「ねぇ、君…最近、この辺りで人殺しがあったって知ってる?」
OL風の女性が、連れに向かってそんな話を振る。わざとらしく潜められた声はふざけた様な響きを帯びているが、その顔は少なからぬ怯えを表してもいた。
「えぇ…そうなんですか?怖いなぁ…」
柔らかな表情を曇らせた少年が、彼女の“今夜の”連れだった。端正な顔立ちで、しかしまだ幼いとさえ言える風貌。
「だよねぇー。それにさ、その手口がまた酷くってさぁ」
耳元に唇を近づける。ささやきと共に、熱い息が吹きかかるほどの、至近距離だ。
「えぇー!そ、それって本当なんですか?信じられませんよー」
「ホントだって!私の友達の知り合いが見たって言ってるもん!」
彼女自身は、その人物に会った事は無いに違いないが、噂話とは得てしてそのようなものだろう。それに、そんなことをわざわざ指摘する奇特な人物は居ない。
道行く誰もがお互いに無関心と不干渉を決め込んでいる。そのおかげで、人が溢れる夜の雑踏の中、二人はしっかりとプライベートな空間を作っていた。
「お姉さんも気をつけて下さいね…きっと狙われちゃいますよ?」
「だーいじょうぶよぉ。そしたら君に守ってもらうからぁ!」
そういって、媚を含んだ表情でしなだれかかる。少年は、すこしばかり苦い愛想笑いを浮かべながらも、邪険な態度は取らなかった。
「あぁー…ちょっと酔っぱらっちゃったかなぁ…ねぇ、少し休んで行かなぃ?」
「うーん…でも、僕、門限とかありますし…」
それを聞いて、彼女はケタケタと笑った。
「またまた良い子ぶっちゃってぇー!門限なんて守ったって、あんな悪い事してるんじゃ意味無いじゃーん?!」
「あれはお姉さんが無理矢理進めるからですよぉ…僕、ホントはお酒苦手なんですよ」
「うそだぁ。君、すっごい酒豪だもん。ぜったい鍛えてるって感じ!」
そうして、ぐいぐいと少年の手を引っ張る。少年の抵抗も形ばかりの物だった。
「ほら、お姉さん、もう歩けなーい…だからあっちで少し休もうよぉ…」
「しょうがないなぁ…判りましたよ。レディーを一人にさせちゃ悪いですから」
しれっとした顔でそんな事をいう少年に体重を預けながら、彼女はうっとりとした表情を浮かべている。
「君、見た目はなよっとしてるのに、けっこう良い身体してるわねぇ…」
「ひどいなぁ…なよっとなんてしてないですよぉ」
「ごめんごめん…カワイイのよね。ホント、ちょっと嫉妬しちゃうくらい、綺麗な顔してるんだから…」
「お姉さんのほうが可愛いですよ…っと、年上の人に可愛いとか言っちゃ駄目ですよね」
「いいよ、いいって…君なら許してあげる……それに、さ…」
煩いくらいだった彼女の声が、憂いを帯びたものに変わった。少年がのぞき込んだその瞳は、光を反射してかすかに揺らめいている。
「君、あいつと違って優しいしね……」
そう言って笑う彼女。しかし、笑みを形作っているのは紅をさした唇だけ。頬には、ネオンの輝きを受けて涙がきらめいている。
少年はそっと身体を寄せて震える肩を包みこむと、とびきり優しい微笑みで涙をぬぐった。
「僕なんかが言うのも何ですけど……きっと、お姉さんの彼氏さんも、本当は貴方の事を大切に感じてると思います。ただ、その表し方がほんのちょっとだけ、上手じゃ無いんですよ」
「……君に……君に何が判るのよ?あいつのことなんて何にも知らない癖に…」
「判りますよ……だって、あなたがそんなに寂しい顔をするんだから」
彼女の瞳が、ふるり、と揺れた。そのまなざしに映るのは、慈しむような少年の顔。
「ね、そうでしょ?」
「…うん……そう、そうかもね………そう思う?」
もちろん、と少年は頷いた。彼女の瞳はまだ寂しい光を宿していたが、その頬はすこしだけ暖かな表情を作る。
「…ありがと。何か、この辺がすっごく楽になった」
「いいえ、どういたしまして。お姉さんの気分が晴れたなら、僕も嬉しいですよ。じゃあ…僕はこれで…」
しかし、彼女はいっそう強く少年の腕を抱え込む。
「ね…ごめん。今日だけは一緒にいてくれないかな…私、わたしさ……軽い女だって思うかもしれないけど…」
