551 :
氏名黙秘:
in dubio pro Hirano(12)不能犯
【平野325頁】は、【具体的危険説】と呼ばれる見解は、客観的危険性の
存否を、純客観的・類型的にではなく、具体的事実に即して判断しようとする。
すなわち、その具体的状況を、【一般人の立場】からみて、結果発生の危険性
があると思われる場合には、未遂犯として処罰すべきだ、とする。
【前田153頁】は、危険性の有無は、実行行為時に存在した客観的事情を基に
【実行時を基準】に、裁判官が一般人の視点で科学的合理的に判断する、とする。
【山口276頁】は、@ます、結果が発生しなかった原因を解明し、事実が
いかなるものであったら、結果の発生があり得たかを科学的に明らかにする。
ここでは、一般人の認識可能性は無関係である、A次に、こうした結果惹起を
もたらすべき(仮定的)事実が(現実には存在しなかったのであるが)存在
し得たかが判断されることになる【仮定的事実の存在可能性】。これは客観的
にはなし得ないのであり、一般人が事後的にそれを「ありえたことだ」と考える
かを基準として、判断されることになる【一般人の事後的な危険感】、とする。
【西田289頁】も、山口と同様に、いかなる事情の変更があれば結果が発生
し得たか、そしてその事情の変更は、どの程度の蓋然性があったのかが探求
されなければならない、として、自説を【仮定的蓋然性説】と名付ける。
552 :
氏名黙秘:2011/02/20(日) 16:59:12.41 ID:???
in dubio pro Hirano(13)中止犯
【平野334頁】は、違法減少説で中止犯を理解するのが、基本的には妥当
としつつ、「自己の意思による」とは、フランクの公式によって、「やろう
と思えばたれたが、やらなかった」場合が中止犯である、とする。
【前田159頁】は、自己の意思で思いとどまった以上、責任が軽くなった
と考える【責任減少説】が妥当であり、自らの意思により思いとどまった
行為者については、【国民の規範意識】から見て非難は弱まる、とする。
【山口280頁】は、中止犯は、純然たる政策的なものである、とし、
【意識的危険消滅説】を主張する。ただし、これは違法・責任減少説を否定
するものではない、とする。
【西田295頁】も、政策的な見地から法定化したものであり、中止犯に
おける刑の減免は、責任の側面からの未遂犯における量刑事情の法定化である
とし、【法定量刑事由説】と呼ぶ。