日本人全員が出る杭を打つ性格ではない

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284ナナシズム:2007/12/15(土) 09:24:35 ID:RihqYylG
    「「 テロ特措法は日本に恒久的な戦争を招く恐れがある。 」」
 世界は資源の不足と地球環境の悪化で貧富の差を無くす事は人間の良心に頼る
以外無いだろう。もし、資源が豊富にあればその資源によって貧しい国も潤う事が出来
るが、資源の保有量は多くの国々の必要とする量を確保する事は難しいようだ。そして、
地球環境の悪化である。これまでのように地下資源を利用すれば地球環境は悪化し
人間の生活環境への影響が増えるという事である。地球環境の悪化は資源を使った
国だけに影響するのならば国単位で対策を取ればいいのだが残念なことに地球環境は
一国だけの問題では済まないということだ。人間は国で地球を区切り、それぞれの国の
法律でその国を規制しているが地球環境は国境は無いのである。地上は区切る事が
出来ても空中は全てが繋がり、国によって区切る事は出来ない。更に水である。特に
海水は世界中を循環しているのである。更に太陽の光も大きく影響する。簡単に言えば
地球は一つと言う事だ。一国の環境悪化が全ての国に影響するという事だ。私たちは
国単位ではなく地球の住人として世界中が一つになり全ての国々で同じ対策を行なう
ことが重要なのです。
 私たちはどこに武力を使うというのでしょう。6年前のテロ攻撃に対して世界中がテロ
撲滅の為に立ち上がりテロ戦争を支持したが6年経った今日、多くの疑問と現実の
矛盾が私たちの目に入るようになり、武力を使ったテロ戦争が世界平和と地球環境に
対して有効な手段ではない事を実感させているのである。テロを行なう原因は世界的な
格差が大きく影響している事に世界中が気付いたのである。貧困による格差が貧富の
争いを生み、それが武力での争いへと発展し、貧困者の抵抗がテロ行為を生んだの
である。日本が今、テロ特措法を制定すると言う事はこの貧富の差を武力を使って
無くす事を意味するのである。しかし、それは決して陥っては成らない結果であり、それは
日本に恒久的な戦争の日々を約束するものでは無いか。そして、それは地球に取って
最悪な選択であり、地球環境は人類の最良の選択として決して認めないのではないか。
285ナナシズム:2007/12/16(日) 09:24:10 ID:4X3nk/s6
  「「 テロ特措法、自国だけが幸せならばいい時代が過ぎたとすれば。 」」
 平和国家は何によって維持されるのかを考て見ると、今、日本を平和国家と思っている
人々は本当の平和を知らない人たちではないか。私たちはテロ特措法により、日本が
平和国家として胸を晴れない事に気付いた。そして、日本人が世界平和を願っていない
事に気付いたのである。世界平和とは全ての人の命を尊いと思わなければ成らない。
 地球の力、大地の力、水の力、太陽の力、私たちは無限の存在として信じてきたものが
限るあるものとして、多くの人たちが気付き、その無限の力が私たち人間の生活により
傷つき、その力が衰えてしまったのである。
 世界の人々の生活水準を見ると大きく異なり、そこには貧富の差が歴然と分かる。
そして、その差は単なる差では無く。人々の心の溝として現れているのである。
 私たち人間は同じ土俵で戦った場合であったとしても勝者と敗者の間には何らかの
溝が出来、その溝は不公平へと発展し両者の間の争いに在るのである。
 国同士、人種同士、国民同士の関係を見ると同じ土俵では無いところで戦い、そこに
敗者と勝者が存在し、大きな溝が出来、もし、その溝を埋める努力を怠るとそこには
必ずと言っていいほど争いが生じるのである。
 テロ特措法は人間同士の溝を武力によって埋めようとする行為である。この溝は
不公平と不平等から来る貧富の差である。片や贅沢な生活、片や貧困生活、この差は
人間の欲望、本能を刺激し、その刺激は決して我慢が出来ない。もし、その刺激を
押さえ込むとすれば恐怖以外ないのでは無いか。自分に無いものを他人が持っている
事に対する嫉妬、そして、欲望、その欲望を達成できない絶望、しかし、その欲望が
目の前にある現実、世界の人々は既に自国だけ、自分だけの幸せを求めてはいけない
時代を迎えたのでは無いのか。日本がテロ特措法を施行する時代は地球上にはない。
テロ特措法で日本のこの贅沢な生活を続ける為に他国の人々を傷つけていいのだろうか。
日本人の選択で世界の不均衡は益々大きくなり、その溝は広がる。
286ナナシズム:2007/12/17(月) 09:34:09 ID:Vbwcfo+q
    「「 テロ特措法、日本人は武力での世界貢献を認めることは出来ない。 」」
 世界は巨大なメデアにより、武力を許さない時代が必ず来るし、今はその過程と考え
るべきではないか。世界の不均衡は武力では無く、メデアによって無くす努力が必要で
あり、それは可能では無いか。
 世界には多くの人々が生活し、その多くは貧しい生活を送っている。そして、その
貧しい人々も多くのメデアにより、世界の事情を手に入れ、自分の生活と他の人たちの
生活を比較し、今の自分の生活が公平か、それとも不公平かを自分で確認が出来る
のである。それは政治家や役人たちの説明よりも正確な情報であり、そして、その情報
はメデアの管理者にもメディアから流れる情報を操作できない時代に成ったのではないか。
 世界の人々の社会生活が全ての世界中の人々に正確に手に入れることが出来る
世の中になったとき、戦争を行なっている国々に対する世界からの批判は大きくなり
軍隊を使い国の利益を得るような国家は世界中から締め出される可能性も在るのでは
無いか。日本はどのようなことが在ろうとも世界に対して日本の商品を販売しその利益を
える必要があり、日本の全ての人々の生活を保障する為には多くの国々と友好的に
交流しなければいけないのである。
 一部の政治家や役人、更に大企業の利益の為に武力に頼る事は決して世界貢献を
行なうことにはならない。なぜ、人を殺す事が世界貢献といえるのか。単に貧しい人々が
テロ行為で裕福な国に攻撃をしたからと言って全ての国民を巻き込んだ戦争まで戦いを
広げる必要は無いのである。日本の現政権はなぜ、テロリストがテロ攻撃をするのか
一言も言わないではないか。ただ、テロ攻撃をされたら大変だ程度であり、テロ攻撃は
なんによって起こっているか、日本国民に説明すべきであり、また、日本国民もその
理由を聞いてからテロ特措法を支持すべきではないか。
 多くの見解ではテロは貧困者から発生し、政治の不公平や富の不平等な配分により
起こると言われています。それが事実ならば武力では解決できるはずが無いと思います。
287:2007/12/18(火) 01:11:22 ID:4AoIX9D2
性格分析できる「ブログパーツ emo[エモ]」リリース
http://news.ameba.jp/weblog/2007/12/9535.html
288ナナシズム:2007/12/18(火) 13:45:24 ID:SUJLYR7H
    「「 テロ特措法、宙に漂う政治家たちの決断。 」」
 なぜ、人が死ぬのか。政治家たちは何の為に人を殺す決断を下すのか。テロ特措法
によって殺される人々は何人に成るのか。米国によるテロ戦争を支援しなければ日本は
どうなってしまうのか。テロ戦争によって世界はどう変るのか。それは誰が分かって
いるのか。テロリストはなぜ、テロを行なうのか。テロによって死ぬ人たちの運命は
ただこの世から消えるだけなのか。目的を見失った人たちによる戦争、目的を作った
人たちによる戦争、目的を明らかにしない人たちによる戦争、私たちは何も分からない
戦争をなぜ、認めなければ成らないのか。テロリストにより、テロが起き、多くの人たちが
犠牲になった。その事実だけで全てを理解しろと言うのか。政治家たちは何が何でも
テロ特措法を制定し自衛隊を戦場へ送り出そうとしている。自衛隊は補給活動だけで
在ったとしても戦場には変りは無い。人を殺しに行く事が分かっているのにその人を
送り届ける人、またはその人に資金を渡す人、そして、燃料を渡す人は人を殺すと
言っていいのではないか。どの立場に立とうと誰が何をするのか知っている人たちは
共犯者であり、同じ目的を持った人たちと言っていいのではないか。
 政治家たちの決断は日本人に取ってどのように受け入れられているのか。政治家
たちの決断が日本人に何を与えるのか。政治家たちの決断が日本人に人殺しの
汚名を負わせるとすればそれは正しい決断といえるのか。日本人の何割の人たちが
あえて人殺しを認めるのか。日本人になぜ、人殺しの役割を負わせるのか。人を殺す
ことによって日本人は幸せなのか。人を殺す事によって人は幸せに成れるのか。
 多くの問いに答えられる政治家はいるのか。多くの疑問に答えられるのか。その
答えに嘘は無いのか。嘘をついてまで日本人を戦場に送りたいのか。政治家たちの
決断は宙に漂い掴み所が無く、私たち日本人の見えない真実を更に隠すように、ただ、
日本人の目の前を漂うだけでは無いのか。日本の未来を見つめればその未来を
人の血で塗り潰す事が正しい決断と言えるのか。言える筈が無いと思わないのか。
289ナナシズム:2007/12/19(水) 08:38:47 ID:7R+2O+xb
    「「 テロ特措法、メデアが反対をしない理由。 」」
 メデアは日本人に取ってどんな存在なのか。メデアを見ると何でも一番の人たちを
誉め、一番でないと何も取り上げない。どんなに悪人でも金さえ持っていれば善人の
ように扱い、メデアの人たちはその悪人に何でも一番に成るのは凄いと誉める。私たちは
そんなメデアを見ながら納得させられどんな人でも金さえ稼げばいい人に成れると思って
しまう。メデアは視聴率を気にする。視聴率は日本人の全ての人たちのデータを取るので
は無く、ある特定の人たちを指定しその人たちの視聴を計算し数字で表す。ただ、
どんな人たちを選択して視聴率を出しているのか私たちには分からない。メデアは
日本人の何割の人たちを対象にしているのか。メデアは日本人に何を求めているのか。
視聴率を調べている対象者はいつもメデアを見ているのか。500人程度の人たちで
視聴率を出しているようだがこの500人全員が見ているのか、この500人の何割が
メデアを見ているのか知りたいものだ。
 日本人に取ってメデアは非常に大切な手段であり、多くの人たちと意見を共有する
上で無くてはならない機能である。今のメデアは機能的にも精神的にも全ての日本人の
心の奥まで入り込み日本人が進むべき道を十分示すだけの能力を持っているのでは
ないか。しかしである。ところがである。メデアを見る限り、何一つ役割を果たしていない。
 日本人の進む道はパンツ一枚、不良の溜まり場、芸人の身の上話、ニュースの中の
占い、おしゃべり上手な可愛い女、口下手な駄目な男たち、芝居の出来ない素人俳優、
口では新聞と違うといいながら新聞を読む司会者、駄目人間も一番に成れば素晴らしい
人に変身、視聴率さえ良ければ直ぐ文化人、真の文化人も視聴率が悪ければただの人、
 視聴率は消費税と同じではないか。商品の価格にメデアの人たちの高い給料と豪華な
建物の価格が商品の価格に加えられ、商品の価格が高くなる。消費税ブラス視聴率。
 メデアは金が好きな人たちの集まりと思えてしまう。テロ特措法は政治家に言わせると
日本人の利益を考えて施行したいと言うことだ。命より金という事か。
290ナナシズム:2007/12/20(木) 11:27:16 ID:aXBsb67O
    「「 テロ特措法、国民が反対をしない理由。 」」
 日本人は全てを諦めたのでしょうか。日本人には尊敬する人が誰もいなくなったのでは
ないか。誰が何を言っても信用できない。誰が何を言っても嘘に聞こえる。言葉よりも
金、金しか信用できなくなってしまったのではないか。子供は親の財産を心配し。親は
子供の将来の稼ぎを当てにする。金のある親は自慢の親、金の無い親は厄介物、
金を稼ぐ子供は宝物、金を稼がない子供は金食い虫、子供は金を払い他人が育てる。
