飛鳥時代の聖徳太子が、かつての植民地人にすぎない古代中国の末裔「隋」(581年
-619年)に向かって「日の没する処の天子へ書を下す。 つつがなきや」と卑下した
外交文書を送付したのも当たり前のことだったのですが、その後の663年の「白村江の
戦い」で日本が「唐」(618年-907年)に敗北していらい、唐の占領軍が日本に進駐し
てきて、かつての正しい歴史記録文書(日本史と世界史)をすべて焼却してしまい、
神代文字は廃止されて漢字文化一色になってしまったのです。
この「白村江の戦い」での日本の敗北は、日本国内に蔓延した仏教を原因とする日本の
指導部の無能化(平和主義と、客観性を無視した主観性重視の傾向)のためであり、
また神国を自覚しない民に対する神罰と、法華経という至高の仏法を護法しない民に
対する仏罰とも言える現象です。 これによって縄文時代の世界文明の記録も、渡来人
の記録も全て消されてしまったのてすが、これも、よくよく考えてみると、神様の計画
だつたのかもしれません。
しかしながら、ようやく21世紀に至り、全世界の諸学者が「日本はシュメール粘土板
文書に書かれていた楽園の”ティルムン”であり、旧約聖書でいう”東の方・エデンの
園”であり、日本人は神の民だった」と理解しはじめているのです。 (続く)