日記

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昨日から司法試験の勉強を始めました。
昨日は辰巳の「短答過去問詳解」の憲法1をNO1からNO190まで
やりました。
今日は憲法2のNO191からNO410までやりました。
明日は民法。
2氏名黙秘:2000/12/05(火) 03:47
ダイエーのスパイ疑惑がどうこう言われていますが、阪神の行ったことに比べれば大して悪いことではないと思います。とりあえず、最後まで読んでください。
私は、1993年4月に、阪神電鉄(株)の子会社であるA社(本社=大阪市梅田、勤務地=吹田市江坂テクノセンター)に新入社員として入社しました。
このA社は、コンピュータ関係の業務を行う会社で、当時の社長はM田氏でした。(現在はK原氏)
また、A社は、現在ではGAONETという阪神タイガースを売り物にしたネットのプロバイダーでもあり、バーチャル甲子園というものも主催しています。
元々内向的で気の弱かった私は、入社後何ヶ月経っても会社に馴染めず、A社の中で独り浮いているような感じでした。
このとき、私は○○(守口市)というアパートに一人で住んでいました。このアパートは4.5畳〜6畳の一人部屋で、かなり低家賃でした。
そこには、一般人と大阪工大の学生及びそのOBが住んでいました。その中に、A社の(先輩)社員の知り合いが数人いました。
その知り合い(以下S田達という)は、前住人から貰ったのかどうか知りませんが、なぜか私の部屋の合鍵を持っているようでした。
S田達は、私が外出している間に合鍵を使って私の部屋に侵入し、部屋の中に置いてあった手紙や日記等のプライベートな物を見ては、その情報をA社で流していました。
あるとき、私は、会社の中で、このことをある社員が(他の社員に)話しているのを盗み聞きしました。実は、以前から、外出している間に部屋の中のものが移動して
いたことが何度かありました。しかし、私は、○○氏(=大家さん)が様子を見るために部屋に入っているのだろうと思い、さほど気には留めていませんでした。
1993年の10月頃、私は、直接の上司であった、工業システム部システム1課課長(当時)のK田氏に@`次のような相談をしました。
「私の部屋の中のプライベートな情報が会社でばらまかれているようだ。大阪工業大学(大阪市旭区)の学生が関与しているように思う。課長も知っていると思う。
このようなことを続けられると、針のむしろに座っているようで耐えられない。情報をばらまいている人に注意をするか、会社の寮に(私を)入れてほしい。」
するとK田氏は、「そうなのか、私は知らないが調べておいてみる。」と簡単に答えました。
数日後、K田氏は、私を密室に呼び出しました。そして、「調べてみたがそういうことなない。このことは誰かに言ったのか。」と言いました。
その後、つまらない世間話を山ほどする中で、さりげなく、「お父さんは校長先生をしていたそうだが厳格なのか?」と聞きました。
実は、父が厳格だということは、私がA社の最終面接(役員面接)を受けたときに、話の成り行きで言ったことでした。
私は、「厳格と言えば厳格です。」と答えました。すると、「一人息子の就職が決まって、喜んでただろう。」と言いました。
次の日もまたK田氏に呼びだされました。そして仕事をするときにどうのこうのという無意味な話を山ほどした後で、
「お父さんには(学生時代に)よく怒られたりしたのか?就職が決まって喜んでいただろう。」と言いました。
その次の日もまた呼びだされました。そして、「このことはだれかに言ったのか?お母さんには言ったのか?あまりそういう話はしないのか?」と聞きました。
また、「お父さんには勉強のことではあまり怒られたりしなかったのか?大学を留年したときに怒られただろう?妹が大阪にいるらしいが連絡をとったりするのか?
だれか大阪に知り合いはいるのか?お父さんよりはお母さんとよく話すのか?お母さんの方が話しやすいのか?学生時代の友人は大阪にいないのか?」
などと話の途中でさりげなく聞きました。(私の実家は他県)
3氏名黙秘:2000/12/05(火) 03:50
結局、1週間ぐらい毎日呼び出されました。そして、無意味な話を山ほどする中で、必ず、(部屋に入られていることを)誰かに言ったのかとさりげなく聞きました。
私は、一度に聞けばいいのになぜ毎日仕事を中断してまで呼び出すのか?毎回誰かに報告して指示を受けているのではないかと不信に思い始めました。
すると、K田氏は、「I君は(他の社員と)話をしないから相談できる人がいないんじゃないかと思って心配してたんだ。」「みんなと話をしないから
そういうことを考えるのじゃないのか?お父さんが厳格だからおとなしくなったんじゃないかと思うんだ。もっと(他の社員と)話をするようにしたらどうだ。」などと言い出しました。
呼び出し始めてから一週間後には、「そんなこと(部屋に入られているということ)を言っていたら、益々みんなとうまくいかなくなってしまう。
そんなしょうもないことを言っている間は仕事をやれない。絶対に、そんなことを言うな」と言うようになりました。
私は、新入社員の研修期間が終わったにもかかわらず、一人だけ何も仕事を与えてもらえませんでした。 そして、マナー読本のようなものを毎日読まされました。
さらに、反省文のようなものを書かされ提出させられました。この反省文が、一字一句でも間違っていると、K田氏は、他の社員の前で、「これだといつまでたっても仕事をやれないぞ。
これだけ言われてなぜやる気を出さないんだ!」と怒鳴りました。さらに、その後、密室に呼び出され、「こんな間違いをしてたら仕事を任せられない」と言われました。
そして、欠点を山ほど指摘した後で、「人と話をしないからいけないんだ。相談をするような人はいないのか。」などと言いながら、部屋に入られたことを人に言ったのかどうかをさりげなく聞きました。
また、コンピュータと関係のない雑用をさせされ、少しでも間違いをすると、呼び出されました。そのとき、K田氏は、話題をむりやり例の件にもっていって、
「あまり人と話をしないから、部屋に入られているなどと思い込むんだ。今まで思い込む癖があるといわれたことはないか?絶対にあるはずだ。見ればわかる。心斎橋にそういうのをみてもらう精神科医があるから、そこに言って見てもらったらどうだ。
みんなにはIに話しかけてやれと言ってるんだ。」などと言いました。
しばらくして、他の社員が急に私に話しかけてくるようになりました。おそらく、上司に言われたのだと思います。しかし、例の件を他の社員に話すことは許されませんでした。
ある時、私がK田氏に呼ばれた際、「(部屋に入られていると)針のむしろに座っているようで耐えられない」と言うと、K田氏は、「そんな会社にいられなくなるようなことをするやつはいない。そんなばかなことを言っていたら、いつまでたっても仕事を任せられないし、
ボーナスも貰えなくなるぞ。」と言いました。
K田氏の態度は、私を呼び出した時と、他の社員の前とでは、がらりと変わりました。
例えば、私を密室に呼び出した時には、仕事をしてなくてもボーナスを一律に貰えることをほのめかした後で、「ボーナスを貰っていけ。」などと言いました。その一方で、他の社員の前では、「そんなんだったら、すぐに退職届を書いて辞めてしまえといいたくなる。」
などと大声で怒鳴ったりしました。また、密室に呼び出されたときには、部屋に入られた件の話を必ずしていたにもかかわらず、他の社員が仕事をしている横に呼び出されたときには、絶対にこの件には触れませんでした。
そこでは、「大学のときどういうアルバイトをしていたんだ?怒られているときにはどんなことを考えているんだ?なぜ、失敗するんだ?」」などといつもと全然違うことを言いました。
そして、「なんで、いつまでたってもできないんだ。そんなんだったら辞めてしまえ!」などと大声で怒鳴りました。
一人だけ仕事を与えられていない私も、毎朝一人、社員が順番に行うスピーチは義務付けられていました。我慢の限界に達していた私は、勇気を振り絞って、K田氏に、「朝のスピーチでこのことを話したい。」といいました。
すると、K田氏は、「まだそんなことを言っているのか!」「いいかげんに反省したらどうだ!」と言い、私の欠点や失敗を山ほど指摘しました。
私は、同期の社員が全員仕事をしている中で、ひとりだけ自習と雑用をさせられ、反省文を書かされ続けました。その理由は「仕事をする上で基本的なことができてない」ということでした。
4氏名黙秘:2000/12/05(火) 03:50
私は、さらしものになっているような感じで、A社を辞めざるを得なくなりました。辞める直前にK田氏は、「次の就職のことを考えたら、そんなこと(部屋にはいられていること)を言って会社と揉めない方がいいぞ。」
「精神的な欠点を直しておかないと、次に就職してもまた、うまくいかなくなってしまうぞ」と言いました。そして、大阪に知人がいるかどうかを執拗に聞きました。
(退社後数日経って本社(梅田)に手続きに行ったときも、総務課長のO沢氏に大阪に知人がいるかどうかを聞かれました)
