平成13年12月12日
小泉首相、歴代総理よりベターだが
ベストではない。
小泉首相の三つの意思決定の誤りと大罪。
(1)靖国神社8月15日参拝断念の大罪。
(2)田中真紀子を更迭しない大罪。
(3)イージス艦派遣見送りの大罪。
この意思決定の誤りを冷静に見よ。
★小泉首相は、ここ一番というもっとも大切な時に、誤った決断を
する人間だ。あるいは断乎たる決断と行動ができない人間である。
★もちろん、それでも歴代首相よりはましだ。ゆえにベターだがベスト
ではないというのだ。小さな決断はできる。しかし、歴史を動かす
ような巨大な決断は、この首相をもってしても不可能なのである。
★これが現代の日本の最大の不幸であり問題なのである。
国民よ、早く、歴史を越え、歴史を動かし、歴史に残るようなリーダー
を持とうではないか。ゴジラ先生は石原慎太郎に最後の望みを託す。
■(1)8月15日の参拝を断念するのなら、一国のリーダーが自分
の言動をひるがえすのなら、腹を切って自決すべきだった。自分
の言動に責任をもつ武士なら腹をかっさばいて自決の場面である。
■(2)田中真紀子、この女を外相におくことの国家の損失を計算
できないような頭では、歴史に責任を有する総理大臣として失格だ。
田中による国益の喪失は、一内閣の問題をはるかに越える。
この国家的な損失の責任をどう償うつもりか。時々刻々、今もなお
失われている国益をどのように防止し失ったものを取り返すのか。
■(3)イージス艦の派遣見送り。かつて山本五十六と連合艦隊が、
戦艦大和を温存して、ミッドウエー海戦や太平洋の戦いに敗れた
こととまったく同じである。歴史は繰り返す。日本人は、どうして、
ここ一番の時に出し惜しみをするのか。逐次投入の誤りを犯すのか。
民族的な欠陥なのか。
平成13年12月13日
日本は停滞と防御の時代に入った。
日本は、大英帝国崩壊後、長期停滞に陥った
イギリスと同じようになるだろう。それを覚悟せよ。
しかし、心配するな。防御を固めて停滞に備えればいい。そして、
この停滞中になすべき内部改革をやればいい。そうすればイギリスが
復活したように、日本も間違いなく飛躍の時代がくる。まず何よりもや
るべきことは国民の「意識改革」だ。幕末から明治に日本人が意識改
革を達成したように、徹底した意識改革をおこなうことである。
■まず、戦後五〇年間引きずってきた多くの誤った「イデオロギー」
を破棄するという意識改革だ。たとえば、一国平和主義イデオロギー
であり、軍事嫌悪イデオロギーであり、戦争嫌悪イデオロギー
である。軍事を嫌悪し、戦争を嫌悪し、戦いから逃げているかぎり
日本は、永久にアメリカの属国であり、自立した国家にはなれない。
■親の手を離れ、一人の人間が独立するということは、新しい自分の
家族を護ることである。経済的、物理的に外敵から守ることである。
一国もまったく同じではないか。国家の防衛、すなわち、軍事力を
アメリカにおんぶされているかぎり、百年後も、日本はアメリカの属国
でありつづけるだろう。軍事力の独立とはそれほど重大なものだ。
軍事力が独立してはじめて、国家は独立国家とよべるのだ。歴史を
見よ。軍事力を他国に依存しているかぎり、その国家は独立国家とは
いわないのである。
防御の時代、長期停滞中にやるべき
具体的な改革は次のことだ。
★第一は、憲法改正である。
日本人は何をぐずぐずしているのだろう。憲法改正に踏み出す勇気をもて。
憲法改正ができるか否か、これで二一世紀の日本の命運はきまってしまう。
もし、できなければ、日本は、アメリカの属国であり、シナとチョーセンに膝を
屈する国家でありつづけるだろう。憲法改正に早く着手しないと、日本はい
つまでも、一国平和主義という臆病で腰抜けな自閉症国家でありつづける。
★第二は、軍事意識の改革だ。軍事力を経済力とならぶ二大柱にもってくる
ことである。
イギリス国民、フランス国民、ドイツ国民と同程度の軍事意識を国民に醸成する
ことである。軍事を国民常識にまで教育啓蒙することである。
★第三は、徴兵制すなわち兵役義務を青年と国民に科すことである。
国を愛するということを具体的な行動で教育しないかぎり、日本は、いつまでも、
アメリカの下僕で終わるだろう。シナとチョウセンの恫喝におびえ続けるだろう。
★第四は、強い国家と国民の育成である。
戦後50年、日本は軟弱な国家と国民になりさがってしまった。NHKの「北条時宗」
は、現代日本人の精神構造と肉体構造の軟弱さを象徴するような番組だった。
蒙古撃退の物語は、歴史的、伝統的に、日本人の勇気と勇敢と愛国心を証明する
象徴的な大事件だったはずだ。鎌倉武士の雄々しくも勇敢なる戦闘精神を象徴
する物語だ。それを何を血迷ようたのか、北条時宗を軟弱きわまりない男にして
しまった。ここにも戦後50年のおそるべき平和主義イデオロギーの害毒をみること
ができる。
平成13年12月14日
元禄15年12月14日
赤穂四十七義士の討ち入りの日
★かつてこの国では、この日が近づくと、国民的な盛り上がりで、
映画やテレビや演劇が、にぎやかに催されたものである。
しかし、近年の赤穂義士への盛り上がりの欠如は、日本人の
一国平和主義の無残な結果だろう。戦後平和主義教育の無残な
結末というものだろう。義のために生命を投げ出すという、かつての
日本人なら、だれでもがもっていた常識が失われつつあるということだ。