「……そんな事無いですよ。お姉さんがそれでいいなら、僕も…」
ふたりはしばらく照れた顔をつきあわせて、それからくすくすと小さな笑いを浮かべた。
「私、君にあえて良かったな…」
そういいながら、彼女は再び少年に身体を預ける。その表情は、穏やかで、幸せそうだった。
「僕も……貴方みたいな人を見つけられて嬉しいです」
少年の端正な顔に浮かぶ穏やかで柔らかい笑み。誰もが目を引きつけられずには居られない笑みだった。
そしてそれは、彼の瞳に秘められた色彩を、誰の目からもカモフラージュしているのだ。
「「ええええええぇぇぇぇぇぇっっっっっ?!」」
マユとルナの黄色い悲鳴が綺麗に重なって、リビングに響き渡る。
声こそ上げなかったが、ギルとタリアの夫妻も驚きの表情を隠しきれない様子だった。ただ一人、レイだけは僅かに眉を寄せただけでほとんど表情を変えない。
一同の視線の先、目を伏せ俯いたステラは、僅かに頬を赤らめてもじもじしている。身に纏っているのはタリアのTシャツとジーンズで、少しぶかぶかだった。
「お、お、おおおお……お兄ちゃんに助けてもらったって、ど、どういうこと?!」
思わずステラに詰め寄り、その肩を掴んでマユは叫んだ。ステラは別段驚いた様子も無く、何故か一層頬を赤らめながら、ぽつぽつと語る。
「だからね…シン、ステラの事、守るって…それで、守ってくれたの…だから、ステラの今日は、シンから貰ったの」
ステラの言葉は相変わらず要領を得ない。もどかしさに思わずうなり声を上げるマユに代わって、ギルが落ち着いた口調で問う。
「ううむ…ステラ君といったね、君はシンに会った事があると。それはいつ頃の話だね?」
「うん…もう、一年くらい前……ステラ、死んじゃうところだったの…」
少し俯いて、ステラは自分の肩を抱いた。潜めた声にも恐れが混じっている。
その様子を見たマユは、あんなに強いステラでも怯える事が有るのか、と少々意外に思う。
「ふむ。それを助けたのがシンだと?」
「そう…シン、命がけでステラのこと、守ってくれた…だから、ステラも、マユを守るの…」
マユに向けられた眼差しは暖かく、それでいて強い。先程見せた弱さを感じさせないものだった。
「ちょっと待って。じゃあ、シンは?シンは今どうしてるの、ちゃんと生きてるの?!」
ルナがきつい口調で割ってはいる。
「シン…今も戦ってる…あいつらと」
応えながら、ステラは少し険しい目つきでルナを見つめ返した。ルナは尚も食い下がる。
「戦ってるって…何言ってるのよ、あいつは普通の学生で!」
「ちがう」
いままでの茫洋とした口調とは違う硬質なステラの言葉に、マユは肝がひやりとするのを感じた。
一同の表情にも、彫像の様なレイを除けば困惑と僅かな恐れが見えるようだった。
「シンは戦士。みんなを守る戦士」
きっぱりと言いはなったステラの瞳は、戦いの時の色を宿している。冷徹で、密やかな殺気を湛えた刃の鋭さ。
部屋の空気がぴんと張りつめ、マユは息苦しさを覚えた。いつの間にか、皆が呼吸さえ止めている。そんな静寂を、ギルの咳払いが破った。
「なかなか難しい話のようだね……だが、そろそろ時間も遅い。君たちも疲れているようだし、今日の所はこの辺にしておかないか?」
時計の針は9時を指している。
怪我こそ無いがボロボロになっていた三人が公園から帰ってきて、小一時間と言ったところで、たしかにマユもルナもくたくただった。
「いえ、でももっと確かめたい事が…」
ルナはそう言ってステラに向き直ったが、その表情はみるみる呆気にとられたものへと変わった。視線の先を見たマユも、ルナと同じような表情を浮かべてしまう。
「…寝てる」
さっきまでの鋭さはどこへやら、ステラは柔らかなソファに身を沈め、丸くなって安らかな寝息を立てていた。脱力するマユとルナを尻目に、ギルはくっくっと小さく笑っている。
「ずいぶんと変わった娘だね…が、そう悪い子でも無いようだ。何より、マユを助けてくれたのだから、そのことには感謝しなければいけないね」