私は、ここで会社と揉めて次の就職に影響したり、ボーナスを貰えなくなってはかなわないと思い、辞める直前に引越を行い、円満退社をするように心掛けました。そして、1993年12月に50万円程のボーナスを貰うとすぐに退社しました。
この50万は、大学時代毎月8万円の仕送りで生活していた私にとっては、始めて手にする大金でした。この嬉しさと次の就職のことが頭にあったので、元々気の弱い私は、一切文句を言わずに辞めてしまったのです。
しかし、この選択が大きな間違いであったことが後になってわかります。あのとき、事の真否をはっきりさせておけばよかったと後悔しています。
なぜなら、大阪を無理やり出て行かなければならなくなったばかりか、A社のことを何も言えないような状況にさせられてしまったからです。
* ここに書いたことはすべて真実です。絶対に間違いありません。悪いことをせず、争いを避けていれば平穏に暮らしていけると思っていたのですが、それが大きな間違いであることがA社を辞めた後で嫌という程わかりました。
つまり、最初から証拠を残さないようにされると、どんなことをされても、今の日本では救済されないということを思い知らされたのです。(インターネット総会屋というサイトの阪神電気鉄道に掲載中)
5氏名黙秘:2000/12/05(火) 04:07
ダイエーのスパイ疑惑がどうこう言われていますが、阪神の行ったことに比べれば大して悪いことではないと思います。
とりあえず、最後まで読んでください。
私は、1993年4月に、阪神電鉄(株)の子会社であるA社(本社=大阪市梅田、勤務地=吹田市江坂テクノセンター)に
新入社員として入社しました。
このA社は、コンピュータ関係の業務を行う会社で、当時の社長はM田氏でした。(現在はK原氏)
また、A社は、現在ではGAONETという阪神タイガースを売り物にしたネットのプロバイダーでもあり、バーチャル甲子園というものも主催
しています。
元々内向的で気の弱かった私は、入社後何ヶ月経っても会社に馴染めず、A社の中で独り浮いているような感じでした。
このとき、私は○○(守口市)というアパートに一人で住んでいました。このアパートは4.5畳〜6畳の一人部屋で、かなり低家賃でした。
そこには、一般人と大阪工大の学生及びそのOBが住んでいました。その中に、A社の(先輩)社員の知り合いが数人いました。
その知り合い(以下S田達という)は、前住人から貰ったのかどうか知りませんが、なぜか私の部屋の合鍵を持っているようでした。
S田達は、私が外出している間に合鍵を使って私の部屋に侵入し、部屋の中に置いてあった手紙や日記等のプライベートな物を見ては、
その情報をA社で流していました。
あるとき、私は、会社の中で、このことをある社員が(他の社員に)話しているのを盗み聞きしました。
実は、以前から、外出している間に部屋の中のものが移動していたことが何度かありました。
しかし、私は、○○氏(=大家さん)が様子を見るために部屋に入っているのだろうと思い、さほど気には留めていませんでした。
1993年の10月頃、私は、直接の上司であった、工業システム部システム1課課長(当時)のK田氏に@`次のような相談をしました。
「私の部屋の中のプライベートな情報が会社でばらまかれているようだ。大阪工業大学(大阪市旭区)の学生が関与しているように思う。
課長も知っていると思う。このようなことを続けられると、針のむしろに座っているようで耐えられない。情報をばらまいている人に注意
をするか、会社の寮に(私を)入れてほしい。」
するとK田氏は、「そうなのか、私は知らないが調べておいてみる。」と簡単に答えました。
数日後、K田氏は、私を密室に呼び出しました。そして、「調べてみたがそういうことなない。このことは誰かに言ったのか。」と言いました。
その後、つまらない世間話を山ほどする中で、さりげなく、「お父さんは校長先生をしていたそうだが厳格なのか?」と聞きました。
実は、父が厳格だということは、私がA社の最終面接(役員面接)を受けたときに、話の成り行きで言ったことでした。
私は、「厳格と言えば厳格です。」と答えました。すると、「一人息子の就職が決まって、喜んでただろう。」と言いました。
次の日もまたK田氏に呼びだされました。そして仕事をするときにどうのこうのという無意味な話を山ほどした後で、
「お父さんには(学生時代に)よく怒られたりしたのか?就職が決まって喜んでいただろう。」と言いました。
その次の日もまた呼びだされました。そして、「このことはだれかに言ったのか?お母さんには言ったのか?あまりそういう話はしないのか?」
と聞きました。また、「お父さんには勉強のことではあまり怒られたりしなかったのか?大学を留年したときに怒られただろう?
妹が大阪にいるらしいが連絡をとったりするのか?だれか大阪に知り合いはいるのか?お父さんよりはお母さんとよく話すのか?
お母さんの方が話しやすいのか?学生時代の友人は大阪にいないのか?」などと話の途中でさりげなく聞きました。(私の実家は他県)
結局、1週間ぐらい毎日呼び出されました。そして、無意味な話を山ほどする中で、必ず、(部屋に入られていることを)誰かに言ったのかと
さりげなく聞きました。私は、一度に聞けばいいのになぜ毎日仕事を中断してまで呼び出すのか?毎回誰かに報告して指示を受けているのでは
ないかと不信に思い始めました。すると、K田氏は、「I君は(他の社員と)話をしないから相談できる人がいないんじゃないかと思って心配し
てたんだ。」「みんなと話をしないからそういうことを考えるのじゃないのか?お父さんが厳格だからおとなしくなったんじゃないかと思うんだ。
もっと(他の社員と)話をするようにしたらどうだ。」などと言い出しました。
6氏名黙秘:2000/12/05(火) 04:12
ダイエーのスパイ疑惑がどうこう言われていますが、阪神の行ったことに比べれば大して悪いことではないと思います。
とりあえず、最後まで読んでください。
私は、1993年4月に、阪神電鉄(株)の子会社であるA社(本社=大阪市梅田、勤務地=吹田市江坂テクノセンター)に
新入社員として入社しました。
このA社は、コンピュータ関係の業務を行う会社で、当時の社長はM田氏でした。(現在はK原氏)
また、A社は、現在ではGAONETという阪神タイガースを売り物にしたネットのプロバイダーでもあり、バーチャル甲子園というものも主催
しています。
元々内向的で気の弱かった私は、入社後何ヶ月経っても会社に馴染めず、A社の中で独り浮いているような感じでした。
このとき、私は○○(守口市)というアパートに一人で住んでいました。このアパートは4.5畳〜6畳の一人部屋で、かなり低家賃でした。
そこには、一般人と大阪工大の学生及びそのOBが住んでいました。その中に、A社の(先輩)社員の知り合いが数人いました。
その知り合い(以下S田達という)は、前住人から貰ったのかどうか知りませんが、なぜか私の部屋の合鍵を持っているようでした。
S田達は、私が外出している間に合鍵を使って私の部屋に侵入し、部屋の中に置いてあった手紙や日記等のプライベートな物を見ては、
その情報をA社で流していました。
あるとき、私は、会社の中で、このことをある社員が(他の社員に)話しているのを盗み聞きしました。
実は、以前から、外出している間に部屋の中のものが移動していたことが何度かありました。
しかし、私は、○○氏(=大家さん)が様子を見るために部屋に入っているのだろうと思い、さほど気には留めていませんでした。
1993年の10月頃、私は、直接の上司であった、工業システム部システム1課課長(当時)のK田氏に@`次のような相談をしました。
「私の部屋の中のプライベートな情報が会社でばらまかれているようだ。大阪工業大学(大阪市旭区)の学生が関与しているように思う。
課長も知っていると思う。このようなことを続けられると、針のむしろに座っているようで耐えられない。情報をばらまいている人に注意
をするか、会社の寮に(私を)入れてほしい。」するとK田氏は、「そうなのか、私は知らないが調べておいてみる。」と簡単に答えました。
数日後、K田氏は、私を密室に呼び出しました。そして、「調べてみたがそういうことなない。このことは誰かに言ったのか。」と言いました。
その後、つまらない世間話を山ほどする中で、さりげなく、「お父さんは校長先生をしていたそうだが厳格なのか?」と聞きました。
実は、父が厳格だということは、私がA社の最終面接(役員面接)を受けたときに、話の成り行きで言ったことでした。
私は、「厳格と言えば厳格です。」と答えました。すると、「一人息子の就職が決まって、喜んでただろう。」と言いました。
次の日もまたK田氏に呼びだされました。そして仕事をするときにどうのこうのという無意味な話を山ほどした後で、
「お父さんには(学生時代に)よく怒られたりしたのか?就職が決まって喜んでいただろう。」と言いました。
その次の日もまた呼びだされました。そして、「このことはだれかに言ったのか?お母さんには言ったのか?あまりそういう話はしないのか?」
と聞きました。また、「お父さんには勉強のことではあまり怒られたりしなかったのか?大学を留年したときに怒られただろう?
