三島由紀夫先生、森田必勝烈士を追悼し、彼等の意志を繼承し、
拔け殼のごとく、否、そればかりか米軍の傭兵になりさがった
自衞隊が、眞の日本國軍となること訴へるため、平成十五年度
野分祭へのご參集を呼びかけるものである。
日時 平成十五年十一月二十四日(月)午後三時〜
場所 高田馬場シチズンプラザ2階
東京都新宿區高田馬場四−二九−二七
主催 野分祭實行委員會 電話03-3368-0869
2 :
オカマにだまされるな:03/10/28 23:41 ID:untVYKxJ
木村三浩は氏ね
>>3 十二日の木村三浩の大阪での講演では、我が國の對米自立や、國際情勢などで
なかなか鋭いことを述べてゐたが。
>>1
何で野分祭実行委員会の連絡先がレコンキスタ編集部なの?
あんた一水会の関係者でしょ。
野分祭は実行委員長こそ元楯の会の伊藤氏だが、事実上は一水会の
私的行事じゃない。
結局、森田烈士の名で玉串料を集めるも、一水会の運動資金になるだけ。
平成7年4月に北朝鮮を訪問したK代表らは、よど号グループと接触、
密談の末、帰国後に貿易を開始する。
表向きには貿易会社を装うよど号グループだが、今や日本人拉致の実行
機関であった事は周知の事実である。
これでも民族派なのだろうか?
木村。鈴木は人間のクズ
今年は宇多咲さんが野分祭で三島由紀夫命の「檄文」を朗読されるらしい。
野分祭だけでなく、すべての三島由紀夫慰霊祭で女性による檄文朗読は史上
初めての事らしい。
>>5 同意。三島由紀夫、森田必勝の両烈士の追悼祭である神聖なる
「野分祭」を今や堕落しきって組織はボロボロ、おまけに左翼
の真似事が大好きな一水会が取り仕切り、しかも玉串料を収益
にして一水会の私的な運動資金、あるいは幹部?の遊ぶ金、
飲み代、ラブホテル代に消える事はどう考えても納得いかない。
そもそも野分祭は元々、森田必勝と交友があった民族派学生OBが
あえて決起・命日の前日にはじめたもので、当初は野分祭実行委員会=一水会
では無かった。森田必勝の生前の交友のあった民族派学生OBに一水会
の初期メンバーが多かったから、事務局が一水会事務所だったり実行委員会
に一水会メンバーの比率が高かったりしただけの話。
だから野分祭が一水会の資金集め的な醜い私的行事化しているのなら
それは本末転倒。もう野分祭から一水会を切り離してもよかろう。
今や民族派も世代交代しているのだから、それぞれの団体の若手が
超党派的に行えば良いのだが。実行委員会は引き続き伊藤氏が行い、
三島、森田の両烈士の志を継承したい若手民族派が行えば良い。
鈴木邦男は森田必勝とは早稲田の先輩らしいけど、ただ過去にそうだった
だけで、今や左翼との交遊に奔走して、今現在の民族派運動にも興味を示さず、
北朝鮮行きを摸索したり、マスコミ露出で、自分が文化人でもなったかと勘違い
している自称「脱右翼」の鈴木に「三島・森田精神」が一欠片もあるとは思えない。
今の鈴木邦男に、野分祭の「発起人」として顔を並べ、玉串を奉天する
資格はあるのか?森田必勝の霊に対して今の自分を恥とも思わんのか?
だいたい「脱右翼」した香具師に野分祭会場に足を踏み入れる資格なんぞ無い。
本当に都合の良いときだけ「右翼」であり続けるのだな。鈴木は。
★政治団体として登録する一水会だが、野分祭の収支は
総務省に会計報告されていないとの事である。
★先日、鈴木総合ビル3階を訪ねたら一水会の事務所は
存在しなかった。隣の部屋(アパレル関係の会社?)
の人曰く「少し前に引っ越した」との事である。
12 :
>9:03/11/01 00:37 ID:53e2j1p0
でも結局、一水会以外誰もやり手がないのだな野分祭の実行委員は(w。
誰かがかういふ催しをやらなければならないではないか。
先日も群青忌に参加したし。
>>11 今、鈴木総合ビルの3階はアパレル関係の会社が入ってるのですか?
前は不動産屋が隣のテナントでしたね。それにしても一水会事務所は
どこへ移転したのでしょうか?電話番号が変わっていないという事は、
都内のはず。
>>12 そんな事は無いでしょう。あくまで実行委員長は元盾の会の伊藤氏だし、
それに発起人には、あれだけの民族派の大物が名を並べてるのですから。
実行委員のやり手ならいくらでもいるはずです。
結局のところ、●●や○○がでかい顔して、「俺たちが取り仕切る」とか
言って他を拒絶してるだけでしょう。この人たちが、近い将来、自分の面子
を一水会の面子と同一だと勘違いして、他の助けを借りず、一水会も野分祭
も潰していくのでしょうね?
●●さんは今現在、運動に組織活動に頑張っています。いつも若い
メンバーの先頭に立ってがんばってます。もう心を入れ替えたの
ですね?●●さんが今の一水会を支えてるようなものです。
それに比べて○○さんはどうしたのでしょう。ここ最近話題にもなりません。
6月か7月にはフォーラムでかなりヤバイ事もやってしまったみたいですし?
それ以来、完全にアボーンアボーンです。野分祭には○○さんも出席して、また
普段何もしてないのに手柄はすべて自分のものみたいな顔して現れるのでしょうか?
三島由紀夫の遺志「改憲案」判明 自決直前まで起草、「楯の会」完成
天皇は「国体」/自衛権を明文化
作家の三島由紀夫が昭和四十五年十一月、
東京・市谷の陸上自衛隊東部方面総監部で自決する直前まで起草作業を進めていた現行憲法の改正案の内容が、
初めて明らかになった。三島が亡くなってから三十三年たつが、
産経新聞が入手した改正案「維新法案序」は、天皇を「国体」と位置づけるとともに、
自衛権、戦力の保持を明記するなど三島の国家観や憲法問題に対する認識が鮮明に反映されている。
改正案は、第一章第一条で「天皇は国体である」と規定。三島は天皇を日本民族の精神的よりどころであり、
歴史の中で日本という国を伝達していく存在と考えていたといわれ、天皇を中心とする国家体制が国体だった。
(・・・以下略)
(引用元)産経新聞「朝刊から:フロントページ」平成15(2003)年11月2日[日]
http://www.sankei.co.jp/news/031102/morning/02iti001.htm
●●さん、あまり調子にのらないでね。
この調子だと、●●氏が木村代表の跡目で三代目を襲名だな。
来年度の人事発表が楽しみな事です。
正直な所、一水会の三代目は誰がなるのでしょうか?
20 :
右や左の名無し様:03/11/02 19:05 ID:L1iTLIzX
日野ちゃんはどうしてる?
腹の据わったいい男だが
●●君が三代目?
そこまで木村氏も
馬鹿じゃないよな。
同意。木村代表も今の所、自分の後継者の事はぜんぜん考えていないだろう。
あるいは、もう自分の代で(適任な後継者もいないし)一水会を終了させる
ような感じもする。
●●が三代目??それは絶対に有り得ない。●●など所詮はパシリ根性、
まずあの性格と人間性で組織も人も引っ張っていけるとは思えんし。
でも最近、自分が一水会会員の激減で、相対的に任される仕事が増えて
自分が偉くなったと勘違いしてる●●なら、「次は自分が」なんて思ってる
かも知れんな。
●●が木村氏の跡目となって三代目一水会代表に就任、一水会最後の代表(潰す)に
なって右翼史に名を残すのも一興かも。
ちなみに○○は日○同の最後の委員長として右翼史に一応名を残してる。
三代目が●●でもいいんだけ、鈴木や木村に比べて
知名度、運動経験、知識、教養の全てで劣るだろう。
是非はともかく、一水会っていうのは代表者の個人的
なマスコミ人脈だからね。
ホモ祭りか?
>>24 それ考えれば、一水会は木村で終わりだろう。いま現在も鈴木・木村に続く
知名度、マスコミその他に人脈を持つ者はいないし、木村の引退までに、その
ような人物が一水会から輩出される可能性も極めて低い。●●は今は事実上の
一水会のbQの地位かも知れないが、中年になってからの一水会入会で、それ
以前の右翼運動も無いし、知名度、運動経験、知識、教養に関しては全て問題外
の実力。伝統的に、最終的に「代表者の個人的知名度」で組織を維持してきた一
水会は、やはり木村の代で最後だろ。これが他の右翼団体なら、世間を騒がす国賊天誅
の決起行動で10年以上懲役にでも行けば、帰ってこれば幹部の席が待っていて、団体
代表者への道も開けるのだが、「テロ非合法否定、言論重視」の一水会では、そんな事
をしても切り捨てられるだけだろう。もっとも●●氏にそんな事をする座った腹があると
は思えないが・・・・・・・・
ちなみに、一水会で長期懲役を終えて、出所後に幹部(現相談役)となった人物には見澤知廉氏
がいるが、彼は獄中で小説を書き、それが一水会の大好きな(マスコミ)に受けたので、一水会
は利用価値があると判断して出所後重宝した訳であり、見澤氏の出獄理由も「スパイ粛正」なる
言いがかりに近い内輪もめ殺人である。もちろん世論はおろか右翼仲間もからも厳しく批判され
た。仮に正気塾の本島銃撃事件級の国賊天誅を一水会のメンバーが行っても、その実行犯が入獄
後、マスコミから注目されず世間から忘れられたら、一水会も彼を切り捨てる事であろう。決し
て彼の出獄を祝って祝賀会をして、団体幹部の座を用意して待ってくれたりはしない。鈴木邦男
あたりから「テロは良くない」「何事も言論には言論を」とか言われて、除名処分にでもされて
いるオチだろう。普通の右翼団体は、国賊に天誅を与え、大義の元に懲役に行く事が何よりも名
誉な事で団体への最大の貢献であるが、一水会では、国賊に天誅を与える事は「言論に反する、
テロ否定」の団体方針に反する事で、それよりマスコミに、どんな事でも注目されて、団体代表
者のお膳立てを行う事が一水会運動の最大のテーマであるようだ。
ちなみに一水会運動最大の貢献「マスコミへの注目」とは、「右翼らしからぬ事」
をしてマスコミから「珍しがられる」事と思われる。例えば左翼との交流とか最近
じゃあ北朝鮮との親睦・・・・・他の右翼や右翼本流の運動への否定(けなし)など。
一般的に右翼は偏向したマスコミに対して糾弾運動を展開しているが
一水会はマスコミを媚っているみたいだ。
30 :
>>22:03/11/07 00:08 ID:???
>もう自分の代で(適任な後継者もいないし)一水会を終了させる
>ような感じもする。
同意。つーかあの人もう、次の就職先をすでに確保し終わってるみたいなんだけど(w。
詳しくはよー分からんけど。
>>30 木村さんの次の就職先ってどこよ?あの人にとって当分は「一水会代表」
って肩書きは必要な気がするけどね。今もそれが彼の最大の肩書きで通ってるから。
それから一水会は木村二代目で終了って話だけど、普通の組織なら二代目が潰そう
ものなら先代や初期メンバーが止めたりするものだけど、先代の鈴木さんはどう考えても
もう一水会に対して未練も関心も興味も無いみたいだし(それより自分の交友関係)、
鈴木さんの同期の一水会草創メンバーも、もはや一水会の事は見捨ててるみたいだし、
(あまりに自分たちが目指したものと、その後の一水会に相違があるので)・・・・
32 :
右や左の名無し様:03/11/07 15:14 ID:/lkkosfW
最近の右翼はキモイ
歴史に「もし」はいけないけど、一水会を去った有望な人材はたくさんいる。
(なんせ今現在、一水会会員数は一桁と思われ)
過去に一水会を去った人材の中には、当然、木村氏の後を継いで3代目になる
可能性をもった優秀な人材も多く存在していたわけである。
もし、「この人物が一水会の残留していたら」を想定して、名前を挙げて
みよう。年齢は木村氏より年下で30代から40代前半に絞ってみよう。
一発逆転。一水会3代目代表は宇多咲氏に決定。
>33
内山耕一
39 :
色男no、1:03/11/08 07:33 ID:mCxva/K3
中上とたけしは、不在の三島をめぐる共犯関係にある、とするのが正しいでしょう。中上は三島の死の年齢と仕事を異常に気にしていた、
というのは柄谷行人など親交あった人々の証言に明らかです。三島の天皇に対するかのように路地を文化起源として小説を書きましたが、
彼自ら自分もある意味、天皇小説を書き続けてきたと、発言しています。パロディー化、矮小化というのは屈折した愛情表現なのかもしれません。
コロッケや清水あきらが美川憲一や村田英雄に対するかのように。神話化された姿には父殺しにも似た脅迫観念を持ち、
彼を笑いに転換する事で限りない慰みが得られる。アンチ巨人もファンのうち、あるいは全共闘は三島ファンを多く含んでいました。
三島のパロディーおよび再来について、三島が果たして文学的に師を必要としたか、あるいは文壇政治的に川端を攻略しておく事に意味があったのか、
などの問題になると思われますが、三島は唯一無二で二つとありえないし、また、必要もないと考える三島絶対主義が一方にあれば、
ナポレオンがヒトラーに反復するようにヘーゲル歴史哲学的に考察するならば重要な事件や人物であるほどに反復するという見方もあります。
再来がありえないから歴史偽造主義的要請からパロディーが捏造されると考えるか、弥勒菩薩よろしく再来がありえるとして、
その真贋論争が問題になってくるという見方もあります。
40 :
色男no、1:03/11/08 07:35 ID:mCxva/K3
楯の会=たけし軍団、三島事件=フライデー事件。大蔵官僚から文学、コメディアンから映画。たけし自身が説明するように既成権威が
あればあるほど奇行や笑いの起爆力が向上するという振り子現象があります。また、吉本隆明、蓮実重彦らは両者の関係性について言及しています。
たけしは本質的には三島と類似点はないと思います。ただ、表層において、それがある訳です。貴種流離というのは三島のキーワードの一つですが、
たけしはその逆ですね。たけし一人ではとうてい三島の不在を埋める事はできませんが、分業化されるマスイメージとしての三島集団の一人であると思われます。
平野にしてもそうですが、マスコミが三島のパロディーや再来を必要としている要素はあるでしょうね。
新潮2000年11月臨時増刊の座談会三島由紀夫不在の三十年で、三島空位の時代に後の人は彼の役割の分業を意識してきたのではないか、と島田雅彦が発言しています。
主体は分身自身にある場合と、マスコミのイメージ操作の意志にある場合とがあります。文学に関しては様々な研究が今もさかんになされつつありますが、
三島の存在論的な意味の読解と他ジャンルへの影響の様相を浮き彫りにする作業を私は問題としており、サブカルチャーにまで及ぶ言及を積極的にしています。
http://www.laspara.net/
>>37 森垣氏は一水会に在籍していた事はまったくありません。
一水会に在籍歴ありで、いま右翼界でそこそこ有名な人
って誰がいますか?
統一戦線義勇軍の針谷大輔議長も元一水会でしょ?
今年の檄文奉読は誰だろう?
>41
森垣委員長が一時期一水会に在籍していた事を知る人は以外に少ない
当初、森垣委員長は一水会の門をたたき活動に携わったが
一ヶ月ほど先に入会していた木村は森垣委員長の内に秘めたる
活動家としての実力を見抜き、自らの台頭を阻むでろうを予期し
徹底して無理難題をいいつけ、先輩風を吹かせて森垣委員長を
組織から排除する事に躍起になった
その結果、森垣委員長は一水会に見切りをつけて日学同に入り
民族派運動のリーダーとして大成していった
いわば、木村が現在の民族の意志同盟、日学同を育てたようなのもである
>>44 森垣氏が一水会に在籍していたとは意外中に意外。しかも木村氏
とほぼ同時に・・・・・・20年以上前で、森垣氏は早稲田在学中、
木村氏は統一戦線義勇軍を旗上げした頃ですね?
森垣氏はその後、早稲田卒業後に日学同のOB団体である重遠社の
青年部である新民族主義者青年同盟(新青同)の委員長に就任。
その後、新青同を重遠社から独立させて「民族の意思同盟」を
設立、今に至る模様。
森垣氏がそのまま一水会に残留して、木村氏に派閥争いで勝って
鈴木邦男の跡目となって一水会代表となっていたら面白かった
だろうな。そしたら一水会が今の「民族の意志同盟」のような
極めて特徴のある団体になっていて、従来の一水会のイメージを
大きく払拭してた可能性も大。
あるいは、一水会の(ハト派路線)に見切りを着けて、独立、
やはり「民族の意思同盟」を結成してたかもしれない。
森垣氏には一水会の(ハト派)路線は似合わない。
つまんね
三島は無抵抗の自衛官を日本刀をもって切りかかり、障害をあたえた。
いわば、狂信的刃物おとこであり、昨今の刃傷事件よりもひどい。
しかも損害賠償など行わず、国家の人財物に損害をあたえた。
反省すべきである。 真の国家百年の人物とはいいがたい。
西郷隆盛がいきていたら、ふんがいしたであらう。
たしかに
三島由紀夫も生きていたら、監禁、傷害
野村秋介も銃刀砲剣類不法所持に問われて有罪な訳だが・・・・・
>44は一部間違いというかデタラメがある
別に木村君が意地悪をして森垣君を追い出した訳ではない
単なる路線の違いに過ぎない
木村君はそんな根性の曲がった男ではない
民族の意志同盟との人的交流は相当に進んでいるね
今年の野分祭では民族の意志同盟の松田局長が檄文を朗読するね
両団体の合併も近いのでは
>>51 森垣氏が一水会に在籍歴があるって本当なの?にわかに信じがたい。
>>52 一水会と民族の意思同盟の人的交流が相当に進んでる??そんなアホな?
