【京老舗お家騒動w】どっちの一澤帆布ショー 1袋目

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192山崎豊子や松本清張でありそうだ
長男は東海銀行、次男は若くして死去、三男は朝日新聞
四男は体が弱く、あまり勉強もできなかったので
当時はまだ小さかった一澤帆布を継いだ。

先代、先代の弟(職人)、四男(デザイン)とで細々経営していたが
1980年代、経営危機を迎えてしまう。
そこで家族会議の結果、三男31歳の頃、朝日新聞を退社、一澤帆布にやってくる。
そこで鞄や帽子、地元密着の商品開発を行い経営は上向きに。

一澤帆布が有名になればなるほど、不満を持つ者がいた。四男だ。
「一澤帆布のロゴを作ったのは僕だぞ」
「皆が大学を出て、一流企業に就職する中、家業を継いだのは僕なのに」
「信三郎兄ちゃんが来てからちやほやするのは彼ばっかり。俺だって頑張ったのに」

そして四男は一澤を後にする。

時は流れ、三兄弟の父に死の影が訪れる。

酒を飲み交わす長男と四男。
「俺、悔しいんだよ兄ちゃん」

決して父親の望まぬ骨肉の争い、
それは子供のような小さな小さなコンプレックスから生まれたのだった。