司法試験の哲学的考察

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1北極星 ◆.mEOIXwVGs :03/08/30 14:20 ID:/cunnv/F
はじめに

私たちは、いま、現代という時代な只中で、司法試験に挑戦しながら、生きている。

現代は、多くの受験機関が、私たちのあらゆる受験勉強の場面に浸透し、
私たちの勉強様式を大きく変化させつつある時代である。
ある意味で、それは確かに、私たちの勉強様式に、かつてないほどの利便をもたらしはした。

けれども他方で、試験委員からのさまざまな形の批判があり、
また、今日の予備校経営の財政的な基盤をなしている、ベテラン受験生等の人的資源も、
来年からのロースクールの導入により、やがて枯渇することが眼に見えており、
けっして安心して呑気に勉強に取り組むことは、許されない状況である。
2北極星 ◆.mEOIXwVGs :03/08/30 14:21 ID:/cunnv/F
確かに、インターネットの普及により、最近の受験生の営みの相互連関がいっそう緊密なものとなってきたことは否定できない。

けれども、受験生は、依然として、昔ながらの愛憎の確執を繰り返し、
いまもなお、地球上では多くの地域で、現役受験生とベテラン受験生、基本書主義者と論証主義者、お薦めの予備校講師に関連して、
悲惨な紛争や殺戮が絶えない。

現代が、法学生のあり方の大きな転換期であることは、すでに、心ある多くの人々の憂慮の的となっている大問題ではある。

しかしながら、そうした時代の中にあって、否、そうした激変の時代であればこそ、
私たちは、いまや、静かに、受験生と試験のあり方を省み、
受験本番に差し掛けられた私たち受験生の有限な時間の中で、
精一杯、誠実に勉強するための心の支えを必要としていると思う。

私たちも、ここで、ささやかながら、
現代に生きる私たち受験生自身のために、
いくつかの基本的な受験観・世界観の諸問題を取り上げて、
簡略な考察を試みたいと思う。

そのことによって、私たちが、少しでも、この落ち着かない、慌しい時代の動きの中で、
やがて死すべき有限の「時間」を、できるだけ立派に、また充実した形で使い、受験当日へ挑めるように、
静かな相互的な熱思の時間を、わずかながらでも共有できたなら、幸いであると思う。



3氏名黙秘:03/08/30 14:21 ID:???
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4北極星 ◆.mEOIXwVGs :03/08/30 14:21 ID:/cunnv/F
伊藤真と怨恨感情

ところで、伊藤真が、この司法業界において、苦悩に取り憑かれ、自分の存在の限界意識を味わいながら生きるとき、
そこに、ロースクール構想の影が射し込んできていることは、確実である。

そして、ロースクール構想と結びついて、次第に老いてゆく伊藤塾の年輪の定めが、
各人の脳裏に刻まれてゆくことも確かである。

仏教の教えるように、「生老病死」は人生の宿命なのである。

伊藤塾でさえも、「老い」と「死」の運命を免れることは、できない。


さて、このように経営的危機と対面している伊藤塾を考察するとき、
塾長としての伊藤真に生ずる危険は、
ロースクール構想を呪い、恨み、怨嗟の的に据えて、
復習と攻撃や、破壊と鬱憤ばらしに伊藤塾信者を韓国スタディーツアーに駆り立て、
日本国に対する嗜虐的で、鬱屈した情念が、しばしば燃え上がりやすいという点である。

5 3:03/08/30 14:21 ID:???
くやしいぽ
6北極星 ◆.mEOIXwVGs :03/08/30 14:22 ID:/cunnv/F
それにしても、2ちゃんねる司法試験板には嘆き声が多い。

達せられぬ望みを託ち、不遇に涙するスレッドやAAは、数限りなく存在する。

ただ嘆くことだけが、人間にとっては、甘美な慰めであるかのように思われることすらある。

世に合格体験記と称されるものが、たくさんある。

しかし、その代表的なもののうちにも、受験生の不幸な心境をえぐりだす記述が非常に多いことが分かる。

いかに受験生が、苦痛や不遇を嘆き、自分に恵まれない司法改革を恨み、他の人々の合格を嫉妬し、
自分に与えられない択一試験の合格通知や丙案の優先枠を不当と感受し、
予備校機関の忘恩や心変わりに苦しみ、
当てにならないロースクール構想の成り行きを悲憤慷慨しつつ、
孤独のまま受験当日を迎えるものであるか、といった記述が非常に多いのである。

つまり、それだけ受験生が、いかに、怨嗟の思いに満ち、不遇を不当と感受しつつ、
苦しみながら受験生活を送っていることは、明らかである。

7北極星 ◆.mEOIXwVGs :03/08/30 14:22 ID:/cunnv/F
しかし、どのように、その泥沼の中を足掻いて暮らそうとも、やがて、大多数の人に不合格が訪れる。

一回限りしかないこの人生で、もはや引き返すことのできないこの受験人生の終わりに向けて、
せめて、司法試験に挑戦してよかったと思える自己の積極的な「いのち」の充実を考えることなしに、
人は果たして受験の断念を決することができるであろうか。

むろん、「これでよいのだ」と肯定できる、燃焼しきったベテラン受験生は、
その時、同時に、淋しい、哀れな、滅び行く、非力な、砂の粒ほどにも小さい、空しい人生を徹底的に知るであろう。

そして、すべての脱落者達は、たとえいくら受験期間が長かったとしても、
貧しい、迷える、無価値の、悲しい挑戦であったことを知るであろう。

そこで初めて、人は、自分が現役生時代に罵った「ベテ」と、和解をなすことができるのである。


以下連載続く
8氏名黙秘:03/08/30 14:24 ID:???
オナニーはsageでやれ。
9氏名黙秘
リストラじゃねーの?