年老いた親は金を払い他人が世話する。貯金をすれば国が借金する。借りた金を
返せなくなったら自己破産。年金貰っても使うのは子供たち。企業の経営者は子供の
世話より会社の仕事を優先。女の人も子供を産んだら直ぐ働く事を国は奨励する。
 女は子供よりお金、男は子供より愛人、女はプライドよりお金、男は愛より性欲、
貧乏人は分らず屋、金持ちはケチ、貧困者は他人任せ、富める者は嘘つき上手、
子供は金さえくれれば上機嫌、他人の不幸を喜ぶ女たち、美しい女なら愛はいらない
男たち、愛無き言葉に酔い痴れる堅気の女、顔も歳も関係ない体さえあれば喜ぶ男たち、
好きになったら我を忘れる女たち、好きになったら殺してでも自分の物にする男、嫌いに
成ったら罵る女たち、嫌いに成ったら一目散に逃げる男たち、殺されて始めて分かる
家族愛、権力と金さえ在れば人気者、馬鹿でも人気者なら文化人、仕事をしなくても
給料を貰える偉い人たち、年金を使う暇ない税金泥棒、生活保護働かない理由に
なっちゃった。公務員自分の仕事が分からない。公務員お金のためには働かない。
大企業公務員の財布が頼みの綱、大企業公務員だけがお得意さん。大企業公務員が
いなけりゃ倒産だ。貯金して自分の貯金を借りて高い利息を払う馬鹿な人、銀行は
リスクだけを国民に押し付ける。
 テロ特措法を心配する人はどこにもいない。テロ特措法は憲法違反と言う人はどこ
にもいない。テロ特措法が戦争に参加すると言うことがどういうことなのか誰も気にしない。
戦争で多くの人が死んでいることを誰も気にしない。死ぬ人が可哀想だから私は反対します。
291ナナシズム:2007/12/24(月) 16:04:09 ID:xD2W4Sxt
    「「 テロ特措法、なぜ、戦場の映像が流れないのか。 」」
 テロ特措法を政治家たちは制定し、自衛隊を戦場に送ろうとしている。テロ戦争は
6年経ち、何百人、何千人と犠牲者が増え、今だ、戦争は終わってない。
 日本は撤退し、再度法律を作り、自衛隊を戦場に送ろうとしている。平和憲法による
戦争放棄を私たちは無視をする事がなぜ、許されるのか理解出来ない。多くの国民の
声は政治家たちにはなぜ、届かないのか不思議で成らない。政治家は選挙により選出
される訳だが私たちの意見を政治に反映する政治家を私たちは選んでいないのでは
ないか。戦争は人と人との殺し合いであり、私たちの法治国家では命を犠牲にする行為を
禁じているのである。法治国家では意見が違うからと言って相手を傷つけたり、殺害し
たりは出来ないし、人を殺す事で物事の解決は法治国家として余りにもかけ離れた
理論であり、このことは将来の日本人への間違ったメッセージとして私たちは後悔する
のでは無いだろうか。
 私たちは戦争による人々の嘆き、多くの人々が傷つき死んでいく光景は多くの戦場の
映像が証明し、その映像は決して人類に対して戦争を物事の解決策として適当な行為と
して残されているのでは無く、それは人類に取って醜い行為であって今後そのような
戦争を起こさない為の教訓としてその多くの戦争の映像は残されているのではないか。
 私たちは沢山の経験と教育により、戦争を禁じて来たが現政権の政治家は日本人に
対して戦争参加を呼びかけ、私たちの自衛隊を米国が引き起こした戦争に参加をさせ
ようとしている。これは大変な裏切り行為であり、過去の人々、現在の人々、そして、
将来の日本人への悪事として私たちは大きな過失を追うことになるのではないか。
 不思議な事に6年経過した戦争の映像をこの映像社会である現在、我々は見たことが
在るのだろうか。今回の戦争が天地に誓って正しい戦争ならば私たちはその映像を
何回と無く見ていいのでは無いのか。この事実そこ、この戦争の悪を証明している
のでは無いでしょうか。映像として多くの人々に証明できない行為を平和国家として認められない。
292ナナシズム:2007/12/25(火) 09:20:12 ID:/76h9LO+
    「「 テロ特措法、日本人は人殺しには成らない。 」」
 現政権が抱える闇は深く悲しい。人の命を奪う戦争を平和を愛する日本人へ求める
現政権の政治家たち、多くの不正と多くの偽りによりテロ特措法を正当化する詭弁は
人を疑う事を忘れた日本人の多くの人々はその言葉に陶酔し戦争参加を声高らかに
叫び宗教への誘いの如き、無意識の中の運命を手探りをしながら、自らの浅い知識の
中で現政権の政治家たちを神と仰ぎ、戦争への儀式の中に組み込まれ善悪の区別の
出来ない状態を維持しているのである。
 不正により生計を立てる多くの日本人は自意識を持たない人々であり、それは操り
人形となり、社会の中に君臨し、多くの企業や役所の支配者と成っている。金だけが
自分自身を守り、自分の身分を保障すると勘違いし、金を自分のものにする為に戦争
までも利権の材料とする裕福な人々は人の命を軽視し、人の命を引き換えに自らの
富を増やそうとする心の愚かさは、数百年の過去へ前戻ったような常しえの悪意に満ち
溢れた支配階級の憎悪を感じるのである。
 戦争に自衛隊を参加させ、日本軍としての実績を積み世界に対して日本の軍隊が
武力により介入することを世界に証明し、改めて、日本は各国の支配階級に対して
軍隊を持って貧困層への圧力が可能である軍事国家としいの表明をしたいのではないか。
 日本国民は非常に戦争に対する意識が低く、余りにも曖昧であり、意志薄弱な人々
ばかりで、他国の人々の死を余りにも無視しすぎるのでは無いか。日本人自身の命への
執着心は非常に高いが他人に対する思いやりは希薄である。日本人の心情は自らの
信念を持たず自分の生活を維持する事が重要な要因となり、物事の罪悪より、自らの
収入が優先し、戦争の罪悪感は自らの生活への心情が優先する為に消滅してしまう
のではないか。私たち日本人は平和国家の心情を棄ててはいけないのである。戦争は
人を殺すのです。それは戦争に参加する事で直接戦争に行かなくても人を殺せば人殺し
の汚名を負わなければ成らない。人の生命は自らの生命と同じく尊い事を思い出して欲しい。
293ナナシズム:2007/12/25(火) 13:31:20 ID:Ld6tmhEz
人の命を守る為に戦争することも有るのだが?
294ナナシズム:2007/12/26(水) 15:14:34 ID:Zrt7AqVK
    「「 テロ特措法、日本人の心が壊れだした。 」」
 日本人が人を殺す事に何も感じなくなってしまった。何故か、日本人の心が壊れたと
思いたくなった。人は何を考えても自由だが何を考えても結論の出ない人の心の問題は
時々嫌気がさす。誰しも人を殺す事は悪いと分かっている。しかし、戦争で人が死んでいる
いるのにメデアなどを見ても反対する人はほとんどいないことにそろそろ限界を感じて
しまう。テロ特措法は貧困者との戦いである。貧困者が自分たちの国の持ち物を先進国
に奪われた事に気付き取り返そうとする。貧困な国の支配者が先進国と協力して自国の
富を先進国に譲り渡し一部の支配者のみが人間としての自由と生活を得ることが出来る
社会、そんな社会に住む虐げられた人々、その人々は貧しく暮らし、その生活は食料
不足により人々は飢餓に苦しみ、その苦しみは死をも越えた苦しみとなり、自らの命を
犠牲にするテロ行為へと発展する世の中を日本人は一人も想像しない。日本人の多く
は貧しい国々の貧困に比べたら比較にならないほど恵まれている。生死を脅かすほどの
貧困は日本には無い。日本に在るのは飢餓状態より精神的な問題が多く、人に対しる
教育の未熟さによりまだ、貧困から抜け出す事が出来ないでいる人たちが沢山いる。
 日本は経済的には日本人の全ての人々は貧困者とはいえない。問題は政治的問題
である。日本人には貧困者を出さない姿勢が脆弱であり、道徳的配慮が欠け、他人に
対して多くの日本人が厳しく、自己責任を要求し、貧しい人々の援助を十分に理解でき
ない人たちが多い。そして、貧しい立場に成っても自らを貧しい人間として認めたくない
為に不当な借金を重ね、更に貧困へ自らを陥れ、援助の手を自らが拒否する場合もある。
 日本人は道徳心の向上を望む社会的風潮が少なく。自分が所属する組織や団体
に対しては十分に道徳的配慮を行なうが、他人に対しては敵対心と無関心さが目立ち、
援助の手を差し伸べる事が少なく、他人を援助する事に社会は余り評価をしないのである。
 テロ特措法に対する日本人の良心は脆くも崩れ、わが身の保身を強調し、日本としての
心を失った愚か者に成り下がってしまったのであるというより、本性を露にしてしまったのだ。
295ナナシズム:2007/12/27(木) 21:15:45 ID:OQfnMY2q
    「「 テロ特措法、叩き壊された平和を信じた人々。 」」
 憎しみは深く、悲しみは尽きない。積み上げた平和な心は脆くも崩れ、永遠の愛の
炎は途絶えようとしいる。叫んでみても誰の耳にも届かない。壊れ去る社会の儚い
望みは誰一人知る由も無い。
 人は生きるために生きる。人は一人では生きられない。世界に住む多くの人々は
いつか会いそして友と成り、お互いの命の尊さを確かめ合うのではないのか。
 まだ、見ぬ人々をなぜ、日本人は殺さなければ成らないのか。何れ、友に成るかも
知れない人たちをなぜ、殺さなければ成らないのか。どうして、私たち日本人は死を
持ってその答えを出そうとしているのか。なぜ、友を殺さなければ成らないのか。
 現政権の政治家たちを信じる人々は自らの命の尊さを理解しているのだろうか。
人は何れ死にこの世から消える。武器を持って人の命を取る事が正しいことなのか
胸に手を当てて考えて欲しい。
 私たちは何を殺すのだろうか。戦争は何に対して武器を向け、そして、殺す。私たちは
私たちと同じ人間を殺すのではないのか。私たちは人間を殺すのである。そして、私
たちも死ぬ。私たちは忘れてはいないか。私たちは殺すだけではないのである。私たち
は殺される立場にも立つのではないのか。
 私たちは私たちだけではない。家族、友、そして、まだ見ぬこれから生まれる
将来の人々、私たちの後には私たち以上の沢山の人々の命が存在し、その命は現在
の私たちの知恵に非常に深く関わって来るのではないか。
 私たちが私たちの命を武器によって守ると言うことは将来の人々も永遠に武器に
よって自らを守らなければ成らないと言うことではないのか。私たちが殺し続ける貧しい
人々は何れ、私たちより富を得て、私たち日本人に復讐する事は無いのだろうか。今、
無いと言える日本人はどこにもいないのではないか。私たちが平和を愛していた当時は
全ての日本人が胸を張って言えた。日本を攻める国はどこにも無いと。
296ナナシズム:2007/12/28(金) 11:21:06 ID:CZYkhwtW
    「「 テロ特措法、世界の平和は算数だ。 」」
 テロ特措法により、人を日本人は殺す。その理由は現政権の政治家に言わせると
石油、生活、贅沢、富の為、金の為、命の危険を感じる為、こんな理由ということだ。
これはもっともらしく、そして、知恵の無い人々の考える子供のような、そして、愚かな
人々の考える事ではないか。
 テロ特措法によって貧しい人々を殺す事がなぜ、日本人に取って必要なことなのか。
なぜ、世界の人々に取って大事なことなのか。貧しい為に戦い、貧しい為に自爆テロを
行なう人々、貧しくそして衰えた大地、そこに住む貧しい人々、その人たちをなぜ、日本人
は殺さなければ成らないのか。それを日本人は考えているのか。メデアを見る限り一人
もいない。なぜ、日本人はメデアは、日本人が他国の人々を殺す事を許すのか、なぜ、
メデアは毎日、贅沢な番組を流し、気が狂ったような人々を流しつづけるのか。
 テロ特措法は人を殺す法である。日本人は気が狂ったと言っていいのではないのか。
なぜなら、理由がメデアを見る限り一つも無いように見える。日本人はほとんど贅沢を
し、狂ったように遊び、大笑いし、食べ残し、色恋沙汰に明け暮れ、人の不幸を楽しみ
臭いものには蓋をし、楽しいことだけを求め、やな事は隠し、切り捨て、富める者を
称え、富める者だけが人間のように扱い。貧しい者は殺しても仕方が無いように扱う。
 世界の平和は正直と思うべきだ。簡単な算数と考えてもいい。足し算、引き算程度と