「はい。マユとルナマリアの話が本当なら、彼女が居なければ大変な事態になっていた所です」
「あなたたち、よくもこんな突飛な話を簡単に受け入れられるわね…まあ、確かに、それが本当ならお礼の一つもしなくちゃいけない所だけど…」
父と息子のやりとりにため息をついて、タリアは腰を上げた。
「とにかく、ベッドで寝かせてあげなくちゃね。それから、みんなお腹減ってるわよね。ご飯にしましょ。ルナ、あなたも食べていく?」
「い、いいえ…お気持ちは嬉しいけど、帰ります。もう時間も遅いし、父も母も心配してるみたいですから……」
ルナはステラの寝顔を複雑な面持ちで見つめていたが、一つため息をついて腰を上げた。
街灯が点々と照らす通りを、ルナとレイの二人は無言で歩いている。
若い娘一人では危ないと送っていく事を申し出たギルに、ルナは大袈裟だと言って断ったのだが、レイはそれを静かな調子で押し切って付いてきたのだった。
影が伸び、縮むのを繰り返しているのをぼんやりと眺めながら、ルナは知らずにため息をついていた。
「ルナマリア、何を気にしているんだ」
二つの靴音だけがこつこつと響いていたところに、静かな声が割って入った。ルナは隣を行く同級生をちらりと見やるが、レイは相変わらずの無表情で前方に視線をやっている。
本当に言葉を発したのか思わず不安になるようなレイの態度で、これが普段通りと知っているルナでさえ、時折戸惑わずには居られない素っ気なさだった。
「……別に、何にも気にしてないわよ」
ルナも前を向いたまま応える。が、声が少し不機嫌になってしまうのは、どうしても止められなかった。
「…あの娘がシンの事を知っていたのが気に入らないのか。それとも、彼女がマユを救った事が嫌なのか」
「な、なに言ってるのよ!マユを助けて貰って、嫌なはずなんて無いでしょ!!」
レイは、つとルナの顔を見据える。
「図星を付かれたときの癖だな。そうやって声を荒げるのは」
「そんなこと…」
「お前がどれほどマユを大切にしてきたかは、この二年間で俺もよく判っている。そこへ横からあんな娘が割り込んでくれば、心が乱れるのもやむをえないだろう。それが人情というものだ」
まさかレイから人情などという言葉を聞くとは思わず、ルナは言い返すのも忘れてしまった。そのまま歩みを止めたルナに、レイは身体ごと向き直り、続けた。
「しかし、お前達を襲った怪人の様な存在が、もしかしたらまた現れるかも知れない」
「え…?」
レイの声は抑揚を欠きながらも、妙に確信に満ちているように聞こえた。
「その時、マユを守るための力は必要だ。そして今、マユを守れるのは、あのステラという娘の力だけだろう」
「それは…そうだろうけど……何でそんな事言うのよ。あんな奴らがそう何度も…ってちょっと、待ちなさいよ」
再びつかつかと歩み始めたレイに、慌てて追いすがるルナ。レイはそれに一瞥もくれずに、淡々と続けた。
「あの娘は、あいつらという言葉を使った。ならば、怪人は複数居るということだろう。それに…」
珍しく言いよどむレイを、ルナは少々苛つきながら急かす。
「それに、何?らしくないわよ、はっきりしなさい」
「…いや、ただの勘だ。根拠は無い」
「……ふぅん……ただのカン、ね…」
レイは何か隠していると、ルナのカンは告げていた。が、ここでそれを追求しても、レイは何も言わないだろう。それは、数年来の付き合いのある友人の事だけによく判っている。
「…あたしは別に…マユのために、あたしに出来る事をやるだけよ。あの娘なんて関係ない」
自分に言い聞かせるように呟きながら、その声がどこか沈みがちになることが、ルナには腹立たしかった。
さわやかな朝の日差しの中、明るい少女達の声がそこかしこで弾けていた。
「メイリンちゃーん、おっはよー」
「あ、マユちゃん!おはよー」
ロングヘアーを揺らしながらマユが駆け寄ると、可愛らしくまとめたツインテールを揺らしながら振り向いたメイリンが手を振りながら応える。
メイリンは中等部の生徒で初等部のマユにとっては先輩なのだが、ルナの妹という事もあってお互いに堅苦しい事は抜きの間柄だった。