妹が大阪にいるらしいが連絡をとったりするのか?だれか大阪に知り合いはいるのか?お父さんよりはお母さんとよく話すのか?
お母さんの方が話しやすいのか?学生時代の友人は大阪にいないのか?」などと話の途中でさりげなく聞きました。(私の実家は他県)
結局、1週間ぐらい毎日呼び出されました。そして、無意味な話を山ほどする中で、必ず、(部屋に入られていることを)誰かに言ったのかと
さりげなく聞きました。私は、一度に聞けばいいのになぜ毎日仕事を中断してまで呼び出すのか?毎回誰かに報告して指示を受けているので
はないかと不信に思い始めました。すると、K田氏は、「I君は(他の社員と)話をしないから相談できる人がいないんじゃないかと思って心配
してたんだ。」「みんなと話をしないからそういうことを考えるのじゃないのか?お父さんが厳格だからおとなしくなったんじゃないかと思うんだ。
もっと(他の社員と)話をするようにしたらどうだ。」などと言い出しました。
7氏名黙秘:2000/12/05(火) 04:14
呼び出し始めてから一週間後には、「そんなこと(部屋に入られているということ)を言っていたら、益々みんなとうまくいかなくなってしまう。
そんなしょうもないことを言っている間は仕事をやれない。絶対に、そんなことを言うな」と言うようになりました。
私は、新入社員の研修期間が終わったにもかかわらず、一人だけ何も仕事を与えてもらえませんでした。そして、マナー読本のようなものを
毎日読まされました。さらに、反省文のようなものを書かされ提出させられました。この反省文が、一字一句でも間違っていると、K田氏は、
他の社員の前で、「これだといつまでたっても仕事をやれないぞ。これだけ言われてなぜやる気を出さないんだ!」と怒鳴りました。
さらに、その後、密室に呼び出され、「こんな間違いをしてたら仕事を任せられない」と言われました。
8氏名黙秘:2000/12/05(火) 04:15
ダイエーのスパイ疑惑がどうこう言われていますが、阪神の行ったことに比べれば大して悪いことではないと思います。
とりあえず、最後まで読んでください。
私は、1993年4月に、阪神電鉄(株)の子会社であるA社(本社=大阪市梅田、勤務地=吹田市江坂テクノセンター)に
新入社員として入社しました。
このA社は、コンピュータ関係の業務を行う会社で、当時の社長はM田氏でした。(現在はK原氏)
また、A社は、現在ではGAONETという阪神タイガースを売り物にしたネットのプロバイダーでもあり、バーチャル甲子園というものも主催
しています。
元々内向的で気の弱かった私は、入社後何ヶ月経っても会社に馴染めず、A社の中で独り浮いているような感じでした。
このとき、私は○○(守口市)というアパートに一人で住んでいました。このアパートは4.5畳〜6畳の一人部屋で、かなり低家賃でした。
そこには、一般人と大阪工大の学生及びそのOBが住んでいました。その中に、A社の(先輩)社員の知り合いが数人いました。
その知り合い(以下S田達という)は、前住人から貰ったのかどうか知りませんが、なぜか私の部屋の合鍵を持っているようでした。
S田達は、私が外出している間に合鍵を使って私の部屋に侵入し、部屋の中に置いてあった手紙や日記等のプライベートな物を見ては、
その情報をA社で流していました。
あるとき、私は、会社の中で、このことをある社員が(他の社員に)話しているのを盗み聞きしました。
実は、以前から、外出している間に部屋の中のものが移動していたことが何度かありました。
しかし、私は、○○氏(=大家さん)が様子を見るために部屋に入っているのだろうと思い、さほど気には留めていませんでした。
1993年の10月頃、私は、直接の上司であった、工業システム部システム1課課長(当時)のK田氏に@`次のような相談をしました。
「私の部屋の中のプライベートな情報が会社でばらまかれているようだ。大阪工業大学(大阪市旭区)の学生が関与しているように思う。
課長も知っていると思う。このようなことを続けられると、針のむしろに座っているようで耐えられない。情報をばらまいている人に注意
をするか、会社の寮に(私を)入れてほしい。」するとK田氏は、「そうなのか、私は知らないが調べておいてみる。」と簡単に答えました。
数日後、K田氏は、私を密室に呼び出しました。そして、「調べてみたがそういうことなない。このことは誰かに言ったのか。」と言いました。
その後、つまらない世間話を山ほどする中で、さりげなく、「お父さんは校長先生をしていたそうだが厳格なのか?」と聞きました。
実は、父が厳格だということは、私がA社の最終面接(役員面接)を受けたときに、話の成り行きで言ったことでした。
私は、「厳格と言えば厳格です。」と答えました。すると、「一人息子の就職が決まって、喜んでただろう。」と言いました。
次の日もまたK田氏に呼びだされました。そして仕事をするときにどうのこうのという無意味な話を山ほどした後で、
「お父さんには(学生時代に)よく怒られたりしたのか?就職が決まって喜んでいただろう。」と言いました。
その次の日もまた呼びだされました。そして、「このことはだれかに言ったのか?お母さんには言ったのか?あまりそういう話はしないのか?」
と聞きました。また、「お父さんには勉強のことではあまり怒られたりしなかったのか?大学を留年したときに怒られただろう?
妹が大阪にいるらしいが連絡をとったりするのか?だれか大阪に知り合いはいるのか?お父さんよりはお母さんとよく話すのか?
お母さんの方が話しやすいのか?学生時代の友人は大阪にいないのか?」などと話の途中でさりげなく聞きました。(私の実家は他県)
結局、1週間ぐらい毎日呼び出されました。そして、無意味な話を山ほどする中で、必ず、(部屋に入られていることを)誰かに言ったのかと
さりげなく聞きました。私は、一度に聞けばいいのになぜ毎日仕事を中断してまで呼び出すのか?毎回誰かに報告して指示を受けているので
はないかと不信に思い始めました。すると、K田氏は、「I君は(他の社員と)話をしないから相談できる人がいないんじゃないかと思って心配
してたんだ。」「みんなと話をしないからそういうことを考えるのじゃないのか?お父さんが厳格だからおとなしくなったんじゃないかと思うんだ。
もっと(他の社員と)話をするようにしたらどうだ。」などと言い出しました。
9氏名黙秘:2000/12/05(火) 04:17
ダイエーのスパイ疑惑がどうこう言われていますが、阪神の行ったことに比べれば大して悪いことではないと思います。
とりあえず、最後まで読んでください。
私は、1993年4月に、阪神電鉄(株)の子会社であるA社(本社=大阪市梅田、勤務地=吹田市江坂テクノセンター)に
新入社員として入社しました。
このA社は、コンピュータ関係の業務を行う会社で、当時の社長はM田氏でした。(現在はK原氏)
また、A社は、現在ではGAONETという阪神タイガースを売り物にしたネットのプロバイダーでもあり、バーチャル甲子園というものも主催
しています。
元々内向的で気の弱かった私は、入社後何ヶ月経っても会社に馴染めず、A社の中で独り浮いているような感じでした。
このとき、私は○○(守口市)というアパートに一人で住んでいました。このアパートは4.5畳〜6畳の一人部屋で、かなり低家賃でした。
そこには、一般人と大阪工大の学生及びそのOBが住んでいました。その中に、A社の(先輩)社員の知り合いが数人いました。
その知り合い(以下S田達という)は、前住人から貰ったのかどうか知りませんが、なぜか私の部屋の合鍵を持っているようでした。
S田達は、私が外出している間に合鍵を使って私の部屋に侵入し、部屋の中に置いてあった手紙や日記等のプライベートな物を見ては、
その情報をA社で流していました。
あるとき、私は、会社の中で、このことをある社員が(他の社員に)話しているのを盗み聞きしました。
実は、以前から、外出している間に部屋の中のものが移動していたことが何度かありました。
しかし、私は、○○氏(=大家さん)が様子を見るために部屋に入っているのだろうと思い、さほど気には留めていませんでした。
1993年の10月頃、私は、直接の上司であった、工業システム部システム1課課長(当時)のK田氏に@`次のような相談をしました。
「私の部屋の中のプライベートな情報が会社でばらまかれているようだ。大阪工業大学(大阪市旭区)の学生が関与しているように思う。
課長も知っていると思う。このようなことを続けられると、針のむしろに座っているようで耐えられない。情報をばらまいている人に注意
をするか、会社の寮に(私を)入れてほしい。」するとK田氏は、「そうなのか、私は知らないが調べておいてみる。」と簡単に答えました。
数日後、K田氏は、私を密室に呼び出しました。そして、「調べてみたがそういうことなない。このことは誰かに言ったのか。」と言いました。
その後、つまらない世間話を山ほどする中で、さりげなく、「お父さんは校長先生をしていたそうだが厳格なのか?」と聞きました。
実は、父が厳格だということは、私がA社の最終面接(役員面接)を受けたときに、話の成り行きで言ったことでした。
私は、「厳格と言えば厳格です。」と答えました。すると、「一人息子の就職が決まって、喜んでただろう。」と言いました。
次の日もまたK田氏に呼びだされました。そして仕事をするときにどうのこうのという無意味な話を山ほどした後で、
「お父さんには(学生時代に)よく怒られたりしたのか?就職が決まって喜んでいただろう。」と言いました。
その次の日もまた呼びだされました。
そして、「このことはだれかに言ったのか?お母さんには言ったのか?あまりそういう話はしないのか?」と聞きました。
また、「お父さんには勉強のことではあまり怒られたりしなかったのか?大学を留年したときに怒られただろう?