考えるべきではないか。日本がテロ特措法により、他国民を殺せば何れ日本人が
殺される。日本人が日本には何一つ他国を攻める理由がないのに同盟国というだけで
人殺しの手伝いをしたら、必ず、将来日本も同じような事が起こる。例えば中国の同盟国
と日本が戦えば日本は中国と戦う事になるのである。テロ特措法は日本人に取って
決して安全な法律とはいえない。法律は国民を守る為のもので在るのに現政権の
政治家たちは日本人を危険な時代に導こうとしている。戦争は決して国際貢献では
ない。国際貢献ならば戦争という手段をとる必要は無いのである。
297ナナシズム:2007/12/29(土) 12:56:42 ID:SpOrgQLc
    「「 テロ特措法、戦争を望まない国民が戦争に参加をする矛盾。 」」
 かつての戦争は日本人のほとんどが戦争を望み、国の為、天皇の為と大義名分を
掲げ戦った。そして、国民は誰一人として戦う事に疑問を抱かず、日本軍の活躍と勇敢
さを誇りにし、多くの国民に取って戦争は決して拒むものでは無かった。
 戦争を行なえば多くの人々が死に残される家族は苦しい生活を強いられ決して戦争が
喜ばれるものではなかったがその当時の人々の教育水準や生活環境は戦争に対する
疑問や矛盾を考えるだけの知識が無かったのである。
 日本も貧しく、多くの国民は餓え、戦って死ぬ事はそんなに恐れるものでは無く、戦争に
よって領土を増やし貧しい生活から抜け出る方法とし戦争は最適な手段で在った。
そして、天皇の存在である。天皇は以前の戦争では神であり、日本人に取って絶対的
存在であった。だから、戦争は富国強兵と言う言葉で表現され強い軍隊を持つことは
国を豊かにする事であり、日本人はそれを信じて疑うものはいなかったのである。
 過去の日本と戦争に負け軍隊を持たない国として60年間という長い年月が過ぎ、
戦勝国である米国から思いも寄らない平和憲法を与えられ、戦争放棄という国の立場を
続けてきた日本人に取って平和は勝ち取った幸せでは無く、与えられた幸せである為に
多くの日本人に取って平和の尊さ、人間に取って平和が如何に重要であるかという事を
理解出来ない人々が現在の日本にいるのである。
 現政権の政治家たちは心のそこから軍国主義者であり、平和はある意味不必要な
生き方であり、多くの人々が幸せに成ることより、限られた人々の幸せを望む人たちで
ある事に早く多くの日本人に分かって欲しい。現政権の政治家の訴える平和は武力を
持って勝ち取った人に対して与えられるもので、他国や他人から奪う事こそその人の
力であり、その人の存在感を表す手段と成っているのである。
 私たち戦争を否定し、世界の全ての人々の平和を願う者とは大きな隔たりがあり、
現政権の求める武力による平和は過去の遺物であり、人の命を代償にした幸せと言える。
298ナナシズム:2007/12/30(日) 08:40:12 ID:JRz5ofHt
    「「 テロ特措法、凍りついた知識が日本を支配する。 」」
 年老いた指導者は一昔いやふた昔前の知識で日本を過去の時代に導こうとしているが
現在の地球の状況を打開するには余りにも古い知識では無いのか。
 現政権の主張する国際貢献は戦争参加、どの面下げて戦争参加を国際貢献と言える
のかと憤りを通り越して激怒を覚える。私たちはそのような教育を受けたことがこの
60年間在ったのか。国々の問題、人々の問題を武力で解決することを学んだことが、
60年間の間に教えた事があるのか。私たちは武力を否定し、武力に頼らない社会を
求め、これまで努力をし、その為の教育も受け、人々の交流からそれぞれの主張を
理解し、お互いの意見を調整することで交流し、武器や偽りで相手を陥れたり、破壊
したりしない世界を望み、日本はその道を歩んで来たのではないのか。
 テロ特措法は今日の日本の社会の基盤である教育を根底から破壊する法案であり、
日本人に取って平等な社会から不平等な社会への片道切符になることは間違いない。
 まず、何が変るのかということだ。テロ特措法は反抗した人は殺せということが基本に
なり、今後、政府に対して反抗する人々に対して死への恐怖を植え付けることが出来る
のである。これから、このままの政権が日本に続けば人々の格差は広がり、日本国内に
貧しい人々が増え、そして、批判分子がその貧困者の為に立ち上がり、そこに抵抗
勢力が生まれ、過激な行動を取ることは想像できる。テロ特措法を作る前の政治家
ならば過激な行動を取らないように不平等を無くし、全ての日本人に公平な社会を
作る為に努力をして来たが現政権の政治家にはその気持ちはほとんど無く、抵抗者は
踏み潰し破壊し殺す事以外その脳裏にはないと言える。そして、多くの国民もそのような
考え方に同調し、テロ特措法を支持し、恐怖政治への憧れを抱いている国民が少なく
ない。多くの支持する国民は現在の自らの贅沢な生活が貧困者たちの犠牲の基に
維持されていることを十分理解をしている為、貧しい人々が豊かになることを容認できない
のである。テロ特措法の阻止がこの凍りついた知識を解かす唯一の答えではないか。
299ナナシズム:2007/12/31(月) 09:38:25 ID:L5kIq2hn
    「「 テロ特措法、米国がする事は何でも正しいと思う人々。 」」
 日本人としてテロ特措法は耐えがたい裏切りであり、人生の中で人間の命をこれほど
軽視した法案を経験したことが無い。米国へのテロにより、日本は混乱の中で戦争への
参加を決定したがそれは今になってみると大きな間違いであり、取り返しの付かない
決定であったように思える。日本人が精神的に混乱してきたのは拉致問題の間違った
対応が切っ掛けになったように思える。日本人は拉致問題から人間的な感覚が動物
的な感覚へと変化し、政治家の能力が極端に低下し、一般の馬鹿な国民程度の能力
に落ちてしまったことでは無いか。政治家は自らが考えるのではなく、極端に国民の
意見を取り入れるようになったのである。そして、その考えは軍国主義色の濃い幼稚な考え
へ変ったように思える。この軍国主義的考えは拉致家族の国家を考慮しない単に被害者
としての主張を政治家と多くの軍国主義を崇拝する国民が支持した事により、日本は
平和的問題解決から交戦的問題解決へ移行してしまったのである。拉致問題により
平和から武力解決への道を歩み始めてしまったのである。そして、テロ特措法に進み
戦争参加という平和憲法を無視した憲法違反へと発展してしまったのである。
 日本人は国家として考えなければ成らない事を個人的な欲望を優先的に考えるよう
になり、拉致被害者に対する拉致家族の単純な被害者としての感情を平和国家として
決して行なってはいけない、軍事国家のような抗戦的な全面的な経済制裁を解決手段と
して選択し、日本は平和国家としての誇りと信念を失い。あくまでも他国に対して平和的
な解決が全世界に対して重要であるという大儀名分を失ってしまったのである。拉致
家族を責めたくは無いが彼らの行動が日本の平和国家としての基盤を破壊し、その結果
としてテロ特措法へと日本を導き、軍事国家である米国の言い成りにならざるを得なく
成ってしまった。拉致家族が米国へ拉致被害者の救済を頼みに行った行為は正に
国民がヤクザに落とし前を頼むようなもので平和国家としては致命傷をあの時点で追って
しまったのである。そして、国民もメデアも何一つ批判をしないことが日本の終わりの始まりだった。
300ナナシズム:2008/01/01(火) 16:06:24 ID:B6Nzxzoc
    「「 テロ特措法、この法案が通過すれば平和国家日本は消滅する。 」」
 テロ特措法を批判すると、現在の日本でテロ特措法は誤法と言わざるを得ない。まず、
テロ特措法は自衛隊がテロ戦争へ参加をする法である。日本国憲法には戦争放棄
が書かれている。憲法は日本人が守らなければ成らない最高の法であり、これを守ら
ないことは刑事事件であり、罪ということだ。国家が憲法を守らないことは国民にとって
非常に問題であり、日常生活、社会的な道徳、国民が守らなければ成らない多くの
法律への対応に国民の姿勢が乱れる結果となり、世の中の治安が悪くなる。
 テロ特措法に対する国民の姿勢は現政権を支持する人たちが支持しているがテロ
特措法の真意は余り理解しているとは思えない。もし、再度テロ特措法が法として成立
するようなことになれば日本の軍事化は益々進み国民に取っても後戻りできない状況に
陥り、ヤクザの世界では無いがシャバに戻る事は出来ないのではないか。
 米国を中心にしたテロ戦争は明らかに殺し合いであり、その戦いにより人間が犠牲
になり、多くの負傷者とその家族や支援者はこの戦いにより沢山の憎しみと恨みを重
ね、戦後がいつになるのか分からないがこのように戦争を続けることでこの地域の状況
は今後何十年も後遺症が残り、戦争が終わったとしても大きな傷跡がこの地域を苦し
めるのである。日本のような平和国家は決してこのような形で参加すべきでは無いの
である。日本にとって平和は非常に重要な財産であり、日本が今後、世界の中で生き
残る手段として平和的な解決に拘る事こそ日本の未来を明るくする要因ではないか。
 日本が今、テロ特措法により、自衛隊を戦争に参加させれば、日本は敵国を作ること
になり、それは日本のような自国では生きていけない国に取っては在ってはならない。
更に米国に対しても同盟国ではあるが平和国家を主張することで、日本の取る平和
国家としての立場を貫けば米国は必ず理解する国である。日本の戦争参加は多くの
不確定な結果を産み、その結果は日本を悩まし、日本の進むべき道の障害となることは
確かであり、現に多くの国民が反対することこそ現政権の政治家たちには脅威ということだ。
301ナナシズム:2008/01/02(水) 11:42:58 ID:PVDrNxLa
    「「 テロ特措法、投票税が在ったらこの法案は成立するか。 」」
国民に主権者としての義務と責任を自覚してもらう為にどうしても日本の法に加えて
欲しい投票税だが、もしこの投票税が日本に在ったとすればテロ特措法を日本人は
認めるだろうか。
 投票税は国民投票において投票を拒否した人から罰則金として2万円程度を徴収し
投票の重要性と責任感を自覚させる為の法律です。
 日本国民は投票税により、これまでのような投票率より高い投票率になるため、国民
の真意を十分把握した政治家が当選する為、憲法違反などの法は決して法律になる
ことはないと予測できる。
 テロ特措法は戦争への参加を目的とした法案です。自衛隊を戦争へ参加させる事は
平和憲法にうたわれている戦争放棄に違反し、平和国家としての人類への反逆であり
平和への反逆を平和国家が犯す事になり世界平和を目指す日本としては余りにも悪意
に満ちた法案と言えないか。
 世界各地で起こるテロは貧困を余儀なくさせられた人々の抵抗と考えれば日本を
含めた先進国の贅沢な生活はテロ行為を単に批判することが正しいのかと考えさせ
られる。それと、政治的な利権争いによるテロ行為も世界には少なくない。各国の各
階層で政治の不平等が人々を争いによる抵抗へと導き、それによって憎しみと絶望的な
感情がテロ行為を選択すると考えてもいいのではないか。
 投票税は政治を国民全体を公平な目で見る政治家を育てる手段としては最適な方法
であり、国民を公平に扱う事で武力による抵抗を無くすことが出来る制度で、今日に
必要な法案と言えないか。この投票税が無い事に改めて疑問に思います。これからも
投票税の成立を願い続け、多くの国民の支持を得てこの制度の確立を願いたいと思い
ます。平和国家としてテロ特措法は貧困者への虐待と位置付け、現政権に対して平和な
姿勢で言論を持って批判し、テロ特措法の施行を阻止する抵抗を我慢強く続けていきたい。
302ナナシズム:2008/01/03(木) 21:49:49 ID:???
ほとんどの奴が出る杭は打たれると思ってるから打たれる。
日本は出る杭は打たれない。日本は出る杭は打たれない。日本は出る杭は打たれない。
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303ナナシズム:2008/01/03(木) 22:56:54 ID:???
