第十一話になります↓
シャアのセイバーと協力して、海に墜落したグフ・イグナイテッドをサルベージした。
そして、一先ずミネルバの甲板に安置すると、シンは急いでインパルスを降り、コックピ
ットから這い出てくるハイネの下へと駆け寄った。
「また随分とこっぴどくやられちまったもんだなあ」
顔を見せたハイネは、ミネルバの惨状に目を向けて嘆いた。そこへ、全力ダッシュで駆
けて来たシンが、「すんません!」と謝るなり深々と頭を下げた。
「フリーダムを、取り逃がしてしまいました!」
恥ずかしいくらいに大声で謝るシンに、ハイネは迷惑そうに耳を塞ぎながら、甲板に上
がってきたメカニックたちを一瞥した。
「急に大声を出すな!」
「でも!」
シンは聞き分けるつもりは無さそうだった。ハイネはグフから飛び降りると、「頼む」とメ
カニックたちに収容を任せて、無理矢理にシンを引っ張って場所を変えた。
「折角ハイネがチャンスを作ってくれたのに、俺、上手くやれなくて……」
シンは、ラウンジに連れて来られても反省し切りだった。
「それは、フリーダムに手も足も出なかった俺に対する当てつけか?」
「そんなつもりは……」
「いつからお前はそんなに偉くなったんだ、シン・アスカ? あの化け物と互角に渡り合
えただけでも、お前は十分よくやった。それとも、フリーダムなんか倒せて当たり前だと
思ってたか?」
シンは答えなかった。沈黙は、自らの驕りを認めた証拠とハイネは受け取った。
シンのフリーダムに対する執着は尋常ではない。異常すぎるくらいだ。それは、それだ
け鬱屈したものを抱えてきたからだろうとは分かるが、ハイネは、それがシンの足を掬う
ような気がしてならなかった。
その時、ラウンジのドアが開いて、シャアが姿を見せた。
「ハイネ、艦長が今後について相談したいと言っている」
シャアは、ハイネとシンの神妙な空気を察しはしたが、あえて平静な態度で接した。
「分かった。直ぐに上がる」
ハイネは応じると、ポンとシンの肩に手を乗せた。
「気をつけろよ、シン。戦場で視野狭窄に陥ると、死のリスクを高める」
「ハイネ……?」
「無駄死には、したくないだろうが?」
ハイネはシンに笑い掛けると、シャアと共にラウンジを後にした。シンはそれを見送ると、
徐にソファに腰掛けた。
「……ルナは大丈夫かな? 後で医務室に顔出すか……」
シンは、ふと思い出したことを呟いていた。
「――クワトロ、お前はどう見る?」
「ん……?」
唐突に切り出したハイネの質問に、シャアは咄嗟に言葉が出てこなかった。少し黙考を
して、今しがたのラウンジでの光景を思い出し、シンのことについて訊ねられているのだ
と察した。
「ああ……人間性はともかく、パイロットとしては類を見ない逸材だと思っている。あれは
間違いなく化けるな」
「そう思う。目を掛けてやってくれ」
ハイネにそう頼まれて、シャアは「おいおい」と苦笑した。
「私は一介のパイロットだぞ?」
そう言って、言外にシンの面倒を見るのは勘弁してくれと伝える。そういう役割は、隊
長であるハイネの仕事だろうと。
しかし、ハイネはそんなシャアに、「そうかな?」と意味深長な笑みを向けた。
「俺は今回、ミネルバが沈まなかったのはクワトロのお陰だと思っている。俺たちがフ
リーダムに幻惑されている間、お前は冷静に連合の動きを見極めていた」
ハイネはそこまで語ると、「過去を詮索するつもりは無いが……」と前置きをしてから、
「やってたんだろ、戦闘隊長?」と言った。
「アイツの潜在能力を知ってしまえば、それを伸ばさない手は無い。どんなに才能が
あっても、それを認めてくれる人間がいなければ宝の持ち腐れだ。シンは、間違いなく
将来的にザフトのトップエースになれる素質を持っている。俺は、それを腐らせるつもり
はないぜ。だから、クワトロにもそれを手伝って欲しいんだよ」
「それは分かる話だが……」
「分かってる。アイツを導くのは、隊長である俺の役目だ。気に掛けてくれるだけでい
い。けど、俺に万が一のことがあった場合、後のことをクワトロに頼みたいんだ」
不吉なことを言うものだ、とシャアは感じた。ハイネらしくない言葉だと思った。
それだけ、シンを大切に育てたいということなのだろう。
(シンのあの力に魅せられたか……?)
思い入れるハイネの気持ちが、分からないでもなかった。覚醒したシンの劇的な変容
は、確かに童心に返ったような胸の高鳴りを覚えさせてくれるのだから。
「それは、お互い様だな」
そう言うと、隣で歩いているハイネが怪訝そうにシャアに顔を向けた。
「私の方が先にやられることもあり得る」
「そりゃそうだ」
ハイネは苦笑して、肩を竦めた。
その時、通路の突き当たりで交差している通路を横切るハマーンの姿が目に入った。
ハイネはそれを見ると、「ハマーンさん!」と追い掛けていった。
(何故ハマーンには敬語なのだ……?)
シャアはそう思ったが、ハマーンを自ら追い掛けるハイネは勇気があるな、とも思った。
「お疲れ様です。貴女がいてくれて、ミネルバは命拾いしました」
ハマーンは、ハイネの呼び掛けに立ち止まって応じる姿勢を見せたが、表情は固かった。
ハマーンが気難しいと聞いて、チームワークのためになるべく気を使って可能な限りフ
レンドリーに接しようとするハイネの努力が、シャアには涙ぐましいものに見えた。
「今後も、よろしくお願いしますね!」
ハイネは手を差し出して、握手を求めた。だが、ハマーンはそれを一瞥すると、「馴れ
馴れしいな」と冷たくあしらって去っていってしまった。
「……彼女はああいう女だよ」
玉砕したハイネに、シャアは肩を叩き、感慨深げに呟いた。
少しだけ休息を取ると、シャアはモビルスーツデッキに降りてセイバーのところへと向
かった。そこでは担当メカニックのマッドを中心にセイバーの整備が進んでいて、シャア
がやって来たのを見るなり、「もういいのか?」と聞いてきた。
「問題ない」
シャアはそう言うと、早速ミーティングを始めるようマッドに要請した。
「働き者だな。ま、こっちの仕事も早く片付くんで、歓迎なんだけどよ」
マッドは現金な笑みを浮かべて、慣れた手つきで電子パッドを操作した。
戦闘データを吸い出し、そこにシャア自身の感想を加味して機体のセッティングを煮詰
めていく。それは、地味で根気の要る作業であったが、セイバーをシャアの専用機として
熟成させていく過程において、決して欠かせない重要な作業であった。
「……取り敢えず、こんなところか。ペダルやレバーの遊びに関しては、本当に削っちま
っていいんだな?」
「まだ反応が鈍く感じるんだ。やってくれ」
「一応、ナチュラル用に合わせたつもりなんだがなあ……?」
シャアは、今こそセイバーを万全にして置きたいと思っていた。
ジブラルタルへの峠を越えたとはいえ、その代償にミネルバは満身創痍になった。充実
しつつあったモビルスーツ隊も、半数が大破、若しくは戦闘不能の状態になっている。そ
ういう現状に対して、シャアは危機感を持っておきたかった。まだ、何が起こるか分からな
いからだ。
ミーティングを終え、操縦系統の反応を確かめると、そこから先は門外漢のシャアの出
る幕は無かった。シャアは後のメカニカルな部分の調整をマッドに頼むと、モビルスーツ
デッキを後にした。
戻る途中、意外な場面に遭遇した。医務室の前を通り掛ると、ちょうどそこから出てき
たハマーンと鉢合わせになった。
ハマーンはシャアの顔を見るなり、煩わしそうに舌打ちをすると、何も言わずに背を向
けた。
「ルナマリア君を見舞いに来たのか?」
訊ねるシャアを無視して、ハマーンは徐に歩き出した。その時、医務室のドアが再び開
いて、少女の後頭部がひょっこりとシャアの前に現れた。赤い髪のツインテールを揺らす、
まだあどけなさを残す少女は、ルナマリアの妹のメイリン・ホークだった。
「あっ……」
メイリンは背後のシャアに気付くと、一寸驚いて身を竦めた。
「すみません――」
そう述べるメイリンであったが、シャアに対する気はそぞろで、すぐにハマーンの背中へ
と目を転じた。
「ルナマリア君の容態は?」
訊ねると、戸惑いの色を浮かべた瞳がシャアを見上げた。
「あ、はい。思ったよりも酷くなかったみたいで、二、三日もすればベッドから出られるっ
て……」
「それは良かった。ゆっくり養生するように伝えてくれ」
シャアはそう言って軽くメイリンの肩を叩くと、ハマーンの後を追った。
「あ、ありがとうございます……」
メイリンはシャアとハマーンの背中を見つめて、首を捻った。近いようで遠いように感じ
るし、遠いようで近いようにも感じる。二人の距離感は、そんな不思議な錯覚をメイリン
に起こさせていた。
前を歩くハマーンの背中は、暗に付いて来るなと言っていた。決して重ならない足音は、
そんな二人の微妙なズレだった。
「安心したか、ハマーン?」
呼び掛けても、ハマーンは歩みを止めない。それが、ハマーンなりの照れ隠しに見えた。
(ハマーンは、ルナマリアに最も気を許している……)
先日、ハマーンがルナマリアと一緒に港町に上陸していたことを思い出したシャアは、医
務室から出てきたハマーンを見て、その推測が正しかったと確信した。
「君はあの攻撃が来ると分かっていたから、最初の出撃を見合わせた。だから、あのミ
サイル攻撃で負傷したルナマリアに負い目を感じていた」
シャアの勝手な推論である。だが、ハマーンが足を止めたのを見れば、シャアがそれが
正しかったのだと勘違いするのも無理からぬ話だった。
「違うかな?」
「めでたい男だな……」
嘆息するハマーンは、やはり照れ隠しをしているようにしか見えなかった。
ハマーンは、勝手にそう解釈して微笑むシャアを、本気でめでたい男だと思っていた。
(何も知らないとは、暢気な男だ……)
この分では、カミーユが出撃していなかったことも知らなかったのではないかと思った。
しかし、それは流石に見くびり過ぎだったと、次のシャアの言葉で思い直した。シャア
は、ハマーンが思うほどに鈍くは無かった。
「――カミーユが出ていなかったな。しかし、出撃を見合わせたのは、あのミサイル攻
撃やカミーユのことだけではないのだろう?」
シャアはそこまで話すと、一呼吸置いて「アークエンジェル――」と指摘した。
「君の本命は、あの戦艦じゃなかったのかな?」
言い当てて見せたシャアが、ハマーンにとっては意外だった。シャアが、それを読み取
れるほどに自分に関心を持っていたとは考えもしなかったからだ。
しかし、“本物のラクス”の存在までは気付いていない。それが、シャアの限界であった。
「よく見破った……と言っておくよ、シャア?」
「ん……?」
「しかしな、カミーユ・ビダンのことを考えるのなら、奴はもう出てこないかも知れんぞ?」
「どういう意味だ?」
問い返すシャアに、ハマーンはシャアのカミーユに対する関心の薄さを感じた。
(私に分かることが、この男には分からんのか……?)
話を摩り替えはしたが、シャアのドライさに改めて愕然とさせられる。ハマーンは、ため
息混じりに答えた。
「カミーユを私たちと接触させる危険性を、連中もいい加減に気づいているはずだ。危
険と分かっていて出すバカがどこにいる?」
「確かに、それは困るな……」
シャアは目線を床に落とした。それが心底から困っているように見えなくて、ハマーン
はその見え透いた態度に強い嫌悪感を覚えた。
「冗談は止せ、シャア」
ハマーンの険しい声色にハッとして、シャアは顔を上げた。
「あからさまな猿芝居は止めろ」
「猿芝居だと?」
「空を使っても無駄だ。お前はもう、カミーユを始末する方向に傾きかけているだろう?」
シャアは答えられなかった。ハマーンが言うほどハッキリとしたイメージは無いが、い
よいよ以って仕方なくなったら、そういう選択肢もあり得るかもしれないと考えていたから
だ。シャアは、ハマーンの言葉はあながち間違いではないと、一瞬だけだが思ってしまっ
たのである。
押し黙るシャアを、ハマーンは蔑視した。
「そういう男だよ、お前は。見切りをつけるのが早過ぎる」
辛辣な言葉を浴びせて、ハマーンはシャアの前から去っていった。
シャアは、最早それを追うようなことはしなかった。
目を覚ました時、既に戦闘は終わっていた。モビルスーツデッキに降りたカミーユが目
にしたのは、修理中のカオス、ガイア、アビスの姿だった。
「どういうんだ、これ……!?」
戸惑いながらも、目を外の甲板へと向けた。バスケットボールなどで自由時間を満喫
するクルーたちの中に、スティングたちのグループを見つけた。カミーユがそちらに歩い
ていくと、それに気付いたステラが、「カミーユ!」と手を振った。
カミーユは、無邪気に微笑むステラほどに気分は晴れていなかった。スティングが気
まずそうに顔を顰めたのを見れば、何とはなしに察しがつくというものだった。
「どういうことなんだ、これは?」
「いや……」
スティングは目を逸らして言葉を濁した。
「戦闘があったんだろ? 何で僕だけ出撃が無かったんだ?」
苛立ちがあるから、詰問するような形になる。ステラがそれを察して、スティングを擁護
するように間に入った。
「ネオがね、カミーユに無理させたくないからって」
「大佐が? 僕に何を無理させたくないんだ?」
矛先を逸らすことに成功したステラであったが、しかし、それ以上のことは答えられな
かった。
あまりにも余所余所しすぎる。
(何か、隠し事をしている……)
そう直感するのは、当然のことだった。
スティングもステラも歯切れが悪い。カミーユは、仕方無しに反りの合わないアウルに
目を向けた。そのアウルは、他の二人の反応とは違い、薄笑いを浮かべていた。とても
ではないが、いい予感はしなかった。
「おいおい、冷てーなお前ら。しょうがねー、だったら代わりに僕が説明してやるよ」
アウルは、腰掛けていたコンテナから立ち上がると、ゆっくりとカミーユに向き直った。
「アウル!」とスティングが語気を強めたが、アウルは構わなかった。
「ネオは、お前じゃ足手纏いだと判断したんだ。だから、お前は“ゆりかご”に閉じ込
められて、戦闘の間お寝んねさせられてたのさ」
「そんなバカな! 俺もみんなと同じ、エクステンデッドじゃないか! 足手纏いなん
て……」
「お前が僕達と同じ? ハッ! 何言ってんだ、お前はなあ――」
「バカ! お前――!」
何かを言いかけたアウルの口を、スティングが咄嗟に塞いだ。
その動揺が、カミーユには堪らなく不安だった。
「……!」
頭の中に、ピリッとした痺れを感じる。その痺れが、シャアという男や、一緒にいた女を
見た時の感覚に似ていて、嫌な焦燥感を煽った。
アウルはスティングを振り解き、「丁度いい機会じゃねーか!」と、スティングとステラに
向かって言った。
「そろそろ、コイツに本当のことを教えてやろうぜ!」
「本当のこと……!?」
スティングは強い剣幕でアウルを睨んでいた。その態度が、アウルの言葉に説得力を
持たせていた。
「ど、どういうことなんだ……? 俺は、ロドニアの実験ラボでみんなと一緒に強化訓練
を受けたエクステンデッドじゃないのか……?」
「だったら、その頃のこと、お前は思い出せるか?」
「そんなの……!」
カミーユは激しく狼狽した。胸の内に疑惑が拡がって、それに比例するように刺すような
痛みを頭に感じた。
「うう……っ!」
「見ろよ。苦しがってんじゃねーか、可哀相に」
頭を抱えて蹲るカミーユに、アウルは顎をしゃくって言った。
「楽にしてやるべきなんじゃねーの? コイツのためにもさあ!」
「てめえっ!」
スティングは再びアウルに飛び掛かろうとした。だが、それを遮るようにしてアウルの前
に立ったのは、ステラだった。
「ダメ」
短い言葉で、強い拒絶の意志を示す。柔らかなブロンドの前髪の下から覗く射るような
睨みに、アウルはギョッとした。
「ステラ……!?」
アウルはスティングを一瞥した。スティングも、ステラと同じような非難の目でアウルを
見ていた。
(何でだよ……!)
スティングもステラも、どうしてカミーユの肩ばかり持とうとするのか、理解できなかった。
「ちょっと、こっち来い!」
スティングは叱りつけるようにアウルに言うと、そのまま引っ張っていった。
ステラは蹲るカミーユに駆け寄って、顔を窺った。冷や汗が玉のように浮かんでいて、
少し青ざめているようだった。
「ステラ……」
薄く開いた瞼から、カミーユの青い瞳が覗いた。その海よりも深い青をした瞳に見つめ
られて、ステラはそれに意識を絡め取られるような感覚を抱いた。
「うぇい……」
思わず見惚れてしまうほどの澄んだ瞳をしていた。険しい表情をしているのに、瞳の色
だけは不思議と穏やかに見えた。
「頼む、教えてくれ……」
カミーユが、両手でステラの肩を掴んできた。ステラはハッとして、身を固くした。
「僕は一体、何者なんだ?」
青い瞳に真っ直ぐに見つめられると、真実を白日の下に晒さなくてはいけない気にさせ
られる。しかし、その感覚に従ってはいけないと、直感的に抗っていた。
(カミーユが知らない誰かに戻っちゃう……そんなの、嫌……!)
ステラは、怯えたようにかぶりを振った。
「し、知らない! あたし、何も知らない!」
それが嘘であることは、カミーユには分かった。しかし、怯え竦んでいるようなステラを、
これ以上は追及する気にはなれなかった。
「そうか……」
カミーユは一言了解すると、徐にステラの前から立ち去って、司令官室へと足を向けた。
「――カミーユです」
インターホンを鳴らし、名乗ると、自動ドアが開いた。室内に入ると、すぐにデスクに向
かって事務仕事をしているネオの姿が目に留まった。前回の戦闘における報告書の作
成だろうか。その報告書に、自分の名前が記載されていないであろうことを想像すると、
とても遣る瀬ない気持ちになった。
「どうした、カミーユ? そんな怖い顔をして」
ネオはカミーユを一瞥するなり、軽い調子で呼び掛けた。
(人の気も知らないで……!)
そうでなくとも気が立っていたカミーユは、許されるものならネオの仮面をかち割ってや
りたい気分だった。
カミーユはつかつかと歩き、暢気に事務仕事を続けるネオに、「どうしたもこうしたもあり
ませんよ!」と声を荒げて詰め寄った。
「何故、僕の出撃がなかったんです!?」
カミーユの剣幕に驚いたのか、ネオはその時、ようやくカミーユがご立腹である事に気
付いたらしい。
ネオは取り繕うようにパソコンの画面を閉じると、カミーユに目線を上げた。
「何故って……そりゃあ、お前の体調を考慮してだな――」
「嘘ですよ、そんなの!」
しらばっくれようとしていると見たカミーユは、バン、と両手でデスクを叩いた。
ネオは驚いて仮面の下で目を丸くしていたが、やがて、ふぅとため息をついて肩を竦め
た。
「嘘も何も、お前の調子が悪かったのは事実だろうが」
「それは、あのミネルバって戦艦に乗っている妙な連中のせいだって、分かってるじゃな
いですか! “大尉”だって聞いてるでしょ! 排除しちゃえばいいんです、そんなのは!」
「そうは言うが、お前――」
しかし、ネオは言いかけて、ふと気付いた。
(“大尉”、と言ったか? 今……?)
ネオの階級は、“大佐”である。それを、カミーユは自然と“大尉”と言い間違えて、しか
も本人にその自覚は無いようだった。
(無意識がさせたことだ……深層心理が、表出したというのか……?)
それは、記憶が蘇りつつある兆候なのではないかと考えた。
(“ゆりかご”の刷り込みが甘かったか? それとも、或いは――)
「聞いてんですか、大佐!」
バン、ともう一度デスクを叩く音に驚いて、ネオは思わず椅子から転げ落ちそうになっ
た。「何やってんです」と、カミーユから冷ややかな視線を投げ掛けられて、ネオは咳払
いをした。
「バンバン机を叩くんじゃないよ! 法廷じゃあるまいに」
「だから、言ってんじゃないですか! あの二人を排除してしまえば、僕はもう不調にな
らずに済むんです! みんなの足手纏いにだってなりませんよ! だったら、僕自身の
手でやらせて下さい!」
「しかし、それはあくまで可能性の話だ。今のところ、科学的な根拠は何も無いんだぞ?
仮にその二人を始末したところで、お前の調子が戻るとは……ん?」
ネオは話している途中で、ふと部屋の出入り口の様子に気付いた。
ドアが、微かに開いている。そして、その隙間から大きな瞳が覗いていて、室内の様子
を窺っているのが見えた。
途中で言葉を切ったネオが、自分の背後を気にしていることに気付いて、カミーユも振
り返った。その途端、室内を覗いていた瞳は逃げるように消えて、ドアが閉まった。
「ステラ……?」
急いで司令室を出て確認した時には、もう姿は無かった。
「どういう積もりなんだか……」
ネオは腰に手をやって、ステラの奇行に呆れているようだった。そういうネオを、カミーユ
は自身の胸騒ぎに照らし合わせて、鈍いと感じた。
「――大佐、まだ、聞きたいことがあります」
しかし、カミーユは、今はネオを質すことを優先した。
「何だ?」
「僕は一体、何者なんです?」
ネオの仮面は、顔の上半分を完全に覆い隠し、滅多にその表情を読み取ることは出来
ない。しかし、問うた瞬間、微かにではあるが、ネオは確かに色めき立った。カミーユが確
信を持つには、その僅かな変化で十分だった。
「アウルは、僕がエクステンデッドじゃないようなことを言ってました。それって、どういう
意味なんです?」
カミーユの問い掛けに、ネオは言葉を失した。
ステラを巡る三角関係をネオは把握していたが、まさかアウルが故意に口を滑らせるよ
うな真似をするとは思わなかった。子供同士がじゃれ合っているだけだと、甘く見て放置し
ていたツケが回ってきたのかもしれない。
「そ、それは……」
言葉に詰まるネオを見て、カミーユは確信を深めた。
(俺は、みんなとは違うのか……)
導かれた答えが、疎外感を生んだ。信じていたものが失われていくという感覚は、怖い
ものだった。
しかし、カミーユにとって幸運だったのは、その恐怖を咀嚼する時間を先延ばしにでき
たことだった。突如鳴り響いた警報のけたたましい音が、カミーユから思考する時間を奪
ったのである。
「何が起こった!?」
ネオはインターホンから内線でブリッジを呼び出した。
「……何だと!? ステラが勝手に飛び出して行っただと!?」
声を荒げたネオの言葉を聞いて、カミーユは先ほどの胸騒ぎの理由を理解した。
「すぐに追わせろ! ガイアの修理は、まだ完全じゃないはずだ!」
ネオは内線に向かって怒鳴り立てた。その脇で、カミーユが突発的に駆け出していた。
「カミーユ!?」
「僕が行きます!」
「待て、カミーユ!」
背中からネオの制止を促す声が轟いていた。しかし、カミーユはそれを無視してモビル
スーツデッキに走った。
「デッキに繋げ! カミーユを行かせるんじゃないぞ!」
ネオは、モビルスーツデッキでカミーユを確保するように命令した。しかし、ネオの命令
は一歩遅く、カミーユはウェイブライダーに飛び乗ると、一目散にJ・Pジョーンズを飛び
立っていった。
日が暮れると、暗くなるのが早い季節だった。つい先刻までは明るかった空が、今はも
う真っ黒に染まりつつある。
「ガイアをキャッチできる……この辺りはニュージャマーの影響が少ないのか?」
カミーユは高空を飛行してガイアを追っていた。
「この方角、ミネルバが不時着してるっていう情報があった……」
ステラが独断で出撃した動機に、カミーユは思い当たる節があった。ステラがカミーユ
とネオの会話を盗み聞きしていたというのなら、その目的は一つしかない。
「やっぱりそうなのか、ステラ……?」
無謀としか言いようがなかった。ステラは整備不良のガイアで飛び出していったのであ
る。
「相手はミネルバなんだぞ……!」
焦燥感を強めたカミーユは、更にウェイブライダーの加速度を上げた。
ミネルバは鬱蒼と生い茂る森の中で艦体を横たえていた。シートや枝葉で迷彩が施さ
れた艦体は、月が雲に隠れてしまえば目視が困難なほどに木々の黒に溶け込んでしま
う。
その付近を、パッ、パッ、と鮮やかなビームの輝きが穿つのが見えた。
「もう始まっているのか!」
ガイアは地上から空中のインパルスとセイバーに対抗していた。モビルアーマー形態
のガイアのフットワークと、隠れ蓑に便利な森を活用して上手く対応していたが、やがて
不完全な修理の影響が出て、遂にはその動きを捉えられてしまった。
カミーユが現場に到着した時には、ガイアは既に戦闘不能状態に追い込まれていて、
今、正に捕獲されようとしているところだった。
「そうはさせるか!」
カミーユはガイアを捕獲しようとしているインパルスに不意打ちを仕掛けた。しかし、イ
ンパルスは素早い身のこなしで攻撃をかわすと、反撃のビームライフルを見舞ってきた。
カミーユはそれを紙一重でかわしたが、直後、背後から別のビーム攻撃を受けた。
カミーユは、条件反射的に振り返っていた。
「シャアとかってーっ!」
チリチリとした、痺れるような頭の痛みが教えている。夜空に弧を描いて急旋回したウェ
イブライダーの正面に姿を見せたのは、赤いセイバーだった。
「アレを落としさえすれば!」
モビルアーマー同士のドッグファイト。互いに正面から突っ込んで、ビームを浴びせる。
外れたのか外したのかは、定かではない。双方は無傷のまますれ違って、カミーユは
再攻撃を仕掛けるために旋回を行った。
だが、旋回の途中でビーム攻撃を受けた。セイバーはモビルスーツ形態に変形して、素
早く反転し、カミーユに先んじてウェイブライダーを狙撃していた。
正確な狙いが、ウェイブライダーの翼端などを掠めた。ウェイブライダーはバランスを崩
し、カミーユはその立て直しに躍起になった。
そこへ、インパルスが弾丸のように突っ込んできて、ウェイブライダーに組み付いてきた。
「上に付かれた!?」
これでは、反撃しようにも反撃できない。カミーユは撃墜を覚悟した。
しかし、銃口を向けたインパルスは、セイバーから何らかの信号を受け取ると、徐にビー
ムライフルを収めた。
「捕獲するつもりなのか……?」
カミーユは、ガイアを見やった。こうしている間にステラだけでも逃がしたかったが、ステ
ラは気絶でもしているらしく、横たわったガイアはピクリとも動かなかった。
(万事休す……!)
だが、カミーユが観念した時だった。不意に紛れ込んできたビーム攻撃が、インパルス
から逃れる切欠になった。不意打ちを受けて動揺した一瞬の隙を突き、カミーユは咄嗟
に急加速を掛けてインパルスを振り落とした。
「カオス――スティング!」
目に入ったのは、モビルアーマー形態のカオスだった。しかし、主推力である機動兵装
ポッドのブースターは、煙を噴いている。
「退くぞ、カミーユ!」
スティングは不調の機動兵装ポッドを押してセイバーとインパルスを牽制しながら、カミ
ーユに呼び掛けた。だが、カミーユはその言葉に反発し、「何言ってんだ!?」と声を荒
げた。
「まだステラが!」
「ステラは無理だ!」
その時、セイバーの反撃がカオスのウイングの一枚を吹き飛ばした。
咄嗟にカミーユが反撃しようと機首を向けた。しかし、「構うな!」というスティングの怒鳴
り声が、カミーユの反撃を思い止まらせた。
「形振り構ってる暇はねえ! 今は逃げることが最優先だ!」
「でも!」
「冷静になれ、カミーユ! 今ここで俺たちまでやられるわけにはいかねえんだよ! 奪
還のチャンスは必ずある!それを信じろ!」
「くっ……!」
カオスがギリギリの状態であることは、明らかだった。カミーユは、スティングの言葉に
従うしかなかった。
「ステラ……!」
後ろ髪を引かれながら撤退する。カミーユは、ステラを見捨てなければならなかった己
の無力を呪った。
正面には、満ちた月が皮肉なほど美しく輝いていた。
敵の追撃は無く、カミーユとスティングは無事にJ・Pジョーンズへと帰着した。しかし、そ
こでカミーユを待っていたのは、アウルのパンチと、秘匿回線によってもたらされたミネル
バからの裏取引の申し出だった。
続く
毎度名前欄表記ミスです
>>4 1/10→2/10
>>9 6/10→7/10
です。失礼しました
ということで第十一話は以上です
それでは
14 :
前スレ479:2013/05/27(月) 21:17:57.57 ID:???
>>1および第十一話乙でした!
サブタイは…まこと御手数ですができればお願いしたく存じます。
前2シリーズにおいてセンスの良いタイトルも魅力の一つだったと
思っておりますので。
GJ!
GJです!
>>14 サブタイ付けてみました。ご期待に添えられてるかどうかは分かりませんが……(;^ω^)
一話「シャアとハマーン」
二話「遭遇」
三話「シャアの出撃」
四話「予感」
五話「エネミー・カミーユ」
六話「シンの戦い」
七話「ディオキアの夜に」
八話「乱戦」
九話「女、ふたり」
十話「最強への挑戦」
十一話「戸惑い」
以上のように付けてみました。Wiki登録の際にはよろしくお願いします
第十二話「拒絶」は今夜か明日に投下したいと思います
wktk
では第十二話「拒絶」行きます↓
ガイアの捕獲は、アーモリー・ワンの強奪事件に端を発した奪還任務の一部が解決し
たことを意味していた。ガイアが単独でミネルバを襲撃してきたその真相は不明であるが、
しかし、シャアにとってそれは問題ではなかった。
(何故、カミーユが出てきたのだ……?)
カミーユはもう姿を現さないかもしれないと言うハマーンの言葉には、もっともらしい信
憑性があった。シャアはそれを覚悟していたのだが、ガイアに釣られるようにしてカミー
ユが現れたのを見て、不可解さを感じた。
メカ班の作業によって、ガイアのコックピットが強制的に開かれた。中から引きずり出
されたのは、以前にディオキアの海沿いで目にした覚えのある、ブロンドのショートカッ
トの少女だった。
(あの娘もパイロットだったのか……)
シャアは、その少女がカミーユの出現と関係があるのではないかと思い、徐に前に進
み出た。
少女が目を覚ましたのは、その時だった。ぼんやりとした寝ぼけ眼で周囲を見回す様
子は、おっとりした、あどけない少女そのものに見えた。
だが、シャアと目を合わせた時、それは豹変した。
「お前ーっ!」
少女は獣のように叫ぶと、周りの男たちを押し退けるように起き上がり、一直線にシャ
アに飛び掛ったのである。
低い姿勢でシャアに詰め寄り、懐から取り出したナイフで切り掛かる。咄嗟の出来事
であったが、シャアは辛うじてそれをかわし、逆にナイフを持つ少女の腕を掴んだ。
「むっ……!」
しかし、少女は想像以上の腕力でシャアの手を振り解くと、立て続けに喉を狙った。
「止めろーっ!」
その瞬間、横から少女にタックルをかましたのは、シンだった。
「このおっ!」
「どけっ! どけえーっ!」
馬乗りになったシンは、力尽くで少女を抑えようとした。しかし、少女は激しく抵抗して、
なかなか思うようにならない。
「いい加減――!」
シンはいよいよ本気になって、少女に掴み掛かった。だが、その手が不意に少女の胸
を鷲掴みにしてしまった時、その感触に思わず「あっ……」と赤面してしまった。少女の目
が、突き刺すような視線をシンに向けている。
「ご、ごめ――」
謝ろうとしたシンのジョーを、少女のアッパーがクラッシュしていた。
「何を照れてんだ、チェリー!」
ハイネがシンを怒鳴りつけつつ、再びシャアに飛び掛かろうとする少女に背後からタッ
クルをかました。少女は前のめりに倒れ、そこへ更に二人の男性士官が一斉に取り押さ
えに掛かり、少女の両手を押さえてナイフを取り上げた。
「何か縛るものを!」
ハイネの号令で、別の士官がコンテナを縛る頑丈な縄を持ってきて、ハイネに渡した。
「うえぇーいっ! うえぇーいっ!」
縄で縛られた少女は、筆舌に尽くしがたい、獣のような叫び声を上げていた。
「凄いな……まあ、放って置いてもそのうち声帯が切れて、嫌でも大人しくなるだろ」
ハイネはそんなことを言うが、それは冗談ではないだろうなとシャアは思った。
やがて、寝台と拘束用の強化ベルトが運び込まれ、少女はそれに縛り付けられて運ば
れていった。少女は最後まで叫んで抵抗し、その目はずっとシャアだけを睨んでいた。
「お前だ! カミーユを苦しめる奴! 許さない! 絶対に許さない!」
聞き取れたのは、そんな呪詛のような言葉だけだった。
少女が運ばれていって、モビルスーツデッキに平穏が戻った。メカニックチームは、早
速ガイアの調査、点検に取り掛かっている。
「――ったく、あの程度で動揺すんなよ、お前は」
そう言って、ハイネは顎を擦るシンに小言をぶつけていた。しかし、シンはそのことに関
してはあまり説教をされたくないらしく、「そんなこと言ったって……」とぼやいていた。
「大体、免疫が無いからああいう目に遭うんだよ、お前は。シン、今度上陸したら付き合
え」
「別に、俺は、そんな……」
「また今みたいなことがあったらどうすんだ? それとも、ルナマリア辺りに土下座して
頼み込むか?」
「何でルナが!」
「いい身体してるからな――ってのは冗談で、次の上陸の時までには決めとけよ。二つ
に一つだ。それ以外は認めないからな!」
ハイネは、からかうようにシンの尻を引っ叩いた。シンは、「横暴だ!」と心底から抗議し
た。
ハイネはシンの抗議を無視して、シャアの方へと足を向けた。
シャアは、思索に耽っているようだった。三度ほど呼び掛けて、ようやく気付いた様子を
見るに、よほど深く考え事をしていたようだった。
「“カミーユ”と言っていたな?」
ハイネは、少女がずっとシャアに向かって叫んでいたことを思い出しながら聞いた。そ
して、シャアがその名前に反応したのを見て、何とはなしに察した。
「ああ……別に隠していたつもりは無かったのだが……」
そう言いながらも、シャアは少し話しにくそうにしていた。
「知り合いか?」
訊ねると、シャアは「うむ」と頷いた。
「私のかつての仲間だったのだが、どうやら連合側に拾われていたらしくてな。トリコロ
ールの戦闘機風のモビルアーマーを見ただろう? あれに乗ってるのがそうなのだが、
どうも洗脳されてしまっているようなのだ」
「そりゃ一大事じゃないか。――ああ、だからシンに捕獲するように言ったのか」
インパルスが決定的チャンスを得ながら、ウェイブライダーを撃墜しなかった場面を思
い浮かべ、ハイネはその理由に納得していた。
「出来れは正気に戻してあげたいのだが、もし……」
シャアは言いかけて、言葉を止めた。その先を口にすることを、恐れたからだ。
――既にカミーユを始末する方向に傾いているのではないか
ハマーンの言葉が、喉に刺さった棘のように引っ掛かっていた。その棘の痛みが、次に
紡ごうとした言葉の怖さを教えていた。
「……うん。つまり、そういうことなのだ」
シャアは中途半端に答えると、「すまない」と謝って去っていった。
「……何だ、ありゃ?」
要領を得ない回答の上、なぜ謝ったのかも分からないハイネは、シャアの背中に彼が
抱える苦悩を見たような気がした。
拘束されたステラは尚も逃れようと抵抗したが、運ばれている間に麻酔が効いてきて、
今はもう意識が朦朧としつつあった。
通路を運ばれていく途中、物珍しそうに何人もの野次馬がステラを見物していた。好奇
心の目は目障りだったが、その中に、ふと気になる目を持つ女性を見つけた。
それは、宿敵のはずだった。先ほど仕留め損ねたシャアと一緒にディオキアで見た女、
ハマーン・カーン。氷のように冷たく青光りする瞳――その目に、ステラは何故かカミーユ
の瞳が持つ雰囲気と同じものを感じた気がした。
ステラは混乱した。ハマーンの目はカミーユとは似ても似つかないのに、何故かハマー
ンの顔にカミーユの顔がオーバーラップした。
「カミー、ユ……?」
ハマーンは、ステラが自分を見てカミーユの名を呟いたことに微かに動揺した。そして、
同時に不快感も覚えていた。
感受性の強いステラが、自分にカミーユと同じニュータイプ的なものを感じていたという
ことは理解していた。しかし、ハマーンはカミーユと同一視されることに対して、強い嫌悪
感を抱いていた。自分は、カミーユほどデリカシーの無い人間ではないという自負がある
からだ。
ステラはそのまま、事切れたように眠りについた。ハマーンは唾棄するようにそっぽを
向くと、野次馬の群れから一人、離れていった。
シャアはブリッジに上がった。入り口のドアが開くと、艦長席のタリアが振り向いて、「ご
苦労です」と声を掛けられた。シャアはそのまま前に進み出て、タリアの横に立った。
「どうです? 掴めましたか?」
シャアの問い掛けに、タリアは微笑んで見せた。
ミネルバは、ウェイブライダーとカオスをトレースし、ファントムペインの位置を探ってい
た。シャアがブリッジを訪れたのは、その結果を知るためだった。
「成果はあったようですね」
シャアも微笑んでタリアを見た。
タリアはシャアの顔は見ずに、その声だけに意識を集中して聞き惚れていた。そういう
自分と、いい加減に決別しなければと思いはするものの、タリアはその生理的な癖をな
かなか直せずにいた。
(私は、またギルと会話をしているつもりになって……)
タリアは姿勢を正し、気を取り直した。
「ニュージャマーの影響が小さいのが幸いしたのよ。――距離は……結構あるわね」
タリアは制帽を直す振りをして、さり気なく目元を隠した。
シャアは、そのタリアの仕草の意味を、深く考えるようなことはしなかった。
「彼らが、何故こんな迂闊な攻撃を仕掛けてきたのかが分かりません。第二波はある
のでしょうか?」
「どうかしら? でも、手札の一枚は私たちが握っていることは確かよ。それに対して、
彼らがどんなアクションを起こすか――それによって、ここでの修理の時間は変わるわ
ね」
「あの娘ですか……」
シャアは、わざとらしく口ごもった。タリアは少し首を傾げ、「そうよ。どうかしたの?」と
訊ねた。
「実は、そのことで折り入ってお話があるのですが……グラディス艦長?」
シャアは周囲の士官の目を気にする仕草をした。タリアがその仕草の意味を察して、
「分かりました」と席を立った。
二人してブリッジを後にする。ドアが閉まると、クルーの間からはひそひそと話し声が
立った。
人目につかないように甲板に出て、邪魔が入らないようにドアにロックする。
月明かりがミネルバの艦体を照らしていた。周りが漆黒で包まれているからか、ミネル
バの姿はくっきりと浮き上がり、思ったよりも明るく感じた。
襲撃があったことで、現在、修理作業は中断中であった。メカニック班には随分と頑張
ってもらっていたから、丁度いい骨休みになるだろうとタリアは言った。
前回の戦闘による生々しい傷跡が、そこかしこで見られた。鉄柵は不細工にひしゃげ、
装甲には焦げ痕や無数の穴が目立った。中枢へのダメージが少なかったことは幸いだ
ったが、パッと見は無残な有様だった。
しかし、その退廃的な雰囲気が、対照的な星空と相まって、不思議とロマンティックな
心持にさせられた。気分は、世紀末に残された最後の男女といったところか。
「……それで、話というのは?」
タリアは単刀直入に切り出した。折角のロケーションなのに、我ながら事務的で女性ら
しさの欠片も無い、と内心で笑う。
「捕虜の娘のことです。彼女を、ファントムペインという部隊との交渉に使えないもので
しょうか?」
シャアはシャアで、ロマンスを感じるセンスすら無いように見えた。デュランダルですら、
もう少し気の利いた台詞を言えるというのに。
(馬鹿ね、私……何を期待してたのかしら……)
タリアは内心で自嘲しつつ、「交渉とは、どういった交渉かしら?」と返した。
「内容によっては、考慮します」
「実は、あの部隊には私のかつての仲間が居りまして――」
シャアは、先ほどハイネに話したことと同じことをタリアに話した。
タリアは事情を飲み込み、「なるほどね」と頷いた。
「つまり、そのカミーユという人物を正気に戻したいというわけね?」
「はい。私やハマーンに反応を示したことから、何らかの強いショックを与えれば、正気
に戻る可能性は十分にあると考えます。しかし、カミーユをこのままあちら側に置いたま
まにしておくと、更なる精神操作によって、最悪手遅れになるかもしれません」
「だから、あの子を取引材料に使って、そうなる前に彼をこちらに引き込みたい?」
「おっしゃるとおりです」
シャアには、ハマーンの言葉を否定したいという思惑がある。カミーユを見限ったりは
しないという証明をしたかったのだ。そこで、ちょうど捕虜にしたステラを利用することを
思いついた。
タリアは、暫くの思案の後、「分かりました」と応諾した。シャアはその答えを聞いて、一
先ず安堵していた。
これで、例え交渉が決裂しても、ハマーンの言葉に抗う一つの材料になる――その打
算にやましい感情はあったが、それにはあえて目を瞑った。
「ありがとうございます」
シャアはタリアに頭を下げた。しかし、タリアは、礼を言うのはまだ早いとばかりに、「一
つ、条件があります」と付け加えた。
「条件、ですか……」
見返りを求められることは覚悟していた。しかし、値踏みでもするかのような目で自分
を見つめるタリアを、シャアは理解できなかった。艶のある目つきは、シャアの知らない、
タリアの女の色香をにおわせていた。
ミネルバからの裏取引の申し出を、ネオは承諾した。こうして、ミネルバとファントムペイ
ンの交渉の場が立ったかに思われた。
薄暗い灯の部屋の中に、シャアの裸体が浮かび上がる。ベッドには、シーツに包まった
タリアが横になっていて、シャアはその傍らに腰掛けていた。
我ながら情けないと、シャアはかぶりを振った。見返りを求められたからとはいえ、気の
無い女性でも容易く抱けてしまう自分に嫌悪感を覚えた。しかも、タリアの肉体は程よく
熟れていて、おいしく頂けてしまったのである。男の本能とは実に恐ろしきものだと、シャ
アは自分に言い訳をした。
シャアは立ち上がり、床に打ち捨てられていた服を拾い上げた。
「……笑ってくれていいのよ。寂しい女だって、軽蔑してくれて」
シャツの袖に腕を通すシャアに、タリアは背中向きのまま話し掛けた。
シャアは一寸、返答に困った。わざわざ自虐的な言葉を口にするタリアを、面倒くさい
女だと思った。
「……忘れかけていた女性の味を、久方ぶりに思い出せました。こちらこそ――」
気を利かせた返答のつもりだったが、何かがおかしかったらしく、タリアは突然含み笑
いを始めた。
「フフ……優しいわね。でも、このことはこの場だけの戯れでしかないのだから、後腐れ
は無しで……ね?」
からかうように言うタリアに、誘ってきたのはそちらの方ではないか、とシャアは何とは
なしに振り返った。――思わず身動ぎした。タリアは上体を起こしていて、胸元に当てた
シーツが、事の外ハッキリとタリアの形を浮かび上がらせていた。
二つの頂点から伸びる幾本かの皺の線が、まださしたる時間が経っていないことを教
えていた。白い肌に居座る淡い桜色の残照は、余韻という艶が完全には消えていないこ
とを見せ付けているかのようだった。
――シャアは、サングラスを掛けた。
「……勿論です」
衣服を整えると、シャアはそそくさと部屋を後にした。
ドアが閉まると、タリアは露骨なため息を漏らした。そして部屋の備え付けのシャワー
で軽く汗を流し、バスローブを纏った。その表情からは、既に余韻は消えていた。
「意外と優しかったわね」
誰に言うでもなく、シャアを評する。冷めた声色に、先ほどシャアに微笑んで見せたタ
リアはいない。
単純な好奇心だった。声が同じであるだけに、シャアとデュランダルを比べてみたくな
った。
しかし、満足とは程遠かった。テクニックがどうこうという意味ではない。気持ちの問題
だ。その失望が、急速にタリアからシャアへの興味を失わせた。
デュランダルとの関係は終わったことだと自覚しているが、ディオキアで会った彼は、
一時愛人のような関係だった自分に何のアプローチも仕掛けてこなかった。それが、無
視をされた、と思えたのかもしれない。淡白なデュランダルの態度が、タリアのプライドを
刺激したのだろう。
そういうことが、少なからずタリアのストレスとなっていた。だから、シャアが気になった。
シャアをベッドに引きずり込んだのは、味見という意味の他に、腹いせのつもりでもあった。
「いい迷惑だったでしょうけどね……」
シャアに対する、多少の申し訳の無さはある。
「でも……」
一方で、肌を重ねたからこそ気付いたこともあった。
「彼、あんなことでちゃんと人を愛せるのかしら……?」
タリアは、他人事ながら心配になった。
シャアには、女性を愛するインテリジェンスが欠けているように感じられた。あまりに空
疎に感じたのである。そういう性質の行為だったとはいえ、男女の交わりを、愛や情とい
った感情から完全に切り離して考えているように思えてならなかった。そして、その感覚
が恐らく間違いではないことを、タリアは直感的に洞察していた。
交渉の場は、ニュートロンジャマーの影響が強い場所が選ばれた。秘密裏に交渉を進
めたいというファントムペイン側の意向で、場所も彼らの指定に従った。
「なあ、カミーユってのは、どんな子なんだ?」
道中、そんなことをハイネから訊ねられて、シャアは一瞬、彼がゲイなのかと勘繰った
が、すぐに勘違いだと気付いた。ハイネは名前でカミーユのことを女性だと思い込んでい
たようだ。
シャアは苦笑して、カミーユが男であることを説明した。
「何だよ、男かよ!」
当てが外れたと思ったのか、ハイネは露骨に悔しがった。
「何を期待していたのかな?」
不純な思考のハイネに、シャアは皮肉っぽく笑った。
そうこうしている内に、交渉の場に到着した。そこでは、既にファントムペイン側の交渉
団がシャアたちの到着を待ち侘びていた。
周りは岩に囲まれているが、その合間からは波飛沫も見える。視界が開けているよう
に見えて、意外と障害物が多い。夕暮れの空は辺りに闇を落としていて、僅かな照明だ
けが互いの存在をぼんやりと認識させているだけだった。
ミネルバ側の代表はシャアが務め、ファントムペイン側からはネオが自ら代表を買って
出た。両者に数人の護衛が付き、その背後にはそれぞれインパルスとカオスが立ってい
る。物々しい雰囲気が、否が応にも緊張感を高めていた。
同道していたハマーンは、奇妙な仮面を付けた男の背後にカミーユの姿を確認した。カ
ミーユもこちらを窺っていたが、ハマーンと目が合うと、すぐに俯いてしまった。
(まだ、認めぬつもりか……)
視線を落としたカミーユが、小賢しく思えた。
「こちらからの申し出を受けてもらえて、ありがたく思っている。――ザフト、ミネルバ隊
所属のクワトロ・バジーナです」
話を切り出す声が聞こえて、ハマーンはそちらに目を転じた。前に出たシャアの前に、
仮面の男が進み出た。
「地球連合軍第81独立機動艦隊司令のネオ・ロアノーク大佐だ」
ネオ・ロアノークと名乗った男が、手を差し出して握手を求めた。シャアがそれに応じて、
ネオの手を握り返す。
(これはこれは……)
薄闇の中の小さな照明が、陰影を濃くしている。ネオの仮面が薄笑いを浮かべたように
見えた瞬間、ハマーンはつい頬が緩んだ。
(仮面で顔を隠すか……シャアはサングラス……常識の無い連中だ……)
握手を交わす二人を眺め、ハマーンは心の中で嘲笑した。
目の前の男の仮面に、シャアはどことなく見覚えがあった。一年戦争の時に着用して
いた自分の仮面に似ていると思ったのである。このネオという男も、何か隠したい過去が
あるのだろうか――シャアがそう推察したくなったのは、自然の成り行きであった。
軽い挨拶を済ませると、ネオがシャアの背後のステラを気にした。シャアはそれを察し、
「ああ……」と寝台に括り付けられているステラに振り返った。
「元気の良い娘さんでいらっしゃったので、少し眠ってもらっている」
「そうかい。どうやら、丁重に扱ってもらえていたようで、何よりだ」
ネオはそう言うと、シャアに向き直った。シャアも顔を正面に戻してネオを見た。
「元々、ちょっと奇天烈なところがある娘でね。勝手に飛び出してお宅に迷惑を掛けて
しまったようだが、こういう機会を設けてくれたことには感謝している」
ガイアの単独での襲撃が突発的なアクシデントであったことを説明しながらも、ネオは
その詳細を語るようなことはしなかった。内情を漏らさないのは鉄則であるが、シャアは
ガイアの襲撃の意味を殆ど理解していた。
チラとカミーユを見やった。カミーユは、ジッとステラを見ている。
(なるほどな……)
シャアは視線を戻し、ネオに問いかけた。
「では、取引には応じていただけるので?」
しかし、ネオは問われると、「いや……」と渋る態度を見せた。
「その前に、理由を聞かせてもらいたい」
「理由……?」
「どうしてカミーユなのか……その理由だよ」
そう問い返すネオを、シャアは訝った。よもや、ネオがそれを知らないはずが無いと思
っていたシャアにとって、わざとらしく訊ねてくるネオに不信感を覚えた。
しかし、ある意味でこれはチャンスであるとも考えた。カミーユに刺激を与える機会を、
ネオの方からお膳立てしてくれたと取ることも出来たからだ。
「ご存知でない?」
シャアは、あえて意外であるかのように言った。ネオはそのシャアの声色に、微かに顎
を引いた。
「今は記憶を失くしているようですが、彼は元々私の仲間なのです。記憶操作を施す前
に、エゥーゴという組織の名前を聞いていらっしゃらない?」
シャアはカミーユにも聞こえるよう、意識して声を張った。そのシャアの意図に気付いた
ネオは小さく舌打ちをして、後ろのカミーユを見やった。
「記憶操作……? エゥーゴ……アーガマ……? ううっ!」
カミーユは頭を抱えて蹲った。
頭痛が、シャアの言葉が或いは真実かもしれないと思わせた。しかし、それは自白を強
要されているようで、嫌な感じしかしなかった。
「なるほどな……」
呟いたネオは、得心したようだった。
「全て把握した。珍妙な取引だとは思ったが、そういう理由か」
「お分かりいただけたのなら、彼の記憶を戻し、こちらに引き渡していただきたいのだが?」
シャアがそう迫ると、ネオはそれをかわすように再びカミーユを見やった。
「――だ、そうだが、どうするカミーユ?」
呼び掛けるネオに応じて、カミーユはゆっくりと立ち上がった。頭痛が治まらないのか、
顔に汗を浮かべて、片手はまだ頭に添えたままだった。
「……冗談じゃありませんよ、こんなの」
苛立ちを含んだ声、そして、その眼光にはシャアに対する明らかな敵意が込められて
いた。
「シャアだハマーンだ言ったところで、僕に覚えなんかありゃしないんですから!」
「カミーユ!」
カミーユが記憶を取り戻しかけていることは、確かだった。現に先ほど、“アーガマ”と
いう単語も自然に零していた。しかし、カミーユはそれを拒んでいるかのように激しく反発
した。
シャアは焦った。ここまでのカミーユの拒否反応を、想定していなかったからだ。
「まだ私やブライトキャプテンのことを思い出せないのか! シンタやクム、ファも!」
「し、知らないって言ってるでしょ! 僕はね、あなたのように何でもかんでも自分の思
い通りにできると思い込んでいる人が、一番嫌いなんです!」
「カミーユ……!」
シャアは愕然とした。ブライトやシンタ、クム、ファの名前に強い反応を示したものの、
それにすらカミーユは抗った。何かが、カミーユを縛っているのである。
ふと、ディオキアでのことを思い出していた。あの時、カミーユを放置して帰ってしまっ
たことが、今さらになって悔やまれた。
(判断を誤ったというのか……!)
後悔先に立たず。シャアに、時計の針を戻すことは出来ない。
動揺するシャアを前に、ネオは口元に笑みを浮かべた。
「そういうわけだ。交渉は決裂だな」
「捕虜を見捨てるというのか?」
焦って引き止めようとするシャアに、ネオは「まさか!」と言いながら後ずさりを始めた。
「折角の機会なんだ。ステラは返してもらうに決まっている。――スティング!」
ある程度まで距離を取ると、ネオは急に手を上げて何らかの合図を送った。すると、そ
の合図に応えてカオスがネオたちを覆い隠すように蹲り、そして次の瞬間、シャアたちの
頭上を複数のビームが穿った。
「何だあーっ!?」
シャアたちは悲鳴を上げ、一斉に地面に伏した。その上をインパルスが覆い被さって庇
い、ビームライフルを砲撃元へと差し向けた。
ニュートロンジャマーによるジャミングが強くて、レーダーは殆ど役に立っていなかった。
しかし、そのビームの数と威力から、シンはアビスの砲撃であることを見抜いていた。
「ニュージャマーの影響が強い場所を指定したのは、この交渉を外部に漏らさないため
じゃなくて、アビスを隠すためだったってのかよ!」
シールドを構えつつ、「汚いぞ、お前ら!」と憤りながらシンはインパルスを立ち上がら
せる。その足元では、今しがたのビーム攻撃の影響で、まだシャアたちが起き上がれず
にいた。
その混乱に乗じて、ネオたちは素早く動いた。抵抗するミネルバ側の面々を蹴散らして、
寝台ごとステラを奪取したのである。
「貴様っ!」
シャアは撤収の号令を掛けるネオに飛び掛った。が、眼前に降ってきたカオスの足が、
それを妨げた。シャアは辛うじて踏み潰されはしなかったものの、地面に転倒してしまった。
カオスの足の影から、ほくそ笑むネオの表情が見えた。
「確かにステラは返してもらった。お前たちのバカ正直さには、感謝の言葉も無い」
シャアはカッと頭に血が昇って、咄嗟に銃を取り出して撃っていた。しかし、ネオはそれ
を嘲笑うようにカオスの陰に隠れて、シャアが撃った弾丸はカオスの足に弾かれて小さ
な火花を散らしただけだった。
「おのれ!」
シャアは地面に拳を叩きつけ、憤慨に打ち震えた。
ネオの撤収命令に従い、カミーユも軍用機に向かって駆け出した。しかし、突然の発砲
音と肩の近くを掠めた弾丸の感触に、咄嗟にその足を止めた。
頭の痺れが、一段と強くなった。混乱が続く現場は、まだ砂煙が巻き上がっていて、視
界が悪い。しかし、その女は、まるでカミーユだけに姿を見せるように現れた。
「逃げられると思ったか、カミーユ?」
重く、低い声。銃を向けるハマーン・カーンの出現は、必然的なものに感じられた。
「また、あなたか……!」
対峙するハマーンを、もう知らない人物だと白を切ることは出来なかった。カミーユは、
ハマーンが印象的な女性であったことを思い出していた。
「分かっているぞ、カミーユ。いつまで自分を偽るつもりだ?」
ハマーンにそう問われたカミーユは、思わず眉を顰めていた。
(この人と僕は同じなんだ……!)
頭の痺れとは別に、それとは違う不思議な感覚が内在している。ハマーンに問われた
時、内心を見透かされたと感じたカミーユは、直感的にハマーンが自分と同じセンスを持
つ人間であることを理解していた。
しかし、その理解は反発となった。ハマーン・カーンという女性には、決して気を許して
はいけないということも、ぼんやりと思い出していたからだ。
「偽るって……そういうことは、あのシャアって人に言ってくださいよ!」
カミーユは苛立ちに任せて反論した。しかし、ハマーンは「ほう」と小さく唸るだけだった。
「シャアのことも分かっているようだな。そこまで思い出していながら、何故いまだに抗
う? あの連中に、何があると言うのだ?」
「そんなのは、僕の勝手でしょう!」
「そうかな?」
嘲笑を浮かべるハマーンには、確信の色があった。カミーユは、それが酷く不愉快に感
じられた。
(勝手に分かった気になって……!)
そう内心で反発しながらも、ハマーンに気圧されている自分に気付いていた。
(このままじゃ、この人に呑まれる……!)
焦燥感を強めたカミーユは、気を取り直し、ハマーンに切り返した。
「だったら、あなたは何故シャアと一緒にいるんです? あなただって――」
パァンッ! ――言いかけたカミーユの頬の辺りを、弾丸が掠めた。千切れた髪が宙を
舞う。カミーユは思わず一歩後ずさり、弾丸が掠めた辺りを探った。
ハマーンは銃を向けたまま、サイボーグのように微動だにせず、カミーユを睨んでいた。
薄闇の中に浮かび上がる鋭い青の双眸が、カミーユにその続きを言わせなかった。
身の危険を感じるほどのプレッシャーを感じる。
「……確かに、あなたのせいで自分が何者なのか、分かってしまったような気がします
よ」
カミーユは強い圧迫感を覚える中、自分を奮い立たせて切り出した。
「でもねっ! それが、今の僕と何の関係があるって言うんです!? ――あなたは、
いつだって敵だったじゃないですか!」
カミーユは声を荒げて、ハマーンを罵倒していた。
カミーユは激しい苛立ちを見せていた。その感情の乱れを、ハマーンは甘えだと推定
した。
「……与えられた環境が心地よければ、手放したくなくなるものだものな?」
ハマーンはため息混じりに言って、徐に銃を下ろした。それを見て、カミーユは訝しげ
に眉根を寄せた。
「だが、それでは地球の重力に魂を縛られた人間と同じだ。お前も、結局はニュータイ
プの成り損ないだったようだな」
「ニュータイプ……?」
「行け。もうお前に用は無い。そうやって、いつまでも幻想に縋っているがいい」
ハマーンは静かに罵ると、カミーユに背を向けて砂塵の中に消えていった。カミーユは、
呆然とそれを見送るだけだった。
軍用機は、既に離陸の準備を終えていた。「急げ!」とタラップに足を掛けて入り口から
身を乗り出すネオが、カミーユに手を伸ばしていた。
騙し討ちでステラを奪還した。ネオの手を取れば、またあの居心地のいい空間に戻れる。
しかし、何かが心の奥底で引っ掛かっている。
それを意識した時、カミーユは今さらになって悔しさが込み上げてきた。
「ハマーン・カーンなんかに、僕の何が分かるっていうんだ……!」
しかし、今のカミーユには、そんな負け惜しみに等しい一言を発するのが精一杯だった。
続く
第十二話は以上です
それでは
GJ!!
シャア泥沼だな
どうもこんばんは
第十三話「覚醒、雪の中」です↓
ファントムペインとの交渉は決裂した。その上、捕虜のステラまでも奪い返され、誰の
目から見てもミネルバ側の一方的な敗北だった。
「申し訳ありませんでした、グラディス艦長。私の見通しが甘すぎました」
シャアは艦長室での報告の際、開口一番に謝罪の言葉を述べた。
交渉の立案者として、今回の失態の責任を痛感していた。アビスの潜伏を予想せず、
シンに警戒させなかったのは明らかに自分のミスだと思っていた。
カミーユさえ引きずり出せれば何とかなると思っていた過信が、シャアの目を曇らせた。
ハマーンへの対抗心もあっただろう。ハマーンの前でカミーユを正気に戻し、引き込むこ
とで、ハマーンの言葉を否定して見せたいという強い欲求があった。
しかし、その結果は惨憺たる有様だった。ファントムペインを交渉の場に引きずり出した
時点で万事上手く行くと思い込んでいたシャアの自信は、ものの見事に木っ端微塵に砕
け散った。
(冷静さを欠いていた……。焦りがあったのか……)
シャアは、自らの有様に失望した。ハイネが励ましてくれたが、惨めとしか思えなかっ
た。ハマーンの軽蔑の目は、当然だった。
シャアは一通りの報告を済ませると、最後にもう一度頭を下げた。タリアは最後まで黙
って聞いていたが、シャアが言葉を切ると、徐に深いため息をついた。
「被害が無かったことが幸いと言うべきかしらね。捕虜の件はまだ本国には報告してい
なかったから、内部告発でも無い限り問題にはならないだろうけど……反省はしなけれ
ばならないわね」
許可をした私もね、と付け足したタリアの慰めは、シャアの耳には入っていなかった。
カミーユが癖のように頭に手をやっている姿が目に付くようになった。交渉の一件以来、
カミーユがすこぶる調子を落としていることを、ネオは気にしていた。
ネオにとっても賭けだった。ミネルバが取引の対象にカミーユを指定してきた以上、あ
る程度のリスクは覚悟しなければならなかった。カミーユがシャアやハマーンと接触する
ことの危険性は、スティングたちの報告で明らかだったからだ。
当初、ネオは応じるべきか否かを迷っていた。ステラかカミーユの二者択一を迫られて
いるように思えたからだ。
しかし、そんなネオに、ステラを見捨てることは出来ないと言って交渉に応じるように勧
めたのは、他ならぬカミーユ本人だった。
それを見てネオは、もしかしたら、と思った。一方的にステラを奪還できる可能性が見
えた気がしたのだ。それは博打であったが、ネオはカミーユにベットしようと考えた。
果たして、ネオの目論見は達せられた。ステラは戻り、カミーユもミネルバの手に渡る
ことは無かった。
しかし、その代償として、カミーユは今までにない不調に陥ることになってしまった。シャ
アやハマーンとの接触は、ネオやカミーユ本人が想定していた以上の精神的負荷を強い
ていた。
そんな折、ファントムペインをある人物が訪問した。ブルーコスモスの盟主にしてロゴス
のメンバーでもある、ロード・ジブリールであった。その手に、大き過ぎるほどの手土産を
持参しての視察であった。
その手土産の噂を、ネオは予てより耳にしていた。が、実際に目の当たりにしたそれは
圧倒的で、つい感嘆を漏らさずにはいられなかった。
全高は並のモビルスーツの二倍以上はある。全身に火器とバリアが内蔵された、文字
通りの化け物。デストロイと呼称されるその怪物は、フェイズシフト装甲展開前の鈍い銀
色を湛えていた。
「どうだ、ネオ・ロアノーク?」
感想を求めるジブリールに、ネオは「はっ」と慇懃に応えた。
「スペック以上のものに見えます」
「そうだ。上手く活用しろよ? デストロイの生体コアには、最も相性の良いものを組み
込むのだ」
ジブリールはデストロイを前にし、ネオにそう命令した。
“コア”という物言いに、鼻持ちならないものを感じた。しかし、ネオはそんな態度をおく
びにも出さず、ジブリールの命令に従順に応じた。内心で、そんな自身を情けないと恥
じながら。
「――あれが拾い物か」
ふと、ジブリールが言及したのは、カミーユのことだった。
「コピー不能の核融合炉といい、パイロットまで普段からあの調子では、話にならんな」
ジブリールはカミーユを一瞥すると、吐き捨てるように言った。
カミーユは壁にもたれかかり、頭を抱えて苦しんでいた。最近のカミーユは、万事そん
な調子である。色々と手を尽くしてはみたのだが、快方に向かう気配は一向に見られず、
症状はますます悪化する一方で、ネオも気を揉んでいた。
しかし、ある意味では幸運だったかもしれない。お陰でジブリールの眼鏡にかなわなか
ったのだから。
「記憶が戻りかけているようでして、それで混乱しているようです」
言ってから、ネオは余計なことを口にしてしまったと後悔した。迂闊にこのようなことを
言えば、ジブリールのような人間がどのような反応を示すのか、容易に想像できるから
である。
果たして、ジブリールはネオの予想と違わぬ反応を返してくれた。これほど嬉しくない
正解があるのだろうかと、ネオは内心で臍を噛んだ。
「何だ。原因がはっきりしているのなら、さっさと余計な記憶を消してしまえば済む話で
あろう」
「は……」
ジブリールの身も蓋も無い言葉は、しかし、ネオにある種の決断を迫っていた。
ネオは再調整を避けていた。科学技術班からも、カミーユの状態を改善するには再調
整するのが望ましいと散々提言されていたが、ネオの良心が今までそれを拒んでいた。
しかし、悶え苦しむカミーユを見ていると、とうとう再調整も止む無しかと思わされるので
ある。過去の記憶がカミーユを苦しめているのなら、いっそのこと、そんなものは失くして
しまった方が幸せかもしれないと。
その後、三人のエクステンデッドにテストを行い、その結果、デストロイのパイロットには
ステラが選定された。ステラには、よりデストロイとの親和性を高めるための調整が施さ
れ、そして、それと同期してカミーユの再調整も実施された。
ネオはその調整の様子を見つめながら、激しい自己嫌悪に陥っていた。カミーユとステ
ラの精神が破壊されていく様子を見なければならないのは、ネオにとっては拷問のように
感じられた。
しかし、それから目を逸らすわけにはいかなかった。罪の意識があるからこそ、ネオは
最後まで見届けなければならないと強く感じていた。
調整を終え、ステラからは捕虜にされていた時の記憶を削除した。そして、再び記憶を
消去されたカミーユは新たに記憶を刷り込まれ、それによって精神が安定したかに思わ
れた……
ミネルバはイベリア半島の南端に位置するジブラルタル基地に入った。ジブラルタル基
地は、カーペンタリア基地と並んでユニウス条約以降にも地球上に存在が許された純ザ
フト基地であり、設備も豊富で広大な敷地面積と規模を誇っていた。
それまでミネルバで埃を被っていた百式とキュベレイが、搬出されてジブラルタル基地
工廠に運び込まれていく。解析と研究を許可したのは、他ならぬハマーン・カーン本人だ
った。
「君がキュベレイを預ける気になったのが、私には未だに信じられんよ」
シャアの率直な感想だった。プライドの塊のようなハマーンが、愛機であるキュベレイを
赤の他人に委ねるなど、どうしても想像できなかったのである。
ハマーンにしてみれば、そんなシャアの物言いはレッテル貼りもいいところだった。シャ
アが考えるよりも、ハマーンは柔軟なつもりである。
アークエンジェルの存在が、近い将来の懸念材料として常にハマーンの中で燻ってい
た。そして、フリーダムの存在を勘案した時、ザク・ウォーリアではなく、キュベレイの存
在が不可欠であると結論付けた。ハマーンがキュベレイを研究材料としてプラントに提供
する気になったのは、全てラクスに対抗するためである。
しかし、それをシャアに言うつもりは無かった。
「お前に私が理解できるものか」
ハマーンはそう言って、シャアを突き放した。
シャアの中には、決して色褪せることの無い女性が住み着いている。ハマーンはそれ
を理解していた。
シャアにとってその女性の存在は絶対的だった。一途ではあるのだが、しかし、それは
悪い意味で純粋であった。シャアは、ララァ・スン以外を心底から愛することができない
男だった。
それを知ったからこそ、かつてシャアに惹かれていた自分を惨めだと思うし、その気持
ちがシャアへの強烈な憎悪に繋がっていた。シャアをアクシズに引き止めておくことがで
きなかったのである。それは、生身である自分がシャアの思い出の中の女に敗北したこ
とと同義であると、ハマーンは思っていた。
――ララァの魂は地球圏を漂っている。火星の向こうにはいないと思った
かつてアウドムラのエレベーターでアムロ・レイに語った言葉こそが、シャアの本音だっ
た。
数日後、ハマーンのプラント行きが決まった。ジブラルタル基地の工廠施設では、キュ
ベレイの研究や百式の修復が難しいということが判明したからだ。
名目上は、キュベレイを運用可能にすることと百式の復元である。が、先日の交渉の件
でカミーユに見切りをつけたことも、プラント行きを決めた一因であった。
シャトルの発着ステーションでは、ミネルバのクルーの何人かがハマーンを見送りに来
ていた。その中には、先日の戦闘で負傷したルナマリアの姿もあった。頭には包帯が巻
かれ、ギプスで固められた左腕は三角巾で吊るされている。
「ハマーンさん!」
発進の時間が近づき、ハマーンが搭乗口に向かおうとした時、ルナマリアは咄嗟にハマ
ーンに声を掛けていた。
「何だ?」
「クワトロさんと離れてしまっていいんですか?」――とは聞けなかった。ルナマリアは声
を掛けてはみたものの、「あの、その……」と歯切れ悪く口ごもるばかりだった。
そんなルナマリアを見かねたのか、ハマーンは一つ含み笑いを零すと、徐に歩み寄っ
た。そして、そっとハグをするように身を寄せて、ルナマリアの頭を抱き寄せたのである。
熱を感じた。ハマーンの体温だ。その温もりに反応して、カッと身体が熱くなった。
これほどまでにハマーンを近くに感じたことは無かった。緊張して、膝が笑った。
(相手は女性なのに……)
そう考えると、ルナマリアは自分の身体の反応が信じられなかった。
ハマーンはそっと口元をルナマリアの耳に寄せた。傍から見ていた者にとっては、それ
はキスをしているようにも見えて、ざわめきが起こった。妹のメイリンが、阿呆のように口
を開けて目を見張っている。
ルナマリアは戸惑い、舞い上がっていた。顔が上気して、火が出そうだった。しかし、次
にハマーンが囁いた時、その熱は一瞬で失われ、炎熱のような緊張は厳寒へと変わった。
「アークエンジェルのラクスには、細心の注意を払うのだ。何かあったら、すぐに私に報
告しろ。良いな、ルナマリア?」
吐息には熱があった。だが、ルナマリアにはそれが冷たいもののように感じられていた。
顔を離したハマーンには、微笑が浮かんでいた。それが作り物であることを分からない
ほど、ルナマリアは鈍くはなかった。囁いた時、どんな顔をしていたのだろう――想像す
るだに、ルナマリアはハマーンを畏れ、つい凝視していた。
ハマーンは、そんなルナマリアの緊張を知ってか知らずか、「生き延びるのだな」と励ま
すようなことを言った。
「さすれば、宇宙(そら)で会うこともあろう」
「は、はい……分かりました……」
言外に含まれている意図を汲み取り、ルナマリアはそう返した。ハマーンはそれを聞く
と、微笑を浮かべたまま背を向け、シャトルの搭乗口へと向かっていった。
こうして、ハマーンはプラントへと旅立っていった。
しかし、ハマーンは知らなかった。ハマーンが気に掛けているラクスもまた、プラントへ
と向かおうとしていたことを。送迎艦の舷窓から宇宙を見つめるハマーンには、知る由も
無かったのである。
ジブラルタル基地に東ヨーロッパ戦線の危機が告げられたのは、ハマーンがプラント
に向かってすぐの頃であった。連合軍が新型巨大機動兵器を用いて電撃的にモスクワ
を襲撃し、圧倒的な戦力で以って駐屯部隊を殲滅、制圧したというのである。そして、そ
の部隊はそのまま西進を始め、次はワルシャワに攻め入ろうかという構えを見せていた。
東ヨーロッパには親プラント的な風潮があり、ザフトの進駐も比較的好意的に受け入れ
られていた。過激派であるブルーコスモスの盟主ジブリールはそれを快く思わず、デスト
ロイを投入し、東ヨーロッパを解放してジブラルタルに攻め入る足掛かりにしようと目論ん
でいた。
ザフトはこの危急の事態に、連合軍の進撃を食い止めるべく、ジブラルタルからの増派
を決定。ワルシャワ戦線には間に合わないとの観測結果を受け、最終防衛ラインをベルリ
ンと定め、高速艦ミネルバを先行してそこへ向かわせたのだった。
再調整を受けたカミーユは、安定していた。その成果は、目に見えて明らかだった。モス
クワではそれまでの不調を払拭するかのような活躍を見せ、ネオの苦渋の決断は、良い
方向に実を結んだかに見えた。
しかし、それは一時的なことだった。好調だったモスクワでの戦闘の後から、カミーユに
再び異変の兆しが表出し始めたのである。
原因は分からなかった。科学技術班からは、確かに以前の記憶を完全消去し、新たに
記憶を植え付けたと聞いていた。しかし、カミーユは日毎に調子を落としていった。
(記憶操作を重ねた代償なのか……?)
