220 :
右や左の名無し様:04/02/09 09:55 ID:noUmVzlG
なるほど、うまいこと言うね。
三島は演出家であり、役者であった。
でも、それを見た人達が、それを契機に、
言動や行動を変えてくれればいいというわけだ。
たとえ、三島本人が、それとは正反対の人間であったとしても。
それにしても、死ぬまで異常に男らしさ・女らしさに執着していたのは、
女の子以上に女の子らしく育てられた少年時代のコンプレックスが
それだけ強烈だったんだろうね。なんか、かわいそうな人だ。
ところで『仮面の告白』って、第3章以降は、原稿用紙を埋めるために
書いた文章のように思えてならない。
文体が急に平坦に、平凡になってしまう。
「『仮面の告白』は後半が雑だ」という評価は確かに当たっているようで、
これは前半が面白い。
レイモンラディケの影響か、導入部分は様々なエピソードの断片の羅列で、
一行でも読み落とすとわけがわからなくなってしまう程内容が凝縮、分裂している。
細部までよく読みこんでみると、例えば、血の欠乏が、若者の血を欲求していたなどという。
強引な論理展開が見られ、作者自身、本当にそう感じたのかと疑われる節が随所にある。
そういった表現(言葉遊び)が作者の文章にかかってしまうと真実に見えてしまう。
この作者は煮えたぎるようなテーマ性が先にあって、それを正確に文章に投影させるようなタイプではなく、
形式やコンセプト、構造体が先にあって、
それに見合ったテーマが後から組み込まれるといった印象がある。
「仮面の告白」は、苦しい小説である。
三島由起夫氏自身、この作品を名作とは、呼びたくないであろう。
私小説を書いた悔恨からももちろんだが、この小説の未完成さを、三島氏、自身痛感しているように感じる。
行間からは、若き二十四歳の三島氏の苦悩する姿が見えてくる。
三島氏はどうにか分裂していく、小説を纏め上げようとして書いている。
「仮面の告白」が、不完全な小説であることは否めない。
三島氏は、この小説で主人公である「私」に男色であるという告白をさせているのだが、嘘を語るように不自然で、技巧的な匂いが拭い切れていないのである。
男色の証明を子供時代にもどって行う前半と、園子と初恋をする後半は、明らかに二分してしまっている。
作り物の技巧を、小説世界の自然に見せるまでに至ってはいないのである。
三島氏の言葉を借りると「どんな人間にもおのおののドラマがあり、人に言えぬ秘密があり、それぞれの特殊事情があると、大人は考えるが、
青年は自分の特殊事情を唯一例のように考える。」
私小説とは、その特殊事情を強引に、小説化することによって生まれる。
この「仮面の告白」も、それにもれない私小説であることは、三島氏、自身語っている。
223 :
右や左の名無し様:04/02/11 01:39 ID:caQqnUYh
>この小説で主人公である「私」に男色であるという告白をさせているのだが、
>嘘を語るように不自然で、技巧的な匂いが拭い切れていないのである。
そりゃ、男性同性愛者でなければ、男色というものが「嘘」の存在に
思えるからだろう。だから、異性愛者は、男性同性愛者から
カミングアウトされると、「え、嘘でしょう?」と呆然とするのである。
三島にとっては、興味のない女との恋愛をもっともらしく書くことこそ
「嘘を語る」ことであり、「技巧」の産物なのであった。
男の肉体に欲情するくだりの表現は、男性同性愛者ならすんなり納得できる。
「仮面の告白」は、ある男性同性愛者が、少年時代の性欲を回想し、
そして、大人になって、異性愛者を偽装する(=仮面)を
描いた小説なのである。そう言う意味で、苦しい小説だ。
三島由紀夫がこの世に生を受けたのは、大正14年のことである。
即ち、三島は昭和という年号とともに歩みだしたのである。
(このことは、三島の自慢の種であったらしく、しばしばエッセイやインタビューへの応答でも自慢気に述べられている。)
幼年時代、三島に最も影響を与えたのは、祖母の夏子だったであろう。
彼女は、三島に自分の床の傍らにいることを義務づけ、一歩も外に出ることを許さなかった。
このことは、三島が12になるまで続き、後々三島が負い目に感じこととなる弱小な肉体を作るのに大いに役に立ったと言えよう。
中等科に上がった三島は、一つの作品を著した。
『酸模』である。脱獄囚と少年の愛を描いたその作品が、正しく後世の三島文学の形をなしているから驚きである。
その後も、『座禅物語』、『彩色硝子』など、この中学時代に、類い稀な才能を見せつけるような作品を多く著しており、この頃から三島文学が少しづつ形をなしてきたと思われる。
また、後にこの中学時代を回想して書かれた作品が数本ある。
(例として『仮面の告白』、『詩を書く少年』、『殉教』が挙げられる。)
そこからは、中学時代特有の生に対する興味や、他虐的要素が感じ取られ、
14、5歳ならば、そういった作品から読むと共感できる点も多く、三島にとりつかれる人も少なくない。
高校時代、三島は本を出版することになる。
処女作『花ざかりの森』である。16歳の時三島が著したこの中編小説のテーマは、まさしく「自分記」であろう。
祖母夏子との生活も、この中に詳しく出ている。
しかし、後年の三島は、この作品を自分の唯一の汚点と評し嫌っていた。