893が打つけどな
304ナナシズム:2008/01/04(金) 11:19:55 ID:G3H13FUt
    「「 テロ特措法、メデアが悪いのか、国民が悪いのか。 」」
 メデアを見ると余りにも酷すぎる。報道機関としての役割を果たしているとは到底
思えない。メデアの果す役割を過大評価するつもりは無いがメデアへの国民の期待は
大きいのではないか。新年に当たりテロ戦争に対する番組は在ったのだろうか。正月
だからくだらない番組でいいのだろうか。今のメデアがいつか国民に見捨てられる事を
心から願いたい。そして、いつか真の国民の為のメデアの出現を望みたいと思います。
新年での番組はこの一年の国民の望み、解決しなければならない問題点、テロ戦争の
実態、など国民に取って一年の初めに多くを語り、国民が正しくそして、目的を持って
生活する上での課題を国民全体で考える事が大事なのではないか。国全体の意見を
国民全体で共有できるものはメデアが最適ではないだろうか。しかし、メデアはくだらない
番組と何の役の持たない娯楽番組を流し続ける恐怖は何を考えているのか恐ろしさ
を感じる。メデアとしてテロ特措法に対する番組は正月に流すべきでは無かったか。
 日本が戦争に参加をし、多くの貧しい人々を殺害した戦争に参加をした理由とその
結果、日本人は何を得て、何を失ったのか。馬鹿な芸能人を毎日見る有権者は馬鹿
なのに更に馬鹿になって、会社に言って簸たすら働き、貯金をして、その金を国が借金
をし、その金で大企業に仕事をさせ、大企業が儲け、大企業の社員が高い給料を貰い
少ない金で下請けに仕事をさせ、下請けの社員は少ない給料を貰い、その金を貯金
する。そして、その貯金の金を国が借金し、大企業に仕事を出し、大企業の社員が
高い給料を貰い、その残りの金で下請けに仕事をさせ、下請けの社員は安い給料で
貯金をする。そして、その繰り返しを国民は死ぬまで続け、何も分からずに死んでいく
のである。貧乏な国民は働き、貯金をして、その貯金を公務員や大企業の社員が
面白、可笑しく使い、贅沢な生活を送る。その中にメデアの社員も含まれるとすれば
正月番組が誰の為の番組か分かるというものだ。貧しい国で人々が死にその戦争に
日本が参加をし、なのにメデアはそれについて何も言わない。世の中ってこんなものなのか。
305ナナシズム:2008/01/06(日) 11:56:27 ID:/hPamqCi
    「「 テロ特措法、テロ特措法はこれで死んだ。 」」
 これでテロ特措法を考える事は無いだろう。憲法違反は日本人に取って不利な要因
以外何もない。
 テロ特措法は暴力を容認する法律であり、世界に対して平和国家である日本が暴力を
強化する事は国際貢献からは遠ざかることになる。
 テロ特措法により、日本国内の暴力組織の拡散を進めるのではないか。このような
暴力が人々の問題を解決する手段になれば社会環境の悪化が進む。
 テロ特措法は暴力を貧困者の仕事の場として提供する事になり、貧困者を犯罪者に
する法律であり、貧困者に対する冒?ではないか。国政の失敗により、若者の仕事が
増えない為、失業者が増えるので貧困者対策として、自衛隊員を増やす為にテロ特措法
を作り、海外での戦争参加を進め、貧困者に暴力を容認する法律である。
 テロ特措法は暴力により、他国民を殺す法律であり、平和国家である日本は決して
踏み込んでは行けない領域であり、これに踏み込む事は日本人の若者を殺人者に
する事になる。なぜ、平和な日本で殺人者を国が作らなければならないのか。
 テロ特措法は暴力であり、もし、暴力が日本を救う事になればこれから、義務教育の
中で、暴力を容認しなければ成らなくなり、そんなことが教育の場で教える事になって
いいのだろうか。そのことを考えてる現政権が日本を導く政権ではない。
 テロ特措法の暴力は日本人に取って矛盾する法律ではないか。武力は暴力で無くて
何なのか。家庭で子供たちに暴力を教えられるかということです。米国は銃を家庭で
持てる国であると言うことを忘れてはいけないのではないか。日本は根本的に米国とは
違うのです。米国人は暴力好きであるという事です。だからと言って米国を攻めては
いけないと思います。なぜなら、米国は平和をまだ得ることの出来ない国であるという
ことです。日本が手に入れた平和国家は世界中の中で非常に貴重な事なのです。
なぜ、こんな平和国家をテロ特措法のような暴力的な法律で壊す事ができるでしょうか。
306ナナシズム:2008/01/07(月) 09:41:57 ID:buqUFt0I
    「「 テロ特措法、日本の若者が他国民を殺す事を許す事は出来ない。 」」
 テロ特措法に反対する事は単に綺麗事を言っているのではない。日本の国際貢献を
本物にしたいからだ。
 テロ特措法は日本の国際貢献を失う可能性を秘めた法案と言えないか。テロはなぜ
起きるのかを考えたとき頭に浮かぶ事は貧困ではないのか。テロリストは貧困者からの
政治に対する不満の表明と政治に対する暴力的な抵抗の表れであり、それを国家が
武力で解決すべき事ではないのである。
 世界には社会の不均衡現象から出現した貧困者は数多くいることは誰でも知って
いる事、それは多くの国が抱える問題であり、それを武力で解決する事は歴史の繰り
返し現象である事も歴史を見れば分かるのではないのか。
 テロ特措法はテロに対する抵抗である。テロリストを武力で殺し、テロが出来ないよう
にする法案である。しかし、そんな事は出来ないのである。日本にも貧困者はいる。
貧困者はどこにでもいる。その人たちは生きるか、死ぬかの選択をいつも行い、死が
いつも目の前にあり、死の恐怖はある意味少ない人たちであり、そして、その反面生きる
事への願望が非常に強い人たちと言える。更に何よりも重要な事は武力社会では誰
でもが貧困者になる可能性が在ると言うことではないか。
 テロ特措法を制定することは貧困者を敵にする事であり、貧困者を否定する事になる。
私たちは貧困者が存在しているのであれば否定するのでなく、その存在を明らかにし、
その貧困者たちを救う事が真の国際貢献であり、平和国家である日本のすべき本当の
道ではないのか。
 テロ特措法により日本の若者が武器を持って貧困者を殺す事は日本の望むところでは
ない。日本人に出来る事はテロの原因である貧困を無くし、生きる望みを多くの人々に
与え、世界から武力による争いを無くす事では無いのか。米国が武力により世界平和を
望むなら、日本は知力による世界平和を望むべきではないのか。
307ナナシズム:2008/01/08(火) 09:19:18 ID:2oRFQPqt
    「「 テロ特措法、義務教育が生んだ暴力的な人々。 」」
 人の価値観は教える事で人は取得するのか。それとも生きていく過程で自然に身に
付くものなのか。
 人に対する憎しみ、人への愛情、生きている人への尊厳、他人に対する道徳、全ての
人々に対する公平な精神、人は他人に対する人間としての正しい付き合い方を持って
いなければ成らない。もし、その感情が少しでも間違っていれば人は自らを守る為に
相手を傷付け、そして、自らも傷つく。
 私たち人間はあらゆるものを記憶し、その記憶を利用し、多くのものを想像し、自分たち
が求める必要なものを作り、自分たちが満足できる社会を作ろうとしている。しかし、
自分たちが満足する生活を得るためにはいつの時代も抵抗するものが存在しその
存在は自然で在ったり、動物であり、目に見えない生き物で在ったりする。人の知恵は
多くの抵抗勢力を沢山の犠牲を払い攻略し、自分たちの生活を守って来た。
 人が生きて行く為に戦った多くの抵抗勢力の中で一番の抵抗勢力は人ではないか。
自らの生活を守らなければ成らない相手は同じ人間であったと言う事だ。テロ特措法は
正に教科書通りの人間の本能を露わにした無学な人間の抵抗勢力に対する争いで
あり、平和国家日本の選択すべき争いではない。人が人を自らの生活を乱す抵抗勢力
として敵対し、その人の生命を武力を持って奪う。こんなことが現在起こっていいの
だろうか。その答えを日本人は義務教育の中から探す事が出来るのだろうか。
 私自身は日本の義務教育の中から探す事が出来た。日本人の多くがテロ特措法を
望み、その後押しにより現政権の政治家たちがこの殺人法案を平和国家日本の法律
として制定し、日本の若者たちの手を人間の血で汚そうとしているその答えを探す事
が出来た。その答えは義務教育を教える人たちにあるという事だ。教える人たちが
テロ特措法を認め、それに対して反対をしないということだ。現在日本で起こっている
事は戦争を容認している人々が幼い子供たちを教えていると言う恐ろしい事実である。
308ナナシズム:2008/01/09(水) 09:28:28 ID:DuuXMFMN
    「「 テロ特措法、裕福に成った国民が考える事は自分のことだけ。 」」
 日本の国民は裕福になり生活は贅沢に成ったが大事な事を忘れてしまったようだ。
それは他人の命であり、生活ではないか。昨日、裁判官が交通事故の判決で夜間時速
100kmで12秒間のわき見運転は普通の運転であると言う判決を下したのである。12
秒間は時速100kmで走ったら333m進む事になります。333mを100kmのスピードでわき見
運転が出来る人がいるだろうか。この判決に対してメディアでは12秒間を333mと言わ
ないで説明をしていたが今回のような場合は12秒間で進んだ距離を言うべきではないか。
一般道を100kmの速度で12秒間333m前を見ないで運転できる人がいるだろうか。メディア
は333mの距離を言うべきではないか。このわき見運転12秒間を普通の運転と判決を
下した裁判官は運転の知識が無いか、さもなくば日本人を馬鹿にしているのではないか。
このような判決に対して日本人はなぜ、反論しないのか、なぜ、メディアは批判をしない
のか。批判をしなければ時速100kmの12秒間のわき見運転が普通の運転と認める事に
成るのではないか。車を運転している者で、一般道を夜間100kmの速度で12秒間333mを
走ることが出来る日本人をメディアは探すべきではないか。
 日本人は裕福になり、他人の事を考えなくなったように思える。3人の命が犠牲になった
交通事故で判決の理由が十分理解をできるものでは無いのに批判をしない日本人に
何か将来の不安を覚える。
 テロ特措法に対する日本人の姿勢は今回の交通事故の判決に対する無関心な姿勢
と同じような感じがします。間違った考えの基で他人の生命と自らの生命を犠牲にしな
ければ成らない法案は日本人に取って決して正しい選択とは言えない。重要な事は
武器を相手に向ければ必ず別な武器が私たちに向くと言う事です。他人の命を奪えば
いつか自らの命を奪われることに成ります。私たちの国はテロ攻撃を受けていません。
日本は他国からテロ攻撃を受けるような事はしていません。していない日本がなぜ、
テロ攻撃をしなければ成らないのか。テロと戦う事はテロを行なう事のようなものでしょう。
309ナナシズム:2008/01/10(木) 09:01:38 ID:VDJL1cIY
    「「 テロ特措法、交通事故さえまともに裁けない現政権。 」」
 夜間時速100Kmで12秒間333mをわき見運転をする人間は殺人者ではないか。日本の
一般道で夜間100Kmで12秒間333mを運転したことに対して普通の運転と裁判官が
判断したが正に狂気ではないか。そして、この判決に対してメディアはただ、その判決を
伝えただけのように思える。
 333mのわき見運転は殺人行為となぜ、言わないのか。333mを前を見ないで100km
で走る行為を殺人行為といわなければ私たちは法治国家に住んでいると言えないの
ではないか。
 一つの事件の一つの判決では在るが、このような常識的な事で判断が真実から遠ざ
かる事は私たちの社会生活に大きな不安を与えるものではないか、最近ではメディアの
社会常識が私たちの一般人から離れたように思えるが、メディアが国民の常識を報道
しなけば今の世の中は誰も理解しない。
 政治家は夜間時速100Kmで12秒間自動車が走ったら何メートル走るのか知っている
のだろうか。その距離は東京タワーの高さ333m走る事になる。日本の一般道で前を
見ないで333m走ったらどうなるか想像つかないはずが無い。
 道路をわき見運転をするということは目隠しをして走る事と同じだ。目隠しをして333m
を走る事が可能だろうか。夜間速度100Kmで目隠しで333mを12秒間走ることは殺人
行為と言ったところで誰が反対するだろうか。
 現政権はこれで国民を守ることができるというのか。夜間時速100Kmで目隠しで333m
走る運転を認めることは余りにも非常識であり、こんな事を裁判判決で容認する事は
許される事ではない。
 現政権はテロ特措法を法案に上げ、日本を戦争に参加させようとしているがそれは
憲法違反であり、日本人の将来の安全を無視した法律と言える。時速100kmで目隠しで
