昭和天皇はなぜ戦争責任を取らなかったのか

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681右や左の名無し様:03/11/02 09:47 ID:???
>>680
天皇が政治的な実行力を持っておらず、国民の精神的支柱であることを
アメリカが知っていたから、後の統治を円滑に行うために残した。
682右や左の名無し様:03/11/02 09:50 ID:???
要するに、アメリカは日本を準植民地にするために天皇制を残した。
アメリカでよく行われる司法取引みたいなものだな。
「我々の言うことを聞きなさい」そうすれば戦争責任は問わないよとね。
だから、当時の責任問題を有耶無耶にしたし、記録も自分たちの都合のよいように作った。
裕仁は日本の象徴じゃなく、アメリカの植民地としての象徴だ。

しかるに、某月刊紙で、天皇は「国民に謝罪したかったが。
故吉田総理が止めた」という詔書の草稿を掲載されても、
ナンセンスというしかありません。あれだけの死者をだした
戦争を始める允裁を押しておいて、謝罪する気持ちがなければ
犬畜生と変わりないでしょう。謝罪する気持ちがあって当たり前なのです。
自分の重臣が何を注進しようとも、自分の判断基準で国民や
アジアの国々に謝罪するべきではなかったのではないでしょうか。

結局、明治以来、天皇制によって恩恵を受けてきた人々の子孫が、
現在においても政権の中枢にいて、常に皇室の擁護をし、
学校教育で使う教科書に先の大戦の真実を記載させないようにし、
マスメデイアに皇室のいいイメージを流すことを強要しているのではないでしょうか。
某雑誌の「朕ノ不徳ナルモ・・・」もその一環のキャンペーンのように思えてなりません。
683右や左の名無し様:03/11/02 09:57 ID:???
真ん中の文章以外は検索したらひっかかったな
684右や左の名無し様:03/11/02 10:30 ID:???
>>682
司法取引というようなものではないと思う。
アメリカが天皇を残した方がやり易いと思ったからそうしただけ。
だって言うこと聞かすだけなら別に天皇がいなくてもできるはず。
ただそれだと日本という国を一から作らなくてはならず、面倒だから
前の習俗慣習を利用したのだと思う。
685右や左の名無し様:03/11/02 19:32 ID:XGAQbtf3
要するに昭和天皇は呼ばれもしないのに自らノコノコGHQにでかけ
自分はどうなってもいい、国民を救ってほしい、国民性から自分が
いないと占領統治は失敗するだろう・・形を変えた命ごいをしたわけさ
GHQ民生局もその点は心得ていた、占領軍総司令官マッカーサー元帥
は巧緻にたけており占領施策でミスを恐れたので戦勝他国の反対を押し切って
天皇の戦犯指定をしなかっただけの話さ 要するに昭和天皇は卑怯者
命が惜しかったのさ。
統帥権と言う国会も口出しできない軍隊直接指揮できる大権を占有する大元帥陛下
としてあるまじき卑怯千万な行為である。
トップが部下に責任を押し付ける官僚や民間企業の悪弊はここが原点ではないのかと
思われる。
         文責:一介の定年退職自衛官
686右や左の名無し様:03/11/02 20:50 ID:+Om8TuU7
マッカーサーが天皇光線にやられ、洗脳された為に残した。
天皇のしたたか、ずる賢さを見抜けなかった。
回りの終戦勧告も聞かず負け戦引き伸ばしたくせに、
「わが身はどうなっても・・・国民の為に、何とかしてくれ」
だと?もっと、早く言う機会はなんぼでもあっただろ〜が。
687686:03/11/03 09:27 ID:RIPF1c7A
マッカーサーは、第1回会談で天皇のしたたかさ、天性の要領良さを見抜けず、
会談前ふんぞり返っていたのに、会談後玄関先まで見送るまで洗脳された。
その後の会談では、除々に天皇は強気に出た。「天皇制を廃止すると国民は革命
を起こし共産化する。」と。
当時、アメリカは日本が共産化することは、是非共避けたいと思っていた。
アメリカと天皇の利益が一致し天皇は生き延びることができた。
そして、日本の癌は手術されることなく残ることになった。
688右や左の名無し様:03/11/03 12:18 ID:???
 日本には、家臣団が領主を死んで護るという習慣があるが、その反対である領主が
家臣団を死んで護るという習慣もあるのです。羽柴秀吉に水攻めにされた備中高松城
の領主清水宗治は、家臣団の命乞いをして切腹しているのです。どちらのタイプの
指導者を望みますかと聞かれると、私は後者のタイプを選ぶでしょう。終戦直後、
彼が切腹したらよかったとまではいわないが、やはり天皇を退位するとか、天
皇制度を廃しするとか、何らかの形でケジメをつけるべきであった。それが歴代の天
皇、国民、アジア諸国にたいする最良の謝罪になったのではないでしょうか。
689右や左の名無し様:03/11/03 13:15 ID:???
>>687
会談前から残そうって決めてたみたいよ
690687:03/11/03 15:13 ID:RIPF1c7A
1945年11月20日に、アメリカ統合参謀本部はマッカーサーに
「裕仁は戦争犯罪人として逮捕、裁判、処刑をまぬがれぬというのが
米政府の態度である。従って、秘密裏に、証拠を収集しなければならない」
と書簡を送った。