★平和主義に毒されたマスコミ人や知識人のアメリカ空爆への反対
その証明だ。アメリカへの協力は理屈ではないのだ。
ただひとつ「義」である。友に対する「義」である。
「義によって助太刀いたす」ということなのだ。理屈はいらぬ。
武士道の花咲く国の日本人ならば、そんなことは常識だったのだ。
★人のために命を捨てる。義のために命を捨てる。国家や国民の
ために命をすてる。これらを失うと人間は人間でなくなり、国家は
国家でなくなる。今、日本はそういう恐るべき危機にある。
★戦後平和主義イデオロギー、その象徴としての日本国憲法イデオ
ロギーは、日本国中におのれのことしか考えない自己中心の無数の
エゴイストをつくり出してしまった。
★ゴジラ先生の事務所の近くに、浅野家の菩提寺である泉岳寺がある。
ここに四十七士は静かに眠っている。300年間線香のけむりは絶えた
ことはない。これが唯一の救いである。義を讃える日本人は今後も変わ
らず線香をそなえ、義士の義勇を讃え、その勇気の物語を語り続ける
だろう。
★心ある日本人よ、一度は泉岳寺へ行って、四十七人の義の物語を
静かに思い起こしていただきたい。義は美しいものだ。義によって死ぬ
ということほど美しいものはない。人の感動をよぶものはない。
聖書、ヨハネ福音書第15章、「友のために命を捨てること、これ以上
の愛はない」とある。人のために命を捨てる、義のために生命を投げ出す
これは万国共通なのだ。
平成13年12月3日
ミッチーこと、美智子皇后陛下こそ、
日本女性の鏡である。美智子妃の前に
美智子妃なく、美智子妃の後に美智子妃なし
大和撫子とは美智子皇后陛下のような人をいうのだ。
日本の歴史や伝統や文化を体現した日本女性の象徴である。
歴史と伝統のなかで、数百年かけて育成すると、こういう女性が
誕生するという見事な例だ。高貴なる振る舞い、物腰、態度は、
群馬の館林で、数百年は続く庄屋という名門の家柄が作り上げ
た傑作中の傑作である。土地の農民や百姓の鏡となり、百姓を
思いやり、百姓を助けて、土地の発展をはかってきた庄屋という
日本の歴史と伝統を体現する家柄がはぐくんだ人、
それが美智子皇后陛下なのである。
■こういう家柄や人柄というものは、一朝一夕にでき上がる
ものではないのだ。これが伝統であり歴史文化というものだ。
開かれた皇室などというのは一見もっともらしい。しかし、
歴史と伝統を体現せぬ下品なる人間を生み易いものだ。
皇室は開かれる必要はまったくない。開かれないからこそ
皇室なのだ。そんじょそこらの庶民やタレントの家とは違う。
■天皇家は、二千年以上の昔の神話の世界に続く家柄な
のである。神の領域といってもいい。神聖であり、神々しく
あってほしいのだ。だから尊敬と崇拝の対象になるのだ。
世俗に降りてくる必要は毛頭ない。世俗臭い人間などは、
尊敬も崇拝もしたくない。世俗に降りてくると、これを利用
しようとする、下衆なよからぬ輩が出てくるのだ。
■天皇家は京都に帰り、神々しい存在としていることこそ本来の
姿である。なまじっか東京などで世俗にまみれ、政治に利用され
ることは断じてよくない。天皇がカミ(神)であってもいいではないか。
神々しいカミ(神)として京都に存在することはすばらしいことではないか。
イギリスなどヨーロッパの世俗的な王室とは格が違うのだ。まして、
ダイアナやチャールズの醜聞を生んだイギリス王室とは品格が違う。
■天皇は、本来、「カミサマ」なのである。恐れ多い「カミ様」なのだ。
京都に鎮座まします「カミ様」なのだ。英国王室の下品なる連中と
一緒にするな。何が開かれた皇室だ。アホウも休み休み言え。
皇室はカミサマとして神秘のベールに閉ざされてこそ皇室だ。
日本が世界に誇れる只一つのものは天皇だ。
現在の日本において、天皇以外に世界に誇れる
ものが他にあるのか。日本がもつ、世界にただ一つ
の存在であることを日本人はもっともっと自覚せよ。
自慢せよ。誇りに思え。世俗のリーダー、ブッシュも
江沢民も、二千数百年も続く、カミ様である天皇の前
平成13年12月17日
二日間の知の奮戦、お疲れさまでした。
土、日曜日、二日間、ディベート大学は盛大のうちに
終了しました。
★15日は、論題『デフレスパイラルは克服できるか否か』
★16日は、論題『東京裁判は正しい裁判であったか否か』
経済問題は奥行きが深く、まことに難しい分野である。
ゆえにディベートするに値し、かつ、ディベートでしか解け
ないテーマでもある。同じく、東京裁判、これは戦後50年間
の日本人を呪縛しつづけている、日本人のトラウマの根本原
因である。
支那チャンコロのアホウどもの内政干渉に
断乎たる抗議行動をとれ。
産経新聞12月17日の一面によると、11月21日に北京で開
かれた日中の外交当局者の協議で、「自衛艦の派遣は憲法に
違反する」と中国の外交当局が主張したそうである。
■これは日本の憲法に干渉する許しがたい内政干渉である。
シナのチャンコロ野郎の無礼極まりない内政干渉である。日本
政府は、断乎たる抗議行動をとれ。歴史は繰り返す。シナチャン
コロの阿呆どもは、昭和初期にも日本に対して侮日行動を繰り返した。
中華思想にもとづく日本に対する蔑視は、いつまでもたっても変わら
ぬ民族性である。ガツンと言わせないと懲りない民族である。下手に
でると、いくらでもつけあがる民族である。
くだらん