その理由は、この作品が小説ではなく「自分記」だったからであろう。
「仮面の告白」は、三島由紀夫の名を文壇で決定的にした作品。
幼年時代から女性に対して、
不能である事を発見した青年が、
否定に呪われたナルシシズムを心根に、
その心理的葛藤を率直に語る。
貧弱な肉体の主人公が、逞しい同級生に対する思慕と、
その劣等感は、同性愛者の誰もが体験した事のある、
甘くせつない片思いの感情ではないだろうか。
226 :
右や左の名無し様:04/02/15 02:24 ID:QS1P6QKB
Amazonの書評のコピペうざい
『仮面の告白』では、
三島由紀夫のエロチシズムが表現され、
戦後日本の文学史に残る名作といわれる。
私もあまりの有名な作家、三島由紀夫の作品であることは知っていたが、
読んでみて当時の日本の状況を考えると、
この作品の前衛性や描こうとしている世界の新鮮さも感じられた。
そういう意味でもこの『仮面の告白』はやはりすごい作品であることは間違いない。
228 :
右や左の名無し様:04/02/16 17:32 ID:68kLTENU
age
「仮面の告白」は、
主人公の性的告白が作品の重要な部分でもあるが、
人間存在の独白的なものを強く感じ、
覚醒されたように自己の内面を語る主人公が印象的だ。
三島由紀夫は、決して開けてはいけない部屋の扉を開けたような、
そんな心情がこの作品にはあるのではないだろうか。
この作品執筆の頃の三島はエリート官僚として大蔵省に勤務したにもかかわらず数年後退社、
その後直後から書かれたものであるが、
三島が作家活動をしていく上での記念碑的作品としても位置付けることができる。
「AERA」2月23日號の三島先生についての記事はなんだ?
頭腦明晰な三島先生が、そんなに簡單にクーデターを起こせる
と夢想するわけがないよ。
「仮面の告白」を正当に評価する有識者もいたが、
その大胆なエロチシズムの表現にとまどう者もいた。
「仮面の告白」は三島由紀夫自身の心情を書いたものであり、
小説の形式を通して表現した自己の青年期の記録でもあるように思う。
232 :
:04/02/18 10:37 ID:???
「仮面の告白」を読んだ当時は大学生でした。
衝撃的な小説だったことを今でも覚えています。
こんな小説を書けるなんて、この作家の思索の深さに驚きました。
自己を深く見つめ続けた者にしか分らないものがあるとこの作品を読んでみて思います。
三島由紀夫は日本の現代文学の中でも、間違い無くその名を残す作家であると思うし、
現に、活躍している日本の作家にも大きな影響を与えています。
三島が開拓した世界を基盤になっているのです。
他の作品もいくつか読みましたが、
三島由紀夫の作品に登場する主人公からは孤独で精神的なコンプレックスを感じます。
生きている、別な言い方では存在することに強い欲求を持っていた三島由紀夫は、
性的コプレックスを解決することに、世界との結合が可能にできると考えていたのではないかと思います。
ただその性的コンプレックスというものも深遠なもので、表面的な性愛の快楽ではないのです。
人間の本質的な部分に関係するものとしか言うことができません。
三島由紀夫の文学作品に魅了される人は、
そうした人間が生まれながらに持つ本質的な部分を作品から感じていると私は思います。
三島由紀夫と聞いてまず連想するのは何でしょう。
たいていの人は腹切り、自衛隊、右翼などを思い浮かべるのではないでしょうか。
欧米人がミシマでハラキリとくるのはまだ同情の余地があるでしょうが、
日本人で偏った誤解を持ってる者があまりに多いようです。
私は三島由紀夫に対するそういう誤解がこの作家を正当に評価することを妨げていると思います。
日本の文化的幼稚さを感じます。
『仮面の告白』は三島の最初の長編小説として発表され、当時の文壇からは注目されました。
川端康成の支持もあって三島は華々しく文壇デビューを飾ることができました。
資料によるとこの小説は普及版の単行本の装丁以外に、限定本があり、金属製の装丁で今見ても大変に斬新で奇抜なデザインです。
最初読んだ時、この小説は気持ちの悪い小説だなと思いました。
その後味の悪さが、三島由紀夫の個性でもあり、彼の魅力でもあるのです。
三島由紀夫を精神異常な人物と罵っている人がいますが、私はそうは思いません。
三島がこの作品『仮面の告白』で表現した世界は、人間の精神的な共有する部分と思えるからです。
うまく言うことはできませんがそう思います。
そして現代の日本の作家に与えた影響は絶大で、多くの作家が三島由紀夫からの恩恵を受けているのです。
『仮面の告白』は三島由紀夫の描写でもあるかも知れませんが、ノンフイクションとフイクションが融合した小説でもあるのです。
エロチシズムがテーマの日本文学の代表作でもあるし、また実に人間的な作品でもある『仮面の告白』。
三島由紀夫は自己の存在証明としてこの作品を書いたと言ってもいいのではないかと思います。
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/ 。 人 )
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\ \_/ / < 俺は領域に侵入したらしい!!!!!