両団体の運動スタイル、構成員のタイプも全然違うし、民族の意思同盟は
独自路線を貫いて、一水会は他の右翼を見下してるし、この両者に限って
合併なんて絶対ありえんだろよ。
松田局長が野分祭で檄文朗読?アホな??あんまりいい加減な事書くと
苦情くるよ。民族の意思同盟のホムペで確認取ってみたら?
正直な所、一水会の全右翼団体の中に占めるウエイトってどのくらいなの?
一水会は他の右翼団体を見下してるとしか思えない言動が多いから実は
すごい嫌われていて、友好団体も共闘団体も一団体も存在しないって
話だけど。
>>54 一水会は自分たちを「右翼」と思っていないから、「脱右翼」
してるから他の右翼を見下して当然。したがって見下す対象で
しかない「右翼」と共闘関係や友好関係も築く必要なし。
>>8 何年か前、辞世の句を女性が読み上げたのなら知ってる。
そいつが歩き方も姿勢もダラダラしてて、朗読も下手糞で
この神聖な場になぜこんな糞アマを…?と憤ったもんです。
鱸の愛人か何かだったのかね。
>>56 辞世の句を女性が??どんな女性がですが?
相当昔の話ですか?ここ最近は辞世の句朗読は男だけでしょう?
それに檄文を女性が朗読はやっぱありえんでしょう。文中に
「男一匹」という表現もありますし、あれは男性でなければ
読む意味も無いと思います。
だから松田さんが奉読するんじゃないの
>>57 四、五年前だったと思います。
いかにも勘違いというか、化粧のキツいぶっさいくな女でした。
神風なんとかいう名前だったかな。よく覚えてないけど。
当時のレコンを見れば色々解ると思うのですが、
手元にないのですみません。
>>59 4,5年前か、それくらい昔だと今の一水会の人間では知るものは
いないだろうな?宇多咲で無い事も確か。
>>56 今現在在籍中の宇多咲といい、「勘違い」「場違い」の糞アマがでかい顔して
いるのが一水会の一種の伝統か??
62 :
○○:03/11/11 18:48 ID:???
それにしても宇多咲って本当にかわいくないよな。
全ては李三浩(リ・サンポ)の責任です
64 :
右や左の名無し様:03/11/11 20:43 ID:MwdiJyry
三島由紀夫は、
永六輔にそっくりである。
>>60 補足。あんまり酷かったので、木村さんに何故あんな女を
使ったのかと訊いてみたら、
「本当は雨宮処凛ちゃんに読んでもらう筈だったんだけど、
風邪で寝込んじゃったから、急遽変わってもらったんだよ」
などという返事を戴いて唖然としたことを思い出しました。
今度は一水会公式HPで阿部=○○が発狂中! 相変わらず見事な詭弁ぶりだ!(w
↓一水会公式HP掲示板
http://6538.teacup.com/issuikai/bbs キチガイうさぎまで巻き込んでご苦労なこったな。
こんなこじつけ&内部暴露までやって木村を貶しめ、組織内での自分の立場を強くしたいのかねえ。
今までさんざんレコン紙上で、自分の署名入りで親北朝鮮的文章を発表してきたのは自分のくせに。
自分にまで火の粉が降りかかってくる可能性を考えなかったのかこの馬鹿は(ワラ。
それとも「これまでの一水会の親北的姿勢は全て木村の責任だ!」ってことにしたいのかな? とことん卑劣
な奴だな阿部=○○は。
それにしても、こんな香具師らの相手を一人でしなきゃいけない一水会HPの管理人さんも大変だ。木村氏も
少しは助けてやればいいのにねえ。
67 :
>>66:03/11/12 22:41 ID:???
そのBBSとこのスレとを読み比べてみれば、最近この板で見かける一水会への悪口って
のは、ほぼ全てが阿部=○○一人の仕業であることが一目瞭然だな。特に>5,6,9,11な(w。
全く、いくら一水会内部に味方が一人もいなくなったからって、なにも虚言癖で誇大妄想狂
のうさぎなんかを味方につけなくてもいいだろうに。まさかうさぎの言う、「川島芳子Jr
率いる義勇兵組織」が実在するなんて思ってるんじゃないだろうな(爆)。それとも、そんな
妄想にでも縋らざるを得ないほど精神的に追い詰められているとか?
ひょっとして「近々でる一水会からの離脱者」って(ry
で、宇多が檄文朗読するって話はマジなのか?
マジなら今年は参列しないかも・・・
宇多咲ってマジでキモいね。
今春に大学卒業したらしいけど、あいつ今何なの?プー??フリーター??
ああいうのにかぎって自分がかわいいとでも勘違いしてるのだよな?
>>68 激しく同意。あんなキモイ糞アマに檄文を朗読させたら、これ以上の三島由紀夫
に対する冒涜行為を存在せず。多分、檄文朗読中に客の半分は退出すると思われ。
宇多が檄文朗読するのなら、野分祭も今年で最後になりそう。もっとも一水会の
存在自体が今年で最後かも?
71 :
右や左の名無し様:03/11/14 08:58 ID:kS+KYcpS
憂国忌の発起人が
坪内祐三といっしょに福田和也にも大胆なテロ脅迫してるよ。
http://book.2ch.net/test/read.cgi/book/1068221723/3-9 >■坪内祐三クン、夜道の一人歩きには気をつけようね…。
(中略)
>ところで、坪内祐三は、2、3年前、新宿歌舞伎町かどこかの夜道で、
>誰かに殴り飛ばされて意識不明の重傷をおい、入院したことがあったそうだが、
>懲りない奴だよ。こんな調子だと、またその内、やられるんじゃないか(藁)。
>さて、お二人さん、今夜も、どこぞの雑誌社のパーティで、二人揃って、
>残飯アサリでもしてんのかな(爆笑)。帰りの夜道には、気をつけてね…。
>ははははは。
(文芸評論家・山崎行太郎発行のメルマガより抜粋)
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一水会関連のBBSに度々登場する「望月うさぎ」って何者よ?
一水会関連のBBSに度々登場する「望月うさぎ」って何者よ?
74 :
↑:03/11/14 17:48 ID:???
マルチうざー
一水会関連のBBSに度々登場する「望月うさぎ」って何者よ?
一水会関連のBBSに度々登場する「望月うさぎ」って何者よ?
一水会関連のBBSに度々登場する「望月うさぎ」って何者よ?
一水会関連のBBSに度々登場する「望月うさぎ」って何者よ?
↑の質問にお答えします
一水会の唯一の女性会員でこの春某私大を卒業した、
通称「アンパンマン○ス」と言われているお方です
>>79 違う。「アンパンマン○ス」は、この板でもお馴染みの宇多咲の事です。
望月うさぎってのは、見澤知廉のストーカーをやっているキチガイ女です。
どっちも同じ穴のムジナの馬鹿キチガイ女ですけどね。
>>79 >>80 その望月うさぎが一水会掲示板で、なんか意味深な事書いてるぞ。
何でも昨日を持って一水会有力幹部が退会したとか?
誰だ?「有力幹部」って?現状から考察すると○○以外に考えられないが。
以下転載。↓
一水会の再生を祈ります 投稿者:望月うさぎ 投稿日:11月15日(土)23時35分18秒
★本15日をもって、有力幹部が退会しました。
この幹部は一水会の街宣車の所有名義者です。
定例街宣に支障をきたすのは否めないでしょう。
★★一水会は新たに別会員が離脱をほのめかして
います。
★★★この現状を直視してください・・・。
HP管理人さん・・・同じ民族主義を奉じる同志
として一水会の再生を託します。
貴会の代表が特定の政党に組し、そこに個人の事
務所を設けているのをどう受けとめていますか?
・・・・・・こんな一水会に誰がした・・・
>>81 望月うさぎは一水会内部の人間なのですか?
なんでそんなに一水会内部の事情にお詳しいのでしょうか?
望月うさぎって誰?
>>66 ○○は2年前に、この板でバッシングされた時も「阿部」というハンドルネーム
を使ってバッシングに一生懸命反論していた。しかし、○○の特徴ある書き込み
で阿部=○○という事はバレバレ、かえって哀れに笑いものにされていた。
その○○が二年の時を経て、また「阿部」とか名乗ってバレバレのカキコにお熱。
2年前のまったく同じ事をやってる○○は学習能力の無い馬鹿というか
極端に注意散漫な馬鹿というか。救い様の無い香具師。
>>81 >>★本15日をもって、有力幹部が退会しました。>>
○○が「有力幹部」?馬鹿も休み休みに言えよ。
○○なんて無能で言ってる事おかしくて態度もでかくて性格最悪のみんなの嫌われ者
だろ。○○の嫌われぶりはこの板でも何度も話題になっている。ここ最近は誰からも
相手にされていなくて、完全に粗大ゴミだったのでは無いか?
○○のような運動を停滞させる要因の粗大ゴミが処分された事で一水会も
少しはまともになると思うが。
阿部さんて確か4〜5年くらい前にお亡くなりになってますよね
息子さんですか
>>86 元盾の会の故阿部勉先生の事ですね?
○○が阿部勉先生を意識して「阿部」などというコテハンを
使っているのだったら、あまりに恐れ多い。
○○氏ね
88 :
タカヒラ:03/11/18 19:27 ID:E2cJr5/o
>>87 盾→楯
○○を批判する前に、漢字を勉強しろよ。
バ〜カ。
野分祭までもう一週間もありません。平穏無事に終わらせましょう。
ところで「望月うさぎ」も野分祭には来られるのでしょうか?
>>88 2ちゃんねるでは、
わざと違う漢字を使うのも技の一つかと。
92 :
>>89:03/11/22 03:53 ID:???
来たらいいのにね。
阿部氏の情報によると(笑)伊藤氏をはじめとする野分祭関係者は、祭が一水会
の資金源にされてしまっていることが気に食わないらしいから(ワラ)、そこに乗
り込んで木村氏とよど号との関わりを糾弾すれば効果絶大なはずなのに(wwww。
これほど「行動派右翼」という自称とかけ離れている香具師も珍しいよな、
口先だけの臆病うさぎ(爆笑)。
もう明後日ですね。
野分祭に行かれる方は後でこの板でレポートお願い。
今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは
私は大概二ヶ月毎に部屋のレイアウトを変更する。気分転換もあり作業効率が格段に向上する。
私にとって変化とはその規模がどうであれ未知への冒険だ!
変革者たるわが運動も常に前進している!
本日靖國神社で宮崎同志の入隊式が挙行、新たな血が凄烈息吹を与える!
変革維新の囁きを知覚できる能力は、変化と大ロマンへの執着心の中に宿るのだ!
ブッシュの飼犬に成り果て戦後価値観にしがみつく小泉に遠大な夢を見る脳味噌などあるまい!
アメリカ被れのポチは国家天下を論ずる前にまずは五反田の犬小屋を片付けてみろ!
名古屋意志の会
http://k.excite.co.jp/hp/u/ahoyama369/
野分祭においては我が黒服軍団も大挙してはせ参じますので宜しく御願いします
>>652 >>653 「梅原武」とあるのは、梅原猛氏のことですか?
いろいろと詳しく教えていただき、ありがとうございます。
>>96 >アメリカ被れのポチは国家天下を論ずる前にまずは五反田の犬小屋を片付けてみろ!
永田町(官邸の近く)に新しい犬小屋(公邸)が完成したら、戻るそうです。
高級住宅地・東五反田の犬小屋は、永田町の古い小屋とは比べものにならない
くらい豪華なものだと吼えていました。ここはもともと、官僚のトップクラス
である内閣法制局長官の公邸だったのです。小泉よりは官僚のほうが、犬として
は高級種ということなのです。
99 :
右や左の名無し様:03/11/25 00:49 ID:fWCgO/4D
基本的な質問で申し訳ないが、憂国忌と内容は全然違うの?
憂國忌は明日です。
いやちがつた。もう零時を過ぎたから、本二十五日です。
午後五時半開場 六時開會
會場 九段會館・眞珠の間(地下鐵九段下驛下車)
記念講演 遠藤浩一(評論家)
「三島由紀夫と福田恆存──演劇をめぐって」
會場分擔金 贊助會員=無料 一般=二〇〇〇圓
ちょっと主催者が違ふのですが、三島先生の業績に強く
スポットをあててゐます。
主催者の違ひとかは、愛國者同士の内紛に加擔したくない
ので、檢索エンジンで調べてみてne
103 :
右や左の名無し様:03/11/25 04:46 ID:J1Pddp70
日本国軍にでも、何でもなってとっととアメ大にでも、自爆テロ出来る香具師
いるのかな(爆)チミらの美意識では云々・・・と、どうせ言い訳ばかりだろ。
三島って、自分がひ弱だから、夢想してただけでしょ・・。
昨日の野分祭は最高だった
最前列は「民族の意志」同盟の黒服軍団が並んでいて壮観だった
檄文奉読も「民族の意志」の松田局長が蕩々と読み上げ三島由紀夫の
心情に迫る気迫が感じられた
それに引き替え一水会の人たちはタラタラした感じで覇気が感じられなかったね
だらしない服装も威厳ある野分祭の雰囲気にはそぐわなかった
来年からは民族の意志が主導権をとって運営したらいいと思う
>>104 いい加減にしなさい。なんでそのネタにずっと拘ってるの?
「民族の意思同盟」「一水会」、両方に問い合わせてみなさい。
だいたい「野分祭」隊服、戦闘服での入場は禁止されているので、
集団で黒服での入場は不可能。
>>105
何かを隠蔽しようとしてうろたえている人がいます
一水会は「民族の意志」同盟と合流するなんて
言ってるけど、現実は吸収されちゃうんじゃないの
109 :
三島さんは私に、『ぼくはもともとバックという奴は好きじゃない。:03/11/25 22:08 ID:3PyMrneC
私が抱きついてゆくと三島さんは急に体の向きを変えて抱き返してきて
小さな声でささやいた。
「しばらくぶりだったね、会いたかったよ。」
、、、、懸命に三島さんの首から、胸、腹に、強いキスを浴びせかけていった。
、、、三島さんはこちらが驚くほどの、甘えた子供のような声をほとばしらせた。
1966年、昭和41年8月27日、熊本、ホテル・キャッスル。
三島由紀夫42歳、福島次郎36歳、熱い再会だった。
http://cgi.din.or.jp/~yossiy/cgi-bin/umeboard10.cgi?task=view&mnum=93 「林さんはもう駄目です。」
「え?」
「もうだめです。あの人、右と左の両方から金をもらっちゃった。」
林とは勿論、右翼の論客・林房雄である。
1970年・昭和45年の9月のある日、場所は銀座「浜作」
呼ばれて駆け付けた毎日新聞徳岡孝夫は『五衰の人』のなかで書いている。
「、、それまで私が見たことのない、世間の人が三島に想像したこともない、
投げ遣りな姿と言葉遣いだった。、、(林房雄に対する怒りは)執拗であった。
普段そんなに飲まない人が、少し自暴自棄に酔っていた。」
同席していたのは三島の実弟・平岡千之氏だ。
徳岡孝夫も千之氏も林房雄の背信行為を呪う三島の言葉を黙って聞いていた。
三島事件のおよそ2ヶ月前である。
「・・・・私の方から三島さんの体を強く抱きしめ、その首筋に、激しいキスを
しゃぶりつくようにしたのだった。三島さんは、身悶えし、小さな声で、わたしの
耳元にささやいた。
「ぼく、、、幸せ、、」
歓びに濡れそぼった、甘え切った優しい声だった。・・・」
「、、私は、頭に灰かぐらをかぶったまま、キスを続けた。私の体よりもずっと小さく細い、
三島さんの体は腰が抜けそうに、私の両腕の中で、柔らかくぐにゃぐにゃになっていた。、」
http://www2u.biglobe.ne.jp/~horizon/misima.htm
>>108 一水会と民族の意志同盟が合併しても頭数が少々増えるだけで何のメリットも
無かろう。民族の意志同盟が一水会を吸収しても、黒服着た構成員が5,6人
増えるだけ、だいたい、民族の意志同盟は森垣氏の理論の運動方針がワンマン体制
だから、「理論派」「言論人」を自称する現一水会代表木村三浩氏は邪魔な存在になるだけ。
逆に一水会が民族の意志同盟を吸収してもメリット無し、木村氏のマスコミ露出だけが
存在価値のような一水会に民族の意志同盟の強烈な個性の行動的な黒服軍団が配下
に加わってもメリットは無し。
>>104 >>それに引き替え一水会の人たちはタラタラした感じで覇気が感じられなかったね
だらしない服装も威厳ある野分祭の雰囲気にはそぐわなかった >>
一水会の面々はどんな服装だったのですか?だらしない服装って、
一水会伝統の「セーターにジーパンというおおよそ右翼らしからぬ」
というマスコミ好みな服装ですか?式典の主催者ならスーツ着用が
常識だと思いますが?
スーツですよ。
わかりやすい例えとしては、
有名商社の営業マンが得意先に挨拶に行く時のような装い。
男性なら、当然、ネクタイ着用です。
ある意味、日本を経済大国にした戦士たちの「戦闘服」ともいえます。
いわゆる作業着系戦闘服は式典の参加者に相応しい服装でしょうか?
ジーンズなどもその起源が作業着であることを思えば、ジーンズなどと同じく、
追悼の式典には必ずしも相応しい服装とは言えません。
>111
スーツ着ている人もいたけど、ヨレヨレの汚いスーツ
持ってなくて当日のために人から借りてきたサイズの合わないスーツ
だらしなくワイシャツの第一ボタンをはずして、ネクタイをゆるめた人
寝起きみたく眼がトローンとして、嫌々来たみたいな人
歯を磨いていない臭い人
髪の毛延び放題でぼさぼさの人
フリーズ着た人とか
>>112 屁理屈のきわみ。
正体ばれるぞ(w。
>>113 誰かわからないと思って好き勝手にデタラメ書くな。
また深読みされるぞ。 「真の狙い」とやらを(w。
115 :
::03/11/27 02:30 ID:ub37LOH2
いつか三島は役に立つときが来るだろうね
70年後か 100年後か
>110 「理論派」「言論人」を自称する現一水会代表木村三浩氏
え、あの人って裏社会の人じゃないの?
