「自由」という言葉は、誤訳に近いものではないかと思われ、その後多くの悲喜劇を生む原因になったかもしれません。
さらに一歩妄想で踏み込むと、Freedomを理解したうえで、
悪意をもってこの言葉をあてたのかもしれないとさえ私は思っています。
福沢諭吉は、自著「西洋事情」で「自由」という言葉を使ったときに注として
’’FreedomやLibertyといった言葉に「自由」や「自在」と当てはめているのは適切ではない’’
といった意味のことを書いています。
戦前に「自由主義者」といえば、弾圧の対象でした。
「ほしいまま」主義者であれば、弾圧されて当然でしょうし、当時の人々もそれを不思議に思わなくて仕方ありません。
しかしまあ、読んでいくとDemocracyにFreedomにGodなど、
それぞれあてはめる日本語の民主主義・自由・神といった訳語が、
福沢諭吉を持ち出すまでもなく、極めて不適切ですよね。
・・いってしまうなら、まるで概念がピントはずれの訳語で、誤解のモトになるとしか思えなくて、
「ツカエネー」と21世紀のいまごろ、オバカな男が一人、トホーにくれております。
どうしょう。このままだと私の日常生活に影響が出てしまいます。ホントにどうしょう。(^ ^;;;)