三島由紀夫が自殺した、自衛隊市ヶ谷駐屯地・・・
ところで、ここで三島由紀夫の霊が見えるという噂もある。
ところで、三島がよく通ったという新宿のバー「どん底」でも、三島の霊が見えるという。
ところで、三島が本を出していた出版社のビルでも、三島の霊が見かけられたという。
・・・おいおい、三島の霊も大忙しである。
死んでなお、エネルギッシュな三島。
らしい、といえば、らしい。
「日本はみせかけの安定の下に、一日一日、魂のとりかえしのつかぬ癌症状をあらわしているのに、
手をこまねいていなければならなかった。…このやむかたない痛憤を、少数者の行動を持って代表しようとしたとき…」
この手紙の中には、もはや文学者三島の面影はない。ただ日本というものの文化、価値を何とかしなければ、
という痛切なる思いが切々と伝わってくるだけである。
あの時、確か「タイム」誌は表紙に三島由起夫を使って「最後の侍」「切腹(ハラキリ)」と報道した。
当時三島は世界的な作家として、ノーベル賞の候補に上るなどしており、
その「ハラキリ」という特異な死は、世界中に衝撃を与えたのであった。
>>171 それにしても何故、彼はこんなことをしたのであろう。
戦後民主主義が完全に機能し始めた1970年という時期を選んで…。
ふやけた日本の精神風土が我慢ならず、切腹という衝撃的な方法で、日本と日本人を目覚めさせようとしたのであろうか…。
あの時、確か遺書か何かで、「いつが私が云っていることの正当性が証明されるだろう」と語ったのが、今更のように思い出される。
あらためて先の三島の手紙にある「魂のとりかえしのつかぬ癌症状」という言葉を思い起こして見る。
すると何故か、三島の予言が当たったな、という思いが強くなるばかりだ。
『アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは白明である。
あと二年の内に自主性を回復せねば、
自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであろう・・・
・・・今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる・・・
・・・もしおれば今からでも共に起ち共に死のう』
私はこの事件をテレビの画面を通してリアルタイムで見ていました。そして、
素人にやすやすと侵入された自衛隊の体制に大いに疑問と不安を抱いたものです。
大阪万博・よど号ハイジャック事件・など、この年は、
日本が「戦後」の呪縛から解かれて新しい時代に入った転換の年であったように思います。
国を憂う人たちは多かったでしょうが、
三島らは急ぎすぎたのでしょうか。
私は三島の行動を狂気とは思いませんが、
軍隊を動かして物事を変えようとする方法論には疑問があります。
三島は作家という立場上、軍ではなく民を動かす力を持っていたのに、
なぜその方法を放棄したのか、残念でなりません。
三島は、今回の自衛隊派遣になんて言うかな?
昭和41年には二二六事件に取材した『英霊の声』を世に問い、同じ頃、
昭和40年から『豊饒の海』を連載開始、この最終完結原稿は自衛隊突入の日、
昭和45年11月25日当日に新潮社に渡されました。
豊饒の海は、輪廻転生のコンセプトが下地にはなっているが、私個人の感想としては、
三島先生は輪廻転生という考え方を否定されているのではと思えてならない。
三島先生のご冥福を心よりお祈り申し上げたい。
三島由紀夫というと純文学が主流ですが、通俗的小説もおもしろいです。
軽く読めて、小説の後半になってくると人間心理を上手に描き出しています。
<命売ります>は、最後の3ページがいいです。
三島由紀夫の全集にはときどき、このような小説があります。
驚くべきは女性誌に載せていたものもあり、
題名はわすれましたがかなりおもしろかったのを覚えています。
「英霊の聲」を読むと、三島は幽霊談を書かせても一流だということがよくわかる。
「英霊の聲」は三島の気質・思想・文体が破綻なくまとまった、好短編だと思う。
上田秋成の怪談と比べてみよ、といったら褒めすぎかもしれないが。
黒澤明の『夢』でも英霊がトンネルに出てくる話があるが、こっちはあまり怖くない。
表現分野は異なるが、両巨匠のお化けくらべも一興。
武士道とは死ぬ事と見つけたり
佐賀・鍋島藩士、山本常朝「葉隠」のなかの有名な言葉である。
が、この言葉はかなり間違った理解をされている。
「武士道といふは死ぬ事と見付けたり。
二つ二つの場にて早く死ぬほうに片付くばかりなり」
武士道の本質は死ぬことだ。
つまり生きるか、死ぬかという二つを選択するかといえば
早く死ぬ方を選ぶと言うことにすぎない。
と言うような意味である。
この「葉隠れ」に魅了された三島由紀夫が「葉隠入門」を書いたのは昭和42年のことである。
そして、この本を読むと「葉隠」が三島の精神の中で大きな地位を占めていたかが分かる。
先ほどの言葉の続きを書けば、
二者択一を迫られたときに絶対に正しい方を選ぶことは難しい。
人は誰でも、死ぬよりは生きる方がよいと言うに決まっている。
となれば、多かれ少なかれ生きる方に理屈が多くつくことになる。
死を選んでさえいれば、事を仕損じて死んでも犬死、気ちがいだとそしられようと、恥にはならない。これが武士道の精神である。
「薩長土肥」といえば明治維新の中心になった四藩。
「葉隠」は四藩の中で「肥前」に伝わる武士道のバイブルだった。
「葉隠」は一見、古臭いことが書かれてあるようだ。しかし、あの幕末の混乱期に、
肥前は一藩で「英仏に劣るとも和蘭に近し」とまで言われる洋式軍制を実現した。
分析すれば「葉隠」の武士道が、意外にも、佐賀藩に合理的な判断を導き、
一藩を団結させ、当時としては最善といっていい方向に佐賀藩を歩ましめたといえる。
「死ぬ事と見つけたり」の一句ばかりが一人歩きしていて、
「葉隠」の潜在させる力に現代日本が気が付いていないのは大きな損失ではないだろうか。
>>180 >葉隠
「佐賀の乱」は葉隠の受難ともいえる。
江藤新平が処刑されたとき、葉隠の武士道までも処刑された。
江藤の辞世の句
「ますらをの 涙を袖にしぼりつつ まよふ心はただ君のため」
182 :
右や左の名無し様:04/01/20 19:35 ID:lfo22zyU
会津の死体埋葬さえ禁じ、人間の内臓をえぐりだし、生肝を食った西国武士の奴らに武士道などない。
佐賀藩出身の副島種臣はこう言っている。
佐賀に葉隠という書があって、皆そればかり聞かれて続けていた。
「葉隠れ武士」と云える独特の学風が存在するのである。
1)君に忠 2)親に孝 3)慈悲心を起し人の為になること
4)武士道において後れをとらないこと(死ぬことと見つけたり、の部分)
これが葉隠れ武士の四誓願というもので、教義は至って穏か(!)である。
要は佐賀藩主を君として忠義を尽くせと言うだけのことである。
(佐賀において君とは佐賀藩主公に他ならず、孝と慈悲心は他人が推し量る
ことができない)
しかしこの学派が佐賀に広まった結果、どうも佐賀人の為になったとは
いえないのである。
「葉隠れ主義」の学派は
「釈迦も孔子も楠正成も信玄もいらない、ただ御家のために命を捨てればよい」
ということになり、そうしてその「葉隠れ武士」が毎日念ずる信心条目の中には
「武士は毎朝毎朝もう死ぬもう死ぬ今朝死ぬと覚悟すべし」という箇条まである。
これは武断の忠義としてはよいものだが、大局において役立たないものである。
「葉隠れ武士」の結果は、佐賀藩のみの安危を重んずることにあって、
維新において日本全体の利益を考える役には立たなかった。
維新の際、佐賀藩の挙動が疑われたのは、これが原因であると私は考える。
185 :
右や左の名無し様:04/01/22 20:23 ID:pIZTS6wn
しかし、葉隠の思想も仏教の影響化に成立していることは否定できません。
一遍は言う。人間は、出る息、吸う息の一刻一刻に、いわば死んでいくのである。
刹那刹那の一瞬一瞬のいまを臨終と心得て念仏をとなえよ。時々刻々が死に臨んでいるいまだから、と言い切る。
それは理屈としてはあっても、現実的な行為として凡人にはとてもむつかしい、むしろ、不可能といっていい、と私はかつて思っていた。
だが、戦争中、思いがけない光景を目撃した。
おもちゃのような軽便鉄道に、ある朝、突然、グラマン艦載戦闘機が三機おそいかかった。
敵機は、機銃掃射で、列車を縦に何回も何回もくり返し銃撃を加えていく。
まず、機関車がやられ、運転手の頭がざくろのように割れて列車が哀しげに汽笛を鳴らしながら止る。
何の反撃もできないで、田んぼの中に止った列車を機銃は撃ちまくる。
私たちは我がちに列車からとびおりて、線路のわきの側溝にとびこんで首をちぢめて伏せている。
そんな時間がいつまで続くのかと思われたとき、突然、地の底から湧いたように、謡曲の「敦盛」を朗々と吟じる声がひびいてきたのである。
皆が息をころして、ただ虫のすだく声と機銃のはじける音の空間に、その声は波のようにひろがっていった。
みると、一人の工員風の若い男が立ちあがり、曲を吟じながら二本の線路の上を歩きはじめていた。
私はその時、思わず、あ、危ないと当然思った。
しかし背を見せて、二本の線路の上をゆっくりと目指す方向へ歩いてゆく男の後姿が、なんと自由と誇りにみちているかを、溝のなかにはいつくばって驚嘆しながら眺めていた、あの光景を忘れることができない。
私はその時、思った。道元の引く「百尺竿頭、すべからく歩を進むべし、十方世界、是れ全身」という言葉である。
「ただ、思ひ切りて身心ともに放下すべきなり」の言葉はじつに重い。
思い切って、理屈を捨てるとき、行動の論理ともいうべき、次元の高い世界へはじめて踏み入る、と道元はすすめる。
そのとき、もし、なお生きていたならば、何が見えてくるのだろう。
落下する自分はいつしか透明になって宇宙いっぱいに拡がっていく。
自分は失われていくが、しかし、全宇宙と一体化し、永遠の相の下に限りない自由と充実にみたされる。
それを、「十方世界、是れ全身」というのである。
>>184 >釈迦も孔子も楠正成も信玄もいらない
驀然(まくねん)として打発(たはつ)せば、
天を驚かし地を動じて、
関(かん)将軍の大刀を奪い得て手に入るるが如く、
仏に逢(あ)うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、
生死岸頭(しょうじがんとう)に於て大自在を得、
六道四生の中に向かって遊戯三昧(ゆげさんまい)ならん。
『無門関』第一則にある有名な言葉です。
「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し」を説く趙州和尚は、
「仏教徒をやめろ」「仏教の敵になれ」といっているのではありません。
仏道を成ずるために「仏を殺し」「祖を殺し」と説くのです。
葉隠の、釈迦や孔子も云々というのは、
佐賀藩士が武士道を成し遂げる上で理屈に縛られるようなことがあってはならない、
という姿勢を示しているように思えます。
>>186 >仏に逢うては仏を殺し
>祖に逢うては祖を殺し
「祖」を祖師の事として宗門の先達を指しているような読み方が多いようだが、
自分は「祖」は「先祖」のことで、
先祖への祭祀を「礼」の根本に置く儒家の教えが最大の価値であった世俗のしがらみが、
仏道修行の妨げになることを警告している語のように読めると思う。
つまり、経典の文字に囚われ、老荘思想を肯定的に用いて説明しようとする格義仏教と、
先祖崇拝や君臣の義とか長幼の列に縛られる儒教への批判的な禅語ではなかったかと思ったりしてる。
葉隠に、
「釈迦も孔子も楠木も信玄も、
ついに龍造寺、鍋島に披官懸けられ候儀これなく候へば、
当家の家風に叶ひ申さざる事に候」と、あるのも、
時代の違い、土地の違いもあるのだし、
文字・口碑を通しての古人の「断片」に縛られて、
現実が見えなくなってしまわぬようにとの忠告ではないだろうか?