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ブ━━━ ノ;;;;;ヽ /;;;;;ヽ ━━ン
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メ____人__/、
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(__)
『仮面の告白』(河出書房、昭24・7)が刊行されると、
荒正人が「図書新聞」(昭24・7・23)で「後半のコンプレックス形式の過程が大変いきいきしているのに反し、
それを生身の女相手にむけていくあたり、筆勢も落ち、平凡な風影に堕している」と評した。
神西清は「人間」(昭24・10)で殉教の聖セバスチャンのくだりを「ひろく世界文学を通じても珍しい男性文学の絶品」と賞賛した。
「創作合評」(「群像」昭24・11)で、
林房雄は「おのれの真実は誰にも判るまいという激しい自惚れ、自己賛美、自己陶酔」に感動し、幼年時代までを優れていると認めた。
中野好夫も「少年期から中学の初級まで」を相当のものと評価した。
北原武夫は「差恥の感情」の欠如を欠点として指摘した。
武田泰淳は「文学界」(昭24・11)でスタンダールの「アルマンス」と「仮面の告白」を対比させ、
「このような古典的完成を以てさし出された堂々たる作品を批判する能力はない」と述べた。
瀬沼茂樹は「日本読書新聞」(昭24・11・30)で、
「仮面の告白」に三島の「凡庸でない才能のひらめき」を認めながらも、
「その題材の不倫性を越えたものを示していない。それは一種の耽美主義であり、
その小説的才能、戯曲的構想力、観念的思惟を、
香具師の口上に浪費しているように思われて仕方がない」と批判した。
花田清輝は「聖セバスチャンの顔」(文芸)昭25・1)で「仮面は、懺悔聴聞償を眼中におき、
おのれの顔をかくすためにとりあげられているのではなく、
逆におのれの顔を明らかにするため」であったと述べ、
批評家の見当違いを攻撃し、
「仮面の告白」を高く評価した。
青野季吉は「現代史としての文学」(「中央公論」昭25・1)で「ユニークな性格の端正とさへいへる美をたたへた」作品であるが、
「真空」「冷血」であると評した。
「芸術新潮」(昭25・2)には心理小説として特色があるとの無署名の批評があった。
新潮文庫『仮面の告白』(昭25・6)の「解説」で福田恆存は三島がこの作品に「自己の芸術家のゐるべき揺ぎなき岩盤を発見し」たと述べ、
「三島由紀夫の書いた作品のうちで最高の位置に位するものであるばかりでなく、
戦後文学としても、のちのちに残る最上の収穫」と激賞した。
野間宏は「三島由紀夫の耽美」(「文学界」昭26・2)で、
三島には「ワイルドの社会がなくゲーテの自然がない」と批判した。
中野武彦は「『仮面の告白』論」(「近代文学」)昭29・1)で、この小説の魅力が「官能の美にあると述べ、
「逆説と警句」に特色を見出したが、
「三島由紀夫は新しい真に生産的な文学の創造者からは遠い存在である」と結んだ。
奥野健男は「三島由紀夫論−偽ナル シシズムの運命」
(「文学界」昭29・3。のち『現代作家論』近代生活社、昭31・10所収)で、
「仮面の告白」は「三島文学の解説書の役割を果たす作品であり、
後続作品との関連から「三島はナルシストを憧れ、
ナルシストぶる、にせナルシストにしか過ぎない」と論じた。
三島は大学在学中から小説を書き始めた。
三島はご存じのとおり根っからのナルシストであったが、病弱でひ弱な体を鍛えるために、
あるいは言い方をかえれば、自分の体さえも自己表現の道具として使う「完璧主義者」として、
ボディビルで体を鍛え、褌一丁ではちまきをし日本刀を構えて日の丸を背負って写真を撮らせた。
三島由紀夫の自分の体へのこだわりは、表現者の性の様なものが感じられて、
その後の盾の会の設立と自衛隊駐屯地での自決と併せて考えると、もの悲しさと滑稽さが入り交じってくる。
三島は、あくまで格好のいいヒーローを目指して体を鍛え、
自分の小説から抜け出したような“青年将校”をあつめて盾の会を結成し、
皇国の威徳を顕揚し皇運の扶翼に任じた。
しかし、そうやって、格好をつけている姿の、はたから見た滑稽さは、
三島の意思と反している光景ではなかったか・・・と思ってしまう。
中学生の頃は、三島由紀夫の文章をノートに書き写してみるほど、強い磁力を感じていました。
高校生になった頃は関心が薄れてしまったのですが、
それでも主な作品はほとんど読んだと思います。
その後、日本を離れていたために、かれの晩年の作品をリアルタイムで読む機会は失われました。
かれの自決を知ったのは、イランの砂漠でした。
バスが止まり、イスラム教徒たちは砂漠へ走っていって礼拝を始めました。
車内に残っていたイギリス人が「ニューズ・ウイーク」を見せてくれました。
バスの外では、人びとが焼けついた砂漠にひれ伏して「アッラーの神」に祈り、
母国では、かつて愛読していた三島由紀夫が「天皇陛下万歳」と叫んで切腹したと知り、