今日もかわいいねー、などと年頃の女の子にはお約束の会話を繰り広げた二人だが、メイリンは何かを思い出したように不意に表情を曇らせた。
「ねぇねぇマユ、昨日おでかけした時に何かあった?おねえちゃん、なんだか知らないけどすっごいグッタリして帰って来てさぁ…」
「あ、あは、あははは…別に何にも無いよぉ…やっだなぁ!」
思わず声が裏返る。まさか本当の事を言う訳にもいかず、引きつった笑いで誤魔化すマユに、メイリンは訝しむような拗ねたような顔を見せたあと、ちらりと後ろを振り向く。
「おねえちゃんもさぁ、何にも教えてくれないのよねー。様子も変だし」
「あ、ルナ居たんだ。おはよ…う…」
「…居るわよ…おはよ」
ルナは何やらどんよりとしたオーラを纏い、壁に手を突いて俯いていた。その様子を見たマユとメイリンは思わず手を取り合い、三歩ほど後ずさってしまう。
「ちょ、ちょっと…どうしたのルナお姉ちゃん?」
「いや…なんて言うか…夢見が悪いっていうのかなぁ…すっごいヤな夢見た気がするんだけど全然思い出せなくって」
道行く通学生にじろじろと眺められている事を気にするでもなく、ルナは二日酔いさながらのフラフラした足取りで近づいてくる。
「ほ、ほらねぇ…朝からずうっとあの調子よ?変でしょ絶対?!」
マユの後ろに身を隠しながら…実際はさっぱり隠れていないが…メイリンは密やかな声で言う。マユはこくこくと小刻みに何度も頷いた。
『あ、もしかして昨日の事がまだショックなのかな…』
怪人に襲われ、不思議な少女…いや、戦士に救われるという非常識な経験をした割りに、マユは何故かさしたる動揺も感じなかったが、普通の神経の持ち主なら参ってしまって当然だろう。
「ねえ、本当に大丈夫?ルナ…昨日の事で何か…」
密やかな声を聞かれないようルナに近寄ったマユは、そのまま何気なく彼女の額に手を触れる。
その瞬間、得体の知れない黒いイメージの奔流と、音叉を弾いたような高く澄んだ音色が響くのを感じ、マユはびっくりして手を引っ込める。
見れば、ルナも指先が触れた場所を抑えながら驚きの表情でマユを見下ろしていた。
「…今の、何…?」
「わ、わからないわよ……あ、でも、それ……」
マユの胸元にある首飾りが微かな光を放っている。朝の日差しに照らされているのかと思って手で影を作ってみるが、その青光はやはり内側から漏れているのだった。
小中高、各学部の生徒達が思い思いに過ごす昼休み。
うららかな日差しの下、マユはルナやメイリンと共に芝生の上でお弁当を広げていた。
「でねー、その転校生の子、すっごくきれいな顔してるのよー!ホント、男の子とは思えないくらい…それにね、ピアノがすっごい上手で、おまけに振る舞いも優雅でね、まるで王子さまみたい…キャ♪」
「…あんた、ほんっといい男に目がないわね……はぁ」
乙女チックに瞳をウルウルさせ、頬を赤らめ、黄色い声を上げ、身体をモジモジとくねらせ…と、とにかく姦しいメイリンを横目に、げっそりとした顔のルナが盛んにため息をついている。
倒れそうな顔をしていた今朝に比べれば顔色も良いようでマユは安心したが、あの不思議な体験をルナはどう思っているのか、それが気がかりではあった。
ルナもそれに触れる事はなく、二人の間にはなんとはなしに微妙な雰囲気が漂っていたが、メイリンはそんなことはお構いなしの様子である。
「…でねー、なんと、今度みんなのリクエストに応えてピアノを弾いてくれるんだってー!マユちゃんも一緒に来ない?」
どこまでも脳天気な調子のメイリンに対して、マユは微妙にはにかみながら言葉を濁す。
「んんん…でも中等部でやるんでしょ?マユ、ちょっと行きづらいなぁ」
「やーん、そんなこと無いよぉ!マユも今度から中等部なんだし、下見になって良いってばぁ。だから絶対来た方が良いよ!」
「…あんたねぇ、マユを変な事に付き合わせるのや・め・な・さ・い・よ?」
こめかみを押さえて妹の暴走に耐えていたルナだが、やがて我慢しきれなくなったのか、威圧的な笑みとを浮かべるとメイリンの頬を容赦なくつねりあげた。
