我々は
>>1が何故このようなをスレをたてたのかという疑問を解決するため、
>>1の故郷である鳥取に向かった。「まだ日本にこんなところがあったのか…」
思わず口に出てしまった言葉を同行した友人に失礼だと咎められた。
小人が住むような小さな家、ツギハギだらけの服を着る農夫たち、そして
彼らは余所者で身なりのいい我々を監視する様に見詰めている。
高度成長だの、神武景気だの、オリンピックだので浮かれていた我々は改めて
鳥取の現状を噛み締めていた。ボロ屑のような家に居たのは老いた母親一人
我々を見るなり全てを悟ったのか、涙ながらに「息子が申し訳ありません」と
我々に何度も土下座して詫びた。我々はこの時初めて
>>1を許そうと思った。
誰が悪い訳ではない、鳥取の貧しさが全て悪かったのだ。
我々はいらないと固辞したが、記者の母親が「ぜひ、お詫びに」と差し出した
鳥取砂丘の砂と白兎海岸の砂と弓ヶ浜の砂の詰め合わせセットを、
これは我々にとっては無価値でもこの母親にとっては月収の何か月分なのだろうか、
などと思いつつも、土下座しながら「ぜひ、お納め下さい」という母親の勢いに負け受け取り、
それを米子で車の窓から捨て、
打ちひしがれながら松江へと帰路についた