妹が大阪にいるらしいが連絡をとったりするのか?だれか大阪に知り合いはいるのか?お父さんよりはお母さんとよく話すのか?
お母さんの方が話しやすいのか?学生時代の友人は大阪にいないのか?」などと話の途中でさりげなく聞きました。(私の実家は他県)
結局、1週間ぐらい毎日呼び出されました。そして、無意味な話を山ほどする中で、必ず、(部屋に入られていることを)誰かに言ったのかと
さりげなく聞きました。私は、一度に聞けばいいのになぜ毎日仕事を中断してまで呼び出すのか?毎回誰かに報告して指示を受けているので
はないかと不信に思い始めました。すると、K田氏は、「I君は(他の社員と)話をしないから相談できる人がいないんじゃないかと思って心配
してたんだ。」「みんなと話をしないからそういうことを考えるのじゃないのか?お父さんが厳格だからおとなしくなったんじゃないかと思うんだ。
もっと(他の社員と)話をするようにしたらどうだ。」などと言い出しました。
10氏名黙秘:2000/12/05(火) 04:29
呼び出し始めてから一週間後には、「そんなこと(部屋に入られているということ)を言っていたら、益々みんなとうまくいかなくなってしまう。
そんなしょうもないことを言っている間は仕事をやれない。絶対に、そんなことを言うな」と言うようになりました。
私は、新入社員の研修期間が終わったにもかかわらず、一人だけ何も仕事を与えてもらえませんでした。そして、マナー読本のようなものを
毎日読まされました。さらに、反省文のようなものを書かされ提出させられました。この反省文が、一字一句でも間違っていると、K田氏は、
他の社員の前で、「これだといつまでたっても仕事をやれないぞ。これだけ言われてなぜやる気を出さないんだ!」と怒鳴りました。
さらに、その後、密室に呼び出され、「こんな間違いをしてたら仕事を任せられない」と言われました。
そして、欠点を山ほど指摘した後で、「人と話をしないからいけないんだ。相談をするような人はいないのか。」などと言いながら、
部屋に入られたことを人に言ったのかどうかをさりげなく聞きました。
また、コンピュータと関係のない雑用をさせされ、少しでも間違いをすると、呼び出されました。
そのとき、K田氏は、話題をむりやり例の件にもっていって、「あまり人と話をしないから、部屋に入られているなどと思い込むんだ。
今まで思い込む癖があるといわれたことはないか?絶対にあるはずだ。見ればわかる。心斎橋にそういうのをみてもらう精神科医があるから、
そこに言って見てもらったらどうだ。みんなにはIに話しかけてやれと言ってるんだ。」などと言いました。
しばらくして、他の社員が急に私に話しかけてくるようになりました。おそらく、上司に言われたのだと思います。
しかし、例の件を他の社員に話すことは許されませんでした。
ある時、私がK田氏に呼ばれた際、「(部屋に入られていると)針のむしろに座っているようで耐えられない」と言うと、
K田氏は、「そんな会社にいられなくなるようなことをするやつはいない。そんなばかなことを言っていたら、いつまでたっても仕事を
任せられないし、ボーナスも貰えなくなるぞ。」と言いました。
K田氏の態度は、私を呼び出した時と、他の社員の前とでは、がらりと変わりました。例えば、私を密室に呼び出した時には、仕事を
してなくてもボーナスを一律に貰えることをほのめかした後で、「ボーナスを貰っていけ。」などと言いました。
その一方で、他の社員の前では、「そんなんだったら、すぐに退職届を書いて辞めてしまえといいたくなる。」などと大声で怒鳴ったり
しました。また、密室に呼び出されたときには、部屋に入られた件の話を必ずしていたにもかかわらず、他の社員が仕事をしている横に
呼び出されたときには、絶対にこの件には触れませんでした。
そこでは、「大学のときどういうアルバイトをしていたんだ?怒られているときにはどんなことを考えているんだ?
なぜ、失敗するんだ?」などといつもと全然違うことを言いました。そして、「なんで、いつまでたってもできないんだ。
そんなんだったら辞めてしまえ!」などと大声で怒鳴りました。
一人だけ仕事を与えられていない私も、毎朝一人、社員が順番に行うスピーチは義務付けられていました。
我慢の限界に達していた私は、勇気を振り絞って、K田氏に、「朝のスピーチでこのことを話したい。」といいました。
すると、K田氏は、「まだそんなことを言っているのか!」「いいかげんに反省したらどうだ!」と言い、
私の欠点や失敗を山ほど指摘しました。
私は、同期の社員が全員仕事をしている中で、ひとりだけ自習と雑用をさせられ、反省文を書かされ続けました。
その理由は「仕事をする上で基本的なことができてない」ということでした。

11氏名黙秘:2000/12/05(火) 04:34
呼び出し始めてから一週間後には、「そんなこと(部屋に入られているということ)を言っていたら、益々みんなとうまくいかなくなってしまう。
そんなしょうもないことを言っている間は仕事をやれない。絶対に、そんなことを言うな」と言うようになりました。
私は、新入社員の研修期間が終わったにもかかわらず、一人だけ何も仕事を与えてもらえませんでした。そして、マナー読本のようなものを
毎日読まされました。さらに、反省文のようなものを書かされ提出させられました。この反省文が、一字一句でも間違っていると、K田氏は、
他の社員の前で、「これだといつまでたっても仕事をやれないぞ。これだけ言われてなぜやる気を出さないんだ!」と怒鳴りました。
さらに、その後、密室に呼び出され、「こんな間違いをしてたら仕事を任せられない」と言われました。
そして、欠点を山ほど指摘した後で、「人と話をしないからいけないんだ。相談をするような人はいないのか。」などと言いながら、
部屋に入られたことを人に言ったのかどうかをさりげなく聞きました。
また、コンピュータと関係のない雑用をさせされ、少しでも間違いをすると、呼び出されました。
そのとき、K田氏は、話題をむりやり例の件にもっていって、「あまり人と話をしないから、部屋に入られているなどと思い込むんだ。
今まで思い込む癖があるといわれたことはないか?絶対にあるはずだ。見ればわかる。心斎橋にそういうのをみてもらう精神科医が
あるから、そこに言って見てもらったらどうだ。みんなにはIに話しかけてやれと言ってるんだ。」などと言いました。
しばらくして、他の社員が急に私に話しかけてくるようになりました。おそらく、上司に言われたのだと思います。
しかし、例の件を他の社員に話すことは許されませんでした。
ある時、私がK田氏に呼ばれた際、「(部屋に入られていると)針のむしろに座っているようで耐えられない」と言うと、K田氏は、
「そんな会社にいられなくなるようなことをするやつはいない。そんなばかなことを言っていたら、いつまでたっても仕事を任せ
られないし、ボーナスも貰えなくなるぞ。」と言いました。
K田氏の態度は、私を呼び出した時と、他の社員の前とでは、がらりと変わりました。例えば、私を密室に呼び出した時には、仕事を
してなくてもボーナスを一律に貰えることをほのめかした後で、「ボーナスを貰っていけ。」などと言いました。
その一方で、他の社員の前では、「そんなんだったら、すぐに退職届を書いて辞めてしまえといいたくなる。」などと大声で怒鳴ったり
しました。また、密室に呼び出されたときには、部屋に入られた件の話を必ずしていたにもかかわらず、他の社員が仕事をしている横に
呼び出されたときには、絶対にこの件には触れませんでした。
そこでは、「大学のときどういうアルバイトをしていたんだ?怒られているときにはどんなことを考えているんだ?なぜ、失敗するんだ?」
などといつもと全然違うことを言いました。そして、「なんで、いつまでたってもできないんだ。そんなんだったら辞めてしまえ!」などと
大声で怒鳴りました。