ネオはそう推察したが、それだけではないように思えた。
(カミーユは、殊更にデストロイに嫌悪感を抱いている……)
繊細な少年なのだろうとネオは思った。
モスクワで初陣を飾ったデストロイは、その圧倒的スペックを余すことなく証明して、モ
スクワの都市を焦土に変えた。無数のビーム兵器とミサイル、それに堅牢なボディを更
に陽電子リフレクターで覆って、デストロイは正に動く要塞だった。
そして、それを動かすのは、まだあどけなさを残す少女、ステラ・ルーシェである。
そのデストロイの破滅的な力と、あどけないステラの組み合わせを、カミーユが生来持
つ潔癖性が受け付けないのだろう。その生理的な嫌悪感は、ステラにそれをやらせてい
るネオも理解できる感覚だった。
(アイツは、何でモビルスーツなんかに乗るようになったんだろうな……?)
そういう繊細な潔癖性を持つカミーユが、なぜ戦争をやるようになってしまったのか、ネ
オは過去のカミーユに思いを馳せてはみるものの、その根本に思いが至ることは無かっ
た。
ワルシャワ戦線でも、デストロイの勢いは止まるところを知らなかった。ステラも、多少
は消耗しつつも、今のところは安定して成果を出している。一方で、その活躍に比例する
ようにカミーユは益々デストロイに対する嫌悪感を募らせ、スティングの報告によれば、デ
ストロイに対する不満を露骨に口にする場面がかなり目立つようになってきたのだという。
それでも、一度戦場に出れば、その影響はまだ限定的だった。デストロイを気にして集
中力が散漫になるような場面はあるものの、カミーユが本来持つポテンシャルは発揮さ
れていた。
しかし、それが逆に判断を難しくさせていた。カミーユを休ませるか否か、ネオはそれを
決めかねたままワルシャワを攻略し、僅かな休息を挟んでベルリンへと進軍を続けた。
カミーユがネオに直訴してきたのは、そんな時だった。
「大佐、僕はデストロイには反対です」
カミーユは艦橋のドアの外で待ち伏せしていて、ネオが出てくるなりそう訴えた。
「何故、反対なんだ?」
ネオは歩きながら聞き返した。カミーユはそれに追随しながらも、「何となくです……」
と歯切れの悪い応答をした。
ネオはチラと斜め後ろを付いて来るカミーユを一瞥した。カミーユは目を伏せ、床に視
線を落としていた。
(自分でも理由が分かってないのか……?)
カミーユのデストロイに対する嫌悪は、直感的なものである。ネオは、それが生理的な
ものであり、払拭しがたいものであることに理解を示しながらも、それに執着して直訴ま
でしてきたカミーユの神経までは理解することが出来なかった。
自身が生粋の軍人であるという記憶を刷り込んだ。軍人として、決定が下された作戦に
異議を唱える不義は承知しているはずだった。
(何をそんなに拘るのだ……?)
そこに、カミーユの不調の原因があるのだろうか――ネオはため息をつきつつ、「何と
なくじゃ、聞いてやれないな」と言った。
「ここは軍隊だぞ。上から下された決定に異議を挟むのは慎め」
「しかし大佐、これ以上あれに乗せてたら“フォウ”が……」
「“フォウ”……?」
聞いたことも無い名詞が急に飛び出してきて、ネオは思わず足を止めてカミーユに向
き直っていた。
「“フォウ”、というのは何なんだ、カミーユ?」
「“フォウ”……?」
しかし、問うネオに対して、カミーユは目を丸くして首を捻るだけだった。
「誰です? 知りませんよ僕は。僕が言ってるのはステラのことで――」
(誰……?)
ネオは、その反応で“フォウ”というのが人の名前なのだと理解した。
その上で、ネオは再度「いや……」とカミーユに確認を取った。
「確かに今はっきりと……」
「えっ? 僕が言ったんですか?」
驚くカミーユ。冗談を言って、からかっているようには見えなかった。
「お前……」
ネオは、思わずカミーユの肩を掴んでいた。カミーユはそれに驚いて、「な、何です?」
と狼狽した。
以前、ネオのことを“大尉”と呼んで間違えたことがあった。その時と同じだと、ネオはす
ぐに分かった。無意識に出た名前は、完全に封じられたはずの過去の記憶から零れ落
ちてきたものに違いない。
(自覚が無い……。また、カミーユの記憶が戻りかけているのか……?)
その切欠に、ネオは思い当たる節が無かった。あの交渉での一件以来、シャアにもハ
マーンにも接触させてないどころか、ファントムペインはミネルバにすら接触していない。
カミーユが記憶を刺激させられるような要因は、何一つとして無いはずだった。
考え得る要因は、ただ一つ。デストロイに異常なほどの執着心を見せていることが、カ
ミーユが再び記憶を取り戻そうとしていることと関係しているのかもしれなかった。
「デストロイは、パイロットに戦いを強要するマシーンなんです」
「パイロットに戦いを強要する?」
詰め寄るカミーユに、ネオは唖然として答えた。
「あれに、そんなシステムは積まれてないぞ?」
「そんなはずはありません! デストロイは、記憶を餌にしてパイロットを戦わせるマシ
ーンでしょ!?」
声を荒げるカミーユに驚いて、ネオは思わず尻込みした。
「そんなのに、ステラみたいな子を乗せるなんて!」
「わ、分かったよっ!」
ネオは慌てて感情的になるカミーユの肩を放した。
「次の作戦が終わったら、上に掛け合ってみる。それでいいか?」
ネオはそう言って、幕引きをはかった。
カミーユの言動がおかしいことに、ネオは気付いていた。しかし、それを指摘するのは
危険に過ぎると思った。カミーユが異常な反応を示しているのは確かで、それが複数回
に渡る記憶操作の弊害である可能性は十分に考えられたからだ。それ故、下手に刺激
してカミーユの精神をかき乱すようなことは避けなければならなかった。
「あ、ありがとうございます!」
立ち去るネオに、カミーユは敬礼を決めた。その爽やかさが、逆に皮肉に思えた。
(これで、本当に再調整が成功したと言うのか……?)
振り向いて一瞥したネオは、カミーユが本当に軍人としての記憶を植え付けられたのか
どうか、疑わしくなった。
ベルリンではザフトが手薬煉を引いて連合軍を待ち構えていた。早い段階でワルシャワ
戦線に見切りをつけ、後退したワルシャワ駐屯部隊を吸収して、現在のベルリン駐屯軍は、
ヨーロッパにおけるザフトの最大規模の戦力に膨れ上がっていた。
しかし、それでもデストロイは止められなかった。陸上艦ボナパルトからリフトオフしたデ
ストロイは、そのまま歩みを止めることなく突き進み、ザフトをゴミのように駆逐しながらベ
ルリンの市街地へと攻め上がっていった。
郊外にてデストロイの侵攻を食い止めようと画策していたザフト側の目論見は、脆くも崩
れ去った。このままではベルリンまでもが立て続けに制圧され、ヨーロッパ戦線は完全に
崩壊してしまう。最早、ヨーロッパにおけるザフトは風前の灯だった。
しかし、状況はあらぬ勢力の介入で不測の事態へと転がり込んでいく。連合軍が、今正
にベルリンに侵攻しようとした時、突如としてアークエンジェルが出現した。そして、出撃し
たフリーダムが敢然とデストロイに立ち向かい、その進攻の足を鈍らせに掛かったのであ
る。
誰も止められなかったデストロイを相手に、流石のフリーダムは善戦した。圧倒的機動
力と技術を以って攻撃をかわしにかわし、持てる火器の全てを駆使してデストロイのベル
リン侵攻を阻止する。
「何だコイツ! 何だコイツ!」
蚊トンボのように周囲を飛び回るフリーダムに、ステラは激しく苛立った。いくら追い払お
うとしても、しつこく纏わりついてはチクチクと攻撃をしてくる。
「目障りだ!」
ステラの苛立ちは頂点に達した。通信回線から、何度もフリーダムは無視しろとの命令
が飛んでいても、頭に血が昇ったステラの耳には届いていなかった。デストロイは標的を
完全にフリーダムに定め、侵攻の足を止めてしまったのである。
ボナパルトの艦橋で通信機を握っていたネオは、そんなデストロイの暴走にため息をつ
いた。パイロットであるステラの精神的な幼さが出た。
「しかし、それにしても……」
ネオは、一方でアークエンジェルに目を向けた。オーブもいないのに、何故介入してくる
必要があるのかと。
「正義の徒のつもりなのか?」
アークエンジェルを見ていると、ネオは何故か言い知れない不安に駆られる。宿敵であ
るミネルバに対する感情とは違う感覚である。ユウナの差し金で、散々作戦を邪魔された
からだろうか――否、それだけではないように感じた。
(怖い……のか? 何に怯えているんだ、俺は……?)
圧倒的なデストロイが沈むはずが無い。しかし、そう思えば思うほどに不安が大きくなっ
ていく。フリーダムがデストロイを越えるほどの脅威であることを、ネオはもっと身近に知
っているような気がした。
「あまり、よろしくない展開ですな」
イアン・リーの呟きに、ふと我に返る。
「フリーダムに構い過ぎています。エネルギーの心配は無いでしょうが、いくらデストロ
イといえど、このままではベルリン侵攻に支障を来す恐れがあります」
イアンは暗に対応を迫っているのだ。階級ではネオの方が上であるが、遠回しにせよ、
このように遠慮なく進言してくれるイアンを、頼もしく思う。
「そうだな……スティング、アウル、カミーユの三人を援護に向かわせる。――伝えろ。
小うるさいフリーダムを今度こそ叩き落とせとな」
ネオの命令は通信兵を通じて、早速、三人のもとへと届けられた。
指令を受け取り、三人はデストロイの援護に向かった。
「デストロイに援護なんて要るか?」
アウルのぼやきに賛同する気持ちはあっても、ネオの判断も決して間違いではないか
もしれないという思いが、カミーユにはある。
フリーダムは、デストロイの圧倒的火力をものともせずに飛び回り、しつこく攻撃を仕掛
けている。鉄壁のデストロイは、そんなフリーダムの攻撃をほぼ完璧にシャットアウトして
いたが、しかし、ステラはあまりにもフリーダムに気を取られ過ぎているように見えた。
今のところ、互いに決定機を見つけられずにいる。フリーダムは接近できずに遠距離か
らの射撃を繰り返すのみ。一方のステラも、素早いフリーダムに照準を合わせることすら
儘ならない。デストロイは鈍重であるが故に、狙い済ました一撃というものが苦手な面が
あった。
いずれ、フリーダムはデストロイの砲撃に慣れて、致命的な一撃を加えてしまうのでは
ないか――カミーユは直感的にそんな懸念を抱いていた。
「相変わらず絶好調みてえだな、フリーダムの奴は」
回線の向こうでスティングが鼻を鳴らす。
「だが、今度は前の時のようにはいかねえ。――いいな、二人とも? 掛かるぞ!」
「りょーかい!」
スティングの号令で、一斉に戦闘速度を上げる。
カオスが機動兵装ポッドを分離してフリーダムに襲い掛かった。アビスも変形を解き、雪
原に着地してありったけの火力をフリーダムに注ぎ込む。
カミーユもそれに倣い、操縦桿を握る手に力を込めた。しかし――
「掛かる……って、どっちに……?」
途端に、腕が金縛りにあったかのように動かなくなった。カミーユは、自分が何を口走っ
ているのか分からなかった。
(何だ!?)
白いモビルスーツと黒い巨大モビルスーツが戦う姿に、デジャヴを覚えていた。そして、
一瞬だけ違うモビルスーツの幻がオーバーラップした瞬間、カミーユは鮮烈なショックと
共に意識が跳躍していた。
(こ、この光景を、知っている……!?)
知らないはずなのに、知っている。表層的な意識では否定していても、脳の奥深くでは
ハッキリとそれを記憶していた。カミーユは、これと似た光景を知っている。
それは、一人の少女との記憶でもあった。
淡い少女のイメージが、脳裏に浮かんだ。刹那、時間や空間から切り離されてしまった
かのような不思議な感覚に包まれ、カミーユは激しく狼狽した。
(何だ……これ……!?)
景色は失われ、白いモビルスーツと黒い巨大モビルスーツの戦いだけがカミーユの意
識を支配した。見覚えがある似たような二機が、何度もフリーダムとデストロイの姿にオ
ーバーラップした。
(あれは、Mk-Uとサイコガンダム……!)
そう知覚した時、カミーユは戦慄した。自分の中に、もう一人違う自分が潜んでいる――
そんな感じがした。
(俺、何で……!?)
「何やってんだカミーユ! てめーもさっさと仕掛けろよ!」
スピーカーから聞こえてきた、割れんばかりのアウルの怒鳴り声に我に返る。その瞬
間、消し飛んでいた景色が戻ってきて、カミーユは現実に引き戻された。
かぶりを振って正気を取り戻す。その時にはもう、仕掛ける相手がフリーダムであると
いう認識は持てるようになっていた。しかし、それでも謎の幻影は常にカミーユの視界に
チラついていた。
「あれが、俺を惑わせるんだ!」
苛立ちが、激しい頭の痛みへと変わっていく。その痛みが、更にフリーダムへの敵意へ
と変わっていった。
しかし、三人で取り囲んでもフリーダムは揺るがなかった。イエローカラーのムラサメが
フリーダムを援護し、邪魔をしているというのもあった。だが、それを加味した上でも、フリ
ーダムはまるで無敵のバリアでも持っているかのように、土砂降りのような圧倒的な火線
の中で、憎らしいほどに華麗にステップを刻み続けた。
キラ・ヤマトのポテンシャルは、想像を絶していた。普通のパイロットであればひとたま
りも無く、一流のパイロットですら何とか逃げ回るのが精一杯である火砲の中で、キラは
次第に感覚をそのビームの嵐の中に馴染ませていった。
慣れが余裕を生み、それがキラを反撃に転じさせた。一瞬の間隙を縫い、ビームライフ
ルを撃ってカオスの右腕を破壊すると、立て続けにバラエーナで地上のアビスを撃ち、地
面に降り積もった雪を巻き上げてその視界を奪う。そうすると、素早くデストロイの背後に
回り込み、ビームサーベルでバックパックを縦に斬り付けたのである。
(ああーっ!)
その瞬間、カミーユの脳天を突き破るような悲鳴が聞こえた。それは、確かにステラの
悲鳴のはずなのに、別人の悲鳴のようにも聞こえた。
(これは……そうか!)
それは、幻聴だったのか――考えた瞬間、答えは出た。論理的に理解したのではない。
ただ、直感したのだ。そして、それだけで十分だった。
「止めろーっ!」
突き動かす衝動が間違っているかどうかなど、判断している暇はなかった。恐れはあっ
た。しかし、自分の中で確実に蠢いている何かが、どうしようもなくカミーユを突き動かそ
うとしてくる。
カミーユは、無我夢中でウェイブライダーの鼻先をフリーダムの脇腹に突っ込ませた。
激しい衝突の衝撃は凄まじい反発力を生み、一瞬にしてフリーダムを彼方へと突き飛ば
した。
ウェイブライダーの先端部分は、即ちΖガンダムのシールドである。特に強固に作られ
ているそれとフェイズシフト装甲が衝突した衝撃は凄まじく、リニアシートに固定されてい
るカミーユも危うく投げ出されそうになった。
しかし、それでは終わらない。フェイズシフト装甲の機体に物理的なダメージは通らな
いのだから。フリーダムは依然として健在であった。
フリーダムを止めなければ、ステラが死ぬ。漠然とした認識でありながら、確かなこと
としてカミーユは認識していた。
フリーダムが視界から消えたことで、ステラは落ち着きを取り戻した。一時は足止めを
されていたデストロイは、ネオからの命令を受けて、ベルリンに向けて移動を再開した。
それを食い止めようと、ザフトやバルトフェルドが抗戦しているが、他の連合軍の動きも
あって思うようにならない。フリーダム抜きの防衛線は、デストロイが相手ではあまりにも
脆かった。
雪原に墜落していたキラは、防衛線の危機を察知し、戦線への復帰を急ごうとした。し
かし、そこへウェイブライダーからのビーム攻撃が注がれ、キラはそれへの対応を強い
られた。
「あなたたちは!」
通り過ぎるウェイブライダーの後姿に向かって、キラは声を荒げた。その間にも、デス
トロイは進攻を続けている。それを横目で気にしつつ、再び襲い来るウェイブライダーに
キラは業を煮やした。
「こんな破壊を続けることに、何の意味があるって言うんだ!」
ウェイブライダーは旋回すると、再び機首をフリーダムに向けた。キラは、戦うしかなか
った。
傍受したキラの声は、カミーユの耳にも届いていた。キラの言うことは、もっともだと思
う。この侵攻作戦は、コーディネイターに与する愚かしさを知らしめるための見せしめの
意味が大きい。そういう作戦を嫌悪する道義心は、カミーユも持っているつもりだった。
しかし、それ以上に駆り立てるものがあった。フリーダムとデストロイに見た幻や、今も
自分の中にある衝動が、容赦なく真実を突きつけていた。カミーユは、もう自分が何者な
のか、分かりかけていた。
恐怖はある。今の自分とは、まるで違う自分になってしまうのではないかという不安が
ある。
しかし、いくら恐怖したところで、もう流れは止められない。封印されていた記憶の扉は、
既に開きかけている。それは受け入れなくてはいけないことなのだと、カミーユは理解し
ていた。
だからこそ、カミーユはフリーダムへの攻撃を続けた。それは、ひとえにステラを守りた
い一心からだった。やがて、近い内に消えてしまう今の自分が残っている間に、一番の脅
威であるフリーダムだけでも排除しておきたい。そうすることが、ファントムペインで過ごし
た今の自分が生きた証になると信じた。
頭痛は相変わらず酷い。しかし、それとは裏腹に、感覚はより研ぎ澄まされていった。ス
ティング、アウルと三人で掛かってようやく互角だったフリーダムを相手に、今は一人で渡
り合えている。
皮肉なものだった。今の自分が失われていくことで、ステラを守る力が増していくのだか
ら。
「でも、コイツさえ沈めてしまえば!」
感覚が鋭くなっていく自分を感じる。リニアシートに収まる自分の身体が、より馴染んで
いく。機体が、自分の手足のように思い通りに動く。次第に攻撃がフリーダムに通用する
ようになる。それは、本来の自分を取り戻しつつあるという証拠である。
フリーダムを捉える確信が、次第に膨らんでいく。加速度的に手強くなるウェイブライダ
ーに焦りを感じ始めたキラに対し、カミーユは勝利への予感を高めていった。
だが、それは視界の片隅にデストロイの姿を収めた時、一瞬にして逆転した。
デストロイはビームを垂れ流しながら、ゆっくりとベルリンに向かって歩を進めていた。
そのデストロイに向けて、夥しい数の火線が注がれている。いつの間にか現れていたミネ
ルバからも、凄まじい砲撃を受けていた。
堅牢な装甲と陽電子リフレクターが、その砲撃の殆どを無効化していた。それでも、猛
烈な砲撃による衝撃で、デストロイの巨体も流石にふらついていた。
大量の砲火に晒されながらも、デストロイはビームを垂れ流しながらフラフラと歩き続
けた。それは、あたかも少女がべそをかきながら歩いているようだった。
――なら、敵になるのを止めて! あたしに優しくしてよ!
――もう、苛められたくないんだ……
(あれ、は……!)
青緑色のショートカットの少女が過ぎった。紫のゆったりとした上着に、同じ色の口紅が
印象的だった。その唇の感触が、カミーユの口元にはまだ残されている。
「……フォ、ウ……!」
その名を呼んだ瞬間、内側で堰き止められていた全てのものがカミーユの全身に溢れ
返った。雷に打たれたようなショックが全身を駆け抜け、刹那、カミーユは全てを悟った。
だが、束の間、大きな衝撃がカミーユを襲った。カミーユが全てを取り戻した瞬間の、本
当に僅かな異変を、キラは見逃さなかったのである。
ビームライフルから放たれた狙い済まされた一閃が、フライングアーマーの翼端を射抜
いていた。そして、バランスを崩したウェイブライダーに、キラはすかさずシールドで体当
たりしたのである。
立て直しが不可能なほどにバランスを崩したウェイブライダーは、あえなく雪面へと叩き
つけられた。その衝撃で、リニアシートと繋がっているノーマルスーツのアタッチメントが
外れ、カミーユは身を投げ出されてコックピットの内壁に衝突した。
フリーダムはカミーユを退けると、ウェイブライダーの状態を確認する間もなく戦線へと
復帰して行った。
「くっ……!」
カミーユは身を起こし、よじ登るようにシートに座りなおした。
「フリーダムは……?」
全天スクリーンを隅々まで見渡し、フリーダムの姿を探す。そして、墜落による身体の
痛みが大したことが無いことを確認すると、徐に操縦桿を握った。
不思議と落ち着いていた。カミーユを苦しめていた頭痛は治まり、今は全てが晴れやか
だった。
「……行けるぞ……!」
天を仰ぐ。灰色の低い雲が降らせる雪は、相変わらず視界を白く濁らせている。そんな
視界不良の空の中に、カミーユはフリーダムの姿を知覚した。
フリーダムの姿は風雪の中に溶け込んでしまっていたが、そのバーニアの光は微かに
見えた。カミーユはそれを認めると、レバーをゆっくりと引いた。
ウェイブライダーが形態を変える。各ブロックが複雑に連動し、やがて人の姿へと形を
整える。最後に頭部が飛び出すと、ツインブレードアンテナを広げてグリーンの双眸を鋭
く瞬かせた。
Ζガンダムが、勢いよく中空へと躍り上がる。カミーユの視界を遮るものは、何も無かっ
た。
続く
以上、第十三話でした
それでは
GJです!
カミーユ覚醒キターー!!!
GJ!!
デストロイに嫌悪感を抱くカミーユ、また記憶回復?とともにZガンダム復活、
というのは期待通りだったが、雪模様の中の戦いでありながら脳裏に走ったのが
温暖なホンコンでのマークU対サイコという事は、今回のZ組は新訳版からの
転移という事になるのかな?
>>48 その通りです
なので一話冒頭のシャアとハマーンの台詞も新訳準拠になってたりします
なんと!プッツンしてなかったのか!良く洗脳出来たな
腕力自慢の三人が捕まえたんかな
新訳カミーユならシャアとは決別しそうだな
>>50 その辺は十五話で少し触れています
全然大したことではありませんけど(´・ω・`)
では第十四話「白銀の彼方」です↓
コンディションレッドがアナウンスされた艦内は、慌しかった。
ベルリン到着目前、ミネルバにも戦況は伝えられていた。進撃を続けるデストロイの、
その圧倒的戦闘力を目の当たりにして、誰しもが緊張の色を隠せなかった。
しかし、そんな中、ラウンジで戦況を見つめるシンが見ているものは、それではなかっ
た。況してや、ザフトの窮状でもなかった。ベルリンの危機でもない。それはただ一つ、
見失ってしまいそうなほど小さく画面に映る、フリーダムの姿だった。
やがて、スタンバイの号令が掛かった。シン、シャア、ハイネの三人は、一斉にラウン
ジを飛び出し、モビルスーツデッキへと向かった。
「シン」
コアスプレンダーに飛び乗ろうとしたシンは、ふとハイネに呼び止められ、振り返った。
「時間、無いですよ」
「すぐ終わる」
そう言うと、ハイネは懐に手を突っ込んで、何かを取り出した。そして、シンの手を取る
と、それを強引に握らせた。
「お前には理性が足りないからな。危ないと思ったら、それ見て自分が何者なのか思
い出せ」
「思い出せって――」
シンは手を開いて何を握らされたのかを確認した。指の隙間から、銀色の煌きが零れ
た。それは、白く輝く羽のエンブレムだった。
シンは驚きに目を丸くした。そのエンブレムが持つ意味を、知っているからだ。シンには
一生涯、縁が無いだろうと思われるフェイスの称号――その証明たるエンブレムだった。
独自の裁量権を持つことを許されたフェイスは、同時に国からの絶大な信頼を得た証
でもある。その証明たるフェイスのエンブレムは、シンにとっては重過ぎるものであった。
「ハイネ! こ、これって……」
「お前は復讐で戦うな。お前の誇りの為に戦え。――信じてるぜ、シン」
ハイネはキザっぽく手で挨拶をすると、グフ・イグナイテッドへと走っていった。
取り残されたシンは、暫時放心していた。そして、改めて託されたフェイスのエンブレム
を見つめた。
その輝きは、一点の曇りも無くシンを照らした。あまりにも眩しくて、値段もつけられな
いような超高級ラグジュアリーを持っている気分になった。こんな大層なもの、自分が持
つべきじゃない――シンはそう思った。
「急げ、シン!」
なかなか乗り込まないシンにやきもきして、ヨウランが急かす。シンは、「分かってる!」
と怒鳴り返して、フェイスのエンブレムを大事に懐にしまいこんだ。
「後で返せばいいんだしな……」
コアスプレンダーのコックピットに飛び乗り、シンはキャノピーを閉じた。
セイバーのコックピットでシャアはその様子を見届けると、静かに画面を切り替えた。
実際に目の当たりにしたデストロイは、想像を遥かに超えていた。普通のモビルスーツ
の倍以上はあろうかという黒い巨体が、全身からビームを発して雪景色の中を歩いてい
るのである。
その身に注がれる砲撃も殆ど効果がないように見える。ミネルバは到着と同時にタンホ
イザーによる狙撃を試みたが、それも通用しなかった。一時的にその歩みを鈍らせただ
けである。バリアと分厚い装甲が全てを弾き返し、抵抗するザフトを蹴散らしながら、デス
トロイはベルリンに迫っていた。
出撃したシャア、ハイネ、シンも、防衛線に加わってデストロイの進撃阻止を試みてい
た。しかし、圧倒的火力の前に接近すら儘ならず、遠距離からの砲撃に頼るしかない。
「どうしろってんだよ、こんなの!」
ハイネが愚痴を零したくなる気持ちは、シャアにも理解できた。今のところ攻略法すら
見出せない現状において、無駄撃ちを繰り返さざるを得ないストレスはシャアにもあった。
「とにかく、足を止めるしかないが……!」
デストロイは弾幕を張りつつ前進を続け、ザフトを蹂躙しながらゆっくりとその歩みを進
めていた。集中砲火を受け、バランスを崩しても進撃は止まらない。いくら直撃を浴びせ
ても、効いているのかいないのかも分からない。そういう敵に挑むというのは、戦車を相
手に自動小銃一丁で挑むような気分だった。
「しかし、何だ? さっきからのこの感覚は……?」
被弾しないようにセイバーを飛翔させながらそう呟いたシャアは、頭に重く圧し掛かるよ
うな圧力を感じていた。それは、“プレッシャー”と呼んでいるものである。そのプレッシャ
ーが、一帯に立ち込めているのをシャアは感知していた。
シャアには、サイコガンダムという知識がある。データベース上で知っただけで、実際に
目にしたわけではないが、デストロイのサイズや外見から、シャアは自然とサイコガンダ
ムを連想していた。
シャアがサイコガンダムを連想したのは、サイコガンダムがサイコミュ搭載型のニュー
タイプ専用機だからである。サイコガンダムのパイロットはニュータイプないし強化人間
であり、そういうパイロットはプレッシャーを放つものである。そのサイコガンダムを連想
させたデストロイにも似たようなシステムが積まれていて、それがシャアにプレッシャー
を与えているのではないかと推察したのだ。
「……いや、違うな」
しかし、シャアは暫くしてから気付いた。プレッシャーはデストロイから感じるものではな
い。シャアは、プレッシャーにどことなく覚えのある雰囲気を感じ取っていた。
デストロイは砲撃の矢面に立ち、集中砲火を受けている。流石に少しずつダメージは通
っているようだが、足止めにまでは至っていない。決死の防衛線は地道にデストロイにダ
メージを与えながらも、しかし、確実に後退していた。シャアも、何とかデストロイを止めよ
うと接近を試みるのだが、ウインダムの妨害によってなかなか上手くいかない。
「このままではベルリンも焼かれるな……!」
シャアはそう口にして、自らの危機感を煽った。
ふと、ハイネやシンはどうしているか気になって、シャアはあちこちに目を配った。
最初に目に入ったハイネのグフ・イグナイテッドは、シャア同様にウインダムに対応しな
がらデストロイへの接近の機会を窺っている。その一方で、シンのインパルスは何やらそ
わそわして落ち着きの無い挙動をしていた。
シャアは、シンが何を考えているのか大体分かっていた。シンは、フリーダムを探してい
るのだ。ミネルバが到着した時、出撃前はデストロイと戦っている様子が確認できたフリー
ダムの姿が見当たらなかった。だから、フリーダムに異常な執着を見せるシンは、それを
探してデストロイどころではないのだ。
「全く!」
辟易するシャアの前で、案の定、何処からか戦線に復帰してきたフリーダムがデストロ
イへの攻撃を再開すると、インパルスはいきり立つような仕草を見せた。だが、それに気
付いたハイネがすぐさま宥めに入り、インパルスはフリーダムを睨みつけながらもデスト
ロイの進撃阻止に力を注いだ。
或いは、ハイネからきつい叱責を受けたかもしれない。出撃前、暗に釘を刺されていた
だけに、ハイネはシンの僅かな独断専行も決して許しはしないだろうとシャアは思った。
「いくら見込みがあっても、あれでは……」
しかし、そう詰るシャアも、他人のことは言えなかった。
「……Ζ!?」
それを目にした時、シャアは思わず声を上げて見入っていた。それまで、封印でもして
いたかのように頑なにウェイブライダー形態で戦い続けていたΖガンダムが、初めてモビ
ルスーツ形態で現れたのである。
「カミーユ……?」
シャアは、そこでプレッシャーがカミーユのものであったことを悟った。すぐにそう気付
けなかったのは、それまでとは少し異質な感覚があったからだ。しかし、悪い感覚ではな
い。シャアは、その異質さに予感めいたものを見出したのだ。
だが、カミーユに気を取られたことでシャアにも隙が生まれていた。
「後ろだ、クワトロ!」
俄かに耳を劈いたハイネの声にハッと我を取り戻し、シャアは素早くセイバーを反転さ
せつつビームライフルのトリガースイッチに指を添えた。反転した先では、ビームサーベ
ルを抜いて猛スピードで肉薄するウインダムが迫っていた。
「うっ!」
ウインダムが水平にビームサーベルを振り抜く。セイバーは腰を曲げて屈むような体
勢になってビームサーベルを紙一重でかわし、その腹に二発のビームを撃ち込んだ。
コックピットを撃ち抜かれ、パイロットは即死した。シャアはスパークするウインダムを、
デストロイに向けて蹴り飛ばした。
ウインダムはデストロイに激突する寸前に爆散した。その衝撃で前のめりになったデス
トロイが大量のミサイルで反撃するも、シャアはそれを冷静にかわした。
「クワトロまでどうした!?」
「すまない!」
ハイネに叱責気味に言われ、シャアは素直に詫びた。
「こんなことでは、シンをどうこう言えん……」
自戒するシャアは、デストロイの攻撃に集中するよう自分に言い聞かせた。今はカミー
ユに構っていられる時ではない。デストロイはダメージを負いつつあるとはいえ、まだ都
市を殲滅するだけの十分な力が残されているのだから。
「フリーダムがやっていたようにビームサーベルによる直接攻撃に活路を見出すしかな
いが、そのためには一つずつ砲門を潰していくしかないか……」
時間は掛かるが、それしか方法は残されていない。シャアはビームサーベルを抜刀状
態にしつつ、ビームライフルで迫撃をかけた。
カミーユはアウル、スティングと合流し、共にデストロイに向かった。
しかし、デストロイは芳しくなかった。フリーダムを相手に遮二無二に攻撃を仕掛け、多
くのエネルギーやミサイルを浪費していた。その上、集中砲火を凌ぐために常に展開して
いた陽電子リフレクターにも、ダメージの蓄積による不具合が見られるようになっていた。
そして、ここへ来てミネルバが加わり、更に抵抗は激しくなった。ダメージも、かなり蓄
積されてきている。加えて、長時間の戦闘はパイロットであるステラ自身にも激しい消耗
を強いていた。デストロイの稼動限界は、確実に迫っていた。
アビスの足取りが速くなった。アウルが焦っているのだ。そのくらい、デストロイは目に
見えて窮地に立たされているように見える。
カミーユは一寸、赤い色のセイバーというガンダムに通信を繋ごうかと考えた。シャアに
事情を説明して、助力を請おうと思ったのだ。しかし、先日の交渉の場での記憶が、躊躇
わせた。
(今さら……)
騙し討ちのような形でシャアを裏切ったのだ。今さら記憶が戻ったからと言って、おいそ
れと信用が得られるとは到底思えない。カミーユとて、恥くらいは知っている。
考えている間にもデストロイはビームを乱射し、ベルリンの市街地に接近していた。そし
て、その流れ弾が市街地に飛び込んで、街を破壊した。
ビームは樹木を燃やし、石と鉄を溶かして蒸発させ、着弾すると爆風で周囲を吹き飛ば
した。その爆発で飛び散った破片は幹の太い木さえも薙ぎ倒し、住居やビルの壁に大き
な穴を開けた。運の悪かった何人かの避難民は、その一連の流れの中で負傷し、或いは
即死したり炭化したりした。ベルリンを焼くビームは見る間に増えていき、ベルリン外縁部
はあっという間に炎に包まれた。
デストロイは、限界が近づいた今になって市街地に到達しようとしていた。
人々の悲鳴や苦悶が、生理的な感覚となってカミーユの脳を刺激するように響いた。そ
の中に、甲高い動物の鳴き声のような喘ぎ声が混じっていて、それが耳鳴りのように反響
する。それが、心神耗弱に陥りかけているステラの救いを求める声であることを、カミーユ
は察していた。
ステラを、何とかデストロイのコックピットから出したい。しかし、状況はそれを許してくれ
るほど穏やかではなかった。集中砲火を続けるザフト以上に、カミーユはフリーダムを警
戒した。
デストロイの無差別攻撃が、ベルリンの被害を拡大していく。それを見て、手段を選んで
いる場合ではないと悟ったキラの腹積もりを、カミーユは鋭敏に察知していた。
いくつかの砲門は焼き切れていて、デストロイに当初ほどの勢いは無かった。キラはビ
ームサーベルを抜き、砲門が沈黙したことによってできた砲撃の隙間を突いて、デストロ
イへと肉薄した。そして、素早く正面へと回り込むと、その刃を胸部のスキュラ目掛けて
振り上げたのである。
「させるかよ!」
刹那、カミーユは直感的にビームライフルのトリガースイッチを押していた。長い砲身か
ら、貫通力の高い、細いメガ粒子ビームが放たれて、フリーダムの眼前を突き抜けた。
メガ粒子砲の残滓が、キラのメットのバイザーを彩った。得体の知れない悪寒がキラの
パイロットスーツの下の肌を粟立てて、咄嗟にデストロイの前から飛び退いていた。防衛
本能が、キラをそのように突き動かしたのだ。
射線元に目を転じる。見慣れないモビルスーツが狙っているのが見えた。
「連合の新型ガンダム……?」
キラは呟いて警戒感を強めた。問題なのは、新型であるということではない。Ζガンダ
ムから漂ってくる異質な感覚が、キラを本能的に警戒させていた。
カミーユは、更にフリーダムをビームで追い立てた。警戒を強めるキラは、意識をΖガ
ンダムの方にも割かなければならなかった。カミーユは、それを歓迎した。
「アウル、スティング! フリーダムは僕が引き受ける! 二人はその間にステラを!」
カミーユはそう叫んで、一人飛び出した。
「よく言ったカミーユ! 骨は拾ってやるぜ!」
「死ぬかよ!」
アウルの茶々は、半分は本気だろうなと思いつつ、カミーユはフリーダムへと仕掛けた。
生半可な技量の相手ではない。シャア・アズナブル、アムロ・レイと伝説級のパイロット
をカミーユは目の当たりにしてきたが、フリーダムにはその二人に比肩するほどの脅威を
感じた。
特に、反応速度が凄まじい。時々、超高性能な自律型コンピューターが動かしているの
ではないかと思えるほどの反応の鋭さを見せることがある。機械のように正確無比で、超
人的な反射神経を持つ。
「コーディネイターか……!」
人間であるだけ、攻撃や動きに意思がある。カミーユはその思惟を事前に感じ取って、
フリーダムの人間離れした動きに辛うじて対応していた。
「けど、いつまでも相手はできない……! 急いでくれよ、二人とも!」
バラエーナの光がΖガンダムの頭上を掠めた。カミーユはその眩さに目を細めた。
余裕は失われていた。絶対的な攻撃力と防御力を誇るデストロイは、猛烈な攻撃を受
けてダメージを蓄積させ続けた結果、最早機能停止寸前にまで追い詰められていた。
「何で……!? どうして……!?」
ビームの発射ボタンを押しても、キレの悪い小便のようなビームしか撃てなくなってい
た。ミサイルは底を尽き、半数近くの砲門は焼き切れて使い物にならなくなっている。最
初は、まるで玩具のように見えていたモビルスーツの群れが、今は腹を空かせた獰猛な
狼のように見えていた。
「あうっ!」
衝撃が、ステラを襲った。ベルトが身体に食い込んで、ミシミシと音を立てた。ステラは
画面を睨み付けたが、その瞳には既に恐怖の色が混ざっていた。
デストロイの各所に三基装備された陽電子リフレクターであったが、バックパックの装
置はフリーダムに斬られた時にブレイクダウンしていた。ステラはそれを、腕部を切り離
し、遠隔操作するシュトゥルムファウストに搭載された陽電子リフレクターでカバーして
いたのだが、最早それもエネルギーが尽きたり、撃破されるなどして使用不能になって
いた。
止められないと思っていたデストロイが目に見えて弱体化しているのを見て、ザフトは
気勢を上げていた。バクゥ・ハウンドは、陸上の機動力では比肩するものは無く、雪上で
もその機動力は変わらなかった。犬を模したような頭部の口腔部に当たる部分からビー
ムブレイドを発生させたバクゥ・ハウンドの部隊は、一斉にデストロイの足元に襲い掛かり、
一撃離脱の戦法でその足の駆動間接部分を連続で斬り付けていった。
堅牢な装甲で守られているとはいえ、ビームで焼き切られれば金属は溶融し、ダメージ
は通る。そして、自重を支える強靭な駆動間接であってもそれは避けられず、アキレス腱
を切られたデストロイは尻餅をつくように倒れた。
デストロイはそれでも上体だけを起こし、口腔部のツォーンや胸部の三連装スキュラで
無我夢中に抵抗した。しかし、そのビームがベルリンの街に飛び込むと、状況は更に悪
化した。空からはバビに集団で襲い掛かられ、地上ではザク・ウォーリアやバクゥ・ハウ
ンドの群れが行き交い、デストロイを攻撃し続ける。動けなくなったデストロイは、囚われ
のガリバーのように小人からの容赦ない攻撃を受け続けていた。
「やめて……やめて……!」
群がってくる敵、敵、敵。画面は、どこを見ても銃口をこちらに向けている機械人形だ
らけ。世界中の全ての人間の敵意が、自分だけに向けられているようだった。
「助けて……助けて……!」
ステラは無意識の内に懇願していた。デストロイのコックピットは、あまりにも孤独だっ
た。押し寄せてくる無機質な単眼の群れは、自分を殺しに来た殺人マシーンなのだとス
テラは思った。
細かい振動と、時折大きな振動が起こる。ミシミシとコックピットの周辺が軋む音を立
てて、ステラはとうとう操縦桿から手を離した。
「ひっ!?」
何かが爆発する音がして、ステラは身を竦ませた。その拍子に失禁してしまったのだ
が、ステラはそのことを気にしている余裕すら失っていた。
振動と、爆裂音と、軋む音。画面は乱れて、コックピット内にある無数のランプも次第
に消えていく。徐々に押し寄せてくる闇と、どこにも逃げられないコックピットの閉塞感。
ステラは膝を抱え、それに耐え続けた。
だが、それも長くは続かなかった。
「あはっ……あはははっ……」
どうしようもなくなると、笑うしかなくなった。
コックピットの軋む音が大きくなっていく。それに比例して焦燥感も煽られた。その音
は、死が近づいてくる足音だと思った。
(死にたくない、死にたくない、死にたくない……!)
死に抗おうと、ステラは何度も心の中で唱えた。声に出すよりも、心で念じた方が誰か
に伝わるのではないかと期待していた。
だが、それは虚しい抵抗であった。金属がぶつかり合うような、一際大きな音がしたか
と思うと、突然正面のスクリーンが消えた。
「いやーっ!」
コックピットの闇が、一気に濃くなった。その瞬間、ステラは堪えきれずに悲鳴を上げ、
再び操縦桿を握り、出鱈目に攻撃ボタンを連打していた。
沈黙していたデストロイが、再びビームを撃ち始めた。ザフトの軍勢を相手に決死の抗
戦を続けていたスティングとアウルは、それを見てステラがまだ生存していることを確信
した。
しかし、出鱈目に撃つビームは、ベルリンの街に更なる被害をもたらした。それは、ザ
フトがデストロイへの攻勢を強めることを意味していた。
「もう止めろ、ステラ!」
アウルは、その状況を阻止すべく叫んだ。だが、半狂乱に陥っているステラに、その声
は届かなかった。スティングと共にデストロイの防衛に力を尽くしてはいる。しかし、それ
も焼け石に水でしかなく、寧ろアウルたち自身も窮地へと追い込まれていた。
「後方部隊の援護は期待できねえ……!」
スティングは横の画面を一瞥すると、チッと舌打ちをした。デストロイが弱体化し、動け
なくなったことで、ザフトは集中していた戦力を分散し、後続の詰めの連合軍部隊を封じ
込めに掛かっていた。現状、最前線のスティングたちは孤立無援の状態である。
「くそっ! コーディネイターどもなんぞに……アウル! 無理矢理でもいいからステラ
をデストロイから引っ張り出せ!」
スティングは窮境に苛立ちながらもザフトの攻撃に抵抗し、アウルに怒鳴った。
だが、その時だった。スティングの前に立ちはだかったバビの頭部を、不意にビームが
一閃した。
「な……!?」
そして、次の瞬間、スティングが驚いている間も無く立て続けに降り注ぐ無数のビーム
が、次々とザフトのモビルスーツを射抜いていった。
スティングは、その手口に覚えがあった。武器やスラスター、それにモビルスーツの目
である頭部など、戦闘能力だけを間引いて無力化する戦法は、もう何度も目にした光景
であり、スティング自身も体験済みの行為であった。
「フリーダムだと……?」
それまで連合軍の侵攻作戦の妨害に当たっていたフリーダムが、突如手の平を返し、
今度はその矛先をザフトへと向け始めたのだ。
スティングは、その光景に唖然とした。ザフトは味方だと思い込んでいたフリーダムの
突然の敵対行為に混乱し、浮き足立っている。お陰でスティングたちへの攻撃は沈静化
したが、フリーダムの行動は全く理解できなかった。
「スティング!」
そこへ、フリーダムと交戦していたカミーユのΖガンダムが合流した。スティングはカミ
ーユに向かってフリーダムを指し、「どういうつもりだ、ありゃあ?」と聞いた。
「俺たちを助けるつもりらしい」
カミーユはそう言いながらヘルメットを脱ぐと、「全く……」とぼやいて髪をかき上げた。
「急に目の前から消えたと思ったらアレだ……フリーダムのパイロットは、なるべく人死
にを少なくして戦闘を終わらせたいと思っている。信じられるか? 敵も味方も関係なくさ」
「それがフリーダムの魂胆だってのか? おめでたい奴だぜ!」
「そうだけどさ」
そうぼやくカミーユは、いつもより愚痴っぽく感じられた。
「何にせよ――」
スティングは、ふと後ろのデストロイに振り返った。デストロイは暫く前から再び沈黙し、
今はその巨体を雪の上に横たえていた。
「この状況を利用して、とっととずらかろうぜ」
デストロイにはアビスが取り付いていた。そのアビスのコックピットは開いていて、アウ
ルがデストロイのコックピットに向かっている様子が見えた。
ステラは涙も鼻水も垂れ流したまま、膝を抱えて丸くなっていた。コックピットの中は、
僅かな明りしか灯されていない。画面も殆ど死んでいる。無機質な機械音の中に、ステ
ラの鼻を啜る音が時折混じっていた。
肌寒くて、身体が震えていた。いずれ誰かが自分を殺しにやってくるのかと思うと、怖く
て仕方がなかった。
少しして、外側から強制的にハッチを開く音が響いた。ステラはいよいよ覚悟を決め、
震える手に銃を持った。
ブシュッという空気の抜ける音がして、そぞろにハッチが上がっていく。そして、視界に
人のシルエットが入った瞬間、ステラは思い切ってトリガーを引いた。
「うわーっ!」
バァン、パァン、パァン――ステラはギュッと目を瞑り、何度もトリガーを引いた。乾いた
発砲音が響き、やがて、カチッ、カチッ、という弾倉が空になった音に変わった。
辺りが静かになる。ステラは徐に瞼を上げ、様子を窺った。
コックピットの入り口には誰も居ない。弾が当たったのだろうか――そう安堵した瞬間、
突然人のシルエットが視界の端からにゅっと現れた。
心臓が止まりそうなほどびっくりした。慌ててナイフを取り出し、そのシルエット目掛け
て無我夢中に突きを繰り出した。
「うわっ!?」
悲鳴を上げながらも、シルエットは素早くかわして見せた。そして、再び突こうとしたス
テラの手首を掴んで、力任せに押さえ込んできた。
掴まれた手首が締め上げられて、痛みが走った。その痛みにステラは余計に逆上して、
力の限り暴れた。まだ自由な左手で拳を作り、めちゃくちゃに相手を殴りつけた。
しかし――
「ま、待てっ! 分かんないのかよっ!?」
碌に相手の顔も確認せず、思いっきり殴りつけた。だが、酷く慌てた様子で制止する声
は、良く聞いてみれば覚えのあるものである。そこに至ってステラは、ようやく相手の顔を
確認した。
「……アウ、ル?」
少しの間を置いて、確かめるようにその名を呼ぶ。目が慣れてきたステラの瞳に映った
のは、アウルの痣だらけになった顔だった。
「思いっきり殴りやがって、このバカ女!」
アウルの怒鳴り声も、あまり耳に入ってこない。ステラは固まってしまったかのようにア
ウルの顔をジッと見つめていた。
その眼差しが、微かにアウルの頬を赤くさせた。だが、やがて何かを悟ったアウルは、
愚痴るように一つ舌打ちをした。
「……カミーユじゃなくて、悪かったな」
アウルは、不満そうに口をへの字に曲げつつ、ステラをコックピットから引き上げた。
外に出たステラの目に、見慣れないモビルスーツが映った。カオスと共にデストロイを
守るように立っている。カラーリングのせいかもしれないが、ステラは何とはなしにそれ
にカミーユが乗っているのではないかと思った。
アウルは、Ζガンダムを見上げて呆然としているステラを見て、また舌打ちをした。
「分かっちゃいたけどさ。お前を心配してるのはカミーユだけじゃねーっつーの」
アウルは、聞こえるか聞こえないかの微妙な大きさの声で、わざとらしく呟いた。
「……知ってるよ」
どうせ聞こえてないだろうと高を括っていた。だから、ステラからの反応に驚いた。
ステラはそっぽを向いていたアウルの正面に回りこむと、にっこりと童女のように微笑
んだ。
(コ、コイツ……)
正視できない。アウルにとって、そのステラの穏やかな微笑みはあまりにも眩しかった。
そして、次の瞬間、アウルの想定を更に越えた出来事が起こった。
「えっ!? お、ちょ……」
突然のことに、すぐには頭で理解できなかった。その実感を得られたのは、ステラの綿
のような髪がアウルの頬を撫でた時だった。気付けば、ステラが抱きついていた。
心臓が、今にも爆発しそうなくらい高鳴っていた。全身が焼けているように熱い。ベルリ
ンは肌を刺すような氷点下の極寒なのに、自分だけ灼熱の砂漠のど真ん中にいるような
気分だった。
微かに塩っぽい香りがした。その香りが、媚薬のようにアウルの頭をくらくらさせた。
(よ、よし……!)
アウルは、そぞろにステラの背中に腕を回した。華奢なその身体を想像し、一段と胸が
高鳴った。何だか、今なら行けそうな気がした。
だが、その身体を抱き締めようとした時、不意にステラが口を開いた。
「アウルも、カミーユも、スティングも、みんなステラを助けてくれた。仲間、仲間だよ!」
ステラが弾むようにそう言った瞬間、アウルはハッとなって回しかけた腕を止めた。
(そ、そういうことかよ……)
抱擁の意味を知って、アウルは脱力した。ステラのピュアな声を耳にして、自分が酷く
不埒で破廉恥に思えた。
(コイツが子供なだけのか、僕がふしだらなだけなのか……)
いずれにせよ、こんな状況でステラを抱き締めることは出来ないと思った。
「おい、お前ら」
その時、不意にスティングから外部スピーカーで呼びかけられ、アウルはビクッと身体
を震わせた。アウルはすっかり二人の存在を忘れていて、また心臓が飛び出しそうにな
った。
「な、何だよ!」
アウルは振り返り、粗暴に答えた。カオスの顔が、どこか呆れているように見えるのは
気のせいだろう。
「ボナパルトからの後退信号はとっくに出てんだ。いつまでもイチャイチャしてねえで、
とっとと帰投するぞ」
「べっ、別にイチャイチャなんかしてねーよ! こりゃあ、ステラが勝手に!」
アウルは惜しいとは思いつつも、スティングの茶々を否定しようとステラを乱暴に突き離
した。
分かり易い奴だな、とスティングは内心で笑う。そうして微笑ましさに一寸だけ目を細め
ると、視線を前方に戻した。
「……へっ! このまま連中で潰し合ってくれりゃあいいぜ」
ザフトはもう攻めて来ない。否、攻めてくることが出来ない。何せ、あのふざけた強さを
誇るフリーダムを相手にしなければならないからだ。デストロイが沈黙したことが合図と
なったかのように、フリーダムはその攻撃対象を今度はザフトに定めた。
傍から見ている分には、楽しめた。フリーダムは疲れた様子も見せずに相変わらずの
強さを見せつけ、ザフトを相手に大立ち回りを演じている。機体を爆発させずに、戦う力だ
けを奪っていく戦法は、さながらアクション活劇の殺陣を観劇しているようだった。そして、
何よりも中には仇敵であるミネルバも含まれている。これが、ほくそ笑まずにはいられな
かった。
少しして、アウルとステラがアビスへの搭乗を完了した。スティングが二人に先に帰還
するように促すと、アウルは一寸訝ったが、ステラとコックピットで二人きりというシチュエ
ーションが恥ずかしいのか、慌てたように後退していった。
それを見届けると、スティングはΖガンダムに視線を移した。Ζガンダムは、食い入るよ
うに戦闘に見入っていた。それが、スティングに違和感を与えていた。
カオスのマニピュレーターをΖガンダムの肩に置いた。接触回線以外で、モビルスーツ
同士でこんなことをする意味は全く無いのだが、スティングはあえて擬人的な動きをカオ
スにさせた。
「来るよな、カミーユ?」
どこかカミーユの腹を探るようなスティングの言葉だった。カミーユが、今にもザフトとフ
リーダムの戦いに飛び込んで行きそうだったからというのもある。しかし、一番の要因は、
カミーユの雰囲気がそれまでと明らかに変わったように感じられたからだった。
(カミーユは、記憶を取り戻してるのかも知れねえ……)
それがスティングの腹だった。
数拍の間を置いて、Ζガンダムの頭部が振り向いた。その双眸がグリーンの光を淡く瞬
かせると、「そりゃあ行くさ」というカミーユの返答があった。その途端、スティングの妙な緊
張は解け、安堵が生まれた。
Ζガンダムとカオスはモビルアーマー形態に変形し、先行して帰還したアビスを追った。
カミーユはリニアシートから身を乗り出して後方を見やり、「クワトロ大尉なら、大丈夫だ
とは思うけど……」と呟いた。
戦闘の光は、まだ暫くは消えそうに無かった。
相変わらずの凄まじい強さでザフトを蹂躙する。フリーダムは例の如く戦闘能力だけを
奪い、止めは決して刺さない。
シャアは、その戦法が鼻持ちならなかった。その高潔な志は理解しつつも、それは高慢
な人間のすることだと思えたからだ。フリーダムは、自分以外を明らかに見下しているよ
うに見えた。
今や連合軍は撤退していた。そして、その撤退の間にフリーダムによって無力化された
ザフトは数知れず。その結果、それまで曖昧な位置づけにあったフリーダムは、遂に完全
な敵として明確に認定されたのである。
そのフリーダムに対し、烈火の如く果敢に挑むはシンだった。
「アンタは一体、何なんだ!?」
もう、何も気兼ねする必要は無い。フリーダムの暴挙も、シンにとっては自己を正当化
するための都合の良い口実でしかなかった。
ベルリン駐屯軍は、対デストロイ戦で疲弊しきっていた。シャアとハイネはアークエンジ
ェルやムラサメの対処に当たっている。フリーダムに対抗する戦力は、己のみ。シンにと
って、願っても無い巡り合わせだった。
ビームサーベルで何度も斬りかかる。枷の外れたシンは、衝動の赴くままひたすらにフ
リーダムを攻撃し続けた。
対し、フリーダムは先ほどまでの一騎当千状態とは打って変わって、インパルスに対し
ては防戦一方だった。シンの攻撃に対しても、回避やシールド防御ばかりで、反撃も儘な
らない。
しかし、それはシンに力負けしているからではない。そこには、キラの個人的な主義が
あった。
キラは、何とかインパルスの隙を見つけて、抵抗できないように組み付いた。目的は、
接触回線による直接通信だった。
「止めてくれ!」
キラは必死にシンに呼び掛けた。
「君の相手はしたくないんだ!」
「フリーダムの声……?」
意図してなかった呼び掛けに、シンは眉を顰めた。
誠実そうで人当たりの良さそうな、若い男の声だった。しかし、その人畜無害な感じが、
寧ろシンの神経を逆撫でた。
極悪非道なフリーダムのパイロットが、こんな声をしていて良い筈がない。もっと下衆
で下品な口調で罵詈雑言を浴びせてくるようでなくては――だが、シンの耳に聞こえてく
るのは、真面目そうな青年の、切実な思いが込められた声だった。
シンは、それが気に食わなくて仕方なかった。しかし、フリーダムを無理矢理に引き剥
がそうとするも、パワーの違いかビクともしない。
「君を相手に上手く手加減して止められる自信が無い。僕たちは、ただこの戦いを止め
させたかっただけなんだ。だから、このまま大人しく引いてくれ。もう、これ以上犠牲者を
増やす必要は無いだろう」
「な、何だと……!?」
「討ちたくない……討たせないで」
シンは一瞬、我が耳を疑った。
(コイツは一体、何を言ってるんだ……!?)
シンにとっては、衝撃的な発言だった。キラの言い分だと、まるで自分の方が圧倒的に
実力が上で、やろうと思えばどうとでもなると言っているようにしか聞こえなかった。
しかし、頭にきたのは、そんなことではない。
シンはフリーダムの腹に蹴りを入れて強引に突き放し、再びビームサーベルを振るった。
「――ふざけるなっ!」
激昂が口から吐き出された。堪え切れない激しい憤りが、シンの身体を食い破って出て
きたかのような声だった。
「アンタは殺したじゃないか! 何の罪も無い、無力な人々を! 何人も!」
「な、何を……!?」
インパルスから聞こえてきた、自分よりも若い少年の声。その理解できない、ただ事では
ない怒りに、キラは動揺した。
インパルスの、勢いだけの斬撃。出鱈目とも思えるビームサーベルの太刀筋は、しかし、
逆に予測が難しく、キラを後手に回らせた。
(違う……! それだけじゃない!)
何度目かの攻撃を受けて、フリーダムのシールドのビームコーティングが次第に限界を
迎え始めた。インパルスの刃が、少しずつフリーダムのシールドを抉っていく。
それは、シンのパイロットとしての次元が、キラに近づきつつあるということの証左だった。
それまではフリーダムの力を当て込んで、その天才的なパイロット技術で以って他を圧
倒してきた。誰も死なずに戦いが終わるなら、それに越したことはない。
だが、それが通用しない相手が現れた。インパルスは遭遇するたびに強く、そして執拗
になっていった。インパルスの存在は、今やキラにとって頭痛の種となっていた。
殺す気で掛からなければ、止められない。だが、それは最後の手段であり、本意では
ない。
(何とか戦いを避けられないのか……!?)
キラはもう一度、シンに呼びかけた。
「待ってくれ! 僕が一体、君に何をしたって――」
「二年前、オーブでえっ!」
シンの咆哮が轟く。その時、遂にインパルスのビームサーベルがフリーダムのシール
ドを切り裂いた。
危険を察知した。インパルスが再度ビームサーベルを振り上げた姿を見た時、次にそ
れに切り裂かれるフリーダムのイメージが浮かんだ。
咄嗟だった。キラは自分でも覚えてないほどの早業で、機体を敵に突っ込ませた。
タックルして、そのままスロットルを全開にしてインパルスを岩に叩きつける。大きな衝
撃は、しかし、フェイズシフト装甲同士の両機にさほどのダメージを残さない。
純粋なパワーならフリーダムの方が上だった。インパルスはフリーダムに押し込まれ、
もがき苦しむように手足をばたつかせた。
だが、これでは何の解決にもならない。インパルスの双眸が尚も強い光を放っている
のを見て、キラは覚悟を決めたように唾を飲み込んだ。
インパルスのマニピュレーターが、フリーダムの肩を掴んだ。ハッと息を呑んだ瞬間、
シンの地獄のマグマを啜ったような苦々しい声がキラの耳に運ばれてきた。
「……俺はあの時、オノゴロ島から逃げてる途中だった……! みんな、必死だったん
だ……! いたんだよ、アンタが戦っている下で、俺や……俺の家族が……!」
シンの声は静かながらも、深い憎しみと怒りに満ちていた。
それは、いつ味わっても慣れることの無い、嫌な感覚だった。キラの脳裏に仮面の男
の顔が過ぎると、次に二年前のオーブでの戦いが蘇ってきた。
オーブの解放を謳った連合軍の侵攻に抵抗した戦いだった。様々なことがあった戦い
だったが、その結果、オーブは連合軍に占領され、ユニウス条約が締結されるまで大西
洋連邦の支配下に置かれることとなった。
あの時は、抵抗することだけで精一杯だった。連合軍の物量の前にオーブの防衛は絶
望的で、結局は敗走のための戦いでしかなかった。
(彼が、あの時の当事者……?)
