>>151 何度も行っているように、裁判の目的は、「真実発見」ではないのです。
多摩三郎さんは、裁判所が、遠山の金さんのように、当事者が主張しなくても
すべてを見通して真実に合致する判断をしてくれるのを理想だと思っている
ようですね。しかし、それが間違いの元なののです。あなたが、裁判官を
素人だと思っているのは正しい。その通りなのです。
裁判官というのは、所詮は、目の前にある「紛争を解決する」それだけなの
です。真実に合致しなくても、当事者が主張した範囲で判断すれば良いのです。
裁判官はそれ以上でもそれ以下でもない。
何故そうなっているか?とあなたは問うていますね。
しかし、何故かと問われれば、「裁判所はあなたのためだけにあるわけではない」
というところにつきると思いますよ。つまり、司法の予算はきわめてすくない
なかで、裁判所のさらに少ない予算でできることは真実発見まではとても無理。
せいぜい、当事者から与えられた資料の中で紛争解決に必要な範囲の判断をする
だけしかできないというわけです。
誰がこのような体系を作り上げたかと言えば、それは、自然科学と同様に、長い
歴史の中でそれが一番合理的だということで徐々に作られてきたと言うしかないです。
あたかも、民主主義が、国家を安定的に運営する手段として一番合理的だと徐々に
形成されてきたように・・。社会科学ってのはそんなものなんですよ。自然科学
みたいに絶対的に真実とかはないのですよ。
ひまな弁護士より