117 :
右や左の名無し様:03/11/27 11:33 ID:AfRyY5md
>>116 「裏社会」とはいったいなんだろう?
「表社会」と呼ばれる社会は表裏一体の人々なのだろうか?
社会で“一般”と呼ばれる世界の住人は裏も表も兼ね備えている人々だ。
木村三浩氏は、智謀の人ではあるが、「裏社会」の人ではないと思うが。
>>116 裏社会ってのは非合法行為で収入を得ている人々の事だろう、?
>>120
なぜ「名古屋意志の会」なのですか?
>>119 それが「裏社会」の定義なら右派・民族派には「裏社会の人」は皆無の筈。
なぜなら、日本の法律には「御名御璽」があるので、
改正を訴えていくべき悪法であろうとも、現行法である限り守らなければ朝敵である。
憲法改正をはじめとする「現行法改正を目指す運動」といったことも遵法闘争であるべき。
尊王の徒が非合法の活動にはしること等あっていいことではない。
法律を遵守することが活動の上での最優先であるべきなのだ。
126 :
右や左の名無し様:03/11/30 00:58 ID:gOs6V4xH
どこかの古書店で見たが「右翼・任侠」のコーナーに三島の著作を置くのは
いかがなものか。
三島由紀夫って自決の前日肛門性交されたことが検死の結果分かったんだって。
相手は多分森田だろうね。
それ、どこぞのライターが書いたでっち上げだってもう証明されてるよ(w。
ブサヨは、ガセネタを書くしかやることがなくなつたか
>>126 ・・・その古書店、「右翼」と「任侠」を、
ひとつのコーナーとして括ってしまってるのは、
いかがなものか?
>>132 まったく、「右翼」と「任侠」を一緒にするのは、
水と油を一緒にしたり、味噌と糞を一緒くたにするやうなものだな。
乳化について
� パスタのレシピを検索して様々なサイトをのぞいたり、
有名シェフのレシピ集などを見ていると「乳化」という言葉が目につきます。
この乳化がパスタをより美味しくしてくれるというのですが、
その実どこにも詳しい説明がのっていません。
その理由としては非常に説明が難しいものであり、あまり明確になっていないからなのでしょう。
今回あえてその乳化について私なりの意見等をわかりやすく述べようかと思います。
乳化の仕組み
そもそも乳化とはなんでしょうか?
これは簡単にいいますと、水と油のように本来は混ざらないものを均一に混ぜ合わせることだそうです。
少し詳しくいいますと、乳化とは油脂分を水などに安定的に分散させる技術のことを言います。
これは絞りたての牛乳をそのままに放置すると油分(バター)が表面に分離してしまうのを防ぐため、
強力な剪断力で攪拌する事で油脂分を微粒子化し、安定分散させる事から“乳化”と呼ばれています。
この乳化には2つのタイプがあり、1つは油の中に水分が非常に小さな粒子となって点在しているもの…身近な例でいうとマーガリンやバター等がこのタイプにあたります。
もう1つが逆に水の中に油分が分散しているもの…牛乳やクリームなどがこのタイプににあたります。
前者を油中水滴型といい後者を水中油滴型といいます。
このようなことを書くと難しく思うかもしれませんが、「水と油が均一に混じり合っている状態」を乳化と覚えておけばいいかと思います。
また、乳化すると色が乳白色に変化することから乳化と呼ばれているようです。
>>134 簡単に乳化について説明したところで、次にいかにして乳化させるかに入ります。
乳化させるには油と水を均一に混ぜ合わせなければなりません。
水と油を一緒にいれ自然にお互いに均一に混ざりあってくれれば楽なのですが、そのままですと水と油と分離した状態のままです。
そこでこの2つを撹拌するなどしてかき混ぜることが必要となってくるのです。
ドレッシングをかける前にドレッシングを瓶ごと振る姿を見たことはありませんか?
これは瓶を振ることで分離した油分と水分を混ぜ合わせ再度乳化させるためなのです。こうして撹拌するなどして振動が加わることで水と油の片方が微粒化して拡散し、水と油が均一に混ざり合って乳化されるからなのです。
� しかし、ドレッシングの例のようにせっかく乳化したものでもそのまま放置していると水と油が分離していきます。
実は乳化は非常に不安定なものであり乳化しても時間が経過することで再び分離してしまうのです。
そこで通常乳化を安定させるためには一般的に乳化剤と呼ばれるものが必要になります。
例えばマヨネーズなどは卵黄に含まれる成分がこの乳化剤の役割を果たすので乳化したまま分離せずにいるのです。
つまりパスタでいいますと、ペペロンチーノなどオイルソースで乳化させたとしても時間がたつとせっかく乳化したソースが分離してソースの滑らかさが失われてしまうのです。
これがパスタは作ったらすぐさま食べるということの1つの要因となっているかと思います。
>>134-135 理 由
パスタを作るさいに乳化させるのには理由があります。
通常オイルにニンニクや唐辛子の香りや風味をつけてパスタを作ったりします。
こうしてニンニクや唐辛子で風味や辛味をつけることはできますが、オイル自体に味をつけることはできません。
例えばアサリの美味しい出汁の味をオイルにつけることはできるかというとそれは不可能です。
通常ですとオイルと水分は分離したままの状態で、オイルとアサリの出汁の味が一体となることはありません。
いくら一緒に食べてもそれぞれの味が舌のうえでバラバラに広がり、味にはざらつき感がでてしまいます。
そこで必要となってくるのが乳化です。
この乳化によりオイルの旨味や風味とアサリの美味しい出汁の味両者を均一に分散化させ一体させることでオイルの旨味にニンニクの風味、アサリの旨味それぞれを活かすことができるのです。
乳化させないままですとオイルとアサリの出汁が分離したままですので両者の味がバラバラのままなのです。
また、乳化させることでソースにとろみがついてパスタに絡み、パスタの味とソースの味が口の中で1つになって美味しく食べられるようになります。
このようにソースにつけるとろみがパスタを美味しくするために実に重要になってきます。
特にパスタはラーメンや蕎麦・うどんのようにすすって食べるものではないのでソースに十分なとろみがついていないとパスタにソースの味が絡んでこないのです。
以上の理由によりパスタを作るうえで乳化が必要になってくるのだと推測します。
ちなみに、乳化が必要になってくるのは何もオイルソースだけではありません。
実は美味しいトマトソースも実は乳化している状態なのです。
この場合はトマトの水分とオイルにより乳化して両者の味が一体となってトマトの持つさわやかな酸味や旨味にオイルのコクが加わって美味しいトマトソースになるのです。
>>134-136 乳化させる
� では、いよいよ乳化のさせ方について話をしたいと思います。
すでに乳化させる時のポイントとして「撹拌させる」ということを述べました。
お菓子作りなどで乳化させる時には材料をボウルの中で泡立て器で丁寧にかき混ぜることできれいに乳化させることができます。
マヨネーズを作る時も同様です。
ところがパスタのソースを作る場合にはボウルの中で泡立て器でかき混ぜてなんてできません。
鍋の中で乳化させないといけないのです。
そこで私なりに乳化させる際の注意点をまとめてみましたので、ご自分でソースを乳化させる際の参考にでもしてみてください。
ポイントとして重要なのは「火加減」です。
これはなぜかといいますとある程度熱せられたオイルの中に水分をいれると、じゅわーと水分が音を立てて踊り、フライパンの中で油と水が混じりあっていくことでソースを乳化させるからです。
ただし、ここで難しいのがこの火加減なのです。
あまりに熱せられたオイルに水をいれると一気に水と油が弾けて油に火が移りフライパンが炎上します。
かといってオイルの温度が低いうちに水をいれてもフライパンの中で水と油が踊って混じり合ってくれません。
つまりこの火加減が乳化を成功させるかどうかの重要な鍵を握っているのです。
なお、フライパンは素材の違い(銅製、アルミ製、ステンレス製等)によって熱伝導率が異なってくるのでフライパンによっては火加減が違ってきますので注意が必要です。
>>134-137 次にこのポイントをふまえたうえで、乳化させやすい方法を紹介していきたいと思います。
これはオイルソースを作る場合に主に私が用いている方法ですが、ボンゴレやオイルベースのペスカトーレなど具の旨味をソースに引き出すパスタに向いているやり方です。
まず、ソースを仕上げる1分ほど前にパスタの茹で汁をいれます。
この時あらかじめ茹で汁を数滴垂らしてみてオイルの温度を確かめてください。具を炒めている場合たいていそんなには温度はあがっていませんが、もしジュッと音がなり水が弾けるようであればフライパンを火から外して少しさましてから茹で汁をいれます。
次に、火を強火にしフライパンを揺すりながら振動を与えてソースを仕上げていきます。
強火にすることで気泡がたって油分と水分が混じり合っていき、かつフライパンを揺すって軽く振動を加えることでより強い撹拌作用を与えるのです。
すると次第にソースが乳白色になっていきソースが仕上がります。
あとはここに茹であがったパスタを絡めればできあがりです。
このやり方はソースを煮詰めるようにして乳化させる方法なので、水分が蒸発していくことを考慮してパスタの茹で汁を少し多めにいれてやります。
なお、このやり方があくまでも目安の1つとし、あとは実際に自分で経験を重ねて少しでもやりやすい方法を探ってみてください。
この方法は私がパスタを作るうえで今のところ一番やりやすいと思うやり方です。このやり方が正しいと限りません。
>>134-138 最後に・・・
乳化について色々と説明してきましたが、少しは乳化というものがわかっていただけましたでしょうか?
少しでもわかっていただけると長々と説明した甲斐があるというものです。
また、これを読んだうえで乳化はやはりわからないという方もいらっしゃると思いますので、そういった方に最後に少し話をしたいと思います。
� まず、必ず乳化をする必要があるかというとそうではないかと思います。
例えば同じペペロンチーノでもプロによってはわざと乳化させずに、茹でたパスタのうえにニンニクと唐辛子で香りをつけたオイルをかけて仕上げるという方法をとるシェフもいるもいるようです。
ですから、プロでない我々アマチュアが自分や家族が美味しくパスタを食べるのに必ず乳化が必要であるといいきることはできないかと思います。
とことんプロの技に迫りたい。
そんじょそこらのプロよりも美味しいパスタを作れるようになりたいと思っている方でないかぎり、必ず乳化ができないとまずいとヘ思いません。
「乳化」はあくまでもパスタを美味しくするための1つの手段。
その程度に思っていただければいいかと思います。 ですから必要以上に乳化にこだわらないでください。
>>133 >水と油を一緒に
>>134-139は、
一見、関係のない話のように思えるがそうではありません。
乳化を手段とした方法は確かにありました。
児玉誉士夫氏は稲川聖城氏を可愛がり、
戦後の最も典型的な“乳化剤”を演じた人でした。
>>140 結局、「風が吹けば桶屋が儲かる」と云ふ屁理屈を、くどくど述べてゐる
だけではないか。
祖先から受け継いできた日本古来から伝わることわざで、
現代まで語り継がれていることわざというのは、
奥深い真理を悟らせ、生活に密着した教訓にもなります。
大切にしていきたいですね。
回復の兆しがまったく感じられない日本経済の現状ですが、その原因は“デフレ・スパイラル”とか・・・
高校生時代、 “デフレになると公務員が有利”と教わりましたが、 どうもこれに“スパイラル”と付くとそうでもないらしいと。
あの格言、 “風が吹けば, 桶屋が儲かる”の逆で、 民間企業の収支が悪いから、社員の給料が下がり、 給料が下がるから増々購買意欲 (内需) が低下し、 ヒトが物を買わないから、また増々民間企業の収支が悪化していく。
民間企業の収支が悪化すると法人税が安くなり、国家予算が赤字になり、 公務員の給料も減らされる・・・
右翼→A→B→C→D→E→F→任侠
A,B,C,D,E,Fに何を入れれば、右翼が任侠につながる
のか、さつぱり判らない。
「風が吹けば桶屋が儲かる」ほどの關連性もないではないか。
126さんがとりあえずその古書店の店長さんに聞いてみるといいと思います。
誤解からなのであれば正してもらわなければいけませんな。
>>145 さうだな。
右翼≒任侠などといふ誤解はやめてもらわう。
故意にそんな偏見を人々に持たせやうとしてゐるのならば、
其の古本屋に斷固抗議し、彈劾しなければならない。
147 :
色男no、1:03/12/07 09:49 ID:Q+MtMvL1
中上とたけしは、不在の三島をめぐる共犯関係にある、とするのが正しいでしょう。中上は三島の死の年齢と仕事を異常に気にしていた、
というのは柄谷行人など親交あった人々の証言に明らかです。三島の天皇に対するかのように路地を文化起源として小説を書きましたが、
彼自ら自分もある意味、天皇小説を書き続けてきたと、発言しています。パロディー化、矮小化というのは屈折した愛情表現なのかもしれません。
コロッケや清水あきらが美川憲一や村田英雄に対するかのように。神話化された姿には父殺しにも似た脅迫観念を持ち、
彼を笑いに転換する事で限りない慰みが得られる。アンチ巨人もファンのうち、あるいは全共闘は三島ファンを多く含んでいました。
三島のパロディーおよび再来について、三島が果たして文学的に師を必要としたか、あるいは文壇政治的に川端を攻略しておく事に意味があったのか、
などの問題になると思われますが、三島は唯一無二で二つとありえないし、また、必要もないと考える三島絶対主義が一方にあれば、
ナポレオンがヒトラーに反復するようにヘーゲル歴史哲学的に考察するならば重要な事件や人物であるほどに反復するという見方もあります。
再来がありえないから歴史偽造主義的要請からパロディーが捏造されると考えるか、弥勒菩薩よろしく再来がありえるとして、
その真贋論争が問題になってくるという見方もあります。
http://www.laspara.net/
148 :
色男no、1:03/12/07 09:57 ID:Q+MtMvL1
楯の会=たけし軍団、三島事件=フライデー事件。大蔵官僚から文学、コメディアンから映画。たけし自身が説明するように既成権威が
あればあるほど奇行や笑いの起爆力が向上するという振り子現象があります。また、吉本隆明、蓮実重彦らは両者の関係性について言及しています。
たけしは本質的には三島と類似点はないと思います。ただ、表層において、それがある訳です。貴種流離というのは三島のキーワードの一つですが、
たけしはその逆ですね。たけし一人ではとうてい三島の不在を埋める事はできませんが、分業化されるマスイメージとしての三島集団の一人であると思われます。
平野にしてもそうですが、マスコミが三島のパロディーや再来を必要としている要素はあるでしょうね。
新潮2000年11月臨時増刊の座談会三島由紀夫不在の三十年で、三島空位の時代に後の人は彼の役割の分業を意識してきたのではないか、と島田雅彦が発言しています。
主体は分身自身にある場合と、マスコミのイメージ操作の意志にある場合とがあります。文学に関しては様々な研究が今もさかんになされつつありますが、
三島の存在論的な意味の読解と他ジャンルへの影響の様相を浮き彫りにする作業を私は問題としており、サブカルチャーにまで及ぶ言及を積極的にしています。
http://www.laspara.net/
>146 右翼≒任侠などといふ誤解はやめてもらわう。
右翼<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<任侠
「森田必勝の自刃は、
自ら進んで盾の会全会員及び現下日本の憂国の志を抱く青年層を代表して、
身自ら範を垂れて、青年の心意気を示さんとする、
鬼神を哭かしむ凛冽の行為である。
三島はともあれ、森田の精神を後世に向かってかい弘せよ」
三島由紀夫大人命竝びに森田必勝大人命二柱の御靈の御前に
謹み畏み敬ひ日さく
天翔ける御魂よ
暗雲吹き拂へる神風を起こし給へ、その神風以ちて神國日本の
眞姿が顯現されんことを切に切に冀ふ
昭和45年11月25日、
作家三島由紀夫は市ヶ谷の自衛隊で死んだ。
私がかれを買うとすれば戯曲である。
歌右衛門にあてて書いた「鰯賣戀曳網」(いわしうりこいのひきあみ)は、
勘九郎と玉三郎でしばしば出ているし、
能を書き替えた「弱法師」(よろぼし)なども上演されている。
すごいのは、
彼が「本読み」ができるひとだったことである。
本読みとは舞台に上げる前に、
狂言(歌舞伎)作者が役者の前で全部の役をひとりで読んできかせる場面で、
これでそれぞれの役者は筋と役の性根を考え、
場合によっては台本を手直しする大切な段階である。
しかし現在、これができる作者はいない。
三島の「椿説弓張月」(ちんせつゆみはりづき)の本読み録音が残っているけれども、
まさに驚嘆すべきもので、
お姫さまから荒武者までひとりで声色を変えて読み分けている。
153 :
色男no、1:03/12/19 00:49 ID:ByG+Qc8i
ユーミンについては宗教にまで高められた恋愛至上主義を信条とし、その全楽曲はつまるところ三島へのレクイエムである、という見解を私は持っています。
三島はエロティシズムと単なるフリーセックスを区別し、価値相対主義の社会にはエロティシズムはない、と極限しているんですね。
ですから反体制運動に見られるような、人間性を管理社会から解放するところのセックス、という認識を批判して、絶対者がなければ人間性の救済というのは
あり得ない、と三島は説明している訳です。
ユーミンの場合、バブリーな時代背景の投影としての表層的な恋愛模様のディテールを通して、相対主義的なフリーセックスを賛美しているように
誤解されているのですが、三島の不在を絶対者の喪失と捕らえることで逆説的に価値相対主義社会における恋愛を描写するんですが、
生まれ変わる事で絶対者との再会を果たし、現世的なものを超越していかねばならないというメッセージを30年間変る事なく唄い続けている、
というのがユーミンの本質なんです。したがって、ユーミンに単なる風俗現象を見ようとするところに、
三島を隠蔽しようとする時代の気分が現われているという事ですね。
http://www.laspara.net/
otoko???