それに対し、本国よりの指令の調査は何一つ行わなかった。
オーストラリアは最後まで天皇を処刑すべきであると主張したが、
マッカーサーの工作により、アメリカは天皇を追訴しないことにした。
天皇は戦後訪米の際マッカーサー夫人に「ご主人の力添えがなかったら裕仁は
今日天皇ではなかったでしょう」と語った。

マッカーサーは日本にある程度の民主主義を導入する為に天皇を残し利用
した為に真の民主主義の発展を抑圧した。
691考えない葦:03/11/03 17:13 ID:81XdR4EX
>>682
>要するに、アメリカは日本を準植民地にするために天皇制を残した。
>アメリカでよく行われる司法取引みたいなものだな。
こういうのを典型的な戦後左翼思想というのでしょう。アメリカの占領軍GHQ
は絶対的な権力をもっていたのです。なんで司法取引をする必要があるんです?
占領政策で天皇制を残したとうのはあり得ますが、司法取引は噴飯ものです。
まあ、マッカーサーと天皇との会談はさまざまにいわれていますが、世界中の国
の国王というのは外国に負けても、国内の革命に負けてもほとんどが国外亡命を
しているのです。おそらく、亡命しない天皇にマッカーサーは興味を持ち、次第
に尊敬の念をもつようになったのではないか、そう思います。
692右や左の名無し様:03/11/03 17:58 ID:2wXmqpP6
真の民主主義ってのは全体主義のことだからね。
ま、その意味では国論を二分する天皇制を残したのは良いことだね。
693右や左の名無し様:03/11/03 18:18 ID:RIPF1c7A
真の民主主義とは、国民の為の国民による政治ということで、
特権を作って、変な一族に税金をつぎ込むことではない。
中毒患者は自分で天皇中毒を治すことが中々できない。
天皇制を残したマッカーサーは甘かった。朝鮮戦争で失敗するのも無理はない。
694右や左の名無し様:03/11/03 19:01 ID:???
真の民主主義とは、国民の為の国民による政治ということで、
特権を作って、変な連中に税金をつぎ込むことではない。
人権思想では、行き過ぎた左翼を抑える事は難しい。
特殊永住外国人への非課税は、逆差別の温床として差別を助長している。
695右や左の名無し様:03/11/03 19:12 ID:LhknLjJn
統帥大権をもつ大本営(戦時に陸軍参謀本部と海軍軍令部が合体)の統領、
所謂陸海軍大元帥として、国体保持にこだわり停戦を引き伸ばし、広島
長崎に原爆投下され、やっと無条件降伏する低落。
当然責任を自覚し自決すべきであった。
多数の国民を犠牲にした罪の概念は無かったのか、戦犯をのがれ
所謂人間宣言後がらり一変GHQの指示でニコニコ顔で全国行脚
厚顔無恥とはこの人が典型だろう。
696右や左の名無し様:03/11/03 21:35 ID:RIPF1c7A
>>695
広島、長崎に原爆投下されたから無条件降伏したんじゃ〜ないんだナ。
原爆が落とされた後もまだ戦争やるつもりだった。
最終的に降伏するのを決めたのは、ソ連が参戦したからで、あの御仁曰く、
「ソ連が参戦したからには三種の神器を確保できない」と言う理由で停戦
を決めた。
国民の為など、二の次、三の次で何とも思ってないです。
それが、「わが身はどうなっても・・・国民の為に」だもんね。
697右や左の名無し様:03/11/03 22:27 ID:???
>>696
いや、それは少し違う。
天皇をはじめとした日本上層部は、本土決戦になれば
「三種の神器」を守り通すことは出来ないと考えていたわけで、
ソ連が参戦すれば「三種の神器」が守れない、ということじゃない。
ソ連が終戦決断の決定打となったのはもっと別な理由。

