【国歌】君が代【国家】

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講演「日本の心」概要
平成13年8月25日(土)立科町中央公民館にて
日本とは何か,日本の心とは何か,命の原因は何か,今ほど問い直されている時はない。

 今,外国人から,日本人ってどんな人達,と質問されたら応えられますか?
先進国の子供達はみんな答えられるのに,ほとんどの日本人は答えられないのが現実です。
 今の日本人に必要なのは心の心棒(バックボーン)をつくること。独楽は心棒がないと廻らない。
 「恩」と言う言葉は非常に大事な言葉である。心の原因,つまり命の原因に付いて考えること。
 心とは命のこと。その命の元は太陽。生命の原因は太陽。医学界で人間は太陽電池によって生きていることが発表されている。
 命の原因は太陽,日本の日は太陽,本は原因を意味する。日本は,日の本からきている。
従って,日本人とは,
私たちの命の本が太陽だと知って,
太陽に感謝して,太陽のように丸く,明るく,豊かに,生きている民族,
となります。
 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は,その日本人の心に打たれ日本に帰化した。
 国旗は国土のマーク,日の丸は日本民族の命のマークである。
 大切な恩が三つ。太陽の恩,国土の恩,父母の恩である。
 母(カカ)様は,太陽がカッカと燃える様を表す太陽の意味,父(トト)様は,尊い方の意味である。

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「君が代」の起源

 君が代っていうのは、「あなたの寿命」という意味です。
「代」というのは、寿命とか生命、という意味です。
ですから皆さんが、先祖様のところへお参りにいくと、「先祖代々」と書いてありますね。
この代々は先祖の命という意味です。
それで先祖代々ですから君が代っていうのは、「あなたの命」ということになります。
千代に八千代にっていうのは、いつまでもいつまでもっていうこと。千代っていうのはmanyっていうことです。
どのようにかと言うと、さざれいし(細石)っていう小ちゃい石がかたまっていわお(巌)になって、
それに苔がむすまでという意味です。
あなたの命が、長く長く、そして小ちゃい石がかたまって大きい岩になって、
それに苔がむすまでという、そういう意味です。

 この歌は実は、元唄があります。
それは、平安の前期の古今集という歌集の中にありますが,そここでは「君が代」という言葉はありません。


        我が君は 千代に八千代に細石の 巌となりて苔のむすまで


これが私たちの国歌の原点です。
古今集にある「我が君は千代に八千代に…」という唄は、誰がつくったのか判らず「詠み人知らず」となっております。
しかし、その作者は女性だという事がわかります。
「我が君」というのは女性が恋人の男性を呼ぶ時の言い方だからです。
 歌舞伎でも、「あ〜ら我が君」という、あれです。
ですから、古今集までいきますと、女性が、私の恋人の命が、いつまでもいつまでも長いようにと詠った、恋の歌ですね。
女性の作品です。

 我が君は千代に八千代に細石の 巌となりて苔のむすまで…, みんなが歌いました。
ところが、この唄の一番悪いところは、女性しか歌えないことです。
女性が男性に対して歌う歌。
これを男も歌いたいということで、「君が代」になりました。
君が代ですと、女性も歌えるし、男性も歌えます。
この唄はなんと、せどうか(旋頭歌)、舟歌、盆唄、長唄、端唄、小唄として、ず〜っと二千年来歌ってきた、流行歌のトップでした。
みんながどこでも歌って、いろんな節で歌いました。
「君ぃがぁ代ぉは〜 よいよい」なんてやってた訳です。

 それで、国歌を決めることになった。
これは、イギリスの将軍が、薩摩の国の支藩に対して、「お前達にはナショナルソングというものはないのか?」と尋ねた。
「ナショナルソング・国歌というのは、外国の人が来たらお前たちがイギリスの国歌を演奏する,
 そして,俺たちが船の上から日本の国歌を演奏してやる。
 お互いに、相手の国歌を演奏して仲良くなるんだ」という。
ところが無かった。それで薩摩の人間が、3人4人で国歌のことを話しながら飲んでる時に、薩摩琵琶で「君が代」を聞いた。
おっ、これにしようじゃないかと言って決めたのが、日本の国歌「君が代」なんです。

 ですから君が代には本来は天皇さんの意味はありません。
私たち庶民の唄です。「あなたの寿命」がと言う意味です。
天皇さんの命の長からん事を詠った祝い唄もたくさんあります。
しかし、すべて「君が代」なんてそんな無礼な表現を使ったことはありません。
君の上に大という字をつけて「おおぎみの代」と言います。
または君で出れば「君がみよ」といって、代の上に御(おん)という字をつけたんです。
天皇のことは,「大君の代」か「君が御代」、あるいは「すめろぎの代」、「すめらぎの代」、
この4つでしか、天皇さんの寿命の長からんことを詠った歌はありません。

 これが、明治時代に国歌を定めるときに、御前会議で薩摩藩から出た。
そしたら、伊藤博文とか山形有朋は、それはいかん,やっぱり天皇さんの歌を国歌にしようと言った。
その時に明治天皇が、
「西郷の意見が正しい。 天皇の命の長からん事を詠うものを国歌にするのは適当じゃない。」と言いました。
が,これは言い伝えで記録にはありません。
主権在民の私たちは、
「私たち天皇は、国民の生活、国民の命の長からんことを祈るのが天皇の仕事である。だから君が代が一番適当である」
といって、天皇さんとの御前会議で君が代が決まった。
私たちの国民の歌が決まった。
それを明治30年、40年になって軍国主義者たちが、これを天皇の歌にしてしまったというところに、
いろいろな屈折があり問題が生じた訳です。