走る自動車を認める政権は国民の生命を守る事は出来ない。
310ナナシズム:2008/01/11(金) 09:56:40 ID:yn2DiOTq
    「「 テロ特措法、成立したら日本はどうなるのか。 」」
 テロ特措法が成立したら日本は面白くなるのではないか。もしかしたら、政権交代が
早まるかもしれないし、世の中の景気が良くなれば現政権は安泰と言う事になり、日本
はこのまま格差社会が進み、社会不安が増すことになるのではないか。
 自衛隊が戦争に再度参加すると言う事は私たち平和を願う者に取っては多くの日本
国民の真意を確かめる上でのいい要因であり、成立する事で日本が以前戦争に負けた
事を忘れてしまった国民が大分多くなったことを改めて理解し、肝に銘じなければ成ら
ない。私も日本人の一人として成立を選択した多くの日本人に対して馬鹿野郎と大声
でいいたいが2ちゃんねるでささやかに馬鹿野郎と言って起きたい。
 日本は戦争に負け、北方領土などを奪われ、今も解決には至っていない。これまでも
日本は戦争をする事によって何か利益になったことがあるのかと考えてみれば何か
在ったのだろうか。今回、戦争に参加をすれば日本の安全はどのように成ってしまう
のか心配だ。前回の参加は衝撃的なテロによる突発的な参加で私たち国民に取っても
考える時間が少なく、政治家たちの能力の無さをまだ理解していない中で派遣されて
しまったが、今回は私たち平和を願う者に取っては多くの考える時間を取る事が出来た
ので、このテロ特措法に対する反対理由は十分考えることが出来たのだが国民の意見を
変える事が出来なかったのが残念で成らない。
 ただ、成立してからの不安を考えると現政権の政治家のこれからの心労は増すのでは
ないか。テロがこの戦いで無くなれば結局多くの人々が死にその憎しみがどのような
形になるのか、簡単に考えれば別なところでテロが増えると考えるべきだろうし、その
テロがどこに起こるのかを考えると不安は残る。更に領土問題にこれまで以上に自衛隊
の介入を国民は要求するだろうから、日本とどこかの国とのいざこざが増える可能性はある。
 結局、日本の格差は戦争という国際平和協力と言う闇に消えて行くのかも知れない。
日本の貧乏人は自衛隊に入って、いつか海外で戦う事を選択するということなのだろう。
311ナナシズム:2008/01/12(土) 09:48:18 ID:9fXwSNNj
    「「 テロ特措法、成立してしまった事はさておきとして。 」」
 テロ特措法は自衛隊が海外で戦争に参加をすることを日本国民が受け入れ、承認
したことになる。
 日本は戦争に参加をし、他国民を殺す仲間に入ったと言う事だ。清く正しい人間では
いられなくなったと言える。日本人は現段階で全ての日本人が殺人者になったこと
に成る。人を慈しみ、人の命を尊いとし、わが身と共に人への尊厳を持ち、人同士の
交流を重要とし、世界の平和を願い、多くの教育と多くの人々を知ることで平和を維持
してきた日本は今日、現政権の政治家たちにより踏みにじられ、清く正しい体は他人の
血に染まり、狂気は更に狂気に、悪人は更に悪人へ変り、力により人を支配し、逆らう
者は殺してもいい時代に成ったと言える。困った時代が来たものだ。
 国家が他国と戦える国家に成ったことはこれから全ての法律が死の臭いを放すことに
なり、生きるか死ぬかの時代が来た事になる。弱いものをかまっていたら自分の命が
狙われる時代になったと思えば間違いない。これから貧乏人は大変だ。日本は人を
殺す国に成ったわけだから生きていれば幸せと思わなければ成らなくなったということだ。
 テロ特措法は殺しの免許を国家が承認したことになり、日本人の命は全ての人々に
狙われても不思議ではないと言う事だ。これから国家がどのように変っていくか心配
だが軍事色が増す事は確かではないか。軍国主義ということだ。敵になれば殺される
と言う事に成る。やな感じだ。馬鹿は生きていけなく成るかもしれない。いつの時代も
馬鹿は足でまといと言う事だ。弱者も厳しくなるだろう。軍事国家には弱い者はいらない。
 日本人の心は表面的には優しい顔しているがその裏の顔は人の命を自分の命が
危険になればその人と話し合うのではなく。自分の考えのみでその人の存在を否定し
殺してしまうかもしれない時代になったことになる。
 私はどんな時代に成っても清く正しく生きていきたいと思う。人を殺す事をこれからも
批判し、人が人を殺す理由をこれからも追求し、否定をして行きたい。
312ナナシズム:2008/01/13(日) 15:51:17 ID:yDo+8ls8
    「「 テロ特措法、不道徳と悪意に満ちた人々。 」」
 多くの日本人は不道徳と悪意に満ちた人々なのだろうか。多くの人々が働く会社は
不道徳な社会であり、そして、その会社を経営する人々は悪意に満ちた人々が多い
と聞きます。
 テロ特措法の成立は不思議な社会の到来を予感させる。それは不道徳な社会と
悪意に満ちた人々の存在である。人は生きるために働き、命の尊さを子供に伝え
道徳を教え、悪意のない人を育てようとする。しかし、テロ特措法を選んだ国民は
全ての道徳を否定し、悪意に満ちた心を子供たちに無意識の内に伝達し、生きる道の
悪意を教え、それによって生きる人々を讃称し、いつしか世の中がそのように変化を
して行くと考えるとテロ特措法の成立は日本人が求めたであろう平和な社会から
いつしか遠ざかるのでは無いだろうか。
 米国は思った以上に原始的な人々の集まりと聞きます。それは宗教との関わりが
強く、何千年前に書かれた宗教を信じ、その宗教の教書は書き足す事も書き換える
ことも出来ない書物であり、それは神による書であり、そして、その中に書かれている
ものは神以外成すことの出来ない現象であり社会と言える。
 テロ特措法はこの異様な社会環境の中で育ち、決して、人の育てた道徳を理解出来
ない人々への奉仕であり、忠義を表した法律と言えるのではないか。
 私たちは米国の人々から平和憲法という神のみが達成できる世の中を神を信じる
人々である米国から送られ約60年間という長い年月その社会に暮らし多くの幸せを
得て今日暮らして来たがテロ特措法の成立により米国の人々が信じるもう一つの社会
それは不道徳な悪意に満ちた人々の集まりである邪悪な世の中の到来を告げる日に
成ったのではないだろうか。
 太平洋を挟み、お互い大陸から阻害され、島流し同然にたどり着いた民族として仲の
いいことを責めるつもりはないが平和な社会を武器で棄てた日本は馬鹿な国と言えるのではないか。
313ナナシズム:2008/01/14(月) 09:17:21 ID:9w/vSJuH
          「「 テロ特措法、帰らない心。 」」
 銃弾で人が死に爆撃で肉体がこなごなになり、泣き叫んでいた子供の声は今は聞こ
えない。喉の渇きは声を詰まらせ、遠くに聞こえる銃声を求め、歩く人々は力なく、肩に
掛けた武器は今にも地に着きそうだ。
 テロ特措法は世界平和協力と年老いた指導者は言って退けた。給油活動は武力
行使ではないので、それは憲法違反とは言えない。既にこの年老いた指導者にはどんな
声も届かないのかもしれない。そして、既に平和な心は帰って来ないのではないか。
 日本が戦争に参加をし、貧しい国のその中の貧しい人々を殺す、こんなことをする
国になるとは思いも寄らなかった。年老いた指導者の口から出る世界平和協力という
見え透いた言葉、給油は武力行使ではないというあのしなびた唇。銀行強盗を銀行
強盗と知っていて銀行の前まで送り、銀行強盗が金を奪うまで外で待っていて銀行
強盗が出てきたら乗ってくださいと載せ、走り去りる運転手、この運転手は銀行強盗
では無いと言うのか。聞くまでも無いがこの野郎も銀行強盗と言うのであり、銀行強盗
をした訳ではないから銀行強盗ではないとは言わせない。そんな理屈が通るはずが無い。
 年老いた指導者がにやついた顔で世界平和協力、武力行使ではないから憲法違反
では無いと言う言葉に虫唾が走る思いをする。それよりも世界の荒くれどもと協力
しないと仲間はずれに成ってしまうし、今なら軍隊を作っても世界から批判されないと
言えばいいではないか。そして、今は給油だけだがいつかは給油される側になり
世界を支配したいと言えばいいではないか。日本人は使い走りでは満足しない。
どこのどいつが給油で満足する馬鹿がいるというのか。
 世界にはまだ、幾らでも戦う場所はあるし、戦う事で利益になる場所もある。日本は
既に帰らない心を持ち、踏み出しては成らない領域に踏み出したのでは無いのか。
 馬鹿な国民と馬鹿な政治家、どちらも平和を愛した日本人なのになぜ、人殺しの道に
迷い込んでしまったのか。そして、帰らない心を持った人々はどこに行こうとしているのだろうか。
314ナナシズム:2008/01/15(火) 10:29:06 ID:hE1SNOvQ
        「「 テロ特措法、善人と悪人。 」」
 日本人は善人と悪人ではどちらの人数が多いのだろう。善人と悪人はどちらが金に
執着しているだろう。善人と悪人では人を殺す事をどのように思うのだろう。善人と
悪人ではどちらが戦争をしたいのだろうか。善人と悪人ではどちらが金儲けが上手いか。
善人と悪人ではどちらが政治を好きか。善人と悪人ではどちらが政治家に成りたいか。
善人と悪人ではどちらが役人になりたいか。善人と悪人ではどちらが悪巧みが上手い
か。善人と悪人どちらが人を殺す事が出来るか。善人と悪人どちらが戦争が好きか。
善人と悪人のどちらが戦争を支持するのか。善人と悪人では戦争を世界平和協力と
言うのか。善人と悪人のどちらが貧困者を殺す事が出来るのか。善人と悪人では
どちらが現政権を支持するのか。善人と悪人ではどちらが戦争参加を武力行使では
ないと言うのだろうか。善人と悪人ではどちらが武力を必要とするか。善人と悪人では
どちらが金に汚いか。善人と悪人ではどちらが戦争を許すか。善人と悪人ではどちらが
武器で自分を守るのか。
 結論的には答えはない。人は善人でも在るし、悪人でもある。時と場所と金と気分
で人は何にでもなり、人に頼まれれば善人でも悪人にでも成れる特殊な生き物と言える。
 テロ特措法も日本のような金で幸せに成れる国は遠くの国で人が死のうと苦しもうと
関係ない。このように考えると悪人のような感じだが個人的に話して見ると能天気な
気のいい人たちだその人を見ると悪人とは言えない。だからこそ、貧しさの中で武器
によって戦争で死んでいる人々を考えると悲しくなる。何も考ない人たちによって決定
され、人が死んでいるのにその現実を何一つ知ろうとしない人々の存在は手に負えない
感じだ。
 政治による指導と報道機関などの何が世界には必要なのか。世界平和と言うのは
何なのか。日本が戦争に負け、その結果発展し今日に至ったことは戦争を評価する
材料になるのかも知れないがその為にどれだけの犠牲者がいかたを考えると虚しい。
315ナナシズム:2008/01/16(水) 11:47:00 ID:Sfka4U18
    「「 テロ特措法、戦争参加を決定しても何も変らない人々。 」」
 日本人は既に平和国家の国民とは言えない。私は気付いてはいたが現実にこの
現象を知ることで日本人の無情と日本人の無常を強く感じ、日本がこの先どのように
変っていくのか予測する事が怖い。
 無情とは感情が無いと言うことではなく。人間としての感情が無くなるということでは
ないか。日本人はテロ特措法により、これから貧しい人々を殺す仲間に入り人々の
魂を破壊し、現政権の指導者である父が人の命は地球より重いと述べたのは平和国家
の指導者で無ければ決して言う事が出来ない言葉であり、それは人間としての情では
無いでしょうか。私は地球の重さを知ろうとは思わないがその指導者が言おうとしている
ことは十分に分かる。それは平和国家の人間として、そして、世界平和を望む人間と
して平和憲法以上の価値のある言葉ではないだろうか。もし、今の指導者が自分の
父の言葉を理解しているのならばテロ特措法を世界平和協力とは言わないだろうし、
戦争に参加をし戦艦に給油する自衛隊員が武力行使には成らないと冗談のような、
寝言のような、ボケ老人のたわごとのような、父親の言葉と比較したら正に地球と
人の目方ほどの違いがある迷言ではないか。平和を求めた父と平和ボケした息子の
違いは比較にならない夢のごとき出来事のように感じる。いつしかこの親子もあの世で
再会するだろうが多分、父親はこの子供を勘当するのでは無いだろうか。その時の
言葉を想像するとこんな言葉が適当ではないだろうか。「お前は俺の顔に泥を塗って
嬉しいのか。俺は人の命を奪ったことはない。そして、お前に人の命を奪えと教えた事も
ない。それなのにお前は人を殺し、日本人だけの命を守ろうとした。その上、それが
世界平和協力と嘯いたことでこの黄泉の世界で私の立場は地に落ちた。お前は私が