回想から戻ると、いつの間にかインパルスがフリーダムを押し返す兆しを見せていて、
キラは慌てて戻しかけたスロットルを押し込もうとした。
「でも、アンタの戦いに巻き込まれて、みんな死んだ……! 俺の両親も、妹も……俺
だけが生き残ったんだ……! ――アンタに! 家族を殺したアンタに復讐するために、
俺は!」
刹那、インパルスの胸部チェーンガンが火を吹いていた。
その声に怯んだからなのか。キラは驚き、思わずスロットルを緩めてしまった。
シンはその隙を見逃さなかった。一気にフリーダムを突き放し、ビームライフルで何発
もビームを浴びせた。
片やキラはビームサーベルを抜き、インパルスの放った直撃弾を全て弾いた。その奇
跡のような神業は、シールドを失ったが故の苦肉の策である。
しかし、その曲芸まがいが逆にシンの怒りの炎に油を注いだ。
「アンタが殺したんだ! あの時! そのモビルスーツで! その手で! なのに……!」
シンは全身を強張らせた。怒りが強すぎて、身体の震えが止まらない。
「討ちたくないとか、戦争の道具(モビルスーツ)使って甘ったれたことを抜かすなあっ!」
シンは涙していた。こんな、戦争に対する覚悟も持たない人間に家族を殺されたのかと
思うと、悔しくて仕方なかった。
支援
ビームライフルを放り捨て、ビームサーベルを抜いてフリーダムに迫る。
ビームサーベルで決着を付けることに、拘りたかった。そうでなければ、二年前にオノ
ゴロ島で死んだ家族の無念に報いることにはならないと思い込んでいた。
「アンタに分かるか!? マユは腕だけで、血のにおいしかしなくて……あんなに……
あんなに元気だったのにいっ!」
フリーダムはビームライフルで抵抗した。だが、最早シンに避けるという思考は存在し
ていなかった。シールドでビームを防ぎつつ、一直線にフリーダムに迫る。
キラの狙い済ました一撃が、インパルスの左肩間接を射抜いた。しかし、左腕がもげ
落ちようとも、奥まで押し込んだレバーを持つ手は一切揺るがない。
そして、インパルスの全加速を乗せた体当たりが、フリーダムに炸裂した。
凄まじい衝撃がシンを襲った。ベルトが骨を軋ませるほどに食い込み、その激痛に思
わず顔を顰めた。しかし、シンはその痛みを気力で即座に克服した。
フリーダムは雪面に倒れたのだ。またとない好機が、そこに転がっている。痛がってい
る暇など、一瞬たりとも無かった。
「逃がさない! みんなのカタキだーっ!」
フリーダムに向かって、大きく跳躍した。その怒りと憎しみの全てを刃に乗せて、シンは
フリーダムに止めを刺すべく躍り掛かった。
「……あぁっ!?」
だが、次の瞬間、シンを待っていたのは仇討ちの成就ではなく、自らに向けられた銃口
だった。
それは、怒りに身を任せたが故の不覚だった。必要以上の大きな跳躍はキラに十分な
時間を与え、逆転を許す好機を献上する結果となった。
インパルスは既に落下軌道に入っていた。全開のバーニアに自重を乗せた加速は、今
さら軌道を変えることも叶わず、ただ一直線にフリーダム目掛けてビームサーベルを振り
かぶる。その先に待つ、絶対的な死の予感を与えながら。
シンの顔が凍りつく。波が引くように怒りが消えていき、そして、次に押し寄せてきた大
波は、心の全てを支配してしまうほどの絶望だった。
(俺も、殺されるのか……?)
避けようのない死を前に、シンは慄然とした。
(父さん、母さん、マユを殺したのと同じ奴に……)
――復讐からは何も生まない。ただ、虚しさを煽るだけなのだ
いつかのシャアの言葉が、脳裏を掠めた。
(復讐に、殺される……)
それが憎しみに身を焦がした者の末路なのか。悟ったシンの瞳に映るフリーダムの銃
口には、躊躇いは感じられなかった。
キラに狙いを定めている余裕は無かった。ただ、撃たなければ自分が死ぬ。ハッキリし
ているのは、それだけだった。そして、それを意識した時、キラの指は自然とトリガースイ
ッチに添えられていた。
(迷っている暇は……!)
照準は、インパルスの中心を収めていた。キラは、躊躇う自分が出てくる前にボタンを
押した。
しかし、フリーダムがビームを撃つのと、グフ・イグナイテッドがインパルスを突き飛ばし
たのは同時だった。キラの視界からは白いシルエットが消え、代わりにオレンジの陰が
紛れ込んできた。
一閃のビームが、グフ・イグナイテッドの脇腹を貫いた。一瞬、時間が制止したかのよ
うな静寂に包まれた。
そして次の瞬間、まるで世界が一気に色褪せていくような感覚がした。シンは、その中
でハイネの声を聞いた。
――お前は、復讐鬼なんかじゃねえ。ミネルバ隊所属のザフトレッド、シン・アスカだろ
うが
シンの瞳の中で、グフ・イグナイテッドは内側から弾けるように散った。
――その瞬間、誰かが肩を叩いたような気がした。
「ハイネ……!?」
シャアは、それでハイネが逝ったことを悟った。
相手はバルトフェルドのムラサメだった。いい腕をしていたが、機体の性能差は明白だ
った。シャアは今やバルトフェルドを追い詰める寸前にまで至っていた。
ハイネが逝ったのは、そんな時だった。シャアは一人、人知れず奥歯を噛んだ。
(分かっている、ハイネ……)
横合いからのビーム攻撃を受ける。明らかにバルトフェルドを援護する攻撃だった。シ
ャアはそれをひらりとかわし、カメラを射線元へと向けた。フリーダムである。フリーダム
はシャアに掣肘を加えると、バルトフェルドのムラサメを伴い、アークエンジェルへと後退
していった。
インパルスはグフ・イグナイテッドの残骸が落下した地点で佇んでいた。その足元で、シ
ンが四つん這いになって全身を震わせていた。
シャアはセイバーを着陸させ、機体を降りた。シンは気付いているだろう。しかし、人目
も憚らずに嗚咽を漏らし、むせび泣いていた。
「俺が……俺が身勝手なことばっかりやって……ハイネの言うことも聞かずに、憎しみ
でフリーダムと戦ったから、ハイネは……っ! 俺は……何で……っ!」
焼けて黒焦げになった残骸が余熱で雪を溶かして、その周りだけ黒い地肌が露出して
いた。
シャアはバイザーを上げ、重く圧し掛かるような曇天を仰いだ。つらつらと降る雪は、や
がてそんな残骸やシンの涙でさえも覆い隠していくのだろう。無常だな――シャアの呟き
は、誰にともなく囁きかけられた。
「シン。君は、ハイネの遺志を継いでいかなくてはならない。君は、彼に生かされたのだ
から」
シンは、暫くは立ち上がれそうになかった。いま少しの間は、それで構わないと思う。悔
いる心が無ければ、シンはきっと同じ過ちを繰り返す。
しかし、戦士である以上、いつまでもこのままにさせておくわけにはいかない。例え自力
で立ち上がれずとも、無理矢理にでも立ち上がらせるつもりでいた。それが、ハイネとの
約束でもあるからだ。
だが、そんなシャアの思いは杞憂に終わった。シンは不意に立ち上がると、シャアに促
されるでもなく、自らインパルスに向かった。
その掌(たなごころ)に、銀色の羽を抱いて……
続く
以上、第十四話です
また名前欄表記間違えました
>>55 4/13→3/13です。失礼しました
それでは
GJ!!
乙
投下おつー
Ζがいままで変形してなかったというのは驚き
出番のない↓から離れた後フライングアーマー排除してたけど今付いてるのは……?
/i] /h
|| / ム
|ヽ/;´Д`)_ <ポンポンえぐられて痛いの……
「( つ = ,rュ =)つ
/ ヽ 、ヽ 、\
/___hl__hl__ノ
(___)、__)
前スレ埋まったけど締めのAAってキュゥべえ+キュベレイでキュゥべレイ?w
>>70 白状しちゃうとその辺の整合性はかなり怪しいです
一応説明はできるんですけどやっぱり力量不足によるご都合主義に集約される気がするので
できれば見逃していただきたいと……(;^ω^)
そんなわけで第十五話「潮目が変わる時」です↓
ミネルバに帰還したシャアは、重苦しい空気を感じていた。
「あの……」
セイバーを降りるとルナマリアが駆け寄ってきて、遠慮気味に声を掛けてきた。
シャアは、ゆっくりと首を横に振った。
「ハイネは、もう戻ってこない」
言うと、「やっぱり、そうなんですか……」とルナマリアは肩を落とした。
シャアは、先にモビルスーツデッキに戻っていたインパルスの方を見やった。インパル
スからはシンが降りていたが、友人のメカニック以外は気を使ってか、誰も近づこうとし
ない。
そのシャアの目線に気付いて、ルナマリアもシンの方を見やった。シンは視線を下に
落とし、ヴィーノやヨウランの慰めにも答えずに覚束ない足取りで歩いていた。
「シンは疲れている」
ふと話しかけられて、ルナマリアはシャアの顔を見上げた。
「君も、力になってやってくれ」
シャアは目でルナマリアを促していた。ルナマリアは、「はい……」と小さく頷くと、躊躇
いながらもシンの所へと歩み寄っていった。
シャアはその背中を見送りつつサングラスを掛け、一つため息をついた。
「クワトロさん」
立て続けに声を掛けられる。レイだ。
「少し、よろしいですか? フリーダムのことで相談があるのですが」
レイは真っ直ぐにシャアを見据えていた。悲嘆に暮れるミネルバにあって、レイの眼差
しだけは既に前を見ていた。
「……分かった。着替えたら行くよ」
シャアはそう応じて、モビルスーツデッキを後にした。
スティングはカミーユを観察していた。
アウルはまだ気付いていないだろう。感受性の高いステラは気付いているかもしれな
い。――カミーユは、記憶を取り戻したのではないだろうか。
接している態度はそれまでと変わらないように映る。しかし、それは見せ掛けで、以前
と比べて安定したというか、言葉では表現できないような違和感を覚えた。何とはなしに、
雰囲気が変わったような気がしたのだ。
我ながら情けない推論だとスティングは自嘲した。しかし、カミーユの不安定な言動が
鳴りを潜めたのは確かで、それが意味するのはやはり、記憶の回復ではないだろうかと
思った。
恐れているのは、カミーユが何かを仕出かした場合である。例え記憶が戻ったのだとし
ても、今まで通りでいてくれるのなら良し。逆に、逆上して報復しようとするのなら、その
時は始末しなくてはならなくなる。それはスティングの本意ではない。ステラは勿論、アウ
ルとて表面上はカミーユを嫌って見せてはいるものの、内心では仲間意識を持っている
はずである。できれば、このまま何事もなく平穏無事に済んで欲しい――それが、偽らざ
るスティングの本音だった。
スティングはタイミングを見計らい、カミーユと接触した。思い切って真相を問い質そうと
思ったのだ。カミーユは至って普通のナチュラルである。特殊な訓練を受けたエクステン
デッドであるスティングならば、何かあっても徒手空拳でどうとでもできる。
カミーユは最初、神妙なスティングの態度を怪訝そうに見ていた。しかし、スティングが
躊躇い、言いよどんでいる間に何かを察したのか、不思議なことを言い出した。
「分かってる」
以前からカミーユは不思議と勘が良く、時々、心を見透かすかのような不思議な目をす
ることが間々あった。ステラは、そんなカミーユのミステリアスな部分に強く興味を抱き、
アウルもそのことには何とはなしに気付いていた。今、更にその色が濃くなったように感じ
られる。
スティングはぶしつけに訊ねた。
「お前は誰だ? 俺の知ってるカミーユか、それとも、知らねえ誰かか」
「……どう、言えばいいんだろうな」
カミーユは少し言いにくそうに答えた。
「色々、思い出したんだ。僕はこの世界の人間じゃないし、だから、Ζもみんなのモビル
スーツとは違う。でも、みんなと一緒に戦ってきた記憶はある」
スティングは話を聞きながら、当初のことを思い出していた。
カミーユが“ゆりかご”による記憶操作を受ける前に、一通りの尋問は行われていた。そ
んな中、調査が進んでいく内にΖガンダムの驚異的な技術が判明し、一時は衝撃と興奮
に包まれた。しかし、Ζガンダムに使われている核融合炉を制御する技術の解析が困難
で、その複製がほぼ不可能であることが判明すると、次第に興味が失われ、持て余すよ
うになった。
そして浮上したのが、Ζガンダムとカミーユの処遇の問題だった。得体の知れないカミ
ーユを、上層部は危険と判断するかもしれない。何と言っても、ファントムペインはロゴス
の直属である。カミーユが怨敵であるコーディネイターと同等と見なされれば、どんな下
命があるか分かったものではなかった。
そこでネオは隙を見てカミーユの記憶を改竄し、早々と自軍の戦力に組み込み、上層
部が判断を下す前にカミーユの安全性を証明しようと手を打った。
その後は改竄されたカミーユの記憶に合わせてスティングたちが振る舞い、今まで何と
かやってきた。だが、そんな付け焼刃の関係が、いつまでも続くわけがなかった。所詮、
始まりはネオの苦し紛れの温情でしかなかったのだから。
ネオはお人好しな男であるとスティングは思う。いくら記憶を改竄しても、得体の知れな
いカミーユを自軍に組み込むなど、いつ爆発するかもしれない爆弾を抱え込むようなもの
だ。上層部に処理を任せていたら、カミーユが何をされていたか分からないにしてもである。
しかし、人間とは分からないものだった。最初は面倒でしかなかったカミーユの存在が、
共に戦いを潜り抜ける中で、いつしか仲間と呼べる存在になっていった。
これも、カミーユが持つ不思議な雰囲気の影響だろうか――
(作為的な意図を感じるぜ……ネオ辺りのな……)
スティングは目の前のカミーユに意識を戻した。
「お前はベルリンから撤退する俺たちについて来た。じゃあ、これからも俺たちと一緒に
戦っていくのか?」
「それは……」
カミーユは言いよどんだ。少しでも翻意を示せば、すぐさま取り押さえなければならない。
(大人しく従っとけ! そうすりゃ、お前は今まで通り俺たちとやっていけんだ……)
高まる緊張。その緊張が伝わってしまったのか、カミーユは少し強張りながらも、しか
し、尚も強い意志を秘めた眼差しを変えなかった。
「大佐次第だ。これから会ってくる」
カミーユは背を向け、歩き出した。スティングは、その後姿に強い決意が秘められてい
るように見えた。
「カミーユ!」
咄嗟に声を掛けたスティングに応じて、カミーユは足を止めた。
「俺たちは、お前のことを仲間だと思ってるぜ。アウルもあんなだけどよ、内心ではそう
思ってるはずだ。お前がいないと、ステラも寂しがるしな。ネオもそんなに悪い奴じゃねえ
し、いい結果が出ることを期待してるぜ」
カミーユは顔を振り向けて、「ありがとう」と言ってまた歩き出した。
スティングはそれを見送ると、「歯が浮くぜ」と自分で言ったことに照れた。
対決の時。カミーユが考える選択肢は、二つあった。一つは、このままファントムペイ
ンの一員としてやっていくこと。そして、もう一つはミネルバのシャアと合流するという道
であるが――
全てはネオ・ロアノークという人間次第であった。カミーユは、勝手に記憶を操作された
ことに対して、少なからずの憤りを覚えていた。そうするのがベストだったとしても、やは
りカミーユは許せないのである。奪われた記憶をだしに利用され続けた少女を知ってい
るだけに。
「大佐!」
強い調子でカミーユは入室した。だが、その時ネオは何かの文書に読み耽っていて、カ
ミーユが入ってきても軽く手を上げて応じるだけだった。早々に読み終わりはしたのだが、
どうにもお座成りにされている気がして、カミーユとしてはあまり気分がよろしくなかった。
「丁度いいところに来てくれたな」
ネオはカミーユを見やると、僥倖とばかりに微笑んだ。カミーユはそれが鼻について、
「文句を言いに来るのを分かってて、ですか?」と詰るように聞いた。
「何言ってんだ、お前? いいから、ちょっとこっち来い」
ネオは、まだカミーユが記憶を取り戻したことに気付いていないらしい。それは無理か
らぬことなのだが、軽い態度のネオがどうにも鼻持ちならなかった。
しかし、今ここで逆らっても取り押さえられるだけ。問い質してネオの真意を聞くまでの
辛抱だと割り切って、カミーユは大人しくネオの手招きに従った。
ネオはその間に手元のコンソールパネルを弄って、ドアにロックを掛けた。
(まさか、僕がやって来た理由に気付いて……?)
カミーユは一寸、後方の出入り口を確認した。電動ドアだ。電気が通っている間は、ちょ
っとやそっとの人間の力では開かない。
密室という空間が、否が応にも緊張感を高めた。自然と顔が強張った。
しかしネオは、とぼけているのか、そんなカミーユの緊張した面持ちを怪訝そうに見なが
らも、徐に切り出した。
「ベルリンではご苦労だったな。ところで、一つ頼みごとがあってな……これがちょっと
大きな声では言えないことなんだが――」
「そ、そんなことより大佐!」
カミーユは覚悟を決め、ネオの言葉を遮って思い切って声を荒げた。
「な、何だよいきなり?」
ネオは急なことに戸惑っていた。カミーユは機先を制するように、勢い込んで続けた。
「大佐は、最初から僕を利用するつもりだったんですか!」
「はあ?」
「どういうつもりで僕の記憶に勝手してくれたのか、聞いてんです!」
カミーユがデスクを力いっぱいに叩くと、書類の山が崩れて散乱した。
それでネオは納得がいったのか、「ああ、なるほど」と気楽な感嘆を漏らしたが、すぐに
事の重大さに気付いたようで、途端に顔が引き攣った。
「……あれ? お前、もしかして記憶が戻っちゃったりなんかしちゃったりしてる?」
「戻りましたよ。戻ったから、こうして聞きに来たんじゃないですか!」
「ちょ、ちょっと待て!」
カミーユが拳を振り上げると、ネオは慌てて制止した。
「悪かったとは思ってる。けど、ああでもしなきゃ、お前は何されてたか分かんなかった
んだぞ」
「だからって、薬で眠らせている隙に記憶を弄る人がありますか!」
「戻ったんだからいいじゃねえか」
「そういう問題じゃないでしょ!」
怒りの矛を収めようとしないカミーユに、ネオは愛想笑いを浮かべてお茶を濁すしかな
い。これは相当怒っているようだぞ、とネオは内心でどう切り抜けようかと考えを巡らせて
いた。
……結局、思いつかなかった。こうなったら力技である。ネオは姿勢を正し、威厳たっぷ
りに咳払いをした。
「とにかくだ。無事、お前の記憶も戻ったわけだし、ここは一つ記念に私の頼みを」
「何が記念ですか! 白々しい!」
カミーユも馬鹿ではない。流石にごり押しは無理があったか、とネオは顔を顰める。
しかし、だからと言って、言い含められるような言葉を持ち合わせているわけでもない。
かくなる上は、もう開き直るしか手は無いと観念した。
「じゃあ、お前はどうしたいんだ?」
だが、その開き直りが効を奏した。ネオが聞くと、カミーユは突然、言いよどんでしまっ
たのである。
ネオはそれを見て、すぐに閃いた。
カミーユは迷っている。ネオに文句を言いたい気持ちはあっても、本気でファントムペ
インを抜けたいと思っているわけではないのだ。
(いや、違うな。この様子は、ステラたちに思い入れが出来てしまったと見える。なら…
…)
そうと分かれば、正に僥倖。主導権はネオのものだった。
ネオは、リラックスした様子で椅子の背もたれに身体を預けた。カミーユの腹が読めた
上での余裕である。
その余裕が癇に障ったのか、カミーユは苦虫を噛み潰したような顔をして暫し沈黙した。
そして、悔しそうにしながらも、先ほどよりも控えめのトーンで徐に話し始めた。
「……大佐の出方次第では、ミネルバに行ってクワトロ大尉と合流します」
「俺が簡単に行かせると思うか?」
「そりゃあ――」
「それに、あんなことがあって、今さらミネルバがお前を受け入れると思うか? お前は、
奴らの面子を潰したんだぜ?」
確かにネオの言うとおりだった。あの交渉の場で、一方的にステラを奪還するという暴
挙に及んだ。シャアはカミーユを信頼して交渉を持ちかけたはずである。それを、記憶が
戻りかけていながら、見事に裏切って見せた。そんな自分が今さら、完全に記憶が戻っ
たからといって都合よく受け入れられるとは思わなかった。
カミーユの惑いは、ネオの思う壺であった。その純粋さは羨望に値する美点だとは思っ
たが、ネオはあえてそこにつけ込んだ。
「お前が俺に対して疑いを持つ気持ちは分かる。勝手に記憶を書き換えられたんだ。俺
を信用できないのも、無理からぬ話だ」
「当たり前です」
きっぱりと言い切るカミーユに、「そりゃあ困ったな」とネオは肩を竦めた。
「上司を信頼できない部下がいるようでは、部隊の士気に関わる。本来なら営倉にでも
ぶち込むところなんだが、しかし、俺にも落ち度があることは確かだ。――さてどうしたも
んかそうだじゃあこうしよう」
わざとらしいネオの言い回しに、カミーユは戸惑いと苛立ちを募らせた。こっちは至って
真面目なのに、ネオの言い回しがからかっているように聞こえた。
しかし、次に飛び出してきた言葉には、心底から驚かされた。
「いっそのこと、オーブにでも亡命してみるかい?」
「……はあ?」
連投規制喰らったのか?
とりあえず支援するわ。
ネオが何を言っているのか、分からなかった。ネオは、果たして何を考えているのだろ
うか。仮面で隠された表情からは、今一つ、読み取れない。
ネオはカミーユの反応を内心でほくそ笑みつつ、言葉を繋げた。
「今しがた、解読が終わった。――お前とスティング、それにアウルとステラの四名を亡
命者として受け入れてもらえるようにな」
ネオは先ほどまで読み耽っていたコピー用紙をひらひらと見せながら言った。カミーユ
はその用紙を受け取って、ざっとその内容を流し読みした。そこには、確かにネオの語っ
た内容のことが記されていて、文章の最後にはユウナ・ロマ・セイランの名前も記されて
いた。
「これって……!」
「現在のオーブは元首が空位の状態で、実権は宰相のウナト・エマ・セイランが握って
いる。その息子のユウナ・ロマに、約束を取り付けた。坊ちゃん気質の策略家だが、オー
ブの利益になることに関しては素直な人物だ。その点では信用していいだろう。奴さん、
最新式の核融合炉を搭載したモビルスーツを手土産に持たせるって言ったら、二つ返事
でOKしてくれたよ。ちょろいもんだぜ。どうせ複製なんかできっこねえのによ」
得意気に語るが、饒舌なネオがカミーユはまだ胡散臭く感じていた。勝手に他人の記
憶を弄るような人物が、このようなことを考え付くはずが無いと勘繰っていた。
「何故、そんなことを?」
しかし、当然の疑問をぶつけた途端、ネオは急に神妙な面持ちになって、深いため息を
ついた。それまでの軽い調子から一転、酷く疲れたような、老成したため息だった。
「今回の作戦で嫌になった――って言うのかな」
そう切り出したネオの声色は、疲れ切っていた。
「軍人としちゃ、失格だろうがな。だが、フリーダムの予想外の行動が無ければ、俺は危
うくステラやお前たちを見殺しにするところだった」
後退命令が出されたのは、カミーユたちがまだ前線でデストロイを守っている最中のこ
とだった。ネオはベルリンの攻略が困難になったと見ると、参謀の意見を聞き入れ、全軍
の撤退を止む無く指示した。それは、カミーユたちが前線で取り残されていると知った上
での判断だった。
ネオは、内心ではカミーユたちの全滅を覚悟していた。その上で、どのようにケジメを付
けて償うべきかも考えていた。だから、全員が戻った時には心底から安堵したし、同時に
現状に対しての限界も感じていた。
そんな時、ふと頼ったのがユウナだった。ユウナは如何わしい人物ではあるが、少なく
とも道義心は持ち合わせていた。ネオはそこに縋り、Ζガンダムの核融合炉をだしに、亡
命者受け入れの確約を取り付けた。
「ジブリールは、お前たちのことを兵器の一パーツ程度にしか考えていない。このまま
では、今度はスティングやアウルまでも同じような目に遭わされる。俺は、それが我慢な
らないんだ」
カミーユはつらつらと語るネオの話を聞いていて、何故こんな人がファントムペインの
指揮官なんかをやっているのだろうかと、単純に疑問に思った。
「だったら、そんな人が何で自分も逃げようと考えないんです?」
ネオが本気で現状に嫌気が差したなら、自らも脱走しようと考えるはずだと思った。そ
れが道理だと思ったのだ。
「それは違うぜ、カミーユ」
しかし、ネオの考える道理は違った。
「お前たちのケツを持つのが俺の役目だ。俺まで脱走しちまったら、俺以外の誰かが責
任を負わなきゃならなくなる。そりゃあ、筋違いってもんだろ」
そう言って、ネオは小さく苦笑いをした。
カミーユに、もうネオに対する不信感は無かった。これ以上の追及をする必要も無い。
記憶を改竄されたことも許そうと思った。ネオは信頼できる――そう思えるようになったの
である。
「大佐の考えは、間違いじゃないと思います」
カミーユが何気なく言うと、「小僧が生意気な口を利くんじゃないよ!」とネオに小突か
れた。
「はい!」
カミーユは素直に返事をした。
フリーダムの整備に一区切り付け、キラはダイニングで遅めの夕食を取っていた。
空腹を感じないのは、インパルスのパイロットに言われたことが気になっているからだ
ろうか。キラは軽めの食事にとキツネうどんを選んだのだが、それでも箸が進まなかった。
「どうした。進んでないじゃないか」
そう言いながら不意に隣に腰掛けてきたのは、カガリだった。
「お前はちゃんと食べないと駄目なんだからな。パイロットは身体が資本なんだから」
カガリは言いながら、丼を片手に海鮮丼を豪快にかき込んでいた。
「私なんか、パイロットでもないのに二杯目だぞ。ブリッジの仕事をするだけでも結構
大変なんだから、お前はもっとしっかり食べなきゃ駄目だ」
「それはそうだけど……食べ過ぎじゃない? 太るよ、カガリ?」
指摘した途端、カガリは丼を置き、その手でキラの頬を抓ってきた。
「い、いひゃいよ、カガリ!」
「うら若き淑女に向かって何てことを言うんだ! このっ、弟の癖に、弟の癖に!」
「淑女はこんな乱暴はしないし、丼を二杯も平らげたりはしないよ! それに、カガリが
姉だって決まったわけでもないじゃない!」
カガリはキラの頬を千切るように放すと、箸を向けてきた。
「とにかく食え。ベルリンの戦いが終わってから休む暇も無かったんだから、食える時
にしっかり食っとかなきゃ」
「そうなんだけどね……」
キラは痛みの残る右の頬を擦りながら、歯切れの悪い返事をした。
実際、何かに勤しんでいた方が、身体はきつかったが、考え事をしなくて済む分、気は
楽だった。
(彼は、二年前にオーブにいたって言ってた……)
キラは、ふとカガリを窺った。カガリは何事も無かったかのように丼飯をかき込んでいる。
そのおいしそうに食べている姿に触発されたのか、急に空腹感が襲ってきた。
キラは箸を持ち、丸呑みをするようにうどんを啜って、一気に汁まで飲み干した。ずしっ
とした重みが、胃を圧迫するように感じた。そして、景気をつけるように立て続けに水も飲
み干して、改めてカガリに向き直った。
「カガリ、ちょっと聞いてもいいかな?」
「何だ?」
流石に二杯目はきつかったのか、カガリは三分の二ほど食べたところで箸を休めてい
た。味に飽きたのかもしれないな、とキラは思った。
「二年前に連合がオーブに侵攻した時に、焼け出された難民がプラントに流れたことは
聞いたけど……」
キラがその話を始めると、カガリの表情もそれに合わせるように神妙になった。
「その中に、ザフトに入隊したって人はいるの?」
そう訊ねると、カガリは徐に箸を丼の上に置いた。
「シン・アスカと話したのか……」
「シン・アスカ……それがインパルスの……」
カガリは小さくため息をついた。
「アイツは、理不尽に突きつけられた家族の死という現実に対して、今も苦しみ続けて
いる。それは、私やお父様のせいなのかもしれない」
「カガリ……」
「私は、どこか慢心していたのかもな。お父様の決断は正しい。話せば、きっと分かっ
てくれる……でも、そんなのは私の勝手な希望で、期待しちゃいけないことだったんだ。
私は、もっとアイツと正面から向き合わなきゃいけない。本当のオーブの元首として。…
…最近、強くそう思うんだ」
カガリは言葉を切ると、コップの水を飲み干した。少し強めに置かれたコップが、タンッ
と乾いた音を響かせた。カガリの眼差しは真っ直ぐで、とても澄んでいた。キラは、そうい
うカガリはほっぺにお弁当を付けていても美しいものなのだと感じた。
「彼は……シンは――」
キラはカガリから目を転じ、壁掛け時計に目をやった。針は未来へと時を刻み続けてい
る。それを反対に回せたなら、とキラは思う。
「家族が死んだ時、僕がその上で戦っていたらしいんだ」
「キラ……けど、それは――」
カガリは咄嗟に咎めかけて、眉を顰めた。キラはカガリが言いたいことを察して、「分か
ってる」と頷いた。
「彼からその話を聞かされた時、二年前に僕が戦ったのは何のためだったんだろうって
思ったんだ。でも、人ってどんなに頑張ったって、結局は自分のできる範囲のことしかで
きないから。時間は元には戻せないし、人を生き返らせるなんてこともできない。それが
できるのは、神様だけだと思う。だから、僕は一人の人間として、今やらなくちゃいけない
ことを精一杯にやっていくよ。その中で、彼に報いる方法を探していくしかない……って、
カガリを見てたら思ったんだ」
キラはそう言って、照れ臭そうに笑った。
「キラ……」
カガリは優しげにキラを呼ぶと、その肩に左腕を回した。突然のことにドキッとさせられ
て、キラは少しだけ身を強張らせた。
「頑張れ。応援してる」
キラはハッとなって、カガリを見た。
「どんな時でも、私はお前の味方だ」
少し顔を俯けていて、前髪が目元に掛かっていた。その下に隠れている金色の瞳は、そ
の同じ黄金色の髪に透けてキラを見つめていた。金色だからといって、眩いわけではない。
しかし、目を細めたくなるほどに綺麗だった。
「私たちは、血の繋がった唯一の姉弟なんだから……」
「カガリ……」
カガリの言葉と声は、親愛に溢れていた。キラは、その優しさに温もりを感じた。キラも、
同じようにカガリの肩に右腕を回して、二人で肩を組んだ。
「……カガリもね」
カガリは、本当に姉なのかもしれないな、とキラは思った。
手早く着替えを済ませて、シャアはシンとレイのシェアルームに向かった。呼び鈴を鳴
らしてドアを開くと、「お待ちしてました」とレイが出迎えた。部屋の中はレイが一人だけで、
シンはまだ戻っていないようであった。
「こちらにお願いします」
そう促されて、シャアはコンピューターデスクへと足を運んだ。レイが椅子に腰掛けて、
慣れた手つきでキーボードを叩き、データを呼び出した。シャアがそれを後ろから覗き込
む。
「これは、これまでのフリーダムの戦闘データを纏めたものです」
そう言ってシャアに提示した画面には、ダーダネルス海峡での戦いから今日のベルリン
での戦闘までのフリーダムのデータや録画が事細かに表示されていた。
「仕事が早いな。それに、よくできてるじゃないか」
「ありがとうございます」
賛辞を送るシャアにも、レイはそれほど気が無いような返事をする。ただ見せびらかした
いわけではないらしい。
「俺は、クレタの時に少しだけフリーダムと接触しました。結果は惨敗だったのですが―
―」
レイは話しながらキーボードを叩き、次々とフリーダムのデータをシャアに示していった。
「奴の狙いには、一定の法則があるのです」
「腕や脚、頭など、致命傷にならない部位だけを狙うと言うのだろう?」
すかさずシャアが答えると、「その通りです」とレイは頷いた。
「フリーダムは基本的に、パイロットを直接殺すような戦法は取りません。モビルスーツ
から戦闘能力だけを奪うのです」
レイはモビルスーツのグラフィックモデルを呼び出して、各部位にこれまでフリーダムが
狙った箇所の割合を表示させた。直接武器を持つことが多い右腕部にやや偏りが見られ
るものの、その他の部位に関しては概ね均等に割合が分配されている。
「この部分の1,1%というのは例外ですが――」
レイは胴体部の数字を指し示して、前置くように言葉を挟んだ。それがハイネの受けた
分だということは、言うまでも無かった。
「俺は、ここに打倒フリーダムの突破口があると考えます」
レイはそう言うと、回転椅子を回してシャアに向き直った。
見上げる視線には、鋭さがある。それが、単にハイネの弔いのためだけではないと思え
たのは、果たして考え過ぎだろうかとシャアは思った。レイは、シンとは違う次元でフリー
ダムに執着しているように感じられた。
「フリーダムは、正式にプラントの敵と認定されたのだったな?」
シャアは、含みのあるような言い方でレイの様子を窺った。しかし、レイは水を向けられ
ても表面上に反応を見せるようなことはしなかった。
「……で、その突破口とやらは?」
シャアが改めて聞くと、「ある程度の見当はついていますが……」と言いつつも、その詳
細をすぐには語らなかった。
「その前に、このデータを見たクワトロさんの見解をお伺いしたいのです」
「私に?」
シャアが聞き返すと、「そうです」とレイは言って、再び画面に向かった。
「あなたは赤服と同じ待遇を受けていて、立場上は俺たちと同等ですが、経験では遥か
に上です。それに、戦術眼もしっかりしていらっしゃる。そのあなたの見解を聞いて、俺の
考えの正否を確かめたいのです」
「なるほど……」
同等の立場であるレイの意見を先に聞けば、まだ多少の遠慮があるシャアは忌憚の無
い意見を言わないとレイは思っているのである。そして、それは正解であり、打倒フリーダ
ムの決意がなまじのものではないことを表していた。
(やはり、レイはフリーダムに強い執着がある……)
シャアはそう推測しながらも、背筋を伸ばして顎に手を添え、考えを巡らせた。
レイが、その様子をジッと見守る。少しして、シャアは顎から手を放し、「インパルスだな」
と言った。
「やはり……」
レイはそう呟いて、画面に目を戻した。その反応を見て、レイも同じことを考えていたの
だな、とシャアもパソコンの画面に目をやった。
「フリーダムがこの戦法で来るのなら、チェストとレッグのパーツを分離、合体できるイン
パルスの強みを最大限に発揮できる」
「はい。シンは、今やフリーダムと肩を並べるほどの力を身に付けつつあります。しかし、
依然として機体性能差はあり、そうなるとミネルバの同時運用を考えなければなりません」
「アークエンジェルは私が抑えるよ」
シャアは、レイの懸念を先取りするように言った。レイは、そのシャアの自信過剰とも取
れるような言葉に頼もしさを感じていた。
(ギルと同じ声なだけある。だが……)
そう思っていながらも、レイはデュランダルとシャアの区別はついていた。
(この人には、どこか怖いと感じさせられるものがある……)
それが二人の決定的な違いであり、レイの実感であった。
レイはもう一度シャアを見上げて、「問題は、パイロットであるシンのケアが次の作戦ま
でに間に合うかどうかです」と告げた。
「シンは、メンタルに実力が左右される傾向があります」
シャアは口を真一文字に結んでパソコンの画面に見入っていた。目元を隠すサングラ
スに画面の光が反射して、まるでサイボーグのような印象を受ける表情をしていた。
(シンのことには興味が無いのか……?)
そう頭の中で腹を立てていると、シャアは徐にレイを見やって、柔らかく微笑んだ。その
微笑が作り物のように見えて、レイは余計にデュランダルとの乖離を感じた。
「シンに関しては、ルナマリアがどうにかしてくれるのを期待したいな」
「ルナ……ですか?」
思いがけない発言に、レイは思わず問い返していた。
「ベッドの上と同じだよ。女の愛撫で、男は奮い立つものさ」
シャアは同意を求めるように言ったが、レイは「はあ……」と生返事をするのが関の山だ
った。
(見た目の割りに、品の無いことを言う……)
レイは内心で毒づきながら、「シンとルナは、そういう関係なのですか?」と聞いた。する
と、シャアは笑って「だから、これからそうなるのを期待するのさ」と放言した。
(全く……)
レイは、何とはなしにうんざりした気分になって、そそくさとパソコンの画面を閉じた。
「ありがとうございます。とりあえず、この作戦を煮詰めてシンに提案しようと思います」
レイは、意識的に無機質なトーンでシャアに言った。だが、シャアは「うん。後は訓練次
第だと思うが――」と、辟易としているレイの気分にもまるで無頓着であるようだった。
(俺が普段から抑揚の無い話し方をしているせいなのか……?)
レイは、シャアが鋭いのか鈍いのか、分からなくなった。
その後、レイはフリーダム攻略のための作戦をまとめ、それをシンに伝えるためにミネ
ルバ内を探しに回った。シンを見つけたのは展望デッキで、そこにはルナマリアも一緒だ
った。
シンとルナマリアは並び立って鉄柵に寄り掛かっていた。入り口からその様子を窺って
いたレイは、その二人の雰囲気に、何とはなしに近寄りがたい空気を感じて、その場は声
を掛けずに立ち去った。
(クワトロ・バジーナの無責任な期待が現実になろうとしている……?)
男女間の機微が分からないのは、レイがまだ青いからさ――意表を突かれている自身
の胸の内を知られたら、きっとデュランダルからそんなことを言われるのだろうな、とレイ
は思った。
レイはシンが一人でいるタイミングを見計らい、フリーダム攻略のプランを提示した。シ
ンはその作戦に強い関心を示し、早速特訓を開始することになった。
ハイネの死から、まだ間もない。シンは、それを忘れるかのように一心不乱にシミュレー
ター訓練に打ち込んだ。それはハイネの弔いを終え、ジブラルタル基地に帰還してからも、
寝る間も惜しんで続けられた。
そして、世界情勢が大きな変革を迎えたのは、その頃だった。
デュランダルが地球圏全域に向けて繰り広げた大演説は、過日のモスクワから端を発
した東ヨーロッパにおける一連の戦闘を糾弾する内容だった。デュランダルの演説に乗せ
て使用される映像には主に戦闘記録が用いられ、街を破壊するデストロイの姿や街を占
拠する連合軍の様子が、恣意的に編集されて流されていた。
ミネルバでもその演説の模様は放映され、ラウンジは大画面の前に詰め掛けたクルー
でごった返していた。
「我々はこの残虐な行為に対し、敢然と立ち向かったのであります!」
デュランダルは声高らかにそう謳い、聴衆に向けて強く訴えかけていた。
だが、その映像には一つ、違和感がある。シャアはそのことに気付いて、デュランダル
の腹の黒さを推した。
「変ねえ? フリーダムとかアークエンジェルが一度も映らないわ」
近くで視聴していたルナマリアが、首を傾げて訝っていた。その隣で一緒に視聴してい
たメイリンも、姉よりも先に気付いていたらしく「そうよね、変よね」と同調していた。
「おかしくないですか?」
ルナマリアはシャアに振り返り、同意を求めてきた。
「良くも悪くもあんなに目立っていたフリーダムが、全然映らないなんて」
メイリンも釣られるようにして振り返り、シャアの答えに注目していた。
シャアは一旦、画面からホーク姉妹へと目を転じた。そして、「フリーダムがベルリンで
何をしたかが問題だな」と切り出した。
「それって、アレを倒した手柄をザフトが独り占めするのと同時に、その後にフリーダム
から受けた失態を隠蔽しようとしてるってことですか?」
ルナマリアは流石に声を潜めて言った。シャアは頷き、「そういうことだ」と答えた。
「余計なものは映さない。プロパガンダというものは、そういうものさ」
「……そういうものなんでしょうか」
シャアの解説に、メイリンは上手く納得がいっていない様子だった。ハマーンを知ってい
るシャアにしてみれば、そのメイリンの潔癖さは妙に幼く感じられた。
「――それは違いますよ」
その時、不意に背後から声が掛かって、シャアは咄嗟に振り返っていた。そこにはシン
が立っていて、その傍らにはレイの姿もあった。訓練に没頭していたからだろう。二人は
遅れてラウンジにやって来たようだった。
二人とも、碌に休息もとらずに訓練に明け暮れているらしく、目の周りに隈が出来て黒
ずんでいた。シャワーもあまり浴びていないのだろう。髪は油でギトギトになり、ボサボサ
にとっ散らかっていて、一寸、ツンと鼻を突くような異臭がした。
デュランダルの演説は、間断なく続けられている。
議長の演説はわかるとして亡命とな?支援
「彼らは、同胞であるナチュラルに対しても、プラントに少しでも好意的な態度を見せれ
ば、躊躇い無くその手に掛け、見せしめにする!」
弁を振るうほどに熱を帯びていく力強さには、自然と聴衆を惹き付ける力がある。その
力強さに気を引かれ、シャアは一旦、大画面へと目を戻した。
自分と同じ声をした男が、全世界に向けて堂々と強弁を振るう。それは、シャアにとって
些かの気恥ずかしさを感じさせるものだった。ふと、演説をするデュランダルと自分を重
ねてしまった時、道化の自分が思い浮かんだ。それは、悩ましい想像だった。
シャアはその悩ましさから逃れるように、再びシンに目を向けた。シンはくたくたの様子
でデュランダルの演説を聞いていたが、シャアの視線に気付くと、途端にキッとした力強
い眼差しを向けてきた。
疲れ切っていても、紅い瞳にはギラついた貪欲な輝きがある。その貪欲さが、シンをボ
ロボロになるまで追い込んでいるのだろうな、とシャアは思った。
「――何が、違うのかな?」
演説が続く中、シャアは、ふと思い出したように問い掛けた。その声に気付いて、ルナマ
リア、メイリン、レイも次いでシンに目を向けた。
「フリーダムは俺が倒すからです」
シンはシャアをジッと見据えたまま、そう答えた。
「これから消える存在を、わざわざ映す必要なんか無いでしょ」
「アンタ、それ本気で言ってんの?」
シンの強気な発言に、ルナマリアが思わず口を挟んだ。しかし、シンは相手にしない。
「レイが考えてくれた作戦プランなら、必ずフリーダムを倒せる……俺は、そう確信して
ます」
シンはそう言い切ったが、「けど……」と言葉を継いだ。
「俺一人だけじゃ勝てない。アンタの助けも必要になる。だから……」
シンの眼差しの鋭さは変わらない。しかし、その言葉から、シャアはシンが少し変わっ
たような印象を受けた。フリーダムへの拘り方が変わった――そんな感じがした。
シャアは、ふとシンに訊ねた。
「シン、一つ聞きたい。君は、何のためにフリーダムを倒そうとしている?」
「俺がザフトだからです」
シンは即答した。
「フリーダムは、正式に敵になったんです。なら、それを倒すのが俺の使命です」
シンの答えに、淀みは無かった。
その時だった。演説を続けていたデュランダルが、更に一段階トーンを上げた。
「――故に、彼らロゴスこそが戦争を煽り、長期化させている病理なのです!」
同時に画面が切り替わり、ロゴスのメンバーの顔写真の一覧とプロフィール、それに所
在地の情報などが表示された。
「彼らは戦争を利用し、暴利をむさぼって私腹を肥やすことしか頭に無い! それも経
済活動の一側面でしょうが、しかし、彼らは異常なのです! 金儲けのためなら、人が何
人死のうが構わないと思っている! その最たる例が、先日のモスクワ、ワルシャワ、ベ
ルリンなのです! そして、彼らが存在する限り、戦争は影で彼らの都合のいいように操
られ、永遠に繰り返されていくのです! つまり、彼らを打倒しない限り、我々に真の平和
が訪れることは永久に無いのです!」
デュランダルは大袈裟に身振り手振りを交えて謳った。
「私は、平和を志す者として、ナチュラルとコーディネイターの垣根を越え、地球の方々
に共闘を申し入れたい! 平和を希求する気持ちは、本来、人類全てが共有する不変の
価値であり、私はそれを信じております! 世界が正常であるために、不自然に争いを助
長する存在を許しておいてはならない! ですから――……!」
デュランダルの演説は続いていたが、シャアはシンへと目を戻した。レイ、ルナマリア、
メイリンはまだ画面に見入っていたが、シンはシャアに気付いて目を合わせてきた。
「作戦通りにやれば、フリーダムには勝てます。でも、俺にはまだそれをやれるだけの
実力が伴ってない」
シンはそう言うと、やおら頭を下げてきた。
「アナタを見込んで、お願いします。俺の訓練に付き合ってください」
突然のことに、シャアは少なからず驚かされていた。こんな殊勝な態度を取る少年が、
本当にあの癇の強いシン・アスカなのかと。
「アンタなら、俺に足りないものが何なのか、分かるはずだ」
「実は最近、煮詰まっていたんです」
レイが付け加えるように言う。
「そこで、経験が豊富で実力も確かなクワトロさんにアドバイザーをお願いしようと」
「そうなのか」
シャアはシンの肩を叩いて、頭を上げさせた。
シンは顔を上げると、尚もシャアに期待の眼差しを向けた。寝不足と疲労で酷い顔をし
ているが、目にだけは力が宿っていた。その瞳がいやに純粋で、シンは本来、心根の素
直な少年だったのだろうなと想像させられた。
「……分かった」
シャアはそう答えて、微笑を浮かべた。
「どこまで力になれるか分からんが、少しでも君の役に立てるなら、協力することにや
ぶさかではない」
「じゃあ――」
しかし、了承を得られて気が逸るシンを、「その前に」と言ってシャアは制した。
「君はまず、休息を取る必要がある。体調を整えるのも、パイロットの重要な仕事だ。い
ざという時に戦えないのでは、話にならないのだからな」
「でも――!」
「休息を取らないと言うのなら、協力することはできんぞ?」
シャアが勧告するとシンは反発しかけたが、口には出さずにそのまま言葉を飲み込ん
だ。
素直な部分と癇の強い部分がせめぎ合っているのだろう。そんな暇は無い、と言いたげ
だったが、不満は態度に出すだけで、それ以上は控えていた。それは、大人の妥協と子
供の我侭が同居する、思春期の葛藤と似たような印象を受けた。
(少年なのだな……)
シャアはそう頭で呟いて、何を当たり前のことを考えているのだと思った。戦争の中の
兵士という姿がシンの実像を歪めて、見る者に錯覚を起こさせている。シャアは、一人前
の兵士として扱うのが前提ではあるが、シンの本質はまだ十六才の少年なのだというこ
とを忘れないで置こうと思った。
「それに、根を詰め過ぎても、いい訓練は出来ない」
シャアはそう付け足して、口をへの字に曲げるシンを宥めた。
「騙されたと思って、年配の言うことを聞いてみるのも悪くないだろう」
「はい、騙されます」
それは、せめてもの抵抗だったのだろう。シンはゴネても無駄だと悟ったようで、そう言
い捨てて大人しく引き下がった。
「あまり無理をさせないようにな」
引き上げるシンに追随しようとするレイを咄嗟に呼び止めて、シャアはそう言い聞かせ
た。レイは黙って頷き、シンの後を追った。
「全く、無理ばっかするんだから。加減ってものを知らないのよ、アイツ。バカなのよね」
ルナマリアはシンがラウンジを出て行ったのを確認してから、愚痴っぽく言った。そうい
う風に毒を吐きながらも、何だかんだで心配になって、後でシンの所へ行くのだろうなと
シャアは思った。
デュランダルの演説は、いつしか終わっていた。大画面はチャンネルが切り替わってい
て、各メディアがこぞって特別編成枠を設け、今しがたのデュランダルの演説に関する特
集を組んでいた。シャアはそれを横目で見やって、これから世界は変わっていくのだろう
と予感した。
シャアの予感どおり、その後、世界の世論は大まかに二分された。すなわち、デュラン
ダルの意志に賛同した反ロゴス派と、ロゴスを支持するロゴス派の二つである。後者は大
西洋連邦が主体で、戦力もその強大な国力で相当数を備えていたが、勢力的には圧倒
的に前者の反ロゴス派が上回っていた。
そして、やがて地球圏各地で反ロゴスを掲げた暴動が起こり始めた。国の方針でロゴス
のメンバーを逮捕する措置をとる一方で、暴徒と化した民衆がロゴスのメンバーの屋敷に
詰めかけ、惨殺する事態にまで発展する騒ぎも起こった。
同時にロゴス関連企業株が連日のストップ安で大暴落を起こし、その影響は曖昧な噂
でロゴスと関連付けられた銘柄にも及んだ。世界の平均株価はものの数日で大幅に下が
り、危機感を煽られた投資家たちは資産の引き上げのために投機的な売りを仕掛け、平
均株価の下落に更に拍車を掛けた。当然、為替相場にもその影響は及んだ。主にロゴス
関連企業を多数抱えている国は、平均株価の下落に伴って通貨が次々と売られ、暴落。
一方、健全と目され、安全資産とされる通貨には買いが殺到し、瞬く間に暴騰して市場は
混乱した。
これらを受けてロゴス派は、世界恐慌を引き起こした責任は全てデュランダルにあると
して激しく非難する内容の声明を発表し、事態の沈静化に腐心した。しかし、革命という
アルコールに酔った民衆の耳には届かず、その時代の大きな潮流は最早、止められな
い領域にまで達していた。地球圏は、混迷を極めつつあった。
デュランダルは、この混迷を変革のための痛みであると捉えていた。後世の歴史家か
らは、結果論的に今のこの状況を揶揄されたり批判されたりするだろうが、それは甘んじ
て受ける覚悟だった。暴君と誹られようが愚者と罵られようが、とにかく誰かが時代を動
かすきっかけを作らなくてはならなかった。デュランダルの、命を賭した大勝負だった。
反ロゴスの大きなうねりは、パンデミックするように世界全体に拡がっていく。そんな中、
密かに一つの作戦が実行されようとしていた。エンジェルダウン――ザフトによるアーク
エンジェル討伐ミッションであった。
続く
最終チェックとさるさん回避のために投下にある程度時間をかけております
あしからず
それではまた次回
GJ!!