156 :
色男no、1:03/12/21 05:35 ID:W6mBrk/m
役目としては政治を、その本質たるリアリズムへ連れ戻す事にこそあったのです。マゾヒストは権力の玉座ではなく、まさに悲劇の只中において存在論的飢餓は全的に癒され、
陶酔によって鏡を必要とする事なく現実に自足できるのです。
慎太郎は三島によって、そのファリック ナルシズムを指摘されていますが、慎太郎によると、二人の間にはどちらが一番乗りで二番煎じかという子供じみた闘争があったらしく、
一番乗り(オリジナル)と二番煎じ(コピー)のシーソーゲームにおいて、エロティシズム(死にいたる生の昂揚)を一番乗りされた慎太郎にはもはや、
「老いてこそ人生」という凡庸な大団円しか選び得ず、死んだ三島が仕掛けた罠にはまった慎太郎は、あのようなキャラを生きることを余儀なくされた、
と見るべきでしょう。
http://laspara.tripod.co.jp/
157 :
色男no、1:03/12/21 06:22 ID:W6mBrk/m
そして、さらに恐るべき事に、三島は自らの死後に残された全てのナルシストに、慎太郎同様の二番煎じの意味付けを与えようとしたのであり,
それこそが三島によって仕掛けられた罠=呪縛なのです。三島以後、もう我々は凡庸さを生きる事しか許されない。
http://www.laspara.net/
林房雄の本が意外と手に入らない。
この人はプロレタリア文学の時代があり、
転向後に国粋主義に走った作家として知られているが、
経歴にも興味を覚えるし、三島の周辺などでも名前がよく出る人なので、
図書館などで探したりしたことがあったが、けっこう苦労させられた。
林房雄著作集が全巻そろっておいてある古書店などはないものだろうか・・・
あぼーん
複刻された森田必勝遺稿集「わが思想と行動」の148頁をぜひ、開いて戴きたい。
これは森田必勝が「日本学生新聞」(昭和42年11月1日号)に寄稿した論文の再録だが、
題して「単独核武装はタブーか」とある。
最初に当時問題視された「核拡散防止条約」の矛盾について述べ、
印度、スゥーデンなどが唱えた「平和利用」の権利確保が「核大国」によって認められたものの、
厳重な査察を受け容れた経過をのべる。
類似の文章の中でも森田は「核拡散防止条約」は、「大国の不条理」と言っている。
ついで論文は「核アレルギーから脱し」なければ、日本国民はいつまで立っても、まともな戦略議論が出来ない国民に成り下がる。
防衛は感情論や心理で推し量るべきではない。
平和は祈ることだけでは達成できない。自衛隊もいつまでのアメリカの補完だけでは限界がある。
単独で核武装しない限り、日本の真実の独立はない(戦術的には本渡持ち込みが心理的負担ならば海上核武装を、と主唱)。
嗚呼、愕くべきかな。いまから35年前の日本の防衛状況も、いまのそれも本質的なところは変化がない。
防衛論議の基本には進歩がない!
森田の予言的な論文を思い出して、ハっとなったのである。
161 :
色男no、1:03/12/29 15:05 ID:rhw8pX3A
みなさん、こんばんは、私が色男です。
三島は45年という短い生涯の中で個人全集として42巻もの膨大な著作を残したという点において、日本近代の他の大作家と比べての差異が顕著であるように思われます。
といいますのも日本においては純文学を私小説と呼ばれる身辺雑記風の心境小説が代表したという特殊な事情があって、その結果、資質的に短篇作家の最も技術的に洗練された一群が文豪とされているようなところがあります。
つまり、ストーリーテリングは大衆文学でこそ問題にされますが、芥川のいわゆる話のない小説というものに、東洋的詩精神のようなものが読解されて、それが文壇的にも半ば制度化されてしまったところに、
日本文学のお家事情があったという事です。ですから長編小説が純文学のメインジャンルのような待遇を得られるのは、戦後派の全体小説の理念によるのであり、三島といえども、昭和20年代には「近代文学」の同人として、
文壇に自らの地位を得たのであって、資質以前の問題として長編小説に手を染める事で、時代潮流におもねるところがあったように思います。日本において、もっと戯曲書きの待遇がよければ、自分は小説家という職業を
選ばなかったであろう、というような事もどこかで言っていました。現在のところ、研究者の間でも「鏡子の家」は失敗作であったとされていますし、好みの問題もあるとは思いますが、三島の短篇のいくつかは、
その文体や技術的洗練において、文豪の列に加えてもいいような完成度を持つものであったのは間違いないことだと、私なども考えています。
http://www.laspara.net/
162 :
色男no、1:03/12/29 15:31 ID:rhw8pX3A
占領時代が終ると、文壇も消費社会の大きな渦に飲み込まれるように週刊誌ジャーナリズムが成熟し、その当時、既に時代の旗手と目され流行作家となっていた三島は当然ながら、
多くの雑多な書き飛ばしの仕事を引き受け、それが今日では全集にも収められて、一見したところ古色蒼然とした風俗資料に落ちたと思われるようなものも少なくはありません。
しかしながら三島の文章は凡百の雑文書きとは異なり、不易流行とでも言うのでしょうか、皮相な風俗ウォッチングの中にさえ、三島的「批評」が見え隠れしているようなものが、
いくつもあります。三島的「批評」というのは、アンチというのに最大の特徴があり、天皇でさえ、三島の手にかかると近代化=西欧化に対するアンチエゴイズム最後の砦というように規定して、
三島自身の行動原理に再構築してしまう有様です。三島は驚くほど多岐に渡って、様々な現象について言及した作家でしたが、「三島」それ自体の批評的本質については、
ついに最後まで沈黙を守ったように思います。その自決は謎とされ、多様な読解を包摂する巨大な存在として現代に屹立するのを見る時、三島は批評的存在であり続ける事によって、
歴史の永遠の呪い手足らんとしたのでしょう。
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「烈士と呼ばれる男 森田必勝の物語」
中村彰彦・著
(文春文庫)
「ここまできて三島がなにもやらなかったら、おれが三島を殺る」
三島由紀夫と死を共にした青年・森田必勝は、いかにしてその胸底に死を育て、
また三島はなぜ彼を受け入れたのか。異様な生彩を放つ短い生涯を史伝文芸の味わい豊かに描きつつ、
遺族、友人などへの丹念な取材により、日本を震撼させた大事件の真相に迫る力作。
多感な高校時代に起こった大事件、森田必勝の名前は深く胸に刻まれた。
しかし、その生い立ちや真相を今回初めて知り、考えさせられる書。
山の手の坂、下町の橋。山の手と下町の象徴だ。
下町に江戸川、堅川など川が多いのにくらべ山の手には坂が多い。
神楽坂、仙台坂、本郷の菊坂、三宅坂、南部坂、団子坂など30余年の東京生活は、川と坂の思い出だ。
はじめて、東京へ出てきて、市ヶ谷から合羽坂を通り、東京女子医大裏通りの谷町へおりたところに南京虫の多い私の下宿屋があった。
尾張殿上屋敷の南側の小路を上り、谷底の町へおりる。
むかしは合羽坂に蓮池があったらしい。尾張屋敷のお長屋下にあった用水堀には蓮が生えていた。
埋めたてられてお先手組屋敷になった。現在の合羽坂は薬王寺町、外苑東通りにある。
陸上自衛隊市ヶ谷駐屯部隊の前を通って、坂になる。ここで三島由紀夫事件がおこった。
昭和45年11月、楯の会が白ぬりの車でこの自衛隊へいそいでいる。
車の中で森田必勝隊員の唱う歌は、唐獅子牡丹だった。これは、森田隊員の兄にきいたはなし。
自衛隊の高い石垣に沿い、並木のある舗道沿いのおおらかな勾配は、坂の上から見おろしても、見上げてもうつくしい。
岡本綺堂の半七親分が、「合羽坂へ来たときには春の日も暮れかかっていた」といっている。
芝居なら、大向うから声のかかりそうなシーンである。
165 :
色男no、1:03/12/31 01:35 ID:uuPRqInS
佐伯彰一は「新潮」の三島没後三十年臨時増刊に寄せて、「「批評家」三島を批評する」という一文を書いています。
そこで、三島がさるパーティーの席上、俺は第一に劇作家、第二に批評家、第三に小説家だと開高健に言ってのけて、
唖々大笑したというエピソードが紹介されているのですが、
以下、佐伯は三島の資質の問題として、「座談会などでの三島の発言が、いかに冴えて颯爽たるものであったかは、
改めて諸家の証言を徴するまでもない話であるばかりか、文学賞の選者としての三島は、大方の場合、結果が決まるや否や、その場で忽ち、
「選評」原稿をさっさと書き上げてしまうのが通例だったと語り伝えられている。(略)わが身の体験に徴しても、これは相当な離れ業である。
選考プロセスの疲労もあり、やれやれという解放気分が先行して、到底その場で一気呵成になどとゆくものではあるまい。
やはり三島一流の集中力と、速筆そして批評能力の天分と舌をまく他はない。」と、書いています。
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衝撃的な事件だった。
私は三島由紀夫に憧れていた。
「君たちは武士だろう」と叫ぶ三島由紀夫の声が思い出せる。
私は心の中で叫んだ(そうだ、お前たちは武士だろう)と。
国を思う気概は無くなっているのか、そう思ったものである。
軍人がサラリーマン化してどうするのだ、そうも思ったものでもある。
益荒男が手挟む太刀の鞘鳴りに幾年耐えて今日の初霜
散るを厭う世にも人にも先駆けて散るこそ花と吹く小夜嵐
三島由紀夫の辞世の句。
いまでも忘れる事は無い。
父から電報が届いた。
「はやまるな」とただ一言。
父なりの心配の仕方であった。
確かに割腹に挑んだ若者も何人かいたはずである。
大学も我々も荒れていた時代のことだった。
新右翼関係者の証言
曙のK1参戦を発表した段階では、曙がこれほど弱いとは知りませんでした。
練習に入ってから、これでは全く使い物にならないと周囲でははっきりと意識しました
しかし、大晦日のボブ撒布との対戦を発表してしまった以上後に引くことは出来ませんでした
1分いないにKOは確実であると確信しました
とにかくボブ撒布には1Rは持たせるように交渉しましたがボブ撒布は八百長を拒否
説得して2分間は持たせてもように交渉しました
結果、ラスト1分となってボブ撒布は本気で望みました
日本は三島由紀夫の叫びを黙殺してきたのだ!
分かっていても、自らの怠惰と堕落の結果、目先の私利私欲に幻惑し、正義の魂を売り渡してしまったのだ。
堕落は堕落を呼び、いまどうすることもできない袋小路に陥ってしまっている。
既存の価値観に呪縛され、一歩も前へ進むことができないのだ!
「自由」「民主」「平和」の呪詛により、祖国は深い眠りと幻惑の中で座して死を待つのだ。
いま、自己の覚醒が断固不可欠なときだ!
自己に忠実になっているか?
本気で人生を全うしているか?その勇気はあるか?
「話し合い」からは妥協と臆病な結果しか生み出せないのだ!
そんなことは歴史を見ても一目瞭然ではないか!
今重要なことは、自己に忠実な行動のみでる!”
何もしないで与えられてきた「自主主義」「民主主義」「平和」こそ、日本のためのものでは断じてなく、
わが国を篭絡させるための罠に他ならないではないか!
自分と社会、そして日本を一本の糸で結んだ価値観を抱き、身の回りから始めよう。
是々非々の明確な判断と断固たる行動!
悪に対する処断と粉砕行動には、身命賭した本気なくてはならない!
いざ、決起せよ!
若い躍動的な運動は行動から生まれる。
行動なくんば変化へ絶対に求められない!
三島に対する鎮魂は、義挙を称える「話合い」ではなく、
憂国の至情に駆られた若き行動の中にしか、求められないことをいま、はっきりと認識しなければならない!
市ヶ谷の事件は各方面に多大な影響を与えた。
まず、海外における新聞、テレビでは日本の軍国主義復活などと紙面を躍らせた。
また、国内の右翼団体は「三島の行動こそが右翼活動の進む道である」と刺激された。
当の自衛隊は、
今日まで三島が希望した決起は起こらなかったが、
憲法の解釈を拡大しPKO活動で、海外へ自衛隊が進出するまでになっている。
三島由紀夫は純粋に日本を愛し決起をしたのだが、そこに至るまでの本当の過程は明らかにされていない。
三島由紀夫が自殺した、自衛隊市ヶ谷駐屯地・・・
ところで、ここで三島由紀夫の霊が見えるという噂もある。
ところで、三島がよく通ったという新宿のバー「どん底」でも、三島の霊が見えるという。
ところで、三島が本を出していた出版社のビルでも、三島の霊が見かけられたという。
・・・おいおい、三島の霊も大忙しである。
死んでなお、エネルギッシュな三島。
らしい、といえば、らしい。
「日本はみせかけの安定の下に、一日一日、魂のとりかえしのつかぬ癌症状をあらわしているのに、
手をこまねいていなければならなかった。…このやむかたない痛憤を、少数者の行動を持って代表しようとしたとき…」
この手紙の中には、もはや文学者三島の面影はない。ただ日本というものの文化、価値を何とかしなければ、
という痛切なる思いが切々と伝わってくるだけである。
あの時、確か「タイム」誌は表紙に三島由起夫を使って「最後の侍」「切腹(ハラキリ)」と報道した。
当時三島は世界的な作家として、ノーベル賞の候補に上るなどしており、
その「ハラキリ」という特異な死は、世界中に衝撃を与えたのであった。
>>171 それにしても何故、彼はこんなことをしたのであろう。
戦後民主主義が完全に機能し始めた1970年という時期を選んで…。
ふやけた日本の精神風土が我慢ならず、切腹という衝撃的な方法で、日本と日本人を目覚めさせようとしたのであろうか…。
あの時、確か遺書か何かで、「いつが私が云っていることの正当性が証明されるだろう」と語ったのが、今更のように思い出される。
あらためて先の三島の手紙にある「魂のとりかえしのつかぬ癌症状」という言葉を思い起こして見る。
すると何故か、三島の予言が当たったな、という思いが強くなるばかりだ。
『アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは白明である。
あと二年の内に自主性を回復せねば、
自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであろう・・・
・・・今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる・・・
・・・もしおれば今からでも共に起ち共に死のう』
私はこの事件をテレビの画面を通してリアルタイムで見ていました。そして、
素人にやすやすと侵入された自衛隊の体制に大いに疑問と不安を抱いたものです。
大阪万博・よど号ハイジャック事件・など、この年は、
日本が「戦後」の呪縛から解かれて新しい時代に入った転換の年であったように思います。
国を憂う人たちは多かったでしょうが、
三島らは急ぎすぎたのでしょうか。
私は三島の行動を狂気とは思いませんが、
軍隊を動かして物事を変えようとする方法論には疑問があります。
三島は作家という立場上、軍ではなく民を動かす力を持っていたのに、
なぜその方法を放棄したのか、残念でなりません。
三島は、今回の自衛隊派遣になんて言うかな?
