【 丸山真男を相対化する 】

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1名無し:03/01/16 22:22 ID:PRyjWx/U
論理が明快、かつ説得力があるので相対化できません。
丸山真男を批判できる方、お願いします。
2右や左の名無し様:03/01/16 22:27 ID:UZTV0yG5
近代西欧を絶対化したアフォ。
3名無し:03/01/16 22:31 ID:PRyjWx/U
>>2
なるほど。
丸山の主張する「西欧近代」とはどのようなものだったのですか?


今日は夜中まで見ているのでどんどん御意見くださいませ。
4名無し:03/01/16 22:32 ID:PRyjWx/U
『日本の思想』読んでます。
5名無し:03/01/16 22:40 ID:PRyjWx/U
思想的座標軸の不在→「無構造の伝統」→既成事実への屈服

これを批判してください
6右や左の名無し様:03/01/17 01:20 ID:LlcU1t0K
>>3
丸山の言う「西欧」は、実際の西欧ではなくて、イデア化された近代社会
なんよ。
「実際の西欧とちゃうやんけ」という批判は、丸山の後の段階世代が
よくやっているらしい。

丸山への代表的な批判者は、吉本隆明かな。
丸山は「啓蒙家-大衆」という図式で大衆をバカにしているからいかん、
と、大雑把にはそういう批判かな。吉本による丸山論は読んだけど
吉本が何言ってるのか判らんかった。

小熊英二の『民主と愛国』では、吉本と丸山の「戦後」「市民」「国民」という
語に伴うイメージの違いと、戦争体験の差が、言説のスレ違いを招いた、
という整理だったかな。

>>5
すげえ正しい図式。明治以降仮の座標軸になった天皇の戦争責任にまで
議論を発展させる必要があると思う。
批判はそれからだ。
丸山は読まれた量は莫大なはずだが、段階世代がバカでご破算にしやがった
から、段階世代が信じているほど丸山は後生へ(つまり現在へ)正しく
伝わっていない。
もう一度丸山からスタートする必要がある。
7右や左の名無し様:03/01/17 01:28 ID:LlcU1t0K
(誤)段階世代→(正)団塊世代

>>5
クソウヨは、ポストモダン論を誤用して「そういう大きな物語はあくまで
近代の図式だ、今はポストモダンだ、座標軸なんてそもそも必要ないんだ」
みたいな批判をしやがる。が、実はこれは批判になっていない。
丸山は「日本は【近代】になっていない」=後進国であり、合理的政治体制に
なっていない、と、戦前政治を批判したわけだが、この「座標軸の不在」は
戦後は米軍占領政策の継承によって、ある側面、もっとひどくなった。
丸山の生前は見かけ上戦前よりマシな社会になったのだが、だから団塊世代は
いい気になって丸山をこき下ろしたのだが、質的には戦後はあからさまでない
ぶん、かえってひどくなった。例えば官僚支配という「伝統」は「既成事実への
屈服」を自分自身行ない、国民へそれを要求する。
それゆえ、丸山真男は、今こそ再発見される必要がある。

丸山読んだら、鶴見俊輔も読んでね ヽ(´ー`)ノ
8右や左の名無し様:03/01/17 01:39 ID:LlcU1t0K
>>5
そこに書かれている日本の実体から、どう離脱するか、という意味での
「批判」なら、弁証法的対話を、日常化する努力が必要だ、ということかな。

丸山がよく言う「弁証法」ってのは、人間は自分が作り出したものに
いずれかえって振りまわされるようになる、「私が私でない感じ」になる、
私の「他者化」が起きる、これを「疎外」とか「アンチテーゼ」とか呼ぶ。
「私」は、「私でない感じなった私」と対決する。
徹底した対決の後、より高い次元で、合意がなされる。「お前が俺と
こう違うのは判った、違うことが判ったと言うことを認めよう、殺し合いは
やめよう」という「和解」が成立する。これを「止揚」とか「アウフヘーベン」
とか呼ぶ。
丸山は、知的活動はこうであるべきだ、という枠組を持っていた。この枠組は
ヘーゲルなどから導入したものだ。

丸山が学生だった当時、ヘーゲルを口にする学者や軍人は大量にいたが、
ヘーゲルを生きた人間は丸山だけだった。
だからこそ、>>5を丸山は発見し、明言化した。

日本社会のほうは、丸山のこの発見を無視し曖昧化するように動いた。
9名無し:03/01/17 10:42 ID:???
>>6

では丸山を相対化するためには彼が絶対化する「イデア的な近代」を批判する必要があるわけですか。

さらに私が丸山を読んでいて気になるのは「日本人」という括りを行っていると言うことです。
「日本人」などと簡単にくくれるものなのか。

>明治以降仮の座標軸になった天皇の戦争責任にまで
議論を発展させる必要があると思う。

「国体」の記述のことですか?

無限責任、それは逆に無責任を生み出す。
それを日本の文化である「神輿」に例えている。
天皇でさえも元老たちに相対化されていた。

あと、イデオロギー批判ではなくイデオロギー暴露の問題や
「理論信仰」「実感信仰」の問題も一応理解しています。

御批判お願いします。

10名無し:03/01/17 12:11 ID:???
さらに、丸山が言う「現実」の定義にも批判できそうです。
ここは小林秀雄も批判しているようですが。
あまり詳しく知りません。
11右や左の名無し様:03/01/18 03:54 ID:hyiNff8Z
>>9
>「日本人」などと簡単にくくれるものなのか。

具体的にどの論文かな?
日本単一民族説は、丸山真男が登場したのと同時期に生まれた言説
だという歴史的背景を踏まえた上なら、その批判は妥当かもね。

>丸山が言う「現実」の定義

これもどの論文のこと?
12名無し:03/01/18 06:52 ID:???
>>11

突然申し訳ございません。
ネットは卒業して、本に埋もれてきます。
――――――――――――――――――――――――――
両方とも「「現実」主義の陥穽」(1952)、です。

あと、丸山の言う近代人はハードルが高すぎて実現不可能だろうと思います。
13右や左の名無し様:03/01/18 12:39 ID:OWCxzQr+
丸山批判といえば吉本より加藤尚武でしょう。
『進歩の思想 成熟の思想』という本のなかで、丸山の「旧制高校生程度
の哲学史に対する理解」について批判しているけど、これにまともに答えた
丸山学派の人って見たことがない。
あと哲学板で『日本政治思想史研究』について非常に鋭い批判をしていた人
がいたけど、どうもスレ自体なくなってしまったらしいのがなんとも残念。
簡単に言うと、日本の朱子学の発展史を無理矢理「正」−「反」−「合」の
ヘーゲル的図式(これ自体先の加藤の批判によると実在するかどうか怪しい)
に合わせようとしたため、個々の論者の意見をかなり曲解しているという内容。
14右や左の名無し様:03/01/18 22:43 ID:niWvG5SB
>>13
このスレのことですか?

丸山まさお勉強したいんだけど
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/philo/1016226066/
15右や左の名無し様:03/01/19 12:16 ID:???
>>14
おっ、そうだ。どうもありがとう。
しかしここの28って、よくここまでやったね。
16山崎渉
(^^;