【検証】論文刑法で前田は使えたか?

このエントリーをはてなブックマークに追加
54受験新報
受験新報の前田インタビューの要点は(立ち読みだが)

・行為無価値派も結果無価値派も、すべて一貫した理論になっているわけではない
・行為無価値か結果無価値かという議論自体がもう過去のものになっている
・どこまで行為無価値を幅広く認めていくかが問題である
・自分は平野先生の弟子だからたまたま結果無価値的土壌で育っただけ
・これまでは、結果無価値で処罰を限定するほうが日本国憲法の価値にふさわしい
 という考え方が根強かったが、もうそんな考え方も過去の遺物
・処罰を限定するほうがいい、などというものではない
・被疑者や被告人の人権を何よりも保護すべきという考え方も変わらざるを得ない
55氏名黙秘:02/08/02 17:04 ID:PDyWIWKq
結局受験生は判例を無視できないし、批判する
能力も勇気もない。だから一応は判例を理論体系
化した前田が使いやすい。
56受験新報:02/08/02 17:07 ID:BT7jj4BI
54追加

・裁判官は、まずどの程度の刑にすべきかの結論を先に考え、そこから
 何罪にするかを考える。こういうと罪刑法定主義に反するとか批判
 する者もいるが、見当違いである
57氏名黙秘:02/08/02 17:36 ID:???
>>56
そこまでいっちゃうと、学者はなんのためにあると小一時間...
58氏名黙秘:02/08/02 18:19 ID:???
実務の要望は、「俺がけしからんと思う奴は処罰したい」だからな。
実務家やる分にはそれでよくても学者がそれに追随したら自殺行為だろ。

しかも最近は刑事関係立法が活発になってるし、前田の言ってる前提(立法
されないから緩やかに解釈せざるを得ない)も大幅に崩れてる。
59氏名黙秘:02/08/02 19:40 ID:???
学者は裁判官の出した結論を整序・合理化するためにある
パウンド先生もそう言っとる
それによって予見可能性と法適用の公平性を確保できる
それから実務家はあんがい甘ちゃんだぞ
とくに家庭裁判所
少年に騙されぱなしじゃないか
60氏名黙秘:02/08/02 22:07 ID:???
>>59
いや、実務家が「許せねえ」と思う実質的根拠を論理化するのは大事だけど
その次に、「その感情が本当に尊重に値するのか批判的に検討する」という
過程を飛ばしたらいけないと思う。

同意傷害で言えば、保険金詐欺のために同意傷害する奴は悪い奴だから罰せ
よとなりそうだが、その場合、悪いのは詐欺予備という目的であって、傷害
された身体に関する限り保護の必要は全然ない。
従って、詐欺予備的悪さを無理矢理傷害にこじつけて処罰しようという「実
務感覚」は行為無価値(大谷等)、結果無価値問わず厳しく批判されること
になる。

まあこの点はさすがに前田先生も「実務感覚」に逆らって不処罰説をとるけ
ど、学説が実務マンセーになっちゃったら終わりと思う。
61氏名黙秘:02/08/02 22:20 ID:???
裁判所の結論を是認するにしろ、学者が整序・合理化するときには、
「罪刑法定主義」なり、「一貫した理論」なりから導かなきゃいかんでしょう。

前田先生、本当にそんなこといってたのかな...
62氏名黙秘:02/08/02 22:23 ID:???
あと、実務化が甘ちゃんなのは処罰範囲を広く確保した上で平身低頭
する奴には「見逃してやろう」と恩情をかけてやるという構図の範囲
内だろう。

気に入らない奴だということになれば、少々法の枠を超えてでも罰し
にくるわけで、その「気に入らなさ」を吟味して法の枠をきっちり維
持するのは学説の重要な役割だと思う。

前田先生の場合、枠を容赦なく広げといてあとは実務家の裁量にお任
せというのがどうも気になる。

まあ、試験ではどうでもいいわけだが。
63氏名黙秘:02/08/02 22:30 ID:???
「一貫した理論」は判例実務のなかから生まれてくる
内田民法に出てくる連続物語の例が適切
多くの学者が言っている「理論」は
論者の主観的価値観に過ぎないことが多い

実務が甘ちゃんなのは世間知らずだからだよ
裁判官に渋谷で少年補導でもさせてみろ
少しは身に沁みるだろう
64氏名黙秘:02/08/02 22:32 ID:???
前田は、刑法にポストモダンを持ち込んだ人だからな・・・
哲学科出身の漏れとしては・・・
65氏名黙秘:02/08/02 22:40 ID:???
要するに、前田は藤木と平野の鬼っ子なんだよ。
66氏名黙秘:02/08/02 22:41 ID:???
最近はポストモダンはやめたみたい さすがに
「誤解しやすいのは、よく言われる『結果無価値なら結果無価値、行為無価値なら
行為無価値を動かしてはいけない』という議論の意味なんです。結果無価値論者は
あらゆる問題で結果無価値を徹底しているわけではないですよね。・・・