昭和41年には二二六事件に取材した『英霊の声』を世に問い、同じ頃、
昭和40年から『豊饒の海』を連載開始、この最終完結原稿は自衛隊突入の日、
昭和45年11月25日当日に新潮社に渡されました。
豊饒の海は、輪廻転生のコンセプトが下地にはなっているが、私個人の感想としては、
三島先生は輪廻転生という考え方を否定されているのではと思えてならない。
三島先生のご冥福を心よりお祈り申し上げたい。
三島由紀夫というと純文学が主流ですが、通俗的小説もおもしろいです。
軽く読めて、小説の後半になってくると人間心理を上手に描き出しています。
<命売ります>は、最後の3ページがいいです。
三島由紀夫の全集にはときどき、このような小説があります。
驚くべきは女性誌に載せていたものもあり、
題名はわすれましたがかなりおもしろかったのを覚えています。
「英霊の聲」を読むと、三島は幽霊談を書かせても一流だということがよくわかる。
「英霊の聲」は三島の気質・思想・文体が破綻なくまとまった、好短編だと思う。
上田秋成の怪談と比べてみよ、といったら褒めすぎかもしれないが。
黒澤明の『夢』でも英霊がトンネルに出てくる話があるが、こっちはあまり怖くない。
表現分野は異なるが、両巨匠のお化けくらべも一興。
武士道とは死ぬ事と見つけたり
佐賀・鍋島藩士、山本常朝「葉隠」のなかの有名な言葉である。
が、この言葉はかなり間違った理解をされている。
「武士道といふは死ぬ事と見付けたり。
二つ二つの場にて早く死ぬほうに片付くばかりなり」
武士道の本質は死ぬことだ。
つまり生きるか、死ぬかという二つを選択するかといえば
早く死ぬ方を選ぶと言うことにすぎない。
と言うような意味である。
この「葉隠れ」に魅了された三島由紀夫が「葉隠入門」を書いたのは昭和42年のことである。
そして、この本を読むと「葉隠」が三島の精神の中で大きな地位を占めていたかが分かる。
先ほどの言葉の続きを書けば、
二者択一を迫られたときに絶対に正しい方を選ぶことは難しい。
人は誰でも、死ぬよりは生きる方がよいと言うに決まっている。
となれば、多かれ少なかれ生きる方に理屈が多くつくことになる。
死を選んでさえいれば、事を仕損じて死んでも犬死、気ちがいだとそしられようと、恥にはならない。これが武士道の精神である。
「薩長土肥」といえば明治維新の中心になった四藩。
「葉隠」は四藩の中で「肥前」に伝わる武士道のバイブルだった。
「葉隠」は一見、古臭いことが書かれてあるようだ。しかし、あの幕末の混乱期に、
肥前は一藩で「英仏に劣るとも和蘭に近し」とまで言われる洋式軍制を実現した。
分析すれば「葉隠」の武士道が、意外にも、佐賀藩に合理的な判断を導き、
一藩を団結させ、当時としては最善といっていい方向に佐賀藩を歩ましめたといえる。
「死ぬ事と見つけたり」の一句ばかりが一人歩きしていて、
「葉隠」の潜在させる力に現代日本が気が付いていないのは大きな損失ではないだろうか。
>>180 >葉隠
「佐賀の乱」は葉隠の受難ともいえる。
江藤新平が処刑されたとき、葉隠の武士道までも処刑された。
江藤の辞世の句
「ますらをの 涙を袖にしぼりつつ まよふ心はただ君のため」
182 :
右や左の名無し様:04/01/20 19:35 ID:lfo22zyU
会津の死体埋葬さえ禁じ、人間の内臓をえぐりだし、生肝を食った西国武士の奴らに武士道などない。
佐賀藩出身の副島種臣はこう言っている。
佐賀に葉隠という書があって、皆そればかり聞かれて続けていた。
「葉隠れ武士」と云える独特の学風が存在するのである。
1)君に忠 2)親に孝 3)慈悲心を起し人の為になること
4)武士道において後れをとらないこと(死ぬことと見つけたり、の部分)
これが葉隠れ武士の四誓願というもので、教義は至って穏か(!)である。
要は佐賀藩主を君として忠義を尽くせと言うだけのことである。
(佐賀において君とは佐賀藩主公に他ならず、孝と慈悲心は他人が推し量る
ことができない)
しかしこの学派が佐賀に広まった結果、どうも佐賀人の為になったとは
いえないのである。
「葉隠れ主義」の学派は
「釈迦も孔子も楠正成も信玄もいらない、ただ御家のために命を捨てればよい」
ということになり、そうしてその「葉隠れ武士」が毎日念ずる信心条目の中には
「武士は毎朝毎朝もう死ぬもう死ぬ今朝死ぬと覚悟すべし」という箇条まである。
これは武断の忠義としてはよいものだが、大局において役立たないものである。
「葉隠れ武士」の結果は、佐賀藩のみの安危を重んずることにあって、
維新において日本全体の利益を考える役には立たなかった。
維新の際、佐賀藩の挙動が疑われたのは、これが原因であると私は考える。
185 :
右や左の名無し様:04/01/22 20:23 ID:pIZTS6wn
しかし、葉隠の思想も仏教の影響化に成立していることは否定できません。
一遍は言う。人間は、出る息、吸う息の一刻一刻に、いわば死んでいくのである。
刹那刹那の一瞬一瞬のいまを臨終と心得て念仏をとなえよ。時々刻々が死に臨んでいるいまだから、と言い切る。
それは理屈としてはあっても、現実的な行為として凡人にはとてもむつかしい、むしろ、不可能といっていい、と私はかつて思っていた。
だが、戦争中、思いがけない光景を目撃した。
おもちゃのような軽便鉄道に、ある朝、突然、グラマン艦載戦闘機が三機おそいかかった。
敵機は、機銃掃射で、列車を縦に何回も何回もくり返し銃撃を加えていく。
まず、機関車がやられ、運転手の頭がざくろのように割れて列車が哀しげに汽笛を鳴らしながら止る。
何の反撃もできないで、田んぼの中に止った列車を機銃は撃ちまくる。
私たちは我がちに列車からとびおりて、線路のわきの側溝にとびこんで首をちぢめて伏せている。
そんな時間がいつまで続くのかと思われたとき、突然、地の底から湧いたように、謡曲の「敦盛」を朗々と吟じる声がひびいてきたのである。
皆が息をころして、ただ虫のすだく声と機銃のはじける音の空間に、その声は波のようにひろがっていった。
みると、一人の工員風の若い男が立ちあがり、曲を吟じながら二本の線路の上を歩きはじめていた。
私はその時、思わず、あ、危ないと当然思った。
しかし背を見せて、二本の線路の上をゆっくりと目指す方向へ歩いてゆく男の後姿が、なんと自由と誇りにみちているかを、溝のなかにはいつくばって驚嘆しながら眺めていた、あの光景を忘れることができない。
私はその時、思った。道元の引く「百尺竿頭、すべからく歩を進むべし、十方世界、是れ全身」という言葉である。
「ただ、思ひ切りて身心ともに放下すべきなり」の言葉はじつに重い。
思い切って、理屈を捨てるとき、行動の論理ともいうべき、次元の高い世界へはじめて踏み入る、と道元はすすめる。
そのとき、もし、なお生きていたならば、何が見えてくるのだろう。
落下する自分はいつしか透明になって宇宙いっぱいに拡がっていく。
自分は失われていくが、しかし、全宇宙と一体化し、永遠の相の下に限りない自由と充実にみたされる。
それを、「十方世界、是れ全身」というのである。
>>184 >釈迦も孔子も楠正成も信玄もいらない
驀然(まくねん)として打発(たはつ)せば、
天を驚かし地を動じて、
関(かん)将軍の大刀を奪い得て手に入るるが如く、
仏に逢(あ)うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、
生死岸頭(しょうじがんとう)に於て大自在を得、
六道四生の中に向かって遊戯三昧(ゆげさんまい)ならん。
『無門関』第一則にある有名な言葉です。
「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し」を説く趙州和尚は、
「仏教徒をやめろ」「仏教の敵になれ」といっているのではありません。
仏道を成ずるために「仏を殺し」「祖を殺し」と説くのです。
葉隠の、釈迦や孔子も云々というのは、
佐賀藩士が武士道を成し遂げる上で理屈に縛られるようなことがあってはならない、
という姿勢を示しているように思えます。
>>186 >仏に逢うては仏を殺し
>祖に逢うては祖を殺し
「祖」を祖師の事として宗門の先達を指しているような読み方が多いようだが、
自分は「祖」は「先祖」のことで、
先祖への祭祀を「礼」の根本に置く儒家の教えが最大の価値であった世俗のしがらみが、
仏道修行の妨げになることを警告している語のように読めると思う。
つまり、経典の文字に囚われ、老荘思想を肯定的に用いて説明しようとする格義仏教と、
先祖崇拝や君臣の義とか長幼の列に縛られる儒教への批判的な禅語ではなかったかと思ったりしてる。
葉隠に、
「釈迦も孔子も楠木も信玄も、
ついに龍造寺、鍋島に披官懸けられ候儀これなく候へば、
当家の家風に叶ひ申さざる事に候」と、あるのも、
時代の違い、土地の違いもあるのだし、
文字・口碑を通しての古人の「断片」に縛られて、
現実が見えなくなってしまわぬようにとの忠告ではないだろうか?
釈迦も孔子も紀元前の遠い異国の人、
楠正成も武田信玄も神格化された偶像、
・・・実際の人物に真に近づきたいなら、
自分の心が作り上げた釈迦像や信玄像といった先入観を破壊することからはじめねばならないと思う。
>>183と
>>184は副島種臣の言葉。
彼は「葉隠」の内容は穏当だとしている。
一方、読者の代表とされる「葉隠れ武士」の多くは、死ぬ死ぬと騒ぐだけの見かけ倒しの忠義面で、
合理的判断や洞察力といった資質に優れてはいなかった、と自分が見たままに報告している。
なお
>>185のエピソードで思い出したのだけど、
たとえば大戦中の連合軍にも同じような話しがあって、
ピンチになるとアメリカ兵は我先に防空壕に飛び込み、指揮官は軽妙に飛び込む、
イギリス軍の指揮官は歩きながら防空壕に入る、なぜなら紳士はけっして走らないものだから、
というのがある。
日本で言われる「平常心」と一脈通じるものがある、かな。
大隈重信は、葉隠が佐賀藩士に教育されていたのにもかかわらず、
現実の佐賀藩では歪められて受け取られてしまっていたのを反省し、
維新後に早稲田大学を創立したそうですね。
(山本常朝から離れてしまっていた)「葉隠主義」が、
むしろ反面教師となったようです。
>>187 >楠木も信玄も
楠正成は太平記のヒーローで朝廷(公家)への忠を表す偶像となっており、
武田信玄は軍学の権威として武家の偶像となっていたといえる。
佐賀藩の軍学は北条流といって北条氏に伝わる軍学とされてはいるが、
この流派の大成者の北条氏長は甲州流軍学の小幡勘兵衛に学んだ人物。
甲州流はその名が示すように信玄を神格化してるから、間接的ではあるが、
佐賀でも、軍学の最高権威としての信玄の地位は揺ぎ無いものとなっていた。
それで山本常朝も彼らの名前を釈迦や孔子に続けたと思われるが、
幕末までに山本常朝本人も立派な偶像となってしまっていたようだ。
武士といえども藩の組織人であり、彼らに説かれた処世訓は今の企業人にそのままあてはまるものが多い。
トップの決断の仕方、上司や部下をうまく操る方法、立身出世の条件、リストラの仕方、仕事の優先順位の決め方などは大いに参考になるはずだ。
また三島による「準備と決断」や「精神集中」などのエッセンスは、このノウハウが小手先から出たものではなく、並々ならぬ覚悟から生まれていることを教えてくれる。
ほかに恋愛論や子どもの教育論などもあり、生活全般におけるユニークな視点を見つけることができる。
三島は『葉隠』を、死を覚悟することで生の力が得られる逆説的な哲学としてとらえている。
「死という劇薬」が生に自由や情熱、行動をもたらすとし、それらが失われている現代の生に疑問を投げかけている。
葉隠入門が書かれたのは三島が自決する3年前の昭和42年。三島を「行動」に駆り立てた思想の一端に触れることができるだろう。
>武士といえども藩の組織人であり、彼らに説かれた処世訓は今の企業人にそのままあてはまるものが多い。
ばかはどうしようもない
おぬしの行っている武士は 江戸時代後半の去勢武士のこと
後進藩の下級武士はちがうぜよ
江戸でも 多摩の百姓らはちがうぜよ
三島ごとき運動神経ゼロの馬鹿は武士と違うぜよ
本に武士というのは、人きり藩次郎、イゾウ、イサミ、トシらぜよ
194 :
↑?:04/01/26 20:27 ID:???
水戸出身の芹沢鴨が「ぜよ」などと土佐弁を使ってたりするわけだが
常朝の「葉隠」は陰鬱な書では決してない。それとは反対に、非常に明るい本と言える。
あくびを止める方法だとか、人にアドバイスするタイミングや方法など人生を楽しく生きる方法を書いているとすら感じられるくだりも多い。
三島が葉隠れをどのように受け取ったかは、私には想像できないが、三島の解説は面白い。
読み易いし、訳も屈託がなく気持ちが良い。
インテリや男女についてなど、非常に痛快なところも多く、繰り返し読める。
山本常朝の葉隠れはどうやら曹洞宗の系譜からの影響もあるようで、
仏教的なロジックとも重なっているところが面白いのですが、
ただ問題なのは、報復を肯定しているところで、赤穂浪士についても、
「時期が遅すぎる、その間に吉良が死んだらどうする」などと書いていましたが、
その辺はさすがについていけませんでした。
やはり名誉を第一に重んずるが故の弊害だと思います。
生きるほうと死ぬほうで選択を迫られたら死ぬほうを選べというのはなかなか感慨深いもので、
例えば「食いたい、でもここで食ったらダイエットに失敗する」といった局面でも、
「食欲に死ぬほうを選ぶなり、別に仔細なし、胸すわって進むなり」(藁
などなど生死に関わらない局面でも相当応用できます。
>>194 芹沢鴨はズウズウ弁がいやでね。 坂本のような体制をこえたのがすきなんだよ
三島先生の葉隠入門を読むまで、
武士道といふは死ぬ事と見つけたりと言う一説しか知らず、
思想的に非常に偏った本ではないかと言う偏見を持っていた。
三島先生の葉隠入門を読み、
葉隠聞書の中で触れられている前日から翌日の予定を立てる、
部下によく声をかけるなど現在でも有用な教訓が述べられていると言う事がわかった。
しかし、三島先生がおっしゃるように逆説的な本であり、
葉隠が静かに語っている時にはその奥に激しく燃えるものがあるように思う。
「若きサムライのために」は、
“若者よ、高貴なる野蛮人たれ!”と叫ぶ。
平和ボケと現状否定を厳しく排し、日本を問い、文化を問い、生き方を問う、毒と先見に満ちた煽動書だという。
男の生活と肉体は、危機に向って絶えず振りしぼられた弓のように緊張していなければならない―。
平和ボケと現状肯定に寝そべる世相を蔑し、ニセ文化人の「お茶漬ナショナリズム」を罵り、
死を賭す覚悟なき学生運動に揺れる学園を「動物園」と皮肉る、挑発と警世の書。
死の一年前に刊行された、次代への遺言。
男というものはさしせまった状況になくても、危機に備えて常に引き絞った弓のようでなければならないという。
泰平無事が続くと非常時に男がどうあるべきかということが忘れらがちである。
最終的には「勇者」は生か死かの決断においてきめられると三島は言う。
勇者が勇者であることを証明する機会がない時代において三島は自ら死を選ぶことにより、
自身が勇者であること、そして日本人に勇者の心というものを伝えたかったのかもしれない。
三島の時代においては、外国人の目に日本人は「他のアジアの国に比べると戦士のように見え」たという。
今はどうなのだろう。日本に戦士は一人もいなくなってしまったのではないだろうか。
礼については、男の威厳を普段から保つ必要があり、その上で初めて人間性が時折垣間見れることにより、
相手の信用を博し仕事も成功をおさめると三島は説く。
作法とは鎧であり、男を美しく飾るものであるという言葉に「礼」の本質を見る気がする。
約束とは契約社会の近代精神を本質とするものではなく、それは信義の中にこそあるという。
だから約束を守らないというのは相手を軽んじるというより、なによりも自分の信義を傷つけるものであるのだ。
最後に、三島は自衛隊ついて独自の考えを披露している。
これは憲法改正を要としない。
この考えは今でも通用するのではないだろうか。それにしても、半世紀経ってもこの問題が解決していないことは異常である。
長い年月を経たが、日本は今こそ変わるべきだと思う。
200げとー
,,.、 _、、
/ };;゙ l ))
. ,i' / /
;;゙ ノ /
,r' `ヽ、 三
,i" ゙; 三
!. ・ ・ ,!''"´´';;⌒ヾ, (⌒;;
(⌒;; x ,::'' |⌒l゙ 三 (⌒ ;;
`´"''ー-(⌒;;"゙__、、、ノヽ,ノ
201 :
右や左の名無し様:04/01/29 23:44 ID:DqS4BOG6
どうぞ、みなさんの大好きなうんこです。もひとつどうぞ。
/ ̄ ̄ ̄ ̄) * ( ̄ ̄ ̄ ̄)
| ─< |\ >─ (
| ) / (|ミ;\ ( )
ヽ  ̄ ̄) /(___人|,iミ'=;\ (  ̄ ̄ )
/" ̄ ̄ ̄ ̄ / 《v厂リiy\  ̄ ̄ ̄ ̄\
/ / ゙|,/'' v:,,、.¨)z,_ \
/ / ミ/ .-─ .゙》z、 \
/ / 〔」″ノ‐ 、u ¨\ )
( / ゙|, ..冫 .rー  ̄\_ |
| 〔 ミ./′ ..r-ー __,,ア┐ |
| | {. .,,,, .′ .´′ .¨\|
| | ∨ ノ冖′ =vvvvvv¨\
| / ミ. ,i' .゙\_
| / .{. ノ ,r¬″ .¨\
| / ゙|, | ノ ー''''''''''' .ーミz
| | ミ. .,、 ._,,,、、r ,,,,_____ ゙┐
_/" | .ミ. ./′ ´′  ̄⌒'h..¥
(______)
うんざりしても待ってても、やっぱり出てくるくっさいうんこ。
葉隠は殿様の鉄砲玉を教育するための書。
小説の中では凄く女性的な表現をする三島氏なのに、エッセイではとても男らしい。
繊細でありながらも意思の強い人だということを改めて実感しました。
何十年も前に平成の日本を予想していたかのように現代の日本を皮肉る内容にはただただ脱帽です。
もしあなたが今の日本で疎外されているように感じるなら、
是非、「若きサムライのために」を読んでみて下さい。
必ずあなたの考えは間違っていないと三島氏は保証してくれるでしょう。
彼のような男性がこれからの日本には必要です。
三島由紀夫と言えば、どうしても「自意識」に目覚めた頃に読む『仮面の告白』が強く印象に残る。
若い頃に『仮面の告白』を読み、「世の善は即ち偽善である」なんて厭世観に囚われた人も多いだろう。
『仮面の告白』は確かに傑作で、間違いなく「読むべき本」だと思う。
しかしその「若さの不条理」ともいうべきテーマ(そしてあるいは市ヶ谷での自決事件)が余りに強く印象に残り、
三島の他作品の印象を弱くしてしまうのは悲しむべきことだと思う。
もし若い頃に『仮面の告白』を読み「三島もどうもあの先鋭的な自意識がね」とか「若いうちに読むものだよね」なんて思っている人がいるならば、
ぜひとも『金閣寺』を読んでみると良いだろう。
主人公及び重要な脇役の肉体的欠陥と、「完璧なもの」としての金閣寺。
あるいは「幻想の中で完璧な金閣寺」。
ある意味「幼稚な形而上学」とも取られてしまいそうなモチーフを、三島的美意識で見事に作品化している。
ある意味での「耽美」を感じることのできる作品だ。
ちなみに新潮文庫の『金閣寺』では、186 個の用語注が付されている。
確かに、昭和は遠くなったのかもしれないが、同じく昭和生まれの私個人として、186もの注釈がなければ「同時代」の作品を読めないことを悲しくも思うのだ。
いずれにせよ、初読から20年経つ現在に読んでも、その魅力を再認識させられる好著。
三島作品のいずれかを読んで、まだ本書を読んでない人がいればぜひとも読むことをお勧めする。
ちなみに201くんはこういうことは知ってるかね?