人間とはいやおうなく観念にとりつかれてしまうものだと、その不思議さ、奇怪さに愕然としました。
そのとき見た砂漠の光景は、一つの出発点となりました。
いやおうなく観念にとりつかれてしまう人間の滑稽さと、ある痛ましさを共に感じます。
数年前、三島由紀夫が割腹した市ヶ谷駐屯地の、その部屋を訪ねたことがあります。
かれの首が立てられていたところに、
ぼくはカルカッタの日本領事館で見た新聞写真の、その記憶の首を立てていました。
死者に見つめられている、と感じました。
かれの「文化防衛論」には共感できませんが、
ゼニカネに浮き足立っている現代人を見すえる死者の眼差しに、いまも畏怖の念を抱いています。
三島由紀夫のベストワンを挙げるなら『金閣寺』です。
『仮面の告白』もいいと思いますが、
完成度という意味では、
やはり『金閣寺』でしょう。
その完成度の高さは、アイススケートの満点の演技を見るような陶酔と、
ある種のひっかかりのなさをいまは感じますが。
かれは言葉をつかう、
曲馬団の団長のように、
サーカスの少年のように、
綱渡りの少女のように。
いや、芸術家のように、青年のように・・・。
言葉の技芸を磨きに磨き、どこまでも遠くへ行こうとした一人の作家。
できるだけ伝説をしりぞけて、はじめてのように三島由紀夫を読んでみたい。
三島由紀夫、かれはいったい何者なのか。
244 :
右や左の名無し様:04/03/01 03:28 ID:9b/Ta0vB
いつのまにかぼくは三島由紀夫のことを考えていた。
三十歳くらいからボクシングをはじめ、
やがてボディービルディングに転身し、
四十五歳だかで、
謎のパフォーマンスとともに、
じぶんの腹を割いた、
あのマニエリストのことを。
これ見よがしにゴージャスな文章の裏には、
ただひたすら空虚だけがある、
不可解極まりない内面を持つ不思議な書き手。
いま、目の前に立っている三島由紀夫はガラス細工だった。
剣道五段、居合抜の達人、空手の達人、あるときはレイン
ジャー部隊の習練に身を投じ、あるときはジェット104に
搭乗する三島由紀夫だが、英介がはいている靴で、頭を
たたけば、たちまちこなごなに砕けそうな肉体だった。
英介は、意味もなく、(いま、ここで三島を殴ってしまっ
たら、どうなるかな)と考えた。
三島のことが憎いというのではない。
英介は三島由紀夫を好きだった。
ぼくは、三島のなかでは『葡萄パン』と、『月』というタイトルの、ふたつの短篇が好きだ。
そこには、六十年代初頭の新宿にたむろしていたような、ジャズやSFや睡眠薬やダンスに浮かれていた連中が描かれている。
そして若く、きれいな、ごく普通の男の子たちの仲間に、オブザーバー的にとはいえちょっとだけはじぶんも入れてもらった、三島さんのほんとうにうれしそうな感じがつたわってくるのだった。
例によって美しい言葉で結構を整え造形されたその小説は、かなり彼らのリアリティからはズレてる気はするけれど、そんなことは構いはしない。
彼らを見ているだけでしあわせだ、という三島の感じがいじらしく、しかもほんとうにこういうことばっかり書いて生きればよかったのに、と、ぼくはおもわずにはいられない。
それにしても、葡萄パン・・・タイトルからしてスナオでさ。
おもわず、ぼくも、そのパンにかぶりついたんだ。
もっともらしいことばっかり言う、劣等感の強い評論家たちは歯牙にもかけない、おまけみたいな短篇だけど、それはとてもありがたいこと。
そうさ、その短篇は、彼らのためではなく、もっと別の彼らに愛されるために、書かれているのだもの。
三島由紀夫の短篇のなかでは、
コクトーの視線でラディゲを描いた短篇『ラディゲの死』も、好きだった。
新潮文庫のなかに入ってるので、よかったら、読んでみてください。
かなりな程度正直な三島由紀夫といえば、『詩を書く少年』という短篇があった。
主人公は、ひとりの少年であり、厳密にはその世界には、かれしか存在していない。
少年にとって世界がそのようにあるということはめずらしくないけれど、
ただし・・・、いや、結論づけるのはまだ早い。それは、こんなストーリーだ。
少年は、じぶん自身を、そして詩がかれに与えるよろこびを、こんなふうに語る。
「少年が恍惚になると、いつも目の前に比喩的な世界が現出した。
毛虫たちは桜の葉をレエスに変え、擲たれた小石は、明るい樫をこえて、海を見に行った。
クレーンは曇りの日の海の皺くちゃなシーツをひっかきまわして、その下に溺死者を捜していた」歌うような形容はまだ続く。
だが、世界とたわむれる言葉のよろこびを語るかれの言葉は、やがて転調する。
「暖炉のそばの少女の裸体は、もえる薔薇のように見えるのだが、
窓に歩み寄ると、それは造花であることが露見して、寒さに鳥肌がたった肌は、
けば立った天鵞絨(ビロード)の花の一片に変貌するのであった」
いつになくかなり正直なかれが、そこにいる。
そう、ここに一人の、じぶんに恍惚となっている少年がいて。
かれは詩を書き、観念を操作しながら、世界をおもうがままに変容させるゲームに夢中になっている。
かれの透明で固い自我の向こうに、世界が写る。それは、あくまでも美しい。あるとき、そこに少女が見える。
