99 :
氏名黙秘:
http://www.iwanami.co.jp/shiso/0919/kotoba.html とはいえかような成果の裏で、行き過ぎた極論が出始めたのも否定できない。
ニーチェ的な思考法が悪しき面を露呈しはじめた例を一つ挙げるなら、構成主義ないしは構築主義的方法の濫用がある。
ニーチェは後期にいたるにつれ、構成主義的な色彩をしだいに濃厚にしているが、そのいきつく先は、好戦的で粗雑な力(あるいは権力)の存在論である。
社会理論の脈絡でこの種の構築主義的動向をもたらすのに力あったものといえば、まずフーコーとルーマンの名を挙げなければなるまい。
肌合いの違うこの二者がこの点で不思議に似ているのも、ニーチェを介在させれば容易に見て取れる。
(フーコーがニーチェを意識的に継承していることは明らかだが、ルーマンについては若干のコメントが要るかもしれない。
この所の動きをみれば、ルーマンのシステム論と「力への意志」の思想に類似性をみる研究がいくつか出回っており、また少し前にハーバーマスは、ルーマンをニーチェの後継者として解釈してみせたことがある。
抽象の度を高くとって後期ニーチェのある面を論理的に整序してみれば、ルーマンの基本構図と平行した図柄を描くことは、さして困難ではない。)
100 :
氏名黙秘:2014/02/23(日) 00:36:05.18 ID:???
8) しかしおそらくはまたフーコーやドゥルーズに関しても。フーコーが明らかにしようとしているのは、この区別が、したがって自然法も、また他方で「自然法など存在しない
、実定法のみを考えればよい」との言明も同様に、コミュニケーションの特定の(実定的な)布置のもとでのみ効力をもつこと、
「なにかを問題や権力と見る観察のリアリティは一定の作動上の効果をもちつつも、特定のコミュニケーションの作動域に限定される」(園田 2001, 172)ことだからである。
http://socio-logic.jp/baba/68/68_note.php
101 :
氏名黙秘:2014/02/23(日) 00:39:00.14 ID:???
102 :
氏名黙秘:2014/02/23(日) 00:41:59.08 ID:???
103 :
氏名黙秘:2014/02/23(日) 00:44:01.00 ID:???