世界のどの牛をつかっても、ある一定に味を
出せるようにしてなかったのだ。オーストラリア牛丼、
ブラジル牛丼、イギリス牛丼、フランス牛丼である。

米国産の牛肉輸入をはやく再開せよ
ついでにいうと、日本はアメリカの牛の輸入を早く再開せよ。
アメリカは広いのだ。カナダの近くの牛がダメだからといって
遠く何千キロも離れたカリフォルニアの牛がダメというは、
おかしいと思わないか。アメリカ産だといって、一律に禁止する
官僚と日本人の教条的な発想はまちがっている。第一、アメリカ人は
アメリカ産の牛肉を、今も、バカバカと食っているだろうよ。
日本人はおかしいのでないか。科学的根拠のない拒否は、ただの
病的な潔癖症としかいいようがない。清潔症候群という病気だ。
病気なのはアメリカの牛でなく、日本人でないか。