一人だけ仕事を与えられていない私も、毎朝一人、社員が順番に行うスピーチは義務付けられていました。
我慢の限界に達していた私は、勇気を振り絞って、K田氏に、「朝のスピーチでこのことを話したい。」といいました。
すると、K田氏は、「まだそんなことを言っているのか!」「いいかげんに反省したらどうだ!」と言い、私の欠点や失敗を山ほど指摘
しました。
私は、同期の社員が全員仕事をしている中で、ひとりだけ自習と雑用をさせられ、反省文を書かされ続けました。その理由は
「仕事をする上で基本的なことができてない」ということでした。
12氏名黙秘:2000/12/05(火) 04:35
すると、K田氏は、「まだそんなことを言っているのか!」「いいかげんに反省したらどうだ!」と言い、私の欠点や失敗を山ほど指摘しました。
13氏名黙秘:2000/12/05(火) 04:36
呼び出し始めてから一週間後には、「そんなこと(部屋に入られているということ)を言っていたら、益々みんなとうまくいかなくなってしまう。
そんなしょうもないことを言っている間は仕事をやれない。絶対に、そんなことを言うな」と言うようになりました。
私は、新入社員の研修期間が終わったにもかかわらず、一人だけ何も仕事を与えてもらえませんでした。そして、マナー読本のようなものを
毎日読まされました。さらに、反省文のようなものを書かされ提出させられました。この反省文が、一字一句でも間違っていると、K田氏は、
他の社員の前で、「これだといつまでたっても仕事をやれないぞ。これだけ言われてなぜやる気を出さないんだ!」と怒鳴りました。
さらに、その後、密室に呼び出され、「こんな間違いをしてたら仕事を任せられない」と言われました。
そして、欠点を山ほど指摘した後で、「人と話をしないからいけないんだ。相談をするような人はいないのか。」などと言いながら、
部屋に入られたことを人に言ったのかどうかをさりげなく聞きました。
また、コンピュータと関係のない雑用をさせされ、少しでも間違いをすると、呼び出されました。
そのとき、K田氏は、話題をむりやり例の件にもっていって、「あまり人と話をしないから、部屋に入られているなどと思い込むんだ。
今まで思い込む癖があるといわれたことはないか?絶対にあるはずだ。見ればわかる。心斎橋にそういうのをみてもらう精神科医が
あるから、そこに言って見てもらったらどうだ。みんなにはIに話しかけてやれと言ってるんだ。」などと言いました。
しばらくして、他の社員が急に私に話しかけてくるようになりました。おそらく、上司に言われたのだと思います。
しかし、例の件を他の社員に話すことは許されませんでした。
ある時、私がK田氏に呼ばれた際、「(部屋に入られていると)針のむしろに座っているようで耐えられない」と言うと、K田氏は、
「そんな会社にいられなくなるようなことをするやつはいない。そんなばかなことを言っていたら、いつまでたっても仕事を任せ
られないし、ボーナスも貰えなくなるぞ。」と言いました。
K田氏の態度は、私を呼び出した時と、他の社員の前とでは、がらりと変わりました。例えば、私を密室に呼び出した時には、仕事を
してなくてもボーナスを一律に貰えることをほのめかした後で、「ボーナスを貰っていけ。」などと言いました。
その一方で、他の社員の前では、「そんなんだったら、すぐに退職届を書いて辞めてしまえといいたくなる。」などと大声で怒鳴ったり
しました。また、密室に呼び出されたときには、部屋に入られた件の話を必ずしていたにもかかわらず、他の社員が仕事をしている横に
呼び出されたときには、絶対にこの件には触れませんでした。
そこでは、「大学のときどういうアルバイトをしていたんだ?怒られているときにはどんなことを考えているんだ?なぜ、失敗するんだ?」
などといつもと全然違うことを言いました。そして、「なんで、いつまでたってもできないんだ。そんなんだったら辞めてしまえ!」などと
大声で怒鳴りました。
一人だけ仕事を与えられていない私も、毎朝一人、社員が順番に行うスピーチは義務付けられていました。
我慢の限界に達していた私は、勇気を振り絞って、K田氏に、「朝のスピーチでこのことを話したい。」といいました。
すると、K田氏は、「まだそんなことを言っているのか!」「いいかげんに反省したらどうだ!」と言い、私の欠点や失敗を山ほど指摘しました。
私は、同期の社員が全員仕事をしている中で、ひとりだけ自習と雑用をさせられ、反省文を書かされ続けました。その理由は「仕事をする上で
基本的なことができてない」ということでした。
14氏名黙秘:2000/12/05(火) 04:38
呼び出し始めてから一週間後には、「そんなこと(部屋に入られているということ)を言っていたら、益々みんなとうまくいかなくなってしまう。
そんなしょうもないことを言っている間は仕事をやれない。絶対に、そんなことを言うな」と言うようになりました。
私は、新入社員の研修期間が終わったにもかかわらず、一人だけ何も仕事を与えてもらえませんでした。そして、マナー読本のようなものを
毎日読まされました。さらに、反省文のようなものを書かされ提出させられました。この反省文が、一字一句でも間違っていると、K田氏は、
他の社員の前で、「これだといつまでたっても仕事をやれないぞ。これだけ言われてなぜやる気を出さないんだ!」と怒鳴りました。
さらに、その後、密室に呼び出され、「こんな間違いをしてたら仕事を任せられない」と言われました。
そして、欠点を山ほど指摘した後で、「人と話をしないからいけないんだ。相談をするような人はいないのか。」などと言いながら、
部屋に入られたことを人に言ったのかどうかをさりげなく聞きました。
また、コンピュータと関係のない雑用をさせされ、少しでも間違いをすると、呼び出されました。
そのとき、K田氏は、話題をむりやり例の件にもっていって、「あまり人と話をしないから、部屋に入られているなどと思い込むんだ。
今まで思い込む癖があるといわれたことはないか?絶対にあるはずだ。見ればわかる。心斎橋にそういうのをみてもらう精神科医が
あるから、そこに言って見てもらったらどうだ。みんなにはIに話しかけてやれと言ってるんだ。」などと言いました。
しばらくして、他の社員が急に私に話しかけてくるようになりました。おそらく、上司に言われたのだと思います。
しかし、例の件を他の社員に話すことは許されませんでした。
ある時、私がK田氏に呼ばれた際、「(部屋に入られていると)針のむしろに座っているようで耐えられない」と言うと、K田氏は、
「そんな会社にいられなくなるようなことをするやつはいない。そんなばかなことを言っていたら、いつまでたっても仕事を任せ
られないし、ボーナスも貰えなくなるぞ。」と言いました。
K田氏の態度は、私を呼び出した時と、他の社員の前とでは、がらりと変わりました。例えば、私を密室に呼び出した時には、仕事を
してなくてもボーナスを一律に貰えることをほのめかした後で、「ボーナスを貰っていけ。」などと言いました。
その一方で、他の社員の前では、「そんなんだったら、すぐに退職届を書いて辞めてしまえといいたくなる。」などと大声で怒鳴ったり
しました。また、密室に呼び出されたときには、部屋に入られた件の話を必ずしていたにもかかわらず、他の社員が仕事をしている横に
呼び出されたときには、絶対にこの件には触れませんでした。
そこでは、「大学のときどういうアルバイトをしていたんだ?怒られているときにはどんなことを考えているんだ?なぜ、失敗するんだ?」
などといつもと全然違うことを言いました。そして、「なんで、いつまでたってもできないんだ。そんなんだったら辞めてしまえ!」などと
大声で怒鳴りました。
一人だけ仕事を与えられていない私も、毎朝一人、社員が順番に行うスピーチは義務付けられていました。