釈迦も孔子も紀元前の遠い異国の人、
楠正成も武田信玄も神格化された偶像、
・・・実際の人物に真に近づきたいなら、
自分の心が作り上げた釈迦像や信玄像といった先入観を破壊することからはじめねばならないと思う。
>>183と
>>184は副島種臣の言葉。
彼は「葉隠」の内容は穏当だとしている。
一方、読者の代表とされる「葉隠れ武士」の多くは、死ぬ死ぬと騒ぐだけの見かけ倒しの忠義面で、
合理的判断や洞察力といった資質に優れてはいなかった、と自分が見たままに報告している。
なお
>>185のエピソードで思い出したのだけど、
たとえば大戦中の連合軍にも同じような話しがあって、
ピンチになるとアメリカ兵は我先に防空壕に飛び込み、指揮官は軽妙に飛び込む、
イギリス軍の指揮官は歩きながら防空壕に入る、なぜなら紳士はけっして走らないものだから、
というのがある。
日本で言われる「平常心」と一脈通じるものがある、かな。
大隈重信は、葉隠が佐賀藩士に教育されていたのにもかかわらず、
現実の佐賀藩では歪められて受け取られてしまっていたのを反省し、
維新後に早稲田大学を創立したそうですね。
(山本常朝から離れてしまっていた)「葉隠主義」が、
むしろ反面教師となったようです。
>>187 >楠木も信玄も
楠正成は太平記のヒーローで朝廷(公家)への忠を表す偶像となっており、
武田信玄は軍学の権威として武家の偶像となっていたといえる。
佐賀藩の軍学は北条流といって北条氏に伝わる軍学とされてはいるが、
この流派の大成者の北条氏長は甲州流軍学の小幡勘兵衛に学んだ人物。
甲州流はその名が示すように信玄を神格化してるから、間接的ではあるが、
佐賀でも、軍学の最高権威としての信玄の地位は揺ぎ無いものとなっていた。
それで山本常朝も彼らの名前を釈迦や孔子に続けたと思われるが、
幕末までに山本常朝本人も立派な偶像となってしまっていたようだ。
武士といえども藩の組織人であり、彼らに説かれた処世訓は今の企業人にそのままあてはまるものが多い。
トップの決断の仕方、上司や部下をうまく操る方法、立身出世の条件、リストラの仕方、仕事の優先順位の決め方などは大いに参考になるはずだ。
また三島による「準備と決断」や「精神集中」などのエッセンスは、このノウハウが小手先から出たものではなく、並々ならぬ覚悟から生まれていることを教えてくれる。
ほかに恋愛論や子どもの教育論などもあり、生活全般におけるユニークな視点を見つけることができる。
三島は『葉隠』を、死を覚悟することで生の力が得られる逆説的な哲学としてとらえている。
「死という劇薬」が生に自由や情熱、行動をもたらすとし、それらが失われている現代の生に疑問を投げかけている。
葉隠入門が書かれたのは三島が自決する3年前の昭和42年。三島を「行動」に駆り立てた思想の一端に触れることができるだろう。
>武士といえども藩の組織人であり、彼らに説かれた処世訓は今の企業人にそのままあてはまるものが多い。
ばかはどうしようもない
おぬしの行っている武士は 江戸時代後半の去勢武士のこと
後進藩の下級武士はちがうぜよ
江戸でも 多摩の百姓らはちがうぜよ
三島ごとき運動神経ゼロの馬鹿は武士と違うぜよ
本に武士というのは、人きり藩次郎、イゾウ、イサミ、トシらぜよ
194 :
↑?:04/01/26 20:27 ID:???
水戸出身の芹沢鴨が「ぜよ」などと土佐弁を使ってたりするわけだが
常朝の「葉隠」は陰鬱な書では決してない。それとは反対に、非常に明るい本と言える。
あくびを止める方法だとか、人にアドバイスするタイミングや方法など人生を楽しく生きる方法を書いているとすら感じられるくだりも多い。
三島が葉隠れをどのように受け取ったかは、私には想像できないが、三島の解説は面白い。
読み易いし、訳も屈託がなく気持ちが良い。
インテリや男女についてなど、非常に痛快なところも多く、繰り返し読める。
山本常朝の葉隠れはどうやら曹洞宗の系譜からの影響もあるようで、
仏教的なロジックとも重なっているところが面白いのですが、
ただ問題なのは、報復を肯定しているところで、赤穂浪士についても、
「時期が遅すぎる、その間に吉良が死んだらどうする」などと書いていましたが、
その辺はさすがについていけませんでした。
やはり名誉を第一に重んずるが故の弊害だと思います。
生きるほうと死ぬほうで選択を迫られたら死ぬほうを選べというのはなかなか感慨深いもので、
例えば「食いたい、でもここで食ったらダイエットに失敗する」といった局面でも、
「食欲に死ぬほうを選ぶなり、別に仔細なし、胸すわって進むなり」(藁
などなど生死に関わらない局面でも相当応用できます。
>>194 芹沢鴨はズウズウ弁がいやでね。 坂本のような体制をこえたのがすきなんだよ
三島先生の葉隠入門を読むまで、
武士道といふは死ぬ事と見つけたりと言う一説しか知らず、
思想的に非常に偏った本ではないかと言う偏見を持っていた。
三島先生の葉隠入門を読み、
葉隠聞書の中で触れられている前日から翌日の予定を立てる、
部下によく声をかけるなど現在でも有用な教訓が述べられていると言う事がわかった。
しかし、三島先生がおっしゃるように逆説的な本であり、
葉隠が静かに語っている時にはその奥に激しく燃えるものがあるように思う。
「若きサムライのために」は、
“若者よ、高貴なる野蛮人たれ!”と叫ぶ。
平和ボケと現状否定を厳しく排し、日本を問い、文化を問い、生き方を問う、毒と先見に満ちた煽動書だという。
男の生活と肉体は、危機に向って絶えず振りしぼられた弓のように緊張していなければならない―。
平和ボケと現状肯定に寝そべる世相を蔑し、ニセ文化人の「お茶漬ナショナリズム」を罵り、
死を賭す覚悟なき学生運動に揺れる学園を「動物園」と皮肉る、挑発と警世の書。
死の一年前に刊行された、次代への遺言。
男というものはさしせまった状況になくても、危機に備えて常に引き絞った弓のようでなければならないという。
泰平無事が続くと非常時に男がどうあるべきかということが忘れらがちである。
最終的には「勇者」は生か死かの決断においてきめられると三島は言う。
勇者が勇者であることを証明する機会がない時代において三島は自ら死を選ぶことにより、
自身が勇者であること、そして日本人に勇者の心というものを伝えたかったのかもしれない。
三島の時代においては、外国人の目に日本人は「他のアジアの国に比べると戦士のように見え」たという。
今はどうなのだろう。日本に戦士は一人もいなくなってしまったのではないだろうか。
礼については、男の威厳を普段から保つ必要があり、その上で初めて人間性が時折垣間見れることにより、
相手の信用を博し仕事も成功をおさめると三島は説く。
作法とは鎧であり、男を美しく飾るものであるという言葉に「礼」の本質を見る気がする。
約束とは契約社会の近代精神を本質とするものではなく、それは信義の中にこそあるという。
