社会的自由とは?
日本の社会的自由
連想されるもの→勝手気ままに生きること。女の子と自由に遊べる。お酒をいくら飲んであばれても誰にも文句いわれない。(程度)
→→これなら日本は非常に「自由」である。世界でもっとも「自由」である。
欧米的社会的Freedom→日本にはまったくない
・個人において、内と外とが峻別されている。
・個人は集団から析出されている。
宗教的自由と社会的自由の密接な関係
社会的自由→プライバシーの公権力からの保護。権力はプライバシーにふみこむな。
内面と外面を峻別する。
→外面においては責任をとる。
→内面においては他人に対して責任をとらない
宗教的自由←→裏返し←→社会的自由
近代デモクラシーの不可欠の前提
近代社会の社会的自由とは内心の自由。民主主義の前提は思考と選択の自由。
法治主義であり、特定のイデオロギーから個人(社会全体)が解放されている
法で決まっていないことなら、何をやってもいい。
現在の日本や中国やソ連…社会的自由がない。
…会社につとめた時に、社長のところへ行って、「社長さん、社長さん、おれは、あなた大きらいだ」と。しかし「いかなる命令でも忠実に果たしますから使ってくれ」(小室直樹)
→これが通用しない。「心から」の忠誠を求める。
オスマン・トルコ式奴隷制と同じ(「聞いたことは従うことでございます」)
→奴隷が主人の命令を聞いた以上、それがいかなることであれ、正当性を問うことは許されない。
自由人が従うのは、合法的な命令だけ
→絶対服従といっても、合法的な命令だけに限定。
大統領が部下を慰安しようとパーティに招いても「娘と約束がある」と断っても問題にはならない。
(山本七平は昭和天皇の園遊会のまねきを、先約の講演会のために断ったことが有名。二度と招待されなかった)