死んでまでも私を恨んでいたのか、何て親不孝者なのだ。私はお前のような子供の
親として情けない。お前の顔なんて見たくはない。」別に私があの世の親子の会話を
想像することは無いのだが、同じような顔して可哀想な親子なんだなと勝手に思ってしまう。
316ナナシズム:2008/01/17(木) 09:54:27 ID:2+30G561
  「「 テロ特措法、日本の優良株は平和、それを売ってしまった現政権。 」」
 現政権の選択は日本を普通の国家にしてしまった。世界の普通の国家に成るという
ことは日本に取って正しい選択と言えるのかと問えば、私は言えないと答える。
 日本に取って平和国家は自信であり、正義心であり、安全の基本では無いだろうか。
テロ特措法を選択した事によって戦争に参加をし、日本人の生命の危険度を高めたと
言えるのではないか。テロはなぜ、起きるのかを考えるとそれは良く分かるのではないか、
 私はテロは生活の不公平から多くが発生していると思っています。この不公平により
人々は貧困と命の危険を感じ、それに対する抵抗手段として非情なテロを行なうのでは
無いでしょうか。
 世界に起こるテロは戦争によってテロリストを殺す事で解決すると考える事は大きな
間違いです。テロリストは銃弾や爆弾によって無くす事は出来ないと考えるべきでは
無いでしょうか。
 人々の生活の格差が生む貧困は公平な富の配分が世界で行なわれていないことが
大きな原因ではないでしょうか。先進国による巨大な資本を背景に富を独占する一部
の人々の存在は否定できない。その人たちは貧しい国家で在りながら優雅な生活を
送り、その生活を支える先進国の資本を優遇し、貧しい国民への富の配分をしないで
先進国へその富を与えることで一部の人々の富と生活の安全を先進国に委ねる。
 ここに大きな悪意を感じるのです。それは日本の現政権が進める富の配分に対する考え
方である。現政権はまず大企業からの富の配分を進め、その後、その富が国民に拡散し
日本全体が潤うという考え方である。今の日本を見ると大企業と公務員が同じ立場になり
大企業の社員は実質的には何倍もの人数になるのである。大企業の社員であれば実際に
働き収入を得るが公務員は収入はゼロである。結局、富の配分は大企業と公務員の段階で
消えてなくなるのである。現政権を支持する人々は平和より富を選んだのでは無いでしょうか。
結論として、普通の国になったという事はテロが起こる国に成ったということなのかもしれない。
317ナナシズム:2008/01/18(金) 09:43:38 ID:2Y7Mi/in
    「「 テロ特措法、道徳という人間性が破壊されて行く。 」」
 テロ特措法は憲法違反という事は言うまでも無いが、道徳という人の道を破壊して
しまった事に心が痛み、未来の人々がどのような道徳を持った人たちになるのかと
思うと何か恐ろしさを感じる。
 テレビの朝の報道バライティー番組でゲストが司会者に媚を売る姿が目立つのだが
何か変な違和感を感じる。例えばスポーツ選手などが司会者に試合を見に来てください
とテレビの画面の中で言うのである。そのとき私は俺たちは見に行かないよと思って
しまうのです。私がへそ曲がりなのでしょうが、テレビを見ている私たちより司会者が
大事なのかと思うと共に司会者がそんなに大きくなってしまったのかと驚いてしまう。
この現象もだからなんだと思ってしまえばそれまでなのだが、しかし、考えてみれば
視聴者が本当は主役のはずと思うのだが視聴者より司会者の方が主役になって
しまったようで何かテレビ局は勘違いしているのではないかと思ってしまう。しかし、視聴
者がそれに対して不快に思わなくなったという事なのかもしれない。これも道徳観の
異変になるのではないか。考えてみればテレビが成り立っているのは視聴者がいれば
こそなのだがテレビ局は視聴率を取れる司会者を大事にして視聴者は無視をしている
ことになるのだが、それを批判しない日本人が育っているという事になる。この現象は
どこか可笑しく、公共施設とみれば、個人である司会者に支配され、多くの人々に対する
優しさや思いやりの気持ちを理解出来ない人々が育つ環境を無意識の内にテレビが
作っていることになる。私たちの社会はテレビという機械を余りにも無造作に使って
いるのではないか。低俗番組や低俗司会者による不道徳の垂れ流し、それによって
傷付く子供たちの精神、異常者に対する不当な刺激が犯罪に至る可能性は可能性
という言葉で終わらせることは出来ないのでは無いだろうか。テレビの不道徳な番組
が確実に日本の犯罪を増やしているのは確かだ。ダメ人間の高い出演料やダメ司会者が
優遇され、結果社会の道徳が消えていくことがテロ特措法の制定に繋がったといえる。
318ナナシズム:2008/01/19(土) 21:25:45 ID:aLblYVuN
  「「 テロ特措法、どんなに大きくなってもおもちゃを持てば遊びたくなる。 」」
 自衛隊は世界でも有数な武装集団と言って間違いない。年間5兆円の予算を使う
自衛隊は今のところこれといった緊急事態は日本にはない。5兆円は壱万円札を積み
上げるとどれくらい成ると思いますか、100万円を1センチとします。一億で1メートル、
1000億で1000メートルです。1キロメートルですね。1兆円で10キロメートルです。5兆円
と言う事は50キロメートルです。マラソンが42.195キロメートルです。まだ、足りません。
富士山の高さは3333メートルです。高さは富士山の15倍の高さに成ります。自衛隊は
一年間で使ってしまいます。ちなみに日本の国の負債は1150兆円と言われています。
その高さは11500キロメートルです。1万1500キロです。地球の周囲は4万キロ。
地球の直径は1万2756キロです。もう少しですね。そして、日本人全ての現金による
資産は1500兆円ということです。借金1150兆円、貯金1500兆円です。
 自衛隊は5兆円の中から毎年武器を買い、日本を守っています。この莫大な予算は
世界有数な武器を米国などから買い付けいつも磨いています。いつでも使えるように
です。大の大人がいつも本物のおもちゃのような本物の武器を大事に磨いているのです。
その年月は60年を越えてしまいました。60年は長いです。どんなものも朽ち果てるか
既に必要とされないものと考えてもいいのかも知れません。それは無用の長物と言える
のかもしれません。
 そこで思いついたのがテロ特措法での自衛隊の海外派遣ということではないでしょう
か。武器を売りつけた米国、武器を買った平和国家日本、武器を売りつけた手前何と
か使って貰いたい。買わされたけれで使い道に困ってしまった日本は米国に何とか
成りませんかと頼む。米国は本当ならば足手まといになる日本では在るが給油程度
ならば邪魔には成らないだろうと水汲みを頼んでみたら二つ返事で了解したので内心
驚いたのだが世界唯一の平和国家である日本の堕落した平和精神に呆れはしたが
渡世人の世界に戻りたいという心を汲み下足番として仲間に入れたと言う事か。
319ナナシズム:2008/01/20(日) 23:36:20 ID:Bcb7BdM/
    「「 テロ特措法、テレビから消えた人道主義者。 」」
 テレビから人道主義者が消滅してしまった。平和国家なのに人道主義者がいなく
なった。
 テレビの役割は大きい。テレビが多くの人々に共通した話題を提供し、人々に世の
中の赤裸の現状を認識させ、生きる術を学び、人類の生存を実感させる。
 テレビから人道主義者が消えたと言う事は多くの人々が人道主義者を必要としない
事を証明している。
 人道主義者は国を選ばない、人種を選ばない、立場を選ばない。全ての人間を愛し、
全ての人間を公平に扱い、全ての人間を救うのです。
 私たちは人道主義者により、人への愛、人との交わりを知り、その結果世界平和の
重要性と実現に向けた人々の努力を支持し、そしてそれを求めたのです。
 日本は平和国家として、世界に対して人道主義の重要と可能性を最も表明し、それ
を実行した国と言えたのではないでしょうか。
 日本の平和憲法は人道主義者の求める戦争の否定、人間に対する人道的な姿勢
を法的に表し、日本が実証することで世界平和への可能性を期待できたと言えたの
ではないか。
 私たちは現政権がテロ特措法を制定し、戦争参加を決定したことで、改めて、気付
いたのです。テレビからいつの間にか人道主義者が消えてしまったことをです。
 テレビを見る事で私たちはかつて人を愛する事を知り、人の命の尊さを知り、戦争が
人類に与える被害の大きさを知り、戦争を起こす事も、望む事も、参加する事も否定
することが人類の永久的な生存を約束する事であり、それを疑う日本人は居なかった
のではないか。
 テレビがテレビ自身により人道主義者を画面から消したのか、それとも日本人自身が
日本人から人道主義者を消したのか、今は定かではないがその評価は厳しいのではないか。
320ナナシズム:2008/01/21(月) 22:55:33 ID:DIgNCqbe
    「「 テロ特措法、国民の選択は戦争参加。 」」
 日本国民は戦争に参加をする事を選択した。どのような理由なのか。どのような
判断なのか。その答えは無意味という事だろう。日本国民は戦争参加という無意味な
選択をしたのではないか。日本人のほとんどは正しい理由も正しい判断もした訳では
無く。無意味な選択をしたことになる。
 戦争は日本国民に取って論外であって議論の余地はない。日本人の全てが戦争を
否定するだろう。戦争はしたくないと言うだろう。戦争に参加を決めた人も戦争に対し
て肯定はしない。戦争参加を選択した人が戦争を否定をするのである。それは答えが
間違っているのに正しいと心にも無い事を無意識の内に言うのである。
 日本人の精神は壊れたということではないか。日本の教育は日本人の精神を正常に
保つことが出来なかったということだ。
 人の命の尊さは誰も理解しているのに戦争参加を選択し、テロリストを殺す戦争に
参加をする。テロリストの多くが貧困層の人々でテロ行為は貧困が政治的要因による
政争を引き起こす結果起こる抵抗手段であり、このテロ行為を無くす為には平和的
解決を試みるべきなのである。
 日本は政治家に世界平和を望む意欲が無く。自らの理想もないのではないか。日本
に取って世界平和は理想であり日本人の安全には世界の平和が理想であり必要と
言える。日本には当の昔に答えは出ているのである。日本に取って平和憲法も世界
平和も必要なものであり、望むものである。しかし、テロ特措法により戦争に参加をし
人々を殺す事になるのである。
 日本の政治家は日本の安全を誰に売ったのだろうか。今の現状を批判するとすれば
日本を売った政治家より、政治家に日本を売られた日本人の精神状態ではないか、
戦争を否定するのに戦争参加を選択した善良な人々の精神状態を疑うと共に日本人
には既に善良な日本人は存在しないことを悟るべきなのかもしれない。
321ナナシズム:2008/01/22(火) 11:03:43 ID:yMhIukrd
    「「 テロ特措法、日本人が戦争参加を許した理由。 」」
 私は何を書いたのか、何を言いたいのか、自分でも分からなくなってしまった。日本人
のほとんどが戦争に反対していることは事実であり、それを疑いたくはないし、疑う
必要も無いだろう。しかし、日本人は戦争参加を決定してしまい。悲惨な戦争を望んで
しまったのである。
 それではなぜ、日本人は本心では望まない戦争に参加をしなければ成らないのかと
考えると答えは簡単な所に行き着くのである。それはテレビではないだろうか。
 テレビは日本が戦争に負け、平和憲法を取得し、日本は平和国家として立ち直る
為にテレビは戦争をあらゆる面から批判し、今後、決して日本が戦争をしない為に多く
の番組を作り、戦争によって傷付いた人々の悲惨さを流し続けたのである。それに
よる効果は大きく多くの人々が戦争の悲惨さを実感し、ほとんどの日本人は戦争を憎み
戦争は悪いと判断し、戦争を避けてきたのである。そして、その結果、日本は大きな
経済的繁栄と人間としての優しさや労わりを知ることが出来たのである。私たち日本人
は民主的で平和を愛する国民として世界中の人々に胸を張ることが出来たのでは
ないか。それは多くの日本人を幸せに下のである。テレビの役割は大きかった。
 現在のテレビは何一つ戦争の悲惨さや戦う事の無意味さ、多くの人々が死にそして、
それ以上に多くの人々が負傷し、更にそれ以上に多くの人々が心の病に掛かり、戦争
が多くの人々の幸せを奪っている事を知りながら日本が選択した戦争参加を批判しない
のである。
 テレビが果す役割を現在のテレビはしているかという事を将来必ず問われる時が来る
だろう。テレビは視聴率的に戦争参加を判断したのではないだろうか。国民に戦争参加
を視聴率として判断させてしまったのである。視聴率には何一つそのものの良し悪しの
判断がないのである。テレビは国民に問うのではなく、戦争が悪いのなら悪いとして