だから約束を守らないというのは相手を軽んじるというより、なによりも自分の信義を傷つけるものであるのだ。
最後に、三島は自衛隊ついて独自の考えを披露している。
これは憲法改正を要としない。
この考えは今でも通用するのではないだろうか。それにしても、半世紀経ってもこの問題が解決していないことは異常である。
長い年月を経たが、日本は今こそ変わるべきだと思う。
200げとー
,,.、 _、、
/ };;゙ l ))
. ,i' / /
;;゙ ノ /
,r' `ヽ、 三
,i" ゙; 三
!. ・ ・ ,!''"´´';;⌒ヾ, (⌒;;
(⌒;; x ,::'' |⌒l゙ 三 (⌒ ;;
`´"''ー-(⌒;;"゙__、、、ノヽ,ノ
201 :
右や左の名無し様:04/01/29 23:44 ID:DqS4BOG6
どうぞ、みなさんの大好きなうんこです。もひとつどうぞ。
/ ̄ ̄ ̄ ̄) * ( ̄ ̄ ̄ ̄)
| ─< |\ >─ (
| ) / (|ミ;\ ( )
ヽ  ̄ ̄) /(___人|,iミ'=;\ (  ̄ ̄ )
/" ̄ ̄ ̄ ̄ / 《v厂リiy\  ̄ ̄ ̄ ̄\
/ / ゙|,/'' v:,,、.¨)z,_ \
/ / ミ/ .-─ .゙》z、 \
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| | ミ. .,、 ._,,,、、r ,,,,_____ ゙┐
_/" | .ミ. ./′ ´′  ̄⌒'h..¥
(______)
うんざりしても待ってても、やっぱり出てくるくっさいうんこ。
葉隠は殿様の鉄砲玉を教育するための書。
小説の中では凄く女性的な表現をする三島氏なのに、エッセイではとても男らしい。
繊細でありながらも意思の強い人だということを改めて実感しました。
何十年も前に平成の日本を予想していたかのように現代の日本を皮肉る内容にはただただ脱帽です。
もしあなたが今の日本で疎外されているように感じるなら、
是非、「若きサムライのために」を読んでみて下さい。
必ずあなたの考えは間違っていないと三島氏は保証してくれるでしょう。
彼のような男性がこれからの日本には必要です。
三島由紀夫と言えば、どうしても「自意識」に目覚めた頃に読む『仮面の告白』が強く印象に残る。
若い頃に『仮面の告白』を読み、「世の善は即ち偽善である」なんて厭世観に囚われた人も多いだろう。
『仮面の告白』は確かに傑作で、間違いなく「読むべき本」だと思う。
しかしその「若さの不条理」ともいうべきテーマ(そしてあるいは市ヶ谷での自決事件)が余りに強く印象に残り、
三島の他作品の印象を弱くしてしまうのは悲しむべきことだと思う。
もし若い頃に『仮面の告白』を読み「三島もどうもあの先鋭的な自意識がね」とか「若いうちに読むものだよね」なんて思っている人がいるならば、
ぜひとも『金閣寺』を読んでみると良いだろう。
主人公及び重要な脇役の肉体的欠陥と、「完璧なもの」としての金閣寺。
あるいは「幻想の中で完璧な金閣寺」。
ある意味「幼稚な形而上学」とも取られてしまいそうなモチーフを、三島的美意識で見事に作品化している。
ある意味での「耽美」を感じることのできる作品だ。
ちなみに新潮文庫の『金閣寺』では、186 個の用語注が付されている。
確かに、昭和は遠くなったのかもしれないが、同じく昭和生まれの私個人として、186もの注釈がなければ「同時代」の作品を読めないことを悲しくも思うのだ。
いずれにせよ、初読から20年経つ現在に読んでも、その魅力を再認識させられる好著。
三島作品のいずれかを読んで、まだ本書を読んでない人がいればぜひとも読むことをお勧めする。
ちなみに201くんはこういうことは知ってるかね?
きんかくしの語源は「きぬかくし」。きんかくしは、もともと板とその上についた丸い棒のこと。高貴な人たちは、「きんかくし」を後ろにして用足しした。
決して、男性の小便器の金隠しという意味ではない。
お姫様がトイレに行くと、侍女がついて行って、十二単の裾をまくり上げ「きんかくし」に掛ける。 きんかくしは「きぬかけ」と言う言葉が変わった物だ。
いつ頃からきんかくしという呼び名に変わったのか、とにかく、江戸時代末期までこの形が残っていた。きんとはつまり、金ではなく衣の意味だ。
201くんのような人が「へ〜」いってくれそうな話では、自分が書けることはこんなことぐらいだ。
「金閣寺」は三島の作品の中でも、最高傑作。
吃音のせいで自閉的な主人公の抱える、屈折した願望・欲望、痛いくらいに切ない物語。
何度読んでも、そのたびに胸が苦しくなる。
そしてまた読みたくなる。
私にとって麻薬のような本です。
絶対に読んでほしい一冊!
207 :
右や左の名無し様:04/02/01 16:56 ID:QYiH6BFa
金閣寺は、三島の作品の中では、最も綿密な構成と独特の美意識が堪能できる作品だと思います。
始めてみた金閣寺を不調和なものと感じ、美として認識していなかったのにもかかわらず、
徐々に金閣寺にとらわれていく様と、自分の醜さと金閣寺の美しさとの間。その辺りの心理描写と、
ところどころに出てくる主人公の中にある金閣寺の幻影が多くのエピソードの中で効果的に描かれている。
日本海に突き出た東北のうら寂しい辺鄙な寺で、
住職である父から『金閣ほど美しいものは地上にない』と聞かされながら育った主人公は、
その音韻も相俟って、心の中で『この世のものでないほどの美しさ』というイメージで金閣が熟成され、
ついに現実をはるかに越えた途方もないものとして描き出すに至った金閣をその孤独な心に宿すことになります。
憧れつづけた金閣に出会い、
鹿苑寺の修行僧として金閣と一緒に暮らすことになった主人公は、
ことあるごとに現れては人生を拒む金閣に悩み苦しむ。
美の永遠の存在としての金閣を心に宿している主人公にとって、
狂気ともいえる金閣の美の幻影の呪縛から逃れられない限り、
窮極的に金閣を乗り越えない限り、彼は本当の意味でこの現世で『生きる』ことは不可だったのでしょう。
そしてついに彼は『金閣を燃やさねばならぬ』という想念に取り憑かれます。
主人公が金閣なら、決してお互いに相容れることのない尺八の音、
"御所車”である柏木は『世界を変えるのは認識だけだ』と彼に言い放ちます。
この鏡湖池に拡がる波紋のような暗黒星柏木に対して、
すでに破滅への階段に足をかけている主人公溝口は、
告白すれすれの危険を冒して『世界を変貌させるのは行為』それしかないのだと敢然と言い返します。
そして『美は僕にとって怨敵なんだ』と・・・。
小林秀雄はこの金閣寺を読み終えた後、
三島由紀夫との対談で『三島由紀夫の才能には驚くが、しかし「金閣寺」は小説ではない』と言っていますが、
実際の事件を題材に、ここまで完璧な『寓話』に仕立て上げた三島の才能には驚かされます。やっぱりすごい!