一瞬かれはそれに魅惑も感じはする。だが、かれの書く言葉は、急いで、失望を告げる。その花は造花にすぎない、と。
透明な結晶のようなかれの世界は、いささかも壊れない。
>>249→
かれが、造花という言葉をこのように使う、哀しみと滑稽。
かれ自身が造花にほかならないことを、かれ自身は知らず、それを知る日はついに訪れない。
いや、少女でなくとも、かれの結晶のような孤独を壊す契機は、すぐ目の前にあるというのに・・・。
小説のなかの少年は、先輩のRと、友人関係を深めてゆく。詩を書く天才同士として。
長い手紙のやりとりがある。
Rのくれる手紙は分厚かったが、そこには「軽快なもののいっぱい詰まった感じ」が、かれをよろこばせる。
だが、やがての文面が曇りと憂愁をおびてくる。
ある日少年は、(やがて訪れるだろうかれとRの決別を予感しながら)Rに、じぶんの見た夢の話をする。
あざやかな孔雀が遠くへ連れ去られてゆく姿を、じっと見ていた夢の話を。
聞き終わるとRは、「うん」と生半可な返事をする。すでにかれの視野のなかの少年は脇役にすぎない。
そしてためらった後に、Rは、じぶんの恋愛の悩みを、少年に告げる。
その告白は、決定的に少年を傷つけたはずだけれど、そのことは書かれていない。
そう、少年は傷ついては、いない。そして少年が与える結論は、こうだ。かれの告白には何一つ未知な要素がない。
「すべては書かれ、すべては予感され、すべては復習されていた」そこから導かれる結論は、こうだ。
「この人は、天才じゃないんだ。だって恋愛なんかするんだもの」
>いま、目の前に立っている三島由紀夫はガラス細工だった。
剣道五段、居合抜の達人、空手の達人、あるときはレイン
ジャー部隊の習練に身を投じ、あるときはジェット104に
搭乗する三島由紀夫
実際の三島由紀夫は、運動神経ゼロ、
映画でバレーブールの撮影で監督があきれたのは有名。
居合い抜き、剣舞、。。では、刀を振り回し、座の連中は全員
あぶなくて黙っていたのが事実である。
武器をもたない素手の自衛隊幹部に、刀できりつけ、挙句の果てに
学生に介錯を頼んでやっと死んだ。
あとの学生にせめて死ぬなとでもいっとけ! ばか
親のみになってみろ!!!
『詩を書く少年』という短篇には、かなりな程度の正直があるが、
決定的なところで、偽りの方向へずれてゆく。
まず、この小説にはじゅうぶんには書かれていない要素があって、それは少年のRへの恋慕だ。
おそらくそれを認めてしまえば、少年は精神の拮抗を崩してしまうだろう。
もはや天才を気取ることもできないだろう。
それゆえ、そのような感情は微塵もなかったかのように(!)、
小説は書かれてゆく。ここにひとつの哀しみがある。
それにしても、なんて皮肉な言葉だろう、
「すべては書かれ、すべては予感され、すべては復習されていた」・・・それはRによりも、
むしろ書き手、三島由紀夫の生涯にこそふさわしい言葉じゃないか。
どうして、もうひとおもい、少年は正直にならなかったんだろう?
どうしてじぶんが壊れてしまうことを怖れない勇気をもたなかったんだろう?
なんて臆病な三島由紀夫、と、おもわずにはいられない。
水晶のなかに住んでいる孤独な少年がそこにいる。
ぼくは、その少年が、とても好きだ。
ただし、やがて少年が少年を脱ぎ捨てるとして。
だが、少年はやがて少年を脱ぎ捨てただろうか?
新潮文庫などで読める本に「ラディゲの死」というのがある。
これは、三島が17歳の時から、31歳までの短編13を納める短編集である。
三島は幼い頃からラディゲを敬っていた。
題名にもなっている「ラディゲの死」はラディゲの晩年を書いたものである。
全体的に受ける印象はまだ幼い文だ、ということであった。
「奇跡」との生活・・・それは、「破局へ向かって傾斜しているおそろしいスピードをもった生活だったよ。
しかしぼくたちは、ああして暮らすほかはなかったんだ」 その回想の中心に、ひとりの詩人の姿がある。
かれは、生粋の無秩序、歌うべからざる薔薇が歌い出すような無秩序だ。
かれは若く、傑作を残しながら、もうすぐ「神の兵隊に銃殺される」だろう。
そこに、かれを見守りながらなすすべもなく立ち尽くす、やや若くない、
だが才気に満ちたもうひとりの詩人がいる。二人の詩人は、レイモン・ラディゲとジャン・コクトーだ。
天使の死を謳い、混乱のなかで、コクトーはつぶやく。
ラディゲが生きているあいだというもの、「ぼくたちは奇跡と一緒に住んでいた。
ぼくは奇跡の厳然のふしぎな作用で、世界と仲良しになった。世界の秩序がうまく運んでいるようにおもわれた」
「薔薇が突然歌い出しても、朝の食卓に天使が落ちてきても、
鏡のなかから、水のきらきらする破片を棘のように刺されて、潜水夫がよろめき出てきても、
馬が大理石の庭にその蹄の先で四行詩を書き出しても、当然のことのように」受けとめることができた。
「ぼくは『奇跡』と一緒によく旅行に出た。『奇跡』は何と日常的な面構えをしていたろう!」
「しかし今になってみると、朝の新聞が、自動車事故で五人家族が一度きに死んだり、