我慢の限界に達していた私は、勇気を振り絞って、K田氏に、「朝のスピーチでこのことを話したい。」といいました。
すると、K田氏は、「まだそんなことを言っているのか!」「いいかげんに反省したらどうだ!」と言い、私の欠点や失敗を山ほど指摘しました。
私は、同期の社員が全員仕事をしている中で、ひとりだけ自習と雑用をさせられ、反省文を書かされ続けました。
その理由は「仕事をする上で基本的なことができてない」ということでした。
15氏名黙秘:2000/12/05(火) 04:44
私は、さらしものになっているような感じで、A社を辞めざるを得なくなりました。辞める直前にK田氏は、「次の就職のことを考えたら、
そんなこと(部屋にはいられていること)を言って会社と揉めない方がいいぞ。」「精神的な欠点を直しておかないと、次に就職してもまた、
うまくいかなくなってしまうぞ」と言いました。そして、大阪に知人がいるかどうかを執拗に聞きました。
(退社後数日経って本社(梅田)に手続きに行ったときも、総務課長のO沢氏に大阪に知人がいるかどうかを聞かれました)
私は、ここで会社と揉めて次の就職に影響したり、ボーナスを貰えなくなってはかなわないと思い、辞める直前に引越を行い、円満退社を
するように心掛けました。そして、1993年12月に50万円程のボーナスを貰うとすぐに退社しました。
この50万は、大学時代毎月8万円の仕送りで生活していた私にとっては、始めて手にする大金でした。この嬉しさと次の就職のことが頭に
あったので、元々気の弱い私は、一切文句を言わずに辞めてしまったのです。
しかし、この選択が大きな間違いであったことが後になってわかります。あのとき事の真否をはっきりさせておけばよかったと後悔しています。
なぜなら、大阪を無理やり出て行かなければならなくなったばかりか、A社のことを何も言えないような状況にさせられてしまったからです。
* ここに書いたことはすべて真実です。絶対に間違いありません。悪いことをせず、争いを避けていれば平穏に暮らしていけると思っていた
のですが、それが大きな間違いであることがA社を辞めた後で嫌という程わかりました。つまり、最初から証拠を残さないようにされると、
どんなことをされても、今の日本では救済されないということを思い知らされたのです。
(インターネット総会屋というサイトの阪神電気鉄道に掲載中)
16氏名黙秘:2000/12/05(火) 04:45
私は、さらしものになっているような感じで、A社を辞めざるを得なくなりました。辞める直前にK田氏は、「次の就職のことを考えたら、
そんなこと(部屋にはいられていること)を言って会社と揉めない方がいいぞ。」「精神的な欠点を直しておかないと、次に就職してもまた、
うまくいかなくなってしまうぞ」と言いました。そして、大阪に知人がいるかどうかを執拗に聞きました。
(退社後数日経って本社(梅田)に手続きに行ったときも、総務課長のO沢氏に大阪に知人がいるかどうかを聞かれました)
私は、ここで会社と揉めて次の就職に影響したり、ボーナスを貰えなくなってはかなわないと思い、辞める直前に引越を行い、円満退社を
するように心掛けました。そして、1993年12月に50万円程のボーナスを貰うとすぐに退社しました。
この50万は、大学時代毎月8万円の仕送りで生活していた私にとっては、始めて手にする大金でした。この嬉しさと次の就職のことが頭に
あったので、元々気の弱い私は、一切文句を言わずに辞めてしまったのです。
しかし、この選択が大きな間違いであったことが後になってわかります。
あのとき、事の真否をはっきりさせておけばよかったと後悔しています。
なぜなら、大阪を無理やり出て行かなければならなくなったばかりか、A社のことを何も言えないような状況にさせられてしまったからです。

* ここに書いたことはすべて真実です。絶対に間違いありません。悪いことをせず、争いを避けていれば平穏に暮らしていけると思っていた
のですが、それが大きな間違いであることがA社を辞めた後で嫌という程わかりました。つまり、最初から証拠を残さないようにされると、
どんなことをされても、今の日本では救済されないということを思い知らされたのです。
(インターネット総会屋というサイトの阪神電気鉄道に掲載中)
17決定稿1:2000/12/05(火) 04:49
ダイエーのスパイ疑惑がどうこう言われていますが、阪神の行ったことに比べれば大して悪いことではないと思います。
とりあえず、最後まで読んでください。
私は、1993年4月に、阪神電鉄(株)の子会社であるA社(本社=大阪市梅田、勤務地=吹田市江坂テクノセンター)に
新入社員として入社しました。
このA社は、コンピュータ関係の業務を行う会社で、当時の社長はM田氏でした。(現在はK原氏)
また、A社は、現在ではGAONETという阪神タイガースを売り物にしたネットのプロバイダーでもあり、バーチャル甲子園というものも主催
しています。
元々内向的で気の弱かった私は、入社後何ヶ月経っても会社に馴染めず、A社の中で独り浮いているような感じでした。
このとき、私は○○(守口市)というアパートに一人で住んでいました。このアパートは4.5畳〜6畳の一人部屋で、かなり低家賃でした。
そこには、一般人と大阪工大の学生及びそのOBが住んでいました。その中に、A社の(先輩)社員の知り合いが数人いました。
その知り合い(以下S田達という)は、前住人から貰ったのかどうか知りませんが、なぜか私の部屋の合鍵を持っているようでした。
S田達は、私が外出している間に合鍵を使って私の部屋に侵入し、部屋の中に置いてあった手紙や日記等のプライベートな物を見ては、
その情報をA社で流していました。
あるとき、私は、会社の中で、このことをある社員が(他の社員に)話しているのを盗み聞きしました。
実は、以前から、外出している間に部屋の中のものが移動していたことが何度かありました。
しかし、私は、○○氏(=大家さん)が様子を見るために部屋に入っているのだろうと思い、さほど気には留めていませんでした。
1993年の10月頃、私は、直接の上司であった、工業システム部システム1課課長(当時)のK田氏に@`次のような相談をしました。
「私の部屋の中のプライベートな情報が会社でばらまかれているようだ。大阪工業大学(大阪市旭区)の学生が関与しているように思う。
課長も知っていると思う。このようなことを続けられると、針のむしろに座っているようで耐えられない。情報をばらまいている人に注意
をするか、会社の寮に(私を)入れてほしい。」するとK田氏は、「そうなのか、私は知らないが調べておいてみる。」と簡単に答えました。
数日後、K田氏は、私を密室に呼び出しました。そして、「調べてみたがそういうことなない。このことは誰かに言ったのか。」と言いました。
その後、つまらない世間話を山ほどする中で、さりげなく、「お父さんは校長先生をしていたそうだが厳格なのか?」と聞きました。
実は、父が厳格だということは、私がA社の最終面接(役員面接)を受けたときに、話の成り行きで言ったことでした。
私は、「厳格と言えば厳格です。」と答えました。すると、「一人息子の就職が決まって、喜んでただろう。」と言いました。
次の日もまたK田氏に呼びだされました。そして仕事をするときにどうのこうのという無意味な話を山ほどした後で、
「お父さんには(学生時代に)よく怒られたりしたのか?就職が決まって喜んでいただろう。」と言いました。
その次の日もまた呼びだされました。
そして、「このことはだれかに言ったのか?お母さんには言ったのか?あまりそういう話はしないのか?」と聞きました。
また、「お父さんには勉強のことではあまり怒られたりしなかったのか?大学を留年したときに怒られただろう?
妹が大阪にいるらしいが連絡をとったりするのか?だれか大阪に知り合いはいるのか?お父さんよりはお母さんとよく話すのか?