GJ
やはり面白い
特に年配の大人の雰囲気をクワトロ大尉がSEED原作にない部分をうまく補完してる気がします
作者氏はシャアのダメ人間ぶりもかなり容赦なく書いてなさるが
それでもなお一応ひとかどの大人に見えるというのは何度も言われてるが
つくづくCEの精神的大人の不足が酷いかってことやね。
それにしても…カミーユ含めて4人がジブ公の手から逃れられそうなのはいいけど
もしもエンジェルダウン作戦か何かで悪いタイミングで鉢合わせしたら…
TVより厄介なことにならなきゃいいけど。
視聴者はある意味で神の視点でもって物語を見ているので粗が目に付きますが
作中の人物たちからはシャアは一見するとかなり出来る男に見えているはずです
しかし、中にはシャアの粗に気付くキャラもいるわけです
そこを色々なキャラに突っ込まれたりしながら主人公格になったΖで出番が増えたシャアはかなり株を落としたわけですが
だからこそイケメンなのに隙だらけのシャアは愛すべきキャラなのだと個人的には思います
そういう一見出来そうな男のシャアが主に女性キャラの視点から内面の隙を看破されていく(いじられる)という
描写を作中でちょこちょこ入れてるつもりですが別にシャアを特別disってるわけじゃないのであしからず
という言い訳じみた前置きをしつつ第十六話「戦士の刃」です↓
指をグローブの奥までしっかりと差し込む。使い込まれたそれは、シャアの手に良く馴
染む。
格納庫では、セイバーがいつもの場所でいつものように佇んでシャアが来るのを待って
いた。
コアスプレンダーのところには、まだメカニックたちが屯っていた。その周りには何セッ
トかのチェストとレッグの各パーツが所狭しと並べられている。ジブラルタル基地から積
めるだけ積んできた、インパルスの予備パーツである。それを一つ一つ指差しながら、
主任であるマッドが最終確認を行っていた。
「シンは?」
シャアは補助の為に格納庫に降りていたレイを呼び止め、ふと訊ねた。
「まだですが」
「うん。まだ時間はあるが……」
「ブリッジに確認を取ってみます」
そう言って、レイは通信端末を取り出した。
それから暫くして、息を切らせたメイリンが格納庫に飛び込んできた。
「シン、まだ、来て、ません、か」
膝に手をついて途切れがちに言葉を並べるも、メイリンの言葉に頷く者は誰も居なかっ
た。
「もう、どこほっつき歩いてんのよ!」
メイリンはヒステリックに声を上げて、通信端末の発信ボタンを連打した。
艦内を駆けずり回って探したが、見つからなかったようだ。各自、即座に連絡が取れる
ように通信端末を持たされているのだが、メイリンの様子を見るに、どうやらシンは全く応
答しなかったらしい。
シャアは、ふとルナマリアの姿も見えないことに気付いて、彼女に連絡を取ってみたら
どうだ、と提案した。しかし、メイリンも既にそれは試したようで、ルナマリアも応答しなか
ったことが分かっただけだった。
「おねーちゃんがシンをたらし込んでるんですよ!」
メイリンは放言するが、その言い方はどうかとシャアは思う。二人が一緒にいることは
自然なことで、もっとロマンチックなものなのだ――と言おうとしたが、今のメイリンにそ
れを言うのは危険な気がして、シャアは言葉を慎んだ。
「あと少しで時間だぜ!」
マッドが腕時計を神経質に指で叩いて、シンはまだか、といったニュアンスで言った。
メイリンはその声に慌てて、「もう一回、捜してきます!」とモビルスーツデッキを飛び出
そうとした。
シンとルナマリアが連れ立って現れたのは、丁度その時だった。
「おねーちゃん!」
メイリンは思わず声を荒げてルナマリアに詰め寄った。しかし、ルナマリアはあっけらか
んとした態度で、「何でメイがここにいるのよ?」と首を傾げる始末。
「だ、誰のせいでこんなに苦労したと思ってんのよ!」
これには流石にメイリンも腹を立て、顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。
「どこ行ってたのよ! ずっと呼び出してたのに、何で応答しないの!? 御法度だって、
アカデミーで厳しく教えられたよねえ!?」
「時間には間に合わせたんだから、いいじゃない」
確信犯だったのか、悪びれる様子も無く答えるルナマリアに、「そういう問題じゃないでし
ょっ!」とメイリンは激しい非難の声を上げた。
「大一番の前だってのに、メイは元気がいいな」
格納庫の天井は高く、声が良く通る。メイリンの怒鳴り声が反響しているのを聞きなが
ら、シンはリラックスした様子でシャアの隣に立った。
シンの顔には、笑みすら浮かんでいる。シャアはそれを見て、出撃前に良い時間を過
ごせたようだと察した。
「調子はどうかな、シン君?」
シャアは問いながら、シンの血色の良さを確認していた。
「いいですよ。そっちは?」
「まずまず、といったところかな」
二人は向かい合い、がっちりと握手を交わした。
「まずまず? ハマーンさんがいないからですかね」
「そうだな」
シャアは苦笑するように口角を上げた。
「彼女の仏頂面が無いだけでも、随分と気が楽になる。いずれ、また顔を合わせなくて
はならんと考えると、やはり気は滅入るのだがな……」
「へえ」
シンは軽く肩を竦ませた。
「いいんスか? そんなこと言って誰かに告げ口でもされたりしたら。怖いでしょ、あの
人」
「その時は、君が今言ったことを告げ口して、巻き込ませてもらおうか」
「おっと、くわばらくわばら」
シャアの脅しにシンは慌てて口を塞ぎ、おどけて見せる。
そうして冗談を交わしていると、やがて「時間だ!」というマッドの野太い声が響いた。
シャアとシンは顔を見合わせ、頷きあった。
「じゃあ、頼みます」
「ああ。君の方こそ、期待している」
二人はもう一度、握手を交わすと、それぞれの機体に向かった。
シャアはその途中、ふとシンに振り返った。
「なかなかいい顔つきになった。やはり……」
シンはレイと一言二言交わすと、次にそれとなくルナマリアに向けて親指を立てて見せ
た。すると、それを見たルナマリアは今まで見せたことも無いような表情になって、コアス
プレンダーに乗り込むシンを心配そうに見つめた。
(いいな……)
彼らが遅れてやって来た理由を考えると、一人身のシャアは多少、羨ましくも思うので
ある。
その時だった。不意に背後から、「クワトロさんもお気をつけて」と声を掛けられ、シャア
は咄嗟に振り返った。
「ご活躍、期待してますからね!」
振り返った先には、人懐っこい笑みのメイリンが立っていた。
今しがたまでの姉に対するヒステリーは、既に鳴りを潜めていた。声を掛けてきたのは、
一人身のシャアを気遣ってのことだろう。姉がシンと良い関係になっていることを知って
いて、それを見つめるシャアの視線が侘しく見えたのかもしれない。
それは大きなお世話であったのだが、しかし、社交辞令的にではあるにしても、出撃前
に貰う女性からのエールは悪く無いものだと思った。心優しい少女なのだ。
シャアは、「ありがとう」と素直にメイリンに微笑んだ。そして、「君は、良い嫁さんになる
んだろうな」と付け足した。
「じゃあ、クワトロさんが貰ってくれます?」
「ん? いや……」
思いがけない返しをされて、シャアは不覚にも少々照れてしまった。
それを見たメイリンが、「うふふ」と悪戯っぽく笑う。
「冗談です。私、もう戻りますね。またスクリーン越しに会いましょう」
そう言ってウインクをすると、メイリンは急いで艦橋に駆け戻っていった。
シャアはため息をつくと、それを最後まで見送ることなく、周囲から顔を隠すようにヘル
メットを被り、セイバーに乗り込んだ。
「女性は見た目に拠らないものだが……手玉に取られて……」
小娘を相手にだらしない大人だ、とシャアは自嘲した。
アークエンジェルは、雪山の谷を縫うように進んでいた。
ベルリンでの戦闘が終わった後から、頻繁にザフトの追撃を受けていた。現在もザフト
に捕捉されている状態で、既に何度かの攻撃を受けていた。いずれも本格的な攻撃とは
言えなかったことから、ラミアスは嫌でも何らかの意図を感じずにはいられなかった。
「誘われてるな」
「ええ、確実に……」
バルトフェルドの独り言に、ラミアスが答える。二人の見解は一致していた。
これまでの散発的な攻撃を鑑みるに、ザフトがアークエンジェルをどこかに誘き出そう
としていることは明白だった。そして、その先で待っているものの見当も、粗方ついていた。
「多分、ミネルバでしょうね」
ラミアスの推測に、バルトフェルドは同意して頷いた。
「十中八九な。面倒なことになる」
うんざりした言い方に、これから繰り広げられるであろう激戦の予感が漂った。
アークエンジェルとミネルバの能力は、ほぼ互角であるとの見立てがあった。それに付
け加えて、インパルスがベルリンでの戦闘においてアークエンジェルのストロングポイン
トであったフリーダムに匹敵する存在にまで急成長していた。それは、一同にとって最大
の誤算だった。
だが、懸念はそれだけではない。
バルトフェルドが気を揉んでいるのは、セイバーの存在であった。地味ながら確実な仕
事をこなすセイバーの存在は、その対応を迫られるバルトフェルドにとって頭の痛い問題
だった。腕前で負けるつもりはないが、機体の性能差は如何ともしがたい。
あれは相当なベテランだとバルトフェルドは睨んでいた。きっと、二年前の戦争の時か
ら活躍しているパイロットに違いないと推測した。
ところが、どれだけ当時のザフトの記憶を辿ってみても、そのような凄腕で年季の入っ
たパイロットの見当が、皆目つかなかった。
「……何者だ?」
バルトフェルドの誰にとも無く発せられた呟き。耳にしたラミアスは、それが何を意味し
ているのか分からなくて、首を傾げていた。
「――全く。ユウナの奴の言うとおりにしたらこれだ」
唐突にぼやいたのは、先ほどからレーダーと睨めっこをしているカガリである。
レーダーはニュートロンジャマーのジャミングの影響で多少は乱れていたが、数キロ程
度までならカバーできていた。カガリが気に入らないのは、その範疇においてさえも、複
数のザフトが潜んでいることが確認できる点であった。
「デュランダル議長の演説のお陰で、ユウナの艦隊は本国帰還の名目が立ったんだ。
けど、ベルリンからこっち、ザフトが追撃を掛けてきて私たちは逃げ回ってばっかりだ。こ
れじゃあ、ほとぼりが冷めるまでスカンジナビア王国に匿ってもらうこともできやしない」
カガリは愚痴を零しながらパネルを操作し、各監視カメラが捉えるザフトの追撃部隊の
様子を確認した。ザフトは、今は攻撃の手を休めていて、仕掛けてくる様子は見られない。
「そもそも、ザフトは私たちをどうするつもりなんだ? どういうつもりで私たちを攻撃する
んだ?」
疑問を呈すると、「そりゃあ、色々してきたんだもの」と反対側の席のミリアリアが答えた。
「狙われて当然よ」
あっけらかんと言うミリアリアに同調して、「無茶やってきたもんなあ」とチャンドラが遠い
目をした。
「そうかも知れないが……」
カガリは反論しようとしたが、諦めた。どう言い繕ったところで、これまでアークエンジェ
ルが行ってきたことは、本人たちの思惑はともかく、言い逃れできない暴挙と見なされて
も仕方の無い行為だったのだから。それは認めざるを得なかった。
「まさかユウナの奴、私を亡き者にしようとして……」
呟くように言うと、それを打ち消すように、「疑いたくなる気持ちは分かるが、そいつは後
にしてくれ」とバルトフェルドが言った。その引き締まった声色に、艦内に緊張が走った。
「――お出でなすった」
轟く警報。示し合わせたように各員、背筋を伸ばし、自らの役割に没頭する。短いイン
ターバルを挟んで、再びザフトの攻撃が開始されようとしていた。
ザフトは相変わらず散発的な攻撃を仕掛けてくるだけだった。キラが哨戒に当たってい
るが、遠方から撃ってくるだけで、本気でアークエンジェルを落とそうとしているようには見
えない。
「こうしてくれてる内に逃げ切りたいところだけど……」
そうはいかないだろうな、という予感はしていた。ザフトの攻撃はあからさま過ぎる。何ら
かの待ち伏せがあるのは、火を見るよりも明らかだった。
攻撃が止むと、キラはフリーダムを空に走らせて周辺の索敵を行った。自分が先行して、
少しでも露払いをしておこうと思ったのである。
しかし、結果的にそれが仇となった。
「フリーダムのアークエンジェルからの離脱を確認」――追い込み役の斥候部隊からの
連絡を受け、静かに双眸を瞬かせる。雪の中に機体を埋め、メインカメラと砲口だけを覗
かせて、ジッと機会を窺う。正面モニターの灯だけが、煌々とコックピットの中を照らしてい
た。
そこへ、フリーダムの接近を告げるアラームが鳴り響いた。絶対に見逃すまいと神経を
尖らせ、瞬きも惜しんでモニターを注視する。
十秒が何倍にも感じられる感覚。焦れる気持ちを抑え、息を殺して獲物が現れる瞬間を
待つ。
作戦経過時間を示すデジタルの数字が時を刻む。その秒の単位が何度目かのゼロを
繰り返した時、遂に雪山の影から飛翔するモビルスーツが姿を現した。――獲物だ。
照準がそれを追尾する。逸る気持ちを我慢し、音も立てない細心の注意を払って辛抱
強く待つ。そして、照準が赤くなってロックオン表示が出ると同時に、それまで抑えていた
気持ちを吐き出すように躊躇い無くトリガースイッチを押した。
瞬間、二条の強力なビームがフリーダムに襲い掛かった。
だが、押し留めていたはずの殺気は、キラに伝わっていた。静か過ぎることを訝ったキ
ラは、それが発射される直前に砲門の存在に気付いていた。そして、辛くもビームをかわ
したのだ。
ビームは山肌に当たって積もった雪を溶かし、岩肌を派手に砕いた。直撃していれば、
いかなフリーダムといえど一貫の終わりだっただろう。
キラには射手が何者であるかが分かっていた。それまでとは明らかに質が違う、致命
傷を狙いに来た一撃。果たして、水蒸気が上がっている雪の中から砲戦仕様のインパル
スが姿を現した。
「シン・アスカ……彼か!」
キラは気を引き締めた。
ところが、そこで思いがけないことが起こった。インパルスはフリーダムにダメージが無
いことを認めると、一目散に後退を始めたのである。
いつものように激しく突っかかってくるものと思っていた。しかし、今日のインパルスがと
った行動は、そのキラの予想とは正反対のことだった。
キラは、強い違和感を覚えた。こんなはずはない――その思い込みが、不安を煽った。
考えるよりも先に身体が動いて、インパルスを追っていた。このまま放置しておいては
危険なのではないかと。キラの心中に言い知れない焦燥が生まれていた。
しかし、それも張り巡らされた計略の一部だった。
インパルスは巧みに雪山の間を縫い、ビームで雪を蒸発させて煙幕を張った。そうして
身を隠しながらフリーダムを翻弄し、逃げる。吹雪という悪天候の影響もあり、キラはや
がてインパルスを見失ってしまった。
「これは……!」
辺りは再び静寂に包まれた。まるで、吹雪の中に一人だけ取り残されてしまったかのよ
うだった。
その時になってキラは気付く。インパルスの襲撃が、アークエンジェルとの分断にある
ことに。そして、同時に山間部からキラの前に姿を現したのは、ミネルバの巨大な艦影だ
った。
艦砲の一斉射を受ける。それをかわしながら慌てて雪山の陰に身を隠した。
キラは焦燥に駆られた。自分はハメられたのだ。ならば、今すぐにアークエンジェルに
戻らなければならない。
しかし、キラには一つ失念があった。深い怨嗟の念。そのことを思い出したのは、上方
からの攻撃を告げるアラームが鳴った時だった。
「インパルス!」
上空を振り仰いだキラの目に留まったのは、空戦仕様に変更したインパルスの姿だっ
た。
ビームライフルを撃ちながら、雪山を直滑降する勢いで迫ってくる。そして左手にビー
ムサーベルを抜くと、加速させた機体の勢いを乗せて振り下ろしてきた。
キラは咄嗟にそれをかわし、逆噴射をかけてその場から一気に離脱した。インパルス
のサーベルは雪面を叩き、蒸発した雪が凄まじい水蒸気の煙を上げた。
直後、その煙を突き破ってインパルスが飛び出してくる。
追随するインパルスには勢いがあった。キラはあっという間に接近を許し、咄嗟にシー
ルドを構えた。そこへインパルスのサーベルが勢い良く叩きつけられ、その衝撃でフリー
ダムは吹き飛ばされた。
墜落の衝撃の中、キラは確信した。インパルスは確実に自分を脅かす存在になった―
―その感じ方は、キラの焦燥を更に煽った。アークエンジェルの危機、そして自らの危機。
その二つが重なることなど、滅多に無いからである。
フリーダムに表出した微かな動揺の兆しが、シンには見て取れた。それは、シンがキラ
の次元に至ろうとしていることの証左でもあった。
しかし、今のシンには、そんなことはどうでもいいことだった。
「これまでだな、フリーダム!」
「……ッ!?」
何百回と繰り返したシミュレーター上のフリーダムは、こんなものではなかった。もっと、
考えられないような凄まじい動きをして見せるものだった。
その迫力を、今の目の前にいるフリーダムからは感じなかった。
アークエンジェルに後退しようとするキラ。その行く先に回り込み、立ち塞がるシン。排
除しようとするキラの射撃も、今のインパルスには当たらなかった。
ライフルでビームを連射し、フリーダムを追い立てる。反撃のビームは、全てかわした。
狙いは、予め絞れているからである。特訓の成果であった。
フリーダムを押し込んでいる。それは即ち、勝機である。――シンは叫んでいた。
「アンタは俺が討つんだ! 今日! ここでっ!」
孤立したフリーダムを援護しようとするアークエンジェルを阻んだのは、赤い可変型の
モビルスーツだった。高い機動力を武器に、出撃したバルトフェルドのムラサメを歯牙に
もかけず、単独でアークエンジェルを攻撃し続ける。激しいアークエンジェルの砲撃をも
のともせず、かつての二つ名“赤い彗星”の異名どおりの戦いを、シャアは演じて見せて
いた。
アークエンジェルにオーブの国家元首であるカガリが捕えられていることは、(狂言で
はあるが)周知の事実である。カガリを救出、保護し、プラントの大義名分を示すというの
が、このエンジェルダウン作戦の趣旨でもあった。
出撃前、シャアに単独でのアークエンジェルの阻止という重責を担わせてしまったこと
に対し、気が差していたタリアから声を掛けられる一幕があった。ミネルバは作戦の都合
上、インパルスから離れられなくて、セイバーのサポートが一切できないのである。
しかし、シャアは不敵に笑って、こう返した。
「承知していたことです。それに、あまり私を見くびらないでいただきたい。こういった作
戦こそ、私の本分なのですから」
敵を翻弄するような戦法こそが、自信家であるシャアが得意とする分野であった。蝶の
ように舞い蜂のように刺す。そんな戦いに、シャアは高揚感を覚えるのである。死と隣り
合わせのスリルを感じるからこそ気持ちが若返り、赤い彗星はより輝きを増す。
しかし、アークエンジェルの持つ特殊装甲、ラミネート装甲は厄介だった。ビームの熱
を艦の全体に拡散し、大幅に威力を減退させる効果のあるその特殊装甲は、ビーム兵器
が主体のセイバーではなかなかダメージが通らず、シャアにストレスを与える結果となっ
ていた。
一方でムラサメは敵ではなかった。決してパイロットの腕が悪いわけではない。寧ろ、エ
ース級の腕前である。しかし、埋められない溝は機体の性能差にあった。幾度もマッドと
ミーティングを重ね、熟成に熟成を重ねてきたセイバーは、最早シャアの手足そのもので
ある。性能が平均化されている凡庸なモビルスーツ風情に遅れを取ることは、あり得なか
った。
バルトフェルドはそれを身に沁みるほどに痛感していた。搭乗機に対する錬度に差があ
り過ぎる。逃亡者ゆえに資金や物資的な余裕の無いアークエンジェルでは、ムラサメを整
備するだけで手一杯だったのである。キラとフリーダムに大きく依存しているアークエンジ
ェルの弱点が、モロに露呈した恰好だった。
歴然とした差だった。もうお手上げとしか言いようが無い。しかし、バルトフェルドにも意
地がある。キラが戻るまでの時間稼ぎくらいしかできないだろうと悔しがりながらも、せめ
てセイバーのパイロットの正体くらいは突き止めてやろうと意気込んでいた。
「この動き、ナチュラルか……?」
時折垣間見せる素早い反応。それは一見、コーディネイターの動きのように見えるも、
バルトフェルドの目はそれをカモフラージュであると見抜いていた。
そうと分かれば、やりようはあった。いかに歯が立たない相手でも、アークエンジェルの
砲撃を利用すれば接触することくらいは出来る。
果たしてバルトフェルドは、セイバーがアークエンジェルの砲撃に気を取られている隙
に接近し、見事に組み付くことに成功した。
「お前は何者だ!?」
間髪入れずに呼び掛けた。そうしないと、あっという間に反撃を受けるからだ。
「お前はナチュラルだろう! ナチュラルが、何故ザフトで戦えるんだ!」
「――やるな!」
その声が聞こえた瞬間、バルトフェルドは思わず眉を顰めていた。
接触回線から聞こえてきた音声は、決してクリアではなかった。しかし、その一言を聞
いた瞬間、バルトフェルドの頭の中は瞬く間に疑問符で埋め尽くされてしまった。
固まった思考が解ける間もなく、衝撃が襲った。セイバーがすかさずムラサメを突き放
し、蹴りを入れてきたのだ。
バルトフェルドのムラサメは、雪面に向かって落下した。墜落寸前でバランスを取り戻
し、事なきを得たのだが、頭の中に残る疑問は今いる凍土のように、決して氷解すること
はない。――その特徴ある声を、聞き違えるはずがなかった。
「今のはデュランダル……? ――バカな! モビルスーツに乗るなんて、聞いてない
ぞ!」
しかも、その動きはナチュラルである。最初は好奇心から来るだけだった疑問が、今の
一瞬で混乱するほどの大きな謎に変わった。――一体、デュランダルとは何者なのだろ
うか。
「偽ラクスの件を考えれば分からない話じゃない。しかし――」
ラクスと違って決定的な証拠は無い。そして、影武者だとしても前線に送る意味が分か
らない。
考えれば考えるほど分からなくなる。それもデュランダルの奸計の内なのか――バル
トフェルドは、何か自分がデュランダルの手の平の上で転がされているような錯覚に陥っ
た。
しかし、当の本人は、偶然とはいえ、自分の存在が知らず知らずの内に波紋を広げつ
つあることなど露とも思わず、アークエンジェルの対応に腐心していた。
いかんせん、ダメージが通りにくい。アークエンジェルの阻止は、当初思っていたより
も容易くなく、戦闘は長期戦の様相を呈し始めていた。このままではフリーダムとの合流
を許してしまう。
苛立ちと焦燥が募る。こうなったらいっそのこと、ミネルバに戻ってザクのウィザード装
備からバズーカを拝借してきた方が早いかもしれないと考えた。
しかし、そう検討していた時だった。不意にアークエンジェルが何らかの暗号と思しき光
信号を、彼方に小さく見えるフリーダムに向けて送ったのである。
途端に、アークエンジェルは転進を始めた。フリーダムと合流するのではない。向かう
先には、海が見えた。
「海中に逃げようというのか!」
状況が変わりつつあった。即時、シャアはミネルバと通信回線を繋げた。
緒戦は押し込んでいた。しかし、フリーダムの恐るべきところは、そこから巻き返す力を
持っていることであった。
徐々に本性を現し始めた。ミネルバの支援砲撃をかわしながらシンの攻撃に対処し、異
常なまでの反応速度で反撃を繰り出してくる。緒戦の勢いに多少浮かれていたシンは、そ
のフリーダムの切れ味鋭い反撃に対応しきれずにダメージを受け、右腕の肘から先を失
った。
「ミネルバ!」
シンは叫びながら合体を解除して、チェストパーツをフリーダムに突っ込ませた。さしも
のキラもそのような攻撃は想定外で、咄嗟にチェストパーツを受け止めていた。
シンはそこにコアスプレンダーで突撃し、弾丸をチェストパーツに撃ち込んで誘爆させ
た。
「くうぅっ……!」
ジェネレーターの誘爆による凄まじい爆発の衝撃がキラを襲う。画面は業火で埋め尽く
され、数秒の間、キラから視界を奪った。
爆発の後の立ち込める煙をシールドで薙いで振り払い、すぐさまコアスプレンダーの姿
を探す。再ドッキングをする前にコアスプレンダーを抑えたいとの欲求が、キラの気を逸
らせていた。
だが、コアスプレンダーは既にインパルスへとドッキングを済ませていた。
「ミネルバが近いから……!」
インパルスへの再ドッキングまでのサイクルが早い。今のようにたったの数秒でも時間
を作られてしまったら、キラにそれに対処する術は無かった。
「何とか戦いを止めてもらう方法は無いの……!?」
瀬戸際に立たされているとの認識があった。インパルスはミネルバの恩恵を受け、その
特性を余すことなく活用できている。対して、キラは孤立させられていた。アークエンジェ
ルと分断させられ、支援砲撃も受けられずにインパルスとミネルバの猛攻を凌ぐことに終
始していた。
インパルスさえ黙らせられれば、逃げる機会はある。しかし、インパルスはそんなキラ
の及び腰に付け込むかのように激しく攻め立ててくる。
インパルスはキラのビーム攻撃をかわすと、不意にシールドを投擲した。キラは一寸、
そちらに気を取られたが、それが囮だと気付くとすぐさまインパルスへと目を戻した。
だが、それがインパルスの策(て)だった。インパルスはビームライフルを構えると、フ
リーダムにではなく、投擲したシールドに向かってビームを撃った。
「うっ!?」
刹那、キラは呻いていた。投擲されたシールドはインパルスの撃ったビームをリフレク
ションし、フリーダムを狙ったのである。咄嗟の反応で直撃こそ免れたものの、ビームは
フリーダムの左肩のアーマーを掠め、黒い焦げ跡を残した。
そのトリッキーな攻撃がキラの動揺を誘った。手応えを感じたシンはビームライフルで
それを更に煽るように追い立て、左手に持たせたビームサーベルで切り掛かった。
後退を繰り返すフリーダムは、明らかに追い込まれている。だが、キラにはまだシンを
脅かすだけの余裕は残されていた。シンがそれを直感したのは、インパルスが繰り出し
た斬撃をかわして、フリーダムが双眸を瞬かせた時だった。
瞬間的に、シンの脳裏にレイの言葉が過ぎった。それは、レイが組み立てた作戦プラン
についてレクチャーを受けていた時のことである。
「――フリーダムがコックピットを狙わないというのは、あくまでも奴が優位に立っている
ことが前提だ。そして、その前提が崩れた時は――」
レイが指し示した胴体部への1.1%が、シンの脳裏に焼き付いていた。
シンは、反射的にがら空きになったフリーダムの胸部へとビームライフルを差し向けよ
うとしていた。だが、腰部のビームサーベルの柄を逆手に掴んだフリーダムが一足先に
それを抜き放ち、インパルスに斬撃を繰り出していた。
刃状に模られた超高熱の粒子の束が、インパルスの胴を目掛けて振るわれた。刹那、
シンはカッと目を見開き、咄嗟的にインパルスの上下を分離させた。
フリーダムの紅の光刃が軌跡を描く。だが、それは分離したインパルスの上半身と下半
身の間を空振りしただけだった。
「アンタだって、死にたくないだろうからな!」
シンは素早く再ドッキングして、驚愕で動きが鈍ったフリーダムに襲い掛かった。
「でも、逃がさない! アンタたちはやり過ぎたんだ!」
後退しながら繰り出されるビーム攻撃を掻い潜りながら、シンはフリーダムを追い立て
る。
「教えてやる! 俺の、この作戦に懸ける覚悟を! アンタとは違うんだってことを!」
身体ごとぶつけるようにビームサーベルを叩きつけた。飛び散る粒子がスパークして、
スクリーンに白いフィルターが掛かる。シンはその中にうっすらと浮かぶフリーダムの顔
を睨みつけた。
「自己満足で戦ってるようなアンタとは違うんだ! 自分の都合で敵にも味方にもなるよ
うなアンタとは!」
「自己満足……!?」
キラの声は、少し上擦っていた。シンは追い立てるように、「そうだろ!」と噛み付いた。
「違う!」
しかし、キラも黙ってはいない。シンの追及を跳ね除けるように、強く反発した。
「僕達に敵も味方も無い! ただ、目の前の戦いを止めさせたくて、僕達は!」
「それを自己満足って言うんだろうが!」
シンはそんなキラの主張も一蹴し、フリーダムを押し込んで雪面に叩きつけた。
ビームサーベルを振り上げ、そのまま串刺しにしようとする。しかし、キラも咄嗟に反応
し、素早く横へ逃れた。
突き立てたビームサーベルの熱が、雪を溶かして大量の蒸気を巻き上げた。キラはそ
の蒸気の霧を利用して、間合いを取ろうとした。
だが、シンの目からは逃れられなかった。インパルスはすかさずフリーダムを追撃した。
「逃がさないと言っている!」
背後から撃ったビームが、遂にフリーダムを捉えた。その象徴的な青いウイングの右
翼がビームの熱で溶融し、もげ落ちた。
「くっ……! こんな……!」
フリーダムはきりもみしながら墜落した。岩山の斜面に激突して滑ったが、それでもす
ぐに体勢を立て直し、追い縋るインパルスから全速力で遁走した。
「シン・アスカ……彼に話を聞いてもらうには……!」
海へ逃げるというアークエンジェルからの連絡は、しっかり受け取っていた。海中に身
を沈めれば、追撃から逃れることができる――趣旨は了解したが、しかし、合流しように
もインパルスがそれを許してくれない。
「状況が悪すぎる……! マリューさんの判断は正しいけど……!」
今、インパルスは猛烈な勢いでフリーダムに迫っていた。
機動力の低下だけが原因ではないように思えた。何か、決定的に流れがインパルスに
傾いている――そう感じられた。
強い執念が、その流れを引き寄せているのだろうか。キラの目に映るインパルスには、
何か怨念めいたオーラが立ち昇っているようにさえ見えた。
「君は、そこまで僕に復讐を――」
「違う!」
シンの強い否定は、風船の破裂音のように強くキラの耳を打った。そして、その強い否
定が、今しがたまでキラがインパルスに見ていたオーラが、思い込みから来る幻でしか
ないことを思い知らせていた。
「俺は復讐で戦ってんじゃない!」
シンはキラの言葉を打ち消すように叫んだ。
「もう、復讐じゃ戦わない! 戦っちゃいけないんだ!」
かぶりを振るシンには、強い後悔があった。グフ・イグナイテッドが爆散して、ハイネが
逝った。ベルリンで味わった激しい自己嫌悪は、今もシンの心に燻っていた。
だからこそ、復讐で戦うなと言ったハイネの言葉が、余計に身に沁みていた。
「アンタを倒すのは、俺がザフトだからだ! それがザフトとしての俺の使命だからだ!」
「使命……!」
フリーダムがビームライフルを構えた。だが、その刹那、インパルスの撃ったビームが
銃身を貫いていた。フリーダムは慌ててビームライフルを棄て、更に後退を続けた。
「ミネルバ! ソードシルエット射出!」
勝機と踏んだシンは、咄嗟にミネルバに要請していた。その求めに応じて、ミネルバか
ら示し合わせていたように即座にソードシルエットが射出された。そのソードシルエットと
並走し、シンはフリーダムを追い込んでいった。
アークエンジェルは間もなく海岸線に到達しようとしていた。
ラミネート装甲でダメージを軽減していたとはいえ、セイバーの執拗な攻撃は確実にア
ークエンジェルの体力を奪っていた。そして堪えきれなくなったラミアスは、遂にキラとの
合流を諦め、各個で海中に逃れる道を選択したのである。
フリーダムとアークエンジェルの合流を許さなかった時点で、シャアは最低限の役割を
果たしたと言えた。しかし、胸の内に広がるのは、もっとできたのではないか、という悔恨
の念だった。
当初からアークエンジェルが海に逃亡を図ることは想定されていた。配置はそのための
ものだったし、やや危険ではあるがタンホイザーの使用も視野に入っていた。
しかし、そうなる前に何とかできなかったのだろうか、とシャアは思う。タンホイザーという
些か危険な手段に出る前にアークエンジェルを航行不能にできれば、作戦はもっと容易
な展開になっていたはずだったからだ。
「タンホイザーの狙撃手が、うまくやってくれるのを祈るしかないが……シンはやれてい
るのか?」
自分の不甲斐なさを誤魔化すように呟いたシャアは、視線をインパルスとフリーダムの
戦いへと向けた。
そこでは、今、正に決着が付けられようとしていた。
逃げるフリーダムを、インパルスが凄まじい勢いで追走していた。
並走するソードシルエットからビームブーメランを取り出すと、それをフリーダムの背中
に投げつけた。フリーダムは咄嗟に身を翻して防いだものの、パワーダウンの影響もあっ
て大きくバランスを崩した。
水切り石の様に、フリーダムは海面を跳ねた。インパルスはレーザー対艦刀エクスかリ
バーを一振り手に取り、それを突き出して猛然とフリーダムに迫った。かわしきれないと悟
ったのか、フリーダムは覚悟を決めたかのようにシールドを構えて待ち受けていた。
それを目の当たりにした瞬間、シンは何かが全身の皮膚の下で激しく蠢き出したのを感
じた。
エクスかリバーの切っ先と、そのコンマ数秒先に迫る怨敵。――否、今回はあえてそう
いう風に考えないようにシンは努めていた。フリーダムは単なる軍事作戦上における、排
除するべき対象。ザフトであるシンにとって、フリーダムはそれ以上でもそれ以下でもな
い。
しかし、湧き上がってくるどうしようもない衝動のような感情が、抑えきれない。懸命に無
心になろうとしても、抗えないほどに激情が溢れてきた。
オーブで普通の生活を送っていた。両親と妹の四人の、何てことの無い慎ましやかな暮
らしだった。しかし、戦争が全てを一変させてしまった。そして、自分一人だけが生き残った。
あの運命の日から始まり、プラントへ渡り、アカデミーで必死の思いで力を身に付けた。
もう二度と、自分が経験したような悲劇を起こさせないために。
ミネルバに配属されて、すぐにアーモリー・ワンの強奪事件が起こった。「また戦争がし
たいのか、アンタたちは!」――言い知れない怒りに駆られ、モビルスーツに乗った。そ
れから程なく情勢が悪化し、戦争状態に入った。
二年振りのオーブは、気分を害しただけだった。家族の思い出よりも、アスハに対する
憤りの方が強かった。思えば、戦いはその憂さを晴らすためのものでしかなかったのか
もしれない。
しかし、そんな戦いの中にフリーダムは現れた。まるで、シンを嘲笑っているようだった。
噴出した復讐心に駆られて、無我夢中で立ち向かっていった。他人の戒めも聞かず、
ただ己の内から湧き出る衝動に身を任せて突っ込んだ。
そして、その自己中心的で迂闊な行為が、とうとうハイネを死なせてしまった。
悲劇は、再び起こってしまった。それも、自分のせいで。
複数の感情が混ざった。胸の中が、焼けるように熱かった。復讐、恨み、辛み、憎しみ、
怒り、悲しみ、悔恨――押し殺していた感情が、堰を切ったように溢れてきた。
どす黒い感情が、シンの瞳に映るフリーダムの姿を捻じ曲げた。まるで形容しがたい、
醜悪で恐ろしい悪魔のような怪物へと変貌させた。
手に持つのは、怪物を滅ぼすための聖なる剣。だが、その切っ先が、どういうわけか一
向に届かない。コンマ数秒というほんの僅かな距離が、どうしても埋まらない。
――何故だよ!?
シンは声にならない叫びを上げた。何か得体の知れない力が作用して、怪物に止めを
刺すのを止めている。そう思えた。
誰かが肩に手を置いている気がした。それが、コンマ数秒先の未来へと進もうとするシ
ンを引き止めている。
苛立ちを抑えきれず、振り返る。――ハイネの険しい眼差しが、見つめていた。
血の気が引いた。責めるような視線が、肝を縮み上がらせた。
そして、気付く。ハイネの声無き言葉の意味を。
(そうだった……)
シンは目を閉じて、一つ大きな深呼吸をした。それから、ゆっくりと目を開いた。
シンの目には、もう怪物の姿は無かった。ただ、フリーダムというモビルスーツがあるだ
けである。
シンを引き止めていた手が放された。そして、ポンと軽く背中を押された。
――シンは咆哮した。
「うおぉーっ!」
その瞬間、魔法が解けたようにコンマ数秒の距離は埋まった。フリーダムの両肩から迫
り出したバラエーナが、インパルスの頭を吹き飛ばしていた。だが、エクスかリバーの切っ
先もフリーダムのシールドを貫き、その腹に深々と突き刺さっていた。
「はぁっ……はぁっ……!」
柄から手を離す。ぐらり、と瞳から光を失ったフリーダムが、エクスカリバーに貫かれた
状態のまま死体のように海に落ちる。
次の瞬間、目が眩むような光がインパルスを飲み込んだ。海中に潜航しようとしたアー
クエンジェルを撃ったタンホイザーの衝撃である。海面を叩いたタンホイザーの一撃は、
巨大な水蒸気爆発を起こし、半径数キロに渡って周辺に余波を及ぼした。
タンホイザーの衝撃が収まりきらない内に、シャアは着弾点付近へとセイバーを進め
た。アークエンジェルの確認と、タンホイザーの爆発に巻き込まれたであろうシンの生存
確認のためである。
爆発の規模を物語るように、海面は未だ蛇がのたうっているように大きくうねっていた。
アークエンジェルの艦体は白を基調とした、かつてのホワイトベースのようなカラーリン
グである。白波収まらぬ海面に目を凝らしても、そのパーツの確認は易くは無い。
「――逃げられたか」
シャアは呟いた。それは経験則に基づいた勘である。
落ち窪んだような灰色の空だった。だが雪は止み、遠くの空に雲の切れ間ができてい
た。そこから漏れた光が、やがてこちらにまで伸びてきて、神々しい光を一帯に浴びせた。
その光の中に、朽ち果てたような物体が浮かんでいた。シャアはカメラに望遠をかけて、
それを注視した。それは、紛れも無くインパルスだった。
「生きていたか」
シャアが安堵すると同時に、インパルスは燃え尽きたかのようにその機体色を石灰色に
染めた。
暫し余韻に浸っていた。まだ、エクスかリバーを突き刺した時の感触が残っていた。
夢や幻ではないことを、覚束ない頭で確認する。
「倒した、よな……?」
ヘルメットを脱いで、徐に懐に手を入れる。そして、取り出したものを見つめ、ふぅと小さ
く息をついた。
「……言われたとおりにやれたろ、俺……?」
語りかけるシンに、微笑むようにフェイスのエンブレムが煌いたような気がした。
続く
職人さんGJ!
乙です。
GJ!!!
ときどき「エクスかリバー」に
乙乙
>>107 時々というか、ほぼですね……orz
何のための最終チェックなのか┐(´д`)┌
ふと半熟英雄を思い出して調べてみたらエクスカリバるの効果は即死
もしかしたらシンが止めに使ったエクスカリバーはエッグモンスターだったのかもしれない……
などと戯言を垂れつつ第十七話「ラクスとラクス」です↓
「ギルバート・デュランダルは、実は凄腕のモビルスーツパイロットである」――そんな
怪情報が、プラントのみならず、地球圏全域における一部で実しやかに囁かれていた。
噂の出所は定かではない。だが、どうやら軍内で流行っていた与太話が外部に漏れて、
それが口コミで広がっていったのではないかとの説が有力であった。
ハマーン・カーンにとっては、出所はともかく、その怪情報の真相は分かりきった話だっ
た。シャアの声がデュランダルの声と瓜二つであることは、当人たちを知っていれば誰も
が驚くことである。ネタが割れてしまえば、何とも下らない流言であった。
しかし、デュランダルはその噂を楽しんでいる節があった。
「愉快な話じゃないか。私が二人いるとなれば、暗殺者もどちらを殺せばいいか迷う」
そう言って、冗談とも本気ともつかない口調で笑う始末である。
デュランダル自身、暗殺されるかもしれないという自覚はあった。先日の大演説によって、
大きな痛手を被った国や経済界からは、早速デュランダルを槍玉に上げる声が上がって
いた。とりわけロゴス関連からの反発は強く、殺意を肯定させるほどの大きな恨みを買っ
たという認識は、流石にデュランダルも持っていた。
だからこそ、この怪情報はデュランダルに有利に働いた。影武者がいると思わせておけ
ば、多少は暗殺のリスクを低減できる。その間に先日の演説でロゴスの排除に同調してく
れた国と連携を図れれば良い。そして、デュランダルは既にその軽快なフットワークで、
ロゴス排除の見通しを立て終えていた。
ハマーンは、そんなデュランダルをつくづく狸だと心中で断じた。デュランダルは、シャア
以上に世界を自分の思い通りに動かそうとしているように見えた。策士、策に溺れるという
言葉がある。いつかデュランダルは足元を掬われるだろうとハマーンは思った。
そんなデュランダルが、地球へ降りるのだという。わざわざ針の筵に飛び込むようなもの
だと思ったが、目的は予てから開発が進んでいた新型モビルスーツをミネルバに直接届
けることと、今後に予定されている大規模作戦にて陣頭指揮を執るためであるという。
「君にも来て貰えると助かるのだがね。キュベレイの実戦投入も、そろそろ可能な時期に
入ったと聞いている」
「耳がお早いことで」
プラント本国首都、アプリリウス市コロニーにある議会堂の議長執務室にて、ハマーン
はデュランダルのそんな要請に素っ気なく返した。
「しかし、シャアの百式のこともあります。ご容赦をば」
「そうか。それは残念だね」
デュランダルも大して期待していなかったのだろう。残念と言う割りにはあっさりとしてい
た。
デュランダルは、空いている時間を見つけては度々ハマーンとの懇談の機会を設けてい
た。かつてのハマーンが、アクシズという敗戦国の残党とはいえ、都市区画や工廠、それ
に多数の艦船や独自の軍隊を保有する集団の実質的指導者であったことを知り、興味を
持ったのである。身上書の年齢に偽りが無ければ、ハマーンは二十歳という政治を行うに
しては余りにも若年の女性でありながら、一党を率いて地球圏の内戦に介入したというの
だから、それは驚異的と言えた。デュランダルは、そういったハマーンの思考や行動原理、
政治哲学を是非、知りたいと思っていた。
しかし、ハマーンはデュランダルの誘いに乗るようなことは無かった。デュランダルが煩
わしかった(主に声が)というのもあるが、ハマーンにしてみれば、結局介入は失敗だった
のである。ただの興味本位で聞いてくる輩に、誰が好き好んで失敗談を話すものか、とい
う問題であった。
だから、いつものように連れない態度のハマーンにデュランダルは、特に気にする様子
もなく笑い掛けるのである。
「では、今しばらくはプラントに留まるのかね?」
「そういうことになりましょう。――或いは、もう地球には降りないかもしれませんが」
ハマーンの意味深長な表現に、目敏いデュランダルの目が光った。
「それは、どういう意味かな?」
ハマーンはデュランダルの反応に、内心で舌打ちをした。研究者だった頃の名残か、デ
ュランダルは妙に探究心が強い。少しでも気になることがあれば、マニアックになることも
厭わずに追及してくるという、さぞかし女性に疎まれそうな悪い癖があった。
「……さあ?」
ハマーンの含みのある返しに、デュランダルは肩を竦ませて見せた。
「彼氏でも出来たのかな?」
苦笑混じりに、そんな軽口を叩く。真意を知りたいと思いつつも、素直に口を割らないの
がハマーン・カーンという女であることを分かった上での、ちょっとした意趣返しである。
「お戯れを」
ハマーンも笑って返す。しかし、執務室の中は、とても和やかとは言えない空気に包ま
れた。
「……うむ。まだ空調の調子が良くないようだな。直すようには伝えたのだが……」
余計な口を利いてしまったと後悔しながら、デュランダルは誤魔化すように空調のリモ
コンを空弄りしつつ、「しかし……」と話題を変えた。
「あの革新的な核融合炉のコピーがもっと容易なら、という問題がある」
「キュベレイや百式の、ですか?」
ハマーンが聞くと、「うむ」とデュランダルは頷いた。
「あれを新式のエネルギー炉として改良したものを発表して、戦後のプラント経済の主
力産業の一つに据えようと思っていたのだが、どうやらそう簡単に事は運んでくれそうに
無いようでね。残念ながら、我々の技術レベルをミノフスキー物理学の実用可能領域に
まで至らせるには、まだ長い年月が必要だということがこれまでの研究で分かってきた」
エイプリルフールクライシス以降の地球のエネルギー問題は深刻で、地中に埋め込ま
れたニュートロンジャマーによる影響で原子力発電が未だ不可能なことに加え、そのニュ
ートロンジャマーを無効化するニュートロンジャマーキャンセラーの使用も、ユニウス条
約によって禁止されている状態であった。それ故、時代遅れの火力プラントにも頼らざる
を得ない地球では、慢性的なエネルギー不足に悩まされていた。
そこでミノフスキー物理学を応用した従来よりも小型の核融合炉の技術を持ち出し、講
和条約締結後の地球とのエコノミーバランスを有利に展開することで、プラントの国際的
地位を大幅に向上させる青写真をデュランダルは描いていた。エネルギー不足問題の効
果的な解消案となれば、苦しいエネルギー事情の地球側は必ず歩み寄ってくると踏んで
いるのである。
それ故にデュランダルは、小型核融合炉の実現に、少なく見積もっても数年を要すると
した研究機関の報告に心底から落胆していた。
「戦後に間に合わないのは、本当に残念だ。休戦が成れば、その後は経済戦争だよ」
「議長は、私たちのモビルスーツを知った時から、そこまで見越しておられたので?」
「それはどうかな?」
腹を探ろうとするハマーンに、デュランダルは曖昧に返した。こういう捉えどころの無い
性格が、シャア以上に好きになれなかった。
「……それに、未確認ながら連合軍が所有していたという“Ζ”というモビルスーツが、
パイロットと共に行方を眩ませたという情報もある。それが事実なら、現在我々が実質
的に核融合炉の技術を独占しているようなものなんだ」
「……」
不意に漏れた情報に、ハマーンは微かに眉根を寄せた。カミーユが脱走したという情報
は、流石に知らなかったのである。
その時、ふとデュランダルが自分を見ていることに気付いた。まるで観察するような眼
差しである。
(不埒な男が……)
ハマーンが感付かないはずが無かった。
デュランダルはハマーンがカミーユと既知であると仮定し、わざと情報を漏らしてハマ
ーンの反応を窺っていた。こうして揺さぶりを掛け、口の堅いハマーンから少しでも情報
を引き出そうとしているのである。
ハマーンはそれが分かったから、余計に不愉快な気分になった。
そして、デュランダルはそれすらも見越していながら、それでもハマーンが強くは出ら
れないことを分かっていた。自身の破廉恥な態度を差し引いても、ハマーンはまだ自分
に利用価値を認めていることを見抜いているからだ。
事実、ハマーンはデュランダルの権力に利用価値を見出していた。そして、デュランダ
ルは、その理由までは把握できずとも、キュベレイや百式が手元に留まる以上、それが
分かるだけで十分だった。
デュランダルはハマーンの表情から無駄であると悟ると、徐に言葉を続けた。
「……だから、核融合技術を我々が寡占すれば、それがプラントの大きなビジネスにな
る。私はね、あの技術をもっと有効に使いたいんだ。そうすれば、戦後はプラントの一人
勝ちになれる」
デュランダルは、ふと時計に目をやると、「時間なのでね」と言って徐にソファを立ち上が
った。
「しかし、戦争も水物です」
ハマーンが、退室しようとするデュランダルを目で追いながら言った。
「例えそれが早期に実現したとしても、議長がお考えになる通りに戦争が終わるとは限
りません」
自信たっぷりのデュランダルに水を差すように、ハマーンは苦言した。
だが、ドアの前で振り向いたデュランダルの顔には、些かの曇も無かった。
「終わるよ」
デュランダルは言い切って見せた。軽く棘を含んだハマーンの言葉にも、まるで意に介
す様子を見せず、不敵に笑みを浮かべてすらいた。
「既にロゴスの大半は、革命という時代の大きな波のうねりの中に消えた。その革命を
起こしたのが私の宣言なら、これから先のことも上手く行くと感じるね」
「そうでありましょうが、しかし、ネズミは隠れるのが得意と相場が決まっております」
「巣は特定できている。それに、連合内からも駆除を手伝ってくれる同志が集まってく
れた」
デュランダルは執務室のドアノブに手を掛けた。
「数日後、絶対悪となったロゴスの壊滅を以って地球圏は平定される。そして、私の本
当の仕事は、そこから先にこそあるのだ」
「結構なことで」
ハマーンは呆れ混じりに言った。そして、露骨にこう付け加えた。
「ゆめゆめ、お見落としの無きよう、十分にご注意下さいませ」
「忠告、感謝しよう」
デュランダルは、素直に礼を述べた。その態度に、この程度か、とハマーンは内心で
嘲っていた。
だが、それが早とちりであることを、すぐに思い知らされた。
「けど、私に抜かりは無いよ」
デュランダルの流し目のような横目使いに、ハマーンは腹黒い思惑を見た。
「エンジェルダウン作戦は、私が立案したものなんだ。――逃げられてしまったようだ
がね」
デュランダルが微笑んだ瞬間、ハマーンはその真意に気付いた。
表向きは、拉致されたカガリ・ユラ・アスハを救出して、プラントの功績をアピールする
ことが目的だった。しかし、その裏には、将来的に障害となり得るであろう存在を排除し
ておきたいという、真の目的があった。
“彼女”を利用しているデュランダルにとって、本物の“彼女”の存在は、致命的とも言
える不都合な真実だった。
だから、その心理は理解できた。しかし、それが問題ではない。
ハマーンが偽者だと看破していることは当然、織り込み済みであると推察できた。そし
て、或いは自分と“彼女”が接触済みであることを知っていて、あえて泳がされているの
ではないかとも懸念した。
腹の底が見えないデュランダルであれば、ハマーンが警戒するのは当然であった。
(ルナマリアが口を滑らせたか……?)
デュランダルは柔和な笑みを浮かべたまま、そんなハマーンの様子を楽しむように眺
めた後、退室していった。ハマーンはそれを見送ると、ソファに腰掛けたまま足を組み直
し、思案を続けた。
しかし、結局デュランダルの真意は分からなかった。ハマーンにとって、それはもどか
しい以上に腹立たしいことだった。
(ギルバート・デュランダル……一筋縄ではいかないということか……)
柔和な雰囲気は、単に民衆受けを狙ったものではない。その裏にある真意を隠すため
のカモフラージュでもあるのだ。そのことが、ハマーンにも分かってきた。
しかし、デュランダルも全知全能というわけではない。エンジェルダウン作戦が発動する
以前に、ハマーンは既にアークエンジェルに“彼女”が乗っていないことに気付いていた。
その筋からの情報を得る前に、ハマーンはルナマリアから直接、報告を受けていた。
エンジェルダウン作戦の終了直後にルナマリアからもたらされた情報は、二つ。一つは、
未確認ではあるが、フリーダムがシンによって撃墜されたこと。そして、もう一つは、アー
クエンジェルに逃亡を許したらしいということである。
どちらもハマーンにとって大して意味のある情報ではなかった。強いて意味を持たせる
とすれば、フリーダムが沈んで“彼女”の厄介な手駒の一つが消えたことを朗報とするこ
とはできたが、それも焼け石に水程度にしか考えていなかった。
誰も気付かぬ内に、危険の芽がどこかで萌芽の時を待っている――それは、まだハマ
ーンの勘でしかなかったのだが、自らのニュータイプ的なそれは信じるべきだと思った。
やがてハマーンはソファから立ち上がると、すっかり冷めてしまったハーブティーをそ
のままに執務室を後にした。
議会場を後にし、滞在先の高級ホテルへと向かう。
妙な胸騒ぎがしていた。その胸騒ぎが、ずっと案じていた危惧と無関係でないことを、
ハマーンは肌身で感じていた。
気を紛らわすように、地球のルナマリアに連絡を入れた。暫くのコールの後、端末の受
話口から「ふがっ」という間抜けな声が聞こえた。
「何時だと思ってるんですかあ……こっちはド深夜ですよお……」
「そんなことより答えろ、お前は“あの女”のことを誰かに漏らしたか?」
ハマーンはルナマリアの都合もお構い無しにぶしつけに問い掛けた。少しのタイムラグ
による間があって、ルナマリアからの返答がくる。
「……“あの女”って、あの人のことですか? そんなこと、するわけないじゃないですか。
こっちは次のアイスランドの攻略戦に向けた準備で大忙しなんですから。そんな混乱を
招くような真似、流石のあたしもやりませんよ。そりゃ、しゃべりたい気持ちはありますけ
ど……」
あくび混じりに、迷惑そうに話すルナマリア。そんな様子など微塵も気にすることなく、
ハマーンは少しの間思考を巡らせた。
完全には信用できないが、どうやらルナマリアから情報が漏れている心配は無さそうだ
った。デュランダルに疑われているのではないかという気掛かりは、杞憂と考えて良い。
そして、地球ではロゴス掃討に向けて全世界が大きく動いており、デュランダルもその
ために自ら地球へ降りるわけである。
つまり、世界中の目がその動きに向けられているのである。――動くのなら、今しかない
と思った。
「――ってゆーか、やっぱりおかしいですよ、ハマーンさん」
返事もしないで考えていると、不意にルナマリアから声が掛かった。ハマーンは気を取り
直し、「何がだ?」と返す。
「何がって……本当に“彼女”が本物なら、どうしてそんなに危険視する必要があるんで
すか? 大体あの人、二年前の大戦を終結に導いた立役者ですよ?」
ルナマリアの意見ももっともではある。実際、ハマーンにもはっきりとした脅威が見えて
いるわけではない。
しかし、だからと言って座視しているのは危険過ぎる気がした。何も起こっていないから
こそ、余計に目を離すべきではないとハマーンの勘が言っている。
「それはお前が気にすることではない。お前は私の言うとおりにしていればいいのだ」
「何故ですか? ちゃんと説明してくれなくちゃ、こっちも納得できませんよ!」
ハマーンの突き放すような言に、ルナマリアは語気を強めた。流石に不満が募っている
ようだ。
ルナマリアが声を荒げたせいで起きてしまったのか、後ろで彼女の妹が、「どうしたの、
お姉ちゃん?」と眠たげに問いかける声が聞こえた。
ルナマリアは、「何でもないのよ」と妹に言い聞かせてから、囁き声で、しかし強い口調
でハマーンに語り掛けた。
「ハマーンさん!」
睡眠を妨害されたことで、いくらか気が立っているのだろう。引く気配の無いルナマリア
の調子にため息を漏らしながら、ハマーンはホテルへの近道である路地裏に足を踏み入
れた。
さて、どのように躾けてやろうかと思案しながら歩いていると、徐に何かが足元に転がっ
てきて、ふと足を止めた。それは、両手に収まるサイズの、ピンク色の球体だった。それ
がコロンと転がると、目のような電飾が明滅して、耳のような羽を左右に開いてパタパタと
はためかせた。
「ハロ、ハロ」
その不可思議な物体は、ハマーンの注意を引き付けながら転がっていった。それを目
で追っていくと、やがていつの間にか立ち塞がっていた誰かの足元で止まった。
白い手が、それを拾い上げた。その瞬間、ハマーンは目を釣り上げた。
「お久しぶりでございます――」
「ちょっと! 話、聞いてるんですかあ!?}
受話口からは、まだルナマリアの催促の声が聞こえている。しかし、既にハマーンの意
識は目の前の人物へと吸い込まれていた。
屈強そうな男が二人。眼帯を付けた隻眼のオールバックの女性が一人。そして、それ
を従えるようにして中心で凛として佇んでいるのが、彼女――本物のラクス・クラインだ
った。
「ハマーン様」
受話口からは、ひっきりなしに呼び掛けるルナマリアの声が続いている。
「やはり、このタイミングで動き出したか」
「はあ?」
「また、連絡する」
「えっ? ちょっと、まだ何も――」
ハマーンは一言だけ告げると、一方的に通信を切った。
そして、懐から素早く銃を抜くと、その照準をピタリとラクスの額に合わせた。
刹那、護衛らしき三人がラクスの前に飛び出して壁になり、銃を抜いて一斉にハマーン
に狙いを定めた。
張り詰めた緊張感が辺りの空気を支配した。
ハマーンは、チッと舌打ちをすると、徐に銃を収めた。それを見たラクスも護衛の三人に
目配せをし、銃を下ろさせた。
「きっと、応じていただけるものと思っておりましたわ」
「良く言う。何が目的だ? 私に接触してきた」
友好的な声色のラクスに比して、ハマーンはあからさまに警戒感を剥き出しにしていた。
ラクスは一寸、残念そうに表情を曇らせたものの、すぐにいつもの凛とした佇まいに戻っ
た。
「単純なお話です。ハマーン様から、是非デュランダル議長を説得していただきたいの
です」
「説得だと?」
ハマーンが問うと、「はい」とラクスは頷いた。
「先日の演説による混乱で、地球圏は暴力的な風潮が支配的になっています。デュラ
ンダル議長はそれが正義だと叫びますが、果たしてそれはどうでしょうか。退廃的な暴力
による正義はいずれ暴走し、民を苦しめ、更なる混迷を呼びます。それを許しておいて良
いものでしょうか?」
「回りくどいな。要点だけを言え」
ハマーンが苛立ちを含んだ言葉を投げ掛けると、ラクスは「申し訳ございません」と頭を
垂れた。
「ですから、ロゴス掃討のための作戦が控えている今、その前に、これ以上の愚かな扇
動を止めるよう、ハマーン様からデュランダル議長に進言していただきたいのです」
「貴君がデュランダル議長と懇意であることは、調査済みである」
ラクスに続いて護衛の女が補足した。
「道理で最近、小うるさいハエが飛んでいたかと思えば……」
ハマーンは不愉快そうに言って、ラクスたちに睨みを利かせた。
「話は分かった。しかし、ラクス・クライン、お前は破廉恥な女だな?」
「何だと!」
ハマーンが詰ると、メガネの男がいきり立った。しかし、ラクスが手で制すると、メガネの
男は大人しく従った。
(おやおや……)
屈強な男が、華奢な女性に御される様は一種異様である。ラクス・クラインという、特別
な少女が持つカリスマ性のなせる業であった。
「無礼はお詫びします。恥知らずで申し訳ありませんでした」
素直に非を詫びるラクスに、ハマーンは鼻を鳴らした。
「素直に己の非を認めるその姿勢は好きだよ? だが、答えはノーだ」
「何故ですか?」
「ならば聞くが、何故お前が自ら言わないのだ。お前なら、付け入る隙はいくらでもある
はずだ」
回りくどい手段を用いずとも、自らが表に出れば、それだけでデュランダルの首根っこ
は押さえられる。いくら容姿や声が瓜二つでも、本物だけが持つオーラというものを偽者
は持っていない。そして、比べるとなれば、それは凡夫の目から見ても一目瞭然なのだ
から。それをしないのは、ラクスの怠慢だと思った。
しかし、そのことを指摘しても、ラクスはそれを是としているように見えた。ハマーンは、
そこに違和感を覚えた。
「申し訳ありません。しかし、このような時期においては、無用な混乱は避けるべきかと
思いますゆえ」
その答えを聞いて、確信を持った。デュランダルへの説得の要請など、方便でしかない
のだ。
ハマーンは、ラクスの真意を知った上で、あえて気付かない振りを通した。
「デュランダルが気に食わないのなら、そこの手駒でも使って、脅すなり暗殺なりしたら
どうだ? お前は、怪情報など信じてはいないのだろう?」
ハマーンが言うと、「ラクス様はそのようなことはなさらん!」と、またメガネの男が興奮
気味に言った。他の二人も、今にも飛び掛ってきそうな構えを見せていた。
ラクスは、「落ち着いて下さい」と言って三人を宥めた。
「ヒルダさんたちは、わたくしの手駒などではありません。共に地球圏の明日を憂う同志
なのです」
「詭弁だな。お前がコイツらを連れているのは、万一の時に私を殺すためだろう?」
「違います」
「そして、戦いになれば、モビルスーツにも乗せる――手駒と何が違うというのだ?」
「止めてください!」
嘲笑うハマーンを、ラクスはキッと見据えた。
「彼らを辱めることは、ハマーン様といえども許しません」
普段の柔和な表情からは想像できないような、強固な意志を持った瞳だった。青い瞳に
は強い光が宿っていて、揺るがぬ決意が込められていた。それは呆れ返るほどに純粋な
眼差しで、ハマーンは何故かそこに危うさを感じた。
(やはり、この女は危険だ……)
直感である。だが、限りなく真理に近い気がした。本質の見えない空恐ろしい何かがラ
クスの内側に潜んでいて、何故かそれに妙に興味を惹かれるのだ。
ハマーンは敵対心と警戒心を剥き出しにした鋭い視線を投げ掛けた。それは、決して気
を許しはしないという強い拒絶の意思表示であった。
ラクスは、何故かそんなハマーンの眼差しが好きだった。深い孤独を抱え込んだ悲しい
眼差しのはずなのに、その瞳で見つめられると思いがけず精神的な官能を覚えてしまう。
それはいけないことだと自覚しながらも、つい、そうせずにはいられないのは、明らかに
自分の性であった。ラクスは確信犯的にハマーンに睨まれるように仕向けたのである。
最近、そういう自分の生理が分かってきた。それは、紛れも無くハマーンに抱くシンパ
シーだった。
ラクスは理解していた。こうして護衛に付いて来てくれたヒルダ、ヘルベルト、マーズの
三人とは、確かに志を同じくしていても、ありふれた人間関係としての絆は決して築けな
いことに。それは、年下のラクスを“様”付けで呼ぶことからもハッキリしていた。その高
いカリスマ性に惹かれ、心酔し、崇拝に近い感情を抱いている三人にとって、ラクスはク
ライン派の正統な領袖であり、隷属的に付き従うべき対象なのである。
そのような関係は、決してラクスの望むものではなかった。
しかし、ラクスは私情を押し殺さなければならなかった。歯車は、既に回り始めている。
アスランもザラの名を背負い、動いている。もう、後戻りは出来ないのである。
その中でハマーンに会いに来たのは、淡い期待があったからだった。もし、ハマーンと
共に道を歩めるものなら――そんな妄想が、ラクスを衝動的にさせて突き動かしたので
ある。
暫時、視線を交わしていた。やがて、徐にラクスが口を開いた。
「わたくしの願いは、聞き入れてくださらないのですね」
ハマーンが素直にラクスの要請に応じるなどとは、露ほどにも思っていなかった。要望
など口実である。ハマーンがプラントに入っていることを知って、どうしても会いたかった
だけなのだ。
ハマーンは沈黙で以って答えた。ラクスは、「参りましょう」と三人を促した。
「よろしいのですか?」
そう言って、ヒルダが懐の銃に手を掛ける。ラクスはその手を取って制し、徐にかぶりを
振った。
「無闇に人を殺めて得られる平穏に、どれほどの価値がありましょうか。今は分かり合え
なくとも、いつか手を取り合える未来が来ればいい。わたくしは、そう考えます」
ヒルダは、「はっ!」と慇懃な返事をしてラクスに従った。その感じ入ったヒルダの表情に、
ハマーンは茶番を見せられているような心持になった。
その一方で、影が差しているように見えたラクスの表情も気に掛かっていた。
(そうかい……)
何とはなしに、ラクスが自分に拘る理由が分かったような気がした。あの三人の態度が、
余計にラクスの孤独を深めているように見えたからだ。それはニュータイプ的な感覚とし
てではなく、ラクスに自分と通じるものがあるのかもしれないと思ったからこその感想だっ
た。
しかし、だからと言って縋ろうとしてくるラクスは甘いと断じた。
何事につけても人々の上に立ち、期待を背負うというのであれば、孤独は覚悟しなけれ
ばならない。自分が指導者であることを自覚すれば、甘えなど言ってはいられないという
のがハマーンの持論であった。
(そこに救いは無いのだぞ……)
少なくとも、ハマーンはアクシズを率いる上では孤高であったつもりだった。
或いは、シャアがいてくれたなら――そんなことを一瞬だけ考えて、浅はかな自分を罵
る。シャアはアクシズを導く資格を持ちながら、それから逃げるように地球圏へと流れ、あ
まつさえ裏切ったのである。それを許すつもりはなかった。
既にラクスたちの姿はなかった。ハマーンはホテルへと足を速めた。
デュランダルは地球に降り、ジブラルタル基地に入った。同道者の中には、デュランダ
ルのラクスの姿もあった。
そのデュランダルに、シンとシャアが呼ばれた。工廠区画のとある施設の地下で、彼ら
は待っていた。
辺りは暗い。何かがあるらしいことは雰囲気で分かったが、薄暗くて良く分からなかった。
シャアとシンがやって来ると、デュランダルが「やあ」と気さくな挨拶をした。ラクスの方
はシャアばかりに熱い視線を注いでいて、「お久しぶりですわね」と頬を赤らめた。
「ほお」
デュランダルはその様子に、含みのある感嘆を漏らした。だが、それは一先ず置いてお
いて、本題を切り出した。
「君たちを呼んだのは他でもない。是非、見てもらいたいものがあってね」
デュランダルが手を掲げて合図を出すと、カッとライトが照らされて全容が明らかになっ
た。
そこには、一同を挟み込むようにして、二体のモビルスーツが、あたかも仁王像のように
佇んでいた。
双方ともガンダムタイプで、静かに鈍色を湛えていた。落ち窪んだように暗くなっている
目元の部分が、まるで眠っているようだった。
「モビルスーツ……? 見たことの無いタイプだ……」
シンは少し戸惑った様子で見回した。デュランダルはその反応を楽しむかのように目を
細め、それぞれの名称がデスティニーとレジェンドであることを教えてくれた。
「デスティニーはシン・アスカ、君の機体となる」
「自分のですか?」
「あのフリーダムを倒した君の活躍は聞いている。君のような優秀なパイロットが味方に
いてくれるから、私も心強いと思っている。これは私の、君に対する期待の表れと思って
欲しい」
シンはデスティニーと紹介されたモビルスーツを見上げた。何とはなしにインパルスに
似ていると思った。しかし、色々と装備が付いていたりと、矢鱈と強そうな印象を受けた。
「それと、もうひとつ」
デュランダルが言うと、ラクスがラグジュアリーをしまうような小さな箱を手渡した。デュ
ランダルがシンに見せた箱の中には紫のクッションが敷き詰められていて、そこに横た
わるようにシルバーに輝く羽のエンブレムが収められていた。フェイスのエンブレムであ
る。
「これって……」
「君には資格がある。胸を張って受けたまえ」
デュランダルはシンに箱を差し出した。
だが、シンは少しの間、黙ってそれを見つめていると、やがて徐に「申し訳ありません」
と言ってかぶりを振った。
「どうしてだね?」
怪訝そうにデュランダルは問い掛けた。フェイスといえば、ザフトとしては最高に近い栄
誉である。それを、よもや拒否されるとは思わなかったからだ。
「あ、いえ、違うんです。そういうわけじゃなくて……」
無礼を働いてしまったと気付いたシンは、一言だけ弁解すると、懐に手を入れて取り出
したものをデュランダルに見せた。
それを目にした瞬間、デュランダルの顔色が変わった。
「これは……」
シンが差し出したのは、持っているはずの無いフェイスのエンブレムだった。デュランダ
ルが持っている真新しいものと比べると、少しくすんでいるようにも見える。
シンは暫時、それを見つめると、やがて思い切ったように語り始めた。
「ハイネが預けてくれたものです。自制心の無い自分を戒めるために。でも、返しそび
れちゃって、それで……」
「そうだったのか」
ハイネの戦死のことは、デュランダルも聞き及んでいた。ディオキアで彼をミネルバの
面々に紹介したことが、つい昨日のことのように思えた。
「思えば、惜しい男を亡くした」
「自分の責任です! だから、その穴埋めは必ずして見せます!」
シンの目には強い光が宿っていた。デュランダルはそれを見て、納得して頷いた。
「よろしい。その言葉に偽りが無いことを、これからの行動で証明してもらう」
「はっ!」
「ならば、君が身に付けるべきは、それこそが相応しい。フェイスらしく、誇りたまえ」
デュランダルは柔らかく微笑むと、箱をそっとポケットにしまい込んだ。
「ありがとうございます!」
シンは敬礼を決めると、早速襟元にフェイスのエンブレムを装着した。デュランダルは
それを見て、もう一度深く頷いた。
「君の活躍に期待している」
「はっ!」
シンは小気味よく返事をすると、もう一度、ピシッと敬礼を決めて見せた。
「……さて」
次に、デュランダルはシャアへと向き直った。
シャアはデュランダルとシンのやり取りを見守っていた一方で、やはり気になってモビ
ルスーツの方にも意識が行っていた。デュランダルはそんなシャアを、好奇心の強い男
だと思った。
「クワトロ・バジーナ。君には、こちらのレジェンドを使ってもらうことになる。これまでは
セイバーで我慢してもらっていたが、これなら君の百式と遜色ない性能を発揮してくれる
ことと思う」
「とんでもない」
シャアはレジェンドを見上げながら言った。
「セイバーの性能には満足しています。その上、このようなモビルスーツを与えていただ
かずとも」
「百式の修復には少し手間取っていてね。本当は、一緒に持ってきて君を驚かせたかっ
たのだが、残念ながら間に合わなかった。レジェンドはその繋ぎにと思っていたのだが」
デュランダルの言葉には、少しの嘘が混じっている。百式の修復が遅れているのは、核
融合炉の解析に時間が掛かっていたからである。
シャアもそれは承知していた。デュランダルの心情を思えば、キュベレイか百式のいず
れかは研究用に回したいところだろう。セイバーは十分に機能しているし、シャアとして
は百式を研究用にまわしてくれても問題は無いのだが、何かを企んでいるらしいハマー
ンがそれを許すかどうかは分からなかった。
ロゴス殲滅作戦後の世界情勢次第だが、いずれ再び百式のシートに座る時が来るか
もしれない。漠然とそんな未来を予感しながら、シャアはレジェンドを見やった。
「レジェンドには、特殊なシステムが積まれているようですが? 背部にマウントされて
いるのは、ビットか何かでしょうか?」
その巨大なバックパックが気になっていた。デフォルメされた太陽のような巨大なバッ
クパックからは、無数の砲塔が針のように放射状に突き出ていた。
「分かるかい? 流石だね」
デュランダルは些か大袈裟に感心して見せた。褒めそやすような態度が、シャアには
少し煩わしく感じた。
「ドラグーンシステムと言ってね、量子通信による無線誘導式攻撃端末なのだが、君に
はファンネルと言った方が通りがいいかな?」
「私に扱えましょうか?」
シャアも若干の謙遜で以って答えた。有線式とはいえ、ジオングのサイコミュ兵器は使
えたのである。当然、自信はあった。
――少し前から、シンは試しに目を閉じて二人の会話に耳を傾けていた。が、すぐに後
悔した。口調で何とはなしに区別できるが、同じ声で問答を繰り返されると、頭のおかし
い人の独り言を聞いているみたいで、耐えられなかったのである。
げっそりとするシンを、その意図に気づいたラクスの三白眼が小馬鹿にしていた。
「ハマーン・カーンは、君ならできると言ってくれたよ」
「彼女が……?」
「何だかんだで、君は彼女から信頼されているようだね」
そのデュランダルの言葉には、流石のシャアも失笑しそうになった。
(ハマーンが信頼……?)
おかしくてへそが宿替えをするところだった。
シャアは、「お言葉ですが」と苦笑混じりに言った。
「彼女の私に対する評価を、鵜呑みになさらない方がよろしいかと存じます。ハマーン・
カーンという女は、私に対して容赦の無い女です」
「そうなのか?」
「はい。――やはり、私にはセイバーの方が合っていると思います」
ハマーンの影に何かを察したのか、シャアはやんわりと断わった。
一方で、シャアの言葉を受けてデュランダルは、「うむ……」と考え込んでいた。だが、
少しして徐に口を開き、「……本人が言うのだから、そうなのだろうな」と、あっさりシャア
の言葉を肯定した。
「ここは現場の意見を尊重することにしよう」
「恐れ入ります」
デュランダルは、表向きは残念そうな態度を見せたものの、内心ではシャアが断ってく
れたことを喜んでいた。レジェンドは元々、レイのために開発していたようなものだったか
らだ。
しかし、それでは身内贔屓をしているように思えて、心地が悪かった。故に体面を保つ
ため、私心を抑えてシャアに与えるつもりでやって来たのだが、渡りに船、シャアが断わ
ってくれたお陰で堂々とレジェンドをレイに与える口実が出来て、嬉しいのである。
シャアは、理由は分からなかったが、提案を断わられた割にデュランダルの機嫌が良さ
そうな様子を見て、内心で首を捻るのだった。
――帰り際、シャアはラクスに呼び止められた。
「何でしょう?」
相変わらず際どい格好をしていた。品が無いとは思ったが、男の本能を刺激する妖婦
の如き艶やかな身体つきは確かに魅力的で、つい注目してしまう。
(やはり、大きいな……)
こういう時、サングラスというものは便利だと思った。シャアはさり気なく確認すると、冷
静に目線を彼女の顔に上げた。
「これからお時間、無いでしょうか? ご相談したいことがあるのですが……」
シンが先に帰る振りをしながら、好奇の目でシャアとラクスの様子を窺っていた。シャア
はそれを煩わしいと思いながらも、あえて無視をしてラクスに応じた。
「私に、ですか?」
ディオキアで一度、偶然に鉢合わせたことはあるが、特に親しいわけではない。当然、
相談を持ちかけられるような仲とも思っていない。だから、シンの目もある上、同様にデュ
ランダルも何気にこちらを窺っている現状が、ひたすらに居心地が悪く感じられた。
しかし、プラントの人気アイドルの頼みを無碍に断るのも角が立つというもの。正直、気
は進まなかったが、シャアはラクスの頼みを仕方なく聞き入れた。
「では、着替えて参りますので後ほど」
それで、その場は一旦、解散になった。
その後、待ち合わせ場所に来てみると、不自然なほど大きなティアドロップのサングラ
スをかけた、作業着姿のラクスを見つけた。何処からか繋ぎを調達してきて、ジブラルタ
ル基地のスタッフに成りすましているようだ。
「有名人の身だしなみなのでしょ?」
サングラスを少し下にずらし、ペロッと舌を出して笑う。からかうようなチャーミングな微
笑みは、シャアのサングラスに向けられていた。
「そういうつもりではないのだが……」
シャアは何と説明したらいいか困って、苦笑せざるを得なかった。
二人は連れ立ってジブラルタル基地の一画にあるレクリエーション施設に向かった。そ
こでビリヤードを嗜んだり、ダーツを楽しんだり、カラオケに興じたりもした。流石にシャア
はコズミック・イラの楽曲には疎く、その上カラオケという場とは縁遠かったので遠慮した
が、ラクスは歌姫と呼ばれているだけあって、抜群の歌唱力を存分に披露してくれた。彼
女のファンである若いメカニック連中にこのことを自慢したら、きっと面白いことになるの
だろうな、と内心で笑う。――言えるわけが無いが。
だが、バーに入ってカウンター席に二人して腰を落ち着けたところで、ふとシャアは思っ
た。
(私は何をしているのだ……?)
注文したカクテルが差し出されると、ラクスは実においしそうにグラスを傾けた。そのキュ
ートな仕草は確かに目の保養にはなるが、しかし、どうにも解せなかった。
「こんなに羽根を伸ばしたのは、久しぶりですわ」
そう言って唇を舐めると、ラクスは最近の忙しさに愚痴を零し始めた。
この頃は遠距離の移動が多いらしく、前回の休みがいつだったかも忘れるくらい働き詰
めだったらしい。しかし、こうして忙しくさせてもらっていることがありがたいし、楽しいとも
言った。女性らしい二面性のある感想だと思った。
果たして、彼女はただ気晴らしにデートを楽しみたかっただけなのだろうか。相手がVIP
ということで大目に見てきたが、どうにも本懐がお座成りにされてしまっているように思え
て、シャアはスコッチを呷ると、とうとう口に出した。
「ご相談があるのでは?」
その途端、ラクスはそれまでの楽しそうな表情から一変して、思い詰めた面持ちになっ
た。白けた深いため息はまるで、空気が読めてない、と詰られているかのようだった。
「お酒のせいかもしれませんわね。大分、身体が火照ってまいりました。少し、風に当
たりましょうか」
「あ、ああ……」
ラクスは席を立った。女性とは分からないものだと思いながら、シャアも続いた。
二人はジブラルタル基地を出て、小高い丘に登った。そこからはジブラルタル基地が一
望できた。黄昏の空は深い藍色に染まりつつあって、一つ二つと星が瞬き始めていた。
「綺麗な眺めですわね……」
ラクスは、独り言のようにぽつりと呟いた。
「これが軍事基地だなんて、嘘のよう……」
ラクスの言うとおり、広大で整然としたジブラルタル基地には明りがぽつぽつと蛍のよ
うに灯り始めていて、文明の光も幻想的に輝くものだとシャアに思わせた。
「でも、所詮は作り物の光。あの月のようにはなれませんわ」
ラクスは背を向け、上空を仰いだ。東の空に、宵の三日月が見えた。
「クワトロ様は、デュランダル議長の影武者としてお呼ばれになったのでしょう?」
背中越しに語り掛けられた時、まるでその背中が巻き起こしたかのように風が吹いて、
シャアの髪を乱した。シャアはつい顎を引いて、襟で口元を隠した。
「いや……」
「いいのです。――最近出回っている怪情報の噂……あれはデュランダル議長が自ら
流布したものだと噂する方もいらっしゃるほどです」
シャアもその噂は耳にしていた。しかし、そんな与太話を誰が信じるものかと高を括っ
ていたのだが、存外に影響が大きいことを知って唖然とした覚えがある。ファーストコー
ディネイターと言われているジョージ・グレンが万能人間だったことから、ナチュラルの間
では未だにその手の噂を本気にする者が多いのだという。それは、ニュータイプを恐れる
連邦政府高官と同じ感覚なのだろうと考えると、シャアはほとほと呆れた心地にさせられ
た。
「……」
ラクスは言ったきり、暫くの間黙ってしまった。
シャアもその間、黙って待っていた。二、三分が長く感じられた。
やがて、ラクスは背伸びをするように全身で深呼吸すると、覚悟を決めたように再び口
を開いた。
「……あたしも、そうなんです」
シャアはラクスの一人称が変わったことに敏感に気付いた。
「あたしは本当のラクス様じゃないんです。本当の名前は、ミーア・キャンベル……声
だけが取り柄の、暗く地味な女でした。この顔は、整形して手に入れたものなんです」
シャアに特に驚きは無かった。何せ、本物のラクスを知らないのだから、驚きようが無
い。しかし、彼女にとっては一世一代の告白であることは、その震える声からひしひしと
伝わってきた。
「本当の顔は?」
「見せられません! 幻滅されてしまうから……」
ラクス――ミーアの反応を見て、シャアは自らのデリカシーの無さを呪った。ミーアは
過去の自分を嫌っている。
「いつまでもこんなことを続けられないのは分かってるんです。本物のラクス様はどこ
かにいらっしゃって、あたしはそれまでの繋ぎでしかないんだって。でも、みんながあた
しの歌を聞いてくれて、みんながあたしを褒めてくれて……凄く楽しくて、嬉しくて……。
あたし、自分が勘違いしていくのが怖いんです……。この生活が続く限り、あたしこそが
ラクス様なんだって……だったら……」
ミーアはその先を口に出すことを恐れて、激しくかぶりを振った。
「同じ境遇のあなたには、知っておいて貰いたかったから……」
ミーアは勘違いしているが、シャアはあえてそこには触れなかった。
ミーアが徐に振り向く。美しい桃色の髪が舞った。
「こんな女、軽蔑しますよね……?」
無理矢理に作った笑顔から、涙が零れていた。それが、シャアの心に久しぶりの刺激
を呼んだような気がした。いつになく強い月の明りのせいなのか、それともジブラルタル
基地の灯りのせいなのかは知れない。だが、それは一瞬のダイアモンドの煌きを残して
ミーアの頬を伝い、落ちた。
ミーアは恐れていた。本物のラクスが姿を現して自分がお払い箱になることよりも、醜
く歪んでいく自分の心の方が遥かに怖かった。本物のラクスのように、いつまでも美しく
清廉なままでいられない自分が、むごいくらい汚らわしく思えた。
ふと、寒風が吹いた。ミーアが身を震わせて、身体を丸めた。シャアは上着を脱いで、
そっとその肩に掛けてあげた。
ミーアがシャアに身を預け、二人のシルエットが重なった。シャアは、風の中に自身の
ため息を混ぜた。
ジブラルタル基地には、反ロゴス派の連合国の艦隊も参集しつつあった。打倒ロゴス
を掲げるデュランダルに呼応したのである。
ロゴスとの決戦の時が、近づいていた。
続く
第十七話は以上です
それでは
GJ!!
