チャット・age厳禁】デス種失敗の理由 Part67
http://anime.2ch.net/test/read.cgi/shar/1133190822/ DESTINY OFFICIAL FILE 両澤千晶インタビュー
本当にホッとしているというのが正直な今の気持ちですね。前作に比べても「DESTINY」はきつかったです。「サイバーフォーミュラ」でも続編を作るという事はやりましたけども、
やっぱり難しい。前と同じ物を作れば「同じじゃん」と言われるし、違う物を作れば「これは違う。見たかったのはこういうものじゃない」と言われますからね(笑)。
ストーリーを考える作業自体は楽しいものですが、今回は周囲の皆さんの思い入れもいろいろと凄くて。竹田ブロデューサーは「戦争の裏側」だし、
監督は前と同じ「中学生や新しい世代が見てくれる、楽しめる30分のドラマ」だし、バンダイさんは「スカッと楽しくかっこいい戦闘シーン」だし(笑)。
皆で思うところか違ったりして、それをまとめるのは大変でした。結局、そう大きくは変えないでちょっと変える。一気に10年後とかにはしないで。「色や味を変える」と私は言っているんですが、それを狙いました。
まあ今思えば、狙ったところは間違っていなかったけれど、時間的な練り込みが足りず、やりきれていないところはあったな、と思っています。
■戦うことの意味とは?
今回考えていたのは「戦っていいこと、悪いこと」「戦う意味」、それと本物とニセモノ……、ウソと真実、というところでしょうか。優しい気持ちの良いウソと、凄く嫌なイタイ真実、どっちがいいですか?といったことです。
つまりあなたの事をよく知る周囲の人が「そんなのは良くない。駄目だ」と言ったとして、よく知らないはずのカルトの教祖様やネットの中の人が「それでいいんです。
大丈夫だよ」と言ったとしたとする。これ、どう判断しますか?無論、周囲の人か判ってくれてなくて、他の人やネットの中の人が理解者という事もあるでしょうけど。
今は情報化社会でいろいろな価値観にすぐ触れられるから、昔より自由になった分、判断も難しいよね、と。いろんな情報もそれが正確に伝わってるのかどうか、正しいかどうかも判らない。
大人もそうですが、子どもは特に「テレビで言ってた」ことはそのまま真実だと思ってしまいかねない。インターネットは子どもの世界にとって、もっと怖いものだなと思うんです。
もう一つ、今の小中学生なんかを見ていると「差がつくのはかわいそう」となっていることが多いようで、さまざまな場面で人とぶつかる機会を減らしているような気がします。運動会でも競争させない、成績も張り出さない。
平等で優しい関係なんですが、それじゃ皆、だんだん人の事も自分の事も何も判らなくなって、遂に臆病になりませんか?自信を持てと言われても、それじゃどこでその自信を付けてくればいいの?と。
それでは最後は「他人なんて関係ないジャン」ということになってしまう気かする。そういうのは良くないよ、もっとこうしろよ、と言う人間すらいなくなる。そういう面では戦うべきじゃないでしょうか。
問題は戦う対象なのであって……。自分の弱い気持ちとかとは、戦わなけりゃいけないと思うんてすが。自由とか個性も、現状肯定の言い訳になると、辛いですよね。
遂に本当に本当の事を見ようとしない、思い込みの正義感もある。今回シンに代表させたのはそちらですね。
自分を正当化する言い分ばかりを持ってきて、本当に根っこの所に立ち返ってみようとしない。それも苦しいと思うんですけど。そんなことを考えて作ったんです、シンは。