主観的違法要素が認められるとする市販の論証例では、相変わらす、刑法の目的が
法益保護と社会倫理規範の維持にあることから、論理を流しているな。
そんな大上段から論証しなければ駄目かね?
結果無価値 →結果の違法 →行為者の主観は責任論で初めて登場
行為無価値 →行為の違法 →行為の惹起した法益侵害のほかに、行為者の主観も違法評価の対象
という単純な流れじゃないか?
大谷の各論の基本書を読んでも、行使の目的があるから、
公共の信用という法益が侵害されると言っているだけで、行使の目的
をもってする偽造が、社会倫理規範に反するから、違法とは言っとらんぞな。
そもそも社会倫理規範の維持を目的としている、と言ったのは、結果無価値の人が、
同意傷害でも傷害罪の成立を肯定する行為無価値の人を批判するためじゃなかった?
敵方の批判を、自説の論証に使うのは、ひらきなおっているのかな?
大谷とかを読んでも、法益侵害があっても、社会倫理規範が許す場合は違法性が阻却されると言って
いるだけで、さあ、社会倫理規範をびしっと維持しましょうね、とは言ってないのだが・・・
しかし、被害者の同意があるのに社会的相当性を欠く手段・方法で傷害が行われた場合に、
違法性を阻却しないという判例は、社会倫理規範の維持を重視しているようにも思えるわ。
その点、生命侵害の危険のある場合以外は、同意傷害は違法性を阻却するとする
大谷説は、筋が通っているわね。
>>679 しかし、具体的危険説との関係は、どうなるんだろう?被害者が行為時に傷害につき
同意していたとしても、一般人には、その事情はわからないから、一般人からみれば、
法益侵害の危険はあるような気もするが・・・。少なくとも暴行罪は成立するんじゃないか?
でも、行為者は同意があるということを知っているわけだから、やっぱり法益侵害は
ないんじゃない?
そこなんだよ、よくわからないの。普通は一般人からみて危険はないけど、特に行為者
が知っていれば、危険はあるというように、危険概念を広げるために、行為者の認識を
問題にするんだろう。ここでは、一般人から見ると法益侵害の危険があるにもかかわらず、
行為者が同意を知っているから、法益侵害はないんだ、というのは違和感があるんだが・・・
そもそも、被害者の同意があって法益侵害がないときには、その危険も問題にしなくて
いいんじゃない?
でも、具体的危険説っていうのは、死体であっても、一般人からみて生体にみえると
危険性を肯定する学説だろ?同意傷害の場合も、一般人から見て危険はあるから、
少なくとも暴行罪は成立するような気がするのだが・・・
同意があれば法益が放棄されてる。
違法性段階で一般人は関係ないだろ。
>>682 不能犯についての考え方を持ってくることがそもそもの間違い。
>>685 構成要件レベルで実行行為が認められても、違法性の段階で法益が放棄されていれば、
そのとおりです。僕の勘違い。
以前、行為無価値は行為時の事前判断、結果無価値は裁判時の事後判断と習ったのが
頭から消えない。それで、僕は違法性の段階でも、行為時の一般人を基準にしてしまった
ようです。
大谷先生の本には、行為無価値だって、違法性は事後判断と書いてあったから、裁判時
に、行為時の被害者の同意があったことが判明していれば、その事実を違法性判断の対象に加えて
よいということですね?
むり
大谷は論理矛盾が多いのでキライ
他に行為無価値で使える本はないのか?
除>弾道、大束
「使える」の判断基準は?
>>691 とりあえず、無理な理論構成をしていないことかな
693 :
氏名黙秘:04/08/26 07:41 ID:kfPBdLZa
窃盗犯人を追跡して盗品を取還する行為について(P289)。
追跡を受けている間は侵害が継続しているので正当防衛の成立を認める
窃盗罪の成立後被害者が犯行の現場で盗品を取り返す行為は(P295)、
(過去の侵害ゆえ)正当防衛ではなく、自救行為である。
これって矛盾・・・・してない?