第十八話「オペレーション・ラグナロク」です↓
ザフトと反ロゴス陣営の連合国軍は同盟軍を結成し、大艦隊をなした。一同はジブラル
タル基地を出立し、一路アイスランドにある地球軍の最高司令本部であるヘブンズベー
スを目指した。
そこに残りのロゴスのメンバーが集っているという情報は、早くから掴めていた。今や
地球圏最大規模に膨れ上がった同盟軍艦隊はアイスランドを包囲、その旗艦と定められ
たミネルバにて陣頭指揮を執るデュランダルは、ヘブンズベースに対して無条件での武
装解除とロゴスのメンバーの引き渡しを要求した。
ところが、回答期限を待つ間に、ブルーコスモスの盟主も兼任するロゴスの主要構成
員であるロード・ジブリールが、密かに騙し討ちを画策。対空掃射砲のニーベルングや、
東欧戦線で猛威を振るったデストロイのスタンバイを進めていた。
そして、回答期限が数時間後に迫った時、ジブリールの命令で突如としてロゴス陣営
の攻撃が開始された。騙し討ちである。直後、デュランダルがオペレーション・ラグナロク
の発動を宣言。こうして、戦端は突発的に開かれたのであった。
シャアはセイバーのコックピットの中で、静かに出撃命令を待っていた。
「メイリン、俺たちの出番はまだなのか?」
シンは戦いに逸っているようでいて、その声のトーンは実に落ち着いていた。ハイネの
死からフリーダムとの戦いを経て、癇の強かったシンは過去のものとなったのかもしれ
ない。
戦況は芳しくないようだった。奇襲を受けた直後に発動されたオペレーション・ラグナロ
クであったが、軌道上に待機していた降下揚陸部隊は対空掃射砲の餌食になりほぼ壊
滅状態。想定以上の戦力と五機のデストロイにより、同盟軍の前衛艦隊が大打撃を受け
てしまった。篭城作戦に関しては、基本的には守る側が有利である。戦力では圧倒的に
同盟軍が上回っていても、ヘブンズベースを落とすのは容易ではなかった。
戦端が開いて、一時間が経過しようとしていた。流石に焦れてきた時、ようやく出撃命令
が下った。
シャアはセイバーをカタパルトデッキへと移動させた。その間に、オペレーターのメイリ
ンから参謀本部からの指令概要が伝えられた。
「敵戦力の要はデストロイです。パイロット各位はこれの撃破を優先してください。しか
し、高空からの接近は敵対空砲によるリスクを伴いますので、低空からの接近を心掛け
てください」
「了解」
シンのデスティニー、レイのレジェンド、ルナマリアのインパルスが順々に出撃していく。
「セイバー、クワトロ機、出るぞ」
そして、最後にシャアが出撃した。
同時刻、ヘブンズベースに向かう三機のモビルスーツがあった。一機は海中を高速で
潜航し、他の二機はモビルアーマー形態で空を行く。アビス、カオス、そしてウェイブライ
ダーだった。
ネオとユウナの密約がなった後、ネオの計らいのもと、カミーユたち四人は監視の目を
掻い潜ってファントムペインを脱走した。その後は、指示通りにオーブへと向かう予定だっ
た。
しかし、四人で話し合いをした結果、やはりネオを捨て置くことは出来ないということで意
見が一致した。そして、安いモーテルを拠点として通信を傍受したり八方手を尽くして情報
を集めた結果、ネオがヘブンズベースに転属になったと判明したのはつい先日のことだっ
た。その時には既に同盟軍はジブラルタル基地を出撃しており、衝突は避けられない事態
に陥っていた。
それでも、ネオの気配なら近くまで行けば分かるかもしれないという曖昧なカミーユの
提言に、スティングとアウルは賛同してくれた。
「今までこき使ってくれた分のお礼参りは、しとかねーとな」
あえて憎まれ口を叩くのが、彼らのスタンスだった。
――今、彼方に見える島を、カミーユは視界に収めていた。距離はまだある。だが、そ
の周辺は無数の艦船に囲まれていて、黒い煙やビームの光、爆発の閃光などがひっき
りなしに青空を彩っていた。
「始まってるな……」
否が応にも激戦を予感させる光景に、カミーユは思わず生唾を飲み込んでいた。
既に多くの人間の思惟を、ノイズのように感知していた。それは拍子もテンポも違う複
数の楽曲が同時に流れているようなもので、その不協和音にカミーユは堪らずにヘルメ
ットの上から耳の辺りを押さえていた。
「あっ……」
無意味ながらも生理的な行為に、カミーユはハッとした。
「これで本当に大佐の気配だけを判別できるの……?」
困難を予感したカミーユは、つい不安を口にしていた。
その声を耳聡く拾っていたアウルが、「何か言ったか、カミーユ!」と怒鳴り気味に言っ
てきた。面倒な奴に聞かれたな、と小さく舌打ちする。
「何でもない」
「嘘つけ! 今さら、やっぱ無理、とか言うんじゃねーだろうな?」
「言うかよ。ここまで来てしまったんだ。そうそう後戻りなんか出来るか!」
「どーだか。ビビっちまったんなら正直に言えよ? 素直にお願いすりゃー助けてやる
からよ?」
「誰がアウルの助けなんか欲しがるかもんかよ!」
アウルに突っかかられると、意地になる。このような口論は、二人の間ではしばしば起
こることだった。
互いに嫌いとか苦手というわけではないのに、どうにも反りが合わない。その原因をハ
ッキリと認識しているのは、第三者のスティングだけだった。
「こうなったら、意地でも大佐を見つけてやる……!」
カミーユはそう言いながら映像を拡大し、ヘブンズベースの激戦の模様を確認した。だ
が、やはりその大規模な戦闘の様子に不安は残った。
「おーおー、派手にやってらぁ。こりゃ大変そうだ。ふんどし締めてかからねーとなぁ?」
同じように戦闘の様子を確認したアウルが、そんな風に軽口を叩く。しかし、今しがた
のやり取りがあったからか、カミーユにはそのアウルの軽口が自分に対する挑発のよう
に聞こえていた。
「アイツめ……!」
忌々しげに呟き、アビスが見えるはずの無い海面に目を落として睨みつける。だが、そ
れを見咎められて、「集中しろ、カミーユ」とスティングに窘められてしまった。
「ネオを見つけられるかどうかは、お前に掛かってんだからな」
「了解……」
カミーユはそう言いながらも、態度には不満がありありと表れていた。スティングは、ア
ウルも大概負けん気が強いが、カミーユも相当だと思った。
しかし、二人の意地の張り合いにばかりかまけているわけにも行かない。
「そろそろ網に引っ掛かるぞ」
スティングはそう言って、二人に警戒を促した。
「ファントムペインの識別信号を出して置くのを忘れんなよ。そうすりゃ、ちったあロゴス
の連中の目を誤魔化せるかも知れねえし、ネオも俺たちを見つけやすいだろうからな」
「りょーかい、りょーかい」
不真面目な応答をするのは、アウルである。
「なら、僕が先行して水中から敵の目を引き付けてやる。お前らはその間に包囲網を突
破して、とっととネオを探して来いよ!」
「あん?」
スティングが眉を潜めた時には、既に海を潜航するアビスは加速度を上げていた。
「見てろよ、カミーユ! 吠え面かかせてやる!」
そして、アウルは威勢良く言うと、同盟軍の外周部隊に向かって突撃して行った。
背後からの奇襲を受けた同盟軍の洋上艦は、アビスの強力なビーム攻撃によって一隻、
二隻と立て続けに沈んだ。奇襲成功。アウルはそのまま立て続けに潜水部隊に仕掛けて
いった。
泡を吹かせられれば、水中はアウルの独壇場だった。潜水艦やグーンやゾノ、それに
新型機であるアッシュといった多数の水中戦力を相手にしても、アビスは無類の強さを見
せ付けた。
「あっはははっ! ごめんねえ、強くってさぁ!」
洋上や空中からもアビスを狙って攻撃してくるが、アウルは容易くそれをかわす。海中
では、アビスを駆るアウルは絶対的王者だった。
そして、海中のアビスを狙う同盟軍の背後から、更にウェイブライダーとカオスが襲い
掛かった。二人は進路上の敵だけを手早く排除し、一気に包囲網の内側へと突入した。
「アウルの奴……!」
突破してきた後方を振り返り、カミーユはぼやいていた。スティングはそんな不機嫌そ
うなカミーユに気付いて、「何が気にいらねえ?」と、ふと訊ねた。
「あの調子じゃ、後でデカい顔される」
「ぶはっ!」
子供のような理屈に、スティングは思わず失笑していた。
「させてやれよ、全員で無事に帰れたらな」
そう宥めて視線を正面スクリーンに戻した。スティングの顔に、緊張感が宿る。
そこでは、同盟軍とロゴス派の激しい攻防が繰り広げられていた。当初はロゴス派側
が優勢だった戦局も、同盟軍が奇襲による混乱から立ち直ってくると、次第に押し戻し
始めていた。
「頼むぜ。お前の勘だけが頼りなんだからな」
しかし、カミーユはスティングの期待に対して明確な応答はしなかった。
戦場では、生き死にを懸けて戦う人々の思惟が縦横無尽に飛び交い、複雑に絡み合っ
てもがくようにしてせめぎ合う。カミーユは、それらを人間の生死すら判別できるノイズと
して感じ取れた。
そのノイズの中から、ある個人を特定するのは並大抵のことではない。全方位に向け
て網を張るように知覚を働かせても、果たしてネオを見つけられるかどうかは未知数だっ
た。
カミーユが集中できる環境を確保するため、スティングが先んじて露払いをする。ファン
トムペインの識別信号が効いているのか、仕掛けてくるのは殆どが同盟軍陣営の機体
だった。
だが、どんなに戦場を駆けずり回っても、ネオがいるという確証は得られなかった。
「くそっ! 戦場のノイズはうるさ過ぎて……!」
カミーユは焦り始めていた。
時間が経てば経つほど状況は難しくなる。戦局が同盟軍側に傾きつつある以上、時間
が掛かり過ぎれば、例えネオを連れ出せたとしても離脱が困難になる可能性が高い。時
間との勝負であるだけに、カミーユは余計に焦燥感に駆られた。
「探してるのは大尉じゃないだろ……!」
儘ならない状況に、カミーユは自分で自分の頭を叩いた。
負い目があるだけに、無意識に感知してしまったのだろう。だが、カミーユが探している
のはシャアではない。
「クワトロ大尉だって、今はザフトなんだから……」
互いに、今は相手をしている暇は無かった。カミーユは気を取り直し、別の方角へと意
識を集中した。
戦闘は激化の一途を辿っていた。本格的に攻勢を強めた同盟軍の圧力によって、ロゴ
ス陣営は明らかに劣勢に立たされつつあった。
しかし、まだ最後の一線が残っていた。ニーベルングは未だ健在で、二機のデストロイ
は同盟軍のヘブンズベースへの侵入を拒み続けていた。
(あれは……?)
チリッとした刺激があった。その刺激に導かれるように、カミーユの意識は何か確信的
な予感に引き寄せられ、自然ととその攻防へと吸い込まれていった。
激しい闘争心だけの思惟が、無差別に四方八方に放射されていた。それは荒々しく、
目の前の敵を倒すことだけを強制された、哀れな魂でもあった。カミーユは、その中にネ
オの気配を感じた。
「道理で分かりにくかったわけだよ……!」
カミーユはそう独り言を呟きながらもスティングに回線を繋げ、「見つけたぞ!」と告げ
た。すると、待望の瞬間にスティングも、「どこだ!?」とやや興奮気味に声を上げた。
カミーユは微かに戸惑いながらも、「ちょい右、二時方向だ!」と指示した。
「ンだと? あの方角は……!」
歓喜も束の間、カミーユが示した先に、スティングは顔を顰めた。
既に複数の黒煙が立ち昇っている。少なく見積もっても、三体は沈んでいるように見え
た。そして、今正に四体目のデストロイも撃破されようとしていた。
カミーユが指し示したのは、その少し奥、地下からの出撃口であった。
「今、出てこようとしている奴だ!」
「あのデストロイだと……? 間違いないのか!」
スティングが確認すると、「ああ……!」とカミーユも歯痒そうに返した。
「マジかよ……!」
操縦桿を固く握り込むスティングの手が、キュッと音を立てた。
「――ったく、俺たちを逃がして左遷させられた挙句、捨て駒にされてたんじゃ世話ねえ
ぜ!」
スティングは、ネオは特殊部隊の指揮官としては潔癖に過ぎる男だと思っていた。自分
たちエクステンデッドに対しても、ネオだけが唯一、戦争の道具としてではなく人間として
接してくれた。ステラをデストロイに乗せるとなった時も、最後まで苦悩していたことをス
ティングは知っている。
(甘っちょろい野郎だぜ。俺たちに情けなんか掛けたって、損をするのはテメーだけだっ
てのに……)
そんな男がスティングたちを不憫に思い、自らの責任問題を覚悟の上で脱走を促した。
そして、その責任を取って、今や自分自身が戦争の道具に成り下がって、デストロイの
部品にされてしまっているという体たらくである。
「惨めなもんだぜ。だが――」
スティングは辟易としながらも、機首をデストロイの方へと向けていた。
「借りっぱなしってのは、性に合わなくてな!」
スティングが加速を掛けると同時に、四体目のデストロイが背中から煙を噴いて沈んだ。
紅い翼を広げたモビルスーツがその影から現れて、その姿にスティングは肌が粟立つの
を感じた。
「ミネルバめ! 新型を投入してきやがったな!」
「急げ!」
血相を変えて叫ぶカミーユに言われるまでも無く、スティングはスロットルを全開にして
いた。
二体のデストロイが、シンの行く手を阻んでいた。ジブラルタル基地で既に十分に錬度
を高めてあるが、このオペレーション・ラグナロクが初陣であるデスティニーの力を測るに
は、デストロイは恰好の相手だった。
実戦となると、訓練の時と少し勝手が違った。緊張感が、僅かながらに感覚を狂わせて
いるのだろう。出撃直後、シンはデスティニーの余りあるパワーに振り回されている自覚
があった。
だが、それでも不安は無かった。デスティニーの潜在能力の高さは慣熟飛行の時点で
把握していたし、シンはそこに絶対の信頼を置いていた。自分の腕が裏切らない限り、こ
のモビルスーツは必ず期待に応えてくれる。そう確信していた。
今、デストロイという難敵が現れたことで、シンはデスティニーの真価を引き出そうと試
みていた。そして、シンは戦闘に意識を集中させることによって、徐々にデスティニーの
潜在能力を解放しつつあった。
デストロイには、相変わらず遠距離からの攻撃というものが効かなかった。デスティニ
ーの高エネルギー長射程ビーム砲でも、レジェンドのドラグーンの一斉射撃でも、デスト
ロイは揺るがなかった。
だが、弱点はある。バリアの干渉を受けない接近戦なら、確実にダメージは通る。
使ったのは、レーザー対艦刀のアロンダイトだった。デスティニーの背部マウントラック
に装備されているそれを手に取り、展開して斬りかかる。利刃一閃。振り抜かれた一撃は
デストロイを見事に切り裂き、撃破した。
デストロイの巨躯を相手にするには、対艦刀くらいの大振りの武器の方が有効であるこ
とが実証された。そこで三人はミネルバにソードシルエットの射出を要請し、レイとルナマ
リアはそれぞれ一振りずつエクスカリバーを手にした。
「シン、援護を!」
「任せろ!」
レジェンドの突撃に合わせて、デスティニーの砲撃がデストロイに注がれる。シンとレイ
の同時攻撃に、デストロイの迎撃のビームは二方向に分散させられた。レジェンドは見た
目の重量感とは裏腹の小回りの良さでそのビーム攻撃をかわし、低空からデストロイへ
と肉薄した。そして、その足元に着地すると、大剣を大きく振りかぶってその両足を薙ぎ
払った。
膝の辺りを切断され、デストロイの巨躯が仰向けに倒れた。そこへ間髪入れずにデス
ティニーが飛び掛り、胸部にアロンダイトを突き立てた。そうして、瞬く間に二機目のデス
トロイも黒煙を噴いた。
「凄い……!」
その激しさに、ルナマリアは圧倒されていた。二つの都市を壊滅に追いやり、多くの兵
力を出動させてようやく倒せたデストロイを、シンとレイは立て続けに二体も撃破して見
せた。
小人が巨人に立ち向かい、勝つという構図に、モビルスーツパイロットとして闘争心を
刺激されるのは自然の成り行きだった。二人に出来るなら、自分にも出来るのでは――
錯覚したルナマリアは、新たに二体のデストロイが地下から現れると、それを待っていた
かのようにインパルスを突撃させていた。
「ルナ!?」
「あたしだって、やるわ!」
自信はあった。今しがたのデスティニーやレジェンドの動きが目に焼きついていて、ル
ナマリアはそれと同じことが自分にも出来ると思い込んでいた。
しかし、それはすぐに覆された。所詮は、根拠など無い自信でしかない。先に撃破され
たデストロイの惨状を目の当たりにしていた新たな二体のデストロイが、二の轍は踏む
まいと連携を組み始めた。ルナマリアの勇み足は、その二体の連携による迎撃によって、
あえなく跳ね返された。
迫り来る無数のビームが、スクリーンの全てを埋め尽くすほどに光っていた。ビカビカ
と瞬くビームは、一見花火のように幻想的で美しくはあるが、ルナマリアが感じるのはそ
んな悠長な感覚ではなく、ただただ恐怖だけだった。
「あ、あたしだって、伊達で赤を着てるわけじゃないのに……!」
シールドを駆使し、身の竦むような思いでビームを凌ぐ。
その時、デスティニーが突き飛ばすようにインパルスを押して、フォローに入った。
「シン!」
両手甲のソリドゥスフルゴールから発生するビームシールドがデストロイのビームを完
全にシャットアウトするが、ビームの多さに身動ぎできない状態が数秒ほど続いた。
その状態を打破するために、レジェンドが別方向から砲撃を仕掛け、デストロイの注意
を引き付けた。シンはデストロイからの砲撃が弱まるのを待ってから、インパルスを伴っ
て安全圏まで後退した。
「大丈夫か、ルナ!」
シンが心配して呼び掛けてくる。だが、ルナマリアはそれに答えること無く、レジェンドの
方へと目を向けた。
インパルスに目立ったダメージは無い。装甲が少し焼けた程度である。デストロイの土
砂降りのような砲撃の中、数秒間ではあるが無事でいられたことを誇りたくはあったが、
それもレジェンドの戦いを見ていると惨めなものに思えた。
(レイは、あの中でもやれてるのに……!)
レジェンドは少しずつ後退しながらも、デストロイのビーム攻撃を避け続けている。ルナ
マリアにはそれが、レイに技量の高さを見せ付けられているように感じられて、延いては
自分が三人の中で足手纏いなのではないかとさえ思えた。
「無茶だ。一人で立ち向かおうだなんて」
シンはルナマリアの胸中を知ってか知らずか、宥め賺すかのように言った。それが子
供扱いを受けているように思えて、ルナマリアはつい「うるさいわよ!」と反発していた。
「あたしだって赤なのよ!? 二人にできて、あたしができないなんてことは……!」
こんな時に何をヒステリックになっているんだと思いながらも、ルナマリアは感情を抑
えることができなかった。それが自らの不甲斐なさに対する憤りであることを理解してい
ながらも、その憤りを誰かにぶつけずにはいられなかった。
レジェンドを追って、デストロイが前進してきていた。デスティニーはインパルスを抱え
るようにして、更にデストロイから間合いを取った。「構ってくれなくていい!」――ルナマ
リアは声を荒げたが、シンは聞く耳を持たなかった。
「落ち着け、ルナ」
シンの声音は、ルナマリアとは対照的に、些かも感情に走ったりはしていなかった。
(何なのよ……)
あの感情に任せるばかりだったシンが、いつからこんな大人びた声色を出せるように
なったのだろう――ルナマリアはそう考えると、取り乱す自分が酷く子供染みているよう
に感じられて、急に恥ずかしくなった。
「戦場では、視野の狭い奴から死んでいく。今のルナは、周りがまるで見えてない」
「あたしはそんな――!」
「ルナ、俺を信じろ」
「えっ……!?」
不意に言われたその言葉に、ルナマリアはドキリとさせられた。
デスティニーはインパルスと同じ目線の高さで、同じ方向を見ていた。ルナマリアは、
それが不思議と安心できた。
同期の二人に負けたくないという思いは、女だてらにあった。だが、シンはミネルバへ
の配属と同時に急激に腕を上げ始め、大きく水をあけられてしまった。ベルリンの戦闘
後、落ち込むシンを慰めている内に淡い感情を抱くようになった一方、そこから更に成長
を続けたシンに嫉妬に似た対抗心を抱くようになっていた。
置いて行かれてしまうという焦燥があった。もっと自分がやれるところを見せなければ、
シンはやがて自分に愛想を尽かすのではないかと思った。
だが、それがただの思い込みだったのだと、今気付いた。シンは、どんなにパイロット
として先に行ってしまっても、ずっと自分の傍にいてくれる。そう思えた。
「……どうすればいい?」
ルナマリアはシンに問い掛けた。デスティニーの頭部がモニター越しにルナマリアを見
つめて、優しく双眸を瞬かせた。
「俺たちとタイミングを合わせてくれ」
「タイミングを?」
「そうだ。ルナならできる。でなきゃ、赤は着れないはずだ」
シンの激励はシンプルではあった。しかし、それがルナマリアを勇気付けていた。
「……分かった。やってみる!」
ルナマリアは力強く返事をした。
シンはそれを聞くと、カメラをレジェンドへと転じた。デスティニーの頭部が陽動を続け
ているレジェンドを見て、パッパッと双眸を細かく瞬かせた。レジェンドもそれに気付いて、
ビームをかわす合間に頭部をこちらに向けて、短く双眸を瞬かせた。
「レイが了解してくれた!」
「合わせて見せるわ!」
ルナマリアが言うと、「よし!」とシンは意気込んだ。
「三、二、一で仕掛ける。頼むぞ、ルナ!」
「了解!」
「――行くぞ! 三、二、一!」
カウントダウンを掛けると、それまで囮になっていたレジェンドが後退した。シンはそれ
と同時にスロットルを全開にして、入れ替わるようにデストロイに突撃した。
背部の大型スラスターが開いて、紅い光の翼を広げた。全開出力のデスティニーは、
仄かに光を纏い、無数の残像を見せて猛スピードで駆けた。
二体のデストロイの周りを飛び回る。ビームを四方八方から浴びせると、その光のイリ
ュージョンに幻惑されたデストロイは翻弄された。
シンはそこへアロンダイトで斬りかかった。しかし、迎撃の弾幕は厚く、さしものシンも容
易に接近することは出来ない。だが、自身への火力の集中こそが、シンの目論見だった。
大量のビームに追い立てられ、デスティニーは咄嗟に急上昇を掛けて高空へと逃れた。
デストロイの砲門も、それを追った。シンはそれを確認すると、「今だ!」と叫んだ。
その号令と同時に、砲撃の止んだ低空からレジェンドとインパルスがデストロイに急接
近した。前後から挟み込むように接近し、レジェンドが前から右足を切断すると、次の瞬
間には後ろからインパルスが左足を刈っていた。
「貰った!」
インパルスは素早く反転し、地面を蹴って跳躍した。そして両足を切られて崩れ落ちる
デストロイに向かってエクスカリバーを振り上げ、そのままその胸部に突き立てた。
深々と突き刺さったエクスカリバーを引き抜き、素早く離脱した。直後、デストロイは損
傷部から血を噴くように火を噴き、爆発を起こした。
「できた……!」
ルナマリアは息を切らせながら、自らが撃破したデストロイの残骸を見つめた。「やる
な」とレイから賛辞を送られたが、ルナマリアは感慨に浸ること無く、既に次の敵へと意
識を向けていた。
「まだよ! まだ残ってる!」
自らに言い聞かせるように声を上げ、もう一体のデストロイに目を転じる。だが、その
時にはシンは既に仕掛けていた。その圧倒的な運動性能でデストロイの無数のビーム
を鮮やかにかわし、接近して斬りつけたかと思った次の瞬間には、既に間合いを離して
いた。
ぼやぼやしてられないと、立て続けにルナマリアも斬りかかる。パニックに陥ったデス
トロイはデスティニーにばかり気を取られていて、ルナマリアでも接近は容易だった。
「レイ!」
「分かってる!」
レジェンドとタイミングを合わせ、今度は左右から挟みこむ。インパルスがエクスカリバ
ーを振り抜いて左腕を斬り飛ばすと、デストロイがそれに気付いてインパルスを見やっ
た。刹那、それを嘲笑うようにレジェンドが右腕を斬り飛ばすと、デストロイはいよいよ慄
いて、ビームを出鱈目に撒き散らしながら後ずさりを始めた。
だが、その背後から紅の翼が接近していた。デスティニーは人間の手と同じ形をした五
指のマニピュレーターを広げ、それを掌底のようにデストロイの背中に突き込んだ。その
瞬間、掌に埋め込まれた短距離ビーム砲パルマフィオキーナが炸裂し、フィニッシュを決
めた。
双眸から光を失って、デストロイは背中から黒煙を噴き上げながら前のめりに沈んだ。
「これでラストか?」
倒れたデストロイを見て、シンが誰にともなく言った。「流石に、じゃない?」とルナマリア
が辟易したように言うが、レイはこれで終わりとは到底思えなかった。
大脳皮質に直接纏わりつくような不快感がある。それは、開戦当初から微かに感じてい
たものだったのだが、それがここに来てより一層、無視できないほどの濃度を持ち始めた。
目が、自然とそちらを追っていた。地下からの出撃口が開いて、また一体のデストロイ
が姿を現した。レイはそれを目の当たりにした瞬間、全てを把握した。
アーモリー・ワンのモビルスーツ強奪事件の際、特別な感覚を放つ白いモビルアーマー
がいた。それは見事にガンバレルを操って、新兵同然だったレイたちを苦しめた。
そのモビルアーマー、エグザスと同じ感覚を、新たに現れたデストロイから感じた。
それは、当時は分からない感覚だった。だが、今なら理解できた。それは、フラガという
特殊な家系の血統だけが持つ認識能力――
(奴も俺と同じなのか……?)
いずれにせよ、レイは捨て置くつもりは無かった。全ては、アル・ダ・フラガという男のエ
ゴから生まれた。レイは、そのエゴによって生まれた呪いのようなものを全て駆逐する義
務が、自分にはあると思っていた。それはキラも含め、自分自身も同様であると考えてい
た。
「シン、ルナ! 行く手を阻む障害は全て排除する! あのデストロイも、確実に仕留め
るぞ!」
レイは二人に檄を飛ばして、レジェンドを加速させた。
ロゴス陣営の士気は急速に低下しつつあった。同盟軍の猛攻に加え、デストロイが立
て続けに沈んでいることがロゴス陣営の抵抗力を弱めているようだった。
それは即ち、シンたちの活躍によるものであった。
「大した子どもたちだ」
遊撃として三人のサポートに回っていたシャアは、また一機のモビルスーツを撃墜して
いた。
趨勢は同盟軍側に傾きつつあった。ヘブンズベースの陥落は時間の問題である。この
ままニーベルングを破壊し、ヘブンズベースに立て篭もった残りのロゴス構成員を捕えれ
ば、オペレーション・ラグナロクは完遂したことになる。
事は順調に思えた。
しかし、それだけでは終わらなかった。招かれざる者の出現が、シャアに緊張を走らせ
た。
レーダーがそれをキャッチするより先に、感覚でそれを察知していた。
「あの先……」
動きを止めたセイバーに、ウインダムが背後から襲い掛かった。しかし、セイバーは後
ろに目が付いているかのようにひらりと迫撃をかわすと、振り返りざまにビームサーベル
を抜き、一刀の下にウインダムの胴を切り裂いた。
「カミーユか!」
変形して現場へと急行した時、既に場は混迷を極めていた。
デストロイに攻撃を仕掛けるレジェンド。そのレジェンドにカオスが攻撃を仕掛ける一方、
デストロイは、その味方であるはずのカオスにも攻撃を浴びせていた。そして、デスティニ
ーがその間隙を縫ってデストロイに攻撃を仕掛けようとするも、Ζガンダムがそれを阻み、
更にそのΖガンダムをインパルスが阻む。デストロイは、そのΖガンダムすら攻撃に巻き
込んでいた。
一見しただけでは、何がどうなっているのか判別不可能な状況だった。
だが、チャンスだとも思った。
(この乱戦を利用すれば、カミーユに接触できる……)
シャアには確かめたいことがあった。それは、ベルリンでモビルスーツ形態のΖガンダ
ムを目にした時から漠然と気に掛けていたことである。
シャアは、少し遠めの位置から介入の機会を窺った。Ζガンダムはデスティニーとイン
パルスの攻勢に押されていて、その対応に追われている。シャアの接近には気付いてい
ないように見えた。
しかし、研ぎ澄まされたカミーユの感性は、その中でも敏感にシャアの接近を感知して
いた。
不意に、シャアは身体に何かの圧力を感じた。重苦しく、感覚が狂うような圧力である。
ニュータイプが放つ特有の波動、“プレッシャー”と呼んでいる感覚である。戦闘の中で
意識を拡大させ、周囲に拡散されるカミーユのプレッシャーは、ニュータイプの中でも特
に重く感じられるものだった。
ニュータイプ能力が類を見ないほどに肥大化したカミーユのプレッシャーは、シャアを
一寸怯ませた。だが、その淀みの無いプレッシャーは、ある種シャアに更なる期待を抱
かせた。
(直接、本人に確かめる価値はある……)
シャアは強かに間合いを取り、機を窺った。
カミーユには、そのセイバーの動きが介入を躊躇っているように見えた。
「来ないのか……?」
カミーユには、そのシャアの消極的な動きが疑わしかった。何か奸計を企んでいるので
はないか――そう訝るカミーユであったが、シャアばかりに気を取られている場合ではな
い。正面から飛来したビームが強烈な光をカミーユに浴びせ、目を細めさせた。デスティ
ニーの高エネルギー長射程ビーム砲の光だった。
「何てパイロットだ……!」
事前に攻撃の意図は感知していた。カミーユはシンの思惟を読んで、それに対応したつ
もりだった。だが、デスティニーはそのカミーユの反応を後読みで追って、咄嗟に照準を
修正したのである。結局、外れはしたものの、あと少しデスティニーの狙いが正確であっ
たなら、カミーユは撃墜されていたかもしれなかった。
「大尉に現を抜かしてたら、やられる……!」
カミーユには明確な危機意識があった。敵はカミーユの都合などお構い無しに、攻勢
の手を緩めることはしない。
デスティニーは肩から柄を取り出し、それを投擲してきた。短いビーム刃が発生したそ
れは高速で回転し、ビームブーメランとなって襲い掛かってくる。
弧を描いて迫る軌道は慣れないものであったが、速度はビームや実体弾の比ではな
い。カミーユはイージーな攻撃を怪訝に思いながらも易々とかわし、デスティニーに反
撃を試みようとした。
「……っ!」
しかし、ビームライフルのトリガーを引くスイッチを押す指は、寸前で止まった。
「――そこだっ!」
咄嗟に操作を切り替え、左手側に向けてシールド裏に仕込んであったミサイルを発射
した。そこには、フラッシュエッジの軌道に気を取られている隙にΖガンダムに斬り掛か
ろうとしていたインパルスが迫っていた。
「きゃあっ!」
カミーユの放ったミサイルはインパルスに直撃した。フェイズシフト装甲がダメージを
無効化したものの、パイロットのルナマリアは想定外の反撃に面食らって、咄嗟に後退
した。
しかし、インパルスを退けている間にデスティニーがフラッシュエッジを回収し、それを
ビームサーベル形態に切り替えて襲い掛かってきた。
「くぅっ……!」
大推力のスラスターの加速に乗せて、デスティニーはビームサーベルを力任せに叩き
つけてきた。回避している猶予は無い。カミーユはシールドを構えて辛うじて防いだが、
デスティニーの突進の勢いがΖガンダムのパワーを凌いで、吹き飛ばされてしまった。
地面に背中が着いて倒れそうになるところを、カミーユは懸命にコントロールして体勢
を立て直そうと試みた。しかし、バーニアやアポジモーターを駆使して四苦八苦している
ところを、シャアに狙われた。
少し目を離していた隙に、セイバーがいつの間にか接近していた。カミーユはそれに気
付くも、牽制攻撃を受けて抵抗を封じられた。
そこからのセイバーの挙動は鮮やかだった。一瞬、右方向に動くと見せかけてフェイン
トを掛けると、次の瞬間には素早く左方向に動いていて、目で追う間もなくカミーユの視
界から消えた。そして、シャアの気配を探知している間に背後から迫り、組み付いてきた
のである。
「ク、クワトロ大尉!」
セイバーはビームライフルの銃口を突きつけて、カミーユに抵抗を許さなかった。しか
し、カミーユが思わずエゥーゴ時代に親しんだ呼び名を叫ぶと、セイバーは少し驚いたよ
うに双眸を瞬かせた。
「やはり、記憶が戻っていたのだな?」
「す、すみません……」
詫びると、シャアは「気にするな」と言った。
「元に戻れたなら、いい。だが、ここが落ちるのも時間の問題だ。もし、連合軍を抜ける
気があるのなら、私がデュランダル議長を説得して、プラントに亡命できるように取り成
すこともできる」
「クワトロ大尉、それはありがたいですけど……」
カミーユの歯切れが悪い。「どうした?」とシャアは問いかけた。
「大尉、実はもう連合軍は抜けたんです。今の僕は、脱走兵なんです」
「何だと? ……いや、なら、何でこんな所にいるのだ?」
「それは――」
しかし、事情を説明しようとしたカミーユは、言いかけて言葉を止めた。そして、「すみま
せん!」と大声で断ると、サイドスカートアーマーからビームサーベルの柄を取り出し、
それを逆手に持って背後のセイバーに対して振り回した。
咄嗟のことに、シャアも思わず飛び退く。カミーユはビームライフルの銃口を向けて、
シャアがすぐに追ってこられないように牽制しながらデストロイに向かって跳躍した。デ
スティニーとインパルスがデストロイに向かっているのが見えたからである。
「僕たちは、あのデストロイに乗っている人を助けに来たんです!」
「あのデストロイだと?」
「あのデストロイに乗せられている人が、脱走の手引きをしてくれたんです! でも、そ
のせいで左遷させられて、デストロイの生体コアにさせられてしまって……だから!」
「――助けに来たというわけか」
シャアはカミーユの言葉を継ぐように言うと、デストロイへと目を転じた。
デストロイは、カオス、レジェンドと三つ巴の攻防を繰り広げている。その攻撃は、救出
に来たはずのカオスに対しても見境なく注がれていた。しかし、それでもカオスはレジェ
ンドにデストロイを攻撃させないようにしながら、綱渡りのような状況の中で何とか立ち回
っていた。
シャアはそれを見て、カミーユの言っていることは嘘ではないようだと思った。
「――しかし、脱走兵であるカミーユたちがこの戦闘に介入するには、大きなリスクを伴
う」
脱走といえば極めて重罪である。正規兵ではなかったにしろ、カミーユもエゥーゴの軍
規に従っていた人間である。脱走の罪がどれだけ重いものであるかを知らないはずがな
い。
しかし、それでもその罪を咎められる危険性を承知した上でヘブンズベースにやって来
たということは、それなりの理由があるということだ。シャアは、そのカミーユたちの心情を
何とはなしにではあるが察した。
「つまり、そうさせるだけの人物が、あのデストロイには乗っているということか……」
そう結論付けたシャアは、少し様子を見る必要があると考え、追撃の手を緩めた。
デストロイは、幾度となくレジェンドに好機を作られていた。しかし、その度にカオスの妨
害が入り、事無きを得ていた。だが、そのギリギリの防波堤も、徐々に破られつつあった。
デスティニーとインパルスが駆けつけてきたことで、デストロイを巡る攻防は更に激化
した。スティングはその中で、切羽詰る一歩手前の状態で何とか堪えている状況だった。
今日のスティングは、自身で冴えていることが自覚できるほどに調子が良かった。いつ
も以上に反応が良いし、状況判断も優れている。だが、そんな絶好調の状態でさえ、辛
うじて敵がデストロイへ接近するのを妨害するのが精一杯だった。
「クソッ!」
画面を走る光に、スティングは目を細めた。それは、デスティニーが放った高エネルギ
ー長射程ビーム砲のビームがカオスを掠めた光だった。
「モビルアーマーってのは、高速機動形態なんだぞ!」
思わず声を荒げたスティングが悲鳴でも上げているように見えたのか、デスティニーは
尚もお構い無しにカオスを攻め立てた。
「コーディネイターどもが!」
デスティニーの攻撃は、スティングの動きに合わせて自在に繰り出される。それは、先
読みをされる以上に厄介なことだった。
「あのフリーダムも似たような動きをしてやがった! これじゃあ地球軍に俺たちのよう
なのが必要だった理由が、よく分かるってもんだぜ!」
スティングはデスティニーにフリーダムと同質のものを感じていた。それがどれほどの
脅威であるかを理解しているスティングにとって、持久戦は自殺行為に等しかった。
「ネオ! 聞こえねえのか、ネオ!」
最大速度を維持したまま、スティングは通信機のマイクに向かって怒鳴っていた。しか
し、先ほどから何度も呼び掛けてはいるものの、デストロイからの応答は一切無い。ステ
ィングは、今度も無駄だと悟ると、再びデスティニーの攻撃に意識を戻して苛立たしく舌
打ちをした。
「ネオはネオで機械なんかに操られやがって!」
儘ならぬ状況に、焦りと苛立ちが募る。デストロイは接近を繰り返すレジェンドを良く退
けてはいたが、それも次第に突破されつつあった。レジェンドが手に持つレーザー対艦刀
エクスカリバーは、その刃の部分に紅いレーザーを走らせ、黒い鉄を切り刻む瞬間を今
や遅しと待ち構えている。
「アウルはどうした!? カミーユは!」
焦れる気持ちが抑えきれずに、スティングは叫んでいた。
だが、その声が届いたのか、数発のビームが別方向から飛来して、デスティニーを襲っ
た。ビームは直撃こそ無かったものの、デスティニーのシールドを弾き飛ばしていた。
インパルスが咄嗟にデスティニーの前に出て、更なるビームの襲来に備える。だが、ビ
ームはインパルスのシールドをも弾き飛ばして、更にエクスカリバーまで貫いていた。
堪らず、再びデスティニーが前に出て、両手甲のビームシールで身を固めながらイン
パルスを伴って後退した。
「カミーユか!」
低空から、土煙を上げて迫ってくるΖガンダムの姿をキャッチした。スティングはモビル
スーツ形態にカオスを変形させて、素早くΖガンダムに接近した。
「大佐は!?」とカミーユは問う。しかし、スティングはそれには答えず、「援護しろ、カミ
ーユ!」と怒鳴った。
「何をするつもりだ!?」
「デストロイからの応答がねえ! 多分、洗脳されてやがるんだ! だから、俺が直接
デストロイに取り付いて、ネオをコックピットから引っ張り出す!」
「無茶だ!」
「もうそれしか策(て)はねえんだよ!」
一瞬、閃光を発するスクリーン。デスティニーから発射された高エネルギー長射程ビー
ム砲のビームは、長い刃のように空を薙ぎ払い、辛うじてカオスを外していた。
スティングは忌々しげにデスティニーを睨みつけると、「無茶でも何でもやって見せねえ
と!」と吐き捨てて、レジェンドの死角になるようにデストロイの背後に回りこんだ。
「さっきからしつけえんだよ、テメーは!」
デストロイの砲撃に合わせて、その影から飛び出す。そして、素早くモビルアーマー形
態に変形すると、最大出力のカリドゥスをレジェンドにお見舞いした。
大口径のビームがレジェンドに伸びる。その一撃はレジェンドが咄嗟にビームシールド
を展開して防がれてしまったが、それでも最大出力のカリドゥスはその威力でレジェンド
を吹き飛ばすことができた。
「ざまあみやがれ、コーディネイターめ!」
スティングは快哉を上げると、その間隙を縫ってデストロイの正面に飛び出した。そして、
ファイアフライ誘導ミサイル叩き込んで爆発による煙幕を作り出すと、それを利用して一
気にデストロイに肉薄した。
「世話の焼けるオヤジが! 今すぐそこから引きずり出してやる!」
煙幕の向こうにうっすらとデストロイの影が見えている。スティングは、そのコックピット
がある首元目掛けてカオスを突撃させた。
だが、その時だった。
「何っ!?」
煙幕を突き破る一条のビームが、血気に逸るカオスの頭部を穿っていた。
スティングの正面のメインスクリーンが、ブツンと音を立てて切れる。直前に目にしたの
は、こちらを見上げているデストロイの口腔部がビームの粒子を散らしている光景だった。
次の瞬間、激しい衝撃が襲った。デストロイの巨大な腕が、杭を打ち込むようにカオス
を叩いたのだ。スティングは何をされたのか分からぬまま、墜落の衝撃に「ぐえっ!」と
呻き声を上げた。
デストロイの殴打とそれに伴う墜落による二度の衝撃で、身体にベルトが深く食い込む。
スティングは、その痛みを堪えながら、手早くサブカメラへのメイン表示の切り替え操作
を行った。
だが、ようやく表示の切り替えを済ませて正面スクリーンが復活した時、その瞬間にス
ティングの目に飛び込んできたのは、巨大な鉄の塊だった。
「げえっ!?」
スティングは悲鳴を上げ、思わず腕を前に出して身を守っていた。逆光になって細かい
ディテールは潰れてしまっているが、その分銅の底のような鉄の塊は、デストロイの足の
裏だった。
そのデストロイの足の裏が、自重を乗せてカオスを踏みつけてきた。カオスは腕を前で
交差させて耐えようとしたが、それも焼け石に水。抵抗は虚しかった。
「うおぉーっ!?」
フェイズシフト装甲のお陰で、圧殺されることは無い。しかし、自機の倍以上あるデス
トロイに踏み潰されるということは、なまじのことではない。バキバキッ――駆動関節の
シャフトが折れる音が、コックピットの中にまで響いてくる……
ポイ捨てしたタバコの火を揉み消すようにグリグリとカオスを踏みつけると、デストロイ
はようやく足を上げた。その跡には、半分ほど地面に埋まったカオスが横たわっている。
原型は留めているが、腕と肩の関節は千切るかすり潰されでもされたかのようにもげ、
細かいパーツの破片が散らばっていた。
デストロイはゆっくりと一歩後退すると、息をしてないかのようなカオスに向けて右腕を
掲げた。その五本の指先の砲口から光が漏れ、カオスを照らす。
だが、その時、横合いからエクスカリバーを振りかぶったレジェンドが飛び込んできて、
デストロイの右前腕部にその刃を食い込ませた。
エクスカリバーのレーザー刃はデストロイの右前腕を焼き切りながら、その刀身を深く
深く沈ませていき、やがて両断した。
ズン、と地面にデストロイの右前腕が落ちた。レジェンドの双眸が、ギラリと光る。
「――これで終わりだ!」
デストロイは、うろたえたように後退しながらもレジェンドに正対し、胸部に横並びに三
連装されたスキュラの砲口を光らせていた。レイは左手にビームサーベルを抜き、真ん
中のスキュラ目掛けて突きを繰り出した。
その瞬間だった。
――やめてくれーっ!
「うっ!?」
鈍器で脳を直接殴られたような声を錯覚すると、金縛りのように身体が動かなくなった。
(しまった! やられる――!)
眼前ではデストロイのスキュラが煌々と輝いていた。しかし、その光も、レイが不覚を
悟った途端に尻すぼみするように消えていった。
ずしっと身体が重くなるような感覚が、一段と濃くなった。
その感覚に、シャアが思わず呟く。
「カミーユ……!」
Ζガンダムはデスティニー、インパルスと対峙していた。シャアはそのΖガンダムから
オーラのようなものが発散されているのを知覚した。そして、それがデスティニーとイン
パルス、さらにレジェンドやデストロイにも伸びて、絡みつき、動きを止めているように錯
覚した。
「人の意思がマシンを金縛りにする……!?」
それは、シャアにとっても信じがたい現象だった。
続く
十八話は以上です
長くてすんません
GJ!
GJ!!
第十九話「予兆」です↓
「何だったんです、今の?」
シャアに問いかけるシンの声には、少なからずの動揺が混じっていた。無理もない。シ
ャア自身、その正体がカミーユの放つプレッシャーと分かっていても冷や汗が止まらな
かったのだから。
改めて思う、カミーユ・ビダンの素質の高さ。ニュータイプではないシンにまで本能的に
警戒させる能力の高さは、自身とは比べようもなかった。
(あれが、ニュータイプか……)
冷静に認識する一方で、微かな羨望がある。ララァ・スンの褐色の肌に触れたシャアに
は、カミーユがどれだけニュータイプとして優れているのかが、手に取るように分かった。
それは、シャアが決して手にすることが出来ないセンスだった。シャアは、自分がララァ
と同じ領域に踏み込むことは決してできないことを知っていた。
それは哀しくもあり、遺憾でもあった。そして、今も残酷にシャアを惑わしていた。
カミーユの素養は宝だ。それをここで潰してしまうのは惜しい――そう考えるシャアは、
打算を打算だとは思わなかった。
Ζガンダムは標的をレジェンドに改めた。レイは、まだプレッシャーのショックが抜けて
いないのだろう。ビーム攻撃を受けると、易々とエクスカリバーを貫かれてしまった。
デスティニーとインパルスが、レジェンドに加勢する動きを見せる。
(まずいな……)
シャアは内心で呟くと、時計に目をやり、シンに「待ちたまえ」と声を掛けた。
「何なんです!?」
シンは少し苛立たしげにしながらも、立ち止まった。インパルスも、それに引きずられる
ようにブレーキを掛ける。
「作戦時間が押しているようだが?」
シャアが指摘すると、「えっ?」とシンは慌てて時計に目をやった。
作戦開始から、既に三時間近くが経過しようとしている。
「これ以上ここの攻略に時間を掛けると、ターゲットに逃げられかねないと見るが、どう
か?」
水を向けるように問う。シンは暫時、答えなかったが、どうやら思案しているようだった。
戦いの趨勢がザフトに傾いて、それなりの時間が経っている。情勢がヘブンズベース
の司令部に伝えられて、それを聞いたロゴスの構成員たちが脱出を検討していてもおか
しくない時間帯に入りつつある。
オペレーション・ラグナロクの本懐は、ヘブンズベースの陥落ではない。逃げ込んだロ
ゴスの構成員を確保することにある。それを取り逃がしては、元も子もない。
「――突入します!」
デストロイは、パイロットが気絶でもしてしまったのか、先ほどから沈黙を保っている。
レジェンドがΖガンダムを引き付けている今、ヘブンズベースの本丸への障害が全て取
り除かれたということになる。そうとなれば、シンのやるべきことは一つだった。
「ルナは俺と来てくれ! クワトロさんには、レイのフォローを頼みます!」
「了解した。後続の制圧部隊が入るまでの時間を考えれば、ギリギリのはずだ。急い
でくれ」
「信じてますからね?」
シンは、暗にカミーユのことを指摘していた。シャアは臆面も無く、「勿論だ」と答えた。
「今日までの働きは、信じてもらいたいものだな?」
「――ですね。行きます!」
デスティニーとインパルスはヘブンズベースの中枢部へと向かった。シャアはそれを
神妙に見送りながらも、内心ではほくそ笑んでいた。
(厄介払いはできた。さて、上手く立ち回れるかな……?)
ふと、デストロイに目を向けた。相変わらず、石造にでもなってしまったかのように微動
だにしない。機能不全にでも陥ってしまったのだろうかとも考えたが、未だにヴァリアブル
フェイズシフト装甲が維持されていることが、却って不気味だった。
(余計なことはしてくれるなよ……)
デストロイに大人しくしていてくれと念じながら、シャアはセイバーを加速させた。
カミーユと交戦を続けるレイには、まだ少なからずの動揺が見られた。繊細な感受性の
持ち主なのだろう。プレッシャーを放つカミーユに得体の知れないものを感じているらしく、
重力下での自由飛行が可能であるという圧倒的利点を持ちながらも、レイは不用意な接
近戦を避けようと注意を払っているようだった。
しかし、その消極的なレイの姿勢は、シャアにとっては好都合だった。
レイの遠距離からの攻撃が上手い具合に牽制になって、Ζガンダムへと接近するシャ
アの援護になった。シャアはレジェンドのビームをかわすΖガンダムの動きを見極めると、
ビームサーベルを抜いて飛び掛った。
完全に不意を突いた一撃だった。しかし、カミーユの感知能力は並大抵ではない。シャ
アの奇襲に対しても、気付かないわけがなかった。Ζガンダムはセイバーが振るう光刃
を鋭く後ろに飛び退いてかわすと、すかさずビームライフルで反撃してきた。
シャアは着地と同時にセイバーの身を深く沈めて、ビーム攻撃をやり過ごした。と同時
にスロットルを全開にし、地面を蹴って猛然とΖガンダムに突進した。
猛烈な勢いで突っ込んでくるセイバーを、カミーユはシールドを構えて受け止めた。し
かし、そのチャージングの威力は大きく、Ζガンダムは車にひかれたようにはね飛ばされ
た。
「クワトロさんか!?」
レイは、その一連のシャアの攻撃を見ていて、よくもあんな気味の悪い相手に向かって
接近戦を仕掛けられるものだな、と半ば呆れながら感心していたが、Ζガンダムがバラ
ンスを崩したと見るや好機と睨んで、バックパックにマウントされているドラグーンの砲口
を全て前に向けてビームのシャワーを浴びせた。
カミーユの頭上から、ビームが降り注ぐ。全天スクリーンの中で体験するそれは、さな
がらビームの雨に打たれているかのようだった。
しかし、それは一粒でも当たればマグマのように身を焼く恐ろしい光である。鋼鉄のモ
ビルスーツの中とはいえ、その恐怖と緊張感はカミーユの防衛本能を刺激して、更なる
認識力の拡大を呼んだ。
降り注ぐビームの雨を、Ζガンダムはアイススケートのように地面を滑ってかわした。
ホバーによって巻き上げられる土煙を辿って、レジェンドのビームが追う。岩のように固
い土塊が飛び散り、それは地上絵のような一本のラインを地面に引いた。
その道筋の先端を、シャアは狙った。アムフォルタスビーム砲の激烈な光線が伸びて、
それがΖガンダムを掠めた。シールドで直撃を防いだのだろう。Ζガンダムのシールドの
黒い部分から、粒子の残滓か火花のような光塵となって散っていた。
優れたニュータイプと言えど、人間である。人間である以上、できることには限りがある。
カミーユはレイとシャアの攻撃を読めるほどに認識力を拡大させていながらも、肉体の
反応がそれに追いつけていなかった。
カミーユが圧倒的劣勢である事実は、覆せなかった。そのことが、次第に落ち着きを
取り戻しつつあったレイにも分かるようになってきた。不気味な相手であっても、恐れる
必要は無い。相手は間違いなく苦しいのだと。
(それなら……)
レイはチラとデストロイを一瞥した。未だに動き出す気配を見せないデストロイは、モ
ニュメントそのもの――まるで隙だらけであった。カミーユが切羽詰っているのなら、デ
ストロイに止めを刺すことも可能なのではないかとレイは考えた。
セイバーのアムフォルタスビーム砲で、Ζガンダムは足を止めていた。レイはそこを狙
うことも出来たが、あえてそうしなかった。セイバーが間合いを詰めていたというのもある
が、それ以上にデストロイに止めを刺す絶好の機会であると捉えていた。
レイはデストロイに向かって反転すると同時に、ビームサーベルを抜いた。停止してい
るとはいえ、まだバリアは健在かもしれない。レイは、確実な止めを欲していた。
スロットルを全開にして、一挙にデストロイとの距離を詰める。肉薄されても、デストロ
イが動き出す気配は無い。
(貰った!)
ビームサーベルを振りかぶり、レイは心中で叫んだ。
だが、その時、レイは何かを感じて、咄嗟に制動をかけた。すると次の瞬間、正面スク
リーンが一瞬斜めに二分割された。
「ビーム攻撃!?」
思わず息を呑んだと同時に、急速後退をかけた。咄嗟の直感的な反応が、レイをあと
少しのところで救っていた。
「この状況で狙撃だと……!?」
射線元に目を転じると、片膝を着いたΖガンダムがビームライフルを構えていた。セイ
バーの攻撃をかわして、その流れで狙ったのだろう。それは、ウサギ並みに視界が広い
か、もう一つ別方向を見る目が無ければできないような芸当だった。
(奴にも目がある……フラガの認識能力のような何かが……)
かつてのシャアの仲間だからと、どこか容赦する心があったのかもしれないと思った。
しかし、その手心が相手の増長を招いたのだとすれば、それは自らの誤りだったと認め
なければならない。その上、カミーユが危険な能力の持ち主であると確信を深めれば、
レイの思考は自ずと固まった。
「……Ζは撃墜します。よろしいですね、クワトロ・バジーナさん?」
通信回線を開き、シャアに伺いを立てる。セイバーの頭部がこちらを向いて、了解した
ように一つ双眸を瞬かせた。
「無論だ、レイ・ザ・バレル君。私はザフトだよ」
「……本当によろしいのですか?」
シャアの冷血な返しに、レイは思わず念を押した。
「カミーユが敵になるのを止めないというのなら、止むを得まい」
シャアは、事も無げに答えて見せた。
返答いかんに関わらず、レイはΖガンダムを排除するつもりでいた。だから、シャアの
回答に多少、拍子抜けさせられた。これまでの経緯から、もっと抵抗されるものだと予想
していたからだ。
だが、良い返答を貰った。シャアが何の躊躇いも無く賛同してくれたお陰で、気兼ねな
くΖガンダムを攻撃することができる。もう、容赦する理由はなくなったのだ。
(あの人も、ようやく割り切ってくれたか……)
シャアのネックは、カミーユの存在だった。元々、シャアのパイロットとしての技術に関
しては、レイは高い評価をしていた。だから、フリーダム攻略のためのアドバイザーを頼
みもした。しかし、カミーユが絡むとなると途端に精彩を欠くシャアが、非常に勿体ないと
も思っていた。
だから、シャアの返答は、その枷が外れた証としてレイは解釈していた。これならば、
Ζガンダムを排除することも容易いとレイは確信していた。
ケリは早急に付ける必要がある。デストロイが、いつ再び動き出すやも知れぬ状況で
ある。レイはシャアと連携をとり、Ζガンダムを追い込んでいった。
だが、レイには、まだカミーユに対する苦手意識があった。それでなかなか間合いを詰
められずにいるのだが、レイの攻撃を消極的にさせている要因は、もう一つあった。それ
は、シャアがスッポンのようにしつこく接近戦を繰り返していることだった。
お陰で、誤射を避けるためにレイの攻撃の機会がいくらか失われる場面もあった。だが、
レイはその積極果敢なシャアの攻めを、未練を断ち切る決意表明のようなものだと捉え
て、あえて口を出さずにいた。
(あの人は覚悟を決めた。なら、それに応えるためにも、俺が上手くやって見せなけれ
ば……!)
レイは忍耐強く心中で念じ、シャアのリズムを読もうと躍起になった。
そういうレイの殊勝さに、シャアは多少の後ろめたさを持っていた。
(マセた少年だとは思うが、少年は少年。まだ純だな……)
しかし、後ろめたさといえども、風が吹けば飛んで行ってしまう程度の罪悪感である。
それが、シャアの良心を痛めるようなことは無い。
シャアは、カミーユを攻め立てる一方でレイの動きにも気を配っていた。それは、レイ
の純粋さを利用していると言えた。シャアはそうして、機会が訪れる時を待っていた。
その目論見の断片は、最も近くで相対しているカミーユに少しずつ伝わっていた。
(もしかして、大尉は本気で攻撃してないんじゃ……?)
噛み合わないセイバーとレジェンドの連携を見ていて、カミーユは次第に疑念を抱きつ
つあった。それも、シャアの計算の内である。意図を共有できれば、事を容易に進めら
れる。洞察力に優れたニュータイプであるカミーユならば、必ず意図を汲んでくれるもの
と踏んでいた。
しかし、シャアは一度侮った相手を読みきれない男だった。
誤算だったのは、レイが急激にシャアの攻撃のリズムを把握しつつあったことだった。
レイはその殊勝さと認識力の高さで、シャアとのバラバラの連携を急速に修正しつつあ
ったのだ。
苛烈になっていく攻撃に対して、カミーユは追い詰められている自覚があった。レジェ
ンドのビームが、確実に脅威になりつつある。その上、セイバーの攻撃に対してさえも気
が抜けなくなってきているのは、明らかに疲労による集中力の低下が引き起こしている
ことだった。
「ここまで来て……!」
ネオは、すぐそこにいる。だが、その僅かな距離が果てしなく遠い。
窮境が、気力を下げている。それは、弾みだった。何気なく撃ったセイバーのアムフォ
ルタスビーム砲がΖガンダムの足元に着弾して、その爆発で大きくバランスを損ねた。
(不味い!)
途端、シャアは思わず声に出しそうなほどに激しく心中で臍を噛んでいた。シャアとの
連携をモノにしつつあるレイが、それを見逃すはずが無かった。
レイは、素早く照準をΖガンダムに絞った。
「覚悟を決めたクワトロさんのためにも、このチャンスは――!」
照準の中心にΖガンダムを収める。後は発射スイッチを押すだけだった。しかし――
「――んっ!?」
その時、不意に脳裏を掠めた不安が、咄嗟に回避行動を取らせていた。
つい数瞬前までレジェンドが存在していた空間を、一条のビームが走った。
「うっ……!」
何度も打ち寄せる波のように、一度は引きかけた不安が、今度は更に大きな波となっ
て押し寄せてきた。レイはそれを認識すると、更に大きく回避行動を取ってビームシール
ドを展開した。すると、その不安の大きさに比例したような強大なビームがレジェンドの付
近を通過した。
両腕のビームシールドを連ねて防御面積を増やしていなければ、或いは致命的だった
かもしれなかった。事実、ビームシールドでカバーし切れなかった下半身の脛の辺りは、
ビームの熱によって装甲が焦げ付いていた。
「……チィッ!」
射線元に目を転じた先に、片膝を着いて前かがみになっているデストロイの姿があっ
た。今しがたの強力な一撃は、その背部のバックバックから伸びる、左右二連装の砲塔
から撃たれたものだった。
アウフプラールドライツェーンは、都市の一つを軽く壊滅させられるだけの威力を誇って
いる。再起動したデストロイはレジェンドが怯んだと見るや、徐に立ち上がり、その巨体を
のっしのっしと揺らしながらこちらに向かってきた。
「自分から来るか!」
レイはデストロイと正対した。デストロイは右腕を失っていたが、尚も豊富な火器を有し
ている。その砲口から放たれる強力で数の多いビームやミサイルの砲撃の中を、レイは
ステップを刻むようにかわしてデストロイに迫った。
「いいだろう! アル・ダ・フラガの呪われた遺産は、全て排除する!」
バックパックのドラグーンを連装ビーム砲として使い、レイはビームを乱れ撃ちした。だ
が、デストロイの陽電子リフレクターは案の定、レジェンドのビームを寄せ付けない。それ
ならばと、レイはビームサーベルを抜き、接近を図った。
デストロイは弾幕を張ってレジェンドの接近を拒んでいた。レイはビームシールドを駆使
してそれを掻い潜り、肉薄した。振り上げた光刃がしなり、デストロイの左肩の辺りを斬り
つけた。
「――浅いか!」
高熱の刃はデストロイの漆黒の装甲を溶断していたが、それは人間で言えば皮膚を切
られただけのようなものだった。長さが足りない。エクスカリバーよりリーチが短いビーム
サーベルでは、もっと踏み込んだ攻撃でなければ効果的なダメージは与えられない。
アウフプラールドライツェーンの一撃が、無意識の内に及び腰にさせていたのか。レイ
は固く操縦桿を握り直し、「なら、今一度だ!」と自らに発破を掛けた。
反撃の弾幕をかわしながら、一旦距離を置き、再び肉薄する。今度はデストロイを迂回
するように回り込み、背後から斬りかかった。
しかし、そこをΖガンダムが狙っていた。Ζガンダムはビームライフルで迫撃すると、左
手にビームサーベルを握って、果敢にも空中でレジェンドに格闘戦を挑んできた。
「迂闊な!」
鳥のように自由飛行が出来るレジェンドに対し、Ζガンダムはバーニアの力を利用して
いるとはいえ、言わば跳躍しているだけ。空中戦におけるアドバンテージは完全にレジェ
ンドにあった。
まともに相手をする必要は無い。刃を交わすことなくいなすだけで、簡単にΖガンダム
は無防備になる。後は、その背中にビームを撃ち込むだけで楽に撃墜できる――はずだ
った。
レイは、頭の中で思い描いていた通りに実行しようとした。しかし、そのビームサーベル
の軌道を予測し、かわそうとした時、その太刀筋が不意に変化した。
「何っ!?」
レイは咄嗟にビームシールドで防御していた。間一髪である。ほんの一瞬反応が遅れ
ていたら、Ζガンダムのビームサーベルはレジェンドを斬っていた。
(俺の動きを先読みしていた……?)
そうとしか考えられない太刀筋だった。予め、レイの思考を読んでいたかのような。
(バカな! そんな人間がいるというのか……?)
しかし、分からない話ではないかもしれないと、レイはすぐさま思い直した。ナチュラル
でありながら、シャアの腕前はザフトのトップエースにも引けを取らない。それは、Ζガ
ンダムのような怪物が跋扈する世界の戦争を生き延びてこられたからなのだと思った。
ビームシールドに叩きつけられたビームサーベルの干渉波が、眩い光を放ってレイの
メットのバイザーを照らしていた。レイはその光に目を細めることなく、正面スクリーンの
中のΖガンダムを凝視していた。
(やはり、Ζは危険な存在だ……!)
