シベリア郵便局・383通目【レス代行】

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964いやあ名無しってほんとにいいもんですね
【依頼に関してのコメントなど】よろしくお願いします。
【板名】 哲学板
【スレ名】 ◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない188◆
【スレURL】(p)(p)http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1324487103/l50
【名前欄】 抄録
【メール欄】 sage
【本文】↓
「なってしまい」はいまいちでしたかね。。
特にネガティブな気持ちがあるわけでもなく(別にあってもいいのだがw)、
なんとなくリズム的に強調したかったのですw
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そこで貴方が「物語り」を「真」と両立不可能に対立させていることに違和感を感じます。
なぜなら貴方は「語り方の差異こそが問題」と言っているわけであり
それは「物語ること」によって真(らしきもの)にアクセスすることを期待しているように見える。

「物語る」ことが可能であり、その差異を問題とすることが可能であるのは、
それを可能とする真理があるから、と考えるのは割と妥当な推論ではないですかね。
そうでなければ「物語りの差異を問題とできるのは常に偶然。」となってしまう。
物語りを(ただの)物語として判断する思考構造の下では、真そのものを物語ることは(とりあえず)できないわけですが、
その場合に於いても「物語り」と「真」とは対立しない。これは一貫していませんか?
恥ずかしながら私はプラトンすらまともには読みませんが、
感覚的世界とイデアとの関係はそのようなものかしら、と思っていたのですが、違いますか。
「全ては物語り」・・正確にはこう言うべきなのか
「見えるもの語られるものは全て物語り」(ナンセンスか・・いやいや)

私は真を“隠し持っている”のでもなく堂々真理主義者です。
それを端々からも真ん中からも先っちょからも出してますーw
しかし(いわゆる)物語りを真と同格に対立させる思考構造に於いては、
錯綜した懐疑論世界(≒マトリックス)を構成するので、それは認められませんw