【嵐の中で】第69次厨腐攻略戦【輝いて】

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400通常の名無しさんの3倍
言論の自由について
どういうときに言論のFreedomが完全になくなるか?
→言葉に呪術的要素を認める時である。
*日本の場合は呪術的要素を全員がどこかで認めている。(言霊)
その言葉を言うと汚れてしまうから言ってはならない。議論してはならない。目をそむけなければならない。戦争について議論すると戦争が始まってしまうかもしれない。一種の念力主義

・言論のFreedomがある場合、いかに相手に不利であっても、事実であれば個人の人格への攻撃ではない。いかに国家に不利なスキャンダルをあばいても、国家への忠誠に影響がない。
 言葉に呪術的要素がない。→言葉と人格が分離している。
 
日本では論争できない
→論争する場合は、相手の人格を認めないときのみである。(言霊で相手を呪うときである)
 実力者を批判すると村八分になる。(相手から憎まれる。ウラから手をまわされて社会的にまずい状態になる)
 忠誠ではなくなって、反逆になる。また、された方も人徳を問題にされてまずい立場になる
→だから充分な議論ができない。あいまいさが残りうる。(徹底的可能性の追求が不可)

議論する前提とは (事実を確認するプロセスの基盤)
・議論の場においては、両者対等である。
・事実の指摘ではだれも人格的に傷つかない。
 という原則が確立されている必要がある。
人格攻撃の場合は戦争・決闘となる。(人格攻撃は、議論の場では、してはならない)
「おまえは嘘つきだ(ユー・アー・ア・ライアー)」→激怒・決闘
「お前のいったことは事実と違う(ホワット・ユー・ハブ・セイド・ノット・イグゼクト)」→平気。単なる反論。
 議論はいかなる意見も出して検討することができる。言論は仮説である。

言論のFreedomが成立するには?
・科学的であること→仮説を立てて、それを証明すること。
自分の所説(オピニオン)は一つの仮説(ハイポセシス)にすぎない
→この意識があってはじめて議論のつみ上げ──弁証法──が可能
 →その結果、立場が違った人々のあいだの協同(コーディネーション)が有益なものになる
仮説をめぐって論争する必要がある。
→討論の過程で負けることも、勝つこともある。それでも誰も傷ついたり・怒る必要はない






これくらい読めよ。理論持ちたいんだろ?役立つからコピペしてんのにwwwww