このまぎれもない傑作「金閣寺」をぜひ貴方自身の目で。
寺の息子が幼い頃からあこがれ続けた金閣寺に
出稼ぎ坊主をするっていう話です。
物語は主人公の金閣寺に対する思い入れとともに展開していきます。
内向的な葛藤を感じました。青い春。
「美」とはについての非常に内省的な物語。
昭和25年、一人の学僧が金閣寺に放火・全焼。
その事件の犯人である学僧を主人公に、悲劇的なもの、残酷なもの、それらを覆い尽くす美について豊穣な表現力で描ききった作品。
「人の苦悶と血と断末魔のうめきを見る事は、人間を謙虚にし、人の心を繊細に、明るく、和やかにするんだのに。
俺たちが残虐になったり、殺伐になったりするのは、決してそんなときではない。
俺たちが突如として残虐になるのは、例えばこんなうららかな春の午後、よく刈り込まれた芝生の上に、木漏れ日の戯れているのをぼんやり眺めているときのような、そういう瞬間だと思わないかね」
この一節はなんと示唆深い事だろう。
現代において多発する理由なき殺人事件の動機を見事に描写している。
三島由紀夫が描いた未来を、僕たちは歩んでいる。
残虐性は無感覚から発露する。
三島由紀夫が現代を生きていたら、どう描くのだろうか。
金閣寺の徒弟である溝口は、戦争で永遠の美である金閣とともに滅びる(燃える)ことを夢みている。
しかし終戦まで金閣は燃えず、彼の夢は不可能となる。
絶対化された金閣の幻影は、戦後に溝口が生きていく妨げにもなる。
そこで彼は、美を独占するために金閣に火を放つのであった。
溝口には金閣寺と同じように自分の半生を支配している初恋の女性・有為子という存在があった。
少年の頃、有為子に話しかけようとするが言葉にならず、罵倒され、冷たく拒否され、以来溝口はひたすら有為子の死を願うようになる。
が、やがて彼女は脱走兵をかくまい射殺されてしまう。
彼女の美しい肉体は喪失したが、有為子は溝口の心の中に生きつづけているのだった。
溝口は鶴川という友人を得、老師のはからいで二人は大学に進学した。
そして彼は大学で、美青年・柏木を知った。心の底に暗い悪を秘めているような柏木に惹かれていく溝口は、彼の手びきで、次々と女と接し犯す機会を与えられた。
しかし、その度に突如現われる金閣寺の幻に上ってセックスはさまたげられる。
彼は人生をはばみ、自分を無力にしている金閣寺を憎悪するようになっていった。
柏木は金閣寺の永遠の美を批判し、溝口を背徳に誘う。
その背徳は老師との間にも垣根を作ることになり、ついに老師も彼に背を向けた。
寺のあと継ぎになることで現世的に金閣寺を支配するという望みも失なわれ、鶴川の突然の死も彼には激しいショックだった。
全てに裏切られ、背を向けられた溝口に残されたものはただ一つ、非現世的な美との対決―金閣寺を焼かねばならぬ―ということだけだった。
金閣寺に終末を与える決断が自分の手に握られている、と思った時、溝口は初めて自由になった。マッチをする。
燃えあがる炎、床をはう火、壁をよじのぼる火、猛火となって金閣寺をつつむ。
中空を舞う火の粉、その中を金色の鳳凰がゆらぎ、消えていった・・・。
ありがとうございます
「金閣寺」という題名からも察せられるとおりの仏教的な作品ですな。
「有為子」という名前にはわざとらしさの嫌いを感じてしまいますが。
216 :
右や左の名無し様:04/02/07 00:31 ID:mDtJdLbk
三島由紀夫という人物の正体は『仮面の告白』でさらけだされている。
彼は、いわゆるもやしっ子で、しかも女々しい奴だった。
そしてそのことに、強烈なコンプレックスを感じていた。
そして、彼は、同性愛者だった。
そういう彼が、自分の理想とする「男性像」を、自分の作品と、
自分自身を役者として、演出したというのが、彼の人生。
下手なのに格闘技をやったり、骨格自体が貧相なのに
ボディビルで筋肉をつけたり、女に興味ないのに結婚したり。
コンプレックスを克服する、という話はありきたりだが、
彼の場合、それが何もかも自分の演出の為だったというのが特徴。
そして、派手な終結を迎える。
実を言うと、私は長いあいだ三島の熱心な読者ではありませんでした。
極端な肉の饗宴が吐き気を催させるように、
絢爛豪華な三島の文体に私が拒否反応を示したためだったのです。
そのくせ三島由紀夫の人生や行動にはひどく興味をもっていて、
エッセーを読んだり三島の年譜を丁寧に追ったりして、
あまり作品を読まないくせに三島の人生にだけは暁達していきましたが、
やはりどうしても思想や行動に解らない部分が多かったのです(必然への絶対の信仰など)。
そんななんとなく悶々としていた時期に、
「仮面の告白」を読んだ時の衝撃たるや、
今まで自分自身謎でしかなかったそれらの疑念が、
おぼろげながらもみるみる氷解していくのを感じて、
(もっと早く読めばよかったと)読みながら茫然としたのを覚えています。
それからは三島への理解度もさらに増していきました。
これから三島由紀夫の作品を読まれる方は、
最適の入門書であるこの作品をなるべく最初に読まれるといいですね。
なお、復刊された澁澤龍彦責任編集のEroticismと残酷の綜合研究誌『血と薔薇』創刊号、
冒頭の特集『男の死』の中で、この仮面の告白にも再三出てくる『聖セバスチャンの死』を、
なんと三島由紀夫自らが演じているフォト(撮影=篠山紀信)が掲載されています。
(私は見た瞬間、思わず嬉しくなって笑ってしまいました)
ぜひ、機会があれば御覧になって下さい。
218 :
防人より:04/02/07 21:53 ID:I+ZroW24
当時の楯の会々員たる学生達の純粋性に感涙を覚えて止みません。今日に至
るまでそれぞれが様々な人生を歩みながら今以て三島隊長と森田学生長の精神
を黙々と継承しています。
乱暴狼藉の限りを尽くしながら早々と一般大衆に同化し、若気の至りだった
と自分達の革命ごっこを青春回顧してノスタルジーに浸っているかっての全共
闘の人達とはその精神において違います。マルクスレーニン主義をいっときの
熱病と苦笑いしながら全共闘上がりのマスコミ、教育関係者が日本の中枢を締
めてしまったために今日の享楽社会が生まれ、国はかくも腐敗堕落してしまっ
た。こうして年月が経って色褪せてしまった左翼思想と対極にあるのが三島思
想です。今一度三島由紀夫の思想、未来への警鐘を読んでみて下さい。
あまりにも衝撃的なその先見性と洞察力(今日の日本の有様、イラク派遣を
巡る自衛隊の存立基盤の矛盾)三島隊長の絶叫に背筋が寒くなります。
30数年前、その思想と人間性に触れ、人格を陶冶した楯の会々会員達の思
想、信念、心情は、それ故に今以て色褪せることなく、いよいよ確信を以て三
島、森田両烈士の命令を遵守し、御霊に瞑目しているのではないでしょうか。
国家公安、治安維持に携わる者として、その思想に暴力是認思想がある以上
相容れてはならない楯の会ではありますが、小生は人間として、日本人として
そして男として、現代の武士たる防人として、楯の会を評価します
三島由紀夫が『仮面の告白』で言っている。
「人の目に私の演技と映るものが私にとっては本質に還ろうという欲求の表れであり、
人の目に自然な私と映るものこそ私の演技である」。
さあ彼の言説についてもう一度考えよう。
ボランティアで毎朝駅前でゴミを拾う人が居るとしよう。
三島であれば、次の二者択一について考えただろう。
「彼が人にいい人と見られたくてやっているのか(演技)、街を綺麗にしたくてやっているのか(本質)」。
では「いい人と見られたくてやっている(演技)」が答えであったとする。
しかしながら、
「こういう感心な人もいるんだなあ。私も協力しなくては」と思ってくれる人を増やす事(本質)が彼の(演技)の本当の目的であったとすれば、
ゴミ拾いによりいい人とみられようとする事(演技)は(本質)となる。
三島はこの反転に気付き満足だった。しかし三島はもう1つ考えるべきだったのだ。
彼が「(本質)につながる行為をしている事を見てもらいたい」と思ってそれら全体をしているとすれば(演技)となる―のだと。
彼は逆転が一回可能である事には気付いたが、複数回に可能である事には気付かなかった。
だから割腹自殺(本質)に満足だったのである。大事な事は「(演技)・(本質)無限ループ」=「自意識」と距離を置く事だったのだ。
220 :
右や左の名無し様:04/02/09 09:55 ID:noUmVzlG
なるほど、うまいこと言うね。
三島は演出家であり、役者であった。
でも、それを見た人達が、それを契機に、
言動や行動を変えてくれればいいというわけだ。
たとえ、三島本人が、それとは正反対の人間であったとしても。
それにしても、死ぬまで異常に男らしさ・女らしさに執着していたのは、
女の子以上に女の子らしく育てられた少年時代のコンプレックスが
それだけ強烈だったんだろうね。なんか、かわいそうな人だ。
ところで『仮面の告白』って、第3章以降は、原稿用紙を埋めるために
書いた文章のように思えてならない。
文体が急に平坦に、平凡になってしまう。
「『仮面の告白』は後半が雑だ」という評価は確かに当たっているようで、
これは前半が面白い。
レイモンラディケの影響か、導入部分は様々なエピソードの断片の羅列で、
一行でも読み落とすとわけがわからなくなってしまう程内容が凝縮、分裂している。
細部までよく読みこんでみると、例えば、血の欠乏が、若者の血を欲求していたなどという。
強引な論理展開が見られ、作者自身、本当にそう感じたのかと疑われる節が随所にある。