バーニアを噴かすと同時に防御している腕を押し込んで、Ζガンダムを弾き飛ばす。そ
うしてバランスを崩したところに、バックパックの連装ビーム砲の照準を合わせた。
だが、注がれるデストロイの弾幕が、レイに発射スイッチを押させなかった。
「貴様っ!」
レイはその場を急速離脱し、ビーム攻撃から逃れた。
翻弄されているという認識があった。デストロイもΖガンダムも撃墜したいという欲が、レ
イの注意を散漫にさせている。デストロイとΖガンダムは、その隙を突いて連携しているよ
うに感じられた。
(だが、そんなはずはないのだ……)
カオスはデストロイによって無残なことになった。そのカオスと同胞であるΖガンダムが、
デストロイと連携するはずが無いとレイは思い込んでいた。
しかし、シャアはそうは見なかった。
今、レジェンドに浴びせたデストロイの弾幕は、先ほどまでの見境の無い無差別攻撃と
は違っていた。明らかにΖガンダムの位置を意識した砲撃だった。
(デストロイはレイを退けようとしたのではない。カミーユを守ったのだ……)
その認識が意味するところを、シャアは何とはなしに理解していた。そして、延いては、
だからこそカミーユはリスクを覚悟でレジェンドに空中戦を挑んだのではないかと考えた。
カミーユは、デストロイからの援護があることを知っていたのではないか。
本人に確かめなければ、その真相は分からない。だが、シャアの目にはそのようにし
か見えなかったというのも事実だった。
デストロイの再起動で、状況がどのように転ぶか分からなくなってきた。再度、介入す
る必要性を感じたシャアであったが、その焦燥を煽るように妨害するビームがある。つい
先ほど、デストロイが再起動した頃に現れたアビスが、ずっとシャアをマークしていた。
「今頃出てきて……!」
シャアは忌々しげに呟きながら、アビスへの対応を強制させられていた。
アビスは、戦力を拮抗させるために出現を期待していたモビルスーツだった。カオス、
Ζガンダムを見て、その存在が欠けていることに気付いたシャアは、アビスが必ず戦線
に駆け付けて来るであろうことを予期していた。
しかし、デストロイが再起動し、あまつさえカミーユと連携するようになった今、アビスは
寧ろ単なる邪魔者でしかない。完全にシャアの誤算である。
「ええい、小癪な!」
アビスのビームがセイバーを掠め、シャアはつい苛立たしげに叫んでいた。そうこうして
いる間にも、レジェンドとデストロイ、Ζガンダムの戦闘は激化の一途を辿っていた。
レイは、何かに取り付かれたかのように躍起になっている。それは、普段の冷静沈着な
レイらしくない、思慮に欠ける姿に思えた。シャアは、そのことも気になっていた。
気もそぞろ。アビスのビームがまたセイバーを掠めて、シャアは半ば強制的に意識を正
面の敵に戻さざるを得なかった。
アビスは火力は凄まじいが、重武装ゆえに運動性という点ではセイバーに劣る。機動力
を活かして対応すれば間違いは起こらない相手ではあるが、気が散っているシャアにとっ
てアウルは手強い相手だった。
空中からビームを連射して掣肘すると、アビスは地面を蹴って後退した。そうして僅かな
時間を作ると、シャアは急いでレイの戦闘に目を向けた。
「……!」
思わず目を見張った。少し目を離しいる間に、状況が一変していた。
経緯は分からない。が、デストロイは右前腕に続いて左肩から先も切り落とされていて、
一方、レジェンドはビームサーベルを掲げてΖガンダムに斬りかかろうとしていた。
Ζガンダムはシールドを構えていた。しかし、滞空している状態だった。決して防御面
積が広いとは言えないΖガンダムのシールドである。自在に空中を移動できるレジェン
ドであれば、それを避けて容易に本体を斬ることができる。
果たして、レジェンドは少し動きを変化させて、Ζガンダムの右側を狙った。Ζガンダム
も咄嗟に反応して向きを変えようとしたが、レジェンドのビームサーベルの方が幾分か早
い。
だが、それよりも更に早かったのは、デストロイの巨躯だった。
まるで、倒れ込むようにデストロイはレジェンドの前に入った。それが弾みだったのかど
うなのか、シャアには分からない。しかし、デストロイの巨体がΖガンダムを押し退けたの
を目撃した瞬間、シャアは咄嗟に「庇った!」と声に出していた。
驚いている間もなく、レジェンドのビームサーベルがデストロイの右肩の内側、人間で
言うところの僧帽筋の上側の辺りから縦に斬り込まれた。
高熱の刃が鉄を溶融しながら食い込んでいく。レイは、何故Ζガンダムではなくデスト
ロイを斬っているのか、理解できていなかった。デストロイが、自らを盾にしてΖガンダム
を守ったのだという発想が、どうしても浮かんでこなかったのである。
だが、レイに惑っている時間は無かった。デストロイの頭部が、グリンとこちらを向いた
かと思うと、俄かにその口腔部を光らせ始めたのである。
刹那、発射されたツォーンの光は、しかし、レジェンドを直撃することは無かった。レイ
が直前に察知して、緊急離脱していたからだ。
その途端、デストロイの右肩の損傷部が火を噴いて爆発した。爆ぜた拍子にパーツが
飛び散り、右腕が肩口から外れて地面に落ちた。その土煙が収まらないうちに今度は膝
が砕けて、立膝をついた。まるで糸が切れた操り人形のように、項垂れたデストロイの双
眸からは光が失われた。
対空掃射砲ニーベルングが破壊され、ヘブンズベースの中枢が落ちたという連絡が入
ったのは、その直後のことだった。
コックピットの中には、僅かな光しかない。メインスクリーンは死に、辛うじて生き残った
機能が非常灯のようにネオ・ロアノークを照らしていた。
割れた仮面の破片が、身体中に散らばっていた。爆発の余波はコックピット内部にも及
んでいて、その時に割れたものである。額の辺りに指を軽く当ててみると、ぬるっとした感
触がある。ネオはフッと笑うと、仮面の破片を拾い上げて弱い光に当てた。
「皮肉なもんだな……」
醜いと思っていた仮面が自分の命を救ってくれたのかと思うと、ネオは苦笑を禁じ得な
かった。
ずっと、夢を見ていたようなものだったのだとネオは思う。だが、夢はやがて覚めるもの
である。仮面が砕けた時、ネオは全てを取り戻していた。
「ロード・ジブリール……大きな貸しが出来たな……!」
電気系統は殆ど死んでいる。ネオは炸薬によるコックピットハッチの強制排出スイッチ
を押して、ハッチをこじ開けた。
炸薬の煙が、吸い出されるように外に流れていく。ネオは視界が晴れるとコックピットか
ら身を乗り出した。しかし、膝立ちになっているとはいえ、コックピットから地上までは尚
も二十メートル近くの高さがある。流石に、これを飛び降りることはできない。
「昇降ワイヤーも駄目、脱出用のパラシュートも無い……チッ、これだから!」
「そのまま飛び降りろ!」
立ち往生するネオに、外部スピーカーで身投げを要求する声が聞こえる。直後、デスト
ロイが再び爆発を起こして、ネオは危うく落下しそうになったのを堪えた。
迷っている時間は無い。デストロイは誘爆が起き始め、本格的に爆沈しようとしていた。
「南無三!」
覚悟を決めるしかない。ネオは思い切り足場を蹴ると、出来るだけ遠くへと跳躍した。
危機一髪。ネオが跳躍すると同時に、デストロイのコックピットが噴火するように爆発し
た。ネオはその爆風にも押されるように宙を舞って、地面への放物線を描いた。
その放物線の途中に、ネオを待ち受ける鋼鉄の手があった。鋼鉄の手はネオの肢体を
丁寧に受け止めると、滑り落ちないように柔らかく覆った。それは、Ζガンダムのマニピュ
レーターだった。
「生きてるな、ネオ!」
そう呼び掛けるのは、カミーユではない。ネオはΖガンダムの指の隙間から顔を出し、
その声のする方向に向かって手を振った。その先には、両腕を失ったカオスの姿がある。
立っているのがやっとらしく、膝をがくがくと震わせていた。
おぼろげだが、ネオは自覚していた。カオスが大破寸前にまで追い詰められているのは、
他ならぬ自分自身の仕業であるということを。
(俺は、あと少しでスティングをこの手で殺してしまうところだったのか……)
そう思うと、身の毛がよだつ寒気がした。
(そして、俺を悪夢から目覚めさせてくれたのが――)
「大佐、こちらへ!」
振り返ると、Ζガンダムのコックピットハッチが開いていて、カミーユが顔を覗かせてい
た。カミーユは操縦桿を操作してマニピュレーターを胸部コックピット付近にまで寄せると、
縁まで身を乗り出して手を差し伸べた。
「おう、すまないな!」
野暮なことは聞かないし、言わない。ネオは、ただ有り難く思い、その手を取ってコック
ピットの中へと飛び移った。
リニアシートの後方に身体を横たえ、カミーユの邪魔にならないようにする。球体の内
側のコックピットは全面がスクリーンになっていて、ネオの下には十数メートルの高さか
ら望む地上の景色が見えた。まるで自分が宙に浮いているような錯覚がして、その独特
な浮遊感に尻の穴が自然と締まった。
「よし、とっとと逃げるぜ!」
通信回線の向こうのスティングが言う。少し離れたところでは、アビスがまだセイバー
とレジェンドを牽制している様子が見えた。
カミーユは「了解」と応じると、ウェイブライダー形態に変形してカオスの前に着陸した。
急いでいるせいか、些か操縦が雑になっている。着陸の衝撃でネオの身体が少しバウ
ンドして、傷に障って軽く呻いた。
「乗れ、スティング!」
カミーユが言うと、カオスは倒れ込むようにウェイブライダーに乗った。その衝撃がまた
大きくて、ネオは、今度は少し大きな声で「ううっ!」と苦悶した。
「痛みますか?」
機体を浮上させながら、カミーユが聞いてくる。ネオは「ちょっとな……」と言いつつも、
「構わずやってくれ」と続けた。
「今は、ここからの離脱が最優先だ」
「はい。――アウル!」
カミーユはアウルを呼ぶと、ウェイブライダーを加速させた。アビスはありったけのビー
ムをばら撒いて掣肘を加えると、同様に変形してカミーユたちを追走した。
ウェイブライダーの加速は、打ち身や捻挫で痛んでいるネオの身体に堪えた。だが、そ
れもスピードに乗ってしまえば、殆ど緩和された。
ネオはごろりと寝返りを打って、後方を見やった。追撃してくるモビルアーマーがある。
それは散漫なビーム攻撃を繰り返していて、その光がイルミネーションのようにネオの周
囲を彩っていた。セイバーが、追撃をしてきていたのだ。
「いいのか?」――ネオは追撃してくるセイバーを見ながらカミーユに聞いた。
「あの赤い機体は、クワトロ・バジーナのものなんだろ?」
セイバーの追撃が見せかけのものだと気付いていながらも、ネオはあえて水を向ける
ようにカミーユに言った。そのカミーユは前方を向いたまま、「いいんです」と淡々とした
調子で答えた。
「クワトロ大尉と僕は違いますから……」
はぐらかすように言うカミーユを、ネオはそれ以上追及したりはしなかった。
セイバーは戦域を抜ける直前で引き返していった。ネオはそれを見送りながら、心中で
シャアに礼を述べていた。
(容易に包囲網を抜けられたのは、アイツが布陣の薄いところへ案内してくれたからだ
……)
セイバーの追撃の意味を、ネオは洞察していた。
無事にアイスランドを離れた一行は、その後、モーテルで待たせていたステラを回収し、
当初の目的どおりにオーブへと針路を向けた。
ヘブンズベース本部の陥落によって、状況は制圧戦へと移行していた。一足先に帰投
を許されたレイはミネルバに帰着し、早々にコックピットを降りていた。
「具合、どうだ?」
デストロイのビームで焼け焦げたレジェンドの脛を、早速ヴィーノが調べていた。ヴィー
ノは訊ねるレイに向かって、「問題ねえよ」と答えた。
「ちょっと火傷したようなものさ。ガワを取り替えるだけで済むよ」
「そうか」
応じながらも、レイは別のことを考えていた。
最後のデストロイが爆沈した時、レイはそこから脱出するパイロットの姿を見ていた。長
身で、自分と似たようなブロンドの髪を靡かせて宙に躍ったその男は、想像していた外見
とは異なっていた。
(あれは、違う……)
それが率直な感想だった。レイには、ネオがどうしても自分と同種の存在であるとは思
えなかった。
昇降デッキの動く音が響く。メカニックたちが慌しく動き始め、飛び交う怒号の中でセイ
バーが帰艦したことを知った。
格納庫に降りたセイバーは、丁寧な足取りで自らの納まる場所に向かった。レイはそ
れを目で追いながら、カミーユたちに追撃戦まで仕掛けたシャアの心中を計った。
(俺が拘り過ぎなのか? あの人は過去の拘りを捨てて見せた……なら俺も、もっとギ
ルの役に立てるようにストイックにならなくてはいけないんじゃないのか……?)
セイバーのコックピットから顔を見せたシャアの表情は、至って平静だった。レイは、そ
ういうシャアの非情さは見習わなくてはいけないと感じていた。
基地本部に白旗が上がったのは、間もなくだった。抵抗戦力を失い、戦意を喪失したロ
ゴス陣営は観念して、遂に投降の意思を示したのである。戦いは、同盟軍の勝利で幕を
下ろした。
その後、ヘブンズベース本部にてロゴス構成員が次々と拘束されたが、過激派ブルー
コスモスの盟主を兼任する肝心のジブリールの姿は既に無く、脱出を許した後であった。
拘束したロゴス構成員を尋問しても、その行方は判明せず、デュランダルはその場で即
座に捜索令を発令した。
オペレーション・ラグナロクの結果、ロゴスはその力を大きく減退させた。しかし、事態は
最も大きな禍根を残したまま、次の局面へと向かっていく。
ヘブンズベース陥落の一報は、ルナマリアが作戦終了後の後始末の合間を縫って教え
てくれた。
ルナマリアに頼んだのはラクスやアークエンジェルの動向についてだけで、本来はこん
なことまで報せる必要は無かったのだが、何だかんだと不満を持ちつつもルナマリアはハ
マーンに忠実だった。
その後、ジブリールにだけ逃亡を許してしまったという追加報告を受けたハマーンであっ
たが、特に関心が地球に向かうことは無かった。
ラクスがプラントに上がっていた。その事実一つに比べれば、地球での諍いなど取るに
足らないことにしか思えなかった。
オペレーション・ラグナロクが終結して間もないある日、ハマーンはキュベレイの最終調
製のため、定期便にて工業コロニーへと移動していた。その機中、ハマーンは普段とは
違うざわついた胸騒ぎを覚えていた。
乗客の殆どは、工業コロニーで勤務する労働者である。その中には、かつてオーブに
在住していた技術者もいた。以前、アーモリー・ワンにてカガリがデュランダルに、非公式
でありながら会談を申し込んでいたのは、彼らが兵器開発に関与しているという話を聞き
つけて、それに抗議するためだった。
出港前、いつも予約している窓側の席で、舷窓から見える宇宙を眺めていると、俄かに
誰かが近づいてくる声が聞こえた。どうやら、席を探しているらしい。定期便に乗り慣れて
いないようで、ハマーンは内心で、素人が、と嘲っていた。
「えーと……B-31、B-31っと。おっ、ここだここだ」
浅黒い肌の、調子の軽そうな男だった。アロハシャツにテンガロンハットと白いパンツ姿
という、いかにも軽薄そうな出で立ち。しかし、帽子の陰になっている顔には、よく見ると深
い傷が刻まれていて、サングラスの下の目つきは飢えた狼のように鋭く、周りを常に警戒
していた。
只者ではないことは、すぐに分かった。しかし、何者かは分からない。ハマーンは警戒
しつつも、暫くは大人しく様子を窺うことにした。
だが、その時だった。
「こっちだ。お前の席はA-32だから、そっちの通路側だ」
浅黒い肌の男が連れを呼んで、ハマーンの隣の席を指差す。やがて誰かの気配が近
づいてきて、舷窓を見つめるハマーンの背後に立った。
「あの……隣、失礼します」
やや緊張した声色だった。振り向くと。そこには想像したとおりの、少年とも青年ともつ
かないような中世的な顔立ちの男が立っていた。伏目がちで、どこか自信がなさげであ
る。
ところが、その表情がハマーンの顔を見るや、豹変した。まるで、幽霊でも見たかのよ
うな驚愕を浮かべたのである。
ハマーンは、その意味にすぐには気付けなかった。
「どうした、座らんのか少年?」
ハマーンが促すと、青年は無言のまま軽く会釈をしてから座った。
出発のカウントダウンが始まった。電光掲示板に表示されたカウントが進み、ゼロにな
ると定期便シャトルは適度な揺れと共に緩やかに加速を始め、宇宙港を出た。
工業コロニーまでは数十分といったところである。それまでの間、起きている者もいれ
ば軽い睡眠を取る者もいる。ハマーンは前者であったが、隣の青年は些か様子がおかし
かった。身を強張らせ、やたらと居心地が悪そうにしている。
(それはそうだろうな……)
ハマーンは青年に流し目を送った。青年はそれに気付くと、すぐに顔を赤らめて俯いて
しまった。可愛げがある坊やだ、と思った。
機内の時間は穏やかに流れていた。しかし、それは隣の青年には関係が無いようで、
ずっと緊張した面持ちで身を固くしていた。
やがて、沈黙に耐えかねたのか、「あの……」と青年が徐に話し掛けてきた。
「ハマーン、さん……ですよね?」
青年は隣のハマーンにだけ届くような小声で聞いてきた。
ハマーンは「ほお」と感心しながらも、問い掛ける青年に対して不敵な笑みを浮かべた。
「だとしたら、どうする?」
青年の頬を、冷や汗が伝った。脇腹の辺りに、何かしらの固いものが当たっているのを
感じたからだ。
その時、ふとハマーンは違う視線に気付いた。青年の左隣、通路を隔てた向こう側の席
に座っていた浅黒い肌の男が、自分の左腕に手を掛けて、射るような眼差しでこちらを窺
っていた。その視線から、殺気を感じる。
青年は、ごくり、と喉を鳴らした。
「ここで撃つつもりですか……?」
「これでか?」
冗談っぽく笑ってハマーンが見せた銃のような形をしたものは、無重力帯で使われる携
帯用のワイヤーガンだった。
青年の顔に、安堵の色が広がった。向こう隣の浅黒い肌の男も、それを見ると軽く肩を
竦めて姿勢を正した。ハマーンはそれを見ると、フンと鼻を鳴らして青年に目を戻した。
「そういうお前は、ガンダムのパイロットだろう? フリーダムとか言う……」
ハマーンは改めて青年に問い掛けた。青年――キラ・ヤマトの顔に、再び緊張の色が
広がった。
「沈んだと聞いていたが?」
ザフトの中でも、フリーダムは正式に撃墜されたことになっていた。エンジェルダウン作
戦後、フリーダムが沈んだ海域にて発見された残骸が、決定的な証拠として挙げられた
のである。
確かにフリーダムは沈んだ。しかし、そのパイロットであるキラは生き延びていた。
ハマーンの問いに、キラは目を泳がせた。どうやら、敗戦には納得が行っていないらし
い。
(見た目に似合わず負けん気が強いな……)
ハマーンは心中で笑った。
「まあいい。目の前にお前がいる。それが現実だ」
そう言って許すと、「それにしても……」と繋げて話題を変えた。
「よく私の名前を知っていたものだな? 教えた覚えは無いはずだが?」
「ラクスがうわ言で、あなたの名前を呼んだんです」
キラはそう言うと、ハマーンを複雑な面持ちで見つめた。
ある時期を境に、ラクスが寝言でハマーンの名前を呼ぶようになった。キラは、何度か
それを耳にしていた。
最初、それが誰の名前なのか見当もつかなかった。だが、暫くして思い至った。
地中海沿岸の小さな港町でラクスがはぐれたと聞き、急いでフリーダムで探しに出た。
ようやく見つけ出したラクスは、その時、郊外で二人の女性と会っていた。そして、その
正面に立つ女性だけを妙に熱っぽい瞳で見つめていたことを、思い出したのである。
その女性こそ、今隣に座っているハマーンだった。
その帰り、フリーダムの鋼鉄の手の中で西日に目を細めるラクスは、それまで見たこ
とも無いような妖艶さを放っていた。そして、ラクスにそのような顔をさせたのが、かの女
性なのだと直感した時、ハマーンがその女性だったのだと理解した。
「ほお、ラクスはお前と枕を交わすのか?」
ハマーンは一寸驚くと、フフフッ、と嘲笑を浮かべた。キラはハッとして、うっかり口を滑
らせた自らの迂闊さを悔やんだ。
「あ、あなたこそ、何をしてるんですか、こんなところで……!」
キラは気を取り直して、逆に問い掛けた。しかし、ハマーンは些かも動じない。
「生憎、私はプラント市民ということになっている。デュランダルの計らいでな」
そう切り返され、キラは言葉に窮した。
「そういうお前たちこそ、何故プラントにいるのだ?」
浅黒い肌の男にも目線をくれ、ハマーンは訊ねた。おおよその見当はついているが、確
信を得る意味であえて聞いた。
「……ラクスが呼んだからです」
隠し通せないと観念したのか、キラは素直に答えた。想定どおりの答えだった。
だが、次にキラが続けた言葉は、流石にハマーンの想像を超えていた。
「……ラクスは変わりました。あなたに会ってからです。僕は……あなたに嫉妬している
……」
それは、キラの胸の中で燻っていた思いだった。自分が見つけられなかったラクスの魅
力に気付いた時、それを引き出したのが自分ではなくハマーンであったことが、男として
悔しく、惨めだった。
ハマーンは暫時驚かされていたが、言葉を搾り出したキラを、やがて微笑混じりに見つ
めた。
「正直に言うのだな?」
辛酸を舐めたようなキラの表情が、ハマーンには微笑ましく見えた、思ったことを素直
に吐露するキラは、繊細で、裸の心を隠す術を知らない。ラクス同様、純粋なのである。
どこか、放っておけないと感じさせるものがある。しかし、ハマーンはそういうものに惑わ
されたくない女性だった。
「だが、それは筋違いというものだ」
徐に続けたハマーンの言葉に、キラは顔を顰めた。
「そりゃ、そうかもしれませんが」
「私に何を期待しているというのだ?」
ため息混じりに問うと、キラは少しの間、躊躇った。しかし、意を決して搾り出された言
葉に、ハマーンは思わず面食らってしまった。
「……僕は、どうすれば彼女の心を開けるんでしょうか?」
どこまで純粋なのかと呆れた。まるで幼子のようだ。
堪えきれず、とうとう失笑してしまった。キラが仏頂面になって、ハマーンを睨んだ。
「まさか、それを私に聞くのか?」
笑いを堪えながら訊ねる。キラの眉間の皺が、ますます深くなった。
「僕だって、あなたなんかには……」
屈辱と知りつつも、教えを請う。趣味ではないが、そういうキラには多少は優しくしてや
ろうと思えた。
「いいだろう、気まぐれに少しだけ教えてやる。ラクス・クラインは心に孤独を抱えてい
る。お前たちがラクスの孤独を深めているのだ」
言うと、キラは目を剥いて「僕にそんなつもりは……!」と身を乗り出しかけた。
「そうかな?」
ハマーンは目で威圧してキラを押し留めると、「ならば、何故ラクスは自ら私に会いに
来たのだ?」と詰るように問い掛けた。
キラは沈黙した。本当に思い当たる節が無かったのである。ラクスはいつもラクスだっ
た。変わらぬ様子で、常に自然体でいると思っていた。
しかし、それは勘違いだった。ハマーンに会ってからのラクスはそれまで以上に艶やか
で、キラは本当に驚かされたのである。
そして、ラクスが分からなくなった。
キラは本気で苦悩していた。純粋にラクスを思うが故だった。
だが、ラクスがハマーンに抱く感情は、男女間のそれとは違う。それに気付けない限り、
キラは永遠に悩み続けるだろうとハマーンは思っていた。キラにはキラの、男としてのや
り方がある。
ただし、それを具体的に教えてやるつもりは無かった。ハマーンが彼らの痴情の世話を
焼く義理は無いのだから。
やがて、定期便が工業コロニーに入港した。到着して機体が止まると、ハマーンは無重
力を利用してふわっと浮き上がり、物慣れた動きでキラの頭上を越えて通路に降り立った。
それまでジッと考え込んで黙っていたキラの目が、ハッとなってそれを追う。
「よく考えるのだな。私もあの女に付き纏われるのは鬱陶しい。お前が何とかしてくれれ
ば、私もスッキリするのだがな」
そう告げると、ハマーンは反対側に振り返り、浅黒い肌の男を一睨みしてから下船して
いった。浅黒い肌の男――バルトフェルドは、サングラスをずり下げてハマーンの後姿を
見送ると、「とんでもない女だ」とぼやいた。
定期便を降りたハマーンは入管ゲートで手続きを受けている間、後ろを振り返って港内
の様子を窺っていた。下船した際、明らかに堅気ではない雰囲気の男たちが屯していた
ことに気付いたからだ。出迎えの一般人を装っていたが、ハマーンの目は誤魔化されな
い。
その中に一際浮いた、ちょうどキラと同年代と思しき青年の姿があった。シャアのような
サングラスをかけていたが、どうやらその青年がかの集団の中心人物であることが窺え
た。
キラたちは一番最後に下船した。そして、案の定、彼らを迎えたのはハマーンが注視し
ていた集団だった。
キラがサングラスの青年と握手を交わした。ハマーンはそれを見届けると、気付かれる
前にゲートを抜けた。
ハマーンは直感していた。あの集団こそが、最も忌むべき連中であると。
「キュベレイの最終テストか……」
予感めいた呟きを残し、ハマーンは港を後にした。
続く
十九話は以上です
それでは
乙
GJ!!
次も楽しみ
162 :
通常の名無しさんの3倍:2013/06/21(金) 16:26:59.88 ID:7qZYoYti
うはは
どうもです
第二十話「接触、ハマーンとキラ」です↓
何度も通っている工廠は、最早、顔パスで入れるようになっていた。ハマーンは施設の
エントランスを抜けると、一直線に現場へと足を運んだ。
油や金属が焼けた臭いが漂ってくる。この臭いにも、もう慣れたものだ。
キュベレイは丁度、搬送されるところだった。
姿を見せたハマーンに、技術主任が歩み寄ってくる。元オーブの技術者であるという彼
は、当初モルゲンレーテでもこんなものは見たことが無いと言って、キュベレイに甚く感
動していた。
「おはようございます。いよいよですね」
技術主任はやや興奮した様子で挨拶した。
「機体そのものには自信を持っています。問題が出るとすれば、やはりサイコミュまわ
りだと思いますが……」
「ファンネルが使えればいい」
「それが一番の問題で……如何せん、サイコミュの運用試験は貴女がいなければでき
ないのですから。しかし、ドラグーンシステムの研究はモルゲンレーテでも行われていま
したし、試作型の一機に実装される予定でしたが、私は開発途中でオーブを焼け出され
たものですから、どうなっているのか気になっていたのです。それが、別の形とはいえ、
こうして関われたのは本当に幸運でした」
彼らはハマーンが想像していた以上に優秀な技術者だった。異なる世界の技術にも積
極的に興味を示し、見る見るうちにその理論を理解していったのである。流石にミノフスキ
ーイヨネスコ型核融合炉を一から製作するのには長い年月が掛かりそうだったが、既存
のものを調整したり整備したりするだけであれば、難なくこなして見せた。
「そうか」
ハマーンは比して淡白に返すと、視線を別の方へと向けた。
その目線の先には、金色の憎い奴が佇んでいる。百式もほぼ修復を終え、キュベレイ
には遅れているものの、最終段階に入っていた。
(大したものだ……)
百式に関しても、感心させられた。四肢がもげた百式を殆ど原型どおりに修復した手腕
は、素晴らしいの一言に尽きる。彼らは、百式のデータベースから引っ張り出した図面か
ら、ほぼ完璧な形で復元することに成功したのである。
特殊な材質の装甲は既存のもので代用した。その影響で機体バランスが崩れたり、予
定スペックに届かないことが分かると、駆動系の効率化を図ったり、バーニアの出力調
整をしたり、或いはアポジモーターの増設をしたりなどして、あらゆる面で工夫を凝らして
見事に問題をクリアして見せた。
その根気や情熱たるや、並大抵のものではなかった。流石はデュランダルが集めた精
鋭の技術者であろうか。ハマーンは、素直に感心していた。
「楽しみですよ。ちゃんと動いてくれるかどうか、不安でもありますがね」
「動くよ。見れば分かる」
キュベレイは新品同様の輝きを放っているように見えた。アクシズの技術の粋を集めて
開発された機体である。コズミック・イラで運用できるように調整されていたが、その作業
にアドバイザーとして携わっていたハマーンも、仕上がりには満足していた。
後は、実際に動かしてみてどうかというだけである。それを、これから試す。
空間運用テストのために、練習艦のローラシア級でコロニーを発進する。テスト宙域に
到達すると、ハマーンはキュベレイへと乗り込んだ。
「あの、パイロットスーツは?」
「着ない主義だ」
ハマーンは素っ気なく返事をすると、コックピットハッチを閉じた。
久方ぶりのキュベレイのリニアシートである。球面の全天周スクリーンは、全面に外の
景色を映し出す。それはあたかも宙に浮いているような錯覚をパイロットに与える。初心
者はその浮遊感に戸惑うのだが、窮屈なザク・ウォーリアのコックピットよりも解放感が
あって、ハマーンは寧ろこちらの方が好みだった。
ゆっくりとカタパルトデッキを進む。カタパルトに足を嵌めると、キュベレイは両肩の大
型バインダーに隠すように腕を広げた。
「出るぞ」
ハマーンが一言放った瞬間、膝を曲げたキュベレイは加速し、無重力の海へと躍り出
た。
漆黒の宇宙に、キュベレイのホワイトカラーは映えた。見るものをウットリさせる流線型
のボディラインは、バーニアの光が尾を引くのも相まって、遠目からではさながら流れ星
のようであった。
キュベレイは宇宙を縦横無尽に駆けた。大型バインダーのメインスラスターの調子は
良好で、加速も制動も申し分ない。その他の機体各所に点在するアポジモーターも問題
なく、小回りも非常に良く利いた。
ローラシア級から大量のバルーン隕石が射出される。ハマーンはそこにキュベレイを
飛び込ませた。
バルーンの隙間を縫うように進み、あっという間に抜け出る。接触は無い。
主任が自信を覗かせるだけあって、機体そのものの仕上がりに文句は無かった。操縦
感覚にも違和感は無い。追従性も高く、ハマーンの思うように動いてくれる。
「いかがですか?」
「うん。問題ない。今のところ、サイコミュも機能しているようだ」
「こちらでもデータは出ています。問題は、ここからです」
機体制御の補助システムとしてのサイコミュは機能している。しかし、主任が言うように、
それが攻撃面で機能してくれるかどうかが肝要だった。それこそがキュベレイの生命線
でもあるのだから。
引き続き、ドローンを相手にした攻撃性能試験が実施される。ドローンは航空機のよう
なデザインのメカで、それが大量にキュベレイの周りを飛び交った。
キュベレイがハマーンの操縦に反応し、手を掲げる。袖下から覗く砲口から放たれたビ
ームは、高速で宇宙を飛行するドローンを一撃で粉砕した。
立て続けに両腕でドローンを狙い撃つ。ビームは7割以上の確率でドローンに命中し、
次々と宇宙の藻屑に変えていった。
「ビームガン、問題は無いようですね」
「ファンネルを使う」
「どうぞ」
キュベレイの尾に当たる部分が、上を向く。ハマーンは集中力を高め、イメージを思い
描いた。
「……行け!」
号令を掛けると、尾の裏側から無数の光が飛び出した。その光は個々に散開すると、
次の瞬間、嵐のようなビームの光跡が縦横無尽に走った。それはあたかも張り巡らされ
た網の目のようで、たちまちの内にドローンは全て撃墜されてしまったのであった。
攻撃を終えた光は、再び尾に戻ってきた。それらが全て再装填されると、ハマーンはサ
イコミュが無事に機能してくれたことに安堵し、一つ軽く息をついた。
通信回線の向こう側では、技術者たちが歓喜の声を上げていた。同じモビルスーツと
はいえ、未知の技術が詰まった機械を相手に悪戦苦闘を重ね、ようやく実用化にこぎつ
けたのだ。喜びも一入であった。
「おめでとうございます。テストは以上で終了です。これなら、実戦でも十分に通用しま
すよ」
技術主任の表情は、まるで春が訪れたかのように華やいでいた。
しかし、ハマーンに笑顔は微塵も無かった。喜色満面の主任には目もくれず、険しい表
情で遠くの宇宙へと意識を向けている。
「あ、あの……何か?」
特別気難しいわけではないが、無駄に威圧感を感じさせる女性だった。明らかに年下
なのだが、目上のような扱いをしなければならないような雰囲気が、ハマーンにはある。
そのハマーンが、喜びに沸く自分たちとは対照的に、無言のまま能面を晒しているので
ある。何か気に入らないことがあったに違いないと感じ、主任は肝が冷えていく感覚を
味わっていた。
キュベレイが不意にローラシア級に背を向けた。そして、ハマーンは告げたのである。
「これからキュベレイの最終テストに向かう」
「へ?」
「危険なテストになる。船はコロニーの近くまで退避させておけ」
ハマーンはそう言い残すと、キュベレイを加速させた。
「あ、あの、ちょっと!?」
主任が問う間もなく、キュベレイは漆黒の彼方に吸い込まれていった。
プラントコロニー群より程近い暗礁宙域に、サーモンピンクの艦船が浮かんでいた。周
囲はすっかり岩やスペースデブリに囲まれていて、時折それらが艦体を叩いた。その他
にも数隻のローラシア級が屯っていて、その周辺を二機のモビルスーツが飛び交ってい
る。
一方は白を基調とし、青い草葉のようなウイングを背負っていた。その関節は黄金色の
輝きを放っている。ストライク・フリーダムは、キラの新たなモビルスーツだった。
他方は赤を基調としていて、背部にリフターを背負っていた。その関節は対を成すよう
に銀色の輝きを放っている。インフィニット・ジャスティスを駆るのは、アスランだった。
二機は絡み合うように暗礁宙域の中を駆け抜けた。互いにビームを撃ち合い、かと思え
ば協力して岩を破壊する。モビルスーツの訓練だった。
スペースデブリは、止まっているように見えてその実、とんでもないスピードで動いてい
る。しかし、二機のモビルスーツはそのスピードを感じさせない程に良く動き、圧倒的な性
能と腕前を見せ付けた。
サーモンピンクの艦船――エターナルの艦橋でその様子を観戦していた一同は、一様
に感心し切りの表情を浮かべていた。
「お二方とも、実に素晴らしい!」
一人の男が快哉を上げた。
鼻筋とクロスする傷がある。目は鋭く釣り上がり、常に爛々とぎらつかせている。少し、
危険なにおいのする男だった。
艦長席に座るバルトフェルドの目が、その男を疑わしげに見やった。
男は、ロゴス動乱で世界が混迷を極める中、突然現れた。男はクライン派を名乗り、ア
スランたちの思想に共感したと言って、是非新たに作る組織に参加させて欲しいと申し出
てきたのである。
新たな組織とは、ラクスを領袖とし、アスランを副首領に据えた、ラクス派とも呼べる新
たなクライン派である。デュランダルの政治手法に強い懸念や危機感を抱いた有志によ
って構成されていて、現プラント政権の監視、及び抑止力を目的としている。
アスランは、そのメンバーを集めるために奔走していた。しかし、旧知であるイザークや
ディアッカには、理解こそ得られたものの、結局は協力を取り付けられなかった。彼らは
緘口を約束してくれたが、その態度が暗示していたように、メンバーは思うように集まらな
かった。
スケジュールに、遅れが出ていた。男は、そんなアスランの前に現れた。
正直、若干素性は怪しかった。だが、無碍に断わるわけにもいかない事情もあった。受
け入れを拒否した噂を広められてしまえば、これから賛同してくれるかもしれない人々の
心証にまで悪影響を及ぼしかねない。それでは大義は得られないし、何よりその時点で
事が明るみになるのは避けなければならなかった。もしデュランダルに知られれば、まだ
弱小組織であるアスランたちは、たちどころに捻り潰されてしまう。故に、男の申し出は受
け入れる他に無かった。
だが、結果的にそれがラクス派の結成を早めた。男は、同じくデュランダルに不満を持
つ“本流のクライン派”と称する多くの人々を連れてきたのである。それには甚く驚かされ
たが、一気にシンパが増えたことは嬉しい誤算でもあった。それで、一先ずは男を信用
しようという運びになったのである。
こうして、ラクスの父である、故シーゲル・クラインが立ち上げた秘密団体のターミナル
を母体とし、独自の開発機関であるファクトリーと、そこに集った有志たちによって、ラク
ス派は予定通りに門出を迎えられたのである。
(だが、奴らは本当にクライン派なのか……?)
ラクスに同調するだけあって、人当たりは良い。確かにデュランダルに不満は持ってい
るようだが、聞く限りでは特にカルト的な思想を持っているわけでもない。しかし、バルト
フェルドには、それが却って怪しく見えて仕方ない。
役柄、他人を疑う癖を身に付けているバルトフェルドであるが、そればかりでも良くない
と思い、クライン派として潔白が証明されているヒルダたちに、内密に男のことを訊ねてみ
た。ところが、当の彼女たちも男の素性に関しては分からないと言う。
「クライン派と言っても、色々あります。例えばギルバート・デュランダルもクライン派で
すが、彼は我々とは毛色が違いますし、彼を疎んじている同派閥の者は、意外と多いと
思います」
ヒルダたちはそう言って、彼らはクライン派の分派なのではないかと推論を述べたが、
どうにもそれを信じる気にはなれなかった。バルトフェルドの目には、彼らが別の目的で
自分たちに擦り寄ってきたように見えてならなかったのである。
しかし、現時点でそれは単なる勘でしかない。証拠が無い以上、迂闊に疑いを掛けるわ
けにはいかなかった。立ち上げたばかりのラクス派は、まだ基盤が脆い。ここで要らぬ論
争を巻き起こしては、たちどころに組織が分解してしまう恐れがあった。
故に、今はその行動を監視し続けるしかなかった。念のため腹心であるマーチン・ダコ
スタには別行動を取らせ、彼らの裏を取らせているが、果たして。
――男は、サトーと名乗った。
「ラクス様や彼らがいらっしゃれば、場合によってはデュランダルを議長の座から引き摺
り下ろすことも可能でありましょう」
サトーはバルトフェルドの後ろで鎮座しているラクスに振り返り、言った。
ラクスは、サトーのことをどう見ているのだろうか。ラクスがサトーについて言及している
場面を、バルトフェルドは知らない。果たして、ラクスも同じように見ているのではないかと
訝った。
その表情からは、内面を窺い知ることはできない。ラクスは、ただ誰に対しても分け隔て
なく、常に毅然とした態度で臨むだけである。
「いいえ、サトーさん。勘違いしてはなりません。わたくしたちの目的はクーデターなど
ではありません。武力を持つのは、あくまで緊急時に備えてのことなのですから」
「これは申し訳ありません。少々、口が過ぎたかもしれません。勿論、ラクス様のお考
えは存じ上げているつもりです。ですが、事を未然に防ぐという意味においても、釘を刺
しておく必要はあるのではないかと思った次第で」
「そのお考えは分かります。しかし、わたくしたちの立場を考えれば、積極的に動くのは
寧ろ誤り。わたくしたちは、常に謙虚であらねばなりません」
「おっしゃる通りで」
サトーはラクスの言葉に賛同の意を示した。だが、それは果たして心からの賛同なの
か。バルトフェルドは、ラクスの言葉を継ぐように「それに……」と口を挟んだ。
「もしサトー殿の言うようなことをするにしても、時期尚早ってもんじゃないかい? 我々
はまだ、ようやく形になったばかりなんだぜ?」
「それもそうですな」
バルトフェルドの言葉にも、とぼけているのか、あっさりと同意する。
(そう簡単に尻尾はつかませないってことか……)
バルトフェルドは、サトーに対する疑念をますます深めたのであった。
異変を察知したのは、それから間もなくだった。オペレーターが、訓練を行っている二人
――キラとアスランが何者かと接触したと伝えたのである。
ストライク・フリーダムとインフィニット・ジャスティス――双方とも、同サイズのモビルス
ーツにおいては最高水準の性能を持ち、比肩し得るのはミネルバのデスティニーやレジ
ェンドくらいのものだと目されていた。そして、その二機にキラとアスランという成熟したパ
イロットが乗り込むことで、他を寄せ付けない圧倒的なパフォーマンスを得ていた。
二人に敵う者など存在しない。二人の姿を見れば、誰もが裸足で逃げ出すだろう――
しかし、その自信は早くも露と消えることとなった。たった一人で二人に挑もうとする者が
現れたのである。
訓練を続けていた二人を、一体のモビルスーツが待ち構えていた。見慣れないモビル
スーツで、最初はそれもラクス派の新型なのかと思った。
それは人間さながら、女性的な細い指を持つ手を腰に添えていた。不思議と女性的な
印象を受ける、独特なフォルムを持つモビルスーツだった。
「何なの?」
戸惑うキラ。だが、突然そのモビルスーツの頭部で双眸が光ったかと思うと、いきなり
両肩のバインダーを広げた。
火花が散った。その姿は、さながら白い悪魔とでも形容すべき威容だった。
――AMX-004キュベレイである。
「そこのモビルスーツ。所属と姓名を名乗ってもらおうか」
ジャスティスがビームライフルを構えた。識別も出来ない所属不明の正体不明機が、
突然現れたのである。当然、アスランは強い警戒感を滲ませた。
だが、キュベレイは応じない。ただ、黙したまま佇むのみである。その様子に、言い知
れない不気味さを感じた。
「キラ、気をつけろ。このモビルスーツ、どこかおかしい」
「敵なの?」
「分からない。だが、こんなモビルスーツはどの系統にも――」
その時である。言葉を交わす二人の隙を突くように、キュベレイが突然襲ってきた。
袖のビームガンが唸りを上げる。ビームの軌跡が伸び、二人を襲う。
大胆、且つ緻密な射撃。だが、キラもアスランも、まるで分かっていたかのように容易
にかわしてみせる。
「やはり敵か!」
反撃のビームをキュベレイに見舞う。そのアスランに連動して、キラも二丁のビームラ
イフルでキュベレイを追い立てた。
思わぬ反撃に、ハマーンは慌てて間合いを開いていた。機先を制したつもりが、よもや
このような苛烈な反撃を受けるとは思わなかったのだ。
「想定以上か……!」
二人の知識はあった。共にコーディネイターで、優秀なモビルスーツパイロットでもある
彼らは、フリーダムとジャスティスという規格外の性能のモビルスーツで以って二年前の
大戦を終結に導いた立役者だ。当時の彼らのスコアは、記録されているだけでも驚異的
な数字を持っていた。
だが、所詮はモビルスーツ黎明期の記録。付け加えて搭乗機が異次元の性能を持って
いたとなれば、その記録は眉唾物であるに違いないと侮っていた。
しかし、今それが間違いであったと気付いて、ハマーンはある思いを新たに強く抱いた。
キュベレイは巧みに岩を利用して立ち回っていた。キラはそれを追いながらも、妙な感
覚に囚われていた。
「あれは、本当に敵なんだろうか……?」
攻撃をしてきた以上、当然敵であることは間違いない。だが、その動きがキラの記憶の
中の誰かとイメージが重なる。
「誰だ……誰なんだ?」
まだ思い出せない。しかし、確実に知っている誰か。――キラは思案を続ける。
ずんぐりとした外見にそぐわない高性能機。攻撃の手段こそ乏しいものの、その高機
動力と高い運動性で、フリーダムとジャスティスの正確な攻撃をかわす。
「並大抵のモビルスーツじゃない。それに、パイロットも……」
キラは、モビルスーツの正体以上に、そのパイロットの素性が気になっていた。
アスランと協力し、キュベレイを追い立てる。相当にモビルスーツの扱いに長けている
ようで、巧みにデブリを利用して狙いを絞らせない。その上、こちらの目を欺いてあらぬ
方向から反撃を見舞ってくる。
「あのモビルスーツには、俺たちの動きが見えているのか?」
アスランが言い、対抗するようにキラたちもデブリを利用する。だが、先手を取られるの
は常にこちら側で、その姿を捕捉することさえ儘ならない。
嘲笑っている――キラは直感的にそう思った。キュベレイは、アスランの言葉通り自分
たちの動きを読んでいる。その動きは、それまでに遭遇したどんな敵とも違う、まったく
次元の違う質を持っていた。
シン・アスカとも違う。純粋に強いのではなく、真綿で首を絞めるような、精神的に追い
詰めるいやらしさがある。
ペースを握られたというより、絡め取られたといった感じだった。このまま翻弄され続け
ては、近い内に逃亡を許してしまうという懸念があった。
「キラ!」
ジャスティスの双眸がこちらを見ていた。キラは、「うん」と一つ頷いた。
キュベレイの放ったビームがキラたちの隠れている岩を砕くと、それを合図として二人
は散開した。アスランは更にデブリを渡り、一方のキラは射線元に向かって突っ込む。
しかし、案の定そこにキュベレイの姿は無い。身を晒したキラを、またも別方向からの
ビームが襲った。
ビームシールドを展開し、防ぐ。反撃に腹部のカリドゥスを使ったが、射線元の岩が砕
けた跡には、やはり何も無かった。
まるで幽霊のようだ。神出鬼没のキュベレイは、更にキラを死角から狙う。
だが、そこまでだった。キラがキュベレイの攻撃を防いだ次の瞬間、ジャスティスのファ
トゥム01が射線元の岩を砕いたのである。
流石に逃げる時間は無かった。キュベレイは、遂にその姿を晒したのである。
好機と踏み、キラは二丁のビームライフルを連射した。その正確な射撃はキュベレイを
躍らせ、ジャスティスの接近を援護した。
ジャスティスがビームサーベルを抜き、斬りかかる。キュベレイも袖からビームサーベ
ルの柄を滑り落とし、対抗した。ビームの刀身を固定するコロイド粒子とIフィールドが干
渉し合い、反発力を生んで眩い光が迸った。
何度か切り結ぶと、キュベレイは更に左腕からもビームサーベルを取り出し、それで撫
で上げた。
アスランは咄嗟に反応し、辛うじてかわした。そしてイーゲルシュテルンで牽制すると、
シールドの先端から大型のビームソードを発生させ、逆水平に振り抜いた。
すると、今度はハマーンが鋭い反応を見せた。キュベレイはジャスティスの斬撃を上に
すれ違うようにかわし、その頭を踏みつけ、反動を足掛かりに一挙に間合いを離そうとし
た。
だが、その目論見はキラが許さなかった。キュベレイのメインスラスターが点火した瞬
間、勢い良く横から飛び付いたのである。
キラは咄嗟に呼び掛けていた。
「モビルスーツのパイロット! 僕の知っている人じゃないんですか!」
「触るな、下郎!」
「えっ!?」
接触回線から聞こえてきた声に、キラは動揺した。
(何で……あの人が……!?)
キュベレイは肘鉄でフリーダムを引き剥がした。そうしてビームガンで双方を牽制する
と、再びデブリに身を隠した。
「彼奴め……!」
ハマーンは、まるで自分の身体を触られたかのような嫌悪感を抱いていた。フリーダム
との接触は、モビルスーツの装甲を透過し、ハマーンの肉体に直接的な感触を錯覚させ
るほどの脅威を孕んでいた。
接触を許した。ハマーンは、その事実に強い危惧を抱いた。あの瞬間、ハマーンの命運
はキラに握られていた。キラが惑っていたからこそ、命拾いしたと言っても過言ではなか
った。咄嗟に正体を明かしていなければ、今頃はジャスティスに止めを刺されていたに違
いない。
デブリを利用していなければ、太刀打ちできない。モビルスーツの性能もさることながら、
あの二人もパイロットとして図抜けている。
「私一人では分が悪いということか……!」
ハマーンは忌々しげに呟きながら、確信を深めていた。
しかし、その一方でキラも激しく当惑していた。ジャスティスがキュベレイの行方を捜し
続けているのに対し、フリーダムは棒立ちになったまま微動だにしていなかった。その様
子が、キラの受けたショックの大きさを物語っていた。
「あの声は、確かにハマーンさんだった……でも、モビルスーツに乗るような人だったな
んて……!」
キュベレイの動きに重なったイメージがハマーンのものだったことに、キラは気付いた。
それが、事の外ショックだった。
その動きに、見覚えがあった。あれは確か、クレタ島に程近いエーゲ海でのことだ。ミ
ネルバの甲板で大砲を抱えるザク・ウォーリアがいた。一際気になったそのザク・ウォー
リアは奇跡的な精密射撃で、自分やアークエンジェルに向かってオルトロスを撃ってい
た。
今さらになって、そのザク・ウォーリアのカラーリングとキュベレイのカラーリングが酷
似していることに気付いた。
(何て間抜けだ、僕は! あれがハマーンさんだったなんて!)
今になって判明した事実に、キラは驚きを禁じ得なかった。それならばあの時、ハマー
ンはラクスを攻撃していたということになる。
(どうしてそんなことができるんだ! ラクスはあなたのことが好きなのに!)
“鬱陶しい”と言っていた定期便での会話を思い出す。少し話しただけの人物であるが、
キラはハマーンのことを本質的には優しい人なのではないかと思い込んでいた。そして、
ラクスにとっても良き理解者になってくれるものと期待していた。
しかし、その期待は最悪の形で裏切られた。ハマーンはかつて、ラクスを亡き者にしよ
うとし、そして、今も暗殺者よろしく敵として前に立ちはだかっている。
腸が煮えくり返る思いがした。勝手にハマーンを信頼しかけていた自分と、何よりもラク
スの命を脅かそうとするハマーンの根性が許せなかった。
「……ラ! キラ!」
自分を呼ぶ声に気付き、顔を上げる。再三のアスランの呼びかけに、キラはようやく我
を取り戻した。
呆然とするキラに、「どうしたんだ? 何かあったのか?」とアスランは心配そうに訊ね
た。
キラは、「大丈夫、何でもないよ」と平然とした様子で答えた。しかし、旧知の仲である。
隠し事をしても、アスランはすぐに見抜いていた。
(とは言っても……)
キラにも強情なところがある。そこは姉のカガリに似ていて、不安があっても頑なに口
にしない意地っ張りな面がある。
「……そうか。なら、いいんだ」
だから、アスランはあえて追及しなかった。いずれキラから話してくれるだろうと、素知
らぬ振りをして親友を見逃した。
そして、改めて「キラ、あれは逃がすわけには行かない」と呼び掛けた。
「どこの誰だか知らないが、今俺たちの存在が明るみになるのは不味い」
「うん。分かってる」
キラは、自分の中でハマーンに対する容赦が薄れていくのを感じていた。ハマーンが
仕掛けてきたのは、ラクスを暗殺するためではないか――キラには最早、そのようにし
か思えなかった。
ハマーンは、そんなキラの心の変遷に気付いて、「フフッ」と含み笑いを零していた。
「少し内気な好青年……というだけでは、張り合いが無いものな? そういう貴様の方
が、こちらとしてもやり易いというものだ」
しかし、威力偵察のつもりで仕掛けては見たものの、想定外の反撃を受け、ハマーン
には叩いた軽口ほどの余裕は無かった。ついでにラクスの様子も見ておこうと思ってい
たが、とんでもない。これ以上は、せっかくのキュベレイが台無しになりかねない。
「チッ……潮時か」
今は無駄に消耗している時ではない。ハマーンはキラたちの気配を探りつつ、再びデ
ブリを利用して逃走を図った。
幸い、彼らはニュータイプではない。こちらの気配を辿るような真似は出来ないはずだ
し、これだけデブリが散在していれば、容易に撒くことができるだろう――そう思っていた。
しかし、それはハマーンの驕りだった。
「何っ!」
一旦は撒いたかに見えた。だが、緊張を解いた瞬間、ハマーンの前に再びジャスティ
スが現れたのである。
両肩から迫り出したフォルティスビーム砲のビームが、キュベレイを襲う。それを岩に
隠れてやり過ごしたハマーンであったが、直後、直上からの更なるビーム攻撃を受け、
面食らって飛び出した。
そのキュベレイを追い掛け、ストライクフリーダムの背中から羽根が分離し、無線誘導
によって展開される。
「噂のドラグーンとやらか!」
キュベレイのファンネルと近似した、ドラグーンシステム。それが、一斉にキュベレイに
襲い掛かった。
八基のドラグーンユニットによる、オールレンジ攻撃。付け加え、フリーダム本体やジャ
スティスからのビーム攻撃もある。砲撃の嵐がキュベレイを襲い、ハマーンは少しずつ追
い込まれていった。
「――しかし!」
ドラグーンのコントロールにまだ慣れていないせいか、フリーダムの動きから先ほどま
での鋭いキレが無くなっていた。付け入る隙はある――ハマーンの目が、ギラリと光った。
遠隔操作されているとはいえ、攻撃には必ず使用者の思惟が宿る。ハマーンはそこか
ら読み取れる微かなキラの思惟を読み取り、鮮やかにビーム攻撃を避け続けた。
「まだ児戯のレベルだな!」
ハマーンは笑った。サイコミュシステムが、よりキュベレイの反応速度を上げている。い
くら手数を増やしても、相手の思惟が読み取れれば、反応が追いつく限り全て見切れる。
このような展開においては、ハマーンの独壇場だった。
つたないドラグーンを使っている間は、キラは敵ではない。ジャスティス一機だけであれ
ば、十分に対抗できる自信がハマーンにはあった。
華麗にビーム攻撃を避け、間隙を縫ってビームガンを撃つ。ジャスティスの肩の辺りを
掠め、火花が散った。
装甲が焦げた程度で、何も問題は無い。だが、初めて受けたダメージにアスランの表
情が曇る。
「フッ!」
敵の動揺は、そのままハマーンの余裕へと繋がる。それを見せ付けるようにハマーン
は更にビームガンを二連射し、二枚のドラグーンを撃ち落して見せた。
それでドラグーンが通用しないことを理解したのだろう。フリーダムは潔くドラグーンの
使用を諦め、再び通常攻撃による追い込みを掛けようとした。しかし、時すでに遅し。も
たもたしている間に、ハマーンは十分にキラたちとの距離を稼いでいた。
「次に会う時までに、もう少し上手くなっておくのだな!」
ハマーンは逃げ果せたことを確信し、高笑いをしていた。
だが、そこへまたしてもビーム攻撃がキュベレイを襲った。それも、前方からである。
あり得ないと驚きながらも緩みかけた気を引き締め直し、デブリを渡って身を隠しながら
やり過ごす。
そのビーム攻撃は狙撃というものではなく、弾幕のようなものだった。そして、巨大な岩
をも容易く砕く威力と数は、明らかにモビルスーツのものではなかった。
「船だと……?」
ハマーンの思惟の中に、知っている気配が飛び込んでくる。それに伴って無数の岩が
漂う彼方から姿を現したのは、先鋭的なカラーリングの戦艦だった。
「ラクスが出てきたか……!」
手間が省けた、と思うのは短絡的だと感じた。背後からは、キラたちが迫っているので
ある。ここで足止めを受けているようでは、状況は更に不利になる。そのことは、ハマー
ンも承知していた。
しかし、ハマーンはエターナルの砲撃を避けながら、その艦橋付近を凝視していた。離
脱を躊躇っているのは、余計なものが見えてしまったからだ。
ラクスのものと思しき純白のオーラが、脳内でイメージされた。そのオーラを、どす黒い
影のような瘴気が飲み込もうとしている。
(あの連中か……)
思い起こしたのは、定期便の宇宙港で目にした怪しい集団だった。ラクスが何を思って
あのような如何わしい連中を引き入れたのか知れないが、ラクスをそこまで鈍いと思って
ないハマーンは、何故このようなリスクを犯したのかが理解できなかった。
そうして惑っている内に、エターナルから数機のモビルスーツが飛び出してきた。黒い
カラーリングのそれは、旧ジオン公国軍が使用していたMS-09のマイナーチェンジと言わ
れても信じられるデザインだった。
ザク・ウォーリアやグフ・イグナイテッドを見てきた以上、今さらその程度で驚くようなハ
マーンではない。だが、ドム・トルーパーの性能は、少々おもしろくなかった。
それに、フリーダムとジャスティスもそろそろ追いついてくる頃だ。
「全く――」
ハマーンは敵機をじろじろと目で追いながら、辟易したようにため息をついた。
「私一人のためにご苦労なことだ。だが……」
キュベレイの尾が上を向く。その裏側の複数の穴から、次々と飛び出してくる無数の漏
斗。そのままファンネルと呼ばれているそれらは、まるで生き物のように無重力を飛び交
い、一斉に辺りに展開された。
強く念じ、ファンネルたちに号令を掛ける。ハマーンの思惟が四方八方に迸り、その波
に乗ってファンネルは一斉に牙を剥いた。
たちどころにビームの嵐が吹き荒れた。ドラグーンよりも遥かに小型で視認も難しいフ
ァンネルは、殆どの者に何が起こっているのかさえ悟らせないままに敵を圧倒した。なす
術も無く被弾するドム・トルーパーは完全に出鼻を挫かれ、急ぎ後退してビームシールド
を展開し、攻撃に備えるしかない。
その様子は、キュベレイを追撃していたキラとアスランの目にも見えていた。キュベレイ
の逃亡ルートに蓋をしていたエターナル艦隊の付近に、どこから発されているかも分か
らないような無数のビームが乱れ飛んでいるのが確認できた。
「敵のドラグーンか!」
アスランは叫んで、キラにも警戒を促した。しかし、いざ戦域に突入し、ファンネルの影
を追おうとも、はしっこく動き回るそれを正確に狙うことはできなかった。
それはキラも同様だった。が、キラはアスランとは感じ方は違っていた。苛立ちを募ら
せながらも懸命にファンネルを捉えようとするアスランとは対照的に、キラはその動きを
目で追うことだけに集中していた。
(僕とは次元が違う……!)
それがキラの心底からの感想だった。洗練された動きと、鳥瞰図でも見ているかのよう
な隙の無い配置。キラは魅了されてしまったかのように、一心不乱にファンネルの影を追
って、観察し続けた。
その気持ち悪さを、ハマーンは肌で感じていた。粟立つ感覚がある。キラの紫紺の瞳が、
自分の頭の中を覗いているようなおぞましさである。それはキラの強い向上心がやって
いることで、ハマーンは、こうしてファンネルを使い続けることが自ら脅威の芽を育ててい
くことに繋がっているのではないかと危惧した。
そう考えると、これ以上ファンネルを使うのは危険だと思った。ハマーンは少しずつ間合
いを開きながら、ある程度距離を稼いだところで一気にファンネルを収容し、逃走を図った。
だが、キラの目がそれを許さない。
「逃がすものか!」
キラはフリーダムのドラグーンを全てパージした。攻撃をするためではない。メインスラ
スターである光パルス高推力スラスター、ヴォワチュールリュミエールの力を解放するた
めに、あえて捨てたのである。
ドラグーンをパージした事で、フリーダムの背部には放射状に伸びる棘のような骨組み
だけが残された。その骨組みの間を、淡い青い光が水かきのような膜となって広がり、や
がて一対の蝶の羽のような形をフリーダムの背中に模った。それがヴォワチュールリュ
ミエールの光である。
「くうっ!」
スロットルを入れた瞬間、キラの身体を急加速による強烈な負荷が襲った。フリーダム
は弾丸のように凄まじい勢いで加速し、瞬く間にキュベレイに肉薄した。
「うっ!?」
その信じられない加速に、ハマーンは目を見張った。咄嗟にビームガンを差し向けたが、
その前に腕を掴まれて、発射したビームは何も無い上方へと消えていった。
「一度ならず二度までも……女の抱き方を知らんと見える!」
フリーダムはキュベレイの両腕を制して、抵抗を許さなかった。正面から組み付き、グ
グッと顔を寄せてくる。その双眸が憤りに燃えているように瞬き、ハマーンを睨んだ。
粗暴な態度が、気に食わなかった。
「まだ何かあるのか!」
叱り付けるように問い掛ける。
「ハマーンさん! そうじゃない……そうじゃないんですよ!」
キラは、少し声を詰まらせた。葛藤が滲んでいた。
「あなたは、デュランダル議長に言われてここに来たんですよね!?」
キラの声は、定期便で顔を合わせた時とは違って、酷く感情的だった。ハマーンは、キ
ラもこのように腹の底から声を出すことができるじゃないか、と内心で笑った。
しかし、自分に何かを期待しているような声音は、不快だった。ラクスを思わせるのだ。
(同類め……どんな答えを期待しているのか知らんが……!)
ハマーンは、突き放すように「愚かな!」と言い放った。その声に少し驚いたのだろう。
キラは、喉を詰まらせたように「んっ……」と小さく呻いた。
「この私が、デュランダル如きの言うことに従うわけが無かろう?」
「じゃあ、あなたは自分の意思でラクスを……!?」
「そうだ」
「――っく!」
一瞬、フリーダムの背中の羽が膨張したかと思うと、急に強い加速が掛かって、ハマー
ンは不意にリニアシートの前方へと投げ出された。
「――んっ!」
ハマーンはその粗野なキラの態度に腹を立てつつ、壁面を腕で押してリニアシートに戻
った。
「……何故ですか?」
支援
しえん
感情を押し殺したようなキラの問い掛けに、ハマーンは眉根を寄せた。
「彼女の好意がそんなに迷惑なんですか? だから、ラクスを殺すんですか?」
「見くびられたものだな? 私がそんな低俗な理由で動くものか」
「だったら何でっ!」
思わず声を荒げてしまったようだった。キラはハッと息を呑むと、沈黙した。
キラは心底からラクスの身を案じている。ハマーンにも、そのくらいのことは洞察できた。
そして、だからこそ、それでも満たされないラクスが贅沢な女だと思った。
そういう意味では、キラも報われない男である。だから、もう少しだけ優しくしてやっても
良いのではないかと思えた。
「お前たちは危険なのだ」
ハマーンは、情に絆されて甘くなった自分が嫌だと思いつつもキラに告げる。
「危険……?」
キラはそう言われたことが余程意外だったらしく、微かに声音に動揺が表れていた。
「僕達が……ですか?」
「意味は自分で考えろ。だが、一つ言えることがあるとすれば、ラクスの周りには十分
注意することだな」
「……!」
何とはなしに思い当たる節があるのだろう。キラはハマーンの指摘に、身を強張らせた
ようだった。
(そこに気付けるだけの洞察力は持っているか……)
思ったよりも鈍くはないのだな、と思った。
「あの娘は人を惹き付け過ぎる。善きにつけ悪しきにつけ、無差別にな。ならば、時には
身内に目を光らせる必要もあろう?」
「けど……」
キラは納得できないようだった。そういう反応を想定していなかったわけではないが、ハ
マーンからすればそれは単なる強情でしかなく、面白くない反応であった。
「世の中は、奇麗事だけでは儘ならんよ。それが分からない内は――」
「分かってます……」
ため息混じりに言うハマーンの言葉を遮って、キラは言う。
「でも、僕はそんな人たちとも何とか分かり合える道を、最後まで模索したいんです」
「理想論だな」
「……その通りです。けど、それを追い求めなくちゃ、戦争なんて永遠に繰り返されるだ
けで……みんな疲れるばかりで……」
そう語る言葉の中に、傷だらけのキラの心が見えた気がした。ハマーンは、その状態で
戦い続けるキラの根性は、認めてあげるべきかも知れないと感じた。
「お前に、最も重要なことを教えておく」
「えっ……?」
「それは、ラクスを裏切らないことだ。傍にいてやるのだな。さすれば、いずれ答えも見
つかろう」
ハマーンの言葉に、キラは目を丸くしていた。白地に赤紫というカラーリングが、容貌も
相まって最初に見た時は酷く毒々しく見えたものだが、今は芸術的に感じられた。それは、
ハマーンから感じる雰囲気が変わったせいだ――キラには、そう直感できた。
「ハマーンさん……!?」
「今日はここまでだ。また、いずれな」
耳を甘噛みされたようだった。或いは、優しくキスをされたかのような、若しくは吐息を
吹きかけられたかのような、とにかく甘ったるい耳触りだった。キラはその声音に思わず
ゾクッと背筋を震わせた。
しかし、刹那、いつの間にか展開されていた数基のファンネルが自分を狙っていること
に気付いて肝を冷やし、慌ててキュベレイから離れた。
キュベレイの双眸が妖しく光る。まるで、微笑んだかのようだった。
(あなたは、本当は何を考えているんですか……?)
キラの心の中の問いに答えることなく、キュベレイはその女性的な指をピッと立てて挨
拶をすると、ファンネルに何もさせずに戻し、そのまま宇宙の彼方に消えていった。
キラは追わなかった。ヴォワチュールリュミエールを解放した状態のストライクフリー
ダムならば、確実に追いつける。だが、追わなかった。
「僕は、ああいう繊細な女性(ひと)に乱暴に抱きついてしまった……」
あれでは、まるでレイプではないか――キラは、そういう認識があったからこそ追えな
かったのだと思った。
少しして、ジャスティスが追いついてきた。
「キラ!」
「ごめん、アスラン。逃げられてしまった」
謝るキラに対して、アスランは「いや……」と寛容な態度を示した。
「あの小型のドラグーンは想定外だった。仕方ないさ、キラ。今は、デュランダル議長が
どんなアクションを起こしてくるかを考えよう」
「ありがとう。そうだね……」
キラはエターナルを見た。ハマーンの言葉が気になっていた。
ストライクフリーダムとインフィニットジャスティスの完成を以って、ラクスを旗頭とする
ラクス派は産声を上げた。
そして、キュベレイの襲撃から数日後、期せずして早くも彼らが動く事態が起こった。ザ
フトがオーブ連合首長国に対して侵攻する動きを見せ始めたという情報が舞い込んで来
たのである。
続く
さる規制ようわからん……(´・ω・`)
待たせてしまった方、申し訳ないです
第二十話は以上です
それでは
富野成分濃厚なキラはなんだか新鮮
乙!