きんかくしの語源は「きぬかくし」。きんかくしは、もともと板とその上についた丸い棒のこと。高貴な人たちは、「きんかくし」を後ろにして用足しした。
決して、男性の小便器の金隠しという意味ではない。
お姫様がトイレに行くと、侍女がついて行って、十二単の裾をまくり上げ「きんかくし」に掛ける。 きんかくしは「きぬかけ」と言う言葉が変わった物だ。
いつ頃からきんかくしという呼び名に変わったのか、とにかく、江戸時代末期までこの形が残っていた。きんとはつまり、金ではなく衣の意味だ。
201くんのような人が「へ〜」いってくれそうな話では、自分が書けることはこんなことぐらいだ。
「金閣寺」は三島の作品の中でも、最高傑作。
吃音のせいで自閉的な主人公の抱える、屈折した願望・欲望、痛いくらいに切ない物語。
何度読んでも、そのたびに胸が苦しくなる。
そしてまた読みたくなる。
私にとって麻薬のような本です。
絶対に読んでほしい一冊!
207 :
右や左の名無し様:04/02/01 16:56 ID:QYiH6BFa
金閣寺は、三島の作品の中では、最も綿密な構成と独特の美意識が堪能できる作品だと思います。
始めてみた金閣寺を不調和なものと感じ、美として認識していなかったのにもかかわらず、
徐々に金閣寺にとらわれていく様と、自分の醜さと金閣寺の美しさとの間。その辺りの心理描写と、
ところどころに出てくる主人公の中にある金閣寺の幻影が多くのエピソードの中で効果的に描かれている。
日本海に突き出た東北のうら寂しい辺鄙な寺で、
住職である父から『金閣ほど美しいものは地上にない』と聞かされながら育った主人公は、
その音韻も相俟って、心の中で『この世のものでないほどの美しさ』というイメージで金閣が熟成され、
ついに現実をはるかに越えた途方もないものとして描き出すに至った金閣をその孤独な心に宿すことになります。
憧れつづけた金閣に出会い、
鹿苑寺の修行僧として金閣と一緒に暮らすことになった主人公は、
ことあるごとに現れては人生を拒む金閣に悩み苦しむ。
美の永遠の存在としての金閣を心に宿している主人公にとって、
狂気ともいえる金閣の美の幻影の呪縛から逃れられない限り、
窮極的に金閣を乗り越えない限り、彼は本当の意味でこの現世で『生きる』ことは不可だったのでしょう。
そしてついに彼は『金閣を燃やさねばならぬ』という想念に取り憑かれます。
主人公が金閣なら、決してお互いに相容れることのない尺八の音、
"御所車”である柏木は『世界を変えるのは認識だけだ』と彼に言い放ちます。
この鏡湖池に拡がる波紋のような暗黒星柏木に対して、
すでに破滅への階段に足をかけている主人公溝口は、
告白すれすれの危険を冒して『世界を変貌させるのは行為』それしかないのだと敢然と言い返します。
そして『美は僕にとって怨敵なんだ』と・・・。
小林秀雄はこの金閣寺を読み終えた後、
三島由紀夫との対談で『三島由紀夫の才能には驚くが、しかし「金閣寺」は小説ではない』と言っていますが、
実際の事件を題材に、ここまで完璧な『寓話』に仕立て上げた三島の才能には驚かされます。やっぱりすごい!
このまぎれもない傑作「金閣寺」をぜひ貴方自身の目で。
寺の息子が幼い頃からあこがれ続けた金閣寺に
出稼ぎ坊主をするっていう話です。
物語は主人公の金閣寺に対する思い入れとともに展開していきます。
内向的な葛藤を感じました。青い春。
「美」とはについての非常に内省的な物語。
昭和25年、一人の学僧が金閣寺に放火・全焼。
その事件の犯人である学僧を主人公に、悲劇的なもの、残酷なもの、それらを覆い尽くす美について豊穣な表現力で描ききった作品。
「人の苦悶と血と断末魔のうめきを見る事は、人間を謙虚にし、人の心を繊細に、明るく、和やかにするんだのに。
俺たちが残虐になったり、殺伐になったりするのは、決してそんなときではない。
俺たちが突如として残虐になるのは、例えばこんなうららかな春の午後、よく刈り込まれた芝生の上に、木漏れ日の戯れているのをぼんやり眺めているときのような、そういう瞬間だと思わないかね」
この一節はなんと示唆深い事だろう。
現代において多発する理由なき殺人事件の動機を見事に描写している。
三島由紀夫が描いた未来を、僕たちは歩んでいる。
残虐性は無感覚から発露する。
三島由紀夫が現代を生きていたら、どう描くのだろうか。
金閣寺の徒弟である溝口は、戦争で永遠の美である金閣とともに滅びる(燃える)ことを夢みている。
しかし終戦まで金閣は燃えず、彼の夢は不可能となる。
絶対化された金閣の幻影は、戦後に溝口が生きていく妨げにもなる。
そこで彼は、美を独占するために金閣に火を放つのであった。
溝口には金閣寺と同じように自分の半生を支配している初恋の女性・有為子という存在があった。
少年の頃、有為子に話しかけようとするが言葉にならず、罵倒され、冷たく拒否され、以来溝口はひたすら有為子の死を願うようになる。
が、やがて彼女は脱走兵をかくまい射殺されてしまう。
彼女の美しい肉体は喪失したが、有為子は溝口の心の中に生きつづけているのだった。
溝口は鶴川という友人を得、老師のはからいで二人は大学に進学した。
そして彼は大学で、美青年・柏木を知った。心の底に暗い悪を秘めているような柏木に惹かれていく溝口は、彼の手びきで、次々と女と接し犯す機会を与えられた。
しかし、その度に突如現われる金閣寺の幻に上ってセックスはさまたげられる。
彼は人生をはばみ、自分を無力にしている金閣寺を憎悪するようになっていった。
柏木は金閣寺の永遠の美を批判し、溝口を背徳に誘う。
その背徳は老師との間にも垣根を作ることになり、ついに老師も彼に背を向けた。
寺のあと継ぎになることで現世的に金閣寺を支配するという望みも失なわれ、鶴川の突然の死も彼には激しいショックだった。
全てに裏切られ、背を向けられた溝口に残されたものはただ一つ、非現世的な美との対決―金閣寺を焼かねばならぬ―ということだけだった。
金閣寺に終末を与える決断が自分の手に握られている、と思った時、溝口は初めて自由になった。マッチをする。
燃えあがる炎、床をはう火、壁をよじのぼる火、猛火となって金閣寺をつつむ。
中空を舞う火の粉、その中を金色の鳳凰がゆらぎ、消えていった・・・。
ありがとうございます
「金閣寺」という題名からも察せられるとおりの仏教的な作品ですな。
「有為子」という名前にはわざとらしさの嫌いを感じてしまいますが。
216 :
右や左の名無し様:04/02/07 00:31 ID:mDtJdLbk
三島由紀夫という人物の正体は『仮面の告白』でさらけだされている。
彼は、いわゆるもやしっ子で、しかも女々しい奴だった。
そしてそのことに、強烈なコンプレックスを感じていた。
そして、彼は、同性愛者だった。
そういう彼が、自分の理想とする「男性像」を、自分の作品と、
自分自身を役者として、演出したというのが、彼の人生。
下手なのに格闘技をやったり、骨格自体が貧相なのに
ボディビルで筋肉をつけたり、女に興味ないのに結婚したり。
コンプレックスを克服する、という話はありきたりだが、
彼の場合、それが何もかも自分の演出の為だったというのが特徴。
そして、派手な終結を迎える。
実を言うと、私は長いあいだ三島の熱心な読者ではありませんでした。
極端な肉の饗宴が吐き気を催させるように、
絢爛豪華な三島の文体に私が拒否反応を示したためだったのです。
そのくせ三島由紀夫の人生や行動にはひどく興味をもっていて、
エッセーを読んだり三島の年譜を丁寧に追ったりして、
あまり作品を読まないくせに三島の人生にだけは暁達していきましたが、
やはりどうしても思想や行動に解らない部分が多かったのです(必然への絶対の信仰など)。
そんななんとなく悶々としていた時期に、
「仮面の告白」を読んだ時の衝撃たるや、
今まで自分自身謎でしかなかったそれらの疑念が、
おぼろげながらもみるみる氷解していくのを感じて、
(もっと早く読めばよかったと)読みながら茫然としたのを覚えています。
それからは三島への理解度もさらに増していきました。
これから三島由紀夫の作品を読まれる方は、
最適の入門書であるこの作品をなるべく最初に読まれるといいですね。
なお、復刊された澁澤龍彦責任編集のEroticismと残酷の綜合研究誌『血と薔薇』創刊号、
冒頭の特集『男の死』の中で、この仮面の告白にも再三出てくる『聖セバスチャンの死』を、
なんと三島由紀夫自らが演じているフォト(撮影=篠山紀信)が掲載されています。
(私は見た瞬間、思わず嬉しくなって笑ってしまいました)
ぜひ、機会があれば御覧になって下さい。
218 :
防人より:04/02/07 21:53 ID:I+ZroW24
当時の楯の会々員たる学生達の純粋性に感涙を覚えて止みません。今日に至
るまでそれぞれが様々な人生を歩みながら今以て三島隊長と森田学生長の精神
を黙々と継承しています。
乱暴狼藉の限りを尽くしながら早々と一般大衆に同化し、若気の至りだった
と自分達の革命ごっこを青春回顧してノスタルジーに浸っているかっての全共
闘の人達とはその精神において違います。マルクスレーニン主義をいっときの
熱病と苦笑いしながら全共闘上がりのマスコミ、教育関係者が日本の中枢を締
めてしまったために今日の享楽社会が生まれ、国はかくも腐敗堕落してしまっ
た。こうして年月が経って色褪せてしまった左翼思想と対極にあるのが三島思
想です。今一度三島由紀夫の思想、未来への警鐘を読んでみて下さい。
あまりにも衝撃的なその先見性と洞察力(今日の日本の有様、イラク派遣を
巡る自衛隊の存立基盤の矛盾)三島隊長の絶叫に背筋が寒くなります。
30数年前、その思想と人間性に触れ、人格を陶冶した楯の会々会員達の思
想、信念、心情は、それ故に今以て色褪せることなく、いよいよ確信を以て三
島、森田両烈士の命令を遵守し、御霊に瞑目しているのではないでしょうか。
国家公安、治安維持に携わる者として、その思想に暴力是認思想がある以上
相容れてはならない楯の会ではありますが、小生は人間として、日本人として
そして男として、現代の武士たる防人として、楯の会を評価します
三島由紀夫が『仮面の告白』で言っている。
「人の目に私の演技と映るものが私にとっては本質に還ろうという欲求の表れであり、
人の目に自然な私と映るものこそ私の演技である」。
さあ彼の言説についてもう一度考えよう。
ボランティアで毎朝駅前でゴミを拾う人が居るとしよう。
三島であれば、次の二者択一について考えただろう。
「彼が人にいい人と見られたくてやっているのか(演技)、街を綺麗にしたくてやっているのか(本質)」。
では「いい人と見られたくてやっている(演技)」が答えであったとする。
しかしながら、
「こういう感心な人もいるんだなあ。私も協力しなくては」と思ってくれる人を増やす事(本質)が彼の(演技)の本当の目的であったとすれば、
ゴミ拾いによりいい人とみられようとする事(演技)は(本質)となる。
三島はこの反転に気付き満足だった。しかし三島はもう1つ考えるべきだったのだ。
彼が「(本質)につながる行為をしている事を見てもらいたい」と思ってそれら全体をしているとすれば(演技)となる―のだと。
彼は逆転が一回可能である事には気付いたが、複数回に可能である事には気付かなかった。
だから割腹自殺(本質)に満足だったのである。大事な事は「(演技)・(本質)無限ループ」=「自意識」と距離を置く事だったのだ。
220 :
右や左の名無し様:04/02/09 09:55 ID:noUmVzlG
なるほど、うまいこと言うね。
三島は演出家であり、役者であった。
でも、それを見た人達が、それを契機に、
言動や行動を変えてくれればいいというわけだ。
たとえ、三島本人が、それとは正反対の人間であったとしても。
それにしても、死ぬまで異常に男らしさ・女らしさに執着していたのは、
女の子以上に女の子らしく育てられた少年時代のコンプレックスが
それだけ強烈だったんだろうね。なんか、かわいそうな人だ。
ところで『仮面の告白』って、第3章以降は、原稿用紙を埋めるために
書いた文章のように思えてならない。
文体が急に平坦に、平凡になってしまう。
「『仮面の告白』は後半が雑だ」という評価は確かに当たっているようで、
これは前半が面白い。
レイモンラディケの影響か、導入部分は様々なエピソードの断片の羅列で、
一行でも読み落とすとわけがわからなくなってしまう程内容が凝縮、分裂している。
細部までよく読みこんでみると、例えば、血の欠乏が、若者の血を欲求していたなどという。
強引な論理展開が見られ、作者自身、本当にそう感じたのかと疑われる節が随所にある。
そういった表現(言葉遊び)が作者の文章にかかってしまうと真実に見えてしまう。
この作者は煮えたぎるようなテーマ性が先にあって、それを正確に文章に投影させるようなタイプではなく、
形式やコンセプト、構造体が先にあって、
それに見合ったテーマが後から組み込まれるといった印象がある。
「仮面の告白」は、苦しい小説である。
三島由起夫氏自身、この作品を名作とは、呼びたくないであろう。
私小説を書いた悔恨からももちろんだが、この小説の未完成さを、三島氏、自身痛感しているように感じる。
行間からは、若き二十四歳の三島氏の苦悩する姿が見えてくる。
三島氏はどうにか分裂していく、小説を纏め上げようとして書いている。
「仮面の告白」が、不完全な小説であることは否めない。
三島氏は、この小説で主人公である「私」に男色であるという告白をさせているのだが、嘘を語るように不自然で、技巧的な匂いが拭い切れていないのである。
男色の証明を子供時代にもどって行う前半と、園子と初恋をする後半は、明らかに二分してしまっている。
作り物の技巧を、小説世界の自然に見せるまでに至ってはいないのである。
三島氏の言葉を借りると「どんな人間にもおのおののドラマがあり、人に言えぬ秘密があり、それぞれの特殊事情があると、大人は考えるが、
青年は自分の特殊事情を唯一例のように考える。」
私小説とは、その特殊事情を強引に、小説化することによって生まれる。
この「仮面の告白」も、それにもれない私小説であることは、三島氏、自身語っている。
223 :
右や左の名無し様:04/02/11 01:39 ID:caQqnUYh
>この小説で主人公である「私」に男色であるという告白をさせているのだが、
>嘘を語るように不自然で、技巧的な匂いが拭い切れていないのである。
そりゃ、男性同性愛者でなければ、男色というものが「嘘」の存在に
思えるからだろう。だから、異性愛者は、男性同性愛者から
カミングアウトされると、「え、嘘でしょう?」と呆然とするのである。
三島にとっては、興味のない女との恋愛をもっともらしく書くことこそ
「嘘を語る」ことであり、「技巧」の産物なのであった。
男の肉体に欲情するくだりの表現は、男性同性愛者ならすんなり納得できる。
「仮面の告白」は、ある男性同性愛者が、少年時代の性欲を回想し、
そして、大人になって、異性愛者を偽装する(=仮面)を
描いた小説なのである。そう言う意味で、苦しい小説だ。
三島由紀夫がこの世に生を受けたのは、大正14年のことである。
即ち、三島は昭和という年号とともに歩みだしたのである。
(このことは、三島の自慢の種であったらしく、しばしばエッセイやインタビューへの応答でも自慢気に述べられている。)
幼年時代、三島に最も影響を与えたのは、祖母の夏子だったであろう。
彼女は、三島に自分の床の傍らにいることを義務づけ、一歩も外に出ることを許さなかった。
このことは、三島が12になるまで続き、後々三島が負い目に感じこととなる弱小な肉体を作るのに大いに役に立ったと言えよう。
中等科に上がった三島は、一つの作品を著した。
『酸模』である。脱獄囚と少年の愛を描いたその作品が、正しく後世の三島文学の形をなしているから驚きである。
その後も、『座禅物語』、『彩色硝子』など、この中学時代に、類い稀な才能を見せつけるような作品を多く著しており、この頃から三島文学が少しづつ形をなしてきたと思われる。
また、後にこの中学時代を回想して書かれた作品が数本ある。
(例として『仮面の告白』、『詩を書く少年』、『殉教』が挙げられる。)
そこからは、中学時代特有の生に対する興味や、他虐的要素が感じ取られ、
14、5歳ならば、そういった作品から読むと共感できる点も多く、三島にとりつかれる人も少なくない。
高校時代、三島は本を出版することになる。
処女作『花ざかりの森』である。16歳の時三島が著したこの中編小説のテーマは、まさしく「自分記」であろう。
祖母夏子との生活も、この中に詳しく出ている。
しかし、後年の三島は、この作品を自分の唯一の汚点と評し嫌っていた。
その理由は、この作品が小説ではなく「自分記」だったからであろう。
「仮面の告白」は、三島由紀夫の名を文壇で決定的にした作品。
幼年時代から女性に対して、
不能である事を発見した青年が、
否定に呪われたナルシシズムを心根に、
その心理的葛藤を率直に語る。
貧弱な肉体の主人公が、逞しい同級生に対する思慕と、
その劣等感は、同性愛者の誰もが体験した事のある、
甘くせつない片思いの感情ではないだろうか。
226 :
右や左の名無し様:04/02/15 02:24 ID:QS1P6QKB
Amazonの書評のコピペうざい
『仮面の告白』では、
三島由紀夫のエロチシズムが表現され、
戦後日本の文学史に残る名作といわれる。
私もあまりの有名な作家、三島由紀夫の作品であることは知っていたが、
読んでみて当時の日本の状況を考えると、
この作品の前衛性や描こうとしている世界の新鮮さも感じられた。
そういう意味でもこの『仮面の告白』はやはりすごい作品であることは間違いない。
228 :
右や左の名無し様:04/02/16 17:32 ID:68kLTENU
age
「仮面の告白」は、
主人公の性的告白が作品の重要な部分でもあるが、
人間存在の独白的なものを強く感じ、
覚醒されたように自己の内面を語る主人公が印象的だ。
三島由紀夫は、決して開けてはいけない部屋の扉を開けたような、
そんな心情がこの作品にはあるのではないだろうか。
この作品執筆の頃の三島はエリート官僚として大蔵省に勤務したにもかかわらず数年後退社、
その後直後から書かれたものであるが、
三島が作家活動をしていく上での記念碑的作品としても位置付けることができる。
「AERA」2月23日號の三島先生についての記事はなんだ?
