∞コスモストロープ∞ part3

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151名無しさん@花束いっぱい。
美牧○京は、自室の玄関に駆け込むなり、こらえていた涙をようやく解放した。
涙は後から後から、受けた苦しみの分だけ、とめどなく溢れてくる。
近頃、楽屋出は針のむしろだ。めっきり減ったお付を従え、逃げるように楽屋口を
後にしても、ギャラリーの陰口がひそひそと後を追ってくる。
「あれが美牧だよ」「へえー、あれか。全然見たことないや、私宙ファン長いのに」
「まじ、早くやめればいいのにね」「いたっていなくたって大差ないんだし、
奴ともども消えてほしいよ」「ちょっと、言いすぎじゃない?あの子は何も悪くないんだよ。
悪いのはあのキチ○イだけじゃん」「でもあの子のファンなんでしょ?奴って」
「そうそう、り○ってあの子の愛称だってさ」「うわ、きもっ。もう、今日付けでやめていいよw」
―――言われなくたって、やめてやるわよ!
できるなら、ギャラリーに向かって叫んでやりたい。美牧はぐっと唇を噛んだ。
152名無しさん@花束いっぱい。:2006/04/27(木) 14:51:26 ID:GOWqPPgu
今公演の香盤を見たとき、美牧はあまりに酷い扱いに驚いた。前回の本役は誰もが認める
若手ホープだったのに、今回は専科である。路線落ち………。美牧は目の前が真っ暗になった。
美牧はその足で、プロデューサーに抗議しに行った。音楽学校に入学して6年、美牧は地道な
努力を続けてきた。それが実って、前公演の新公で良役をかちとったのだ。そして、舞台には
全力で臨んだ。満足のいく結果も出せた。それなのに、どういうことなのだ。
「君はインターネットはやるかね?」
プロデューサーの第一声はそれだった。美牧は何のことか分からなかった。
「ヤ○ーの検索ぐらいなら、たまに使いますけど」
「大型掲示板の2ち○んねるは、行ったことはないかい?うちの劇団専用のカテゴリーも
あるんだよ」
美牧は2○ゃんねると聞いてすぐに閃いた。ニュースで見たことがある、そのインターネット
掲示板では、根拠のない噂や悪口が書き込まれ、何度か訴訟沙汰になっているという。
「何を書かれたか知りませんが、私は劇団に恥じるようなことは一度もしていません。
匿名をいいことにあることないこと書くような連中の言う事を、プロデューサーはお信じに
なるんですか」
「あることないこと、ね。その類ならよかったんだが」
プロデューサーはデスクのパソコンを立ち上げ、美牧にある2ちゃんね○のスレッドを見せた。
1分後、美牧は吐き気をこらえて唇を覆うことになる。
153名無しさん@花束いっぱい。:2006/04/27(木) 14:52:16 ID:GOWqPPgu
「りさたんでしゅ〜っブイブイ」「あひ『りさ、お前って本当に可愛いよな』」
「りさたんってまじ、貴族の顔だよなっ」「りさたんのくりくりお目目〜」
「宝塚に入って宙組に入りたい」「芸名は鳳端わたるに決めました」
初めは普通に公演の話を続けていたスレッドが、一人の異常者に乗っ取られ、機能停止を余儀なく
されていた。そしてその異常者は、美牧本人が見ても、彼女のファンに他ならない。
「今のファンは、みんなインターネットやるからねえ。困るんだよ、こういうのは。
こう言っては難だが、君はまだ知名度も低い。多くの宙組ファンに、美牧○京=異常なファンが
ついている人というイメージがついてしまった。君の出番のたび、お客様の多くはこの異常者を
連想する。そんな君に大きな役がつけられると思うかね?」
「そんな………」
「気の毒だが、ファンを選べないのが人気商売だ。諦めなさい」
美牧はその場にへたりこんだ。それが、美牧の苦難の始まりだった。
154名無しさん@花束いっぱい。:2006/04/27(木) 14:53:01 ID:GOWqPPgu
稽古場に戻った美牧のもとに、ある同期が走ってきた。慰めてくれるのだろうか。やはり同期は
良いものだ。ほころびかけた美牧の表情は、同期の言葉に固まった。
「りさ、悪いけど、しばらく私に寄らないでくれる?」
「え………」
「何かインターネットに変な人いてさ。あんたのファンらしいんだけど。私とあんたのこと仲良し
とかいって、超きもいの。あんなのに名前出されて、はっきり言って迷惑だしさ」
「わ、私だって、迷惑よ!」
「でもあんたのファンでしょ。あんたにさえ寄り付かなければ、私には関係ないことだもん。
私、まだやめる気ないし。だから、ごめんね」
心苦しそうな同期の後ろ姿を、美牧はぼうぜんと見送った。突然体に取り付いたばい菌のせいで、
仕事と友人が一度に遠ざかってしまった。これから一体どうなるのだろう。
155名無しさん@花束いっぱい。:2006/04/27(木) 14:53:31 ID:GOWqPPgu
玄関先に座り込んで、美牧は小一時間も泣いていた。稽古中も、公演が始まっても、美牧を襲う
苦難は尽きることはなかった。同期と同じく異常者に名前を出されたために、急に白い目で自分を
見るようになった先輩。突如として増えたいやがらせの手紙(全てがインターネットの異常者絡み
だった)。「りさたんの仲良し」として異常者に目をつけられたくないのか、距離を置いて接する
ようになった組子たち。誰が悪いわけでもない、もし他の生徒が同じ目にあったとしたら、美牧だって
同じことをしただろう。ファンが腹を立てるのだって理解できる。
―――だけど、私が悪いんじゃないのに。悪いのは、あの異常者なのに。
美牧は胸の中に、かつてないほどの憎しみを鬱積させていた。
温かな家庭に生まれ、友人にも恵まれた美牧にとって、他人に対してこれほどの憎しみを抱いたのは
初めてのことだった。
―――何がファンだ。あんたのせいで、私の宝塚人生はめちゃくちゃよ!
美牧は頭をかきむしった。
156名無しさん@花束いっぱい。:2006/04/27(木) 14:54:59 ID:GOWqPPgu
そのとき、携帯電話の着信音が鳴った。
「もしもし、俺。また泣いてたの?」
電話の声を聞き、美牧は荒みきった心の中に温かな波が広がるのを感じた。婚約者だ。
「うん、でも、大丈夫だよ」
「ごめんな、仕事のせいで傍にいてやれなくて」
「いいよ、仕方ないよ」
「何度も言うけどさ。明日にでもやめられないの?毎日毎日りさが泣いてるの、俺いやだな」
「そうしたいけど………届けとか、挨拶回りとか、色々あるのよ。できるだけ、早くやめるけど、
次の大劇場が年末だから、それまでには」
「宝塚って、確か妊娠したら中途半端でもやめられるんだろ?俺襲っちゃおかな」
「やだあ」
美牧は、その日初めて、自然に笑っていた。砂を噛むような日々の中で、幸せな時間といえば、婚約者
との電話の時間だけだった。
「できるだけ、早く迎えに行くから」
「うん。待ってる」
美牧は、頬につたう涙をすくいとった。
―――早く、迎えに来てよ。ここはもう地獄なんだから。
憧れて憧れて、必死のレッスンを重ねてようやく入って、気の合う仲間達と夢の舞台を
創り上げていた、砂糖菓子のような世界が、数日のうちに姿を変えた地獄。
美牧は胸の中で憎しみを新たにした。さっさと劇団をやめて、奴の前から「りさたん」を
消し去ってしまうことが、美牧にできる唯一の復讐だった。

(※※この物語はフィクションです※※)