お母さんの方が話しやすいのか?学生時代の友人は大阪にいないのか?」などと話の途中でさりげなく聞きました。(私の実家は他県)
結局、1週間ぐらい毎日呼び出されました。そして、無意味な話を山ほどする中で、必ず、(部屋に入られていることを)誰かに言ったのかと
さりげなく聞きました。私は、一度に聞けばいいのになぜ毎日仕事を中断してまで呼び出すのか?毎回誰かに報告して指示を受けているので
はないかと不信に思い始めました。すると、K田氏は、「I君は(他の社員と)話をしないから相談できる人がいないんじゃないかと思って心配
してたんだ。」「みんなと話をしないからそういうことを考えるのじゃないのか?お父さんが厳格だからおとなしくなったんじゃないかと思うんだ。
もっと(他の社員と)話をするようにしたらどうだ。」などと言い出しました。
18決定稿1改版:2000/12/05(火) 04:51
ダイエーのスパイ疑惑がどうこう言われていますが、阪神の行ったことに比べれば大して悪いことではないと思います。
とりあえず、最後まで読んでください。
私は、1993年4月に、阪神電鉄(株)の子会社であるA社(本社=大阪市梅田、勤務地=吹田市江坂テクノセンター)に
新入社員として入社しました。
このA社は、コンピュータ関係の業務を行う会社で、当時の社長はM田氏でした。(現在はK原氏)
また、A社は、現在ではGAONETという阪神タイガースを売り物にしたネットのプロバイダーでもあり、バーチャル甲子園というものも主催
しています。
元々内向的で気の弱かった私は、入社後何ヶ月経っても会社に馴染めず、A社の中で独り浮いているような感じでした。
このとき、私は○○(守口市)というアパートに一人で住んでいました。このアパートは4.5畳〜6畳の一人部屋で、かなり低家賃でした。
そこには、一般人と大阪工大の学生及びそのOBが住んでいました。その中に、A社の(先輩)社員の知り合いが数人いました。
その知り合い(以下S田達という)は、前住人から貰ったのかどうか知りませんが、なぜか私の部屋の合鍵を持っているようでした。
S田達は、私が外出している間に合鍵を使って私の部屋に侵入し、部屋の中に置いてあった手紙や日記等のプライベートな物を見ては、
その情報をA社で流していました。
あるとき、私は、会社の中で、このことをある社員が(他の社員に)話しているのを盗み聞きしました。
実は、以前から、外出している間に部屋の中のものが移動していたことが何度かありました。
しかし、私は、○○氏(=大家さん)が様子を見るために部屋に入っているのだろうと思い、さほど気には留めていませんでした。
1993年の10月頃、私は、直接の上司であった、工業システム部システム1課課長(当時)のK田氏に@`次のような相談をしました。
「私の部屋の中のプライベートな情報が会社でばらまかれているようだ。大阪工業大学(大阪市旭区)の学生が関与しているように思う。
課長も知っていると思う。このようなことを続けられると、針のむしろに座っているようで耐えられない。情報をばらまいている人に注意
をするか、会社の寮に(私を)入れてほしい。」するとK田氏は、「そうなのか、私は知らないが調べておいてみる。」と簡単に答えました。
数日後、K田氏は、私を密室に呼び出しました。そして、「調べてみたがそういうことなない。このことは誰かに言ったのか。」と言いました。
その後、つまらない世間話を山ほどする中で、さりげなく、「お父さんは校長先生をしていたそうだが厳格なのか?」と聞きました。
実は、父が厳格だということは、私がA社の最終面接(役員面接)を受けたときに、話の成り行きで言ったことでした。
私は、「厳格と言えば厳格です。」と答えました。すると、「一人息子の就職が決まって、喜んでただろう。」と言いました。
次の日もまたK田氏に呼びだされました。そして仕事をするときにどうのこうのという無意味な話を山ほどした後で、
「お父さんには(学生時代に)よく怒られたりしたのか?就職が決まって喜んでいただろう。」と言いました。
その次の日もまた呼びだされました。
そして、「このことはだれかに言ったのか?お母さんには言ったのか?あまりそういう話はしないのか?」と聞きました。
また、「お父さんには勉強のことではあまり怒られたりしなかったのか?大学を留年したときに怒られただろう?
妹が大阪にいるらしいが連絡をとったりするのか?だれか大阪に知り合いはいるのか?お父さんよりはお母さんとよく話すのか?
お母さんの方が話しやすいのか?学生時代の友人は大阪にいないのか?」などと話の途中でさりげなく聞きました。(私の実家は他県)
19決定稿2:2000/12/05(火) 04:53
結局、1週間ぐらい毎日呼び出されました。そして、無意味な話を山ほどする中で、必ず、(部屋に入られていることを)誰かに言ったのかと
さりげなく聞きました。私は、一度に聞けばいいのになぜ毎日仕事を中断してまで呼び出すのか?毎回誰かに報告して指示を受けているので
はないかと不信に思い始めました。すると、K田氏は、「I君は(他の社員と)話をしないから相談できる人がいないんじゃないかと思って心配
してたんだ。」「みんなと話をしないからそういうことを考えるのじゃないのか?お父さんが厳格だからおとなしくなったんじゃないかと思うんだ。
もっと(他の社員と)話をするようにしたらどうだ。」などと言い出しました。
呼び出し始めてから一週間後には、「そんなこと(部屋に入られているということ)を言っていたら、益々みんなとうまくいかなくなってしまう。
そんなしょうもないことを言っている間は仕事をやれない。絶対に、そんなことを言うな」と言うようになりました。
私は、新入社員の研修期間が終わったにもかかわらず、一人だけ何も仕事を与えてもらえませんでした。そして、マナー読本のようなものを
毎日読まされました。さらに、反省文のようなものを書かされ提出させられました。この反省文が、一字一句でも間違っていると、K田氏は、
他の社員の前で、「これだといつまでたっても仕事をやれないぞ。これだけ言われてなぜやる気を出さないんだ!」と怒鳴りました。
さらに、その後、密室に呼び出され、「こんな間違いをしてたら仕事を任せられない」と言われました。
そして、欠点を山ほど指摘した後で、「人と話をしないからいけないんだ。相談をするような人はいないのか。」などと言いながら、
部屋に入られたことを人に言ったのかどうかをさりげなく聞きました。
また、コンピュータと関係のない雑用をさせされ、少しでも間違いをすると、呼び出されました。
そのとき、K田氏は、話題をむりやり例の件にもっていって、「あまり人と話をしないから、部屋に入られているなどと思い込むんだ。
今まで思い込む癖があるといわれたことはないか?絶対にあるはずだ。見ればわかる。心斎橋にそういうのをみてもらう精神科医が
あるから、そこに言って見てもらったらどうだ。みんなにはIに話しかけてやれと言ってるんだ。」などと言いました。
しばらくして、他の社員が急に私に話しかけてくるようになりました。おそらく、上司に言われたのだと思います。
しかし、例の件を他の社員に話すことは許されませんでした。
ある時、私がK田氏に呼ばれた際、「(部屋に入られていると)針のむしろに座っているようで耐えられない」と言うと、K田氏は、
「そんな会社にいられなくなるようなことをするやつはいない。そんなばかなことを言っていたら、いつまでたっても仕事を任せ
られないし、ボーナスも貰えなくなるぞ。」と言いました。
K田氏の態度は、私を呼び出した時と、他の社員の前とでは、がらりと変わりました。例えば、私を密室に呼び出した時には、仕事を
してなくてもボーナスを一律に貰えることをほのめかした後で、「ボーナスを貰っていけ。」などと言いました。
その一方で、他の社員の前では、「そんなんだったら、すぐに退職届を書いて辞めてしまえといいたくなる。」などと大声で怒鳴ったり
しました。また、密室に呼び出されたときには、部屋に入られた件の話を必ずしていたにもかかわらず、他の社員が仕事をしている横に
呼び出されたときには、絶対にこの件には触れませんでした。
そこでは、「大学のときどういうアルバイトをしていたんだ?怒られているときにはどんなことを考えているんだ?なぜ、失敗するんだ?」
などといつもと全然違うことを言いました。そして、「なんで、いつまでたってもできないんだ。そんなんだったら辞めてしまえ!」などと
大声で怒鳴りました。
20決定稿3:2000/12/05(火) 04:57
一人だけ仕事を与えられていない私も、毎朝一人、社員が順番に行うスピーチは義務付けられていました。
我慢の限界に達していた私は、勇気を振り絞って、K田氏に、「朝のスピーチでこのことを話したい。」といいました。
すると、K田氏は、「まだそんなことを言っているのか!」「いいかげんに反省したらどうだ!」と言い、私の欠点や失敗を山ほど指摘しました。
私は、同期の社員が全員仕事をしている中で、ひとりだけ自習と雑用をさせられ、反省文を書かされ続けました。
その理由は「仕事をする上で基本的なことができてない」ということでした。

私は、さらしものになっているような感じで、A社を辞めざるを得なくなりました。辞める直前にK田氏は、「次の就職のことを考えたら、