建設中の建物が倒壊したり、飛行機が落ちたりすることを見るたびに、
ぼくはもしラディゲが生きていたら、こんなことは決して起こるまい、とおもわずにはいられないんだ」
この掲示板に私や他の教員、学生に対する誹謗中傷を書き込んでいる者に警
告します。
483の書き込みはその前後および過去の掲示板から私のことを指していること
は十分断定できると思われます。また、622では実名での記載であり、明らか
な名誉毀損です。もし、一週間以内に名乗り出て謝らなければ法的な手段に訴
えます。2ちゃんねるは裁判に負けてからIPをとっていますから、おそらく裁
判所で会えると思います。
君のような人が生命科学部に関係していることは恥ずかしいかぎりです。私も
このような書き込みはしたくありませんが、今後、被害を広げないために必要
であると判断しました。
東京薬科大学
生命科学部
教授 多賀谷光男
『ラディゲの死』という短篇で、『詩を書く少年たち』で描かれた先輩とかれの関係の、
もうひとつの変奏のようにおもえる。
(執筆された時期は『ラディゲの死』の翌年に『詩を書く少年』が書かれている。)
三島由紀夫は、かつて『詩を書く少年』について、詩との別れによって散文作家が生まれた、
その主題のゆえに「どうしてもこのことを書いておかなければならなかった」と書いた。
詩との別れだって? そんな模範答案のような、作家のステートメントは、
ぼくは到底信じる気にはなれないな。
なぜって、そこに生きているものは、あまりに19世紀末の退廃美学をひきずった詩、
そして、その詩そのものになりたい、と身もだえするような「散文」だもの。
そう、そこにある散文は、(主題が詩であるとはいえ)、
たとえば、仮にトーマス・マンがそれを読んだなら徹底的に罵倒し倒すだろう、というような、
まったく散文的でない「散文」じゃないか。
けれども、それがどうしたというのだろう。
そこにとてもとても三島らしいなにかが生きている、と、ぼくはおもう。
あるいは、三島由紀夫のなかに息づく詩は、
あるいは第二次世界大戦中の苛烈な日常のなかに咲く、
あえかなスミレの花のようなものだったのかもしれない。
それは同時に、ほとんど、その後の(現在から振り返れば、二、三世代前の)、
少女マンガを予感させるような、美学にも通じていて。
ほんとうに、「少女」のようだと、おもう。
そこに、なにか震えているような感じがあって。
そのまま「少女のままに」一生を生きてしまう・・・そんな図々しさが、
どうして三島になかったんだろう。
そうおもうと、ぼくは残念でならないのだった。
とんちんかんな意見かもしれないが、ぼくは、つくづくそうおもう。
その後、三島に訪れる「男らしさ」への接近を見るにつけ、そのふるまいは、
いったい誰の視線を意識しているのだろう、と、そんな疑問にぼくはとらわれるのだ。
三島由紀夫は谷崎潤一郎の作品を香りの高い日本酒にたとえたそうです。
「禁色」という小説はわたしには「菫色の強いお酒」のように感じられます。
実際、MAD DOGというきれいな紫色をしながら、
ものすごく強い酒があるそうです。
美しいけれど、
いったん飲むとなかなか体の中から消えてくれない。
そんな強烈な飲み物です。
257 :
色男no、1:04/03/13 15:37 ID:o+dKHqqa
こんばんは、みなさん、私が色男です。
三島文学とは全く異なるところで三島そのものの伝説があります。この事が三島問題を他の作家論から逸脱させる要素なのですが、
あくまで例外を認めずにテクスト論による文学研究に一貫させようという立場もあります。しかし、言うまでもなく三島の
存在それ自体が一つの作品ですから、これを言及する事なく三島作品だけに当たる事が可能であるかと言えば、やはり不完全に思われます。
三島を解読するために三島文学を読むのか、三島文学を読むために三島を解読するのかは、そのアプローチする個人の内的問題によるものです。
ところで三島には確かに他者を吸収合併して凡庸化=非個性化するところがあります。三島がフォルムこそが永遠である、という時、
個性は時間の持続に耐え得るものではないという認識があります。100年も経てば、個々人の差異はふるいにかけられ、
様式化したもののみが固有名として定着します。アンフォルメルの思想を否定し、人間の形それ自体を志向するのは彼が代表的人間、
ある性格の雛型となり、類似する他者を全て代表しようとする意思があるからです。
http://www.laspara.net/
「禁色」は凄いよ。なんていうかね、『金閣寺』や『仮面の告白』よりも三島パワーが爆発しまくりです(^-^)。
これ、一読の価値はありますよ。まあ、クオリティーは『金閣寺』ほどじゃあないんですけども、ね。
あっ、そうそう。この作品を読んだ後にはオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』でも読んでくださいな。
三島がワイルドから圧倒的な影響を受けていたかがわかりますから。私からは以上です。
33 :右や左の名無し様 :03/11/07 15:19 ID:???