ポツダム宣言発表後は、米英中の三カ国宣言という形で出された。
日本はその中にソ連が含まれていないことを希望的に解釈し、
ソ連に連合国との講和仲介を打診していたわけ。
そのような中でソ連が対日参戦をし、日本の講和工作は万策尽き、
終戦が決定された、というわけさ。

ちなみに「三種の神器」についてだけど、
何故それに固執したのかは、明治日本の歴史(特に法制史)
を勉強してない人にはわからないだろうねぇ。
698右や左の名無し様:03/11/03 22:41 ID:???
 1921年、当時、皇太子であった昭和天皇がヨーロッパを巡遊されたおり、
まだ第一次世界大戦の残影が色濃く残っている大地を目の当たりにされ、
戦争の悲惨さを実感されたという記事を読んだことがある。この記事を読んで、
私は首を傾けさせられた。なぜならば、日本がこの時から、3年後の満州事変、
8年後の日華事変をへて1941年に大東亜戦争に突入していったからである。
699右や左の名無し様:03/11/03 22:42 ID:???
 どうして、このように戦争の悲惨さを実感したのに、かれは、大東亜戦争
に突入することを承認したのだろう。もっともポピラーな意見なのが、天皇は
戦前から象徴であり国の重要事項の決定権を持っておらず、軍部がかってに
暴走しただけであるというものである。しかし、実際には、満州事変を除いた
日華事変や大東亜戦争についての御前会議で開戦の最終承認したのは、昭和天
皇であった。天皇擁護論者のなかで、もし天皇が軍部に逆らい開戦を承認し
なければ殺されていたかもしれないという意見があるが、疑わしいものである。
700右や左の名無し様:03/11/03 22:42 ID:???
 1936年の二.二六事件のときに、皇道派の首領荒木貞夫大将、真崎甚三郎大将は、
事件当事者である青年将校達の助命を嘆願するが「朕の重臣である元老を殺した」
という昭和天皇の鶴の一声により、青年将校たちは、形だけの裁判を受け処刑され
たのである。事件に関わったとされる当時陸軍少将であった山下奉文がなかなか昇
進しなかったのも天皇の意向が働いていたといわれる。このことからいって、天
皇は、軍部に対しても相当の影響力があったと考えざるをえない。
やはり、天皇は、軍部と夢を共有しておりアジアの皇帝になりたかったので、
大東亜戦争にいたる過程を黙認してしまったのではないか。
701右や左の名無し様:03/11/03 22:43 ID:???
 この黙認は、列強が群雄割拠していた当時の状況のなかで、比較論的(欧米の列強と比べて)
に考えるとそんなに悪いことではではなかったかもしれない。しかし、多くのアジアの
国々に迷惑をかけ(アジアの独立が早まったのは確かだが)400万以上の日本人が
この世から消えた結果責任から逃れることはできないのではないか。それに、彼の立場
を最悪なものにしているのは原爆である。天皇及び皇室の処遇の問題を討議(小田原評定)
していたためポツダム宣言の受諾が遅れ、広島、長崎に原爆が投下され、両市で34万と
いわれる一般人が一瞬で死に、後遺症による白血病や癌などで死んだ人間を入れると100万人
を下らないといわれている。仮に、百歩譲って軍部の操り人形であったよしても、
日本国の長として命を賭けて軍部を抑えるのは、国父である昭和天皇の責任であったのでないか。
702右や左の名無し様:03/11/03 22:46 ID:???
要するに裕仁以外の人間が天皇になっていれば大東亜戦争も敗戦もなかったこもしれないということだ。
裕仁は何度か暗殺未遂にあっているが、もしそれが成功していれば、近代日本はもっと明るい世の中になっていただろう。
703亀哲人 ◆Y/iFN9LABc :03/11/03 22:48 ID:bsPmKZYh
>>702
途中までは良かったのに、最後にテロを容認するかの如き書き込みで全てをぶち壊している。
残念だ。いかなる理由が有ろうとも、私はテロを認められない。
704右や左の名無し様:03/11/03 23:09 ID:???
>山下奉文がなかなか昇進しなかった