してない
>>692 理論的に詰めた行為無価値の究極は井田。
まだ書物になっていないので(今年度中くらいには出そうだが)
現代刑事法連載をコピー。
>>693 犯行が現在進行形なら正当防衛で完了したら自救行為です。
でも一読したらこの文章は矛盾があるように読めますよね。
大谷さんは読み手をあまり意識せずに書いておられるのか
誤解を招きやすい表現が多々見られます。
例えば、故意による責任形式を故意責任という(P355)
違法性の意識または意識の可能性および期待可能性は故意の要素ではない(P356)
違法性の意識の可能性は、故意と過失ら共通する責任要素と解すべきである(P357)
混乱するなというほうが無理。
そりゃひでーな。
>>695 dクス
とりあえずコピーしてみるつもり
佐久間は使えると聞いたのだが
誰か使っている人いる?
699 :
氏名黙秘:04/08/26 11:40 ID:kfPBdLZa
>>696 さんくす。95%理解できました。
ん〜、でも・・・・
窃盗犯人が追跡を受けていても「犯罪成立後」ですよね。
すると
犯罪成立後 現場で取り返すのは自救行為
犯罪成立後 追跡して取り返すのは正当防衛。
すると
逃げる前に、現場で奪還すれば自給行為。
窃盗犯人が逃げ出したあと奪還すれば正当防衛。
・・・・。犯人の行動を時系列で考えると
犯人が現場にいる時→過去の侵害である。
更に、犯人が現場から逃げて追跡される→現在の侵害である。
なぜ、過去の侵害が追跡を受けると突如、現在の侵害になるんだろう・・・。
ということになる。
最後の1文は手違いです。この1文は無かったことにm(_ _)m
>>698 基本書に佐久間使ってるよ。
これのみでは択一は戦えないが
薄めだから繰り返し読めるし
学説も団塚系統だから。
結果無価値、特に前田批判が清々しい。
行為無価値の本で論理を詰めてあるのは
川端、佐久間、井田というのが評判だね
曽根は?
曽根は思いっきり結果無価値だろ。
当代、唯一に近い行為無価値テキストの執筆者がこんな下を低迷していてはいけません
という漏れは、結果無価値マンセーだが
>例えば、故意による責任形式を故意責任という(P355)
>違法性の意識または意識の可能性および期待可能性は故意の要素ではない(P356)
>違法性の意識の可能性は、故意と過失ら共通する責任要素と解すべきである(P357)
この部分あげるのは、責任説理解してないだけでしょw
>>705 >>696はその記述が誤りだとも、理解できないともいっていないだろ
あれだけ短い範囲で似たような語句を用いて説明したら読者は混乱するよ
こんな短いレスを誤読しておいて、あんたは大谷説理解できてんのか?
>>706 上の3行だけ読んでも特におかしなところはありませんが、
どこをどう混乱するのでしょうか?
>>707 ある程度知識があれば理解できるけど、初学者が読んだら
違法性の意識の可能性は故意の要素なのかそうでないのか
紛らわしいと思うよ。
ちなみに3行目の「故意と過失ら」は「故意と過失に」だよね?
>>708 まあ確かに、初学者がいきなり読んだら難しいかもね。
俺の場合、Cや思考方法で故意説と責任説の違いを学んでから
読んだから特に何とも思わなかったけどね。
それより、P291の義務の衝突と判例の説明が全くわけがわからないのですが。
710 :
708:04/09/07 12:02 ID:???
>>709 判例注釈すら読まずに書いたのかって感じがする。
判決では取材源秘匿義務に基づく証言拒否権をそもそも正当なものと認めていないし、
義務の衝突ですらないっていうことじゃないの?
大谷解説だと憲法の最高法規性を否定しているようにみえる。
711 :
709:04/09/07 12:10 ID:???
>>710 まさにそうなんですよ。
しかも、川端先生の本も全く同じような表現になっているんだけど、
どちらかが、あるいは何かからぱくったんでしょうかねえ?