「ひゃ、ひゃえて!いひゃい!いひゃいっひぇはっ!」
「ちはーっす…って、ちょっとルナさん、何やってんすか?」
中等部の制服を着た二人組の男子がおそるおそるといった様子で挨拶をしてくる。メイリンの同級生でマユとも顔見知りのヨウランとヴィーノだ。
二人に気づいたルナは、ぱっと手を離すといつものような快活な笑みを浮かべる。
「ああ、気にしないで、ちょっとこの子が馬鹿な事ばっかり言うモンだからね?」
「ちょっとお姉ちゃん、酷いじゃないの!あたしが何時馬鹿な事なんて言ったのひょよぉ!」
再びメイリンが涙声になる。さっきとは反対側の頬を捉えたルナの呆れるような早業に、マユはひたすら目を丸くするしかなかった。
「今!たった今言ってたでしょ!いい、そんなつまんない事でマユを引っ張り回したりするんじゃ無いわよ!」
「ちょ、ちょっとルナさん、メイリンが可哀想ですよ!早く離して!」
慌てて割ってはいるヴィーノに苦笑いのような表情を見せたルナは、最後に強くひとつまみしてから指先を離した。
「な、何なんすか一体?ケンカ?」
「まっさかぁ…この子のいつものビョーキよ。ほんっと呆れちゃう」
「病気ってなによぅ!お姉ちゃんこそニコル君の事、なーんにも知らない癖にー!」
メイリンがその名を口にした途端、ヴィーノは肩を落とし、ヨウランは肩をすくめる。ルナはそんな下級生たちの様子を見て、やれやれとため息をついた。
「ニコルって言うの、その転校生さん?」
だれも返事をしないので、マユは気乗りしないのを抑えてメイリンに尋ねる。案の定、待ってましたとばかりに食いついたメイリンは、腫れたほっぺも何のその、転校生の魅力を熱っぽく語り出した。
「そうなの!ついこの間転入してきたんだけどね、もう本当に素敵なんだから!マユも一度あってみたいでしょ?ね、ね!」
「あ、あう…」
ガクガクと肩を揺すられ目を回すマユには気の毒だが、メイリンの事はしばらく放っておくしかないと判断したルナはそっとヨウランに尋ねる。
「…ねぇ、そんなにカッコイイわけ、その転校生って?」
「まあ、そうっすね…でも格好いいって感じじゃないかな。美形というか…」
「かわいい?」
「そう、そんな感じですよ、いつも笑顔で物腰も柔らかですしね。いわゆる美少年ってやつ?」
そう言うヨウランの顔は妙に渋い。ふぅんと気のない返事をしたルナは、少し声を潜めて続けた。
「…その子のことで、何か気に入らない事があるでしょ?」
「え?!いや………まあ大した事じゃないんですけど…なんか、目つきがね」
そこで視線を下げて口をつぐんだヨウランは、次の言葉を口にすべきか否かを迷っているように見える。
ふと顔を上げると、ルナがじっと見つめているのに気づく。その視線は、彼女自身も気づかぬうちに微妙な緊張感を孕んでいるようであった。
「何でも良いのよ。聞かせてちょうだい」
「あ、うん……なんか、時々笑ってないんスよ。目が。俺の気のせいかもしれないけど」
「そうなんだ…ゴメンね、変な事聞いちゃって。こらメイリン、何時までやってんの!」
からっとした気持ちの良い笑みをひとつ見せてから妹を叱りつける姿はいつものルナに見えたが、それが些細な違和感を却って際だたせているようであった。
「ルナさん、何であんな事言ったのかな…っておい、しっかりしろよヴィーノ」
ヴィーノは惚けた表情で在らぬ方向を見つめている。
意中の少女が他の男に熱を上げているのはさぞ辛かろうと慰めの言葉を頭の中で列挙していたヨウランだが、ヴィーノの反応は予想とはすこし違った。
「な、なあ、あれ何だろう…人間?」
は?と相づちを打ってそちらを見たヨウランも、次の瞬間には同じような惚けた顔になっているのを自覚せざるを得なかった。
視線の先にある人垣とざわめきの中心にある時計塔のてっぺんに、一人の少女らしき人物が逆さまにぶら下がっていたからだ。
陽光に照らされた髪をキラキラと金色に輝かせながら、彼女は何かを探すようにキョロキョロとあたりを見回していた。