陸士18期の中将昇進を調べてみますた。すると

氏名     陸士  中将昇進     大将昇進    中将在任期間
山下奉文  18期 昭和12年11月 昭和18年 2月 5年3ヶ月
岡部直三郎 18期 昭和12年11月 昭和18年 2月 5年3ヶ月
藤江恵輔  18期 昭和12年11月 昭和18年 2月 5年3ヶ月
阿南惟幾  18期 昭和13年 3月 昭和18年 5月 5年2ヶ月
山脇正隆  18期 昭和12年11月 昭和19年 9月 6年10ヶ月

やはり、特別に山下が遅れていたとは言えない気が。
で、比較のため、他の著名な将校とも比較。

寺内寿一  11期 昭和 4年 8月 昭和10年10月 6年2ヶ月
畑俊六    12期 昭和 6年 8月 昭和12年11月 6年3ヶ月
梅津美治郎 15期 昭和 9年 8月 昭和15年 8月 6年
板垣征四郎 16期 昭和11年 4月 昭和16年 7月 5年3ヶ月
岡村寧次  16期 昭和11年 3月 昭和16年 4月 5年1ヶ月
東条英機  17期 昭和11年12月 昭和16年10月 4年10ヶ月
今村均    19期 昭和13年 3月 昭和18年 5月 5年2ヶ月
木村兵太郎 20期 昭和14年 3月 昭和20年 5月 6年2ヶ月

つまり、中将から大将までの「5年3ヶ月」は別段長くないし、むしろ短い部類に入るわけだが?
705右や左の名無し様:03/11/03 23:12 ID:???
あと、日華事変は「開戦」の決断がされていないから「事変」と言うわけであって、
>日華事変や大東亜戦争についての御前会議で開戦の最終承認したのは、昭和天皇
っていうのは間違い。(大東亜戦争の方は正解)
706右や左の名無し様:03/11/04 01:41 ID:GXRMOqnG
マン臭事変
707右や左の名無し様:03/11/04 10:34 ID:???
細かいことを言うと、
>3年後の満州事変、8年後の日華事変
もおかしいなぁ。
1928年を機転とすると、確かに、満洲事変は3年後(1931年)になるが
日華事変(盧溝橋事件もしくは第二次上海事変どちらをとっても)は9年後(1937年)になる。
708右や左の名無し様:03/11/10 21:55 ID:???
自分の命>>>>>>>∞>>>>>>国民の命 としか考えてなかっただけ
709右や左の名無し様:03/11/11 16:22 ID:???
>>702
天皇の有無でアメリカの経済封鎖やら干渉に変化が出るとは思えんね。
天皇が居たからABCD包囲網? 天皇が居たからハルノート?

もう一度歴史を学びなおす事をお勧めする次第。
710右や左の名無し様:03/11/12 09:23 ID:zYgOhJHS
難しい問題だ
711右や左の名無し様:03/11/15 21:28 ID:???
糞以下だからさ
712右や左の名無し様:03/11/16 06:59 ID:9DbY7xfe
ややこしひかり
713右や左の名無し様:03/11/16 21:55 ID:???
武士は責任を取る

外国の皇帝も責任取るんだけどね
714右や左の名無し様:03/11/17 02:42 ID:ivbvsCWV
みんな盛り上がってるようだけど
まじめな議論とコピペがループしていて、永久に結論は
でなさそうだな(汗
まぁこういう話は常にしておくべきだけど
715考えない葦:03/11/20 14:35 ID:fr3r4YKt
>>702
>要するに裕仁以外の人間が天皇になっていれば大東亜戦争も敗戦もなかった
>こもしれないということだ
ということは昭和天皇が大東亜戦争を起こした、命令したということになりま
すが、そんな証拠はどこにもありません。満州事変を起こした陸軍に危惧の念
を抱いたのは昭和天皇であったことは周知の事実です。第一、天皇は閣議に異
論を唱えることは憲法上もできず、内閣が決定したものを追認することしかで
きなかった、これが事実であり、日本は法治国家だったのです。日中戦争の拡
大にも反対し(総理大臣の上奏のおり)陸軍の処分もいい加減にした田中総理
を批判したため田中内閣は総辞職したので、以後、一切政治の批判です、立憲
君主の立場を守ったというのが歴史的事実です。
いくら在日でも日本の歴史はよく調べてから発言してください。
716右や左の名無し様:03/11/20 18:51 ID:???
綸言如汗
717右や左の名無し様:03/11/21 20:52 ID:YQPH3+nt
>>715
オマエは今までのスレ読んでないな。ループさせるな。アフォ。
満州事変を起こした陸軍に、お褒めの詔書をだしたのはどこのどいつだ。
718:03/11/21 22:25 ID:NKz1x/AA
>>717