冨野節はキラ。良い
第二十一話「今、再びのオーブへ」です↓
ラクスのプライバシーが守られるのは、化粧室や就寝時くらいなものだった。ラクス派
の立ち上げに伴って、ラクスには常に護衛が付くようになった。キュベレイの襲撃もあっ
たとなっては当然の措置であると言えたが、最近では心を許しているはずのキラでさえ
余所余所しい態度になって、密かに不満を感じていた。
そんな折、ラクス宛てに一通のメールが届いた。最初にそのインフォメーションを見た
時は訝ったものだが、差出人の欄のH・Kというイニシャルを目にした途端、ラクスは迷わ
ずメールを開いていた。
内容はシンプルだった。指定した日時と場所、そしてそれを記したマップと、最後にその
場所で待つとの一文が添えられているだけのものだった。
どうして自分のアドレスが分かったのだろうか――だが、そんなことはどうでもいいこと
だった。彼女からの初めてのアプローチである。まるで、片思いの相手からラブレターを
受け取ったかのような、初心な興奮を覚えた。
ラクスはすぐさまその内容をハロに記憶させ、自身の多機能通信端末からは完全消去
した。そして当日、ホテル一階の化粧室で用を足す振りをして、予め用意しておいたカツ
ラをかぶり、窓から護衛の目を盗んで抜け出したのである。
古典的だが、上手く行った。初めての経験に、緊張で胸がばくばくと高鳴っていた。
逃げるように全力で走った。慣れない運動に動悸が激しくなり、身体中がカッと熱くなっ
て汗が流れた。靴擦れの痛みも我慢する。ただ走っているだけなのに、どうしようもなく
心が踊った。
そして、コロニー内を走る電車の駅までやって来ると、後方を振り返って確認した。誰
も追い掛けてくるような気配は無い。どうやら上手く抜け果せたようで、安堵した。
息を整え、駐車してある誰かの車のウインドウを覗き込んで乱れたカツラを直す。ガラ
スに映る自分は頬を紅潮させ、稚児のように無防備な顔をしていた。
(わたくしは、こういう女でもあったんですね……)
胸の高鳴りが収まらない。自分でも意外な自分の一面を見つけて、思わず笑った。
電車に乗り、指定された公園までやって来る。小さな公園である。昼時にもかかわらず
人の姿はまばらで、時折散歩している人が通る程度である。賑やかさからは程遠い、閑
散とした雰囲気だった。
「見つけたら、教えてくださいね」
ハロにそう告げ、ラクスはその姿を探した。
しかし、公園を一回りしても見つけられなかった。指定された時間は、もう過ぎていた。
それでもラクスは諦めきれずに、更に二、三周してみたが、やはりそれらしい人影は見
当たらなかった。そうしている内に、やがて意地の悪い悪戯だったのかも知れないと思い
始め、ラクスは次第に肩を落としていった。その態度を思えば、それも十分にあり得るの
だから。
ラクスは途方に暮れ、公園の中心に生えている一等大きな木に寄りかかった。
「わたくしは、そんなに嫌われていたのでしょうかね……?」
両手の中の、小さな友達に語り掛ける。
「らくす、ゲンキダセ、らくす、ゲンキダセ」
「優しいのですね、あなたは」
電子音に過ぎない慰めに、ラクスは言葉を返した。漏れるため息に、落胆の色が濃く出
ていた。
「……帰りましょうか。きっと、叱られてしまいますわね」
苦笑いを浮かべ、ラクスはハロにギブアップ宣言をした。
しかし、諦め、木の幹から背中を離した瞬間だった。背後から、ふと土を踏む音が聞こ
えた。
ラクスはハッとして、再び幹に背中を預けた。そのあからさまな音に、クスクス、とつい
笑みが零れた。
「酷いですわ。いらっしゃっているのなら、もっと早くお出でになって下されば良かった
のに」
ラクスは微笑して、気の幹を挟んで背中合わせになっている相手に言った。
「分からんでな。アプリリウスで会った時とは、まるで違う」
「それは嘘ですわ。あなたなら、どんな格好をしていてもたちどころに見抜いてしまわれ
る……そうでしょう、ハマーン様?」
ラクスは、ウフフ、と愉快そうに笑った。木の反対側から、チッと舌打ちが聞こえてくる。
「一人で来たのか。てっきり、キラ・ヤマトも一緒だと思っていたが」
「キラをご存知でいらして?」
「定期便で偶然に乗り合わせてな。先日は、新型のフリーダムの性能も見させてもらっ
た」
ハマーンが言うと、ラクスは「そうだったのですか」と少し嬉しそうに答えた。
「では、あの白いモビルスーツはハマーン様でいらしたのですね?」
ラクスに、特に驚きや恐れといった感情は見られなかった。
完全に懐かれている――ハマーンにはそう感じられた。
「ハマーン様とは、一人でお会いしたかったのです。それに、その方がハマーン様もご
安心なさると考えました。でも、そういうことだったのでしたら、キラには悪いことをしたか
もしれません」
「何故そう思う?」
「だって、ハマーン様は魅力的な方ですから。きっと、キラも会いたがっているはずで
すわ」
ハマーンには、ラクスの思考回路が理解できなかった。――否、理解すべきではない
と、本能が忌避しているのかもしれない。ラクスの思考は、ハマーンにとって不気味なほ
どに純粋だった。
「奴の頭の中では、私はお前を殺すつもりでいるらしい」
ハマーンがそう切り出すと、「それはキラらしくありませんわね」と少し神妙な声音でラ
クスは言った。
「どういう経緯か存じませんが、お気を悪くされたのでしたら、代わりにわたくしが謝りま
す」
風が吹いた。木が揺れ、ざわざわと葉擦れの音が鳴った。
穏やか過ぎる空気が、ハマーンに唇を噛ませた。すっかり安心しきっているラクスが、
いつも以上に鼻持ちならなかった。
「……なぜ一人で来たのだ? 私がお前を呼び出した意味を、考えなかったのか?」
ハマーンはわざと音を立てて銃を抜いた。そして、それを幹の横からラクスに見えるよ
うにかざした。しかし、ラクスはそれを見ようともせず、ただ微笑を浮かべるだけだった。
「ハマーン様は、そういうことをなさる方ではありませんもの」
ラクスは、かつて地球で似たようなことを言ったことを思い出していた。あの時ははった
りとして言った言葉が、何故か今は確信を持って言うことができる。
こうして会う度に、ハマーンが自分に近づいて来てくれているような感じがしていた。何
せ、今回はハマーンの方からコンタクトを求めてきてくれたのだから、その思いは一入だ
った。
しかし、かと言って自分に靡くような女性ではないことも、重々承知していた。
「お前は指導者失格だな」
「そうかもしれません。ですが、もう止めるわけには参りません」
――もし、これがハマーンの呼び出しでなかったとしたら、果たして同じような行動に出
ていただろうか。ラクスは、罠である可能性を疑い、誰かに相談している自分を想像した。
(ハマーン様だから、来たのですよ……)
言えば、また鬱陶しがられる。だから、心の中で呟いた。
「……それで、どういったご用向きでしょうか?」
惜しいと思いつつも切り出した。本当はもっと色々と話をしたかったのだが、それではハ
マーンが嫌がるだろうと思い、気を利かせた。
カチャッ――ハマーンはわざとらしく音を立てて銃の存在を誇張した。
「お前を殺しに来た」
「それはどうでしょう?」
ハマーンの言葉に、ラクスは即座に切り返した。不安も恐れも無い。弾んだ声音は、寧
ろ状況を楽しんでいるようですらあった。
毒気を抜かれたのか、ハマーンはそぞろに銃を仕舞った。脅しても無駄だと分かってし
まったのだ。ラクスは呆れるくらい純粋に、ハマーンに殺意が無いと信じている。
ハマーンは諦め、切り出した。
「……サングラスの男がいるだろう?」
「アスランのことでしょうか?」
「その男が引き連れている連中に気をつけろ。それを伝えに来た」
「それは、わたくしに彼らを疑えということでしょうか?」
「そうだ」
ラクスは徐にかぶりを振った。
「わたくしには、そのような真似はできません。人を疑っても、軋轢を生むだけですもの」
「お前は利用されようとしているのだぞ?」
「構いません。ならば、逆にわたくしが彼らを導きましょう」
ハマーンは、チッと舌を鳴らした。
「やはり、お前もキラ・ヤマトと同じか」
「キラ?」
「理想ばかりに目を奪われて、現実が見えてなさ過ぎる」
ハロがラクスの顔を見上げていた。人間の表情から感情を識別するセンサーが働いて、
嬉しそうに耳をパタパタとはためかせていた。
「……例えそうでも、わたくしはわたくしが正しいと思ったやり方を貫き通します。それが
キラと同じ考えなら、尚更ですわ」
「どうなっても知らんぞ」
「愛する人と同じ夢を見る。それは、幸せなことです。ハマーン様だってそういう感覚、お
持ちになっていらっしゃるでしょう?」
脳裏に一瞬、唾棄すべきシャアの顔が浮かんだ。
「……」
思わず感情的になりそうな自分を抑える。自分の前からも、彼自身の責任からさえも逃
げ出した男に、今さら感情を揺り動かされることなどあってはならない。ハマーンは、そう
自分に言い聞かせ、心を落ち着けた。
一方で、ここまでラクスに親切にする自分をおかしく思った。ラクスの人を惹き付ける瘴
気に、自分も当てられてしまったのではないかと疑った。
しかし、ラクスもハマーンの言葉の全てを否定するわけではなかった。サトーが別の思
惑を腹に抱えていることには、薄々勘付いていた。だから、それを思い止まらせるのが自
分の役割であると心に決めていた。
「……好きにしろ」
苛立ったようなハマーンの声が聞こえた。ラクスは咄嗟に振り返った。しかし、その時
にはもう既にその姿は無かった。
風が葉を落とす。木の下には、ラクスだけが取り残されていた。
ハマーンの瞳を見損ねた。ラクスはまぶたを下ろして、そぞろにかぶりを振った。
「残念ですわ、本当に……」
苦笑すると、公園を後にした。
潜伏先のホテルに戻り、それとなく別人の振りをしたまま部屋に向かう。エレベーター
に乗って扉が開くと、ラクスの部屋の前でキラが待ち受けていた。
ラクスが帰って来たことに気付くと、キラは一寸、安堵の表情を見せたが、直ぐに神妙
な顔つきに戻った。理由は、言わずもがな。
「……みんな探してるよ。誰に会いに行ってたの?」
ラクスはその聞き方で、キラがある程度のことを察しているのだと勘付いた。
ラクスは、キラに少し意味深長な笑みを見せると、徐に手を取った。キラは一瞬はにか
んだが、ラクスが醸す神妙な雰囲気を察したようで、直ぐに表情を引き締めた。
「キラ、お願いしたいことがあるのです……」
ラクスはそう告げて、キラを自分の部屋に招き入れた。
推進剤が切れ、オーブを目前にして太平洋を漂っていたのは、オペレーション・ラグナ
ロクの二日後のことだった。ただでさえヘブンズベースの戦闘で消耗していた状態なの
に、補給も無しにアイスランドから南太平洋まで移動するのは、やはり無理があった。
やがてカオスのバッテリーが尽き、アビスのバッテリーが尽き、水も尽きて本格的に命
の危険を感じるようになった頃、それは突然現れた。
海面が大きく盛り上がったかと思うと、次の瞬間、アークエンジェルの巨体が浮上して
きたのである。
当然、カミーユたちは驚いた。だが、とりわけネオの驚き方は異常だった。アークエン
ジェルを見るその目は、何故か少し怯えていたようだった。
アークエンジェルからは、救助の申し出があった。偶然、通りかかったらしい。アークエ
ンジェルが相手とあって一同は懸念を示したが、ネオの提案により取りあえず厄介にな
ることにした。
ネオの顔を目にしたアークエンジェルのクルーは、一様に幽霊でも見ているかのような
表情をしていた。それがどういう意味なのかとネオを見やると、ネオも些かばつが悪そう
に顔を顰めていた。
怪訝に思いながらも、温泉があると言うので、ネオが交渉を行っている間に湯を使わせ
てもらった。その後も控え室で食事を振舞ってもらったが、ネオの交渉が思いの外難航
しているらしく、なかなか戻ってこなかった。
「人質にされちまったんじゃねーの?」
流石にスティングたちは疑い始めたが、カミーユはそうは思わなかった。勘でしかなか
ったが、アークエンジェルのクルーはそんなことをするような人たちには見えなかったの
である。幾度となく戦闘に介入して邪魔をしてくれた船だが、彼らは悪い人たちではない。
世話をしてくれたミリアリア・ハウの笑顔を見ていたら、そう思えてきたのだ。
やがて、ようやくネオが交渉から戻ってきた。
「これまでのあらましを説明をするのに時間が掛かっちまってな。けど、もう大丈夫だ」
サムズアップは、交渉が無事成功したことを示していた。しかし、その割りにネオの頬
に綺麗な紅葉の跡が残されていたのが、不思議でしょうがなかった。
「何だ、フラガ少佐の部下と聞いていたが、みんな子どもじゃないか」
ぶしつけな言葉と共に、部屋に入ってくる少女がいた。肩の辺りまで伸ばしたブロンドの
髪で、少年っぽく見えるが間違いなく女性だ。その顔は、どことなく見覚えがあった。
「お前だってガキじゃねえか」
スティングが言うと、アウルとステラが同意して頷いた。少女の目が、ジロリとネオを見
やる。
「部下の躾がなってないようだな、フラガ少佐?」
「言うなって。――コラ、お前たち控えろ。こちらにおわす御方をどなたと心得る!」
「しらねーよ」とアウルが茶々を入れた。
「うるさい、黙って聞け! こちらは、オーブ連合首長国を束ねる麗しき姫君、カガリ・ユ
ラ・アスハ様なるぞ!」
「姫って言うな! 私は元首だぞ!」
その名を耳にして、カミーユは思わず「あっ!」と声を上げていた。道理で見覚えがある
はずだったのだ。その少女は、ネオの説明にあったとおり、現在絶賛アークエンジェルに
拉致監禁中のオーブ国家元首、カガリ・ユラ・アスハその人だったのである。
「それに、フラガって……」
別の名前と階級で呼ばれ、それに普通に応じるネオに、カミーユたちは戸惑いを覚えた。
ネオは取り繕うような苦笑をすると、その戸惑いに答えるように全てをカミーユたちに打ち
明けた。
つまり、ムウ・ラ・フラガというのがネオの本名であり、今まではカミーユたち同様、記憶
操作によって洗脳されていたのだという。その洗脳がヘブンズベースでの戦いで解け、今
は全ての記憶を取り戻したのだという。
「いやあ、説明に手間取ってたらマリューがパニックになっちまってさ、何だか知らない
内に引っ叩かれたりして大変だったぜ」
「だから、最初にアークエンジェルを見た時、怖がってたんですか?」
カミーユが言うと、「ほお」とカガリが唸った。
「そ、そういうことを言うんじゃない、カミーユ! また引っ叩かれちまうだろうが!」
「ふーん……じゃあ、ネオはこれからそのムウ何とかってことなのかよ?」
アウルが問うと、その横のステラが表情を曇らせた。
「……それ、何だか寂しい」
不安げな目がネオを見上げた。
少し、空気が重くなった。どうするつもりだろうかと注目していると、ネオはやおら宥め賺
すような微笑を浮かべ、ステラの肩に手を置いた。
「心配するな、お前ら。ネオ・ロアノークは確かに作られた人間だったが、お前たちと過
ごした時間や記憶は本物だ。俺は、これからもお前たちの前ではネオ・ロアノーク大佐だ」
「ほんと?」
ステラの顔が一転、華やいだ。ネオは、「勿論だ」と頷く。
「だから今までどおり、ちゃんと俺の言うことは聞くんだぞ?」
「うん!」
ステラは声を弾ませて破顔した。カミーユが「良かったな」と言うと、ウフフ、と機嫌が良
さそうに喉を鳴らした。
その一方で、スティングとアウルは顔を見合わせ、意地悪げな三白眼をネオに向けて
いた。
「――っつーかさ、僕らってネオの言うことなんか聞いたことあったっけ?」
「さあな」
「お前ら!」
一同は笑い合った。こんなことは、初めてかもしれなかった。
その後の更なる説明で、カガリの誘拐事件が狂言であったことが判明した。全てはオ
ーブ軍を他国の争いに巻き込ませないための策略からだったが、その必要がなくなった
今、ロゴス動乱による混乱を利用してオーブへ帰還している途中だったのである。何とも
虫がいい話ではあるが、カミーユたちにとっては渡りに船であることには違いなかった。
それから小一時間ほどでオーブに到着した。便宜上、オーブ軍が誘拐犯を確保したと
いう手前があるため、軍艦に率いられる形での物々しい帰国と相成ったのだが、地元メ
ディア以外の注目度は恐ろしく低く、計算の上ではあるのだが、それが小国オーブの現
実でもあった。
到着後、キラという少年とバルトフェルドという男が、マスドライバーのあるカグヤ島か
ら直ちに宇宙へと上がった。この時、キラが後にハマーンと偶然に接触することになろう
とは、今のカミーユには知る由もなかった。
「何だ、結局君も来たのか」
洞窟の艦船ドックでカガリを出迎えたユウナは、ネオを見るなりぶしつけな態度で言っ
た。
ユウナは、カミーユたちの亡命の受け入れを承認してくれた人物である。勿論、Ζガン
ダムの核融合炉を手に入れたいという打算の上でのことではあるが。
ファントムペインとしてユウナと共同戦線を張っていた当時は、フリーダムを使った捨て
身の謀略で煮え湯を飲まさたりもした。そのせいか、どうにもユウナに対する印象が良く
ない。が、残念なことにカミーユ一行の身柄は、ユウナが預かることになりそうだった。
――事件が起きたのは、その時だった。出迎えの中の一人の男が、急に猛然とした歩
みで人垣を掻き分け、前に出てきたのである。
咄嗟の出来事に、誰もが呆気に取られた。何か緊急の報告でもあるのかと思った。
しかし、そうではない。その一種異様な雰囲気に、カミーユはいち早く勘付いた。
「危ない!」
カミーユが叫んだ瞬間、それが引き金となって男に銃を抜かせていた。
「くそっ!」
男は銃を構え、カガリに照準を合わせた。突然のことに誰しもが立ち尽くす中、瞬間的
に状況を把握したカミーユは形振り構わずカガリに飛びついた。
パァン、パァン――発砲の乾いた音が洞窟内に響く。それと同時に、カミーユがタックル
をするようにカガリを押し倒す。二発の弾丸は岩壁にめり込み、亀裂を走らせた。カガリ
は間一髪、カミーユの機転によって難を逃れた。
直後、スティングとアウルが動いた。アウルが転がっていたスパナを投げて男の持つ銃
を叩き落とすと、スティングが素早く背後から近づき、腕を捻って地面に組み伏せたので
ある。
「その女もだ!」
身体を起こし、咄嗟に指差した。その先には、カガリの安否を気遣う素振りで近づいて
きている女がいた。
女は指を差されると、ビクッと身体を震わせた。図星の証左だ。
女は気を取り直すと、素早く隠し持っていたナイフを取り出し、一気に距離を詰めてき
た。
カミーユは立ち上がり、応戦しようとした。しかし、構えるより先に女の白刃が煌いた。
凶刃がカミーユの左腕を切りつけた。「うっ!」と呻きつつ、鋭い痛みによろめく。
女はカミーユを押し退け、赤い模様のついた刃をカガリに向けた。だが、その瞬間、「う
げっ!」という悲鳴と同時に、女は激しく地面に叩き伏せられた。
ステラだ。ステラが後ろから飛び掛かり、背中から女に圧し掛かって前のめりに押し倒
したのである。
顔面を強打した女は、苦悶の声を上げた。前歯が折れ、鼻から大量の血を流している。
それでもステラは容赦なく女の腕を捻って、ボキッという嫌な音を響かせた。脱臼したか、
或いは折れたか。
ステラはナイフを取り上げると、それを女の背中に突き立てようとした。
「もういい、ステラ!」
ネオが声を張ると、ステラはピタッと動きを止めた。ナイフの刃は、女の背中に突き立て
られる寸前で止まっていた。
二人の暗殺者たちは、たちまち取り押さえられた。ユウナは、他にも暗殺者が紛れ込ん
でいないか、急ぎ他の人員の身体調査を行うよう、側近に命じた。
出迎えの場が不穏な空気に包まれ、騒然となった。そんな中、カミーユは切りつけられ
た左腕を押さえながら立ち上がった。
「おい、お前。大丈夫か?」
そこに話し掛けてきたのは、カガリだった。
「助けられたな」
「すみません、いきなり」
無礼を詫びるカミーユに、カガリは「気にするな」と返した。
「それより怪我、大丈夫か?」
「掠り傷ですから」
「無理するな。血が滲んでいる」
言うなり、カガリは歯で服の袖を噛むと、そのままグイッと引き千切った。そしてカミーユ
に袖を捲くらせると、その布を傷口に巻いて応急処置を施し始めた。
慣れた手際が、少し意外だった。やんごとない身分の彼女が、どうしてこんなに手馴れ
ているのだろうかと訝った。
不思議がるカミーユの視線に気付いたのだろう。カガリはチラとカミーユの顔を一瞥す
ると、布を巻きながら語り始めた。
「前に、ゲリラをやっていたことがあってな。昔とった杵柄って奴だ」
「国家元首がゲリラですか」
少し皮肉っぽく返すと、カガリは露骨に不機嫌そうな顔をした。
「……なる前の話だ。少し、思うことがあってな」
「良し」と言って布を結び終える。
「止血しただけだからな。放っておかずに、後でちゃんと消毒するんだぞ。お前、一番
弱っちいんだから」
「空手は、やってたんですけどね」
カミーユは軽く腕を動かして、傷の痛みを確認した。カガリはそれを疑わしげな眼差し
で見つめながら、「本当かあ?」と首を傾げた。
「やってたんですよ。サボりもしましたけど」
カミーユが言うも、三白眼のカガリは俄かには信じてくれそうになかった。
しかし、直後に何かを閃いたらしく、「いや、しかし、待てよ……」とカガリは顎に手を添
えて考え込む仕草を見せた。何を考えているのだろうか、と注視していると、やがて心を
決めたらしく、神妙な面持ちでカミーユを見据えてきた。
「そうか。じゃあ一応、腕に覚えはあるんだな? それに、モビルスーツにも乗れる」
「な、何です?」
ずいっと顔を寄せ、ジッとカミーユを見詰めてくる。ブロンドの髪に合わせたような、綺麗
な金色の瞳をしていた。こうして近くで見ると、結構美人だ。
「お前、綺麗な目をしているな」
同じことを考えていて、思わずドキッとさせられた。
「丁度いい。こんなことがあったんだし、新しい護衛が必要だと思っていたところなんだ」
カガリはユウナに振り返ると、「おい」と呼び掛けた。
「全員を寄越せとは言わないから、こいつだけでも私の護衛に回してくれないか?」
それを聞いて、事態収拾の指揮を一時中断したユウナは、怪訝そうに振り返った。
「彼をかい?」
ユウナの視線がカミーユに向けられる。猫の子じゃあるまいし、とは思うものの、ユウナ
の頼り無い男を見るような目は癪だった。
「そりゃ、暗殺者の潜入を許した僕たちの怠慢は責められて然るべきだけど、それだと
Ζが――」
「ロゴスがΖを戦線に投入していた意味を考えろ。どうせ量産化なんてできっこない」
ユウナは、珍しくカガリの指摘に窮した。デュランダル同様、ユウナも核融合炉でビジネ
スを考えていた口なのだが、想像を膨らませていくうちに舞い上がって、カガリが言うよう
な可能性をすっかり失念していたのだ。
ユウナは慌ててネオを見やった。ネオは素知らぬ顔で事態の後始末を手伝っていたが、
それがユウナの視線から逃れるための口実なのだということは明らかだった。絶対に最
初から分かっていたはずだ――出し抜かれていたことに気付き、内心で激しく臍を噛んだ。
だが、今となっては後の祭りである。新規格の核融合炉が手に入ると知って、気が早い
約束を結んでしまったのが運の尽きだった。落ち度が自分にある以上、今さら約束を反故
にするような卑怯な真似はできない。
しかし、それで腹の虫が収まるはずが無かった。それならば仕返しにこき使ってやると
心に決めて、ユウナは取りあえず気を取り直し、カガリに目線を戻した。
「……カガリにしては現実的な意見だけどね。それでも他の三人より彼を選ぶ意味が、
僕には分からないな」
「いいんだ」
カガリはきっぱりと言い切って見せた。そして、カミーユに向き直った。
「――やってくれるよな?」
真っ直ぐな目で問われた。が、カミーユの心は既に決まっていた。ユウナに馬鹿にされ
たままでは、男が廃る。それはカミーユのプライドが許さない。それに、カガリの人当たり
は嫌いではなかった。
「やらせてもらいますよ」
頷き応じると、カガリは柔らかく口角を上げた。
「お給金、弾むからな。何たって、この私の護衛をするんだから」
「そりゃ、助かりますけど――」
カガリは冗談めかして言うものだったが、見据える眼差しには真摯で穏やかなものを感
じた。カガリは、十分信用するに値する人物ではないか――出会って間もないカガリに対
して、カミーユはそんな直感を抱いていた。
「お前は、一番最初に私の危機に気付いてくれた。その勘の良さが、私を守ってくれるよ
うな気がするんだ」
差し伸べられた手を握り返し、カミーユはカガリと握手を交わした。
ユウナへの対抗心は、既に切欠に過ぎなかった。カミーユは、カガリは守るべき人だと
感じていた。その手は、確かに繊細で脆い女性の手だったのだから。
その後、精細な身体検査で暗殺者がコーディネイターであったことが判明した。そして、
それに合わせたように、直後、ザフトがオーブに向けて進軍を開始したとの凶報が舞い
込んだ。ヘブンズベースを脱したジブリールが、オーブに潜伏しているとの情報がデュラ
ンダルのもとへともたらされたからであった。
オーブではコーディネイターが一般的に生活しているとは言え、そのタイミングの一致
は偶然とは思えなかった。
こうして、殆ど世の関心を集めていなかったはずのオーブは、一夜にして全世界の注目
の的となった。
しかし、カミーユだけはそこに奇妙な違和感を覚えていた。
オーブの領海と公海の境界付近に、ザフトは艦隊を展開していた。その中には、ミネル
バの姿もあった。
シャアは今回のザフトの動きに懸念を抱いていた。些か、強硬に過ぎるように感じられ
たのだ。表向き、世界は対ロゴスのムーブメントを展開している。しかし、水面下では経
済危機を引き起こす切欠を作ったデュランダルに対する不満も燻っていた。それが、今
回のザフトの動きで刺激されるのではないかと危惧したのだ。
しかし、追い詰められたジブリールが何を仕出かすか分からないのも事実だった。ジブ
リールが徹底的なコーディネイター排斥論者であることは知られているし、そんなジブリ
ールがコーディネイターの最高権力者であるデュランダルに追い詰められたとあっては、
どんな報復手段に出るか分からないという不安はあった。
だから、そういった意味では確かに悠長に構えていられる余裕は無いのだ。結果、ロゴ
ス動乱後に集中的に槍玉に挙げられるようになるとしても、プラントの指導者として今回
の強硬な措置に踏み切ったのは、分からない話でもなかった。
シンは自室で一人、ピンクの通信端末を握っていた。それは、唯一残された家族の形
見である。それを操作すれば、今でも妹の声が聞けた。
「マユでーす。でも、ごめんなさい。マユは今、電話に出ることができません……」
もう、何度このフレーズを聞いただろう。シンが聞けるのは、留守電用に録音された、
この短いフレーズのみだった。
時々、虚しくなる。いつまでも家族の思い出を引き摺って、そういう自分が酷く情けない
のではないかと思える瞬間があった。
だが、捨てられなかった。シンにとって、家族の死はあまりにも突然すぎた。二年を経
た今でも、その思いは燻り続けるオーブへの郷愁と共にあった。
気持ちは複雑だった。
ジブリールがオーブに逃げ込んだということは、関係があったからに他ならない。それ
は許せない。きっと国家元首のカガリも繋がっていて、奇麗事の裏で美味い汁を吸って
いたに違いないとシンは思っていた。そんな腐った政治家には、自らの手で鉄槌を下し
てやりたい気分だった。
しかし、オーブはかつて家族と過ごした、大切な思い出の地でもある。そして、二年前の
オーブ解放作戦の時の記憶は、シンの中で未だ生々しい。あの悲劇を経験したからこそ、
それを繰り返させないためにザフトになったシンとしては、可能ならば戦闘は回避して欲
しいという願いもあった。
しかし、現実は非情である。
ジブリールの引き渡しを迫ったザフトに対して、オーブ側は事実確認の最中であるとの
回答を示した。しかし、既に諜報部からの決定的な証拠が挙がっていたザフトは、このオ
ーブの回答を茶番であると断定。ジブリールが脱出するまでの時間稼ぎであると見なし、
旗艦セントへレンズより全軍に進軍命令が発令される結果となった。
シンの願いは、儚くも打ち砕かれたのである。
ミネルバにもコンディションイエローの警報が鳴り響いた。シンは端末を仕舞い、ゆっく
りと頭をもたげ、背中を反るほどに深く息を吸い込んだ。そして、二、三拍ほど間を置くと、
またゆっくりと息を吐き出した。
手を、襟元に持ってくる。フェイスのエンブレムのひんやりとした感触が、指先を刺激し
た。
暖かさを持ったままでは、戦えない。心を凍てつかせなければ、トリガーは引けない。
――その冷たさが、シンの心をオーブとの対決へと向かわせる。
だが、脳裏に一瞬だけ妹のイメージがチラついてしまった。心が動揺した。途端に怖く
なった。
二年前の悲劇が繰り返されようとしている。しかも、今度は自分が加害者側に回るかも
しれない。自分は、フリーダムと同じ事を仕出かそうとしているのか――そう考えると、自
然と手が震えた。
「俺は……」
警報鳴り響く薄暗い部屋で、シンは頭を抱えた。
「俺はザフトなんだ。オーブが邪魔するってんなら、俺は……俺は……!」
シンは力一杯にかぶりを振った。そうやって私情を振り落としたつもりになって、自らを
鼓舞する。自分はザフトなのだから、作戦に従事するのは当然なのだと。
自室を出て出撃準備に向かう。しかし、思うように足が進まない。それは無意識の部分
で出撃を躊躇っている証拠だった。シンはそんな自分に失望し、情けないと自らを叱咤し
た。
身体を引き摺るような感覚で無理矢理に足を進め、何とかエレベーターの前までやって
来る。昇降ボタンを押して待っていると、やがてエレベーターが降りてきてドアが開いた。
「あっ……!」
思わず一歩後ずさった。そこには偶然、シャアが乗り合わせていたからだ。
「どうした、乗らないのか?」
シャアはドアを押さえて、シンが乗るのを待っている。戸惑いつつも、意を決してエレベ
ーターに乗り込んだ。
一回り近く年が違うシャアとの相乗りは、緊張した。これから向かう作戦に億劫になって
いる心理状態もあるだろう。
沈黙が支配するエレベーター内部は、重い空気に包まれていた。それが、シンの緊張
によってもたらされていることに、シャアはふと気付いた。
「気負い過ぎているな」
何の前置きも無く告げると、シンは身構えた。その様子が、怯えているようにも見えた。
「顔が強張っている」
「別に、俺は……」
「ルナマリア君が心配していた」
まだ捕虜に近い扱いを受けていた頃、オーブでほろ酔いになったシャアは、シンのオー
ブに対する複雑な心境を聞いていた。あれは確か、夕焼けに染まる波止場の慰霊碑の
前だった。
シンは、その夕焼けと同じ色の炎でオーブを染めてしまうかもしれないことを恐れてい
た。だから、普段なら反発するであろうシャアのからかうような言い方にも、神妙な面持
ちを崩すことはできなかった。
力を身に着けて自信に変えてきたシンが、今はその力に不安を抱いている。ザフトであ
るということが、迷いを加速させていた。しかしシャアは、それが人の情けであると知りつ
つも、戦士であるシンはそれを乗り越えなければならないと思った。
沈黙の空間に、エレベーターのモーター音が低い唸り声のように響く。重く圧し掛かっ
てくる空気に耐えかねて、シンの頭が自然と垂れた。
「……いつか、君が話してくれたことがあっただろう」
重い首をもたげてシャアを見やる。サングラスで目元が隠れた、いつもの能面のような
顔が白々しく口を動かしている。
「あれは、ちょうどオーブだった」
「何が言いたいんです」
「君の故郷に対する複雑な気持ちは、分かるつもりだ」
シンは、「そんなの……」と辟易したように視線をずらした。
「オーブはもう、故郷なんかじゃありませんよ。俺はザフトになったんですから」
「だから、例え故郷であろうとも容赦なく討つ?」
「そうです。あなたには、このフェイスのエンブレムが見えませんか? これはね、ハイ
ネから俺に受け継がれた、ザフトの誇りなんです……! だから、オーブが抵抗すると
いうんなら、俺は何の躊躇いも無く討って見せる覚悟がありますよ」
シャアはシンの襟元のエンブレムを認めた。
「ふむ……」
当然、それがハイネのものであることを、その場に居合わせていたシャアは知っている。
そして、今のシンにとってそれが重荷になってしまっていることも。
シャアは数拍の間を置くと、徐に口を開いた。
「……君は、少しハイネの死に引き摺られ過ぎているようだ。兵士であることに拘りすぎ
て、大事なものを見失っている」
唐突に言われて、シンはハッとした。そして、カッと頭に血が昇るのを感じた。
「俺はっ!」
思わず叫んでいた。途端にモーターの音が掻き消えた。
「俺はアンタの言うとおり、ハイネの遺志を継いで!」
シャアに向き直り、今にも飛び掛かりそうな勢いで怒鳴った。だが、シャアは微動だに
しない。シンにはそれが余計に腹立たしく思えて、ダンッと拳を壁に打ち付けた。
シャアは顔を振り向け、正面から真っ直ぐにシンを見据えた。
「しかし、兵士はマシーンではない。血の通った人間なのだ。それなのに、君はマシー
ンになろうとしている」
「俺がマシーン……?」
そんなことは考えたことも無かった。自分はハイネの遺志を継いで、立派なザフトにな
ったつもりだった。だからフリーダムにも勝てたし、デスティニーを与えられてフェイスに
も任命された。それなのに、シャアはその自分を否定しようとしている。それは我慢なら
なかった。
「じゃあ、俺は間違ってハイネの遺志を継いでいるって言うのか!」
「そうだ」
「なっ……!」
きっぱりと言い切ったシャアに意表を突かれて、シンは思わず言葉を失った。
シャアのサングラスが、動揺するシンの表情を映し出した。そこには、たじろぐ自分の
姿があった。それは自分で思い描いていた立派な姿とはかけ離れた、酷く無様で、あま
りにも情けない姿だった。
「何だと……!」
呟くように言い返すのが精一杯だった。自分は、あんなにみすぼらしかったのか――
ショックのあまり、それまで積み重ねてきた自信が足元から崩れ落ちていく感覚に囚わ
れた。
しかし、シンはハイネが文字通り命を懸けて見込んだ男なのだ。直情的過ぎるが故に
色々と迷うこともあるが、その資質の高さはシャアも認めるところだった。
迷っているなら正しい方向に導いてやればいい。シンはまだ、他人の言葉に素直に耳
を傾けられる若さを持った少年なのだから。
シャアは徐に、柔らかく語り掛けた。
「生まれ育った故郷は、そうそう忘れられるものではないさ。それは私とて同じだ。しか
し、君はハイネの死に引き摺られる余り、無理に私情を押し殺そうとしている。それでは
マシーンと変わらない。――君は一体、何のために戦っているのかね?」
問うシャア。シンは負けじと、挫けそうな自分を奮い立たせて叫んだ。
「俺は力が欲しかったんだ! 力が無いのが嫌で、もう誰も目の前で死なせたくないっ
て思ったから、みんなを守るために……だから俺はっ!」
刹那、自分の言葉にハッとなった。それは、失せ物を見つけた時の感覚に似ていた。
シャアはその様子を見て、フッと柔らかく笑みを浮かべた。
その時、エレベーターが最下層の格納庫に到達し、ドアが開いた。
「ならば、その信念に従って行動する君であることが、本当の意味でハイネの遺志を継
ぐことになる。――違うかな?」
シンに先んじてエレベーターを降りるシャア。その背中を、シンは暫し見送っていた。
「俺の、信念……」
シンは呟いた。その瞬間、初めてハイネが言っていた“誇りのために戦え”という言葉の
意味が理解できたような気がした。
「早くしろ!」というヨウランの声が聞こえた。シンは両手で顔を叩いて気合を入れると、
飛び出す勢いでデスティニーのもとへと向かった。
続く
二十一話は以上です
それでは
投下ありがとうございます。
Zキャラ一人一人がキャラを崩さず仕事してるのが面白い。
カミーユはカガリの護衛がんばれw
投下乙
投下ありがとうございます!
200get
てか既にスレ容量400KBなんだけどいいのかしら?
とか言いつつ構わずに第二十二話「ヤラファス攻防」です↓
カガリがカミーユを伴って発令所に駆けつけた時には、既にユウナが事に当たっていた。
国民の緊急避難指示を出したり、国防軍の展開を急がせたりと、初動の対応はほぼ済ん
でいた。
合間を見つけて状況を聞くと、「参っちゃうよねえ」と辟易した様子で肩を竦めた。
前触れも無くザフトがオーブ領海の境界線付近に艦隊を展開した。オーブにしてみれ
ば青天の霹靂だったのだが、どうやらジブリールがオーブに逃げ込んだという情報があ
るらしく、それでザフトはその引き渡しを要求しているのだと知った。
「僕には、あれは侵略をしに来たようにしか見えないけどね」
ユウナは不愉快そうに言った。
確かにオーブの復興にはロゴスの資金が流れ込んでいた。だが、このご時世にわざわ
ざジブリールを匿うような真似は、いくら何でもできない。国家元首の拉致事件が解決し
ても殆どメディアに取り上げられなかった小国のオーブが、時流に逆らうような真似をし
たらどうなるか、当人たちが一番良く分かっているからである。
「言い掛かりじゃないのか?」
全く身に覚えのない嫌疑に、カガリは苛立たしげにかぶりを振った。ユウナの言うとお
り、ロゴス動乱の先導者であり、破竹の勢いのプラントがオーブを侵略しに来たのでは
ないかと思えたのも、無理からぬ話だった。
「先日の暗殺者はコーディネイターだった。尋問に対しては未だに黙秘を続けているそ
うだが、もしかしたら……」
「……」
しかし、カガリの呟きに対し、ユウナは何故か沈黙した。
「ユウナ……?」
ユウナなら、乗ってくると思っていた。しかし、現実には険しい表情で押し黙ったままで
ある。カガリにも、流石に何かあると分かった。
「おい、何か心当たりがあるなら――」
カガリが問うた、その時だった。「ザフトより入電!」と言う通信士の声が割って入り、と
ある画像が送られてきたと報告した。
「正面スクリーンに出せ!」
カガリは一旦、ユウナから目を離し、命じた。そして、スクリーンに表示された画像を目
にし、驚愕した。
映し出されたのは、海中にあるオーブの秘密の入り口から侵入する潜水艇の様子だっ
た。更に次の写真にはヘブンズベースに保存されていた同型の潜水艇が写っていて、一
枚目の画像の潜水艇がジブリールのものであることを如実に示していた。
「更に、同型の潜水艇が一隻ヘブンズベースから消えていたという、元ロゴス構成員の
証言もあるとのことです」
オペレーターの報告に、カガリは唇を噛んだ。
「……やっぱりか」
そのユウナの小さな呟きを、看過するわけにはいかなかった。カガリはユウナに向き直
ると、いきなり掴みかかった。
「やっぱりって、どういう意味だよ! まさか、お前!」
「冗談じゃない。知ってるだろ、僕がロゴスを嫌っていることを」
「だったら!」
「落ち着きなよカガリ。忘れたのかい?」
ユウナの目は、言外に伝えていた。その意味に気付いた時、カガリはハッと我に返って
その手を離していた。
オペレーション・ラグナロクが同盟軍の勝利で幕を下ろして以降、姿を消している人物
がいる。その人物こそがジブリールをオーブに招き入れ、匿っているユダである。
しかし、カガリは決してそのことを口に出さなかった。ここでは兵の耳がある。そして何よ
り目の前の優男の心情を思うと、声に出すのは憚られた。
カガリは目で訴えた。どうするつもりなのかと。
ユウナは腰に手を当てて小さなため息をつくと、周囲の兵の目を気にしつつ口を開いた。
「おおよその見当はついている」
「なら、すぐにでもジブリールを確保し、突き出すと言えば――」
その時だった。ザフトはオーブの回答が遅れている理由を、ジブリールを逃がす算段を
企てているからだと反発し、宣戦布告。数秒後、遂に国防軍と衝突する事態になってしま
ったのである。
俄かに慌しくなる発令所内には、途端に複数のオペレーターの声がひっきりなしに飛び
交い始めた。それは開戦以降、ずっとオーブが恐れていたことだった。とうとう、二年前と
同じようなことが起こってしまったのだ。
「ご覧よ。僕らの主権は侵害されてしまった!」
ユウナはスクリーンに映る緒戦の様子を見やりつつ、言った。
「こうなった以上、僕らも黙ってやられるわけにはいかない」
「無論だ。このまま大人しくザフトの好きにさせるものか」
「その意気だ」
ユウナはカガリの肩に手を置いた。
「頼んだよ、カガリ。僕がジブリールをしょっぴいてくるまで、何とか持ち堪えてくれ」
カガリは驚いて、ユウナを凝視した。
「お前が行くのか?」
「そうだ。これは、僕の役目だ」
ユウナの目は、いつもと違って悲壮感が滲んでいた。それは、覚悟している目でもある。
「……分かった。任せる」
だからこそ、カガリは全てをユウナに委ねた。その悲壮な覚悟を阻んではならないと感
じたからだ。
「ありがとう」
ユウナは一言だけ告げると、発令所を後にした。
通路に神経質な足音が響く。軍靴が固い床を叩き、乾いた音を響かせていた。ユウナ
の、声にならない苛立ちだ。
胸の内ポケットから通信端末を取り出す。それを操作し、発信ボタンを押すと素早く耳
元に当てた。コール音が鳴る。たった一回でも、その時間すら惜しいと感じた。こうしてい
る間にも、ザフトの侵攻は着々と進んでいるのだと思うと、居ても立ってもいられなくなる。
三回目のコールで、繋がった。
「仕事だよ、ネオ・ロアノーク。三人を連れて、今すぐ僕のところへ来たまえ」
ネオにも分かっているのだろう。詳細を語らずとも、ネオは即座に了解の返事をした。
ユウナは通信を切ると、端末を再びポケットの中に押し込み、足を速めた。
モビルスーツデッキから、カタパルトデッキへと移動する。オペレーターのメイリンから
戦況を伝えられるが、シンにとってそれは特に重要ではなかった。これからすることは、
既に心の中で決まっているからだ。
カタパルトハッチが開かれて、光が差し込んでくる。一瞬目が眩んだかと思うと、次の
瞬間、抜けるような青空が視界に飛び込んできた。――オーブの空だ。
今は戦いの光が飛び交うオーブの空。それでも、シンはそこに郷愁の念を抱かずに
はいられなかった。
(ただいま、父さん、母さん、マユ……)
以前に訪れた時には言えなかった言葉を、心の中で念じる。天国の家族に背は向け
られない。そういう戦い方でなければ、力を求めた意味が無い。
それはとても困難なことなのかもしれない。しかし、それがザフトである自分が、せめ
てオーブのためにできる精一杯のことであるなら、今こそやって見せるしかない。
(見ててくれ……二年前と同じにはさせないから……!)
迷いは無かった。シンは己を信じていた。だから、戦える。
「シン・アスカ、デスティニー――」
発進の体勢を取る。膝を曲げたデスティニーが、前傾姿勢になった。
「行きます!」
急激な加速とそれに伴う荷重。シンの目は、真っ直ぐに前だけを見ていた。
ミネルバを飛び出し、フェイズシフト装甲を展開する。灰色だった機体が鮮やかな色に
染まり、背部の大型スラスターが光の翼を開いた。
既に開かれている戦端。オーブ国防軍の守りは、流石に厚かった。海上に多数の戦力
を配置し、ザフトの本島侵入を防いでいる。当然と言えば当然であった。二年前もこんな
風に戦いになり、そして数多くの悲劇を生み出したのだから。
「それにしてもアスハの奴、相変わらず対応が不味い……」
オーブがジブリールの引き渡しを渋ったのは、きっとカガリのせいだと思っていた。
シンは先日の記事を見逃さなかった。うっかり見落としかねないほどの小さな記事だっ
たが、誘拐されていたカガリがオーブに戻ったことを知って、それはきっとジブリールを
匿うためだと思った。
だから、国防軍には同情する気持ちがある。愚かな主君を持ったせいで、命懸けで尻
拭いをしなければならない羽目になったのだから。
だが、無駄死には極力少なくする。それがシンの戦いである。
全軍に向けて、通信回線を開く。
「ミネルバのフェイス、シン・アスカより各機へ。デスティニーが敵防衛線に穴を開ける。
海上戦力への対応は直掩部隊に任せて、攻撃部隊各機はデスティニーの羽をフラッグ
に続け!」
最大戦速で前線に向かう。オペレーション・ラグナロクにおいて十分にその実力を証明
して見せたシンに多くの兵士が従う一方、まだ少年であるその声に懐疑的な見方をする
者も少なからず存在していた。しかし、そんな一部の者も、デスティニーが前線に辿り着
くや否や、驚異的な活躍を見せ始めると、無条件で従う動きを見せ始めた。
力だ。力があるからフェイスになれたし、みんなが信頼してくれる。そして、それが二年
前の悲劇を繰り返させないことに繋がるのだ。
「敵防衛線を突破後、本島ヤラファスに向かう。狙いは、敵総司令部のみ。ジブリール
を匿う元凶を叩いて、この無意味な抵抗を早期に鎮圧する!」
それがシンの考える、二年前と同じ悲劇を繰り返さないための方法だった。カガリだけ
を狙えば、一般民が犠牲になるようなことは無い。カガリさえ倒せば、オーブは抵抗を止
める。そして、デスティニーならそれができると信じている。
ミネルバ隊を始めとして、シンの後には多くのモビルスーツが続いた。シンの命令は、
フェイスであったとしても出過ぎた真似であったが、その宣言は多くの共感を呼び、旗艦
のセントへレンズもこれを黙許した。
自分は、決して間違っちゃいない――シンはより自信を深め、先陣を切って立ち向かっ
ていく。
オペレーション・ラグナロクからの強行軍であるはずなのに、ザフトの勢いは止まること
を知らない。それでも国防軍は、十分に善戦していた。
しかし、ある時を境にザフトが一点突破作戦を展開し始めると、それまで堪えていた前
線はたちどころに崩壊し、最終防衛ラインへの侵入を許してしまう。その先頭には、光の
翼を広げ、恐ろしいまでの戦闘力を見せ付けるモビルスーツ、デスティニーの姿があっ
た。
「あのガンダムは……」
カミーユはデスティニーを見て呟いた。ヘブンズベースで戦ったことのある相手だ。単
純に強いと感じたが、それ以上にパイロットの直情的に過ぎる感覚の方が印象的だった。
飽くなき力の探求――その力が、オーブを危機に陥れようとしている。それは厄介なこと
だと思った。
あの勢いだと、最終防衛ラインが突破されるのも時間の問題だろう。デスティニーを止
めるなり何なりの対策を打たなければ、この発令所も近い内に落ちる。
カガリもそれは分かっているだろう。だが、打つ手が無い。デスティニーを筆頭とするミ
ネルバのモビルスーツ隊に対抗できる戦力が、今のオーブ国防軍には存在しないので
ある。
(クワトロ大尉……!)
カミーユは、時折映る赤いモビルスーツを歯痒い思いで見ていた。
少なくとも、自分が出れば多少の時間稼ぎができる。それまでにユウナがジブリール
を確保してくれれば、この戦闘は終わるはずである。
「よし……」
カミーユは意を決し、カガリに振り向いた。
ところが、そのカガリは先ほどから誰かと交信中のようで、それに掛かりきりになって
いた。
「どういうことだ、キサカ? 切り札って……納得のいく説明をしてくれなくては困るぞ、
エリカ・シモンズ」
知らない女性らしき名前が出てきたが、どうやら相手は側近のレドニル・キサカ一佐ら
しい。キサカとは、カミーユも面識がある。だが、側近であるはずのキサカが、この緊急
時にカガリの傍を離れて何をしているのだろうかと思った。
「……分かった。とにかく、そこへ行けばいいんだな?」
怪訝に思っていると、やがてカガリの交信は終わった。カミーユはそのタイミングを狙っ
て、カガリへと近づいた。
「カガリ代表!」
「カミーユ、すぐにΖを出せ」
カミーユが言う前に、カガリが言っていた。「えっ?」と驚くカミーユ。しかし、カガリは構
わずに出口へと向かった。
「アカツキ島へ向かう。この発令所は遠からず落ちる。遺憾だが、ここを放棄して態勢
を立て直す」
「どういうんです?」
「詳しいことは私にも分からん。だが、今のオーブに必要なものがあると言ってるんだ」
そんなことで大丈夫なのかと、流石のカミーユも心配になる。しかし、現状を打破でき
る手段が無い以上、その可能性に賭けるしかないのも事実である。
「新たな司令本部をタケミカズチに指定する。特例措置として最高司令権をソガ一佐に
委譲。伝達完了後、総員本発令所より退避だ。以後はタケミカズチの指示に従うこと。―
―以上だ、急げよ」
命令を下すと、「ハッ!」という掛け声と共に全員がカガリに敬礼をした。カガリも敬礼で
以ってそれに返すと、カミーユを引き連れて発令所を後にした。
アカツキ島はかつてキラたちが住んでいたカガリの別邸がある島だ。アークエンジェル
やフリーダムもそこに隠されていて、表向きは平和そのものの島であったが、地下では
色々と物騒なことになっていた。
オーブ国領だけあって、ヤラファスからはそれほど遠くない。ウェイブライダーの機動
力なら、ものの数分で辿り着く距離にある。
だが、その数分も現状ではとても長く感じられた。遠目からでもザフトの勢いが顕著で
あることが見て取れたからだ。
事態は一刻を争う。カミーユはカガリの指定どおりのポイントに向かい、キサカの姿を
見つけると急いでカガリを降ろした。
「代表、僕は少しでも敵の侵攻を遅らせるために前線に向かいます」
「頼む。私もすぐに駆けつける。どうやら、モビルスーツらしいんだ」
「モビルスーツ?」
訝りながらも、カミーユはカガリが降りると直ちにウェイブライダーを発進させた。
「本当にこの戦局をひっくり返せるモビルスーツがあるの?」
懐疑的になりつつも、カミーユにできることは一つである。何とか持ち堪えている前線に
向かって、スロットルを全開にした。
一方、カガリはキサカとモルゲンレーテの技術者エリカに連れられて、アカツキ島の地
下に案内されていた。そこは埃に塗れていて、暫く誰も立ち入っていないことを窺わせる
場所だった。しかし、厳重にロックされた扉が重々しく開くと、その先にカガリは眩く輝く信
じられないものを目にしたのであった。
防衛線を突破すれば、ヤラファスまではあっという間だった。ヤラファスに配備されて
いる戦力は流石に多かったが、進撃を阻むほどではない。
国防総省の建造物群が見えてくる。ここに至るまで、民間への被害は殆ど出していな
い。大方のシンの目論見どおり、この本丸を落とせば戦闘は終わる――はずだった。
その期待が失望に変わったのは、司令本部であると見られていた発令所が既にもぬ
けの殻になっていたことが判明した時だった。カガリはいち早くシンの目論見に気付き、
脱していたのだ。
まんまと無駄足を踏まされた。出し抜かれたと言ってもいい。
「くそっ! こんな時まで自己保身か!」
シンは激しく悪態をついた。これではまだ戦闘は続く。それは、二年前の出来事が再現
されてしまう恐れが強まったことを意味していた。
「アスハめ! オーブの被害のことも考えないで、よくも!」
目論見どおりに事が運ばなかったことだけではない。カガリが保身ばかりを考えて逃げ
回っているという思い込みが、シンを苛立たせていた。奇麗事を口にするカガリも、一皮
剥けば薄汚い政治家と同じではないかと。
発令所の前で佇むデスティニーに、二発の熱光線が注がれた。建造物を避けたその狙
撃は、明らかにシンへの牽制だった。
顔を上空へと振り仰ぐ。オーブの空に、航空機のシルエット。太陽を背にその航空機は
一瞬にしてモビルスーツ形態へと変貌を遂げると、シンの前へと降り立った。
「Ζ!? 何でΖがここに……!?」
シャアからカミーユが既に連合軍を抜けていることは聞いていた。そのカミーユが突然、
目の前に現れた。そして向けられた銃口は、カミーユがオーブに与していることの証左で
あった。シンには、それが全く理解できなかった。
ビームライフルの先端から銃剣のようにビームサーベルが伸びる。Ζガンダムはその
ロングビームサーベルで襲い掛かってきた。
ジャンプしてかわす。ロングビームサーベルが空を切ると、シンはその背中に向けてビ
ームライフルを連射した。しかし、Ζガンダムは上手く建物を利用してそれをやり過ごす
と、物陰から一気に跳躍して体当たりをしてきた。
シールドがデスティニーのフェイズシフト装甲を叩く。シンはΖガンダムを突き放し、肩
のフラッシュエッジを抜いて、それで切り掛かった。
ロングビームサーベルが振るわれ、交わる。ビーム刃の干渉波が眩い光を放ち、スク
リーンを白く濁らせた。
「あんたはアスハを隠したな!」
聞きたいことは他にもある。だが、シンにとって最優先すべきことは、カガリのことだっ
た。
「アスハ……? カガリ代表? ――隠すって!」
「白々しい!」
あざとく戸惑うカミーユに、シンは益々声を荒げる。
「アイツさえ押さえちまえば、こんな無意味な戦いはすぐにも終わるんだぞ!」
出力を上げる。デスティニーの翼が、一段と大きくなった。
強引にΖガンダムを弾き飛ばす。そして、そのままビームライフルの連射で追い立て
た。
「抵抗すればするだけ、オーブの被害が大きくなる! 被害を大きくしてるのはアンタら
なんだぞ! どういう事情か知らないけど、アンタもアスハの片棒を担ぐっていうなら!」
ホバー走行するΖガンダムが、地面を滑るように駆ける。上空からそれを狙い撃ちする
シンであったが、不思議と当たる気がしなかった。トリガーを引く瞬間に避けるので、照準
が殆ど意味を成さないのだ。
シンは眉を顰めた。まぐれ当たりを期待するしかないのでは、埒が明かない。
「アスハがジブリールを素直に引き渡してさえいれば、こんな戦いなんて起こらなかっ
たんだ!」
高エネルギー長射程ビーム砲が火を噴く。強力なエネルギー弾が地面に着弾すると
爆発が起こり、大量の粉塵と土砂を撒き散らした。それを避けて、Ζガンダムが大きく跳
躍する。シンはそこに狙いを絞り突撃した。
ビームライフルで迫撃する。当たらないのは百も承知。逆に迎撃されたが、Ζガンダム
に接近戦を挑みたいシンにとっては寧ろ好都合。ビームシールドでビーム攻撃を防ぎつ
つ、足を止めたΖガンダムにフラッシュエッジで切り掛かった。
しかし、下からかち上げるようにΖガンダムのシールドがデスティニーの腕を弾く。フラ
ッシュエッジの刃は、またしても届かない。
「言えよ! アスハはどこに逃げた!」
拮抗する両者。シンが叫ぶと、Ζガンダムの双眸が淡く緑の光を放った。
「代表は逃げちゃいない! こっちだって、ジブリールがいることなんて知らなかったん
だ!」
「嘘付け! じゃあ、何でアスハはここにいなかったんだ! 逃げて戦いを長引かせて、
ジブリールが逃げる時間を稼いでいるのはアスハだろ!」
「勝手なことを! 一方的に戦いを仕掛けておいて、言えたことか!」
「アンタらが抵抗するからだろうが!」
カガリがジブリールと繋がっていると思い込むシンと、ザフトの性急な侵攻に反感を覚
えるカミーユ。互いが相容れないのは当然の帰結であった。
Ζガンダムは、かち上げている左腕を振り抜いて、デスティニーの右腕を弾いた。だが、
次の瞬間、蹴りを胴体部に突き込まれ、尻餅をついた。
フラッシュエッジが、Ζガンダムの肩口を狙っている。瞬時に察知したカミーユは慌て
て後方へ飛び退いた。
強い。だが、それ以上に――
「何でザフトがオーブの被害のことを考えるんだ……?」
カガリに対する強い憤りと、オーブという国そのものに対する強い愛着が綯い交ぜにな
った複雑な心情である。カガリへの怒りは、オーブへの愛情の裏返し。シンの強い言葉
と怒声から、カミーユが感じ取ったことであった。
シンは、何とか大きな被害を出さずにこの戦闘を収めたいと考えている。
それは、カミーユも望むところだった。しかし、手段は違う。カガリの護衛としてのカミー
ユは、カガリを守らないわけにはいかないし、ユウナがジブリールを確保するまでは何
とかして時間を稼がなくてはならない。だから、シンがザフトとして作戦に従うのと同じよ
うに、カミーユも抵抗するしかないのだ。
しかし、生半可ではない。国土柄、戦力が充実している海軍と違って陸軍の規模はそ
れほど大きくはない。故に海軍によって他の三島が守られる分、陸軍部隊の大半がヤ
ラファスに配置されていたわけだが、日の出る勢いのザフトの猛攻に飲まれて戦線は崩
壊しつつある。この状況で、デスティニーの他にもシャアを始めとするミネルバ隊の面々
もいるのだ。彼らまで押し寄せてきたら、カミーユ一人がいくら意地を見せたところで何
分も持たない。
「――来たっ!」
噂をすれば影。シャアの気配と、レジェンドのパイロットの気配が近づいている。
「あのガンダムだけで手一杯だってのに……!」
その他のザフトの侵攻は、陸軍部隊が瀬戸際で食い止めている。なら、腹を括るしか
ない。シャアやレジェンドを今まで足止めしていたことを考えれば、マイナーチェンジの
M1アストレイで彼らはかなり善戦したと言えるのだから。
しかし、覚悟を決めたはいいが、やはり手強い。間もなく三機が揃うと、状況はますま
す苦しくなった。三機の高性能機に、その操縦桿を握るのはそれぞれスーパーエース
級のパイロットなのだ。どれだけカミーユが奮闘しようと、三対一の条件の前では虚しい
抵抗に過ぎなかった。
デスティニーはレジェンドと連携することで、更に手強くなった。パイロット同士の呼吸
が、抜群に合っている。荒削りだがガンガン攻めてくるデスティニーと、その粗の隙間を
埋めるように冷徹なレジェンド。まるでダブルスの選手のような連携だった。
その二機の攻撃だけで、既にカミーユは困窮していた。建造物や地形を利用して逃げ
るのが精一杯で、反撃の糸口さえ見つからない。
その上、シャアもいるのだ。シャアの狙いは流石に鋭く、上手く身を隠しても直撃と紙
一重の狙撃をしてくる。他の二人を若さによる勢いと呼ぶなら、シャアはベテランらしい
経験則に基づいた“巧撃”と言えた。そして、それが最も厄介であった。
シャアは気配を消す。ニュータイプとの戦いにおいて、殺気の類は相手に気取られる
最たるものであることを知っているからだ。それゆえカミーユは、シンやレイの狙いは読
めても、その二機の攻撃に紛れて接近を目論むシャアの気配にまでは気が回らなかっ
た。
気付けば、セイバーが肉薄していた。そのビームサーベルが、Ζガンダムが持つビー
ムライフルを狙っていた。咄嗟に左手にビームサーベルを取らせて振るうも、まるでそれ
を待っていたかのように中空で制動を掛けてかわされる。「フェイクか!」――声を上げ
た次の瞬間、セイバーのキックがΖガンダムの頭部を蹴っ飛ばしていた。
「うわぁーっ!」
コックピットを襲う激しい衝撃。キックのダメージで一時的にセンサーに障害が起き、全
天スクリーンが乱れる。
「今度は誰を助けたいというのだ、カミーユ?」
冷たく突き刺さる、皮肉めいたシャアの言葉。
シャアは諦観していた。
カミーユの洗脳は解け、連合軍からも既に離れている。そして、カミーユが共に軍を抜
けた仲間に愛着を持ち、行動を共にしたがっている気持ちにもシャアは理解を示してい
た。だが、それでも尚、カミーユが敵として立ちはだかる運命であるなら、シャアは本格
的に覚悟を決めなければならないと考えていた。
カミーユの才能は宝であっても、ララァ以上の価値は無いのだから……
「カミーユ。私はザフトだ。お前が自分の意思でその立場にあるというのなら、私はお前
を討たなくてはならん」
――お前はもう、カミーユを始末する方向に傾きかけているんだろう
かつてハマーンに指摘され、何度も頭の中にリフレインしては否定してきた言葉。それ
が今、実体を持ち始めている。
Ζガンダムは蹲っていた。しかし、カミーユの声は些かも力を失っていなかった。
「僕は、そういう道を選びました。――大尉こそ、独善的なモノの見方で善人ぶって!」
「私が独善的だと?」
思わぬ指摘に、シャアは一寸怯んだ。
「自覚が無いんですよ、大尉は! そういうのが、一番性質が悪いんです!」
「……」
カミーユの指摘は少なからずシャアの動揺を誘っていた。だから言葉を返さなかった。
それがニュータイプの洞察力というものなのだろう。カミーユが別の道を行くのは、偶
然や成り行きだけではなかった。シャアの中に巣食う魔物のイメージが、カミーユには
見えていたのかもしれない。
「……しかし、それがジブリールを匿う理由にはならん」
シャアの声は冷徹だった。
「カミーユ、お前がやっていることは明らかに間違っている」
「大尉っ!」
シャアはΖガンダムに銃口を向けた。
「昔の誼だ。命を奪うことまではしない。だが、Ζは破壊させてもらう」
「そうやって! 何でもかんでも自分の好きに出来ると思うな、シャア!」
カッとなったカミーユが叫ぶ。シャアはその罵倒を受け流すように、まるで取り合わず
にビームライフルのトリガーを引く。
だが、撃ったビームはΖガンダムを外れた。否、外されたのだ。カミーユは、セイバー
の指がトリガーを引くタイミングに合わせて、Ζガンダムを飛び退かせていた。
Ζガンダムは回避すると、間髪いれずにシールド裏のミサイルを放った。
対し、シャアはセイバーに上昇をかけて回避した。だが、一発を脛に受けてしまった。
「……?」
違和感を持った。自分の操縦ミスにしても、あまりにもセイバーの反応が鈍かったよう
に感じられたのだ。
フェイズシフト装甲のお陰でダメージは無い。だが、次はそうは行かない。逃れたセイ
バーを、Ζガンダムはビームライフルで狙っていたのだから。
ビームがセイバーを襲う。紙一重で外れた。
シャアも反撃を試みる。だが、ここでもセイバーの反応は明らかに鈍かった。
「伝達系に支障? こんな時に! ――くうっ!」
Ζガンダムの撃ったビームが、セイバーのビームライフルを貫いた。シャアは慌てて
ビームライフルを投棄し、シールドを構えて爆発から身を守った。
シャアが明らかに劣勢に立たされている。初めて見るその光景に、シンは驚きを禁じ
得なかった。
「昔の仲間だからって!」
セイバーが動きに精彩を欠いていることは、見た目からも明らかだった。シンは、相手
がカミーユであることが原因であると思い込んでいた。
「レイ!」
「分かっている!」
ビームライフルで牽制をかけながら、レイがシャアの援護に向かう。シンはその合間を
縫って高エネルギー長射程ビーム砲で狙撃した。
まだ完全にセンサー機能が回復したわけではないのだろう。Ζガンダムの反応も、先
ほどよりは鈍くなっている。
「クワトロさんには悪いけど、これで!」
Ζガンダムを照準に収める。今度は当たる予感がしていた。
だが、その時だった。発射ボタンに添えた指を押し込む直前、新たな敵の出現を知らせ
るアラームが鳴り響いたのである。
「えっ?」
ボタンを押すと同時に、信じられない外見のモビルスーツが間に滑り込んできた。発射
された高エネルギー長射程ビーム砲の強力なビームは、そのモビルスーツに直撃した。
刹那、シンは妙な違和感を覚えた。直撃したはずなのに手応えを感じないのである。
何かがおかしい――本能がその違和感に反応して、自然とシンの身体に回避動作を
行わせていた。次の瞬間、自分が撃ったはずのビームが自分に向かって襲い掛かって
きた。
辛うじて外れた。だが、シンの心の内に生まれたのは安堵ではなく、驚愕だった。
目の前に立ちはだかったのは、冗談としか思えない金色のモビルスーツだった。だが、
ただの悪趣味ではない。そのモビルスーツは、デスティニーの撃ったビームを跳ね返し
て見せたのだ。
そして、驚くべきはそれだけではなかった。
「ザフトに告ぐ! 私は、オーブ連合首長国代表カガリ・ユラ・アスハである! 当方に
は、現在、我が国に潜伏中と目されている密入国者、ロード・ジブリールを発見次第、こ
れを引き渡す用意がある!」
「アスハ……!?」
操縦桿を握る手が震える。強い憤りが、シンの身体を支配していた。
続く
支援
乙ー
しかし本編よりまだ希望が持てそうだなこの戦い
第二十二話は以上です
それでは
投稿乙です
シャアもアカツキを見て自分が今までどれほどド派手な機体に乗っていたのか理解できるだろうか?
それとも単に百式のパクリと思うのか・・・
こんばんは
第二十三話「紅い瞳が見るものは」です↓
カガリの乗るアカツキは、養父であるウズミ・ナラ・アスハが万が一の事態を想定して
遺した“力”である。その金色の装甲“ヤタノカガミ”は、ビーム攻撃を跳ね返す特殊な加
工が施されていた。
「現在、ジブリールの行方は我々の方でも捜索中である。しかし、ザフトの侵攻によっ
てその作業が滞り、難航している状況でもある。それでは、ジブリールの利にしかなら
ない。それは双方の望むところではないはずだ。貴官らがこれを理解してくれるのなら、
今すぐに軍を退かせて欲しい。その上で、共にジブリールを捕えよう」
カガリの宣言はオープン回線でザフトにも伝わっていた。
戸惑いが広がった。まだ少女の声といえど、その宣言は一国の元首の言葉なのだ。
セントへレンズは判断に迷った。このオペレーション・フューリーの作戦目的は、ジブ
リールの確保にある。軍を消耗させずに目的が達せられるのなら、それに乗らない手
は無い。
だが、俄かに現場から聞こえてきた声は、その判断は甘いのだと指摘しているようだ
った。
「そうやって、時間を稼ごうって算段じゃないのか?」
シン・アスカの声が戦場に轟く。その言葉は、ある意味でザフトの釈然としない気持ち
を代弁したものだった。戦闘になった今、言葉だけで相手を説得できる時期はとうに過
ぎているのだ。
「本気でそれを言ってんなら、態度で示したらどうなんだ?」
シンは銃口をカガリに向けた。ビームが効かないことは分かっている。これはカガリに
覚悟を迫るシンの意思表示だ。
アカツキが頭部をデスティニーに振り向ける。
「お前は……」
カガリはその声に覚えがあった。シン・アスカは二年前の災禍でプラントに渡った、元
オーブ国民のザフトであった。そして、シンは養父と自分の一族を憎んでいた。
――流石、奇麗事はアスハのお家芸だな!
苛烈な少年の声は、今もカガリの耳に残っている。そのシンがこうしてオーブに戻って
きて、自分に銃を向ける。それは運命だったのではないかとカガリは思う。
「……シン・アスカだな?」
カガリは静かに語り掛けた。シンはビームライフルのトリガースイッチに親指を添えな
がら、その問い掛けに身動ぎした。
「俺のことを覚えていた……?」
とっくに忘れ去られているものと思っていた。だから、意外だった。
アカツキが正対する。その精悍な顔立ちに、シンはカガリの生の表情を見たような気
がした。
「どうしても私を信じてもらえないのか?」
「あ、当たり前だろ! そんなふざけたモビルスーツなんか持ち出して!」
声を荒げて、ビームライフルを更に突き出す。しかし、アカツキは些かも慌てる素振り
を見せない。
(ビームが効かないことを分かってるから、強く出られるんだろ……!)
