90年代3人の若武者の悲劇

このエントリーをはてなブックマークに追加
413氏名黙秘
柴田孝之の霊言

ー柴田っていまひとつ方法論的に分からないんですが。
司法試験は試験である、というテーゼを持ち込んだといえよう。
何か、雲の上の試験であり、東大に入ったような勉強とは根本的に違う、
などと勘違いして、基本書を一から読んだりする。
しかし、東大に入るために、教科書など一から読んだであろうか。
予備校に依拠していたはずである。
そういう司法試験を神聖視(?)していると、論証パターンとかを軽視したりして
落ちたりしてしまう。試験である以上、試験そのもののの方法論は
全て当てはまるといえよう。
そういうことを言っただけなんですが、それゆえオリジナリティはとりたててない。
しかも、本人は柔らかな思考で、どんな問題でも切っていく。
この柔らかさがあれば、どんな試験でも、あるいはどんな業界でも(!)やっていけると思う。
ー辰己の講師らしくないんですが。
それは、どう。最初からLECにいた方がイメージとしては合っていた。
辰己は本物の受験生と本物の講師のいる本物の予備校だからな。
しかし、偽物がいてもいいわけです。
とにかく多数の講師を擁していたからね。
ふざけているのかというような名前の講座がたくさんあって、それが
旧司法試験であった。整備されたハイウェイであるとともに、迷宮を思わせるところが
同時にあった。この併存が伊藤真以後なのである。
ローが出来て迷宮を思わせる部分がどこかに行ってしまった。
ー論証パターンだけでは問題は解けないという問題には、どう対処すればいいのでしょうか。
それに答えが与えられ始めたのは00年代からなんだよ。井藤とか柴田は、
大して答えていない。論証パターンが出てきたことは必然であろう。
要するに、まあ、それで解ける問題しか出ていなかったということなのである。
それを、ひねっているわけであるが、それに柔軟に対処できるかということだよね。
これはなかなか論理化できない領域だと思う。抽象的なものと具体的なものの往還と
いうもので、思考そのものといえますよね。日本人は抽象的なものに弱いとか
いわれますけど、抽象的なものだけをこねまわすのは、できるですが、それと具体的なものと
結びつけることはなかなかできないところがあるからね。