俺は 裸の行為論 を大谷先生は採ってるの?
なんてワクワクしてた。
古本屋で
「新版 刑法講義 総論」 (平成14年5月1日新版第5刷)
というのを買おうか迷っています。
定価4000円、紺色の表紙で箱に入った本です。
僕は結構バカですが、そんな僕にも理解できるように
書いてありますか?
どなたかご存知の方、教えてください。
むりです。
大谷説マスターの方、おしえてくらはい。
(疑問1)
自傷行為は、自殺がこれにあたる。
自傷行為は、被害者の同意と同様の原理で違法性を阻却する(総論P272)
→自殺も被害者の同意と同様の原理で違法性を阻却する・・・・となると思うのだが・・
自殺は、人の生命は法律上処分を許されないから、違法である。(が可罰的違法性はない)(各論P17)
総論と各論で矛盾してないですか?
(疑問2)
真正不作為犯の未遂は認める。なぜなら、不退去罪の未遂を現行刑法が認めているし、
実行行為がなされても、完成しない場合があり得るから。(総論P394)
んだけど、
不退去罪の未遂は理論的にはともかく、実際上は考慮に値しない。「実行行為がなされても
完成していない場合」にあたりそうな大塚説に反対する(各論P134)
「考慮に値しない不退去罪の未遂」があり得る事を根拠に真正不作為犯を認めるのは、
おかし・・・・そうな気がする。
age
保全
oyaoya
大谷本使ってる人少ないんでつか?
>>715 (疑問1)
被害者の同意の論点で,どのように書いていますか?
あらゆる場合に違法性を阻却しますか?
傷害罪においてさえ,重大な傷害(生命に危険のある傷害)については,
違法性を阻却しませんよ。この場合には,法益の自由な処分を認めません。
とすれば,人の生命については,身体の安全よりも重大な法益ですから,
勿論解釈として,自由な処分を認めないのでは?
確認してみて下さい。
107: 名前:氏名黙秘 [sage] 04/06/02 09:30 ID:???
>>96,97
生命は法益の中でもっとも価値の高いものだから、国家は生命の保護を最後まで放棄しようとしない。
自殺を選択する人の自己決定は必ずしも「正常で自由な状態で」行われたとはいえない場合が多い。
成員の生命法益が失われることは、国家にとっても損失である。
もちろん、国家が個人の生命の一部を処分できるわけではない。
生命法益は、個人の「正常で自由な」自己決定と国家の同意があってはじめて放棄できる。
ただし、国家は個人の生命法益放棄には同意しない。
極悪な犯罪を行ったものが、たとえ死刑自ら死刑を望んだとしても、ドイツ国家はその死刑にすら合意しない。
すなわち、ドイツは緊急状態(自衛のための戦争を含むNotwehrとNotstand)以外の状況では、
絶対に個人の生命放棄を許さないというわけだ。
補足
自己決定によって生命を放棄することができないという考えは、必ずしも基督教から発したものではないと思われる。
自己決定とは、私法の領域で発展したEigentum(所有権)思想の一般的発展であって、自己の所有にかかる(自己に属する)
事柄については、利用・収益・処分の排他的権限が与えられているものと理解される。
そこで、生命がEigentum(所有物)かどうかが問題になる。結論をいえば、生命は所有者それ自体(Eigentümer als Solcher)
なのであって、人格の外側にある外的なEigentumないしはBesitz(占有)の対象ではない。
よって、生命への処分権は完全な形で保障されない(Vgl. Hegel)。
もちろん、実際的な問題として、ナチ時代のドイツ刑法が生命を様々な建前(安楽死等)によって侵害していったことへの反省から、
絶対に損害回復(Wiedergutmachung)することのできない生命に関しては、自己決定権者の自由な意思が外的に精確に評価できない限りは
たとえ自己の生命の毀損であろうとも、いまだ違法評価することによってこれを保護しようとする思想がある、ともいえるだろう。
ドイツの話でスマンけど。