【嵐の中で】第69次厨腐攻略戦【輝いて】

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404通常の名無しさんの3倍
日本において…言霊(ことだま)信仰があるところにジョークの入り込む余地はない。
 議論の場所で冗談をいったら侮辱になる。「冗談いうな」といって怒る。
 ユーモアやジョークが論争において入り込む余地がないのは、言論の自由がない証拠。


差別用語とは?
日本では…言霊の信仰によって、単語が一人歩きする。
「差別用語」とは、「ある人」の判断。一つの仮説にすぎない。
「差別用語」を使う人がいるから差別がなされる
 →いかなる場合の、いかなる「差別」にも反対である→対象が限定できない。
  →結果として、差別の具体的排除の方法論がなく言葉狩りだけで実質野放しとなる。

欧米の場合…具体的な例として、内容を限定する
→就職における差別、就学における差別、住居における差別の撤廃だとか。
→どこにどういう差別があって、どこの反例がどうって、いっぱいに裁判記録を整備する。

それに匹敵する差別に関する日本での法廷闘争記録はない。
日本では、明治時代にすでに全部撤廃されている。しかし実質の差別はある。

言霊(呪術)の支配
→論争が不可能な世界。
論争をすると純然たる論理の検討が、しまいには両方で、ただ悪口をいい会う形になる。
→讒謗の支配。
 批判とか反論ではなく、単なる悪口の投げ合いになっていく。
 事実の指摘の論理的討論に返ってくるのは、罵詈讒謗(ばりざんぼう)だけ。
 (口にすること自体が「人間の感情」として許せない。もう何も言うな。ダマレ!)
 (ダマレということは、意見の表明を禁じる命令であり、発言の権利を剥奪することであり、
Freedomを奪って奴隷扱いすることである)
 論争が、人格攻撃に転化する。
 批判(事実の有無)と指弾(善悪の判断)の区別がつかない。
 倫理的価値判断によって、立場がきまり、正義のために「ダマレ」と命令できる。