シンは、そうやって看破したつもりになっていた。しかし、それはカガリの正確な心情
とはかけ離れていた。
「私はふざけてなどいない!」
刹那、シンは我が目を疑った。アカツキがその手に持ったビームライフルを手放した
のである。
「このモビルスーツ“アカツキ”は、オーブを守る黄金の遺志だ。私は父の思いを受け
継ぎ、そして、オーブを守ろう!」
シンはその言葉に、カッと全身が熱くなるのを感じた。
「守れなかったじゃないか!」
濁流のように混濁した声だった。自分でも驚くほど醜い声だった。しかし、シンは溢れ
出てくる思いを止めることはできなかった。
「二年前! アンタたちは何も!」
ビームライフルを一発撃った。ビームは当然のように反射された。
「アンタが守りたいのは自分だけだ! そのモビルスーツが証明してるじゃないか!」
「私は、お前のことも守りたいんだ!」
アカツキが両手を広げる。シンは目を見張った。
「はあ!?」
返された言葉に、思わず絶句した。よもや、そんな言葉が飛び出してくるとは思いもし
なかったからだ。
「確かにお父様も私も、お前に――あの戦いで傷ついた人たちに何もしてやることがで
きなかった。お前が私たちを憎む気持ちは当然だ。でも、それがオーブに銃を向ける理
由なら、私はその憎しみからお前を救ってやりたい!」
「救うだと……!?」
「オーブはお前の故郷じゃないか! それに銃を向けるなんて、そんなの、悲し過ぎる!」
シンは込み上げてくる笑いを堪えることが出来なかった。
「また、奇麗事か……」
「何……?」
「結局、アンタは自分が討たれたくないだけじゃないか」
「そんなことは無い! 奇麗事でも何でも、私はオーブの元首だ! オーブに縁のある
あまねくものを、私は守りたい!」
ギリッ――シンの奥歯が音を立てた。
「なら、アンタには討たれる覚悟があるのかよ? それでしか救えない人間が目の前に
現れたら、アンタは素直に討たれてくれるってのかよ!」
「……っ! それは……!」
「口先だけだ、アンタは! ジブリールが捕まれば、世界は平和へと歩き始める。それ
を今、アンタらが邪魔してるんだって自覚が無いのかよ! アンタたちはオーブは守るく
せに、世界の平和は守らないのかよ!」
強く迫る。今まで山積していた思いが堰を切ったように溢れた。カガリに死を迫る自分
の荒んだ心から目を逸らし、シンは心の赴くままに怒りをぶつけた。
その一方で、こうも思っていた。どうせカガリには何も出来やしない。口ばっかりで、自
分が発した言葉に見合う覚悟すら持ち合わせていないだろうと高を括っていた。
だから、それを目にした瞬間、シンは本当に驚いた。まさかカガリがそんな行為に及ぶ
とは夢にも思わなかったからだ。
「なら、討て!」
カガリはハッチを開き、コックピットの入り口まで身を乗り出して、デスティニーの銃口
の前に生身を晒した。
その場の誰もが度肝を抜かれた。一国の元首がすることではない。
当然、カミーユがそれを看過するはずが無かった。
「馬鹿じゃないのか、あの人!?」
シャアを牽制し、カミーユは急ぎカガリの援護に向かおうとした。
だが、素早く前に立ちはだかったのは、レジェンドだった。
「シンの邪魔はさせん!」
「このっ!」
無数のビームがカミーユを襲う。間隙を縫って突破を試みようとするも、レジェンドは巧
みにそれを妨害した。
それは、レイの執念だった。
(シンは、キラ・ヤマトを討ってくれたのだから……)
誰のためでもなかったことは、分かっている。シンはザフトとして任務を全うしただけだ。
だが、レイはそれでも報いずにはいられなかった。
だからカミーユの介入を絶対に許さない。それがシンへの報いになると思っていた。
チラと様子を盗み見る。デスティニーは尚、アカツキにビームライフルを向けたまま、時
間が止まったかのように身動ぎ一つしない。
シンは苦悩していた。
ビームライフルの射界に生身の人間を収めるのは、初めての経験だった。しかも、相
手はカガリ・ユラ・アスハ――オーブの国家元首である。
それは元首が取る態度ではない。シンでも当たり前のように理解できていることだ。国
家元首が自ら死を選ぶなど、言語道断。論外だ。
だが、カガリは現実に自らモビルスーツを出て、ビームライフルを向けているデスティ
ニーの前に生身を晒している。
「さあ、討て! 私を討つことでお前が救われ、その先に世界の平和が待っているとい
うのなら、この命、いくらも惜しくは無い!」
大声で催促する姿が、狂気の沙汰に見えた。
「アンタは、自分を一体何だと……!」
「ここで私が果てようとも、オーブの志は必ず次の者が継いでくれる。オーブは他国を
侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入しない。私は、そういうオーブを信
じている!」
認めるしかなかった。例え元首として相応しくない態度でも、カガリの覚悟はシンの怒
りを上回っていた。トリガーを引く指を躊躇っている現実が、その証明だった。
操縦桿を持つ手が震えた。怒りだけではない。苛立ちに似たやるせない気持ちが、心
の中で際限なく膨らんでいった。
(俺は、悔しいのか……!?)
カガリの覚悟の前に気持ちを挫かれ、ビームを撃つ指までもが固まってしまっている。
それは完敗と言えるほどの屈辱だった。
しかし、その屈辱を削ぐにしてもトリガーは引けない。それをした瞬間、シンは永遠にカ
ガリに勝てなくなってしまう。それは地獄の拷問に等しい。
生き地獄のような時間だった。時間にしてほんの一、二分。それが何十倍にも長く引き
伸ばされたように感じられ、その間、シンは押すも引くもできなかった。
討たれる覚悟を示したカガリと、いざとなると討つ覚悟を放棄した自分。それは自らの
矮小さを思い知らされた時間でもあった。
「シン、何をしている!」
その時、通信回線から突然叱咤する声が届いた。
「今の内にアスハを押さえるんだ!」
「あっ……!」
我を取り戻させてくれたのは、レイの檄だった。そして自分が思考停止していたことに
気付く。
(目的を思い出せ!)
頭の中で自らを叱責した。シンの目論見は、いち早くオペレーション・フューリーを完遂
させることである。ジブリール捜索のためにはオーブ軍の抵抗を止めさせる必要があり、
そのためにはカガリを押さえてしまうのが一番手っ取り早いのだ。
それを思い出した。討つ討たないの問題ではなく、今はその絶好の機会ではないかと。
「動くなよ、アスハ!」
「何っ!?」
シンはビームライフルを収めると、代わりにアロンダイトを抜いてアカツキに接近した。
カガリは様子が変わったことに気付いて慌ててコックピットに戻ったが、時すでに遅し。
デスティニーのアロンダイトは、カガリが逃げられない状態で突きつけられていた。
シンはすかさずオープン回線を開いた。
「オーブ軍に告げる! ザフトは、オーブ国家元首カガリ・ユラ・アスハを押さえた!」
「何だと!? 貴様、私を人質にして降伏を促すのか!」
「黙ってろよ。それが最善の方法だろうが」
個人的には悔しい。だが、それは大局の中では露ほどの意味も持たない。だから、こ
れでいいのだ。ザフトとして、最低限の被害で戦闘を終了させる。それが最大の目標だ
ったのだから。
通信アンテナが多くの電波を傍受した。シンの宣言を受けて、オーブ軍が激しく動揺し
ている様子が伝わってくる。少しだけ胸がすいたような気がした。
「卑怯だぞ、こんなやり方!」
「抜かせ。迂闊なアンタが悪いんだろうが。大将の癖に、そんな冗談みたいなモビルス
ーツでのこのこ出てくるもんだから、卑怯でも何でもない!」
「開き直るのかよっ!」
「恨むんなら、自分の頭の悪さを恨みやがれってんだ!」
仕返しとばかりにシンは嫌味っぽく返す。
唸るカガリ。ハンカチがあれば思いっきり噛みたい気分だ。
呆気ない幕切れ。だが、勝敗は決したのだ。カガリが人質に取られたと知れれば、オー
ブは白旗を揚げるしかない。
そして、然るべき後にザフトの全兵力を動員して捜索すれば、オーブはそれほど広い
わけではないのだ、ジブリールもすぐに見つかるというものである。それが叶った時、世
界はようやく平和への道を歩み始めるのだ。シンが望む平和な世界へ――
「繰り返す。ザフトはカガリ・ユラ・アスハを押さえた。直ちに武装を解除し、こちらの指
示に従わない場合――」
――しかし、その時だった。晴れ渡ったオーブの空が、突如ビームの雨を降らせた。
シンの宣言は遮られた。それどころか現場は一時騒然となり、パニック状態に陥った。
「何だよこれ!?」
ビームシールドを展開し、雨を凌ぐようにシンはアカツキから離れた。離れざるを得な
かったのだ。そのビーム攻撃は無差別に戦場に降り注ぎ、危険に晒されたのはアカツ
キとて例外ではなかった。
ビームの雨が降りしきる中、カミーユは動いた。土砂降りのビームはレジェンドの動き
すら鈍らせる。カミーユはその間隙を縫って、デスティニーから逃れたアカツキと合流し
た。
ウェイブライダーに変形し、その背に乗るように促す。
「何なんだこれは、カミーユ!」
「知りませんよ!」
二人とも、突然のことに絶叫するように声を張る。
「何発か貰ったんだ! アカツキじゃなかったら、私は落とされていた!」
「いいから早く!」
カミーユが急かすと、カガリは少し不満そうにしながらもウェイブライダーの背に乗った。
「お前の勘で敵か味方か分からないのか?」
カガリが問う。だが、カミーユにも判断はつかなかった。このビーム攻撃の主はオーブ
の純粋な味方のようにも感じられたし、一方で腹黒い陰謀めいたものも感じる。
(一人だけのものじゃない……?)
カミーユはかぶりを振った。
「僕はそんなに便利じゃありません。今はこの状況を利用して後退します」
「……そうしてくれ」
カガリは後方を気にした。シンに対し、後ろ髪を引かれる思いがあった。シンとは、もっ
と話をしなければならない――カガリは痛感していた。
だが、カミーユはそれを気に掛けるほどのセンチメンタリズムは持てなかった。
直感が告げている。このビーム攻撃の主とはあまり関わり合いになるべきではないと。
ビーム攻撃への対応をカガリに任せ、カミーユは一刻も早く離脱するため、スロットル
を全開にした。スクリーンの隅に表示した後方カメラの様子を確認しながらである。
その先には、シャアのセイバーの姿があった。
天上より降り注ぐビームの雨は、かつてアクシズが地球圏に帰還した際の出来事を思
い起こさせていた。大量のガザCの群れから放たれる、宇宙を埋め尽くさんばかりのビー
ムの嵐。ハマーンにアクシズの戦力をひけらかす目的があったあの時ほどではないが、
如何せん、不調のセイバーでは辛うじて被弾しないようにするのが精一杯だった。
「クワトロさん!」
やって来たのは、この混乱に乗じてオーブの防衛線を抜けてきたルナマリアである。
ルナマリアはセイバーの動きが鈍いと見るや、自らシャアの防御に入った。
「どうしたんです!?」
「大丈夫だ!」
「嘘ですよ! ――あたしが援護に入りますから!」
ルナマリアはそう言って、インパルスで強引にセイバーを後ろに押し込んだ。
「無理に構わんでいい!」
「無理をしてるのはクワトロさんです! セイバーが不調なのは、あたしが見たって丸
分かりなんですよ!? ほんっと、男の人の意地って女を不安にさせるんだから!」
「ん……! すまない……」
言うと、シャアは一旦回線のスイッチを切った。
「カミーユに遅れを取った挙句、小娘の増長まで許すとは!」
愚痴を零すと、すぐに回線を繋げた。
「これって、敵の増援なんですよね?」
「そうだろうな。この感覚、成層圏を抜けてくるものがある。――多いぞ!」
「キャッチしました!」
ルナマリアが声を上げると同時に、レーダーに複数の機影が映った。それはあっとい
う間に数を増やしていき、最終的に二十機程度にまで膨れ上がった。
青い空に、ぽつぽつと黒点が広がる。それはやがて鮮明になって、肉眼でもその姿を
認識できるほどにまで迫ってきた。
「黒いモビルスーツですよ! ザフト系っぽいけど――知らないですよね!?」
ルナマリアの言うとおり、データには無い機体だった。
だが、シャアには見覚えがある。それは例の如く、ジオン公国軍のモビルスーツを模
倣したかのような意匠だった。
「ドムだ!」
「ドム? じゃあ、あれはクワトロさんの世界のモビルスーツ……?」
「いや、君たちのザクやグフと同じように、この世界独自のモビルスーツだろう。しかし
――」
今さらドムが出てきた程度では驚かない。問題はその性能だ。ザクやグフの例に漏れ
ないのだとすると、間違いなく厄介なことになる。
次々と降下してくるドム・トルーパー部隊。シャアたちも応戦するが、デスティニーやレ
ジェンドが持つようなビームシールドを備えていて、ビームが通らない。しかも全身をバ
リアのように覆う装置も付いていて、バズーカ砲はビームと実体弾の二連装ときた。ある
程度は覚悟していたが、こんなドムは最早シャアの知るドムではない。
「小癪な! オーブはこんな戦力を隠していたのか!?」
「そうなんです!? でも、これって……!」
「各個に対応していたのでは不利だ! シンやレイとも合流すべきだ!」
「賛成です! このままじゃ……えっ? レーダーに反応――まだ来ます!」
「何だと!?」
降下したドム・トルーパーと入れ替わりになるように、シャアとルナマリアは中空へと逃
れていた。どうやらドム・トルーパーに飛行能力は無いらしく、それは幸いと言えた。
だが、安堵したのも束の間、ルナマリアが更なる敵の出現を予告した。その存在は、セ
イバーのレーダーも察知していた。
上空を振り仰ぐ。天空より降下してくる少数のモビルスーツがある。その姿がハッキリ
としてくると、シャアは思わず眉を顰めた。
「バカな……!」
同じ台詞を、シンとレイも呟いていた。降下してくるドム・トルーパーの群れの中に、信
じられないモビルスーツを見つけてしまったのだ。
見覚えのある青い羽。白と黒のコントラストのカラーリング。多少の意匠の違いはあれ
ど、それは明らかにフリーダムだった。
オーブの危機に、遂にラクス派は動いた。地球の衛星軌道上に艦隊を展開させ、そこ
からモビルスーツ部隊をオーブに送り込んだのである。
再突入を終え、センサーが回復すると、上空からでもオーブ軍が劣勢である様子が窺
えた。既にカガリがオーブに戻ったことは聞き及んでいる。アークエンジェルの反応も、
オーブ海軍の中にあった。
アスランは操縦桿を握る手に力を込めた。ザフトに対する奇襲は成功したが、オーブ
軍側にも混乱が広がってしまっている。
「サトー、見境なく撃ったな?」
ほぼ同じ速度で降下を続けるドム・トルーパーを見やった。そのモノアイがギョロッと動
いて、ジャスティスを見る。
「データに無い機体が多かったもので。あなた方ほどの腕が無い我々では、識別して
いる余裕は無かったのです。――ザラ殿こそ、トリガーを引く指に躊躇いがあるのでは
ありませんかな?」
「どういう意味だ?」
「世を正すおつもりでしたら、迷いは禁物。違いますかな?」
「俺はそこまで傲慢じゃない」
「……これは失礼をば」
ジャスティスにはラクスも同乗していた。そのラクスの目が、サトーの乗るドム・トルー
パーを見つめていた。
アスランは視線をキラのフリーダムに移した。
「キラ。俺はラクスをカガリのもとへ送り届けてくる。少しの間、頼んだぞ」
「了解、アスラン。ラクスをよろしく」
アスランが告げるとジャスティスは単機離脱し、キラは暫時それを見送ると、目線を眼
下の戦場へと落とした。
ビームの一斉射で完全に布陣が崩れたヤラファスでは、ザフトとオーブ・ラクス派の
連合軍が乱戦を繰り広げていた。
戦況はオーブ側が優位になりつつある流れだった。だが、その中でもミネルバのモビ
ルスーツは流石と言えた。唯一、セイバーの動きがいつもよりぎこちなく感じたが、それ
を僚機がカバーする良いコンビネーションには、キラも感心させられた。
キラの目は真っ先にインパルスに向けられた。
脳裏に深く刻み込まれた敗北の記憶。自分の腕とフリーダムがインパルスとそのパイ
ロットに劣っていたとは、今でも思わない。機体の性能やパイロットの腕で負けたという
よりも、その意志の強さに呑まれて負けた。そんな印象だった。
だが、その強さを今のインパルスからは感じない。それは寧ろ――
「……間違いない」
ミネルバに新型が配備された噂は聞いていた。その中の一機、大型のスラスターから
光の翼を広げるモビルスーツに、その強さを見た。そのモビルスーツ――デスティニー
にインパルスのパイロットだったシン・アスカが乗っているに違いない。
キラは確信していた。その動きは、インパルスと戦った時の記憶と一致した。
「まずは彼を止めないと!」
野放しには出来ない。デスティニーはドム・トルーパーが相手といえど歯牙にもかけず、
キラが降下してくる少しの間に二体のドム・トルーパーを戦闘不能に追い込んだのである。
見せしめだ。キラは目標を定めると、迷い無くスロットルを全開にした。
そのデスティニーは、キラを待ち構えていた。シンにも分かるのだろう。互いに、最も先
に潰さなければならない相手が誰であるのかを。
シンはキラが自分を狙ってくることを分かっていた。それは同じ次元にいるパイロット同
士だからこそ共有できる認識だった。キラはデスティニーにシンが乗っていることを理解
し、シンはキラが自分を標的にする理由を知っていた。
宿命と呼ぶのは適切ではない。しかし、二人の認識は決して大袈裟ではなかった。
新たなフリーダムは武装が変更されている。以前のフリーダムを良く研究したシンだか
らこそ、それを瞬時に見分けられた。
銃撃を交える。まずはほんの小手調べだ。
互いに新たなモビルスーツの性能を探る。使わない武器も含め、戦っている間におお
よその威力や性能を推測する。二人は、瞬く間に互いの機体の性能を把握していった。
やがて、先にギアを上げたのはキラの方だった。あらかたのデスティニーの性能を把
握すると、キラは途端に猛攻を仕掛けたのである。
その豹変振りには、シンも些か驚かされた。これほど攻撃的なフリーダムを、初めて
見たからだ。余程シンとデスティニーのことを警戒しているのだろう。
ならば、とシンもギアを上げる。スラスターを全開にし、猛スピードでフリーダムへと迫
った。
フリーダムの両手に持つビームライフルが連続して火を噴いて、迫るデスティニーを
迎撃する。連射しているのに、恐ろしい精度の射撃だった。
だが、それでもシンはそのビームを掻い潜り、フリーダムに肉薄した。
「食らえ!」
ビームライフルで牽制し、フリーダムが動きを止めたところへ左腕を伸ばす。デスティ
ニーの掌に埋め込まれた短距離ビーム砲パルマフィオキーナ。流石にこの武器の存在
には、気付いていないはずである。そして、確かにキラはそれには気付いていなかった。
しかし、それでもキラには瞬間的に見極める目がある。デスティニーの手に内蔵され
ている砲門。それをデスティニーが手を伸ばした一瞬で確認したのである。
刹那、キラは常人では考えられないような反応速度でフリーダムを操ると、デスティニ
ーの下へと潜り込ませた。そして至近距離でクスィフィアスを叩き込むと、くの字に折れ
たデスティニーに向かって前後に連結したライフルの砲口を突きつけたのである。
だが、次の瞬間、キラは目を見張った。デスティニーの姿が一瞬淡く見えたかと思うと、
その姿がまるで幻であったかのように消えてしまったのである。
「――後ろ!」
ピピピッ! ――アラームが鳴る前にキラは目線をそちらに向けていた。スクリーンに
は、既にデスティニーが眼前に迫っている様子が映し出されている。その手には大剣ア
ロンダイトが握られていて、それを大きく振りかぶって、今正に斬りかかろうとしていた。
咄嗟に翻るキラ。振り下ろされたアロンダイトは空を切ったが、立て続けに突き込んで
くる。キラはそれを両マニピュレーターで挟み込み、真剣白刃取りの要領で受け流した。
「チッ!」
その曲芸には、流石のシンも舌を巻かざるを得ない。
勢いで、双方が抱き合うように正面からぶつかる。だが、互いに微塵も引かない。
「生きていたのか、アンタ!」
先に呼び掛けたのはシンだった。その第一声は当然と言えば当然である。ザフト内で
は、フリーダムは完全に撃墜したことになっていたのだから。当のシンも、フリーダムは
完全に倒したものだとばかり思っていた。
事実、キラは九死に一生を得ていた。撃墜されたあの時、エクスカリバーに貫かれる
直前に咄嗟に動力炉を停止させていなかったら、今頃キラの命は無かった。あの時は
本当に肝が冷える思いを味わったのである。
だからこそ感じたこともある。アークエンジェルに迅速に救助され、大した怪我も負わ
なかったのは単純に運が良かったからだ。そして、そういう幸運がこれからも続くとは限
らない。
あの時の敗北は、動揺と迷いが生んだものであった。そして、フリーダムの性能と自
身の腕を過信していた自分に気付いた。それは戦士としての甘さを痛感した瞬間だった。
こんなことではラクスを守れない――ハマーンとの出会いとその言葉が、キラの意識
を変えた。シンに受けた敗北が、キラを本気にさせたのだ。
新たなモビルスーツを得たシンは、一層の強さを手に入れていた。スクリーン一杯に
広がるデスティニーの双眸が、キラを射抜くように瞬いた。キラは、それを睨み返す。
「僕には死ねない理由がある。絶対に守らなくちゃいけない人がいるから……」
「無駄だ! 何度蘇ろうと、アンタは必ず俺が倒す!」
ギシギシと金属が擦れる音が響く。デスティニーは今にも自分を弾き飛ばし、襲い掛
かってくる勢いだった。
だが、キラに動揺は無い。
「君はあの時、僕に言ったよね? 僕を倒すのは君がザフトだからで、それが君の使
命だって」
キラの声は、妙に落ち着き払ったものだった。シンには、それが殊更に不気味に感じ
られた。
シンの本能が警告していた。単純に性能が上がっただけではない。今のフリーダムか
らは、パイロットの――キラ・ヤマトの並々ならぬ気迫が伝わってくる。
「僕にも使命がある。そのためには、もう誰であっても負けるわけにはいかない……」
グググッと、フリーダムがデスティニーを押し返し始めた。――予感した。シンは操縦桿
を握り直し、身構えた。
「それは、君が相手であってもだ!」
言葉と共に強い意志が流れ込んでくる。黄金色に光る双眸は、キラの気迫が目に見え
る形で表れたかのようだった。
「ほざけよっ!」
シンはアロンダイトの柄から手を離し、後ろへ飛び退くと同時に両肩からフラッシュエッ
ジを抜いて投げつけた。フリーダムはアロンダイトを持ち直すと、襲い来るそれを一振り
で薙ぎ払った。
ぶつかり合う意地。互いを最大の障害と認めるからこそ、一歩も引かない。
シンは殆ど瞬きをしなかった。フリーダムからは一瞬たりとも目が離せない。以前とは
違う鬼気迫る猛攻は、気を抜いた瞬間に命脈が尽きることをシンに思い知らせていた。
戦場が混沌としている。本来ならもう終わっているはずの戦闘が、泥沼へと向かいつ
つある。それはシンが望んでいた光景ではない。こんなオーブを見たくて戦っているの
ではない。
(いきなりこんなことになっちまってさ……でも――!)
相反するようなジレンマがある。シンはフリーダムとのギリギリの攻防に、意識が絡め
取られていくような錯覚を覚えていた。
(俺はフリーダムとの戦いにのめり込んで、アスハのことも、オーブのことも忘れようと
している……!)
何も考えずにただ戦いに没頭することは、とても楽だった。それは、オーブの被害を慮
る自分の考えに逆行する心理であったが、シンは抗うことができなかった。カガリの覚悟
の前に屈した屈辱が、それだけ耐え難いものだったからだ。
やがてシンの意識はより深く戦いへと没入していった。まるで、フリーダムが繰り出す
色とりどりのビームの光に幻惑されるように、シンの意識はフリーダムとの対決へと先
鋭化していったのである。
戦えば戦うほどに冴え渡るデスティニーの動き。アロンダイトを失っても、フラッシュエ
ッジを失っても、パルマフィオキーナだけでシンは接近戦をこなして見せた。フリーダム
の精密射撃にも怯まず突撃し、身軽になった機体で両腕を振り回す。
一方のキラも、一歩も引かなかった。シンの反応速度が上がれば、キラはそれ以上
に反応速度を高める。シンが得意としている格闘戦の間合いになっても、キラは冷静に
その動きを見極め、的確な反撃を見舞っていく。
キラの意識も、いつしかシンとの戦いに引き込まれていた。どんどん手強くなるデステ
ィニーが、キラの意識を独占していた。一瞬も気が抜けない戦いは、次第に周りの存在
を蚊帳の外に押し出していった。
だが、その二人の戦いにあえて介入する意思があった。
「――何だっ!?」
脳裏を掠める不快感。シンとの戦いに囚われていたキラの意識は一瞬にして解放され、
そして次の瞬間、その不快感が形になったかのようなビームが降り注いできた。
キラは一転、デスティニーとの交戦を中断し、素早く後退した。
射線元に目を向ける。だが、そこに姿は無い。
再び不快感が襲って、警告音と共にまた別方向からのビーム攻撃を受けた。
「そこか!」
連結したロングビームライフルを差し向けて、撃つ。ドッと放たれたビームは外れてしま
ったが、その姿は確認できた。ミネルバに新たに配備されたという、もう一機の新型モビ
ルスーツだ。
「あのモビルスーツは……!」
そのモビルスーツを目にした瞬間、キラは最も思い出したくない記憶を思い出していた。
プラントへ上がる前、久しぶりに再会したムウがキラに告げていた。――“アイツ”が生
きていた、と。
「でも、あれに乗っているのは……」
キラは戸惑った。“彼”が生きていたことに対してではない。“彼”と同じ感覚がするの
に、何故か別人のように思えてしまうことに、キラは戸惑っていた。
キラが見たレジェンドは、ラウ・ル・クルーゼが最後に乗っていたプロヴィデンスを思わ
せた。だが、乗っているのはレイ・ザ・バレルである。その意味を、キラはまだ理解できな
かった。
レジェンドはフリーダムを牽制するとデスティニーに接触した。
「……はあっ!」
接触回線が繋がってサブスクリーンにレイの顔が出ると、それまでの緊張が一気に解
けて、シンは大きく息を吐き出した。
ずっと息を止めていたかのような感覚だった。まるでそれまで堰き止められていたかの
ように、全身から急に汗が噴き出してくる。目も少し霞んでいて、喉はからからになって
いた。気付けば、シンは自分でも信じられないほど消耗していた。
「疲れているな、シン」
「レイ……」
「お節介を焼きに来た、と言いたいが、どうだ?」
レイの問い掛けに対し、シンはバイザーを上げて指で汗を拭った。
「いや、まだだ……まだ俺はやれる!」
力のあるシンの返答に、レイは頷いた。
「よし。ならば、俺がサポートに回る。協力してフリーダムを殲滅する。俺たちの連携で、
今度こそ復活できないように完全に奴を倒すんだ」
呼び掛けるレイの声は力強かった。普段はクールで冷静なレイが、珍しく言葉に熱を
込めている。そういうレイは、とても心強く感じられた。
「ああ……そして、この無意味な戦いを終わらせる!」
操縦桿を強く握り直す。消耗した体力とは裏腹に、シンの気力はますます充実してい
た。
レイは、一瞬だけフッと笑いかけた。
「挟撃を掛ける。お前のタイミングで仕掛けろ。俺がそれに合わせてフリーダムの動き
を封じる」
「分かった。任せるぞ、レイ!」
散開するシンとレイ。キラの目が交互に二機を追った。
フリーダムを中心に、三機が一直線に並ぶ形になる。その瞬間、シンはレイを信じ、迷
わずスロットルを全開にした。
「アンタだけが強い時代は、もう終わったんだ! 今日こそ終わりにしてやる、フリーダ
ム!」
シンの声が、オーブの高い空に響き渡った。
続く
第二十三話は以上です
それでは
後れ馳せながらGJ
第二十四話「ラクス再臨」です↓
一点突破作戦による速攻を目論んでいたザフトの思惑は、ラクス派の介入によって大
きく当てが外れる状況になっていた。尚も押し込んでいるザフトではあるが、洋上の防衛
線を攻略する目処が立たない上、ヤラファスに上陸した突入部隊が徐々に孤立し始め
ていた。作戦に時間が掛かり過ぎているのである。
戦況はオーブ側に好転する気配を見せていた。ザフトの作戦を見抜き、早々に司令本
部をタケミカズチに移して時間稼ぎに徹したカガリの判断が、ラクス派による増援を間に
合わせ、反転攻勢への足掛かりを築いていた。
そのカガリとの合流を求めて、アスランはラクスを伴ってタケミカズチへと向かってい
た。そして僥倖なことに、その途中で運良くカガリと接触できたのである。
しかし、アカツキの存在を知らないアスランは最初、それにカガリが乗っていることに
気付けなかった。更に、一緒に行動していたウェイブライダーの姿を見て、敵と勘違いし
てしまったのである。
「こんなところに何で連合のモビルスーツが?」
アスランは怪訝に思いながらも、すぐさま攻撃を仕掛けた。ロゴス麾下のファントムペ
インに所属していたウェイブライダーを見て、ジブリールの暗躍を疑ったのだ。
「ラクス、少し我慢してくれ」
「どうぞ」
アスランが言うと、ラクスはギュッとシートにしがみ付いた。
背後からビームライフルで攻撃すると、ウェイブライダーはアカツキを振り落とし、モビ
ルスーツ形態へと瞬時に変形した。アスランにとっては、始めて目にするモビルスーツ
形態のΖガンダムである。
Ζガンダムはこちらの存在を認識すると、反撃のビームを撃ってきた。アスランはそれ
をビームシールド兼用のシールドで防ぎ、シャイニングエッジを投擲した。そして、自身
は別の軌道からΖガンダムに迫った。
思惑通り、Ζガンダムはシャイニングエッジをかわした。アスランはその回避動作の隙
を突いて高速で肉薄し、ビームサーベルで切りかかる。
しかし、Ζガンダムは体勢を崩しながらも初撃をかわしてみせた。アスランは、軽く舌
打ちをした。
「――だが、これで!」
蹴り上げる足。脛に仕込まれたビームブレイドが牙を剥く。
だが、Ζガンダムはそれも凌いで見せた。咄嗟にビームサーベルを取り出し、それで
ビームブレイドに対抗したのである。
アスランは目を見張った。隠し武器の色合いが濃いビームブレイドを、初見でこのよう
に防がれるとは予想だにしていなかったのである。
動揺の隙に、逆にキックを貰った。コックピットを衝撃が襲い、ラクスが悲鳴を上げた。
「すまない!」
「いえ、わたくしは大丈夫です。構わずに」
口先では謝るものの、アスランはラクスの了承を得る前に既に攻撃を仕掛けていた。
しかし、どうにも攻撃が当たらない。ウェイブライダーとの交戦経験はあるアスランだっ
たが、モビルスーツに変形したとはいえ、Ζガンダムはパイロットが変わったかのように
明らかに以前とは動きの質が変わっているように見えた。
ラクスはそんなΖガンダムの動きに、不思議と目を奪われていた。その、相手の思考
を見透かすかのような動きの中に、記憶の中の女性の影がチラついたような気がしたの
だ。
「かわすのが上手い!」
「こちらの狙いが読まれているのでしょう」
思わず零したアスランの愚痴に、ラクスは咄嗟に答えていた。
「……あっ」
慌てて口を押さえる。しかし気付いた時には、怪訝そうな顔のアスランがこちらを凝視
していた。
「分かるのか?」
「いえ、何となくそう見えるのです、ああいうステップの刻み方は……」
ラクスは取り繕うように答えて、乗り出した身を引いた。
Ζガンダムにハマーンの幻を見てしまったなどと、言えるわけが無かった。況してや自
分がハマーンに惹かれているなどと言ったところで、理解を得られるわけが無い。それ
に、ハマーンのことは、新たな組織とは無関係なのだから。
しかし、Ζガンダムのパイロットには興味があった。ハマーンと同じ香りがするその人
物を、一目見てみたいという欲求があった。
その望みはすぐに叶えられた。先ほどウェイブライダーから振り落とされていた金色
のモビルスーツが突然間に割って入ってきて、それにカガリが乗っていることが判明し
たのだ。それでΖガンダムが、現在カガリの護衛になっていることも判明して、同士討ち
は回避されたのだった。
一同は合流し、岩場の影に移動して、一先ずモビルスーツを降りた。
「全く、雇い主を放り捨てる奴があるか!」
「代表を庇ったんじゃないですか」
「アカツキの装甲が金色であることの意味は分かってるだろ! それなのに、お前はだ
な――」
カガリは叱り付けながら、Ζガンダムから降りてきた少年にヘルメットを押し付けた。
少年は不服そうにしながらも、カガリには逆らえないらしく、渋々とメットを受け取ってい
た。
「ご無事で何よりで」
「そっちこそ、よく来てくれた」
カガリに語り掛けながらも、ラクスの目はチラチラと少年の姿を追っていた。
その少年を、カガリが改めて紹介してくれた。
「ああ……カミーユ・ビダンだ。元連合軍で、フラガ少佐の部下だった男だ。今は私の
ボディーガードをやってもらっているんだが、こいつの勘は凄いぞ。潜伏していた暗殺者
を一目で見抜いて、殺されそうになった私の命を救ってくれたんだからな! まあ、腕っ
節の方はちょっと――だけど」
「だから、空手はやってたって言ってるじゃないですか! それに、スティングたちと比
べるのは間違ってます! フェアじゃない!」
「……と、こんな感じの奴なんだが、モビルスーツの腕はかなりのものだし、私のこと
もよく守ってくれる頼り甲斐のある奴だよ」
そう言って、カガリは得意気に説明した。カガリにしてみれば、ブランド物のバッグを自
慢するのと同じ感覚だったのだろうが、それを受けたアスランがあまり面白くなさそうだ
ったのが、ラクスには興味深かった。
ラクスは、それとなく視線をカミーユに向けてみた。
カミーユ・ビダンは同年代らしき少年で、中性的な顔立ちをしていた。一見、少しだけ癇
の強そうな何の変哲も無いハイスクールの学生のようだが、その印象は目を合わせた
瞬間に覆った。
「……? 何でしょう?」
ラクスの視線に気付いたカミーユが顔を振り向けた。髪の色と同じ、海のように青い瞳。
それは、宇宙から見る地球の姿に似ていた。
(やはり、似ていますわ……)
ハマーンとは似ても似つかないカミーユの目――ラクスが感じたのは、その視線が持
つ雰囲気だった。見つめられると、心を見透かされるような不思議な感覚したのだ。
しかし、何故かカミーユの視線にはそれほどの魅力を感じなかった。カミーユの視線は、
優し過ぎるのだ。ハマーンのように刺激的でないのが、ラクスにとって物足りなく思えた。
ラクスはカガリとアスランの様子を一瞥した。そして二人が話し込んでいることを確認
すると、カミーユを少し離れたところに誘った。
「付かぬことをお訊ねしますが、カミーユさんは、もしやハマーン・カーン様をご存知で
はないでしょうか?」
思い切って聞いてみた。すると睨んだとおり、途端にカミーユは顔色を変えた。
「どうしてあなたがハマーンを……?」
「目の雰囲気が似てましたから、もしやと思って」
カミーユは露骨に嫌そうな顔をした。ラクスには、そのカミーユの反応が理解できなか
った。
「僕とハマーンは似てませんよ」
「そうでしょうか? でも、言われてみればそうかもしれませんわね」
冗談とも本気とも付かないラクスの発言に、カミーユは眉を顰めた。からかわれている
と思ったのだ。
しかし、ラクスがハマーンと知り合いであることを打ち明けた意味は、何とはなしに分か
るような気がした。ラクスには、おぼろげにニュータイプの雰囲気を判別できるのだろう。
「でも、どうしてそんなことを?」
少し、ラクスに対して興味が出てきた。見た目通りの、ただのお嬢さまではないような気
がしてきたのだ。
ラクスは、カミーユの問いに対して少し間を置いた。その佇まいは、綺麗だと思った。
「……わたくしは、ハマーン様と友人になりたいと思っているのです」
「えっ?」
不意に飛び出してきた驚愕の答えに、カミーユは思わず間抜けな声で聞き返していた。
そんなことを思いつく人間が存在しているなんて、俄かには信じられなかったのだ。
ハマーンを知っている人間なら、誰でもカミーユと同じ反応を見せるだろう。だが、ラク
スはまるで心外だと言わんばかりに微笑んで見せた。
「あら? わたくしは本気ですのよ。孤独は一人では埋められませんもの。そういう人
間が、自分と似た他人を求めるのは自然なことではないでしょうか?」
「孤独……なんですか?」
カミーユが聞くと、ラクスは一瞬だけ表情を曇らせた。にこやかな笑顔は、心に隠した
孤独を悟られないようにするためのカモフラージュ。ラクスは寂しいのだ、とカミーユは
感じた。
「……すみません」
「いえ、いいのです。それは、あの方も同じだからこそ、わたくしを色々と気に掛けてく
ださるのだと思いますから」
カミーユには分かる気がした。ハマーンは、自らを鉄の女にすることで他人を拒絶し続
けていた女傑である。それは、ニュータイプ同士として感応し合ったカミーユさえも拒む
ほど強固だった。
そんなハマーンを慕うラクスである。随分な物好きだと思ったが、それはラクスにとって
自然な感覚なのだろう。茨の道を覚悟しているラクスの表情には、一点の曇も見られな
いのだから。
「……そういう人なんですね、あなたは。納得しました」
言うと、ラクスは秋波を送るような目でカミーユを見た。アイドルをやっていただけあって、
少し心を動かされた。
「あの、理解をいただけたのは嬉しいのですけど……」
「何です?」
「見かけによらず、いやらしい方なのですねカミーユさんは? そうやって、初対面にも
かかわらず、すぐ人の心を覗こうとなさる……」
そう言われて気付く。それは流し目などではなく、軽蔑の眼差しだったのだと。
「す、すみません!」
ラクスには、そういうことを識別できる能力でもあるのだろうか。カミーユが慌てて取り
繕う様を、ラクスはころころと悪戯っぽく笑った。
「そんなとこで何やってんだ、二人とも?」
打ち合わせが終わったらしく、カガリが話し掛けてきた。カミーユは誤魔化すようにパ
イロットスーツの襟を直し、平静を装った。
カガリが歩み寄ってくる。何かを訝しがっている顔つきだ。
「ん? お前……」
嫌な予感がした。カガリは前までやって来ると、カミーユの胸に指を突きつけた。
「ラクスは駄目だからな」
「……狙っちゃいませんよ、別に」
案の定な指摘に、カミーユは目をそばめつつため息をついた。傍らのラクスがクスク
スと笑う。身に覚えの無い濡れ衣は、実に不愉快だった。
「こんな時に、何を馬鹿なことを言ってるんだ」
アスランは生真面目な性格なのだろう。冗談を言うカガリを引っ込めると、アスランは
入れ替わってカミーユの前にやって来た。
「カミーユ君。先ほどは仕掛けてしまって申し訳なかった。……それで、その上で君に
頼みたいことがあるんだが、ラクスも一緒に連れていってくれないか? キラ一人にいつ
までも前線を任せておくわけにはいかないもんだから、俺も戻りたいんだ」
「分かった。ザフトが後退する気配はまだ無いみたいだし、そういうことなら」
「ありがたい。――ラクス」
アスランが目配せをすると、ラクスは一つ頷いた。
カガリが、そのアスランに向き直る。
「アスラン……」
アスランの名を呼ぶカガリの声は、彼女にしては珍しくしおらしかった。女性的というか
何と言うか、そういうカガリを目にするのは初めてで、カミーユは少し意外に思ったので
ある。カガリと言えば、男勝りなイメージしか無かったからだ。
その時、不意にラクスがカミーユの肩を持って、無理矢理にその場を離れるように促し
た。かなり強い力だ。本気で後ろを向かせたいらしい。
「無粋ですわよ」
「え? ――ああ」
それでカガリのしおらしさに合点がいった。つまり、アスランとはそういう関係なのだ。
カガリたちに背を向けて、カミーユとラクスは暫し待っていた。後ろで行われていること
の予想は、大体つく。
「カガリさんのことも、諦めてくださいましね」
ラクスはまたしてもからかうようなことを言う。どうにも大いなる誤解を持たれているよう
な気がして、居心地が悪く感じられた。
カミーユはラクスを横目で見やって、「あのねえ」と口を尖らせた。
「人を“たらし”みたいに言うの、止めてくれません?」
「だって、人の心を覗く目をお持ちのカミーユさんですもの」
「誤解です。僕にはそんなエスパーみたいな真似はできません」
「うふっ。言い訳は、用意しておかなくてはいけませんものね?」
ラクスは後ろを見やりつつ、カミーユをからかう。そうしながら、肩を叩いて二人の抱擁
が終わったことを教えてくれた。
ラクスはしなやかに振り返って歩き出した。翻った髪がカミーユの鼻を掠め、甘い香り
を運んだ。
「いいにおいだ……捕らえどころの無い人なんだろうか?」
ラクスに対するそんな感想を呟きながら、カミーユもそれに倣って振り返る。
カガリもアスランも、既に自らのモビルスーツに向かっていた。
「大体、男と女が一緒にいたからって、必ずしもそうなるわけ無いじゃないか。女って奴
は――!」
言いながらも、間近で見るカガリの美しい顔は、ちょっといいなと思ってしまったことを
思い出す。そのことを忘れるように髪を掻き毟り、カミーユはΖガンダムへと向かった。
カグヤ島のマスドライバー施設である。ユウナは、最初からこの場所に目を付けていた。
ネオたちを引き連れ、そこまでやって来ると、ユウナたちを阻もうとする輩が現れた。ウ
ナトの息が掛かった親衛隊である。
外で待ち受けていた数体のモビルスーツをアウルのアビスに任せ、ユウナは施設の中
に足を踏み入れた。中にも特殊部隊が潜んでいて行く手を阻もうとしてきたが、ネオの華
麗な銃技と、スティング、ステラによる人間離れした身体能力で並み居る敵を排除し、奥
へと突き進んだ。
そして、最奥部に辿り着いた。そこには一機の脱出用シャトルが待機していて、ちょうど
ジブリールが乗り込むところだった。
「奴を止めろ!」
ユウナが咄嗟に叫ぶ。ネオがその声に反応して、急ぎシャトルに乗り込もうとするジブ
リールに照準を合わせ、トリガーを引いた。しかし、弾丸は寸前で間に入った護衛に当た
り、ジブリールはまんまとシャトルに乗ってしまった。
ジブリールの護衛が、襲い掛かってくる。しかし、スティングとステラがそれらをたちどこ
ろに返り討ちにすると、戦闘はあっという間に終息した。
敵が全滅したことを確認すると、ユウナは懐から銃を抜き出しながら前に歩み出た。そ
して素早く構える。照準の先には、父ウナトの姿があった。
「ここまでだよ、パパ」
「ほお、躊躇い無く親に銃を向けるか。いつもの猿芝居は、しないのだな?」
言われると、ユウナは一寸言葉に詰まった。
「……国賊を許すわけにはいかない」
「ふっふっふ」
ウナトは不敵に笑う。ユウナの奥歯がギリッと軋んだ。
「言うようになった。しかしな……ふっふっふ! 手が震えている」
言われて、ユウナは気付いた。銃を持つ自分の手が、カタカタと音を立てて震えていた。
それでもユウナはキッとウナトを睨み、震える手に力を込めた。
「今すぐにシャトルの発進を止めてよ。そうすれば、親殺しをしなくて済むだろう」
「親殺しか……」
ウナトは一寸、ユウナを見る目を細めた。
「お前に、それができるのか?」
「できるさ……国や民を守るのが政治家の務めだ……!」
「フン……」
ウナトは、震えて照準を合わせられないユウナの銃を見て、無理だな、と思った。
「だから、シャトルを止めてよ。本気で僕に引き金を引かせるつもりなの?」
「撃ちたければ撃て。私には、ジブリールに受けた恩を返す義務があるのでな」
「恩……だって?」
ユウナはカッと頭に血が昇るのを感じた。
「ロゴスから金を流してもらっていたことが恩だって言うのかよ!」
罵るような大声で叫ぶ。無性に感情的になっていた。
「そうだ」
しかし、ウナトは動じない。取り乱す息子を、神妙な眼差しで睨みつける。
「結果、オーブは短期間で奇跡的な復興を遂げた」
「でも、それは奴らがオーブを戦争に巻き込む口実を作るためだった! 闇金より性質
の悪い連中の口車に、パパは乗ってしまったんだ!」
「それは、そうだろうがな」
あっさりと認めたウナトが、ユウナには許せなかった。ウナトの口振りを聞いていると、
確信犯的に亡国の策を取ったのではないかとすら思えてきたのだ。
「だが……」と、ウナトは言葉を繋げる。目には、怯まされるような力があった。
「ロゴスの力が無かったら、今頃オーブはどうなっていた? 生活苦に喘ぎ、心が荒ん
だ民はやがて国を見捨てる。それこそ亡国の道だ。そして、その事態を回避するには、
一刻も早い復興策は喫緊の問題だった。しかし、戦後のオーブには、そのような力は残
されていなかったのだぞ? 良き国でなければ良き民は育たぬ。だからこそ、ロゴスの
力は不可欠だった。例え、それが劇薬と分かっていても、頼らざるを得なかったのが戦
後のオーブだ」
「違うだろ! 良き民が良き国を築くんだ! だからこの素晴らしい国はできたんだ!
金の力に頼らなくたって、オーブの民ならばあの難局を乗り切れたはずだ! それなの
に、パパはロゴスを利用したつもりになって、容れモノ(国)の見た目ばかりに現を抜か
した! その結果がこの有様だよ! この国は二年前と同じ轍を踏んでしまったんだ!
主権を踏みにじられようとしているんだよ! パパ! いくらパパが正論を並べ立てても、
パパのやっていることはこの国に対する背信行為だ!」
ユウナは言い切った。ウナトは一寸驚いたような表情を浮かべたが、それを誰にも悟ら
せること無く消し、そして、フフッと笑った。
「愚にもつかぬ幼い論理だな、ユウナよ? 政治をやるには辛い性分だ」
「僕には無理だって言うのかよ!」
「そうだな。本当にお前が向いていないのなら、それを止めてやるのも父親としての責
務だろう」
ウナトは懐に手を差し入れた。ネオがサッと銃を構える。
「しかし、最早お前は私に銃を向けた。その瞬間に、親子の縁は断ち切られたと思え」
「パパ!」
「これが何か分かるか?」
ウナトは箱型の機械を取り出した。ネオがそれを目にして、「まさか……」と呟いた。
「分かっているのなら、直ちにここを出ることをお勧めする。私にこのスイッチを押させ
たくなかったらな」
「そうは!」
ネオは銃の照準を合わせ、ウナトが手に持っているものを撃ち落そうとした。しかし、そ
の瞬間に、ウナトが容赦なくボタンを押してしまった。
「あっ!」
「さあ、これでスイッチが入った。間もなくここは爆破される」
ウナトの言葉を証明するように、施設内にけたたましい警報のような音が鳴り始めた。
地響きのような音も重なって、いよいよ爆発の予感を高めた。
「血迷ったか!」
激昂するネオに、ウナトは不敵な笑みを見せた。
「本気なのか、パパ!」
ユウナは前のめりになってウナトに駆け寄ろうとする。しかし、それをネオが後ろから羽
交い絞めにして抑えた。
そうこうしている内に、とうとう振動が起こり始めた。
「パパもやるのか!? ウズミ様みたいに! 全てを巻き添えにして!」
「愚者は目障りだ。早くその青二才を連れて行け」
ウナトはユウナを無視してネオに言う。ユウナはネオに抵抗したが、軍で鍛えたネオの
腕力に敵うはずも無く、あえなくドアの近くまで引き摺られていった。
「早く早く!」と、ステラが急かす。スティングがドアのロックを解除して開くと、尚も抵抗
するユウナを引き摺り、一同はドアをくぐった。
「ユウナ」
けたたましい警報の中、ウナトは呟くように名を呼んだ。ユウナは、その口の動きでウ
ナトが何かをしゃべっていることを知った。
「青は藍より出でて藍より青し。私を否定したのなら、お前はお前なりのやり方で、出藍
の誉れを手に入れて見せよ」
「パパ!? 何を言ってるんだ、パパ!」
ユウナはウナトの言葉を殆ど聞き取れていなかった。読唇術で、僅かに言葉の断片を
拾ったのみである。
刹那、シャトルのブースターに火が点いた。ユウナとネオが悟ったのは、その時だった。
ウナトが持っていた箱型の機械は爆破装置などではなく、シャトルの発進を遠隔操作す
るための機械だった。
そして、ネオは更に気付いていた。ウナトのスーツの内ポケットには、まだL字型の硬質
な物体が収められていることに。
「年寄りの石頭では、こうするしかなかった……カガリ様、この度の戦禍の原因は、全
て私めにあります。その責任につきましては、死を以ってお詫び申し上げる次第です」
ドアが閉まった。ユウナが最後に見たウナトの表情は、幼き日に見た優しい父の素顔
だった。
数泊後、パァンという銃声が一度だけ鉄の壁の向こうで響いた。
ユウナはがっくりと膝を折り、その場にへたり込んだ。ネオは、そんなユウナに掛ける
言葉が見つからなかった。
ユウナは、やがて徐に口を開いた。
「伝えるんだ……マスドライバーからジブリールが出てくる。そうザフトに教えてやれ…
…」
ユウナは廃人のように力なく呟いた。
その情報は電光石火の速さでザフトに伝わった。そして、全軍に攻撃目標の変更が告
げられたのである。目標、カグヤ島のマスドライバー施設――シンがその命令を受け取
ったのは、疲労がピークに達しようとしていた時だった。
フリーダムとの戦闘はレイと共に優勢に進めていたものの、途中から介入してきたジャ
スティスの出現で、一転劣勢に回ることになってしまった。キラとアスランの熟練したコン
ビネーションに、疲弊したシンとレイは対抗できなかったのである。
作戦目標の変更が告げられると、後退を余儀なくされた。ドム・トルーパー部隊を相手
に苦戦が続いていたシャアやルナマリアなどの上陸部隊もヤラファスからの撤退を開始
し、趨勢は完全にオーブ側へと傾いた。
しかし、ジブリールを乗せたシャトルは一足早くマスドライバーを発し、ザフトが駆けつ
けた時には既に対流圏を抜けようとしていた。ザフトはそれでも追い縋ったが、流石に成
層圏までは追い切れず、またしてもジブリールに逃亡を許してしまったのである。
これに対し、ザフトの旗艦セントへレンズは、オーブの対応に強い不満を表明。オーブ
をロゴスに与する不穏分子と断定し、戦闘の継続を宣言した。
その発表を受け、オーブも強く反発した。そして、損害をこれ以上増やさないための策
として、ドム・トルーパーを中心とした鉄壁の防衛線を敷き、一方で最強の矛であるフリ
ーダムとジャスティスをカウンターとしてザフト陣営に派兵。旗艦であるセントへレンズの
撃沈を指示した。
ミネルバ隊が補給の為に一時帰還していたザフトに、それを阻止することはできず、あ
えなくセントへレンズは沈黙。旗艦としての機能を果たせなくなったセントへレンズに代わ
り、艦隊総指揮を引き継いだミネルバのタリア・グラディスは、ジブリールの確保失敗と
戦況の不利を悟って全軍の撤退を指示。ザフトは公海上へと後退したのである。
シンは、ラウンジで遠くなっていくオーブを見つめていた。結局、シンの気合は空回り。
戦闘は無駄に長引き、カガリの覚悟に屈し、復活したフリーダムにさえ敵わなかった。
力無くソファに座り込む。ルナマリアがそれとなく隣に腰掛けて、横に倒れそうなシンの
身体を抱くように支えた。
身体がだるい、瞼も意識も重い。シンは、そのままルナマリアの柔らかさに身を委ねた。
「いっぱい疲れたものね……」
故郷を攻めなければならなかったシンの辛さを、ルナマリアは分かってあげたいと思っ
た。オペレーション・フューリーに複雑な思いを抱きながらも、シンはザフトとしての責任
を最後まで果たそうとしていた。だからルナマリアは、ボロボロに疲れ果てたシンを、せめ
て女として癒せるだけのことはしてあげたかった。
シンはそのルナマリアの慰めを受け入れた。周囲に人の目があることは分かっている。
それでも、今はただルナマリアの優しさに甘えたかった。シンはルナマリアの胸に顔を埋
め、少し泣いた。
(ゴメン、父さん、母さん、マユ……)
周囲の面々は、誰もそんなシンの姿を見ようとはしなかった。
オペレーション・フューリー後、ジブリールを匿ったオーブを非難する論調が立つ一方
で、ザフトのオーブ侵攻はやり過ぎだったという非難の声も少なからず上がっていた。オ
ペレーション・ラグナロクで轡を並べた東アジア共和国でさえも、オペレーション・フュー
リーには懸念を表明。打倒ロゴスのムーブメントで、一時的に下火になりつつあったコー
ディネイター脅威論が再燃する気配を見せていた。
ジブリールを捕まえられていたなら、結果はまた違ったものになっていただろうとデュ
ランダルは思う。しかし、現実にはジブリールに遁走を許し、行方を見失った。フリーダム
とジャスティスに加え、かつてミレニアムシリーズのコンペで落選したはずのドムの改良
機で構成された謎の部隊の介入があったとはいえ、やはり何一つとして成果を上げられ
ずに悪印象だけを残す結果となってしまったのは痛かった。
それに、オーブは既にジブリールの逃走を幇助した人物を公表し、粛清を済ませた旨
を発表していた。そして、それに乗じる形でオペレーション・フューリーが明確な侵略行為
であったことを主張し、プラントを痛烈に批判する声明も併せて発表していた。この主張
に、再燃する気配を見せつつあったコーディネイター脅威論が後押しをして、世論が反コ
ーディネイターに靡きつつあった。
プラント最高評議会は、その対抗策を迫られていた。
「何も焦る必要はない。我々は、我々の正当性を主張すれば良いだけの話だ」
デュランダルが投げ掛けた視線の先には、ラクスの姿があった。
評議会議員の中には懸念を示す声もあったが、デュランダルの主張は概ねで了承さ
れた。
そして、全世界に向けたデュランダルの演説が始まった。
「全世界の皆様、プラント最高評議会議長のギルバート・デュランダルであります。こ
れから少しの間、我々の主張に耳を貸していただきたく、お願い申し上げます。地球の
皆様におかれましては、過日、ザフトが遂行したオペレーション・フューリーに対する様
々な見解や憶測をお持ちになられていることかと存じます。しかし、ご理解をいただきた
いのは、我々は常にロゴスの打倒を目標に行動しているのだということであります。これ
は、声を大にして言いたい! 我々は世界の安寧を目指して行動しております。それ以
上の目的はありません。地球の皆様方が抱いていらっしゃる不安や懸念が、全くの杞憂
であることを、最高評議会議長の名に懸けて保障いたします。我々は世界から戦争を無
くすために戦っているのですから。そして、その先にはコーディネイターとナチュラルが
共存していける輝かしい未来が待っているはずなのです。ですから、強くお願い申し上
げたいのは、我々が地球を侵略しようとしているなどという、そういったつまらないゴシッ
プには惑わされないよう、ご注意いただきたいのです」
「私たちの主張がゴシップだと!」
スタジオにカガリの甲高い怒声が轟く。デュランダルの演説放送を観ていたカガリは、
その言い回しに強い憤りを示した。
「平和的解決もできない男が、何を根拠に!」
「落ち着きなよ、カガリ。みっともないよ」
取り乱すカガリを、ユウナが窘める。
オーブ内閣府では、政見放送の準備が進められていた。カガリはそのスタンバイ中だ
った。
「あんな勝手なことを言われて、お前は悔しくないのか!」
「そのための電波ジャックだろ? 安い挑発なんかに乗るんじゃないよ」
食い下がるカガリを、ユウナは軽くあしらう。その時ドアが開いて、一人の少女が機材
の間を縫ってカガリたちのところにやって来た。しゃなりしゃなりと歩くその姿には、気品
が溢れている。
「弟子入りでもしたらどうだい?」
少女を指差して嫌味っぽく言うユウナに、カガリの怒りのローキックが炸裂した。
「――残念ながら」
腿を押さえて悶絶するユウナを尻目に、カガリは視線を画面へと戻した。画面の中のデ
ュランダルは、何食わぬ顔で演説を続けている。
「オーブにジブリールが潜伏していたことは事実であります。そして、結果的に彼はオ
ーブのマスドライバーを使い、宇宙へと逃亡を果たしました。その行方は未だ掴めず、
現在も八方手を尽くしている最中であります。――オーブの主張によれば、閣僚の中に
内通者がおり、その者が独断で逃走の手引きをしていたとのことですが、そのような理
屈が果たしてまかり通るものでありましょうか? 既にその者は粛清されたと聞きます。
しかし、これはそれで済む話ではありません。ジブリールを逃がしてしまったのですから。
オーブの国家元首カガリ・ユラ・アスハ氏は、つい最近まで誘拐事件に巻き込まれてお
り、事実上、その地位は空位状態にありました。では、その愚かな閣僚をのさばらせた
元首の責任は、それ以前に国家元首の誘拐などという前代未聞の失態を犯した国の責
任はどうなるのでしょう? これは、一個人の独断によるものとして処理して済む問題で
はないのです。付け加え、ジブリールの引き渡しの要求をしたザフトに対するオーブ側の
対応にも疑問が残ります。何故、オーブは自らの力だけで問題の解決に当たろうとした
のでしょうか? 我々には、ジブリール確保のために協力する準備がありました。しかし、
オーブは何の根拠も無く我々の行動を侵略行為と決め付け、あろうことか攻撃を仕掛け
てきたのです! 戦闘行為は止む無く起こりました。そして、その結果、ご周知の通りジ
ブリールの逃亡を許してしまったのです。私は、これらを鑑みる限り、オーブという国そ
のものがジブリールに加担していたのではないかと疑わずにはいられないのです」
カガリは堅く拳を握り、歯を食いしばっていた。そんなカガリの肩に、ユウナは手を置い
た。
「調子に乗って大きく出過ぎたね。奴の主張には見え透いた嘘がある。カガリ、君はど
っしりと構えているんだ。デュランダルのメッキを剥がしたいのならね……」
「しかし、お前……」
世界放送でオーブを侮辱されただけでなく、肉親を愚かと罵られて虚仮にされたのに、
ユウナはどうしてこんなに落ち着いていられるのだろうと思った。悔しくは無いのだろうか。
「タイミングがある。奴の化けの皮を剥がすのに最も適したタイミングというものがね…
…」
カガリの肩を掴む手に力が入る。歪なユウナの笑みが、彼の怒りがいか程であるかを
カガリに思い知らせた。悔しくないはずが無いのだ。ユウナはただ、為政者としての姿勢
を保っているだけだ。
そして、そのタイミングがやって来る。デュランダルの傍らに、ラクスが現れたのである。
スタジオの空気が、一瞬にして張り詰めた糸のような緊張感に支配された。
「出てきたな――電波ジャック、いつでも行けるね?」
ユウナはカガリの肩から手を離し、スタッフに合図を送った。
画面の中では、ラクスが朗々とした声で滔滔と言葉を紡いでいた。声も調子も、よく研
究してある。殆どの人は彼女の素性に疑いを持っていないだろう。そして、その柔らかく
説得力のある語りに、人々は一時的に魅了されることだろう。
「だが、デュランダル議長、そろそろ馬脚をあらわしてもらうぞ」
カガリは傍らに控えている陣羽織の少女に目線をくれた。その少女は、画面の中の自
分をジッと見詰めていた。
「――思い起こしてください。二年前にも、わたくしたちは悲惨な戦争を経験しました。
父を、母を、兄弟を、友人を、恋人を失いました。わたくしたちは、同じことをこれからも繰
り返していくのでしょうか? ――いいえ。わたくしたちはもう、その無限回廊からは抜け
出さなければなりません。人々が悲しい思いをする戦争は、未来永劫なくすべきです。
平和な世界を、平和な時代を求める皆様の声を聞かせてください。こちらにいらっしゃる
ギルバート・デュランダル議長が、それをして下さいます。ですから皆様、最後までデュ
ランダル議長を信じて――」
ラクス――ミーアが言葉を締めようとした時だった。突如画面が乱れ、俄かに撮影スタ
ッフたちが騒ぎ始めた。ミーアはその様子に動揺して、思わず言葉を切ってしまった。
「何事だ!」と、デュランダルがディレクターを呼んで確認を取った。だが、次の瞬間、
急に画面が回復したかと思いきや、何故か自分たちが小さなワイプの中に追いやられ
て、代わりにメイン画面の方にはカガリと陣羽織の少女の姿があった。
「何故、今頃……」
デュランダルが誰にも聞こえない声で呟く。
ミーアはその姿に激しく動揺し、絶句した。自分はもう終わりだと思った。
本物のラクス・クラインが、長き沈黙を破って遂に表舞台へと返り咲いたのである。
「その者の言葉に惑わされてはなりません」
そのたった一言が、ミーアにとっては死刑宣告に等しかった。
演説を見守っていた人々の間から、一斉に戸惑いが広がった。同じ時間、違う場所に
二人のラクスが存在しているのである。録画じゃないのか、と疑う人もいた。しかし、大部
分はそれがリアルタイムの映像であることを分かっていた。
どちらかが偽者なのだ。そして、それは明らかに狼狽しているデュランダル側のラクス
を見れば、一目瞭然だった。
デュランダルはミーアに堂々としているように言ったが、ミーアは動揺を抑えきれず、落
ち着きの無い様子であちこちに救いを求めるように首を振っていた。
「ここまでか……」
デュランダルは仕方なく放送を打ち切るようにスタッフに指示した。
画面からはすっかり自分たちの姿は消えた。デュランダルが仕掛けた世界演説は、今
やラクス・クラインの独壇場となってしまっていた。
「わたくしの偽者を弄するデュランダル議長の言葉に、どれだけの真実がありましょうか。
偽りを弄する者の言葉は、やはり偽りでしかないのです。それを証明するように、議長の
お言葉には偽りが含まれておりました。先に仕掛けたのはオーブではありません。ザフト
なのです。そして、ザフトはロード・ジブリールが脱した後も、オーブをロゴスの茶坊主と
貶め、攻撃を続けたのです」
画面にはオペレーション・フューリーの開戦当初の様子が映され、ラクスの言葉の根拠
となった。
カガリが後を継ぐような形で口を開く。
「こちらのラクス・クラインが本物であることは、カガリ・ユラ・アスハの名に懸けて保証す
る。デュランダル議長が彼女の偽者をでっち上げたのは事実であり、現に既に画面から
消えていることからも明白だ。そのようなデュランダル議長の言葉に、どれほどの正当性
があるのか、聡明なる視聴者諸氏にはお分かりいただけるものと思っている」
柔らかくもはっきりした口調で話すラクスに続き、少し熱のこもった力強い語り口でカガ
リが視聴者に呼び掛ける。
そして、再びラクスが口を開く。
「デュランダル議長の志は立派なものかもしれません。しかし、偽りを弄するようなやり
方が、果たして本当に世界に平和をもたらしてくれるのでしょうか? プラントはわたくし
の故郷ではありますが、今の最高評議会には疑問を抱かざるを得ません。現に、世界
は今、荒廃しつつあります。一部の人間を悪役に仕立て上げ、それを打倒することを目
標にして結束を煽った結果が、この退廃的な風潮の世の中なのです。省みましょう。皆
様が望む平和は、どのような世界ですか? その世界は、このような暴力で得られる世
界ですか? 暴力によって生まれた憎しみは、いつ消えるのですか? 憎しみはあなた
を幸せにしてくれますか? ――もう一度、考えましょう。わたくしも一緒に考えます。そ
して、本当に皆様が幸せになれる世界を……わたくしは、そのために戦いましょう」
ラクスは、そう言葉を結んだ。
暴かれたミーアの正体とデュランダルの手口。地球側のプラントに対する不信感を払
拭するために行ったはずの演説は、カガリとラクスの乱入によって、余計にその不信感
を煽っただけという皮肉な結果に終わってしまったのであった。
「――確かに、最近雰囲気が変わったとは思ってたけど、まさかなあ……」
ミネルバでも波紋が広がっていた。中にはオーブにいた方が偽者ではないのかと言う
者もいたが、そう主張する人間はほんの一握りだった。
そして、俄かにデュランダルに対する不信を口にする者も現れた。偽者を捏造したの
は、何かやましいことをしようとしているからではないかと言い出したのだ。
「ラクスが本物かどうかなんて、関係ない」
そんな中、一人声を張り上げる人物がいた。レイである。
「ラクスが言うことは絶対に正しいのか? ラクスが言うことだから、間違い無いのか?」
一同は驚いて固まっていた。これほど大きな声ではっきりと皆に呼び掛けるレイは、見
たことが無かったからだ。
レイは、驚く一同を見回して続けた。
「デュランダル議長は間違っているのか? その命令で動いている俺たちは、間違った
戦いをしているのか? 俺たちは、地球を侵略するために戦っているのか? ――違うは
ずだ。俺たちは世界から戦争をなくすために行動している。そして、デュランダル議長も
そのために骨を折ってくれているのを、みんなも知っているはずだ!」
「じゃあ、ラクス・クラインの偽者をでっち上げたのも、何か考えがあってのことなのか
よ?」
ふと、ヴィーノが訊ねた。レイはヴィーノに「勿論だ」と答えると、再び一同に目を配った。
「そもそも、何故ラクスはオーブに与しているんだ? オーブがジブリールを匿い、逃が
したのは事実だ。なら、そのオーブに肩入れするラクスこそ、真に軽蔑すべき対象じゃな
いのか?」
ラウンジは静まり返っていた。ラクスに対する辛辣な評価に対してではない。
「ちょっと、言い過ぎなんじゃねえの……? 言ってることは分かるけど……」
遠慮がちなヨウランの声に賛同する者もいたが、レイの言葉を否定する者は誰もいなか
った。言い過ぎでも、それは正しいものの見方であると皆が納得しているからだ。
だが、戸惑いが消えることは無かった。当然だろう。それまで本物だと信じて疑わなかっ
たラクスが偽者で、しかも本物のラクスは敵対関係にあるオーブに与しているのである。
その衝撃はなまじではなかった。
しかし、レイにとってはこれで十分な成果だった。デュランダルに対する不信は、ラクス
に対する嫌疑に転化されたのだから。
シャアは、普段は大人しいレイが、なぜ急に雄弁に語り出したのかは分からなかったが、
それ以上に画面が消える直前に映っていた酷く狼狽した様子のミーアのことが気掛かり
だった。
(自暴自棄に陥らなければ良いのだが……)
ジブラルタル基地で自らの正体を打ち明けた時の涙が、忘れられなかった。ラクスに成
りすましていることで自分が勘違いしていくことに強い恐怖を抱いていたミーアである。今
回のショックで、情緒不安定に陥るのではないかと心配していた。
しかし、地球とプラントとで離れていては、シャアは何もできない。そして、例え会えたと
しても、気の利いた台詞を言うこともできそうに無い。
(情けないことだ……)
シャアは、そんな自分の甲斐性の無さを恨めしく思った。
続く
二十四話は以上です
乙です!