そういった表現(言葉遊び)が作者の文章にかかってしまうと真実に見えてしまう。
この作者は煮えたぎるようなテーマ性が先にあって、それを正確に文章に投影させるようなタイプではなく、
形式やコンセプト、構造体が先にあって、
それに見合ったテーマが後から組み込まれるといった印象がある。
「仮面の告白」は、苦しい小説である。
三島由起夫氏自身、この作品を名作とは、呼びたくないであろう。
私小説を書いた悔恨からももちろんだが、この小説の未完成さを、三島氏、自身痛感しているように感じる。
行間からは、若き二十四歳の三島氏の苦悩する姿が見えてくる。
三島氏はどうにか分裂していく、小説を纏め上げようとして書いている。
「仮面の告白」が、不完全な小説であることは否めない。
三島氏は、この小説で主人公である「私」に男色であるという告白をさせているのだが、嘘を語るように不自然で、技巧的な匂いが拭い切れていないのである。
男色の証明を子供時代にもどって行う前半と、園子と初恋をする後半は、明らかに二分してしまっている。
作り物の技巧を、小説世界の自然に見せるまでに至ってはいないのである。
三島氏の言葉を借りると「どんな人間にもおのおののドラマがあり、人に言えぬ秘密があり、それぞれの特殊事情があると、大人は考えるが、
青年は自分の特殊事情を唯一例のように考える。」
私小説とは、その特殊事情を強引に、小説化することによって生まれる。
この「仮面の告白」も、それにもれない私小説であることは、三島氏、自身語っている。
223 :
右や左の名無し様:04/02/11 01:39 ID:caQqnUYh
>この小説で主人公である「私」に男色であるという告白をさせているのだが、
>嘘を語るように不自然で、技巧的な匂いが拭い切れていないのである。
そりゃ、男性同性愛者でなければ、男色というものが「嘘」の存在に
思えるからだろう。だから、異性愛者は、男性同性愛者から
カミングアウトされると、「え、嘘でしょう?」と呆然とするのである。
三島にとっては、興味のない女との恋愛をもっともらしく書くことこそ
「嘘を語る」ことであり、「技巧」の産物なのであった。
男の肉体に欲情するくだりの表現は、男性同性愛者ならすんなり納得できる。
「仮面の告白」は、ある男性同性愛者が、少年時代の性欲を回想し、
そして、大人になって、異性愛者を偽装する(=仮面)を
描いた小説なのである。そう言う意味で、苦しい小説だ。
三島由紀夫がこの世に生を受けたのは、大正14年のことである。
即ち、三島は昭和という年号とともに歩みだしたのである。
(このことは、三島の自慢の種であったらしく、しばしばエッセイやインタビューへの応答でも自慢気に述べられている。)
幼年時代、三島に最も影響を与えたのは、祖母の夏子だったであろう。
彼女は、三島に自分の床の傍らにいることを義務づけ、一歩も外に出ることを許さなかった。
このことは、三島が12になるまで続き、後々三島が負い目に感じこととなる弱小な肉体を作るのに大いに役に立ったと言えよう。
中等科に上がった三島は、一つの作品を著した。
『酸模』である。脱獄囚と少年の愛を描いたその作品が、正しく後世の三島文学の形をなしているから驚きである。
その後も、『座禅物語』、『彩色硝子』など、この中学時代に、類い稀な才能を見せつけるような作品を多く著しており、この頃から三島文学が少しづつ形をなしてきたと思われる。
また、後にこの中学時代を回想して書かれた作品が数本ある。
(例として『仮面の告白』、『詩を書く少年』、『殉教』が挙げられる。)
そこからは、中学時代特有の生に対する興味や、他虐的要素が感じ取られ、
14、5歳ならば、そういった作品から読むと共感できる点も多く、三島にとりつかれる人も少なくない。
高校時代、三島は本を出版することになる。
処女作『花ざかりの森』である。16歳の時三島が著したこの中編小説のテーマは、まさしく「自分記」であろう。
祖母夏子との生活も、この中に詳しく出ている。
しかし、後年の三島は、この作品を自分の唯一の汚点と評し嫌っていた。
その理由は、この作品が小説ではなく「自分記」だったからであろう。
「仮面の告白」は、三島由紀夫の名を文壇で決定的にした作品。
幼年時代から女性に対して、
不能である事を発見した青年が、
否定に呪われたナルシシズムを心根に、
その心理的葛藤を率直に語る。
貧弱な肉体の主人公が、逞しい同級生に対する思慕と、
その劣等感は、同性愛者の誰もが体験した事のある、
甘くせつない片思いの感情ではないだろうか。
226 :
右や左の名無し様:04/02/15 02:24 ID:QS1P6QKB
Amazonの書評のコピペうざい
『仮面の告白』では、
三島由紀夫のエロチシズムが表現され、
戦後日本の文学史に残る名作といわれる。
私もあまりの有名な作家、三島由紀夫の作品であることは知っていたが、
読んでみて当時の日本の状況を考えると、
この作品の前衛性や描こうとしている世界の新鮮さも感じられた。
そういう意味でもこの『仮面の告白』はやはりすごい作品であることは間違いない。
228 :
右や左の名無し様:04/02/16 17:32 ID:68kLTENU
age
「仮面の告白」は、
主人公の性的告白が作品の重要な部分でもあるが、
人間存在の独白的なものを強く感じ、
覚醒されたように自己の内面を語る主人公が印象的だ。
三島由紀夫は、決して開けてはいけない部屋の扉を開けたような、
そんな心情がこの作品にはあるのではないだろうか。
この作品執筆の頃の三島はエリート官僚として大蔵省に勤務したにもかかわらず数年後退社、
その後直後から書かれたものであるが、
三島が作家活動をしていく上での記念碑的作品としても位置付けることができる。
「AERA」2月23日號の三島先生についての記事はなんだ?
頭腦明晰な三島先生が、そんなに簡單にクーデターを起こせる
と夢想するわけがないよ。
「仮面の告白」を正当に評価する有識者もいたが、
その大胆なエロチシズムの表現にとまどう者もいた。
「仮面の告白」は三島由紀夫自身の心情を書いたものであり、
小説の形式を通して表現した自己の青年期の記録でもあるように思う。
232 :
:04/02/18 10:37 ID:???
「仮面の告白」を読んだ当時は大学生でした。
衝撃的な小説だったことを今でも覚えています。
こんな小説を書けるなんて、この作家の思索の深さに驚きました。
自己を深く見つめ続けた者にしか分らないものがあるとこの作品を読んでみて思います。
三島由紀夫は日本の現代文学の中でも、間違い無くその名を残す作家であると思うし、
現に、活躍している日本の作家にも大きな影響を与えています。
三島が開拓した世界を基盤になっているのです。
他の作品もいくつか読みましたが、
三島由紀夫の作品に登場する主人公からは孤独で精神的なコンプレックスを感じます。
生きている、別な言い方では存在することに強い欲求を持っていた三島由紀夫は、
性的コプレックスを解決することに、世界との結合が可能にできると考えていたのではないかと思います。
ただその性的コンプレックスというものも深遠なもので、表面的な性愛の快楽ではないのです。
人間の本質的な部分に関係するものとしか言うことができません。
三島由紀夫の文学作品に魅了される人は、
そうした人間が生まれながらに持つ本質的な部分を作品から感じていると私は思います。
三島由紀夫と聞いてまず連想するのは何でしょう。
たいていの人は腹切り、自衛隊、右翼などを思い浮かべるのではないでしょうか。
欧米人がミシマでハラキリとくるのはまだ同情の余地があるでしょうが、
日本人で偏った誤解を持ってる者があまりに多いようです。
私は三島由紀夫に対するそういう誤解がこの作家を正当に評価することを妨げていると思います。
日本の文化的幼稚さを感じます。
『仮面の告白』は三島の最初の長編小説として発表され、当時の文壇からは注目されました。
川端康成の支持もあって三島は華々しく文壇デビューを飾ることができました。
資料によるとこの小説は普及版の単行本の装丁以外に、限定本があり、金属製の装丁で今見ても大変に斬新で奇抜なデザインです。
最初読んだ時、この小説は気持ちの悪い小説だなと思いました。
その後味の悪さが、三島由紀夫の個性でもあり、彼の魅力でもあるのです。
三島由紀夫を精神異常な人物と罵っている人がいますが、私はそうは思いません。
三島がこの作品『仮面の告白』で表現した世界は、人間の精神的な共有する部分と思えるからです。
うまく言うことはできませんがそう思います。
そして現代の日本の作家に与えた影響は絶大で、多くの作家が三島由紀夫からの恩恵を受けているのです。
『仮面の告白』は三島由紀夫の描写でもあるかも知れませんが、ノンフイクションとフイクションが融合した小説でもあるのです。
エロチシズムがテーマの日本文学の代表作でもあるし、また実に人間的な作品でもある『仮面の告白』。
三島由紀夫は自己の存在証明としてこの作品を書いたと言ってもいいのではないかと思います。
/⌒ヾ⌒ヽ.
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/ 。 人 )
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| ___ | /どうやら ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\ \_/ / < 俺は領域に侵入したらしい!!!!!