そりゃ、>>715氏が正しいよ。
名だたる天皇制廃止論者達も、そんな事は言って無い。
719大日本報靖會:03/11/21 22:28 ID:???
>>715
まるで、「大東亜戦争を起こした」ことがよくないことで
あるかのやうな書き方ではないか。
720歴史家:03/11/22 01:42 ID:???
阿南陸軍大臣が終戦直前高松宮に
陸軍はつねに陛下の御心を踏みにじったと 難詰されている。

阿南は、”あんなにまでいわなくても。。。、 しかし陸軍の責任者として
割腹しなければならない”といったそうだ。

おぬしは東条ににているな
721右や左の名無し様:03/11/22 10:03 ID:m5V5nwuQ
>>715.718
「昭和天皇独白録」の弁明そのままだナ。
「徹底検証、昭和天皇独白録」も読むべし。
722考えない葦:03/11/23 16:37 ID:qy86JYv0
>>719
>まるで、「大東亜戦争を起こした」ことがよくないことで
>あるかのやうな書き方ではないか。
事実をいっているんですよ。2.26事件がいい例です。右顧左眄する軍部に
反乱軍と決め付けたのは昭和天皇でしょう?真崎率いる皇道派に嫌悪感をもっ
たのも昭和天皇です。天皇機関説にも賛同している一事をみても、昭和天皇の
態度は一貫してます。天皇をかついで国家転覆をはかる、天皇の名において軍
事政権を立てる、そんな無謀な非民主的な暴挙に天皇が乗るはずがないのです。
昭和天皇は聡明であった、だから本土決戦などは拒否したのです。

723右や左の名無し様:03/11/24 11:11 ID:2zQIBae+
精神鑑定をした結果、異常が発見され、「責任能力ナシ」と判定されたのです。
724大日本報靖會:03/11/24 18:31 ID:???
>>722
 俺は「民主主義者」でないが、大東亞戰爭の開戰は「民主」的に
決めたやうな書き方が氣になる。そんなことが可能であらうか?
議會で、「ここを攻撃しませう」、「はい、さうしませう」なんて
云って戰爭を遂行できるとは思へないのだが。
725右や左の名無し様 :03/11/24 18:56 ID:???
>天皇をかついで国家転覆をはかる、天皇の名において軍事政権を立てる、

其の天皇から賊軍といわれ処刑される青年将校らの本心はいかばかりか?

真崎がごとき出世闘争の道具の派閥と違い、彼らは部隊にあって農村兵の
貧窮を身近に見ていたのである。 当時の日本人のなかでも純粋な
こころの持ち主であろう。
たよらざるべきに頼ったかれらの死に際の思いはどうだろう!

726大日本報靖會:03/11/24 19:01 ID:???
>>725
> 青年将校らの本心はいかばかりか?

將來再び有爲の青年達が決起して、維新政權を樹立することを確信したに違ひない。
727右や左の名無し様:03/11/24 19:02 ID:???
>>725
ハートが純粋なら何やっても許されるのは小学生まで
728右や左の名無し様 ::03/11/24 19:13 ID:???
>>727

やむにやまれる大和魂と
何でも制御できるとおもっているばかものの差かな

青年将校は庶民のために命をすてた。 
最近のテロ連中はわけがわからんね。

729右や左の名無し様:03/11/24 21:50 ID:???

 吾人は吾人の死をして真に美しからざらしめるべからず。 

 余想う、死を美しからしむるは人生生存の真意義なりと。 

                           西田税 「無眼私論」
730右や左の名無し様
71 名前:日出づる処の名無し[] 投稿日:03/11/23 21:39 ID:UprUApOr
226事件の将校について、「忠心から出たものなのでせめて名誉の自決のための勅旨の派遣を」と促す武官長に対し、
昭和天皇はこう言われた。
「自殺するなら勝手になすべく、かくのごときものに勅使などもってのほかなり」
武官長がさらに彼らを弁護すると、
「それはただ、私利私欲のためにせんとするものに非ず、と言い得るのみ」
とお答えになった。
あの時代、私利私欲でないことが、必ずしも善ではないことを喝破された昭和天皇は、名君という以上に超日本人というべきだ。