・・・基本書を通して読むというのは重要なことだと思うのです。そのときに、
行為無価値論を採る以上、徹底して行為無価値を採らなきゃいけないという視点
だけで批判的に見ていくと、困るというだけなのです。結果無価値をどんどん
徹底したら刑法は成り立たなくなっちゃうんです。未遂だって結果がないんだから
全部不処罰でいいとか、行為無価値だったら既遂・未遂同じにしなきゃいけないと
いうところまでいってしまうわけでしょう。

現在の刑法学の課題は、誤解を恐れずに言えば、『今の状況で、国民の意識を
踏まえれば、どの程度行為無価値を加味しなければならないか』を判断するという
ことなのだと思っています。・・・」
「よく言われることですが、裁判官は事件を見たら結論が先に出てくるわけです。
懲役何年という結論が先にあって、その懲役何年にするには何罪にしなけれは
いけないと考える。その場合に、もちろん選択肢は限られているわけですがね。
構成要件への当てはめと言ったって微妙な評価ははいる。・・・それを学者は『罪刑
法定主義からいって、構成要件を広げすぎている』と批判するわけです。
 理論の枠内で具体的な妥当な結論に当てはめていくのは実務家で、学者は実務家
ではないから、それをみながら恣意的な判断にならないように制御する、絞り込む
ということなんですね。
 具体的妥当性というか、今のうちは『理論』を覚えることが、擬似的だけど一応
の妥当な結論を得る道なんですよ。相当因果関係説とかいろいろ覚えておけば大体の
結論が得るというわけです。だけど本当は、みんなの経験を踏まえて、自分の評価と
いうか価値判断がいかに常識的なものとして形成されているかの勝負なのです。」
69氏名黙秘:02/08/02 23:09 ID:???
パウンドじゃなくてホームズだったかな?
「私はこの頃、教科書や論文でも書いているんですが、行為無価値か結果無価値かを
対立軸に据える時代はもう終わっていると考えています。もっといえば、そのような
対立軸を設定して、結果無価値を重視すべきだとしてきたトレンドが、刑法の学界には
一定期間存在したのだと思います。その流れが変わろうとしている。

 結果無価値って何かっていろいろな捉え方ができると思いますが、やはり戦後日本
社会の中で言えば、『日本国憲法』なんだと思いますね。人権とか、個人の利益を重視
するとかいろいろな表現ができますがね。

 私が、そういう意味で結果無価値論かといえば、育ってきた時代状況の中でトレンドが
そうだったし、私の恩師である平野先生の理論も結果無価値論だったからということです。
先生の影響は絶対です。もちろん、私が学んだ時代の思潮もそうだった。

 ただ、個人の自由とか人権とか、『法益侵害が明確なもの以外処罰すべきでない』とか、
処罰は狭いほどいいとか、そういう議論がだんだん動いていくと思うんです。・・・」
71氏名黙秘:02/08/02 23:15 ID:???
>62
どうでもいいが、あんた何者?
72氏名黙秘:02/08/02 23:16 ID:???
著作権法違反ですよ。
「・・・価値観について、『結果無価値論に立たなければいけない』という命題は
誰が決めるのか、神様が理論として正しいと決めるなんてことはありえない。
時代状況で動いていくんですよ。そのときに、『本質的に正しい日本国憲法的な
結果無価値的なものがどんどんどんどん間違えた方向にねじ曲げられているように
なっている危機を阻止するために結果無価値論を推進すべきである』と考えると
いうのも一つの立場だし、『やはり結果無価値を重視するような流れというのは、
第2次世界大戦の反動でああなっただけで、もっと自然な方向に戻って人間の行き方と
しては行為無価値的なほうが合理的だ』という議論だってあるし、そのどちらが主流に
なっていくかというのは、結局は時代が決めることだと私は思っています。

 ただ、この先の大体の大きな流れは見えてきています。それは、単純に、被疑者・被告人の
人権とか、結果無価値を重視するという方向だけの議論を強調すれば済む時代は終わって
いるということです。− 結果無価値がいらないとか、その部分を否定してよいという意味
ではないですがね。解釈論としては、法益侵害に還元できないものは処罰しないのが正しいと
いう一つの大きな流れとして結果無価値論は解釈してきたわけですね。だけど、単純にそれだけで
正しい結論とはいえなくなってくるだろうという感じはしますね。」