頭腦明晰な三島先生が、そんなに簡單にクーデターを起こせる
と夢想するわけがないよ。
「仮面の告白」を正当に評価する有識者もいたが、
その大胆なエロチシズムの表現にとまどう者もいた。
「仮面の告白」は三島由紀夫自身の心情を書いたものであり、
小説の形式を通して表現した自己の青年期の記録でもあるように思う。
232 :
:04/02/18 10:37 ID:???
「仮面の告白」を読んだ当時は大学生でした。
衝撃的な小説だったことを今でも覚えています。
こんな小説を書けるなんて、この作家の思索の深さに驚きました。
自己を深く見つめ続けた者にしか分らないものがあるとこの作品を読んでみて思います。
三島由紀夫は日本の現代文学の中でも、間違い無くその名を残す作家であると思うし、
現に、活躍している日本の作家にも大きな影響を与えています。
三島が開拓した世界を基盤になっているのです。
他の作品もいくつか読みましたが、
三島由紀夫の作品に登場する主人公からは孤独で精神的なコンプレックスを感じます。
生きている、別な言い方では存在することに強い欲求を持っていた三島由紀夫は、
性的コプレックスを解決することに、世界との結合が可能にできると考えていたのではないかと思います。
ただその性的コンプレックスというものも深遠なもので、表面的な性愛の快楽ではないのです。
人間の本質的な部分に関係するものとしか言うことができません。
三島由紀夫の文学作品に魅了される人は、
そうした人間が生まれながらに持つ本質的な部分を作品から感じていると私は思います。
三島由紀夫と聞いてまず連想するのは何でしょう。
たいていの人は腹切り、自衛隊、右翼などを思い浮かべるのではないでしょうか。
欧米人がミシマでハラキリとくるのはまだ同情の余地があるでしょうが、
日本人で偏った誤解を持ってる者があまりに多いようです。
私は三島由紀夫に対するそういう誤解がこの作家を正当に評価することを妨げていると思います。
日本の文化的幼稚さを感じます。
『仮面の告白』は三島の最初の長編小説として発表され、当時の文壇からは注目されました。
川端康成の支持もあって三島は華々しく文壇デビューを飾ることができました。
資料によるとこの小説は普及版の単行本の装丁以外に、限定本があり、金属製の装丁で今見ても大変に斬新で奇抜なデザインです。
最初読んだ時、この小説は気持ちの悪い小説だなと思いました。
その後味の悪さが、三島由紀夫の個性でもあり、彼の魅力でもあるのです。
三島由紀夫を精神異常な人物と罵っている人がいますが、私はそうは思いません。
三島がこの作品『仮面の告白』で表現した世界は、人間の精神的な共有する部分と思えるからです。
うまく言うことはできませんがそう思います。
そして現代の日本の作家に与えた影響は絶大で、多くの作家が三島由紀夫からの恩恵を受けているのです。
『仮面の告白』は三島由紀夫の描写でもあるかも知れませんが、ノンフイクションとフイクションが融合した小説でもあるのです。
エロチシズムがテーマの日本文学の代表作でもあるし、また実に人間的な作品でもある『仮面の告白』。
三島由紀夫は自己の存在証明としてこの作品を書いたと言ってもいいのではないかと思います。
/⌒ヾ⌒ヽ.
/ 丿 ..ヾ
/ 。 人 )
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| ___ | /どうやら ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\ \_/ / < 俺は領域に侵入したらしい!!!!!
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ブ━━━ ノ;;;;;ヽ /;;;;;ヽ ━━ン
/⌒-────メ;;;; ~~ ;;;;;χ─────-⌒\
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( _ ,,ノ____| ;│ ;;|______ゝ、 _ )
メ 〜〜 ;;| 〜 ;;|
ヽ ;| γ
メ____人__/、
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(__)
『仮面の告白』(河出書房、昭24・7)が刊行されると、
荒正人が「図書新聞」(昭24・7・23)で「後半のコンプレックス形式の過程が大変いきいきしているのに反し、
それを生身の女相手にむけていくあたり、筆勢も落ち、平凡な風影に堕している」と評した。
神西清は「人間」(昭24・10)で殉教の聖セバスチャンのくだりを「ひろく世界文学を通じても珍しい男性文学の絶品」と賞賛した。
「創作合評」(「群像」昭24・11)で、
林房雄は「おのれの真実は誰にも判るまいという激しい自惚れ、自己賛美、自己陶酔」に感動し、幼年時代までを優れていると認めた。
中野好夫も「少年期から中学の初級まで」を相当のものと評価した。
北原武夫は「差恥の感情」の欠如を欠点として指摘した。
武田泰淳は「文学界」(昭24・11)でスタンダールの「アルマンス」と「仮面の告白」を対比させ、
「このような古典的完成を以てさし出された堂々たる作品を批判する能力はない」と述べた。
瀬沼茂樹は「日本読書新聞」(昭24・11・30)で、
「仮面の告白」に三島の「凡庸でない才能のひらめき」を認めながらも、
「その題材の不倫性を越えたものを示していない。それは一種の耽美主義であり、
その小説的才能、戯曲的構想力、観念的思惟を、
香具師の口上に浪費しているように思われて仕方がない」と批判した。
花田清輝は「聖セバスチャンの顔」(文芸)昭25・1)で「仮面は、懺悔聴聞償を眼中におき、
おのれの顔をかくすためにとりあげられているのではなく、
逆におのれの顔を明らかにするため」であったと述べ、
批評家の見当違いを攻撃し、
「仮面の告白」を高く評価した。
青野季吉は「現代史としての文学」(「中央公論」昭25・1)で「ユニークな性格の端正とさへいへる美をたたへた」作品であるが、
「真空」「冷血」であると評した。
「芸術新潮」(昭25・2)には心理小説として特色があるとの無署名の批評があった。
新潮文庫『仮面の告白』(昭25・6)の「解説」で福田恆存は三島がこの作品に「自己の芸術家のゐるべき揺ぎなき岩盤を発見し」たと述べ、
「三島由紀夫の書いた作品のうちで最高の位置に位するものであるばかりでなく、
戦後文学としても、のちのちに残る最上の収穫」と激賞した。
野間宏は「三島由紀夫の耽美」(「文学界」昭26・2)で、
三島には「ワイルドの社会がなくゲーテの自然がない」と批判した。
中野武彦は「『仮面の告白』論」(「近代文学」)昭29・1)で、この小説の魅力が「官能の美にあると述べ、
「逆説と警句」に特色を見出したが、
「三島由紀夫は新しい真に生産的な文学の創造者からは遠い存在である」と結んだ。
奥野健男は「三島由紀夫論−偽ナル シシズムの運命」
(「文学界」昭29・3。のち『現代作家論』近代生活社、昭31・10所収)で、
「仮面の告白」は「三島文学の解説書の役割を果たす作品であり、
後続作品との関連から「三島はナルシストを憧れ、
ナルシストぶる、にせナルシストにしか過ぎない」と論じた。
三島は大学在学中から小説を書き始めた。
三島はご存じのとおり根っからのナルシストであったが、病弱でひ弱な体を鍛えるために、
あるいは言い方をかえれば、自分の体さえも自己表現の道具として使う「完璧主義者」として、
ボディビルで体を鍛え、褌一丁ではちまきをし日本刀を構えて日の丸を背負って写真を撮らせた。
三島由紀夫の自分の体へのこだわりは、表現者の性の様なものが感じられて、
その後の盾の会の設立と自衛隊駐屯地での自決と併せて考えると、もの悲しさと滑稽さが入り交じってくる。
三島は、あくまで格好のいいヒーローを目指して体を鍛え、
自分の小説から抜け出したような“青年将校”をあつめて盾の会を結成し、
皇国の威徳を顕揚し皇運の扶翼に任じた。
しかし、そうやって、格好をつけている姿の、はたから見た滑稽さは、
三島の意思と反している光景ではなかったか・・・と思ってしまう。
中学生の頃は、三島由紀夫の文章をノートに書き写してみるほど、強い磁力を感じていました。
高校生になった頃は関心が薄れてしまったのですが、
それでも主な作品はほとんど読んだと思います。
その後、日本を離れていたために、かれの晩年の作品をリアルタイムで読む機会は失われました。
かれの自決を知ったのは、イランの砂漠でした。
バスが止まり、イスラム教徒たちは砂漠へ走っていって礼拝を始めました。
車内に残っていたイギリス人が「ニューズ・ウイーク」を見せてくれました。
バスの外では、人びとが焼けついた砂漠にひれ伏して「アッラーの神」に祈り、
母国では、かつて愛読していた三島由紀夫が「天皇陛下万歳」と叫んで切腹したと知り、
人間とはいやおうなく観念にとりつかれてしまうものだと、その不思議さ、奇怪さに愕然としました。
そのとき見た砂漠の光景は、一つの出発点となりました。
いやおうなく観念にとりつかれてしまう人間の滑稽さと、ある痛ましさを共に感じます。
数年前、三島由紀夫が割腹した市ヶ谷駐屯地の、その部屋を訪ねたことがあります。
かれの首が立てられていたところに、
ぼくはカルカッタの日本領事館で見た新聞写真の、その記憶の首を立てていました。
死者に見つめられている、と感じました。
かれの「文化防衛論」には共感できませんが、
ゼニカネに浮き足立っている現代人を見すえる死者の眼差しに、いまも畏怖の念を抱いています。
三島由紀夫のベストワンを挙げるなら『金閣寺』です。
『仮面の告白』もいいと思いますが、
完成度という意味では、
やはり『金閣寺』でしょう。
その完成度の高さは、アイススケートの満点の演技を見るような陶酔と、
ある種のひっかかりのなさをいまは感じますが。
かれは言葉をつかう、
曲馬団の団長のように、
サーカスの少年のように、
綱渡りの少女のように。
いや、芸術家のように、青年のように・・・。
言葉の技芸を磨きに磨き、どこまでも遠くへ行こうとした一人の作家。
できるだけ伝説をしりぞけて、はじめてのように三島由紀夫を読んでみたい。
三島由紀夫、かれはいったい何者なのか。
244 :
右や左の名無し様:04/03/01 03:28 ID:9b/Ta0vB
いつのまにかぼくは三島由紀夫のことを考えていた。
三十歳くらいからボクシングをはじめ、
やがてボディービルディングに転身し、
四十五歳だかで、
謎のパフォーマンスとともに、
じぶんの腹を割いた、
あのマニエリストのことを。
これ見よがしにゴージャスな文章の裏には、
ただひたすら空虚だけがある、
不可解極まりない内面を持つ不思議な書き手。
いま、目の前に立っている三島由紀夫はガラス細工だった。
剣道五段、居合抜の達人、空手の達人、あるときはレイン
ジャー部隊の習練に身を投じ、あるときはジェット104に
搭乗する三島由紀夫だが、英介がはいている靴で、頭を
たたけば、たちまちこなごなに砕けそうな肉体だった。
英介は、意味もなく、(いま、ここで三島を殴ってしまっ
たら、どうなるかな)と考えた。
三島のことが憎いというのではない。
英介は三島由紀夫を好きだった。
ぼくは、三島のなかでは『葡萄パン』と、『月』というタイトルの、ふたつの短篇が好きだ。
そこには、六十年代初頭の新宿にたむろしていたような、ジャズやSFや睡眠薬やダンスに浮かれていた連中が描かれている。
そして若く、きれいな、ごく普通の男の子たちの仲間に、オブザーバー的にとはいえちょっとだけはじぶんも入れてもらった、三島さんのほんとうにうれしそうな感じがつたわってくるのだった。
例によって美しい言葉で結構を整え造形されたその小説は、かなり彼らのリアリティからはズレてる気はするけれど、そんなことは構いはしない。
彼らを見ているだけでしあわせだ、という三島の感じがいじらしく、しかもほんとうにこういうことばっかり書いて生きればよかったのに、と、ぼくはおもわずにはいられない。
それにしても、葡萄パン・・・タイトルからしてスナオでさ。
おもわず、ぼくも、そのパンにかぶりついたんだ。
もっともらしいことばっかり言う、劣等感の強い評論家たちは歯牙にもかけない、おまけみたいな短篇だけど、それはとてもありがたいこと。
そうさ、その短篇は、彼らのためではなく、もっと別の彼らに愛されるために、書かれているのだもの。
三島由紀夫の短篇のなかでは、
コクトーの視線でラディゲを描いた短篇『ラディゲの死』も、好きだった。
新潮文庫のなかに入ってるので、よかったら、読んでみてください。
かなりな程度正直な三島由紀夫といえば、『詩を書く少年』という短篇があった。
主人公は、ひとりの少年であり、厳密にはその世界には、かれしか存在していない。
少年にとって世界がそのようにあるということはめずらしくないけれど、
ただし・・・、いや、結論づけるのはまだ早い。それは、こんなストーリーだ。
少年は、じぶん自身を、そして詩がかれに与えるよろこびを、こんなふうに語る。
「少年が恍惚になると、いつも目の前に比喩的な世界が現出した。
毛虫たちは桜の葉をレエスに変え、擲たれた小石は、明るい樫をこえて、海を見に行った。
クレーンは曇りの日の海の皺くちゃなシーツをひっかきまわして、その下に溺死者を捜していた」歌うような形容はまだ続く。
だが、世界とたわむれる言葉のよろこびを語るかれの言葉は、やがて転調する。
「暖炉のそばの少女の裸体は、もえる薔薇のように見えるのだが、
窓に歩み寄ると、それは造花であることが露見して、寒さに鳥肌がたった肌は、
けば立った天鵞絨(ビロード)の花の一片に変貌するのであった」
いつになくかなり正直なかれが、そこにいる。
そう、ここに一人の、じぶんに恍惚となっている少年がいて。
かれは詩を書き、観念を操作しながら、世界をおもうがままに変容させるゲームに夢中になっている。
かれの透明で固い自我の向こうに、世界が写る。それは、あくまでも美しい。あるとき、そこに少女が見える。
一瞬かれはそれに魅惑も感じはする。だが、かれの書く言葉は、急いで、失望を告げる。その花は造花にすぎない、と。
透明な結晶のようなかれの世界は、いささかも壊れない。
>>249→
かれが、造花という言葉をこのように使う、哀しみと滑稽。
かれ自身が造花にほかならないことを、かれ自身は知らず、それを知る日はついに訪れない。
いや、少女でなくとも、かれの結晶のような孤独を壊す契機は、すぐ目の前にあるというのに・・・。
小説のなかの少年は、先輩のRと、友人関係を深めてゆく。詩を書く天才同士として。
長い手紙のやりとりがある。
Rのくれる手紙は分厚かったが、そこには「軽快なもののいっぱい詰まった感じ」が、かれをよろこばせる。
だが、やがての文面が曇りと憂愁をおびてくる。
ある日少年は、(やがて訪れるだろうかれとRの決別を予感しながら)Rに、じぶんの見た夢の話をする。
あざやかな孔雀が遠くへ連れ去られてゆく姿を、じっと見ていた夢の話を。
聞き終わるとRは、「うん」と生半可な返事をする。すでにかれの視野のなかの少年は脇役にすぎない。
そしてためらった後に、Rは、じぶんの恋愛の悩みを、少年に告げる。
その告白は、決定的に少年を傷つけたはずだけれど、そのことは書かれていない。
そう、少年は傷ついては、いない。そして少年が与える結論は、こうだ。かれの告白には何一つ未知な要素がない。
「すべては書かれ、すべては予感され、すべては復習されていた」そこから導かれる結論は、こうだ。
「この人は、天才じゃないんだ。だって恋愛なんかするんだもの」
>いま、目の前に立っている三島由紀夫はガラス細工だった。
剣道五段、居合抜の達人、空手の達人、あるときはレイン
ジャー部隊の習練に身を投じ、あるときはジェット104に
搭乗する三島由紀夫
実際の三島由紀夫は、運動神経ゼロ、
映画でバレーブールの撮影で監督があきれたのは有名。
居合い抜き、剣舞、。。では、刀を振り回し、座の連中は全員
あぶなくて黙っていたのが事実である。
武器をもたない素手の自衛隊幹部に、刀できりつけ、挙句の果てに
学生に介錯を頼んでやっと死んだ。
あとの学生にせめて死ぬなとでもいっとけ! ばか
親のみになってみろ!!!
『詩を書く少年』という短篇には、かなりな程度の正直があるが、
決定的なところで、偽りの方向へずれてゆく。
まず、この小説にはじゅうぶんには書かれていない要素があって、それは少年のRへの恋慕だ。
おそらくそれを認めてしまえば、少年は精神の拮抗を崩してしまうだろう。
もはや天才を気取ることもできないだろう。
それゆえ、そのような感情は微塵もなかったかのように(!)、
小説は書かれてゆく。ここにひとつの哀しみがある。
それにしても、なんて皮肉な言葉だろう、
「すべては書かれ、すべては予感され、すべては復習されていた」・・・それはRによりも、
むしろ書き手、三島由紀夫の生涯にこそふさわしい言葉じゃないか。
どうして、もうひとおもい、少年は正直にならなかったんだろう?