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ブ━━━ ノ;;;;;ヽ /;;;;;ヽ ━━ン
/⌒-────メ;;;; ~~ ;;;;;χ─────-⌒\
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( _ ,,ノ____| ;│ ;;|______ゝ、 _ )
メ 〜〜 ;;| 〜 ;;|
ヽ ;| γ
メ____人__/、
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(__)
『仮面の告白』(河出書房、昭24・7)が刊行されると、
荒正人が「図書新聞」(昭24・7・23)で「後半のコンプレックス形式の過程が大変いきいきしているのに反し、
それを生身の女相手にむけていくあたり、筆勢も落ち、平凡な風影に堕している」と評した。
神西清は「人間」(昭24・10)で殉教の聖セバスチャンのくだりを「ひろく世界文学を通じても珍しい男性文学の絶品」と賞賛した。
「創作合評」(「群像」昭24・11)で、
林房雄は「おのれの真実は誰にも判るまいという激しい自惚れ、自己賛美、自己陶酔」に感動し、幼年時代までを優れていると認めた。
中野好夫も「少年期から中学の初級まで」を相当のものと評価した。
北原武夫は「差恥の感情」の欠如を欠点として指摘した。
武田泰淳は「文学界」(昭24・11)でスタンダールの「アルマンス」と「仮面の告白」を対比させ、
「このような古典的完成を以てさし出された堂々たる作品を批判する能力はない」と述べた。
瀬沼茂樹は「日本読書新聞」(昭24・11・30)で、
「仮面の告白」に三島の「凡庸でない才能のひらめき」を認めながらも、
「その題材の不倫性を越えたものを示していない。それは一種の耽美主義であり、
その小説的才能、戯曲的構想力、観念的思惟を、
香具師の口上に浪費しているように思われて仕方がない」と批判した。
花田清輝は「聖セバスチャンの顔」(文芸)昭25・1)で「仮面は、懺悔聴聞償を眼中におき、
おのれの顔をかくすためにとりあげられているのではなく、
逆におのれの顔を明らかにするため」であったと述べ、
批評家の見当違いを攻撃し、
「仮面の告白」を高く評価した。
青野季吉は「現代史としての文学」(「中央公論」昭25・1)で「ユニークな性格の端正とさへいへる美をたたへた」作品であるが、
「真空」「冷血」であると評した。
「芸術新潮」(昭25・2)には心理小説として特色があるとの無署名の批評があった。
新潮文庫『仮面の告白』(昭25・6)の「解説」で福田恆存は三島がこの作品に「自己の芸術家のゐるべき揺ぎなき岩盤を発見し」たと述べ、
「三島由紀夫の書いた作品のうちで最高の位置に位するものであるばかりでなく、
戦後文学としても、のちのちに残る最上の収穫」と激賞した。
野間宏は「三島由紀夫の耽美」(「文学界」昭26・2)で、
三島には「ワイルドの社会がなくゲーテの自然がない」と批判した。
中野武彦は「『仮面の告白』論」(「近代文学」)昭29・1)で、この小説の魅力が「官能の美にあると述べ、
「逆説と警句」に特色を見出したが、
「三島由紀夫は新しい真に生産的な文学の創造者からは遠い存在である」と結んだ。
奥野健男は「三島由紀夫論−偽ナル シシズムの運命」
(「文学界」昭29・3。のち『現代作家論』近代生活社、昭31・10所収)で、
「仮面の告白」は「三島文学の解説書の役割を果たす作品であり、
後続作品との関連から「三島はナルシストを憧れ、
ナルシストぶる、にせナルシストにしか過ぎない」と論じた。
三島は大学在学中から小説を書き始めた。
三島はご存じのとおり根っからのナルシストであったが、病弱でひ弱な体を鍛えるために、
あるいは言い方をかえれば、自分の体さえも自己表現の道具として使う「完璧主義者」として、
ボディビルで体を鍛え、褌一丁ではちまきをし日本刀を構えて日の丸を背負って写真を撮らせた。
三島由紀夫の自分の体へのこだわりは、表現者の性の様なものが感じられて、
その後の盾の会の設立と自衛隊駐屯地での自決と併せて考えると、もの悲しさと滑稽さが入り交じってくる。
三島は、あくまで格好のいいヒーローを目指して体を鍛え、
自分の小説から抜け出したような“青年将校”をあつめて盾の会を結成し、
皇国の威徳を顕揚し皇運の扶翼に任じた。
しかし、そうやって、格好をつけている姿の、はたから見た滑稽さは、
三島の意思と反している光景ではなかったか・・・と思ってしまう。
中学生の頃は、三島由紀夫の文章をノートに書き写してみるほど、強い磁力を感じていました。
高校生になった頃は関心が薄れてしまったのですが、
それでも主な作品はほとんど読んだと思います。
その後、日本を離れていたために、かれの晩年の作品をリアルタイムで読む機会は失われました。
かれの自決を知ったのは、イランの砂漠でした。
バスが止まり、イスラム教徒たちは砂漠へ走っていって礼拝を始めました。
車内に残っていたイギリス人が「ニューズ・ウイーク」を見せてくれました。
バスの外では、人びとが焼けついた砂漠にひれ伏して「アッラーの神」に祈り、
母国では、かつて愛読していた三島由紀夫が「天皇陛下万歳」と叫んで切腹したと知り、
人間とはいやおうなく観念にとりつかれてしまうものだと、その不思議さ、奇怪さに愕然としました。
そのとき見た砂漠の光景は、一つの出発点となりました。
いやおうなく観念にとりつかれてしまう人間の滑稽さと、ある痛ましさを共に感じます。
数年前、三島由紀夫が割腹した市ヶ谷駐屯地の、その部屋を訪ねたことがあります。
かれの首が立てられていたところに、
ぼくはカルカッタの日本領事館で見た新聞写真の、その記憶の首を立てていました。
死者に見つめられている、と感じました。
かれの「文化防衛論」には共感できませんが、
ゼニカネに浮き足立っている現代人を見すえる死者の眼差しに、いまも畏怖の念を抱いています。
三島由紀夫のベストワンを挙げるなら『金閣寺』です。
『仮面の告白』もいいと思いますが、
完成度という意味では、
やはり『金閣寺』でしょう。
その完成度の高さは、アイススケートの満点の演技を見るような陶酔と、
ある種のひっかかりのなさをいまは感じますが。
かれは言葉をつかう、
曲馬団の団長のように、
サーカスの少年のように、
綱渡りの少女のように。
いや、芸術家のように、青年のように・・・。
言葉の技芸を磨きに磨き、どこまでも遠くへ行こうとした一人の作家。
できるだけ伝説をしりぞけて、はじめてのように三島由紀夫を読んでみたい。
三島由紀夫、かれはいったい何者なのか。
244 :
右や左の名無し様:04/03/01 03:28 ID:9b/Ta0vB
いつのまにかぼくは三島由紀夫のことを考えていた。
三十歳くらいからボクシングをはじめ、
やがてボディービルディングに転身し、
四十五歳だかで、
謎のパフォーマンスとともに、
じぶんの腹を割いた、
あのマニエリストのことを。
これ見よがしにゴージャスな文章の裏には、
ただひたすら空虚だけがある、
不可解極まりない内面を持つ不思議な書き手。
いま、目の前に立っている三島由紀夫はガラス細工だった。
剣道五段、居合抜の達人、空手の達人、あるときはレイン
ジャー部隊の習練に身を投じ、あるときはジェット104に
搭乗する三島由紀夫だが、英介がはいている靴で、頭を
たたけば、たちまちこなごなに砕けそうな肉体だった。
英介は、意味もなく、(いま、ここで三島を殴ってしまっ
たら、どうなるかな)と考えた。
三島のことが憎いというのではない。
英介は三島由紀夫を好きだった。
ぼくは、三島のなかでは『葡萄パン』と、『月』というタイトルの、ふたつの短篇が好きだ。
そこには、六十年代初頭の新宿にたむろしていたような、ジャズやSFや睡眠薬やダンスに浮かれていた連中が描かれている。
そして若く、きれいな、ごく普通の男の子たちの仲間に、オブザーバー的にとはいえちょっとだけはじぶんも入れてもらった、三島さんのほんとうにうれしそうな感じがつたわってくるのだった。
例によって美しい言葉で結構を整え造形されたその小説は、かなり彼らのリアリティからはズレてる気はするけれど、そんなことは構いはしない。
彼らを見ているだけでしあわせだ、という三島の感じがいじらしく、しかもほんとうにこういうことばっかり書いて生きればよかったのに、と、ぼくはおもわずにはいられない。
それにしても、葡萄パン・・・タイトルからしてスナオでさ。
おもわず、ぼくも、そのパンにかぶりついたんだ。
もっともらしいことばっかり言う、劣等感の強い評論家たちは歯牙にもかけない、おまけみたいな短篇だけど、それはとてもありがたいこと。
そうさ、その短篇は、彼らのためではなく、もっと別の彼らに愛されるために、書かれているのだもの。
三島由紀夫の短篇のなかでは、
コクトーの視線でラディゲを描いた短篇『ラディゲの死』も、好きだった。
新潮文庫のなかに入ってるので、よかったら、読んでみてください。
かなりな程度正直な三島由紀夫といえば、『詩を書く少年』という短篇があった。
主人公は、ひとりの少年であり、厳密にはその世界には、かれしか存在していない。
少年にとって世界がそのようにあるということはめずらしくないけれど、
ただし・・・、いや、結論づけるのはまだ早い。それは、こんなストーリーだ。
少年は、じぶん自身を、そして詩がかれに与えるよろこびを、こんなふうに語る。
「少年が恍惚になると、いつも目の前に比喩的な世界が現出した。
毛虫たちは桜の葉をレエスに変え、擲たれた小石は、明るい樫をこえて、海を見に行った。
クレーンは曇りの日の海の皺くちゃなシーツをひっかきまわして、その下に溺死者を捜していた」歌うような形容はまだ続く。
だが、世界とたわむれる言葉のよろこびを語るかれの言葉は、やがて転調する。
「暖炉のそばの少女の裸体は、もえる薔薇のように見えるのだが、
窓に歩み寄ると、それは造花であることが露見して、寒さに鳥肌がたった肌は、
けば立った天鵞絨(ビロード)の花の一片に変貌するのであった」
いつになくかなり正直なかれが、そこにいる。
そう、ここに一人の、じぶんに恍惚となっている少年がいて。
かれは詩を書き、観念を操作しながら、世界をおもうがままに変容させるゲームに夢中になっている。
かれの透明で固い自我の向こうに、世界が写る。それは、あくまでも美しい。あるとき、そこに少女が見える。
一瞬かれはそれに魅惑も感じはする。だが、かれの書く言葉は、急いで、失望を告げる。その花は造花にすぎない、と。
透明な結晶のようなかれの世界は、いささかも壊れない。
>>249→
かれが、造花という言葉をこのように使う、哀しみと滑稽。
かれ自身が造花にほかならないことを、かれ自身は知らず、それを知る日はついに訪れない。
いや、少女でなくとも、かれの結晶のような孤独を壊す契機は、すぐ目の前にあるというのに・・・。
小説のなかの少年は、先輩のRと、友人関係を深めてゆく。詩を書く天才同士として。
長い手紙のやりとりがある。
Rのくれる手紙は分厚かったが、そこには「軽快なもののいっぱい詰まった感じ」が、かれをよろこばせる。
だが、やがての文面が曇りと憂愁をおびてくる。
ある日少年は、(やがて訪れるだろうかれとRの決別を予感しながら)Rに、じぶんの見た夢の話をする。
あざやかな孔雀が遠くへ連れ去られてゆく姿を、じっと見ていた夢の話を。
聞き終わるとRは、「うん」と生半可な返事をする。すでにかれの視野のなかの少年は脇役にすぎない。
そしてためらった後に、Rは、じぶんの恋愛の悩みを、少年に告げる。
その告白は、決定的に少年を傷つけたはずだけれど、そのことは書かれていない。
そう、少年は傷ついては、いない。そして少年が与える結論は、こうだ。かれの告白には何一つ未知な要素がない。
「すべては書かれ、すべては予感され、すべては復習されていた」そこから導かれる結論は、こうだ。
「この人は、天才じゃないんだ。だって恋愛なんかするんだもの」
>いま、目の前に立っている三島由紀夫はガラス細工だった。
剣道五段、居合抜の達人、空手の達人、あるときはレイン
ジャー部隊の習練に身を投じ、あるときはジェット104に
搭乗する三島由紀夫
実際の三島由紀夫は、運動神経ゼロ、
映画でバレーブールの撮影で監督があきれたのは有名。
居合い抜き、剣舞、。。では、刀を振り回し、座の連中は全員
あぶなくて黙っていたのが事実である。
武器をもたない素手の自衛隊幹部に、刀できりつけ、挙句の果てに
学生に介錯を頼んでやっと死んだ。
あとの学生にせめて死ぬなとでもいっとけ! ばか
親のみになってみろ!!!