国民に訴えるべきではないか。国民がどのような判断をしようとテレビは批判すべき
ことは批判すべきではないだろうか。
322ナナシズム:2008/01/23(水) 11:24:58 ID:0wOfDkJc
  「「 テロ特措法、戦争参加も単なる小さな過ちとしか思っていない。 」」
 権力の無いものが何を言っても世の中は変らない。そして、正しいことも間違っている
事もそれを世の中に広める事は出来ない。だから、今は世の中に統制と言う言葉も
規律と言う言葉も無くなってしまった。それにテロ特措法を制定した事で正義も消えて
無くなってしまった。何が正しく、何が間違っているか、誰も判断が出来ない時代に
成ったと言える。
 このような訳の分からない世の中にした張本人はテレビではないだろうか。テレビが
重要視する視聴率は日本の道徳を破壊し善悪の仕切りを取り払い人の進むべき道を
なくしてしまったと言える。今、テレビの視聴率は高い方がいいのである。御偉方が
評価をし、テレビ局に巨万の富を齎すのである。番組の内容は二の次、三の次になり、
視聴率さえ取れれば天下を取れる時代になってしまったのである。そこには何もない
世界が存在する。何事も視聴率の結果で全てが判断され、高ければ優秀で低ければ
落第ということだ。
 テロ特措法を成立させた日本人は善良な人々だろうか。米国に従い、軍国主義を
崇拝する人々の望みでも在った、戦争ができる国家に近づき、戦争に参加をしたという
ことは戦争をしている事になる。という事は戦争ができる国に成った事になる。
 米国はテロにより傷付き、テロを憎み、テロの根絶を願い戦争に突入した。そして、
日本も参加を希望し、国際平和協力という欺瞞に満ちた言葉を使い戦争参加に踏み
切ったのである。
 しかし、世界の現状はどうだろう。米国が引き起こした経済の混乱はテロといえないのか。
世界の金融市場へのテロ攻撃といえないのだろうか。エコノミックテロと言えないのか。
 貧困者を利用した経済の混乱は米国自身の危機管理不足による自らの体質であり、
病魔ではないのか。全てのテロは全て米国自らが病原体に食い尽くされる運命と言え
ないのだろうか。日本人が戦争参加を小さな過ちと思っていたら大きな間違いを犯すだろう。
323ナナシズム:2008/01/24(木) 10:06:19 ID:R66t7BM5
    「「 投票税、民主国家への法整備は、自らに課する。 」」
 民主国家は国民が主役であり、国民によって国家が運営され、国民の知恵と努力に
より、より良い社会を作る事を目的とすれば、何よりも国民が自らに厳しくすべきではな
いか。国民一人一人が国家運営に直接関わる事は出来ないが選挙により選出された
政治家が国民の代表として国家の舵取りを行い、私たちの税金や私たちの貯金を
国債に変え、全ての国民のお金を全ての国民に対して公平に配分し、国民が満足する
社会を作らなければ日本人は幸せには成れない。そして、世界も同じではないか。
 日本は国債を他国から見ると大量に使っているがこれは多くの国民の貯金を貧富の
差に関係なく使っている事になる。それは国債が私たちの貯金でまかなわれている
からだ、銀行に貯金された貧困者の金もお金持ちの金も銀行に貯金されれば区別は
付かない。国の負債は1150兆円と言われています。日本人の人口を1億2500万人
とすると国民一人920万円の負債です。もし、貯金が920万円ならばあなたの貯金は
ゼロという事です。勿論、日本が潰れなければそのままでいいのですがあなたに取って
いつそれを税金で取られるかは分かりません。 
 私たちが一人920万円の借金が在ると言うことは私たちは国民一人当たり920万円
の貸しがあるという事になります。私たちは私たちに920万円貸し、それは私たちが
私たちに920万円返さなければ成らないことに成ります。それは私たちに少なくても
920万円の貯金があるという事になります。国債は国民に対して平等に分配されます。
 国の借金はいつかは返さなければ成りません。そのとき、投票税があるかないか
では大きく違います。投票税により国民の公平が保たれるのです。投票税には貧困も
学力差も何も影響されません。国民の真意が国政に反映それます。
 投票税は選挙のとき投票を拒否した人から罰則金として1から3万円を徴収します。
政治家は国民に取って重要人物です。国民は主権者です。主権者は国に対して大きな
責任があります。投票税はその責任を果さなかった人々に対しての罰則金です。
324ナナシズム:2008/01/25(金) 09:45:51 ID:oq0+97Ls
    「「 投票税、民主国家への法整備は、新しい時代の為。 」」
 まだ見ぬ新しい時代が簡単に手に入るとすれば手に入れるべきではないだろうか。
民主国家を本当の民主国家と言えるようにする為には国民一人一人の努力と知恵
が無くては成らない。しかし、新しい民主国家が少しの努力と僅かな知恵で得られると
すればそれを拒む人々はいないだろう。
 今の日本は真の民主国家とは言えない。日本の歴史上、民主国家と言える時代が
何年在るだろうか。私は一年もないと考えている。国民の意志が直接国政に反映され、
国民の真意に従った国民が政治家になり、政治を司る社会が本当の民主国家であり、
国民が求める理想な社会を造る為の必要条件と言える。
 多数決により全てを決定する事が正しいとする社会に於いて、重要なことは物事を
決定するとき、多くの人々により選択する事が理想であり、多くの人々の意見を比較し
その中から選択することで公平な意見が見つかるのではないだろうか。
 多くの人々には色々な人々がいる。努力をする人、勉強の好きな人、真面目な人、
優しい人、お金持ちの人、運のいい人、そして、それぞれその反対の人も中間の人も
いる。私たちは全ての人が公平な立場を維持する為に知恵を使わなければ成らな
い。人々が公正で公平な社会こそ理想であり、私たちが求める社会と言える。
 私たちが求める社会を私たちが作るためには人々が満足する政治を行なう事が
重要になる。しかし、全ての人々が納得し、満足する政治は不可能であり、それを
求める事も無意味です。なぜなら、人間自体が如何なる事態になっても納得することが
ないからだ。人間は全てが揃ってもその時点から不満足が始まり、納得はしない。
 私たちが出来る事は多くの人々の意見を聞き、その意見を検討し、政治家がそれを
選択することこそ理想的な政治であり、社会と言えないか。しかし、今はそのようではない。
 投票税は理想的な社会を約束し、多くの人々が未来永劫生きていく為に必要不可欠
な制度であり、民主国家ならば当たり前の考え方ではないか。それが無い事が疑問だ。
325ナナシズム:2008/01/26(土) 09:18:14 ID:dVeKARRN
    「「 投票税、民主国家への法整備は、自由への代償。 」」
 私たちは自由だろうか。私たちが自由ならば、なぜ、人々を殺すのでしょうか。なぜ、
日本はテロ特措法を承認し、貧しい人々を殺す道を選択したのでしょうか。私たちの
選んだ政治家たちは日本人に人殺しの法律を押し付け、日本人を人間の血で汚して
しまった。
 米国は軍事国家であり、戦う事で国益を確保し、それにより国民が生き幸せを得ようと
している。米国の政治を批判するつもりはないが米国が行なう政策は全て米国民を
中心に考えている為に他国に対して自らの政策と自国の利益のみを求める為に他国民
の事情を無視する事で、そこに摩擦が生じ、そして友好的交流を続けることが出来なく
なり米国を恨む人々が生まれる。その結果、米国の巨大な軍事力に対して貧困者が
戦うとすれば自然にテロという事になるのではないか。
 戦争は悪人同士の争いとは言えない。戦争という名が付けば少数の人々の戦いでは
無く、多くの人々同士の戦いになる。それは民族同士、思想組織による戦い、そして、
国同士、更に複数の国々同士の戦いという事になる。多くの人々同士の戦いは単なる
争いでは無く、多くの人々が同じ認識を持ち、お互いを知り、命を犠牲にして戦うので
ある。戦争はお互いが善であり、お互いが正義と思い戦うのである。
 テロ特措法は米国とアフガンの貧困者との戦いである。テロ戦争ということだ。日本は
日本人の多くがアフガンの貧困者と戦う事が正義と思っているだろうか。日本人は誰も
アフガンの貧困者と戦っている事を認識はしていない。日本人は誰も戦争をしていると
自覚していないのではないか。
 日本人はなぜ、テロ特措法を制定してしまったのか。もし。投票税が日本に在ったと
すれば私たちは身に覚えの無い自由への代償を払う必要があったのだろうか。
 投票税は決して後悔はしない為にも民主国家であるのならば一人一人が自らの責任を
自覚し、自由への代償を払わない為にも、いつかは私たちの腕の中に納めたい。
326ナナシズム:2008/01/27(日) 22:32:41 ID:gzNO3i4c
    「「 投票税、民主国家への法整備は、人々の心の問題。 」」
 投票税がいつか一人歩きを始めるときが必ず来る事を心から願いたい。日本の主権
者は国民です。そして、その中に有権者がいます。年齢が二十歳を越えた人たちを
言います。この人たちは有権者です。主権者であり有権者です。この人たちが如何に
責任ある立場に立っているか、この二つの言葉で分かります。主権が在って有権もある。
くどい表現と言えば言えなくも無い。
 投票税はこの有権者に課する税です。そして、その立場を誇る為の税です。一人の
有権者としての証明です。それは日本の政治を自らの手で動かしているという自負の
証です。
 投票税が国民としての自由を奪う事は在りません。投票税は拒否もできるのです。
それは有権者であることを否定をする訳ではないのです。あなたがもし、他の有権者
に全てを委ねる事を望む場合は投票税を支払う事は在りません。例えば不幸にして病に
倒れ投票ができない人、自ら考える事の出来ない人、その人に取って投票行為がどの
ような手段をとろうが不可能であると認められた人は投票税を免除できます。
 日本の有権者は1億300万人という事です。投票税があれば投票率は上がります。
投票率を上げる為の無駄な税金はいりません。投票税は投票率が低い場合に国に
税金を齎します。投票率が50パーセントならば5000万人の人たちが投票に行かなかった
事になります。もし、投票税を一人2万円とすれば1兆円の税金です。3万円ならば
1兆5000億円の税金です。勿論、投票税は投票率を100パーセントにする為の税制
です。投票税に関係する選挙は国会議員、地方議員などの選挙のときに施行します。
1年か2年に一回程度の選挙になるのではないでしょうか。
 投票税の徴収は代表者制を利用すればいいと思います。学生や未婚者に対しては
親が代表して支払うようにすれば税の徴収は簡単ではないでしょうか。
 投票税による責任感は人々の心を変えるのではないでしょうか。いい方にです。
327ナナシズム:2008/01/28(月) 16:21:36 ID:476VmH+c
    「「 投票税、民主国家への法整備は、歴史にない法律。 」」
 投票税は別に特別な税でも考え方でもない。誰でも考える税であり、作ってしまえば
当たり前の税ではないか。それではなぜ、投票税が日本にないかと言えば日本が真の
民主国家ではないということだ。答えはいたって簡単なことだ。
 今日本に起こっている多くの問題は全て民主国家に成る為の戦いであり、民主国家
でない為に起こる問題ということだ。例えば医療問題にしても裕福な人々に取っては
今現在何一つ問題はない。豊富な資産と恵まれた優遇策によって満足な生活を送って
いるのである。貧困者に於いても今自分の置かれている立場に気付き、貧乏人に対す
る国の姿勢にようやっと批判できるだけの能力が付いてきたのである。能力というより
古い人々が居なくなったと言う事だ。救急車に乗り、たらい回しにされ亡くなる人たちは
民主国家ならば決してない現象ではないか。人の生命を軽く思う気持ちが医療機関に
在るからこそ救急車のたらい回しが起こるのであって、このような現象を無くす為には
人命を重んじる個々の人間の心を育てなければ成らないのである。もし、救急者の
乗員が病院が患者を断ったとき、本当に人命を重んじる乗員ならば病院に対して怒りと
共に世の中に対して強く訴える姿勢を見せるだろう。それが幾つもの病院をたらい
回しにし、患者を犬死にしてしまう事は人命と人命を軽く思う病院を認めている事に成
るのではないか。本当に人命を重んじるならば警察や国民が病院を訴え裁判所が
罪を与えなければ成らない筈だがそのようなことはない。民主国家は人を重んじる故に
人を軽んじる人を罰せなければならいというジレンマに陥るが、投票税を要した民主
国家ならば違う対応が在った筈だ。今の時代では限られた人々の幸せの為に多くの
人々が犠牲になる。富める人に成る為に貧しい人々の欲望が貧しい人々を苦しめる
