>ガラドリエル氏
お隣さんから転載しておくよ。
天皇制を賛美するスレ--------------------------
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1058736115/391-392 391 名前: ガラドリエル 投稿日: 03/10/13 15:47 ID:sMe3dIRw
>>383 亀哲人さん
グラフィックデザイナーでしたか。
お恥ずかしい次第です。
ところで、他スレの話で申し訳ないのですが、ご紹介しておられる
八木氏の「天皇と日本の近代化」の中の教育勅語に関する考察は、
読んだ覚えがあります。
明治5年の宮島誠一郎による立国憲議は、一時帰国していた大久保利通に計って行われたものと推測できます。
「国憲を定むる如何、古来固有の君主独裁を持ってこれを定むるときは、或は人民を抑圧し開化の進歩を妨くるの弊害あるを免れず。君民同治の法を取って之を定むるを尤も宜しとはす」
というその内容が、明治6年に大久保利通が起草したとされる「立憲政体への意見書」によく似ていることと、両者の関係によって、です。
これに対し、左院副議長であり、フランスの法を学んでいた江藤新平は、「国憲は右等国体論の如きものにあらず。国憲なるは仏蘭西の五法の如く広く人民に闊歩せしものにて、其性質帝王自家の憲法に非ず」と拒みます。
392 名前: ガラドリエル 投稿日: 03/10/13 15:50 ID:SeJpQybR
>>391の続き
6年の政争で敗れ、下野した勢力が民選議員設立建白を出し、それを担ぐ不平士族の動きが激しく、明治政府は沈静化をはかって大阪会議を開きます。
その結果、漸次立憲政体勅書が出されるわけですが、この時点で、江藤が「国体論の如き」と評した「万世一系」は、「立憲政体之主義」に反するものではない、という官民の合意が成立したわけです。
実際、その後の自由民権運動の憲法試案にも、「万世一系」の項をのぞいたものは、ほとんどありません。
とするならば、教育勅語に法的意味があった、とするのは、強引な論法ではないんでしょうか。
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