どうしてじぶんが壊れてしまうことを怖れない勇気をもたなかったんだろう?
なんて臆病な三島由紀夫、と、おもわずにはいられない。
水晶のなかに住んでいる孤独な少年がそこにいる。
ぼくは、その少年が、とても好きだ。
ただし、やがて少年が少年を脱ぎ捨てるとして。
だが、少年はやがて少年を脱ぎ捨てただろうか?
新潮文庫などで読める本に「ラディゲの死」というのがある。
これは、三島が17歳の時から、31歳までの短編13を納める短編集である。
三島は幼い頃からラディゲを敬っていた。
題名にもなっている「ラディゲの死」はラディゲの晩年を書いたものである。
全体的に受ける印象はまだ幼い文だ、ということであった。
「奇跡」との生活・・・それは、「破局へ向かって傾斜しているおそろしいスピードをもった生活だったよ。
しかしぼくたちは、ああして暮らすほかはなかったんだ」 その回想の中心に、ひとりの詩人の姿がある。
かれは、生粋の無秩序、歌うべからざる薔薇が歌い出すような無秩序だ。
かれは若く、傑作を残しながら、もうすぐ「神の兵隊に銃殺される」だろう。
そこに、かれを見守りながらなすすべもなく立ち尽くす、やや若くない、
だが才気に満ちたもうひとりの詩人がいる。二人の詩人は、レイモン・ラディゲとジャン・コクトーだ。
天使の死を謳い、混乱のなかで、コクトーはつぶやく。
ラディゲが生きているあいだというもの、「ぼくたちは奇跡と一緒に住んでいた。
ぼくは奇跡の厳然のふしぎな作用で、世界と仲良しになった。世界の秩序がうまく運んでいるようにおもわれた」
「薔薇が突然歌い出しても、朝の食卓に天使が落ちてきても、
鏡のなかから、水のきらきらする破片を棘のように刺されて、潜水夫がよろめき出てきても、
馬が大理石の庭にその蹄の先で四行詩を書き出しても、当然のことのように」受けとめることができた。
「ぼくは『奇跡』と一緒によく旅行に出た。『奇跡』は何と日常的な面構えをしていたろう!」
「しかし今になってみると、朝の新聞が、自動車事故で五人家族が一度きに死んだり、
建設中の建物が倒壊したり、飛行機が落ちたりすることを見るたびに、
ぼくはもしラディゲが生きていたら、こんなことは決して起こるまい、とおもわずにはいられないんだ」
この掲示板に私や他の教員、学生に対する誹謗中傷を書き込んでいる者に警
告します。
483の書き込みはその前後および過去の掲示板から私のことを指していること
は十分断定できると思われます。また、622では実名での記載であり、明らか
な名誉毀損です。もし、一週間以内に名乗り出て謝らなければ法的な手段に訴
えます。2ちゃんねるは裁判に負けてからIPをとっていますから、おそらく裁
判所で会えると思います。
君のような人が生命科学部に関係していることは恥ずかしいかぎりです。私も
このような書き込みはしたくありませんが、今後、被害を広げないために必要
であると判断しました。
東京薬科大学
生命科学部
教授 多賀谷光男
『ラディゲの死』という短篇で、『詩を書く少年たち』で描かれた先輩とかれの関係の、
もうひとつの変奏のようにおもえる。
(執筆された時期は『ラディゲの死』の翌年に『詩を書く少年』が書かれている。)
三島由紀夫は、かつて『詩を書く少年』について、詩との別れによって散文作家が生まれた、
その主題のゆえに「どうしてもこのことを書いておかなければならなかった」と書いた。
詩との別れだって? そんな模範答案のような、作家のステートメントは、
ぼくは到底信じる気にはなれないな。
なぜって、そこに生きているものは、あまりに19世紀末の退廃美学をひきずった詩、
そして、その詩そのものになりたい、と身もだえするような「散文」だもの。
そう、そこにある散文は、(主題が詩であるとはいえ)、
たとえば、仮にトーマス・マンがそれを読んだなら徹底的に罵倒し倒すだろう、というような、
まったく散文的でない「散文」じゃないか。
けれども、それがどうしたというのだろう。
そこにとてもとても三島らしいなにかが生きている、と、ぼくはおもう。
あるいは、三島由紀夫のなかに息づく詩は、
あるいは第二次世界大戦中の苛烈な日常のなかに咲く、
あえかなスミレの花のようなものだったのかもしれない。
それは同時に、ほとんど、その後の(現在から振り返れば、二、三世代前の)、
少女マンガを予感させるような、美学にも通じていて。
ほんとうに、「少女」のようだと、おもう。
そこに、なにか震えているような感じがあって。
そのまま「少女のままに」一生を生きてしまう・・・そんな図々しさが、
どうして三島になかったんだろう。
そうおもうと、ぼくは残念でならないのだった。
とんちんかんな意見かもしれないが、ぼくは、つくづくそうおもう。
その後、三島に訪れる「男らしさ」への接近を見るにつけ、そのふるまいは、
いったい誰の視線を意識しているのだろう、と、そんな疑問にぼくはとらわれるのだ。
三島由紀夫は谷崎潤一郎の作品を香りの高い日本酒にたとえたそうです。
「禁色」という小説はわたしには「菫色の強いお酒」のように感じられます。
実際、MAD DOGというきれいな紫色をしながら、
ものすごく強い酒があるそうです。
美しいけれど、
いったん飲むとなかなか体の中から消えてくれない。
そんな強烈な飲み物です。
257 :
色男no、1:04/03/13 15:37 ID:o+dKHqqa
こんばんは、みなさん、私が色男です。
三島文学とは全く異なるところで三島そのものの伝説があります。この事が三島問題を他の作家論から逸脱させる要素なのですが、
あくまで例外を認めずにテクスト論による文学研究に一貫させようという立場もあります。しかし、言うまでもなく三島の
存在それ自体が一つの作品ですから、これを言及する事なく三島作品だけに当たる事が可能であるかと言えば、やはり不完全に思われます。
三島を解読するために三島文学を読むのか、三島文学を読むために三島を解読するのかは、そのアプローチする個人の内的問題によるものです。
ところで三島には確かに他者を吸収合併して凡庸化=非個性化するところがあります。三島がフォルムこそが永遠である、という時、
個性は時間の持続に耐え得るものではないという認識があります。100年も経てば、個々人の差異はふるいにかけられ、
様式化したもののみが固有名として定着します。アンフォルメルの思想を否定し、人間の形それ自体を志向するのは彼が代表的人間、
ある性格の雛型となり、類似する他者を全て代表しようとする意思があるからです。
http://www.laspara.net/
「禁色」は凄いよ。なんていうかね、『金閣寺』や『仮面の告白』よりも三島パワーが爆発しまくりです(^-^)。
これ、一読の価値はありますよ。まあ、クオリティーは『金閣寺』ほどじゃあないんですけども、ね。
あっ、そうそう。この作品を読んだ後にはオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』でも読んでくださいな。
三島がワイルドから圧倒的な影響を受けていたかがわかりますから。私からは以上です。
33 :右や左の名無し様 :03/11/07 15:19 ID:???
歴史に「もし」はいけないけど、一水会を去った有望な人材はたくさんいる。
(なんせ今現在、一水会会員数は一桁と思われ)
過去に一水会を去った人材の中には、当然、木村氏の後を継いで3代目になる
可能性をもった優秀な人材も多く存在していたわけである。
もし、「この人物が一水会の残留していたら」を想定して、名前を挙げて
みよう。年齢は木村氏より年下で30代から40代前半に絞ってみよう。
-------------------------------------------------------------------
>>33 元自衛隊員の福田さんという方もいましたね。
文学者ってのはやっぱり社会不適応者か基地外なのかね。
公的な地位につけるとロクなことをしない。
脚気は細菌が原因という、
当時もう否定されつつあった(日本海軍が実験航海で否定した)
トンデモ学説にこだわり、日露戦争では3万人を脚気で死なせ、
かつ終生誤りを認めなかった陸軍軍医監・森鴎外。
ロマン主義者にとどまってれば良いのに、
現実社会にデムパ持ち込んだ挙げ句、
ちゃんとした切腹も出来なかった宮崎勤とオウムの大先輩・三島由紀夫。
(彼の切腹は、腹の表層を浅く切っただけの真似事。
腹壁を切断し、腸をつかみ出し切って敵に投付けるのが戦国武将の正しいやり方。)
彼の自称「切腹」の姿に形骸化した「伝統」を聖化し妄信するウヨの哀れさを見てしまう。
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このままいつたら「日本」はなくなつて、その代わり、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、
或る経済大国が極東の一角に残るであらう。
それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気になれなくなつてゐるのである。
(「果たし得てゐない約束」、三島由紀夫、サンケイ新聞、S45.7[2,p564]より)
これは殆ど、日本社会への縁切り状ではないか。
友人・三島由紀夫のこの苛立たしげな文体に一驚した文芸評論家の村松剛は、事態が容易でない所まで来ていることに気づき、人を介して、三島と会うことにした。
村松の三島との最後の会談は、昭和45(1970)年10月7日、四谷で行われた。
三島は言った。
自分の家にはいろいろな外国人がくる。彼らが口々に言うことは、日本のいちばん美しい部分が失われていくという失望なんだよ。
昨年までの日本には、世の中にまだ危機意識があった。
それがこのごろでは、みな危機意識なんか忘れて生活に満足している。
その安心し切った顔を見ていること自体、俺は耐えられない。
政治家は左も右も、平和憲法を守りましょう、文士の話題といえばゴルフの話と、
次の文学賞をだれにやろうかという相談ばかりじゃないか。
「昨年まで」というのは、昭和44年には、日米安保やベトナム戦争反対を叫ぶ過激派諸派が都内に6千人を集めて、道路上にバリケードを構築し、警察署を襲った。
警察は3万2千人を投入し、検挙された人数は東京だけで12百人以上にも及んだ。
しかし、翌年には、過激派の動きも沈静化に向かい、上述のように「昭和元禄」を謳歌する世相になっていたからである。
「それだからといって、三島さんが革命を志してどこかに斬り込んでも、天才の文学者が気がふれたといわれるだけですよ」
と同席していた仲介者が言うと、
そうだろうな、狂気の意味について、くだらない批評家がいろいろなことを書くさ。
佐藤榮作は、おれを気違いだと言うだろう。
(「三島由紀夫の世界」★★、村松剛、新潮文庫、H8.11:p567)
三島が4人の盾の会隊員とともに、自衛隊市ヶ谷駐屯地の東部方面総監室に総監を人質にして立てこもり、約1千名の自衛隊員にバルコニーの上から決起を呼びかけた後に、
隊員の一人、森田必勝とともに割腹自殺を遂げたのは、この18日後の10月25日。
今から30年以上前のことであった。
首相・佐藤榮作は、官邸での昼食中にテレビ速報で事件を知り、
記者団に感想を問われると暗い顔で「気が狂ったとしか思えない。
常軌を逸している。」と、まさに三島の予言通りのコメントを述べた。
新聞は、「”狂気の白刃”盾の会、自衛隊乱入」、「社説三島事件は”狂気の暴走”」などと、やはり三島の予想通り、「狂気」について、いろいろ書き散らした。
名うての戯曲家でもあった三島由紀夫は、自ら描いた筋書き通りに狂気を演じ、首相もマスコミも、その筋書き通りにそっくりのせられたかのようである。
「狂気」のシナリオはきわめて緻密に描かれ、周到に実行されていった。事件の前日24日の午後、サンデー毎日編集部の徳岡孝夫は、三島から電話で、毎日新聞の腕章とカメラをもって明日の11時にある場所に来て欲しい、と依頼された。
徳岡は三島がノーベル文学賞の候補にあがった時、バンコクで親しくインタビューしたことがあり、旧知の間柄だった。
場所がどこかは、明日10時に電話する、という。
翌朝10時に三島から電話が入り、自衛隊市ヶ谷駐屯地のそばの市ヶ谷会館に11時に来て欲しい、という。
そこへ行くと、盾の会の会員から、封筒を渡された。
封筒には檄文と三島らの写真、および、手紙が入っていた。
これから起こることが、自衛隊内でもみ消されないよう、何か変化が起こったら、腕章をつけて、駐屯地内に入って報道して欲しい、ということだった。
しかし、事件はどのみち、小事件にすぎません。あくまで小生らの個人プレーにすぎませんから、その点ご承知置き下さい。
(中略)事件の経過は予定では2時間であります。
まるで、これから友人同士で小さな劇を演ずるから、見に来て欲しいとでもいうような、こともなげな文章である。
徳岡氏が会館の屋上から、駐屯地を見ていると、パトカーやジープが猛スピードで突入していった。
毎日新聞社の腕章をつけて、正門からグランドに入ると、すでに100人ほどの自衛官がいた。
「総監が人質にとられた」という声が聞こえた。
盾の会の若者が、バルコニーの上から檄文を撒き、垂れ幕をおろした。
自衛官が垂れ幕に飛びついて引きずり降ろそうとしたが、ジャンプしても手が届かないよう計算されていた。
「三島さん、綿密に計画したなあ」と徳岡は感嘆した。
三島と森田がバルコニーに姿を現した。集まった自衛官はすでに約千人に達していた。
日本は経済的繁栄にうつつを抜かして、精神的にはからっぽになってしまっているんだぞ。
それがわかるかッ!頭上8mからの三島の声は、張りも抑揚もある大音声で、実によく聞こえた。
徳岡は後にこう書いている。
三島のボディービルや剣道は、このためだったんだな、と私は直観した。
最後の瞬間に備えて、彼はノドの力を含む全身の体力を、あらかじめ鍛えぬいておいたのだ。
畢生の雄叫びをあげるときに、マイクやスピーカーなどという西洋文明の発明品を使うことを三島は拒否した。
[,「五衰の人」、徳岡孝夫、文春文庫、H11.11p259]
三島の呼びかけは、自衛隊が憲法改正に立ち上がる、ということだったが、
そんな可能性は三島のシナリオにはみじんも考慮されていなかったことは、
事件が2時間の「個人プレー」で終わる、という徳岡への手紙でもあきらかである。
約20分の演説を終えると、三島は「天皇陛下万歳」を三唱して、総監室に引っ込み、
森田必勝とともに、古式に則って、真一文字に腹を切り、盾の会隊員の介錯を受けた。
いまだに誤解する人が多いが、三島は戦前右翼的な軍国主義や、天皇親政を目指したわけではない。
かえって、天皇は日本文化の中心に位置し続けてきたのであって、その時々の政治権力に密着すれば、
その政治を超越した立場は損なわれる、と考えていた。
明治憲法下での天皇制を「天皇陛下を政治権力にくつ付けたところに弊害があった」と明言している。
(「三島由紀夫の世界」、村松剛、新潮文庫、H8.11・p475、「栄誉の絆でつなげ菊と刀」、三島由紀夫)
天皇は「われわれの歴史的連続性・文化的統一性・民族的同一性の、
他にかけがえのない唯一の象徴」であり、
われわれはこの天皇の真姿を開顕するために、
現代日本の代議制民主主義がその長所とする言論の自由をよしとするものである。
なぜなら、言論の自由によって最大限に容認される日本文化の全体性と、
文化概念としての天皇制との接点にこそ、
日本の発見すべき新しくまた古い「国体」が現れるであろうからである。
(「反革命宣言」、「生きる意味を問う」所収、三島由紀夫、人物文庫、H9.9)
結局、三島の描いた理想とは「栄誉の絆でつなげ菊と刀」というある論文のタイトルに凝縮されていると言えるかもしれない。
「菊」とは日本の文化伝統である。そして「刀」とは「武」の伝統、武士道である。
武なき文は自立しがたく、文なき武は正義なき暴力に堕する。
文武両道こそが、人にとっても、国家にとっても、目指すべき理想であった。
そしてこの両者が天皇という国家の神聖な根源において結ばれている所に、
わが国の「国体」がある。そこから名誉や正義という価値が湧出する。
>>261の、「無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、
或る経済大国」とは、経済的繁栄を至上の価値として「文」を置き去りにし、自衛隊を継子扱いし、
外国軍隊に国防を依存して「武」による名誉と自立心を忘れ去った現代日本への批判なのである。
上述のような正統的な理想を、
三島ほどの思想家が、
我慢強く説き続けて今日に至っていれば、
一般国民の間にも受け入れられた可能性は高い。
ソ連や中国の共産主義体制を目指して、
数万人が首都で騒乱を起こすという当時の革命思潮がいかに常軌を逸したものと言え、
いや、それだからこそ、なおいっそう、
なぜ三島は当時の人々から「狂気」としか見られない行動をとって、
あたらその天才を散らしめたのか?
徳岡孝夫氏は、三島由紀夫の魂との会話を思い浮かべる。・・・
−なぜ切腹を?
日本の文化と伝統に根を持つ死に方だからです。
−アナクロニズムじゃないですか。あなた一人が死んで、日本が変わると考えたのですか?
ぼくはそういうふうに問題を考えない。効果の有る無しは問題にならない。
他人に同じ行動を勧めようなどという意思も毛頭ない。
人間内面のモラルは昔も今も不変だし、魂の問題だから時代とともに変わりようがない。
ぼくは、やりたいことがあっても我慢してきた。
そして最後に爆発した。
それも無駄に、汚名を着せられてね。
−しかし昭和元禄の真っ只中で起きたあなたの行動は、マスコミから徹底的に叩かれましたよ。
マスコミを通じて自分の考えを広めようなんて、最初から考えていません。
ぼくの死から一滴の水がしたたったら、その水を心に受けて考えてごらんということです。
[「五衰の人」、徳岡孝夫、文春文庫、H11.11:p31]