『詩を書く少年』という短篇には、かなりな程度の正直があるが、
決定的なところで、偽りの方向へずれてゆく。
まず、この小説にはじゅうぶんには書かれていない要素があって、それは少年のRへの恋慕だ。
おそらくそれを認めてしまえば、少年は精神の拮抗を崩してしまうだろう。
もはや天才を気取ることもできないだろう。
それゆえ、そのような感情は微塵もなかったかのように(!)、
小説は書かれてゆく。ここにひとつの哀しみがある。
それにしても、なんて皮肉な言葉だろう、
「すべては書かれ、すべては予感され、すべては復習されていた」・・・それはRによりも、
むしろ書き手、三島由紀夫の生涯にこそふさわしい言葉じゃないか。
どうして、もうひとおもい、少年は正直にならなかったんだろう?
どうしてじぶんが壊れてしまうことを怖れない勇気をもたなかったんだろう?
なんて臆病な三島由紀夫、と、おもわずにはいられない。
水晶のなかに住んでいる孤独な少年がそこにいる。
ぼくは、その少年が、とても好きだ。
ただし、やがて少年が少年を脱ぎ捨てるとして。
だが、少年はやがて少年を脱ぎ捨てただろうか?
新潮文庫などで読める本に「ラディゲの死」というのがある。
これは、三島が17歳の時から、31歳までの短編13を納める短編集である。
三島は幼い頃からラディゲを敬っていた。
題名にもなっている「ラディゲの死」はラディゲの晩年を書いたものである。
全体的に受ける印象はまだ幼い文だ、ということであった。
「奇跡」との生活・・・それは、「破局へ向かって傾斜しているおそろしいスピードをもった生活だったよ。
しかしぼくたちは、ああして暮らすほかはなかったんだ」 その回想の中心に、ひとりの詩人の姿がある。
かれは、生粋の無秩序、歌うべからざる薔薇が歌い出すような無秩序だ。
かれは若く、傑作を残しながら、もうすぐ「神の兵隊に銃殺される」だろう。
そこに、かれを見守りながらなすすべもなく立ち尽くす、やや若くない、
だが才気に満ちたもうひとりの詩人がいる。二人の詩人は、レイモン・ラディゲとジャン・コクトーだ。
天使の死を謳い、混乱のなかで、コクトーはつぶやく。
ラディゲが生きているあいだというもの、「ぼくたちは奇跡と一緒に住んでいた。
ぼくは奇跡の厳然のふしぎな作用で、世界と仲良しになった。世界の秩序がうまく運んでいるようにおもわれた」
「薔薇が突然歌い出しても、朝の食卓に天使が落ちてきても、
鏡のなかから、水のきらきらする破片を棘のように刺されて、潜水夫がよろめき出てきても、
馬が大理石の庭にその蹄の先で四行詩を書き出しても、当然のことのように」受けとめることができた。
「ぼくは『奇跡』と一緒によく旅行に出た。『奇跡』は何と日常的な面構えをしていたろう!」
「しかし今になってみると、朝の新聞が、自動車事故で五人家族が一度きに死んだり、
建設中の建物が倒壊したり、飛行機が落ちたりすることを見るたびに、
ぼくはもしラディゲが生きていたら、こんなことは決して起こるまい、とおもわずにはいられないんだ」
この掲示板に私や他の教員、学生に対する誹謗中傷を書き込んでいる者に警
告します。
483の書き込みはその前後および過去の掲示板から私のことを指していること
は十分断定できると思われます。また、622では実名での記載であり、明らか
な名誉毀損です。もし、一週間以内に名乗り出て謝らなければ法的な手段に訴
えます。2ちゃんねるは裁判に負けてからIPをとっていますから、おそらく裁
判所で会えると思います。
君のような人が生命科学部に関係していることは恥ずかしいかぎりです。私も
このような書き込みはしたくありませんが、今後、被害を広げないために必要
であると判断しました。
東京薬科大学
生命科学部
教授 多賀谷光男
『ラディゲの死』という短篇で、『詩を書く少年たち』で描かれた先輩とかれの関係の、
もうひとつの変奏のようにおもえる。
(執筆された時期は『ラディゲの死』の翌年に『詩を書く少年』が書かれている。)
三島由紀夫は、かつて『詩を書く少年』について、詩との別れによって散文作家が生まれた、
その主題のゆえに「どうしてもこのことを書いておかなければならなかった」と書いた。
詩との別れだって? そんな模範答案のような、作家のステートメントは、
ぼくは到底信じる気にはなれないな。
なぜって、そこに生きているものは、あまりに19世紀末の退廃美学をひきずった詩、
そして、その詩そのものになりたい、と身もだえするような「散文」だもの。
そう、そこにある散文は、(主題が詩であるとはいえ)、
たとえば、仮にトーマス・マンがそれを読んだなら徹底的に罵倒し倒すだろう、というような、
まったく散文的でない「散文」じゃないか。
けれども、それがどうしたというのだろう。
そこにとてもとても三島らしいなにかが生きている、と、ぼくはおもう。
あるいは、三島由紀夫のなかに息づく詩は、
あるいは第二次世界大戦中の苛烈な日常のなかに咲く、
あえかなスミレの花のようなものだったのかもしれない。
それは同時に、ほとんど、その後の(現在から振り返れば、二、三世代前の)、
少女マンガを予感させるような、美学にも通じていて。
ほんとうに、「少女」のようだと、おもう。
そこに、なにか震えているような感じがあって。
そのまま「少女のままに」一生を生きてしまう・・・そんな図々しさが、
どうして三島になかったんだろう。
そうおもうと、ぼくは残念でならないのだった。
とんちんかんな意見かもしれないが、ぼくは、つくづくそうおもう。
その後、三島に訪れる「男らしさ」への接近を見るにつけ、そのふるまいは、
いったい誰の視線を意識しているのだろう、と、そんな疑問にぼくはとらわれるのだ。
三島由紀夫は谷崎潤一郎の作品を香りの高い日本酒にたとえたそうです。
「禁色」という小説はわたしには「菫色の強いお酒」のように感じられます。
実際、MAD DOGというきれいな紫色をしながら、
ものすごく強い酒があるそうです。
美しいけれど、
いったん飲むとなかなか体の中から消えてくれない。
そんな強烈な飲み物です。
257 :
色男no、1:04/03/13 15:37 ID:o+dKHqqa
こんばんは、みなさん、私が色男です。
三島文学とは全く異なるところで三島そのものの伝説があります。この事が三島問題を他の作家論から逸脱させる要素なのですが、
あくまで例外を認めずにテクスト論による文学研究に一貫させようという立場もあります。しかし、言うまでもなく三島の
存在それ自体が一つの作品ですから、これを言及する事なく三島作品だけに当たる事が可能であるかと言えば、やはり不完全に思われます。
三島を解読するために三島文学を読むのか、三島文学を読むために三島を解読するのかは、そのアプローチする個人の内的問題によるものです。
ところで三島には確かに他者を吸収合併して凡庸化=非個性化するところがあります。三島がフォルムこそが永遠である、という時、
個性は時間の持続に耐え得るものではないという認識があります。100年も経てば、個々人の差異はふるいにかけられ、
様式化したもののみが固有名として定着します。アンフォルメルの思想を否定し、人間の形それ自体を志向するのは彼が代表的人間、
ある性格の雛型となり、類似する他者を全て代表しようとする意思があるからです。
http://www.laspara.net/
「禁色」は凄いよ。なんていうかね、『金閣寺』や『仮面の告白』よりも三島パワーが爆発しまくりです(^-^)。
これ、一読の価値はありますよ。まあ、クオリティーは『金閣寺』ほどじゃあないんですけども、ね。
あっ、そうそう。この作品を読んだ後にはオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』でも読んでくださいな。
三島がワイルドから圧倒的な影響を受けていたかがわかりますから。私からは以上です。
33 :右や左の名無し様 :03/11/07 15:19 ID:???