歴史に「もし」はいけないけど、一水会を去った有望な人材はたくさんいる。
(なんせ今現在、一水会会員数は一桁と思われ)
過去に一水会を去った人材の中には、当然、木村氏の後を継いで3代目になる
可能性をもった優秀な人材も多く存在していたわけである。
もし、「この人物が一水会の残留していたら」を想定して、名前を挙げて
みよう。年齢は木村氏より年下で30代から40代前半に絞ってみよう。
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>>33 元自衛隊員の福田さんという方もいましたね。
文学者ってのはやっぱり社会不適応者か基地外なのかね。
公的な地位につけるとロクなことをしない。
脚気は細菌が原因という、
当時もう否定されつつあった(日本海軍が実験航海で否定した)
トンデモ学説にこだわり、日露戦争では3万人を脚気で死なせ、
かつ終生誤りを認めなかった陸軍軍医監・森鴎外。
ロマン主義者にとどまってれば良いのに、
現実社会にデムパ持ち込んだ挙げ句、
ちゃんとした切腹も出来なかった宮崎勤とオウムの大先輩・三島由紀夫。
(彼の切腹は、腹の表層を浅く切っただけの真似事。
腹壁を切断し、腸をつかみ出し切って敵に投付けるのが戦国武将の正しいやり方。)
彼の自称「切腹」の姿に形骸化した「伝統」を聖化し妄信するウヨの哀れさを見てしまう。
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このままいつたら「日本」はなくなつて、その代わり、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、
或る経済大国が極東の一角に残るであらう。
それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気になれなくなつてゐるのである。
(「果たし得てゐない約束」、三島由紀夫、サンケイ新聞、S45.7[2,p564]より)
これは殆ど、日本社会への縁切り状ではないか。
友人・三島由紀夫のこの苛立たしげな文体に一驚した文芸評論家の村松剛は、事態が容易でない所まで来ていることに気づき、人を介して、三島と会うことにした。
村松の三島との最後の会談は、昭和45(1970)年10月7日、四谷で行われた。
三島は言った。
自分の家にはいろいろな外国人がくる。彼らが口々に言うことは、日本のいちばん美しい部分が失われていくという失望なんだよ。
昨年までの日本には、世の中にまだ危機意識があった。
それがこのごろでは、みな危機意識なんか忘れて生活に満足している。
その安心し切った顔を見ていること自体、俺は耐えられない。
政治家は左も右も、平和憲法を守りましょう、文士の話題といえばゴルフの話と、
次の文学賞をだれにやろうかという相談ばかりじゃないか。
「昨年まで」というのは、昭和44年には、日米安保やベトナム戦争反対を叫ぶ過激派諸派が都内に6千人を集めて、道路上にバリケードを構築し、警察署を襲った。
警察は3万2千人を投入し、検挙された人数は東京だけで12百人以上にも及んだ。
しかし、翌年には、過激派の動きも沈静化に向かい、上述のように「昭和元禄」を謳歌する世相になっていたからである。
「それだからといって、三島さんが革命を志してどこかに斬り込んでも、天才の文学者が気がふれたといわれるだけですよ」
と同席していた仲介者が言うと、
そうだろうな、狂気の意味について、くだらない批評家がいろいろなことを書くさ。
佐藤榮作は、おれを気違いだと言うだろう。
(「三島由紀夫の世界」★★、村松剛、新潮文庫、H8.11:p567)
三島が4人の盾の会隊員とともに、自衛隊市ヶ谷駐屯地の東部方面総監室に総監を人質にして立てこもり、約1千名の自衛隊員にバルコニーの上から決起を呼びかけた後に、
隊員の一人、森田必勝とともに割腹自殺を遂げたのは、この18日後の10月25日。
今から30年以上前のことであった。
首相・佐藤榮作は、官邸での昼食中にテレビ速報で事件を知り、
記者団に感想を問われると暗い顔で「気が狂ったとしか思えない。
常軌を逸している。」と、まさに三島の予言通りのコメントを述べた。
新聞は、「”狂気の白刃”盾の会、自衛隊乱入」、「社説三島事件は”狂気の暴走”」などと、やはり三島の予想通り、「狂気」について、いろいろ書き散らした。
名うての戯曲家でもあった三島由紀夫は、自ら描いた筋書き通りに狂気を演じ、首相もマスコミも、その筋書き通りにそっくりのせられたかのようである。
「狂気」のシナリオはきわめて緻密に描かれ、周到に実行されていった。事件の前日24日の午後、サンデー毎日編集部の徳岡孝夫は、三島から電話で、毎日新聞の腕章とカメラをもって明日の11時にある場所に来て欲しい、と依頼された。
徳岡は三島がノーベル文学賞の候補にあがった時、バンコクで親しくインタビューしたことがあり、旧知の間柄だった。
場所がどこかは、明日10時に電話する、という。
翌朝10時に三島から電話が入り、自衛隊市ヶ谷駐屯地のそばの市ヶ谷会館に11時に来て欲しい、という。
そこへ行くと、盾の会の会員から、封筒を渡された。
封筒には檄文と三島らの写真、および、手紙が入っていた。
これから起こることが、自衛隊内でもみ消されないよう、何か変化が起こったら、腕章をつけて、駐屯地内に入って報道して欲しい、ということだった。