というジレンマは今の時代を続ける事で決して消えない。それはこれまでの歴史上に
於いて明らかであり、貧しい者が富める者に成りたい欲望は更なる貧しさを募らせる
原因にもなっている。投票税は歴史にない法律で在っても人の心の中に常にある法律である。
328ナナシズム:2008/01/29(火) 16:44:52 ID:V/ieZ2mo
    「「 投票税、民主国家への法整備は、貧困者には貧困者を救済できない。 」」
 いつの世も井の中の蛙であり、郷に入っては郷に従え、色々言い方は在るだろうが
貧乏人には貧乏人を救えないという事なのか。確かに貧困者は裕福に成ろうとし、
貧困者を軽蔑する。貧困者は貧困者を見る事で更に貧困者を嫌うのである。貧しさは
自らも救う事が出来ないのだ。悲しみは悲しみを深め、いつしか悲しみさえ感じなく
なる。されば、富める者が貧困者を救う事が出来るのか。それも違うだろう。それでは
誰が貧困者を救う事が出来るのか。素直に考えれば人命を尊重し、優しい心と地球
の存続を心から願う人たちと言えるだろう。世の中は貧困者と富める者だけではない。
 国を滅ぼす者たちは愚か者であり、馬鹿者である。歴史を振り返れば国を滅ぼす
者たちの多くは富める者たちだった。富める者たちは公平な社会を嫌い、私利私欲の
為には国までも滅ぼして来たのである。富める者も貧困者も結局全ては金だけを目的
として日々を送る事で人命を重んじる心は乏しく、国は人成りと言われるように人命を
疎かにした国は衰退し、滅びて行くのである。
 今の日本は人命を著しく軽視し、全てはお金で人を判断し、人としての成長を誰も
重要視しなくなってしまった。はなはだ著しいのはテレビの道徳への希薄な姿勢は
目に余るものがあるのではないだろうか。人の人生に対しての公正と公平の面で言えば
スポーツ選手に対する対応は日本全体が狂い始めてしまったのではないだろうか。16
才の少年がプロ選手に成り、普通ならば考えられない沢山の契約金を手に入れたと
言うことだがテレビを見る限り、誉めるだけで批判の声は無い。16歳の少年が何億の
宣伝費を手に入れる事が正しい経済活動なのだろうか。一人の少年になぜ、沢山の
金額を支払う事が出来るのだろうか。どこか税制に不公平があるとしかいえない。
宣伝費を不当に掛ける企業に対しては税制面で企業間の不公平を是正すべきだ。
この辺も貧困者には理解出来ないのかもしれない。なぜならば貧困者から批判を聞く
事がない。こんな時も投票税が在れば不当な宣伝費は税金に変わっているのではないか。
329ナナシズム:2008/01/30(水) 16:06:19 ID:rBxYeVL4
    「「 投票税、民主国家への法整備は、人間の条件を問う。 」」
 学問を学びすぎると右や左と馬鹿な議論になるが、どうでもよい人間に取っては金持
ちか貧乏人と言うことになる。今はどちらかと言えば後者という事になる。そして、嘘と
真の区別もはっきりしない時代になり、生と死に対する考え方も今の日本人は優柔不断
であり人間とての誠実さを見る事は出来ない。特にテロ特措法により戦争参加を決定し
た事は日本での平和と言う言葉に限定条件が付いてしまったのである。戦争参加に
より日本人の平和を守る為に他国民の人々の命を奪っても仕方がないという限定条件
を付けてしまったことはこれまでの多くの日本人の努力が無になってしまったようで、
残念で成らない。これは歴史的にも重大な過ちとして後世に残るのではないだろうか。
 平和国家としてある程度成功し、世界に対して十分参考になる国家運営を行なって
来た日本が結局軍事国家の仲間入りをしてしまった事は世界に取っても大きな損失
ではないか。
 日本に対する軍事攻撃は一つも無いのに、軍事利権に伴う国民への恐怖を煽る意味
でのテロ攻撃への抑止力として米国を中心としたテロ戦争への参加は、日本国民と
しては不満と欺瞞と生きる上での誠信を失わせた。
 現政権の犯した罪の中でテロ特措法が一番の罪ではないか。戦争参加はあらゆる
意味で人間の条件を逸脱した行為であり、軍事国家に戻った証としてこれ以上のもの
はない。テロ特措法を制定した後の現政権は思うがままに現政権の利権構造を死守
するがごときに国民を蔑ろにした無謀ともいえる手段で法案を通そうとする行為は
既に軍事国家としての様相を表したのではないだろうか。政権を取ってはいても全ての
国民に対する責任は政権与党が持ちその意味は大きい筈だ。政権を取ったならば
野党に対する心配りがないような政権は日本を統一する上では不適格な政権と言える
のではないか。軍事政権を選択した日本国民に取ってこれから幾多の試練が訪れる
事を覚悟しなければならないが、今は平和国家が懐かしく、人間の条件を問うのが辛い。
330ナナシズム:2008/02/01(金) 17:20:55 ID:b0jE8+ah
    「「 投票税、民主国家への法整備は、国を忘れた人々。 」」
 日本人は国を忘れてしまったのでは無いかと思ってしまう。自らの欲望を満たす事
ばかりで日本という国家を忘れてしまったのではないだろうか。国を思う心は、将来の
日本人や日本の国土を心配し、現在生活している人々の生活を重要視し、将来に不
利益になら無いように無駄を無くし、将来を見つめた国家運営と共に個人個人の人々
の生活を公平公正に正すべきではないだろうか。
 今の日本を見ると無駄と不公平が増え、均衡の取れた国家とはいえない。人々の
仕事に対する報酬を見ると封建時代に戻ったような感じだ。人々の生活も贅沢な生活
ばかり求める為に人間としての余裕が無くなり、公平や公正を考える余裕すら無く
なってしまったようだ。
 民間会社、公務員、日本の多くの組織が不正を隠し、不当な利益を上げている現状を
見ると誰を信じ、誰が正しい人たちなのか分からない世の中になってしまった事に驚く。
社長が悪でその下の社員も悪になる構図は封建時代そのもので現政権の暗い面が
表面化して来たのでは無いか。公務員なども部長や課長が悪で、その下で働く公務員
が全て悪になることは良くある事だ。
 善悪で日本人を見ると悪がほとんどではないだろうか。多くの職場で不公平と不公正
が横行しているのが現状だろう。それが当たり前ということだ。多くの不正はテレビなど
の報道では矛盾点が多く。ほとんどが嘘の答弁ばかりのように思える。テレビの中途
半端な報道は仲間同士の庇い合いのようだ。今のテレビ製作者には無理かもしれない
が公平公正を重視した世の中が必ず来ると思う。今のような国民からかけ離れた給料
では公正な報道は難しい。今のテレビ製作者は最高とか一番とか特別とか唯一とか
を求める余り国民の多くを締める普通の人々の生活を卑下し、普通の生活を無視する
ようになってしまった。報道であれば本来ならば普通の人々の生活を基本に考える
べきではないのか。テレビ製作者が普通の人々の為に働く事こそ大事なのである。
331ナナシズム:2008/02/02(土) 11:32:17 ID:iyvUtTa+
    「「 投票税、地球に取って不平等で不必要な人々。 」」
 投票税には大きな使命と可能な限りの義務と人間に対する未来永劫の公平な生活を
約束するものです。
 世の中に取って不要な物や者たちを無くす事は非常に難しい。現在の日本、そして、
世界には不要なものが溢れ、地球及び生物に取ってそれらのものは楔を打ち込み、
破壊と腐敗を広め、取り返しの付かない状況を作ろうとしている。
 人間の生活が大きく進歩し、地球その物を傷付けている事が私たち普通の人間にも
分かるようになった現在、私たちは如何なる事情が在ろうとも、人間が生存できる唯一の
星である地球を守らなければ成らない。
 今、地球に対して人間の生活が悪影響を与えている事が多くの人々によって報告され
一般の人々にも何が悪影響を与えているのか理解できるまでになって来た。
 今、大きな問題は地球に対して悪影響を与えている人々は誰であり、その人たちを
どのように変えることができるのかはこれから大きな問題であり、それは成し遂げな
ければ人類は消滅する。
 一般の私たちには一度に大きな変更は出来ない。しかし、確実に変更すべき事はしな
ければ成らない。
 今、日本が直面している。地球に取って不必要な人々を考えて見ると、贅沢な人々
の存在である。資源の枯渇、環境破壊、生活の不平等から来る戦争、これらに大きく
関わる人たちを選択してみると異常なまでの贅沢による地球に取って不必要な人々の
存在が明らかに成るのである。
 それではどこにこの贅沢で不必要な人々が存在する原因があるのかというと選挙での
無責任な投票制度に在る事に気付くのである。
 人間は感情的な生物である為に、如何なる場合でも満足する事によって問題は解決
するのである。投票税は公正公平を十分に考慮した選挙制度であり、満足度は非常に高い。
332ナナシズム:2008/02/03(日) 22:27:37 ID:PGeLFyfr
         「「 投票税、地球に取って必要な人々。 」」
 地球という大きな範囲を対象に考えれば他人の立場を理解し、その立場を受け入れ、
その立場を議論し、その立場が間違っていると判断した場合、その立場を話し合いと
自らの譲歩を含めた結論を受け入れられる人々が平等で必要な人々と言えるだろう。
 今の世の中は教育の経歴とその人が手に入れた資格により、重要な立場と富を手に
入れることができるように成っている。この制度は人間の歴史を振り返って見ると教育
という人の知識を重んじる事で人々の生活環境が改善される事に気付いた時から続
いている制度であり、この制度はあらゆる時代に存在し、そして知識を武器に多くの富
を手に入れた人々が存在していた。人間の知識は人間の歴史上の全ての時代で富を
得る手段として利用されてきた。
 それでは人間の長い歴史の中で人間の知識は誰の役に立って来たのか。それは
簡単に言えばその時代の支配者という事になる。そして、その知識は多くの支配される
人々を如何に合理的に扱い、その人たちを働かせ、その人たちが支配者に対して
如何に富を齎すかというところに使われた。人の知識は人を支配し富を得てきたのだ。
 現在はどうだろう、やはり現在も知識はしっかり支配者の為に利用され富を産み、
富を支配している。しかし、人間の知識は武器と同じように悪用すると人々を支配し
不平等と不公平を社会に生みだす。その支配力は武器による支配と違い友好的では
あるがその分、その支配に入ってしまうと人々は武器と同じように不幸になり、なか
なかその状態から抜け出る事が出来ない。
 人間の知識は人々を支配する為に法律を作り、富を自由に操り、富める者と貧困者
を区別する。日本では法律は誰が作るのかというと政治家である。私たちは政治家を
全ての国民によって選ぶ事ができる。しかし、多くの人々がその権利を自らの自由に
任され選挙権を放棄する人がいる。それにより、ほとんどの政治家が富の為に働く
人々がなっている。私たちは富の為に働く人ではなく、全ての人の為に働く人を選びたい。
333ナナシズム
        「「 投票税、スパイ防止法案について。 」」
 平和国家である日本にスパイ防止法は必要ではない。その理由は60年間の平和
の時代が実績として残っている以上、スパイによる海外からの脅威はないと考える
べきだ。
 スパイ防止は一般的な法律で十分賄える。秘密文書があるのなら秘密文書で扱えば
それでいいのではないか。もし、その秘密文書を外部に漏らす者がいるのならその場所
でそれぞれ規則を作り、憲法や法律に触れない限り幾らでも秘密文書を守る事は出来る
筈だ。
 義務教育やテレビがあるのだから国家として秘密にすべき事があるのなら義務教育
の中や毎日のテレビ放送の中にそのような番組を組み込むことで十分対処は出来る。
 今、スパイ防を必要とする人たちは日本を侵略国家として世界と戦える軍事国家にし
たいが為と日本国民の自由を奪う事が大きな目的であり、海外のスパイが日本で行なう
行為は日本国が国民に対して犯している不当行為からすれば微々たる物であり、もし、
スパイが仮に誘拐や殺人の凶悪犯罪を犯すとすればそれはあくまでも警察の権限の中
で対処すべきでは無いか。
 日本に取って如何なる犯罪も同じ犯罪で在り、スパイと一般人を区別する必要はない。
それが平和国家の条件であり、平和国家の意気込みというものではないか。
 平和国家で在るのならば軍事国家に負けない。意志の強さと公正公平を貫く精神を
養うべきではないか。
 現時点ではスパイ防はスパイに対する脅威ではなく、一般の日本人への影響が大きく
これにより日本は益々軍事国家へ近づいて行ってしまうのではないか。日本人は精神的
に弱い国民です。国家が導くままに行動します。平和憲法が導きここまで来たのです。
この道を踏み外すような法案は悪法ということではないでしょうか。
 投票税は是非、スパイに盗んで欲しいものです。そして、世界へ広めて欲しい。