そんなこと(部屋にはいられていること)を言って会社と揉めない方がいいぞ。」「精神的な欠点を直しておかないと、次に就職してもまた、
うまくいかなくなってしまうぞ」と言いました。そして、大阪に知人がいるかどうかを執拗に聞きました。
(退社後数日経って本社(梅田)に手続きに行ったときも、総務課長のO沢氏に大阪に知人がいるかどうかを聞かれました)
私は、ここで会社と揉めて次の就職に影響したり、ボーナスを貰えなくなってはかなわないと思い、辞める直前に引越を行い、円満退社を
するように心掛けました。そして、1993年12月に50万円程のボーナスを貰うとすぐに退社しました。
この50万は、大学時代毎月8万円の仕送りで生活していた私にとっては、始めて手にする大金でした。この嬉しさと次の就職のことが頭に
あったので、元々気の弱い私は、一切文句を言わずに辞めてしまったのです。
しかし、この選択が大きな間違いであったことが後になってわかります。
あのとき、事の真否をはっきりさせておけばよかったと後悔しています。
なぜなら、大阪を無理やり出て行かなければならなくなったばかりか、A社のことを何も言えないような状況にさせられてしまったからです。

* ここに書いたことはすべて真実です。絶対に間違いありません。悪いことをせず、争いを避けていれば平穏に暮らしていけると思っていた
のですが、それが大きな間違いであることがA社を辞めた後で嫌という程わかりました。つまり、最初から証拠を残さないようにされると、
どんなことをされても、今の日本では救済されないということを思い知らされたのです。
(インターネット総会屋というサイトの阪神電気鉄道に掲載中)
21決定稿1改版第2版:2000/12/05(火) 05:01
笹田(守口市浜町2-3-9-1)-->[email protected] ○スパイよりも悪いこと98:12:10:19:20:17
ダイエーのスパイ疑惑がどうこう言われていますが、阪神の行ったことに比べれば大して悪いことではないと思います。
とりあえず、最後まで読んでください。
私は、1993年4月に、阪神電鉄(株)の子会社であるA社(本社=大阪市梅田、勤務地=吹田市江坂テクノセンター)に
新入社員として入社しました。
このA社は、コンピュータ関係の業務を行う会社で、当時の社長はM田氏でした。(現在はK原氏)
また、A社は、現在ではGAONETという阪神タイガースを売り物にしたネットのプロバイダーでもあり、バーチャル甲子園というものも主催
しています。
元々内向的で気の弱かった私は、入社後何ヶ月経っても会社に馴染めず、A社の中で独り浮いているような感じでした。
このとき、私は○○(守口市)というアパートに一人で住んでいました。このアパートは4.5畳〜6畳の一人部屋で、かなり低家賃でした。
そこには、一般人と大阪工大の学生及びそのOBが住んでいました。その中に、A社の(先輩)社員の知り合いが数人いました。
その知り合い(以下S田達という)は、前住人から貰ったのかどうか知りませんが、なぜか私の部屋の合鍵を持っているようでした。
S田達は、私が外出している間に合鍵を使って私の部屋に侵入し、部屋の中に置いてあった手紙や日記等のプライベートな物を見ては、
その情報をA社で流していました。
あるとき、私は、会社の中で、このことをある社員が(他の社員に)話しているのを盗み聞きしました。
実は、以前から、外出している間に部屋の中のものが移動していたことが何度かありました。
しかし、私は、○○氏(=大家さん)が様子を見るために部屋に入っているのだろうと思い、さほど気には留めていませんでした。
1993年の10月頃、私は、直接の上司であった、工業システム部システム1課課長(当時)のK田氏に@`次のような相談をしました。
「私の部屋の中のプライベートな情報が会社でばらまかれているようだ。大阪工業大学(大阪市旭区)の学生が関与しているように思う。
課長も知っていると思う。このようなことを続けられると、針のむしろに座っているようで耐えられない。情報をばらまいている人に注意
をするか、会社の寮に(私を)入れてほしい。」するとK田氏は、「そうなのか、私は知らないが調べておいてみる。」と簡単に答えました。
数日後、K田氏は、私を密室に呼び出しました。そして、「調べてみたがそういうことなない。このことは誰かに言ったのか。」と言いました。
その後、つまらない世間話を山ほどする中で、さりげなく、「お父さんは校長先生をしていたそうだが厳格なのか?」と聞きました。
実は、父が厳格だということは、私がA社の最終面接(役員面接)を受けたときに、話の成り行きで言ったことでした。
私は、「厳格と言えば厳格です。」と答えました。すると、「一人息子の就職が決まって、喜んでただろう。」と言いました。
次の日もまたK田氏に呼びだされました。そして仕事をするときにどうのこうのという無意味な話を山ほどした後で、
「お父さんには(学生時代に)よく怒られたりしたのか?就職が決まって喜んでいただろう。」と言いました。
その次の日もまた呼びだされました。
そして、「このことはだれかに言ったのか?お母さんには言ったのか?あまりそういう話はしないのか?」と聞きました。
また、「お父さんには勉強のことではあまり怒られたりしなかったのか?大学を留年したときに怒られただろう?
妹が大阪にいるらしいが連絡をとったりするのか?だれか大阪に知り合いはいるのか?お父さんよりはお母さんとよく話すのか?
お母さんの方が話しやすいのか?学生時代の友人は大阪にいないのか?」などと話の途中でさりげなく聞きました。(私の実家は他県)
22氏名黙秘:2000/12/05(火) 05:04
意見 発言者:一般消費者・利用者 代表 笹田
発言要旨:阪神系列会社の真実
発言内容:取り消しを依頼したものですが、誤解のないようにはっきりさせておきます。発言内容はすべて真実です。
     しかしながら、阪神系列A社の常務と総務部長が、私のいないところでこの投稿文のコピーを親に見せて、
     削除するようにいったそうです。私には、問題になっていることさえ言わずに。
     そこで、家族や職場を巻き込むことがあっては困るため、削除を依頼しました。

http://www.sokaiya.com/cgi/genpage.cgi?SC=9043&DN=8(既に削除済)
23決定稿3改版:2000/12/05(火) 05:07
一人だけ仕事を与えられていない私も、毎朝一人、社員が順番に行うスピーチは義務付けられていました。
我慢の限界に達していた私は、勇気を振り絞って、K田氏に、「朝のスピーチでこのことを話したい。」といいました。
すると、K田氏は、「まだそんなことを言っているのか!」「いいかげんに反省したらどうだ!」と言い、私の欠点や失敗を山ほど指摘しました。
私は、同期の社員が全員仕事をしている中で、ひとりだけ自習と雑用をさせられ、反省文を書かされ続けました。
その理由は「仕事をする上で基本的なことができてない」ということでした。

私は、さらしものになっているような感じで、A社を辞めざるを得なくなりました。辞める直前にK田氏は、「次の就職のことを考えたら、
そんなこと(部屋にはいられていること)を言って会社と揉めない方がいいぞ。」「精神的な欠点を直しておかないと、次に就職してもまた、
うまくいかなくなってしまうぞ」と言いました。そして、大阪に知人がいるかどうかを執拗に聞きました。
(退社後数日経って本社(梅田)に手続きに行ったときも、総務課長のO沢氏に大阪に知人がいるかどうかを聞かれました)
私は、ここで会社と揉めて次の就職に影響したり、ボーナスを貰えなくなってはかなわないと思い、辞める直前に引越を行い、円満退社を
するように心掛けました。そして、1993年12月に50万円程のボーナスを貰うとすぐに退社しました。
この50万は、大学時代毎月8万円の仕送りで生活していた私にとっては、始めて手にする大金でした。この嬉しさと次の就職のことが頭に
あったので、元々気の弱い私は、一切文句を言わずに辞めてしまったのです。
しかし、この選択が大きな間違いであったことが後になってわかります。
あのとき、事の真否をはっきりさせておけばよかったと後悔しています。
なぜなら、大阪を無理やり出て行かなければならなくなったばかりか、A社のことを何も言えないような状況にさせられてしまったからです。

* ここに書いたことはすべて真実です。絶対に間違いありません。悪いことをせず、争いを避けていれば平穏に暮らしていけると思っていた
のですが、それが大きな間違いであることがA社を辞めた後で嫌という程わかりました。つまり、最初から証拠を残さないようにされると、
どんなことをされても、今の日本では救済されないということを思い知らされたのです。
(インターネット総会屋というサイトの阪神電気鉄道に掲載中)

http://ss19.ibj.co.jp/talk/baseball/base/981210222210.htm#1692(既に削除済)
24氏名黙秘:2000/12/08(金) 00:03
uge
25氏名黙秘:2000/12/08(金) 00:16
笹田きもい
26井上
上の長い文章は、私が削除依頼をしているものを誰かが転載したものです。
私は転載元に削除依頼を出し、一刻もはやい削除をのぞんでいます。
転載はやめてほしいです。