しかし、事件はどのみち、小事件にすぎません。あくまで小生らの個人プレーにすぎませんから、その点ご承知置き下さい。
(中略)事件の経過は予定では2時間であります。
まるで、これから友人同士で小さな劇を演ずるから、見に来て欲しいとでもいうような、こともなげな文章である。
徳岡氏が会館の屋上から、駐屯地を見ていると、パトカーやジープが猛スピードで突入していった。
毎日新聞社の腕章をつけて、正門からグランドに入ると、すでに100人ほどの自衛官がいた。
「総監が人質にとられた」という声が聞こえた。
盾の会の若者が、バルコニーの上から檄文を撒き、垂れ幕をおろした。
自衛官が垂れ幕に飛びついて引きずり降ろそうとしたが、ジャンプしても手が届かないよう計算されていた。
「三島さん、綿密に計画したなあ」と徳岡は感嘆した。
三島と森田がバルコニーに姿を現した。集まった自衛官はすでに約千人に達していた。
日本は経済的繁栄にうつつを抜かして、精神的にはからっぽになってしまっているんだぞ。
それがわかるかッ!頭上8mからの三島の声は、張りも抑揚もある大音声で、実によく聞こえた。
徳岡は後にこう書いている。
三島のボディービルや剣道は、このためだったんだな、と私は直観した。
最後の瞬間に備えて、彼はノドの力を含む全身の体力を、あらかじめ鍛えぬいておいたのだ。
畢生の雄叫びをあげるときに、マイクやスピーカーなどという西洋文明の発明品を使うことを三島は拒否した。
[,「五衰の人」、徳岡孝夫、文春文庫、H11.11p259]
三島の呼びかけは、自衛隊が憲法改正に立ち上がる、ということだったが、
そんな可能性は三島のシナリオにはみじんも考慮されていなかったことは、
事件が2時間の「個人プレー」で終わる、という徳岡への手紙でもあきらかである。
約20分の演説を終えると、三島は「天皇陛下万歳」を三唱して、総監室に引っ込み、
森田必勝とともに、古式に則って、真一文字に腹を切り、盾の会隊員の介錯を受けた。
いまだに誤解する人が多いが、三島は戦前右翼的な軍国主義や、天皇親政を目指したわけではない。
かえって、天皇は日本文化の中心に位置し続けてきたのであって、その時々の政治権力に密着すれば、
その政治を超越した立場は損なわれる、と考えていた。
明治憲法下での天皇制を「天皇陛下を政治権力にくつ付けたところに弊害があった」と明言している。
(「三島由紀夫の世界」、村松剛、新潮文庫、H8.11・p475、「栄誉の絆でつなげ菊と刀」、三島由紀夫)
天皇は「われわれの歴史的連続性・文化的統一性・民族的同一性の、
他にかけがえのない唯一の象徴」であり、
われわれはこの天皇の真姿を開顕するために、
現代日本の代議制民主主義がその長所とする言論の自由をよしとするものである。
なぜなら、言論の自由によって最大限に容認される日本文化の全体性と、
文化概念としての天皇制との接点にこそ、
日本の発見すべき新しくまた古い「国体」が現れるであろうからである。
(「反革命宣言」、「生きる意味を問う」所収、三島由紀夫、人物文庫、H9.9)
結局、三島の描いた理想とは「栄誉の絆でつなげ菊と刀」というある論文のタイトルに凝縮されていると言えるかもしれない。
「菊」とは日本の文化伝統である。そして「刀」とは「武」の伝統、武士道である。
武なき文は自立しがたく、文なき武は正義なき暴力に堕する。
文武両道こそが、人にとっても、国家にとっても、目指すべき理想であった。
そしてこの両者が天皇という国家の神聖な根源において結ばれている所に、
わが国の「国体」がある。そこから名誉や正義という価値が湧出する。
>>261の、「無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、
或る経済大国」とは、経済的繁栄を至上の価値として「文」を置き去りにし、自衛隊を継子扱いし、
外国軍隊に国防を依存して「武」による名誉と自立心を忘れ去った現代日本への批判なのである。
上述のような正統的な理想を、
三島ほどの思想家が、
我慢強く説き続けて今日に至っていれば、
一般国民の間にも受け入れられた可能性は高い。
ソ連や中国の共産主義体制を目指して、
数万人が首都で騒乱を起こすという当時の革命思潮がいかに常軌を逸したものと言え、
いや、それだからこそ、なおいっそう、
なぜ三島は当時の人々から「狂気」としか見られない行動をとって、
あたらその天才を散らしめたのか?
徳岡孝夫氏は、三島由紀夫の魂との会話を思い浮かべる。・・・
−なぜ切腹を?
日本の文化と伝統に根を持つ死に方だからです。
−アナクロニズムじゃないですか。あなた一人が死んで、日本が変わると考えたのですか?
ぼくはそういうふうに問題を考えない。効果の有る無しは問題にならない。
他人に同じ行動を勧めようなどという意思も毛頭ない。
人間内面のモラルは昔も今も不変だし、魂の問題だから時代とともに変わりようがない。
ぼくは、やりたいことがあっても我慢してきた。
そして最後に爆発した。
それも無駄に、汚名を着せられてね。
−しかし昭和元禄の真っ只中で起きたあなたの行動は、マスコミから徹底的に叩かれましたよ。
マスコミを通じて自分の考えを広めようなんて、最初から考えていません。
ぼくの死から一滴の水がしたたったら、その水を心に受けて考えてごらんということです。
[「五衰の人」、徳岡孝夫、文春文庫、H11.11:p31]