特殊慰安施設協会(RAA: Recreation and Amusement Association)
第二次世界大戦後、日本に作られた連合国軍(占領軍)兵士向けの売春婦(慰安婦)がいた慰安所である。
東京周辺のRAA関連施設
東京には高級将校用慰安所としては、1945年10月20日に墨田区向島に「迎賓館大蔵」が、同11月に
世田谷区若林に「RAAクラブ」の二箇所が設置された[19](1946年8月、占領軍により接収)。
一般兵士用慰安所としては、東京都品川区大森海岸に、小町園、楽々、見晴、波満川、蜂之喜、花月、やなぎ、乙女、清楽、
日の出などの割烹旅館が、多摩地区では福生営業所(福生)、調布園(調布)、西多摩郡三田村には「楽々ハウス」などが、
立川市にはキャバレー富士、三鷹にはニューキャッスル(キャバレーも兼ねる)などが慰安所として設置された。
慰安所の他に、RAAではキャバレーやビヤホールも設置され、そこで日本人女性と出会うような仕組みとなっていた。
銀座のキャバレーとしては千疋屋、「オアシス・オブ・銀座」、木挽町の歌舞伎座別館にはクラブエデンが開設され、
他、銀座のビヤホールとしてはエビスビヤホールなどが開設され、このほか港区高輪のパラマウント、赤羽の赤羽会館
(赤羽キャバレー)などがRAA関連施設として開設された。
なお、これらのRAA施設の他、花柳街など民間の風俗施設も興隆し、たとえば東京中野区の新井町の花柳街は占領軍一色
であった。
また救世軍は1947年4月に東京都の委託で立川に「特殊婦人保護施設 新生寮」、同年6月に大阪府の委託で「西成朝光寮」
を開設している
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%85%B0%E5%AE%89%E6%96%BD%E8%A8%AD%E5%8D%94%E4%BC%9A