歴史に「もし」はいけないけど、一水会を去った有望な人材はたくさんいる。
(なんせ今現在、一水会会員数は一桁と思われ)
過去に一水会を去った人材の中には、当然、木村氏の後を継いで3代目になる
可能性をもった優秀な人材も多く存在していたわけである。
もし、「この人物が一水会の残留していたら」を想定して、名前を挙げて
みよう。年齢は木村氏より年下で30代から40代前半に絞ってみよう。
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>>33 元自衛隊員の福田さんという方もいましたね。
文学者ってのはやっぱり社会不適応者か基地外なのかね。
公的な地位につけるとロクなことをしない。
脚気は細菌が原因という、
当時もう否定されつつあった(日本海軍が実験航海で否定した)
トンデモ学説にこだわり、日露戦争では3万人を脚気で死なせ、
かつ終生誤りを認めなかった陸軍軍医監・森鴎外。
ロマン主義者にとどまってれば良いのに、
現実社会にデムパ持ち込んだ挙げ句、
ちゃんとした切腹も出来なかった宮崎勤とオウムの大先輩・三島由紀夫。
(彼の切腹は、腹の表層を浅く切っただけの真似事。
腹壁を切断し、腸をつかみ出し切って敵に投付けるのが戦国武将の正しいやり方。)
彼の自称「切腹」の姿に形骸化した「伝統」を聖化し妄信するウヨの哀れさを見てしまう。
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このままいつたら「日本」はなくなつて、その代わり、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、
或る経済大国が極東の一角に残るであらう。
それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気になれなくなつてゐるのである。
(「果たし得てゐない約束」、三島由紀夫、サンケイ新聞、S45.7[2,p564]より)
これは殆ど、日本社会への縁切り状ではないか。
友人・三島由紀夫のこの苛立たしげな文体に一驚した文芸評論家の村松剛は、事態が容易でない所まで来ていることに気づき、人を介して、三島と会うことにした。
村松の三島との最後の会談は、昭和45(1970)年10月7日、四谷で行われた。
三島は言った。
自分の家にはいろいろな外国人がくる。彼らが口々に言うことは、日本のいちばん美しい部分が失われていくという失望なんだよ。
昨年までの日本には、世の中にまだ危機意識があった。
それがこのごろでは、みな危機意識なんか忘れて生活に満足している。
その安心し切った顔を見ていること自体、俺は耐えられない。
政治家は左も右も、平和憲法を守りましょう、文士の話題といえばゴルフの話と、
次の文学賞をだれにやろうかという相談ばかりじゃないか。
「昨年まで」というのは、昭和44年には、日米安保やベトナム戦争反対を叫ぶ過激派諸派が都内に6千人を集めて、道路上にバリケードを構築し、警察署を襲った。
警察は3万2千人を投入し、検挙された人数は東京だけで12百人以上にも及んだ。
しかし、翌年には、過激派の動きも沈静化に向かい、上述のように「昭和元禄」を謳歌する世相になっていたからである。
「それだからといって、三島さんが革命を志してどこかに斬り込んでも、天才の文学者が気がふれたといわれるだけですよ」
と同席していた仲介者が言うと、
そうだろうな、狂気の意味について、くだらない批評家がいろいろなことを書くさ。
佐藤榮作は、おれを気違いだと言うだろう。
(「三島由紀夫の世界」★★、村松剛、新潮文庫、H8.11:p567)
三島が4人の盾の会隊員とともに、自衛隊市ヶ谷駐屯地の東部方面総監室に総監を人質にして立てこもり、約1千名の自衛隊員にバルコニーの上から決起を呼びかけた後に、
隊員の一人、森田必勝とともに割腹自殺を遂げたのは、この18日後の10月25日。
今から30年以上前のことであった。
首相・佐藤榮作は、官邸での昼食中にテレビ速報で事件を知り、
記者団に感想を問われると暗い顔で「気が狂ったとしか思えない。
常軌を逸している。」と、まさに三島の予言通りのコメントを述べた。
新聞は、「”狂気の白刃”盾の会、自衛隊乱入」、「社説三島事件は”狂気の暴走”」などと、やはり三島の予想通り、「狂気」について、いろいろ書き散らした。
名うての戯曲家でもあった三島由紀夫は、自ら描いた筋書き通りに狂気を演じ、首相もマスコミも、その筋書き通りにそっくりのせられたかのようである。
「狂気」のシナリオはきわめて緻密に描かれ、周到に実行されていった。事件の前日24日の午後、サンデー毎日編集部の徳岡孝夫は、三島から電話で、毎日新聞の腕章とカメラをもって明日の11時にある場所に来て欲しい、と依頼された。
徳岡は三島がノーベル文学賞の候補にあがった時、バンコクで親しくインタビューしたことがあり、旧知の間柄だった。
場所がどこかは、明日10時に電話する、という。
翌朝10時に三島から電話が入り、自衛隊市ヶ谷駐屯地のそばの市ヶ谷会館に11時に来て欲しい、という。
そこへ行くと、盾の会の会員から、封筒を渡された。
封筒には檄文と三島らの写真、および、手紙が入っていた。
これから起こることが、自衛隊内でもみ消されないよう、何か変化が起こったら、腕章をつけて、駐屯地内に入って報道して欲しい、ということだった。
しかし、事件はどのみち、小事件にすぎません。あくまで小生らの個人プレーにすぎませんから、その点ご承知置き下さい。
(中略)事件の経過は予定では2時間であります。
まるで、これから友人同士で小さな劇を演ずるから、見に来て欲しいとでもいうような、こともなげな文章である。
徳岡氏が会館の屋上から、駐屯地を見ていると、パトカーやジープが猛スピードで突入していった。
毎日新聞社の腕章をつけて、正門からグランドに入ると、すでに100人ほどの自衛官がいた。
「総監が人質にとられた」という声が聞こえた。
盾の会の若者が、バルコニーの上から檄文を撒き、垂れ幕をおろした。
自衛官が垂れ幕に飛びついて引きずり降ろそうとしたが、ジャンプしても手が届かないよう計算されていた。
「三島さん、綿密に計画したなあ」と徳岡は感嘆した。
三島と森田がバルコニーに姿を現した。集まった自衛官はすでに約千人に達していた。
日本は経済的繁栄にうつつを抜かして、精神的にはからっぽになってしまっているんだぞ。
それがわかるかッ!頭上8mからの三島の声は、張りも抑揚もある大音声で、実によく聞こえた。
徳岡は後にこう書いている。
三島のボディービルや剣道は、このためだったんだな、と私は直観した。
最後の瞬間に備えて、彼はノドの力を含む全身の体力を、あらかじめ鍛えぬいておいたのだ。
畢生の雄叫びをあげるときに、マイクやスピーカーなどという西洋文明の発明品を使うことを三島は拒否した。
[,「五衰の人」、徳岡孝夫、文春文庫、H11.11p259]
三島の呼びかけは、自衛隊が憲法改正に立ち上がる、ということだったが、
そんな可能性は三島のシナリオにはみじんも考慮されていなかったことは、
事件が2時間の「個人プレー」で終わる、という徳岡への手紙でもあきらかである。
約20分の演説を終えると、三島は「天皇陛下万歳」を三唱して、総監室に引っ込み、
森田必勝とともに、古式に則って、真一文字に腹を切り、盾の会隊員の介錯を受けた。
いまだに誤解する人が多いが、三島は戦前右翼的な軍国主義や、天皇親政を目指したわけではない。
かえって、天皇は日本文化の中心に位置し続けてきたのであって、その時々の政治権力に密着すれば、
その政治を超越した立場は損なわれる、と考えていた。
明治憲法下での天皇制を「天皇陛下を政治権力にくつ付けたところに弊害があった」と明言している。
(「三島由紀夫の世界」、村松剛、新潮文庫、H8.11・p475、「栄誉の絆でつなげ菊と刀」、三島由紀夫)
天皇は「われわれの歴史的連続性・文化的統一性・民族的同一性の、
他にかけがえのない唯一の象徴」であり、
われわれはこの天皇の真姿を開顕するために、
現代日本の代議制民主主義がその長所とする言論の自由をよしとするものである。
なぜなら、言論の自由によって最大限に容認される日本文化の全体性と、
文化概念としての天皇制との接点にこそ、
日本の発見すべき新しくまた古い「国体」が現れるであろうからである。
(「反革命宣言」、「生きる意味を問う」所収、三島由紀夫、人物文庫、H9.9)
結局、三島の描いた理想とは「栄誉の絆でつなげ菊と刀」というある論文のタイトルに凝縮されていると言えるかもしれない。
「菊」とは日本の文化伝統である。そして「刀」とは「武」の伝統、武士道である。
武なき文は自立しがたく、文なき武は正義なき暴力に堕する。
文武両道こそが、人にとっても、国家にとっても、目指すべき理想であった。
そしてこの両者が天皇という国家の神聖な根源において結ばれている所に、
わが国の「国体」がある。そこから名誉や正義という価値が湧出する。
>>261の、「無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、
或る経済大国」とは、経済的繁栄を至上の価値として「文」を置き去りにし、自衛隊を継子扱いし、
外国軍隊に国防を依存して「武」による名誉と自立心を忘れ去った現代日本への批判なのである。
上述のような正統的な理想を、
三島ほどの思想家が、
我慢強く説き続けて今日に至っていれば、
一般国民の間にも受け入れられた可能性は高い。
ソ連や中国の共産主義体制を目指して、
数万人が首都で騒乱を起こすという当時の革命思潮がいかに常軌を逸したものと言え、
いや、それだからこそ、なおいっそう、
なぜ三島は当時の人々から「狂気」としか見られない行動をとって、
あたらその天才を散らしめたのか?
徳岡孝夫氏は、三島由紀夫の魂との会話を思い浮かべる。・・・
−なぜ切腹を?
日本の文化と伝統に根を持つ死に方だからです。
−アナクロニズムじゃないですか。あなた一人が死んで、日本が変わると考えたのですか?
ぼくはそういうふうに問題を考えない。効果の有る無しは問題にならない。
他人に同じ行動を勧めようなどという意思も毛頭ない。
人間内面のモラルは昔も今も不変だし、魂の問題だから時代とともに変わりようがない。
ぼくは、やりたいことがあっても我慢してきた。
そして最後に爆発した。
それも無駄に、汚名を着せられてね。
−しかし昭和元禄の真っ只中で起きたあなたの行動は、マスコミから徹底的に叩かれましたよ。
マスコミを通じて自分の考えを広めようなんて、最初から考えていません。
ぼくの死から一滴の水がしたたったら、その水を心に受けて考えてごらんということです。
[「五衰の人」、徳岡孝夫、文春文庫、H11.11:p31]